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2018年3月2日金曜日

ITに疎い業種

 先日、今後のJBpress用記事の取材のためIT関連企業経営者の方と食事(焼鳥大吉)する機会があったのですが、ぱっぱと取材を終えると関係ない話で盛り上がり、「花園君のJBpressの記事読んでてよくわかるけど、なんか無理やり日本を持ち上げる記述入れてるよね」と、かなり玄人な読み方して読んでくれていることとか教えてくれました。
 そうした他愛もない話をした一方、二人で妙に意見が一致した話題として、IT方面の知識や感覚に対して極端に疎い業種がある、という話題がありました。具体的に言えばそれはメーカー系で、「何故彼らは必要なIT投資をしないのか」という点でしばらく話し合いました。

 私自身もメーカーに在籍したことありますし、大手メーカー企業に就職した友人らからも詳しく話を聞きましたが、製造業は大手、中小に関わらずIT方面の投資を怠る傾向が非常に強いです。では製造業はあまりITを必要としていないのかというとさにあらず、受発注管理から在庫・品番管理、決済管理などの面で、多数の仕入・販売・外注加工先を持つことから、むしろ他の業種と比べても先進的ITシステムの導入の必要性が高いことが多いです。
 にもかかわらず多くのでメーカーでは時代錯誤もいいところな古い管理システムを使用し続けていることが多く、今はどうだか知りませんが10年前にシで始まる液晶メーカーに勤めていた友人が言うには、「Windows以前の骨董品のようなシステムで重要な処理を行っている」と呆れながら話していました。

 またこれは私の経験ですが、最初に務めた商社では在庫管理にこれまた古い、緑色一色しか発行しないウィンドウのシステムを使っていたんですが、ある時期に別のシステムを導入したところ、現場で大混乱が起きました。理由は非常に簡単で、経営者が「安いから」という理由でしょうもないシステムに切り替えたことが原因でした。

 断言してもいいですが、大半の日系メーカーでは業務に管理システムが追いついておらず、それ固め生産性を著しく低下している面が大いにあります。では何故メーカーはIT投資をしないのかというと、単純にそんな余力がないだけということもありますが、それ以上に大きな要因としては、システム導入の決定権者は高齢の幹部に多く、彼ら自身がITに疎い上に現場処理作業に携わらず、その必要性を認識できないということがあります。
 またそういった環境に慣れてしまうと、当初は新規システム導入の必要性を感じていた現場社員ですら段々とそういったやる気を失い、途中からむしろ既存システム擁護派になってしまうというケースもあります。とくに中間管理職に上がった人間なんかに多いです。

 なので話をした経営者の人も、よく取引先に、価格交渉以上にどうして自分たちの仕事が必要なのかということを上の人間に説明するのが一番大変だとも語っていました。私自身も似たような経験を持つだけに、非常に納得できる話でした。
 こう言ったメーカーにおける問題を話した後、今度は私から、「メーカー以外にも、マスコミ業界もITに疎い人間が非常に多い」ということを口にしました。

 幸いというべきか私がかつて所属した新聞社は先進的な方で、システムも次々と更新されていった上に本社のITチームも優秀な人ばかりでした。ただ末端のライターはキーボードのブラインドタッチ以外はあまり強くなかったことから、ExcelやPower Pointなどで記事に必要な図表や資料を作る上でいくらか経験のある自分は割と周りから重宝されていました。
 しかしこれが他の新聞社や出版社ともなると違って、実際にそこで働いたわけじゃないですが、非常に古い記事編集システムとか資料管理システムを使い続けている所が多いと聞き、またオンラインでの業務運行や管理も非常に遅れているそうです。これにも先ほどの経営者も同調し、やはり取引先でそういうところがあるということを教えてくれました。

 ただマスコミ業界の場合はメーカーと違って膨大な受発注処理などがない分、その影響はまだいくらか小さいのですが、やや看過できないのがテレビ・ラジオ業界です。ラジオ業界については務めていた友人がやはり年配の幹部層が投資に不熱心だと話しており、テレビ局については広告でネットとは競合するからかもしれませんが、ウェブマーケティングなどを見ると呆れるくらいに手法が拙いことが多いです。
 ちょっと古いですが2012年にフジテレビがやったこれなんか、何を狙ってやろうとしたのか今でも意味が分かりません。これに限らず、折角たくさんコンテンツを持っているのにそれをネットに全く生かせていないというのはおかしいを通り越しているような気すらします。

 などと、いくつかこういった業界について書いてきましたが、本当にITに疎くて大問題な業種はメーカーでもマスコミ業界でもなく、一番は実は政治業界だと思います。

 中国の政治家、官僚は割と理系出身が多く、新規テクノロジーへの理解も比較的早いというか貪欲であるほか、その産業育成方法についても非常に習熟しています。例えば今度解説しますが、今年から中国では新エネルギー車への補助金を支給する際、車載電池のエネルギー密度が一定以下であれば全額切り下げるという政策を打ち出しています。これにより質の悪い車載電池は市場から一掃されることになりますが、あらかじめこうした政策方針をアナウンスしており、電池メーカー側も時間内に対策を取るよう示唆されていました。

 一方、日本の政治家は言うまでもなく大半が文系で、新規テクノロジーの理解についてもあまり期待できない人が多いです。また産業育成プランについても、はっきりいえばバラマキ政策しか能がなく、規制や支援について全く他の手段を持っていません。なんか誉め過ぎな気もしますが、中国の新エネ車に対する近年の規制と支援の使い分け方は見事なものだと感じ入ります。
 そういう意味ではやはり理系のトップ人材を育ててこなかったことが、技術大国敗北の主要因ではないかとも思えてきます。自分なんかはあり得ないくらいの文系ゼネラリストで理系とは真逆の存在ではありますが、無理をしてでも理系に進むべきだったのかと、今の日本の状況を見ていて思うところがあります。

2018年3月1日木曜日

週刊女性PRIMEのチクり報道の奇妙さ

大杉漣さん長男・隼平氏、“フジテレビの酷な要求”報道を否定(オリコン)

 既にリンク先記事を読んでいる方なら話は早いですが、先日亡くなられた大杉漣の遺族への取材についてなんか妙な報道だと感じるため、ここに記載しておきます。
 概略を簡単に説明すると、大杉漣の突然の死去を受けマスコミ各社が長男の隼平氏へと取材を行った後、遅れてやってきたフジテレビが隼平氏に自分たちにも取材させてほしいと、嫌がる隼平氏に無茶な要求をして苦しめたというような報道を、週刊女性PRIMEが報じました

 仮に事実だとしたら確かにフジテレビの行動は非難もやむなしなものだと思えますが、実際はさにあらず、今回のオリコンによる報道こと隼平氏の回答はというと、「遅れて取材に来たのは事実だが、別に拒否したこともなければ無茶な要求をされたわけでもなく、こちらからの提案で場所を変えて話をしただけ」という、週刊女性PRIMEの報道内容を根底からひっくり返すものでした。これが何を意味するかというと、遺族の隼平氏に対して何も取材をせずに週刊女性PRIMEは勝手な憶測を報じたということになり、果たして遺族を傷つけているのはどっちだと言いたくなる報道だったということです。

 今回の例はフジテレビ自身が反論報道をするわけではなく第三者のオリコンが報じていることからも信憑性が高く感じられますが、それにしても女性PRIMEは呆れた報道をしたものです。ただこうした検証が行われることは案外少なく、現実には遺族や関係者が言ったことにしてライターが勝手な憶測や自分の主張を書き立てる例は少なくありません。インタビューを受けた側からすれば自分が語ったわけでもない内容を書かれ大抵は驚き、中には怒りや悲しみを感じる人もいるでしょうが、発信力の違いから大抵はそうした事実は報道されることなく、泣き寝入りすることとなります。

 自分がこうしたインタビュー記事を書く際、やはり取材相手との信頼を絶対に崩してはならないという信条があり、やはりこういったインタビュー内容部分については非常に気を使います。それこそたとえ取材相手が口にした内容であっても、本人が言ったことを忘れたり、もしくは当初の思惑以上に内容を大きく出てしまった言葉なんかを報じてしまうと、取材相手としては私の記事を読むなり「こんなつもりじゃなかったのに」と言いたくなるでしょう。
 こうした事態を避けるための一応の対策として私は、

・取材相手が繰り返し何度も言った言葉しか書かない
・しゃべった直後に「○○なんですね?」といちいち再確認する
・文面に書く言葉を実際に口にした上で「この解釈で間違いないでしょうか?」と再確認する

 といった手段で対応しています。それでも実際にインタビュー部分を書いている最中は、きちんとメモに残していても本当に相手は確かにこんなことを言っていたのかと何度も迷い、真面目に強い吐き気を感じてえづくことも少なくありません。
 記事の特性上、読者が面白いと思う記事を書きあげることは何よりですが、取材相手の意向を着実且つ確実に表現することも非常に重要で、特に自分の勝手な考えや主張を他人の口を使って語ってはならないと常日頃からこの点には注意しています。それでも取材相手のやる気のない取材対応によっては、「話が違う」とか言われたりすることもあったりするのですが。

 こうした立場から言わせてもらえば、今回の週刊女性PRIMEの報道はマジ最低だなと私は思います。そもそも、仮に事実で遺族自身がそういったのならともかく、フジテレビを貶めるためにまるでチクるかのような今回の報道の仕方は単純に言って底意地の悪いやり方です。週刊誌に道理を諭すというのも無意味なことかもしれませんが、やはり記録には残そうと思って今回こう言う風に書きました。

2018年2月28日水曜日

天津飯ネタの裏舞台

日本にしかない「中華料理」、中国人はどう思う?
和食にも必要な「おいしければそれでいい」の大らかさ(JBpress)

 前略、今日上の記事が配信されました。そこそこ当たっているようで、過去に書いた中国と料理に関する関連記事のアクセスも好調で、現時点でJBpressのアクセスランキング一位から三位を独占しちゃってます。記事内容については非常に平和的でシンプルかつストレートなもので特に解説はいりませんが、この記事を書くに至った過程は紹介するに足るので、その辺について少し書いていきます。
 最初に断っておくと、この記事に書かれた要素は時系列的には実は完全にバラバラです。最初から「日本初の中華料理」というテーマで記事を書く予定はなく、なんとなくイベントが重なった成り行きから書いてみたら当たったというのが実情です。

 この記事で書いている内容で一番最初に得られたトピックというのは、実は中盤の中国人の知人へのインタビューでした。先にも書いた通りに当初、このテーマで記事を書く予定なんかなく意図的に尋ねたわけではなかったのですが、友人らと集まって広東料理屋で食事している際、「日本には天津には存在しない天津料理がある」と冗談めかして自分が言ったことがきっかけでした。
 日本に留学経験のある友人とともに天津飯がどんな料理かを説明し、ほかにも中華丼とか冷やし中華とか、誰もが由来は知らないけど中国人の知らない中華料理が日本で生まれていることを話し、その際に得た反応を今回の記事に反映することとしました。

 この友人との食事会があってから約二週間後、最近通い始めた日本料理屋で見た番組というのが記事冒頭で書いてある日本のグルメレポート番組でした。時間帯は昼過ぎで客も少なく、お店の奥さんと何故か二人してテレビ見ていて、「こんなの食べたことある?」などと言い合ったことからその場で話し込んでいきました。
 その奥さんは飲食店関係者なだけにやはり料理関連の話題に詳しく、同じ日系メーカーであっても日本売られる醤油と中国で売られる醤油は微妙に味付けが異なるなどいろいろ教わり、食べ終わって店を出てお菓子用にピザパン買って自転車に乗ったところで、「このネタ、前の友人らの反応と組み合わせれば使えるかもな。前にもあんな記事書いたし」という考えがよぎりました。

上海の洋食事情

 「あんな記事」とは上の記事のことです。この記事は私の友人がネタ振りした記事でしたが、異文化間の料理事情に関心の強い友人なだけに、日中間の中華料理事情などはいかにも彼が喜びそうなネタだと思い、他の人にも一定層受けるかもなぁと思い始めて、JBpress用の記事としても検討し始めました。
 ただこの時点では調味料の味付けの違いとか、食材や調理法の違いなどややディープな、悪く言えば友人受けしそうな内容で記事を書こうかと考えていました。先ほどの奥さんに話を聞けばまだまだ出てくるだろうし、それなら文字数的にも足りるなと算盤を弾いてました。

 こうした記事構想を今度は冷凍たこ焼き好きの友人に「次はこんなの考えている」と話したところ、「そんなもんじゃJBpressの読者はきっと満足しないぞ!(#゚Д゚)ゴルァ!!」と言って、今回の記事結論部に書いた「ぶっこみジャパニーズ」への批判や農林水産省の海外の和食調理師認定制度などを教えて来た、もとい入れ知恵してきました。ここだけの話、件の「ぶっこみジャパニーズ」を私は見ていません。
 ただこうした視点や考え、そして懸念は私も以前から感じていたものであり、確かに結論として持っていくのなら和風中華料理を全く気にする素振りのない中国人の対比として悪くないと思え、そのまま友人の意見通りに結論を書くことにしました。ドラフトが出来上がった際に先にこの友人へ見せたところ、自分の思想が反映されたこともあってか「今までの君の記事の中で最高傑作だ!( ;∀;) 」等と、気味悪いくらい絶賛されました。

 書き上げた際の私の感想はというと、内容が身近で込み入ったものでないことから非常にスムーズに書け、話題の移り変わりが非常に自然だから文字数の割に読み手もサラサラ読めるだろうなというような印象を覚えていました。ただ割とありふれた身近なネタであり、また意図的にミスリードを起こさせる煽るようなネタはないことから、果たしてアクセスが伸びるかについては正直やや不安でした。
 なお私の作った見出しは「日本発?中国人の知らない中華料理 中国人曰く、『おいしければそれでいい』」でした。結構苦しみながら作った見出しで、「もう孔明っぽく中国人曰くでいいやっ」とばかりにつけました。

 このように、今回の記事の要素である「中国人の知らない日本料理」、「それに対する中国人の反応」、「和食とともに考える食の寛容性」の三つは意図的に集めたものではなく、割と時系列も入手先もバラバラで、なんか偶然同じ時期に転がってきたから記事として一つにまとまったという偶然の産物だったりします。仮に上海の洋食記事に関する友人のネタ振りを含めどれか一つでも欠けていたら記事を書いていなかったろうし、書いていたとしても記事内容は大きく変わっていた可能性があります。そう思うとなかなか書くまでの過程が特殊だった記事のように思えてきます。

 さて最初に内容については書くことはないと書きましたが、記事につけられたコメントに関連する箇所については少し補足しようと思います。
 まず今回の記事で一番コメントが多く集まった箇所というのは、

「中国の料理をベースに日本人が発明した料理を『中華料理』と呼ぶことについては、『ちゃんと中華料理に敬意を払ってくれているような気がする。なにより、どこかの国みたいに中華料理も自分の国が発祥だなんて言わないのがいい』との感想を洩らしていました。」

 まず間違いなく上の部分でしょう。この箇所について少し補足すると、私が言わせた訳でもなければ言うように誘導したわけでもありません。私自身も普通に話をしていて急にこんな発言が知人から出てきてびっくりしたとともに、「おいしいコメントやな」と思っていつかどこかで使おうと心に刻み込みました。今回うまく消化できたのですっきりです。
 なお少し真面目な話をしておくと、このような見方をする中国人は確かに存在し、また私から見てその人数も少なくないということを日本にいる人にも伝えようという考えもあっての記述です。

 次に、これはもうダイレクトにコメント引っ張ります。


oxf*****

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百度で検索してみたら、ちゃんと天津飯の説明出てきますよ。記事を書くならちゃんと自分の話に責任を持ってくださいね 

 このコメントを見た時、飛び上がらんばかりにうれしかったです。というのも、完全に予測通りのコメントが得られた上、うまいこと罠にかかったと考えられたからです。もうこのコメントがあったかなかったで、今日の私の幸福係数は一味違いました。

 ここに出てくる天津飯とは料理ではなく、例の三つ目で気功砲を放つアイツです。記事中でまさに上の発言をした知人に天津飯を説明する際に検索したらアイツしか出てこなかったというエピソードを書いていますが、この箇所を書いている時、こういうコメント書く人がきっと出てくるだろうなと予想していました。というのも「百度」で文字検索すると確かに料理の天津飯の中国語解説ページが上に出てくるのですが、先ほどの私と友人が行った検索というのはあくまで画像検索です。
 行動説明的には「検索」とはしょって書いても問題ないけど、絶対こういう無駄なツッコミ入れて優越感に浸ろうとする人が出てくるだろうから、逆にきちんと記事を読んでいないという晒し者にするため、意図的に「『天津飯』と入力して画像検索をかけたところ」という文言を、なるべく目立たないようカギ括弧まみれの文章の中に潜り込ませておきました

 なお、一応証拠として実際に百度に「天津飯」で画像検索をかけると、


 こんな盛り沢山な画像が展開されます。天津飯のこと説明しようと友人と一緒にスマホで検索かけたらいきなりこんなの出てきて、二人してマジ爆笑していました。

2018年2月26日月曜日

関西地域における人材流出

 先日、関西出身の後輩に対し、「関西地方ほど人材の流出が激しい地域はない」ということを話しました。具体的な内容とは、大阪を中心とした関西は人口も多くそれなりに優秀な人材も輩出しているが、残念ながらその優秀な人材は大半が東京など関東へ移動し、下手すれば海外に出て行ってしまう傾向があり、結果的にクズみたいな人材が沈殿するかのように残ってしまっている、という話でした。
 主な沈殿先は大阪市役所を始めとする官公庁で、その理由としては「関西から出たくない」という理由からこうしたところ就職先として選ぶ傾向からです。その上でどうして人材流出が起こるのかというと、単純に政治や経済の中心が東京に集中していることと、大阪を本社とする大企業がほとんどいなくなるか、かつて本社とした企業も東京へ移っていることが一番大きいと説明しました。

 上記の内容は何も私の意見というわけではなく、実をいうと名古屋に左遷されたうちの親父の聞きかじりです。ただ言っている内容には私も同感するとともに、実際に関西地方で就職活動したりして現地で働いている人とか見る限りだと、あながち的外れな意見ではないなと実感することが多かったです。特に一番違和感を持った点として、話す内容に「東京とは違う」とその差を強調することが極端に多く、バカボンの反対の反対じゃないですが、合理的か否かよりも東京の流儀の反対を追うことに必死そうであることが目につきました。
 一方、東京の人間は自分の頭で考える人間が極端に少ないという特徴はありますが、その一方で優秀な人材が全国から集まってきやすいという利点があるだけに、やはりこの方面のリードは揺るがないでしょう。

 ただこう書いておきながらですが、このところの日本を見ていてほんの十年前と比べてもこれはと思う人材が目につかなくなってきています。社会全体を通してみてもなんか問題ありそうな人物ほど前に出て(そして問題起こして消える)くるだけで、スポーツ選手なんかだと大谷選手や羽生選手など人格的にもしっかりした人が増えていますが、実業界や政界、論壇、あと一般サラリーマンを見ていても面白いと感じる人間が減ってきています。

 敢えて見出しは関西としましたが、実は関西と同じことがもう日本全体のレベルで起きているのでは、日本全体から人材が海外に流出しているのではないかと言いたいのがこの記事の趣旨です。実際にITなど理工学系ではこうした傾向が激しく、ロボット関連などは日本よりも米国、下手すりゃ中国の方が開発資金を募集しやすく、ゲーム業界でも海外の方が今は環境いいんじゃないかという風に見えてきました。
 このように考えるのも日本の報道や議論の質がほんの少し前と比べても明らかに低レベルな内容に落ち込んでおり、現在の裁量制労働議論はもとより、つい先日書き終えた新エネ車市場についても、日系メディアがどこも世界販売台数や主要車種などについてどこも触れていないという事実を知って誇張ではなく強い寒気を覚えました、風邪気味だったからかもしれませんが。

 なんとなくですが、特に私が得意とする経済分野だから目につくだけかもしれませんが、このところの日本の経済報道は日本国内の数字しか出てこず、世界単位の数字やグローバル市場でのシェア解説などが減ってきているような気がします。欧州自動車市場の話なんてまるで見ないし、北米と南米市場の動向は、トランプの壁対策はどうなのかとか、本当にこれでいいのかと疑問に覚えます。
 自分の心配は杞憂に過ぎなく、報道業界においてのみ人材が不足しているのならそれで問題はありませんが、内心で私は同じことが日本の全分野・業界で起きているのではないかという懸念があります。皮肉な話ですが、先ほど挙げた大谷選手と羽生選手は世界レベルで競争が繰り広げられているスポーツ業界の人間ということも頭をもたげます。

 仮に日本で人材不足が本当に起きていると前提した場合、本当に議論すべきは、人材が流出しているのか、育たないのか、表に出てこないのか、この三つのうちのどれかではなく、この三つのどれがどれくらいの割合なのかを分析するべきなのかもしれません。個人的には、現代の日本の若者はゆとりとは言われながら高いポテンシャルを持っていることは間違いないと思っているだけに三番目じゃないかとは思いますが、ある専門職の同僚が、「最近できる子は増えている一方、とんでもなく低レベルな人材も入ってくることが増えた」と語っていたことから、一概には言い切れないかもしれません。

 昔ある野球選手が、「僕は英語を学びに行くんじゃない。野球をしにアメリカに行くんだ」と言って旅立ちましたが、海外流出が起きているとしたらきっとこういう若者が増えているということになり、それはそれで非常に頼もしく見えます。真に問題なのは、そういった人材を扱いきれない日本の環境なのかと、このところ頭をもたげさせながら考える機会が多いです。

2018年2月25日日曜日

山形有朋と社会学

 このブログでも散々語っている通り、よく中国語を専攻していたと勘違いされますが私の学部での専攻は社会学です。ついでに言えば歴史については専門的に学んだことはなく、あくまで趣味の一部でしかありません。

 その社会学ですが正式な設立時期については諸説あるものの、一番根強い説としてはこの分野の大家に当たるマックス・ヴェーバーとエミール・デュルケイムが活躍した、産業革命期後半に当たる19世紀後半だと言われています。日本でもこの時期に社会学の講義が始まっており、仮にこの説に則るならば、かなり早い時期から日本でも社会学は始まっていたと言えるかもしれません。

 その社会学ですが、実は日本での始まりにおいて山縣有朋が少しかかわってきます。なんでも、東大で社会学講義を置こうとしたら、名前を見て勘違いしたのか「そんな社会主義者を増やすような学問なんて認めん!(゚Д゚)」とストップをかけようとしたそうです。しかしその後、講義担当者が建部遯吾だと教えられるや、「なんだ建部か。ならいいや(´・ω・`)」とすぐにOKを出しなおしたそうです。
 仮にこの時に山縣に止められていれば、日本の社会学は今ほど広く講義されていなかったかもしれません。逆に言えばこの事件は、当時の日本の大学教育は政府の意向が強く反映されていた証左ともいえる内容で、現在も日本ではそれほど大学の自治が強いとは言えませんが、官製学問というものがどれほどだったのかを示す好例でもあるかなと勝手に考えています。

 なお私の進学先は正式には社会学部ではなく、文学部社会学科でした。このようになっていたのは進学先の大学は早期から社会学講義を置いていたことに由来するためだったそうですが、現在は学部として既に独立を果たしています。ただ私個人としては社会学は学部として独立できるほど体系だった学問であるかと言われれば疑問で、元々幅広いジャンルを取り扱う学問でもあるのだし、やはり文学部の枠の中に敢えて納めておくべきだったのじゃないかなと思うところがあります。就活では「文学部卒」になるから苦しくなるだろうけど。

2018年2月23日金曜日

働き方改革の裁量労働制に関する論点

 どうでもいいですが「この野郎、ぶっ殺してやるー!」と悪党が叫ぶようないかにも木曜洋画劇場的な映画って最近減ったなという気が、この前「エクスペンダブルズ」って映画を見ながら思いました。やっぱ世の中、単純じゃないとだめだなって気もします。

 話は本題に入りますが、今国会では働き方改革関連法案において裁量制労働をどう取り扱うかが議論となっています。安倍首相率いる政府としては適用枠を拡大しようとしているのですが、既に報じられている通り「裁量制なら今の定時制より残業時間が減る!」という主張の根拠に用いたデータがとんでもなくいい加減なものだったことから、攻勢一転、逆に守勢へと追い込まれています。
 それにしても何がすごいかってこのデータ、質問方法の違いから明らかに性質の異なるデータ同士を比較している上、同じ調査対象の1週間の残業時間が1ヶ月の残業時間を超えるなど、見るからに穴だらけのすごいデータだってことです。気づかずに国会で公開した首相サイドもさることながら、しれっとこんなデータを根拠に出してきた厚生労働省も、安倍首相を追い落とすためにわざとやったのではと疑いたくなるくらいの杜撰さです。

 基本、この手のいい加減なデータ出るということは主張通りのデータが取れなかったということの証左で、まず間違いなく裁量制労働者の残業時間は定時制労働者の残業時間を平均で上回っていることでしょう。そのように考えると、そもそも何故この法案をこれほどまでに安倍首相が推すのかが疑問でなりません。

 そもそも他の誰も言いませんけど、これって第一次安倍政権が提唱して見事政権崩壊のきっかけにもなった、ホワイトカラーエグゼンプションの焼き直し以外の何物でもないでしょう。何故十年近く立った現在になってまた同じ内容の、しかも政権崩壊の一打となった政策をまた性懲りもなく出してくるのか意味不明ですが、どんだけ経団連に弱味握られてるんだと言いたくなるくらいの執心ぶりですが、ある意味安倍首相の経済感覚のなさを露呈しているともいえます。

大胆提言!日本企業は今の半分に減るべきだ
アトキンソン氏「日本人は人口減を舐めてる」(東洋経済)

 最近、本当に日本のためになる意見を提言しているのはデービッド・アトキンソン氏だけなのではないかと本気で思えてきました。基本的に私の主張や考え方はアトキンソン氏と共通しているのですが、上記記事をはじめ他のコラムやインタビューでも同氏が繰り返し述べているように、世界的に怠け者と言われるイタリア人以下、国家破綻したギリシャ人をわずかに上回る程度しかないほど極端に低い日本人の生産性こそが日本経済における喫緊の課題なはずです。
 この観点に立つならば実質ほぼ確定といってもいい、裁量労働制拡大による残業時間の増大は余計にこの問題を深める一手にしかならず、また安倍首相が声高に主張している働き方改革の方針に対し真逆ともいえるような案です。あれだけ電通のこと社員自殺の際に叩いたくせになんやねんって感じすら私にはします。

 それにこの議論についてはかつてこのブログでも述べましたが、はっきり言って法案化自体無意味です。というのも多くの企業で本来は裁量労働制を適用してはならない職種に対して実質的に適用しているという例はあまりあり、今更法案化してもブラック企業にお墨付きをさらに与えるだけで、社会に何もインパクトを生まないと予想するからです。わけわからんデータ出して自滅もしてるんだし、さっさとあきらめればいいのですがそれができないあたりはやはり経済感覚がまるでない人だと、言わざるを得ません。

 ついでに書くと、この生産性の低さとともにもうどうにもならない問題と言えるのは日銀です。何かをきっかけに株価が1万円台中盤に落ち込んだ際、まぁえらいことになるのではと予想しています。また断言しますがこれから大手企業を中心に会計不正が急増することも予想されます。理由はごくごく簡単で、中国が国有企業に対して政府が持分を減らして民間資本の参加を増やしている一方、日本の大手企業は日銀と年金機構の持分がどんどん増えており、実質的に中国とは真逆に国有化が進んできているからです。中国ですら国有企業には不正が多いということから民間資本参加を増やしているのだから、多分東芝なんて目じゃないような不正も再来年あたり出てくるのではないかというのが、ここだけの私の予想です。

 ここまで20分。やはり政治記事は書きあがるのが非常に早いです。

2018年2月22日木曜日

下手な文章の特徴

 以前友人が、「こんなオファーメールが来たんだけど」とある事業に関して提携をオファーするメールを見せてくれましたが、一読するなり私は、「この文章を書いた奴は馬鹿だからこの話は受けるな」と言ってのけました。その後、オファー相手に会ってきた友人は、「確かに馬鹿そうだった……」という感想を私にくれました。

 案外というか、自由に文章を書かせてみるとその人の特徴なり判断力、思考力というのは透けて見えます。冗長な表現を多用する人間は結論を出さないタイプだとか、適切な言葉を継げない人は気遣いができない人だとか、敬語の使い方でリテラシー意識の程度が図れたりとかいろいろ見るポイントはあります。ただ細々とそうした点を見るより一読してみて、「何が言いたいのか」が分かるかわからないか、この点だけに注意すれば案外人となりというのは見えてきます。
 そういった、ちょっと相手に疑問を感じるような文章の特徴というのは何なのか、言い換えれば下手な文章の特徴はどこにあるのか、あまりありそうでないポイントだけを、なんか夜になって急にブログ書きたくなったこともあるのでご紹介します。

1、文章を区切らない
 文章を区切らず、延々と「○○が何々で、△△して、××な……」という具合にずっと書き続けるタイプのことを指します。基本的には主語+述語で一文節が構成されるため、1~2文節くらいで「。」を打って区切る必要があり、どんなに長くても3文節を超えてはならないというのが私の考えです。

2、段落分けをしない
 短い文章ならともかくある程度長い文章になる場合は段落を区切って、「ここで内容変わりまーす」ということを示す必要があります。しかしこれを全くせずに改行こそするものの、そのまま延々と描き続けるタイプも読み手には負担が重く、下手な文章の特徴と言えます。
 なおこのブログで使っている段落分けの仕方は私オリジナルの非常に独特なもので、2~3文で一旦改行した後、また2~3文を書いて1段落とさせています。何故こんなことしているのかというとリズム感的に、文字数的にこの形態が一番読みやすく、またこっちも書きやすいからです。

3、接続詞を使わない
 主語+述語の組み合わせが1つだけの文は短文で、「。」が付くまでに主語+述語の組み合わせた2つ以上入る文を複文と言います。複文を構成する上では間に接続詞を入れるのがベターなのですが、この接続詞を入れずに複文を書く、もしくは文章を区切った後に接続詞を入れないのもあまりよくない書き方です。
 実際のところ、文章の上手い下手は接続詞の使い方を見れば大体把握できます。接続詞のレパートリーが多ければ多いほど文章は見栄えが良くなるため、使い慣れていない人は敢えて使い分けるよう心掛けるといいでしょう。

4、主語を省きすぎる
 日本語というのは英語や中国語と比べると主語がはっきりしないという特徴があり、前の文と主語が同じだった場合、次の分では省略される使い方がされています。しかし省略しすぎて意味が分からなくなったり、前の文と主語が異なるにもかかわらずそれを明示せずに省略するとこれまた読み手に負担がかかり、下手な文章と相成るわけです。
 なまじっかそういった主語の省略に自信がないなら、ややくどいと思っても毎回主語を最初に明示する書き方をした方がずっといい文章になります。意外とこの主語を明示するという書き方が疎かになる人が、メールを受けたりしていると多いように感じます。

5、横文字を多用する
 外来語を全く使わないとなるともはや日本語としては成立しないくらい横文字が氾濫しているのが現代日本語ですが、かといって横文字を多用すると一気に文章の質は落ちます。専門用語ならまだしも、もっと浸透している漢字用語を差し置いて横文字を多用すると読んでる方もなんとなく変な感じがしやすいので、無駄に多く使う方も私的にはNGです。