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2016年9月25日日曜日

今日の休日の過ごし方

 昨夜夜中一時まで「ユグドラ・ユニオン」というゲームして遊んでいたため8時半になってからのそのそと起き出し、朝食食べた後から海外拠点データの整理をしていました。昼前になって外出しようかと考えた際に鏡を見たところ、左頬にできた出来物の痕が鬱血しており、皮膚の下がやや黒ずんでいるのに気が付きました。見た目にもかっこ悪いし早めに血を抜いとかないとほくろになりそうで嫌だったのでソーイングセットの針を取ろうと思って道具袋を漁った所、何故か先に目についてしまったのが画鋲だったため、そのまま鏡見ながら左頬に画鋲刺して血を抜きました。刺した感じとすれば後ろから押しやすいので案外刺しやすく血もいい感じに抜けましたが、その後で自転車こぎながら左頬に画鋲指す自分の姿を思い出してはじわじわと来ました。

 昼食には自転車で少し距離のある所へ移動して、回転ずしチェーンの「はま寿司」へ行ってきました。あまり知られていませんがここは一皿10元(約150円)とリーズナブルなことから上海ではどこも非常に人気で、この日も11時40分の時点ですでに長蛇の列が出来ていました。ただこの日は私一人で訪れたため一人席ならすぐに座れるのではないかという打算を持っていた所、やはりというか受け取った整理番号は216番でしたが185番の後にすぐに呼ばれてほとんど待たずに席へつけました。
 なお以前に上海人の友人と二回来ていますが、二回とも1時間弱は待たないと入れないくらいの大繁盛ぶりです。中国で日本の海鮮の普及がどうたらこうたらよく調査レポート出ていますが、突き詰めれば値段が安ければかなり殺到するんじゃないかと思うくらいの盛況ぶりです。

 今日は余り食欲がなかったため10皿(うちイカ2皿)と、抹茶白玉を食べて計11皿110元の出費で済みました。この「はま寿司」の何がいいかというとカウンター席が豊富にあるので一人でも訪れやすいということと、抹茶白玉を始めバナナパフェなどといったデザートがどれも10元で尚且つ豊富であることです。前来た時は13皿くらい食べた後で悩んだ挙句にバナナパフェ食べましたが、上海人からは、「よくそんな食えるね」と言われました。
 この日は食べ終わった後で、「イカをあともう2皿食べておけばよかった」と、少し後悔を持ちながら再び自転車に乗って帰宅し、家ではまたデータ整理にいそしみました。


 その作業中、何故かネットで見つけたのが上の画像です。なんでも「無限の住人」の作者の沙村弘明氏の短編のワンシーンだそうですが、読んで見て「ほんとにそうだ!」と妙に納得しました。

 夕方になって所用で本屋に行ってその帰りにATMで金下ろして朝食用の食パン(毎日一枚生で食べる)買って、キムチ買って、昨日炊いたご飯の余りをお粥にしましたが作ってる最中に跳ねた米粒が腕に当たり火傷を負う羽目となりました。香港だったらそこらへんにたくさんお粥屋があるのに何で中国本土はこんなにないんだなどと文句言いつつ、食欲がないのでお粥とキムチで晩飯を過ごし、多分後から腹減ってくるだろうななどと想像しながら今ブログ記事書いてます。

2016年9月24日土曜日

自分にしか書けない記事

 昨夜友人の上海人から提案がありあまり日本人が寄りつかない一帯で四川料理を食べていましたが、「頭の痛くなる話というのはあるが、ケツが痛くなる話というのはないかな」などと言いながらどっちもノーマルながら妙なゲイトークを繰り返していました。あと何故か二人ともビール頼まないで紹興酒を飲んでましたが、その際に以下のような会話も行われました。

「なんかビールより紹興酒のがいいよね( ゚∀゚)」
「紹興酒の方がおいしいと思う辺り、俺らもおっさんになったのかな( ・ω・)」

 話は本題に入りますが、Drマシリトこと週刊少年ジャンプの名編集者だったとして名高い鳥嶋和彦氏がこのところ各方面のインタビューに答える事が増え、それまで明らかになっていなかった舞台裏などについても言及されるので非常に面白く拝見しています。
 なお名古屋に左遷されたうちの親父は昔コンペで全員が賛成する中でこの鳥嶋氏だけが反対したことによって落とされたことがあり、普段は温厚な癖にこの時の件と団塊世代を批判する時はスーパーサイヤ人みたく本気で怒り出す辺り、相当根に持つ体験だったのではないかと思います。

 話は戻しますが鳥嶋氏のインタビューの中で、彼の代名詞ともなっている「ボツ」という発言についても触れられていました。意にそぐわぬ作品に対しては容赦なくボツこと書き直しをさせることで鳥嶋氏は有名で、彼をモデルにした漫画のキャラクターも大体がこのような傲岸不遜でえらそうなキャラクターとして描かれるほどです。
 このボツについて鳥嶋氏が語った理由を私の理解で述べると、漫画家は売れる作品を作るために売れると思う内容を描いて持ってくるがそういった作品は総じて売れる作品ではなく、ボツにして原稿を突っ返す度に次に何を描けばいいか漫画家は悩み、最終的に自分にしか書けない作品を持ってこさせるためだ、と説明していました。

 この中に出てくる「自分にしか書けない作品」とは文字通り、自身の特殊な体験や願望、知識を駆使した作品の事で、こうした要素は他の漫画家との差別化にもつながる上、読者にとっても興味の対象となり本質的に売れる作品となるそうです。方法はともかくとして言わんとすることは非常に理解できるもので、作品というのは突き詰めればどれだけ独自性というかオリジナリティを持つかに成否がかかってくるところがあり、何度も突っ返してもう他に出すものがなくなって最後になってそうした独自性が出てくるというのも理に適っています。

 ここで話題はまた切り替わりますが、上記の話を踏まえた上でこのブログで私にしか書けない記事とは何ぞやとふと考えました。どうでもいい親父の話もしてしまい前置きがかなり長くなったので、いくつかの記事ジャンルについて自分の感想を以下に記します。

・中国ネタの記事
 言うまでもなく、この分野であれば自分にしか書けない記事はかなりたくさんあります。しかしこのブログ自体が中国からは普通にアクセスできないため、中国ネタを書いたところであまりアクセスが上昇しないという現状があり、書く方の身としても実はあまりモチベーションが上がり辛かったりします。日本向けに意識すればまだ考慮の余地がありますが、上記のような理由から実はこのところこのジャンルの記事はリアルに減ってたりします。

・政治ネタの記事
 大きく出ると、下手な政治評論よりずっと上手くわかりやすく政治解説を行う自信はあるし、過去の事例と比較した記事となれば一流の記事を仕立てることも難しくありません。逆に自分の目から見て近年の日本の政治記事は視野といい論点といい非常にお粗末な記事が多く、何か新しい事実が報じられるたびに既存のニュースの掘り下げを怠り、レベルの低い記事を量産しているように思えます。特に国際政治報道となればもはや壊滅的で、毎日のように明らかに事実と異なる記事を平気で報じる新聞社もあるのでこの分野は自分にしか書けない物がたくさんあると自負します。

・サブカル系の記事
 そこそこ面白い物を描ける自信もある一方で、この分野はネット上に執筆者が多数いるため自分にしか書けないとなるとそういうものはほぼないでしょう。でも考えてみると、漫画やアニメの内容を討論するフォーラムはネット上にたくさんあるけど、政治だとそういうのってあんのかな。

・歴史ネタの記事
 恐らく自分が持つ最強カードの一つ。歴史学を専攻していたわけではないですが知識量においては完全に一般人を凌駕している上に、自分にしかない強みとして世界史と日本史を同時に学んで取り扱っていることがあります。日本史、西洋史、中国史それぞれに強い人はいくらでもいますがこの三つを同時に取り扱う人間となるとガクッと減り、たとえば満州事変を日本側、中国側の双方の視点から同時に迫れるとなるとそうそういないでしょう。惜しむらくは最近勉強する暇がないのと、周囲に相談できる人間が確実に減ってきているという背景があります。

・経済ネタの記事
 半々。専業で記者を今していないので得られる情報は少ない一方、メディアでは取り扱えない疑惑レベルの内容をブログでならばまだ触れられることもあるため一長一短です。ただ政治系の記者と比べて経済系の記者はまだまともだし勉強しているなと日本の記事見てて思います。

・IT系の記事
 決して専門家でもなく知識もほとんどないのですが、IT系の人って基本的に文章が壊滅的に下手なことが多く、IT系メディアの記事もそういった知識持った人向けに書いているため普通の人からしたら読み辛い物が多いです。その辺を考慮したら、自分がある程度把握している分野については意外とわかりやすく書ける自信があります。一言で言ってしまえば、細かい要素は省略していいのにIT系の人は何故か全部書こうとするからダメなんだと思う。

・労働系の記事
 何気にトップランナーだと内心思ってる。派遣マージン率の記事を書いていることが大きいですがそれ以上にこの方面の内容を新聞記事に書く人は基本的に正社員で、非正規労働者の立場でない上に彼らの立場で書こうとしない人が多いです。手っ取り早く派遣労働者に記事書かせた方がずっとおもしろくなるのに。
 なら私はどうかといえば派遣以下の現地採用を経験していることもあってこの方面に関しては適度な距離で物を書けている気がします。そもそも月給四、五万円であくせく働く中国人とかも普通に見てるし、日本の派遣労働者を特別可哀相に見ないことが何より大きいのかもしれません。

・自分の体験記事
 自分で読んでて本気で面白く感じる時もあり、密かに結構自信があります。人生一つとっても自分ほど波乱万丈な人間はそれほど多くないし、なにより突然妙な行動起こして逆境に入った後からの立て直し方が激しいので十分絵になる気がします。

2016年9月22日木曜日

五年遅かったもんじゅの廃炉議論

 今から五年前の三月、東日本大震災直後に上海の居酒屋にいた私は上司を目の前にして、「これでもうプルサーマル計画も終わりでしょう」と言いました。その言葉を聞いた上司は、「まさか上海でプルサーマルという単語を聞くとはな」と苦笑していましたが、後から聞いたらこの時の私の発言を評価してくれていたようです。

もんじゅ廃炉方針 「30年協力してきたのに」地元・敦賀は困惑(産経新聞)

 私の言ったプルサーマル方式とはまた異なりますが、高速増殖炉もんじゅについてようやく廃炉を視野に入れた議論が始まりました。結論から言えばこの議論は五年前には始めておいて既に完了させておかなければならなかった議論だと考えており、議論が始まったことは歓迎すれどももっと早くにしておけばという後悔もどうしても出てくると言ったところです。

 そもそもまず高速増殖炉とは何ぞやですが私なりに簡単に説明すると、普通の原子力発電所(軽水炉)で消費した燃料の残りカスをこねこね混ぜ混ぜした後でもう一回燃やして発電する発電所といったところです。より深く説明すると、原発ではウランを燃料に使っており一回燃やした後はプルトニウムを微量に含む燃えないウランになります。このウランからプルトニウムを抽出して別の種類のウランと混ぜ合わせることでプルトニウム濃度を高めたMOX燃料という新たな燃料を作り、この燃料を専門的に燃やすための発電所が上記の高速増殖炉もんじゅというわけです。
 ついでに書くと高速増殖炉発電とプルサーマル発電の違いは、MOX燃料のプルトニウム含有量の差で前者が約20%、後者が4~9%だそうです。ほかにも違いはありますが正直あまり理解できてないのでこの辺でご勘弁ください。

 この高速増殖炉方式だとどんな利点があるのかというと、いわゆる核燃料サイクルというものが理論上発生します。これはどんなものかというと、上記の通りに高速増殖炉は普通の原発の燃えカスを燃料に使うので、言うなれば核廃棄物を燃やしてさらに発電できるということとなります。また高速増殖炉でMOX燃料を燃やすことで今度は普通の原発で燃料として使えるウランが副産物として生まれ、このように普通の原発と高速増殖炉を往復することで燃料を余すことなくエネルギーに変えられるため、さすがに無尽蔵というわけにはいきませんが資源の消費を極限なまでに抑えることが可能となる上に核廃棄物も一緒に減らせるわけです、実現できればの話ですが。

 一見すると夢のような循環なだけに日本を始めフランスやロシアなども高速増殖炉を作って実証を試みましたが、今の所成功したと言えるような実績はなく、過去には米国もプルサーマル方式にチャレンジしましたが20年実験し続けた結果、不可能と判断して諦めています。なおさっき調べたらロシアでは2014年に実証炉が稼働して実用化に目途がついたと書かれてありましたが、少なくとも日本はついてく立場に入るべきでフロントライナーに挑戦すべきではないと思います。
 そう考える理由というのも、この高速増殖炉もんじゅが全く話にならない代物だったからです。1991年の建設から現在に至る25年間でまともに発電したことはほぼなく(通算100日程度)、常にトラブルを起こして停止されたまま毎日5000万円の維持費だけが空費され続けました。っていうかこんなのに毎日5000万円出すなら少しでいいから分けてほしい。

 またもんじゅを管理する組織も一言でいえば腐っているとしか言いようがなく、金属ナトリウムが漏れ火災を起こした際は事故を隠蔽し、その後も必要な点検をサボっていたり監視カメラが壊れているのを放置したりするなど、危険な核燃料を扱う組織としてはとても信用できるレベルではありませんでした。しかもトラブルの度に担当者がよく自殺しており、それにもかかわらず態度というかモラルが改善されないというのも見ていて不思議に思います。

東海村臨界事故について(陽月秘話)

 ここでまた懐かしい自分の記事を引用しますが、もんじゅ向けではなく同じ高速増殖炉の「常陽」向けの燃料を作っていた東海村にあるJCOでは1999年、燃料製造中に臨界事故を起こし作業員二名がなくなるという痛ましい事故を起こしています。一人や二人の犠牲なんてほとんど気にしない私ではありますが、この事故に関しては全く別でどれだけ原子力というものが恐ろしいものなのか、そしてそれを管理する能力が日本にはなかったということを証明する上で忘れてはならない犠牲だったと今この時点においても思います。
 東日本大震災とそれに伴う福島原発事故時の東電の対応を見て、根本的に日本は原子力を扱うべき国家ではなかったと当時私は思いました。だからこそ福島原発以上に危険度が高く、なおかつ無駄な金食い虫のもんじゅとプルサーマル計画は直ちに廃止すべきだと五年前に考えたわけですが、政府がこの決断に至るまでには五年かかったわけです。もっとも五年かかったとはいえ、この結論にたどり着けただけ幸いだったと言えるでしょう。

 最後に余談ですが、東海村の事故を書いたのはなんと七年前で、改めて読むと当時はこんなに短い記事で一本出してたんだなと何やら不思議な気持ちにさせられます。というより、現在が毎日書きすぎなんじゃないかって話になるわけですが……。

2016年9月21日水曜日

今年のプロ野球

 今年はセリーグで広島カープが25年ぶりに優勝を決めこれだけでも話題性に事欠きませんが、パリーグの方でも10ゲーム差以上突き放されていた日ハムがソフトバンクに追いつき、同率首位で今日からの三連戦を迎えるなどなんか神がかった展開が多いです。三連戦の第一戦目の今日は日ハムの至宝である大谷選手が先発で1失点に抑えて勝利しましたが、日ハム側も2点しか取れずわずか1点差で決着がついており、ソフトバンク先発の千賀投手も負けたとはいえこの大一番で見事な働きを見せており、まさに天王山と呼ぶにふさわしい試合内容でした。

 上記の試合内容を含めて、今シーズンのプロ野球は最初から最後まで非常に面白い展開が多くここ数年では最も面白いシーズンだったのではないかとまだ終了すらしていないのに早くもこう思わせられます。セリーグも首位争いは終了しましたがまだ二位争いは続いており、しかも争っているのが巨人とベイスターズという、前者はともかく後者は史上初めてプレーオフ進出を先日決めており、横浜ファンというわけではないものの非常に長い暗黒時代(カープはもっと長いが)を経ての今年の活躍には涙腺すら緩みそうです。
 しかもベイスターズは番長こと三浦大輔選手がとうとう引退を発表しました。この前の引退会見では球団やファンに25年間支えてもらったと話していましたが、あんたの方が25年間ベイスターズを支えていたんだろと読んでて叫びだしたくなる会見内容で、また色々とこみ上げるものがあります。

 一方、後輩が贔屓にしている阪神は金本新監督のもとで心機一転かと思いきや最下位争いを演じるなど芳しいものではなく、カープがホーム優勝をかけた日に巨人に負けて優勝ストッパーを果たすなど最後までオイオイとツッコみたくなるシーズンでした。もっともそれを言ったらヤクルト、中日なんかシーズン通して一瞬たりともよかった日々はなく、呪われてるんじゃないかってくらい怪我人が続出したヤクルトなんかまだしも中日に至っては途中で谷繁監督が解任されるなど内紛も激しく、いくら中日嫌いの私ですら見ていて選手らが不憫に感じる程でした。まぁ別にいいけど。
 あと今日、オリックスでかつて新人王もとった小松選手が引退を発表しました。この人も新人王を取った年は無類の活躍を見せこれからこの人を中心にオリックスは廻っていくだろうとすら思ったのに翌年から人が変わってしまったのではないかと思う成績が落ちていき、期待が大きかっただけに寂しさもひとしおに感じる引退発表でした。

 最後、蛇足かもしれませんが今年のカープ優勝を見て、マエケンこと前田選手が居合わせないということも非常に残念ですがそれともう一つ、元広島で現在楽天にいる栗原選手の事も考えると胸が詰まる思いがします。本当にカープの暗黒期を4番として支えていた人だけに、ここに栗原もいたらと思えてならず、なんかの優勝パーティとかに呼んであげたらと妙なことを願ってる次第です。
 それにしても、カープに返ってきた新井選手がここまで活躍するとは思いませんでした。阪神ファンからすればなんだこの野郎と言いたいところですが、広島あっての新井選手だったんだなと今季の活躍を見るにつけ思います。

2016年9月19日月曜日

築地盛土問題の石原元都知事関与について

「日本は孤立化」=南シナ海でけん制―中国(時事通信)

 本題とは関係ありませんが上のニュース見て中学とか高校とかで友達いない奴に限って、「あいつ孤立してるよなぁ」などとやたらと周りの人間関係を口にする奴を思い出しました。そう思うと中国もまだまだかわいいもんに思えてきます。

建物下に盛り土なし工事、石原元知事が契約承認(TBS)

 それで本題ですが、本当は今日はブログ書かずに色々作業しようと思っていたのですがそうもいかなくなったのが上のニュースです。リンク先を見てもらえばわかりますがこのところ世間の注目を集めている築地新市場の建物地下に当初予定していた盛土がなされていなかった問題について、工事開始当時に在任していた石原元都知事が契約を承認していたと報じられています。インタビューに対し都合の悪い事には何も言わないことに定評のある石原元都知事なだけに投げやりな態度を見せていますが、この記事を見て私は「ああ、やっぱり」という言葉がよぎりました。

 後出しジャンケンのような書き方となってしまいますが、明確な根拠もなく予想だけ書くのはまずいと見送ったものの本当は三日前の時点で記事書きたくて友人に愚痴ったほど、この問題の張本人は石原元知事と当初から睨んでいました。そう考えた理由は後付けでいくらでも説明できますが私の中では実にシンプルな理由からで、先週テレビで石原元都知事が答えたコメントを見てピンときました。
 具体的にそれはどんなコメントだったのかというとこの盛土問題について、「僕は騙されたんですね」と答えた一言です。自分の与り知らぬところで工事方法が変えられていた場合、私の知る石原元都知事の性格ならばまずは「よくも騙しやがってこの小役人が!」と激怒した上で、担当者とその周辺を口汚く何度も罵った上で関係ない人間とか国を引き合いに出して八つ当たりをするようにしか考えられませんでした。それが上記のコメントの様にややもすると他人事のような感想を述べた当たり、「ああ、これきっとこいつも噛んでたんだな」と直感的にわかりました。最近分かってきたけどこの手のタイプってカマかけるとすぐにボロ出す癖あるな。

 恐らく今後の出方も、「自分は誤った説明を受けて騙されただけ」、「契約を承認しただけ」などという言葉を繰り返すだけで、その自分を騙した相手に対する糾弾は一切しようとすることはないと予想します。次に気になるのは舎弟の猪瀬元都知事がどう動くかで、今後の展開はそれ次第かなという気がします。

 最後にまた関係ないですが、漫画の「デスレス」の最終巻を買ったついでに同じ作者の「アカンプリス」というギャグ漫画を買ってみたのですが、多分面白いと思うのですが「ヒナまつり」の最新刊を読んだ後だと誇張でなく全く笑えませんでした。なんかこんだけ持ち上げているとステルスマーケティングしているような感じもするな。

2016年9月18日日曜日

現代銃火器すべてを生んだ男

 ホラーゲームの名作として名高い「バイオハザード2」に「ブローニング・ハイパワー」という拳銃が出てきます。中学二年生の頃にこのゲームを遊んだ私はこの名前を見てハイパワーというのだから強そうだと感じたもののゲーム中ではほぼ最弱の拳銃ということもあってラクーン市警察署を抜けた当たりからはもう使わなくなるのですが、何故だか知らないけどこの銃の名前だけはその後もずっと覚えていて、ひょんなことからその設計者の名前を知ることとなりました。

ジョン・ブローニング(Wikipedia)

 ジョン・ブローニングは銃砲店を営む父の元、米国ユタ州オクデンで生まれます。モルモン教徒だった父親には妻が二人いたためたくさんの異母兄弟に囲まれた中で長男として生まれたブローニングは早くから父親の仕事を手伝い、その逝去後にはほかの兄弟たちと共に店を切り盛りするようになりました。
 店の運営などを弟たちに任せ銃器の開発、整備を担当することとなったブローニングは自らライフル銃を改造して自作し、これを店で販売したところその性能の高さからオクデン中で大ヒットし、評判を聞きつけた米国有数の銃器メーカーであるウィンチェスター社からオファーが来ることとなりました。ブローニングの作ったレバーアクションライフル銃の性能を認めたウィンチェスター社は早速ブローニング兄弟に特許権の買い取りを申込み、ブローニングらもこれを承諾したことからその後の生産販売はウィンチェスター社に移りましたが、その後この銃は「ウィンチェスターM1885」として売り出され商業的にも大成功を収めることとなります。

 この一件から協力関係となったウィンチェスター社にブローニングは続いて開発したライフル銃も特許も売却し、買い取ったウィンチェスター社の方も製品化して売り出したところ大儲けしたことから、「今度はショットガンだ!」とばかりに新規ショットガンの開発をブローニングへ依頼します。この際にブローニングは二年以内に開発してみせると述べ実際には八ヶ月後にして早くも開発してのけたのですが、これが世界初のレバーアクション式ショットガンの「ウィンチェスターM1887」となります。
 その後、ブローニングはショットガンの構造改良にさらに取組み、より速く、より正確に弾込できるように思いついた方法がポンプアクション方式といって、銃身をスライドさせて次弾を装填するという構造のショットガンを思いつき、こうして出来たのが「ウィンチェスターM1897」です。イメージ的にはアーノルド・シュワルツネッガーが映画の中で銃の前方部を引いたりしてから撃つのがこの手のポンプアクション方式ショットガンで、つまり現代にも続くショットガンの基本的構造がこの時に誕生したというかブローニングが生み出したと言いたいわけです。

 上のショットガンの開発エピソードだけでも十分歴史に残る大発明ですが、ブローニングは上記の開発後に再びウィンチェスター社から今度はライフル銃を一から作ってみないかと開発を持ちかけられ、二ヶ月以内に作れたら一万五千ドルのオプション料金を支払うとまで言われました。それに対してブローニングは、「一ヶ月で作るからその時には二万ドルくれ。一日でも遅れたら一銭もいらない」と条件を提示し、でもって本当に作ってしまったのがウィンチェスターM92で、発売以降ずっとバカ売れし続ける空前の大ヒット商品となります。

 その後、「もっと便利で強力な銃なんてできないかな」と個人的に開発を続けていたブローニングが注目したのは発射時のガス圧でした。火薬を破裂させる際に出るガスを使って次弾を即装填できないものかと思い付き、そして実現させてしまう当たりはもはや天才というより他ないでしょう。こうして、発射時のガス圧で次弾が自動で装填されるというガス・オペレーション方式を編み出したブローニングが開発したのが現代でいう機関銃でした。
 それまでの機関銃というかガトリングガンは弾丸を自動で発射することはできても装填までは自動ではやっておらず、ハンドルを手回しして次弾を常に繰り入れていかなければならなかったのですが、ブローニングの作った機関銃はその装填までも自動で全部やってくれるという、洗濯機で言えば二層式が全自動になるくらいの画期的な発明で、それ以前の手回し式ガトリングガンを完全に過去のものとして一掃させるほど強力な兵器となりました。

 このガス・オペレーション方式をブローニングは機関銃から拳銃にもその後応用し、リボルバー式自動拳銃を作ってこの特許権をコルト社に売却し、この特許を元にコルト社は世界初のオートマチック式拳銃を発売するに至ります。一方、この間にかつて蜜月関係であったウィンチェスター社とは契約金関連で揉めることが多くなり両者は完全に決別するまでに至ります。代わりにブローニングの商売相手となったのベルギーのFN社で、FN社向けに改造を行った自動式拳銃「FNブローニングM1900」はヨーロッパ中で大ブレイクしてベルギー国王からもブローニングは勲章をもらうほどでした。
 ちなみに「FNブローニングM1900」は合理的な構造からくる故障の少なさと正確な射撃能力、携帯性から当時非常に評判で、更に改造が加えられた「FNブローニングM1910」も数多く販売され、サラエボ事件のオーストリア皇太子殺害にも用いられています。

 FN社との提携関係が強まったブローニングはわざわざ家族とともにベルギーへ移住して晩年もベルギーで過ごしました。この間にも半自動ショットガンを作ったりするなど最後まで旺盛に銃器開発に取り組んでいたそうですが、彼が生前に設計し集大成とも言える自動拳銃が最初に書いた「FNブローニング・ハイパワー」で、この銃は拳銃でありながら高い装弾数と異常に頑強な構造からこれまた世界的に大ヒットし、この拳銃に使われる弾丸のサイズが世界の拳銃用弾丸の標準サイズ(9x19mmパラベラム弾)となるほど世界中で遍く使われました。
 何がすごいかってこの銃、設計自体は1920年代にもかかわらず「バイオハザード2」を始めとして現代でもそのままで使われていることです。またこの銃の構造は完全に拳銃のスタンダードとして君臨しており、この構造以外の銃を現代で捜す方がむしろ難しいでしょう。

 以上がブローニングの一生ですが、ポンプアクション式ショットガンから機関銃、自動拳銃まで、現代における主要銃器の基本構造をほぼすべてこの人一人で発明しているというのは、改めて考えるだに恐ろしいまでの天才だったというよりほかありません。このブローニングの影響からかまではわかりませんが彼の故国である米国では自動小銃の導入が非常に早く、ブローニング自身が設計したM1918やM1カービン(何気に設計者はジョン・ブローニングの弟)といった自動小銃(アサルトライフル)を他の国に先駆けて部隊に配備し、弾込の動作がいちいち必要だった日本のライフルを各戦場で圧倒していました。
 妹尾河童氏も著作の「少年H」で進駐軍が持っていたM1カービンを見て、「弾込動作も必要なく自動で連続発射できるこんな銃持った相手に勝てるわけない」と衝撃を受けた体験を書いています。本人は射撃部所属だったからなおさらだったろうな。

 ベタな話ですが何故ブローニングを取り上げたのかというと、一人の天才がどれほど世界に大きな影響を与えるかを示す好例だと思えたからです。またその天才を引き上げたという米国の腹の深さといい、こうした点が二次大戦でもやはり大きく影響したと思え、如何に天才を物にするかということが大事なのかとブローニングの一生を見ていてつくづく思います。
 なお自分が一番好きな拳銃は「グロック17」と言って、強化プラスチックを大量に使った初めての拳銃です。作ったグロック社はプラスチックメーカーでそれまで銃器を一切作ったことなかったのにベストセラーとなる銃を出す辺りベンチャー魂を感じるのと、直角の強いフォルムがシンプルかつ無骨で何とも言えません。ただバイオハザードだとあんまり出て来ず、コードベロニカに出てきたくらいかな。

2016年9月16日金曜日

満映と中国映画の系譜

【画像】 観光客の自撮りにうんざりする奈良公園の鹿の写真が話題に(痛いニュース)

 関係ないですが奈良の鹿話なので一応。基本的に鹿はカメラを向けると目線を真顔で合わせてくるんでカメラ写りがいい動物だと信じています。

 話は本題に移りますが、今月の文芸春秋で気になった記事の中に満映こと満州映画協会関係者の記事が載せられていました。どういう記事かというと戦前に満映で編集係として活動していた女性を取り上げ、その方が死ぬ前にもう一度と満州こと現在の中国東北部にある吉林省長春市を訪れる話です。
 満映自体が戦前の会社であることから想像がつくでしょうがこの取り上げられた女性の年齢は現在95歳で、一人で歩行できるものの大事を取って車椅子で移動することにして長春を訪れていました。旧満映本社は現在、市の映画博物館となっており、この女性の訪問に際して入り口では元座員の館長とともに、かつて満映でこの女性から映画編集技術を教わっていた御年94歳の中国人男性もやってきており、二人は一目見るなり「懐かしい!」といって手と手を取り合ったそうです。少なく見積もっても60年ぶりの再会ですが、リアルにキャプテン・アメリカみたいな再会を果たしていました。

 話を戦前に戻すと満映で編集係として活動していたこの女性は終戦後はすぐには引き揚げず、しばらく満映に残り中国人スタッフへの指導を行っていたのですが、中国で共産党と国民党の戦争が過熱するに伴い映画関係者らは長春より北の地域に移動させられ、そこで指導を続けていたそうです。その後一旦は長春に戻ったもののすぐに日本への退去命令が出されたためこの女性が日本に戻ったのは1950年代に入ってからなのですが、この時期に指導していた中国人映画関係者が後の中国映画草創期の人材となっていくわけです。
 具体的にはこの時に育てられた人材が中国の映画養成所の指導者となり、この養成所からは世界的にも有名なチャン・イーモウや、私が文化大革命の連載で一次資料とした「私の紅衛兵世代」を書いたチェン・カイコー(陳凱歌)といった監督陣を輩出しており、こうした点を考慮すると満映の系譜は現代の中国映画に連なっていると言っても過言ではありません。

 私の学生時代に中国語の講師だった先生がまさにこの方面の専門家で一回だけ授業で詳しく教えてもらったこともありましたが、現在の中国映画業界には上記の様に満映をルーツとする流派と、香港映画をルーツとする流派が存在しており、両者が混ざり合った状態が今の中国映画業界だと言えるそうです。ただ先ほどの陳凱歌を始めとして映画業界は思想宣伝に関わる分野であったことから一定の年齢以上の層はほぼ例外なく文革の影響を受けており、最初に取り上げた女性と再会した中国人男性も、当時の思想弾圧によって最初の妻は自殺し、本人も辛酸を舐める生活を一時余儀なくされたということを話しています。

 逆を言えば、中国映画には必ずと言っていいほど文革の影が纏っているとも言えます。何気に昨日に友人とも話したし一昨日には上司とも話をしたのですが、今の映画関係者は文革と天安門事件を経験しておりその時の体験が嫌が応にも作品に現れてしまうし、そうして浮き出てくる要素こそ中国映画の魅力というか長所にもなっていると言えるでしょう。日本においても戦争体験と全共闘の二つが映画業界の中で重きをなしているというか重要な要素で、こうした広く共有されている強烈な体験こそいい映画を生む条件なのかもしれません。
 翻ってアメリカ映画を見るならば、あんま詳しくはないですがやはりベトナム戦争がかつては一番大きく、現代においては9.11でしょう。むしろ9.11なしに現代のアメリカ映画は語れず、この要素をどれだけうまく、静かに表現できるかによって作品の優劣が決まるというところもあり、「アバター」、「ハートロッカー」や「アメリカンスナイパー」等はまさにその典型と言えるかと思います。