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2010年6月26日土曜日

幼稚化する日本文化

 以前からリンクを結ばせてもらっているアングラ王子さんこと潮風太子さんのサイトがリニューアルされ、リンク先名も「風が吹けば旗屋が儲かる」に変更しました。今度は今期絶好調の千葉ロッテの話題がメインとなるそうなので、興味のある方は是非足を運んで見てください。

 先日、友人から突然二十年以上前に出版された筑紫哲也氏の対談本を渡されて現在もなお読んでいるのですが、最初の対談にて筑紫氏と向き合ったのは当時「構造と力」の出版にて大ブレイクしていた浅田彰氏でした。その対談を読んだ私の正直な感想を言わせてもらうと、「なんて生意気そうな人なんだろう」と浅田氏に対して思いました。
 ただ一見だけで判断するのはよくないし、かなり昔の対談という事もあるので下調べと言うか後調べと言うか、ひとまず上記にリンクを貼った浅田氏のWikipediaのページを読んで見たのですが、そこで書かれている人文知の項目を見てまさにこの評価が一変しました。

 そこで書かれている内容を私の理解で簡単に紹介させてもらうと、まず浅田氏は今の日本において人文知が成立する余地がなく、その理由として、「いまや国家もハイ・カルチャーに興味をなくしつつあるし、オタクあがりのIT成金もハイ・カルチャーに興味をもっていない」と述べ、「幼児的退行を売り物にするカルチャーが、日本的なオタクの特殊な表現であるということで、世界的に売れてしまう」現状だと評しています。

 上記の浅田氏の発言というか対談を全文読んだわけではないため浅田氏の具体的に意図したいことをきちんと私が理解しているとは言い難いのですが、上記に引用した文の中で私は「幼児的退行」という言葉に大きく注目しました。
 浅田氏が上記の発言で挙げているように近年の日本では確かに「幼稚さ」を売り物とする文化が大いに流行していると私も感じており、一昨日に書いた「芸術性の価値」の記事の中で指摘していますが、いわゆる純文学というか「解の出しようのない問い」をテーマにした作品という物となるとトンと世に出なくなってきました。

 この件について今日友人に振ってみた所、元々日本文化自体に幼稚であるというか幼さに対して特別な感覚があり、紫式部の「源氏物語」で光源氏が小児性愛に近い、っていうかそのままの感情を持つなどなにも今に始まった事ではないのではないかという風に返されました。友人の言う内容も私は十分理解できるのですが、それにしたって近年は本来は子供を対象にしたアニメや漫画が日本の偉大な文化の一つとして挙げられ、その一方で十年以上読み継がれる小説なり思想書が出てこないなど、二十年前と比べて明らかに違うという気がしてなりません。

 私自身もアニメや漫画を見る事は見ますが、こういった物はやっぱりサブカルチャーというか表であんまり趣味として広言出来ない物として扱うべきではないかと常々考えています。というのもサブカルチャーだからこそ暴力的などのきわどい描写をしても、「たかが漫画じゃないか」と言い返せるのであって、メインカルチャーでは扱えない範囲を扱う事が出来るのです。それをメインカルチャーのように祭り上げよう物なら、そういった表現に対しても規制が厳しくなり、本来の面白味も失っていくことに繋がりかねません。

 と、ここで話は変わりますが、実はこの所、密かに非常に問題なのではないかと感じていることがあります。それはどのような時に感じるのかというと、変な話ですが現在も絶賛開催中の南アのワールドカップの中継を見ている時で、世界各国から来ている20代前半を中心とした選手達がインタビューに答える姿を見てつくづく、

「日本の若者と比べて、外国の若者はなんとしっかりしていることか……」

 というように、自分も同じ日本の若者として情けなさをこの頃強く感じます。

 本当は今日まとめて書いてしまおうとも考えていましたが、私は近年の日本は文化が幼稚化していることに加え、社会全体でもどこか幼稚化しているような気がします。社会の幼稚化は文化による影響なのか、それとも逆に社会が幼稚化したから文化も幼稚化したのか、そういった疑問を含めて明日この日本社会の幼稚化問題について解説します。

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