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2015年10月20日火曜日

これまでのぶっ飛んだ体験記事まとめ

 先週日本に帰国中、うちの親父と伊勢に旅行へ行っている最中にふと最近のブログについてどうかと聞いたら、「ぶっ飛んだ記事が減ったよね」という意外な回答が返ってきました。このぶっ飛んでいるとはどういう意味かというと思想的な意味ではなく肉体的な意味で、要するに私のトンデモ体験記事が最近見なくなったことをうちの親父は不満だそうです。
 とはいっても嘘は書くこと出来ないし急に何かトンデモ体験しろと言っても無理もある。ただ逆に、これまでどんな体験を自分は今まで記事にしてきたのかなと少し思うところがあり、今日は私個人のぶっ飛んだ体験を書いた記事をまとめてみようと思います。

<高校時代の友人からかいエピソード>
煮え湯を飲むとどうなるか
血と涙のバレンタイン事件

 どちらも高校時代に友人を罠にはめた時のエピソードです。なお煮え湯を飲ませたエピソードは未だに私の中の思い出し笑いランキングで堂々の1位を維持しています。

<大学時代の貧乏話>
かつて餓えた日々
貧乏時代の私のエピソード
KOEIのゲームでやったこと

 どれも学生時代のエピソードですが、当時は記事中にも書いている通りに本当に毎日餓えてて食べることばかり考えていました。今思うとなんであんなに無茶してたのか不思議です。

<夢物語>
昨夜見た恐ろしい夢( ˘ω˘ ) スヤァ
昔見た夢

 どちらも過去に見た夢の内容を書いていますが、なんでこんな気違いな夢見たんだろうと読み返してて不思議に思います。

<服装系エピソード>
寒かった北京
休日の私の服装

 どちらも私の服装に関するものですが、真冬の北京に、しかも万里の長城にGジャン一枚で乗り込むって馬鹿じゃないかと読んでて我ながら呆れてきます。でもってもう一つの「休日の私の服装」で書いてあるように特徴的なTシャツを着る癖は続いており、この前も前の会社の後輩に、「花園さんは夏の時期よく、胸にでっかく『香港』って書いたTシャツ着てましたよね」と言われました。

<突発的体験>
深夜の決闘
突然の依頼
中国で聴いてショックを受けた歌

 適当にジャンル分け出来ないのをまとめましたが、「突然の依頼」で書いたように夜中急に中国語で記事書いてと言われてすぐに書いて出したのは今ではいい思い出だし、いい体験でした。

<身体的に痛かった体験>
フリーフォール
今日の衝突事故
これまでにやらかした神経的に痛い体験

 ある意味今回の記事主旨によく合っているジャンルがこれですが今回こうして記事をまとめていて思ったこととして、「なんで俺ってこんなにタフなんだろう」って感想でした。2階からまっさかさまに落ちたりオート三輪と衝突したりと結構危ない目に遭っているにもかかわらずなんで悉く無傷で戻ってくるのか、自分でもよくわかりません。

<精神的に痛かった体験>
運の尽きの一週間
パソコン破損(ノД`)

こちらは逆に精神的に打ちのめされたことを書いた記事ですが、どちらも海外生活ゆえのトラブルネタです。この記事だけ見るとひ弱そうな印象を覚えますが、逆を言えばこれら以外だと海外勤務して精神的に追い込まれることがなく、そのせいかこのところよく「肉体的にも精神的にタフだよね」と周囲からよく誉められるようになりました。

さようならOpera

 ここから単独で紹介していきますが、この「さようならOpera」の記事内容はただ単にOperaというブラウザを使うのをやめたことを書いただけの記事ではあるものの、記事中にあまりの使い勝手の悪さから無線式マウスを思い切りブン投げて壁にぶつけて壊したという気違いじみた私の行動が何故か詳細に描かれており、この記事を書いてからは「最近またマウスを投げたりしてませんか?」とやけに周囲から尋ねられる機会が増えました。

スピリチュアル体験録

 こちらの記事は私のブログにしては非常に珍しく、かなりオカルトじみた内容です。ただオカルトじみているものの記事内容というかスピリチュアルセッションで私が言われた内容があまりにもドンピシャであったため、私と直接会ったことのある知り合いはほぼ全員が驚く記事となりました。実際今読み返してもいろんな意味で凄い記事で、書いた当時に言われた内容を詳細に記しておいてよかったなとつくづく思います。

房総半島自転車一周地獄の旅

 私が今まで書いた記事の中で一番ぶっ飛んでいるものを挙げるとしたら、やっぱりこの房総半島一週を試みたこの記事でしょう。読めばわかりますが当日の朝に何の準備なく思い付きで開始するわ、途中でガードレールに衝突してリアルで空飛ぶわ、夜中1時に自転車のフレームが真っ二つに折れてギブアップするとか何考えてこんなことやってるんだよ我ながら呆れます。でもってこの時も空まで飛んでるのに致命的な怪我はしておらず、ソリッド・スネークに負けず劣らず自分ってタフなのかもとちょっと自惚れてきました。

2015年10月19日月曜日

横浜市マンションの施工不良事件について

 昨日はVWの不正事件について記事書きましたが、今日は負けじと日系企業の不正事件を取り上げようと思い、巷で話題になっている三井不動産レジデンシャル(横文字嫌だな)と旭化成という超大手企業のミラクルタッグによって生み出された横浜市のマンション施工不良事件について思うことを書いてきます。にしても中国に戻ってから何故かほぼ毎日左首が痛い、枕悪いのかな。

 本題に入りますが、この事件に関してはこのところ毎日トップニュースで逐一報じられているので説明の必要はないでしょう。この報道の影響を受けて以前に書いた大津の欠陥マンションの記事アクセスが増えればいいなと思っていたら案の定増えてて地味に恩恵を受けてたりしますが、この事件によって一番恩恵を受けているのは案外、直前に免震ゴムに続き防振ゴムでも検査不正を行っていたことがばれた東洋ゴムじゃないかと思っています。多分、みんなこの会社のこと忘れてるでしょうが、私は変に記憶力がいいだけに忘れてませんけど。
 そんな東洋ゴムといい、今回の施工不良は間違いなく大手と呼んでいい三井不動産レジデンシャル(横文字は嫌だ)と旭化成の二者が絡んでいるだけに、「大手だから安心」とはやっぱり言えないものだなというのが私の第一印象です。特に不動産業界は動く金が大きいだけに上から下まで隙あらば不正をとばかりに、大津の欠陥マンションの事例でもそうですが常識では考えられないとんでもないことをやらかす人間が他の業界と比しても多いような気がしてなりません。

 今回の事件も旭化成子会社の検査員が施工記録データを転用したことに端を発していると報じられていますが、そんなことしてばれたらどうなるのかという想像力が働かないのかと話を聞くだに呆れます。こんなこと言うと会社や上司のプレッシャーがあったのではなどと擁護する声もありますが、それは個人の都合であってマンション住人を巻き込んでいい理由にはならないというのが私の意見です。

 話は戻りますが上記の通り報道されている限りだと、今回の事件は旭化成の従業員がやらかしたことによって三井不動産側が大損を受ける構図になりそうです。これは一見すると三井不動産がマンション住人と共に被害者側であるかのようにも見えますが、三井不動産側は施工不良を疑う住人からの声に対して当初、「東日本大震災による影響」として施工不良を認めなかったとも報じられており、仮にこれが事実だとすると隠蔽しようとしたと言われてもしょうがないでしょう。実際、マンション住人はこの一件で三井不動産に対しても強い不信感を持ったと報じられています。
 三井不動産が住人からの質問を受けた段階で今回の施工不良を把握していたかどうかは現段階だとさすがに判断つきませんが、私個人としては何故「東日本大震災による影響」と回答したのかが気になります。地震が原因だと判断しうるデータをきちんと持っていたのか、持っていたのであればまだ理解できますがそうでなくその場しのぎに適当に返したのが先程の言葉だとしたら、この会社のリスク管理能力に対して強い疑念を覚えざるを得ず、普段の発言もちょっと信用の出来ない不誠実な態度の会社だなと感じてしまいます。

 長く書く気がないのでもう切り上げますが、この事件もあくまで氷山の一角で会って全国にはまだまだ明るみになっていない施工不良マンションがごまんとあることでしょう。建設Gメンや構造確認を専門とする設計事務所などは最近増えており彼らの活動には今後も期待したいところですが、人命にも関わることだし本来なら政府がちゃんとした調査機関を設けて調べるべきだと思うのですが、安倍首相も携帯電話料金の発言に続いてこういうことも考えてくれないかな。

2015年10月18日日曜日

VWの検査不正事件に伴う代償

 以前にもマツダのディーゼルエンジンと絡めて検査不正事件を起こした独フォルクスワーゲン(VW)について書きましたが、今日はぱぱっと今後の展開について予想を書きます。

 既に独当局などの調査によって今回米国で発覚したVWのディーゼルエンジンの検査不正は一部担当者によるものではなく組織だった、つまり会社ぐるみで行われた不正であることがほぼ明らかとなっております。VW側は当初、米法人の一部担当者が独自に行ったことと否定したものの欧州域内で販売されている車種のエンジンにも同様の不正が行われていたことが分かったことによってこの主張は崩れ、過去数代の経営陣、果てには現場の技術者を含めて多くの人間が関わっていたと見て間違いないでしょう。残る疑問点は検査不正に使われたコンピューターの制御を担当した自動車部品メーカー大手の独ボッシュがどこまで関与していたのか、不正を行うことを知って部品を供給していたのかが判断の分かれ目となるでしょう。ってか、俺もよく平気でこういうこと書くな。

 そうした犯人探しはひと段落がついてきたところで、次に問題となるのはその責任の取り方です。当初、VWはリコールに消極的でしたが米当局、果てには独政府から勧告を受ける形で関係する車種全てをリコールすると発表しました。リコール対象の車種については現在調査中とされているものの各種の報道を私の方で簡単にまとめたところ、各市場での対象台数は概ね以下の通りになると見られております。

<販売市場別リコール対象台数>
米国:48万台
欧州:850万代(VW)、210万台(アウディ)
※アウディはVW傘下の子会社というかブランド。実質的にはほぼ同じ会社

 合計すると1000万台超にも達するためやったねテンミリオンオーバーと皮肉の一つでもかけてやりたいくらいですが、このリコール(何故か「トータルリコール」という単語が浮かんだ)に伴う費用もさることながら、果たして本当にリコールだけで済むのかという疑念を密かに持っております。それはどういう事かというと、今回の検査不正はその不正の内容から察するに、リコールして修理を行ったところで販売時のカタログスペックが達成できないことが目に見えているからです。
 今回の不正はエンジンの挙動を検査内容に合わせコンピューターで制御することによって排出する汚染物質を実際の販売車以上に小さく見せたものでした。そのため仮に排出物の量を検査時と同じレベルにまで低減しようものならエンジン性能は大きく制限されることとなり、パワーや燃費の悪化は確実に避けられず、販売時のカタログスペックとは異なるエンジン性能になってしまうわけです。

 欧州域内ならドイツ政府の意向でまだこれでもどうにかごまかされるかもしれませんが、米国内だとそうは簡単に行かないだろうというのが私の味方です。言ってしまえば販売時に約束した性能が出せないこととなりただでさえ裁判好きな米国人なだけに、悪意を含んだ不正によって欠陥車を持たされたと主張して販売時の代金を全額返金するよう求めてくるかもしれません。つまり、下手したら48万台は全額返金を求められる可能性があるということもあり、また私自身そう言われてもしょうがないかもと思うくらい今回のVWの不正は根強いものです。

 既に米国は今回の不正に対してVWに制裁金を課すよう準備しておりますが、その金額は米国内だけで2兆円にも達するとされ、それに各国のリコール代金、下手して返金まで発展したら半端ない金額の現金が一挙にVWから流出することとなります。となると次に考えられるのは、それらの支出に対してVWは資産を切り売りするのか、言い換えれば傘下の自動車ブランドの売却に動くのかということがこの次のポイントとなるわけです。

 VWの傘下ブランドは先ほど挙げたアウディを始めとしてポルシェやランボルギーニといった超高級車ブランドも多く、その資産価値は決して低くありません。さすがにポルシェとかを売りに出すことはないと思うものの日本では馴染みのないシュコダやセアトくらいだったら売りに出すこともあり得るんじゃないかと思え、そうなると今度はどこがそれを買うかです。最有力候補はやはりというか中国の自動車メーカーで、次点で好調続く米GM。日系としては中級自動車ブランドだったらあまり買収メリットがなく、また円安という状況もあるので特に動くことはないでしょう。もっとも、アウディが売りに出されるとしたら中国自動車メーカーならどれだけ金を積んでも買おうとすることでしょう。

 最後にこの事件ですが、日系企業にとってはこれ以上ないほどの追い風でしょう。特に中国市場はVWのシェアが高いだけにこれを機に追い上げを図ろうとキャンペーンを打ち出してくるかもしれません。最も、調子に乗らない方がいいとは思いますが。

2015年10月17日土曜日

中心無きイスラム世界

 前日本に旅立った中国人留学生より今日メールがあり、「来日1日目にして財布落とした(ーー;)」と報告がありました。以前にもたびたび、っていうか毎回決めていた時刻に遅刻してきただけに、「注意力がなさすぎるんだよお前は!」と返信しておきました。さて、問題はこの後どうやってフォローするべきか……。

 話は本題に入りますが現在の国際社会で何が最も大きな問題かと問われるならば、それは間違いなくシリアを中心とした中東世界の混乱にあるでしょう。先日大きく報じられたEU諸国への難民流入問題といいその影響は周辺各国にも及び、仮にこのまま長期に渡って解決が図られなければ小さくない打撃を国際社会は受けることとなるのは必定と言えそうです。

 では何故中東世界で混乱が続くのか。直近で起こっている事態については最近誰も口にしなくなった「アラブの春」に端緒を発しており、この事件以降中東各国で革命が続いたことによって政権崩壊、難民の大量発生、並びに受入国の減少を招いております。しかも、目標とされていた民主化の実現すらあいまいなままで。
 またアラブの春より遡れば米軍のアフガニスタン、イラクへの攻撃も混乱の要因となっており、これによって旧支配勢力が駆逐されたものの新しく政権に就いた組織は傍目にも薄弱で、実際にオバマ政権になって駐留する米軍兵力が縮小されるやその支配の隙を突いてイスラム国が勢力を持つに至り、混乱に拍車をかけております。

 ただこれらの中東問題は追えば追うほど根が深いというか、本気で議論しようものならパレスチナ問題から第一次中東戦争、下手すればそれ以前の列強各国の植民地時代まで遡らなければなりません。さすがにそこまで議論する気はないのですが、それらの歴史と現状を突き詰めると究極的には「イスラム教」が重要なキーワードとなり、また現状の問題を考える上でも避けては通れない概念と言えます。イスラム過激派組織も、また政権側もイスラムの教えを旗頭にして自らの正当性を主張しているわけですが、そのイスラム教義の解釈についてはもはや各組織によってばらばらで、最も極端なイスラム国に至っては人身売買すら教義に適っていると主張して、またそんな無茶苦茶なことを言っているにもかかわらず未だに海外から参加者が集まってきているので世の中わからないもんです。

 書いててなんだか辛くなってきたのでここで結論を述べると、これら中東、いやイスラム世界で混乱が続く要因として、イスラム教の中心となるべき組織や団体が存在しないことが大きいのではと密かに睨んでいます。言うなれば、キリスト教にとってのバチカンに当たるものがイスラム教にないことが過激派や少数派を生んで収拾のつかない事態を招いているのではと言いたいわけです。

 言うまでもなくバチカン、並びにそこに鎮座するローマ法王はキリスト教世界を構成する中心の一つで、その動向に関しては非キリスト教国ですら気にします。キリスト教も内部には様々な教派や、ガチでバチカンことカトリックに刃向って出来上がった英国国教会なども下りますが、そんな連中であってもバチカンが打ち出す方針は気にせざるを得ず、それによってキリスト教圏は一定の思想統一が図られているとこれまでの歴史を鑑みてつくづく感じます。

 一方、イスラム教においてはそのような教義の中心となる組織はあったのか。この問いの回答はというと「かつてあった」で、具体的にそれに当たるのはムハンマドの一族が継承していた指導者の地位に当たる「カリフ」と、イスラム王国の最高権力者に当たる「スルタン」です。どちらも時代によってその地位に就く人間、ならびにその地位が存在する国家が変わっていったりしましたが、スルタンに関してはオスマントルコの皇帝がこの地位についていたものの、1922年のムスタファ・ケマルによる民主化、並びに政教分離の徹底によって現在のトルコ国となって以降は全世界のイスラム勢力に影響を与えるスルタンは出ていません。

 もっともオスマントルコの崩壊以降にイスラム世界を指導する存在が途端になくなったわけではないというのが私の意見です。あくまで私個人の考え方ですが、オスマントルコの崩壊以降はエジプトが実質的にイスラム世界の指導国となり、イスラエルとの中東戦争で他国をまとめるなどイスラム世界の軸となっていた見ております。逆を言えば、「反イスラエル」というものがイスラムをまとめる一つの軸だったというわけですが。
 ただそのエジプトも第四次中東戦争後のサダト大統領時にイスラエルと電撃的な和解に至り、イスラム世界での指導力が低下することとなり、それ以降は文字通り「中心無きイスラム世界」が始まり、現在に至るまでただのテロリストですらイスラム勢力を名乗るほどイスラム教価値観の乱立状態となっております。

 これがすべてを解決に導く特効薬になるとはもちろん考えていませんが、私個人としては現在のイスラム世界に安定をもたらすためにも、イスラム教の教義や価値観を決める上で中心となるような、キリスト教にとってのバチカンのような組織や集団を作るべきではないかと思います。このような考えを先日大阪で会ってきた大学の後輩(社学の同門)に話したところ、その友人が話したイスラム関連の教授も同じようなことを口にしていたと教えてくれました。はっきり言ってイスラム教に関しては問題漢もいい所でこんなところで偉そうな口を利ける立場でないことは重々承知しているものの、社会学士(というか国際政治マニア)の立場としての意見としてここでこのイスラム世界の中心設立案を強く主張したいと思い、今回このような記事を書きました。

 ただイスラム世界の中心と言ったってそんなの出来るのであればとっくに出来ているはずで、作ろうったってどうやってというのが現代の課題です。しかし中東の安定をもたらすためにも非常に大きな存在になると思われるだけに、日本をはじめとした国際社会は資金を始めとした支援を全力で行ってでもこのような中心組織なり象徴を作るべきではないかと思います。
 では現代でそのような存在になり得る候補はどこか。まず米国とも関係が強く聖地メッカのあるサウジアラビアがありますが、ここは王族支配が強く恐らく無理だろうと先程の友人との間で一致しました。ではかつて指導国となっていたエジプトはどうか、ここもアラブの春の影響で絶賛混乱中のためとてもとても期待できそうにありません。

 ならばどこか。素人としての意見を述べるならば一番期待したいのはほかでもなくイランです。ここは中東世界において実は最も民主的な政治体制であり、また懸念材料であった米国との関係も近年劇的に改善してきており、日本をはじめとした民主主義国家にとってすればイスラムの中心となってくれれば一番都合がいい国ではないかと思えます。どちらにしろ、中東の混乱を国際社会はいつまでも管かすべきじゃないだけに、周辺地域内できちっとまとめられ先進国とも話し合える強国を作るのが一番だと思うのですがね。

2015年10月15日木曜日

リツアンとの会合

 先週一週間の予定を書いた記事でも載せておりますが、ちょうどなのか前の10/8に静岡県掛川市にある人材派遣会社のリツアンSTC(以下「リツアン」)を訪問し、この会社の野中社長とも会ってきました。一体何故私がこの会社を訪問したのかというと別に派遣先を探して欲しかったとかではなく(いいとこあるならマジで教えてほしいが)、派遣業界の現状などについて野中社長と直接話し合うためでした。

 そもそも自分とこのリツアンがどこで接点を持ったのかというと、目下このブログで一番アクセスを稼いでくれている、今年一月に調査、発表した派遣会社のマージン率一覧の記事を読んだ野中社長が直接私宛にメールを送ってきてくれたことがきっかけでした。あの記事は調査にも記事にも自信があったものの果たして反響はどんなものか、案外当事者である派遣労働者の反応は薄いのではと思っていたところ何故か派遣会社の社長から連絡が来て文字通り面喰いました。
 そのメールの書き出しも、「本来ならば敵となる派遣会社の者ですが」というような文面から始まっていたものの、マージン率の記事内容を誉めていただけたとともに野中社長の派遣業界に対する理念などが書かれ、私に対して非常に好意的な内容でした。元々あのマージン率の記事は派遣労働者向けに書いたものではありましたが、本質的に得するのは真面目に情報公開を行っていた派遣企業だろうと考えてもおり、そういう意味では以前から業界の改善や情報公開に熱心だったリツアンからこうした反応が得られたのは大きな収穫のように感じました。

 その後も折に触れて野中社長とは何度かメールのやり取りを続けていたところ先週に日本へ帰国する用事が出来て、なおかつ友人の結婚式出席のために東京から大阪へ足を運ぶ用事もあったので、ぶらり途中下車とばかりに掛川に寄って野中社長にアポを取ったところ快く引き受けてくださり、その日の対面と相成りました。
 野中社長とはそれ以前からもメールでやり取りしていたため、お互いに初対面とはいえ相手がどういう人間か熟知していたため自己紹介なんてほとんどせず、最初に立ち寄った鰻屋でのっけからディープな話題を話し合っていました。やり取りしたメールの文面、そして公開されているブログの文面からもエネルギッシュな人物だとは考えてはいましたがまさにその想像の通りで、道行く人ほぼすべてが知り合いなのか全員に声かけたり、前日夜中三時まで飲み歩いて携帯忘れたというのにこの日も昼間からずっと飲み続けたり、それでいてやけに業界のディープな話を素面の様に話し続ける様は、「経営者ってやっぱこうエネルギッシュじゃないと駄目なんだなぁ」と見ていて感心させられる様でした。もっとも、リツアンの社員の方も半端なくアルコール強かったですが。

 そのような野中社長に対する私の印象ですが、正直に言えば青臭い考えの人だなと思いました。もっともそれを言ったら「お前はアカ臭いやないけ」と言われかねないほど私もやや理想主義的な考えの持ち主ですが、こと派遣業界については完全に同じ方向を向いているという確信が持てます。
 野中社長も私も現在の日本の労働市場について雇用の流動性が低いことが大きな欠陥だと認識していることで一致し、流動性を高める手段として派遣制度がもっとしっかりと運用されるべきだという考えを持っております。あんなマージン率の調査を行った私ですが、以前からも書いているように派遣制度はきちんと運用されていれば硬直化している日本の労働市場を改善に導く可能性があるとも考えており、どちらかと言えば派遣制度の拡充を望んでいたりします。

 ただ現行の派遣制度は制度や法律に穴が多く、マージン率をネット上で公開しているのは5社中1社という有様からもルールがきちんと徹底されているとは言えない状態で、またそうした欠陥を突くようにして荒稼ぎする業者もいることからてっぺんから底辺まで人材派遣を営む企業ははっきり言って異常なくらいに多く、大手と呼ばれる会社ですら二桁に上るほど存在します。
 私個人の考えで述べれば、もっと派遣業界内での淘汰が進めば派遣労働者の手取り賃金は向上が見込めるし、またそれによって正規雇用の非正規雇用の優位性も薄まって雇用の流動化が促せると思います。同時に情報公開を徹底することによって派遣元、派遣先、派遣労働者の三者がより効率的に動けるようになるだけに、竹中平蔵流に言えば大手と呼ばれる派遣会社は3~4社くらいが手ごろな気がします。

 少し脇道にそれますが日本は未だに終身雇用を掲げる会社が多いものの、既に終身雇用を維持する上で前提となる年功序列制と市場拡大は破綻しており、システム的には完全に破綻しています。破綻したシステムを無理やり維持しようものならそこにはやはり無理が生じ、結果的に社会全体で損をし続けているというのが今の日本の労働環境でしょう。

 仮に雇用の流動化が達成されるのであれば派遣雇用なんて必要ないのですが、現状から考えるに固い岩盤を砕く上ではこの派遣制度は一つの有意な手段になり得ると思え、特にリツアンの様に情報公開を行いルールの上で業務を行っている会社は応援すべき対象です。誉めることよりも貶すことの圧倒的に多い私ですが先にも書いている通り自分とリツアンの派遣業界に対する価値観は完全に共通しているだけに、実質的に野中社長は盟友だとも考えています。

 取材記事みたいなインタビュー文っぽく書くと対面した際に野中社長は、「社会に必要がなければこの会社はなくなってもいいし、お金にも興味はない」と述べた上で、

「それでも派遣という制度をきちんと運用すれば会社も労働者もベストなマッチングを見つけることができ、それで社会も豊かになっていけるはずだ。どうしても会社というのは相性というものがあり、ある会社でまともに働けない人でもほかの会社では大活躍することもできる。そうしたマッチングを派遣会社が担い、マッチングのいい会社に出会えた時点で直接雇用に切り替えられればこれ以上いいことはない」

 などと理想主義全開な内容を何度も口にしてましたが、こうした発言が決して口先だけでないということは野中社長のブログを読んでいてもわかるし、私もここで読者の方に保証致します。更にこうした野中社長の姿勢はしっかりとリツアン社員の方にも受け継がれており、何人かとも話しましたが皆揃って明るく、リツアンでの業務に強いやりがいと誇りを持っているように見受けられました。ただ常にエネルギッシュな社長に、「たまに疲れる時もある」という愚痴も聞かれましたが。

  おまけ
 この訪問した日に折角だからということで、掛川駅から徒歩ですぐ辿り着く掛川城にも行ってきました。この掛川城は天守閣は近年に復元されたものであるもののなかなか雰囲気もよく、以降となっている二の丸御殿も程よく保存されていて素直に悪くない城だと感じました。
 ただ一見して思ったこととしては、「信長の野望で遊んでいる際、進軍上でいつも鬱陶しい城だったよなぁ」というゲーム脳満開な印象でした。

2015年10月14日水曜日

ある若者の旅立ち

 今日昼過ぎ成田出発の便に乗ってまた中国に戻りましたが、今日は勤務地である昆山に帰る前に上海で、以前に短期間ですが日本語を教えていた中国人の若者と会ってきました。何故上海で会ってきたのかというと、ちょうど彼も明日の便で念願の日本留学へ出かける予定で出発前夜の今日に上海へ来ていたからです。

 彼の来歴は以前の記事でも書いていますが、月曜から日曜まで週休1日すらない現場をフルタイムで働きながら勉強し続け、YMCAの派遣で日本への留学機会を得ていました。私とはたまたまバスで日本語を話していたら声をかけてきたことから出会い、自分も中国の若者がどんな生活をしているのか気になっていたので就業後の時間を使って週一のペースで一時期日本語の授業を行っていました。
 彼が昆山での労働契約を終えてからはたまに電話で連絡を取り、一度上海近郊に来た際には時間を取って上海を案内してやりましたが、聞く話はどれも日本では考えられないというか、先ほどの週休のない勤務といい、昆山を離れてからは山東省で日本語教室に通いながら時給300円程度のバイトをしていた話といい、これだけの環境にいながら中国の若者は必死に勉強するものかとつくづく頭が下がりました。

 先月に連絡を取った際は留学ビザがなかなか下りないと愚痴を言っていたものの、先日ついに取得することができと報告があり、明日からはいよいよ日本留学へ旅立つ予定です。今日は上海には長くとどまれず30分程度しか話が出来ませんでしたが、所持金は20万円とのことで、「初めの一ヶ月はこのお金で生活し、それ以降はバイトをして生活を得なければならない」と、あまり悲壮感を感じさせない顔で言っておりました。行先は福岡の日本語学校とのことですが、「何かあればすぐ連絡するように。俺の出来る範囲で支援する」と言って、別れました。

 やや持ち上げ過ぎな気もするもののこういう風に頑張っている人間こそ世の中で評価されるべきだし、その苦労が報われて欲しいものです。本人も日本語を覚えて、日本の大学を出て、日本の会社に勤めたいという希望を持っており、その希望が叶うことを私自身も陰ながら祈っております。

2015年10月13日火曜日

この一週間の予定

 また長くブログの更新をサボりましたが、決してダラダラ過ごしていたわけではなくそれなりに予定をこなしていました。そこで今日は今日までの帰国一週間の予定と何していたかについて簡単にご紹介しようと思います。

  10月5日
 飛行機で昼過ぎに羽田空港に到着し、そのままマッドシティにある潜伏地へゴー。潜伏先で携帯電話の充電を終えてあらかじめ友人に受け取っておいてもらったASUSの「memo pad」を開きあれこれアンドロイドの設定などを行う。
 そうこうしているうちに夕方となり、あらかじめ約束していた新宿で友人二人と合流してご飯を食べに行く(この時の詳細はこの記事で)。なお夕食後にバーへ行ってそこでも話し通しましたがその際に、「日本は時間がコマ切れだから急がされる。一つ地下鉄なり山手線はきた列車から乗れとばかりに運行ダイヤを廃したらどうだ?」と提案した所、「そんなことしたら西村京太郎先生の仕事がなくなる」という、友人からのツッコミがこの夜のベストツッコミでした。

  10月6日
 朝一で六本木にある中国領事館に赴きビザの更新を申請する。申請自体は滞りなく通ったが中国領事館は前週から中国の祝日休暇となっていたため来館した人数が多く、自分が到着した時刻でも行列が長くできていたが、自分の後にはもっと長い行列が出来ていて間一髪であった。その後本社へ行ってストレスを溜めた後、潜伏地に戻り買い物や部屋の掃除、漫画喫茶などを行った。

  10月7日
 朝一で六本木にある中国領事館に赴き更新したビザがついたパスポートを受け取る。その後、急いで地下鉄にまた乗り込んで横浜へ赴き、すいかさんと約束していた映画「日本のいちばん長い日」を鑑賞。本木雅弘氏が演じる昭和天皇の発音が玉音放送で聞く天皇の発音に即しており大いに唸らされた。
 鑑賞後、すいかさんとランチ。関内近くにある「コーヒーの大学院」というお店をすいかさんから提案されたがすいかさんが地図を読めなかったので自分が調べて辿り着く。お店ではハンバーグ定職を頼み、すいかさんからは猫の写真集2冊、自分からはすいかさんの子供たちへ「これ読んでいい大人になれよ」と言って「水木しげる伝(上・中・下)」を互いに贈る。

  10月8日
 朝一で新幹線(こだま)に乗り静岡県掛川市へ。掛川駅に到着したところでかねてから約束していたようにリツアンSTCの野中社長へと電話をかけたが何故かつながらず、しばらくした所で同社の社員から電話があり、「社長が昨夜、飲み屋に携帯電話を忘れたのでこれから迎えに行きます」との連絡。その後は無事に合流できて、野中社長ともうなぎ屋で無事初対面を果たせた。
 野中社長とは人材派遣業界についてみっちり話し合い、この内容はまた後ほど記事にまとめる予定です。ただこの日はその後が本番で、伝手を通してアポを取っておいた、元日本赤軍であさま山荘に立てこもったメンバーとも直前まで一緒に行動を共にしていた植垣康博氏が静岡で経営しているバーで本人と短い時間ですが会ってきました。
 なお植垣氏は「レッド」という、連合赤軍を描いた山本直樹氏の漫画にて「岩木康広」という名前で出てくるキャラクターのモデルです。この漫画の実質的な主人公として描かれておりますが、話を聞いたところやはりというか山本氏から直接取材を受けており、「きちんと事実に即して描いてくれている」とその内容にも満足げでした。

  10月9日
 前夜、植垣氏と会った後は名古屋の親父の家に11時半ごろに到着して泊まり、この日はその名古屋から朝一で京都へと向かう。京都駅前であらかじめ約束していたブログの読者と会う。以前からメールをある程度やり取りしていたこともありすぐに打ち解け、お互いカレーが好きだということから京都駅内のカレー屋でご飯食べた後、「リプトン」でお茶をしながら話し続ける。その後、東本願寺を見てから今度は七條烏丸にある「珈琲館」でお茶しながら話し続け、夕方に分かれて今度は大阪梅田へ向かう。
 梅田で今度は大学時代の後輩と数年ぶりに再会。お互いに梅田地下街で積もる話をしつつあれこれ話したが、この日飲んだ大阪の地ビールがやけに回って後半は結構しんどかった。その後、後輩と別れて今度はその晩の宿泊先に当たる後輩の家へ向かう。
 こっちの後輩とはしょっちゅう会っていることもあり積もる話はなかったが、タブレットPCを「memo pad」に買い替えたため不要となった「Nexus7」をあげたところ大いに喜んでくれて、「これで出張先でもD○○の動画が見放題だ!」などと言っていたあたり、あげて本当によかったなぁと思いました(^_^)

  10月10日
 後輩の家を朝一で出発し、後輩と共に喫茶店でモーニングを食べる。この際、自動車に興味を持ち始めていた後輩に昨今の自動車市場について少し解説する。
 モーニングを食べて後輩と別れた後、梅田の新阪急ホテルで友人の結婚式に出席する。友人夫婦とは以前にも上海を案内したこともあって友人の奥さんとも面識があり、「前上海で来られた時の中華式大学芋の食べっぷりは忘れていません」といったら、「はよ忘れて」と言い返されました。また一次会終了後にも、「今日は一段とおきれいでしたよ」と言ったら、「今日は?」と聞き返され、「こりゃ失礼、毎日おきれいでした」と謝ったら満足そうでした。
 この結婚式で大学卒業以来会っていなかった旧友二人とも再会。 この友人二人して、「安定を求めたら花園君じゃないよ」と言われ、大学時代からそんな風に見られてたんだなぁと再認識しました。
 一次会を 終えた段階で新幹線に乗り、夕方にまた名古屋の親父の家へ戻る。その後は親父の家の近くにある和食屋でメシ食って、親父にパズドラの攻略法を教えて就寝。

  10月11日
 親父と共にレンタカーのレヴォーグに乗り伊勢志摩へ旅行に出かける。行程距離はそれほどなく、道中で伊勢うどんを食べて、夫婦岩を見てホテルに着。伊勢神宮は以前にも言ったことがあるので今回は省いたが、伊勢神宮以外の観光地が三重県にはなくかなり時間が余ってしまった。ただこれまでの疲れが出たのかホテルに着いた段階で体力が尽きてすぐに昼寝に入り、起きた時にはクライマックスシリーズの試合が終盤に入ってたのでセパ共に観戦した。
 直泊まったホテルは「ホテル近鉄 アクアヴィラ伊勢志摩」だったが、施設は新しく、また料理が非常においしくとてもいいホテルだった。

  10月12日
 ホテルをチェックアウトして、親父と一緒に近くにある奈良の室生寺に向かう。途中、ナビがいい加減な案内するので無視して進む、正午ごろに到着。ちょうど地元のお祭りがやってて人も多く来ていたが、通常通りに参拝して真面目にこのところついてない気がするから邪気を払うよう祈ってから出て、後は名古屋へ一直線。
 名古屋の親父の家について荷物を整理し、クライマックスシリーズを観戦して晩飯を食べた後はそのまま駅に向かって東京へと戻る。

  10月13日
 午前に漫画喫茶で読み切れなかった漫画(「食戟のソーマ」など)を読み、午後からは部屋の掃除。潜伏地の管理は友人に任せていたが、なんかいろいろ気になって結局半日も掃除に費やして今このブログを書いている。この後約束している大学時代の友人と上野で会って、明日はまた中国へと発つ予定です。さて、準備して電車のらんと。