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2015年8月25日火曜日

軽自動車の仁義なきパクリ戦争

 最近見る機会減っているけど私は相撲観戦が趣味で、好きな力士のタイプは軽量級だったりします。何気に一番好きだったのは安馬時代の日馬富士でした……。
 それと関連あるかどうかはわかりませんが、車も実は軽自動車が好きだったりします。元々体格が小柄ということもあり大きな得物をぶん回すよりも体格に合ったものをフィットさせて使うという思想を持ち合わせており、なるべくコンパクトで必要以上な物を取っ払うという概念でもってこういう嗜好が出てきたのでしょう。

 ただそうした私個人の好みを置いても、日本の軽自動車は芸術品といっていい代物だと思います。機械などの設計をやってみればわかりますが、単純に図体の大きいものは簡単に設計できますが、軽自動車の様に車体が小さいものだとどの装備をどのように配置するのか、もう少し大きければあれこれ詰められるのにというジレンマに悩まされます。
 ちなみに私自身は設計をしたことありませんが、軍艦を自ら設計して戦う「ウォーシップガンナー2」というゲームでこの手のジレンマを存分に味わいました。その分、苦労して作った駆逐艦で戦うのは格別だったりします。

 話は戻りますが、単純に大きな車よりも小さな車を作る方が意外と作業は難しいです。米GMなんかその辺がはっきりしていて、恐らく設計能力がないせいでしょうか無駄に車体がでかく燃費も悪かったりします。でもって故障も多いと三重苦。
 それに対して近年んの日本の軽自動車はあんな小さな車体によくもまぁこれだけ装備を詰め込められるもんだと呆れるくらいに充実しており、変な話ですがもっと値段高くてもいいのではと思う時すらあります。まぁ数でるから部品代も安くなるってメリットもあるのですが。

 そんな日本の軽自動車メーカーときたらダイハツとスズキ、そして近年急速にシェアを高めたホンダの三社です。でもってこの前個人的に気になったのがダイハツが新たに出してきた「ウェイク」という車なのですが、この車の何がすごいかって、スズキのヒット車である「ハスラー」のデザインをまんまパクっているという点です。実際に両車のページで比較してもらいたいのですが、後発のウェイクに至っては広告サイトでのメインカラーまでカーキ色にしてハスラーと合わせるという手の入れ込みっぷりで、なんていうかほかのカラーパターンまでそっくりです。

 これだけ見るとさもダイハツがひどい会社のように見えますが、スズキもスズキで過去にパクっています。そのパクリ車両というのも「スペーシア」で、これはスライドドアからボディラインまでダイハツのヒット車両である「タント」にクリソツです。っていうかフロントデザインに至っては確実にどっちがどっちなのか見間違えるくらい似せられています。
 さらにスペーシアの何が凄いかって、ハイグレードモデルとして「スペーシア・カスタム」という、「タント・カスタム」を彷彿させるようなデザインとネーミングの車も一緒に販売しているっていうことです。っていうかお互い露骨過ぎるだろう。

 大手新聞メディアなんか上品だからこういうこと書かないけど、「ベストカー」を筆頭とするカー雑誌なんかはこういう新車が出る度に、「あれっ、どっかで見たような?」という見出しと共に紹介するのが常です。なもんだから恐らく業界関係者の間でも、「パクられたらパクリ返す」、「売れてる車をこぞってパクろう」という言葉が暗黙の了解の様になっているのでしょう。

 こうした軽自動車トップ二社の姿勢について私から一言述べると、軽自動車業界ならこれはこれでアリだという気がします。というのも軽自動車は利便性と低価格が何よりも追及される乗用車カテゴリーで、妙なブランド価値にこだわるくらいなら安くて乗りやすくて乗りたくなる車を作って売る方がメーカーにとっても消費者にとってもプラスだと思えるからです。カーデザインには流行り廃りがありますが流行っている形を追おうとするなら大体似たようなものが出来るのがオチで、それだったらまんま似せちゃうというのも一つの回答でしょう。

 ただこれは軽自動車だから言えることであって、普通の一般乗用車ではやっぱりパクリは駄目です。一般乗用車は利便性もさることながらプレミアムな価値観も同時に追求しなければならず、やはりメーカー独自の味というかこだわりを捨て去って安易な模倣に走れば消費者も案外見ていて、一時的には利益上げても長期的には見切られてしまうと思えます。
 逆に言えばデザインにこだわるということは利便性を犠牲にすること同義であって、実際に燃費とかのことを考えるとデザインへのこだわりはマイナスに働くことの方が多いです。まぁそこをどう料理するかっていうのが本来の腕の見せどころなのですが、そういうのがちゃんとできているのは今の所マツダくらいかな。

 なお軽自動車のパクリ戦争が始まったのは何も最近ではなく、歴史を辿ると三菱自動車が「トッポ」というトールワゴンの軽自動車を出したことによってどこもこぞって車高を高くして、現在ではこの形が一種のスタンダードになっています。三菱も一時期は軽自動車業界の雄でしたが、最近は前述の三社に大きく水空けられててちょっと立場ないのが残念です。

 最後に私のカーデザインの好みを話すと、一番デザインが好きなのは昔にも一回書きましたがダイハツが以前に出していた「ストーリア」の初期型で、シンプルイズベストを極めた究極の形だと評価しています。尖がったデザインだったら三菱の「FTO」、ランエボだったら須藤京一が乗っていた「エボⅢ」が好きです。
ヽ(*゚д゚)ノ カイバー

昨日今日の世界同時株安について

 こういってはなんですが、これほど株価が上下していると見ていてなかなか楽しめるものです。すでに報道されている通りに昨日今日とほぼ世界全ての市場で株価が大幅下落しており、東京市場も日経平均株価が二日間、というより先週からを含めると2万円台から17000円台へと急激な落下ぶりを見せており、トレーダーを中心に少なからぬ動揺が広がっております。

 今回の同時株安ですがその震源はほかでも報じられている通りに中国であるということは間違いありません。私なんかその中国製造業現場にいるもんだからよくわかりますが、やはり2次産業を中心に先行きを不安視する意識は高く、それが諸々の経済指標にも出始めて不安が溜まっていたのが今回の大幅下落の背景として存在しています。ただそれ以上に私が致命的だったと思うのが先々週に突然行われた人民元の切り下げで、根拠はないに等しく私の勘でしかありませんが、中国政府がいきなりあれやって、「あ、マジでヤバいんだ」と世界中のトレーダーが感じたことが一番大きな引き金だったのではと個人的に考えています。結果論ですが、利下げを行ったところで何も効果はなかったと言ったところですが。

 一応、友人の情報によると中国政府は先ほど追加利下げなどの金融緩和策を取ったそうですが、それらが果たして効果があるのかというと疑問です。恐らく株価はこのまましばらく下がり続け、争点としては今日上海株価指数が3000ポイントを切って2000ポイント台に突入したとのことですが、2000ポイントを切るまでに立ち直りを見せるか否かじゃないかと思います。私個人としては今の中国の株価は2600ポイントくらいが適当な数値じゃないかと思いますがね。

 あと株価の下落ばかり大きく取り上げられていますが、個人的に懸念しているのは通貨の下落です。日本円も著しく下落を続けていますが先々週の中国の利下げ以降、アジア諸国の通貨も下落し始めた聞いており、もしそれが本当ならまた世界全体でデフレ傾向に陥るのではないかというのが一番の懸念点です。仮にそうなれば世界全体で経済が悪くなり、またデフレ回復を目指す日本にとっては非常に大きな痛手になってしまうのではないかとも思え、こっちの方に注視が必要かなと個人的に考えています。

 あと本題とは関係ありませんが、円安が進む中で下記のニュースを見ているといろいろ思うところがあります。

トヨタ、部品各社に値下げ要請再開 競争力確保へコスト減(日経新聞)

 どうせやると思ってたけどさ、円高の時にそれを理由に使って散々コストダウンを要求して、円安になって馬鹿みたいに利益上げながらまたコストダウンを要求する当たり、この会社は相手の痛みがわからないサイコパスみたいな奴だなと呆れてきます。このニュースは先週に友人からこれを見ろとばかりに送られてきて、翌日に客先訪問をする際に同僚に話したら、客先の社長もこのニュースを切り出してきたのでタイムリーでした。っていうか人の痛みがわからない奴は、いっぺん死ぬほど痛い目に遭ってみた方がいいよ。

2015年8月23日日曜日

北朝鮮の動向と安保関連法案

 ここ数日、日本のニュースを見ていてつくづく感じることですが、何で北朝鮮の動向と安保関連法案を同時に語らないのか、ここまで来ると一種のギャグのつもりなのかと疑ってみています。
 北朝鮮はここ数日、停戦領域内で地雷を仕掛けたり韓国国内へ砲撃を刷るなど過激な挑発行動を繰り返し、これに対し韓国側も海岸部や島しょ部ではなく内陸部への砲撃を受けたことによって態度を厳しくしており、北朝鮮側に対して24時間の宣伝工作を続けこれに対して北朝鮮もやめるよう要求するなど一種のにらみ合いが続いています。

 さすがに北朝鮮事情は専門外なので素人的な意見となりますが、今回の一件でも軍事的衝突に至ることはさすがにないとは思います。そう思う根拠として二つあり、一つはただでさえ食糧事情の悪い北朝鮮が収穫前の8月のこの時期に戦闘行動には出るに出られないということ、もう一つは韓国側は朴大統領の支持率が低下している中で今回の事件は支持率回復の好機にほかならず、実態以上に事態を深刻化させてみせようと動いているように思えるからです。

 ただこの事件、というよりもし北朝鮮有事が起こった場合についてですが、日本はどのように行動するべきなのか。またそのような自体に対して指針なり対策は既にとられているのでしょうか。

 安倍首相を持ち上げるつもりはありませんが、現在参議院入りしている安保関連法案の意義はやはりこういうところにあると思います。この法案について反対している人たちはホルムズ海峡とかイラクとかやたら遠い地域ばかりを想定した批判を繰り返し、最も近くても中国という現実には経済関係的にも交戦できるはずのない国ばかり取り上げられます。これらの国や地域と比べると北朝鮮の方が遥かに実戦が起こりうる可能性が高い国で、またその際には韓国と在日米軍が交戦すると思われることから、安保関連法案が実際に運用される可能性が高い相手だと私は考えています。

 その場合の想定をいくらかここで書くと、まず北朝鮮有事が起こった場合は在日米軍は確実に朝鮮半島へ出兵するでしょうし日本からも爆撃機などが出動するでしょう。これに対して北朝鮮はどう反応するか。多分奇襲でもない限りは一瞬のうちにミサイル発射基地などは潰されて反撃できないと思いますが、もし仮に反撃余力を残していた場合だと日本の米軍基地などへ向けてミサイルを発射してくる可能性があります。その場合、日本はどうするべきでしょうか。そもそも米軍が北朝鮮を攻撃することが決めた際、日本としては米軍への支援を行うべきか否かでしょうか。

 ある評論家の意見に、日本人というのは一番起こってほしくない事態は起こらないという前提で予想を立てる癖があるという指摘がありますが、この北朝鮮有事についても同じことが言えるでしょう。日本から米軍が確実に出動すること考えれば日本の領土が攻撃される可能性を含んでいるということで、それを見越した上でいざとなったらどう対処するべきか、何も起きていない今の段階で考えなければなりません。
 私としては北朝鮮は初めから話が通じる相手ではないと思うので、だったら最初から米軍に協力して可能な限りの支援を行うことでなるべく早いうちに叩き潰すべき相手ではないかと思います。問題はその支援の幅で、物資の提供までか、兵員や物資の輸送までか、自衛隊員の朝鮮半島出兵まで含むか、ここが論点となります。ただ物資の提供や輸送に当たっては現行法では整理されておらずやるとなったら内閣決断の超法規的処置に頼らざるを得ず、だからこそ安保関連法案が必要なのだというのが安倍首相の主張です。

 実際のところ安保関連法案にはこれ以外の内容も含んでいるし私も完全賛成ではありませんが、こと北朝鮮有事に対する必要な準備であるならそれ単独であれば賛成の立場を取ります。少なくとも今の状態で北朝鮮有事が起きれば、日本は何の準備も覚悟もない中で北朝鮮のミサイルの標的となる可能性があるだけに、もうちょっとこの辺の議論を折角のいい機会なんだからやっておくべきではないかとこのブログで主張するわけです。

2015年8月22日土曜日

三国志マニア同士の会話

 このブログのコアな読者なら極端に長いコメントをたまに書く若生わこさんの名前を憶えている方も多いのではないでしょうか。若生さんとはこのブログを通じて知り合ってプライベートでもよく会話をする仲だったりするのですが、彼は大学でも中国古代史を専攻したほどの極端な三国志マニアで、私との会話も大体三国志ネタと野球ネタで大半を占めてたりします。
 知ってる人には有名でしょうが、私もそこそこの三国志マニアということで周囲に認知されています。そこで今日は彼とこれまでに交わした、三国志マニア同士の異次元な会話内容を一部抜粋して紹介します。

1、三国志平話
 若生さんの守備範囲は中国古代史ということもあって春秋戦国、漢楚攻防時代も詳しく、その日は確か韓信についてあれこれ話をしていたのですがふとした拍子にこんなやり取りが出ました。

若生「( ・∀・)<韓信は末路がやや悲惨でしたが、三国志演義が成立する前に作られた講談だと曹操に転生したことになってて、韓信好きの自分からしたらこの展開はアリですね」
花園「( ・ω・)<それって三国志平話でしょ。あれって演義より蜀漢贔屓が激しくて呉の動向について全く触れられないらしいね」

 説明しましょう。「三国志平話」というのは元の時代に成立した三国志の歴史をベースにした小説で、現代において主流である「三国志演義」に先駆けて流布されたものです。この小説の冒頭では死語の世界で天帝が、創業の功臣である韓信、彭越、英布を謀殺した劉邦を弾劾する裁判を開き、後世で処罰を受けさせるという方法で劉邦は後漢最後の皇帝である献帝に、そして韓信は曹操、彭越は劉備、英布は孫権に転生させてそれぞれが漢王朝を分裂させるという運命を託しました。なおこの裁判を裁いたのは司馬仲相という人物で、天帝は裁判を上手く裁いた功績として分裂した漢王朝が彼の元に統一される運命を託して、彼を司馬懿仲達に転生させるというストーリーとなっております。

 断言してもいいですが、こんな三国志平話の存在なんて普通の人はまず知りません。私も若生さんもこの会話した際は互いに驚きつつ、「三国志平話を知ってる人に初めて会った……」と言い合いました。

2、虞翻
 この前書いた三国志で打線を組むという記事について話し合ったところ、呉のメンバーに件の虞翻を入れたことについて、

花園「 ( ´∀`)<虞翻はちょっと贔屓もあって入れた。まぁ知名度低いからみんなはなんでこの人が入ってるんだろうと思っただろうね」
若生「( ´Д`)<虞翻とかめっちゃ優秀でしょう。時勢を読むのに長けてたし、孫権の下でも活躍してますし」
花園「( ・∀・)<だよねぇ。ちなみに横山光輝版『三国志』だと王朗に孫策に抵抗するべきではないと説得して、籠の中の鳥を放ってあげるシーンが何故か周昕と入れ替わってるんだよね」
若生「(´・ω・) <そうそう」

 傍から見ているとさっぱりわけわからない会話していると思いますが、それだけ三国志好きからしたら虞翻は評価される人物だってことです。ちなみに横山光輝版三国志については、1シーンだけ何故か董卓の髭がなくなって描かれていることがあり、これも三国志マニアにとっては常識です。

3、伍子胥
 これは自分と若生さんと冷凍たこ焼き好きの友人の三人で新宿のバーにいた際、突然出てきた会話なんで前説明なしに読んでもらいましょう。

若生「( ゚Д゚)<花園さんは伍子胥なんですよ!」
花園「( ・∀・)<わかる!俺、めっちゃ伍子胥好きやもん。すごい共感する」
冷凍たこ焼き好きの友人「(;゚д゚)<…………」(マジでこんな顔してた)

 説明しましょう。伍子胥というのは春秋時代の人物で故国(楚)の王様に濡れ衣で父と兄を殺されたため、亡命して他国(呉)に渡って将軍となり復讐のため楚へ侵略した人物の事です。なお楚へ侵略して首都まで落としますが復讐対象の王は既に自然死していたため、墓から遺骸を暴いて鞭で百回叩くことで復讐を果たしており、この故事から「屍に鞭打つ思い」という言葉が成立しています。
 この時の会話で若生さんが何を言いたかったのかというと、執念深い私の性格を伍子胥にたとえて言おうとしたわけで、私自身も伍子胥が昔からかなり好きだったので素直に自分も執念深い性格だと認めたというやり取りでした。私と若生さんの間は「伍子胥」というキーワード一つで一瞬のうちに意思を疎通し合いましたが、脇にいる冷凍たこ焼き好きの友人は全く意味が分からなかったそうで、「(;゚д゚)<あ、あのさ、もうちょっとわかりやすく話してくれない?」と解説を求めてきました。

 以上が主だった私と若生さんの会話ですが、三国志マニアが集うとそうじゃない人にはさっぱり訳が分からない会話が始まってしまうということを理解いただけたらと思います。ちなみに今まで自分が会った人物の中では若生さんが間違いなく三国志マニアとしてはナンバー1です。

2015年8月21日金曜日

佐野氏のデザイン盗用疑惑について

 昨夜友人に、プロレス界屈指の人気を誇るゲイレスラーである男色ディーノ氏がかいた「すべてのジャンルはマニアが潰す」について書かれた記事を薦めてみたところ、何故かやたらと絶賛して非常にわかりやすいと連呼されました。ちなみにこの記事は元々はゲーム批評の記事ですが、文章中でさりげなく「ゲーム→ゲイム」、「結論→ケツ論」と単語を弄ってる辺りはゲイが細かいです。

 話は本題に入りますが、今一番ニュースな男といったら間違いなく東京五輪のロゴをデザインした佐野研二郎氏であると私は考えております。佐野氏の騒動の発端から現在に至る過程は今日なんかテンション低いので省略しますが、東京五輪のロゴデザインが発表された直後に外国からデザインをパクられたと指摘されたことについて私は当初、それほど問題にするほどではないのではという感想を覚えました。
 というのも東京五輪のロゴもベルギーの美術館のロゴもアルファベットの形を崩したようなデザインで、言ってしまえばありていなデザインだと思えたからです。なもんだからパクリだとも思わないし、たとえ実際にパクったデザインであってもわざわざ撤回するほどでもないだろうと考えたのですが、逆に言えば何のオリジナリティも感じられないくだらないデザインだとも同時に覚えました。

 デザインに関して素人である私が言うのもおこがましいですが、はっきり言ってあの東京五輪のロゴデザインは何がいいのかさっぱり理解できないほどくだらないデザインだと感じます。先程も述べたように何のこだわりというかオリジナリティも感じられず、また一見して五輪らしさ、日本らしさを感じる要素というものが全くなく、デザインをした人以上にあれをわざわざ選んだ連中の方が問題あるのではないかと密かに見ております。折角の日本開催の五輪なのだから日本だっていうことがわかる何かしらのワンポイントがあるべきだと思うのに全く皆無で、同じアジアでもまだ北京五輪のロゴはしっかりしてたなぁなんて今更になって感心させられます。

 こうした感覚は多かれ少なかれ他の人間にも共有されていたとみられ、ロゴデザインが発表されるや「ダサい」などと賛否が相次いでおりましたが、そこへきてパクリ疑惑が生まれ、さらには佐野氏のデザイン事務所発の他のデザインに関しても他の作品を悉くパクっているとの疑惑が追及されだし、現在に至ってはパクったかどうかの真偽以前にどこからどうパクったのかを捜す方が盛り上がっている感すらあります。実際、ネットからの指摘を受けて配布が撤回されたサントリーのトートバッグに関してはどっからどう見ても他人の作品を流用したとしか思えないデザインが使われており、ああいうデザインを平気で出しておきながら「これまで盗用はしたことはない」と言われてもはいそうですかとはなかなか言えるものではないでしょう。
 それにしても、トートバッグの配布が「オールフリー」という名前の飲料のキャンペーンだというのが地味に面白いものです。

 一個人としての感想を述べるなら、やっぱり佐野氏は以前から他人の作品を盗用し続けてきたとしか思えず、この五輪ロゴも同じように盗用した上で小っちゃくアレンジして出して来たものとしか思えないです。国際的に恥ずかしいことこの上ありませんが、恥を忍んで一旦このデザインは撤回した上でもうちょっとまともなロゴデザインをよそから探してくることが対応として筋ではないでしょうか。
 その上で佐野氏個人について言わせもらうと、何故これほどオリジナリティに欠けるデザインをしてそこそこ有名になれたのか、ここが一番わかりません。どのデザインを見てもこのデザイナーならではの味なり工夫なりが全く見られず、小手先の絵柄だけうまい同人作家を見ているような感じすらします。まぁオリジナリティを出そうってんなら、叩かれるのが日本っていうのはわかってはいますが。

2015年8月19日水曜日

マージン率の上限規制

 先ほどGoogleアナリティクスでこのブログの検索ワードをかけたら、「マージン率 中国在住」というワードで検索してきた人がいたということがわかりました。「誰だこんな恐ろしく狭い条件で検索かけた人は」、という具合でちょっと考えさせられました。
 ただこのところマージン率に関して以前書いた記事への検索は増えており、アクセス数も未だに上がり続けています。複数の友人に言わせれば、「もっと注目されていい記事」だそうですが私個人としてはこんだけデータも揃えてやっているのに大手マスコミは何故引用しようとしないのかが逆に気になりますがそれは置いといて、先日少し気になるコメントが来ました。

 具体的にどういうコメントかまでは書きませんがそのコメント内にて、「マージン率は欧米の様に10%台にすべき」という記述があったのですが、率直に言ってこの「10%」という数字がどこから来たのかが疑問に感じました。マージン率というのは、厳密には異なりますが大まかな表現で言い表せば一般企業の粗利に当たるもので、粗利が10%なんて普通どの企業も経営が成り立たないほど小さい数字です。いくら人材派遣業はコストが小さいとはいえ本当に欧米の人材派遣企業のマージン率は10%なのか、はっきり言えば疑いました。
 なおマージン率の計算方法についてはリツアンSTCの野中社長がタイミングを合わせてくれたかのように下記記事で具体的な金額と共に紹介してくれているので、興味のある方は参考ください。なお野中社長によると、企業負担の社会保険料はマージン率には含まれないため企業が得られる利益額は一般の人間が考えているよりは低いとのことで、自分もその通りだと思います。

派遣のマージン率について少し掘り下げてご説明します。(『ピンハネ屋』と呼ばれて)

 話は戻りますが先程の欧米の派遣業界はマージン率が10%台ということについてネットで調べてみたところ、確かにいくつかのサイトでそのようであるという記述が見られたのですが、その数字的根拠をはっきりと示している人は誰もいませんでした。具体的に言えば英国の平均マージン率は〇%、米国は△%みたいな国際比較が出ていれば信用できますがそういったものは皆無でありながら何故か、「欧米のマージン率は10%台」という風に書かれてあり、中には「マージン率の上限規制によって10%台となっている」というような記述も見かけました。

 結論を書くと、欧米では派遣のマージン率が10%台というのは根拠のない情報であって、もしかしたらマージン率の定義が異なっていてそういう数字も一部出ているのかもしれませんが実態としてはやはり有り得ない数字でしょう。更に踏み込んで言えば、欧米にはマージン率の上限規制があるというのも一種のデマじゃないかと私は疑っています。

 まず前者の欧米ではマージン率が10%台という意見について、欧米のマージン率は具体的にどの程度なのか英語で検索かけまくってあちこちのサイトを駆けずり回った所、ようやく下記サイトにたどり着くことが出来ました。

What Your Supplier’s Gross Margin Can Tell You(Staffing Industry Analysts)

 上記サイト内に「大規模かつ公共人材派遣法人8社の中間マージン率」というグラフがあり、その中間マージンの数字はどれも20%台です。このマージン率のデータがどのような定義でどの地域、どのような会社を対象としているかは書かれていないため安易に信用できないところがあるものの、少なくともマージン率10%台は有り得ないとする根拠にはなり得るのではと思います。ってか欧米のマージン率のデータがわかるサイトがあれば誰か教えてください。

 次にマージン率の上限規制についてですが、これも散々「Staffing service」に「Upper limit」とか「Resistration」などの単語をつけて検索をかけ続けましたが、それらしい情報を載せてあるサイトにはとうとう辿り着くことが出来ませんでした。また日本語のサイトにおいても、比較的多くの人間が「欧米ではマージン率に上限があるのが当たり前」という風に書いていますが、その根拠となる数字、具体的には上限値を誰一人として挙げていません。このような点を踏まえると、この上限規制に関する意見というのは初めから眉唾だったのかもしれません。

 自分の記憶を紐解くと、派遣難民が社会問題となったリーマンショック明けの2009年に「欧米では当たり前」という言葉と共にマージン率の公開やこのマージン率の上限規制が主張されていたように思います。恥ずかしながら自分もこうした意見を当時疑うなく信じ込み、多分このブログでも古記事探れば、「欧米では上限値があるらしいぞ」みたいな内容を書いてると思います。
 しかし現状から察するとこの上限値に関しては根拠が明らかに不確かで、派遣の待遇改善を求めるあまりに広まったデマだったんじゃないかというのが私の見解で、昔に信じ込んでしまった自分への反省を込めて今回改めて調べてみました。

 最後に、なら今後日本でマージン率の上限規制を設けるべきかについて意見を述べると、はっきり言って私は反対です。理由としてはマージン率の公開が進めば市場の競争原理が働き、法外に搾取する派遣企業は自然に淘汰されることが期待できることと、一口で派遣といっても単純労働者、エンジニア、特殊技能者など様々なタイプの派遣があり、それらに対し一括で上限値を作って規制してしまうとかえって競争の自由がなくなります。一番重要なのはマージン率の公開であって、不必要な規制は作るべきではないというのが派遣労働者でもない私個人の立場です。

2015年8月17日月曜日

実録、左遷者列伝~後編

 昨日に引き続き左遷された有名人を片っ端から紹介するこの企画。前置きはいいので早速いってみましょう。

4、南雲忠一(海軍提督)
 戦史マニアなら誰もが知るであろう有名人である南雲忠一とはミッドウェー海戦を指揮した海軍の将軍です。ミッドウェーが惨敗に終わった原因を南雲の指揮時の逡巡にあるとの声はかねてから多く、この敗戦をきっかけに太平洋戦争は攻守が逆転していることもあって批判されることの多い人物です。
 しかし彼の敗戦は有名でも彼の最後はあまり知られていないように思われ、というのも彼は最後サイパン島にて玉砕命令を出して彼自身もそこで戦死しております。彼がサイパン島の指揮官に任命されたのは周囲の人事もありますが、見方によれば勝ち目のない戦いに無理やり放り出されたとも見え、左遷とは意味合いが異なるかもしれませんがここで紹介しておきたかった人物です。
 なおミッドウェー敗戦の原因を彼に求める声は多いものの、彼だけでなく作戦司令部の曖昧な目標決定や戦術指導にも問題があったとされ擁護する声もあります。私自身もあの敗戦の責任がこの人一人に押しつけられているように感じられ、擁護派の一人であります。

5、生方恵一(NHKアナウンサー)
 一定の年齢層にはまだ強く記憶に残っているのではないかと思われますが、この人物がどういう人かというとあの「ミソラ事件」の当事者であったNHKのアナウンサーです。
 ミソラ事件とは1984年の紅白歌合戦で、司会をしていた生方恵一が都はるみ氏の名前を呼ぶ際に間違って「ミソラ……」とばかりに、昭和の大スターである美空ひばりの名前を間違って口にしてしまった事件です、もちろん生放送で。
 年が明けた翌1985年の正月からこのハプニングが他のマスコミから大いに取り上げられはじめ、その最中に生方の東京本社から大阪局への異動人事が行われ、しかもその年にNHKを退職してフリーへと転身したためこの事件の余波を受けてのことだろうと大いに騒がれました。

 ただ実際のところは懲罰的な左遷ではなく、生方の大阪局への移動は紅白前からすでに内示されていた人事で、また呼び間違えられた当事者の都はるみ氏と美空ひばりはともに、「あらあら、間違われちゃったわ」という具合で全然怒ってなかったそうです。もっとも後年の生方はこの事件を自らネタにして使うことがあり、昔にたまたま見たテレビ番組では、

「あの事件が無ければアナウンサーとして天下を取っていた」
「(番組終了が予定されていた)ニュースステーションの久米宏の後釜といったら僕しかいない!」

 などと怪気炎を上げていました。
 なおこの記事を書くに当たって調べ直したら昨年末に亡くなられていたようで、この場を借りてご冥福をお祈りします。

6、二岡智宏(元巨人軍)
 この人は新しい人物なのであまり説明は必要ないでしょうが、生え抜きの巨人軍の中で抜群の成績を残していたことから将来のフロント入りもほぼ確実視されていたものの、2008年に芸能人の山本モナ氏と一緒にホテルから出てくるところを激写されるというスキャンダル事件が起こり、同年中に日本ハムファイターズへトレードで放出されました。
 この事件の何が面白いかってそれ以前からも路上でチューしてる所などをしょっちゅう報道されていた山本モナ氏が謹慎明けからすぐにまたスキャンダルを起こした点で、しかもシーズン中の野球選手であったことから、「なんかわざとやってるのでは」と思ったのは私だけではないと思います。あとこのスキャンダル事件の直後、ネットでは「山本マサと山本モナの違いを教えて(暇人速報)」という掲示板が立ち、「マサ関係ないやん」とツッコみつつ見事な比較が出そろってて大笑いしたのを今でも覚えています。あと、五反田という地名を見る度にこの事件思い出す。


7、うちの親父
 このブログの読者に会うとほぼ確実に話題に上がるうちの親父ですが、枕詞は決まって「名古屋に左遷された」で一貫しています。なんでこんな枕詞を付けたのかというとただ普通に「うちのおとんが」と書いても捻りないなと思って、読者に印象づかせるためにも読んでてドキッとするような枕詞がいるだろうと思って適当につけたら何故だか自分の想定以上に人気な代名詞になりました。ちなみに本人もこのブログ見てて、「読んでて胸が痛む」と言ってます。
 そんな親父は現役バリバリ(これも死語だな)の頃、東京本社から名古屋支社への転勤を言い渡されます。転勤当初は慣れない単身赴任生活もあって本当にしんどかったようで、この時期は会う度に、「名古屋人は汚い(#゚Д゚)y-~~イライラ」などと、やたら愛知の人の悪口を口にしてました。ただそんな生活でも数年を経て安定してくると悪口も言わなくなっていったのですが、ある年に仕事でしくじり、今度は広島へさらに左(=西)へ遷されることとなりました。広島に移った後も最初は大変だったそうですがこちらは比較的短い期間で済み、現在はまた名古屋に戻って今も働いております。

 なお最初の名古屋への転勤の際に親父は、「愛知の美人は豊臣秀吉が大阪へ、徳川家康が江戸へそれぞれ根こそぎ持っていったから不細工しか残らなかったのでは」という自説を展開した所、社内の女性社員からセクハラで訴えるぞと脅されたそうです。
 ただ親父の言うことも一理あるというか日本史中でも屈指といえるほど女好きである天下取り2人なだけに、話の種として私もある日この親父の説を当たり障りのない同僚に話したところ、その同僚が愛知出身の同僚(♀)にばらしやがって、「花園君は私にひどいことを言いましたね(*^^)」と、直接詰問される羽目となりました。もうその時は、「すいません、ほんっとにすいません(;゚Д゚)」、とばかりに平身低頭で謝り続けましたが、その後もその同僚にはずっと頭が上がりませんでした。


 以上が主だった左遷された人々ですが、昨日の記事で片倉(焼くとタイプ)さんがコメントしてくれたようにこの「左遷」という言葉の元になった劉邦はその後見事に再起して、中国の皇帝にまでなっています。何が言いたいかっていうと人生万事塞翁が馬っていうことで、左遷されたからってめげずにいれば天下も取れるかもよと言いたかったわけです。
 ついでにかくと地方への左遷を嘆く人がよくネット上にいますが、日本国内なだけいいじゃんと、国境ぶち破って就職転職異動を繰り返している自分は思います。

2015年8月16日日曜日

実録、左遷者列伝~前編

 勤務者、特にサラリーマン男性に対して聞かせて割と好反応が得られやすい私の持ちネタの一つに、「左遷」という言葉の由来があります。この言葉は中国で項羽と劉邦が争っていた時代に成立した言葉で、諸侯が連合して初代統一王朝の秦を打倒した際、主導権を握った項羽は功績のあった武将に領土の分配を行いました。この際に項羽の軍師の范増は劉邦の野心と求心力を警戒し、本来なら首都咸陽(現在の長安)に一番乗りした劉邦には咸陽周辺の領土を与える約束でしたが、下手に反抗できないよう彼を僻地へと送り込むべきだと進言します。最終的には咸陽からさらに西にある、当時としてはかなりの僻地である漢中に封じるのですがこの際に范増が項羽に言った言葉というのが、「劉邦は左(=西)に遷(うつ)すべし」で、転じて僻地へと追いやることを「左遷」と言い表すようになりました。

 こうして成立した左遷ですが、歴史を顧みるとなかなか持って様々な人間が権力争いやら自らの不始末などによって左遷されており、その過程もなかなかドラマチックだったりします。そこで今日は日本で左遷された人物の中でも有名な人物をいくつか紹介kしようと思います。

1、菅原道真
 最早説明不要。日本において左遷といったらまずこの人、「ミスター左遷」と呼んでもいいくらい有名でみんなにとってもお馴染みなのがこの菅原道真です。なんせ彼は左遷されたという事実が日本史の教科書に載せられている上、小中高の授業でほぼ必ず教えられるほど左遷人事がPRされており、その結果というか福岡県の「大宰府市」という地域名を見るにつけ私の中では即「左遷」という言葉が浮かんでくるほど刷り込まれています。多分これは私以外でも同じなんじゃないかな。
 それにしても天神様に対してこういう内容を平気で書く当たり、私の怖いもの知らずもいい所です。もし雷に当たって死ぬことがあれば確実にこの記事が原因でしょうが、天神様の雷波って中国にも届くのかな?

2、森林太郎(通称、モリリン)
 この人物は明治時代に東大を史上最年少で卒業(現在においても)した上に当時としては非常に珍しかったドイツへの留学に派遣され、帰国してからは軍医の幹部として辣腕を振るうという日本史上でも屈指のエリートでした。ただ彼自身の著作においても若い頃から周囲といくらか軋轢があったと思われる節がありますが、1899年に東京から福岡県の小倉市へ左遷人事を受けています。
 わかる人にはもうわかっておられるでしょうが森林太郎というのは文豪、森鴎外の実名です。ただ彼の場合は小倉に左遷されてから三年後に軍医トップの地位に昇進して東京へと舞い戻りましたが、小倉時代を経てからは性格も以前と比べ大分丸くなり、執筆する小説の性格も大きく変わったと言われているだけに本人にとっても大きな転機だったのではないかと思われます。

3、指原莉乃
 AKB48の指原氏といったら既にみんなにとってもお馴染みの人物で、デビュー当初は人気も低く鼻でゴム手袋を膨らまして割るなど地味な活動が続きましたがその後、人気は次第に上昇していき、AKB総選挙でトップを取るなど下剋上を果たしたことでも有名です。そんな彼女ですが2012年、総選挙で当時としては過去最高の4位に輝いた直後に週刊誌発のスキャンダルが明るみとなり、プロデューサーの秋元康氏からAKB48からHKT48にグループ移籍を言い渡されます。ってか、三日天下な当たり書いててなんか明智光秀みたいだ。
 この際に東京から福岡県博多市へと活動拠点が移ることとなったためか、上述の菅原道真と重ね合わされ、ネット上では「指腹左遷」、「太宰権師(だざいのごんのそち)」などと揶揄されることとなりました。現在は活動拠点を再び東京に遷している模様で、最初の下剋上といい、叩いてもなかなか死なない妙なタフさに溢れた人のように思えます。

 以上が今日紹介する三人ですが、見てわかる通りに三人とも左遷地が何故か福岡県に集中しています。確かに福岡県は日本でほぼ西端の土地であり「左に遷す」という意味ではこれ以上ない位置にありますが、左遷された人物の中でもトップクラスに有名な人物三人が揃っているというのもなかなかオツなもんです。天皇の流刑地といったら隠岐の島が有名ですが、多少不謹慎ですが福岡県もなんかこの方面でアピールしてもいいんじゃないかと思えてきました。
 それにしても、菅原道真と森鴎外に指腹氏並べて記事書くなんて恐らく世界で私だけでしょう。なんかこう書くと、指原氏がすごい大物に見えてきた……。

 ってことで、次回は続きとばかりに他に数人の左遷人物を取り上げます。

2015年8月15日土曜日

鎮魂の日

 二次大戦の終戦日は日本では8月15日ですが世界的には9月2日とすることが一般的です。何故異なるのかというと戦争というのは降伏を宣言した瞬間に即終了するのではなく交戦国同士がしっかりと終戦を行うと文書で調印した瞬間に終了するもので、二次大戦の場合は9月2日に米軍艦ミズーリ上で重光葵が調印したことによって完全なる終戦を迎えました。ただこれらは法的な定義によるもので、実際の終戦日を一とするかはやはり各国がそれぞれで決めるべきものであり、日本では8月15日とするのであればそれはそれで間違いありません。

 しかしこの点で本当に考えるべき点は、一体何故日本では世界の潮流に逆らって未だに8月15日を終戦日としているのかです。その理由は大きく分けて二つあると私は考えており、一つは降伏の決断が昭和天皇の玉音放送という象徴的な手段によって伝えられたため印象が一際強く残ったためで、もう一つは日本独特の「お盆」の風習と結びついたためと推測します。

 あまり取り上げられることはありませんが8月15日前後に祖先の霊を祀るという行為は日本独特の風習です。中国では4月の「清明節」という日が日本の「お盆」に当たりお墓参りなどを行うのですが、同じ東アジアの仏教文化圏同士でもこのように日程が大きく異なっている点を考慮すると8月に祖先の霊を祀ることに明確な根拠はなく、これまでの日本の歴史からたまたまこのようなスケジュールに落ち着いて風習化したと思われます。
 この8月に祖先の霊を祀るという風習が先の玉音放送、というより戦争の犠牲者に対する慰霊と結びついたことによって終戦日は8月15日とする意識が日本人の中で強まったのではないかと思え、実際にお盆と合わせて戦争犠牲者に対する慰霊行為やイベントが行われているのが現状です。そのような成立の経緯を踏まえると日本における8月15日の終戦日は心安らかに戦争犠牲者に対し慰霊の祈りを捧げる鎮魂の日であるように思え、またそうであるべきだと私は考えています。

 しかし今年の終戦日はそのような鎮魂の日と言うには程遠く、非常にくだらない議論で実に騒々しく不快なことこの上ありません。過日、安倍首相は終戦70周年に合わせて政府の談話を発表しましたが、この談話内容について産経を除くほぼすべてのメディアは一言一句を細かくあげつらっては中国や韓国に対する配慮に欠けるなどと言って批判する論調を取りました。
 はっきり言って私は終戦についての談話というのでであれば、戦争犠牲者を悼み二度と過ちを起こさないというような文言さえ入っていればそれでもう十分であると思います。確かに国外に向けても発信される以上は侵略を正当化したり、日本は運が悪くて米国に負けただけだというような負け惜しみのような言葉が入っていたらさすがに問題ですが、真に優先して伝えなければならない内容というのは犠牲者に対する悼みであって、外交的配慮ではないでしょう

 ならば侵略した国には何の謝罪も補償もする気がないのかという方もおられるかもしれませんが、それらは何もこの「鎮魂の日」に議論しなければならない話題なのかといえば私はそれは違うと思います。それらは普段の外交において伝えていくなり、内容について議論すべき話題であり、この「鎮魂の日」に当たっての談話であれば戦争犠牲者に対してただ静かに悼むことを何よりも優先すべきでしょう。
 そんな「鎮魂の日」において揚げ足取りかのように言葉の端々をあげつらってしようもない批判を繰り返すという行為は、この日を政治利用して政権批判に使っているとしか見えず、本来静かに祈りを捧げるべき日とは程遠い行為を行う大手マスコミに対して内心強い憤りを私は覚えます。

 そもそも日本は二次大戦で韓国とは交戦しておらず、終戦を記念した談話であれこれケチ付けてくるというのは正直納得がいきません。従軍慰安婦問題だって、この祈りの日にわざわざ議論しなくてはならない話題なはずないでしょう。

 繰り返しとなりますが日本における8月15日は終戦の日であって鎮魂の日でもあり、死者に対し静かに悼みと祈りを捧げるべき日であるべきです。そんな日にかこつけて政権批判を、しかも言いがかりに近い主張で繰り返すなどナンセンスもいい所で、強い言葉で言えばくだらない政権批判を行っているマスコミこそあの戦争の犠牲者を冒涜しているとしか思えません。

 最後に、今年は終戦から70周年だとみんな言いますが、日清戦争終戦から120周年、日露戦争終戦から110周年、普通選挙法成立から90周年、足利尊氏の挙兵から780周年、大坂夏の陣から400周年でもあったりします。何が言いたいのかというと、これらの周年記念はほっといていいのと思いつつ、何周年だからってあれこれ騒ぐのは実はあんまり好きじゃなかったりします。
 もっとも、2012年は菅原道真の大宰府左遷(901年)から1111周年だったことから、一人でテンション上げながら何故か雷に対して念仏唱えていましたが。しかも中国で。

2015年8月14日金曜日

アニメはあくまで子供向け

 昨日書いた「すべてのジャンルはマニアが潰す」という記事に早速このブログのサブカル方面で定評のある読者2人がコメントを書いてくれました。自分としてもこの記事はなかなか面白い言葉を引用できたなと納得する記事だったのでコメントが来てくれてまずは何よりと思ったのですが、片方のコメントに、「最近のアニメはライト層向けに偏っている」との意見があり、元々もっと掘り下げて書いてみたい記事でもあったので今日はちょっと好き勝手書こうかと思います。結論から述べると見出しに掲げた通り、アニメはあくまで子供向けで、マニアックに作ってはならないというのが私の持論です。

 先に昨今の日本のアニメ事情について述べると、やはり全体的に大人向け、言うなればマニアック向けな作品が増えているように私には感じます。なんでこうなっているのかというと一番大きいのは制作費の回収方法が昔と今とで大きく変わっており、昔はアニメ放映と共におもちゃを始めとした子供向けキャラクター関連商品を売ることで制作費を回収しましたが、最近ではアニメそのものを収録したDVDの販売で回収するパターンがほぼすべてとなっており、DVDを販売するということからターゲットとなる視聴者層は購買力のある大人がメインとなり、こうした影響から子供向けから大人向けに作られるようになったと考えています。

 また単純に子供向けアニメの本数が私が子供だった頃と比べても減っています。私が子供だった頃は毎日夕方5時半からかつて放送したアニメの再放送が流れ、また土日はどちらもも6時半から8時の間は3本程度のアニメがほぼ必ず放送されていました。現在だとこの時間帯はバラエティがメインですし。

 こうした子供向けから大人向けアニメが増えている現状について最初に述べたように私は快く思っておらず、やはりアニメはあくまで子供向けに作られるべきで、子供をメインターゲットとしたライト層向けな作品をもっと増やすべきだと思います。理由は昨日の記事でも書いたようにコアユーザーの層が増えすぎるとライトユーザーの拡大が止まり、そしてコアユーザー自身も減っていって最終的にはユーザー総数が減少していく傾向があるからです。
 数学的にこうした現象を分析するなら、コア層とライト層の割合比で一つの壁となる数値があるのだと思います。たとえばこの割合が2:8を保っている間は全体のユーザー層は拡大を続けますが、コア層が徐々に拡大して3:7で拡大が止まり、4:6にまで至ると逆に縮小し始めるというように適頃な数値というのがあるのではというのが私の意見です。

 そうしたことを踏まえて日本のアニメ界の現状はコア層がやっぱり多くなりつつあり、将来コア層を形成するライト層の拡大に今のうちに力を入れてかないとよくないのではないかと勝手に懸念しています。何も大人がアニメを見るなということを言うつもりはさらさらなく、ただベースは子供向けアニメでこっちを中心にというのが私の主張です。

 ちょっと主旨が違うかもしれませんが、どんな作品が質が高いのかを突き詰めるなら私は時代や年齢を問わずに視聴される作品がやはり質が高いと思います。たとえば宇宙戦艦ヤマトなどは子供から大人まで幅広い層に支持されたため今でも人気がありますが、それ以外でも現在において古典的とされるほど支持される作品は子供向けに作られながら大人も巻き込んでおり、いい作品というのは客を選ばないからいい作品である気がします。


 ちなみに上記の動画は私が子供の頃に放映されていた水木しげる氏原作の「悪魔くん」のアニメOPです。懐かしさ補正もありますが、なんか今のアニメとは異なる不思議なパワーを持っているとこのOPを見る度に思うので、このところやたらと繰り返してみながら、「エロイムエッサイム、我は求め訴えたり」なんて呟いてます。
 あとどうでもいいですが昔にデーモン小暮閣下は自身のエッセイ本として「我は求め訴えたり」というタイトルで出版しましたが、悪魔なんだからお前が求め訴えられる側じゃねってこの頃よく腹の中でツッコんでいます。

2015年8月13日木曜日

すべてのジャンルはマニアが潰す

 このブログでよく毎日新聞の記事と記者を馬鹿にすることが多いですが、以下の記事は読んでて非常に面白かったです。取り立てて大きく注目するほどでもない内容のニュースをうまい文章で紹介してあり、非常に読み応えのある記事です。

<弘前市提唱>現存12天守同盟に「待った」 犬山城、壁に(毎日新聞)

 それで話は本題ですが、先日お笑いコンビ「ピース」の又吉氏が執筆した「火花」という小説が芥川賞を受賞し、現在進行形で大いに注目されております。この件について私も記事を書こうかなと思ったのですがそもそも「火花」は読んでないし、この本が芥川賞の候補に入った時点で受賞することは目に見えるほど当然でごく当たり前な出来事のように思えたので無視しました。なお昨夜友人とはこんな会話を交わしています。

「芸能人が受賞したんだから、次は有名声優辺りが書いた小説が受賞すんじゃね( ゚Д゚)」
「じゃね(゚Д゚ )」

 この受賞劇について言いたいことが全くなかったわけではないのですがそうした経緯もあって書かなかったところ、下記の山本一郎氏のコラムを今日読み、まさに私が言いたかったことを全部言ってくれていると思わずうならされる内容でした。

ピース又吉『火花』売れて良かったね

 基本的に考え方としてはまさに上記コラムの通りなのですが、このコラムを読んでてもう一つ気になった点として、今日の見出しに掲げた「すべてのジャンルはマニアが潰す」という一言です。

買収後売り上げが激増 プロレス人気再燃を新日オーナー語る(NEWSポストセブン)

 なんか今日はやたら記事紹介が多いですがそれは置いといて話を進めると、この言葉はトレーディングカードを製造・販売をしている「ブシロード」という会社の木谷高明社長が述べた言葉です。今まで自分は知らなかったのですが木谷社長は新日本プロレスを2012年に買収し、数年で売上げを倍増させるなどプロレス人気を立て直す見事な経営手腕を見せているそうです。
 そんな木谷社長が上記のインタビュー記事の中でプロレス人気が何故衰退していたのかという理由について述べた言葉が、「すべてのジャンルはマニアが潰す」なのですが、この言葉の意味はコアなユーザーはライトユーザーを拒絶し、弾く傾向があり、コアユーザーが増えすぎると逆に人気は衰退していくという内容です。

 この言葉はなかなかもって見事な指摘だと思え、実際に90年代の2D格闘ゲームブームや往年のスキーブームなど、なんとなくあてはまるような事例がポンポンと浮かんできます。政治においてもコアな支持者の囲い込みを続けたことによって日本の社民党は明らかに衰退し、逆にライトな支持層を取り込んで急激に拡大してトニー・ブレアのイギリス労働党は政権を取るなど、この言葉がそのまま当てはまる気がします。
 私自身も本当に市場を拡大するならコアなユーザーを切り捨ててでもライトユーザーの取り込みに従事するべきだと、おぼろげながら考えていましたが、こうもはっきりとした言葉でこの意味を表現する人物がいたとは非常に驚くと共に、やはり業界の最前線にいる人はただ者じゃないと、中国語で言うなら「了不起」と言いたくなる人物です。
ヽ(*゚д゚)ノ<カイバー

天津大爆発事故について

 一体どんな書き出しから書けばいいのか戸惑うくらい、昨夜起こった天津大爆発事故は衝撃的でした。

 既に各種の報道で皆さんも見聞きしておられるかと思いますが、昨夜中国天津市にある浜海新区という経済開発区の倉庫で大爆発が起こり、現在もなお被害の全容がわからないほどの大惨事となっております。今回の事故規模については百聞は一見の如かずというか、現場近くで爆発を撮影した写真や動画が既にメディアやサイトなどで公開されており、その映像の迫力たるや下手なハリウッドの映画を大きく上回ると思えるもので見ていて心底ぞっとさせられます。

 爆発原因については倉庫内に保管されていた化学薬品やガスなどだという推測が出ているもののまだはっきりしませんが、少なくともこれほど大規模な爆発を起こす物質があったことと、それらを引火させてしまう管理体制であったというのは事実でしかありません。今日も同僚らと少しこの事件について話しましたが、恐らくこの地区の防災担当者は今頃監禁させられた上で遠くへ左遷させられるか牢獄に入れられるでしょう。幸いというか、労働教育は数年前に廃止されてますが。
 それとこれは当局への苦言ですが、やはり未だに情報を小出しにするというのはいい加減無理があるでしょう。かつて事故を起こした新幹線を埋めるなどと言う暴挙を中国当局は犯しておりますが、今回の爆発事故については有害な物質が空気中に広がっている可能性もあるだけに、被害情報と共に確かな情報を可能な限り早く発表するべきでしょう。いい加減昔と違うんだし。

 少し個人的な印象を書いていくと、報道では最初の爆発が起こった後にもう一回爆発があった、つまり二回の爆発が起こったと伝えられています。実際に爆発当時を映した動画をみるとその通りなのですが、最初の爆発も確かに随分と大きく夜空が一瞬で明るくなるほどであるものの、二回目の爆発の大きさは一回目を遥かに凌駕しており、空どころか辺り前面が紅く染まった上に周囲の建物や木々が爆風で大きく揺れたりひん曲がったりするのが見受けられます。爆心地には恐らくもう何も残ってないため原因の特定は難しいでしょうが最初の爆発によよって二回目にどんなものが引火したのか、この点が非常に気になります。

 最後に被害状況についてですが、現時点の報道では死者は約50人、負傷者は数百人と報じられていますが、こんな情報ははっきり言って当てになりません。昨年8月に私の地元の昆山で起こった爆発事故も当局の発表では60人強が死亡したことになっていますが、私の横のつながりから得た情報によると実際には110人程度が死亡しており、負傷者はその数倍にも上る大惨事だったそうです。
 今回の天津大爆発は夜間帯だったとはいえその爆発規模は桁違いに大きく、断言してもいいですが死者は100人を確実に越えるでしょうし、負傷者を含めると四桁にも上る可能性があるでしょう。逆を言えば爆発時が夜間だったのはまだ幸いで、仮に昼間であれば死者数が四桁に昇る恐れもあったでしょう。

 それにしてもこれほどの爆発事故、少なくとも自分がこれまで映像で見てきた中ではかつてないほどの大きさです。ちょっと気が早いかもしれませんが悲惨な爆発事故の例として、今回の天津大爆発は歴史に残るんじゃないかなとすら思います。

2015年8月12日水曜日

人民元の切り下げについて

 土日に大雨が降ってからこちらは随分と涼しくなって過ごしやすいのですが、なんか逆に暑さがなくなったことによって気が抜けちゃったのか、このところは家帰ってパワプロで延々とバッティングし続ける日々が続いています。ちなみに打率は5割4分くらいです。
 なわけで今日はブログ休もうかなとも思ってましたがさすがにほっとけないニュースというか、中国が昨日に引き続き今日も人民元の強引な切り下げをやってきたので、いくらか解説文を載せます。

 まず人民元の切り下げとはどういう事か。これは簡単に言えば通貨としての価値を安くするという方法で日本円と比べるなら仮に以前は1元=20円だったとすると、この二日間で3%程度下がったということから「20×0.03=0.6」となるため、現在は1元=19.4円になる計算です。
 こうなるとどうなるかですが、国外に製品を輸出すると以前は20円で売っていたものが19.4円に値下げしても中国側は同じ利益を受け取れるようになるので、輸出競争力が増します。まぁこの辺はほかの解説でも読んで納得してください。

 それで話は人民元に移りますが、そもそも人民元の為替相場はどのように運営しているのか。私がざっとこの二日間で切り下げ関連のニュースを見ている限りだとどこも人民元レートの決定システムを理解していない人間が記事書いてるなという印象を覚えましたが、これに関しては内心しょうがない気がします。実際、人民元レートは日本円や米ドルの変動相場制と違って「管理フロート制」という妙なシステムで、私も十分に理解している状態だとは言えません。

 理解が間違っているかもしれないという前提で簡単にこの管理フロート制システムを私なりに説明すると、これは人民元の変動幅を前日の終値を基準値として上下2%に固定するというシステムで、たとえば前日終値が1元=20円だったとすると、翌日の変動幅は20×0.02=0.4となるので、19.6~20.4円の間でしか変動しないということとなります。この方法だったら終値付近で中国の政府系金融機関が介入すればいくらでも為替レートをコントロールできるので、まぁ中国にとっては都合のいい手段でしょう。

 では今回の切り下げはどういう風に行われたのでしょうか。通常、人民元の為替レートは前日の終値を基準としてそこから上下2%を変動幅とするのですが、今回の切り下げは前日の終値に対して11日は1.9%、12日は1.6%切り下げた値を基準値として、そこからいつものように2%の変動幅で取引させました。
 要するに今回のは中国政府が前日の終値なんて関係なくいきなり人民元のレートを変更したようなもので、誰の目から見てもかなり強引な手段を採ったと言える行動でしょう。仮にこれがまかり通るなら、人民元のレートはいつでも自由に中国政府が決められると言っても過言ではありません。

 では何故中国政府は今回このような強引な手法に打って出たのでしょうか。理由はほかの記事などでも言われている通りに各種の経済統計で景気の衰えを示すような悪い数値が相次いでおり、景気後退を懸念した中国政府が輸出のテコ入れとして為替に手をかけたというのが実情だと私も思います。今日発表された統計でも不動産投資の伸びに明らかな鈍化が見られ、一番最後の砦ともいうべき不動産業界すら振るわない状態になって当局も危機感を持ったのかもしれません。

 ただ今回の為替操作についてもう少し深く述べると、中国としても苦渋の決断だったのではと思う節があります。というのも中国はかねてから人民元を国際通貨として世界に認めてもらうために様々な努力を続けてきましたが、今回のこの為替操作によって明らかに世界通貨への道は後退しました。逆を言えば世界通貨化を一時諦めなければならないほど景気に対して危機感を持っているとの証左でもあり、今後発表される他の経済指標を注意深く見ていく必要があるでしょう。

2015年8月11日火曜日

SEALDsに対する印象

 今日女子サッカーの澤選手が結婚したというニュースが流れたのを見て一瞬、「あれ、今日ってエイプリルフールだったっけ?」と思ってしまいました。もちろんこれは冗談で、澤選手結婚おめでとうございます。

 そんな前振りとはまた全く脈絡のない本題ですが、あまりにも時事ネタで解説するものがないのでSEALDsについて私の印象を語ろうと思います。ちなみに「シールズ」って発音を聞くと私の中で思い浮かぶのは米国海軍特殊部隊のネイビー・シールズです。なお「エイリアン2」にも出演したマイケル・ビーンという俳優は何故かこのシールズの隊長役を演じることが多い俳優だったりします。

SEALDs(ニコニコ大百科)

 SEALDs(以下、シールズ)とは正式名称が「自由と民主主義のための学生緊急行動」という学生団体で、やってることは安倍政権の批判です。最初に書きますが私はこの団体と構成員に対して率直に言っていい感情を持っておらず、そもそも話題にあげる価値すらもないと内心では思っています。

 彼らの活動についてはネットなどでいくつか報じられているので知っている方も多いでしょうが、主な主張としては現在安倍内閣が進めている安保関連法案の否定、そして安倍首相の退陣で、逆を言えばこれ以外だと目につく主張なんて皆無でしょう。
 長く語るほどでもない連中なので何故私がこれほど見下しているのかというと彼らの主張をどんなに聞いても、安保関連法案のどこが問題なのか、この法案の可決によって現行とどう変わるのかという解説なり展望が全くありません。むしろ彼らは安保関連法案の中身自体をまともに理解していないのでは、にもかかわらず安倍内閣を批判しているのではと思う節すらあり、政治思想的な動機で行動しているようには見えません。

 では何故彼らは妙な徒党組んで活動しているのか。はっきり言いますが政治とは全く関係のない所、日々の生活なり人間関係なりでストレスや不満を抱えて、それを「政治活動」と称して安倍内閣にうっぷん晴らしの八つ当たりをしていると私は思います。そう思う根拠として彼らの発する主張の大半が法案の中身や日本の将来というよりも、安倍首相個人への人格批判ばかりで、しかもその罵倒の仕方が幼稚極まりないからです。もっともこれは朝日新聞の社説にも言えますが。
 偉そうな口をききますが政治議論で人格批判をするということは、もうその時点で相手を論理的に攻撃する材料を持っていないと自ら明かしてしまうもので、普通の人間ならやりません。しかしシールズはむしろこの人格批判それ自体を目的とするかのように安倍首相の批判を繰り返しており、政治的な動機というよりただ単に憂さ晴らししたいだけの人間が集まっただけではないかというのが私の見立てです。言ってしまえば、反日デモの際のどさくさに紛れて商店破壊した中国の日雇い労働者とどっこいどっこいでしょう。

 ハナからまともに法案の中身を理解できるほどの知恵がないというのはわかってますが、せめて理解しようという努力を見せるならまだ批判活動をしていてもかわいげがありますが、シールズに関してはむしろ理解を拒むような行動も見られます。何故なら何がどう変わるのかが正確になると大袈裟に「これから徴兵制が始まる」なんていう突飛過ぎる意見が主張できなくなる恐れがあり、逆を言えばきちんとした理解が進むと彼らは主張せんとする島を失うことになるのではないかと思います。こういう連中でも大学生になれるあたり、この前の小学四年生に扮した変な慶應の学生といい、ちょっと私も心配になってきます。

 最後にこれは蛇足かもしれませんが、そもそも「SEALDs」という団体名からして私の癇に障ります。なんで無駄に横文字使おうとするのか、普通に日本語でいいじゃんと思うと同時に、最初に述べたように「シールズっつったらネイビー・シールズだろ!」と思え、どうして軍事化を否定しながら軍の特殊部隊と音の被る団体名にするのか理解できません。

  おまけ
 冒頭にあげたマイケル・ビーンは「ターミネーター」で未来からやってくる青年、カイル役も演じていますが、以前に芸能人の眞鍋かをり氏が芸能記者に、「妊娠したのではという噂が出ていますが?」と聞かれた際、

「身に覚えがある。未来からやってきたという男とアメリカのモーテルで一夜の過ちを……。生まれてくる子供にはジョンと名付けよう」

 と、とっさに答えたことがあり、この一件で眞鍋氏は凄い人だということがよくわかりました。

2015年8月9日日曜日

日本式経営の「婿養子」という世襲方法

 今年5月に私は「書評『会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから』」という記事を書き、かつて存在した日系大手家電メーカー三洋について取り上げました。この記事の中で三洋の二代目社長であった井植敏氏の言葉として、

「日本は相続税率が高いため、会社を興して成功した創業一家は自己の財産を所有し続けるため経営能力が無くても会社を経営し続けなければならなくなる。米国の様にオーナーが会社を所有し、プロの経営者を雇って会社を経営させるという方法が採れない」

 といった内容の言葉を引用しました。この言葉の意味をもう一回かいつまんで説明すると、日本だと会社起ち上げて大成功して財産作っても、いざ子供に相続させようとしても税金で大方取られてしまいます。ではどうすれば円滑に資産を相続できるかというと、起ち上げた会社をそのまま子供に社長職を継がせられれば家族として「会社」という資産を保持できるわけです。
 しかしこれには一つ問題があります。その問題というのも会社を継ぐ子供が必ずしも経営的才能に恵まれているかどうかわからないということです。恵まれていれば別に問題ありませんがいわゆる二代目のボンボンバカ社長だった場合、会社の経営は混乱して破綻し、折角の資産も失ってしまうことになってしまいます。

 こうした日本の現況に対して欧米はどうかというと実は事情が異なります。会社を起ち上げた創業者はそのまま子供に経営を引き継ぐ例もありますが、大方の大企業では株式だけを保有し続け、経営は外部から招へいしたプロ経営者に任せてオーナー一家は配当金を受け取り続ける道を選びます。こうした方法が採れるのも井植氏の言う通りに相続税の税率が低いからやれる方法で、いわゆるセレブと言われる米国の資産家一家はこのようなパターンで使いきれない金を使い続けていることが多いです。

 先ほどの井植氏はこの日本と欧米における相続の違いについて、「日本では会社の所有と経営が分離していない」と述べております。実際に欧米は上記の通りに「所有(株式の保有)」と「経営(社長になる)」がはっきり分かれており、所有するオーナー一家の役割は外部からまともな経営者を持ってくることと、株式を持ち続け独立性を守ることの二点に集約されます。

 こと会社の継続という観点だけで見るならば、この所有と経営は分かれている方が良いに決まっています。既に述べた通りに日本のような相続の仕方では経営センスのないオーナー一家の跡取りが社長になってしまう可能性が高く、どんなに立派な企業でもバカ社長の指先一つでお釈迦になってしまう可能性がなくなりません。
 ではオーナー一家以外から社長を取ってくればいいのかとなると必ずしもそうは言いきれません。というのも日本の場合はオーナー一家以外だと社内から昇進して社長に就くいわゆる「サラリーマン社長」が多いのですが、果たしてそういう内部出身者が優秀かどうかとなるとこちらも必ずしもそうだと言いきれません。少なくとも、会社の内外から広く捜してくる例と比べるなら社内からの昇進だと比較対象数が圧倒的に小さいと言わざるを得ません。

 こうした会社の相続という課題について、実はかつての日本式経営にはちょうどいい解決方法があり、実際に多くの企業で採用されていました。その解決方法というのも、「婿養子」を取るという方法です。

 現代の日系企業でこれを実践して成功している代表格は自動車会社のスズキで、ここは現在の鈴木修会長と先代の会長はどちらも次代の経営者と見込まれたことによって婿養子として創業者一家に入り、実際に同社の事業拡大を見事果たしております。鈴木修会長に至っては、元々銀行屋だったのに先代(二代目)に見込まれて自動車会社に移ってこれだけ会社大きくしたんだから、やっぱ大したもんだと私も評価しています。

 日本式経営、というより日本式家族は江戸時代からこのように「優秀な人材を外部から婿養子として入れる」という手段を採っており、あのトヨタも豊田佐吉に続く二代目は婿養子の豊田利三郎であったなど、以前はそれほど珍しくもない手法でした。この婿養子に迎え入れるという手法であればある程度実績なりを収めた優秀な人材を外部から招聘するため経営者のセンスとしては問題なく、また家族にも入ることから会社という資産をオーナー一家は所有し続けられます。
 この「婿養子」という制度は所有と経営を両立できる優れた手段であり、あまり大きく取り上げられたりしませんが私は日本式経営の大きな特徴の一つだったのではないかと考えております。しかしたった今「だった」と述べた通りに、この手法は過去のものとなりつつあり今後も採用するオーナー一家が現れるかとなると疑問符を打たざる得ません。

 第一の理由はイエ意識の変化で、自由な恋愛結婚が一般的となっている今の世の中で、「こいつは経営センスがあるから将来お前はこいつと結婚しろ」と親から言われたって、はいそうですかと素直に従う社長令嬢がいるかとなると……まぁいないでしょう。第二の理由は少子化と晩婚化で、曹操婿養子を取れるほど女の子があまってないという家庭が多いかと思えます。

 私自身は先ほどにも述べた通りに「婿養子」というのは非常に優れた相続手段であると同時に優れた企業の経営手段だと思うのですが、一般的な日本人はカビ臭いやり方だと恐らく否定するでしょう。しかし大塚家具の問題にしろ相続と経営の問題は現代においても頻発しており、実際に実行するかどうかは置いておいてこのような手段もあるということを再認識した方が良いのではと思いこうして記事をしたためました。

  おまけ
 昨夜この記事内容について友人打ち合わせをした際、「スズキの会長以外に代表的な婿養子っているか?」という話になり、結局出てきたのは「マスオさん」だけでした。実際、日本で最も有名な婿養子といったらこの人しかいないでしょうヽ(*゚д゚)ノ<カイバー

このところのジャンルのばらけ方について

 気づいている人は気づいているかもしれませんが、元から一貫性のないブログではあるものの、このところの記事ジャンルのばらけ方は書いてる本人からしてもかなり異常な水準となっております。試しにこの一週間の記事タイトルを並べると、以下の様にと手も同じ人間が書いているブログだとは思えないほどばらけています。

・北条政子の歴史的存在感と人格
・人工筋肉の将来性
・「自由」という言葉が持つ二つの定義
・千葉のマッドシティ~ありがとう早稲田ビル
・「江戸しぐさ」は何故流布されたのか
・現代の僧兵

 なんで僧兵の話をした後に江戸しぐさに移り、その後マッドシティについてどうでもいい記事を書いたかと思ったら今度は自由に関してやけに哲学的な内容。かと思ったら今度はいきなり人工筋肉を話題にあげて、続く記事では北条政子がまた突然現れるなど、自分で書いておきながらですがかなり意味が分かりません。
 一体なんでこんな記事ジャンルがばらけているのかというと理由は単純に時事ネタがあまりにもなく、間に合わせで適当に思いついた内容をぱっぱ書いているためです。本来このブログは時事、政治の話題を取り上げた解説記事がメインのはずなのですが、このところは右も左も安保関連法のどうでもいい議論ばかりで話題にあげるネタが全くなく、仕方がないのでどうでもいい記事を無駄に量産することとなっております。

 ただこのところの記事はコラムとして、空いた時間にちょこっと読んで楽しめるような記事となるようには意識しており、それぞれの記事は単体だと決して悪くない出来ではないかと自負しています(マッドシティを除いて)。しかしこればっかだとブログとして果たしてどうなのか、頼むから何か興味を引く事件なり議論でも起きてくれよと密かに願う次第だったりします。

2015年8月7日金曜日

北条政子の歴史的存在感と人格

 よく「歴史の陰には必ず女あり」なんていう言葉がテレビ番組などで使われたりしますが、私に言わせればそんなのフェミニストのたわごとに過ぎず、少なくとも有史以来の歴史は男性が基本的に動かしてきたものに間違いありません。言ってしまえばさっきの言葉はこじつけで、歴史を動かした女性に関与しただけの女性を無理やり際立たせようとする意図合っての言葉ではないかと私には思えます。
 ただ欧米にはジャンヌ・ダルクやエリザベス一世、ロシアのエカチェリーナ一世など、そして中国にも則天武后や西太后など確かに歴史を大きく動かした女性が出てきており、この点に関しては何も異論がありません。しかし日本の歴史ではどうか、推古天皇や日野富子など確かに歴史に影響を与えた女性はおりますがどちらかというと歴史に関与しただけで、シビアな目で見るなら動かしたとなるとそれは大袈裟ではないかとただ一人を除いて思えます。そう、あの北条政子を除くとするならば。

 私は以前(二年も前だが)に「日本で歴史を動かした女性」という記事でも北条政子(+おね)を取り上げていますが、真の意味で日本史を動かした女性となると彼女以外いないのではないかと思います。彼女の実績というか経歴については説明するまでもないですが、鎌倉幕府の開祖たる源頼朝の妻となり実家の北条家ぐるみで彼を応援しただけでなく、頼朝の死後も父と兄にあれこれ指示して実質的に北条家による執権政治の基礎を作ったことは言うに及ばず、承久の乱で鎌倉武士を統率して後鳥羽上皇一派を追いやったことによって明治維新まで続く武家政権を確立したことは、徳川家康などにも劣らない大きな歴史のインパクトだったと私は評価しています。
 無論、北条政子一人の力でないことは間違いありませんが、彼女の死後に編纂された北条家の歴史書(吾妻鏡)によって持ち上げられて記録された可能性もありますが、あの当時の女性対する価値観が低かった時代においてこれほどまで大きく記述が割かれていることを考えると、やはり当時の北条家を引っ張っていた存在であったことは嘘ではないと思います。ここで注目すべきは一体何故、北条政子はそれほど指導力を発揮できたかという点でしょう。

 彼女が強い指導力をそこまで発揮できた理由としてまず浮かび上がるのは、彼女自身の人格というかパーソナリティが頭抜けていたからではないかと私は考えています。というのも彼女の経歴を見ていると当時としては珍しく頼朝とは恋愛結婚で、しかも親に許嫁を押しつけられた際は駆け落ちまでしています。また結婚後は当時としては当たり前だった側室を頼朝が持つことを許さず、浮気には半端じゃなく厳しかったと吾妻鏡がお節介にも既述しており、こう言ってはなんですが価値観が当時というよりは現代に近く、まるで現代からタイムスリップでもして鎌倉時代に現れたのではないかと思える節があります。これは言い換えるなら既存の価値観にとらわれず、自身の価値観でもって物事を見て行動していた人物といえ、織田信長の様な合理性(+わがままな性格)を持ち合わせていたのかもしれません。

 ただそうした革新的な価値観を持っていた一方で、家族に対する意識というか愛情も強く持ち合わせておりました。特筆すべきは娘の大姫に対する様々な気遣いで、大姫自身が病弱だったこともあるでしょうが母親として非常に気に掛ける態度などが良く残されており、このほか義経の妾であった静御前に対する態度も同じ女性として非常に気遣う感情が見て取れます。
 しかしそうした家族愛が強かったものの、家族関連では不幸と言ってもよい人生を歩んでいます。頼家と実朝の息子二人はどちらも若くして暗殺され、大姫と三幡の娘二人は年若くして病死し、北条政子は旦那だけでなく四人の子供全員に先立たれる運命となりました。そうした経緯もあってか甥っ子の北条実時に対しては援助を惜しまないなど、なにか思うところがあったんだろうなと思わせる行動が記録されています。

 改めてまとめるならば、北条政子は開明的な人格を持ち合わせており行動力も抜群であったため女性というハンデを抱えながら強い指導力を発揮出来たのではないかというのが私の見方です。持ち上げてばっかりですがその人物としての歴史的価値はほかの大物と比べても決して劣ることはなく、特に武家政権の確立を完成させたことを考えれば足利義満や徳川家康に並び立つほどの影響力を持っているように思え、現代の評価はやや低すぎるのではと考えています。
 その上で女性の歴史的価値をやたら高めようとするフェミニスト達は、どうもこの北条政子に対しては冷淡というかあまり話題に上げようとしていないのではと思う節があります。勝手ながらこの理由を推理するならば、一つは北条政子の一連の行動が男性的に見えることと、もう一つは幕府存続のために息子の頼家の追放を決めた点などが価値観に合わなかったためではないかと思います。こう言ってはなんだけど、女性からは嫌われそうなタイプに見えるし北条政子は。

2015年8月6日木曜日

人工筋肉の将来性

 昨夜、前から待ち望んでいた漫画の「監獄学園」の最新巻である18巻が発売され、あらかじめ予約していたので電子書籍にダウンロードされるや一目散に読みました。読んだ感想はというと想像を大きく超えていたというか、「こんな内容を書いちゃっていいのかよ……」と思うくらい凄く、こちらの期待以上に楽しまされました。画力、ストーリー、ギャグの切れ、どれをとっても隙のない作品で、多分現在のギャグ漫画でこの作品に伍すものはないでしょう。

 話は本題に入りますが、実は最近気になっているものとして人工筋肉があります。っていうかこんなものに何で突然興味持ち出すのか自分でも意味不明です。

人工筋肉(Wikipedia)

 なんでこんなものに興味を持ち出したのかというと、昨今の研究の発達に伴って人体の義体化が段々と視野に入ってきたものの、俄然かけているピースに当たるものがこれじゃないかと思えてきたからです。
 私が人工筋肉に興味を持ったのはそう(村上春樹風)、大体三週間くらい前です。なんか欧米で視力を失った男性に外科手術を施し、一部視力を回復させることに成功したというニュースが報じられてて、神経系統の仕組みが大分改名されたこともあってこの方面、、要するに人口の神経は大分現実化してきたと思うと同時に、その神経で動かす身体はどう作るんだと疑問に感じたからです。

 基本的に人間の体は張り巡らされた神経を電気信号が通り、その電気を受けて筋肉が反応し、収縮することで動きます。この神経系は一般的な電線で代替することはかなり以前から実現されており、簡単な実験だと軽い電流を流すことによって肘や膝を意思に反して曲げることが出来ます。
 先ほどの視力回復の例はカメラと脳をケーブルで繋げて成功したそうなのですが、日本が誇る山中教授のIPS細胞を利用すればこのケーブルはもっといい材料、具体的に言えばそれ以前から本人が持っていた神経細胞で繋げられる可能性も出てきています。

 しかし神経は繋げられるとしても、その神経から流す電気信号で動かす身体はどうすればいいのか。言ってしまえば人工筋肉のようなものがないと完全なる義体化はまだ実現できません。人間のような肉体にこだわらないならネジ丸だしな機械義手とかにすることでクリアできますが、機械の体の場合は可動力などに気をつけないと、たとえば肘から下に義手をつける場合だと極端に義手の握力が大きいと生身の肩が持たず、骨折したり脱臼したりという不具合が起きる可能性があります。また同時にメンテナンスも必要だし、水に触れたらよろしくないというデメリットも存在します。

 人工筋肉の場合はどうか。もちろん機械の体同様にメンテナンスはいるでしょうが、耐久性があればそこそこ面白い動きが出来るのでは、何よりも素の人間の体に近い分、機械の体より親和性は高いような気がします。
 それで今の研究はどこまで言ってるのかですが、やはり収縮回数こと耐久性とコストが大きな課題になっているそうです。逆を言えば画期的なものが生まれればグッと利用範囲が広がる可能性もあるだけに、今後この分野を機会あれば自分も勉強してみようかなと画策しています。

2015年8月5日水曜日

「自由」という言葉が持つ二つの定義

 先日、ある友人から「自由」という言葉は福沢諭吉が初めて「Freedom」という言葉を翻訳して作った言葉だということを教えてもらいました。なお福沢はこの言葉を最初は「下剋上」と翻訳したそうですが、「なんか違うよなぁ」と思って翻訳し直したそうです。この判断は正しかったんじゃないかなぁと私は思います。
 ただこの自由という言葉ですが、内包する意味としては大きく分けて二つあるのではないかと私は考えております。もったいぶらずに述べると一つは「どんな選択肢でも好きに選べる状態」で、もう一つは、「束縛が全くない状態」です。どちらも似たような印象を覚え実際に両方とも兼ね備えた状態も決して珍しくはありませんが、必要十分条件の関係ではないと断言できます。

 具体例を挙げると、誰かの監視なり保護下に入ることによって行動の選択肢が増えるというのが一番わかりやすく、これだと束縛は増えるものの自分単独では実行することが出来ない行動が選択肢に入ってくるわけで、一種の社会契約論と考えても問題ありません。
 逆のパターンもまた然りで、親の庇護下から離れることで束縛は減るものの成人していなかった場合は経済面から行動が縛られてしまいます。まぁ経済面の縛りを束縛ととるならまた解釈も変わってきますが。

 では一般的な日本人は普段どちらの自由を重視しているのか。私の意見を述べるならば圧倒的に前者で、選択の幅を広げるのであれば社会や組織の束縛を受けることにほとんど抵抗しない人が多いように思います。こうした日本人の傾向について特段批判するような点はなく、いつも手厳しい日本人論を語る私としても変だとは思いません。そもそもどちらの自由を優先するのかは本当に考え方次第であるため、どっちが正しいとか理想形は何なのかを考えるのは野暮でしょう。もっとも、どっちの自由も放棄するってのは問題である気はしますが。

 ここまで書けば薄々勘付かれるでしょうが、私個人としては圧倒的に後者の「束縛からの自由」を重視しています。逆を言えば束縛から離れられるのであれば選択肢が狭まっても構わないというか、実際にそのような行動をこれまで取ってきました。
 あくまで私見ですがこっちの「束縛からの自由」を重視するのはやっぱり欧米系国家の人たちに多いような気がします。組織や家族のために個人を殺すといった行動意識は日本人と比べると小さく見え、単純に個人主義が強いだけかもしれませんが社会全体でもそうした意識が垣間見え、慣習やら社会的影響をなるべく排除しようとしているのではないかと思います。
 こちらでも具体例を挙げると自由の本場と日本人が言っているフランスで、以前に騒がれた学校にイスラム教徒であってもブーケを被って来てはならないというルールを設ける当たり、宗教的影響を可能な限り教育現場から排除しようとしたのではないかと見えました。

 繰り返しになりますが「選択の自由」、「束縛からの自由」のどちらを重視するかは人それぞれであって、どちらの自由が絶対的に正しいと言い切ることはできないでしょう。ただ私からの助言としては、二つの自由をどんな按配で重視するのか、これをおぼろげながらも意識すると物事の見え方が良くなるように思えるのでお勧めです。
 たとえば普段は行動の自由を重視しながらも束縛からの自由を完全放棄しない、割合的には8:2ぐらいに自己設定して、一体どこのタイミングで自分は束縛に対して抵抗するのかを考えてみるのも面白いかもしれません。上司から叱責を喰らう、上司からビンタを喰らう、上司からフランケンシュタイナーを喰らう、この三段階のどこまで我慢するのかを考えるだけでも自分の立ち位置なり根本的な考え方が以前より確固と固まるのではないかと思えます。まぁ三つ目はこんな技決められる上司に巡り合えるかどうかをまず考えた方が良いかもしれませんが。

2015年8月4日火曜日

千葉のマッドシティ~ありがとう早稲田ビル

 我ながら書いていて意味がよくわからない見出しですが結論から言うとマジでこんな名前したビルが松戸市にあって、しかもビル屋上には本当にでっかく「ありがとう」と書かれてたりします。


 手元に写真がないのでこのビルに入居しているサロンのサイトから上記画像は引用してきましたが、松戸駅からやや北東に行った松戸市役所近くにこのビルは確かに存在します。地図検索でも「ありがとう早稲田ビル」と検索したら本当にそのまんま地図上に書かれてあって、なんていうか「何がありがとうやねん」と見ていて思わせられます。

 恐らくこのビルは名前からして松戸市内の不動産会社である早稲田ハウスの所有物件なのではないかと思いますが、それにしたってこのネーミングセンスとそれをマジでビルの屋上に書いてしまう実行力はどこから来たのかいろいろと興味を掻き立てられます。折角だからメールで取材しようかなとも考えましたが、岡山県民はリアルに「もんげー」という事実と比べるとなんかどうでもいいように思ったので結局取材はしませんでした。

 ちなみにこの「ありがとう早稲田ビル」は私の潜伏地に近い所にあり、日本潜伏時代はほぼ毎日一回はこの前を通過しておりました。でもって通過する度に、「何がありがとうやねん」とつぶやいており、この周辺の夜道でこういうことを呟いている人物がいたらほぼ確実に私でしょう。
 にしても大阪だったらこういうビルがあっても驚かないけど松戸市に何故かあるってのがやっぱポイントだと思います。ほんとどういう経緯でこのビルおったてたんだろうな。

2015年8月3日月曜日

「江戸しぐさ」は何故流布されたのか



 上記の画像はどれもネット上で私が拾ってきた「江戸しぐさ」と言われるものの資料です。この江戸しぐさはここ数年で急激に取り上げられる事が増えた言葉でどういったものかというと江戸時代の町人における対人マナーを表すものとして紹介されていますが、その実態は捏造して作られた概念というよりほかありません。

 詳細はリンク先のウィキペディアのページを見てもらう方が早いのですが、そもそも論として以前は全く取り沙汰されてなかったのにここ数年で急に「江戸時代のマナー」といって出てきた点一つとっても十分怪しいですが、このデマを広げている団体はその理由として、「明治維新時に新政府が江戸の町人を大虐殺したため継承者が減り、身を隠したため」という、ジョジョ風に言えば「テメー、ヤクでも決めてんのか?」と言いたくなるような妄言を吐いております。
 なんで新政府がいちいち町人を虐殺しなくてはならないのか。そもそもそんな虐殺があった
ような記録は全くないし、政府が検閲したと言っても当時江戸にいた外国人ですら誰も言及していないなど、真面目に否定すること自体がなんか馬鹿馬鹿しくなってくるほどのトンデモ論です。

 このようにあからさまなくらいに怪しい主張を行っている団体がこの「江戸しぐさ」を広めたのですが、不思議なことにこれが受けが良く、小中学校の道徳の教科書に盛り込まれるなど様々な教材で取り上げられることとなりました。しかし近年は化けの皮がはがれてきたため、一度は採用した教科書会社でも歴史的事実に疑問点があるとして、次回の改定以降は載せない方針とする会社が増えてきております。

 ただそれにしたって、なんでもってこんなおかしな捏造ネタを大の大人や組織がこぞって誉めそやした上に取り上げ、わざわざデマを流布してしまったのでしょうか。私が考える一つの要因はまずはその語呂の良さで、「江戸しぐさ」という日本語で発音するのにちょうどいい五音と「江戸」と「しぐさ」という二つの単語の組み合わせが良かったからだと思います。仮にこれが「江戸身振り」とか、「江戸動作」、「江戸礼儀」だったら絶対流行んなかったでしょう。
 もう一つの理由はほかの多くの人も述べている通り、道徳などのマナー教材として如何にもな感じで使いやすかったからでしょう。昔人の知恵というまさに格好の道具で、しかも極端にコミュニケーション下手な日本人にとってすればくだらないマナー講座ですら非常にありがたがってしまいます。だからこそ歴史的検証は一顧だにせず、オリンピックの件といいクズ役人揃いの文部科学省は子供に教えるに当たっていい概念だとして紹介してしまったのでしょう。

 幸いというかまともな人たちがこれはそもそも捏造されたものだとしてきちんと認識をただしてくれたことから駆逐が進んでいますが、これほどどっからどう見ても怪しい概念ですらちょっとした拍子に流布されてしまうというのはなかなか考え物です。特に流布した文部科学省の無能ぶりは。
 そういうあたりどれだけ情報が発達したとしてもデマというものは簡単に生まれるものだなと再認識させられます。私自身も時間あったらこうしたデマの発生経緯などを真剣に研究したいところですが、何事も疑い深くとまではいかずとも、普通に考えておかしいものはおかしいと判断出来る人間でい続けたいものです。

 最後に蛇足かもしれませんが、「江戸っ子」という言葉はこのところ本当に聞くことがなくなりました。こち亀ではまだ使ってるのかな?
 以前に読んだ本で江戸っ子文化にとって一番致命的だったのは関東大震災で、あの災害によって東京(=江戸)町内のコミュニティが崩れたほか、外部からの流入者も増えて昔からの江戸っ子的な価値観は徐々に薄れていったと書かれてありましたが、これに関しては「なるほどそりゃそうだね」と思えるだけに私はこの説を信じています。翻って現代では東京出身者であっても、「おいら、江戸っ子でい」というような人は皆無で、昭和の映画にはまだそういうキャラがありましたが現代のドラマではこういうキャラを出す方が返って不自然になってしまうあたり、時代に駆逐されてしまったのかなとちょっと寂しく思います。

2015年8月1日土曜日

現代の僧兵

 今に始まるわけではなく私はこのブログで部落団体を始めとする人権派団体を激しく批判し続けてきました。特に部落問題に関しては大学時代に私の友人が、「差別が嫌なら引っ越せばいいだけだ」と言った通りで、整形手段が農業に限られて土地に縛られていた昭和以前ならともかく現代であれば出身を誰も知らない都市なりなんなりで仕事探して引っ越していけば自然と部落差別問題は消えていくであろうことを考えると、彼らが求める補償や対策は不合理に思えてなりません。何だったら、私みたいに日本出て行ってもいいんだし。

 そうした部落団体以外にもいわゆる人権派を標榜する団体なり組織は自分たちの活動が正当で社会に必要とされるものだから自治体などに補助金、または財務や労役支援などをやたらと主張することが多いように見えます。私の価値観が一般の日本人の水準からぶっ飛んでいることは認めますが、中国と違って人権が比較的保障され行動の制限のない日本で人権をどうこう騒ぐ必要なんてあるのか、私には理解できません。人権が保障されていない他の国や地域での活動を支援するというのであればまだ理解できるものの、日本国内だったら人権はある程度の水準に達しているのだからそれよりいじめや自殺問題をもっと真剣に活動したらどうかと余計な気を揉んだりします。

 こうした人権派団体を敢えて厳しい表現で評するなら、見出しに掲げた「現代の僧兵」という言葉がぴったりくるように思えます。僧兵というのはもちろん平安時代に出てくるあの僧兵で、白河上皇が思い通りにならない三不如意に挙げたものの一つです。
 当時の僧兵は主に朝廷に対し、寄進や訴訟での便宜を図るに当たって「強訴」という行為を繰り返しました。この強訴とは具体的にどういうことうかというと、自分たちの要求が聞き入れられないとわかるや神輿や神木を担いで貴族の家や内裏の門前に置き、その周辺でわいやわいやと文句を言い続けたり暴れたりする行為を指します。当時は仏教信仰が厚かっただけに神輿や神木を強制撤去することなどできず、平安後期に武士が台頭するまではほぼ言いなりになるしかなく、寺社側もますます図に乗って南都北嶺(興福寺と延暦寺)は独立した軍事力を持つほど強大化していきました。

 人権派団体を何故僧兵に例えるのかというと、どちらも相手の倫理観に付け込んで自分たちの都合のいい要求を一方的に押し付けてくるからです。本来倫理観というのは他者に対する「思いやり」の気持ちを代表する感覚ですが、こうした他者を思いやる気持ちに付け込んで自らの利益拡大を図るという行為は人の優しさを踏み台にするような行為に思えてならず、下手すれば真面目な人が利用されるだけになりかねない行為に思えてなりません。
 もちろんすべての人権派団体がそのような団体だとは思ってはおらず、根強い差別や偏見などは長い時間をかけてゆっくりとならしていく必要があるということは重々承知しておりますが、それを推しても人権を標榜する団体はあまりにもずる賢い連中が多いように見えず、やってることは僧兵そのまんまだとほとほと呆れてきます。もっとも、90年代以前と比べれば現代は大分マシにはなりましたが。

 私の目から見てそういった人権派団体は恐らく、やっている活動の方向性は正しいのだから多少の融通というか資金補助や優遇策を受けてもいいと思ってやってるように見えます。しかし現在はどこの自治体も借金漬けである上に生活保護世帯も増え続けるなど、単純にお金は今足りてないのです。そうした時代にあって、社会保障に回せたかもしれないお金を受け取って必要性のあるとは思えない妙な人権活動に使うというのはやはり間違っている気がします。
 なお部落差別対策などに私はあまり共感できませんが、冤罪被害者対策は昨今の日本の司法問題を見ていると確かに活動の必要性はあると思います。近年になって東電OL殺人事件や袴田事件といった大型冤罪事件が動き出すなど改善が見られていますがまだまだ警察と検察の問題ある行動は少なくなく、こうした団体だったら私も神輿置かれなくったっていくらかなら寄付したっていいと考えております。

  おまけ
 平安時代の僧兵が「わっしょいわっしょい!」と神輿担いでもってく姿を想像したらなんか楽しそうです。本人らも案外楽しんでやってたんじゃないかなぁ。

2015年7月30日木曜日

アンネ・フランクがブログ書いてたら……

 やや時間が過ぎていますが、このブログ右上にある新国立問題で誰が悪いのかを尋ねるアンケートの集計が終わりました。結果はどれに偏ることはなく割とばらけたというか、戦犯候補それぞれに票が平等に入る結果となりました。まぁこの問題は複数の人間の同時不作為が原因とみられるだけに、案外この結果が正しいのかもしれません。

 話は本題に入りますが、今月は何故か調子がよくこのブログの更新数も比較的多くなっています。先日スカイプで友人と話した際もこの更新数が話題になり、私もいい気になって、「あのアンネ・フランクであっても俺ほど更新することはできないだろう」などとうそぶいたりしました。
 アンネ・フランクといったらもはや説明するまでもないでしょうが、彼女の日記を見ると結構な量の文章を頻繁に書いてたりします。最後に書き記した日記も、「あーあ、今日もやんなっちゃう」みたいな一言感想ネタかと思ったら将来についてかなり熟考した内容でとんでもなく長く、すぐ読めると思って手に取ったら軽く裏切られる文量でした。

 そんな彼女が仮に現代においてブログを書いていたら果たしてどうだったのか。現実では彼女は毎日手書きで日記を書いていたのでタイピングでかけるブログであったら文章量は大きく増大している可能性があります。では書かれる内容はどうだったのか、友人と話してた際に真っ先に思いついたこととしては、「なんか毎日姉ちゃんと母ちゃんの悪口書いてそう」という感想で、これには友人も「ありそう」って同意していました。
 知ってる人には有名ですが実際に彼女の日記中では学校成績の良かった姉に対して敵意満々な内容がよく書かれており、またそうした出来のいい姉を贔屓にしていたとアンネが見ていた母親に対しても文句を垂れ流すかのように書いています。その一方で父親とは仲が良かったということですが、女姉妹の家庭であればこういう構図も成り立ちやすいように思え、アンネの家だけが特別だとは思えずむしろ普通の家庭だったんだなと私には思えます。

 しかし姉と母親とは仲が悪く、父親とは仲が良いという構図ですが、「なんかちびまるこの家みたいだな」という感想が不意に私の口から洩れました。なもんだからもう頭の中ではアンネがさくらももこに切り替わってしまい、「これだからうちのお母さんはさ」と、某声優の声で再生された声が頭の中で流れてきました。
 でも実際に女性が書くブログを見ていると、結構家庭内や友人関係の愚痴とか不満を延々とぶちまける内容が多いような気がします。もちろん私もこのブログでそういう記事書くし、他に吐き出しようがないのならこうしたネット上で思い切り吐いた方が良いという立場を取りますが、読売新聞のサイト上にある「発言小町」などまさに負の感情の巣窟ともいうべき場所となっており、改めてネットというのはネガティブな感情によって構成されてできているのだなとつくづく思います。アンネも多分、ブログ書いてたら相当頻繁に家族の愚痴を書いてたことだろうなぁ。

2015年7月29日水曜日

スバル系列工場の外国人労働者について

 久々に読み応えのある記事を見つけたので、このブログでも紹介することとします。リンク先の記事本文は非常に長いのですが、非常に重大な問題提起をしている記事でもあるのでこれを機に是非読んでもらいたいのが真情です。

特別リポート:「スバル」快走の陰で軽視される外国人労働者(ロイター)

 記事概要を簡単に説明すると現在業績絶好調が続くスバルブランドでおなじみの富士重工業ですが、その業績好調の陰では系列の下請け工場で非常に多くの外国人労働者が劣悪な環境で働かされているという衝撃的な事実を報じております。その労働環境とは最低賃金ギリギリでの就労は当たり前で、難民申請者であったり、現代の奴隷制度とまで言われる外国人研修生などの外国人にはその不安定な立場に付け込み、劣悪な待遇で働かされている実態が紹介されています。
 特に私が目を疑ったのは労災時の対応で、指の切断という重大事故が起こったにもかかわらずすぐには救急車を呼ばなかったあまりか、会社側もさほど問題視していないというまるで人間として扱っていないような現場の状況も描かれております。

 記事によると、下請け部品メーカー4社の全従業員に対し外国人労働者が占める割合は約30%も占めており、彼ら外国人労働者なくして生産は成り立たないほど労働力を依存している状況です。働かされている外国人労働者は日本で就労するに当たって自国の仲介業者などに借金をしてきているため、どれだけきつい労働現場であっても逃げることはできず、またその生活も彼らを派遣した業者などに制限された上に給与からマージンも取られるという有様だそうです。
 こうした状況に対して富士重工側は、下請け企業の雇用については関与していないとけんもほろろな回答をしています。一応、下請けに対して人権は守るようにと伝えてはいるそうですが、さすがにそういった下請けに部品作らせて買っている以上、関係ないっていうのはないんじゃないかと私は思いますが。

 これ以上の記事内容についてはここで私が四の五の言うよりも直接元記事を見てもらう方が早いので省略しますが、私の方から付け加える点としてこの記事がロイターという海外メディアから出ていることに色々と考えさせられます。恐らく日系メディアではこういう記事はとても書けるものではなく、同時に国内メディアではこうした現実を見て見ぬふりしてしまうのだろうと思うと悲しくなってきます。恐らくこの記事を受けて後追い取材をする日系メディアはないでしょうが、果たしてそれでいいのか、このまま見逃していいものかとなるとそんなわけないでしょう。

 もちろん、この記事内容が本当に真実かどうか疑いが全くないわけではありません。しかし記事全体を見て丁寧に取材した跡があるのと、「群馬県」という土地柄、話に強い真実味を私は感じます。何故かというと群馬県は以前から繊維系の工場で外国人労働者を積極的に雇用してきた過去があり、こうした問題が起こるとしたら有り得ない、というより起こりそうな土地だという印象が強く持てるからです。なお、次点は静岡県浜松市。
 記事中ではヒカリ商事という人材派遣会社がニッパツなどに外国人労働者を送り込んでいると書かれておりますが、ホームページを見る限りだと案の定というかマージン率など公開すべき情報を一切載せておりません。私は前からも主張していますが、移民を受け入れるか否かという議論ではなく現時点で日本は既に限定的ではあるものの移民を受け入れて使っているものの、法的保護が進んでおらずかえって劣悪な環境に移民を晒しているのが現状だと思います。

 こうした行為は長期的に見て日本という国にとって明らかにマイナスであり、はっきり言ってしまえばやめさせなくてはならないでしょう。だからこそこの記事は非常に価値があるものだと思え、問題意識を共有できればと思い、微力ながらこのブログでも取り上げることにしました。

2015年7月28日火曜日

漫画の実写化作品でそっくりだった俳優

『デスノート』だけじゃない!! 原作改悪で批判を浴びたドラマたち(TOCANA)

 自分は見ていませんが、なんかドラマ化した「デスノート」が不人気だそうです。不人気な理由として原作の設定を悪い意味で改変されたこと、以前に実写化された映画版が評価が高かったことなどが挙げられていますが、上記の記事では同じように不人気だった漫画原作の実写化作品と一緒に比較しつつ、なかなかいいポイントを突いていると思うので紹介します。
 記事中では「金田一少年の事件簿」や「GTO」などを取り上げていますが、どれも過去に一度実写化され、それなりの評価を得ていた作品です。にも関わらずどうして二度目の実写化がこけるのかについて、やはり一回目の実写化作品とどうしても比較され、一回目の評価が高ければ高いほど二回目の作品は厳しくみられる傾向にあり、いまいち人気が上昇気流に乗らないと分析しています。

 今回の「デスノート」も過去の映画版では藤原竜也氏、松山ケンイチ氏という今では押しも押されぬ名優が演じ、特に松山氏に至ってはこの「デスノート」が出世作といっても過言ではないほどはまり役と言われました。もっとも私の記憶だと最初に松山氏の映像が公開された時、「こんなのLじゃない」、「全然似てねぇ」、「コスプレイヤーのがマシ」、だなんていう声もあった気がしますが、そうした声を跳ね除けた当たりは大したものです。

 話は戻りますがいわば偉大過ぎる先達がいたために人気になりきれない二番煎じというのが今のドラマ版「デスノート」といったところでしょう。もちろん俳優たちは頑張っているでしょうが、確かに私の目から見ても先の主役を演じた二人と比べるとドラマ版の俳優は原作のイメージに近づき切れていないという印象を覚えます。小説ではなく漫画という画像が伴った原作なだけに、イメージから遠いというのはやはりぬぐえないマイナス点といえるでしょう。

 では逆に、漫画原作のイメージぴったりだった俳優といったらどんなのがいるでしょうか。パッと私が思いついたので言うと2011年に放映されたドラマ版「妖怪人間ベム」で紅一点(?)のベラを演じた杏氏です。実際にネットとかで画像を見てもらいたいのですが、もう見たまんまベラという、かなり特徴的でデフォルメされたキャラなのに完全になり切っていると太鼓判押せるくらいにベラになっちゃってます。

 もう一例挙げると、「のだめカンタービレ」のドラマ版で主人公の千秋真一役を演じた玉木宏氏です。この作品ではヒロインの野田恵を演じた上野樹里氏も役になり切っていると高く評価されましたが、ドラマを見てから漫画の原作を読んでみたところ玉木氏が役のキャラに瓜二つというかそのまんまじゃないかと思うくらい話し方から動作までよく似ていて、いいキャスティングしたもんだと唸らされました。

 そして最後、これは実際に映像を見たわけではなく画像でしか私も見たことがありませんが、未完(ってか終わりあるの?)の少女漫画大作である「ガラスの仮面」のテレビドラマ版で、主人公を厳しく指導する月影先生を演じた野際陽子氏はいろんな意味でやばかったです。この手の話題になると必ず上がってくるのがこの時の野際氏で、実際にネットで画像を見るともうヤバいくらいに生き写しというべきか、「月影先生が現実にいたら、きっとこうなんだろう」と思わせられるような姿しています。
 原作がただでさえいろいろとアレなだけに演じる側の負担は明らかにほかの作品より大きいと思われるのですが、この時の野際氏は神がかったかのように月影先生になっており、元から演技に定評のある方ですが、凄い俳優というのはこういう俳優なのだろうとなんか深く納得させられました。

 こうやっていくつかの作品を比較するとやっぱり漫画原作の実写化作品の場合は下手に冒険せず、原作のイメージに近い俳優を持ってきた方が無難そうですね。もっとも「テルマエロマエ」の例だと、「古代ローマ人だから顔の濃い俳優」を持ってくるという荒業で視聴者のイメージをひっくり返すことに成功していますが。

日経海運三社に対する中国の独禁法調査について

中国当局が日本の海運会社を調査、独占禁止違反の疑いで-関係(ブルームバーグ)

 詳細はリンク先を見てもらえば早いですが、早い話が日本郵船、商船三井、川崎汽船の大手を含む日経海運各社が自動車輸送事業においてカルテルを結んで不当な利益を出していたのではないかと中国当局が調査を開始したそうです。長く書く気ないんでスパッと言いますが、多分この件はクロでしょう。
 というのも米国、カナダ、EU、そして本国日本でも同じ容疑で調査が行われており、日本では公正取引委員会が既に課徴金を課してます。なので中国も遅ればせながらこれらの日系企業を調べ始めたというのが実態でしょう。

 まだ調査結果は出ていませんがこういう国際カルテル行為に対する処罰は最近厳しくなっている上、日本を含めた他国でも調査、処分がされていることを感がると中国でも処分されることは予想に難くありません。ただそれだけであればこうして記事にするまでもないのですが、やや過剰反応かもしれませんが、このYahoo記事のニュースコメント欄を見ていてイライラしてきたので記録がてら書き残すことにしました。

 わかる人にはわかるでしょうがコメント欄には、「また中国が日本に嫌がらせしてきた」、「他人には厳しい」、「もう早く中国から撤退しろ」などとヘイトなコメントでいっぱいです。少なくとも事実関係、背景関係をみるにつけ私はこうしたコメントは不適当だと思うのですが世間はさにあらず、こうしたヘイトなコメントに「そう思う」が多くつけられていることは事実で、なんでほかの国や地域が調査している案件を中国が調査したら中国を叩こうとするのか、ドメスティックすぎやしないかと呆れると同時に正直怒りも覚えます。

 こうしたことは何も今回に限らず、去年も業界にいる人間なら誰もが知っていたと言えるくらい堂々とカルテルしていたハーネス、ベアリング業界に対して中国政府が課徴金を課した際も、日本側としては中国が日系企業に対し不当な嫌がらせをしてきたという声が盛んに聞かれ、私もわざわざ記事にしております。
 しかしこうした価値観は非常にドメスティックなものとしか言いようがありません。確かに中国は外資に対して結構いやがらせとかやってくることが多いのは事実ですが、だからと言ってなんでもかんでもいちゃもんをつけるのは以ての外でしょう。ましてや、日系企業だからと言ってこう言ったカルテル行為への捜査を批判するなんて過剰な身内贔屓もいい所です。

 今日も中国の株価が下がってまたあちこちから「中国は崩壊する」と決まりきったフレーズをやたら言われて凄いイライラしましたが、物事はもっとクールに、かつシビアに見るべきでしょう。中国が嫌いなら嫌いでそれで構いやしませんが、だからと言って身内の犯罪に目をつむるということはよくない方向だと、口やかましくこうして記事に書き残す次第です。

2015年7月27日月曜日

私のパーソナライズについて

 昨日リンクを結んでいるすいかさんのブログを何気なく見たところ、「キャッキャッ、ウフフ♪」という表現が使われているのを見つけ、「この表現、マジで使っている人初めて見たよ(;´Д`)」という独り言が口を突いて出てきました。まぁ嫌いじゃない表現ですけどね。
 でもって今日更新された記事も先ほど読んだところ、なにやら「牡牛座A型」の人とやけに相性がいいということが書かれてあってこれも読んだところ、「牡牛座A型って俺じゃん(;´Д`)」という独り言が口を突いて出てきました。すいかさんは蟹座B型だそうですが、B型かどうかは知らないが家出した際にサッカーボールだけ持って出て行き寒い夜中ずっとリフティングし続けた中学・高校時代の仲良かった友人は確かに蟹座だっただけに、案外こういうのは当たるものかとしばし考えさせられました。にしても、星座と血液型を組み合わせた相性占いは案外面白いかも。

 そうした相性はさておき以前に私は「スピリチュアル体験録」という記事で、その筋では有名な「青山のAさん」こと荒川静氏に私のことを見てもらいました。詳細は元記事を見てもらいたいのですが荒川氏が見立てた私の性格分析は知ってる人が見たら、「全部当たってるじゃん」というくらいに正確で、実際に見立てられた私自身も唸らせられるほどの分析でした。
 荒川氏は相手の魂、またはオーラの「色」を見て、その色の組み合わせや配分などから相手の性格を分析し、どういう特徴があるのかを見立てるのですが、私の場合はオレンジの配分が極端に多く、次いでイエローとラベンダーが混ざったオーラをしていたそうです。各色の特徴も元記事に書いていますが、最も配分の大きかったオレンジは「ハイリスクハイリターンを好む変わり者」が持つ色で、日本人の中には持っている人間はあまりおらず見立てた荒川氏自身も最初、「え、ちょっと待って。もう一回見させて」と、わざわざ二度見したくらい珍しい色だそうです。

 では一般の日本人のオーラはどんな色をしていることが多いのか。私は荒川氏のセッションを冷凍たこ焼き好きの友人に薦められて訪れましたが、この友人は私以外の人間も事ある毎にセッションを薦めて、その結果を聞き取ってはどういった傾向があるのかを調べておりました。
 友人によると、これは直接荒川氏から友人が聞き取ったそうなのですが、日本人は「ブルー」系統の色を持つことが一番多いそうです。正確にはスカイブルーかなんかだったと思いますが、これは「協調性」を示す色とのことで、如何にも和を重んじる日本人らしい色だと言えるでしょう。実際に友人のオーラの中にもブルーが含まれていたそうで、全体的には独立心の強いオーラをしているもののブルーが含まれているのでその友人は人間関係では問題がないと判定されたそうです。

 では友人が荒川氏の元へ送り込んだほかの人たちはどうだったのか。結果から述べると、みんなブルーを必ず持っていた、そうつまり、ブルーが全く入っていなかったのは私だけだったそうです
 これを聞いた私は、「何だよそれ、それじゃまるで俺が駄目な人間みたいじゃんっ(;Д;)」と友人に強く抗議しましたが、「少なくとも、珍しい日本人であることには間違いない」という妙なフォローを入れられました。なおオレンジ色が含まれている人はほかにもいたそうですがその割合はどれも小さく、オレンジがメインカラーなオーラしたのも私ただ一人だけだったそうです。

 自分は子供の頃から特別な存在でありたい、大衆に埋もれたくはないと常々思って生きてきましたが、いざ実際にそういうオンリーワンかつロンリーワンな人生を歩むこととなり、スピリチュアリストにも太鼓判押されてしまうと逆に悩んでしまって、「果たして、これで本当によかったのだろうか?」という疑問がもたげてしまいます。今更引き返しようがないけどさ……。

2015年7月26日日曜日

日本と中国で異なる資産運用

 預金がある程度溜まった所で誰もが手を出すのは資産運用ですが、その運用の方法について今日は日本と中国の違いを簡単に説明します。
 まず資産運用の仕方は大別すると4種類に分類され、日本で人気だと思われる順番で列記すると下記の通りとなります。

<日本で人気な資産運用順位>
1位、積み立て型保険
2位、銀行の定期預金(金融商品)
3位、株式投資
4位、住宅運用

 私の視点ですが、日本で最も運用される方が多いのはやはり積み立て型保険ではないかと思います。代表格は生命保険で、一定の収入がある成人であれば多くの人間が加入しており、これに付随する形で損害保険や重大疾病保険の加入率も低くはないでしょう。次いで2位の定期預金もそこそこやっている人は多いですがデフレ傾向が続いてきたため保険と比べるとやや頼りなく、3位の株式投資は以前に比べれば個人トレーダーは増えつつあるものまだまだ一般的であるかというとそこまでには至っていないというのが実情でしょう。私自身は株取引をしておりますが、やはりこの事実を告げると周りから珍しがられるし。
 4位の住宅運用に至っては、まず持ち家率もそれほど高くはない上に、住宅を購入すると言っても大抵は自分が住むために買うもので資産運用として使うことはほとんどないように思えます。ましてや日本市場では住宅価格が経年と共に急激に下落し、新築の場合だと購入した直後に評価額が半値となるため転売して利ザヤを稼ぐことは並大抵じゃありません。そういうことから資産運用としてはこれが一番マイナーではないかと思われます。

 こうした日本の状況に対し中国ではどうか。もう一気に書きたいので私の視点で見る人気な資産運用の順番を下記に列記します。

<中国で人気な資産運用順位>
1位、住宅運用
2位、株式投資
3位、銀行の定期預金
4位、積み立て型保険

 2位と3位はともかく、1位と4位は見事なまで日本と逆転しております。こうした逆転が起こる背景としては、日中で真逆と言っていいほど異なる住宅市場の様相が原因です。

 中国はよく住宅バブルだと言われますが、実際にその指摘は正しいと思われます。住宅の値段はこのところ5年ごとに2倍くらいまで高騰しているように思え、早く住宅を買って、寝かして、売り抜けることが億万長者への最大の近道だと考えられ、事実その通りとなっています。現時点でも住宅価格は政府の様々な抑制策を跳ね除けつつ高騰を続けており、もし住宅を購入できるだけの資金があるのであれば誰もが住宅を資産運用に用いていることでしょう。
 2位の株式投資に関しては中国では成人の90%が手を出していると言われ、そのうち8割方が損をしながらも取引を続けていると以前に読んだ記事で書かれてありました。何故中国人がそれほどまでに株に手を出すのかというと単純にこれまでの好景気で割と儲けやすかった(以前は)のと、即日で値段が変わってキャッシュに買えられるという形態がせっかちな中国人の気質に合ったんだと思います。

 では3位と4位について。3位の定期預金に関しては街を歩いていると銀行の支店などが店頭で6ヶ月定期の広告をボンと出していることが多いですが、周りに話を聞いてみるとあまり人気は内容です。何故人気がないのかというと多分中国人としては6ヶ月も待っていられるほど気がなくないのと、利幅が株式投資の利益と比べると小さく見え、あとインフレ傾向が続いているためそれほど得したと感じられないためではないかと勝手に分析しています。

 そして4位ですが、これがある意味今日の記事の肝です。結論から言うと中国人は保険というものを全く信用しておりません。気持ちはよくわかるが。
 一応中国にも生命保険や疾病保険などはありますが、生命保険に関してはそんなに長期でお金を預けて運用するというのが性に合わないのと、果たして満期時に本当にお金が返ってくるのか疑問視しているようにも感じられます。ましてや死亡時に支払いがあると言われても中国人としては「死に金よりも生き金」という感覚が強く、遺族にお金を残すくらいなら自分が根こそぎ使った方がいいと間違いなく考えるでしょう。ある意味健全な精神なようにも見えますが。

 そして疾病保険に関しても、日本でも以前あったように中国でもいざ病気になった所で特約が不払いとなるケースがあるらしく、ちゃんともらえるのかという点で全く信用がありません。中国人の同僚に聞いたら親族がまさにこれだったらしく、一応掛け金は返ってきたそうですが疾病時に支払うと約束された特約のお金は支払われず、それだったら他のに投資しておけばよかったなどと話していました。

 このように考えると中国の保険市場は、一応大手保険会社とかはきちんと存在していますが、今後発展していくかという点では信用を勝ち得るかどうかというところにかかってくるでしょう。また逆を言えば、日本人は保険会社に対する信用が明らかに強いように思え、米国の保険会社がTPPによって日本市場への進出を狙うというのもわからなくはありません。

  おまけ
 新しいロジクール製のキーボードとマウスを一緒に購入してきました。キーボードは以前のと比べるとクリック感がやや軟らかいですがこれはこれでありです。マウスは結局元々使っていた「M185」というマウスとなり、結局これ使うのが一番でした。

2015年7月25日土曜日

ロジクールのマウス

 投げたり握りつぶそうとしたりと、普段の扱いが激し過ぎるせいかこのところマウスのホイールクリックの調子が悪いので今日新しいマウスを買ってきました。私は普段からタイピング量が異常であるのでノートパソコンにも外付けキーボードを付けて使用しているのですが、現在はロジクール製の「K270」という無線キーボードを使っています。これだと同じロジクールのマウスなら一つのUSBレシーバーでマウス、キーボードが同時に使えるので、今回新しく買おうとしていたのも必然的にロジクール製のマウスに絞られていました。

 欲を言えば外付けキーボードも右後ろについているヒンジを潰しているのでいいのがあればまたキーボードとマウスの無線セットを一緒に買おうと思いましたが、訪れたパーツショップでは良さそうなキーボードが売っておらず、仕方なしに「M215」というロジクールのマウスのみを70元(約1400円)買ってきました。これまで使っていたマウスは「M185」という騎手だったのですが、マウスは普段からずっと使うし、このところお金使う機会もほとんどないので敢えてちょっと高いのを選んでみました。結果的には失敗だったんだけど……。

 自宅に帰宅後、早速取り付けて感触を試してみましたが、はっきり言えばとても使えるマウスではありませんでした。具体的にどこが悪かったのかというとホイールが悪く、感度があまりにも良すぎるせいかほんの少し指が触れただけで画面がスクロールしてしまい、見ていて激しく気分が悪くなりました。
 普通のマウスのホイールならホイールを一つ動かすたびに3スクロールなり5スクロールなり上下させますが、何故だかこのM215は一つ、というか1段階上下させるまでもなくほんの少しホイールが動くたびに1スクロールでも上下させてしまい、意図せず指がホイールと当たる度に画面が上下にグラグラ揺れて、また普通にスクロールさせている最中もずっとグラグラと画面が揺れ続けて正直目に痛いです。

 幸いというか今日はそれほどストレスたまってなかったこともあってマウスを投げ飛ばすこともなく、「また買換えだね」とすぐに気分を切り替えることが出来ましたが、ロジクールの企業姿勢というかこんな製品を普通に販売することにちょっと疑問符を覚えました。元々、私はロジクールのマウスはデザイン性が皆無でダサく、言われているほどマウスの挙動も正確ではないと思うので嫌いでしたが、キーボードとセットでよく販売していること、またUnifingという機能でマウスかキーボードのどっちかが壊れてもレシーバーに追加できるので使ってました。けどこのM215のホイールの挙動に関しては明らかにおかしなレベルだし、こんなマウスをそこそこの値段で売ろうってのは果たしていかがなものかなとマルクス主義的に疑問です。別にマルクス主義者ではありませんが。

 そういうのもあってか今日もマウスとキーボードがセットの製品でいいのがあればそっちを買う予定でもあったのですが、キーボードの方がどれもよくなくてマウスだけ買ってきたらこのざまです。キーボードはなるべく大きくて、あと手元にワンクリックで音量調節やスリープが出来るボタンがあるのが希望ですが、そんな気の利いた製品は案外中国市場には転がってませんでした。

 最後にほんとどうでもいいですが買い物を終えて自宅に帰宅後、何故だかなんだか眠いよパトラッシュとなって午後二時から五時までそのまま寝入ってしまいました。このところ体調は良く、食欲もやけに高まって充実している最中でしたが疲れがたまっていたのか、はたまた体のモードが切り替わる前兆なのか、やけにぐっすり眠りつづけたのでまた明日から気合入れて副業に力入れようと思います。

  おまけ
 今年の旧正月にヨーロッパ旅行に出かけてベルギーを訪れた同僚と昨日話しをした際、「日本人はベルギーに行くと真っ先に少年と犬が死んだと言われる都市に赴き、パトラッシュと言いながら泣き始める。多分この寓話はベルギー人よりも日本人のが詳しい」と余計なことを教えておりました。

2015年7月23日木曜日

家庭で親から受ける精神的影響

 昨日は負の連鎖を避けるためにも教育において家庭と学校の距離をしっかりと置いて、学校は独立した立場で子供に教育をしなくてはならないという持論を勝手に展開しました。物のついでなので今日は、家庭で親から受ける精神的な影響についてまたかってな主張を述べていくこととします。

 私は教育学を学んでいないのであくまで社会学の目線でこのテーマについて語っていきますが、社会学において個人の心的発達を考える場合、両親のことを「重要な他者」という言葉で表現します。この言葉の表現する通りに子供が親から受ける精神的影響は計り知れないほどに大きく、人格形成において一般常識通りに無視してはならない存在だと考えます。
 何もここで私がもったいぶって言わなくても、子供というのは多かれ少なかれ親の影響を受けて、その性格も多少なりとも親に似てくるところがあるのは周知の事実でしょう。ただこれだけを語るのであれば芸がないのでここで一工夫したことを書くと、子供が親のことを慕っていようが憎んでいようがその性格は似てくる傾向がある、と私は考えております。

 仲のいい親子で性格が似てくるというのは素直に想像できるでしょうが、仲の悪い親子同士でも性格が似てくると言っても疑問に持つ方もおられるかと思います。しかしこれまでの私の経験から言うと案外この傾向はあり、口汚く片方を批判する姿がもう片方が同じように批判する姿と非常にそっくりだなとみて、「なんだかんだ言いながらよく似てやがる」とほくそ笑んだことも少なくありません。

 では一体何故仲が悪くても似てくるのか。やや極端な例ですが、暴力の激しい家庭なんかがこれを考える上でいいモデルケースじゃないかと思えます。父親が激しく暴力を振るう家庭に生まれ、小さい時から散々に抑圧されてきた子供が成長して同じように子供を持つと何故かかつての父親のように激しく暴力を振るう親となる、このようなケースを耳にしたことのある人は少なくないでしょう。とある教育本で、「暴力で教えられた子供は暴力で解決しようとして、会話で諭された子供は会話で解決しようとする」と教える内容があるそうですが、社会学的にこの過程を分析するなら説得手段がただ単に暴力や会話だったからではなく、単純に親の性格を受け継いだからではと私なりには考えます。

 仮に嫌う人間がいたとしたらそのような人間になりたくないと思うのが普通です。しかし実際には部活動の上級生から下級生へのしごきのように、理不尽な行為を受けた人間が長じて同じような理不尽な行為を課すことは珍しくはないでしょう。
 昔、哲学科出身の友人にこういう事例を話題にしたところ、「恐怖というのは憧れと紙一重だ」といったような内容を教えられました。曰く、暴力に晒されている間は恐怖を感じて強いストレスを覚えるが、その一方で自分もこのような強い人間になりたい、他者をねじ伏せたいという憧れに似た願望が芽生えるそうです。この説明を聞いてなんとなくそうかもしれないと思うと同時に、虐待とまで行かなくても仲の悪い親子間で「こんな人間になるもんか」と思いつつも案外、そのような立場に取って代わりたいという憧れに似た感情を持つ人も少なくないのではと思え、なんかいろいろな疑問が氷解したのをまだ覚えてます。

 何が言いたいのかというと、親子間で仲が良かろうが悪かろうがどうあがいても親からの影響を子供は免れ得ないと言いたいわけです。下手すれば憎悪という感情が強い分、仲のいい親子より仲の悪い親子の方が案外似た者親子になるかもしれません。

 ただもしそうだとすると虐待を受けた子供は将来虐待を必ず行うということになりかねず、人文主義者でもある私の立場からするとそれは認めることができず、必ず後天的な教育によって人間は真っ当に生まれ変われるはずだとして最初に述べた学校の独立性を担保することで矯正を行う価値を強調したいわけです。
 学校で矯正できるとはいっても、親からの影響を100%排除することはやっぱり難しいでしょう。それほどまでに親からの影響は半端なく強いだけに、だからこそ虐待するなどといったおかしな価値観を持つ親からはもっと積極的に子供を隔離させるべきだと思え、子供は社会で育てるものとして行政にもそのような強い権限を持たせるべきではないかと個人的に思います。

 最後に逆の話として、親からの精神的影響をほとんど受けない人間とはどういう人間なのかを考えてみます。勝手な推論ながら結論から言うと幼少時から自我が相当強い人間、言い換えるなら人の話を全く聞かないアナキン・スカイウォーカーのような人間がそれに当たると自分を省みながら思います。
 人の話を聞かないことに関しては周囲から定評がある私ですが、これも周囲から言われますがほとんど親から性格的な影響を受け継がずに今日までやってきてしまいました。なんで昔から自我が強かったのかというともはや先天的としか言いようがありませんが両親と比べても性格的に一致する部分はほとんどなく、価値観に至っては完全に正反対と言っていいほど異なっています。
 もっとも冷静に考えると別に両親に限らなくても、自分みたくハイリスキーな性格が一致する人間というのが周囲に誰もいないように思え、親からの影響云々を議論する以前なような気がします私に関しては。

 なお名古屋に左遷された親父とは趣味は合ってても性格なり行動原理は全く逆と言っていいほど違ってますが、アルコールに弱いという身体的な特徴は完全に遺伝してどっちも甘党です。辛い物は自分の方が親父よりやや耐性が強く、上海で一回火鍋屋に連れて行ったら途中から親父は何も食べなくなりました。

2015年7月22日水曜日

家庭と学校を隔離する必要性

 先日知り合いにちょっと妙なことを吹き込んだので、それとやや関連するネタとして家庭と学校を隔離する必要性について今日は書くことにします。結論から言って、学校は家庭とは隔離するというか一種独立した立場を維持しなければならないと私は考えており、みだりに保護者の意見を聞いたりしてはならない上にむしろ家庭に対して口出しするべき立場を取るべきじゃないかと思います。

 まず何でもってこんなことを言うのかというと、中国で普段目にする子供があまりにもバーバリアンばかりだからです。そりゃ子どもなんだからと自分でも思うものの、中国の子供の身勝手さは日本の子供とは次元が違い、温厚な自分ですらたまにハッサンの様に「とびひざげり」とか「せいけんづき」を全力でかましたくなることがあります。
 どれくらいひどいのか具体例を出すと、これなんか昨日ケンタッキーのレジ前に並んでいたところ、前列が子連れの親子でしたが子供の方は常に動き回ってて、レジの乗ってあるテーブルに飛び乗ったり、飛び降りたりを繰り返し、私がオーダーする版になっても横で飛び乗ったり、飛び降りたりしていて何やねんと思いつつ母親を見ると、そ知らぬふりして携帯を見ているだけでした。

 こういう例は中国にいると本当に多く、電車やバス内を全力で走り回って他人とぶつかってもやめなかったり、金切り声をやたらめったら上げ続けたり、所構わず5秒ごとに唾を吐いたり(これは大人も)と、ガチで文明がない状態とはこういう事かと見ていてつくづく思い知らされます。しかもこのように子供が好き勝手やっている横でその親は大抵はニコニコ見守ってたり携帯見てたりしていて、一向に注意する雰囲気がないのが見ていてほんと腹が立ってきます。
 数少ない例ですが、中にはちゃんと注意する大人もいます。自分が見たのは一回だけですが、高速鉄道の中で大きな声を上げる子供に対して、「電車の中だから静かにしなさい」と、教養のありそうなお父さんが注意したのを目撃しています。逆を言えばマジでこれっきりなんだけど。

 こうした中国のバーバリアンを見ていて思うこととしては、親が親だから子も子なんだろうというのが何よりも大きいです。こうした無作法を無作法と思わない親だからこそ子も無作法とは思わずバーバリアンとなる、いわばバーバリアンの再生産が際限なく繰り返されているからこそ中国は大人も至ってマナーが悪い人が多いと言っても間違いないでしょう。
 ではこうした負の連鎖を止めるにはどうすればいいのか。やはり一番重要な役割を期待できるのは学校教育で、家庭では常識であることを一般社会では常識ではないと突っぱね、きちんとした価値観を子供に培ってもらうことが文明化への第一歩でしょう。実際明治期の日本における学校教育はこうした面を多分に含んでおり、日本という国家意識を植え付けると共に地域ごとの妙な悪習やら迷信を取っ払い、「日本人としての常識」を全国統一的に作り出す役割が大きかったと思います。もっともその過程で妖怪が隅に追いやられた感もありますが。

 翻って現代日本。いじめによる自殺があれだけ大きく騒がれたにもかかわらず私の予言通りにやっぱりまた繰り返されるなど学校教育に対する信頼感がやや薄れてきていると共に、家庭の一般的な価値観をもっと学校にも反映すべきだというような声も高まっているようにこのところ思います。しかし私の意見はというと学校はやはり家庭とは一線を画した立場を保持するべきで、学校があくまでまともな常識を持っていることが前提ですが、家庭の常識の介入を排した独立した概念をしっかりと子供に伝える役割を持つべきだと考えます。何故なら明らかに社会の常識から逸脱した親も今もってな多いので、そうした親による負の再生産を食い止めるためにも学校は家庭の声を必要以上に聞いてはならないと考えるからです。

 このように考えてみると、いじめ問題のアプローチもちょっと方向性が変わった見方が出てきます。よくいじめ自殺が起こると自殺した生徒をどうして守れなかったのか、どうすれば守れたのかというのが議論となりますが、逆のアプローチをかけるとならば、いじめっ子をいじめることのない無難な人物に変えることはできなかったのか、この点についてももう少し議論があってもいいような気がします。
 私が何を言いたいのかは薄々読んでてわかるでしょうが、報道されている話を見る限りだと案外いじめっ子の家庭というや両親も「ちょっと……」と思わせられるような人が多いようにみえます。そうした親から悪い因子を受け継がせないような教育、繰り返しになりますが負の連鎖を断つ教育法についての議論もあってもいいのではと個人的に思うわけです。

  おまけ
 昔、ある友人に「子育てをしないライオン」の話をしたことがあります。どういう話かというと子育てをしないライオン(♀)は子供を生んでも子育てをしないので、結果的にその子供は死んでしまってそのライオンの遺伝子は後世に伝わず、一種適者生存のような形でちゃんと子育てをするライオンの遺伝子だけが後世に伝えられるというわけです。この話に友人、「うんうん、そりゃそうだね」と納得してたので続けて私は、

「子育てをしないライオンの子供は死んでいく。しかし、人間社会の場合だと行政とかが介入するので……」
「よせ、それ以上言っては駄目だ!」

 と、友人にガチでそれ以上話を続けるのを止められましたが、改めて思い返すにつけ当時も感じましたがいい友人を持ったなと思います。しかし現実問題として虐待を受けた子供は長じて自分の子に虐待を行う確率が優位に高いのは事実であるため、だからこそここで述べた「家庭と隔離する教育」というものをある程度確立させる必要があると案外昔から考えているわけです。

2015年7月21日火曜日

日本の経済犯罪に対する処罰の軽さ

 最近やる気のない記事ばかり書いてたのでたまにヒア真面目に記事を書こうと、今日はまだまだホットな東芝の不正経理問題について書きます。

 電機大手の東芝が社内で不正経理があったことにより決算発表が遅れたことは皆さんの記憶にも新しいかと思います。この問題で調査を行った外部委員会は組織ぐるみの不正で、また歴代の経営陣が問題を未然に防ごうとせず、むしろその原因を作ったとして責任があるとの結論を下し、また社内調査でも同様の結果であったことから本日、東芝の直近三代の社長がそれぞれの役職から辞任することを発表しました。
 個人的にこのニュースを見て思ったこととして、東芝は西田厚聡元社長以降は派閥間の争いが激しくなり、社長職を巡って暗闘が続いていたとかねてから聞いていたので、今回の問題もそれに端を発した物なのかなと考えておりました。ただ今回、直近三代がまとめて辞任するので、こうした派閥間争いも少しは緩和されるのかなという期待も持てます。

 こうした東芝単体の問題と共にこの事件で私が感じたこととして、「アメリカだったらなぁ」という比較した考えです。アメリカだったらどうなのかというと、一言で言えば即刻で東芝は上場廃止になっています。むしろ、「不正経理」、「利益の水増し」、「数年続いている」、「外部からの指摘を無視」、「役員も関与」というフルコンボであることを考えると、一体何をすれば東証で上場廃止になれるのか、かえってわからないくらいです。
 こうした東証の大手企業に対する異常な甘やかしぶりは何も今に始まることではなく、2011年に発覚したオリンパスの不正経理事件の際もあれだけ大きな事件で巨額の不正だったにも拘らずオリンパスは上場廃止を免れており、正直この時は目を疑いました。もっともオリンパスの旧経営陣はさすがに逮捕されましたが、逆に言えば経営陣が逮捕されるような不正事件でも東証は上場廃止にしないってことです。

 今回の東芝の事件も役員連中は利益水増しについて知らなかったと話していますが、外部役員が急激な利益の増加ぶりについておかしいと指摘していたにもかかわらず黙殺していた点を考えると知らなかったわけないでしょう。そのように考えると今回の東芝からも逮捕者の一人や二人は出てきてもいい気がするのですが、オリンパス程は長期間に渡って行われた不正経理でなかったので多分見逃されることになるでしょう。
 しかし仮にこれが米国での事件だったらどうなるのか。まず確実に逮捕者は出ていたと予想され、でもって逮捕された元役員は懲役で10年以上はくらっている可能性すらあります。一般の日本人が知ってるかどうかはわかりませんが向こうでは不正経理に対する処分は非常に厳しく、懲役30年とかでるのもざらですし、とんでもないのだと70年とか一生出られなくなるくらいの懲役が科されることもあります。

 私の目から見て経済犯罪に対する米国の処罰はきつすぎるのではと思う一方、日本の処分は逆に緩すぎるように思います。それこそ一年や二年程度の不正経理なら「知らなかった」と言って修正申告済ませればそれっきりですし、長期間にわたるものでも自ら辞任するなど社会的処罰を受けていれば逮捕はまずまぬがれます。そして何より、どれだけトレーダーを欺いたとしても、どんなことしたっても大手なら上場廃止にはならないというのはオリンパスの例で証明されています。

 こうした日本と米国の経済犯罪に対する温度差はどこから生まれてくるかですが、単純に資本主義が成熟しているか否かということよりも何に対する責任に重きを置くのかという点において両国で大きく異なっていることが大きいように思えます。
 言ってしまえば経済犯罪というのは個人に対する罪ではありません。企業が不正経理を行ったところで誰か一人が大きな損害を受けることもなければ権利を侵害されることもありませんが、トレーダー全体では大きな影響となる、いわば社会に対する不正なり裏切りです。私が見る限り日本人は個人が損をする、侵害されるということに対して強く敏感である一方、社会に対する侵害に関してはやや無頓着な所があるような気がします。

 それこそBSEの時とかぺヤングに虫が入っていた際などは激しく動揺するとともに強く憤りを見せますが、社会全体に対しては大きな影響があるものの自分には直接的な被害がまず及ばないような経済犯罪だとほとんど興味を持たず、また処分なども軽めで済ませようとします。私が何を言いたいのかというと、そもそも日本人は社会に対してそれほど帰属意識を持っていないのでは、だからこそ社会に対する不正があっても自分、もしくは身内など周りが影響を受ける恐れが無ければ全く意に介さないのではなんて思うわけです。

 この辺また次回でゆっくり語ってもいいですが、一言で「社会」といってもその範囲は個人によって変わります。私の場合は極端に広くて下手すりゃ「人類全体」を指すこともありますが、一般の日本人にとってすれば「家族」の枠を少し大きく広げた範囲、具体的に言えば「家族+職場」が彼らにとっての社会全体であって、それ以上は関知しない領域となります。
 もちろんほかの国も多かれ少なかれそれくらいの範囲がメインとなりますが、日本と米国で絶対的に異なっているのはエリートが認知する社会範囲で、やはり欧米のエリートは日本と比べるとここら辺で差があるように感じます。なお中国の場合、人が多すぎるのでエリートであっても認知する社会の範囲は割と狭く家族程度であることが多いですが、その分プレイべーとでの友人との紐帯が強いのでピンポイントに範囲が広い人もいる気がします。

2015年7月20日月曜日

千葉のマッドシティ~良文堂書店

 久々にこのブログの投票機能を作って、「新国立問題で誰が戦犯なのか?」というアンケートをトップページ右上部に設けたので、興味がある方は投票していってください。ぶっちゃけ、候補に挙げた全員どれも問題抱えてるような気がするけど。
  そんなわけで本題ですが、今日は松戸ことマッドシティ市民なら恐らく誰もが知っていると思われる、良文堂書店松戸駅前店を紹介します


 上記写真の良文堂書店は松戸駅東口目の前にあり、松戸駅とはコンコースが直結していて夕方くらいになると帰宅者たちが大勢目の前を通っていくのでいやでも目に入ります。写真はそのコンコースから取られた写真で、この入口から入ると良文堂書店の2階に入ります。

 この本屋の面白い所はなんと6階建ての本屋になっており、階層ごとに置いてある本のジャンルが分けられています。適当な記憶に従って書くと、確か1階は雑誌類、2階以降は文芸書、文庫、漫画、教育参考書、児童書などに分かれてたような気がします。最近行ってないからほんと記憶が曖昧。
 階層は2階ならばコンコースから直接入れますがそれより上は店内の細い階段を昇り降りしなくてはならないのでたまにしんどさを覚える時があります。ただジャンルごとに階層が別れているので捜したい本は割とすぐ見つかるし、雑誌を立ち読みする人とかに邪魔されずに店内を歩き回れるのは地味にいい点だったりします。

 あとこの本屋で特筆すべき点は、個人的には受験参考書の充実ぶりです。松戸駅前には大手予備校の河合塾松戸校舎があり、またその近くには予備校生寮もあることが影響しているのか、ほかの本屋と比べてもこの良文堂にはやたら受験参考書がずらっと置いてあります。私も赤本(大学別の過去問集)は全部ここで買って、関西の大学なんかよそではあまり置いてないのにここにはしっかり置いてあって非常に助かりました。

 オチらしいオチはありませんが、駅の真ん前にあるという立地上、電車で移動する前とか通勤途中に立ち寄るという意味では非常にいい本屋です。ただ松戸はやたらと本屋が多く、競争相手も多そうな気がするので内実はどうなのかなとちょっと気になっていたりもします。

2015年7月19日日曜日

かつて餓えた日々

 適当に書くネタがパッと用意できないというかさっき上海から帰ってきたばかりでもあるので、私が餓えていた学生時代の日々について少し書こうと思います。

 一言で言って、学生時代は本当に金がなかったです。別に使ってもよかったのですがわざわざ東京の大学を蹴って京都に下宿しながら進学した負い目もあったのでなるべくお金は使わないように節約し、差し当たって削りようのある食費は自分の気力の許す限り削っておりました。もちろん自分以上に削っていた人間もおり、具体的には「冷蔵庫は必要ない」と主張してやかんでスパゲッティをゆでていた友人もおりましたが、私自身はとにもかくにも余計なおかずを買わずに白米で乗り切る戦略を取り、そのせいか白米の消費量は一食で2合食べることがざらでした。

 またおかずも60円のコロッケとか、酷い時はキムチのみで乗り切ることもあり、大体夕方くらいになると今晩何を食べるのかという事ばかり考えるほどでした。ひどい時なんかはあまりにもお腹すいて夜眠れなくなったこともあり、また夢でたくさん食べて満腹感を感じた瞬間に目を覚ますという貴重な体験も経験しています。

 あとお腹がすくと甘いものに餓えるというか、お菓子への欲求が非常に高まりました。とはいえお菓子を買うと家系に直撃するため、如何に少ない投資で腹の足しになるお菓子が買えるかを友人などと必死で研究したこともあり、最終的な結論としてはホットケーキを大量生産するか、100円のビスケットを買うかというところに至りました。それでもホットケーキとビスケットだけでは飽きてくるため、具体的に言えばチョコレートが無性に食いたくなる時があり、ある日断腸の思いで「きのこの山」を買って口に入れた時は涙が出そうになるくらいおいしく、今でもあの時の感動というか味覚を覚えている程です。

 なんで今日こんな記事を書いたのかというと、今日たまたま寄った上海の森ビルことSWFCの地下にあるローソンで「たけのこの里」が売られているのを見て、「きのこの山」と「たけのこの里」のどちらが優れているかというのはある意味一つの日本の論点だろうななどと思い浮かべ、そういやあのときの「きのこの山」はうまかったなぁなんて思い出したからです。もっともここまで書いておきながら、私は「たけのこの里」の方が好きだったりします。

2015年7月17日金曜日

三国志で打線組んでみた

 最近ホイールのクリック反応が悪かった私のロジクール製マウスですが、今日思い切って上蓋取っ払って中を見てみたところそもそもホイールスイッチは弄れない設計になってて意味がなく、仕方ないので投げたりしてました。多分に私がマウスを酷使しているということもありますが、どうもロジクールのマウスは値段の割にはやたら壊れやすいような気がしてなりません。前のマウスも一回投げたら壊れちゃったし、デザインも正直気にらないので無線キーボードとセットでなければ使わずに済むのにと思って仕方ありません。しょうがないからまたロジクール製で買い替えるけど。

 それで話は本題ですが、今日日本ではプロ野球のオールスターゲームが開催されていますが、それに触発されたので三国志の国ごとに打線というか野球チームを組んでみました。選考はあくまで私の視点によるもので、有名な武将を敢えて中心にして選んでおります。てなわけでまずは蜀からどうぞ。

<蜀>
(スタメン野手) (ベンチ野手)
1 魏延 レフト 劉封
2 趙雲 ショート 孟達
3 関羽 三塁 廖化
4 張飛 一塁 沙摩柯
5 馬超 センター
6 黄忠 キャッチャー
7 馬岱 ライト
8 関平 二塁

(先発) (リリーフ)
諸葛亮 蒋琬
龐統 費禕
法正 馬良
徐庶 伊籍
姜維 馬謖

 まず蜀チームで特筆すべきは圧倒的といえるくらいの超重量打線でしょう。3番の関羽と4番の張飛を筆頭にどこからでもホームランが飛んできそうな打線でありながら、2番の趙雲の様に小技も効かせられる武将が多いのも特徴です。なおベンチの沙摩柯は助っ人外国人枠として敢えて入れてみました。
 一方、投手陣の方はというと先発は一見すると隙のない布陣に見えますが、龐統と法正はどちらも選手寿命が短く、徐庶もワンシーズン、下手すりゃ1試合限りのレンタル移籍要員ですので、姜維が育つまでは実質的にエースの諸葛亮がほぼフル登板しなくてはならないという、やたら史実に近い台所事情となっています。リリーフ陣は決して悪くないものの絶対的なストッパーはおらず、またこの中から先発に昇格させられそうなのもいません。馬謖に至っては登板するごとに炎上しそうなので運用に当たっては注意が必要です。
 それとどうでもいいけど、「伊籍が移籍」なんていうくだらないダジャレを思い浮かべたことがあれば、あなたはもう立派な三国志マニアです。

<魏>
(スタメン野手) (ベンチ野手)
1 夏侯淵 ライト 李典
2 夏候惇 レフト 楽進
3 張遼 二塁 曹真
4 許褚 一塁 曹洪
5 徐晃 センター 于禁
6 張郃 ショート 曹彰
7 典韋 三塁
8 曹仁 捕手

(先発) (リリーフ)
荀彧 郭嘉
荀攸 陳羣
程昱 鍾繇
賈詡 満寵
司馬懿 劉曄
韓浩
楊修

 魏チームは野手、投手共に選手層がとにもかくにも分厚いという一言に尽きます。打線はさすがに蜀の超重量打線と比べると見劣りしますがそれでも一線級の武将たちで構成されており、また代打要員も粒揃いであるためスタメンの一次離脱があったとしても戦力の低下はほとんど起こり得ないでしょう。
 投手陣も盤石の一言に尽き、先発は一応五人揃っていますがリリーフの中からも先発に切り替えられる武将、っていうか文官もいるため、こちらも打線同様に欠員が出てもすぐ穴が埋まってしまうような充実ぶりです。なお郭嘉は先発にするべきか悩んだ挙句、抑えの切り札にしようと思ってリリーフに入れました。
 強いて弱点を挙げるなら、先発五番手の司馬懿が背信投球をやらかさないか監視が必要ってくらいでしょう。ってかこいつ、首が180度回ったっていうから二塁のランナー警戒する時は便利そう。

<呉>
(スタメン野手) (ベンチ野手)
1 甘寧 ライト 徐盛
2 朱桓 センター 丁奉
3 程普 二塁 蒋欽
4 周泰 三塁 朱然
5 太史慈 一塁 孫韶
6 凌操 ショート
7 黄蓋 レフト
8 韓当 捕手

(先発) (リリーフ)
周瑜 張昭
陸遜 張紘
呂蒙 諸葛恪
魯粛 闞沢
諸葛勤 虞翻

 呉チームは投手陣にいい選手が揃っており、先発が周瑜、陸遜、呂蒙の三本柱が君臨しているだけでなく、抑えも張昭、張紘のダブルストッパーが控えていて、下手すりゃ三国(三鷹~国分寺間)一と言っていいくらい充実しています。
 しかし打線はというと投手陣の充実ぶりとは対照的に一発の破壊力に乏しく、幸い足が早そうな武将(印象でしかないけど)が揃っているので小技を駆使して点を取っていくか、日ハムの大谷選手ばりに打つ方も投げる方も二刀流できそうな呂蒙を主力バッターに組み込んでいくといった大胆な戦術を取らざるを得ないでしょう。
 なお先発の魯粛は、好投しても味方の援護に恵まれなさそうな気がする。

<総評>
 上記のチーム編成案は大体10分くらいですぐに大枠が埋まるくらい簡単に作ることが出来ました。それほど意識して作ったわけじゃありませんが、案外実際の史実通りの国情に近いチーム構成になっており、このように野球チームに見立てて国家なり軍隊なりを分析比較するのも手法としてアリかもとやってて思いました。
 そもそもなんでこんなことを急に思いついてやったのかというと、以前流行った「もしドラ」こと「もしも高校野球部の女子マネージャーがドラッカーを読んだら」という本を思い出し、「もしも高校野球部の女装マネージャーが孔明だったら」というくだらない想像をして、だったらチーム作った方が面白そうじゃんと思いついたことがきっかけでした。ぶっちゃけ、作っててそれなりに楽しかったです。

2015年7月15日水曜日

書評「新・観光立国論」

 どうでもいいネタ挟む余裕ないのでいきなり本題ですが、例の冷凍たこ焼き好きの友人が「これを読め」というので、元ゴールドマンサックスのアナリストで現在は日本で文化建築物の修繕事業を営んでいるイギリス人のデービッド・アトキンソン氏による、「新・観光立国論」を紹介します。もっとも、結構売れてる本だからそこまで宣伝しなくてもいい気はしますが。
 この本では日本の観光事業について元アナリスト、というより日本在住歴の長いイギリス人としての観点からあれこれ物を語っています。全体の内容を一言で要約するならば、「独りよがりの自己満押し付けてんじゃねーよ(#゚Д゚)<JAP!」(意訳)と言ったところです。


1、日本の観光産業の立ち位置
 基本的には元アナリストらしく種々のデータを引用した上で日本の観光産業の立ち位置を説明した上で、現在の課題と日本人の無知ぶりを厳しく指摘しています。いくつかそのデータを引用すると、世界銀行がまとめたGDPに対する各国の観光収入の比率を最初に囲繞し、世界平均が1.8%であるのに対して日本はたった0.4%と極端に低い状態にあるとした上で、国別の国際観光客到着数のデータを連投しています。こちらのデータは下記に私も引用しましょう

<国際観光客到着数ランキング>
1位、フランス:8473万人
2位、アメリカ:6977万人
3位、スペイン:6066万人
4位、中国:5569万人
5位、イタリア:4770万人
12位、香港:2566万人
22位、韓国:1218万人
26位:日本:1036万人

 見てもらえばわかる通り、日本は他の先進国はもとより東アジアの中でもかなり下位に属する位置にあることがわかります。なお24位はクロアチア、25位はハンガリーですが、日本人からしたらこの国は観光的にはそれほど魅力があるようには見えないと思いますが、欧米人から見たら日本も同じ程度のレベルに見られていると作者は指摘しており、意訳するなら「身の程を知れっ(#゚Д゚)<JAP!」、といったところです。

2、観光大国の四条件
 ただ日本の観光産業がこれほどまで小さいということは「伸び代はあるってことだ(#゚Д゚)<JAP!」(意訳)とも語っており、その伸びしろを認識する上で重要な要素となるのが観光大国の四条件だと作者は述べています。その四条件とは「自然」、「気候」、「文化」、「食事」の四つだと述べ、観光大国フランスはもちろんこの条件を備えており、また日本もフランス同様に満たしていると太鼓判を押しています。なお作者の故国である英国は「気候」と「食事」に欠いており、残念ながらフランスに大きく劣ると認めてます。

 ただこの四条件ですが、日本人はほとんど認識していないどころかまともなPRすらできていないと厳しく断言されちゃっています。では日本は外国人観光客を誘致するに当たって何をPRしているのかというと、何故だか「国としての知名度」、「治安の良さ」、「交通インフラの充実」が最も多いとした上で、「三つとも誘致に当たって何の効果もねぇよ(#゚Д゚)<JAP!」(意訳)と批判しています。
 一つ一つ述べてくと知名度があるからわざわざその国に行く奴なんていませんし、同様に治安がいいから観光に行くなんて、じゃあインドとかタイは日本より治安悪いのに何で観光客多いのか。でもって交通インフラが充実しているから見に来るなんて鉄道マニアくらいだと切って捨ててます。なおこの三つを三つともPR文に載せている意味の分からない会社として何故だか「星野リゾート」をここだけ名指しで批判しています。何か嫌なことでもあったのかなここに、俺もあるけど。

 総じて言えばPRのポイントが根本から間違えているとして、「逆にそういった点を少しずつでもいいから修正していけば、ポテンシャル自体は高いのだから高い成長を期待できるぞ(#゚Д゚)<JAP!」(意訳)と、フォローをきちんと入れる辺りは英国紳士です。

3、おもてなしに対する疑問
 恐らく友人が何でこの本を私に勧めたのかという理由の一つとして、この日本の「おもてなし」という言葉に対する作者の意見も大きかったんじゃないかと思います。作者はこの本の中ではっきりと、「もうおもてなしなんて言葉は使うな(#゚Д゚)<JAP!」と述べており、去年あたりからずっとこのブログで私が主張してきた内容と同じことを主張しています
 はっきりいますが日本人の言うおもてなしというのは自己満足そのもので、外国人からしたらそれ程質の高いサービスでもなければむしろ邪魔くさくて鬱陶しいマナーに見えることのが多いです。サービス対応一つとっても日本ではちょっとした注文というか変則オーダーですらやれ規定が、ルールが、上司がなどと言っては対応を断ることが多く、また飲食店などで英語がほとんど通じないというのも地味に問題です。私の方から断言してもいいですが、日本の「おもてなし」は上海市の一般的なサービス水準と比べても質が劣ります。

 更に作者はこうした「おもてなし」に代表される日本人の自己満足に外国人がケチをつけたり満足しなかったら、「あいつらはモノのわからない野蛮人だ(#゚Д゚)<鬼畜米英!」」などと逆批判をして、彼らが求めるサービスを探ったり、能動的に対応していこうとすることに無関心すぎるところがあると指摘してますが、はっきり言えば私もこれに同感です。結局、日本の価値観に合う外国人しか誘致しようとせず、折角誘致できる可能性の外国人を自ら排除して稼ぎ的に非常にもったいないことをし続けているのが日本人だと分析しているわけです。

 以上がこの本の主だった内容ですがこの記事の目的上、敢えて辛辣な文体で書いております。この文体に対して読者がどのように感じるかはさておきこの本の中で作者は実際には、卑屈なくらいにへりくだった文体で内容を説明しております。どれくらいへりくだっているのかというと、「私は日本が嫌いなわけではなく本当に大好きなんです。だからこそ潜在力の高い日本の観光産業はそのポテンシャルを生かし、大きく伸びてもらいたいのです」、といった内容の言葉が一体何回出てくるんだよと言いたくなるくらい繰り返されています。
 これは私と友人の想像ですが、多分作者は日本での駐在生活で相当苦労したんだろうなぁという気がしてなりません。会社の同僚に、「もう彼は半分中国人ですから」とリアルで言われたくらいに日本離れしている私に言わせると、きちんとデータに基づいた当たり前の内容を指摘すると何故だか日本人は強い拒否感を示した上で怒り出す傾向があります。この本に書かれている内容も徹頭徹尾、普通に考えたらその通りだと思える当たり前な内容で占められていますが、恐らく普通に口頭で話したら、「お前は日本を貶そうっていうのか?」とまず反感を買うことが私にも予想できます。それこそ、「日本のおもてなしは日本人の自己満だ」なんて言ったらどうなることやら。

 だからこそ作者は耳を傾けてもらうためにも卑屈なくらいに、「悪気はない、ただ君たちにはもっと良くなってもらいたいだけなんだ」という言葉を繰り返したのでしょう。しかし私としては外国人であるのだからここはびしっと、「いちいちめんどくせーんだよてめーら日本人はよ(#゚Д゚)<JAP!」、というくらいきつく言ってもらった方が案外日本人にとってよかったのではと思う節があり、敢えてこの記事では辛辣な文体に意訳しました。
 もちろん日本の観光産業について、当たり前だけど日本人は当たり前の事すらまともに言えないだけに貴重な意見をたくさん提供してくれてて非常に価値がありますが、それ以上にまともなことを普通に言っても日本人は全く聞いてくれないんだなということがこの本読んでて強く感じ、そっちの方が私の印象には強く残りました。ある意味、海外に出ている人間の方がこの本読んで思うこと多いんじゃないかな。

 勢いで一気に書きましたが、我ながら有り得ない書評になったなという気がしてなりません。




平成史考察~名古屋中学生5000万円恐喝事件(2000年)

 本題とは関係ありませんが、学生時代に私は喫茶店でアルバイトをしていたのですがたまたまそこのマスターが戦国武将の中川清秀の子孫ということを知り、同じ歴史好きの友人に教えてやろうとしたらこんな会話が生まれました。

花園「山口君、中川清秀って知ってる?」
友人「うん、(ゲームの「信長の野望」で)よく使ってるよ」

 他人の先祖を「使ってる」呼ばわりかよ、なんて思ってちょっと私の中で微妙な空気が流れました。

 そんな私のセンチメンタルな思い出は過ぎて今日の本題ですが、平成史ネタで今日は2000年に起きた「名古屋中学生5000万円恐喝事件を取り上げます。」

名古屋中学生5000万円恐喝事件(Wikipedia)

 事件概要を簡単に説明すると、当時名古屋市内の中学校に通っていたある中学生(被害者)が同じ学校の生徒数人(加害者)からいじめを受け、当初は暴行からでしたが次第に現金も恐喝されていくようになりました。被害者は言われるがままに加害者にお金を渡し、また被害者の母親も子供が暴行されて帰ってくることが忍びなく事故死した父親の生命保険で得たお金すら少年に渡してまで加害者の要求に答え続けました。
 加害者らは恐喝して得たお金をほぼすべて豪遊に使い、移動にはタクシーを使ってカラオケやパチンコ店で散財していたそうです。加害者の豪遊ぶりは周辺も見聞きしており、当時よく使われたタクシーの運転手がある日どこでそんなにお金を得ているのかと尋ねたところ、「パチンコ、パチンコ」などとほざいたとされています。
 もっともそんな加害者らも暴力団関係から恐喝を受けており、被害者から受け取っていた金を一部その関係者へ手渡していたという、二重恐喝の構造を持っておりました。最終的にはこの関係者も一緒に捕まるんですがね。

 話は被害者に戻りますが一方的に恐喝され続けた結果、被害者が渡した金額は累計で5000万円という常識では考えられない金額にまで達していました。しかし言われるままにお金を渡していたにもかかわらず暴行は収まるどころかむしろ激しさを増し、鼻や肋骨まで折られ病院に入院する羽目となり、しかも入院先の病院にまで加害者らは現れ被害者を屋上に連れて行くと、なおもお金を無心したと言われています。

 しかしそこが皮肉にも一つの転換点となりました。屋上に来ていた少年らに、被害者と同室に入院していたある青年男性が突然割って入り、加害者らを強い視線で凄みました。この男性は父親が暴力団組長ですが本人はホワイトという出自の人で、同室となった被害者の怪我を見て暴行されているのではとうすうす勘付いており、それ以前にも何度か被害者にトラブルを抱えているのではと尋ねていました。被害者は男性には暴行の事実を頑なに否定し続けおりましたが、突然やってきた被害者らに屋上へ連れて行かれるのを見るや後をつけ、絶好ともいう場面で現れ被害者の側に立ってくれたのです。
 男性に凄まれた加害者らは態度を急変してすごすごと去り、また心を閉ざしていた被害者もこの男性には心を開いて徐々に打ち合け、男性の側も被害者の気持ちに応えようと被害者の母親を交え対策を取ろうと動き出します。

 ただここがこの事件の一番の特徴なのですが、暴行の事実を打ち明けられた男性が被害者の母親に手を打とうと持ちかけたところ、この母親は当初拒否したそうです。母親は非常に大人しい性格の方だったらしく、戦うくらいならお金を出し続け嵐が過ぎるのを待つ方が良いと考えるような人だったと当時報じられており、それ故に被害金額が5000万円という途方もない金額にまで達した一つの要因となりました。
 しかし男性の熱心な説得を受け母親も最終的には対策を取ることに同意し、母親と男性、そして男性の知人らは加害者宅を回って恐喝され取られた金額の弁済を求めると共に、警察への通報も行ったことで事件は発覚しました。

 なお当時の報道では恐らく被害者を救ってくれた男性の出自からでしょうが、「恐喝された被害者が暴力団組員をつれて加害者を逆に恐喝してきた」という報道がありました。実際には弁済を求めただけなので恐喝なわけないのですが、結構誤った報道も大手を振って歩くというか報道なんていい加減なもんだなと思います。
 一方、息子が恐喝でとんでもない金額を奪っていたことを知った加害者の両親は弁済を求められて最初、その金額のとんでもなさに頭が真っ白になったと書いてありますが、まぁそりゃそうでしょう。そしてその弁済協議に当たって名古屋の緑署に相談へ行ったところ、「被害者から被害届が出ておらず、事件化していないから対応できない」などと意味の分からない対応されて、何にも相談に乗ってくれなかったそうです。なおこの緑署はそれ以前に少年と母親から恐喝について相談を受けたもののこれまた真面目に相手せず、結局この事件は中署が捜査して事件化して、事件後には警察庁も緑署の対応の不手際を認めています。

 事件が公になってからは立場が逆転というかワンサイドペースになり、全国から加害者とその家族への批判が大きく集まったほか、加害者らもほぼ全員が逮捕され処分が下されました。なお加害者家族への批判はほかの事件に劣らず激しかったそうで、中日新聞に至っては取材をしていないにもかかわらず加害者家族は反省の意識が低いと思わせるような記事を載せて発行してくださったそうです。まぁそういう新聞社だけどねあそこは。

 その後、この事件については続報がなくネットを見ると加害者らはきちんと被害者に弁済をしたのかどうかが少し議論となっていますがこれは確認の取りようがないので置いておくとして、加害者についてはその後の続報が出ました。何でも主犯格だった男二人は2002年に少年院を出所したものの定職には就かずまた変な連中と付き合いだし、2006年にパチンコ店の売上金を強奪する事件を起こして揃って逮捕され、揃って懲役刑を喰らいました。なおこの時強奪した金額は約1200万円で、クズは所詮はクズのままですが金額的にはスケールダウンしたんだなというのが私の印象です。

 今日になって一体何故こんな昔の事件を掘り起こしたのかというと、一言で言えば矢巾町の中学生自殺事件がきっかけです。この名古屋の恐喝事件もそうですが学校側は薄々いじめと恐喝の事実に気が付いていたものの何の対策や被害者への詳細な聞き取りを行わず、事件が発覚した後は「知らなかった」、「やるべき対策は取っていた」、「防ぎようがなかった」と、いわゆる「でも、だって、どうせ」の無責任三拍子が15年前も今も同じように繰り返されています。特に矢巾町の事件ではいじめで不登校になっていた女子生徒もいたっていうのに委員会への報告ではいじめはゼロってことにされていたとされ、まともな報告・連絡・相談の「ホウレンソウ(このフレーズは内心大嫌い)」という三拍子すらまともにできてないのかよと見ていて呆れます。大津の事件だって、そんな昔じゃないってのに。

 思うにこういういじめ事件は歪んだ教育とか家庭環境、あと受験ストレスが原因だなどとよく言われたりしますが、突き詰めれば目の前で起きている現実を直視するどころか放置する教育機関こと学校側に最大の原因があるのではないかと思えてきました。いくつかの例を見ていると、いじめる側も学校側が何の対策を取らないことを見て図に乗り、いじめられる側も学校側が何の対策を取らないことを見て心を閉ざしていくように見えますし。
 そういう意味ではいじめを根絶する上で真に教育を受けるべきは生徒ではなく平気で隠蔽しようとする教師たちでしょう。生徒に向かって「いじめはよくない」などと言うのではなく、教師に向かって「現実を見ろ!放置してたらお前をぶっ殺すぞ」と言った方が対策として効果ある気がします。もっともこう言ったら、「国からの強いプレッシャーがあって報告義務を……」なんて言い訳するのが出てくるんだから、案外そうでもないかな。

  参照サイト
--5000万円恐喝事件はなぜ起きた--名古屋の現場を歩く(ZAKZAK)
『息子がなぜ 名古屋五千万円恐喝事件』(三日坊主日記)

2015年7月13日月曜日

猛将列伝~宇喜多秀家

 猛将と呼ぶにはやや戦場のエピソードが少ない人物ですが、かといってカテゴリから離す理由もないので今日はこのカテゴリで宇喜多秀家について語ります。

宇喜多秀家(Wikipedia)

 宇喜多秀家は備前の豪族である宇喜多直家の次男として1572年に生まれました。父親の宇喜多直家については以前、親族だろうがなんだろうが謀略の上に暗殺しまくってリアルにサイコパスな人物だったと評したことがありますが、息子の方は幸いというかそんなサイコパスな性格は受け継ぐことはなかったようです。
 なお予断ですが、昨年の大河ドラマの「軍師官兵衛」では宇喜多直家役を陣内孝則氏が演じ、老獪な策士という直家の役柄を存分に演じられて強い印象を覚えました。またこのほか高山右近役を演じた生田斗真氏も見ていて惚れ惚れする演技ぶりで、このドラマは総じて役者の質が高かったとつくづく思います。

 話は戻りますが父の直家は秀家が9歳の頃に逝去したため、幼かった秀家は当時中国地方を攻略中だった秀吉の元で、ほかの加藤清正や福島正則といった子飼いの武将らと共に育てられます。そういう意味で今様に言えば「羽柴チルドレン」ともいうべき武将となったのですが、成人してからは朝鮮出兵などで武功を立てるなど宇喜多家の当主としてしっかり活躍しています。
 ただ秀家を語る上で外してはならないのは、ほかの羽柴チルドレンを差し置いて、徳川家康や前田利家らと共に五大老に任命されているという点です。元々秀吉の直参に近い立場であったことは間違いなくしっかりと信頼できる人間として任命されたことはまだわかりますが、同じく羽柴チルドレンの黒田長政や片桐且元などを置いて秀家が任命されたということは、やはりそれだけ秀吉から信頼されていたのかもしれません。なお秀家は五大老であったことから、在任中は領地になぞらえて「備前宰相」などと呼ばれていたそうです。

 このように出世街道を歩んだ秀家ですが、関ヶ原の前年に当たる1599年に家中で「宇喜多騒動」といって家臣内の内部分裂が起こり、勢力を大きく弱体化させてしまっています。なんかこの騒動についてはいろいろと軋轢があったと書かれてありますが、時期が時期だけに徳川家が仕掛けた謀略なんじゃないかなぁという気も少しします。

 そしてここが本題なのですが宇喜多騒動の翌年に当たる1600年、秀家は関ヶ原の合戦に自ら出陣します。彼が属したのは石田三成率いる西軍ですが一体何故彼は西軍についたのか、一説によれば同じく秀吉子飼いの武将だった大谷吉継同様にプライベートでも三成と仲が良かったため、彼に準じるような形で参戦したとなど言われており、率いた兵力は西軍中でも最大の1万7千人だったことからその熱意は相当なものだったでしょう。
 この関ヶ原の合戦で西軍に参加した部隊の中で真面目に戦闘を行っていた部隊としてよく、三成直参の島左近隊、そして敗北を見越した上で参戦した大谷吉継隊だけだったと言われますが、この秀家の舞台も最前線で福島正則の部隊とぶつかり合うなど激しい戦闘を行っております。よく大谷吉継ばかりが三成との友情に準じたとばかり言われますが、私個人としては秀家も吉継同様にそれなりに熱い思いでもって西軍に参加したのではないかと思います。

 ここで話は石田三成について触れますが、よく三成は賢かったものの偏狭で鼻にかけるところがあり人望がなかったなどと言われます。しかし上記の大谷吉継や宇喜多秀家の様に、彼との友情に殉じて骨身を惜しまず支援してくれる人物も案外多く、多くの史料中に、「嫌な奴だった」、「友達少なかった」とはっきり書かれていることは事実であるものの、仲良くなる相手とはとことん仲良くなれる人物でもあったのではないかという気がします。直接関が原には参加してないものの、あの上杉家の直江兼続も三成と一緒に行動しているわけですし。

 話は秀家に戻りますが、結果的には関ヶ原で宇喜多隊は壊滅して秀家も落ち延び、島津家に一時身を寄せます。しかし居所が幕府にばれたことによって出頭し、妻・豪姫の出身家である前田家や匿ってくれた島津家のとりなしもあって死罪は免れましたが宇喜多家は改易の上、八丈島に流刑となりました。
 八丈島では島の主としての身分が認められたもののそこはさすがに流刑地、生活は非常に厳しかったようで前田家からは毎年米70俵の支援を受けていました。そんな生活を秀家はなんと1655年に84歳で没するまで続け、既に時代は4代将軍家綱が治める頃となっていました。なおこの関ヶ原に参戦した武将としてはこの秀家が最も遅くまで生きていたこととなります。

 最後にまとめとして述べると、大谷吉継だけでなくこの宇喜多秀家も石田三成との友情に殉じ、なおかつ合戦中もそこそこ奮戦していることから、もっと評価されてもいいのではないかと思いこうした記事を書きました。なおこの記事を書くきっかけとしては、八丈島に流された後も宇喜多家は細々と命脈を保ち、明治の時代に至って現在の千葉県浦安氏に移り住んでからも続いてて徳川家などと同様に現代にも残っていることを最近知ったからです。現在の当主も2009年の岡山城の築城400年式典に参加されたそうですし。

  おまけ
 最近読んでいる漫画で長谷川哲也氏による「セキガハラ」という漫画があります。この漫画のあらすじを簡単に述べると、戦国武将が一人につき一つの超能力を持ってて豊臣秀吉の死去から関ヶ原の合戦に至るまでの間にあれこれ戦ったりする漫画なのですが、主人公はほかならぬ石田三成だったりします。
 この漫画の三成は自分の賢さを鼻にかける傲慢な性格でまだテンプレ通りの三成ではあるのですが、そのほかのキャラクターはさにあらず、一つの特徴がやたら大きくデフォルメされててとにかくみんなすごいことになっています。

 島左近はグラサン掛けた上にひげを蓄えたラッパー風になってて「誰これ?」状態ですし、今日取り上げた秀家は「友情こそ至高」という言葉が口癖のまんまフランス貴族な見た目してて、武器もサーベルです。そして大谷吉継は恐らく、包帯をまといながら関ヶ原に参戦したエピソードからでしょうが、包帯を操るミイラ男になっています。
 このほかだと徳川家康は健康オタクだったことから鍛錬好きな超ムキムキマッチョに描かれ、加藤清正に至っては虎退治どころではなく虎そのもの、淀君もすごいボディコンなくのいちに描かれてて、歴史漫画はこれまでたくさん読んできたけどこれほどいろんな意味ですごいデフォルメされた戦国武将を見るのはこの漫画が初めてです。