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2017年11月6日月曜日

文字数別、記事を書く秘訣

 コメント欄で少し質問を受けたのでまた文章の書き方、もとい記事文章の書き方を文字数別で簡単に紹介します。

 以前書いた「わかりやすい記事を書くコツ」の中で私は、記事を書くポイントは究極的には表現とか文字数のバランスとかではなく、話題をどのような順番で書いていくかという構成によって左右されると説明しました。これは私個人の意見というよりかは絶対的な真実であると考えており、きれいな文章を書く上では何よりも重視し、且つ指導すべきポイントだと考えています。
 なお外部に出す文章などにおいて私はこの構成を非常に重視して、実際に記事を書く前にどのような順番で話題を並べ、段落分けをどうするかをじっくり考え(主に通勤途中)ていますが、このブログの記事に関しては大まかな内容なりテーマを決めた後は割と思いつくまま、どちらかというとライブ感が出るようにして書いています。

 話は戻りますがではどのような文章構成だといい文章、もといわかりやすい記事に仕上がるのか。いくつか王道パターンはあるものの「これしかない!」的な一つの究極形はないので各自が創意工夫してよいと私は考えていますが、記事文章において私が頻繁に使用している構成は大きく二つあり、文字数によってどちらを使うかを決めています。

<少ない文字数の記事に使う構成>
 こちらの構成は私だけでなくマスコミ志望者向けハウツー本でもよく取り上げられており、新聞社の新人記者研修でも多分同じ内容が解説されていると思います。少ない文字数、具体的には500字前後の小記事から1000字前後の中記事で私は使っていますが、それ以上の文字数で使っても問題ない構成です。

 具体的にはどんな構成かというと、大事な内容や報道したい主題を第一文に持ってくるという構成です。例えば業績発表に関する経済記事なら「○○社は昨年、××%の増益だった」というように、極端に言えば第一文さえ読めば記事全体が分かるくらいの主題(主に数字)を頭に持っていきます。
 続いて二文目にはその補足で、具体的に何が増益(もしくは減益)の要因になったかという理由を書き、第一文の内容を補足します。そして第三文にはその他関係する事項を好きに書く、例えばさっきの例だと同業他社の業績や、何期連続の黒字だとか、今後の業績予想とかです。
 この構成は一段落、二段落、三段落という構成にしても通用する形です。この場合だと第一段落に主題を詰め込むという形となり、以降の段落では重要度の高さに従って主題を補足する内容を一つずつ付け加えていきます。基本的には経済記事に限らず、新聞記事の構成はすべてこうなっていると言っても過言ではなく、お手元の記事を見て構成を考えてみれば実感が得られると思います。

<多い文字数の記事に使う構成>
 先ほどの構成は基本的に文字数に関係なく使える形ではありますが、大体2000字を超えるようなやや長い記事を書く場合ですと私は別の構成にして記事を書きます。主題を頭に持っていく点は同じではあるものの、核心に迫る内容を敢えて書かずにしておいて一体何故そうなるのかという理由については匂わせる程度で切ります

 一体どうしてこんな書き方をするのかというと、記事を最後まで読者に読ませるためです。長い記事だと序盤だけ読んで読み捨てる人が多いこともさることながら、最初の構成のように重要な内容を頭から順々に書いていくと後半に至るにつれて書く内容の濃さや重要性が薄れていき、単純に読んでてつまらなくなっていきます。そうなると、読者としては読後感が非常に悪くなるわけです。
 こうした事態を避けるために、最初の第一段落では記事全体で主張したい内容と結論だけを簡潔に示し、「その結論に至る理由や背景とは?」という風な切り口にして、意図的に読者が続きを気になるような書き方にすることが多いです。
 こうして一旦リード文(第一段落)から本文(第二段落)以降にまで誘導させると、第二段落に入ってからは背景事項の説明に入り、何故この話題が気になるのか、現状はどうなっているのかなどと周辺事項から徐々に焦点を絞り、終盤に入るあたりでようやく詳しい説明や理由を書いていきます。でもって最終段落では補足的な、私個人の意見や見解、別の視点など、必ずしも読まなくてもいい軽い内容を簡単に示して、読後感を軽くするようなことをよく書きます。

 こちらの構成は最初の構成とは逆に近い形で、第一段落で内容全体のルートマップを示しながら肝心なところは敢えて教えないという形になります。何故そうするのかというと、繰り返しになりますがやや長い記事を最後まできちんと読ませるためです。その上で本文に入ってからは周辺事項から徐々に核心へと近づけていく形を取っており、こうする方が最後まで記事を読んでもらいやすいし、読者の側も話題が後へ行くほど内容が濃くなっていくので読みやすいのではないかと考えています。まぁもっとも、必ずしもこの形にこだわる必要もなければ、私自身も状況や内容にあ和得て変化をつけてはいるのですが。

2017年11月4日土曜日

中国に対する日本人の見方の変化

 先日、というか昨日JBpressの編集長と会って話してきましたが、その中の会話でお互い意識して取り上げ合ったのが「中国に対する日本人の見方は、どうも潮目に入っていないか?」というものでした。これはどういう意味かというと、前補と中国人に対する日本人のアレルギーが薄まってきていないかということです。

 中国人に対する日本人のアレルギーとは言ってそのまんまですが、中国に関するあらゆるものを否定する感情です。具体的には「シャープに中国人(実際は台湾人)経営者が来たからもうシャープの製品は買わない」とか、「これだから中国人は」、「中国人にこんなもの作れるはずがない」などと批判するもので、私の中国紹介記事も知ってる人には早いですが大体どの記事もヤフコメでは私への人格批判も含めて激しく罵られます。

 しかし、ここ最近の記事ついては以前ほど、実感としては去年年末の上海大江戸温泉の記事が一番激しかったかもと思いますが、このところ私が書く記事に関してはやたらむやみな批判は減っており、むしろ私の紹介する中国事情を見て素直に、「中国も侮れない」と認めるような声が見られるようになってきました。もっとも、私の場合は批判されるのに慣れているのでむしろ記事内容誉められると逆に不安に感じたりするのですが。

 こうした読者反応の変化については編集長も感じているとのことで、どうも今年に入ってから反応が変わり始めたように思っていたとのことです。私自身も感じていただけに同じことを考えていた人がいたのかと思うとともに、どうも日本の中国に対する見方が現実に近づいてきているように感じます。
 以前と中国に対してはあらゆるものついて批判的に見る日本人は多いですが、一方で私が報じるような中国の現状、特に日本を上回る領域が存在する現実を認める人もだんだんと増えてきているように思います。これ自体は私個人としては歓迎したいところですが、仮に私がそれこそ、「中国に学べ!」という見出しで記事を書いたとしたら、恐らくこれまでにないくらいの反発が来るだろうと断言します。そうしたことを考慮すると、未だに幻想にしがみついて現実を見ることができない日本人は多いだろうと私は認識しています。

 もちろん私はあらゆる点で日本が中国に劣っているとまでは思いません。しかしことビジネス面においては、日本が中国に学ぶべき点が現在多く出ているのではと考えています。自分の記事でもそうした点についてはっきりとは言わず、暗喩させる形で伝えようとはしているものの、それでも読者の反発を恐れて「中国人に学べ!」とは書けないのが正直なところです。
 話は最初に戻りますが、日本の中国に対する見方は変化しつつあるとはいうものの、今後どこまで現実に近づくかはまだ未知数です。もしかしたら私の視点の方が誤っている可能性もあるものの、自分としては現在の流れがもっと続いてもらいたいというのが今日の意見です。

2017年11月1日水曜日

オウムのカルマの概念についての手がかり

 オウム事件について現在いろいろ調べていますが、近年になって自分の中で注目が高まっているのは、事件前後に信者らがやたら「カルマ」という言葉を繰り返している点です。カルマは日本語だとよく「業」とか「原罪」と訳されますが、いうなれば負の意識や概念、もしくは経歴といったところでしょう。

 信者らの証言では「自分の身に着いたカルマを払うためには」などという言葉ともに、修行に打ち込む理由をカルマを取り除くためと説明していることが多いです。またサリン散布実行犯の広瀬健一がサリンを撒いた直後に自分にもサリン中毒の症状が出た際、「自分のカルマだ」と思い、サリンを撒くという行為自体の報いを受けたと思ったと話しています。

 このカルマの概念について、以前はあまり気にしなかったのですがある物語を読むことでオウム信者らの概念ってこういうものだったのかと妙に納得するようになりました。その物語というのも、しべっと仏教の聖人の一人であるミラレパの物語です。

ミラレパ(Wikipedia)

 ミラレパについてざっくり述べると、自らの家族に対し冷たい仕打ちを行った叔父と叔母への復讐として黒魔術を用いて村を壊滅へと追い込んだ後、その行為の代償として背負ったカルマを払うために別の聖人(マルパ)への帰依を求め、マルパから課せられた様々な試練を乗り越えることでついにカルマを払い、その後も修行を続けてチベット仏教の中でもトップクラスの聖人に列せられるようになった人物です。
 ちなみに修行中に草しか食べなかったので途中から体の色が緑色になったとのことですが、これを聞いて私はデスラー総統とピッコロさんが頭に浮かびました。

 このミラレパの話を聞いてオウムと同じだと感じた点は、その師であるマルパとのやり取りです。マルパはミラレパを一目見て自分の後継者となる人物で全力で教え、導く相手だと直感しながら、当初は冷淡な態度を取ります。具体的には、ミラレパ一人に石を積んで塔を作るようにと指示しておきながら途中で、「塔を作る場所を間違えたからまた一からこっちに作れ」などと、何度も理不尽な仕打ちを与えます。こうした仕打ちは周囲からも同情を買うほど厳しいものでありながらミラレパは愚鈍なまでにその指示に従い続けました。
 最終的にマルパはミラレパに対し、これまでの冷たい仕打ちはミラレパの過去のカルマを払うための苦行であり、この試練を乗り越えたミラレパにはもうカルマは払われていると明かした上で、君こそ自分の後継者であるとして改めて弟子に迎え入れて熱心且つ丁寧に指導を行うようになるわけです。

 チベット仏教全体が果たしてそうなのかまではわかりませんが、少なくともオウム真理教についてはこのミラレパのストーリー構造が信者間で強く共有されていたと思う節があります。具体的にはグル、尊師こと麻原彰晃の命令は絶対で、一見理不尽とも思える厳しい仕打ちはカルマを払うための苦行だと受け取られ、犯罪であることを認識しつつも実行に移されるという過程はこのストーリーに乗っ取っていたのではないかと思います。
 また複数の信者は麻原彰晃のことをソウルマスターであると思って自分が救われるにはこの人にすがるしかないと考えていたなどと語っており、やや言いにくいのですが、自分一人では悟りを開くことはできず精神的上位者の助けなり指導が絶対必要という観念が、ほかの宗教と比べて強いような印象を覚えました。これも、先ほどのカルマを背負ったミラレパのストーリー構造に乗っかるような気がします。信者らが使う用語も、なんとなくこれらとつながるように思えますし。

 非常に単純な構図で書くと、

解脱したい(=悟り開く)→カルマが邪魔→自分一人じゃ払えない→既に悟りを開いている指導者の教えが絶対必要→尊師の言うことは絶対

 という思考構造だったのかなと、林郁夫に関する本読みながら改めて再考していました。

2017年10月31日火曜日

平成史考察~自殺サイト殺人事件(2005年)

部屋から異臭、荷物運ぶ姿=「まさかこんな」住民ら絶句―アパート遺体(時事通信)

 やや不謹慎ではありますが、久々にまた香ばしい事件が起きたなという感想を持ちました。それにしても最近の神奈川県は障碍者施設襲撃事件といい、大量殺人事件がやたら起きているような気もします。
 この事件の詳細については今後操作や報道が進むにつれて明らかとなっていくでしょうが、現状ではまだ不確実な面も多いだけに余計な言及は避けようと思います。ただ現在までに報じられている、自殺志願者をネット経由で誘い出したとされる供述をみて、私の中で真っ先に思い浮かんだのは下記の事件でした。

自殺サイト殺人事件(Wikipedia)

 事件発覚当時、その内容からかあまり大きく報じられてなかったような気もするので(筆者はこの時期北京に留学中)、事件内容を覚えていない人の方が多いのではないかと思う事件です。内容をごく簡単にまとめると、自殺志願者が集うサイトで当時流行っていた集団自殺を持ち掛け、一緒に自殺するためにやってきた女性、男子中学生、男子大学生を悉く拷問の末に殺害していたという事件です。
 犯人の男には拷問癖、というよりは窒息して苦しむ姿に興奮するという性癖があり、誘い出された被害者らは三人とも何度も窒息によって気絶されては無理やり起こされ、再び窒息させられるという行為を繰り返された挙句殺害されており、その過程は写真や動画で撮影されていたそうです。

 今回、というより内心では以前からこのブログでも取り上げたいと考えていた事件ですが、何故取り上げたかったのかというといろんな意味で考察の余地が含まれた殺人事件であると思えたからです。ポイントは大きく二つあり、一つは自殺サイトを手段として経由していること、もう一つは窒息マニア且つ白のスクールソックスマニアという特殊な性癖を持つ犯人であることからです。

 前者については筆者も学生時代に何故かレポート調査対象としてやけに調べたことがあり、2004年にワンボックスカー&練炭を使った集団自殺が発生してから増えた自殺サイトが、自殺ではなく他殺に用いられたという事実が興味を引きました。意外というよりかは起こるべくして起こったなと思ったのが正直な感想であるとともに、殺人と自殺幇助の線引きについて考えさせられるとともにもちろんこの件は殺人であるが)、今後もこうした殺人への応用が続くのかなと一人でいろいろ考えていました。

 そして後者についてですが、前述の通りにこの事件の犯人には他人が窒息して苦しむ姿に興奮するという異常性癖があり、尚且つ白のスクールソックスに対しても異常に関心を持ち、被害者は拷問の過程で白のスクールソックスを無理やり履かされていただけでなく、この事件以前にも犯人は白のスクールソックスを履いた友人の首を絞めるなどして何度も逮捕されています。
 これらの犯人の特徴を以って単純に異常者と割り切るのは簡単ですし実際にその通りな異常者なのですが、個人的に私が興味を持ったのは、犯人自身がこの性癖の異常性について自覚しており、尚且つそれでも欲望に抗えなかったという点です。

 この点については裁判中に犯人自身が、その問題性を自覚して何度か自殺を試みたものの未遂に終わり、その後欲望を満たすために犯行に及んだと語っています。またどうしてこのような異常性癖を持つに至ったのかという過程についても比較的詳細に語られ、ほぼ確実とみられる因果関係も明らかとなっており(幼少時の父親の折檻と、中学生時代の教育実習生)、あくまで供述に頼るのみではあるものの話として聞いてて筋が通るというのが、他の異常殺人と比べても一線を画しています。
 様々な供述から犯人自身は自分の所業について一定の罪悪感を感じているように思われ、現実に事件発覚のきっかけとなった女性に対する殺人以外の二件の殺人については疑われていない段階で犯人自ら自白しており、裁判でも減刑にはつながらないまでも自白が認定されています。しかし公判中も拘置所内で暴行事件を起こすなど際立った暴力性はとどまらず、また自らこの性癖は矯正不可能で復帰の見込みはないことを認め、有言実行とばかりに一審での死刑判決に対して弁護団が行った控訴手続きを自ら取り下げ、一刻も早い死刑執行を望んでいることを示していました(2009年に死刑執行済み)。

 繰り返しになりますが、私はこの事件の犯人について自らの異常性を認識し、問題性を自覚しながら幾度となく犯行を繰り返した点が興味深いと思え、異常犯罪における犯人としては非常にレアな存在だったと見ています。その上で不謹慎な言い方ですが、最終的な死刑執行はやむを得ないにしろ、もう少し生かしておいた上で犯罪研究の貴重なサンプルとして研究する価値もあったのではないかと内心では考えています。
 現在までの供述によると、今回の座間市の犯人も8月末から何人も殺害してクーラーボックスに保存しておくなどなかなかの異常性を見せています。そしてそんな異常者でありながらあっさりと犯行を認めたということからも、価値の高そうなサンプルだと早くも期待しています。

 最後に一応言っておきますが、不謹慎であることは認めつつも研究価値については将来の犯罪研究のためということが第一です。こうした研究から犯罪に走りそうな候補を早めに検出し、また矯正の可能性や手段を探るkとは社会的にも価値があるからこそこういうことを言うのであって、決して野次馬根性で面白がっているわけではありません。
 だからこそ同じ自殺サイト、というよりネットを経由したこの自殺サイト殺人事件と、共通点とかどうなのかなという意味で敢えてこうして記事にしてみました。まぁ現時点で言えることとしては、自殺するなら変に誰かと一緒にやろうとすると一方的に殺される可能性があるから、なるべく一人で頑張ってした方がいいってことくらいですが。

2017年10月29日日曜日

スバルの検査不正ニュースの衝撃(テンプラ)

 前回に引き続き、スバルの検査不正ニュースについてスバルとは全く関係ないところの話をします。それにしても前回はこの見出しで、朝日新聞記者の自動車に対する無知ぶりを批判するという恐ろしい記事だったなぁ。
 結論から言えば、この事件について全く論点の違う意見をいう人が多くみられます。でもってその論点の異なった意見は異なっているだけに間違っているように私には思えます。

スバルも発覚!! 「無資格者検査問題」の3つの要所(ベストカー)

 事件の要点についてはベストカーがよくまとめてくれているので上のリンク先を見てください。簡単に言えば日産とスバルで完成検査員資格を持たない人間が法定の完成検査を行っていたことがばれたことで大きな問題となっているわけですが、この事件についてネット上で反応を見ていると、

「これまでも同じような検査体制で大きな問題は起こっていないじゃないか」
「検査自体はきちんと行われているのだから安全上は問題ない」
↓↓↓
「だからこの問題はそもそも大騒ぎする問題なのか?日産もスバルもいい迷惑だろう」

 的な意見がいくつか見られました。論法としては、「安全上は問題ないのだから別にいいじゃん」という感じです。
 しかし私の見方は違っており、検査自体がしっかり行われているとか、安全上問題がないかではなく、規定を破っても問題ないとする社内風土にこそ欠陥があるとみています。

 言うまでもなくこの完成検査は国の法規定で定められており、実際に日産とスバル以外の他のメーカー(実際怪しいけど)ではきちんと規定に沿って実施されています。しかしこの二社では法規定手順を守らず、またコンプライアンス上問題がないかという確認すらも怠っていたということになる上、日産に至っては問題発覚後も気にせずに無資格者の検査が続行されていたということからも、「法は法だけど面倒なら破ってもしょうがない」という認識が少なくない人間、それこそ工場単位で持たれていたと言っても過言ではないでしょう。

 ヒヤリハットの法則ではありませんが、綻びというのはほんの些細な点から大きく広がっていきます。実際、内部統制上の不正事例でも、最初はちょっとしたミスや誤解を犯していながら特に問題とならなかったことからどんどんと大規模化して大きな不正案件となることも少なくありません。検査手続きにおいても同様で、「見逃しても事故が起きないから」という態度が後でどんな問題に発展するのか、そうした抜ける意識を根絶するためにも規定に対しては絶対的に従う必要があると私には思えます。

 逆の例と言っては何ですが、昨年に三菱自動車で発覚した燃費不正事件の際にスズキも法規定に沿った検査方法を実施していなかったことが分かりましたが、この件ではスズキは法規定よりもずっと厳しい燃費検査を行っており、法規定の検査方法に合わせたところ前より表示燃費が向上するという恐ろしい結果を叩き出しました。この場合も確かに法令違反っちゃ違反ですが、スズキは法令以上の厳しい検査に自ら臨んでおり、なおかつ国の燃費検査の方が明らかに欠陥や無駄な手間の多いやり方で、スズキの件もあってか検査方法を国も今変えようとしていることから私はこの件でスズキを批判するつもりは全くありません。っていうか凄いぞスズキ!

 しかし今回の日産とスバルの件は、安全上問題がないにしろ、明らかに「法令なんて知るか!」と言わんばかりの対応なだけに、もっと批判されてしかるべきだと思います。さらに言えば、法定検査ですらこんな態度であることからこの二社の他の検査も案外どんなものかと、それこそ社内風土的に少し疑っています。
 個人的に非常に不思議なのは、完成検査員はメーカー内部での認定資格で、祖に認定基準もメーカーごとによって異なるとのことですが、人手が足りないならばなぜ認定基準の方を変えなかったのかが理解できません。日産に至っては無資格者が有資格者の印鑑を勝手に押印して検査書を出していた事例もあったそうですが、印鑑管理の点でもこの会社は内部統制に問題が多そうです。

2017年10月27日金曜日

スバルの検査不正ニュースの衝撃(仮)

スバルも無資格検査 日産不正受け社内調査 群馬製作所(朝日新聞)

 今朝上記リンク先のニュース記事を見て大きな衝撃を受けました。具体的に言うと、「えっ、インプレッサが小型車だって(;・∀・)ハッ?」ってな感じで。

 問題の箇所は末尾から二番目の段落にある「小型車の『インプレッサ』や、スポーツ用多目的車(SUV)の『XV』などを生産する主力工場だ。」という記述です。結論から言えばこれは明確な記述ミスです。あらゆる角度からクロを白くする作業で分析を試みましたがどの角度からも角が立つ書き方で、自分以外に突っ込む人おらんのかいなとという点でもなんかいろいろと複雑になりました。

 車種について知っている人には早いですが、「インプレッサ」というのはスバルの主力車種であり近年の同社の躍進を支えている、主に米国市場で販売が伸びているベストセラー車です。タイプ(車型)としてはセダンとハッチバックの二種類がありますが、まぁ国内市場と表向きイメージを考えるならば「セダン」と言い切ってもアリだと思います。そもそも「ハッチバック」という言葉自体が最近自動車業界でも使われなくなりつつあるし。
 それでこの車ですが、はっきり言ってかなりでかいです。特に最近のモデルチェンジではメイン市場の米国に合わせてどんどん大型化しており、以前はともかく最近は一応の姉妹車種であるレガシィとも区別つかなくなるくらい巨大化しており、他の同じクラスのセダンと比べても大き目なサイズです。

 セダンとしてむしろでかい方にもかかわらず何故朝日はインプを「小型車」と書いたのか。恐らくナンバーによる区分こと車幅区分で小型車と書いてしまったのだと思います。

乗用車(Wikipedia)

 上記のWiki(今年は2000円寄付したから気兼ねなくリンク貼れる)の記事中でも開設されていますが日本の乗用車区分では、

・全長:4,700mm以内
・全幅:1,700mm以内
・全高:2,000mm以内
・総排気量:2,000cc以内

 以上の条件にすべて収まれば「小型車」に分類され、逆にこの条件を上回りトラックなどの条件に合致しなれば「普通車」として区分されます。この区別はナンバープレートを見ればわかり、小型車の場合は一番上にある3桁の分類番号が「5」から、普通車は「3」から始まることからそれぞれ「5ナンバー」、「3ナンバー」と言って区別されています。
 この区別はかつてでこそ税金面で小型車(5ナンバー)が有利であったことから自動車メーカーも一番条件に引っ掛かりやすい全幅を敢えて1,700mm以下に抑えていましたが、昨今は制度も変わり必ずしも小型車が税制面で有利となるわけでなくなったことから(排気量のが重要)、プリウスなど一部車種ではモデルチェンジに合わせて5ナンバーから3ナンバーに移行する例があります。

 こうしたことから、恐らく一般的には「小型車」か「普通車」かで自動車を区別したりすることはあまりないと思いますし、ましてやニュース記事でわざわざこの基準で区分をすることに意味は全くと言っていいほどありません。それこそこの基準で区分するとしたら、インプだけでなくフィットやデミオなど他の一般的な大衆車も「小型車の~」という枕詞になるし、軽自動車も「小型車のミライース」という風に書くこととなるわけで、こんな書き方だと違和感ありまくりな上に読者が変な誤解をする恐れすらあります。
 その上、前述の通りにインプは車型としてはセダンに属し、なおかつ同クラスででかい方の部類に入ります。それこそ「フィット」などが属すコンパクトカーという車型なら「(車型としての)小型車」という表現が使えないこともありませんが、インプを小型車と呼ぶにはどうしても上のナンバーによる区分でしか説明することができません。

 仮にインプだけの引用であれば「小型車のインプレッサ」と書くことも、はっきり言って非常に不自然ですがギリギリ認められます。しかし今回の朝日の記事ではその後で、「SUVの『XV』」とも書いています。インプに対してはナンバーによる区分で「小型車」と書いているくせに、その直後にXVに対しては車型としての区分表現である「SUV」という表現を使っており、前と後ろで基準が異なっています。もしナンバーによる区分基準で統一するならXVに対しては「普通車の」と書かなければなりませんが、「普通車のXV」ってまぁ見ていてほんと不自然な書き方です。

 これは私の推測ですが、恐らくこの記事書いた朝日の記者はそもそもインプレッサがどんな車か全く知らず、とりあえずネットで検索かなんかして他紙の記事で「小型車のインプレッサ」と書いてあるのを見つけてそのままコピペしたんだと思います。私もこの辺実際に見ていますが、記者というのは表現について、自分の感性等よりも同業他社がどう書いているかを参考にし、それをそのまま全く疑わず鵜呑みにする傾向が強いです。
 実際私も検索したところ、産経とか東洋経済も全く同じく「小型車のインプレッサ」と書いています。まぁまだこちらは「SUVのXV」とは書いていないから通ることは通るけど、書いてて違和感感じないのかなこの人ら。

 ややきつい言い方をすると、冒頭の記事を書いた朝日の記者、並びにそれを通した編集は自動車について多分全くわかってない人なのではと思います。そんな人間が自動車業界のニュース書いてどうするんだと、見ているこっちが不安になってきますし、出稿前に「基準バラバラじゃねぇか」とどうして誰も気づかないのか不思議で仕方ありません。
 そもそも件のインプレッサはトヨタのクラウンとカローラ、日産のスカイライン、ホンダのシビックなどに続くくらい長期に渡り生産、販売されているスバルの看板車種で、こと4WDの性能に関しては上位車種に当たる「WRX」は恐らく世界最高クラスな車です。知人に至っては、戦場を選ばない取り回しやすさと総合的なポテンシャルから、「GTRよりWRXのが速い」とまで言うくらいだし。

 そんなある種過剰性能気味な、多少車に興味ある人だったら誰もが知っていてもおかしくないくらいの知名度を持つ車種だと私には思え、そのインプレッサに対し「小型車」と平気で書いてしまう不作法は見上げたものです。それこそスズキの「キザシ」とか、ダイハツの「アルティス」くらいにマイナー激レア車種だったら多少書き間違えても私もしょうがないかなと思えるのですが。



 ……ここまで長く書いておきながらなんですが一応念のためにインプの諸元表を確認してみたところ、現行のインプの全幅は1,775mmあり、ナンバー基準であっても小型車には分類されないことが分かりました。っていうか3代目(現行は5代目)インプの時点で1,700mm超えており、これだとナンバー分類上は「普通車」であり、どっからどう攻めてもインプは「小型車」にならないことに気づきました。
 だとすると最初の朝日の記述は完全にNGだし、産経や東洋経済の記者もいろいろと怪しいってことになります。ほんま日本の経済記者大丈夫か?普通に「セダンのインプレッサ」と書けばいいだけだってのに。

  おまけ
 ダイハツの「アルティス」とは、トヨタの「カムリ」がダイハツ向けにOEM販売されている車種です。しかし、そもそもOEM元のカムリ自体が日本国内じゃ全く売れずに知名度、人気がない激レアな車種であり、OEMでダイハツに出されている事実自体が車好きであっても多分ほとんど知られていないという超激レア車です。っていうか日本でカムリをOEMで出す必要あるのか、それならマークXとかの方がよかったのではと思うくらい誰得なOEM取引です。
 しかし、珍しいもの好きな私としては逆にこのアルティス乗ったら面白そうかもと思い、一時期熱心にカタログとか眺めていたことがありました。それこそティターンズのパイロットなのにエゥーゴのディジェに乗っているような感覚味わえるかなとか妄想していて、もし日本帰って車購入する機会あれば多分また真剣に検討すると思います。

2017年10月25日水曜日

怪しいからこそよく売れる

 今日ふと尾上縫とかどうしてんだろうと思ってネットで調べてみたら、3年くらい前に死んでいたそうです。

尾上縫(Wikipedia)

 多分私と同年代でこの人知っている人は知らないでしょうから簡単に説明すると、尾上縫というのはバブル期に世間を騒がせたいわゆる詐欺師です。具体的にどんな詐欺したのかというと金融機関からの不正融資引き出しなのですが、その経過というのが時代を反映していて個人的には面白く、私も名前まで覚えてしまいました。
 元々は料亭の女将だったのですが株や競馬の予想が悉く当たると評判になったことから次第に占いが本業となっていき、一時期は大手証券会社や銀行の社員がこぞって通い、「当たるぞよ~」とか「今は待つぞよ~」など怪しさ満点のお告げを繰り返しては来場者から尊敬のまなざしとともに平伏されていたそうです。

 しかし資産運用がうまかったというよりかは時代が良かっただけで、自ら運用していた株はバブル崩壊とともにどんどんと焦げ付き始め、Wikiの記述を引用すると、「89年の延べ累計額では借入が1兆1975億円、返済が6821億円で、270億円の利息を支払った。」とのことで、この年の運用損益は実質約-50%という状態でした。
 それにしても上記の金額を見ていると、いくらバブル期とは言え個人で数千億の融資を得た上で運用できたとはアホな時代だなと思えてなりません。まぁそんなあほな時代を経たから今審査とか厳しくなったのでしょうが。

 こうした有様はもちろん表向きは隠していたものの金融機関もだんだんと怪しみ、融資に慎重となっていきます。そこで尾上縫は懇意の金融機関関係者と組んで架空の預金証書を作り、これを担保とすることで新規融資を引き出すという詐欺を繰り返しながらどんどんと焦げ付かせていき、ある日ガツンとばれて牢屋に入ったわけです。なおその後留置場で自己破産手続きを取り、負債総額は4300億円と個人としては当時の史上最高額を叩き出したそうです。
 そんな尾上縫ですが今年包装されたテレビ番組の調査で2014年頃に亡くなっていたことが確認されたそうです。まぁなんていうか、悪い奴は結構しぶとく生きるなって感じです。

 個人的にこの事件で面白いと思うのは、変なガマの像に向かって祈ったりするなど怪しさ満点なおばさん相手に、高学歴の証券マンとかがこぞって通って平伏していたという事実です。しかも彼らがお告げと聞いていた内容はおばさんの場当たり的予想にしか過ぎず、実態から根拠、背景に至るまで何一つ合理的なものがなく滑稽窮まりません。
 しかし逆に言うならば、怪しいからこそみんな信じたのかなとも思うわけです。

 古い話を出すと、原爆投下直後の広島では人骨の粉末がケロイドなどに効くというデマが流れて実践する人も多かったそうです。もちろん人間の骨にやけどを治すような効果はなく、これ以前に同じような意見が提唱されたわけではないのですが、パニックもあったとはいえ何故かその時の現場では信じられたそうです。
 こうした例に限らず、一見すると怪しさ極まりないものの、時と条件とかが合ってしまうと何故か根拠なく信じられたり、商品も売れたりする傾向がある気がします。いわゆる疑似科学などはこの典型で、効能などの宣伝とかマーケティングとかではなく怪しいからこそ売れるんじゃないかとひそかに見ています。

 このように考えると商品やサービスに対して、いくらかの怪しさを付け加えたり意図的に醸し出したりすることはマーケティング上でも有用なのではないかとも思えてきます。それこそいかにも素人っぽい芸人に、「これ効くよ、ほんとほんと、お願いだから信じて!」みたいに訴えさせたりとか。誰かこういう「怪しさマーケティング」について専門的に研究してくれないかな。

 なお最近でこういった怪しさ満点な商品とくれば、露骨な疑似科学商品ですが「水素水」でしょう。ただ私としてはちょっとこのネーミングはシンプル過ぎるような気もして、もっと仰々しい名前の方が売れたような気がします。
 敢えて私が売り出すとしたらそれこそ、「超水素水」、「伝説巨神水素水」、「ハイメガ水素水」などともっと凝った名前にしていたことでしょう。