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2010年8月9日月曜日

エコカー補助終了について

経済ナビ:エコカー補助9月終了 景気回復に影響も メーカー各社減産検討(毎日新聞)

 麻生政権の頃に実施されたエコカー購入補助が今年九月に終了するということで、このところ自動車の駆け込み需要や景気への先行き不安といったニュースをよく見ます。このエコカー補助が始められた理由は環境保護や景気対策といえば聞こえはいいですが、始まった当初に中部大学の武田邦彦氏が、

「このエコカー減税やら補助は結局は車を買う人間にしか恩恵がなく、車を買わない、もしくは買えない人間の方からすると取られた税金が一方的に使われる制度で不公平極まりない」

 と主張していました。
 この武田氏の主張に私も同調し、うちの親父から「ダイハツのコペン買いなよ( ・∀・)←自分が乗りたい」と再三誘いをかけられたものの、奪う側でいるよりは奪われる側にいようと思って拒否し続けました。まぁそれ以前に貯金がなかったのが原因だけど。

 またこのエコカー補助ですが、名前こそ「エコカー」であるもののそもそも現在日本で販売されている新車はどれも燃費性能が高く、一部のスポーツカーを除くと大体が補助や減税の対象となっております。確かに古い車から買い換えるのであれば燃費性能が上がって環境にもいいかもしれませんがわざわざ税金を使ってまで一挙に買い替えを勧めるべきかといったら私はそこまで優先順位は高くなく、むしろ介護や医療といった逼迫している分野へ投資する方が未来があったのではないかと思います。

 また景気対策として考えてみても、確かに自動車産業は裾野が広い産業ではあるものの、どうしてこの業種にのみ購買補助が行われたのかについて公平さがありません。言ってしまえば自動車とは関係ない繊維や不動産、IT関係には一切お金が配られないのに対し、自動車産業だけは税金からお金が配られたという事で、こりゃやっぱり政治的な力関係で決まってしまったとしか思えません。

 そんな感じで初めから気に入らなかったこの制度もようやく終わるそうですが、何気に自動車産業はこれから物凄い再編が行われるような気がします。というのも今後はハイブリッドエンジンに変わってモーターこと電気自動車がますます増えて普及していく事が予想されるのですが、仮にそうなった場合に劇的な産業転換が行われる必要があります。

 あくまで私個人という素人の意見ですが、聞く所によると自動車部品で重きをなすのはやはりエンジン周りの部品だそうで、その部品点数も複雑な構造ゆえか非常に数が多くて自動車産業に属す企業の中でもエンジンパーツのメーカーが相当の割合を占めているそうです。
 これに対して電気自動車の動力となるモーターは非常に簡単な構造をしており、組み立てに必要な部品もエンジンに比べるとはるかに少ない点数で間に合ってしまうそうです。電気自動車で今後重要になってくるのは一にも二にも電池部ですが、動力がエンジンからモーターに移り変わるだけで現在自動車産業に属す中の相当数の企業が廃業か転進を迫られる事になるかと思います。

 そういう風に先を見越すと、影響を受けそうな部品メーカーは下手に延命させるよりも早くに産業転換を図っていかなければならない気がします。まぁ電気自動車が普及しなけりゃそれまでだけど。

2010年8月6日金曜日

最近のニュースの雑感

 昨日はまたもやる気が出ずにブログ更新をサボってしまいました。私は中国に留学中も他の生徒がしょっちゅうズル休みをするのに対して始業から毎日遅刻もせずに授業に出席していたのですが、ある日寝坊をしてしまい一年間の授業でたった一日だけ遅刻をすると、その日教室入るなり教師生徒揃って大爆笑されました。このブログも他の方のブログと比べると更新数が異常に多いため、人によっては休んだりすると「あれっΣ(゚Д゚;)」っと思われてるかもしれません。

 さてそういうわけで休み明けの今日ですが、今日は関東地方は雲が多くて久々に朝方に涼しさを感じられて夜になった今も昨日と比べると俄然元気です。最近やけに体がだるいのは間違いなく今年の猛暑のせいでしょうが、今年の夏は私が今まで生きてきた中で一番暑いんじゃないかと思うくらい嫌になります。アイスランドの火山や桜島が噴火しているので噴煙の影響を受けて今年は冷夏になると予想していたのですが、一体何がどう間違えてこんだけ暑くなったのかNHKの半井さんに詳しく問い詰めてみたいです。

 そろそろ記事の本題に移りますが、このところ興味を惹くものの一本の記事に仕上げるにまで至らないニュースが多いので、今日はちょっといつもと趣向を変えて各ニュースを紹介しながらそれぞれに私の意見を載せて行く事にします。

首相「核抑止力は必要」 秋葉市長発言を牽制(産経新聞)
 8/6の広島原爆の日を迎えた今日の会見で菅首相は非核三原則を堅持する重要性を訴えつつも、核兵器や大量破壊兵器の流出が相次ぐ今の時代において、特に北朝鮮の核開発問題への対策としてアメリカの「核の傘」に入る「核抑止力」の必要性を主張しました。
 発言の内容自体は核不拡散を訴える日本の立場を堅持するとともに現実路線に則ったものでおかしなものではなく、むしろ理想ばかり追っかけずに最低限必要なことは言うのだなと思える内容なのですが、今日たまたま正午のNHKニュースでこの会見を見ていたのですが、菅首相は見事なくらいに手元を見ながら朗読をし続けていました。多分最後の、「~と思います」くらいしかオリジナルの発言はなかったんじゃないかな。小学生でももう少し前向いて台本どおりに喋るぞ。
 別に悪い事じゃないけど、外務省作成のペーパー通りにしか発言が出来ない首相というのもどんなものかと。ちなみにペーパーというと官僚の言うことを聞かないため自分勝手に話す小泉元首相、渡されても漢字が読めない麻生元首相など、最近は人によって傾向が変わってきてますが。

杉並の都内最高齢女性不明:杉並区、100歳以上面談調査へ /東京(毎日新聞)
 日本で二番目に長寿とされた男性が実は30年以上前に死んでいたという事件を受けて全国各地で一挙に調査が始まり、あれよあれよと高齢行方不明者が日本であふれ出る事となりました。ちょっと無理矢理な関連付けかもしれませんが7月の文芸春秋にてある海堂尊氏が、日本は死者の死因特定をあまりやりたがらず事件性のあるもの、ない物を含めて非常にいびつで怪しい診断が多いとし、今では簡単に調べられるCTでも大部分の死因特定が出来るようになったのだからもっと死因特定を行って研究するべきだという記事を寄せてました。
 図らずも今回のこの一件で日本は医療の現場のみならず行政上でも死者の扱いがいびつな状態にあることが分かりった訳ですが、今回の件は年金横領の疑いもあることで見ている国民もピリピリしており、この際徹底的に特定と対策を行わねば後に大きな禍根を残す事になることは予想に難くありません。長妻厚生大臣は高齢者を全部調査したら膨大な作業になるとして110歳以上に限って調査をすると発表しましたが、今回死んでいたことが明らかになった方は80歳頃に死んでいたことを考えるとこの110歳という区切り方はいまいち納得が出来ません。第一、高齢者であれば大半は何かしら医者にかかる年齢なので、この二、三年の間に健康保険を使用しているかどうかを調べるだけで大多数の生存確認ができる事を考えると、長妻大臣の言うように調査に膨大な手間がかかるとは私には思えません。この人ももう官僚に取り込まれたのだろうか。

元交際相手の男に懲役23年=「枠超えた重い刑不相当」―女性殺害、次女連れ去り(時事通信)
 上記リンクのニュースは去年に元交際相手の女性を連れ去るために61歳の女性の母親を殺害した被告に対して懲役23年の判決が下りたというニュースですが、この裁判で被告は「もみ合っているうちに首が切れた」と主張するなど何度も刺し傷があったにもかかわらず殺意を否認する発言をした上、元交際相手の女性を連れまわしたことも合意の上だと話すなど全く事件について反省がないにもかかわらず有期刑となっています。私はこの事件でいくらなんでも有期刑というのはどう考えても低すぎ、出来るなら死刑、最低でも無期懲役とするべきだと思うのですが、千葉の裁判所はどうもよその事件との兼ね合いの方が重要に考えるようです。こういった面を含めて、司法改革が今一番日本にとって大事なんじゃないかと感じるのですが。

2010年8月4日水曜日

過剰な消費者保護によって起こる弊害

 最近元気のない記事が続いているので、久々に手のかかる記事を書こうと思います。
 さて世の中経済々々とそれしかこの世にはないのかって言いたくなるくらいにみんなして経済を良くしなければと口々に言っていますが、単純に経済を良くする為にはどうすればよいのでしょうか。この経済を良くするための処方箋は時代によって異なり、戦前の日本であれば如何にして生産力を上げるかが最も重要視されましたが、近現代の日本においてはいかに消費力(主に国内の)を上げるかに注力されました。

 この生産力と消費力ですが、言ってしまえばこの二つのうち片方だけが良くとも経済が好転するわけでもなく、効率よく力強い経済システムをつくるためにはこの生産と消費が二つ噛み合って高い水準になければならず、これは言い換えるなら物やサービスを作って付加価値をつける生産者、それらを購入して消費する消費者それぞれが成長しなければ経済も成長しないという事です。先ほど近現代では消費力を上げる事に政府は注力していると書きましたが、これは現代日本の生産力に比して消費力が不足しているという考え方からの処方策です。

 このように消費と生産は車の両輪のよう揃っていなければいい経済にはならないのですが、生産者側、言い換えると物やサービスの売り手側の努力に対して近年の日本人消費者の行動や反応ぶりがこのところいささか目に余るというか、かえって全体利益を損なわせているのではないかと思うところがあります。もう早いところ結論を述べると、ちょっとこのところは政府や世間は消費者を甘やかし過ぎなんじゃないかと言いたいわけです。

 私がこのように思うようになったのも、先日に政府で100円ライターの販売禁止が検討されている事が一つの大きなきっかけになりました。
 事の起こりはこうで、小さい子供らを車の中に残しておいたところ、所有者である子供の親が置いていたライターを子供がいじくったのか車が炎上してしまい、そのまま数名の子供が火傷で死亡した事件が今年にありました。この事件が起こるや設立の初めからきな臭くは感じてはいましたが消費者庁が飛びつき、子供が遊ぶと危険だからしっかりとした対策がなされない限りは現行の100円ライターは全面禁止にしようと言い出しました。
 しかし100円ライターを子供に渡しても平気なほどの対策を行うとなると明らかに製造コストが跳ね上がり、現製造メーカーらは規制が作られれば廃業してしまうと主張したものの消費者庁はだったら廃業してしまえと言わんばかりに、今でも聞く耳を持っていません。

 そもそもの話、私はライターを子供の手の届く所に置いていたことこそが一番問題だと思います。厳しい意見となりますが子供が死亡した先ほどの車の炎上事件ではライターが置かれていた車内、さらには燃えやすい可燃物も置かれていたそうで、寝ていたとはいえ子供をそんなところに置きざりにしていたのですから同情こそするもののそれでライターを置いていたことが事故の原因とするのにはおかしさを感じます。

 またこの100円ライター同様、二年前の秋葉原連続殺傷事件で両刃のナイフが使われたことを受けてすぐさま一定の長さ以上の両刃ナイフが販売はおろか使用まで禁止されましたが、牡蠣の養殖業を携わる方によると閉じた牡蠣の殻を割って中身を取り出す際に細身の両刃ナイフが長年使用され続けてきたのですが、この新しい規制によってこのナイフまで使用禁止となり、使用していた場合には罰金刑が課されるようになってしまったそうです。

 100円ライターにしろ両刃ナイフにしろ、絶対的多数の人間、それこそ99%以上の人間が本来の生活上役に立つ使い方をしていたにもかかわらず、1%にも満たない不心得物が間違った使い方をしたのを受けて正直者99%に使用を禁止するなんて、どれだけ馬鹿な世の中なんだと言いたくなってくる話です。
 特に100円ライターについては私は煙草を吸わないものの、家で逝去した祖父母に線香を焚く際によく使いますし、突然の大地震やバイオハザードが起きてゾンビが街に溢れたりするサバイバルな状況下では非常に有用なツールになるので禁止されるなんてふざけるなと声を大にして言いたいです。まぁバイオハザードはともかくとして、線香に火を点けるのであればチャッカマンでもいいのではと言う声もあるかもしれませんが、それだとライターが駄目でチャッカマンがいいという論理がまたおかしい気がします。第一、煙草に火を点けるのもチャッカマンに変えたら余計に危ない気がするし。

 このように近年は何か事件や事故、しかも明らかに使用者側に問題があると思われるケースが起こるたびにすぐ規制がかかって関係のないほかの使用者も使えなくなるということが増えているように思えます。消費者保護といっては聞こえはいいですが実態的には単なるメーカーやまじめな使用者イジメにしかなっておらず、メーカー側もこうしたわけの分からない規制やクレームに対応しなければならないことを考えると社会全体に対して重いコストにしかなっていません。
 もちろん商取引上、生産者(販売者)の方が消費者に対して偽装や欠陥を秘匿することができるため基本的には消費者保護の姿勢を社会は持たねばなりませんが、過剰な消費者保護は生産者はおろか真っ当な消費者の利益をも阻害しかねないと私は考えます。

 特に近年は脅迫まがいのわけの分からないクレームをつける人間も増えており、消費者を保護する一方で真面目な生産者を社会が保護する必要性も現れてきたかと思います。生産者の側も商品やサービスを提供するからと言ってなんでもかんでも頭を下げても結局はそういったクレーマーを助長させることにしかならず、そろそろ正当なクレームと脅迫はしっかりと分けて、脅迫をしてくる人間に対しては「帰れボケッ( ゚皿゚)キーッ!!」って、時には怒鳴り返すことを社会も認めるべきでしょう。あくまで時にはだけれど。

2010年8月3日火曜日

最近ハマッている漫画

 土曜日曜は一日十時間眠っていたのに対し月曜と昨夜は5時間くらいしか眠れなかったのがたたって、どうにも頭がボーっとします。通勤がもう少し短ければなぁ……。
 そんなわけでまた趣味の漫画の話を今日はしようかと思いますが、実はこのところ漫画の購入量が急激に増えています。私は普段は漫画喫茶などを利用するなどして新刊はチェックするのですが、一回読むだけでは納得行かないと思えるいい作品にこのところよく会えています。

 そんな中今一番はまっている作品ですが、もったいぶらずに言うと弐瓶勉氏の「シドニアの騎士」という漫画です。元々弐瓶勉氏についてはデビュー作の「BLAME!」の頃から知っており、当時からも他の漫画家と大きく一線を画す、巨大な建築物とその間における人間の対比が絶妙といえるような絵柄と、一回読んだだけじゃ全く何も理解できない超絶難解なストーリー構成から只者ではないと思っていましたが、現在も連載中のこの「シドニアの騎士」は「BLAME!」と比べて絵も内容も随分とマイルドになり、なおかつストーリーの重厚さは失われていなかったので改めてすごい漫画家だと思い知らされました。また「BLAME!」も買いなおそうかな。

 弐瓶勉氏と並んで今私がもう一つはまっているのに、押切蓮介氏の「でろでろ」があります。元々押切蓮介氏はある日知ってしまった「ミスミソウ」という作品のストーリーがかなりアレだと聞いて興味が湧き、ひとまずデビュー作の「でろでろ」から読んでみようと手に取ったのがきっかけでした。
 「でろでろ」の内容を簡単に紹介すると、これは一話完結型のギャグホラー作品なのですがなかなか癖になる話も多く、なおかつ意外と言っては失礼かもしれませんがキャラクターの書き分けが上手くて何度読み返しても面白いと素直に感じました。押切氏の絵についてもう一言加えると、最近の漫画家にしては非常に珍しくベタ(黒一色で塗りつぶす効果)の使い方が上手く、近年の漫画家が髪の毛をスクリーントーンを貼り付けて表現するのに対して押切氏はベタとケズリで器用に表現しています。こんなことしているのといったら他には「もやしもん」の作者と石川雅之氏くらいしか出てこないし。

2010年8月2日月曜日

組織拡大と綱領について

 イギリス元首相のトニー・ブレアとなると日本ではジュニアブッシュに追従してイラク戦争に参戦したことからあまりいい評判ではありませんが、こと内政に関しては長く続いたイギリス病と呼ばれる長期不況から脱するなど目覚しい功績を残しております。そんな彼の経歴ですが、労働党の党首に若くして就任するやそれまでの労働党が持っていた社会福祉の絶対重視という綱領を一部捨て、保守党のマーガレット・サッチャーに始まる「第三の道」こと新自由主義路線の政策を採って中産階級にも支持を大きく広げることでなんと44歳という若さで英国首相という地位に上り詰めております。

 トニー・ブレアの細かい政策内容についてまでは言及しませんが、彼は社会主義的性格の強い労働党の労働者保護などといった綱領を一部緩めるという事で組織拡大に成功したわけなのですが、早くから結論を述べると基本的に組織というのは綱領を強めた所ほど組織が縮小し、逆に緩めたところは組織拡大が起こる傾向があると以前から見ております。
 同じく社会主義政党で英国労働党とちょうど好対照なのは日本の社民党なのですが、ここは冷戦が終わって社会主義国家像が薄れてからは以前よりも労働者保護と憲法護持という従来の主張をどんどんと強めていったのですが、結果は見ての通りですでに生息と息の泡沫政党にまで成り下がってしまいました。

 私は組織というのは基本的に、アメーバのようなブヨブヨした流動体のような形で想像しております。組織というのはそのようにブヨブヨしているものだから、いくら綱領という凝固剤を投入したとしても時間が経つにつれてどんどんと崩れ落ちて行き、ボーっとしているとそのまま組織自体がなくなってしまうように考えています。
 では組織を維持するためには何が必要なのかといえば、単純に行って門戸を大きく開き、新規の加入員をどんどんと連れてくることが何よりも大事です。たとえ一時期に大きな人気を博した綱領(憲法護持など)も経年劣化は避けられるわけもなく、時代ごとに求められる新たな概念を打ち出さなければ政党というものは自然消滅していくように思えます。

 なにも日本の社民党に限らず世界的にも落ち目になってから従来からの支持者を強く繋ぎとめようと昔から持っている綱領を強めた組織は数多くありますが、結果的にはどれも余計に門戸を狭める事になって消滅を早める例が多いです。
 何も綱領を全く持たずに緩々の組織であれば言いというわけではありませんが、がちがちに綱領を固めればいいってもんでもないという事でよくこのトニー・ブレアの話はあちこちでするようにしております。

 翻って今の日本の消費市場ですが、どこの企業も対象とする顧客を強くゾーニングし、限られた顧客層に強く商品を売り出そうという傾向がこのところ強く見えます。顧客対象を調査して狙いをつけるということ自体は悪いというつもりはありませんが、なんていうか新たな商品をこれまであまり縁のなかった顧客層にもどんどん広げて行こうという、拡大していこうというような気概がどうもこのところ感じられません。昔のチキンラーメンみたいに、日本の食を変えてやるというような商品がでてこないものかとこのところよく思います。

2010年7月31日土曜日

私が今までにやったホラーゲーム

 昨日は友人と深夜一時まで話をし、その後お腹がすいてそうめんを食べたので就寝は深夜二時でした。今朝は10時半まで寝たので睡眠時間はそこそこ取れているものの、平日は六時間弱しか睡眠時間が取れないので今日の昼間に二時間昼寝を取ったもののまだ眠いです。横綱白鵬は一日十六時間眠るそうですが、私もここまでとは行かずとも全盛期(中国留学中)は十時間眠るのがざらだったので今の生活リズムだとやっぱり普段はボーっとしてしまいます。そもそも寝過ぎなのが一番よくないのだけれど。

 そこで今日も引き続き緩いネタをと思い、一つこれまでに私がやってきた、見てきた日本のホラーゲームを一部レビューとともに紹介しようと思います。何故にホラーゲームかというと、範囲が狭くてあまり他に解説するところも少ないだろうという打算があっての物であります。

1、スウィートホーム(ファミコン)
 同盟の映画を原作としたホラーRPGゲーム。このゲームを作ったのは後述する「バイオ・ハザード」を作ったカプコンであるが、このゲームに関わったスタッフの一部が「バイオ・ハザード」の開発に携わっておりその土台になったと言われている。
 このゲームの特徴はなんといっても、「一度死んだキャラはそのゲーム中、二度と甦らない」というRPGとしては厳しいルールです。通常のRPGではドラゴンクエストよろしくたとえ戦闘で死んでも甦らせるなどして戦闘に復帰させる事が出来るのですが、この「スウィートホーム」ではそんな生易しい救済措置などなく、問答無用でゲーム世界から追放されます。しかも最終的にはクリア時に生き残ったメンバー数によってエンディングが変化するので、やっている間は常に強い緊張感を持ち続けて遊ぶ事が出来ました。
 そうしたゲーム上のルールもさることながらこのゲームでは恐怖の演出も上手く出来ており、ドット絵ながらも恐怖感の持てるグラフィックに館に仕掛けられたトラップなどお約束と思いつつもなかなかドキドキさせられました。特にネタバレになりますが重要キャラの「山村」のラストシーンはリアルに怖かったです

2、弟切草(スーパーファミコン)
 現在でこそ大分一般的となったノベル系ゲームですが、その嚆矢となったこの「弟切草」からしてホラー要素が強く、次回作の「かまいたちの夜」を始めとしてその後のノベル系ゲームに大きな方向性を与えた偉大な第一作と考えて間違いないでしょう。
 淡々と文章をグラフィック、BGMとともに読む。一体これのどこが面白いのかと問われると答えに困ってしまいますがそれでも面白いのだからなおすごいノベル系ゲームですが、その第一作の「弟切草」はさびれた館にカップルが迷い込むというお決まりの導入から始まりますが、そっから先は全く予想がつかないほどの膨大な選択肢とテキスト量にプレイヤーは圧倒されたかと思います。またグラフィック面でもちょうどファミコンからスーパーファミコンに移行した頃だったので、実際にプレイした私でもゾンビの顔グラフィックが怖くて仕方がありませんでした。
 この「弟切草」の後、「かまいたちの夜」を始めとしてノベルゲームは続出しましたが、述べるゲームの完成系というのであれば「かまいたちの夜」が挙がりますが、テキスト寮や選択肢の豊富さを言うのであれば未だにこの「弟切草」を超えるものは出ていないかと思います。

3、(PS2)
 過去に「零~紅い蝶」についてレビューをこのブログで書いたことがありますが、このテクモの出した「零」シリーズの特徴を一言で言うならば、純粋な和風ホラーを追求した点にあるかと思います。舞台はシリーズを通して和風の屋敷や村で出てくる霊もしょっちゅう着物を着ており、しかもそんな怖い霊に対してカメラを撮って攻撃するという、見たくもないものを無理矢理見させて攻略させるこのシステムが恐らく海外の方でもヒットした要因でしょう。
 私自身はこのゲームは面白いとは思うものの特段怖いと感じることはなく、むしろその綺麗なグラフィックと、Xbox版のわけの分からないコスチュームの多さの方が気に成りました。

4、DEEP FEAR(セガサターン)
 多分このゲームは知っている人も少なそうですが、当時大ヒットしていた「バイオハザード」に追従する形でセガが作ったサバイバルホラーゲームです。このゲームの特徴ははっきり言って殆んどがバイオハザードと一緒なんですが、舞台が海底基地ということから常に室内の酸素量を気にしなければならないこと、敵クリーチャーの造形がそこそこよかった(全体的に映画の「エイリアン」っぽい)という点で異なっています。ただ残念というか私の友人から酷評されていた点として武器に使う弾薬が無限に補給できてしまうため、この点が制限されていた「バイオハザード」と違って緊張感がなかったとされています。
 私はストーリーとか全体的に出来は悪くなかったと思うのですが、そもそもが二番煎じであったためにそれなりの結果になってしまったのではないかと思います。続編も出なかったし。

5、バイオハザード2(PS)
 ご存知日本が誇るホラーゲームの金字塔となったこの一作。一応シリーズは1、2、3、4、アウトブレイク、Code Veronicaはやっているのですが敢えてここでは世界的ヒットを生んだ2を取り上げることにします。
 この「バイオハザード」がどうしてここまで高い評価を得られたかといえば、ひとえにまずゲームの開発環境が揃ったということがあったのではないかと思います。スーパーファミコンからプレイステーションへ、当時に次世代機と呼ばれたハードへの以降があって3D描写も容易となり、これまで作ろうと思っていたものの作れなかったゲームが開発できる環境に至ってゾンビに横スクロールではなく追いかけられるこのゲームが成立し、それがユーザーの嗜好にマッチしたのが大きいように思います。
 またこのバイオハザードが成功したもうひとつの要因として、比較的高めの難易度、現実に存在する武器を使って戦う、そしてその使用回数が限られているというサバイバルホラーの名に恥じない要素も大きかったでしょう。

 一作目も十分に売れましたが世界的に大きな成功を収めたこの「バイオハザード2」はストーリー自体はB級ホラーもいいとこでしたが、

・1プレイ時間が約三時間
・二人の主人公にそれぞれ表編、裏編とシナリオが二つある
・クリア後のおまけ要素が盛りだくさん
・結構しつこいタイラント

 といった要素があって繰り返し遊べたがゆえに私も相当のめりこんでやってました。無駄にラスボス相手にハンドガンで戦ったり。
 なおこの「バイオハザード2」のテレビCMではハリウッド俳優で天才子役として一時名を馳せたブラッド・レンフロ氏が出演していましたが、この人は二年前にコカイン中毒のためわずか26歳で夭折してしまいました。今じゃすっかり「バイオハザード」と来ると映画のミラ・ジョボビッチ氏が挙がって来ますが、ブラッド・レンフロ氏のデビュー作の「依頼人」を観ているだけに私の中では未だにこの人が浮かんできたりします。

 まだまだ紹介するホラーゲームはありますが、ひとまず今日はここまでにしておきます。意外と書いてみたらつまらなかったし。

2010年7月30日金曜日

近年の女性アイドル業界について

 最近またお堅い内容が続いているので何か軟らかい事を書こうかなと考えていたら何故か女性アイドル業界が思い浮かんできたので、今日はこれについてさらっと書こうかと思います。前もって断っておきますがここで書く内容はあくまで私の主観によるものなので、細かい所はいちいち突っ込まずにこんな意見を持ってる奴がいるんだ程度で軽く流してください。あと人名が多く出るので、敬称はこの際一つもつけずにどんどんと書いていきます。

 まず近年のアイドル業界における一つの特徴として、またぞろ平均年齢が低下し始めてきた事が挙げられるかと思います。2000年代中盤は29歳という以前では考えられない年齢でブレイクしたほしのあきを筆頭として20代中盤の、主にグラビア出身のアイドルがテレビなどで活躍していましたが、寄る年波には勝てず近年はテレビでの露出が大幅に減ってきております。特に顕著なのはイエローキャブに所属していたアイドル達で、分離したサンズエンタテインメント所属共々かつての勢いはどこに言ったのかと思うくらい見かけなくなり、小池栄子などブレイクしていた頃にレギュラーを勝ち得た番組を持つアイドル以外はもう殆んどゴールデンで見ることが出来ません。

 こうしたアイドル達に取って代わったといえるのがAKB48を初めとした、10代を中心としたアイドルユニットグループだと思います。ただアイドルの低年齢化が最も激しかったのは90年代後半のモーニング娘全盛期で、あの頃は辻、加護を筆頭に中学生ジュニアアイドルがこれでもかと言わんばかりに活躍しており、そのころに比べるならば今のアイドルが極端に年齢が低いとは言えず、むしろアイドル全盛期だった80年代よりは平均年齢が高いように感じます。それでも低年齢化を私が強く意識してしまうのは先述の通りにちょっと前がこれまでにないくらいに高年齢アイドルが活躍していた時代を経ているので、ちょうどそのギャップゆえだからでしょう。

 それで今やアイドル界で大きな顔をしているAKB48ですが、確かに今の時代では比較的強い力を持っているとは言えますが、これまでのトップアイドル達と比べるとその影響力はやはり低いように思えます。それこそモーニング娘の全盛期の頃は街中のそこらかしこで「LOVEマシーン」が流れて一通りのサビ部分の歌詞を私も自然と覚えましたが、AKB48に至ってはこれが全くなく、一体どの曲が彼女らの歌なのか塵一つ知りません。

 この違いは音楽業界の衰退もあってCDの売り上げ数低下も影響しているでしょうが、それとは別にもう一つ、モーニング娘とAKB48の売り出し方の大きな違いもあるかと思います。
 モーニング娘が日本全国老若男女津々浦々に広く大衆に対して売り出したのに対し、AKB48はそのユニット名からして非常に対象を絞った売り出し方をしているのではないかと私は見ました。この二つの売り方がどう違うかというと簡単に言って広く浅くか狭く深くかの違いで、前者は万人受けするようにジュニアアイドルを入れる一方で中澤裕子や後藤真希など年齢層やヒットする対象の違うメンバーが組まれていたのに対し、後者は販売方法によるものもありますが一人でCDやグッズをいくつも買うような人を主な対象としているところがあり、アイドルユニットの性格としては真逆の位置にあるのではないかと思います。

 ただ苦言というか、これはアイドルユニットに限るわけじゃないですが対象を狭く絞った組織や集団というのは基本的にどれも長くは続かない傾向があり、一回ぱっと盛り上がった後に急速にしぼんでいくという例がたくさんあるので、もしかしたらAKB48は使い捨てにされるんじゃないかという気がしてなりません。私が心配してもしょうがないけど。

 このようにアイドルというのは元々賞味期限が少なくどんどんと切り替わっていくもので、グラビア界もさきほどのイエローキャブ勢をはじめ、一時期トップグラビアとして君臨した小倉優子、期待されていたわりにはすぐに旬が過ぎたスザンヌなどがおりますが、何年間にも渡り活躍し続ける稀有な存在として私が一目置いているのは上戸彩です。
 元々この人は「3年B組金八先生」での演技で注目を浴びて最初はそのまま演技畑に行くかと思いきや、初主演作の「あずみ」が、私も見ましたがびっくりするくらい下手な演技で、映画で主演をしてかえって評価を一時下げたという非常に稀な経歴があります。

 ただこの上戸彩を何年にも渡ってトップアイドルとして君臨させ続けているのは、なんといってもテレコマーシャルでの活躍ぶりです。すっかりおなじみとなったソフトバンクの白戸家シリーズやオロナミンCのCMなど何年も出続けている定番のCMを持っているだけでも非常に強みなのに、それ以外の年毎のCMでもやはり他のアイドルと比べて一際光って見えます。個人的にお気に入りなのは損保JAPANでパンダの着ぐるみでしたが。
 彼女のギャラはCM一本辺り年間契約で5,000万円とされてますから、年俸を計算すると本当に天文学的数字になってしまいそうです。

 最後に私のお気に入りの井上和香についてですが、彼女は最初はグラビア、次はバラエティーと活躍の場を意図的に変えていった節があり、現在は一昨年の朝ドラでも出演していたように演技での活躍の場をねらっているように思えます。どうでもいいですが昔ロンドンで寮が一緒になった双子の女性に井上和香が好きだといったら、

「顔に似合わず巨乳好きなのね( ^∀^)」

 と言われ、一瞬ちょっとショックを受けたものの、「顔にそぐわぬ巨乳好き」と言われるよりずっとマシだと思って立ち直りました。

2010年7月29日木曜日

信頼性なき日本財政

 あまり世の中で取り上げられる事は非常に少ないのですが、小泉政権は世界的にも非常に珍しい偉業を一つ達成しております。その意業というのも、財政出動なしでの景気の回復です。

 小泉氏が総理になる前の自民党総裁選で小泉氏が公約として掲げたものの一つに、「国債発行高を30兆円以下に収める」というものがありました。その後見事総理に就任して小泉氏でしたが作った予算は結局30兆円からすこし足が出て、あの有名な、「この程度の公約違反、大したことではない」という発言が飛び出すこととなったのですが、それでも自らを「平成の借金王」とまで言った前小渕政権と比べると国債発行高は非常に抑えられ、全体の予算額もそれ以前から大きく縮小されました。

 この小泉氏、というよりは経済産業担当大臣だった竹中平蔵氏ら主導の予算案に対し野党議員、評論家、並びに身内の自民党議員からも、「不況期にどうして財政出動(公共事業)を減らすのだ(#゚Д゚)」と、当時の私が覚えている限りでもどこを見回しても肯定的な意見はありませんでした。小泉氏も小泉氏で、

「経済は竹中君に任してるから(´∀`)」
「えっ、全部俺!?(;´Д`)」

 てな感じで責任転嫁をしたので竹中氏が国会中で総叩きを食らう羽目となってしまいましたが、その数年後の9.11選挙で小泉氏が勝利した後に東証株価などが飛躍的に伸びるなど、リーマンショックが起きるまで一時的とはいえ日本の景気は回復傾向が起こりました。
 この景気回復に対しては今でも議論が行われており、格差を無理矢理広げた上での偽りの景気回復だった、それ以前の小渕政権までの財政出動が時間が経ってようやく効果がでたものだ、などという意見がありますが、失われた十年にあれだけ馬鹿みたいに財政出動して何の効果もなかった事、五年間の運営実績を考えるとやはり小泉政権の功績と取るべきだと考えております。

 さてここで経済学の話になりますが、中学校の公民の時間でも教わるくらい、一般的に不況期には政府は財政出動をして公共事業を行うことがよいとされていますが、これは20世紀のケインズが提唱した政策でフランクリン・ルーズベルトが採用してニューディール政策と呼ばれた事でも有名です。しかしそもそもの話、ニューディール政策自体が現在その効果が疑問視されており、また先にも述べた通りに日本も失われた十年の間に小渕政権を筆頭として財政出動を繰り返したもののはっきり関連が見える効果は何も生まれず、私自身本当にただの無駄遣いだったという評価をしております。

 では逆に財政出動を切り詰める所まで切り詰めた小泉内閣はどうして一時的な景気回復に成功したのでしょうか。それについては昔に書いた「竹中平蔵の功罪~陽編~」に詳しく書いていますが、最近これとは別に、かえって財政出動を減らしたこともよかったのではないかと思うようになってきました。

 こう思うようになった一つのきっかけはうちの両親の会話で、仮に親父が60歳で定年を迎えるにしろ年金をもらえるようになる65歳まで生活するのに平均で2,000万円以上の貯金が必要だとテレビか雑誌かで言われていると話し合い、現行の貯金額と受け取るであろう退職金額を予想した上ですでにリストラ候補となっているうちの親父がいつまで会社のリストラ要求を突っぱねて給料をもらい続けるかというシミュレーションを立てていました。またその会話で仮に現行の年金制度が維持されるならともかく、今後給付額が減らされる可能性もあることから実際にはシミュレーション以上の貯金が必要になってくるかもしれないとも話し合っていました。

 実際に日本の年金制度がこのままでは破綻するのは簡単にシミュレーションできることで、将来的には受給世代の給付額が減って現役世代の納付額が増やされる事は自明と言っていいでしょう。また年金に限らず今の借金漬けの日本の財政を考えるにつけ、医療費を含めた社会保障費はどんどんと減らされていくことも考えられ、そんな時代では消費よりも貯蓄の方に頭が行ってしまうというのも自然な話です。

 久々に大分前置きが長くなりましたが、要するに日本の財政、年金に信頼がないからこそ現代の日本人は消費意欲が低いのであって、それが景気に悪影響を及ぼしている最大の原因ではないかと私は言いたいわけです。
 小泉政権は確かに切捨てと言われるような厳しい政策を採ったものの曲がりなりにも財政再建に真正面から取り組んでいましたが、それ以降の政権では徐々に予算を拡大化させ、前鳩山政権に至っては税収以上の国債を発行する甲斐性なしの男性のような予算まで組みました。

 私はいくら今が不況だからって、借金がない状態ならともかくすでに借金漬けの現状で財政出動を行うのは余計に国民から財政への信頼を失わさせ、景気悪化を引き寄せる事になるのではないかと思います。それであれば弱者切捨てとなろうとも、まだ未来が持てるような政策を取った方がまだ最終的な犠牲者は少なくて済む気がします。弱者切捨て以前に、まず真っ先に切るべきは子供手当てでしょうが。

2010年7月28日水曜日

千葉景子法相の死刑執行署名について

 かなり以前に佐藤優氏がその著作において、日本で法務大臣の権威が低すぎるのは問題だという指摘を行っていました。佐藤氏によると米国では大統領が突然死した場合、ピンチヒッターで次の大統領に就任する優先順位は第一位に副大統領で、確か二位か三位に法務大臣が来るそうで、法治国家において国の根幹となす法律を管理する最高責任者はその職務を全うするに足る相応の人物がならなければいけないと重く見られているそうです。それに対し日本では、国土交通大臣や厚生大臣と比べると利権が少ないという理由で権威が非常に低いのは異常だと佐藤氏は指摘していました。

 佐藤氏は検察から国策捜査を受けた事があるゆえになかなか説得力があるのですが、確かに近年私が確認するだけでもこの法務相という職には首を傾げざるを得ない人選がことごとくなされており、それまでの経験で法務に全く携わってこなかった人間や、失言を繰り返す人間がなるなど、どこかお飾りというかマスコット的な大臣職にしか扱われていないだろうと感じていました。
 幾つかそういった法務大臣経験者を出すと、まず第一に挙がってくるのは第二次小泉内閣での南野知惠子氏です。国会での質問に度々窮してついに出てきた言葉が「何分、専門家ではないもので」という発言で、法の素人がどうしてその最高責任者になれるんだよと見ていて呆れさせられました。

 次に問題性があると私が感じたのは麻生内閣での森英介氏です。森氏は不法入国していたフィリピン人家族の処置に対して曖昧な態度を取り続けた上に、あまりニュースでは取り上げていませんが冤罪だった可能性が未だ濃く残る飯塚事件の犯人の死刑執行署名にサインしております。

 簡単に飯塚事件について説明するとこの事件は検察と警察が冤罪だったと完全降伏するに至った足利事件と全く構図が一緒で、警察が犯人を特定するに至ったのは現場で見られたと証言のあった車と同じ車を犯人とされた人物が持っていたことと、当時の技術レベルの低い不正確なDNA鑑定の結果だけでそれ以外の物証は何もありませんでした。
 しかも犯人とされた人物は終始無実を訴えていたのですが、死刑執行の優先順位が100人中61番目だったにも関わらず、再審請求が行われていたにも関わらず刑が執行されました。この異例ともいえる執行が何故行われたかについてはいろいろいわれていますが、事件の舞台となった飯塚市がある総理経験者と同じ選挙区だったことが影響していたのではという意見があるとだけ申しておきます。

 この他第四次小泉内閣での杉浦正健氏も如何な人物でしたが、そんな法務大臣職に民主党が政権交代して誰がなるかと思っていたら、杉浦氏同様に就任するや、「死刑執行の署名は行わない」と言い出す千葉景子氏でした。いい大人だったら本当にやるやらないは別としてこういったことは口には出さないでいるべきだと思うのですが、弁護士出身とはいえまたも不安な人間がなったなぁとかねてから思っていました。そうしたら、

千葉法相、2人の死刑執行 「見届けることが責務」と立ち会い(産経新聞)

 なんとかつての自分の発言はどこいったのか、千葉氏は今日になって突然二人の死刑受刑者の刑執行を行ったと発表してきました。
 そもそも千葉氏は前回の参議院選挙で落選しており、現在はいわば民間人大臣であります。小泉政権の頃の竹中平蔵氏みたいに民間人ではあれども経済学者出身として専門分野に直結する経済産業担当大臣を務めるというのならば分かりますが、何度も言いますが法治国家において法を管理する最高責任者が選挙の洗礼を受けない、っていうか洗礼を受けて落選し、国会議員でもなくなった一民間人が法務大臣を務める事には前々から批判がありましたが、まさかそんな人間が死刑執行を決めるなんて私もさすがに唖然としました。

 この千葉氏の民間人という地位について枝野幹事長は執行の署名はまだ千葉氏が参議院議員資格のある24日に行ったとフォローを入れていましたが、これはこれで企業で言うなら退任間近の社長が人事に介入するような行為と変わらず、少なくとも死刑執行の署名をするに適当な時期ではなく問題があるように私は思えます。

 今回の死刑執行の一件は、言ってしまえば任命されれば誰でも死刑受刑者を好きに処刑できるという事を証明してしまったと思います。死刑という制度についていろいろと議論する余地はありますが、今回の一件はどこをどうみても評価できる点を見つける事は多分出来ないでしょう。これを期に法務大臣職にはもう少しまともな人物がなるようになればまだいいのですが。

2010年7月27日火曜日

刑事罰における責任の捉え方

 昔、確か六年前に友人とテレビでニュースを見ていると、線路に自転車を投げ込んだとして中学生が捕まったというニュースが報じられていました。そのニュースを見て私は友人に、

「この中学生、もう死刑でいいよね」
「せやろなぁ。こいつも自転車投げ込んだら脱線するかもしれへんことくらいわかっとるやろしなぁ」

 自分でも本当に自分は死刑廃止論者なのかと時々疑わしく思いますが、この事件について言うならば私は投げ込んだ中学生は少年法とかそういった物を一切無視してもいいとこの時思いましたし、今でもそう考えております。

 そもそも何故少年法があるのかと言うと、善悪の判断がつかない、何が犯罪になるのか分からない子供は罪悪感を持つ事が出来ないため、罰を与えるよりはしっかりと教育を行っていくほうが当人にも、社会にもよいという考えから存在します。しかし先ほどの線路に自転車を投げ込むという行為については友人の言の通り、中学生であればそれがきっかけで電車が脱線する可能性も、それによってたくさんの人間が死ぬ可能性も容易に予測できるはずです。
 もしこの行為で少年法が適用するのであれば、私は本当に右も左もわからない小学校の低学年くらいまでの子供であればまだ仕方がないと思いますが、いくらなんでも中学生でこんなことも分からないで実際に行動に移すというのであれば先が思いやられるにも程があります。

 近年、著名な刑事裁判においては少年法、もしくは心神耗弱などといった理由によって弁護側より減刑を求めるという主張がほぼ確実になされていますが、そもそもの話としてこれらの適用があまりにも幅広すぎないかという気がしてなりません。報道される裁判を見ていても心神耗弱にしても善悪の区別がつかない状態というにはあまりにも程遠い容疑者ばかりで、それこそ先ほど私が言った「小学校低学年くらいまでの子供」のような状態なんてまずないでしょう。

 今日何を思ったのか三年前に起きた「渋谷区短大生切断遺体事件」をまた調べなおしていたのですが、この事件の一審では被告人に多重人格が認められて求刑17年に対して判決は懲役7年へ一部減刑が認められていました。言っちゃなんですが殺害後にバラバラに切断し、家族に対して知らない素振りを見せて遺体を隠匿しようとする行動を見るにつけてとても被告がそのような精神状態であったとは思えません。
 そしたら案の定二審では多重人格は否定されて懲役12年になったそうですが、いい加減、こういうくだらないことを裁判で言い合うのはもうよして、認められなかった場合には弁護側に明確なペナルティをつけるとかした方が裁判も効率化していいような気がします。

2010年7月26日月曜日

私の好きな白鵬について

 昨日、終始波乱に満ちた名古屋場所が何とか無事に終わりました。開催前にはあーだこーだ言われていながらも終わってみれば観客数は前年度の一割減に止まり、当初予想されていたほどの落ち込みもなくNHKの中継がなかったとはいえまずまずの結果でした。
 そんな名古屋場所で最初から最後まで大きな貢献を果たしたのは、誰の目から見ても優勝した横綱白鵬にあることは間違いないでしょう。先場所、先々場所に続く全勝優勝を果たしただけでなく、力士としての連勝記録も単独で三位、平成に入って以降ではついに過去最高の記録にまで至りました。恐らくこの白鵬の存在と活躍がなければ、今頃相撲協会は公益法人格を取り下げるべきだという声が公然と出ていたかと思います。

 そんな白鵬ですが、力士としての取組ぶりはさることながら以前から私はその個人としての人格も高く評価しておりました。そこで今日は優勝記念とばかりに、白鵬のサクセスストーリーとに彼について私の知っている事をここで紹介しようと思います。

 今でこそ力士として大成している白鵬ですが、彼が日本の相撲界に入ったのはわずか15歳の頃でした。すでにモンゴル人力士として日本で活躍していた旭鷲山を頼って来日したものの、一緒にやってきたメンバーは次々と相撲部屋からのスカウトを受けて次々と引き受け先が決まっていったにもかかわらず白鵬には全く声がかかりませんでした。このままではモンゴルに帰るしかない、そんな白鵬の苦境を知るや旭鷲山が斡旋に動きました。

 実はこの旭鷲山と白鵬には因縁があり、モンゴル相撲の祭典に16歳の旭鷲山が出場したものの貧しい家庭出身ゆえに満足な食事が取れておらずお腹をすかしていると、当時4歳だった白鵬が食事を恵んでくれたそうです。二人ともこの時のことをよく覚えていたものの、この来日した白鵬の斡旋に動いていた際は互いにその時の相手だと分からず後になってあの時の相手がお互いだったと気づいたそうです。

 そんな白鵬と旭鷲山ですが、当時背は175センチと高い身長ながらも痩せ型の体型の白鵬を引き取る相撲部屋はなかなか見つかりませんでした。そうして悩んだ末に旭鷲山は、
「そうだ、あの駄目な宮城野部屋ならなんとかなるだろう」
 と、当時弱小だった宮城野部屋に「身長が高く、将来有望な少年がいる」とほとんど騙すような形で連れて行ったそうです。そうやって白鵬は宮城野部屋につれてこられたのですが、その白鵬を見るや当時の宮城野親方(現熊ヶ谷親方)は全然話が違うと追い返そうと考えたそうですが、不安そうな表情を浮かべている白鵬を見るに見かねて内弟子としてとることにしたそうです。

 とはいえ当時の白鵬は日本語も全く分からず、しかも先ほども言った通りに非常に痩せていたため、宮城野親方は最初は稽古を一切させずにただご飯を食べて寝ろとだけしか指示しなかったそうです。当の白鵬もこれには困惑して、女将さんが言うには当時の白鵬の口癖は「何で?」だったそうです。
 またある日、白鵬が一人で写真を見ていたので女将さんが声をかけると、白鵬は家族の写真だとその写真を見せてくれたそうです。そんな白鵬をみて女将さんはモンゴルに帰りたいのと聞くと白鵬は、「いや、横綱になるまでは帰れない」と毅然と言い返したそうです。

 言葉も分からない外国で、しかも日本人ですら逃げ出すほど厳しい相撲部屋に入ったわずか15歳の少年が、ここまで覚悟を持てるものかと初めてこの話を聞いた時は非常に驚きました。多分私ならすぐに逃げ帰ってるだろうし。
 そんな白鵬も体格が出来上がってくるや、元からの高い身体能力とあいまって異例のスピードで昇進を重ねていきます。私が白鵬の取組を見始めたのは2005年頃からですが、当時からも足腰の強靭さは並外れており、なおかつ一度廻しを掴んだら絶対に離れないと言われる握力とあいまって大きく印象に残ったのを今でも覚えています。

 そうやって出世街道を走った白鵬が初めて取組で懸賞金を得ると、それを真っ先に宮城野親方と女将さん夫婦の元へ持っていって全額を渡したそうです。こうしたエピソードの数々を思い起こすにつけ、力士以前に白鵬という個人の人格に対しても尊敬の気持ちが湧いてくるわけです。

2010年7月24日土曜日

これまでの酒税率増税について

 いきなり結論ですが、私は現行の酒税率を下げてかつての水準に戻すべきじゃないかと思います。

 酒税というのは文字通りにアルコール類の飲料にかけられる税金で、飲料を製造したメーカーや酒造業者がその製造量に応じて支払うのですが、この税率はその製造された院量のアルコールの度数によって変動し、基本的にアルコール度数が高いほどかけられる税率も高くなります。
 近年、この酒税率は一方的と行っていい程に増加しており、細かい税率までは紹介しませんが財政難の国が取り易い所から取ろうと、反発の少ない酒税に的を絞っているのは衆目の一致する所です。

 確かに税収を増やすという目的であれば多少の増税は仕方ないと思うのですが、この酒税についてはちょっと話が変わってきます。というのも酒税率の増加と合わせて各飲料メーカーは比較的税率の低いアルコール度数の低い酒類、いわゆる発泡酒の製造、開発に勤しんだため、今ではすっかりこの発泡酒が世の中にも定着しました。

 しかしこの発泡酒ですが、酒をよく飲む人間から話を聞くと以前と比べれば大分マシになったものの、それでもビールよりは味が悪いそうです。そういった方達に更に話を聞くと、できる事ならビールを飲みたいと思うものの先ほどの酒税率増税によってビールの値段が上がってしまっているため、昨今はやむなく発泡酒に切り替えて飲んでいるそうです。
 こうした消費者の動きにこれでは増税した意味がないと国税庁も思ったのか、ビールに続いてこの発泡酒などの税率も近年は徐々に引き上げられてきております。そしたらそしたで飲料メーカーも今度はノンアルコールビールの製造、開発に勤しんで、なんか今年はやたらとこのノンアルコールビールが発売した、伸びているなどといったニュースを見ます。

 はっきり言ってこんな「国税庁VS消費者+飲料メーカー」のいたちごっこがいつまでも続いていたら、最終的には「じゃあこの際、お酒っぽい水でもいいや」ってことになりかねませんし、少なくとも当初の目的である税収の増加は全く以って見込めないでしょう。
 それだったら私はこの際、税率を以前の低い水準に戻し、飲みたい人間には以前の価格で以前どおりのお酒を提供するべきだと思います。酒飲みからすれば日ごろの楽しみの一つなのですし、味のいい飲み物を好きに飲ませた方が国民生活的にも、文化的にもいいかと思います。

 また確かに近年の飲料メーカーに因る発泡酒の開発は大した物だと思いますが、やはり発泡酒では味に伸び代と言うか限界があるように思えます。そんな発泡酒を開発していくよりはもっとビールの製品改良を行った方が産業的にも、将来輸出できる可能性を考える上でもずっと有益な気がします。多分発泡酒やノンアルコールビールなんて、世界的にも飲む人は少なそうだし。

 ちなみにここだけの話、私は酒が飲めない人間です。何気に昨日飲み会では次がれてしまったのでビールをコップ三杯飲んで、ブログの更新もサボったわけです。何も悪酔いしたわけでもなく二日酔いもなかったのですが、何度飲んでも酒類がおいしい飲み物だとは思えないなぁ。

2010年7月22日木曜日

法人税と消費税の関連性

 もう結構前の放送ですが、「TVタックル」においてキョウデンの橋本会長が面白い事を話しておりました。一体どんな事を言ってたのかというと、赤字が続く日本の国家予算を回復させるために政府は消費税を上げるのではなく、法人税を上げるべきだと主張したのです。

 正直な話、企業経営者の方から「法人税を上げるべきだ」という意見が聞かれるとはそれまで私は夢にも思いませんでした。一体どういう理由でそんな事を言い出すのかと続けて聞いていると、まず橋本会長は現在の消費税が昔と違って外税ではなく内税になっていることが企業にとって大きな負担になっていると言いました。

 内税の現制度ですと、書籍などといったものを除いて基本的に商品の値札には消費税を含んだ金額を書かなければなりません。そのため仮に消費税が現行の5%から10%に上げられた場合、販売者側はこれまで通りの利益を確保するためには上がった消費税分だけ商品の値札価格をそれまでより上乗せしなければなりませんが商品を買っている消費者側からするとこれではただ単に物が値上がりしたようにしか見えず、橋本会長によると恐らく消費者の消費する意識が薄れて物が余計に売れなくなって販売者側もそれまで以前の利益を確保できなくなることが予想されるそうです。
 そうなると販売者側は消費税が外税から内税に切り替わった2004年時のように値札の価格はそのまま、消費税の分だけ利益を減らすという方法を取らざるを得なくなるそうです。

 この橋本会長の意見ですが、私も聞いてて大いにありうると感じました。実際に内税に切り替わった2004年時に私はほぼ毎日のようにスーパーに行って買い物していましたが、実際に物を買っていて消費税分だけ値札の値段が上がったと感じる事は殆んどありませんでした。

 その上で橋本会長は、国は税収を増やしたいのであれば敢えて消費税をもっと減税し、その分法人税を上げるべきだと主張しました。消費税を下げる事で消費者は商品の値段が安くなったと感じてより消費意識が上がり、物を売る企業の側も余計な消費税の負担も受けずに経営がやりやすくなります。その上で企業が利益を出せるようになれば法人税が少し増えた所で、元々赤字の企業に法人税は課されないのだからさほど経営に影響があるとは思えず、むしろ利益を出せる企業が増える事で社会全体が明るくなるのではと意見をまとめていました。

 私は元々消費税増税論者ではありますが、こうして実際に企業経営者側からの視点での意見を聞かされてみると改めて考えさせられました。橋本会長の言っている事は非常に筋が通っている上、どっかの死にぞこないの会長と違って企業経営者自身が法人税を上げるべきだという意見を出すその姿勢には正直頭が下がりました。

 私が消費税を推進する理由は第一に徴税コスト(税金を徴収するのにかかる費用。マルサの雇用費も含む)が安い事、第二に脱税抜け道が少ない事、第三に比較的平等に徴税できるからで、仮に今後の日本で消費税率を上げるのであればその代わりに徴税コストが非常にかかる所得税を大きく見直し、それこそ所得の低い世帯を救済する為に年収400万円以下にはこの際所得税は一切かけないという案を持っていたのですが、聞いててこの橋本会長の案の方が案外いいんじゃないかと思いなおすようになってきました。

 何気に「法人税」という言葉はこの陽月秘話とは縁のある言葉ですが、私は基本的に税金というのは単体で考えるのではなく、他の税金、その用途などを合わせた幅広い視野で考えなければいけないものだと思っています。
 そういえば酒税についてまだ書いていなかったので、次回辺りにちょこっとこの辺を書いて見ます。

2010年7月21日水曜日

時間が有限だと意識する事

  夏休み お盆過ぎから 本番に

 これは大分昔に作った私の俳句ですが、言わんとする事は夏休みは終盤に入って宿題に追われるという状況になればなるほど遊んでて楽しくなるという意味です。人間不思議な物で、何かに追われている状況であればあるほどやらなきゃいけない事を放って関係ない行為、それこそゲームとか掃除とかをすると強い快感を覚える物ではないかと常日頃から私は考えています。

 まぁそういった現実放棄の快感は放っといて、それこそ今日から小学生らは夏休みに入ったそうですが、私の子供時代を思うにつけて夏休みが始まったばかりの七月だとどうにも休みという実感がないのですが、終わりが見えてくる八月の後半になるにつけ一日一日がそれまでよりずっと重く、価値があるように感じられた気がします。
 これはなにも夏休みに限る事じゃなく期間の定めた時間一般にも当てはまるように思え、例えば先ほどの夏休みの宿題のような作業一つとっても日程に余裕のある間はどうせ後で出来てしまうからなどと思ってはそれほど切迫感を感じられませんが、日にちが段々と狭まっていくと徐々に切迫感が増して嫌が応にも作業への集中力が増していきます。

 もうここで結論を出してしまいますが、人間というのは基本的に終わりが見えない間は現在自分がいる時間の価値を測ることが出来ないのではないかと私は言いたいわけです。
 先ほどの小学生時代の夏休み然り、学生時代然り、若者でいる間然り、現役世代でいる間然りと、人間には人生において様々な時間の期間が存在しますが、それぞれの期間で満足に時間を使用したかと問われるならば恐らく殆んどの方が無駄な時間の方が多かったと答えると思います。その上でそれら期間の前半と後半でどちらが充実した時間を過ごしたかと問うならば、多分こちらも後半の方が濃密であったと大半の方が答えるかと思います。

 何故このようになるかというと最初に言った通りで、それぞれの期間が終わりに近づかない限りはその期間における時間の価値、言い換えるならその間にしかできない事、やれない事を上手く認識できないからで、そのために人間が時間をフルに有効に使う事は至難の業ではないかと私は思うわけです。

 で、ここで極論を突然出してしまいますが、一体何が人間にとって最後の時間かというならば、それは間違いなく死以外の何物でもありません。
 私が何故この様なことを思いついたのかと言うと、ガン宣告を受けた患者らのインタビュー記事を見ていると、自分の死を意識するようになってから世界観が変わった、一日一日に価値を見出せるようになったという話を多く見かけたからです。

 言われて見て仮に私自身がもし来週、下手すりゃ明日に死ぬとしたら、一体今自分は何を優先して行うべきなのだろうかをその時少し考えてみました。遺書を書くべきか、それとも誰かと話しているほうがいいのか、それともいっそ何もせずに外だけをじっと眺めているべきなのかといろいろ考えてみたのですが、時間が有限だと意識すると何か物の見方が変わった気がしました。

 何も常に死を意識しろとまで言うつもりはありませんが、今あるこの時間は有限であって無限でないと考えるだけでも、人間知らず知らずのうちにもっと充実した時間を送れるんじゃないかと思うわけです。
 ちなみに常に死を意識するという考え方ですが、長岡出身の河合継之介と山本五十六の二人はよく、「常在戦場」という言葉を使っていたそうです。私はここまで極端ではないものの、論語の「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」をよく使っています。

2010年7月20日火曜日

大手生保四社、不払い問題対処に政界工作

 今を遡ること五年前、日本の各大手生命保険会社できちんとした契約があるにもかかわらず、本来支払うべき保険金を敢えて受取人に告知しなかったり、間違った情報を教えるなどして払わないという不払い問題が続出しました。

保険金不払い事件(Wikipedia)

 詳しくは上記のWikipediaのページを見てもらえば分かりますが、私はこの事件を知った際に保険会社はなんてクズの集まりなんだ、絶対にこんな所には就職しないぞと北斗七星に誓ったもんです。しかも北京で。
 この保険金不払い事件ですが、先日思わぬ所からまたこの名が持ち上がってきました。

大手4生保、自民・民主に接待攻勢 不払い処分めぐり(朝日新聞)

 上記記事は7/18日付けの朝日新聞朝刊一面に載ったニュースですが、これを朝六時から群馬榛名山へ向けて出発しようとする私と広島に左遷されたままの家の親父が見つけると互いに、これで朝日新聞から生命保険の広告が消えるなと言い合いました。

 記事の内容を簡単に説明すると、五年前の不払い事件が発覚した年、日本生命、第一生命、明治安田生命、住友生命の生命保険大手四社が自民、民主両党の金融関係の委員となっている議員やその秘書らに対して接待攻勢をかけていたという事実が報じられています。しかも第一生命に至っては07年に政治家のパーティ券を1000万円超も購入するなど、不払い問題の処理を巡って政界工作を行っていたと朝日は断じています。

 実際に当時、明るみになった不払いだった生命保険料の支払いのために各生命保険会社の経営は悪化しており、2005年以降に急激に増加したこれら接待費、献金は国政側に寛大な処置を求めるという意図あっての行為と見て間違いないでしょう。
 しかも今回朝日新聞が報じたこの記事を見ていて呆れてくるのは、一連の接待の中でなんと15回もこの大手四社の幹部が顔を合わせる接待を行っており、その接待における費用負担もそれぞれで決めていたようです。これが何を意味するかと言うと、この大手四社は不払い問題が起こるや互いに連絡を取り合って、手を取り合って政界工作を行っていたという事です。

 以前に朝日新聞はキャノンと松下の人件費の偽装請負を報じた事により未だにこの二社から広告を一切出してもらえていませんが、恐らく今回のこの記事でも生命保険会社から広告が引き上げられる事となることが予想され、いわば朝日は大口の収入源を失う覚悟でもって今回の記事を報じたと思います。
 ネット上で朝日新聞はよく赤新聞などと叩かれる対象であり、実際に私も過去にしょうもない記事を何度かこのブログで批判しましたが、今回のこのニュースは文句なしによく書いたと思わせられる記事です。惜しむらくはこうしたよい報道に限ってあまり別メディアに取り上げられず、ざっと見回した所、まだ東京新聞紙しか追随していません。

 こんな小さなブログですが、何かしらこの記事がもっと注目されればと思い、こうして私は取り上げる事にしました。

2010年7月16日金曜日

かつて呼ばれた私の異名

 最近濃い内容の記事を連発していていささか食あたり気味となっているので、今日はなにか緩いネタを書こうと思います。

 前に一度、これまでにあった野球選手のニックネームをまとめた記事を書いた事がありますが、ニックネームことあだ名というものはないよりもあった方が世の中いいと思います。具体的に何がいいとかそういった細かい理由まで詳しく書きませんが、やっぱり人となりや大まかな性格を理解する上で通しがいいし、初めて会った人に覚えてもらうのにもいい気がします。

 かくいう私はこれまで何か特定のあだ名をもらった事はこれまでにないですが、その代わりに異名というか、「○○した人」というようなニックネームは何度か友人らからもらった事があります。せっかくの機会ですので、幾つかここでそれを紹介しようと思います。

1、花園~変態と呼ばれた漢
 これは当時マガジンで連載していた「哲也~雀聖と呼ばれた漢」という漫画のタイトルからもじられたあだ名です。ごく一部の友人の間で、しかも使われた期間も少なかった異名ですが、もじりかたがうまいなぁといわれた本人が感心する名前でした。

2、Tシャツをハーフパンツに入れている人
 これは言われている本人が全く知らない所で、同じ学科内では相当知れ渡っていた異名です。この異名の由来は今でもこの時期はそうですが、夏となると私は毎日ハーフパンツにTシャツ、しかもTシャツを外に出しているのが嫌だから絶対にハーフパンツの中に入れて平気で外出しています。あんまりにも私がこの格好であちこち歩き回るもんだから、たまたまTシャツがハーフパンツから出ているとそれだけでニュースになっていたそうです。

3、洗濯物を取り込む男
 在学中のある日、今にもやばいくらいの夕立が降ってきそうな天気なのに同じアパートに住んでいる後輩が外に布団を干していたので取りこむように言おうと尋ねた所、その後輩は当時外出していました。後輩と言ったって赤の他人、しかし布団が夕立に晒されてずぶ濡れになるなんて本当に最悪もいい所です。そうやって悩んだ結果、その後輩の隣の部屋に住んでいる別の後輩の部屋に行き、その部屋からベランダを移って勝手ながら布団を部屋に放り込んでおきました。
 その後布団を放り込んでおいた後輩からは勝手な事をしてきながらもお礼を言ってもらえたのですが、取り込む際に部屋に入らせてもらった別の後輩がまたも学科内でこの話をばらしまくって、私と友人になると洗濯物を取り込んでくれると噂になってました。

4、ミスターHard Rock
 別に私は音楽バンドとかをやっているわけじゃないのですが、うちの旅行狂いのお袋が世界中にある「Hard Rock Cafe」というレストランに各地で訪れて、私へのお土産に胸にでっかく「Hard Rock Cafe」と書かれたTシャツやらセーターを買ってくるので、夏場なんか毎日それを着ているもんだからいつの間にか「Hard Rock Cafe」が私の代名詞になっていました。今度何着持っているかをこのブログで数えてもいいけど、恐らく20着は超えているだろうな。

 緩いネタをと思って書いたものの、想像以上にまた濃い内容になった気がします。

2010年7月15日木曜日

児玉源太郎の政治観

 前からよく、日露戦争について日本は乃木稀典よりも今日取り上げる児玉源太郎をもっと取り上げるべきじゃなんじゃないかと私は思っていました。

児玉源太郎

 知っている人には説明無用ですが、この児玉源太郎という人物は日露戦争において陸軍を実質的に切り盛りしていた人物で、戦費の調達から海軍との折衝、米国への和平仲介依頼から戦争指揮まで、どんだけ万能なんだよと言いたくなるほどの八面六臂の活躍を見せました。
 特に有名なのは乃木と共に参加した二〇三高地での戦いで、現在もその評価を巡る議論が激しく行われていますが、日本軍で最も多くの戦死者を出したこの戦いはどう見たって乃木が無謀な突撃を繰り返して徒に損害を大きくしたのに対し、援護砲撃を加えての攻撃で見事陥落させたのは児玉の力による所が大きい気がします。

 そんな児玉ですが、あくまで私の見方ですが、どうもこの人は自分のことを軍人というよりは政治家と見ていたような節がある気がします。実際に彼の経歴を調べると西南戦争中に熊本城で防衛を見事に果たすなど軍人らしい活躍も多いのですが、台湾総督として現地で施政を行ったりしているなど政治家としての働きも非常に多い事が分かります。
 極め付けが彼自身の発言で、これは昔に「その時、歴史が動いた」で見た話ですが、政治ということについて以下のように述べたそうです

「政治というのは大鉈を振るうような仕事で、細々とは決して行ってはならない」

 この児玉の発言を私なりに解釈すると、何もかもを見通せて万事問題なく政治を運ぶ事など不可能であり、またそうした細かいことにいちいち対応していては課題が山積みとなって行く一方。それであれば細かい事に逡巡して方向性を間違えないよう、対極観を持って大きく政策を動かしていくべきだ、という風に受け取りました。

 思うに近年の日本の政治はこのような大原則というものがなく、言ってしまえば非常に小さな話題に必死こいて多くの時間だけが割かれているようにしか見えません。そういうどうでもいいような国会議論を見るたびにこの児玉の言葉が思い出され、村山富一氏もちょっと前に言っていましたが今の政治家は本当にちっちゃい連中ばかりになったんだなぁという気がします。

 そんな政治家としての児玉ですが、彼の政治的功績でいえばなんと言っても台湾総督時代の施政でしょう。熱帯地域に属する台湾では現在もデング熱など様々な疫病がありますが、当時は今以上にインフラも衛生も整っていなかったために結構ひどい状況だったそうです。そんな台湾に乗り込んできた児玉は自らがヘッドハンティングして来た、こちらも後の日本に大きな影響を残す後藤新平と見事なコンビネーションを見せて台湾の衛生環境を劇的に改善する事に成功しました。
 この後に後藤は児玉から日露戦争後に日本が得た満州地域の開発のために満鉄総裁就任を依頼されますが、最初はこの依頼を断ったそうです。しかしその直後に児玉が突然死したため、運命だと自分に言い聞かせて初代満鉄総裁に就任して辣腕を振るう事になります。

 その後藤の格言ですが、折角なのでこれも引用しておきます。

「金を残して死ぬ者は下。仕事を残して死ぬ者は中。人を残して死ぬ者は上だ」


 なんとなく、児玉と後藤の関係を見ていると感慨深い言葉に私は聞こえます。

 おまけ
 Wikipediaの児玉のページにてこんな面白い逸話がありました。
 日露戦争後に東京で日露戦争にまつわる展示会があり、その場で若い陸軍将校二人が児玉のことを褒め称えていると、
「児玉はそれほどたいした男ではありませんよ(‐ω‐)」
 と、ボソリとした声がしたので何を言うかと将校らが振り返ると、なんとそこには児玉本人が立っていたので大いに驚いたそうで。

  おまけ2
 本当にどうでもいいですが、二〇三高地は私も去年に登ってきました。日露戦争の写真で見るとはげ山ですが、現在では結構緑も茂っており、夏に行ったので無性に熱かったです。

2010年7月14日水曜日

口蹄疫、韓国人研修生原因説について

 ちょっと批判が来そうな内容ですが、前から気になっていたのもあるので思い切って書いちゃいます。

 一時期よりは大分落ち着いたものの現在も完全に終結しきっていない宮崎県の口蹄疫問題ですが、この口蹄疫が発生した当初から妙な噂がネットで飛び交っていました。その噂というのも、今回の宮崎県の口蹄疫は発症一例目の水牛が出た農場が口蹄疫発生前に同じく口蹄疫が発生していた韓国から研修生を受け入れ、その研修生に付着していたウィルスから感染が広がったのだという説です。しかも最初その農場は韓国人研修生の受け入れを拒否したものの民主党の道休議員が強権を持って無理矢理ねじ込ませたとして、いわば口蹄疫発生の原因は民主党と韓国にあった、もしくは意図的に感染が広げられたというような内容があちこちで見受けられました。

 この噂を初めて見た時に私は、口蹄疫が確認されてすぐに何が原因だったかどうかはっきり分かるはずもなく、ある程度騒動が落ち着いた段階でなければこの噂の真偽も確かめられないだろうと考えてきちんと検証が行われるまでは静観の立場をとる事にしました。特に外国人が原因だという説はいつどの国でも過熱する傾向があるのでなおさら慎重さが必要だと感じ、ブログには一切取り上げませんでしたが注視をし続けておりました。

 ここからが本題ですが、この口蹄疫が発生した当時の宮崎県について今月の文芸春秋にて作家の高山文彦氏が「宮崎口蹄疫禍現地ルポ」という記事を寄稿しております。私も今日この記事を読んだのですが、口蹄疫発症一例目の水牛が出た農場について詳しく時系列にまとめられています。

 まずこの記事で重要なのは、発症一例目の水牛を見ていた獣医師である池亀康夫氏が名前入りでインタビューに答えている点です。ただでさえあらぬ風評被害を受けかねない取材にもかかわらず取材に応じた池亀医師には頭が下がる思いがするのですが、発症一例目の水牛が出た農場というのはこの池亀医師がかかりつけの臨床医をしていた農場だったそうです。
 さてあんまり細かく内容を書いてもしょうがないので、時系列ごとに口蹄疫確認までの推移を簡単にまとめます。

3/26 牧場主から牛の調子が良くないと連絡があり、池亀医師が二頭の水牛を診察。口蹄疫の症状と言われるよだれや泡は確認されず、熱があった事から風邪と診断し治療。

3/29 最初に調子の悪かった牛とは別の九頭も発熱をしたので、同じように風邪の治療を行う。翌日にはどれも熱は下がったが便の状態は悪いままだった。

3/31 中毒症状を疑った池亀医師が家畜保健衛生所から別の獣医師三人にも来てもらって診断。牛が暴れるため蹄の裏(口蹄疫なら発疹が出る)を確認できなかったものの、三頭から検体(血液)を採取。なお口周りの泡は確認されず。

4/5 牛の熱は平熱に戻ったが、保健衛生所からは診断結果がこないため問い合わせた所、問題症状は特にない「陰性」と言われる。この時保健衛生所は口蹄疫かどうかを日本で唯一調べられる東京の動物衛生研究所に検体を送っていなかった。

4/14 依然と牛の乳の質と量が悪いため、牧場主が再度池亀医師と保健衛生所に診断を依頼。またも牛が暴れるため二頭だけから検体を採取。またも診断結果が保健衛生所からなかなか送られてこない。

4/20 この牧場の近くの和牛農家で牛三頭が初めて口蹄疫と確認される。14日の診断結果を再度保健衛生所に尋ねるとまたも「陰性」の返事。

4/21 保健衛生所がこの牧場に聞き取りに訪れ、水牛五頭から検体を採取して動物衛生研究所に送る。

4/22 研究所から水牛に「陽性」反応が出たと連絡が来る。口蹄疫が確認された順番ではこの牧場は六例目であったが、何故か3/31に採取した検体から口蹄疫が確認されたこととなって発症一例目に繰り上げられて認定される。

 ざっとまとめるとこんな具合です。
 この口蹄疫韓国人研修生陰謀説を唱えるサイトなどではこの発症一例目とされた牧場は水牛が口蹄疫に罹っていると早い段階でわかったものの当初事実を隠蔽し、口蹄疫の感染拡大を招いた等と批判する意見も載せている所もありますが、少なくとも上記の池亀医師の証言を見る限りですと何度も外部の保健衛生所の医師を呼ぶなど隠蔽しているようにはとても思えません。むしろ4/14、4/21にも検体を採取しておきながらも、どうして口蹄疫確認に3/31の検体が採用されたのかが不可解です。

 そして記事では肝心の韓国人研修生の噂についても触れていますが、池亀医師の証言によるとそもそもこの牧場主は韓国人研修性に見学を許した事などないそうです。この記事を書いた高山氏は当初この牧場主にも会う予定だったそうなのですが、ちょうど取材する予定だった日に週刊誌記者に「一例目を出したのだから世間に説明する義務がある」と押しかけられてしまい、結局取材を取る事が出来なかったそうです。

 高山氏によるとこの牧場主の方は単身でイタリアに農場経営を学びに行き、東京都出身にもかかわらず宮崎県にて牧場を開いたそうです。それが今回の口蹄疫で事実上財産をすべて失ったばかりかその上一部マスコミから謂れのない非難に晒されてしまうなど、高山氏もそのようなマスコミに対して記事中で逆非難を行っています。

 最後に、私は高山氏の記事を信用して韓国人研修生陰謀説は間違っているのではないか、根も葉もないデマではないかと主張しているわけですが、私が直接取材しているわけではないのでこの高山氏の記事の方が逆に偽者という可能性もゼロではありません。それにもかかわらず何故私が高山氏の記事を取るかと言うと、

・現地で取材がなされている。
・発症一例目とされる牧場の獣医師が実名で取材に応じている。
・保健衛生所の診断など、追跡取材できる材料がある。
・一例目認定の不可解な経緯について書かれている。


 逆に韓国人研修生陰謀説について私が疑問に思う点として、

・何人研修に来たのか、人数がどこにも書かれていない。
・議員を通して牧場研修に来るというルートが不可解。
→JICAとか言われているが、議員が介入するメリットが見当たらない。
・宮崎と韓国で発生した口蹄疫ウィルスの型が一致したと言うが、韓国ではA型とかO型とか、複数ある。


 あくまでこれは私個人という素人の意見です。ただ前にも書きましたが、日本人は割と陰謀好きな所があるように思えますが、現実にはそんなに世の中陰謀に溢れているわけじゃないような気がします。

2010年7月13日火曜日

猛将列伝~信陵君

 中国戦国時代において軍事、内政それぞれの分野で並々ならぬ才能を持つ人物は数多くおりますが、その中でも屈指の人材ともなると私の中でまず挙がってくるのはこの信陵君です。

信陵君(Wikipedia)

 信陵君というのは通称で本名は魏無忌ですが、彼はかつて私が書いた「孟嘗君と馮驩」の記事にて取り上げた孟嘗君と同じく、戦国時代後期において高い評価を受けたことから並び称された「戦国四公子」と呼ばれた四人の一人です。この信陵君は魏王の弟でしたがかねてからその優秀さは群を抜いており、それゆえに王位を奪いかねない人物だとして実の兄からは警戒されておりました。

 そんな魏王を恐れさせた信陵君のエピソードに、信陵君が魏王と碁を打っていると隣国から軍団が近づいているとの報告があり、すわ戦争かと魏王が慌てたのに対して信陵君は隣国が狩りに出かけているだけなので慌てる必要はないと全く動じませんでした。果たしてしばらくするとまた新たな報告があり、信陵君の言う通りにその隣国の軍団は獲物の狩りのために出撃していたことがわかり、どうしてわかったのだと魏王が尋ねると信陵君は、自分は独自の情報網を持っており今日隣国が狩りに出かけるとすでに報告を受けていたからだとこともなげに答えました。

 終始こんな感じなので王である兄は信陵君を常に警戒していたのですが、ある年に魏の隣国の趙が秦に攻めこまれて首都を包囲されたため救援を求めてきました。趙には信陵君の姉が嫁いでいたために信陵君は王に救援を志願しますが、勢いのある秦に真っ向からぶつかるのは危険だとして魏王はこれを却下しました。
 やむを得ず信陵君は自分のわずかな手勢のみで救援に向おうとした所、門番の身分ゆえに誰も相手にしなかったものの信陵君だけが賢者だとして慕っていた侯嬴という老人から助言を受け、その助言に従って信陵君は魏の正規兵を指揮下に納める事に成功しました。そしてその兵を率いて趙を訪れるやあっという間に秦を撃退し、趙の救援に成功したわけです。

 ただ信陵君が正規兵を率いるに当たり兄である魏王の命令に逆らって行動したため、信陵君は兵だけを魏に帰すと自分は帰国せずにそのまま趙に止まりました。信陵君はその趙でもあまり身分がよくないものの賢者と呼び声の高い毛公と薛公という二人の人物とまた親しく交際するようになり、信陵君は身分を問わずにその才能で相手を見てくれるとますます人気が高まりました。

 しかしその一方、信陵君の去った魏では恐れていた信陵君がいなくなった事から逆に秦に何度も攻め込まれるようになり、年々その勢力を弱体化させていました。この危機的な事態に魏王は信陵君に何度も帰国を促しますが、暗殺が横行していた時代ゆえ、信陵君は謀殺されるのを恐れてその要請になかなか応じませんでした。
 そんな信陵君を見て、先程の毛公と薛公がこのように諭しました。

「あなた(信陵君)は魏あっての人物なのです。今諸国があなたを評価して競って求めるのは魏という母国があってのもので、仮に母国が滅亡しましたらあなたの正義はなくなり、誰もついてこなくなるでしょう」

 この言葉を受け信陵君はついに魏に帰国し、救援に来た他国の軍勢をすべてまとめ上げるやまたも一人で強国秦を見事に撃退して見せました。この恐ろしいまでの信陵君の活躍に恐れをなした秦は信陵君の存命中は二度と魏に攻め込まなくなったのですが、その代わりに信陵君を政治的に抹殺しようと、魏国内で信陵君が謀反を企てているなどといった噂を流布させて元々警戒していた魏王をさらに警戒させるという手段に出ました。この秦の策にはまった魏王は信陵君を暗殺こそしなかったものの政治からなるべく遠ざけるようにしたため、失意ゆえに信陵君はその後すぐに病気で死んでしまいました。

 この信陵君のエピソードを昔に読んで私が強く印象に覚えたのは、括弧書きで書いた毛公と薛公の、「如何に能力のある人物であっても、寄って立つものがなければ誰も信用しなくなる」という説法です。要するに背中に何を背負っているかという事ですが、なんでこんなエピソードを今日ここで引っ張ってきたのかと言うと、今の枡添要一氏と与謝野馨氏を見ているとつくづくこれがよくわかるなぁ思ったからです。

 この二人はどちらも選挙前に自民党から離脱して新たな党に入り、今回の参議院選挙にてそれぞれの党を実質取り仕切りましたが、自民党時代の名声や人気はどこいったのかと思うくらいに選挙中はおろか選挙の終わった今でも全くメディアに取り上げられませんし、人の噂にも上ってきません。特に桝添氏なんて自民党時代は総理にしたい候補ナンバー1だったのに、多分今このアンケートを取ったらランク外になる可能性すらあるんじゃないかと思うくらいの低落ぶりです。
 私は桝添氏が自民党離脱を発表した際にこのブログで、自民党あっての桝添要一であって、ただの桝添要一に有権者は反応しないだろうと書きましたが、この評論はまさにこの信陵君のこのエピソードから引用したものでした。多分先ほどの総理にしたい候補アンケートなんかあったもんだから、桝添氏は自分という個人が人気があると勘違いしちゃったのかな。

2010年7月12日月曜日

今後の政局について

 昨日一昨日とまたブログの更新をしませんでしたが、決してサボっていたわけでなくまたちまちまとしたある作業をやっておりました。うまくいけば多分、来週までにはその作業の成果をお見せできるかと思います。
 それはさておき全く盛り上がりませんでしたが、ようやく民主党が与党についてから初めて行われた参院選も終わりました。議席数を大幅に減らした民主党に対して大敗と書く新聞が多かったですが、私の感想はというと「勝者なき選挙」だったというのが結論のような気がします。

 唯一今回の選挙で良い思いをしたのは10議席を獲得した渡辺嘉美氏率いるみんなの党くらいで、一番多くの議席を獲得できた自民党ですらもあれだけ死に体だった民主党を追い詰める事も出来ず、また選挙前に数多くの離党者を出した事から本人らもどうにも勝利風を吹かしているようには見えません。それに対して民主党では今回の選挙での敗北責任を誰が取るのかで早くも揉めているなどという報道がなされており、選挙中に無闇な消費税議論をぶち上げた菅首相か、選挙区を取り仕切った枝野幹事長かなどと言われていますが、普通に考えるなら菅首相に変わるまで選挙準備を行っていた挙句資金管理問題で足を引っ張った小沢氏だと思うのですが。

 そういったおさらいはおいといて、ちゃちゃっと今後の政局について私の意見を紹介します。
 まず結論から言って、与党民主党が衆参でねじれ状態に陥った事からただでさえ惰弱な政権基盤が今後ますます弱まる事になり、不安定な政権が続く事によって今後ますます政治的混乱が続くと思います。すでに海外メディアなどは今回の選挙結果を得て、「また日本で首相が変わるのでは」と意見を載せているそうですが事実その通りで、同じねじれ状態でも安部、福田、麻生政権と違って衆議院で三分の二以上の議席を占めていない事から、このままの状態だと国会での法案成立にかつてないほどの時間がかかり政治が停滞する事は必至でしょう。

 そのような現実を踏まえて今後の政局はどのように動くかとなると、私の希望も強く入っていますが一番良いのは民主と自民で連立、もしくは合併をするのが望ましいかと思います。

 前に私が書いた「自民、民主のマニフェストを見比べて」の記事でも書いたように両党の選挙前公約は八割方一致しており、どちらにしろ議論しなければならない実行手段をお互いで刷り合わせれば何も問題ないんじゃないかというくらい一緒です。唯一対立している意見として外国人参政権問題がありますが、はっきり言ってこの問題は経済対策、司法改革と比べれば優先度が非常に低く、連立の間は政策協議こそ行えど法案提出をしないとして棚上げにすればいいかと思います。
 またこれまで自民、民主とで異なる立場だった普天間の米軍基地移設問題も、皮肉なことに一番ややこしくしてくれた鳩山前首相が最後は自分の首とかわりに社民党を追い出して自民党案に乗っかった事で、もはや対立する理由はなくなっております。

 今の日本政治に何が一番求められているのかと言うと立派な政策や改革などではなく、安倍政権以降、というより小泉政権を除いた小渕政権以降の政治的混乱に終止符を打つかのような安定性だと私は考えております。前鳩山政権は社民、国民新党と連立を組んだものの言ってはなんですが組んだ相手が非常に悪く、かえって政治基盤を揺るがせてしまいましたが、あんなクレーマーみたいな連中とではなくちゃんと方向性を同じくする政党としっかりと期間を定め、対応策に共通した意見を持つ政治的課題を片っ端から片付けていくのが何より重要かと思います。

 ただこの大連立を行うに当たり、やらねばならない事が一つあります。それはどんな事かというと両方の政党において後々禍根となりかねない、連立を行う上で障害となるであろう人物の粛清です。
 民主党においてはすでに鳩山前首相は引退を表明していますが、その鳩山前首相を傀儡としただけでなく90年代以降の日本政治において混乱が起きるように自ら動いて私腹を肥やしてきた小沢一郎氏と、日教組のドンこと輿石東氏、マルチ商法の元締め山岡賢次氏といった小沢と不愉快な仲間達。あと外国人参政権を強硬に主張する枝野幹事長も考え方を改めようとしなければ放逐する必要があるでしょう。

 自民党においては失政の責任を取ろうともせずに居座り続ける森、安倍、福田、麻生の元総理経験者の四人です。正直な所、他の三人はともかく福田氏には残ってもらいたい気持ちもありますが、近年の自民党総裁がどうして力を発揮できずに独自色を出せなかったのかを突き詰めると、元総理経験者がでかい顔して居座っていたのが大きな原因に思えてならないからです。彼らが居座り続ける事によって彼ら自身だけではなく、その取り巻きにも新たな総裁を気を使わねばならず、一番手っ取り早い方法として小泉元首相同様にこの四人にも退場をしてもらうことが連立後の安定性を維持する上では欠かせないでしょう。
 そうして連立を組む代わりに、自民党としては次の総選挙を前倒しして任期切れの2013年ではなく二年後の2012年に前倒すといった条件を民主党に出してもいいかもしれません。

 最後に前の記事でちょっと書き忘れていましたが、あまりニュースなどで取り上げられないものの民主党は今回の選挙マニフェストにおいて、今年から始まった子供手当てを国内に子供がいる家庭に範囲を狭めると謳っておりました。今更という感じですが、やるなら早くやれというのが私の感想です。

  訂正
 自民と民主が連立するに当たって粛清する必要がある人物として民主党の枝野幹事長をこの記事で挙げましたが、これは枝野氏ではなく仙石官房長官の間違いでした。どちらも外国人参政権の導入に積極的ですが、枝野氏がまだ内容を詰める必要があると言うのに対して、仙石氏はとにもかくにも急いで導入するべきだとしていてこの人物は連立するにあたって障害になると私は判断しました。
 私自身も外国人参政権については実は賛成派ですが、今の民主党案だと今の子供手当てみたいに内容が詰められていないためにすぐに穴が空くのは目に見えており、それにもかかわらずもう実施すべきだという仙石氏の意見はちょっと奇異なものに見えます。

2010年7月9日金曜日

匿名性と攻撃性

 なんかこの所、選挙が近いせいか出張所の方に記事内容とは全く関係のない、一方通行な政治主張をしつつ特定のアドレス、書籍ばかりを並び立てるコメントが多いので、最近私の気が立っているのもあるのでそれらコメントを削除すると共にコメント主をアクセス禁止にしました。言っちゃなんだけど、何が楽しくてやるんだろこういう人達。

 それはともかくとして、やっぱりこういったブログなり掲示板のコメントともなると中には日常世界で言ったらすぐに村八分になりかねないほどの過激な意見が書かれる事が多いと言われています。一体どうしてネット上では現実世界より意見が過激化、先鋭化するのかですが、原因は間違いなくネットの匿名性にあるでしょう。

ミルグラム実験(Wikipedia)

 私のような社会学系の人間にはもしかしたら「アイヒマン実験」と書いた方が通りがいいかもしれませんが、上記リンクに貼ったある実験の内容と結論を簡単に説明すると、質問者と回答者がお互いに顔が見えない様に2グループに別れ、もし回答者が質問者からの問題の答えを間違えたら質問者は罰として回答者に電圧を流すよう言われた所(実際には電圧はかけられず、回答者は痛がるような声を出すだけ)、質問者は回答者が回答を間違える度にどんどんと電圧を上げていき、最終的には実験者の大半が450ボルトという、人が死んでも全くおかしくないほどの電圧をかけるという結果になりました。

 ちょうど昨日にテレビ番組の「奇跡体験 アンビリーバボー」でこれと同じ実験をしたフランスのテレビ番組を取り上げていましたが、この実験が何を言わんとしているのかと言うと、人間は自分に責任が及ばないとわかるや直接顔の見えない相手に対してとことん冷酷になりうるということで、それゆえに上記のミルグラム実験はナチスドイツにおいてユダヤ人の大量虐殺を指揮したアドルフ・アイヒマンの名前を関するようになったわけです。

 これがネット上の意見とどう関わるかというと、いちいち言うまでもありませんがネット上では言い合う相手の顔も見えなければ個人の特定も難しく、まさに先ほどのアイヒマン実験のような環境にあります。それゆえに日常生活上では言えないほどの攻撃的な言葉や批判が行われ、それに対して言われた側もカチンと来てより激しく言い返して加熱して行くという現象があるとインターネット黎明期より指摘されていましたが、政治系の内容を扱う上は自分のブログもそうなるのかなと危惧していましたが今の所はまだそうはなっていない気がします。今回削除したのも、どちらかと言えば宣伝目的のものだったし。

 よくうちの親父から、このブログでの記事内容やコメントに対する私の対応が普段の私の姿からは想像も出来ないほど落ち着いているので意外だと言われます。実際に書いている自分でも、日常生活ではほぼ毎日、「死ね、ボケっ(# ゚Д゚)カス!!」とリアルに言っている自分がどうしてネット上だと攻撃性が低まるのかよくわかりません。なんていうか、むかつく相手の顔を見ている方が私の場合はイライラするのかな。

 ただ敢えて無理な解釈をすると、私はこのブログで自分のメールアドレスも公開していますし、通常のプライバシーを保てる範囲内では出来るだけ自分の匿名性を下げようと意識しています。政治系の主張をする以上は自分の発言に責任を持たねばならないと考えているがゆえの意識ですが、それゆえに私はかえってネット上の方が「人に見られている」と強く感じます。

 ここで言った「人に見られている」という意識ですが、これこそが日本人の行動に影響を与える意識の中では恐らく最も強いものでしょう。また暇があったらこれ単体で記事を書きますが、ネット上でも見られていると思うか見られていないと思うか、この意識の違いが結局はその日本人の潜在的攻撃性を図る上で一つの指標になるんじゃないかと今日バスに乗りながら考えていたわけです。

2010年7月8日木曜日

自民、民主のマニフェストを見比べて

 さすがに投票も直前になったので、そろそろ選挙関係の記事を書いておこうと思います。一応ネタは前々から仕込んでいて、街頭で配られているマニフェストを取っておいたので今日はその内容を自民と民主とで比べて見ようと思います。

 まず全体の構成ですが、見栄えで言うなら今回は民主党の方が出来がいいように思えます。分野ごとに政策案がまとめられており、巻末には自画自賛ではありますが今年の国会で挙げた実績と達成できなかったとして今後の課題を分けており、内容面はともかくとしてまとめ方でいえば及第点です。
 それに対して自民党はというと、なんていうかもっとまともなデザイナーはいなかったのと言いたくなるようなマニフェスト冊子でした。こちらも各分野ごとに政策案がまとめられてはいるのですが、部分部分に入れられている絵がなんと微妙な感じの人物の透かし絵で、悪気はないんだろうけど見ていてどうも斜陽産業的な印象を感じました。私だけかもしれないけど。

 それでは肝心の内容についてですが、結論から言えばどちらも前回の衆議院選挙時同様に何の参考にもならないと言っていいでしょう。理由は幾つかあり、

1、書かれている内容が前回マニフェストとあまり変わっていない
2、自民も民主も八割方内容がかぶっている
3、書かれている政策同士で矛盾がある
4、議員の責任について調子のいい事を書いている


 ざっと挙げるとこんなもんで、どちらもいい格好を見せようと調子のいい事しか書いていないというのが私の感想です。

 細かく説明するとまず1番目については言うまでもないですが、前回マニフェストに書かれていたのにどうして今だ実現できずにこれからできるというのか。格好いいセリフで言うと、「今日戦う事が出来ない奴がどうして明日を戦えるか」で、特に民主党は与党という立場にあったのだから実現できなかったというのであれば何度も同じネタを投下すると言うのはどんな物でしょうか。論語でも、「できもしない事を口にする奴は愚かだ」って言ってるし。

 2番目についてはまさに今の日本政治の駄目な部分の象徴ともいうべき箇所ですが、自民も民主も、「公務員の総人件費の二割削減」や「国会議員の定数削減」、「高校大学進学の奨学金を作る」などといった主だった政策が完璧なまでに一致しております。どうして議席第一党と第二党が共通した政策を持っているにもかかわらず前回選挙から今の今まで実現できないのか、答えは簡単でどちらも本気でやる気がないからでしょう。っていうかここまで一致してんだったら、この際連立なり合併するなり一緒にやっていったらと言いたくなるくらいの一致ぶりです。

 3番目についてはこちらもあまり説明する必要はありませんが、片方では財政健全化を目指すと言っておきながら、もう片方では社会保障にもっとお金をかけると言っており、一体どっちに重心を置いているのか全く訳がわからない内容に二冊ともなっています。民主については新たな歳出には無駄遣いを減らした分を充当すると書いていますが、今年の予算で全然その目論見が上手く行かなかったにもかかわらずまた書いてくるなんてちょっと呆れた態度です。

 でもって4番目。これは一つ一つ抜き出しておきましょう。

・法律で政治家の責任を明確に規定し、違法行為を「秘書の責任」にできないようにします(自民)
・国会議員の歳費を日割りにすると共に、国会の委員長手当てなどを見直す事で、国会議員の経費を2割削減します(民主)


 まず自民について、確か自民党も過去にたくさん「秘書のせい」にして言い逃れをしてきた政治家がたくさんいたはずです。こういったことを主張すると言うのならまずはその過去に秘書に責任を負わせた政治家らをすべて除名してから言うべきじゃないでしょうか。
 次に民主党ですが、国会議員の歳費を日割りにすると言っていますがほんの少し前、今年の四月と五月にそれぞれ一日しか登院しなかったくせに議員歳費約460万円を受け取った河上満栄なんていう駄目な人間を除名せず、ちゃっかりボーナスを受け取らせてから衆議院議員職を辞職させてから今度の参議院選挙に出馬させる組織が言うセリフではまずないでしょう。真面目な話、タイゾーの方が全然まともだった気がする。

 こんな具合なので、この二党についてはマニフェストをいちいち参考にする必要はないと思います。

 最後に一つ付け加えておくと、仮にどちらかのマニフェストに嘘でもいいから、「郵政民営化を元のレールに戻す」という一項目が書かれていれば私はそれだけでその党に投票するつもりでした。タイムリーに今、ゆうパックの遅配問題が起きていますが、小泉政権下で行われたこの郵政民営化は天下り、無駄な財政支出、中央集権から地方分権、族議員の排除といった広範囲の問題に関わる非常に重要な改革であったと私は評価しております。それが現在、小泉政権を引き継いだ安部内閣で野田聖子などといった郵政造反組の復党に端を発して民主党政権に至った今ではとんでもない内容でまた国有化されようとしています。

 この辺についてはまた今度解説しますが、もし民主党が今国会で提出された郵政改革法をそのまま通せば、恐らく郵政は集めた貯金をすべて国債につぎ込んでしまう事になると思います。今回の遅配問題で、これに待ったがかかれば言う事なしなんだけど。

2010年7月7日水曜日

日本式経営と住宅

 リーマンショック前に一次復権したものの今じゃすっかり死語と化してしまった「日本式経営」ですが、私も以前に書いた「失われた十年」の連載にて「日本式経営」と一項目を設けて解説しております。この日本式経営というのは簡単に説明すると高度経済成長期の日本企業の特徴と言うか雇用方針の事を指しており、具体的な特徴をWikipediaから引用すると、「終身雇用」、「年功序列」、「企業別組合」の三本柱で成り立っているとされております。
 ただ私はこの三本柱に加えて、あまり表では言われておりませんが日本式経営にはもう一つ、「住宅」という要素も重要な意味を持っていたのではないかと考えており、今日は一つその辺を解説しようと思います。

 これまた不況ゆえに今では全く聞こえなくなりましたが、私が子供だった頃は結構あちこちで、「日本人にとってマイホームを特別な意味を持つ」、「外人と比べて、日本人の家に対するこだわりは強い」という言葉がよく叫ばれていました。今じゃマイホームを持つ事自体、減価償却や地震、火災保険といったランニングコスト面で非常にリスキーな世の中である事を考えるとどうにも隔世の感が否めませんが。

 そんなマイホームへの強いこだわりがどうして日本式経営と関わってくるのかですが、私があちこちから話を聞いていると高度経済成長時代の日本企業では社員の福祉厚生の名目で社員の住宅購入時に低利で頭金を貸し付けたりする事が多く、企業自体が率先して社員に住宅購入を勧めていたという節があったようです。確かに社員のために住宅購入の援助をするというのは一見すると美談なのですが、さらによくよく話を聞いていると、どうもそうやって住宅を購入した途端に異動、転勤となったという話も同じくらいに聞こえてきて、それらを総合すると企業側は社員を縛る目的を持って住宅購入を勧めていたんじゃないかと思うようになりました。

 話のからくりはこうです。
 一生に一度の買い物といわれる住宅を購入する際、その金額ゆえに普通の人なら十年以上の期間に渡る長期ローンを組んで購入しますが、一旦ローンを組むと人間守りに入るというか、ちょっとやそっとのことでは収入を減らすような真似、言ってしまえば転職なり退職などといった決断がし辛くなります。
 これを企業側の視点から見ると、社員を効率的に働かせるためにはそれこそ異動なり転勤なりといった社員の意にそぐわない命令も時には必要ですが、それがきっかけで社員に逃げられてしまっては元も子もありません。ですが社員に住宅ローンを組ませてしまえばもうこっちのもんで、借金を抱えている負い目につけ込んで異動や転勤といった命令や、サービス残業なども以前より思いのままに申し付ける事が出来るようになります。

 このように、会社が社員に住宅購入を援助したり勧めることで社員に長期ローンを組ませ、転職や退職といった考えを持たせないようにする事で会社は社員の会社への依存心を意図的に高めていたのではないかと私は考えているわけです。でもってこの手段が発展していき、社員を会社に縛るだけじゃなくてこの際お金も儲けようとして作られたのが、自動車メーカートヨタの子会社であるトヨタホームだったんじゃないかと私は見ています。
 以前に愛知県の人から話を聞いた事がありますが、トヨタという会社は社員に対して熱心に住宅を購入するよう勧めてその購入費の援助も半端じゃなく、その甲斐あってトヨタ社員の持ち家率は非常に高いそうです。まぁ考えようによってはうまいやり方だけど。

 こんな風に考えてみると、私が子供だった頃に盛んに叫ばれていたマイホームを持つ価値というのは社員をなるべく会社に縛り付けて起きたいという企業側が作った風潮だったのではないかと思います。今じゃ日本企業は逆に社員にあまり長々と居着いてもらいたくなくなっており、こうした住宅購入援助も心なしか以前よりはなくなってきているように見えます。

 結論をまとめると、日本式経営における「終身雇用」を成立させる一つの条件として、住宅購入による長期ローンというのがあったのではないかということです。かなり久々に経済関係の記事を書いた気がする。

2010年7月6日火曜日

阿久根市のシャッターアートについて

 参議院選投票日まですでに一週間を切っていますが、政治系ブログの癖してこの話題についてはトンと触れておりません。多少なり争点がまだ書く気が湧きますが、今回はそもそもその存在理由すら公然と批判されている参議院の選挙でもあってわざわざ記事にするほどの価値は見出せません。敢えて苦言を呈せば、目立った争点を作る事が出来なかった最大野党の自民党があまりにもだらしなかったのが原因だと思います。

 そんなわけで今日も選挙と全く関係のない話題を取り上げますが、今日ネット上を見回していたら、一つ気になるニュース記事を見つけました。

日本一のシャッター街・阿久根(デイリーポータル)

 リンクに貼った記事は、市長が市役所職員と年がら年中ぶつかってはブログで愚痴を書き綴り、全国ニュースにも取り上げられてすっかり全国区となってしまった鹿児島県阿久根市のシャッター街の取材記事です。シャッター街というと寂れた地方都市について回るネガティブな言葉ですが、阿久根市はこのシャッター街を利用して観光の一つの目玉にしているということで、記者の方が真偽を確かめるために現地を取材したという内容です。

 一体何故シャッター街が観光材料になるのかとクエスチョンマークが浮かんできますが、百聞は一見に如かずで早速記事内容を見てみると、なんと阿久根市では各店舗のシャッターにトリックアートのような絵を街全体で描いている様子が写されておりました。しかもよくよくその絵を見るとそんじょそこらの落書きのレベルではなく、どれもウィットに飛んでいてミレーなどの名画の構図を微妙に現代風にアレンジして描いており、よくもまぁこれだけレベルの高い絵を街全体に作ったなと感心させられる出来栄えです。

 実はここだけの話、この阿久根市というのは酒ばかり飲んでいるうちのお袋の実家で、私も子供の頃は毎年のように訪れていた街です。私自身はこの阿久根市の近くにある同じく鹿児島県出水市の病院で生まれましたが、実質「ぼくの夏休み」的な田舎となると私の中ではこの阿久根市と叔母さんの住んでいた喜入市が浮かんできます。

 そんなわけで早速この記事をお袋に見せると案の定いい反応を示し、
「ここの肉屋は昔からあった」
「ここの家の長男は叔父さんと仲がよかったが早くに死んだ」
 などと、田舎らしく世界の狭い話を延々と話し始めました。

 ただこの取材記事の末尾にて、いろいろと悪い報道の絶えない市長について阿久根市の住民たちは好意的に評価している声が聞こえると書かれていますが、うちのお袋によるとこのシャッターアートというのは市長支持派の店舗にしか施されず、市は反対派の店舗に対しては殆んど行ってくれないそうです。取材内容から察するに恐らく、この記事を書いた記者の方がインタビューしたのはシャッターアートが施された店舗の住人ばかりだったのではないかと思え、そう考えるとお袋の情報も正しいような気がします。

  おまけ
 お袋に許しをもらったから書いてしまいますが、お袋の高校時代に留年して学年が落ちてきた同級生の男子がある日、
「鹿が食いたいなぁ」
 とぼやき、友達を誘って体育倉庫から金属バットを借りて、野生の鹿がたくさんいる阿久根大島へとフェリーで渡ったそうです。でもってそのバットを使って鹿を撲殺し、焚き火で焼いて望み通りに鹿の肉を食べたそうですが、焚き火の火の回りが早くて危うく大火事になりかけたそうで、学生服使って火を必死で消したために上着が大分焦げたというオチまでつけていました。
 その後、この時鹿を殴った人は警察官になったそうですが、火事の現場には誰よりも早く駆けつけることで有名になったそうです。

2010年7月5日月曜日

ロンドン海軍軍縮条約の意味

 私は中学、高校時代はそんなに学校の成績がよくありませんでしたが、こと歴史科目においては一貫して成績上位を難なく取っておりました。そんな歴史が得意な私だから思うだけなのかもしれませんが、やっぱり学校の授業では表面的な事項の説明に終始するため、教師ももっと深く掘り下げてやった方が学んでいる側も覚えやすくなるのにと思うことが数多くありました。一例を挙げると、これは世界史ですが中国で宋朝の後に出来た金朝を作った女真族は、後に清朝を作る満州族と同じだということなど。

ロンドン海軍軍縮会議(Wikipedia)

 上記リンクに貼った事項もその一つで、今日はちょっと政治思想的な内容を含めてこのロンドン海軍軍縮条約について私の意見を書いてみようと思います。

 第一次世界大戦後に二度とあのような世界大戦を引き起こさないため世界各国で軍縮を進めようという目的の下で1922年に結ばれたワシントン海軍軍縮条約に引き続き、1930年にこのワシントン海軍軍縮会議は開かれました。先にこの二つの条約の違いについて説明しておくと、前者のワシントン海軍軍縮条約では保有する戦艦の重量を制限したのですが、戦艦が作れないのであれば巡洋艦を作ればいいじゃないとばかりに、条約締結後に各国では制限対象にない攻撃能力の高い巡洋艦の建造ラッシュが始まってしまいました。
 しかし、これでは全く軍縮にならないじゃないかということになり、1930年に今度はロンドンで巡洋艦の保有数も制限しようとして開かれたのがこのロンドン海軍軍縮会議です。

 結果から言うと、艦の種類によって微妙に比率は異なりますが全体的には米英に対し日本は重量にして約10:6.975の割合で艦を保有を制限する事に決まったのですが、この条約案に対して批准するかどうかについて旧日本海軍内部は真っ二つに分かれました。
 腐っても欧米列強に対して約7割の保有数量を勝ち得たのは大成功だとする「条約派」、片や四方を海に囲まれている日本の海軍防衛力の重要性は米英の比ではないとして条約案を批判した「艦隊派」と海軍首脳部で二つに分かれたのですが、日露戦争の大立者である東郷平八郎はこの時、明確に艦隊派の立場に立って条約派を批判していました。

 最終的には時の政府を率いていた浜口内閣が大恐慌時代の最中ということもあり、余計な歳出を減らしていきたという思惑が条約派と一致して条約に批准はしたものの、海軍内部の艦隊派を含めて一般民衆からも条約批准時には政府に強い批判が起きたそうです。この動きに乗ったのが時の野党政友会で大物代議士であった鳩山一郎で、彼こそ後の軍部独裁時に錦の御旗として使われる事となる「統帥権の干犯」という言葉を使った最初の人間で、海軍内部の反対を押し切って条約を結んだ政府は憲法批判だと強く批判しました。
 よく鳩山一郎はハト派だったと評価する人がいますが、この鳩山一郎も孫同様に時期によって自分の意見や主張を平気で180度転換する事が多々あり、佐野眞一氏の言葉を借りるなら「嫌な人間の一族」の一人であると私も認識しています。

 さてそんなすったもんだがあったロンドン海軍軍縮条約ですが、たまに右翼的とされる評論家がこの条約について、「米英が躍進著しい日本を封じ込めようとして、艦隊の保有数量を制限しようとした策謀であった」という意見を述べる事がありますが、この意見について私は的外れな意見を言うのもいい加減にしろと言いたくなる意見だと考えています。

 名前を忘れましたが当時の条約派の軍人がこの条約に対し、「一見すると日本は米英の約7割に制限されるように見えるが、実際には日本7に対して米英を10に制限する、日本にとってこれ以上ない有利な条約だ」と述べております。これはどういう意味かというと、当時の日本と米英の工業生産力の差は現代とは比べ物にならないほど差があり、先ほどの軍人の意見の続きをそのまま引用すると、「仮にこの条約が撤廃されて建艦競争に入ると、日本が7の二倍の14に増やしている間、米英は20どころではなく30、40まで増やしているだろう」と述べており、実際にこの生産力の差はその後起きた太平洋戦争で実証される事になります。

 一つ例を紹介すると、太平洋戦争が開戦されるやアメリカはその有り余る生産力を存分に使って一気に軍備を拡張し、なんでも一ヶ月に一艦の割合で空母を建造していたそうです。それに対して日本は損傷した艦の修理にも何ヶ月もかかり、新造艦ともなると小さい物でも三ヶ月くらいの工期がかかっていたと思います。ちなみに大艦巨砲主義の申し子である戦艦大和はその運用において、先ほどのアメリカで一ヶ月に一艦の割合で作られた量産型空母一艦しか破壊する事が出来ず沈没しております。

 はっきり言って、当時のアメリカの工業力と日本の工業力を比較すれば先程の軍人が述べたようなロンドン海軍軍縮条約の価値は誰でも分かる話です。それにもかかわらず妙な精神論やら党利党略に走ってこの条約を批判し、挙句の果てには米英の妙な陰謀論まででっち上げるなんて馬鹿馬鹿しいにも程があるでしょう。

 昭和史研究家の半藤一利氏はこの時代の陸海軍首脳について、調べれば調べるほどにその要所要所の無責任さに呆れてくると述べていますが、このロンドン海軍軍縮条約一つ取ってもその言わんとする事が私にも分かります。この後に開戦される太平洋戦争の直前においても海軍は図上演習こと開戦した場合のシミュレーションを行っているのですが、なんでも十回以上やって全部アメリカの勝利に終わるという結果が出ても、「勝負はやって見なきゃわからないよ」と言って、最終的には政府の開戦提案にOKを出してしまいます。

 ちょっと前に日本人の無責任さについて長々記事を書きましたが、これは何も今始まった事ではないというのが今日の私の意見です。あともう一つ書いとくと、日本人はやたらと陰謀論を好みますが、実際にはそんなに込み入った陰謀と言うのは世の中少ないということも覚えておいてください。

2010年7月4日日曜日

長い文章を書けるようになるには

 よく人から毎日のように更新されるこのブログについて、「どうしてああも長い文章を毎日書けるの?」と聞かれます。実際に自分でもブログを始めた当初に想定していた以上に現在のこのブログは更新数も多ければ一回の記事辺りの文章も長く、まさかここまで書くことになるとは思ってもいませんでしたが、ブログを始める以前からも長い文章は比較的よく書いておりました。
 一番代表的なのはこのブログでも公開した「北京留学記」で、これは留学から帰国して半年後くらいにまとめて書いて中国語の恩師などへ報告書の形で贈りました。この留学記のように旅行などから帰ってくると備忘録の意味を込め、あらかじめ人に見せる事を前提にしてまとまった文章を書いてました。

 それで一体どうすればこれだけ長々と文章書けるようになるのかですが、結論から言えば練習あるのみで、それまでにどれだけの量の文章を書いてきたのかで全部決まると思います。

 私の場合、中学生の頃から小説を書くようになりましたが、お世辞にも当時は文章が上手いとは言えず、確か400字詰め原稿用紙を20枚くらい書いた所で一つの話を書き終えていたと思います。しかし人間書き続けていればなんとやらで、各回数を重ねるごとにこの枚数は飛躍的に増えて行き、確か15歳の頃には一本の小説で原稿用紙100枚はざらで、新人賞に投稿したのになると300枚は行っていました。やっぱり自分でも一本で100枚を超える小説を作った時にはなにか壁みたいなのを破ったような気がして、それ以前とそれ以後で表現の技術やら段落の運び方などで大きな差が出来たように思います。

 その後高校進学後も小説は書いておりましたが、その頃になると小説より現在このブログでやっているような社会批評など、何かしら題材を取って解説したり意見を述べるルポのような文章を書くことの方が好きになっていき、ただ長い文章量の小説を書いていた頃と比べて短くとも内容にこだわる文章を心がけるようになって行きました。今思うと、いい時期に目指すべき文章の方向性を変えた気がします。

 そして大学進学後、この頃はそれまでと打って変わって文章を書く機会がめっきり減りました。最初でこそ一人同人誌(雑誌名は確か「出来心」)を作るなどしてやる気十分だったのですが、一人で活動する寂しさに加え、何かを発信しようとするよりもまずは発信する中身を鍛え上げねばと大学で勉強していて感じるようになったのが原因で、確か一人同人誌は三回出して終わりました。見せていたのも、近所の友人だけだったし。

 そんなわけで代学在学中は文章をあまり書かず、このブログを始めてからまたどえらい量の文章を書くようになったのですが、最初に書いたように自分でも思っていた以上に書き続けてきており、ブランクとかそういった物は感じた事はありません。大学受験での国語の能力は数学と違って落ちにくいと予備校の講師から聞かされておりましたが、文章を書く技術と言うのも案外その類に洩れず、それこそ一度鍛えたらずっと身についてくれる物なのかもしれません。

 たまにどうすれば文章が上手くなれる、長く書けるようになれるかといった質問を受けることがありますが、多分人から教わるよりも自分で小説でも日記でも何でもいいから書き続ける事が一番早道だと思います。ちなみにきれいな文章を書くためには文豪の小説なんかはたくさん読めばいいという人もいますが、少なくとも私に限れば人に言うのも恥ずかしいくらいこの手の読書量は少ないです。決して文豪の小説を読むのが悪いというわけではありませんが、書くんだったら読むよりも書いているほうがいいんじゃないかと、いい訳がましく考えております。

2010年7月2日金曜日

続、こんにゃくゼリーの報道について

こんにゃくゼリーの窒息、重症率85% 消費者庁分析(朝日新聞)

 リンクに貼ったニュース内容を簡単に説明すると、消費者庁がこんにゃくゼリーは危ないよという統計結果を発表したという内容なのですが、内実を見てみるとわかりますがこの発表した統計というのが実にひどい内容で、もはやここまで来たらマンナンライフへの国家的弾圧じゃないかとすら思います。

 具体的な内容を説明すると、まず人目を惹くように「こんにゃくゼリーの窒息、重症率は85%」と発表しておりますが、この85%という数字の根拠をよくよく見ると、

「窒息事故4137件のうち原因食品がはっきりしている2414件を分析。その結果、同ゼリーによる事故は7件と件数は少ないものの、うち2件が「重症」、4件が命の危険が切迫している「重篤」だった。」

 見てもらえばわかる通り、この85%という数字はこんにゃくゼリーを起因として起きた窒息事故の中で重症となった場合の割合であって、こんにゃくゼリーが原因で起こった窒息事故の割合ではありません。では実際にこのデータからこんにゃくゼリーを起因として起こる食品による窒息事故の確率を計算すると、

 7÷2414=0.0029

 という、実に0.3%程度というごく微小な確率です。
 しかも呆れる事にこの朝日新聞の記事では同じく餅が起因とする窒息事故で重症となった割合と比較し、

「406件あった餅は重症・重篤・死亡の重症以上の事故が54%、アメ(256件)は1%だった。」

 これも意図的に騙すようにうまく記述をはぐらかせていますが、きちんとそれぞれの窒息事故件数と重症となった件数を改めて書くと

・こんにゃくゼリー:6/7件(85%)
・餅:219/406(54%)
・アメ:2/256(1%)


 このように重症件数で見ればこんにゃくゼリーは高いですが、そもそも窒息する確率自体が少ないのに何を以って、「政府の食品安全委員会が「アメと同程度の事故頻度」としたリスク評価とは異なる実態が浮かび上がった。」とまで書くのか私には理解できません。

 このニュースについて議論されている掲示板で上手い比較があり、このデータを野球のエラーにたとえてこのように書かれておりました。

「2414回守備機会があって。
こんにゃく君は 7エラー中6回は失点につながるエラー
もち君は 460エラー中230回は失点につながるエラー」

暇人\(^o^)/速報様より引用)

 非常にわかりやすい比較で助かるのですが、こんにゃくゼリーはまさにこの通りの危険性で、これで餅やアメより危険だと消費者庁から言われるなんてマンナンライフは風評被害だと訴えても私はいいと思います。第一、元となったデータ自体がどこからどこまでが重症として扱うのかその範囲を書いておらず、窒息件数についても病院に運び込まれた件数でしかデータを取っていないので代表性についてもまだ疑わしいところがあります。百歩譲ってこのデータで仮に私が分析するとしたら、病院に運び込まれる時点で相当なんだから重症か軽症かなんかで分けたりする事なんてしません。

 最後に、ちょっと名指しで批判させてもらいますがこのような記事を書いた河村克兵氏という記者についてはその神経を疑います。仮にメーカーがこのような誤解を起こしかねない発表をしたらそれこそ賠償請求物で、こんな頭の悪い記事書いて金もらえるなんて仕事を舐めているんじゃないかと声を大にして言いたいです。普段は政府批判ばかりの癖して、こういう時には国のお先棒を担ぐなんて下衆もいい所でしょう。

2010年7月1日木曜日

先月の投稿数について

 今日になって月が明けて七月となりましたが、改めて先月のこのブログの投稿記事数を見てみるとなんと23本と、体調悪くて休みがちだったのは自覚していましたがこのブログを始めてから過去最低の更新速度であったというのは自分でも驚きです。もっとも記事一本辺りの文字数は比較的多いので決して手を抜いているわけではないのですが、それでもここまで落ち込むものかとややショックな事実です。

 記事で取り上げた内容自体は大原騒動など前から書きたかった物ばかりでそこそこ納得はしているのですが、なんていうか文章が荒れていて自分でもなんだか読み辛い物ばかりになっております。実際に先月は記事を書いている最中に表現が浮かんでこなくて指が止まったり、1000文字くらい書いた記事を丸々消して書き直したりする回数が非常に多くて、何か壁に当たっているのだろうかと思うくらい調子が悪かったです。これまでの私は書こうと思う内容を頭に入れてから一気に書き始めるタイプなので、書き初めから書き終わりまで聴いている音楽CDを入れ替える時以外はほぼ止まらずに書いていたりするのですが、先月は本当にこれが出来ずに途中でソリティアまで始めてしょっちゅう中断していました。

 こういう風に不調になった原因として兼ねてから抱えている頭痛がひどくなったのと、単純に睡眠時間が大幅に減ったのが理由と今は見ています。あまり私生活のことを書いても仕方がないですが実は四月から勤務しているところで異動があり、住所はこれまでと変わりはないのですが通勤がそれまでの一時間から二時間へと二倍に膨れ上がり、しかも時間がラッシュアワーにぶつかるようになり、正直に通勤がしんどい物だと痛感するようになりました。
 それでも四月の間はそれほど気にならなかったのですが、五月に入った辺りから徐々に体力というか気力が萎えていき、このブログも一時間で書けていた内容が二時間位も所要するようになって行くにつれて通勤が原因なのではないかと思うようになってきました。そもそも頭痛もこの通勤苦が原因で悪化している可能性も高いのだし。

 同じく私生活の話をすると、先月は関西時代の友人が私の住んでいる関東にやってきてうちに一泊するというので楽しみにしていたら、なんかいろいろあってその友人が到着したのは夜の十二時でした。さすがにこの時間帯だとそれほど話せないだろうなと思っていたら結局その日は二時半まで話し続け、次の日にまた朝六時に起きて出勤したのはいい思い出です。
 因みにその友人と夜中まで話した実績で一番すごいのとなると、もう一人共通の友人を加えて夜八時から次の日の六時まで延々と、しかもメインの話題が「スーパーファミコン時代の傑作RPGゲーム」だったというのがありました。結局その時の議論は「クロノトリガーが恐らくRPGとしては完成形だったのだろう」で落ち着きました。

 久々にブログらしいどうでもいい話でまとめられた気がします。

2010年6月30日水曜日

消費税増税で庶民は本当に困るのか?

 去年の衆議院選挙の選挙期間が一ヶ月以上もあったこともあるかもしれませんが、投票まで二週間を切っているにもかかわらず今度の参議院選挙は全く盛り上がりがありません。ワールドカップのおかげと言うかせいと言うべきか。

 ただそんな次回参議院選挙において、最大の争点と言うか議論の中心になっているのは菅首相がぶちあげた消費税増税議論でしょう。
 この消費税増税議論については賛否両論というより批判する声ばかりが大きく、出した本人の菅首相ですら身内の民主党からも反発食らって最近はこの件に触れなくなってきております。ただ私の意見を言わせてもらうと何も今度の参議院選挙が終わったらすぐに消費税を導入するとは言っておらず、将来的な財政を考える上で消費税を増税した場合はどうなるか、どのような増税の仕方がいいのかを議論するのであれば早いに越した事はないと考えており、むしろこの議論は本来ならば十年前にやっていなければならなかった物なので遅すぎるとすら感じております。そういう意味で、自民党案に乗っかっただけとはいえ選挙前に消費税増税を打ち出した菅首相を私は評価しております。

 さてこの消費税についてですが、野党を中心としてやっぱり批判が多いです。その批判の内容はというと大半は消費税の逆累進性といって、要するに所得の少ない人ほど税の負担が大きくなる傾向があるため、ただでさえ不況で苦しいのに庶民を更にいじめるのかという物ばかり、ってかそれしか見ないような気がします。
 私はあくまで一社会学士、下手すりゃただのリーマンで税法なり会計においては全くの素人もいい所です。ただそんな私がおこがましくも意見を言わせてもらうと、消費税は庶民をより苦しめる税かと言われたら必ずしもそうじゃないんじゃないかと思います。確かに庶民の負担も増えることは増えますが、それ以上に普段税金をほとんど払っていない事業主、言い換えるなら個人企業のオーナーなり社長に与えるインパクトの方が確実にでかいと思います。

 ここでちょっと私の家系の話をするとうちの家は四代続けてリーマンという由緒ある雇われ人の家なのですが、うちの親父が中学生だった頃、クラスメートにはサラリーマンの家よりも独立して生計を立てている家の方が多かったそうです。それで互いに、

「サラリーマンの家は気楽でいいよなぁ」
「そういうお前の家は税金払ってないだろ」

 と、日ごろから言い合っていたそうです。
 わかる人ならもうここで話は切っちゃってもいいのですがそれだと私の出る幕ないのでまたくどくどと説明させてもらうと、日本の個人企業なり中小企業の事業主であれば所得税に関しては八割方は脱税できるとかねてから言われております。

 サラリーマンの家ですと所得税は基本的に給与から天引きされるので脱税をすることなんてほぼ不可能なのですが、事業主であれば自らの法人から個人である自分への所得をコントロールしつつ、個人の分の支出も法人の経費として処理する事でこの辺の課税を逃れる事が出来ます。

 簡単な例を作ると、ある個人企業の社長が自分専用に200万円の車を買うとします。しかしその購入費用の200万円はその社長の個人のお金ではなく自分の会社の経費から出し、購入した車も社有車として登録するとします。そうして購入した車は実質社長個人しか使われませんが名目上は社有車で、社長が購入するのに使用した200万円も本来ならば社長への所得として所得税が課せられるのですが、法人として購入したことになるので所得税は一切課税される事はありません。

 このように中小企業の事業主であれば会社の財布を自分の財布のように扱うことで、本来ならば個人の消費として処理されるべき項目、それこそ家族との外食代や愛人へのプレゼント代ももっともらしく交際費などといった経費として計上する事で所得税やその他諸々の税金から逃れる事が出来ます。
 さらにこういった処理を意図的に行って企業決算を敢えて赤字にする事により、法人税の支払いからも完全に逃れる事が出来ます。法人税というのは企業がその年度内に出した利益額にかけられる税金であるため赤字の企業には一切かからず、そういったことを反映してか日本の企業の八割は中小企業と言われていますが、少なく見積もっても全体で過半数の日本の企業は常に赤字経営で法人税を払っていないそうです。それでも世の中回ったりするのだからいろいろ面白い。

 ここで話は消費税に戻ります。
 さきほどの200万円の車を購入した社長の例ですと、仮に所得税や法人税をいくら挙げた所でこの社長から徴税できる金額にそれほど変化はありませんが、消費税を上げると確実にこの社長からこれまでよりも多くの税金を得る事が出来ます。また車に限らず、経費として処理されてきていた不適切な処理項目、さらには本来表に出てこないヤクザの持つ資金なども実生活上で使われた際には確実に徴収できます。

 こういう風に考えると消費税というのは税率が上がれば確かに庶民にとっても増税ですが、それ以上にこれまで事実上の脱税を行ってきている不心得な事業主らから徴収できる金額の方が大きいのではないかと素人的に思います。それこそ消費税を増税する代わりに所得税を一部下げたりすれば、実質増税になるのはそういった不心得な事業主らだけになりますし。

 私としては政府が増税する事については今の財政状況を考えるとごく自然な成り行きだと思うのですが、今の政府だとそうして集めた税金をまともに運用するのが不安です。財投債も事実上復活しますし。
 ですがもし消費税を増税して集めた予算の使途を完全に限定する、それこそ介護などといった社会保障にしか使わないのであれば、必然的に集められたお金は社会的弱者の庶民へと配られる事になるので、これまで脱税して来た事業主から金をふんだくれて一石二鳥になるかもと思うので、これなら私も増税に納得できます。

  補足
 昨日に書いた「何故日本人は無責任になったのか」の記事で一つ書き忘れていましたが、無責任な日本人が増えた理由の大きな物としてもう一つ、サラリーマン世帯が増えた事も挙げられます。個人で店なり企業なりを経営している人はその人個人に企業行動におけるすべての責任が付きまといますが、サラリーマンであればある程度は法人こと会社が責任を受け持つので、こうした意識が希薄化していくのではと友人が言っていました。本来ならば会社の責任は経営者こと役員が持つはずなのですが、日本とアメリカの企業役員はあんまり責任持たないので、こうした傾向に更に拍車を駆けているのかもしれません。

2010年6月29日火曜日

何故日本人は無責任になったのか

 この所文章が荒れていて、今に始まった事ではありませんがいまいち表現したい事を文章に表現できていません。今日の記事は前回前々回の記事の続きなので、初めにこれまでの記事のプロットから紹介します。両記事の大体の論法、意図したかった内容は以下の通りです。

 最近の日本文化は幼稚さ、幼さを売りにしている物が多いような
→改めて考えてみると、最近の若者は大人になりたがらない幼稚な人が多いような
→何で若者は大人になりたくないのか?
→大人になって責任を持つのを嫌がっているような気がする
→現に社会人も責任を抱えるのを忌避しているような気がする
→そういや首相や主要財界人でも無責任な奴が多いような気がする
→なんだかんだいって、日本社会全体で幼稚化してんじゃないのか


 ざっくばらんにまとめるとこんな感じです。ここで私の言う「幼稚化」というのは、そのまま「無責任になった」と読み替えても結構です。何だかんだ言って、責任感が強いか弱いかというのが大人らしいか子供らしいかを決める上で非常に重要な要素ですし。

 前回の記事で私は現に無責任な日本人が増えてきた例として、批判に耐え切れず一年前後で辞めていく首相達、社員は宝だと言うわりにはやけに離職率の高い会社の会長などを例に挙げましたが、今現在ですとただ力士から話を聞いただけで協会としてはやれるだけの内部調査をしたと言い張る相撲協会の理事長もこの類に属すでしょう。
 また個人でなくとも、社会的にも厚顔無恥だと言いたくなるような事件をこのところよく見ます。恐らくこの手の事件を起こす人は前からそういう人間でそういった人間が目に入るようになっただけかもしれませんが、モンスターペアレンツを始めとして、生活保護費を大量の携帯電話使用料につぎ込む人などと、義務を果たさずにおいてやたら権利を主張する人が堂々と公然に出てくるというのは私からすると理解が出来ません。

 このように日本社会が全体で無責任になってきたのが近年の日本の元気のなさ、希望のなさにつながっている一つの原因かもしれないと思って今日に至るまで長々と書いているわけなのですが、今日はどうしてこんなに日本の社会、ひいては日本人は無責任になっていったのかを幾つか仮説を挙げて考えてみようと思います。それでは早速最初の仮説から、

仮説一、大人になるメリットがない
 これは若者限定の仮説ですが、前の記事でも書いたように近年の若者は大人になるよりは子供のままでいたいと言う人が傍目にも多いような気がします。私自身の周りでもこのような事をいう人間は多く、先日も友人と一緒に「そこがわからねぇ」とお互いに言い合いました。ちなみに私なんかは結構ちっちゃい頃から早く大人になりたいと思っていて、大学を卒業した今でも学生生活にそれほど未練は感じていません。

 どうして現代の若者はそれほど大人(社会人)になりたがらないのか、一言で言って目に見えるメリットがなくてデメリットしか感じられないのが原因だと思います。現在不況の真っ只中という事もあって普通に正社員に就職できるかも怪しく、また正社員になった所で給料の伸び率は明らかに以前より小さく、学生生活と比べて制約される時間が多い割には得る物も少ないともきています。またサラリーマン特有のサービス残業や飲み会と言う訳の分からない付き合いを嫌う人間も増えており、それだったら時間分きっちり給料をくれるフリーターでいる方がいいのではという声を実際に私もよく耳にします。

仮説二、社会的責任の重大化
 自分なんか世代の影響もあると思いますが、やっぱり昔の話を聞いているとどんだけ無茶が許されたんだとよく思います。
 一番この仮説で代表的な例は交通事故を起こした際の刑罰で、以前は長くとも数年の懲役だったものが危険運転致死傷罪の導入によってかつてでは考えられないほどの厳罰が交通事故で下りるようになってきました。この危険運転致死傷罪を始めとして近年の日本の刑事罰は厳罰化の一途を辿っており、その上補償を求める民事裁判も大分一般化してきたのもあって以前と比べて意識するしないにしろ社会的責任は重大化しているように思えます。

 前もって言っておきますが私は上記の刑罰の厳罰化や民事裁判の一般化はいい傾向だと思っております。ただこれまで泣き寝入りするしかなかった人が救われる一方で、なにか事故が一件でも起きたら即社会から追放というような風潮も一緒に流れ始めているのはあまり歓迎しません。一例を挙げると私も過去に取り上げたマンナンライフの蒟蒻ゼリーなど、あれだけ幼児にあげるなと記載しているにもかかわらず与えて子供を殺した親の非難がセンセーショナルに報道され、野田聖子が自信の陰謀から攻撃を与えるなど、一失即死とも言う様な近頃の風潮はあまり住み心地がいいと思えません。ま、船場吉兆は潰れて当然でしたが。
 なお前回の記事で本来セットであるはずの権限と責任が一致していないのがよくないと書きましたが、何故一致しなくなったのかと言えばこの仮説で書いたように責任が以前と比べてあまりにも肥大化していったのも一つの原因と見ています。

仮説三、責任者が責任をとらない
 これは言わずもがなで、とかげの尻尾切りよろしく最高責任者ほど自身が責任を取らずに何かあれば下に責任を擦り付けることが実際に起こっているということです。一番いい例は民主党鳩山前首相と小沢氏の資金問題の際、どちらも責任を自分の元秘書にすべて擦り付けて逃げ切りを図り、検察もそれで納得しちゃったという例です。私を含めた国民の側からすると、一番上の人間はいくらでも逃げ切れるが下の人間はそのかわりに責任を擦り付けられるのだと見えたでしょうし、真面目にやる事に対して馬鹿馬鹿しさを感じた人も多かったのではないでしょうか。

 これとは逆の例ですが、郵便料金の障害者団体向け特別割引を不正に認定したとして逮捕、起訴された元厚生省局長の村木厚子氏の事件では、検察側証人がみんな村木氏は無罪だ、検察に脅されて村木氏が関わったと言ってしまったと証言している辺り、民主党の資金問題を見逃した近年の検察組織は戦後以降で最低レベルの集団だと言わざるを得ません。少なくとも村木氏を捜査、起訴したクズみたいな検事は顔と名前を出した上で辞職しなきゃ筋が立たないでしょう。

仮説四、責任感が強い事自体がデメリット
 皮肉な話ですが今の時代、道路の速度制限を忠実に守ろうとすることのように、ルールを真面目に守ろうとする正直者自体が馬鹿だという風潮がある気がします。一部の経営者を始めとして、「法律に書かれていないから」という理由で常識的な価値観からは大きく逸脱した行為を実行に移す人間が増え、また若者の側も就職活動の面接で確認がとれないことをいい事に嘘八百を並び立てて、どこか正直でいるよりも多少ずるしてでも利益を得る方が正しいというのが主流派になってきたと思います。

 何故そうなったのかと言えば、恐らく大半の方がアメリカ型の弱肉強食の価値観が入ってきたからだと言うと思いますが、上記のような意見を私は十年くらい前から見ており、だとすれば少なくともアメリカ型の思想が流入してすでに十年は経っている事になります。私はそのような価値観を追放できずにすでにそれだけの年月を経ているのであれば、日本人はたとえ嫌がっていようとももはやその価値観を是認してしまっていると言うべきだと思います。アメリカが悪いと言うのは簡単ですが、問題があるといいつつもその価値観を十年間も追放できなかったのは日本人の責任だと考え、批判ばかりしてないでどうそれを正すかを議論し、行動する方が建設的な気がします。


 ざっとまぁこんな具合ですが、今の日本はいわば責任からお互いに逃げようと日本人全員で延々とババ抜きをしているような状態で、一向にゲームが進まない状態にあるのではないかと言いたいわけです。ではどうすればこの状態を脱する事が出来るのか、一言で言えばごく単純に信賞必罰を徹底することだけで、過去に過ちを犯した者はその過ちの分だけ降格させ、功績を作った者はその功績の分だけ昇進させるだけです。
 やっぱり今の日本を見ているとこの辺が非常に曖昧で、責任から逃れ続けて傷が少ないだけの人しか昇進していないように見え、野球にたとえるなら、ストライクを多く取る投手よりもフォアボールを出さない投手が、取ったアウトの数に関係なく昇進するといった感じです。

 今年になってゆとり教育は有効性が認められず、ほぼ完全に方針転換することになりましたが、当初から批判が少なくなかったにもかかわらず導入した文部科学省の当時の責任者は何も罰されません。かつてノーベル賞を受賞した島津製作所の田中耕一氏はノーベル賞を受賞するまでは日本国内でほぼ無名で、ノーベル賞を受賞した途端にあちこちから表彰されました。
 責任を取るという事について、もうすこし日本人は考えるべきだと言うのが私の結論です。

2010年6月27日日曜日

幼稚化する日本社会

 昨日に書いた「幼稚化する日本文化」の記事の続きです。
 近年、今に始まったわけではありませんがよく日本は駄目だ駄目だと日本人自らが言っております。しかし一体何が駄目になったのか、恐らく発言者の大半が意図しているのは経済についてでしょうが、それ以外にも治安、文化、学術、技術などといった分野も往年と比べると見劣りがしてしまう所も些かあるでしょう。では一体何が原因でそれらが駄目になったのか、一概に言える事ではありませんが、私は日本人が日本は駄目になったと思う大きな原因の一つとして、日本社会が幼稚化しているという事実も含まれているかと思います。

 昨日の記事でも少し書きましたが、現在開催されているワールドカップを見ていると外国の若い選手らがインタビューにて受け答えする場面をよく見かけるのですが、彼らのインタビューを見ていると、彼らと同年代の日本の若者と比べて実に大人びているというか、受け答えがしっかりしているという印象を強く受けます。もちろんワールドカップに出場する選手の大半は日ごろから海外リーグでプレイするなどそれぞれの国の普通の若者と比べても場数なり経験が多いのは事実ですが、それにしたってこのところの日本の若者は外国の若者と比べて態度や振舞い、発言が幼いように思えます。

 私自身も中国に留学していた際にいろんな国の学生らと交流をしましたが、決して全員が全員そうであったと言うつもりではないですが、日本人学生と比べて外国の若者はそれぞれがきちんと目的意識を持って留学に来ており行動の仕方や考えなど、確かに容姿や体格の違いなどで欧米人と比べてアジア人は幼く見えてしまうとはいえ、日本の学生はどこか子供っぽ過ぎやしないかと当時に感じました。ウクライナ人を除いて。

 そういう風な視点で何故日本の若者は子供っぽく見えるのかを少し考えてみたのですが、何よりも日本の若者自身が「子供のままでいたい」という意識を強く持っていることが原因かと考えるに至りました。大学生一つ捕まえてもこのまま就職もせずずっと学生を続けたいという意見がよく聞かれ、自分が独り立ちすることについて強い不安を口にする人を私自身が数多く見ております。年配者の方から話を聞くと昔はちょうどこれとは逆で、学生らは早く一人前として社会に認められたいという意識が強かったそうなのですが、どうして現代の若者は昔の流行り言葉でいうなら「アダルトチルドレン」、きちんとした学術用語でいうなら「ピーターパン症候群」のような傾向を持つように至ったのでしょうか。
 ここでもう結論を述べてしまうと、若者に限らず現代の日本人全体で責任を持つ事に対して忌避する傾向があり、それが子供っぽい行動をかき立てているように私は思います。

 本来、責任と権限という物は二つでセットの概念です。例えば動物の餌やり当番であれば動物に与える餌の種類や量を自由に決める事は出来るものの、餌のやり方で動物の体調が悪くなりでもしたら責められることになるといった具合です。
 しかし現代の日本の企業社会ではこの二つがセットになっているとは言い難く、仕事のやり方など応用が効かせられる範囲は殆んどないまま目標だけが課され、言わば権限はないまま責任だけが持たされるという傍目にもやってられるかという、中間管理職が一番辛い環境にあると言われております。そういった状況を反映してか、確か去年くらいの調査で最近の新卒就職者は出世意欲が低いなどという結果が出ましたが、あんなの私に言わせれば当たり前もいい所です。

 言ってしまえば、権限がないまま批判の種になる責任だけ背負い込まされるため、日本人みんなで責任から逃げ回っているのが今の日本の状況です。しかも嘆かわしい事に本来大きな責任を持つべき人間に全く責任感がなく、無責任な人間が数多くはびこっている事がこの動きに拍車を駆けているようにも見えます。

 まず筆頭に挙がるのは安部晋三氏以降の総理大臣で、どれも与えられた任期を全うする事なく約一年で辞任し、近年の日本政治に大きな混乱と後退を招きました。特に前二つの麻生太郎氏と鳩山由紀夫氏に至っては片方は、「すぐに総選挙を実施する」、もう片方は「秘書の責任は議員の責任だ」と、過去の発言などどこ吹く風かと言わんばかりに総理就任後には前言を180度ひっくり返した行動を取っており、最後には居直りまで見せるという無責任さには見ていてつくづく呆れました。

 また政界に限らず財界においても、今はJAL会長の稲盛和夫を筆頭に言っている事とやっている事が見事なくらいに真逆な人間が数多く、特に今は好調だけれども日産のカルロス・ゴーン氏に至っては、「目標を達成できなかった役員には辞めてもらう」とか言っておきながら自分が目標を達成しなかった時には全く進退について言及しなかったなど、ちょっとご都合主義もよろしすぎやしないかと言いたくなる人ばかりです。ま、カルロス・ゴーン氏は日本人じゃないけど。

 私自身、こういった社会で重要な地位にあるとされる人間がこれほどまでに無責任な人ばかりだと、真面目にやっていても何かあればトカゲの尻尾切りみたいな目に遭うだという気がしてそれほど出世したいとは思いません。こうした日本社会の無責任な風潮が大人になる事のメリットを感じさせず、若者を含めた日本社会全体の幼稚化につながっているのではないかと思うわけです。

 ついでに書くと外国人と比べて幼稚に見えるのは何も若者だけでなく日本の政治家も一緒で、今年49歳のオバマ大統領と比べると日本の首相はどれだけ頼りないのかとつくづく思いやられます。
 企業も大学生の採用ポントとしてどこも私が批判してやまないコミュニケーション力を一番のポイントとして挙げていますが、私はそれよりもむしろ、責任感の強い人材こそ稀少性が高くて必要になってくるんじゃないかと思います。

  おまけ
 今の表に出る日本人の中で誰が一番大人らしいというかしっかりしているように見えるかとなると、変な話ですがプロゴルファーの石川遼氏が私の中では上がってきます。それに比べるとテレビに映る人間は、大麻使用で捕まった押尾被告を筆頭にそれでも本当に子供を持つ親かと言いたくなる人ばかりです。

2010年6月26日土曜日

幼稚化する日本文化

 以前からリンクを結ばせてもらっているアングラ王子さんこと潮風太子さんのサイトがリニューアルされ、リンク先名も「風が吹けば旗屋が儲かる」に変更しました。今度は今期絶好調の千葉ロッテの話題がメインとなるそうなので、興味のある方は是非足を運んで見てください。

 先日、友人から突然二十年以上前に出版された筑紫哲也氏の対談本を渡されて現在もなお読んでいるのですが、最初の対談にて筑紫氏と向き合ったのは当時「構造と力」の出版にて大ブレイクしていた浅田彰氏でした。その対談を読んだ私の正直な感想を言わせてもらうと、「なんて生意気そうな人なんだろう」と浅田氏に対して思いました。
 ただ一見だけで判断するのはよくないし、かなり昔の対談という事もあるので下調べと言うか後調べと言うか、ひとまず上記にリンクを貼った浅田氏のWikipediaのページを読んで見たのですが、そこで書かれている人文知の項目を見てまさにこの評価が一変しました。

 そこで書かれている内容を私の理解で簡単に紹介させてもらうと、まず浅田氏は今の日本において人文知が成立する余地がなく、その理由として、「いまや国家もハイ・カルチャーに興味をなくしつつあるし、オタクあがりのIT成金もハイ・カルチャーに興味をもっていない」と述べ、「幼児的退行を売り物にするカルチャーが、日本的なオタクの特殊な表現であるということで、世界的に売れてしまう」現状だと評しています。

 上記の浅田氏の発言というか対談を全文読んだわけではないため浅田氏の具体的に意図したいことをきちんと私が理解しているとは言い難いのですが、上記に引用した文の中で私は「幼児的退行」という言葉に大きく注目しました。
 浅田氏が上記の発言で挙げているように近年の日本では確かに「幼稚さ」を売り物とする文化が大いに流行していると私も感じており、一昨日に書いた「芸術性の価値」の記事の中で指摘していますが、いわゆる純文学というか「解の出しようのない問い」をテーマにした作品という物となるとトンと世に出なくなってきました。

 この件について今日友人に振ってみた所、元々日本文化自体に幼稚であるというか幼さに対して特別な感覚があり、紫式部の「源氏物語」で光源氏が小児性愛に近い、っていうかそのままの感情を持つなどなにも今に始まった事ではないのではないかという風に返されました。友人の言う内容も私は十分理解できるのですが、それにしたって近年は本来は子供を対象にしたアニメや漫画が日本の偉大な文化の一つとして挙げられ、その一方で十年以上読み継がれる小説なり思想書が出てこないなど、二十年前と比べて明らかに違うという気がしてなりません。

 私自身もアニメや漫画を見る事は見ますが、こういった物はやっぱりサブカルチャーというか表であんまり趣味として広言出来ない物として扱うべきではないかと常々考えています。というのもサブカルチャーだからこそ暴力的などのきわどい描写をしても、「たかが漫画じゃないか」と言い返せるのであって、メインカルチャーでは扱えない範囲を扱う事が出来るのです。それをメインカルチャーのように祭り上げよう物なら、そういった表現に対しても規制が厳しくなり、本来の面白味も失っていくことに繋がりかねません。

 と、ここで話は変わりますが、実はこの所、密かに非常に問題なのではないかと感じていることがあります。それはどのような時に感じるのかというと、変な話ですが現在も絶賛開催中の南アのワールドカップの中継を見ている時で、世界各国から来ている20代前半を中心とした選手達がインタビューに答える姿を見てつくづく、

「日本の若者と比べて、外国の若者はなんとしっかりしていることか……」

 というように、自分も同じ日本の若者として情けなさをこの頃強く感じます。

 本当は今日まとめて書いてしまおうとも考えていましたが、私は近年の日本は文化が幼稚化していることに加え、社会全体でもどこか幼稚化しているような気がします。社会の幼稚化は文化による影響なのか、それとも逆に社会が幼稚化したから文化も幼稚化したのか、そういった疑問を含めて明日この日本社会の幼稚化問題について解説します。

2010年6月24日木曜日

芸術性の価値

 最近狙っているわけじゃないけど歴史関係の記事が多いので、久々に抽象的な事でも書こうかと思います。

 よく「○○は芸術性が高い」と芸術作品に対して評論家は述べたりしていますが、そもそもの話として芸術性とは一体なんなのかが一般人からすると分かり辛いです。恐らく絵画なら絵画、陶器なら陶器でそれぞれ芸術性を示す指標なり何なりがあるとは思うのですが、今では最大級の評価がなされているゴッホが生前には二枚しか絵を売る事が出来なかったことを考えると、それらの指標というのは時代ごとの評価基準ではないか、言い変えるならその時代の品評家が如何に評価するかで決まってしまうほどあやふやなものではないかという気がします。

 では形を変えて文学作品ではどうでしょうか。日本の文学界における賞としては芥川賞と直木賞が一番有名で、前者が文学性を重んじるのに対して後者は娯楽性、要するに売れる本がいつも選ばれていますが、はっきり言って芥川賞作品はそれほど知名度もなくよっぽどチェックしている人でなければ五年以上前の作品ともなると誰も覚えていないでしょう。
 これと関係するかどうかは微妙ですが、「明日のジョー」などの原作で有名な梶原一騎は川端康成についてこう言っていたそうです。

「川端康成がノーベル文学賞を取ったらしいが、俺の方が原稿料は上だ」

 梶原一騎の主張を敢えて意訳するなら、芸術性云々より売れる物を書いたほうが勝ちなんだといいたかったんだと思います。この主張は他の芸術界においても一部通っている所があり、どこそこのオークションでどれだけの値段がついたかで芸術家としての序列が決まるということもあるそうです。
 となると資本主義の論理よろしく芸術性というのはその時代ごとの金銭的価値で決まるのでしょうか。

 あまりもったいぶっていてもしょうがないので私の意見をもう書いてしまいますが、私は作品としての芸術性は、その魅力が及ぶ範囲、量、永続性の三点にあると考えています。
 例えばダビンチの作品群を例に取ると、彼が生きていた時代はもとより製作後数百年経った今でも世界中の数多くの人間を変わらずに強く惹き付けており、同様にシェイクスピアの文学作品も未だに世界中で読まれては演劇にも使われております。

 このように芸術作品の芸術的価値というのは、時代の流行や文化の影響を受けずにどれだけ幅広く受け入れられるか、まさに音楽でもあるように「クラシックさ」によって価値が決まるものだと私は考えているわけです。ですので単年度でどれだけ売れたかや、限定されたグループの人達の間でだけで熱狂して受け入れられているといった事実は芸術性を見るに当たってあまり当てにならないかと思います。

 そういったことを踏まえて考えると、私が何よりも残念に感じるのは日本文学です。もう十年以上前の話になりますがある書評にて、「今出ている本の中で十年後も読まれる作品といったら『少年H』くらいしかない」というものがありました。その「少年H」も未だに読まれているかといったら微妙ですが、明治や大正の文豪作品に比して現代の文学作品はどれだけ足が早いのか、語り継がれる作品がどれだけ少ないのかを考えるにつけ日本文学はここまで落ちたかと落胆してしまいます。

 個人的な趣味を言わせてもらえば、三浦綾子氏の作品はもう少し現代でも評価されていいと思います。「氷点」は数年前にドラマ化しましたが、なんかこの人の評価って文学者ではなく流行作家として扱われてて、多分まだ現国の便覧にも載せられていないんじゃないかな。因みに私は「銃口」が一番お気に入りですけど。

二度の世界大戦における死者数

 昔、どこかの本でこのような一説を読んだ事があります。

「日本にとって世界大戦と言ったら二次大戦しかないが、ヨーロッパ諸国にとっては一次大戦が与えた影響は二次大戦より遥かに大きかった。それまでヨーロッパ諸国は高度な文明社会であればあるほど高度な社会思想を持つとされ、戦争においても文明国ではルールに則った形で行われ無秩序な虐殺など起こるはずがないと考えていたが、そんなヨーロッパ人の概念を一次大戦は見事に粉砕した」

 この一説のいう通り、日本は一次大戦では火事場泥棒的に東アジアのドイツ領土を攻撃しただけでしたが、ヨーロッパの戦線ではいつ終わる事ない塹壕戦が延々と続いたばかりか毒ガスの使用や空中爆撃、戦車の登場といったそれまでにない戦術が次々と作られては実行されていきました。
 そんなヨーロッパにおける一次大戦ですが、先ほどの一説に続く形でちょっと気になる文言が付け加えられていました。その文言というのも、

「ヨーロッパにおける一次大戦の死者数は、二次大戦より多かった」

 最初見た時はそんな馬鹿なと思いつつも、国土が実際に戦場になったドイツやフランス、そして戦争に深々と介入していたイギリスといった西ヨーロッパ諸国ならさもありなんかなと、読んだ当時は思っていました。

 先日にこの話を友人にして以来、今日に至るまで何気に本当の所はどんなものかとちょっと気になっていました。そうとなればそれほど調べるのに時間の掛かるデータでもないので実際に比較して見ようと思い、この二度の大戦における各国の死者数を一つ調べて見てみることにしました。結果は下記の通りで、早速ご覧下さい。

  国別世界大戦死者数(民間人犠牲者含む)
・イギリス 一次:91万人>二次:40万人
・フランス 一次:136万人>二次:34万人
・ドイツ  一次:177万人<二次:550万人
・ロシア  一次:170万人<二次:2000万人?(ソ連)
・イタリア 一次:65万人<二次:68万人
・アメリカ 一次:13万人<二次:40万人
・日本   一次:300人?<二次:310万人


 まず最初に断りを入れておくと、一次大戦の死者数についてはどこも「ブリタニカ国際大百科事典」から引用しているのかほとんど同じ数字なのですが、二次大戦についてはナイーブさをはらむが故かネットで閲覧するサイトごとに死者数が異なっており、数字と統計にシビアなヨーロッパ諸国ならまだしも、数字に感情という(誇張ともいう)物をやけに詰め込みたがるアジア諸国についてはいい加減にしろと言いたくなるくらい大きく違っています。
 幾つか例を挙げると、日本の死者数については上記に引用している厚生省の調査による310万人に対して、「ブリタニカ国際大百貨辞典」では197万人とされております。中国に至っては1000万から2000万と実に二倍もの差があり、はっきり言って論外としか言いようがない数字の差です。

 そう言うわけで一時大戦の死者数にはWikipediaから、二次大戦の死者数については幾つか見ている中でまだまともそうな数字でなおかつサイトにあまり臭いがない「ひとりごとのつまったかみぶくろ」様の「第二次世界大戦等の戦争犠牲者数」の記事にて載せられているワールドアルマナックからのデータを引用しました。

 さて早速データを比較して見ると、私の予想通りに西ヨーロッパではイギリスとフランスが一次大戦の死者数が二次大戦のそれを大きく上回っております。それに比べると日本の死者数は比較にならないほど少なく、この辺が今度書くつもりでいるロンドン海軍軍縮条約における英米側と日本側の反応の違いを生んだ事は間違いないでしょう。

 幾つかこのデータについて解説を加えておくと、二次大戦におけるソ連は文字通り敵の弾が尽きるまで死体を積み上げるという作戦を強行し、なんでも1920年から1922年生まれのソ連出身男性の戦後の生存率は3%くらいだったそうで、ほぼ例外なく全員勲章を受けているそうです。死者2000万人というとてつもない数字がどれだけ正確かは測りかねますが、二次大戦において最も死者を出した国という意味では信用に足ると思います。

 最後に、今回調べていてちょっと意外というか、自分が見逃していたとちょっとしょげるデータが一つありました。そのデータというのも、これです。

ポーランド:二次:600万人

 二次大戦期におけるポーランドの虐殺というと侵攻してきたソ連によって士官ら二万人以上が虐殺された「カティンの森事件」ばかりかと思っていましたが、よくよく考え直すとアウシュビッツを初めとしたドイツによるユダヤ人収容所もポーランドに沢山ありました。実際に上記死者数の大半は民間人ことポーランド在住のユダヤ人だったそうで、これだけの人数を虐殺したドイツに対してポーランド人はロシアみたいに恨みに思わないのかと疑問に思ったわけですが、あくまでざらっとネットで調べた程度ですが、このポーランド国内におけるユダヤ人虐殺にポーランド人も一部加担していたという意見もあり、だとすればポーランドのロシアとドイツに対する態度が異なるのもなんだか納得がいきます。

2010年6月22日火曜日

天気予報と飲食店

 先週末の天気予報で、私の住んでいる関東地域では土日どちらも午後から雷雨になるとの予報が出ておりましたが、結果から言えば土曜の午前に小雨こそぱらついたものの曇り止まりで、午後には雨は降りませんでした。
 人間誰しも失敗があると昨日もデーモン小暮氏はいっておりましたが、それにしたってこの所の関東地方の天気予報は見ていて呆れるくらいに予報が外れる事が多いです。先月から何度も「午後には雷雨が」という予想がされているのですが、雷どころか雨すら降らないという日がもう何日もありました。

 一般人からすると、「逆ならともかく、雨が降らなかったのだからいいじゃん」で片付けられますが、これが飲食店ともなると話は大分違ってきます。飲食店などで働いた経験のある方なら分かると思いますが、同じ土日でも雨が降るのと降らないのとでは客の入りが明らかに違い、飲食店経営者にとってすれば雨はまさに商売敵以外の何者でもありません。
 私自身も喫茶店でバイトをしていた時期がありましたが、雨の日ともなると常連客を帰すと後は本当にやる事なく、バイト代をもらう事がなんだか申し訳なくなってくる日もよくありました。特に六月の梅雨時と「ニッパチ」こと出入りの少ない二月と八月は顕著で、天候というものがどれだけ経済に影響を与えるのかを身を以って知りました。

 そういうこともあって先日、雨が降っている日に後輩と会った際、昼食に入った和食屋さんで天気の話を振ってみました。

「雨の日は大変ですね。お客さんも少なくなるでしょう」
「ええまぁ。ただ天気のことは仕方がないので我慢するしかないのですが、天気予報でもお客さんって減っちゃうんですよね」
「天気予報で?」
「ええ。天気予報で雨と言われちゃうと、その日が晴れててもやっぱり減ってしまうんですよ。こればっかりは少し残念ですね」

 言われて見ると確かにそうで、次の休日が雨と予報でもされたりすると外出するより家にいようとしてしまいます。それで晴れたりしたら、飲食店としては確かにしょっぱい思いをするでしょう。
 そう考えるとこの所の天気予報なんて、大々的に雷雨だなんて言っておきながら雨粒一粒すら落ちない日もざらです。なにも百発百中にしろとまでは言うつもりはありませんが、飲食店で働いている皆さんのためにももう少し正確な予報を関東地方担当の気象予報士の方には頑張ってもらいたい所です。

2010年6月21日月曜日

続・相撲界の野球賭博事件について

 つい先週にも「琴光喜の野球賭博事件について」の記事でこの相撲界にまつわる野球賭博事件を取り上げましたが、一週間経った今日もこの問題は留まる事を知らず依然と火が噴きっ放しの状態です。しかも当初は数人の力士だけが関わっているとされていたのがいつの間にやら親方やOBを含めて数十人と、ゴキブリじゃないけどここまできたら未だに自己申告していないのも含めて少なくとも百人以上はこの野球賭博に関わっているんじゃないかと疑いたくなるくらいです。それは言い換えるなら、相撲界という組織自体が野球賭博に深く関わっているということになります。

 改めて今回のスクープを取り上げた週刊新潮は偽赤報隊事件犯人手記の面目躍如とばかりの見事な報道をしたと恐れ入るのですが、それに対して相撲協会の杜撰な対応は見ていてほとほと呆れてきます。琴光喜に続いて野球賭博を行っていた事を認めた元貴闘力こと大嶽親方の名前が上がってきたのも相撲協会の内部調査からではなく、これまた先週発売の週刊新潮からの実名報道を受けてのものでした。もちろん相撲協会はこの雑誌の発売日前に内部調査をしたと発表しているのですが、報道が調査に先んじるなんて以ての外で、これでは真面目に調査を行っているのかはっきりいって疑わしく感じます。

 しかも相撲協会は警察の対応を待ってから関わった人間の処分を発表するとしていますが、立件や刑事罰などならともかく協会内の処分(来場所出場禁止など)であればわざわざ警察の指示を待つ必要もなく、体よく時間を置いてほとぼりを冷まそうという思惑があるように見えます。漫画の「カイジ」の兵藤会長じゃないですが、真に反省して悔い改める態度があるのであれば果断にこういった処分は決定され、実行されてしかるべきでしょう。

 しかも前回の記事でも書きましたが相撲協会は昨年から大麻事件や朝青龍の暴行事件などがあって綱紀粛正に努めるといっておきながら、実質何もしていなかったというのが今回の一件でよくわかりました。さすがの私も問題があるとはわかっていながらも、朝青龍もこんな相撲協会に辞めさせられて今更ながらなんだか可哀相な気がしてきました。朝青龍はそれ以前からの問題行動に加えて一般人への暴行によって引退勧告がなされましたが、今回の野球賭博はヤクザも深く絡んでいることを考えると朝青龍の起こした問題と悪質性では全く引けを取らず、下手すりゃそれ以上に問題性のある行為であって、この野球賭博に関わった相撲界の人間はいい訳のあるなしに関わらず全員即刻追放されてしかるべきでしょう。

 追放でなければ朝青龍への処分と比べて明らかに公平さを欠き、また今回野球賭博を通じて黒社会に流れた金は、全部ではありませんが一部は国の文化庁から出されている国民の税金です。そんなお金をこんな事に使うなんて、キャミソール大臣こと荒井聡並のモラルの低さにはもう言葉も出てきません。
 何度もこのブログで書いているように私は国技館にも足を運ぶほどの相撲好きですが、今回の一件で見方をすっかり変えさせられました。

 目下の所、七月にある名古屋場所を開催されるかどうかがこの問題の焦点となっておりますが、先程のNHKニュースのインタビューにて好角家のデーモン小暮氏が、

「私は悪魔だが、人間誰しも失敗はあるもので、真面目に努力している力士も沢山おるので名古屋場所は開催すべきではないだろうか」

 と話していました。最初の断りはいらんやろ、と心の中で突っ込みました。
 私としては名古屋場所はただでさえ私が逆恨みをしてやまない中日新聞が深く協賛していることもあり、問題の処分が一向に目処が立っていない事も考慮するとやはり開催すべきではないと思います。これで中日新聞が配る予定だった相撲のチケットが全部パーになってくれれば、本当に御の字なんだけど。

2010年6月20日日曜日

ネットブック購入ヽ(*´∀`)ノ

 昨日はご多分に漏れずサッカーを見ていたのでまた更新をサボりました。なんかこの所自分でもびっくりな位に愚痴が多いですが、どうも神経が弱っているのか何もしなくとも疲れている事がやけに多いです。今日もパワプロで遊んでいたら、これまで四割七分だった自分の持ちキャラの打率が、一時三割八分まで下がったし……。
(´Д`)

 そんな一日明けの今日の更新ですが、友人からやけに強く薦められたのを受けて昨日ついにネットブックこと、小型ノートパソコンを購入しました。購入したパソコンのスペックは下記の通りです。

メーカー:東芝
型式:dynabook MX/33LRD
価格:59,800円
重量:1.6kg
OS:Windows7(Officeはなし)
メモリ:2G
CPU:1.3G
光ディスク:非内蔵
その他:WEBカメラ、無線LAN内蔵


 買ったのは東芝製のネットブックで、型式は今一番新しいのより一つ前です。光ディスクはついていないのですが、最近だと外付けでもスリムで安価なものも多い事から、7,000円の物と合わせて買いました。小雨の振る中買いに行ったのに、ビタ一文負けてくれなかったけど。

 今回ケチで有名な私が何故こんな数万円もする買い物をしたのかというと、i-padの発売を受けて今後携帯電話より一回り大きくて付加機能もついた小型端末が普及して行く事が予想され、恐らくその潮流は、「携帯電話→i-Phone→i-pad」か、「デスクトップパソコン→ノートパソコン→ネットブック」という、両サイドからの二つのアプローチがなされて最終的には真ん中で刷り合わせが起こるんじゃないかと読み、一応この動きに早くに関わっておこうと考えたからです。
 そこで何故i-padではなくネットブックを選んだかですが、i-padだと通信するのにパケット代とかいちいち考えるのが面倒で、ネットブックであれば何か外でパソコン使う作業にも幅広く使えるだろうという用途の広さで選びました。

 そんなわけで昨日はサッカーがやっている横でちまちま設定などをいじくっていたのですが、まず何が大変だったかというとWindows7です。パソコンのスタートメニューとかコントロールパネル内の項目など微妙に名前とか表示方法が変わっていて、まだ慣れていないのだから仕方ないのですが使っていてどうにも違和感を覚えます。ただメモリは2Gと、ネットブックにしては充実したスペックなので動作に緩慢さは感じません。

 ただそうしたOSの変化以上に、使ってて戸惑ったのは液晶画面の小ささでした。
 これまたネットブックにしてはやや大きめの液晶だとして選んだつもりだったのですが、小さいくせにやけに画像の解像度が高く、デフォルトの文字表示設定だと新明解国語辞典よりも小さい文字で見ていて目が痛くなってきました。そこで慣れない設定ながらも何とか文字表時を125%に変えてみるもののこれでも小さく、150%にして画面に占める割合は大きくなるもののまぁ納得できるサイズになりました。
 そう思った矢先、150%でネットに繋ぐとなんとホームページの文字まで極端にでかくなっており、画像と組み合わさっているページでは文字がはみ出して見れない程で、おまけに新しいソフトをインストールしようとしたらこれまた文字がでかすぎて使用条件に同意するか同意しないかのボタンが隠れてしまって押すに押せないという笑えない事態にまでなってしまいました。

 しょうがないのでまた125%に戻しましたが、多少は覚悟していましたがちょっとこの画面のあまりの小ささは想定外でした。本当は布団に入った状態で寝ながらネットを見る道具として考えていたのですが、これだとあんまり使えないかもしれません。もう少し設定をいじくってみますが。

 悪口ばかり書いててもしょうがないので良かった点を挙げると、やっぱりネットブックであるだけに重量1.6kgというのは非常に軽いです。これまでは同じくdynabookの大きめのノートパソコンを使っていたのですが、こちらは3.0kgと約二倍もあっただけにこの軽さは感動ものです。また無線LANが初めから内蔵されているのも助かり、受信速度もこれまで使ってきた無線親機付属の受信カードと比べても差がなく、なおかつカードを挿さなくともいいので出っ張りが減った分見た目にも気にいっています。

 なんかオチらしいオチがないですが、そういうわけで続報があればまた書きます。

2010年6月18日金曜日

生物の失踪について

 私が初めてそれに気がついたのは、大体2000年位なのでもう十年も前です。その後2006年くらいに化学系の記事で文章として書かれているのを見て、自分の実感は自分だけの物ではなく、すでに現象として起きているのかと驚きました。

 私が小学生だった頃、毎朝小学校へ通う道路の上にはいつもスズメの群れがおり、登校する私達が近づくと一斉に飛び立ってはまた戻ってきていました。そのスズメが今、私が初めて報道されているのを見て実に四年近く経ち、ようやく日本の各地で失踪していると盛んに報道されるようになったと思います。ちなみに四年前の私が読んだ記事では、元々スズメは人里を好んで住みつく習性があるにもかかわらず各地の市街地からいなくなるというのは明らかに異常だと書かれており、それが東京の都市部など極限られた地域などならともかく、今のように日本全国で起こっているのは私も何か奇妙さを感じます。

 このスズメ同様に、農作業にとって欠かせないミツバチも近年に大量失踪している生物の一種です。こちらは日本一国に限らず世界中で失踪していると言われ、さながら石油や鉱物資源のように世界中で奪い合いの様相までなしてきております。
 ミツバチについて私の知る限りの知識をまとめておくと、失踪しているのは主にセイヨウミツバチという、その名の通りに外国産のミツバチで、逆に日本固有種のニホンミツバチやスズメバチはあまり影響を受けておらず失踪しないようです。そのためこのミツバチ失踪の手がかりになるのではないかとしてニホンミツバチの研究が広がりを見せているそうですが、セイヨウミツバチと比べて受粉の媒介としては効率が悪いらしく、完全な代替種としてはあまり望めないそうです。

 一体何故このように一部の生物が突然失踪するのか。なによりも一番不思議なのはこれらの生物の死骸が見当たらず、文字通りに「失踪」している事です。もし大量の死骸が発見されるのであればウィルスなり環境変化なりの原因が特定しやすいのですが、その失踪する数に比べてそのような死骸はこのケースだと見つからないそうです。それがために原因が調べられないばかりか対策も見当たらず、この事態をより一層深刻にさせております

 現在挙げられている失踪原因の仮説だと、ミツバチに限れば蜂の帰巣に関わる神経に及ぼすウィルス説が有力ですが、まだ確とした証拠もないばかりか、世界で同時に失踪している事実を説明するには幾分説得力に欠けます。また農薬などの化学薬品の影響を指摘する声もありますが、これも同じように世界中で何故一斉に起こっているのか、農薬を使っていない養蜂家のところでも失踪している事を考えるとあまり当てになりません。

 中には何でもかんでもCO2のせいにすればいいという人もいて地球温暖化が原因とする活動家もいますが、1度や2度の平均気温の変化位でそもそもの平均気温に大分差がある日本と欧米で一斉に失踪するとはまず考えられず、また同じように空気汚染を原因に挙げる人もいますが、これも日本だと現代の方が高度経済成長期に比べて圧倒的に不純物が少なくなっているので眉唾です。

 そこで敢えて素人である私がでたらめな意見を言わせてもらうと、90年頃と現代を比べて起きている変化となると、電波の量がまず浮かんできました。90年頃は持っている人の方が珍しかった携帯電話が今では持っていない人の方が少なくなり、またアマチュア無線の時代は知りませんがニンテンドーDSを始めとして無線通信が街中でも盛んに行われております。

 電波がどのように人体などに影響を与えるかについては様々な意見があり、どっちかといえば悪者にされやすくて90年代にはアメリカの一部の州では発ガン率を高めるとして高圧電線の下に住宅を作る事を禁止したりしていましたが、今の所私は確実に信頼できる数値データは見ておりません。人間より一部優れた神経を持つ虫なども全く影響がないとは言いきれず、私に限らずこの電波説を唱える人もいるようです。

 この電波の次に私が思い当たる原因としては、なんかぶっとんだことを言いますが火山活動も少し気になります。
 先日のアイスランドの火山噴火で欧州を中心に世界中で空路が乱れたことは記憶に新しいですが、実はこのアイスランドの陰に隠れてこの日本でも、鹿児島県の桜島火山がこれまでの観測史上でも稀なほどに爆発的な噴火をこのところ繰り返しており、さらに今後もより活発化するのではないかという予想も立てられております。

 何気に私は大学受験時に競争相手が少ないという理由で通っていた高校に授業も設置されないにもかかわらず理科科目に地学を選んだ人間ですが、火山活動というのは我々が上に立つ地表の下のマントルという、溶岩流みたいな地表に比べて軟らかい部分がうごめく事で発生するとされております。このマントル部は地球全体でちょうど対流するかのようにうごめいており、歴史的にも世界各地で火山の噴火が同時期に集中する現象が確認されております。

 それがどうしてスズメやハチの失踪に影響するかですが、火山活動というのは地球全体を覆う地磁気に強い影響を及ぼすため、その地磁気の変化を敏感に感じ取るこれらの生物が失踪しているのではという説を採る学者もおります。
 私としてもこの説明なら世界中で同時に失踪しているというのもわかりますし、近年の世界中の火山活動を見ていてもまるで末法じゃないかというくらい頻発しており、今の所はこの地磁気説を強く支持しております。

 世界が不況になって温暖化対策やら環境保護の熱も下がって参りましたが、私はCO2の排出を如何に減らすかに予算を出すよりも、このスズメやハチといった生物の失踪という、今現実に起きて影響も及ぼしている問題の原因を研究することにお金を使う方がずっと価値があるように思うというのが、今日の結論です。

  おまけ
 ハチつながりでなんですが、そこそこ前の文芸春秋において昭和の名言特集というのがあり、この中で紹介されていた言葉の中で私が一番印象に残ったのはロッキード事件で重要な証言をした榎本三恵子氏の、「ハチは一度刺したら死ぬ」という言葉でした。

 この言葉の意味はこのような証言をして世間の目を浴びた以上は自分も以後は安穏として生きていく事はできないだろうという意味なのですが、比喩の仕方といい言葉のつなぎといい、なによりもその言葉で表現しようとする覚悟が存分に込められていて、昭和人はかくも美しく言葉を述べるかと嘆息しました。
 そこでうちのお袋にこの言葉を知っているかと尋ねたら、当時やはり流行した言葉だったらしく知っており、その上でこの事件から数年後にテレビ番組の「俺達ひょうきん族」において、榎本氏自身がハチの着ぐるみを着て登場したのがとてもおかしかったと述べていました。

2010年6月17日木曜日

書評「劇画ヒットラー」

 なんかこのところずっと体がだるくて頭痛も激しく、おまけに目眩までするもんだからすっかり健康に自信をなくしてしまっていたのですが、さっき体温計で計ったら36.9度の微熱でした。風邪気味だから体調が悪いと言えば聞こえはまだいいですが、こんなのがここ二週間くらい続いているというのもまた問題です。

 そんなわけでどうにもまた文章を書き起こす気力がわかない日々が続いており、元から誤字脱字が多いブログですがこの所は書いてる本人ですらなんだか心配になってくる量です。書こうと思う内容は幾つかあるのですが、なんというか一気呵成に書ききる自身がなくて伸び伸びで、折角関連する記事を書いて引きまでしておきながら続きを書かないまま放っている記事を量産するのが続いとります。

 そんなわけなので比較的書きやすい趣味の話題で今日の穴埋めを図ろうと思うのですが、先日、かねてから気になっていた水木しげる氏による「劇画ヒットラー」という漫画を購入しました。
 確か漫画評論家の夏目房之介氏だったと思いますが、彼は日本の漫画について、「九割は手塚、一割は水木」と評していましたが、この比較からも分かる通りに手塚治虫氏が存命中だった頃からも水木氏はよく引き合いの対象とされていました。そしてお互いにやはりライバル意識が強かったそうで、ある日手塚氏が出版社のパーティで水木氏を見つけるや、

「あんたねぇ、私の地元の宝塚の遊園地で鬼太郎のイベントなんてやらないでもらえます。こっちはいい迷惑なんですよ(#゚Д゚)ゴルァ!!」

 と、言い放ったそうです。もちろんその遊園地でのイベントは出版社が開いたもので水木氏はノータッチだから手塚氏の逆恨みもいい所なのですが、水木氏も相当根に持っているのか、事あるごとにこの話をあちこちでしているのを見受けられます。また手塚氏の子供は水木氏の漫画を、水木氏の子供は手塚氏の漫画を幼少時によく読んでいたそうで、どちらも親としては複雑な心境を持っていたそうです。
 そんな日本漫画界最大の巨匠二人ですが、お互いの作品内容も同じテーマでありながらまるきり正反対とまでは言わないまでも実に対象的な内容となっております。

 一般にヒトラーの漫画と来れば手塚氏の「アドルフに告ぐ」が真っ先に来るでしょうが、先に挙げたように水木氏も「劇画ヒットラー」というヒトラーを題材にした漫画を出しております。手塚氏の「アドルフに告ぐ」では二人のアドルフという名の少年が主人公で、ヒトラーは実はユダヤ人の血を引いているというフィクション的要素の強い作品となっていますが、水木氏の「劇画ヒットラー」では逆に、徹頭徹尾史実に基づいて書かれており、作中の解説もどこか客観めいた書き方がなされております。

 そんな「劇画ヒットラー」を読んでまず私が注目したのは、ヒトラーと来たら大抵の物語では彼とは切っても切り離せないユダヤ人虐殺の描写が多くなる、っというかメインになるのですが、水木氏のこの作品だと虐殺に関する描写が非常に少なく、その代わりにヒトラーがどのようにして権力を獲得して行き、どのように戦争が推移し、どのように追い詰められていったのかという場面に重きが置かれていました。特に世界史では習っているものの内容には詳しくなかった「ミュンヘン一揆」に関する場面や、それまで全く知らなかった彼の姪の「ゲリ・ラウバル」の話など興味深いものが数多く載せられており、ヒトラーに対してこんな見方があったのかと素直に感心させられました。

 水木氏は同じくヒトラーについて書いた短編の「国家をもて遊ぶ男」(「東西奇ッ怪紳士録」に収録)にて、「これほど強い”個人”は歴史上マレであろう」とヒトラーを評しております。私がこの「劇画ヒットラー」のことを話し、先ほど出した姪っ子のゲリが自殺した際にヒトラーはわざわざゲリの墓の横に自分の墓穴を掘り、部下がくるまでその穴の中にうずくまり続けたという話を紹介すると友人は、「ヒトラーは何よりも純粋過ぎた人間だったのでは」と話していました。

 自分が子供だった頃、まだナチスというのは現実味のある言葉で、ヒトラーについても「現代最悪の独裁者」というような書かれ方をしていたように思えるのですが、2000年代に入って十年も経った現在に至るとなんだかすっかり過去の歴史人物のような扱いへと移っているような気がします。
 私個人は歴史を作るのは歴史家ではなく、実際には物語を作ったりまとめたりする作家だと考えています。恐らくこれからヒトラーもタブーがそろそろ解けて、様々な観点から取り上げられて歴史となって行くような気がします。


2010年6月16日水曜日

菅総理にまつわる気になるニュース

 今日を持って今年の通常国会は閉会しましたが、なんか報道によると法案成立率は下から数えて二番目だったそうです。衆議院では大量の議席を得ているものの、参議院で単独過半数を持っていなかったのが原因でしょう。

 今国会終盤は、何が何でも支持率の高いうちに選挙に持っていって議席を確保しようとする民主党と、そうはさせじとオウンゴールを狙う野党の攻防、ってほどでもなく野党のささやかな抵抗が見られました。主にやっていたのは自民党でしたが、かつて自分らが与党だった頃は会期末に野党が問責決議案を提出する事に対して時間の無駄だといいながらも今国会ではきちんと出してきて、その一方で民主党の菅総理も改めて出される立場になるや、「何故出るのか分からない」と述べており、お互い本当はわかり合っているんじゃないかとツッコミを入れたくなりました。

 もう少し自民党の事について書いておくと、なんか誰も頼みもしてないのに早々に谷垣総裁は次の参院選で敗北(民主党が単独過半数獲得)したら責任を取って辞任すると発表しています。ただでさえ影が薄いのでやめたって意味がない気がするのですが。
 ただ先週、恐らく誰かの入れ知恵だとは思いますが、菅総理が参加を呼びかけている超党派の「財政健全化検討会議」に対して、「財政再建と言いながら、子供手当てのような大量のバラマキを続けている限りは参加できない」と発言したのはまだ評価しております。

 そんなわけでいよいよこれからが選挙戦本番となって行くわけなのですが、選挙を控えてどうもこの所、菅総理に関する民主党内からのニュースに気になるものが多くなってきております。
 まず最初に私が奇妙に感じたのは、今日もちょっと話題になっていましたが「ダブル選挙」についでです。これを報じたのは産経新聞ですが、リンク先の記事のよるとある民主党幹部が菅総理は衆参のダブル選挙を狙っていると話したと書かれています。常識的に考えるならば三分の二にこそ達していないまでも圧倒的多数派となっている衆議院の議席をわざわざ減らしかねないよう選択をするとは思えず(小沢派を切り崩すにしろ)、案の定今日の国会にてそのような考えはないと菅総理も発言しました。

 これともう一つ気になったニュースとして、以下のリンク先のニュースがあります。

「沖縄基地どうにもならない」 菅首相の「発言」が波紋(J-CASTニュース)

 上記リンク先ニュースの内容は、民主党沖縄県連の喜納昌吉参院議員が6/1に出した本の中で、去年の衆議院選挙後に菅氏が、「沖縄問題は重くてどうしようもない。基地問題はどうにもならない。もうタッチしたくない」、「もう沖縄は独立したほうがいいよ」と発言したと書かれています。
 私がこのニュースを見た際に疑問に感じたのは、一体何故喜納氏は今の今になってこんな事を言い出したのかという理由です。言ってしまえばこの菅氏の発言が真実であるかどうかにもかかわらず、下手をすれば次の参院選に影響を与えかねない内容です。これを野党の人間が書くならともかく身内の民主党から、しかも喜納氏は、

「半分ジョークにしろ、そういうことをいま副総理でもある、財務大臣でもある、将来首相になる可能性もある彼が言ったということ、これは大きいよ。非公式だったとしても重い」(注:執筆時期は菅氏が総理の就任前)

 とまで書いております。もし私だったら、仮に書いていたとしてもこんな普天間問題で荒れているこの時期なら出版を差し止めるんですが……。

 先ほどの唐突なダブル選挙の話といい、どうもこのところ菅総理に対するネガティブなニュースが民主党内から発信されているような気がします。発信源がどこなのかまではいちいち予想しませんが、案外次の選挙は目前の敵よりも獅子身中の虫との戦いへと菅総理は駆り出されるかもしれません。

  おまけ
 ちなみに上記の菅総理が発言したとされる内容ですが、私個人としては案外まともな感覚を持っているのだとかえって評価しました。政治生命を一気に吹き飛ばしかねず様々な利権が複雑に絡んでいる沖縄問題にタッチしたくないという政治家としての本音はさることより、沖縄独立に触れていることについては私もかねてから考えていました。
 これはかなり昔の友人との会話で出た話ですが、これまでの歴史から仮に沖縄が日本から独立したいと主張した場合、道義的に他の日本人は沖縄人の主張を止める術はないと友人と互いに一致しました。無論私個人としては沖縄は日本国に止まってくれればそれに越した事はないとは思ってますが。

2010年6月15日火曜日

琴光喜の野球賭博事件について

 先月の夏場所中、週刊新潮によって大相撲会において違法である野球賭博が横行し、大関である琴光喜もこの賭博に絡んでいるとの報道がありました。私がこのニュースを見た際、週刊新潮はちょっと前にも赤報隊事件で大誤報を放っているのですぐには信用してはならないと感じたものの、昨年から不祥事の続く相撲界という事もあってその後の経過を注視していました。結果はというと、面目躍如とばかりに週刊新潮の見事なスクープだったということが昨夜の琴光喜の関与を認める発言からわかりました。

 週刊新潮の元記事では野球賭博に手を染めていた琴光喜が掛け金の払い戻しを受ける際に暴力団とトラブルになったと書かれていましたが、先程のNHKニュースでも同様の報動がなされていたのでほぼ事実だったのでしょう。結論から言えば、ただでさえ不祥事の続いている相撲界ゆえに襟を正さなければならないこの時期に、こんな馬鹿な事をやっていた琴光喜に理事会は厳しい処分を下すべきだと思います。

 元々野球賭博はかねてから日本の暗部と言われ、胴元はどこも暴力団やっていることから彼らの資金源となっているといわれ続けてきました。今回の事件の報道を見ている限りだとそのような評判は間違っていないようで、奇しくも先週に場所中の最前列席をある親方が暴力団関係者に融通していたという事件が発覚したばかりですが、相撲界と暴力団とのかかわりが私の予想を超えるまでに深かったのだと今回の事件で痛感させられました。
 しかも琴光喜は、先ほどのNHKニュースにてインタビューに答えていた現役力士によると、場所中の支度部屋でも誰にはばかる事なく賭博行為をほのめかす発言をしていたとされ、すでに何人もの力士が名前こそ明かされないものの野球賭博を行っていた事を自白していると報道されていることから、角会ではそれほど特別な行為ではなかったのでしょう。

 だからといってこんな行為が正しいわけなどなく、しかも琴光喜は最初の警察の聴取では否認していて後になって認めたと言うのだから言語道断。かつての朝青龍騒動での処分を考えるならば最低でも二場所連続出場禁止(大関位の喪失を意味する)、可能ならば解雇とするのが適当かと私は思います。仮にここで手ぬるい処分をしようものならさすがに相撲ファンの私でも相撲に対して見方を変えるでしょうし、この前の大麻騒動でも批判されたように外国人力士には厳しく日本人力士には甘いとまた批判を受けるだけです。そういった事を考えるならば、ここはスパッと自主引退を迫るのがまだマシな落としどころではという風に思うわけです。

 厳しい事を書いているつもりですが私は決して琴光喜の事が嫌いではなく、むしろ技巧派の力士としてかねてから愛子様同様に評価しておりました。しかしそれとこれとは別で、相撲界全体の事を考えるならば琴光喜は出来る限り早く自分で決断を示すべきで、理事会も妙な引止めとかせずにこの問題に片を付けるべきでしょう。
 因みに同じく先ほどのNHKのニュースにて、親方衆は琴光喜に事実を確認した際に「やっていない」と言っていたのに裏切られたなどと言っていましたが、NHKニュースの解説員の言うように支度部屋でもおおっぴらにしていたのに信じるなんて話はないだろうと思います。最後までは言いませんけど、理事会も危機感が足りないにも程があるでしょう。

2010年6月14日月曜日

マスコミと警察

 古いイギリスの言葉で、「Bad news is good news.」というのがあります。これはイギリスの大衆新聞草創期に、確か「Daily tit bits」が売れ始めた頃の宣伝文句だったと思いますが、要するに真面目な政治討論やら論説意見を載せるよりも殺人事件や有名人の不倫といった俗っぽいニュースを新聞に載せた方が部数は伸びるという意味です。
 この言葉が言われてからすでに百年以上も経過しておりますが、現代日本のマスメディアも依然としてこの言葉通りの形態を保ち続けております。

 現在、日本のマスメディアがそのような殺人や強盗といったいわゆる犯罪事件を取り上げる際、主なニュースソースとなるのは言うまでもなく警察や検察といった捜査機関です。そのため昔から刑事番などといって警察署内に記者を常駐させ、また警察の側も広報を行う際にはそれら記者を一同に呼び集めて記者会見を行うなど、もういきなり結論ですが結構なぁなぁなところが昔からありました。

 昨日から今日にかけて出張所の方で日本のマスコミの警察に対する態度について書かれたコメントをいただいたのですが、情報源としてお世話になっている事から警察の不祥事に対して日本のマスコミはやや及び腰なところが数多くあり、それこそ警察内の不祥事、警察親族の犯罪といったことについては事実を知っていながらも報道せず、ひどい場合では警察と一般人の訴訟が起きた際には警察側の言い分しか取り上げないうということまでありました。

 卑近な例を一つ挙げると、昨年冤罪が証明されて釈放された菅谷さんの足利事件も、きちんと取材がなされていれば当時のDNA鑑定技術では百人に一人の割合で同じ鑑定結果が出てしまうため証拠として使うには不十分だということがすぐにわかったはずですが、警察側の個人識別に問題がないという発表を鵜呑みにしてマスコミは菅谷さんの冤罪を事件当時は誰も疑わなかったのではないかという気がします。

 そんな警察とマスコミの関係ですが、たかだか二十年とそこらしかまだ生きていないもののやっぱり以前と今とでは大分変わり、まだ不十分さは感じるものの適度な距離をマスコミが置くようになってきたと思えます。その適度な距離を置くようになった大きな転換点を私が敢えて上げるとしたら二つあり、もったいぶらずに言うと一つは新潟少女監禁事件、もう一つは北海道警裏金事件だったと思います。

 前者は事件の内容自体が事実は小説よりも奇なりと言わざるを得ない事件でしたが、この事件の発覚当初、警察が開いた記者会見にて新潟県警の幹部らが一切姿を見せなかった事に対して記者から質問が集中し、ついには当時新潟県警の視察に訪れていた関東管区警察局長を麻雀接待していたという事実が明るみに出てきました。しかもその接待麻雀では図書券が掛かっているという本来禁止されている賭博麻雀だったなど、法を守るべき警察官が重大事件の記者会見をすっぽかしてまで(報告を受けていながらも接待を続けていた)そのような行為を興じていたことに批判が集中しました。

 続いてもう一つの北海道警裏金事件というのは、かねてより神戸新聞と並んで地方新聞の雄と称されていた北海道新聞が綿密な取材を長期に渡って行い続けた事から発覚した事件で詳しくはリンク先のWikipediaの記事を読んでもらえば分かりますが、警察は事件の捜査等に協力した一般人に対して捜査褒賞費という謝礼金を出す事があるのですが、北海道警はこれを逆手にとって実際には協力の事実がないにもかかわらず褒賞費名目の支出で経費を捻出し、道から多額の裏金を引き出すと共に私的流用していたという事件です。
 この事件の発覚以降、全国の警察組織で同様の手口が裏金が捻出されていた事が一斉に分かり、公民の教科書に書かれる事はないですが社会的に大きな影響を与えた事件だと私は認識しております。

 ただこの事件をスクープしたことから、今ではどうなっているかわかりませんが、その後の警察の記者会見では北海道新聞のみが締め出されるという、道警から露骨な報復を北海道新聞は受ける事となってしまいました。こうなる事は北海道新聞としても報道する前から予想していた事でしょうが、それにもかかわらず取材を続けて報道をした北海道新聞には私は未だに尊敬の念を持っております。
 それにしてもちょっと偏った意見かもしれませんが、北海道教職員組合といい、北海道の組織にはどうも頭のたがが外れているところが多いような気がします。

 日本は90年代初頭、今ではすっかり死語ですが「水と安全はタダの国」という言葉がありました。こんな言葉が使われるだけあって当時の日本の警察組織への信頼の高さは子供だった私でも感じ取れる位で、当時は本気で日本の治安は世界一だなどと信じてもいました。
 しかし上記二つの事件、更に言えば「桶川ストーカー殺人事件」も起こり、警察への国民の信頼は徐々に揺らいでいったように思えます。マスコミもそのような国民の意識を受けてか、現時点でも警察に擦り寄り過ぎだとは思うものの、以前よりは距離を置くようになってきたように見えます。

  おまけ
 何気に新潟県警の接待麻雀事件において、影の主役だったと私が思える人物として芸能人の蛭子能収氏がおります。というのもこの事件の前に蛭子氏も現金を賭ける賭け麻雀の現行犯で捕まっており、この事件が発覚した当時に新潟県警は、「図書券を商品に使っただけで、賭け麻雀じゃない」と法律違反を否定していましたがその度にこの蛭子氏の例が比較され(本人もテレビに出演して不公平だといっていた)ていたのが強く印象に残っています。

2010年6月13日日曜日

日本がファシズムに至るまで

 昨日の記事で私は、ファシズムとコミュニズムは全体主義的傾向を持つのは共通するも、独裁を始める組織が権力を獲得するプロセスにおいて民主主義的過程があるかどうかに違いがあると述べました。この民主主義的過程を経ていることについてドイツのナチス党とイタリアのファシズム党については自明しされており、私も以前に「E・フロム 自由からの逃走について」の記事にて書いたように当時のドイツ国民は割と熱狂的にナチスを支持して押し上げたのは事実です。

 では日本は私の主張通りに民主主義的過程を経てファシズム化したのでしょうか。この点について現時点の一般的な日本人の見方は恐らく「NO」で、日本が最終的にファシズム化したのは間違いないにしてもそれは民主主義的過程を経ているのではなく、軍人や官僚といった元からの権力者が国民を置き去りにして暴走したからだという風に受け取られているように思えます。
 実際にWikipediaを覗くと「天皇制ファシズム」として一項目が設けられており、私の理解だとドイツやイタリアでは大衆が独裁政党を押し上げてファシスト化したのに対して日本ではそれらとやや趣が異なり、肯定派も否定派も天皇制という柱が重要な役割を果たしたと別扱いされています。

 先に私の結論を言うと、確かに天皇制の影響は多少はあったにしろ、当時の日本はドイツやイタリア同様に大衆が独裁党を押し上げ、いわば国民自らが日本を進んでファシスト化させたと見ております。

 まず当時の日本の状況から説明していきますが、アメリカより起こった大恐慌の影響を受けて当時の日本は国民全体で貧困者が溢れ、しかも折からの天災を受けて東北各地を中心に凶作が続き、東北地方を中心に農村では生活に困って娘を身売りする家や餓死者が後を絶たなかったようです。そんな最中、政治はどのようにそんな状況に対応していたのかというと、言ってて悲しくなりますが収賄や払い下げなどといった汚職が頻発していたそうなのです。

 大正デモクラシーを経て、日本でも成人男子であれば納税額に関係なく投票権を持つようになりましたが、皮肉な事にこの女性こそ除外されているものの普通選挙法が実施されるようになってから政治家の汚職が頻発するようになったのです。これは日本に限らず民主主義国家ではどこも同じ傾向があるらしく、投票権の幅が広がれば広がるほど政治家にとって政治というのは手段化し、腐敗化しやすくなるそうで、貧困者が増える中で私腹を肥やす政治家に憤りをもつ国民が数多くいたそうです。
 日本史をやればわかりますが、昭和前期というのは浜口雄幸首相を初めとして実に数多くの政治家が暗殺されております。それほどまでに政治家に対して国民は怒りを覚えると共に信頼を無くし、かわりに肩入れを始めたのが他でもなく陸軍を初めとした軍部でした。

 これはどの国でもそうですが基本的に軍隊というのは貧しい人間が入る事が多く、陸軍を初めとした軍人らは貧困者に強く同情しては遅々として進まぬ政治改革に政府批判を続けました。そうした声が実際に行動に移ったのがあの「二・二六事件」で、東北地方を主な出身とする軍人らは汚職に明け暮れる政治家らの政党政治を打倒した上で、軍人を中心とした政府を作り一挙に改革を行おうという目的の元でこの日本史上最大のクーデターは実行しました。
 結局二・二六事件は昭和天皇の強い怒りを受けた事から素早く鎮圧されましたが、クーデターは失敗したもののこの事件をきっかけとして政党政治家らは暗殺を強く意識するようになり、国民も政治家達よりも軍人たちの方が真面目に国のことを考えているのではと信頼するようになる人が増えて行きました。

 そうした世論を受けてか知らずか、その後の日本は軍族出身の人物が総理大臣に就任する事が多くなると共に軍の主張が大きく幅を聞かす様になります。また政府が軍縮政策を行おうものなら「米英の言いなりになる」という反対意見も国民から出るようになり、そうした声を受けて軍人らもますます増長して行きました。
 極め付けが、1940年に成立した大政翼賛会です。議会を事実上の軍部の追認機関としてしまうこの翼賛会に対し、国民はきちんと投票で持って翼賛会推薦議員を当選させ、議会へ送り込んでいます。言ってしまえば、投票で持ってこの翼賛会を否定する事も可能でしたが、当時の日本人はそうはしませんでした。

 確かに日本の場合、ドイツやイタリアと比べて軍部が軍部大臣現役武官制を盾に取る事で強く意見を主張できたこともあり、海外の評論家から、「日本はファシスト化する要因を始めからその政治構造内に持っていた」という指摘は当てはまると思います。しかしそれを推しても、当時の史料を見る限りだと日本人は率先して軍部を支持し、戦争も肯定していたようにしか私には見えません。それがいいことか悪い事かといえば当時の時代背景もあることからどっちかだと断言する事は出来ませんが、少なくとも一部の軍人らが国民を無理矢理巻き込んで無謀な戦争に突入したというのは間違いで、当時の国民もそれに一部加担していたというのが私の意見です。

  おまけ
 ナチス党の幹部がその主張に比べ個人資産を数多く抱えていたのに対し、日本の戦前の幹部(軍人)らは割合に清廉な人が多く、財産もほとんどなかったようです。

2010年6月12日土曜日

ファシズムとは何か

 数日前にある本を読んでいると、「戦前の日本がファシズム化したのは伝統的に支配者階級が強い権力を持って庶民を圧迫し続けてきた背景があるからだ」、という記述があり、「いや、そうじゃないだろう」という気持ちを覚えると共に、「そもそも、ファシズムってなんなのだ?」という疑念が持ち上がってきました。

ファシズム(Wikipedia)

 ファシズムというのは一般的に、第二次大戦中に日本、ドイツ、イタリアといった枢軸国における政治体制、もしくはその体制が出来上がる元となった思想の事を指しております。この名称自体はイタリアで政権を握ったムッソリーニ率いたファシスト党から来ていますが、ドイツのナチス党による「ナチズム」、日本の軍部による「大政翼賛体制」もファシスト体制として一般的には分類されております。

 それでこのファシズムが具体的にどのような政治体制なのかですが、特徴を項目ごとに挙げると以下のものが挙がってくるかと思われます。

1、無尽蔵な国家権力(=全体主義)
2、排外主義(=人種優越主義)
3、暴力組織による監視、弾圧(特高、SA)
4、大衆主義(=社会福祉向上の看板)
5、統制経済主義(=国家総動員法)
6、一党独裁の政府


 ちょっと小難しい言葉ばかりで申し訳ないのですが、ざっと並べるとこんなもんでしょう。

 一つ一つをもう少し詳しく説明すると、1番目の「全体主義」というのは個人の自由や人権よりも国家(政府)の体制維持が優先されるべきだという思想で、2番目の排外主義というのは自分達民族が優越な人種であると自認するという、大東亜共栄圏構想やユダヤ人虐殺につながった思想の事です。ついでに書いておくと、大東亜共栄圏構想というのはアジアを平等に一つの共同体へまとめようとする優れた思想だったなどという主張をする人がいますが、「アメリカを始めとした西欧人を打ちのめすために、一時的にアジア各国をすべて日本が占領する」という思想のどこが平等なのか、私にはわかりません。さらについでに書くと妹尾河童氏は「少年H」にて、まさに上記のような大東亜共栄圏構想を面接で滔々と話して高等小学校に合格したそうです。

 3番目の暴力組織については説明するまでもなく、4番目の大衆主義についてはナチス党の正式名称が「国家社会主義ドイツ労働者党」であったように、日本の軍部同様に底辺の労働者や農民の福祉向上を権力獲得のプロセスで掲げていたことを指しております。それゆえにこのファシズムを「国家社会主義」という訳し方をする人もおりますが、私もこれが適当だと思います。
 5番目の統制経済についてもあまり説明するまでもありませんが、要するに米やガソリンを配給制にしたりするなど経済分配をすべて国が管理する体制を指しており、6番目も言わずもがなで大政翼賛会やナチス党が議席を独占して内閣の従属機関でしかなくなっていたことを指してます。

 これらの条件を持った国家体制こそファシズムだというのが私の意見なのですが、一番大きな条件となるとやはり一番目の「全体主義」で、言ってしまえばその他の条件は大体この全体主義に付随するものです。

 さてこれらの条件、よくよく内容をみてみるとかつての旧ソ連や毛沢東時代の中国、果てには現在の北朝鮮といった旧共産圏の国々にも当てはまるような気がしないでもありません。実際にナチスは設立間もないソ連を運営していたボリシェビキの政治手法から多くを学んでおり、権力獲得後の手法は多くの面で共通しています。
 ではファシズムと共産主義同じ物なのでしょうか。さっきに挙げた条件の中で2番目の排外主義についてはやや議論の余地がありますが(旧ソ連内でユダヤ人は差別されたが、民族対立については今ほど激しくなかった)、それ以外の全体主義的傾向などは全くと言っていい程似通っています。

 ここからが今日のミソですが、ファシズムと共産主義を分ける決定的なポイントというのは、政府を握る組織が権力を獲得するまでのプロセスが民主主義的であるかどうかです。
 世界史を学んでいる方には常識ですが、戦前のドイツでナチスは民主主義的な選挙を経て、途中でミュンヘン一揆などもありましたが最初から最後まで極めて合法的に権力を獲得しております。それに対してソ連や中国の共産党は国内での革命戦争に勝利すると、スタート当初でこそ共産党内での方針の違う組織で分かれたり、共産主義と資本主義の中間的な組織が政治に参加するなど多党制的な体制でしたが、途中からは共産党のソ連ではスターリン、中国では毛沢東が対抗勢力を完膚なきまで叩き潰して一党独裁体制へと移っています。

 これまでの内容を簡単にまとめると、権力獲得後の体制こそほとんど似通っているものの、ファシズムと共産制はその成り立ちが民主主義的過程を経ているか否かで異なっている、というのが私の意見です。
 では戦前の日本はどうなのか。ナチスは民主主義に則って権力を獲得したが、日本は軍部がその強権と武力を持って無理矢理権力を握ったのだからむしろ共産主義的傾向が強いと思われるかもしれませんが、私の見方は戦前の日本はやはりファシズムであったと考えています。その根拠については、次回にて。

2010年6月10日木曜日

菅直人新政権の今後予想

 別に体調不良だと言うわけでもないですが、この所はこれまでにないくらい更新が少ないです。更新が少ないことに大した理由はないのですがこれだけ政治が動いているのに何も書かないのもあれなので、前回予想を外しておきながら今回もまたひとつ政治予想をして見ようかと思います。予想する内容も、菅直人新政権の今後です。

 鳩山由紀夫前首相の突然の辞任を受け、下馬評どおりに同じ民主党内の菅直人氏が新首相に就任することになりました。就任直後の内閣支持率は六割を超えて各識者、並びに私の周りでもあれだけ落ち込んでいた民主党への支持がこれだけ回復するとはと皆一様に驚くような意見が多かったのですが、私の見方はまさにこれとは逆で、六割しか取れなかったのでは先行きは険しいだろうという印象を覚えました。
 これは何故かと言うと、2000年代の日本の首相の支持率はどれもその就任時が最も支持率が高くなる傾向があり、これは逆に言えば今後どうあがいても支持率が六割を超える事がないということで、しかも前政権が前政権だったゆえに下降する際の角度は急激になる可能性も高く、そう言った事を考慮すると参議院選挙時は五割か四割を切る事になると思います。

 では民主党は参議院選挙の間まで何をするべきかと言えば、ひたすら貝のように黙って選挙日が来るのを待てば良いのではないかと私は考えました。支持率がこれ以上上がらないと行っても過半数の支持は得ているのだし、このまま黙って粛々と選挙まで運べば大負けは確実に避けれて、下手すればまた勝利を得られるのではないかと見ました。
 そう思っていた矢先、発足当初に新しく官房長官に就任した仙石氏が国民新党との連立を維持し、しかも今回期中に郵政改革法案を通過させると約束したのを見て私自身が呆れましたし、世論もはっきりとは見せないまでも何かしら動くだろうと感じました。

 郵政問題については過去に書いた「郵政民営化の是非を問う」の記事で私の意見はまとめていますが、今回国民新党がこだわっているこの郵政改革法案は事実上の逆行法案で、あれだけの苦労をしてようやく改革した郵政を以前以上にひどいものに変えようとするこの法案は見ているだけでイライラさせられる内容でした。一例を挙げると、国家公務員の新規採用人数を来年度は四割近く削減する一方、この改革法案では現在の郵政で雇っている派遣社員らをすべて正社員として雇用しなおすと書かれており、一体何がしたいんだと言いたくなるような態度です。田原総一郎氏も書いていましたが、国民新党の亀井はただ単に小泉憎しで郵政を叩き潰したいと本人も言っているそうで、何かしら政治的な必要性で動いていないのは明白です。

 結局、菅氏に首相が変わってもこの郵政はまた元に戻されてしまうのかと私も半ばあきらめていましたが、なんだか昨日から今日にかけて現在の会期予定では成立は困難と民主党が主張し始め、言ってはなんですが少し見直しました。折角ですからこの時点で国民新党と連立を切った方が、個人的には民主党のためにもいいんじゃないかと思います。
 ちょっと断片的な内容ばかりですが、敢えて選挙前に民主党に波乱があるとしたらこの国民新党の処遇ではないかというのが今日の私の意見です。

2010年6月7日月曜日

大原騒動と悪代官 後編

 前編中編と続いてようやく最後の後編です。結構ちんたら書いたもんだ。
 さて前回の中編では散々悪知恵働かした大原紹正が不幸な最後を遂げたもののその息子の大原正純が郡代職を継ぎ、父親と変わらぬ圧政を続けた所まで解説しました。

 具体的に息子の大原正純はどんな事をしたかですが、彼がまず最初に行って反感を勝ったのは災害対策金の着服でした。1783年、この年に浅間山が噴火した事により「天命の代飢饉」と呼ばれるほどの大不作となったのですが、幕府としてもただ手をこまねくわけにもいかず、飛騨高山にも1600両の救済金が配られる予定でした。ところがこのお金を大原正純は何を思ったか、救済金を得るために献金活動で金を使ったからそのままもらうといって、なんと一銭も農民に配りませんでした。それどころか財政がよくないとして、村々に対して一条金、今で言う地方国債のような拠出金を6000両も出すように命じたのです。
 これには前回、前々回の明和、安永騒動でこっぴどくやられた農民らも黙ってはおられず、代表者を数人決めて江戸に直訴するべく動き出したのです。

 すでにこの時期には十代将軍家治が亡くなっており、それに伴って権勢を振るっていた田沼意次も失脚しておりました。その田沼のかわりに老中主座についていたのは後に「寛政の改革」の指導者として名を挙げた松平定信で、飛騨高山の農民も清廉さに定評のある彼に訴えでました。
 この訴えを受けた松平定信は早速郡代の下の元締職である田中要介を江戸に呼び出して取調べを始めたのですが、この農民側の動きに対して焦りを覚えた郡代の大原正純はあらかじめ手を打とうと、国内の主だった農民指導者の逮捕に動き出すのでした。

 この大原正純の動きに気づくや農民らも各地に身を隠し、将軍の代替わり毎に全国各地を視察して問題がないかを調べる巡検使、比留間助左衛門と密かに接触し、群題のこれまでの悪行を訴え出たのです。先の松平定信への訴えもあったことから比留間も農民の話をよく聞き、その噂を聞いた他の村々からも次々と同じような訴えが集まりここに至って大原正純は追い詰められていったのでした。
 さらに農民側は念には念と、登城途中の松平定信に対して訴状の直訴(駕籠訴)まで行いました。明治時代もそうでしたが、この時代の直訴は重罰で、死罪さえもままおりる様な行為でしたがそれでも飛騨高山の農民らは実行したのでした。

 こうした農民側の訴えが功を奏し、すでに取調べを受けていた元締の田中要介は打ち首、そして大原正純は八丈島へ流罪という判決が下りたのです。更に松平定信に直訴した農民らは「おしかり」という、今で言うなら訓戒という最も軽い罰で止まり、取調べ中に牢死した者以外らはすべて軽い罪で許されたそうです。

 ちなみにWikipediaでこの「大原騒動」を見ると駕籠訴を行った農民には死罪が下りたという風に記述されていますが、私の持っている資料、所詮は歴史漫画ですがこちらでは上記のように「おしかり」で済んだと書かれており矛盾しております。そこでちょっと調べて見た所、ここの高山市立南小が恐らく総合学習でまとめたのであろうこの騒動の顛末記では、私の資料同様に駕籠訴をした二人は「おしかり」だったと書かれています。ま、もうちょっと検証しないとはっきりしませんが。

 今日ここで紹介した騒動は「天明騒動」と呼ばれ、前編の「明和騒動」、中編の「安永騒動」と三つ合わせて「大原騒動」と定義されております。

 最近はそうでもないですが十年位前に出ている学者らが書いた本などを読むと、「日本や中国、ロシアやドイツでは英米と違い、伝統的に政治支配階級が強権を振るって庶民らをいじめ続けた歴史がある(だからファシズムのような全体主義がはびこった)」という記述がさも当たり前かのように色んな本に書かれていますが、私はやはりこのような意見は偏見に満ちた意見だと考えております。
 確かに江戸時代初期は支配階級である武士の力が社会でも非常に強かったですが、中期以降ではどの武士も借金漬けで町人より力がなく、また差別されていじめられっぱなしだったと言われる農民も幕末にやってきた欧米人の手記などを読むと、彼ら欧米のどの国々の農民よりも日本の農民は豊かで幸せそうに暮らしていると完全に一致した見解が持たれております。

 今回三回に分けて紹介したこの大原騒動ですが、確かに悪代官が悪辣な手段で農民をいじめる話ではあるものの、見るべき者(今回は松平定信)が見て、最後には裁かれるべき者が裁かれる結末で終わっております。水戸黄門や暴れん坊将軍がズバっと現れズバっと悪人斬って一挙に解決とまでは行きませんが、粘り強い農民の努力もあったとはいえ、世の中にもまだ救いがあると思える話だと思えます。

  参考資料
「まんが人物日本の歴史2 徳川将軍と庶民」 小学館 1992年出版

2010年6月5日土曜日

大原騒動と悪代官 中編

 前編に引き続き、大原騒動の顛末について紹介します。
 さて前回では江戸時代の飛騨高山に大原紹正という代官がやってきて、よくもまぁこれだけ悪知恵が働くと言いたくなるほど農民に圧迫をかけていく過程について紹介しましたが、この後も大原紹正は手を緩める事なくさらに農民を追い込んで行きました。

 江戸時代の農民への徴税は田畑ごとにあらかじめ決められた量の米を納める事でなされていたのですが、その税額を決めるのは田畑の広さや質を測る検地でした。この検地は毎年行うのではなく数十年に一回というペースで行い、その時に定まった量が次回の検地まで基準としてあり続けたのです。
 大原紹正は前回の明和騒動の後、以前の検地時より新田が増えているとして新たに検地を行うと取り決めたのですが、農民の側からすると一方的に税額が増えるだけなのでもちろん反対しました。そこで大原紹正は検地を行うのは新田のみで、すでに検地がなされている従来からの田畑には縄を入れないと約束して検地の実施に移ったのですが、面の皮が厚いというかこの約束も見事に反故にして、従来からの田畑もそれまで以上に米が取れる計算で新たに検地し直し、なんと従来の1.5倍以上もの増税見込みをつけたのです。

 ただでさえ材木業が出来なくなって生活に困っていた農民達だけにこの一方的な増税には反対して隣国の家老に訴えたり江戸の老中に直訴したりもしたのですが、この農民の動きに大原紹正は主だった農民側の代表者達を逮捕、処刑して沈静化に動きました。
 そこで農民達は一計を案じ、自分達が作る農作物や炭といった生産物の流通を停止し、商業生活者である町人たちへ売らないようにしたのです。今で言うストライキみたいなものですがこれには飛騨高山の町人らも米が買えなくなるなど困り果てて、やむなく大原紹正も農民側との話し合いに応じて年貢高の増額やすでに捕まえている農民らへの拷問の禁止を約束しました。

 しかし、ここまで来ればもうわかるでしょうが、やはりというか大原紹正がこんな約束を守るわけなどなく、農民側を追い返すやすぐに近隣の藩に兵士を出兵させ、自分に歯向かった農民を強襲して一斉に百人以上も検挙したそうです。そしてこの時の騒動で捕まった農民の代表者、並びに前回の明和騒動で捕まえられていた代表者は一斉に処刑され、停止されていた検地も実行された結果、飛騨高山の石高はそれまでより五万五千石も増えたそうです。はっきりいいますが、これはありえないくらいの増税です。
 この増税の成功と田沼意次への賄賂が効いたか大原紹正はこの直後に代官から郡代へと昇進したのですが、天もさすがにこんな人間を放っておかなかったと言うべきか、まもなく大原紹正の妻が夫の農民へのあまりの仕打ちに心を痛め自害し、その翌年には大原紹正の目が突然失明し、そのまた翌年には熱病にかかってそのまま亡くなりました。ここまで一連の騒動は、前回の「明和騒動」に続く形で「安永騒動」と呼ばれております。

 農民側も多大な犠牲を負ったものの当事者である大原紹正自身が不幸な最後を遂げ、後味が悪いもののこれで幕引きかと思われたこの騒動ですが、大原紹正の後の新たな郡代に中央からまた誰かが派遣されてくるかと思いきや、なんと大原紹正の息子の大原正純が郡代職を継いだのです。この世襲も田沼意次への賄賂が効いたと言われ、蛙の子は蛙と言うか、息子の大原正純も郡代就任後は父親に負けず劣らず農民への苛政を続け、中央への賄賂を贈り続けたわけです。
 こんな強欲親子二代に農民側も黙っていられるわけなく、安永騒動から七年後、この飛騨高山代官バトルの第三ラウンドが開かれることとなるわけです。そういうわけで、結末は次回へ。