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2008年11月3日月曜日

孟嘗君と馮驩

 大分以前に友人に中国の歴史書の史記の話をしたところ、黙々と非常に面白がって聞いてくれたのでこのブログでもちょっと紹介してみようと思います。今回紹介するのは私が史記の中でも特に好きな話の一つである、孟嘗君(もうしょうくん)についてのエピソードです。
 この孟嘗君というのは中国の戦国時代(紀元前5~3世紀)における有名な四公子(公子というのは王の一族という意味)の一人で、食客と呼ばれる流浪の学者や武術家を3000人も養っていたといわれる人物です。

「夜を込めて 鳥のそら音をはかるとも 夜に逢坂の 関は許さじ」

 この和歌は枕草子で有名な清少納言が作った和歌で、百人一首にも列せられている歌です。清少納言自体は随筆はうまくとも和歌は非常に下手で、何でも歌集の選者に自分の歌をねじこむのを頼みに行ったというエピソードがあるほどですが、この和歌はなかなかリズム感も良い出来のいい和歌だと思えます。
 さてこの和歌の意味は置いとくとして、和歌の中の「夜を込めて鳥のそら音をはかるとも」という言葉ですが、これがまさに孟嘗君のエピソードに題を取った内容です。

 孟嘗君は当時から非常に優秀な人物と名高い人物であったことから、すでに強国となり後に中国を初めて統一する秦国に出身地の斉国の使者として出向きました。そこで当時の秦王(始皇帝ではない)は孟嘗君の才を認めるのですが、かえって危機感を抱いてこの際殺してしまおうと考えました。その秦王の意を途中で察した孟嘗君でしたが、逃げようにも屋敷は既に兵隊に取り囲まれてどうすることも出来ませんでした。

 そこで、秦王のお気に入りの妃に口添えしてもらおうと使者を出したところ、その妃は秦王に孟嘗君が謙譲した毛皮のコートをくれるならと条件を出します。しかしそのコートはすでに秦の国庫の中、さてどうしたものかと思っていたところに一緒に連れてきた食客たちのなかから一人が出てきて、
「なんなら、自分が盗んできましょう」
 と言い出してきたそうです。

 孟嘗君は先ほども言ったとおりに3000人もの食客を雇っており、それこそ一芸に秀でるなら誰でも片っ端から養ったので、中には「盗みなら任せろ」とか、「私は物まね名人です」という怪しい人間もいました。するとこの時に先ほどの盗みの達人が自ら声をあげ、その食客は見事に国庫からコートを盗み出してきて妃に献上し、その妃の口添えで孟嘗君たちは屋敷の包囲を解いてもらって秦を脱出することに成功しました。

 しかし国境に着いた所、間を管理する関所が夜中のために閉じられており思わぬ足止めに遭いました。当時は朝にならないと関所は開かないことになっており、このままでは追っ手に追いつかれるとやきもきしていると、先ほどの今度は物まね名人が出てきて、鶏のまねをしてみようと孟嘗君に献策しました。早速やらせてみたところ、その食客の鳴き声に他の鶏も次々と呼応して鳴き声を出し、時計のない当時はその鶏の声を一日の始まりとしていたことから関所の役人たちもやけに早いと思いながらも関所を開け、こっちでも無事に孟嘗君は脱出に成功しました。

 このエピソードは鶏鳴狗盗といって、これを題材を取ったのが先ほどの清少納言の和歌で割りとこの話は日本でも知られていますが、孟嘗君には実はもう一つあまり知られていない面白いエピソードがあります。

 秦から無事に孟嘗君らが斉に帰国してしばらくすると、ある日馮驩(ふうかん)という男が現れて食客にしてほしいと訴えてきました。何か特技はと聞いたところ、「何もありません」と答え、さすがの孟嘗君も奇妙には思いましたが結局彼を雇い入れました。

 その後孟嘗君は食客を養う経費を得るために自分の領地で農民にお金を貸して利息を取っていたのですが、今のアメリカのサブプライムローン問題のように貸した資金が焦げ付き、なかなか返済を受けないという事態になってしまいました。そこで孟嘗君は一つここはあの変な食客に取り立てをやらせて見ようと思って、馮驩もそれを承諾して早速領地へと派遣されました。

 領地に着くや馮驩は債務者を一度に一箇所に集め、一人一人と面談して貸付額と返済状況を仔細に尋ねました。そして返済能力ありと見た者には返済期限を延ばし、逆にないと見た者にはその借金の証文を次々と預かっていきました。そして全員の面談を終えると、なんとみんなの見ている前で預かった証文を一気に火にくべて燃やしてしまいました。そして唖然とする債務者たちを前にして、
「今回預かった証文の借金はお前たちの生業資金として主人が与えてやったのだ。感謝しろよ」
 とだけ言って、とっとと馮驩は孟嘗君の元へと帰っていきました。しかし貸した金の返済を取り立てるどころか勝手に帳消しさせたことを知った孟嘗君は激怒して、一体どういうつもりだと馮驩に強く問い詰めたのですがそれに対して馮驩は、

「私はまず債務者を一同に集めました。これは見知ったもの同士を集めてその場で嘘をつけないようにさせるためです。そして私は返済できると見た者には返済期限を伸ばして、できない者の借金はご存知の通りに帳消しさせました。
 もし孟嘗君様が返済能力のない者に対して無理やり借金を取り立てたところで、追い詰められた農民は返済をせずに夜逃げを図って逃げていくだけです。そうなった場合、貸した金は返ってこず他の住民もなんとひどい殿様だと思い、孟嘗君様に対する汚名だけ残ります。私は何の役にも立たない借金の証文を燃やすことによって孟嘗君様が如何に領民を愛しているのかということを示し、彼らに恩義を売りつけてやったのです」

 このように馮驩に言われた孟嘗君もはっとして思い直し、改めて馮驩を重く取り立てたそうです。

 ホリエモンと佐藤優氏という、獄中に繋がれた人間二人が獄中で読んで非常に史記にハマったということを聞きます。別に獄中に繋がれなくともこのように非常に面白いエピソード満載で十分に楽しめる歴史書なので、私としても一読をお勧めする本です。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 中国史はまったくといっていいほど知らないんですが、面白い話ですね。日本史ばかり読んでるんで(とはいってもそこまでの知識はありませんが)中国史も読んでみたいですね。
 それと、花園さんに聞いておきたいことが、三国志ってフィクションが多いって聞いていたんですが、実際のところどうなんでしょうか?

花園祐 さんのコメント...

 うん、最近はゲームなどを通してまた広がりを見せているから結構史実と違う内容を信じている人も多いでしょう。
 具体的にどこが違うのかですが、三国志と聞いては黙ってられないので記事にして細かく書きます。

匿名 さんのコメント...

狡兎三窟も馮驩とのエピソードでしたよね。

花園祐 さんのコメント...

 コメントありがとうございます。
 「狡兎三窟」のエピソードは知っていましたが、こういう名称があるとは知らず、Wikiをみて「こんな名前があったんだ」と参考になりました。私もこのエピソードが大好きで、馮驩はもうちょっと有名になってもいいと思いつつ機の記事を書きました。