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2019年12月31日火曜日

日本の正月が楽しみでなくなった理由

 大晦日ですが今日普通に出勤してきました。と言ってもめちゃモチベーション低かったので一緒に出勤してきた後輩と、「次のお笑い界の大御所候補はダウンタウン、と思いきや意外に有吉かもしれない」などという芸能界ネタをずっと討論してました。まぁ書類整理くらいはやったけど。

 それにしても年末なのに、というより年末だからこそ余計な取材が来ないだろうとあっちこっちで結婚、離婚発表が相次いでなんだかなという感じがするのですが、ハンカチ王子のニュースに関しては、「ああ、球団もそういうつもりなんだね」とはっきり感じました。まぁもともとスーパードライな球団ですけど。
 そんなニュースを鎧袖一触に吹っ飛ばしたのが「Gone has gone」ことカルロス・ゴーン氏の007ばりの国外脱出劇です。もう普通に映画作ってもいいんじゃないかというくらいの鮮やかさで、この点に関しては面白いニュースでした。

 そんな逃げ切ったゴーン氏の主張ですが、あながち否定できない点もあるように見えます。日本の刑事裁判は有罪率が99%超というフッ化水素並みに高い水準にあるのと、逮捕拘留期間に実質制限がなく、東電OL殺人事件などを筆頭に外国人への拘留に関してはやや異常な制度で公平性がないという点で私も同感です。ゴーン氏の容疑については置いとくとしても、こうした刑事裁判における司法制度の問題点に関しては何十年も前から取り沙汰されながら、未だに改善が見られず、自分の生きてる間は多分無理だろうという気になってきました。

 あと他にとりとめて書く話題はありませんが、折角なのでしょっちゅうこっちで聞かれる、「正月は日本に帰らないの?」という質問について書いときます。回答としては「帰らない」で、その理由は単純につまらないと感じるからです。日本で過ごすとしても無駄にお金かかるし、こっちは前述の通り普通に出勤日だしで、正月を日本で過ごしたいとはもはや思わなくなりました。
 それでも中国に転職してきて最初数年間は、正月は日本にいたいと思っていました。しかし2014年の年始に実際日本で過ごしてみたところ、なんていうか思ってた以上に面白くなく、テレビ番組も昔の正月番組と比べても面白いとは思えず、あとなんとなく正月に限りませんが日本全体の空気が沈鬱している感じがして、わざわざ帰ってくるまでもないなとその時感じました。寒いのが好きだから、ブリザードのような天気の日だったら日本で過ごしたいとは思いますが。

 それにしても海外生活もすっかり慣れて、なんか南方熊楠みたく海外でいるのが当たり前の生活になってきました。もっともあの時代とは全然環境が違うため比較するのもおこがましいですが、逆を言えば通信環境の発達によって、海外にいながらでも日本の情報や本なども簡単に手に入れられるだけに、そこまで海外生活も特別じゃなくなり、また日本で生活しなくてもその辺の苦労はなくなったともいえるかもしれません。
 まぁ強いて不便を挙げるとしたら、中国にはヨドバシみたいな家電量販店がなく、マウスやキーボードなどのPCサプライ品をいろいろ比較しながら買い物できる店がないって点です。もっともマウスに関しては、あまりヨドバシやビッグカメラでは置いているところ見ないロジクールのロジクールのM170マウスをこの前上海で購入して、今めっちゃ気に入って使っています。っていうかなんでこのマウスを日本の量販店は置かないんだろうと思うくらいの使いやすさで、やはりマウスはシンプルイズベストに限ると再認識させられました。

2019年12月30日月曜日

今年のベスト記事

 いきなりなんだけど働きたくないです、明日。けど出勤しないといけないので、適当に昼ご飯食べたら有休もほぼ全く消化し切ってないので抜けようかなとか考えてます。「AI:ソムニウムファイル」もまだ全然進めてないし。

 話は本題ですが、毎年年末に書いている今年のベスト記事についてです。と言っても最近はこのブログで取材記事を載せることはほぼなくなり、取材記事はJBpressで出すようになっています。なのでJBpressの記事で選ぶとした場合、取材の内容という点では先月だした「中国人アニメーター、日本でスキル高めて続々と帰国」が、自分の中では上原氏の生涯与四球率並にぶっちぎりのベスト記事です。
 この記事は正直、取材相手が非常に良かったからこそかけた記事で私自身の実力がどうこうという話ではないのですが、それでも記事の出したタイミング、内容的には価値ある報道を行ったという自負があり、自信をもって自慢できる記事が作れました。唯一自分の関与を挙げるとしたら、この記事の取材はメールで聞いた内容をまとめ上げており、仮に同じメモで書いたとしても3000字以内でここまでうまくまとめられる人はいるかっていう点で、やや強気に出られます。

 次にブログ記事についてですが、やはり今年は忙しく結構場を持たすだけの記事が多かった中、強いてあげるとしたら「自我を削ぎ落とす教育」が視点も独自で且つうまくまとまってて、今年の中で一番いい記事ではないかと思っています。
 ただ最近、この手の日本人論が基本日本人批判にしかなっておらず、一部人からするとあまり面白くなく読まれているのかもという自覚があります。ただ、正直に言えばこういったところで書く内容は昨日今日考えた内容ではなく、ずっと前から考えていたものの記事化しなかったものばかりです。何故しなかったのか、今更何故記事化するのかというと、もう自分が言わなくてはならない立場と時期に来ていると考えているからです。発言したところで何かが変わることもないとわかってはいるものの、読んだ人間が何かに使える可能性はあると信じてこういうことも書いています。

 このほか今年作ったプラモではGDB型インプレッサが一番最高傑作ですが、この前作ったF-4ファントムⅡも密かに凄い気にいっています。戦闘機プラモはもうほとんどの機種を作っててあと残ってんのと言ってもF-14、F-15、F-22くらいしかありませんが、このうちF-14はどのメーカーのプラモでも誰もが、その変形機構盛りだくさんな構造故に難しいと書いてあるので、まだ作ってみたいというやる気は湧いてきません。
 なおどうでもいいですが、「F-14トムキャット」の中国語は「F-14雄猫」です。なんとなく「雌猫」のが強そうだと思うのと、じゃあトップガンでこれに乗ってた「トム・クルーズ」は「雄・クルーズ」なのとなんか一人でツボにはまってました。

2019年12月29日日曜日

投稿本数ワースト脱出

 今更ながら白状すると今から約十年前、朝起きたら名古屋に左遷されたうちの親父にコーヒー淹れてと頼まれ、台所でドリップパック式のコーヒーに電気ケトルで沸かしたお湯を注いでいたら、手元が狂ってお湯が少しだけドリップパックを経由せず、そのままマグカップに入ってしまいました。まぁ少しだから問題ないだろうと親父に飲ませたら、「なんか味薄いな」と普段言わないことを言い出して、意外とわかるもんだなと感じたことがありました。
 なお自分の分は、きっちりすべてドリップパックに注いで飲みました。

 話は本題に入ると、12月初めの段階では今年2019年の記事投稿本数は過去最高の2017年の242本を下回りそうだという予想をしましたが、この記事は今年243本目となり、2017年の水準を超えることが確実となりました。自分にとっても割と以外というか、そんなに意識なかったけど12月の巻き返しが割とすごかったと思っています。
 何故12月に巻き返せたのかというと、先月11月と比べるとブログ書いてて楽しかったからです。逆を言えば11月はブログ書いてても全く面白くないというか、書くネタや話題もなく、結構無理くりして書いてた覚えがあります。そうした思いが見透かされたのか後輩からは、「最近誤字がやたら多い」とクレームが入り、それからはちょっと意識を変えたというかもう少し真面目に書こうと仕切り直しました。その仕切り直しが功を奏したのか、12月に入ってからは自分で書いてても楽しくなり、また記事化するようなネタもどんどん浮かんできたので、前ほどブログ書くのも苦ではなくなりました。

 ではそもそも何故今年の記事本数が少なかったのかというと、単純に仕事が忙しかったからです。このブログでも散々愚痴っていますが、去年まで6人でやっていた作業を今年は自分が責任者で且つ実質2人だけでやる羽目となり、夏場はほぼ毎日土日も休日出勤を続けていました。っていうか休日出勤しながらもブログは書いてたけど。
 そのクソ忙しい夏場が終わったらホッとするかと思ったら、何故か同僚が休暇取る日に限って仕事が大量にやってきて、11月中頃なんて今の仕事初めてから確実に一番きつい1週間となるなど、真面目におかしくなるくらい忙しかったです。そのせいか夏場は左手を開くだけで痛くなり、11月に至っては力を入れてなかったら手は半開きとなるのに、何故かダランと全開きとなりだすなどXファイルな案件が連続して出てきました。

 もっとも家系なのか仕事自体は嫌いじゃないし、厳しい状況に追い込まれるほど自分も真価を発揮するというかやる気だすようになるので、環境そのものに対して辛いとは思うことはありませんでした。ただ自分が休暇を取ると今の戦線を維持できなくなる可能性がはっきり出てきたことから、上には人員を増員するよう要求しています。

 あと個人的に自分の忙しさに拍車をかけているのがJBpressの記事執筆です。前と比べると取材に力を入れた記事を多く書くようになり、この辺でも今年は苦労が増しました。もう少し手を抜けて且つ読まれる記事を用意できればいいのですが、そんなのできるってんなら初めからしてるくらい簡単じゃありません。
 ただ自分にとって幸いなのは、四半期ごとに中国自動車業界統計分析記事を出せるってことです。これがあるだけで四半期に一回は楽できるようになっており、こういう四季報的記事をもっと増やせないか考え中です。

 来年に関しては増員がある程度決まっているので、今年よりかは確実に仕事面では楽になると予想しています。っていうか今年一番打撃だったのは、増員した新人がすぐ辞めちゃってそのまま繁忙期に突入したという点でしたが。
 日本は既に年越しムードでしょうが、自分も中国の春節に慣れたせいか西洋歴の年末年始だとあんま感慨湧きません。とはいえ他の日本人がほぼ全員休んでいる中、明日と明後日も出勤するのはなんかやる気湧かないため、何か仕事を兼ねた遊びでもしていようと検討してます。

2019年12月28日土曜日

中国におけるレクサス販売の独禁法違反について

中国、トヨタに罰金13.7億円 レクサス販売で独禁法違反(時事通信)

 上の記事について意見を求められたので書きます。
 概要を簡単に書くと、自動車ブランド「レクサス」についてそのメーカーであるトヨタが中国江蘇省内の販売代理店(ディーラー)に対して、最低販売価格を揃えるよう指示、実質的に最低販売価格をメーカー側が設定したことが独禁法違反に当たるとしてこの度、江蘇省市場監督管理局が約13.7憶円の罰金をトヨタに課したそうです
 実際の捜査内容などを見ているわけではないので断言などはできませんが、仮に上記内容が事実であれば監督管理局の措置は至極真っ当と言え、何もおかしいことはありません。ヤフコメでは中国政府の横暴だと批判する連中が多いですが、メーカーによる中間流通業者への価格統制は明白な独禁法違反行為であり、日本にはこれほど世間知らずが多いのかと思うと真面目に未来はないなと思えてきます。まぁそもそも思ってないが。

 このほか、現在トヨタ自身が上記措置に対し反論を行っていないことを考えてみても、事実関係には間違いはないのではないかと見ています。

 以上だけで記事をまとめてもいいのですが、もう少し内容について掘り下げると中国では近年、自動車業界におけるメーカーとディーラーの立場関係について、市場の独立性及び消費者利益の保護を守るためとして、ディーラー側の立場を保護するようになってきています。その代表例と言えるのが2017年に公布された「自動車販売管理弁法」です。

【17-009】間もなく施行される中国「自動車販売管理弁法」について(Science Portal China)

 この政策では自動車ディーラーに対するメーカー側の支配行為について様々な制限を設けており、個人的に面白かったのは「特約契約の禁止」です。これはどういうことか例えると、トヨタと契約しているディーラーがトヨタ以外の車も販売する行為について、トヨタは制限をかけてはならないとする内容です。
 具体的な想定例では、あるホンダ系ディーラーの顧客がトヨタ系の車を欲しいとここに相談した場合、このホンダ系ディーラーがトヨタ系ディーラーと交渉し、契約をまとめて顧客に販売することが可能となります。また単純にそれまでトヨタ系ディーラーだったけど、ホンダ、日産とも契約を締結してこれらのメーカーの車も同時に扱うこともOKで、こうしようとするディーラーの行動についてメーカーが制限をかけたら違反となります。

 これが特に響くのは輸入車で、輸入車ディーラーは取り扱いたいと思ったメーカーの車を自由に輸入できることとなります。またメーカーに対しては、こうしたディーラーの要望に対して販売契約締結の審査を平等に行うよう要求されており、多分一番影響がでかかったのはこっち方面だったと思います。
 それ以外にもアフターパーツの供給などでも不当な差別はしてはならないなどいろいろ規定されてて、非常に細かいと言えば細かいのですが、メーカーのディーラーに対する垂直支配の激しい自動車業界にこそ必要な内容だろうなと呼んでて思いました。

 ちなみになんでこんな詳しいのかっていうと、実はこの弁法は以前に仕事で翻訳したことがあります。今回のトヨタへの制裁はこの弁法が根拠法となっているかまではわかりませんが、中国が自動車メーカーのディーラー支配に対して自由競争保護の立場からいろいろ規制を強めている風潮があるだけに、事件の報を見てすぐにこの弁法を思い出しました。
 その上でこの記事を通して言いたいことがあるのですが、そのまま言ったら角が立つことになるので言えません。言わなくてもわかるだろうけど、この方面でもなんか最近○○だなぁと、翻訳した当時に思ったのを覚えています。

不登校者に対する第三者という意見

 本体半額の上にポイントもつくという二重の割引セールがやっていたので、懐かしいこともあって「機動戦士ガンダム戦記(PS3版)」の漫画四冊をまとめ買いしました。ゲーム版はクソみたいな映画「デビルマン」のようなストーリーで、決してシャレじゃなく全ガンダム関連作品の中でも最低と断言しうるカスみたいなストーリーですが、漫画版は「撃つなラリー!」である意味伝説となった夏元雅人氏が非常に上手く料理しており、原作にあった数々の矛盾点をうまく整合させて見応えがありました。
 なお夏元雅人氏は最近、「ガンバード2」という彼がキャラデザした彩京のシューティングばかりしていることもあって、その絵柄には親近感を覚えます。ただそれ以外にも、ガンダム系の漫画って割と元アニメーターなどの作家が描くこともあり、コマ割が悪くちゃんとMSが動いているように見えない、静止画の連続の様な漫画を描いてくることが多い中、夏元雅人氏はちゃんと動いているように描く上、ミリタリー色のある画風もあって評価できます。

 逆にこの方面でひどいと感じたのは美樹本晴彦氏で、「エコール・デュ・シュエル」読んだ時はこの人、漫画なめてんじゃないのかと本気で思いました。

不登校にも効果!子育てに不可欠「第三者」の力(JBpress)

 話は本題ですが、自分が書いたわけじゃないものの上の篠原信氏の記事は非常に納得感がありました。概要を簡単に説明すると、今と昔の日本における青少年の大きな環境の違いは「無関係な第三者」がいるかいないかだと指摘し、この第三者をきちんと取り巻くことが不登校者の復帰などにも大きいと指摘しています。

 この無関係な第三者とは具体的には、近所のおじさんとかよく通う商店の人々などです。面白いのは友人の両親とか学校の先生などが含まれていない点で、必ずしも必要ではない生活活動の中で会う大人たちを指しています。実際に篠原氏もこうした「第三者」となって不登校などで悩む青少年を自宅にいれ、何もしないでいることがあるそうで、こうした行為の意味と効果について強く語っています。

 実際というか昔と今とで無関係のおっさんが地元の小学生らに注意することは少なくなってるでしょう。またよく通うお店の大人たちとどれだけ会話があるかと言ったら、恐らく私がこどまった時代でもそれ以前の時代と比べれば非常に少なくなっていた気がし、今の時代はそれ以上にさらに少なくなってきている気がします。
 ちなみに私は何故かこの方面の関係づくりは割と得意で、この前も年に4回行くか行かないかの仲良しの床屋にわざわざ中国土産のお茶を持っていきました

 篠原氏はこうした第三者の接触が何故重要なのかという理由について、大人になったら否が応でもそうした第三者たちと数多く交わらざるを得ないためと書いており、これに関して私も同感します。私自身が思うこととしては、第三者の中でも頼るべき人、頼らざるべき人の見極めが子供の頃はまだ不十分で、こうした感覚が養われるにつれてどういった第三者と付き合っていくか立ち回り方を覚えて行った気がします。逆を言えば、こうした感覚が養われていない若者などは第三者すべてに対し交流を避けるところが見えます。

 で、また繰り返しになりますが、篠原氏の言う通りに無関係だからこそ乗れる相談て言うのは実際多いでしょう。医者やカウンセラーなどの専門家はその専門的立場からアドバイスをしてくれますが、結局それは問題を直視する方向にしかならず、問題を避ける、さばく方向には発展しづらいです。無関係且つ全く別の視野を見せてくれるような第三者であれば、家族以上にある意味そういう方向のアドバイスが可能だと言え、篠原氏の言う通りに第三者がより介在する社会の方が私は健全だという気がします。

 もっとも、今後を含めてそんな風にならないと信じ切っているからこんな風に書くわけです。日本の社会性はプライバシーやセクハラパワハラの概念がもはや一線を越えており、実質的には第三者との交流は避ける方がリスクが少ない時代となっています。先日も同僚と、拳骨一つ加えただけでクビが飛ぶ時代にあっては、我々旧人類はそっとその姿を潜ます以外にないなどと、ファンタジーの少数種族みたいな会話をしていました。
 なお余談ですが、私の中学の教師は教科書を忘れた生徒に毎回拳骨一発を食らわせており、この行為に対して私は自らに責があるとわかっており特に不満などは感じませんでした。ただ一回殴られた後、「お前、頭固いな(;´・ω・)」と、妙な誉められ方されたのは素直には喜べませんでした。

2019年12月27日金曜日

小野小町は誰なのか?

 今更ながら「ファイアパンチ」の全巻を買って読みましたが、現在連載中の「チェンソーマン」を読んでても思ってたものの、一読して作者の藤本タツキ氏はやばいな、ほっとくと手が付けられなくなるくらい成長すると率直に思いました。

 さて話は本題ですが、最近歴史記事を書いてないから日本史十大ミステリー~偽りの黒真珠~みたいな企画でも立てようとあれこれ日本史のミステリー案件を考えてましたが、浮かんだものの中で、本能寺の明智光秀動機などと違ってそこそこ著名ではあるものの意外とみんなが意識してないなと思うものとして、「小野小町は一体誰なのか?」説が私の中でピンときました。

 百人一首の「花の色は~」で始まる日本三十六歌仙の一人で、且つ現代でも美人の代名詞とされる小野小町ですが、知ってる人には早いものの、その実在性というか人物の正体については実はほとんどわかっていません。小野姓であることから彼女が生きたとされる同時代の「わたのはら~」でおなじみな参議篁こと小野篁(おののたかむら)の孫、若しくは娘、はたまた姪などと推察されていますが、はっきり言ってどれも根拠がなく、小野姓だからと言って篁の肉親と決めつけるのはさすがにこじつけもいいところでしょう。
 それほどまでに知名度が高いながらその一生はミステリーに包まれていることから、能の「卒塔婆小町」のように醜く年老いて悲劇的な最期を遂げるような創作もなされたりしちゃっています。それだけに実在性にすらも疑念の余地がありますが、少なくとも「小野小町とされる女性」が存在したことは確実だといえます。

 その根拠はというと、小町作とする和歌が大量に残されているからです。またこれらの和歌には在原業平など確実に存在していたとされる人物と贈答した和歌も含まれており、こうした和歌が残されていることからすると、小町と呼ばれる歌人は確実に存在していたと言ってもいいでしょう。
 となる次の問題は小町は誰かではなく、逆説的ですが小町の歌を詠んだのは誰なのかということになってきます。時代的には9世紀中盤で、女性で、相当な実力を持った女流歌人ということになりますが、このうち女性という性別に関しては紀貫之の例もあるだけに、もしかしたら男流(おとこりゅう)歌人が女性の振りして詠んだという可能性を捨てるにはまだ早いでしょう。まぁそうだとしたら、在原業平はおっさん同士で和歌を贈答し合ったことになるが。いや別にこの時代なら珍しくはないけど。

 自分は和歌に関しては全く教養がないものの、小町の例の百人一首の和歌は実は百人一首の中で一番好きで、実際にこの和歌は人気ソングだと聞きます。それほどまで評価の高い和歌を詠んだ人物についてこれほどまで全く実態が掴めないというのは不思議なのですが、当時の女性の地位的にはこんなものなのかもしれません。
 ただどちらにしろ、ある意味日本史中で最も謎に包まれた女性と言っても過言ではないでしょう。今後の研究でその正体に迫れるかと言ったら正直あまり希望はないですが、もう少しこの方面の議論は高まってもいい気がします。

2019年12月26日木曜日

弱気となる世論

 どうでもいいですが以前「アクシズの脅威」というゲームでうかつに敵支配地域に攻め込んだら、思ったより部隊揃えてこられて思わぬ反撃に遭い、「ここは俺に任せて早く逃げろ」的にGP-03デンドロビウムに乗ったレビル将軍が拠点に陣取り、迫りくる敵軍相手にひたすらMAP兵器撃ちまくった記憶が何故か離れません。まぁすぐ落とされて病院送りされたけど。

 話は本題ですが、以前私はこのブログで日本人の中国に対する見方が「嘲り」から「恐怖」に変わりつつあると書きましたが、今はもはや「諦観」に近くなっているような気がします。もっとも中国にいる人間だったら、十年くらい前の時点でこの境地に至っていたかもしれませんが。
 また中国に対する見方だけでなくても、経済や政治、文化に対する見方もすっかり意気消沈している感があります。例えば音楽曲の年間トップ20などについて、私同様に「どの曲も知らない」と書く人が多く、単純に売れる歌がないというのか、誰も記憶に残る歌が出てこないというのか、かえって判断の難しい状況のように見えます。

 景気のいい話と言ったらZOZOの元社長の成金行動くらいな気がしますが、あれは私から見るとなんか必死感があり過ぎて逆に笑えません。なんとなくですが、ああいう行動しないともう生活できないというような追い詰められたようにも見え、下手な気持ちからではなく無理しないでいいよと誰か声かけた方がいいのではと思ってます。

 ではそもそも何故、日本全体でこんなにも世論が消沈しているのか。一発目に浮かぶものとしては「貧しくなったから」がトップに来るでしょうが、昭和の日本は今よりずっと貧しくても社会の空気はもっと明るかっただろうし、中国も2000年代はそんな昭和の日本でした。
 次に来るのは「成長しなくなったから」でこれには確かに納得できる部分もありますが、一方で「成長しているところ」には日本人はあまり目を向けず、そちらへ進出してやろうという意気込みが感じられず、何か別に根本的な理由があるのではないかと思えてきます。

 結論から言うと、地味に弱っているのは日本人の意思ではなく、その意思を報じる連中が弱っているからではないかと、密かに考えています。はっきり言えばマスコミが自分自身の勢いの衰えをはっきり自認してきたから、伝える世論やニュースも後ろ向きなのばかりやるようになってきたのではないかと実は少し考えています。
 先日友人から「これは面白い」と言われて「2050年のメディア」という本を紹介され、「高いからまた今度ね」とスルーして、ようやく年末セールに入ったので先週購入しましたが、この本であのナベツネですら「もうあかん」的なこと言いだした辺り、確かにやばいんだなという実感が私にも湧いてきました。

朝日新聞、「本業」の不動産が利益の8割まで上昇 リストラと非正規社員の活用で高収益 2019年3月期(ダイアログニュース)

 上のような記事にも出ている通り、現代の日本のメディア業は基本不動産なしでは成立しないところまできています。それにしても稼いでこないメディア事業部社員の給与が高いことが、この記事で一番笑える箇所です。

 こういう点を考えると、メディアが実質国営・公営で、どんだけ状況悪くても強気なニュースしか流さない中国はそりゃ世論も明るくなるよなという気がします。無論それはそれで別の問題を孕んでくるわけですが、なんとなく日本人のやる気を奪っているのは、実はほかならぬメディアじゃないのか、なんでかっていうと彼ら自身がものすごい後ろ向きになりつつあるからというのが今日の言いたかったことです。

 何も考えてなくても、こうやって記事にできるいい例になりそうだこの記事。半分まで書いたところで「2050年のメディア」について触れようと思いついたくらいだし。