永楽帝は明朝の二代目皇帝ですが、その継承は父の朱元璋(洪武帝)に指名されたものではありませんでした。元々、後継として指名されていたのは洪武帝の長男でしたが早世したため、洪武帝は長男の息子、つまり孫を二代目として指名していました。構図的には本能寺の変の後に信長の長男である信忠の息子である三法師が継いだような形です。
にしても三法師は成人後の名前より幼名の方が通りがいいという稀有な存在な気がします。
そして洪武帝の死後にその孫、永楽帝からみて甥っ子が継承したのですが(建分帝)、北京にいた永楽帝は反乱を起こしてこの甥っ子を追い出し(行方不明となったが殺害されたとみられる)、自らが帝位に就き、首都も南京から自分の本拠地である北京へ移しました。その後、明の最盛期を築くなど皇帝としての手腕は確かでしたが、以上の簒奪行為から中国人の同僚は正当性を欠くとしてあまり評価していませんでした。
以上のやり取りを通じてたまたまその同僚だけなのかもしれませんが、意外と中国人は正当性というか大義を大事にするのだなという風に感じました。日本なんか明治維新をはじめ昔から「勝てば官軍」的なところがあり、天皇制も「南朝が正当」などと北朝系で続いた天皇家を自己否定するような主張を平気でする当たり、中国人と比べてこの辺の正当性に対する意識が緩いのかもしれません。ぶっちゃけ血筋さえつながっていれば「ヨシ!」としている気がする。
興が乗ってきたこともありその後もその同僚と中国の皇帝について議論を重ねたのですが、その同僚が最も正当性が高くて且つ優秀だった皇帝として挙げたのは、後漢の光武帝(劉秀)でした。
光武帝についても知ってる人には早いですが、ぶっちゃけ少年漫画の主人公みたいなキャラです。先祖は確かに漢室の皇帝の血筋ですが彼の代には完全に庶民に落とされており、三国志の劉備と同じような立場でした。それが兄貴とともに漢朝を簒奪した王莽に反旗を翻し、緑林軍という軍閥に加入したものの、実力と人気を兼ね備える兄が同じ緑林軍の幹部に謀殺されます。にもかかわらず光武帝は謀殺を非難せず黙々と働き、緑林軍で内部抗争が始まるやうまいこと出し抜いて中国を再び統一します。光武帝に関してはこのほか部下に締め出されるなど色々エピソードが多いのですが、確かに正当性という点では漢室の血筋を引き、誰も裏切ることなく世の中の混乱を正した点でピカイチでしょう。
次に正当性が高いとして挙げたのは、先ほど出てきた洪武帝です。当時はモンゴル系による元朝が支配する時代で、政治がおかしく世の中が混乱しており、そうした悪政による支配を正して漢民族による支配を復活させたという点で評価されてました。この点について私も納得で、その同僚自身は支配層がモンゴル族でも満州族でも気にしないが、閥族政治による混乱の責任があるとして洪武帝に追いやられたのはいいことだと言ってました。
このほか自分の方から宋朝を立てた趙匡胤はどうかと聞いたら、彼も先代皇帝の遺児から簒奪しているとしてきちんと非難していました。もっとも趙匡胤はその遺児を殺さず保護していた点はちゃんと評価していましたが。
日本、中国に限らず歴史の移り変わりは突き詰めると簒奪の繰り返しですが、改めて上のやり取りを経て正当性というのをちゃんと意識するのは大事だなと当時思っています。現在の日本の政権は民主主義で主権在民であり、特定の一族や団体に支配されているわけではないため簒奪は怒りにくいですが、やはり簒奪を認めてしまうと世の中が不安定になるような気がします。そういう意味では日本ももっと正当性という観点で秀吉、家康の行為についてもう少し議論した方がいいかもしれません。
劉秀は挙兵時に牛に乗ったり、あの真面目君が挙兵するのか と周囲から驚かれたりするほほえましいエピソードがあります。劉邦のように黒子が72個ある貴相という話は無いようです。これは傍流とはいえ漢王朝の一族という最低限の正統性はあったので天子の相が必要なかったのでしょう。その劉秀も正統性を問われる時がやってきます。敵の占い師 王郎は「自分は成帝の落胤だ」と言い張ります。もし王郎が本当に成帝の息子なら 劉秀よりも皇帝になる優先順位が高いのです。それに対して劉秀はこう言い放ちます「今の時代に成帝が蘇っても世の混乱を収める事は出来ない。ましてや偽皇太子にはどうやっても無理だ」これは暗に、自分こそが皇帝にふさわしい と宣言したようなものです。
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