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2009年11月18日水曜日

私の新型インフルエンザの発症症状

 今もなお新型インフルエンザを発症したことによって自宅に謹慎中です。正直な所、ずっと引きこもってていい加減嫌になってきました。しかもこの謹慎が今週いっぱいまで続く見通しとなり、さすがにはっちゃけて外に遊びに行くわけにも行かず、いろいろと気分が滅入ってきております。
 そんなわけでブログを書く気力も大分薄れてきているのですが、一つここはアクセス数獲得も兼ねて私に起きたインフルエンザの症状について詳しく書いておくことにします。

 まず今回の新型インフルエンザの発症前に、いくつか前症状が私には起きていました。発熱をしたのは先週の土曜日からでしたが、その二日前の木曜日に何故だか喉仏が突き出しているような、喉の皮が引っ張られているような妙な違和感を感じていました。明けた金曜日にはそのような感覚はなくなったものの、今度は朝から咳がよく出て、熱は伴ってはないのだからただ気管を悪くしただけだろうと当初は思っていましたが、今考えるとあれは完全な前症状だったでしょう。

 そして一日咳を何度もしながら過ごして次の土曜日、この日は朝から37度台の発熱を起こして一日中家で寝ていました。折角の土日なのになんでこうも体調を崩さないといけないんだろうと思いつつ寝ていましたが、まだこの頃はゲームをする程度の体力は残されていました。
 体力的に一番きつかったのはその次の日曜日で、この日はもう朝起きてからずっと全身に寒気があり(暖房が一切ないクソ寒い部屋でいつも寝ているのも原因だけど)、起き上がることもままなりませんでした。それなので早速また体温計で測ってみるとやはり熱が38度後半にまで来ており、昨日に引き続き今日も寝たきりかと、今度は暖房のある部屋に移動してまた寝ていました。

 ただこの日曜日の症状は本当に一日中、いや前日を含めれば二日間も寝続けているにもかかわらず、一向に体調はよくならないどころか悪くなる一方でした。それこそ立ち上がることもなかなか出来なければ、トイレに向かってまっすぐ歩く事も出来ませんでした。
 症状的には発熱による全身のだるさと関節の痛みが激しく、分厚い布団に入っていても寒気と疲れからつくづくついていないと何度も思いました。ただ不幸中の幸いというか、自分にとって一番致命的となる頭痛は今回発症しませんでした。普段は風邪を引くと頭痛も併発してのたうちまわる事が多いのですが、今回はそういったことはなく苦しいとはいえまだマシな状況にあったと思います。

 また風邪につきものの鼻水についてですが、咳はずっと出続けていたもののあまり鼻水・鼻づまりはほとんど起こりませんでした。むしろ最大の峠であった日曜日が過ぎて復調してきた月曜日に、体温は37度台にまで引いたもののくしゃみと鼻水の量がこの日から増えてきました。そんなわけでこの日も寝続けて、明けて火曜日には体温も36度台で推移して薄まっていた全身のだるさもほぼ完全に取れました。

 この新型インフルエンザは潜伏期間が一週間という事なのですが、個人的にはどこで感染したのか思い当たる節はありません。一応帰宅後は手洗いうがいはしていたのですが、あるとすればで最も可能性が高いのは朝の通勤電車くらいなもので、厳密な所は全く分かりません。ただ本格的に発症する前にキャリアになったのだから、これはこれでもうすこし前向きに見てもいいかもしれません。
 最後に、医師から処方されたタミフルを今飲んでいますが、今のところは異常な行動は取っておりません。布団に入る際に何故か布団干し用ストッパーを持って入った事以外は……。

2009年11月17日火曜日

何故フリーターやニート問題は顕在化したのか

 以前にある社会学者から、こんな話を聞きました。
 日本で失業率が最も高い都道府県は以前からずっと沖縄県なのですが、沖縄の住民は故郷に雇用がないと分かっていながらも、進学や一時出稼ぎなどで本州に一度出たあとに出戻ってくる人間が非常に多いそうです。言うまでもなく職がなければ生活を維持する事などできず、それにもかかわらず沖縄人はどうして沖縄に戻ってくるのかということをその社会学者は疑問に思い、ある年に詳しく調査してみたそうです。

 その結果、確かに表面上のデータでは沖縄は高い失業率の地域ではあるものの、沖縄の無職者の大半は親族や友人が経営する店舗の仕事や、農地を持つ者の農作業を手伝うなどして収入を得ていることが多く、このような地域での結びつきが失業による生活の徹底的な破綻を防いでおり、沖縄人の出戻り現象の一因となっているのではと分析していました。

 この話を聞いた当初はそれほど意識はしなかったのですが、最近不況になって周りの人間の話を聞くたびにこうした地域や親族の扶助がある者とない者とで、失業後の生活に大きく差がついてくるのではないかと
この話を思い出す回数が増えてきました。

 私の周囲でも中学や高校を不登校になっていったという人の話を噂で聞いたりするのですが、そういった者の内、家族の誰かが自営業者の者などはその家族の会社や店舗で正社員となって働くことで社会復帰しているケースが多いのに対し、そのような家庭ではない、家族全員が被雇用者である家庭の者はそのまま引きこもりになってしまっているケースが圧倒的に多いように感じます。もちろんそれぞれの個人的資質も大きく影響しているとも考えられますが、普通に考えるなら同じ社会復帰をするにしろ、なんの縁も伝手もない会社や店舗からスタートするよりもまだ親族や知人がいるところの方が定着しやすいそうに思えます。

 ここで今日の結論を述べますが、今日もなお大きな問題として残るフリーターやニート問題ですが、何故これらの若年失業者が現代において大量に発生したのかというと、現在の日本の就業形態がかつてないほど被雇用者で占められるようになった、言い換えるなら自営業主、家族従業者数が過去と比べて大きく減少したからではないかと私は考えております。

 よく最近の若者は就職しても定着せず、すぐに会社を辞めてしまうという話を聞きます。こうした若者の行動に対して上の世代からは最近の若者はわがままだとよく言われてしまうのですが、確かにそう言われても仕方がないという若者もいる一方で、想像だにできないようなブラック企業の話を聞いたりすると若者がわがままになっただけという理由では収まりがつかないのではないかと、同じ若者に属すゆえに私は考えていました。また同時に、現在の中高年世代が若者だった頃、彼らは今とは違ってみんな会社に定着していたのかという疑問がかねてよりありました。

 そう思うのも、当時の話を聞いてたりするとフォークソングやパンクロックなど、なんていうか上に反抗してなんぼの文化ばかりが目に付き、こんな文化を愛好していた人たちがそうも従順に従っていたのか疑わしかったからです。もちろん今と違って年功序列も終身雇用も確保されていたのだから明らかに会社の居心地は今よりよかったはずですが、それでも多少はいたであろう会社を辞めたりした人間、入らなかった人間がどうして今みたいなフリーターやニートにならなかったのか、この点には何か理由があるだろうと前から考えていました。

 そこで最初の沖縄の話です。これは詳しいデータの検証がなくあくまで私の仮説ではありますが、現代で問題となっているフリーターやニート問題が何故過去にここまで顕在化しかったのかというと、当時の失業した若者は比較的加入しやすく定着しやすい家族や友人の企業や店舗に吸収(雇用)され、社会復帰を果たしていたからではないかとこの前思いつきました。実際に過去のデータを調べてみると1955年には2312万人だった自営業主、家族従業者数は年々減少してゆき、2002年になると975万人にまでなって今もこの傾向は続いております(厚生労働省データより)。

 家族が経営する企業であればたとえその人間の素行や経歴に軽い問題があっても面接なしで雇用してくれますが、一般企業ではそれこそ学校の中退履歴などそれ一つの経歴が致命的となって雇用を阻んでしまうことすらあります。昔であれば一般企業に就職できない者でも実家が自営業であればそこが雇用のセーフティネットとなっていたわけでありますが、就業者の大半が被雇用者となってしまった今では、一般企業に入れなければそのままどこにも働けないという状況がずっと続いてしまい、それが現代のフリーターやニート問題を顕在化させることとなった原因ではないかというのが、私の意見です。

 もし仮にこの仮説が正しいのであれば、恐らく自営や小資本の中小企業を減らして大企業を増やせば増やすほど、その社会では職にあぶれた失業者が増えていくのではないかという風にもつながっていきます。もう少し煮詰めて調査をしてみたいものですが、その前にまず風邪治さないとなぁ。

  参考サイト
厚生労働省平成15年度調査

2009年11月16日月曜日

ガジェット通信にての記事掲載について

ガジェット通信 日本の法人税は本当に高いのか

 上記リンクはインターネット新聞サイトの「ガジェット通信」のページですが、この度私が昔に書いた記事をご紹介いただけました。この元の記事は一年前、しかも記事中に引用している新聞の記事は二年も前の内容の記事ですが、どこかのサイトで紹介してもらったのか何故だか先月に急激にアクセスが集中し、今回このようにガジェット通信さんにも取り上げてもらえました。

 正直な所、記事の内容は引用している「しんぶん赤旗」のものをそのまま使っているだけの記事なので個人的には紹介する価値はあれども、自分が加工した記事ではないのだからあまり誉められた記事ではないと考えていました。それが何故だか今年になってこれほどアクセスが集中して肯定否定に関わらず読んでもらえたというのは、こういった分野の記事への世の中の関心は決してないわけではなく、自分がブログで取り扱う内容は全く需要がないわけではないのだと勝手ながら心強く思いました。

 今日は新型インフルエンザだと診断されたり、昔に書いた記事が取り上げてもらったりと、浮き沈みの激しい一日でした。

新型インフルエンザについて

 今年のユーキャンが主催する流行語対象の候補が先日発表されましたが、私の目からするとそのどれもが流行したと言えるのか、ちょっと微妙なものばかりだったような気がしました。この前に見た音楽CDの売上げが十年前の何十分の一になっているというニュースを紹介していた掲示板にて、塾講師をしている人が最近の小学生の間で流行歌がないと言っていましたが、なにか一つのものに全体が食いつくというものがこの流行語においても年々なくなっているような気がします。

 それはともかくその流行語の候補の中に、「パンデミック」という一語も混ざっておりました。この言葉の意味する所は言うまでもなく新型インフルエンザの大量感染のことで、毎年のインフルエンザ感染者数のピークは12月から1月にかけてに現れるところ、今年は10月の時点で例年のピーク時の感染者数を超えているそうです。あまり周りで観戦したという話は聞かないけど、それだけ流行っているのかなと私は思っていたら……

感染してました( ;´Д`)

 一昨日から発熱して昨日はそれこそブログもかけないくらいに衰弱し、熱が大分下がった今日に病院に行ってみたら案の定A型だと医師に診断されました。今日なんか咳が出るくらいでまだ元気ですけど、昨日は38度後半まで熱が出た上に文字通り布団から起き上がることもままなりませんでした。
 人生、他人事だと思っていたら自分の身に降りかかってくるとはこういうことだと思い知らされました。なお周りからは自宅謹慎を言い渡されましたが、多分家にいる分には元気なのでブログは明日からも書き綴っていくと思います。

2009年11月14日土曜日

エキサイトステージ95について

 現代のサッカーゲームとくれば「ウイニングイレブンシリーズ」が来るでしょうが、私の中では未だに今回のお題となっている「エキサイトステージ95」が挙がってきます。

 このエキサイトステージシリーズはスーパーファミコン発売されていたサッカーゲームなのですが、具体的に何がよかったのかといえばあまりにも大味なゲームシステムにあったと私は思います。どのくらい大味かって言えば、まず真っ先に上がってくるのがボールカットです。

 通常のサッカーゲームではショルダータックルに対してスライディングタックルを用いるとファウルを取られる可能性が高いのですが、それがこのエキサイトステージでは何故か逆で、よっぽど真後ろからやらない限りはファウルを取られないスライディングタックルに対してショルダータックルだとどこからでも容赦なく取られます。
 しかもそのショルダータックル、見た目はまるで格闘ゲームにてよく使われる「鉄山靠」そっくりで、使われた相手選手の方も鈍い殴打音と共に文字通り吹っ飛びます。吹っ飛んだ選手は倒れてしばらく動かなくなるので、威力もばっちりです。

 またスライディングタックルの方も癖があるといえば癖があり、基本的にこのゲームはボールを持っていない選手だろうが味方だろうかいくらでもタックルをかけることが出来、よく二人協力プレイの時はボールを持っていない片方が相手チームの選手にスライディングタックルをかけることで足止めを図っていました。なおその協力プレイ時に一番悲惨なのは、間違えてボタンを押す事によって味方にショルダータックルをかけることです。味方だといくらやってもファウルは取られませんが、後々その友人との争いの種になることは間違いありません。

 そんな大味なシステムゆえに初心者でも入りやすかったゆえか、私はこのゲームをよく友人と一緒にいつも遊んでいました。一応このゲームもサッカーゲームらしくフォーメーションなどもいじくれるのですが、無駄にゴール前に一人だけスイーパーを置いて、残り九人を真ん中一箇所に集めて正方形を作るというフォーメーションを取った所、ボールを持った相手選手へこの九人がぞろぞろと駆け寄ってくるので無駄に恐かったです。

 基本的にその友人とプレイするときに操作するチームは決まってヴェルディ川崎で、相手チームには何故か柏レイソルを選んでいました。当時のレイソルには「カレカ」という選手がおり、毎回の如く彼にゴールを決められて負けていたので未だにレイソルには素直な気持ちになれません。逆にヴェルディはいっつも選んでいたのもあり、例え弱くなった今でもその愛着は変わりません。
 ただこのヴェルディでプレイしてるとき、ビスマルクが放ったシュートがゴールキーパーを抜けてゴールに入るかと思いきや、何故かゴール前に中澤が立っていてボールにちょんと触れることで自分のゴールとした珍プレイが起こりました。しかも一試合で二度も。

 それ以来我々のプレイ時には中澤の事を「デビル中澤」と呼び、彼がファウルをするたびに「さすがデビル、一味違うなぁ」などと言っては盛り上がっておりました。

  おまけ
 以前に同じアパートの友人が、上の階の後輩達が夜中中ウイニングイレブンを遊んでいたために注意しに言ったと話したので、後日その後輩らを読んで軽く注意したときがありましたが、何でも前日から朝六時まで延々と盛り上がっていたらしく、しかもそのまま一限の授業に行った奴までいたと聞いて、つくづくウィニングイレブンは危険なほどハマるという噂は本当だったと確認したことがありました。

犯人逮捕におけるテレビの貢献度

 以前に北野武氏の番組内にて、こんな発言がありました。

「昔は誰もがみんな銭湯に通っていて、そこで貼られている指名手配写真を毎日見ていた。それだからこそ犯人を見つけるのに効果があったが、今の時代では銭湯にそんな写真貼ってもしょうがない。それだったら時間を決めてテレビで一日一回でも、指名手配の人間を映したらどうだ?」

 確か犯罪に関する議論でこういう話が出てきたのだったと思いますが、図らずも今回のイギリス人女性死体遺棄容疑の市橋達也容疑者の逮捕の経過を見るとまさにその通りだと思わせられる発言です。今回の市橋容疑者の逮捕の決め手はなんだったかというと、市橋容疑者が顔を整形した整形病院から提出された整形後の写真がテレビにて報道されたことで、この報道にて公開された写真を見てかつて市橋容疑者が働いていた土木事務所の同僚らが通報した事に尽きます。何も今に始まった話ではありませんが、今回も改めてテレビが持つ力のすごさを思い知らされました。

 それこそ今後、毎日十一時半くらいに現在指名手配されている容疑者の写真とその事件を紹介する時間を五分程度設けて詳細をネット上で解説すれば、指名手配容疑者の検挙率は上がっていくのではないでしょうか。確かアメリカだったと思いますが実際にそういう番組があるらしく、そこでは容疑者に掛けられた懸賞金と共に紹介されているそうです。

 最後に、今回市橋容疑者にかけられた懸賞金額は上限が300万円の所を特例として1000万円に設定されていました。これについてはリンク相手のアングラ王子さんの記事に詳しいですが、事件がイギリス人女性の殺人事件であったがゆえの特例だと私も思います。東電OL殺人事件といい、日本もあながち人種差別を笑ってられない国だとつくづく感じます。

2009年11月13日金曜日

凋落する野党自民党

 今日時事通信が発表した調査結果によると、現鳩山内閣の支持率がこれまでの高い水準が落ちて未だ過半数は得ているものの54.4%であったそうです。この急落の原因として挙げられたのは普天間基地移転問題といったかねてより懸案とされていた防衛、外交の分野において腰の据わらない態度を見せたほか、マニフェストにて即刻廃止するとしていた案件に対してすぐに廃止が出来ず曖昧な対応を見せていることが指摘されていましたが、私もこの指摘の通りに国民が厳しい目を持ってきたがゆえの結果だと見ています。政権発足から二ヶ月後には下手すれば過半数を下回るかもしれないとも考えていたので、少なくともそこまで事態を悪化させなかった点は民主党の努力の結果と見てもいいかもしれません。

 政権発足当時、これは各評論家らが口並み揃えて言っていた事でしたが、民主党は選挙期間中にあれだけ大盤振る舞いのマニフェストを掲げたのだから全部を実現するのは不可能だとしても、何かしら目玉の政策を確実に実現させなければ政権を維持できないと言われていました。そんな選挙から二ヶ月以上経った現在の所、最も選挙期間中に目玉政策として挙げられていた子育て支援や学費無料化、派遣法の改正から高速無料化は実現どころが全く見通しが立っておりません。

 しかしこれら目玉政策の実現の目処を立たせることこそ出来なかったまでも、前原国交相が思っていた以上に活躍してくれたと言うべきか、八ツ場ダム事業の停止や空港行政の転換などはっきりと政権が変わったと、国民が実感させるような発言や主張を行ったことが支持率の過半数割れを防いだのではないかと見ています。逆に前評判が最も高かった長妻厚労相はインフルエンザ対策などによって本業の年金問題に手をつけられなかったのが響いたのか、むしろ批判の対象となってしまいました。

 このような民主党に対し、野党となった自民党の方はより深刻な状況になってきていると言わざるを得ません。先月に臨時国会が開かれて国会での応酬も行われるようになったにもかかわらず、メディアにて自民党が取り上げられる回数はほとんどなく、その存在感の低下はいくら野党転落といっても目に余るほどです。
 それこそ同じ野党であっても、野党時代の民主党はまだ議員らがテレビ番組などで意見を主張したりすれば政策に対する党首のコメントなどがまだ報道されていましたが、目下の所自民党党首の谷垣氏のコメントがメディアに取り上げられ場面を目にするなんて皆無に等しいです。

 では民主党に突っ込みどころがないのかというと、そういうわけでもなく今回支持率低下の原因となった政策のブレなど、現在開会中の国会で追及する材料には事欠きません。特に私が問題視しているのは選挙前に約束しておきながら全然実現できないどころか、むしろ逆の立場を取り始めた「官房機密費の使途公開」と「記者クラブ制度の廃止」です。どちらも詳しく内容を説明しませんが、意見をひっくり返すとは何事だなどと何故自民党は批判しないのかと思いますが、これの答えというのは簡単で、そういった問題のある政治的行為をこれまで行ってきたのがほかならぬ自民党だったからです。

 先月の予算に対する自民党の谷垣氏の鳩山首相への質問でもそうでしたが、こんな借金まみれの予算を作ってどうするのだと問う谷垣氏に対して鳩山首相は、これまで自民党が借金を積み重ねてきたせいでこんな予算を作らざるを得なくなったのだと言い返しましたが、この応酬では私は鳩山氏に分があると見ました。
 このように自民党はこれまで政権を握って政策を行っていたがゆえと言うべきか、与党となった民主党の政策や方針転換を批判しようものならすぐさまその批判が自分に帰って来てしまう状況にあると言っていいでしょう。現在の普天間問題もこれまで沖縄にある米軍基地移転を先延ばしにし続けてきた自民党に原因があると私は考えており、むしろ民主党になってアメリカ側が譲歩する姿勢を見せるようになった点は評価していいと思います。

 結論をまとめると、今の自民党は与党を批判するにも批判する事が出来ず、メディアに取り上げられないばかりか世間の注目も日に日に薄れているという非常に危険な状態にあるというのが私の意見です。それこそ民主党が自分で大ポカをしない限りはどんどんと先細っていく一方で、何かしら独自の立場や論争を起こさなければますます党員離れを起こすかと思われます。中川秀直氏も不穏な動きを見せているし。

 最後に与党民主党について、この前から始まった無駄な予算かどうかを見極める「事業仕分け」という公開討論はメディアを見る限りなかなか好感を持って受け入れられているように私は見えます。私から見てもどうしてその予算が必要で、逆に必要でないのかを意見を出し合うというのは見ているが分からして分かりやすく、審議時間が一時間で少なすぎるという身内からの批判もありますがこれまで長く話し合っても結論がまとまらなかったことを考えるとかえってこの一時間という区切りはよいのかと思え、目下の所高く評価しております。

 またこれは今日出たニュースですが、自動車税と自動車重量税を一つの税にしてまとめるという案が審議に入ったようです。前者は地方で後者は国と税金の納付先が異なりますが、わざわざ二つに分けるのも手続きが面倒になるだけなのでこの一本化も私は支持します。
 それにしても、車といったら未だにダイハツのコペンを買おうかどうか悩んでいます。むしろ私より広島に左遷された親父の方が欲しがっており、しきりに「祐、買わへんのか?」と聞いてくるのでひとしおです。

2009年11月12日木曜日

○○が嫌いな○○ランキング

 毎年週刊文春では「女が嫌いな女ランキング」という特集記事を組んでおり、今年はお騒がせ女優として名を馳せた沢尻エリカがぶっちぎりで一位の栄冠に輝いたそうです。かつてのこのランキングでは佐藤玉緒がいつも一位で、2005年くらいの二位には私も大好きな井上和香も入っていたのですが、嫌われていながらもまだ話題に上げられるだけよかったのだなと今になって影が薄くなった子の二人を見るにつけ思います。ちなみに井上和香の嫌いな理由として、「あの唇がマクドナルドのキャラクターにそっくり」というのには私も深く納得させられました。

 さて今日はそんなこのランキングについて思いにふけっていると、案外身内のランキングというのはいろいろ面白いのかもという気がしてきました。以前にロンドンブーツの番組でも、出演するお笑い芸人たちに共演者の中から好きな芸人と嫌いな芸人をアンケートで書き、本人らの了解を取らずにいきなり実名で公表する企画があってなかなか笑わせてもらったのですが、やはり芸人達だと自分ら視聴者と見方が違うのだと話を聞くたびにいろいろと思わせられました。
 確かそのときに「好きな芸人」として複数票が入ったサンドウィッチマンのツッコミの投票理由というのも、「芸に対する態度が常に真剣」、「いつも向上心を持って芸を磨いていながら、周りへの気配りがすごい」などと、内輪ネタではありますがなかなか見直させられました。

 ではもしこういうランキングをやるとしたら他にどんなものがあるのか、そう考えたときに私の中で真っ先に出てきたのが何故か「力士が嫌いな力士のランキング」でした。仮にやるとしたら嫌いな理由に、

「土俵際の粘りがしつこい」
「張り手ばかりで痛い」
「立会いの変化が多すぎる」

 などと言った理由がいろいろと出てくるのではないかと思って独りでに悦に入ってしまいました。でももしこれを実際にやるとしても、きっとトップは間違いなく朝青龍なんだろうなぁ。嫌いな理由には沢尻エリカ同様に、

「実力はあるけど態度がふてぶてしい」
「しょっちゅう問題を起こす」
「取り組みでよく怪我をさせられる」

 なんて書かれるんじゃないかと思います。

2009年11月11日水曜日

新聞業界における拡張について

 随分と久しぶりにこの「新聞メディアを考える」のカテゴリーを用いますが、今日は私が新聞業界において最も問題性があると感じられる「拡張」について、私の知っている内容を紹介しようと思います。

 拡張と書くと新聞社が一体何を拡張するのかと感じられるかもしれませんが、これは言うなれば新聞購読の勧誘のことで、よく一人暮らしとかしていると夜中にやってくるあれです。こうした新聞の新規購読を促す営業の事を新聞業界では「拡張」と呼ばれ、この営業を行う人員たちも「拡張員」と周囲から呼ばれております。
 こうした拡張が何故行われるのかといえばそれはやはり新規契約を得る事によって購読者数、ひいては新聞の販売収入を増やす事が目的とされているのですが、現在に至ってはそのような目的はほぼ有名無実と化しており、新聞業界のチキンゲームのような様相を為しているのが実態です。 

 具体的にこの拡張で何が問題なのかといえば、新規購読契約者に対する見返りです。こうした新聞の勧誘を受けた方なら分かると思いますが、大抵どこの新聞社も契約を条件に洗剤やら野球のチケットを新規契約者に見返り品としてくれます。こうした見返り品は通常「拡張材」と呼ばれて拡張員が申請することで新聞社本社やその支部が購入して拡張員へと配布されて使用されるのですが、一体それらの見返り品がどれだけ購入されてどれだけ部数の増加につながっているかという具体的なデータは新聞各社からは公開されておりません。

 というのも基本的に拡張員は各新聞販売店の従業員が兼ねる事が多いのですが、そうした拡張員が見返り品を本来の目的である販売拡張には使わずに、そのまま金券ショップなどに持っていって自分の懐に入れてしまうといった問題のあるケースが非常に多いからです。これはこの前に友人に貸してもらった「メディアの支配者」(中川一徳著)にて紹介されている事件ですが、以前にそうした見返り品の申請を拡張員から受けて発注を行っていた支部の責任者が、自らの権限を使用する事で新聞社(産経)に金券を大量に購入させる傍から換金し、なんと数千万円にも及ぶ金額を横領していたという事件もあったそうです。無論それらの経費は新聞社が最終的に引き受けることとなったのですが、そうした経費は経営維持のために周りまわって購読者への新聞販売価格に影響することになります。

 このようなとんでもない額とまでいかなくとも、関係者などから話を聞くとみんな多かれ少なかれこのような横領をやっているそうです。またこうした横領に留まらず、見返り品が配られる対象にも大きな問題が潜んでおります。
 新聞は基本的にどこも三ヶ月契約から行えるのですが、契約の度に見返り品がもらえるという事もあって中には見返り品をもらう為だけに意図的に契約を三ヶ月ごとに更新する方も少なくありません。それに対して以前からずっと同じ新聞を購読している人間はというと毎月購読料を払っているにもかかわらずそうした見返り品をもらえることは一切なく、この構図は言い換えるとずっと購読している人間の払う購読料によって得た収入で、新聞社はころころと契約を変える人間に対して見返り品を購入してあげているという構図になります。

 業種こそ違えど、携帯電話会社の契約争奪合戦が激しかった数年前には「0円携帯」という、新規契約者に対して新型携帯電話機の購入費用を携帯電話会社が実質的に負担することで契約を得るという販売方法をどこも行っていました。しかしこの販売方法だと同じ契約料でも既存の契約者層に対して、携帯電話機目当てに契約を度々変える人間がもらえる電話機代の分だけ得していることになるとして、公正取引委員会からの指摘を受けることによって現在ではすでに廃止されておりますが、現在も続いている新聞の拡張の構図はこれ全く同じと言っていいでしょう。

 またこうした費用面の問題に留まらず、確か数年前に拡張員が強引な勧誘を行って暴行を加えたというヤクザまがいの事件も起こっており、夜中に突然押しかけしつこく勧誘するなどといった拡張員のモラルについてもよく取りざたされます。彼ら拡張員からすると取って来た新規購読契約の数だけ報酬が得られるので、報酬目当てにひどいものになると購読料は三ヶ月は無料だなどとありもしないでまかせを言って契約させるという例まであります。またそういった拡張員に対して、三ヶ月ごとにころころ契約を変える購読者は上客になってしまう事実もあります。

 このように費用がかかるだけかかってそのくせ購読者が定着しないのに、一体何故新聞社がこのような拡張にお金をかけるのかといえば、一言で言えば目先の部数が目当てだからといわれております。この拡張に負けず劣らず問題性のある「押し紙」についてもそうですが、新聞社は発行している部数が多くあると言えば言うほど広告費を得られる構図となっており、それこそ水増ししてでも部数を多く見せようとします。そのため定着しないとは言え少しでも部数を上積みしてくれるのであれば湯水のようにお金をかけて得ようとするそうです。そうした少ない部数を奪い合う形で、新聞各社はチキンゲームのようにお金をかけて拡張合戦を繰り返しているというのが現在の状況です。

 私に言わせると、そもそも紙面を充実させて購読者を得ようとするのではなくこのような拡張に大金をかけること自体が新聞社として間違っているように思え、また営業もするならするで契約を次々と変える人間ばかり相手して既存の購読者を大事にしないというのも非常に卑怯だと感じます。そして広告費の算定についても、何故未だに発行部数ではなく購読契約者数(どこも公表していない)を用いないのか、もっとスポンサーは怒ったっていいでしょう。

 なお新聞の集金を行っているうちのお袋のよると、ずっと同じ新聞を購読している人はみんな人当たりがよくて集金に行っても金払いよく払ってくれるのに対して、契約を何度も変える人は金払いも悪いだけでなくあれこれ難癖をつけてくる人が多いそうです。さもありなんな話です。

2009年11月10日火曜日

読書感想文は必要なのか

 以前に見たテレビ番組にて、小中学生への夏休みの宿題である読書感想文をなくせと主張している人を見る事がありました。その人によると読書感想文は大人が本来子供が読みたがらないような本を課題図書にして無理やり読ませるためかえって本嫌いの子供を増やしており、また最近はインターネットの発達によって作品ごとに読書感想文のテンプレートがネット上にあり、横着な子供はそのようなサイトを丸写しするために最早なんの教育にもなっていないという主張でした。
 この人の主張を全面的に肯定するわけではありませんが、私も現行の読書感想文というものはやはり問題が多いように思え、やるかやらないかといえば私もやらない方がかえって良いのではないかと考えております。

 元々私は読書感想文は本を読まない子供でも一応は活字を読む一つのきっかけになるとこれまでは肯定的に見てきていたのですが、この手の議論を見ている中で注目した意見の一つに、読書感想文は大人の意に沿う形で書かないといけないから問題だ、という意見を見てからは見事に立場がひっくり返りました。
 それこそまず課題図書自体が大人の目から選ばれているために子供の本を選ぶ自由を奪っていますし、またそうして決められた課題図書の内容も私の子供時代を思い起こすと、もっと他に選ぶ本はなかったのかと思うくらいにどれもつまらない本にばかりだった気がします。

 そしてそうやって大人によって選ばれた本に対して書く感想文についても、これまた大人の意に沿う形で基本的には本の内容に肯定する形で書かなければならず、たとえ読んでつまらなかったと思ったとしてもどこが面白かったのか、どういったところが印象に残ったのかを無理やりにでも見つけ出して書かなければなりません。まかり間違ってその本を批判しようものなら、たとえどれだけその批判が的を突いた批判だとしても賞を取る事はおろか、場合によっては真面目に書けなどと怒られて書き直させられるかもしれません。

 では実際に読書感想文で本の内容を批判的に書くとしたらどんなものになるのか、ちょっと自分で適当に考えて見ました。

「実にくだらない内容の本である。内容は陳腐でお粗末極まりないもので、こんなくだらない本を課題図書に選んだ選者たちは自らは裸の王様であることをすべからく自覚すべきである」

 やっぱり書いてみると分かりますが、こんな内容の感想文なんて今までに見た事ないです。

 私自身も文章を書くのは割と昔から好きでしたが、この読書感想文はやっぱり書かされているという感じが強くてどうしても好きになれませんでした。言ってしまえば書きたくない感想を無理やり書かされているようなもので、こんなことをしたら子供はますます文章を書きたがらなくなるのではないかと私も思います。
 それならばいっそ、子供がまだ書きたくなる本を漫画やジュニア小説でもいいから自由に選ばせて書かせたほうがずっといい気がします。感想文と来たら文豪の小説でないと駄目などといろいろくくりがありますが、それら文豪の小説も二葉亭四迷の時代では、「そんなものばかり読むな!」と大人たちに怒られていたそうで、そう考えると今の漫画も大差ない気もします。

 一番大事なのは子供たちの意見を無視して強制的に文章を書かせず、本人らがある程度の自発性を持って書ける文章を書かせることにあると思います。枚数もこの際自由にして、つまらないというのならその理由をきちんと長々と書いたら評価するようにした方がいろいろと幅も広がって面白くなってくる気がします。

 最後に、自由に本を選べといってもこれを選んだらいろいろと変な目で見られそうな本をいくつかリストアップしておきます。

・「我が闘争」 ヒトラー著
・「資本論」 マルクス著
・「毛沢東語録」 毛沢東著
・「三島由紀夫全集」 三島由紀夫著

 ついでに書いておくと、現在も評価の高い三島由紀夫の作品は例の事件のせいで国語の教科書に載せると検定に落ちてしまうので、学校教育の場で扱われることは今も全くないそうです。

2009年11月9日月曜日

西洋列強と東洋を分けたもの

 以前に書いた記事で私は資本主義は必ずしも西洋にて16世紀に起こったものではないと主張しました。では19世紀の帝国主義が吹き荒れたあの時代、世界各地に植民地を作った西洋列強諸国に対してことごとく敗退して国土を奪われていった日本を除くアジア諸国、特に眠れる獅子として当初は恐れられた中国はどうしてこれほどまでに遅れを取ったのでしょうか。

 結論から先に言えば、私は間違いなく産業革命の差にあると思います。機関銃や大砲に代表される銃火器を始め、風がなくとも進む蒸気船に代表される造船技術など、当時の西洋と東洋では実用的な技術において格段に西洋が東洋を上回っていました。そうした技術はスチーブンソンが発明した蒸気機関を始めとして産業革命期に次々と生まれて実用化されていき、いわばそうした産業革命を先に起こして技術革新を遂げていたがゆえにあの時代に東洋諸国は西洋列強に辛酸をなめる事になったと私は見ております。

 しかしさらにさらに話を掘り進めて行くと、どうしてそれら産業革命が東洋ではなく西洋で先に起こったのかという話になってきます。これについてもさっさと結論を言うと、それ以前の16世紀から17世紀にかけての科学に対するそれぞれの文化の姿勢が大きく影響していたのではないかと考えており、今日はそういった科学に対する文化のバックグラウンドについて解説します。

 まず最初に断っておくと、昔の中国は決して遅れた国ではありませんでした。日本では戦国時代に普及した鉄砲もそれ以前から大砲のような形ですでに使われており、15世紀までは間違いなく世界で最も先端的な技術を持つ国でした。しかしそんな中国も大体17世紀に入る辺りから徐々に西洋諸国に技術面で追いつかれていきます。どうして当時の西洋諸国がそれだけ技術の発達が起こったのかといえばレオナルド・ダヴィンチやガリレオ、ニュートンを始めとした天才が続々と出現したのもさることながら、科学の研究に対するタブーの度合いが西洋と東洋の文化では圧倒的に違ったのが大きな原因ではないかと思います。

 具体的にどういうことかというと、17世紀以後の中国や日本では国家がその政権を維持するために研究してよい学問分野を規制し、官学というものを作っていきました。日本ではこれが儒学ですが、儒学以外の学問を研究しようとしても本草学や医学以外は大抵弾圧され、また学者として生計を立てることもままなりませんでした。

 それに対して西洋では16世紀に起こった宗教革命、そしてイタリアにて起こったルネサンス運動によってそれまで様々な面で人々の行動を規制していた宗教のタブー性が薄まっていきました。特にルネサンスは強烈で、それまで神々や悪魔の仕業とされていた病気などについても実証的な研究が始められるきっかけともなり、また何かを探求する上で大学などが整備されていった事もあって大幅に学問の自由が認められるようになっております。

 ちなみにその16世紀に活躍した先ほども挙げたガリレオですが、彼は地動説を唱えたものの教会によって弾圧されたとよく言われておりますが、その一方で当時からすでに西洋では地動説が有力となっており、この裁判の存在(ガリレオへの弾圧)自体がなかったのではないかという説があります。私としてもその後のニュートンやケプラーの時にすんなりと地動説が通った事を考えると、やっぱりこの弾圧話はやや誇張があるのではないかという気がします。

 このように科学研究のタブーについて東洋と西洋ではっきりと分かる例は他にもあります。
 そうした最も好例ともいえるのは実は杉田玄白が翻訳した「解体新書」で、当時の日本では人体の解剖は倫理的、道徳的なタブーから厳しく禁止されていたのですが、西洋では16世紀にレオナルド・ダヴィンチが行っているのを始め、「解体新書」の原本の「ターヘルアナトミア」みたいに本になって出版までされております。

 このように科学研究に対して枠を設けなかった西洋と枠を設けた東洋の差が、19世紀の帝国主義時代に現れたのではないかというのが私の見方です。ただこれらの時代に西洋では戦争が何度も行われていたのに大して中国と日本においては比較的平和が保たれていたのを考えると、どちらが本当によかったのかといえば答えに窮します。このところほとんど続きを書いていませんが、連載中の時間の概念にもこの話はつながってきますが、技術が発達するまでの時間を早めた西洋に対して遅めた東洋、こうして比較するとなかなか面白いのではないかと個人的には思います。

2009年11月8日日曜日

安いからには理由がある

 このごろ私がよく思い出す過去の事件の一つに、ミートホープ社による食肉偽装事件があります。食肉偽装事件とくれば日ハム、雪印、ハンナンの行ったBSE対策保証金詐欺事件が有名ですが、こちらのミートホープ社の事件はそれらの政府に対する偽装事件とは違い、消費者(正確には小売店)に対して行われていた偽装不正事件です。

 具体的にどのような不正が為されていたかというと、100%牛肉のミンチ肉として出荷される商品の中に価格の安い豚肉や鶏肉のミンチを混ぜたり、消費期限が過ぎた肉をばれない程度の配合でミンチ肉に混ぜたり、中には見栄えを良くする為だけに牛や豚の血を混ぜて出荷したりなどといった、よくもまぁこれだけ考えられるものかというほどの偽装を幾重にも施し、不正を恒常的に行っていました。
 最終的にこのミートホープ社の偽装は幹部社員の朝日新聞への内部告発によって明るみに出ましたが、詳細はウィキペディアにも書かれてように、当初この内部告発者は農水省に直接不正の事実を伝えたものの農水省側はミートホープを指導するどころか調査すら全く行わず、結局すべてが明るみに出るには朝日新聞のスクープを待たなければなりませんでした。

 またそのスクープに対して開かれた記者会見にてミートホープの元社長は当初は現場が勝手に行った行為だとして故意の偽装を認めませんでしたが、元社長の息子がカメラが回っているその場にて、「社長、真実を話してください」と翻意を促すことでようやく会社ぐるみの偽装を認めました。この会見といい内部告発といい、事件の問題性はともかくまだ良識のある人間が社内にいたのだと当時に思った事は今でも強く印象に残っています。

 ただ私がこの事件で一番強く覚えているのはその後の元社長の発言です。何故このような偽装を行ったのかという記者の質問に対し元社長は、消費者が安い商品を求めるからだ、安いものを求める消費者が悪い、などといった責任を転嫁する発言をその後繰り返して行いました。まさしく盗人猛々しい発言この上もないのですが、当時の私のバイト先の喫茶店のマスターはこうした元社長の発言に対して問題がある発言だとした上で、一部では確かに真理を突いていると評していました。

 そのマスターが言うには、その商品が他の同列の商品と安い場合には必ず背後に理由があるとのことで、消費者の側も何も考えずにただ安いから購入するというのはそれはそれで問題があると指摘していました。もちろん消費者はその商品が何故安いのかという理由を容易に知る事はできませんが、安いからには必ず理由があるとしてある程度疑いの目を持つのが当然だとも述べていました。

 そのバイト先の喫茶店メニューは京都の店らしく、値段はどれもやや高めだったのですがその分食材に対するマスターのこだわりは強く、コーヒー豆も店でブレンドした上に料理においてもわざわざ指定の八百屋から調達するなどして品質の維持に厳しく努めていました。それまでの私ははっきり言って貧乏性もいいところで、安いものほど価値があるとしてコーヒーなんかドトールでしか外では飲まなかったのですが、このバイト先を経験してからは、「高いものにはそれだけの価値と品質という理由がある」として、最近ではむしろ400円以上のコーヒーを飲む事の方が多い、っていうか安いコーヒーは忌避するようになりました。

 こうした商品価格がどのように形成されていくかについてはマルクスの「資本論」が非常に詳細に分析されていて面白いのですが、やっぱりこういうものとかを読んでいたりすると価格というものは必ず現実にある事実を反映するように出来ているものだとつくづく思います。日本では作れないコーヒー豆を使うコーヒーが何故こんなに安価で日本で飲めるのかといえば、日本とは比較にならない低賃金での労働が南米やアフリカで行われているのであって、コーヒー自体の価値や需要が低いというわけではないなど、このミートホープ社の事件での偽装も価格に反映されてそれを消費者も許容していたのだろうと思います。

 何故このミートホープ社の事件を最近によく思い起こすかというと、今も日本はデフレ真っ只中ですが、そのデフレを牽引していると言ってはなんですがある衣料品販売会社の激安商品がこのところよく紙面にて取り上げられております。近頃は千円ジーンズなども出てきた事で既存のジーンズ会社のEDWINやBOBSONが悲鳴を挙げているとも聞きますが、私の友人が言うには、急成長する会社というのは意外と脇が甘いということもあり、何かをきっかけにガクっと駄目になるのではとその衣料品販売会社を評していました。
 私自身、このところの衣料品の値下がり振りはいくらデフレだからといっても異常にしか見えず、この衣料品販売会社の名前を見るたびに思い出すのが先ほどのミートホープの元社長の発言なのです。

 もちろんその会社の黒い噂なんていうものを私は一つも聞いたことはなく、正当な企業努力によってその低価格が作られているのに越した事はないとは思いますが、いくら中国での現地生産が効率的に行われているからといってここまで出来るものかと疑ってしまいます。
 仮にその会社が何かしらの不正によってその低価格を実現しているのであれば、その低価格は間違いなく衣料品市場を歪めているのみならず日本全体でデフレを加速させる要因の一つとなっており非常に問題があると言わざるを得ません。

 安いからには理由があると、その理由を追うのが経済ジャーナリストなんだけど本当の所はどうなんだろうなぁ。

2009年11月7日土曜日

血と涙のバレンタイン事件

 テレビアニメの「機動戦士ガンダムSEED」の作中にて、「血のバレンタイン事件」という架空の事件があります。この事件は文字通りバレンタインデーに起こった一般市民を含めた虐殺事件のことで、この事件がきっかけとなってこの作品のメインストーリーである戦争が引き起こされたとされているのですが、実は私もこの事件に負けず劣らずの恐ろしい事件を奇しくも同じバレンタインデーに引き起こしてしまった事があります。今日マンガ喫茶で読んだ「TO LOVEる」の最新刊にてラブコメではスルーする事の出来ないバレンタインデーを舞台にした回があり、それを目にしたことでその事件を今更になって思い出してしまいました。

 それは私がまだ中学生の頃でした。適当に気を抜きながら課題をやれる美術の時間にて友人と談笑していると、一週間後に迫ったバレンタインデーについて話題が及びました。今でもそうですが女性ととんと縁のない私からするとバレンタインデーはほとんど関係のイベントなのですが、ちょうどその時の私たちとクラスを別にする友人、仮に増田君とすると、彼はそれほどモテるわけではないのですが年相応に女性への興味をいつも周りにぼやいており、目前に迫ったバレンタインについても誰かチョコをくれないものかと私たちに洩らしていました。

 増田君は常に情熱的な友人で、そんな彼に対して何かしてあげられることはないものかとその美術の時間に相談している時、ここは一つ女子生徒の代わりに我々からチョコを送ってあげればいいのではないかという案が出てきました。なおこの時にはその増田君以外にもチョコをあげる候補を出てきたのですが、厳正な審査の結果、もといひっかかってくれそうなのは増田君しかいないということで、彼にターゲットを絞って我々は計画を練る事にしました。作戦名も「オペレーションメテオ」と名づけられ、彼にばれないように秘密裏に計画は進められていきました。
 具体的な作戦内容は私がチョコレートを自作し、送り人がわからぬように彼の下駄箱に放り込むという綿密な計画でした。なおこの時に私が自作したチョコレートですが、わざわざハート型にくりぬく力の入れようで、湯煎する際に台所中がチョコレート臭くなったのを未だに覚えています。

 そして来る悲劇の日、バレンタインデー。私と仲間たちは昼休みに彼の下駄箱へそっとチョコレートを忍ばせ、放課後が来るのを心して待ち受けていました。さすがに彼が下駄箱を開ける現場に製作者の私がいるといろいろと厄介な目に遭うのは目に見えていたので、増田君には別の友人に張り付いてもらってその時のリアクションを観察するようにお願いしていました。
 その友人によると、下駄箱を開けてチョコを見つけた増田君は本当に大喜びして、「やったよ、俺にもチョコ来てたよ!ヽ(゚▽゚*)ノ」と周囲にその喜びをかなり大げさに伝えていたようです。それからしばらくは終始ご機嫌で、見ている方が気の毒になるほどだったそうです。

 結局、校門を出た所でその友人がネタばらしをしてそのチョコの製作者は私であることを伝えたのですが、その時の落胆振りは是非この目で見てみたかったものです。明けて次の日には案の定増田君にはこっぴどく怒られてしまいましたが、たとえ一瞬でも彼に希望を与えられたことを私は今でも誇りに思っております。
 ただこの事件は後々にまで影響を及ぼし、その後毎年バレンタインデーが来る度に、「あの年の増田君は花園のチョコで大喜びをした」と言われるようになり、その度に情熱的な増田君は私に厳しい視線を送るようになってしまいました。

 今現在の私は増田君とは交流がありませんが、今でも彼のその情熱ぶり、っていうか引っかかりやすい性格振りを思い出しては懐かしく思います。私は中学、高校時代にはあまりいい思い出がなく、年相応のスクールライフというものをほとんど経験していませんが、増田君が関わってくる思い出についてのみは本当に宝物と言っていいような思い出ばかりです。
 ただ別の友人にこのときのバレンタイン事件を話すと、「それ、普通にイジメちゃうの?」と言われちゃいますが……。

2009年11月5日木曜日

自立的であることとはどういう意味?

 昨日に書いた記事にて私の専門は国際政治とは言いいましたが、実際にはこの分野で何かしら誰かに指示したこともなければ専門的な教育を受けたわけではなく、あくまで独学の範囲での専門であります。得意なのは間違いはないけど。
 じゃあ本当の専門はと言うのであれば、きちんと教育を受けてそこそこ専門的な範囲も取り扱ったのであればプロフィールにも書いてある通りに社会学です。なので周りには自分の専門は一応社会学とは言うのですが、決まって話した人からは、「社会学って何?」と、問い返されてしまう事が非常に多いです。社会学自体はなんか響きがいいのかこの所、各大学の学部受験希望者数が増えているとは聞きますが実態的にどんな学問か理解されているかといえば私はそれほど理解されてはいないかと思います。

 ではそんな社会学は一体どういう学問分野なのかといえば、これは私が出た授業の講師も言っていましたが、これが社会学といえばなんでも社会学になってしまうほど非常に分野範囲が曖昧な学問です。はっきり言って社会学も心理学も言った者勝ちな所のある学問なのでよくあるニセ科学に利用されている事の方が多く、イタリア人社会学者のパオロ・マッツァリーノ氏もその著書にて、

「よくテレビに出てくる悪の集団は○○博士のように理系ばかり使うからダメなんですよ。死神社会学者や地獄心理学者のような文系をリクルートすれば、統計操作と深層心理を使う事でどんな理論も思いのままです」

 と自らの専門分野を評していましたが、私は未だこれ以上に社会学を端的に言い表した発言は見た事がありません。
 しかし私も自分の出身学問分野なだけに全部が全部否定するわけでもなくまだ社会学を肯定的に見ている面もあるので、一つそれを説明するのにある有名な例を紹介します。
 
 学校にて先生が生徒たちに対し、「もっと自立的になりなさい」と、言うのに対して生徒たちは、「わかりました」という場面があるとします。この場合、先生の「自立的になれ」という指示に生徒たちがわかりましたと言うのは「従う」という行為に当たり、皮肉な事に先生の言う事を聞くことが自立的にという指示に逆らうことになります。
 だからといって先生の指示に対して、「嫌です」と拒否しても、こちらも自立的にという指示に逆ら一方で生徒らは自立的に行動している事になります。

 なんかこう書くと言葉の端々を捉まえて文句を言い合う水掛け論みたいな話に見えますが、社会学というのはこういうことを真剣に考える学問だと私は考えています。具体的にこの話でどこが重要なのかというと、先生の「自立的になれ」という指示にその言葉の意味だけでなく命令という行為も含まれており、いわば一つの行動に複数の意味があることになります。また生徒の側もその先生の指示への返答にはその言葉の中身と返答する行為の二つの意味があり、片方では相手の行為に対応した行為が取られているのに、もう片方では対応しなくなる羽目となるのです。

 政治学では権力者と従属者、経済学では雇用者と労働者のように、他の学問では行為者と被行為者というものが初めから割合にはっきりと区別されている事が多いですが、社会学では全般的にこの区別が非常に曖昧な学問です。例えばある企業が自分たちの方針を問うために一般市民にアンケートを取るという行為一つとっても、アンケートを受ける事で市民がその企業へのイメージを変わり、そうしてイメージを変える市民からのアンケートを受ける企業も方針を変えていくなどと、行為者と被行為者の間で常に相互に影響を与え続けて変化し合うことを前提にします。このように社会学というのは、どの行為を行うことでどんな結果が生まれるかを考えるのではなく、その行為が行為者を含め相互の間にどのような変化や効果をもたらすのかを主題にして考えます。いわば行為者と被行為者の中間に焦点を当てる学問といっていいでしょう。

 もちろん社会学すべてがこのように言えるわけじゃないのですが、少なくとも何年も社会学を勉強してきた私が社会学はどんな学問かと問われるのならば、国家程大きくなく中規模集団のシステムの中でどのような相互干渉を行う行動ががあるのかを調べる学問だと私は答えるようにしております。

 なお先ほどの先生の自立的になれという指示に対する、私の考える模範解答は以下の通りです。
「てめぇの指図は受けねぇ( ゚д゚)、ペッ」

2009年11月4日水曜日

現在の国際状況について

 久々に自分の専門の国際政治の話でも書こうと思います。本題を書く前にまず、私が2004年ごろに抱いていた国際状況を簡単に説明しましょう。

 2004年当時の国際情勢において何が一番重要な政治軸であったかといえば、それはやはりイラク戦争とその後のアメリカの孤立主義です。アフガニスタンについてはまだ苦しい言い訳が成り立ったもののイラク戦争においてアメリカはフランス、ドイツ、ロシアを初めとしたイギリスを除く各ヨーロッパ諸国より激しく批判されただけでなく、中東世界からも断絶に近い形で関係を一挙に冷やしてしまいました。
 そんなアメリカについた国はというとどれも経済面でもアメリカに追従して新自由主義を取り入れた国ばかりで、筆頭たるは同じくアングロサクソンのイギリス、そして地続きの南米北米諸国、最後にアジアからは日本や韓国といった以前からアメリカ依存の強かった国でした。

 私は当時、このように各国が持つ国際社会への立場や経済体制の違いから今後は本格的に親アメリカVS反アメリカという構図で、両者の対立がどんどんと大きくなっていくだろうと考えていました。先進国で言えばアメリカとイギリスのタッグに対し、フランス、ドイツが引っ張るEUに当時猛接近していたロシアというヨーロッパ諸国が挑むというような具合です。

 ただもちろんこの二派ですべて完結するわけでなくこのいずれにも属さぬ第三勢力も出てくるだろうと見ており、そんな第三勢力の代表には言うまでもなく米欧両者に距離を置きながら自らこそが世界の覇者だとして本当に信じて疑わない中国が来るであろうとして、三国志で言うなら呉のように状況次第でどっちつかずな勢力となっていくだろうと考えていました。それに対して我らが日本はどうするかといえば文字通り選択肢は三つで、このままアメリカに追従するか、ヨーロッパと組むことで彼らのアジアの橋頭堡として頑張るか、中国に従って一発逆転を図るかという風にシミュレーションしていました。

 そんな風に気の早い予想をしてすでに五年経ち、現在の状況をみるといくつか想定と違ってきた部分が見えてきました。まずその後の日本ですが、今の沖縄の基地問題を初めとして民主党政権に変わった事によってアメリカに対して少しだけ反抗を行うようにはなりましたが、基本的にはアメリカ追従路線を未だ継続しているといっていいでしょう。この点はまぁ予想通りだったのですが、この五年間における国際状況の最大の変化とくればやはりその当事者たるアメリカの大変貌でしょう。

 政治面ではオバマ大統領に代わったことによりこれまでの中東への強圧政策はまだ続いているもののややブレーキがかかり、なおかつ全く歩み寄りを見せなかった国際環境問題でもEU諸国に妥協する姿勢も見せ、そしてなにより非核化を強く訴える事で形だけとはいえ平和路線を内外にアピールするようになりました。
 また経済面でも、去年のリーマンショックの影響によって、もう大分戻っちゃったけど新自由主義が一時大きく後退することになりました。言っちゃなんだけど一番かわいそうなのはイギリスで、これまでアメリカにべったりとくっついてきたのにアメリカ自体が大きく転換し始めるようになり、掛けたはしごを外されるかのように政治面でも経済面でも不安定なままです。

 またイギリスに限らずアメリカと対立してるように見えたEUを初めとしたヨーロッパ諸国も、あれだけ新自由主義を批判していたくせに自分たちも結局は同じ穴のムジナであったためにリーマンショックの影響を強く受け、本当に皮肉な話ですが現在はアメリカに批判するだけの力すら無くなったように見えます。

 ただそうした経済面以上に私が注目しているのは、イラク戦争直後にはあれだけ協調路線を取っていたロシアが、どうもこのところまたヨーロッパと距離を置き始めたように見える点です。そもそも当時のプーチン大統領はドイツ駐在が長かったためにかねてよりヨーロッパ贔屓だという話を聞いていただけに理解できたのですが、プーチンに変わったメドベージェフ現大統領は手の平を返すほどではありませんが、どうもプーチンよりはヨーロッパに対して冷淡な気がします。さらにこれは今年の夏にちょこっと聞いた話ですが、最初はそれこそ両刀、じゃなくて両頭体制といわれたプーチンとメドベージェフですが、なにやら少しずつ両者の間に隙間風が吹き始めているという話を耳にしました。だとするとメドベージェフ現大統領はヨーロッパを嫌っているのではないかという話になってきますが。

 そうした欧米対立の変化に対してアジアでは、日本が首相がころころ変わる政治的混乱によって国際社会で権威を落としている中、依然と中国が強い存在感を保っております。ただ中国は北京五輪を終えて一挙に先進国入りかと思いきや終わってみると案外静かなもので、経済は未だ好調を保っているものの五輪直前ほどの圧倒的な存在感は感じられないように思えます。実態的にはGDPで日本を抜き、また外貨準備高で世界一位になるなど成長を止めてはいないのですが、前ほどの勢いがさすがに無いという事でなんとなく見劣りしてしまう感じです。

 最後に私が今後の注目株として目している国はどこかというと、2016年にオリンピック開催を決めたブラジルです。元々BRICS諸国の一つでその高成長は注目されていたものの、リーマンショックで一旦ブレーキがかかってやはりダメだったかと思われたブラジルですが、かえってアメリカのプレゼンスが弱まり今後は南米の雄として存在感が強くなっていくのではないかと考えております。あくまで、私の予想ですが。

2009年11月3日火曜日

北京留学記~その二十、連美香

 他のクラスメートの名前はカタカナ下記でしたが、今日紹介する彼女については漢字名も詳しく覚えていたのでこの表記で通します。さてこのところこの体験記で続いているクラスメート紹介もとうとう最終回ですが、オオトリを締めるは祖父が中国人クウォーターであるタイ人の連美香です。彼女は三人姉妹の真ん中っ子で、留学には姉妹三人で来ており、時たま授業をサボる事はあっても比較的出席率の高い真面目な学生でした。

 留学中の授業は日本の大学同様に基本的に席順は決まってはいないものの授業開始から大体数週間もすればみんな同じ位置に座りだすのですが、私の席の隣に陣取るようになったのがこの連美香でした。それこそ最初はやけに服装が派手なスペイン人の姉さんが隣でしたが二週間目くらいから彼女が隣に来てその後卒業までずっと隣同士でした。とはいえ隣同士になったから妙なロマンスとかが始まるわけでもなく、他のクラスメートと比べて休み時間に雑談を交わすことが多かった程度でした。ただそうした時間が多かったおかげとも言うべきか、彼女からはタイの国の状況から風習まで結構詳しい話を聞く事が出来ました。

 ただそれほど私と会話する事の多かった連美香でしたが、実を言うと当初私は彼女に対してあらぬ疑いを持っていました。その疑いというのも、彼女の出身国がタイということもあって見かけは明らかに女性ですがもしやニューハーフではないかという疑いでした。普通ならそれとなく聞くべきなのでしょうが私はこういうところは妙にストレートに聞くことがあり、ある程度仲良くなった時点で直接、「タイにはニューハーフが多いけど、まさか君は違うよね?」と言い出す始末でした。もちろん、笑いなら彼女は否定してくれましたが。

 その時の会話の延長線でそのまま、日本人はタイにニューハーフが多いというイメージを持っていることについて詳しく聞いてみましたが、タイ人もそのようなイメージについては自分達でも認識しているようで、
「確かに、私達の国はニューハーフが多いけど、それはあまり私達が性別にこだわらないからだと思う」
 と、至極適切な返答をしてくれました。ただ性別にこだわらないというのはそのようなニューハーフかどうかというラインだけで、女性の社会的な地位については日本と同じく、いやそれ以上にジェンダーフリーは進んでおらず、何でも彼女が通った近所の進学高校では生徒のほとんどが男子で肩身の狭い思いをしたそうです。というのもタイの女子はほとんどが日本の昔の女子高のようなところに進学するようで、彼女の両親は教育環境を考えて近くで唯一共学で入れそうな進学校がそこに進学したそうです。

 その話を聞いた後、今度は逆にタイ人は日本人に対してどんなイメージをもっているかと聞いてみたら、なかなか外では聞けない面白い返答をしてくれました。やはりタイでも日本人と言うとビジネスマンを想像するらしく、技術があって商売のうまい民族といったイメージだそうです。だがあくまでそれは今の話であって、昔はどうもタイ語で「小さい人」と揶揄していたそうです。
 この言葉の意味は素直に侮蔑を込められており、二次大戦の最中にタイに進軍した日本人を心苦く考え、同じ侵略者でも欧米人より小さい奴、という意味合いで使っていたそうです。どことなく中国語における日本人への侮蔑語の、「小日本」に近いような気がします。

 またこの時とは別の時にちょうどタイの当時の首相であるタクシン元首相が、タイの国王に辞職を勧められた際には国の制度について聞いてみました。
 基本は日本と同じ議院内閣制で、最も権力があるのはやはり首相だそうです。そして前から気にかかっていた、タイにおける国民の国王への意識はどうかと聞いてみたところ、やはりと言うべきか絶大な信頼を語って見せました。

 タイでは国民すべてが国王を信頼しており、王制についても断然存続すべきだと皆考えていると答えていました。なおこの時に私は日本の天皇制について彼女に教えましたが、存続するべきだという意見は強いが、日本の天皇はタイの国王のように政治には一切介入する事を禁じられていると教えたら驚いて聞いていました。

 最後に、アジア人は欧米人と比べてどこでも実年齢より低く見られる事が多いといわれていますが、私もこの例に漏れず連美香が女性の中で体格も小さい方だったこともあってずっと年下かと思っていましたが、卒業する間際で自分より年上だとわかってびっくりさせられました。その驚いた事を正直に話したら、向こうは向こうで私の事を高校生くらいだと思っていたそうです。知らぬは自分ばかりとはいうものです。

2009年11月2日月曜日

想定外のスーパー、AZ

 先週に放映された「ヒミツのケンミンショー」の地域特集にて鹿児島県が特集されていましたが、その中で紹介されたある商店に番組が出てくるや私と私のお袋は揃って、「あ、やっぱこれか」と思わず一緒ににやけてしまいました。そのスーパーというのも、鹿児島県阿久根市にあるAZです。

A-Zスーパーセンター(ウィキペディア)

 正式な表記は「A-Z」ですが、めんどいのでこのままAZで通します。ちょっとこの記事では題をどうするかに悩み最初は、「阿久根を支えるAZ」にしようかと思いましたが、なんか本来の記事の趣旨と変わってくるので数年前の流行語の「想定外」とつけることにしました。
 では一体このAZは何が想定外なのかというと、あり大抵に言えばそれまでのスーパー経営の概念で正攻法といわれる手法をことごとくひっくり返して成功している点です。

 ではそんな常識を破るAZの経営方法というのはどんなものかというと、グダグダ長文で書くのもなんですので箇条書きにしてまとめて紹介しましょう。

1、店舗面積が広いめちゃくちゃ広い
2、取扱商品点数が非常に多い(30万点以上)
3、食料品や日用品だけでなく、自動車やガソリンの販売、車検も行う
4、電話で呼べば、片道100円でバス送迎に家まで往復する
5、これでいて24時間営業


 一つ一つもう少し詳しく説明すると、まず1番目ですがリンク先のウィキペディアにある写真を見れば分かるとおりにまるでアメリカのショッピングセンターかと思うくらいだだっ広い店舗です。しかしアメリカやその他の日本のショッピングセンター、モールと違う点として、このAZには二階がないというのが大きな特徴です。何故二階がないのかというと主要客である過疎化の進む阿久根の老人らにとって階を跨ぐ移動は大きな苦痛であるとして平屋建てを貫いているそうです。

 次に2番目ですが、これはそれこそ客の要望があれば何でもかんでも商品を揃えるとしており、醤油一つとってもありえないほどの種類分が用意されているそうです。なお鹿児島及び九州の醤油は他の地方と比べて非常に甘い味をしているので、多分私なんかも阿久根に住んだら重宝しそうです。
 そんなAZの豊富な品揃えを語る上で外せないのが3番目の特徴で、なんと自動車本体までもそれこそディーラー店のように店舗に並べ、しかも各種保険、取得手続きまで購入と同時に行えるようになっているので買ったその日にそのままその車に乗って家に帰れるそうです。

 ここまでだけでも相当異常な経営方法ですが私が最も評価してなおかつ最も独特だと思える特徴なのが、続く4番目の電話一本片道百円でドアツードアで客を運ぶ移動サービスです。これなんか九州や四国といった地方に住んだ経験のある方なら分かるかと思いますが、このような地方では本当に泣けるくらいに道がありません。また道があったとしてもひどい悪路で、しかも各都市ごとの距離も半端でないために車を持たない人間はおいそれと気軽に出かける事が出来ず、それが体力のない老人ともなると尚更です。
 AZの社長の牧尾氏はこのような鹿児島県阿久根市の環境からこのサービスを考案したらしいのですが周囲はそんなサービスが成り立つわけないと予想していたものの、そんな予想を見事に裏切り、このサービスによって遠出の買い物に満足にいくことのできない老人らを顧客層としてしっかりと引き入れることに成功したそうです。

 そして最後5番目の24時間営業ですが、これも大都市であるならばともかく、何度も言いますが鹿児島の過疎化の進む阿久根市ではランニングコストだけが無駄にかかるのではと言われていたのですがウィキペディアの記事を引用すると、「夜9時から翌朝7時までの売上げが、全売上げの3割を占めるという。」とのことで、なんでもコンビニのないこの地域で夜間に緊急に買い物が必要になった時に頼りにされているそうです。

 このようにことごとくスーパー経営の常道を突き破ってAZは成功し、当初は阿久根市の本店のみだった店舗もこの不況下ながら現在三店舗になり、今後もさらに増やす計画だそうです。こうしたことからこのAZはなにもケンミンショーにて特集される前から主に日経がバックにいるテレビ東京の番組でも何度か取り上げられており、もしかしたらそうした番組をすでに見ていてこのAZの事を知っている方もおられるかもしれません。

 ただそうした番組で取り上げられていないちょっとレアなAZの情報をここで出すと、社長の牧尾氏がAZを始めるにあたって参考にしたのは千葉県にある「ケーヨーホームセンター」というディスカウントショップらしいそうで、牧尾氏が若い頃に千葉県にいた際にここで働いた経験から豊富な品揃えと共に客層を考えた経営をするべきと考え、成功した今でも若手社員の教育研修のためにケーヨーホームセンターに派遣するそうです。
 何故こんなことを私が知っているかですが、実はAZの本店がある阿久根市というのはうちのお袋の実家で、私は阿久根市の隣の出水市の生まれですが子供の頃は私もこの阿久根の祖父や叔母のところへ何度も遊びに行っていました。それでこれなんか地方の人には分かってもらえると思いますが、田舎というのは本当に狭いもので、AZ社長の牧尾氏というのはうちのお袋の同級生の兄弟で、近年ここが成功してからというものお袋の親戚が集まろうものなら、

「マキオのところは羽振りがいいわよね」
「パン屋やっとった○○いるでしょ。今そいつも自分の店畳んでAZで働いてるわよ」

 などと、非常に緻密なレベルでの情報交換が行われています。それこそ石を投げれば関係者にあたるくらいの狭さで、同級生なり友達なり兄弟なりで人間関係が全部つながってくるというから驚きです。

 とはいえ人口が減少していく鹿児島の片田舎において、地元資本のスーパーがここまで急成長に成功したというのは刮目に値します。私も機会があればここに参与観察でもして見たいものですが、お袋に話し通して一ヶ月でも働いてみようかな。

  おまけ
 ウィキペディアの記事にも書かれていますが、AZの開店初日に大きな地震が鹿児島を襲い、店に来ていた客がみんなレジを通さずに商品持って逃げて行ったそうでいきなり約五百万円の損失を出したそうです。それでもその後持ち直したのだからなお凄い。

2009年10月31日土曜日

資本主義はプロテスタントから始まったのか?

 現在の世界で主要な思想となっているのは言うまでもなく貨幣が中心となって世の中が形作られる資本主義ですが、この資本主義がいつどこで発生し、成立したかについて私の専門の社会学では十六世紀のヨーロッパ、それもキリスト教のプロテスタント集団からとされております。しかし私はこの説を信じるどころかむしろ間違っているとすら考えており、その理由について以下に解説します。

 この資本主義がプロテスタントから始まったという説は社会学を学ぶ者にとってそれこそ最初のいろはみたいなもので、はっきり言ってこの説を知らなければもぐりと言っても差し支えないほどの有名な学説です。それほどまでに有名なこの説を唱えたのは誰かというと政治学者、社会学者として有名なドイツのマックス・ヴェーバーで、彼はその著書の「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(通称「プロ倫」)においてキリスト教のカトリック派に対して異議を唱えることで発生したプロテスタント派、それも一番初めのルター派ではなくフランスのジャン・カルヴァンに始まるカルヴァン派から資本主義の価値概念、精神が生まれたと主張しています。

 ではどうして資本主義がカルヴァン派から生まれたのかというと、ヴェーバーはカルヴァン派の持つ予定説が決定的な要因となったと主張しています。このカルヴァン派の予定説というのは人間は現世に生まれた時点で死後に神によって救済されるか否かがすでに決まっており、現世でどのような行動を取ってもその予定に変わりがないという説です。
 元々のカトリックや同じプロテスタントのルター派において死後に救済されるかどうかは程度の差こそあれ、現世で善行を積むかどうかによって決まるとされていました。逆を言えばこの世で悪い事をすると死後に裁きを受けるとされ、生前は神の教えどおりに善いことをしながら生活していくべきだと主張されていました。しかしカルヴァン派は救われる人間は生まれた時点でその後善行を積むように行動するようになっており、逆に裁かれる人間は悪い事をしでかすようにすでに運命付けられていると主張したのです。

 そのためカルヴァン派は自分たちが本当に救われる側の人間であるのであればきっと生前は豊かに暮らして円満に死んでいくはずだと考え、自分たちが救われる対象であることを自分で証明するかのようにして利殖や商売上の成功を追い求めるようになり、そのような思想が多数派を占めて一般化するようにして資本主義が成立したと、大まかに言ってヴェーバーは主張しました。

 こうしてみると確かに筋が通っているように見えるのですが、私がこのヴェーバーの説に疑問を持つのは本当にカルヴァン派から資本主義が生まれて世界に広がっていったのかという点です。具体的に言うと、カルヴァン派の誕生以前に資本主義はなかったのかということです。ここまで言えばもうわかるでしょうが、私はカルヴァン派が生まれた十六世紀以前にもすでに資本主義的性格を持った国家、集団があったと考えております。

 このヴェーバーの主張への反論は何も私だけでなく私の社会学の恩師も主張していたのですが、そもそもの話ヴェーバーの主張には「西欧から資本主義が始まった」という前提で成り立っています。確かに西欧の範囲内で見るのならばこのヴェーバーの説は正しいと私も考えるのですが視野を西欧から世界全体に広げてみると、それこそ東洋にある中国は一体どんなものかという話になってきます。

 というのも中国で十世紀に成立した宋においては貨幣経済が目覚しく発達しており、なんと当時の西欧が封建制による物納が主体の経済であったのに対し、宋ではすでに徴税方法が物納ではなく金納となっておりました。それこどころか傾き始めた国家の再建を行うにあたり王安石らが活躍した新法旧法論争において、大商人の独占を排すために小商人への低利での貸付を国家が行っていたなど、きわめて発達した流通経済体制をすでに敷いております。これが資本主義でなければ、一体なんなのかというほどです。
 ちなみに西欧で本格的に流通経済が成立しだしたのはナポレオン戦争以後だと言われております。また日本では江戸時代まで税金は物納で、明治になってようやく金納へと切り替えられました。

 また中国に限らず同じヨーロッパ圏内においても、十一世紀に起こった十字軍の遠征においてイタリアの都市国家に代表される地中海商人らが大きなスポンサーとなっていた事実も見落とせません。第四回十字軍に至っては彼ら商人の意向で本来身内であるはずのビザンツ帝国が攻撃されているんだし。
 その地中海商人、いやそれ以前からのヨーロッパにおける商人に着目するのならいわゆるユダヤの商人も忘れてはなりません。ユダヤ人は相当大昔から金融業を行っており、資本主義の歴史を語るのならばユダヤ人抜きには本来語れないのではないかと前々から私は考えております。

 このようにイタリアより西のヨーロッパ圏内に限るのならばヴェーバーの説に賛同するも、カルヴァン派から資本主義の概念がすべて生まれたという説に対しては私は真っ向から疑義を呈します。このヴェーバーの説は最近だと高校の世界史の教科書にも載せられているほどなのですが、社会学者も多分薄々間違いだって言うのは分かっているのだから、ヴェーバーには悪いけどこうした誤解をこれ以上広げないように活動するべきなのではないかと私は思います。

2009年10月30日金曜日

JAL再建案と企業年金の対処について

 このところは朝日新聞でも毎日一面を飾っておりますが、JALこと日本航空の再建議論について私の考えを紹介します。

 すでに各所で報じられているように日本航空は数年前に機体トラブルを連続して発生させたことから利用客離れを起こし、またかねてより全日空とのサービス競争でも大きく水を開けられていたことから売上げが大きく減少しており、各業界関係者から全国のサラリーマンにまで早晩破綻するであろうという見方が広がっていました。
 しかしそれに対して前政権与党である自民党はこれという対策を余りしてきませんでした。仮に日本航空が破綻した場合は日本の国内航空会社は全日空のほぼ寡占状態となるため、各評論家は現在の日本航空は経営上大きな問題を抱えてはいるものの絶対に潰さずに再建させなければという意見で一致していたにもかかわらず、自民党はお世辞にもこの問題の解決に積極的であったとはとても言えませんでした。そういう意味で政権交代によって民主党政権が誕生するやすぐにこの問題に手をつけてここまで議論を進めたというのは、まだ民主党と前原国土交通大臣を評価してもいいと思います。

 それでその再建案の中身ですが、どうやらかつてその負債額の大きさから潰すに潰す事の出来なかったダイエーを無理やり立ち直らせるために作られた産業再生機構入りすることがほぼ決まったようです。現在の日航にどのような経営的な問題がありこれからどのように再建していけばいいのかは私自身が航空行政に詳しくないのもあり正直な所あまりわからないのですが、目下の所大きく報道でクローズアップされているのは、日航の退職者に対する高額な企業年金です。

 かねてより日航は退職者に対する企業年金の額が同業他社と比べても非常に高額で、それが経営を強く圧迫させていると言われ続けておりました。その企業年金額が本日のフジテレビの朝のニュースにて具体的に比較されていたのですが、その報道によると全日空が平均月額9万円に対して日航は平均月額25万円でなんと16万円も差があるそうで、私の予想をはるかに超えた額でした。そりゃ経営もおかしくなるだろうよ。

 仮に日航が公的基金投入の上に産業再生機構入りしてもこの企業年金が維持されるのであれば、文字通り国民の税金がこの高額な企業年金に使われる事となります。さすがにそれはまずいだろうということでこれから煮詰められる再建案の中身にこの企業年金の減額案を盛り込もうと言われているのですが、いくつかの報道を見ていると実際に減額するとなると難しいのではという意見が各コメンテーターから聞かれます。
 何故難しいのかというとその企業年金は日航のOBが在職中に働いて稼いだ賃金の一部で、それを国の都合で減額するのは憲法に記載された財産権の侵害に当たるからだ、という風に意見がありました。

 しかし結論を言うと私は余計な議論なぞ必要なくとっとと減額してしかるべきだと思います。さすがに全額廃止までいくとやりすぎだと思いますが、現在の額はあまりにも高額過ぎており、仮に日航が倒産してしまえばそれら企業年金は全額吹っ飛ぶ事を考えると税金を使って維持するべきだとは思えません。もしこの減額を日航退職者が受け入れられないのであれば、多少過激すぎるかもしれませんがこの際日本航空は倒産させた方がまだマシかとすら私は思います。
 それこそ全日空と同じ水準の9万円にまで引き下げる事で退職者一人当たり16万円もの額が浮き、退職者5人で計80万円、これだけあれば月額20万円で新たに4人の従業員を雇える事を考えるとただでさえ職のない現代の若者が如何に追い詰められているのかが見えてきます。

 現在民主党や前原大臣はやはり先ほどの財産権の問題からこの企業年金の減額を行うために新たな法整備が必要だと主張していますが、この意見についてはやや疑問に感じる点があります。というのも過去に松下(現パナソニック)にて幸之助精神の破壊者と呼ばれた中村邦夫社長(現会長)時代にこの企業年金の減額を実行しているからです。この中村社長の決断に対して年金を受け取る側の松下のOBも黙っておらず訴訟まで起こしましたが、裁判所は当時瀕死だった松下においてこの経営判断は不当なものではないとして退けました。

 先にも述べましたが、現時点で日航は本来なら倒産しているはずの会社です。それほど危機的な経営状況にも関わらずあまりにも高額すぎる企業年金を維持するというのは明らかに道理が外れているのではということが、現時点における私の見方です。

  補足
 一つ書きそびれていたことで、今回私が槍玉に挙げた企業年金は各企業が独自に設けている年金で、中小企業の社員にはほぼ全く用意されておりません。そういったことも考慮して私は減額するべきと主張するわけです。

2009年10月28日水曜日

読者年齢層アンケートの結果

 本店の方で行っていた読者の年齢層を尋ねるアンケート期間が終わり、とうとう待ちに待った結果が出ました。早速その結果を以下に公開します。

・20歳未満 1 (2%)
・20~29歳 25 (54%)
・30~39歳 12 (26%)
・40~49歳 6 (13%)
・50~59歳 2 (4%)
・60歳以上 0 (0%)
 合計回答数:46名


 という具合で、書いてる私と同じ20代が最も多く、次いで30代が続く結果となりました。私はこのアンケートを開始した時の記事にも書いた通り比較的読者年齢層は高いだろうと思って40代が一番多いのではないかと踏んでおりましたが、その一方で回答するのは私の直接の友人ばかりではないかとも思っておりこの結果に対して「そりゃそうだろう」というような感想を持ちました。

 ただこの調査を終えてちょっと失敗だったかと思う点で、もう少し年齢層を細かく分けて置けばよかったかもと現在反省しております。このブログは私自身の体験からいろいろと社会の事、政治や経済についてちょっと深く勉強したいと思うような人向けにそれぞれの分野のキーワードなり用語、時事問題の解説を主なネタとしております。そのためメインのターゲット層というのは言うまでもなく現役の大学生で、多少なりともそれぞれの分野の内容に興味を持ってくれるような記事をいつも心がけて書いております。

 ですのでこの年齢層アンケートも、同じ二十代でも前半と後半で大きく読者の立場が変わることを考えるともっと細かくして聞いとけばよかったと後悔しているわけです。まぁ若い年齢層だけでなく、30代以上の方が43%にも昇ってくれたというのは非常に励みになりましたが。

 最後に今後の記事展開として、このところは時事問題ばかり取り上げておりますが初期のようにあまり時間の経過に左右されないような内容の記事をまた増やしていかないとこの頃感じております。現在連載中の「時間の概念」なんかはそのような記事で内容にも自信のある連載ですが、まず先に「北京留学記」を終えないといけないのでまだしばらくお休みしないといけません。時間さえあればまたあれこれ自分で調べた研究記事を書くことも出来ますし、親しい友人には漏らしていますが小説も本音では連載したいです。ただ余り手を広げるのもあれなので、ひとまずの所あまり勉強しないでも書ける、一番好評な歴史記事を中心に書いていくのが無難かもしれません。

宮中ダムの生態系について

取水中止の影響?サケ・アユ遡上が3倍に(読売新聞)

 このところニュースからの引用記事が増えており本音ではそろそろ控えたいと思っていましたが、この前八ツ場ダムのことも取り上げており、関連するニュースなので今日も同じく紹介記事になりました。

 上記にリンクを貼ったニュースの内容を簡単に説明すると、なんでもJR東日本の信濃川発電所が不正取水を犯したことから処分として水利権が取り消されこれまで水を貯めていた新潟県十日町市にある宮中ダムにて水の放流を行った所、このダム上流にてアユやサケといった川魚が川に大量に戻ってきたことが報じられています。
 私は以前に書いた八ツ場ダムの問題にて、ダムを作ると治水や電力といったメリット以上にその川の生態系を大きく崩すというデメリットの可能性に触れました。今回のこの記事はまさにそうした生態系へのダムのデメリットを理解するうえで、なかなかの好材料だと言えます。

 もちろん記事中でも触れられていますが生態系は非常に複雑な連関の上に成り立っているため、単純にダムの放流が行われたから川魚が戻ってきたと現段階でつなげるには早計で、今後しばらく様子を見る必要はあるでしょう。しかし普通に考えるなら自然の中にあんなダムのような巨大な構造物が存在するのは明らかに不釣合いで、なにかしら周りに影響を与えているに違いないでしょう。

 ではどのような治水が一番望ましいのかといえば、大分以前にも一回だけ取り上げましたが中国の都江堰信玄堤がまさに白眉とも言える存在でしょう。どちらも自然にある石や砂を用いる事で数百年以上前(都江堰に至っては二千年以上前)に作られた灌漑設備ながら、今に至るまで現地での水害を防ぐのに大きな役割を果たしております。ただ両者ともオーバーテクノロジーとでも言うべきか、現代においても完全にそのメカニズムが建設方法が解明されていないとも言われております。可能であるならばこれら自然物を用いた設備の建設方法を解明し、生態系に大きな影響を与えかねないダムの代わりとして採用していくことが望ましいかと私は思います。

2009年10月27日火曜日

鳩山首相の所信表明に対する反応

 前回総選挙が終わって一ヶ月が経ち、とうとう民主党を与党に迎えての臨時国会が昨日に開会されました。開会に当たり鳩山首相が恒例の所信表明演説を行いましたが、さすがに全文をチェックする時間まではないので報道の範囲内で語ると、従来からの自分の主張である友愛政治と共に脱官僚を掲げた民主党のマニフェストに沿った内容が長時間に渡って演説されたようです。

 私は元々この所信表明演説はあくまでパフォーマンスだと思っているのでそれほど重要視しておらず多分何もなければこんなわざわざ記事にするまでもなくスルーしていたのですが、この鳩山首相の演説に対する野党となった自民党の反応に対していくつか思うところがあったので取り上げる事にしました。

鳩山首相:所信表明 「ナチスのような印象」 自民・谷垣総裁、拍手皮肉る(毎日新聞)

 今国会における最大野党自民党の党首である谷垣氏はこの鳩山首相の演説に対し、上記リンクの記事にあるように演説の途中にて民主党の一年生議員らから拍手があった事をヒトラーの演説にヒトラーユーゲントが拍手をしているようだと評しました。
 結論から言えば私はこの谷垣氏の発言は如何なものかと思います。他愛もない同じ与党議員からの拍手をよりによってナチスと比較するなどいくらなんでも大袈裟で、あからさまに民主党を悪く言おうとするその態度にはほとほと呆れました。第一、これまでの自民党出身の首相の所信表明演説においてもこのような拍手は毎回起こっており、特に2005年の郵政選挙後に大勝した直後の小泉元首相の際には今回以上に一年生議員がよいしょをしていたと今朝のテレビ朝日のコメンテーターにも言われております。

 別に自民党の肩を持つわけではありませんが、もし本当に政権を奪還しようというつもりならこのようなくだらない発言は今後よして、批判するならするでもっと核心をえぐるような批判だけをするように心がけるべきでしょう。少なくとも今回の谷垣氏の発言はただ民主党のことを悪く言おうとする意識だけしか感じられず、皮肉な話ですがこの発言を聞いて私はこれから自民党は第二の野党民主党に成り下がるのではないかと感じました。

 大体福田政権になってからはマシになっていきましたが、それこそ小泉政権時代においては当時の民主党も与党の言う事やる事すべてをあげつらっては何かにつけて悪い例えをつけて批判しているだけで建設的な対案や意見がほとんど出されず、他の人までは分かりませんが私としては全く評価の出来ない政党でありました。もし今回の谷垣氏が行ったような批判をこれからも自民党が続けるというのであれば、自民党はその時の野党民主党と同じく今後しばらく野党に居続けることになるだろうと思います。そしたらそしたでこれからの民主党も、小泉政権以前のバラマキだけを行う自民党になってたりしたらそれはそれで困るのですが。

 また今回の所信表明演説では、同じく自民党からの激しい野次も批判的に報道されております。軽くニュースでの中継を私も眺めましたがそれこそ演説の内容が聞こえないほどの野次が自民党議員から為されており、これまたテレビ朝日のコメンテーターによると、総理経験者である大物議員が特にひどかったそうです。

小泉進次郎氏、自民党のヤジに苦言…所信表明演説(スポーツ報知)

 この野次に対して身内の自民党議員からも上記のニュースにあるように批判がされており、小泉進次郎議員が相手の言う内容をしっかり聞いて検証すべきだと苦言を呈した事が報じられております。なお小泉議員は鳩山氏の演説に対し、「言葉遣いは平易で分かりやすかったが、言葉の先にあるビジョンが分からなかった」と評し、私から見てなかなか鋭い事を述べている気がします。

 ちなみにもし私が仮に今回の鳩山氏の演説に対して批判をするのであれば、あれだけ長々語れるのであれば自身の故人献金問題についてももっとしっかり語るべきだと皮肉を言います。

社説:鳩山首相の所信表明…「友愛政治」実現の道筋を(毎日新聞)

 この点について毎日の社説もきちんと突いており、上記の社説はそこそこ現在の政治状況を見る上で参考するのにいい内容かと思われます。
 鳩山首相の故人献金問題は私の当初の予想通り、どうも鳩山家の遺産相続問題の線が段々と強まってきました。はっきり言ってこの問題は近年稀に見る大型偽装事件で西松建設の問題など比較にならないほど違法性の高い事件ではないかと私は見ており、検察としても恐らく年末までにはなにかしら動きを見せるべきでしょう。そうなると民主党は早くも「ポスト鳩山」を考えなければならないのですが、この点は現時点ではまだ未知数といったところでしょうか。なんとなく、菅氏は鳩山氏に嫌われているような感じもするし。

2009年10月26日月曜日

大塩平八郎の乱時の大阪の寒さ

 書いたと思っていたら書いていなかったので、今日はちょっと時間も余りないので軽くある歴史の話を紹介します。

 このところ武田邦彦氏関連で環境問題のことばかり書いていますが、武田氏は常々、世界の平均気温が数℃の範囲内で変動するのはごく自然な事だと主張して二酸化炭素による温暖化というのは間違っていると述べています。では仮に百年前の世界の平均気温はどうだったのかとなると、あれこれ炭素測定法やらなんやらを持ち出してある程度正確な気温を出す事も出来ますがちょっとイメージがつきづらいです。

 そんな時に決まって私がよく持ち出すエピソードに大塩平八郎の乱があります。この事件は1837年に幕府の元役人だった大塩平八郎が幕府に対して反乱を起こした事件ですが、中国にて清が滅ぶきっかけとなった太平天国の乱同様、その後の明治維新と比べると小さな小さな反乱でしたがこれがそもそもの江戸幕府崩壊の端緒であったのかもしれないという意見もあります。

 そういう歴史的な意義はひとまず置いといて、この大塩平八郎の乱が起きたのは江戸から遠く離れた大阪の地でしたが、この乱が起きた当時の資料によるとなんとこの乱が起きた時の大阪では淀川が凍結していたという記述があるのです。川が凍結するとなると最低でも一日の平均気温が零下を下回っていなければなりません。これは現代の都市で言うならばこちらも実際に冬場に川が凍結する韓国ソウル市や中国北京市くらいの気温で、この1837年の大阪の冬はそれほどの寒さだったという事になります。

 もちろんたまたまこの年が寒さ厳しい厳冬だったと捉える事が出来ますがここ数十年で大阪市を走る淀川が凍結するなんて話は全く聞かないことから、ヒートアイランド現象やその後の治水工事などもあって単純に言い切れるわけではありませんが、少なくとも現代より約170年前の大阪は平均気温が一段低かったのではないかと私は見ております。

 歴史というのはとかく大きな内容にばかり目を取られがちですが、一つ一つの小さな事実は他の要素と組み合わさる事で深みを増すものだと思います。この大塩の乱も、ただ淀川が凍結したという資料の記述からこんなに話を広げることが出来、勉強するのに本当に楽しい学問だといえます。

2009年10月25日日曜日

環境にやさしい都市とは

 以前に書いた「武田邦彦氏の講演会ににて」の記事の続きです。
 前回の記事では私が質問した原子力発電についての武田氏の回答が中心でしたが、この時の講演会では肝心要の環境問題の欺瞞性がやはり中心で、その中でも現在武田氏が現在教鞭を振るっている名古屋の都市計画についても触れられておりました。

 何でも現在武田氏は名古屋市長の河村たかし市長の諮問会議のメンバーとなっていて、名古屋の今後の都市計画についていろいろと河村市長と共に計画を練っているそうです。最初にもう書いてしまいますがこの講演会にて武田氏は終始河村市長のことを持ち上げており、国会議員を退職する際には退職金を一部返納し、また市長に就任後も、「金を稼ぐのは市長を辞めてからだ」と言って市長報酬も一部返納している例などを挙げて褒め称えていました。武田氏がこのように誉めるのも現在河村市長の側に立っているからとも取れますが、河村市長については私も市の公用車を使わずに電車通勤しているという話を聞いており、お金の面では以前から非常に高潔な人間だと評判だったので武田氏の話に相違はないと思います。

 それで現在武田氏らが進めている都市計画なのですが、一言で言うと「冷房の要らない都市づくり」だそうです。この冷房の要らないという意味は何かというと、武田氏が従来から主張しているように夏場に冷房が必要なほど日本が暑くなるのは温暖化が原因ではなく都市部におけるヒートアイランド現象によるもので、今後の名古屋の都市づくりではそのヒートアイランドを軽減、さらには逆行させる案を練っているそうです。
 具体的な案としてこの講演会で武田氏が挙げていたのを出すと、以下のようになります。

・コンクリートを掘り返してなるべく土の地面を出す。
・暗渠となっている川を掘り返す。
・空き地に木陰となる樹木を多数植える。

 などだそうです。
 この中で私が聞いてて、一番反応したのは二番目の暗渠となっている川を掘り返す事です。実は私はこれ以前にも別の勉強会にて川が都市部の中を流れる価値について話を聞いており、日本で実行するところはないものかと以前から考えていたからです。

 それで都市部に川が流れると一体どうなるかですが、まずデメリットとして自動車用道路の渋滞を誘発しています。仮に川の上にコンクリートを張るとその上は地面同様に走れるようになり、橋を渡る必要もなく自由にどこからでも左右両岸を渡れるようになります。こうしたことから日本の各大都市では高度経済成長期に片っ端から川を暗渠で埋めて行き、東京に至ってはかつて誇られた江戸水系も見る影もないほど埋められていきました。

 これに対して川が暗渠ではなく地表に現れていた場合はどうなるかですが、まず第一に大きな好影響として周囲の気温を下げる効果があります。地面と違って太陽熱の吸収率が低くて反射率も高いため、水の近くだとなんとなく涼しく感じられるように都市部に川があると実際に周囲の気温を下げ、そのままヒートアイランド現象の抑止につながります。またこれに加え、水面は空気中の埃を吸い付けるので空気の清浄化にもつながると言われております。

 このような理由から暗渠となった川を再び掘り返す事業をやろうとしているのは何も名古屋市だけでなく、実際に実行してしまった大都市もあります。相当にこの方面に詳しかったり過去の報道をそうそう忘れない方ならもう察しがついているでしょうが、その事業を行った地は他でもなくお隣韓国のソウル市で、その推進者は現在では大統領にまでなってしまった李明博氏です。
 詳しくはリンク先のウィキペディア内にても書かれていますが、李明博現韓国大統領はソウル市長時代に本当にソウル市内のど真ん中を道路として走っていた清渓川の暗渠を取り除き、生態系や環境に貢献したとしてソウル市民だけから出なく世界の環境団体からも高く評価されました。恐らく河村氏もこのエピソードを知ってたら、「わしも同じ風にやって首相になるんじゃ」とでも言ってそうですけど。

 ちなみにこの清渓川については私が以前に出た勉強会でも触れられており、この暗渠開削によって商売に悪影響の出るとして反対していた周辺商店住民が開削後にやはり売上げが落ちたとして本音ではあまりうれしくはないものの、ソウル市全体や市民の視点で見れば開削してよかったのではという感想が紹介されていました。

 私は一時期京都市内に住んでいましたが、やはり京都の環境で何がよかったのかといえば四方を取り囲む山々と市内東部を走る鴨川でした。特に鴨川周辺は小さな河原となっており、夜になれば出町柳周辺で同志社の連中のカップルが大挙して出没したりするなど一部鼻持ちならないところもありましたが、休日ともなれば親子連れが遊んでいたりと全般的には市民にとって非常よい憩いの場となっています。確かに鴨川の西と東で道路が寸断されるために三条京阪周辺がしょっちゅう渋滞にこそなるものの、そのメリットに比べればあの程度は小さなデメリットだと私は感じました。

 このような思いは何も私だけでなく古くから京都に住む人達も同じで、鴨川の反対側に位置する、こちらは現在暗渠となっている堀川について暗渠とさせてしまったのは失敗だったとよく述べていました。私も出来る事なら、多少のお金はかかっても京都市は堀川を再び開削して欲しいものです。

 武田氏はこのような元からある自然を活用して冷房の要らない都市づくりを計画しているそうです。武田氏によるとこのようなことが出来るのはお金のある今のうち、更に言うなればすでに弱り始めているけどトヨタがお金を落としてくれる今のうちしかできないとして、数十年後に石油がなくなって冷房が使えなくなった東京や大阪を横目に名古屋だけがせせら笑うのを夢見ているそうです。いちいち例の出し方や話し方が本当に面白い人です。

2009年10月24日土曜日

北京留学記~その十九、フェイシア

 今日もまた私の留学中のクラスメート紹介です。あまり反応ないから読まれている方にとって面白いかどうかはわかりませんが、一応昔に書いたものなので表に出させてください。

 今日紹介するのは、フェイシアという名前のフランス人女性です。詳しい場所までは聞きませんでしたが、出身地はフランスの中でも恐らくパリとは違って田舎の方だと思います。というのもこのフェイシアは外見からしてフランスの上品なイメージとはほど遠いごつい体格をしており、また性格の方も見かけを裏切らずに思った事をすぐ口にする性格で、なんていうか見ていて大阪のおばちゃんを髣髴とさせる人でした。

 そんな彼女のエピソードの中で今でも強く印象に残っているのは、彼女が乗ったタクシー運転手との会話です。なんでもフェイシアが中国であるタクシーに乗った際に運転手が彼女が北京語言大学の学生だとわかるや、

「俺はあそこにたくさんいる日本人と韓国人は絶対に乗せたくないんだ」

 と言ったそうです。その話をフェイシアは授業中にて紹介し、以下のように付け加えました。

「本当にひどい運転手だわ。私が会う日本人はみんな礼儀正しくていい人ばかりなのに、あのタクシー運転手は絶対に間違っている。でもま、韓国人ならしょうがないわよね┐(´ー`)┌」

 ということを、思い切り言ってのけてしまいました。
 その日はたまたま韓国人留学生が誰も授業にきていなくて先生もほっとしてましたが、その後のWカップの期間中に韓国の予選リーグ敗退が決まった翌日にもフェイシアは朝からえらくテンション高く、

「ざまぁみろ韓国が。Wカップで勝とうなんざまだまだ早いのよ( ^∇^)」
「それを僕の前で言うの?(´д`;)」

 と、この前紹介した韓国人の李尚民が、苦笑いを浮かべながら対応に困っていました。もちろんお互いに冗談だとはわかっていますが。

 こんな具合に歯に衣着せぬフェイシアでしたが、その見かけどおりにどうも姉御肌な性格なのか周りの気配りは非常によく、テスト後で授業の空いた日にクラスで映画を見る日にはわざわざ自分でクレープを焼いて持ってきてくれました。また後述する表演会の練習も非常に熱心で、自ら進んで太極拳の型を覚えていき、練習の後半ではまだフリを覚えきれていないほかのクラスメートの指導も懇切丁寧に行っていました。

 そんなフェイシアと私の交流はというと、こんなことがありました。
 授業の休み時間の合間、フェイシアは別の日本人男性に「エクセルサーガを知っているか?」と尋ねているのを私は聞いてました。その聞かれた当人は知らなかったのですが、それから数日経ったある日に私からフェイシアに、

「前にエクセルサーガを知っているかって、○○さんに聞いてたけど、俺は知ってるよ」
「えっ、あんたオタクだったの!?」

 ここで出てきたエクセルサーガというのは、六道紳士という漫画家が書いている漫画作品の事です。詳しい内容まではここで説明しませんが、こんなタイトルをわざわざ日本人に聞いて来る上に日本のアニメが大ブームとなっているフランスゆえに、もしかしたらフェイシアは日本のアニメに相当は待っているんじゃないかと思って聞いてみたら案の定そうでした。

「私は今、一番はまっているのは「Fate・stay・nights」って作品なんだけど、あれは本当に面白いいわね」
「それを作った連中が前に作った「月姫」なら友人が持ってるけど、まだ俺は見ていないんだ」
「私はそれももう見たわよ。早くあんたも見なさい( ゚Д゚)ゴルァ !」

 という具合で、どっちがオタクなんだよと言いたくなるような会話を交わしました。もっとも日本のアニメマニアはフェイシアに限らず、北京語言大学に来ているドイツ人などでも比較的沢山いましたが。

2009年10月23日金曜日

企業が国家より大きくなる日~後編、多国籍企業の弊害

 前回の記事の続きです。前回では国家の力を上回る企業の存在としてアメリカの軍需産業について簡単に触れましたが、こっちはそっち以上にもっと深刻であるにもかかわらず意外にもあまり知られていない多国籍企業について解説します。

 まず読者の方には多国籍企業と聞いて、一体どんなものを想像するか考えてもらいたいです。一般的な回答となるとそれこそトヨタやソニーといった優良な企業が思い浮かび、国際的な企業活動を幅広く行っているというような華やかなイメージを持たれるかと思います。それはある意味正解なのですが、彼ら多国籍企業の弊害というのは他国ならともかく日本ではほとんど報道されていない現実があり、出来る事なら文系の学生には知ってもらいたい思いがあるのでいくつか私の知っている事実を紹介させてもらいます。

 私がこの多国籍企業がどのような弊害を持っているのかを初めて知ったのは、スポーツグッズメーカーとして有名なナイキの不買運動からでした。この事件はリンクに貼ったウィキペディアの記事の中でも書かれていますが、ナイキという企業は製品のデザインはアメリカで行うものの自社工場は持たず、製品の生産はすべて海外に委託して行っていました。現在の日本のメーカーのほとんどが行っているように海外の発展途上国の工場で生産すれば人件費も安いため、経営上のメリットが非常に高い事からナイキはかなり以前からこのような生産体制を敷いていたのですが、1997年にあるNGOが公表したナイキ製品の工場の実態はその製品のイメージからはかけ離れたものでした。

 主に東南アジア諸国にあったナイキの工場では18歳未満の児童労働者が数多かっただけでなく、工場現場の労働環境も非常に悪く、それでいて賃金は非常に安く抑えられていました。今日参考したサイトによると、アメリカで一足300ドルで売られているシューズ一つ当たりの製造報酬は3ドルにしか満たなかったそうです。
 アメリカ本国では労働法で禁止されている児童労働や過重労働を、他の発展途上国で行って不当な利益を得ているとして、この事実が公表された当時はアメリカや欧州ではナイキの不買運動が巻き起こったそうですが、日本はこの時期にあまりそのような反応はしませんでした。

 このナイキの例のように多国籍企業は利益を追求しようとする組織の姿勢からか、時に個人の倫理概念からは考えられないような行為までも行ってしまうことがあります。いくつか今でも実際に起きている例を出すと、国内では規制されている汚染物質の廃棄をそのような規制のない外国では行ったり、大資本に物を言わせてその国の競合企業をすべて打ち負かして市場を独占したり、その国の経済を歪むだけ歪ませた後に儲からないからといって撤退したりなどと枚挙に暇がありません。

 このような行為を行うこれら多国籍企業で何が一番問題なのかというと、彼らの横暴な行為を世界中で規制する事が出来ないという事です。それこそ本国内であれば国民の選挙によって組織される政府(=国家)を通して規制をかけることができますが、ナイキのように海外に工場を持っているところまで規制をかけようものなら相手国への内政干渉になりますし、またこういう企業ほど規制を強めようとしたらキャノンの御手洗みたいに、「だったら他の国に移って税金払わないよ」なんて平気で国に脅しをかけてきます。だったらとっとと日本から出ていけよな、キャノンは。

 しかもこの上に厄介なのは、多国籍企業は国家とは違って情報公開の義務がない事です。多国籍企業同様に人間の集団単位として非常に大きな国家も、二次大戦前のナチスドイツや日本帝国のように暴走を起こし非倫理的な行為を犯すことはありますが、それでもまだ国家の場合は民主主義でさえあれば情報公開の要求や原則が作用した上で選挙によって暴走を止める事が出来ます。しかし企業については現在においてすらも「企業秘密」とすることで情報公開を遮る事が出来、見えないところでどんな不正をやっていようがある程度隠し通せてしまいます。

 ちょっとややこしくなってきたので、私が考える多国籍企業が持つ弊害を以下に簡単にまとめると、

・複数国で活動するため、一国家ではその不正すべてを規制することができない。
・情報公開の義務がなく、影で何をやっているか見えづらい。
・国家や国民を無視し、資本原理で自分たちの好き勝手な行動を取る。(キャノン)

 このような多国籍企業は、グローバル化の潮流の中でこの十年の間は数多く跳梁跋扈していました。

 私は国家の枠、というより国境を越えた交流はどんどんと行っていくべきだと考えています。そのような交流を通して他国の人間を理解する事が戦争の回避につながり、ひいては世界共同国家の実現に続いていくと考えるからです。
 しかし個人での国境を越えた交流ならともかく、今回挙げた国境を越えた企業の活動というのは未だ基本的なルールが定まっておらず、発展途上国においては多国籍企業のやりたい放題になっているのが現状です。そんなやりたい放題な状況下で歪みきった世界経済の成れ果てというのが、今のリーマンショック後の世界なのではないかと私は考えています。

 自分も貿易屋の一人ということで私は頭から国際取引を否定するつもりはありませんし、むしろ本当に必要な貿易はもっともっと促進していくべきだと思いますが、全くルールなき現在の状況下で国家のコントロールを全く受けない多国籍企業を野放しにさせるのは世界にとってマイナスでしかなく、グローバル化が進んだ今だからこそ企業にとっての国境とは何かをもっと真剣に議論する必要があるのではないかと考えております。

 なおこれは余談ですが、佐藤優氏は自分が国家というものを強く主張するのは、これから世界が統合していくには必ず国家を媒体にしなければならないと自分の体験から考えるからだそうです。国際交流という観点で見れば国際NGOによる個人の交流、そして外交官同士の国家の交流、そして今日取り上げた貿易を通しての企業の交流など手段はいろいろありますが、少なくとも企業の暴走を止める手段が余りない現在においては、私もまだ国家が媒体になった方がマシかと思います。

企業が国家より大きくなる日~前編、アメリカの軍需産業

 一ヶ月くらい前に古いゲームですが、「アーマードコア3」というゲームを購入しました。このゲームはロボットを操る傭兵となってミッションをクリアするゲームなのですが、私はこのゲームをあの伝説のクソゲー「デスクリムゾン」にちなんでプレイヤー名には「コンバット越前」、機体名には「クリムゾン」にして現在も楽しくプレイさせてもらっています。

 さてこのデスクリムゾン、じゃなくてアーマードコア3ですが、世界観はロボットゲームらしく近未来の世界を舞台にしており、そのストーリーに大きく関わってくるのは変なマッドサイエンティストや拳王ではなく巨大企業なのです。というのもこの世界では国家以上に企業が大きな影響力を持っており、あれこれ環境破壊やら住民のコントロールなどをしてはテロリストらからしょっちゅう攻撃されております。

 このアーマードコアシリーズほどではないですが、同じように近未来SFで国家以上に企業が大きな力を持つ世界を描いている作品として、こちらは漫画の「攻殻機動隊」が上がってきます。こちらはアーマードコアシリーズほど露骨ではありませんが部分々々で巨大企業が暗躍し、それに対してテロリストらが反抗し、国家に属す主人公らがその駆け引きに関わってくるという話がよく展開されております。

 このように利益追求を主是とする企業が社会集団として非常に大きな単位である国家以上に力を持つというのは、なにもSFだけの話ではなくすでに現実で起きている問題です。それが最も如実に現れているのはほかならぬ現在の世界覇権国家であるアメリカで、巨大な兵器企業や小売業を筆頭にアメリカの覇権維持、ならびにアメリカの国家運営は彼らによって為されていると言われております。

 あくまで噂の範囲である事を前提にしていくつかのアメリカの政策に大きく影響を及ぼしている企業を挙げると、まず第一に挙がってくるのは世界最大の売上を誇る「ウォールマート」です。この企業はその売上額が世界最大であることからアメリカの財政政策はもちろんのこと、流通業であるという事から食料政策まですべて舵を握っていると言われ、アメリカの政策はホワイトハウスではなくウォールマートの役員会議室で決められているとまで言われております。ちなみに、現ヒラリー・クリントン国務長官も一時期ここの役員に名を連ねておりました。

 このウォールマートと並んで悪名高いのはボーイングやロッキードといった軍需産業系企業、言うなれば武器商人です。彼ら武器商人が儲けるのに一番いい方法というのは他でもなく戦争が起きる事で、一度戦争が起きたら本国であるアメリカに限らず敵国にも武器を売れればそのまんま二倍の儲けとなります。
 いくらなんでもそんな馬鹿なと思うかもしれませんが、時間差を考えなければ現在も続くイラクやアフガニスタンの騒乱などまさにその構図です。アメリカとこれらの武器商人は冷戦期、イランやソ連への牽制のためにサダム・フセインやタリバンに対して一貫して援助を行っており、その中には兵器授受や戦争訓練などの軍事支援も含まれていました。そうして軍事組織として育てられた彼らは冷戦後の現在にはアメリカと対峙してくれてアメリカ軍に武器を買うように仕向けてくれているのですから、彼ら武器商人には願ったり適ったりでしょう。

 このようにアメリカという国は選挙で選ばれる大統領や政治家などよりも、資本主義の国らしくずっと企業の方が政策決定力が大きいとかねてより言われております。といっても軍需産業は国家防衛という大きな政策に関わるため、国家権力と一体となる割合も多いのではと思う方もいるでしょう。しかしアメリカ、ひいては他国においてすらも近年は軍需産業にとどまらず国家の統制を受けないばかりか無視する企業こと、多国籍企業の弊害が徐々に現れてきました。

 私は前回の記事のまとめに、「国家以上に企業が国境を跨ぐというのは今の時代には早い」と書きましたが、それはまさにこの多国籍企業のことを指しており、彼らの暴走の末に引き起こされたのが去年のリーマンショック以降から続く不況、いやそれ以前からの世界の貧困問題だと考えております。このまま連ちゃんで書きますが、次の記事では多国籍企業が何故問題なのかを解説します。

2009年10月22日木曜日

グローバル化時代の処方箋

 最近すっかり経済関係の記事を書かなくなって久しいので、今日は久々にこの方面の話を一つ書いておこうと思います。といっても内容は他の記事の紹介で、引用するのは今月の文芸春秋に寄稿されている浜矩子氏の「平成グローバル恐慌の謎を解く」です。それにしても文芸春秋ではこの浜氏に限らず、荻原博子氏など女流経済評論家の経済記事ばかり目に付きます。どちらもいつもすごく面白いのですが。

 浜氏は昨年度のリーマンショックより続く今回の世界的大不況について、まずこの不況を乗り越えて安定した経済に立て直すためには現状をしっかりと分析をして、問題の発端となった原因を洗い出してその対策を行わなければならないとこの記事で強く訴えています。それを踏まえて浜氏は今年始めに配られた定額給付金などはまずお金をばら撒くという結論ありきで進められた政策であって、それが一体どのように景気対策になるのかという根拠などなく、それがゆえに麻生政権はこの政策の意義を説明できなかったのだとチクリと批判しています。

 では今回の不況の根本的原因は何かというと、それは周囲も述べているように浜氏も過剰なグローバル化が原因だと断言しています。クリック一つで大金が国境を越える投資に使われ、トイレットペーパーから衣服までそうした物資がまだ普及しきっていない中国で作られたものが世界中で消費されるなど、二十年前と現在とを比べると世界の距離というのは明らかに縮まりました。こうしたグローバル化は様々な安価な商品が消費者に届くようになった一方、製造業を初めとして企業は世界中の企業と競争相手となり、ほぼすべての国と産業においてその構造が大きく歪められる事となりました。

 そうして出来た歪みの中でも最も目に見える形になって現れたのが労働体系で、安価な中国の労働力の影響を受けた日本でも正社員の給料の削減から派遣労働の実施などが広がり、特に派遣労働ではそれまで聖域とされていた肉体労働現場においても派遣労働者が使われるようになりました。この派遣については私もかつて皮肉りましたが、昔は最低の労働環境と揶揄されていた自動車工業での期間従業員ですらも派遣労働者などよりずっと高待遇であると言われる始末でした。

 と、ここまでだったらそんじょそこらの自称経済評論家などがよく言っている内容なのですが、浜氏の面白いところはこの日本のグローバル化はどのようにして始まったのかを分析している点です。一見すると投資ファンドなどの金融企業を放任して外国企業の買収を次々と繰り返していき、今回のリーマンショックの発信源となったアメリカがグローバル化を世界に推し進めたと思いがちで、事実私もそのように考えていたのですが、浜氏は事実は逆でむしろ日本自らがグローバル化を推し進めていったと評しております。いわば今回の大不況を引き起こした原因となるグローバル化は、外からでなく内からやってきたというわけです。

 浜氏によるとかつての村上ファンドの村上正彰氏やライブドアを率いた堀江貴文氏などむしろ日本人の中から「ハゲタカファンド」と呼ばれるような投資家が次々と現れ、彼らに呼応するかのように他の日本企業も「株主重視」を叫びあうなど、むしろ日本企業は率先してグローバル化を推し進めていたと述べています。
 この浜氏の見方に私も同感で、私も「失われた十年」の連載にて書いていますが、90年代後半の日本企業はどこもこのままでは世界に負けてしまうなどと自ら不安を煽っては、成果主義や株主重視主義、そしてなによりも国内で売り上げを伸ばす事よりも海外での売り上げ向上ばかりを目指すようになっていた気がします。

 浜氏もその点について指摘しており、その代表例としてトヨタ自動車を挙げていました。リーマンショック前は純利益で二兆円以上もの空前の業績を叩き出していたトヨタでしたが、リーマンショック後はまさに天国から地獄とも言うべき四千六百十億円もの赤字に転落し、どうやればここまで業績をひっくり返せるのかと思うくらいの凄まじい落ち込み振りを見せました。このトヨタの失墜原因は分かっている人には自明ですが、かつての空前の利益の大半は日本国外での販売、いわばグローバル化によってもたらされた益であり、日本国内での販売に限ればかねてより赤字であったと言われています。

 つまり日本を代表する企業のトヨタがあれだけの利益を叩き出していたのは、自らが率先して海外進出を図ってグローバル化を推し進めていたからだと暗に浜氏は述べているのだと思います。しかしそうして推し進めたグローバル化はリーマンショックによって文字通り反転し、今度は逆にトヨタを苦しめる原因となっているというのはなかなかに考えさせられる話です。

 浜氏は結論部はややぼかして、

「私はリーマン・ショック以後の世界は、「国破れて山河あり」の時代だと考えている」

 とまとめております。
 ちょっとこの意味は私にもはかりかねるので敢えて余計な当て推量はせずにおきますが、私自身はかねてよりアンチグローバリストを自称しており、今後は如何に「国境」というもの定義するかが重要だと考えております。少なくとも、国家以上に企業が国境を跨ぐというのは今の時代には早いと思います。

2009年10月21日水曜日

北京留学記~その十八、クォシャオレイ

 また本店のトップページにアンケートツールを置きました。前からこんな長ったらしいブログを読む年齢層が気になっており、もしよろしければ自分がどの年齢層にいるのかをお答えいただければ幸いです。私の予想では、案外40代が多いんじゃないかと勝手に想像しています。まぁその層が答えるかどうかまでは微妙ですが。

 話は本題に入りますが今日もまた留学記の人物紹介で、前回の「クゥオスダー」の回でも出てきたクォシャオレイについてです。ちなみにこの名前は、中国語での発音です。
 クォシャオレイは年齢は二十台半ばくらいの眼鏡の似合うドイツ人男性でした。授業の出席率も高く、全く寡黙というわけではありませんでしたが如何にもドイツ人らしく落ち着いており、遠めに見ていてクラスメートの中で私が一番一目置いていた人物でした。

 そんな彼のエピソードの中で一番強烈だったのは、前回登場したウクライナのいたずらっ子ことクゥオスダーとの絡みです。この二人はどういうわけか仲がよく、というよりもクォシャオレイにクゥオスダーが一方的に絡み続けただけだったのかもしれませんがよく一緒に行動しており、授業中でもしょっちゅうクゥオスダーの作文にクォシャオレイが登場してたりしました。

 その事件が起きたのは、12月の寒い日でした。その日はクラスメートのアンナというロシア人女性の誕生日で、北京語言大学の隣にある中国地質大学内のレストランの一室を借りてみんなで誕生日会をやっていました。ちなみにこのときにアンナの友人の中国人も一緒でしたが、この中国人は私に会うなり物凄い勢いで話しかけてきたのでもう少しゆっくり話してと言ったところ、
「君は中国人じゃないのかい?」
 と言われました。別にこんなこと言われるのはこの人に限るわけじゃないけど。

 誕生会自体は他のクラスメートも多く参加して終始和やかに執り行われていましたが、宴もたけなわとなる終盤になんと一挙に三つもでっかいバースデーケーキが運ばれてきて、これみんなで食べられるかなぁなどと言い合っていると、

「ヘイ、クォシャオレイ!( ゚∀゚)ノ」
「ウェ、ウェイッ、ウェーイット!Σ(゚Д゚;)」


 この日の誕生日会に同じく参加したクォスダーがなにやら突然立ち上がると、運ばれてきたケーキ一切れを掴むや不敵な笑みを浮かべていきなりクォシャオレイの顔面目掛けて投げつけてきました。しかも全然手加減なんてしないもんだから、投げつけられたケーキはクォシャオレイの顔面に当たるや見事に四散して周囲の人まで巻き添えを食いました。
 これに対して普段は静かなる男クォシャオレイもさすがに怒り、負けじとケーキを掴むや投げるなんてことはせずに直接クォスダーの顔に擦り付けてきました。しかも二度も三度も。

 こんな事があったせいで借りた一室の壁は見事にケーキまみれになってしまい、みんなで頑張ってふき取った上でお開きにしました。とはいえ誰も誕生日会が台無しになったとは言わず、えらいハプニングがあって面白かったと言い合いながらその日は家路に着きました。私もこの時、初めてケーキが空飛ぶのを見たわけだし。

 こんな感じで年がら年中クゥオスダーに絡まれ続けたクォシャオレイでしたが、ある日学内のカフェでばったり会い、せっかくだからとテラスで二人でコーヒーを飲みながら雑談した事がありました。当時はWカップの開催直前という事でお互いにサッカーの話題を行っていましたが、前から気になっていたドイツの事情について尋ねてみました。

「前から気になっていたんだけど、クォシャオレイの出身地は元西ドイツ? それとも東ドイツ?」

 こう聞いたのも、授業中の彼のある発言からでした。
 ある日の授業で先生が我々外国人留学生から中国人を見るとどう思うかと尋ねると、真っ先にみんなで「行列に並ばない」と答えました。すると先生はじゃあ何で中国人は行列に並ばないのだろうかと再び聞いたところクォシャオレイが真っ先に、

「並んでも、欲しいものが得られないという事がわかっているからだ」

 と答えたことがありました。先生もその通りといって、文化大革命期のそのような文化が未だに残っているのが原因だろうとまとめてくれました。

 私はこのクォシャオレイの発現を聞いたとき、ひょっとしたら彼は元東ドイツ領内で生まれたのではないかと思いました。東ドイツもかつての共産圏の一角でその崩壊するずっと以前から食糧などの物資不足がよく起こっていたと聞いていたので、だからこそあのときに真っ先に正解を言い出すことが出来たのではと考えたからです。
 ただ残念ながら彼の出身地は元々西ドイツ領内で、現在も旧東ドイツ領内の都市との経済格差などが大きいなどと教えてくれました。

 また彼の出身地のほかにも、ドイツの徴兵制についても確認を取ってみました。この留学に来る以前から私はドイツにも徴兵制があると聞いており、ただドイツの場合は二次大戦でのナチスの反省から、外国で一定期間ボランティア活動に従事すれば徴兵が免除されると聞いていたので、この事実は本当なのかと尋ねてみました。
 この私の問いにクォシャオレイはそうだと頷き、自分はそのような海外ボランティアの方が面倒に思ったので素直に徴兵に行ったと答えてくれました。さすがに、期間までは確認しませんでしたが。

 このように常に紳士的な態度でいろいろ教えてくれ、また授業中にもキラリと光る発言をよくしていたことから最初に述べたように私は彼に一目置くようになったわけです。

2009年10月20日火曜日

西川日本郵政社長の辞任について

日本郵政社長が辞意を表明「もはや職に留まることはできない」(YAHOOニュース)

 民主党に政権交代した事からかねてより去就が注目されていた西川善文日本郵政社長が、本日辞意を表明しました。

 この西川氏の経歴を簡単に説明すると、「日本最後の大物バンカー」とも言われるほどの叩き上げの銀行家で、出身銀行の住友銀行(現三井住友銀行)にて頭取を務め、その後の三井銀行との合併の際には豪腕で持って社内の合併、組織改革に辣腕を振るったと言われております。そんな西川氏が何故民営化後の日本郵政社の社長になったかというと、郵政の民営化を推し進めた小泉元首相と竹中平蔵氏が西川氏に強く要請したからで、何故この二人が西川氏を推したのかと言えば単純に自分たちの思惑に都合がよかったというのもありますが、それ以上に他にあまりなり手がいなかったというのも原因とされております。

 私の記憶する竹中氏の発言を紐解くと、郵政は民営化後も各郵便局の存続を保ちながら様々な面で民間と競争する厳しい立場に置かれるとし、そんな難しい環境で能力もあって経営を引き受けてくれるのは西川氏だけだったそうです。この竹中氏の見方に私も共通しており、インターネットでのメールが発達した現在において郵便というのは今後縮小する一方で、言うなれば郵政自体が大きな不良債権化するのは目に見えています。しかしそのまま潰れてしまっては現在郵政で働いている従業員、そして必要とされる地方へのネットワークは一挙に喪失してしまう恐れがあります。ではどうすれば郵政は存続できるのかといえば、現在においてもダントツのシェア率を誇る「貯金」を筆頭とした簡易保険などの金融部門での収益を強化するより他がなく、そういう意味で元銀行家の西川氏に白羽の矢が立ったというのもあながち間違いではなかった気がします。

 しかしあまり郵政の現在の内部事情を見ていないでなんですが、伝え聞くところによると年末の年賀状の販売において各窓口ごとにノルマとなる枚数を作ったり、散々鳩山邦夫氏と大喧嘩になった「かんぽの宿」売却問題など、就任後の西川氏の経営方法に疑問を感じる点も少なくありません。私自身は先ほどの理由に財政投融資の問題性から郵政民営化には賛成でしたが、あのかんぽの宿のオリックスへの一括売却問題はもっと精査するべきであったと思います。

 そして前回の選挙にてかねてより郵政民営化に批判的だった民主党が与党となった上に絶対反対を貫いていた国民新党と連立した事により、西川氏は遅かれ早かれ社長職を辞めさせられるだろうということは目に見えており、今回のマスコミの報道もさも規定路線だったかのようにそれほど驚きなく報じられているように感じます

 私としては民営化は維持するべきであっても西川氏がこのまま続けるのにはちょっと抵抗があり、辞めてくれるのならばそれはそれでいいと考えております。以前に参加した佐野眞一氏の講演会において佐野氏も、西川氏というのは銀行家として表には現われない裏の仕事を取り仕切ってきた男で、それゆえに鳩山邦夫氏のような根っから正義感の強い純粋な人間とは合わなかったのだろうと評しており、言われてみると私も西川氏にそのような雰囲気を感じてしまいます。

 ただこれはあくまで私の印象ですが、今日の辞任会見での西川氏の表情を見ているとあまり現職に執着するような表情が見えませんでした。元々小泉元首相が無理を言って就任したのだから本人も本音ではあまりこの仕事をやりたくなかったとも解釈できますが、私にはどうも西川氏が、自分を切ったとしてもかわりの人材はどうせいないだろう、というような余裕があるように見えました。
 現実問題として民営化見直しを主張している民主党が次に一体誰を郵政会社社長に据えるのか、現在のところ全く思い浮かびません。これという候補も自分が知る限りいません。強いてあげるとしたら亀井静香氏がやりたがっているように見えますが、さすがにそれは民主党も許さないでしょう。

 西川氏のかわりに誰を立てれば郵政は維持できるのか、また民主党がどのような見直し案を持っているのか、はっきり言って私にはまだ何も見えてきません。この郵政民営化は9.11選挙において国民がはっきりと選挙行動にて出して支持しただけに、舵取り次第によっては大きな問題になってくる可能性もあり、場合によっては自民党の復権につながってくる可能性もあるかもしれません。
 皮肉な話ですが、今一番この関係の評論を私が聞いてみたいのは民営化の立役者である竹中平蔵氏です。

2009年10月19日月曜日

北京留学記~その十七、クゥオスダー

 留学中の私のクラスで一番はっちゃけていた人間の出身国はどこかとなる、恐らくアメリカやブラジルといった国の人を連想するかもしれませんが、私のクラスではなんとあるウクライナ人が毎日際立つ行動をしてはクラスの間で毎日騒動を起こしていました。そんなウクライナのいたずら猿こと「クゥオスダー」について、今日は紹介しようと思います。

 まず彼の特徴として美男美女の産地として有名な東欧出身らしく体格は小さかったものの非常に美形で、年齢は確か21歳くらいだったと思いますが好奇心旺盛な性格をしており、同じクラスの私に対して日本人である事から、

「PS3の発売日はいつになる?」
「日本酒のアルコール度数はいくらだ?」


 などと言っては気さくに話しかけてきてくれました。
 しかしそんな気さくなクゥオスダーですが、気さく過ぎるというか空気を読まないというか、毎回際立った発言や行動をとっていたのでクラスの中で付いたあだ名は「猴子(猿)」で、本人もそう呼ばれ始めてからは自ら猿の真似をするくらいノリノリな人物でした。

 そんな彼が具体的にどういうことをしでかしていたのかいくつか例を挙げると、学期末でテストも終わり、特にすることもない空いた授業時間にみんなで中国語の映画を見ようか先生が提案し、それじゃあみんなで何を見ようかと言うやクゥオスダーは間髪入れずに、

「黄色電影(ポルノ映画)!( ゚Д゚)/」

 と言い出し、そんなのを放映したら私がクビになると先生を困らせましたが、

「でもクォシャオレイ(同じクラスのドイツ人)は喜ぶよ(・∀・ )っ」
「馬鹿っ、こっちにまで話振るな!Σ (゚Д゚;)」


 という具合で、隙があればいくらでもなんにでもふざけようとするする人間でした。ちなみにさっきに出たクォシャオレイは彼の相方みたいなもので、なんでもかんでも悪い事が起きたらクォシャオレイのせいにしようとしていました。

 授業中ですらいつもこれなのですからプライベートでの彼の行動は更に常軌を逸しており、クラスで北京の激しく危険な交通事情について話していた際にクゥオスダーがバイク通学している事が話題になり、北京市では交通法に規制があってバイクは許可制なのですがちゃんと許可を取っているのかと先生が尋ねると案の定そんな許可は取っておらず、しかも、

「こいつはそもそも本国ウクライナでもバイク免許を持っていない(´д`)」

 という、とんでもない事実までもクォシャオレイに暴露される始末でした。

 こんな具合で主にクォシャオレイを筆頭に年がら年中クラスメートにちょっかいかけたりしていましたが、そのひょうきんな性格から誰からも恨まれる事はなく、私としても同じクラスメートとして一緒に勉強できて非常に楽しかったです。特に一番楽しかったのはこれまた同じクラスメートであるロシア人のアンナの誕生会での出来事でしたが、それはまた今度別の記事で紹介します。なんにしても、見てて飽きない奴でした。

 ちなみに彼とのプライベートでの付き合いでは夜に一回ほど学内のBARに誘われ、そこで彼のつれてきたロシア人ともども酒盛りをしました。さすが酒豪大国出身なだけあったクゥオスダーもそのロシア人も店に着くなりビールをがばがば飲むと、持参してきたウォッカもどんどんと開けて飲んでいきました。
 その際、酒に弱い私も多少の興味があってウォッカを飲ませてもらいましたが、思っていたほどきつい味ではなく、喉越しもそんなに悪くない酒でした。後で私の相方に当たるウクライナ人のドゥーフェイによると、ウォッカというのは元々二日酔いや頭痛といった悪酔いを起こさせる酒ではないそうで、事実私もその晩はきちんとまっすぐに歩きながら寮に帰っていきました。

 ただアルコール度数はやはり高いだけあって、寮に戻った後にシャワーを浴びようと服を脱いだ瞬間、自分の体の異変に気が付きました。なんと体のあちこちに紫色の斑点が出来ていて、腕なんかそれこそ蛇みたいな見事なまだら色になってました。ただそうした変化はその日一日だけで、次の日には二日酔いもなくその斑点も消えて、特に変な事にはならずに済みました。

 最後に彼の発言の中で私が印象深く聞こえたもののとして、「ロシアとウクライナは兄弟だ!」という発言があります。現ウクライナ大統領のユシチェンコ氏は反ロシア色の強い政治家ですが、歴史的にはウクライナとロシアは歩調をともにしていることが多く、このクゥオスダーの発言からすると必ずしもウクライナ人全員が反ロシアではないと確認出来ました。

2009年10月18日日曜日

副島種臣とマリア・ルス号事件

副島種臣
マリア・ルス号事件(ウィキペディア)

 思うところがあるので、副島種臣について書いてみようと思います。
 副島種臣というのは詳しくはウィキペディアに書いてある通り幕末における佐賀藩の維新志士の一人で、同郷の大隈重信らとともに維新期を生き抜き明治政府成立後には外務卿、現在の外務大臣のような職で活躍した政治家です。その副島の外務卿時代に起きた事件というのが、卿のもう一つのトピックスであるマリア・ルス号事件です。

 このマリア・ルス号事件というのはもしかしたら知っている方も多いかもしれません。というのも私が小学生の頃には道徳の教科書にも取り上げられていた事件で、日本史の教科書にはあまり載っておりませんが内容を聞けば思い出される方もいるでしょう。
 この事件が起きたのは明治五年の六月、横浜港に停泊していたイギリス軍艦に清国人(今の中国人)が海を泳いで救助を求めてきた事から始まりました。その清国人は同じく横浜に停泊中のペルー船籍のマリア・ルス号から来たと話し、この船には彼らと同じ清国人231名が乗船しているが彼らは皆奴隷で運搬されていく途中であるとイギリス軍艦に助けを求めました。この突然の来訪に対してイギリス政府は現地の日本政府に連絡し、清国人の救助をするようにと要請しました。

 この要請を受けたのはまさに時の外務卿である副島だったのですが、マリア・ルス号側は彼ら清国人は奴隷ではなく移民だと主張して、神奈川県庁にて保護されていた逃げてきた清国人を引き渡すように要求してきました。
 この要求に対して恐らくはっきりと奴隷である事を証明する証拠がなかったという理由もあったでしょうが、当時の日本は江戸時代に結んだ不平等条約、この場合治外法権が列強諸国との間にまだ生きており、外国人に対し自国の法律で裁判を行う事が出来ずにいました。ただマリア・ルス号の船籍であるペルーとはこの時まだ二国間条約は結ばれていなかったので必ずしもこの治外法権の適用対象ではなかったのですが、それまで全く国際裁判というものを経験していないこともあって結局はこの引渡し要求に日本側も応じてしまいました。

 しかしこの日本側の処置に対して当時のイギリス公使のワトソンは納得せず、本人が行ったかどうかまでは分かりませんがマリア・ルス号に事実関係を確かめに行きました。するとそこでは日本側から引き渡された逃げてきた清国人が壮絶なリンチを受けており、ワトソンはすぐに副島に対して船長を再度審問するべきだと勧告しました。
 これを受けて当初は弱気だった副島も敢然と行動を行うようになり、直ちにマリア・ルス号の出航を停止させると清国人を解放するための法手続きに着手しました。もちろんこうした副島の動きにマリア・ルス号側黙っておらず、彼ら清国人はあくまで移民契約を受けた者たちだと主張するも、日本側はその移民契約は実質奴隷契約であり人道上放置する事は出来ないとして日本国内の裁判で互いに争いました。

 その裁判の途中、マリア・ルス号側のイギリス人弁護士がこんな主張をしてきました。

「日本が奴隷契約が無効であるというなら、日本においてもっとも酷い奴隷契約が有効に認められて、悲惨な生活をなしつつあるではないか。それは遊女の約定である」(ウィキペディアの記述を引用)

 これは当時の日本で行われていた遊女契約、要は若い女性の身売りは人身売買であり、そのような現実を放置している日本が奴隷契約にあれこれ言うのはおかしいと主張してきたわけです。言われてみると確かにその通りなのですが、これに対して日本側はすぐに動き、実質的にはその後もあまり変わらなかったと思いますが「芸娼妓解放令」という建前ではこれを禁止する法律を出してマリア・ルス号側の主張の突き崩しにはかりました。

 最終的には日本国内の裁判という事もあり、マリア・ルス号に乗船していた清国人は皆解放されて帰国を果たす事が出来ました。しかしこれに船籍のペルー側は納得せず翌年には損害賠償を日本政府に請求してきましたが、ロシア帝国を仲立ちとした国際仲裁裁判にて当時のロシア皇帝アレクサンドル2世は日本側の取った行動は国際法上妥当なものとしてペルー側の主張を退けました。
 この事件は日本が初めて直面した国際裁判であり、この時に取った日本の人道的処置は当時の列強諸国からも高い評価を受けて後の不平等条約改正につながったとまで言われており、私としても百年以上前の先人の人道的判断とその処置は全く汚点の付け所のない、素晴らしい功績だったと胸を張って言うことが出来ます。

 実はこのマリア・ルス号事件は前々から取り上げようと考えていた事件で、まずもって現在の中国人でこの事件のことを知っている人間はいないであろうことから、昔の日本と中国を結ぶエピソードとして両国の相手感情を少しでも良くする為に広く日本人、中国人に知らしめる必要があると考えていました。
 そんな風に考えていた矢先、今月の文芸春秋にて書道家の石川九楊氏が「現代政治家 文字に品格を問う」という記事を寄稿しており、その中で書道家として石川氏がその著作にて大きく取り上げた副島種臣について触れているのを見て、なかなかにタイムリーだと思って今日書くことになりました。

 なおその記事にて石川氏が言うには、副島の書にはその時期ごとに変化があり、明治政府設立直後の書は一画一画に力こぶの入った闘争心溢れる書であったところ、外務卿に就任後は自らを鼓舞させるような速度のある書に変わり、副島が征韓論に敗れて明治政府を下野してからは急いでいるような筆の運びに回転が強まった書になっているそうです。今ちょっと触れましたが、副島は西郷隆盛らとともに征韓論を主張して敗れた後は下野し、その後しばらく中国に渡って滞在しております。その中国滞在中に西南戦争が起こり、西郷、大久保、木戸の維新三傑が皆没し、そのような仲間がいなくなってゆ中ゆえの焦りが書に出たのではないかと解説されております。

 そしてそれ以後の副島は板垣退助らの自由民権運動に当初は参加するも途中で離れ、まるで何かに抵抗する意思が現れるかのように文字形の崩れた書になり、字の構築性も失われていったそうです。更にそれから時が流れ1981年以降からはまるで自らの挫折した政治の理想が書にも現れ、これ以降から副島は卓抜した作品を残すようになっていったそうです。まぁその後、また政府に戻って内務大臣とかも歴任しているんだけどね。

  参考文献
・教科書が教えない歴史(産経新聞社)
・文芸春秋 2009年11月号(文芸春秋社)

鳩山政権のこの一ヶ月

 ちょっと政治記事からこのところ離れているので、発足から一ヶ月経った事もあり鳩山政権のこの一ヶ月について一本軽くまとめておこうと思います。

 まず結論から言えば、この一ヶ月は可もなく不可もなくといったところでしょう。鳩山首相はあちこちに外遊なりレセプションなりに出席するなりで露出が非常に多いですが、政権が変わったことを見せる上ではこれは悪い事だとは思いません。また外遊、特にアメリカへの訪問については産経を初めとして、アメリカ海軍基地の沖縄からグァム移転について何の言及もなかったなどと激しく非難されていますが、これについては私自身はあまり問題視しておりません。というのもそもそもこの問題は自民党が与党だった頃にもなかなか解決が付かなかった、いわば放置されてきた感のある問題で、それを発足間もない民主党政権に協議させるのはちょっと酷かと思います。協議が進むに越した事はありませんが。

 こうした外交に対して、内政については評価のはっきり別れる点がいくつかあります。
 まず国民にとって一番影響のあるであろう予算の見直し問題で、今年度自民党がまとめた補正予算のうち必要のないものを執行停止して確か4兆円をかき出して公約に掲げた政策に使うとしてきましたが、現時点では目標額には達成せず、一時赤字国債を新たに発行するべきかと議論されたことが報道されていました。これについてははっきりと批判した橋本大阪府知事同様に私も同意できず、赤字国債を発行するくらいならそもそも各社の調査で高速道路原則無料化には国民の過半数が反対しているのだから、無理に公約に掲げた政策を実現しようと無駄な出費を作らない方がいいと思います。

 また同じ予算の編成問題でいわゆるエコ減税、エコポイントを継続するべきかどうかで民主党内にて意見が分かれたと報じられていましたが、これについては私は即刻廃止してもかまわないと考えております。というのもちょっと前に参加した武田邦彦氏の講演会にて武田氏が、エコポイントというのは環境によい商品を購入した人への補助と喧伝されているが実際には何のことはなくただの消費加速政策で、大型テレビなどを購入した人間に国民全体から巻き上げた税金を配っているに過ぎないと激しく批判しておりました。私もこの政策は一見するとさも全体の公益のために行われているように見えますが、配られるエコポイントの原資が税金である事を考えると結局は消費の出来る層への資本移動にしかなっていないのかと思え、あまりこの政策を支持する気にはなりません。大体環境に貢献しようってんなら、そもそも家電を使わなければいいだけの話しだし。私の友人なんか、一人暮らしの学生時代に電子レンジも冷蔵庫も持たなかったのだし。

 加えて同じ内政においては、前原国土交通省のスタンドプレー振りが目立った一ヶ月でした。
 私も記事にした八ツ場ダム問題に始まりつい先週まで揉めに揉めてたハブ空港問題など、やや呆れる手際がいくつか見られました。八ツ場ダムについては初めから民主党が公約にて建設中止を謳っていて私もダム建設から来る府の影響を考慮すると今回の民主党の処置を支持しますが、唯一突っ込むところとしてこの八ツ場ダム建設地を含む選挙区に先の選挙で民主党が候補を出さなかった事です。難しい判断だとは思いますが。

 その八ツ場ダムに対して羽田、成田、関空の国際ハブ空港化についての前原大臣の対応はいろんな意味で私をがっかりさせました。私は生憎航空行政については詳しくなくてこのハブ空港はどこが適しているかについては意見を持っていませんが、橋本府知事との会談にてなんの根回しなく突然羽田のハブ化を口にした上、その上具体的なビジョンが未だに国民に見えてこないというのは個人的に不満です。あまり分かってないで言うのもなんですが、私は旧自民党政権が中部空港や神戸空港などあまり再三の見込めない地方空港を片っ端から作っていった姿勢には大きな方向性が見えてこず、今後航空行政はなにかしら方向性を持って進めるべきだとは考えていましたが、今一体民主党政権がどのような方向性を持って航空行政を整理しようというのか、全く見えてきません。その中で羽田のハブ化が急に出てきて、それでいて現在国際路線を担当している成田の処遇についてもよく分からず、しかもその発信源が大臣の本来関係ない場面での一言からというのはあまり誉められたものではありません。

 この前原大臣は以前から威勢が良過ぎるところがあって顔もイケメンなのに玉に瑕だと見ていましたが、それが未だに修正されていないのではないかと思わせる発言、行動振りでした。特に前原大臣は以前の民主党代表時代に故永田寿康氏の偽メール事件での国会での追及を周りとの相談なしにGOサインを出した前歴があり、今後この点に改善がなければいつかまたとんでもない舌禍失言をしでかすのではないかと他人事ながら心配になります。

2009年10月17日土曜日

北京留学記~その十六、李尚民

 この北京留学記もこれでもう十六回目、といっても一回番号振り間違えてダブっている回もあるのですがそれは置いといて、ようやく内容も充実してくる場面にまで持ってくることが出来ました。
 本日からある意味この体験記の核心部分とも言うべき、留学中に私が出会った人達の証言やエピソードを紹介していきます。何度も言いますが私の留学した北京語言大学というのは外国人に中国語を教えるために作られた大学で、カリキュラムや受け入れ態勢も各国ごとにある程度整えられている事からそれこそ世界中から中国語を学ぼうという学生が集まるゆえに非常に国際色豊かなキャンパスでした。そのような環境ゆえに中国人に限らず様々な国の人間と留学中に私は交流することができ、今も胸を張って大きな財産だといえる経験をこの時期に得ることが出来ました。今後この留学記ではしばらく、そんな留学中に出会った人達のエピソードを紹介していきます。

 そんな大層な前フリから始まった今日の第一発目の紹介人物ですが、題につけた名前からもわかる通りに韓国人男性で、この漢字での中国語の発音は「リーシャオミン」を今日は紹介します。この李尚民は私と同じくらいの年齢で確か当時二十歳くらいで、私と共に一年間一緒に同じクラスで勉強した同級生でした。私のクラスに居た韓国人は彼以外にも数人の女子学生とシーナンジャオという名の男子学生もいたのですが、彼らは李尚民と違って全期ではなく半期だけの留学で帰っていってしまいました。

 もののついでですから先にシーナンジャオについて軽く説明しておきますが、彼は韓国国内にて既に徴兵を終えてから留学に来ており、夏場の暑い時期に彼の薄着姿を見ましたがやはり一般の日本人男性と比べてもがっしりとした体格でした。ちなみに留学中の韓国人男性を徴兵済みかどうかを見分ける一つの指標として、徴兵終了時に記念品として配られるタオルを持っているかどうかというのが最も簡単な方法でした。

 話は李尚民に戻ります。彼はこう言っては何ですが韓国人男性にしては珍しく非常に大人しい性格でした。授業の出席率も高くて宿題もちゃんとやってきて、よくサボっていた前述のシーナンジャオとは本当に正反対でした。
 それゆえか私も留学中には隣のタイ人の女の子とばかり世間話をしていたものだから、李尚民とはそれほど頻繁に話すことはありませんでした。ただ幾度か互いに一人の時にばったり会っては長々話をしたことがあり、今回ここで紹介するのは主にそのような場面での会話です。

 まず一番最初に思い出されるのは冬休みの間、食事のために食堂に行ったらそこでばったり会った時の話です。それまでにあまり世間話をなどをした事ない二人ゆえに、お互いに無難に互いの国の知っている人間の話題をこの時しました。
 まず最初に切り出してきたのは李尚民からで、「ねぇ、韓国人で誰か知っている人がいる?」と言い、私が口を開く間もなく続けて、「ヨンサマ?」と聞いてきました。やっぱり韓国人も当時のヨン様ブームの事を自認していたようです。この李尚民の問いかけに私も、そりゃあ彼は有名人だからねと頷きながら続けて、「あと金正日もよく知っているよ」と言った際、私だけかもしれませんがちょっと興味深い返答が返ってきました。
「なんで、金正日が嫌いなの?」

 韓国人は支持政党によってかなり考えに隔たりがあると聞きますが、私はこの時に彼の家は北朝鮮寄りの家なのではないかと思いました。というのも日本人の間ではわざわざ金正日が嫌いな理由を尋ねたりすることはなく独裁国家の大悪人で一致していますが、韓国では国境が接しているためか北朝鮮に対する意識が大きく二分されており、言うなれば殲滅派と和平派で両極端だそうです。この時の李尚民の問いかけからは北朝鮮に対する嫌悪感や憎悪といった感情は微塵も感じられず、あくまで私の直感ですが前韓国政権のようないわゆる和平派なのではないかと推測しました。
 しかしこんなことを腹の中で考えてはいるもののまさか正直に、「君は北朝鮮寄りなのかね?」などと言えるわけもなく、ひとまず話を適当に流そうと思って、「あの髪形はないでしょ」と冗談言って流しました。

 その後はソニン、ユンソナ、小泉純一郎と有名人を挙げていき、ゲームの話題に映ったところで韓国でも日本のゲームは結構普及している教えてくれ、彼自身もサッカーゲームの「ウィニングイレブン」をよくやったと言っていました。また同じゲームの話題だとこちらは授業中のやり取りで出てきた話ですが、なんでも彼が子供の頃は周りの友達にはみんな親からパソコンを買ってもらっていたのに彼の親は厳しくて買ってくれず、周りがパソコン使ってゲームをやっていたのがうらやましかったとも言っていました。

 そんな李尚民と最後にゆっくりと話をしたのは一年間の留学生活を終えて帰国する前に行ったクラス打ち上げ前で、お互いに律儀なもんだから待ち合わせ場所に早くから来て他の同級生が来るまで二人でいろいろ話しました。ちょうどその打ち上げ前にHSKという中国政府が行う中国語能力検定をどちらも受けており、その成績についての話題がまず最初に出てきました。このHSKというテストは取った成績によって一級から八級まで成績分けされ、八級が最も良い成績なのですが私も李尚民も七級を取得していました。
 私はこの成績で満足していたのですが李尚民は周りには納得しているといいつつも、八級を取得すれば韓国政府、もしくは大学から奨学金がもらえたらしくて、内心では八級を狙っていたので少し残念だったと話していました。

 そんなHSKの話の後、最後なのだから思い切ってきわどい事を聞いてみようと徴兵にはもう行ったのかと訪ねてみたのですが、なんでも彼は以前に中学校か高校の部活中に足を怪我してしまい、そのせいで徴兵検査に落ちて徴兵が免除されていたそうです。韓国では徴兵に行かねば立派な成人男性と見られない風潮があると別の人から聞いたことがあるのですが李尚民としてもやはりその様で、徴兵免除を受けた際には非常に落ち込んだそうです。しかしその後、実際に徴兵に行った彼の友人らから軍隊生活の過酷さを聞くにつけて自分はラッキーだったと思うようになり、今はもうあまり気にしていないと話していました。

 以前の記事でも書きましたが、中国の大学において韓国人留学生は人数も多いことからしばしば集団的に粗野になりがちになります。実際に寮内で夜中まで騒ぐ韓国人学生を何度か私も目撃しており、中国国内でも以前に大きな問題として挙げられた事までありました。そんな中でこの李尚民は非常に穏やかで礼儀正しく、ちょっと気の弱そうなところをのぞけば本当にいいクラスメートでした。ただ唯一彼に対して私が残念だったのは、私の十八番である北朝鮮の女子アナの物真似で彼を一度も爆笑に追い込めなかったことでした。愛想笑いはしてくれたけどさ(つД`)

2009年10月16日金曜日

文章表現における波

 私は私生活でもそうですが、文章表現においても調子のいい時もあれば悪い時もあって割りと激しく表現方法や技術が変わっていくタイプです。最近でも今月に入ってやや持ち直してきたものの、先月九月のこのブログの記事を読み返すと自分でも唖然とするような呆れた表現をかましており、ようやく気が付いた時点から今日までに慌てて軌道修正に取り組んでいました。

 特に一番ひどかったのは同じ表現の繰り返しで、一行目に使った表現をすぐ下の二行目でも使い回している事が多く、自分で気づいた中で挙げると先月の記事では「もっとも~」と「非常に~」という言い回しが異常に多くて激しい自己嫌悪に陥りました。ちなみにここでワンポイントアドバイスをすると、文章を書く際には一度使った表現を何度も使うよりは同じ意味でも別の語を使った方が見栄えが格段によくなります。一例を挙げると何かが大きい事を強調する表現でも、「とても」を使った後には「遥かに」を使い、そのまた後には「比較にならないほど」という具合に、前後の文章のリズムに合わせて選んでいければいいと思います。

 では何故九月にそれほど同じ表現の繰り返しが起こったのかとこの前自分で分析したのですが、一つにはこのところ私生活で堅い英文を作成する機会が増え、主語を強調して文章を書かなければならないという意識が強まったせいではないかと考えました。英文は主語と動詞を中心に据えてすべての文章を組み立てるので、英文ばかり書いていると一番最初に主語を持ってきてその後に動詞、でもって副詞で埋めてく作業が多くなってしまい、その意識が主語が曖昧なままでもなんとかなる日本語文章にまで来てしまうと全体のリズム感が悪くなり、表現においても分かっていながら窮して使い回しをやることが増えてしまいました。

 とはいえ九月以前もこのブログでは主語を強調した文章表現が目立つと思いますが、それらについてはあまり問題はないと私は考えております。ちょうど今使ったように、何か政治や社会問題に対する自分の意見を書く際にはそれが誰の意見かということを明示するに越したことはなく、本来なら無主語の意見は私の意見で当たり前に読んでくれるだろうと言いたいところですが、他の専門家や学者の意見を引用して織り交ぜるとなると書いてる自分はよくても読んでる側からすると混同するかもしれないし、責任感を持って自分の意見、立場を書く場合ははっきりと「私は~」という風に敢えて明示するようにしております。

 こんな具合でこの記事では自分の文章表現をやや卑下して書いてはいるものの、普段の私はという逆に自信過剰な性格でよく家族や友人に対して、「自分ほど文章を器用にかつ大量に書く人間となると、同世代にはほとんどいないだろう(・∀・)」、などと言ってはよく顰蹙を買っております。そんな自分でも、ここ数ヶ月の自分の表現力の低迷振りにはほとほと落ち込まされました。

 特に一番自分を落ち込ませたのは、なんと過去に書いた自分の記事でした。これは自他共にはっきりと認め合っている事ですが、このブログにおける私の全盛期と呼べるのはちょうど去年の9月頃で、カテゴリーにも設けてある「文化大革命とは」の記事を連載している頃でした。実は最近になってまたコアな新しい読者ができたのか、FC2の出張所の方にて何故だか昔の記事に拍手が増えているのですがその中で、「文化大革命とは~その五、毛沢東思想~」の記事も拍手を受けていたので何の気なしに読み返してみたところ、口語が頻繁に織り交ぜられていて見る人にとっては噴飯ものかもしれませんが、書かれている内容レベルもさることながらその読み易さに舌を巻きました。

 この文革の記事を書いた頃よりも最近は閲覧者数も増え、本店では約100人弱、出張所の方では50人弱の方が毎日見に来られるようになり、多少恥ずかしくないように去年より砕けた表現を抑えるようにしています、顔文字は増えたけど。ただ元々私は硬い文章を出来るだけ砕けた表現で読み易くすることに重点を置いて技術を磨いてきたので、今でも砕けた表現が多いですがやっぱり以前くらいのレベルに戻すべきかなと今ちょっと悩んでいます。

 それにしても自分の文章表現についてもこれだけ長々書けるのだから、つくづく自分は文章書くのが好きなんだと思い知らされます。さっきの記事に続きますけど、水野晴郎ばりに本当に文章っていいものですねと、作文書くのが嫌いな小中高生に声を大にして伝えたいです。

楽天、クライマックスシリーズ初勝利について

楽天打線爆発、岩隈完投!CS第2S進出に王手(サンケイスポーツ)

 つい先ほど試合が終了しましたが、パリーグクライマックスシリーズ第一戦の楽天VSソフトバンク戦にて、シーズン成績二位だった楽天が地元仙台にて見事クライマックスシリーズ初出場、及び初勝利を挙げて第一ステージ突破に王手をかけました。
 こんな記事を書いておきながら私は実はソフトバンクのファンなのですが、今期の楽天の快進撃に加え球団創設からこれまでの五年間の苦難の時代を考えると、今日の楽天の勝利には思わず目が潤まされました(ノД`)

 そんな今日の試合、やはり決め手となったのは楽天の一番高須選手の先頭打者ホームランに尽きるでしょう。ソフトバンクのエースにとどまらず松坂、岩隈、ダルビッシュに続く「第四の男」とWBCにて称され、そのWBCでも大活躍した上に今シーズンでも奪三振王のタイトルを獲得した杉内投手が今日のソフトバンクの先発でしたが、まさかまさかでいきなり先頭打者ホームランを打たれ、さらには同じ回にてまたもセギノール選手にホームランを打たれて三回七失点でKOされるなんて試合前には誰も想像だにしなかったでしょう。私も今日の先発が岩隈投手、杉内投手となることから息詰まる投手戦かと思っていたところ、終わってみれば両チームで合計15点を取るハイスコアなゲームでした。

 その杉内投手に対して楽天の岩隈投手は4回にて味方のまずい守備もあって4失点をするも、その後は尻上がりに調子を上げて7回と8回では三振を含めた三者凡退に抑えるなど見ていて圧巻のピッチングでした。さすが仙台の理想のお父さん、決めるところはきちんと決めてくる。

 ただ個人的に私が今日の試合で私が一番胸に来たのは、7回の楽天の攻撃における山崎武選手のホームランでした。シーズン後半に調子を落としていた事からクライマックスシリーズでも活躍が危ぶまれていたものの、それこそ目の覚めるような高度のあるホームランを決めてこの試合の勝利を決定づけました。楽天入団直前まですでに過去の選手のような扱いをされていたあの山崎選手が、こうしてポストシーズンの試合にて4番を務めるその姿を見るにつけなんともいえない、本当によかったという感情がぐっとこみ上がってきました。

 明日はソフトバンクキラーの異名を取るマー君こと田中選手が先発として登板する予定ですが、ソフトバンクも好きだけど楽天も好きな私からすれば、ちょっと悩ましいところですがやっぱり明日も楽天に勝ってもらいたいです。
 故水野晴郎氏ではないですが、今日の試合は野球って本当にいいものですねと言いたくなる試合でした。明日は昼間から第二戦が始まりますが、全力でテレビにて観戦させてもらおうと思います。あとセリーグでもヤクルトVS中日戦が夜に行われますが、世界中のどの球団よりも私は中日が嫌いなのでヤクルトには是非奮起していただきたいと思います。( ゚∀゚)=◯)`Д゚)・;'

2009年10月15日木曜日

太郎さんは何故流行らなかったのか

 この前友人と会った際にこのブログのことを話し、以前に書いた記事で「花子さんの評価が逆転する時」のことで少し盛り上がりました。この記事の内容は中身を読んでもらえば分かりますが、私が小学生の頃には恐怖の対象でしかなかった花子さんが最近ではいつの間にか漫画で萌えキャラ化しており、随分と時代が変わってしまったものだと思ったことが書かれています。ちなみにその友人、というか某K君は小学生の頃に入院した際にこの花子さんの怪談が恐くてなかなか病院のトイレに入れなかったそうです。

 そんな花子さんですが前回の記事のコメント欄にも書いてある通りに、花子さんにはパートナーに当たるような「太郎さん」という男の子の怪談キャラがおり、基本的には花子さんの男の子バージョンとして私が子供だった頃に怪談話で噂されていました。この太郎さんというのは登場の仕方からやることまで花子さんと全く同じで、唯一違っていたのが花子さんが女子トイレに現れるのに対して太郎さんは男子トイレに現れるという設定だけだったのですが、不思議な事に花子さんが日本怪談業界において圧倒的な知名度と迫力を持っていたのに対してこちらは全然恐がられもせず、取り上げられる回数も花子さんとでは天と地ほどの差がありました。

 K君と話した際にもこの太郎さんの話題が出てきたのですが、その時に二人でどうして太郎さんは流行らなかったのか、何がいけなかったのかといろいろと議論してみたのですが、その結果太郎さんの失敗要因が下記の通りにいくつか浮かび上がってきました。
 まず花子さんが個室トイレしかない女子トイレに現れるのに対して、小便用トイレもある男子トイレに修験するという事がそもそもの失敗だったと二人で一致しました。女子の場合はトイレに入るとなると必ず個室に入らないといけないのに対し、男子は逆に個室に入らず小便用トイレを使う頻度の方が圧倒的に高いため、個室にて潜むという太郎さんのシチュエーションがいまいちリアリティに欠けたのではないかと我々は考えました。

 こうした男女のトイレの構造の違いに加え、小学生の男子が個室トイレに入るという大きな大きな意味に比べると太郎さんの存在は非常に小さかったのではというの大きな原因だという意見が出てきました。

 かつて私がどこかでみた評論にて、「小学生の男子が排泄のために個室トイレに入るという事は、イスラム教徒が豚肉を食べるに等しいタブー行為である」と評した人がいましたが、現実はまさにその通りでした。これは男性の方ならみんな分かってくれると思いますが、小学生の中学年くらいに至ると男子が個室トイレに入ろうものならすぐさまみんなからバイ菌扱いされ、どれだけそれ以前にクラスで権力を持っていようが一瞬で吹き飛んでしまいます。そのためたとえ学校で用を足したくともみんな家に帰るまで必死で我慢をして、最終的にこらえ切れなかった者は授業中に、「先生、トイレ行って来ていいですか?」と言って緊急避難を行い、ここまで我慢した者については周りも深くは追求しないというのが暗黙のルールとなっておりました。ちなみに私は、一般の児童がまず入ってこない教員用トイレを使う事で自らの権威を保っておりました。

 こうした日本の小学生男子が抱える構造的問題から、そもそも男子トイレでノックをするという行為は当時においてまずありえなかったと私は考えています。というのもどうしても学校で用を足そうものなら絶対に同級生にトイレに入るところを目撃されてはならず、それこそ完全な隠密ミッションで事を果たさなければなりません。ですので仮に個室トイレに先客がいても絶対にノックなどせず、その個室の住人にすら知られぬように別のトイレに向かうのが常でした。

 こうしたことから三回ノックをして太郎さんが出てくるというシチュエーションがまず小学校ではありえなかったことが、太郎さんが流行らなかった最大の原因だったのではないかという結論に落ち着きました。
 むしろ私はトイレのドアを三回ノックするより、男子が小便用トイレを使用していると勝手に後ろの個室トイレから現れていろんなところに引きずり込んだり首を絞めたりする、という風に伝わっていればそれなりにリアリティがあってまだ流行ったんじゃないかと思います。結局のところ太郎さんは、小学生男子が持つ個室トイレのタブーに勝てなかったということになるわけです。あしがらず。

2009年10月14日水曜日

武田邦彦氏の講演会にて

 去年の五月にも行きましたが、平日にもかかわらず本日某所にて行われた中部大学の武田邦彦教授の講演会に参加してきました。ついさっき帰ってきたもんだから、今ちょっと疲労気味です。
 武田邦彦氏についてはもうあまり説明の必要はないと思われますが、世の中の環境問題のほとんどすべては嘘だとはっきりと断言してはよく議論の的になってきた人物で、私は武田氏の著書である「何故環境問題にウソがまかり通るのか」を読んでその筋道だった説明と解説に惹かれ、環境問題については武田氏の意見の方を現在では支持しております。

 そういう前置きはひとまず置いといて、早速今日の講演会で聞いてきた内容を一部抜粋して説明いたします。
 まず最初に武田氏が私から見て如何にも勝ち誇ったかのように主張していたのが、海水面上昇の話です。NHKを筆頭として温暖化の進行とともに北極、南極の氷が解けることによって海水面が上昇して地表の多くが水没するという説に対して、武田氏は約二年位前の初登場時より真っ向から否定していました。原理についてはいろんな本で武田氏も説明しているので割愛しますが、こうした武田氏らの活動が実ったのか、こんなあからさまな嘘を最近はどこも報道しなくなったと力強く言っていました。実際に私の感覚からしても数年前まであちらこちらで水没、水没といっていたのに、この一年間はそういった話をとんと聞かなくなったように思えます。

 こうした海水面上昇など、環境問題に関する報道の大半は嘘が多いという話から始まって武田氏を一躍有名人にした「ダイオキシンは無害だ」という主張についてあれこれ話していましたが、こちらも具体的な内容は武田氏の著作に書かれているのでここでは割愛します。ただこのダイオキシンは無害だと主張したことについて、初めてメディアでこの内容を主張したのをフジテレビであったことを紹介し、当時にフジテレビ内でも内容が内容だけに放送前に局内でいろいろと議論があったそうなのですが、最終的には当時のフジテレビの専務が武田氏に会い、

「我々は真実を報道します」

 と言って、放送を決断したそうです。
 結果はやはり、「そんな適当な事を言うな!」などと沢山の批判がフジテレビに寄せられたそうですが、このエピソードから武田氏はNHKを散々批判するのと打って変わってフジテレビはしっかりしているなどとべた褒めしていました。なお武田氏によると、高分子を300℃から400℃で焼いて煙を出すというダイオキシンを発生させるのに最も適した条件というのは実は焼き鳥屋らしく、そのために最初に毒性を否定する記事の題には、「焼き鳥屋は何故死なないのか」を採用したそうです。

 このほかエコポイントの欺瞞性などについてもあれこれ語っていたのですがそちらはまた今度にするとして、最後の質問時間にあまりほかから手が上がらなかったので私自らこのような質問をして見ました。

「日本の将来のエネルギー事情を考える上で、私は今後はどうしても原発に頼らざるを得ないと考えております。しかし原発事故の危険性はもとより、原子力発電によって無害化するまでに膨大な時間のかかる核廃棄物などが生まれる事を考えると、自分たちの世代がよりいい思いをするために将来の世代に負の遺産を残してしまうのではないかと思い、果たして本当に原発に頼っていいものかと考えてしまいます。その点について、武田先生はどのようにお考えでしょうか」

 この私の質問に対し、武田氏の返答は意外なものでした。
 まずいつもどおりに歯切れよく、原発というものは実際にはそれほど危険性はないと断言してきました。しかしそれでもなお危険性が心配されるのは、実は人災によるものだと答えました。

 核廃棄物については現状の技術、保管管理の方法でも限りなく無害化できるものの、その処理を巡って政府内で裏取引が平然と行われており、それらの技術が100%生かしきれていない現状があると武田氏は答えました。また発電所についても、日本で何が一番問題なのかといえば地震による倒壊のリスクだとして、2007年の新潟県中越地震で一部倒壊を起こした柏崎刈羽原発を例に取って説明してくれました。

 武田氏はこの発電所の建設にあたり日本で起こりうる地震としては非常に大きな部類にあたる400Galの二倍にあたる800Galに耐えられる設計で建設するべきだと主張したものの、政府の役人がどこかからかつれてきた地質学者、さすがに武田氏も温情を効かせて実名は明かしませんでしたが、その地質学者がこの地帯では250Gal以上の地震は起きないから250Galまで耐えられるレベルの建設でいいと主張し、結局それが委員会でまかり通ってしまったそうです。
 たださすがに東京電力が気を利かして400Galまで耐えられる設計で建設したものの、結局は新潟県中越地震の際には一部倒壊する事態となってしまいました。仮に250Galレベルの耐震設計では全壊もありえたと武田氏は述べ、地震後にその地質学者が何を言ったかというと、こんなレベルの地震を起こす断層があったとは分からなかった、と呆れる発言をしていたということを紹介していました。

 そもそもこのような地震リスクを避けるためには初めから大きな地震が起こらない断層の上で建設すればいいのに、そのような調査もほとんどなされていないと述べた上で、発電所の所長はそれこそ戦艦大和と殉じた艦長のように、世俗を超越した貴族のような人が行わなければならないと主張しました。原子力発電には沢山の組織や人間が複雑に絡み合った上で成り立っており、個人の利権やそういったものに全く左右されない人間でなければ所長は勤まらないとまで言っていました。

 その上で最初の話に戻りますが、様々な利権が絡んで裏取引も数多く行われており、原子力は安全に運用できるのにそのような人災によって危険性が付きまとってしまうと、「人災ゆえに技術ではどうにもならない」とまとめてくれました。この最後の一言が、私にとっては非常に印象深かったです。
 このような具合で、とても面白い講演会でした。残った話はまた折あらばご紹介します。

2009年10月13日火曜日

プラシーボ効果の効くもの、効かないもの

「薬の効果の八割はプラシーボ効果」

 こんな言葉をご存知でしょうか。この「プラシーボ効果」というものは「症状に対応する薬を飲んだ」という安心感というか自己意識のことで、飲んだ薬の効果以上にそういった心理的作用の方が体調の回復に寄与していると言われております。私が以前に見た実験では、車酔いしやすい人達に実際はただの栄養剤を酔い止めの薬として服用させてバスに乗せたところ、なんと八割がたの乗客がいつもより酔わなかったと回答していました。

 信じるものは救われるじゃありませんが、言われてみるとなんとなく薬の効果というものはそういうものなのかもしれないという気がします。しかしこの前にふとこのプラシーボについて考えてみたとき、先ほどの酔い止めのようにプラシーボ効果の出やすいものと出にくいものがあるのではないかと思いました。
 効果の出やすいものとして挙げられるのはまずは先ほどのような乗り物酔いに、あと私も先ほどまでダウンしていた頭痛とかで、逆に効果の出にくいものときたらと考えたときに出てきたのが、毛生え薬なんじゃないかと何故かすぐに思いつきました。

 私の周りでも毛の生えることを信じてあれこれ育毛剤を使っている人間を今まで見てきましたが、彼らのその切実な願いに対して思い通りに毛が生えてきた人はあまり見受けられませんでした。もしかしたら本当に生えるのかという不安もあるのかもしれませんが、こんな具合にプラシーボ効果の出やすいものと出にくいものを細かく分類していったら心理学的にも面白いんじゃないかと思います。

2009年10月12日月曜日

北京留学記~その十五、2006年ワールドカップ

 留学から帰国後、何故だか知り合いからよく聞かれた質問にこんなものがありました。

「Wカップに熱狂しすぎて、中国で何人か死んだんでしょ?」

 別にこのニュースを知らなかったわけではありませんでしたが、一体どんな風に日本で報道されていたのか気になるくらいの質問数でした。

 さてそんな2006年のWカップですが、当時実際に中国現地にいた私からすると確かに、そりゃ死ぬわなという程の熱狂振りでした。ここでちょっと解説しておくと一昔前まで中国で人気のスポーツときたらピンポンこと卓球でしたが、周りまわって現代では圧倒的とも言うほどサッカーの人気が一番高くなっております。そのサッカーに次いで特に若者の間で人気なのはバスケットボールで、アメリカのNBAにも中国人選手がいるという事もあって注目されております。

 話は戻って当時の現地での過熱振りですが、それこそ新聞の一面は毎日Wカップ関連で、試合の放送も深夜に放送されるリアルタイムでの放送と昼間での前日の試合分の再放送の二本立てで、熱心なファンともなると同じ試合を二度も見るほどでした。
 そうしたサッカーへの過熱ぶりは中国人に限らず、私の通っていた北京語言大学内も例外ではありませんでした。

 この連載記事で前述してあるように北京語言大学は欧米からの留学生が多い大学で、Wカップともなるとサッカー好きの彼らが黙っているわけなく、それこそまるでお祭りになったかのように学内はWカップで一食となりました。構内のカフェや売店前を通ると全部が全部Wカップの話題で、授業日でも休み時間になってはクラスメート同士で盛り上がり、中にはチョークで頬に即席で国旗ペイントまでし始める者までいました。
 そして、Wカップが始まる前から自分の中ではある程度予期はしていたものの、恐れていたことがある日にとうとう起きてしまいました。

(先生)「没有人……(誰もいない……)」

 その日の朝、授業開始時間になっても教室にいたのは自分と先生だけでした。
 というのもWカップが始まって以降、どの学生も夜中ずっと試合を見るために朝の授業をサボり始め、この時期はどのクラスでも学生が授業に来なくなっていました。私のいたクラスは先生と学生の信頼関係が強かったようで他のクラスよりは随分とマシだったそうですが、元からサボりまくっていたウクライナ人を筆頭に徐々にサボる人間が増え始め、とうとうその日には私と先生しか来なかった訳です。しょうがないから、二人で宿題の答え合わせをやったけど(ノД`)
 
 幸い二人きりだったのはその日だけで、その日も開始後二十分もしたら徐々に他の学生も来ましたが、この日以外だとWカップ期間中は平均して大体三、四人くらいしか授業開始時に集まっていませんでした。しかも来るのは決まってアジア勢で、欧米勢ともなると全休も少なくなかった程です。

 ついでにここで説明しておきますが、向こうでの授業は最低出席数さえ守れば進級できるので、日本人だろうと欧米人だろうと日本の大学同様にしょっちゅうサボってこなかったりします。それに対して私はやっぱり特殊で、日本の大学でも基本的にはほぼサボることなく何かしらの講演会などと重ならない限りは確実に授業に出席しており、留学中に至っては全日出席を見事達成しました。
 ただ一回だけリアルに寝坊して十時くらいに教室に入った事がありましたが、先生もクラスメートも私が毎日来ていることを知っているもんだから教室に入るや否や大笑いして、先生も、「何も言わなくてもわかってる。今日はたまたま遅刻したんだねヾ(^^ )」と言う始末でした。

 こうした状況に語言大学側も一応は注意するもののほとんど効果はなく、中には一限の授業に誰も来ないで終わってしまっていたクラスも珍しくなかったそうです。そんなことを先生が話していると、上記のように私の出席率が高いもんだからある学生が、

「うちのクラスには花園がいるから大丈夫だよ(*^▽^)/」

 と、言ってくれました。実際、自分でも自分がこのクラスの最後の砦なんだと意識してましたが。

 そんなWカップですが、語言大学の中で一番熱狂した集団となると欧米人ではなく、実は韓国人でした。
 語言大学のすぐ近くの五道口という地域は、成り立ちはよく分かりませんが結構にぎやかなコリアタウンとなっており、街中にはいたるところにハングル文字が書かれているだけでなく韓国料理屋も非常に多い場所です。そんな場所だからと言うべきか、そんな地域の近くに語言大学あるからというのか、この年のWカップ韓国初戦時ともなると大学の周辺地域は文字通り真っ赤に染まっていました。

 語言大学でも多数派を占める韓国人留学生らは揃いも揃って赤い衣装を身に付け、中にはまだ肌寒い時期だったのに真っ赤な、それもほとんどブラジャーのような服だけ着た韓国人女性も寒そうに歩いていました。それこそ一体どこにこれだけ潜んでいたかと思うくらいの韓国人学生が集結して、大学近くのビアガーデンでもあっという間に商品が売切れになったほどでした。

 おまけにその日の試合で韓国が見事勝ったもんだから、夜11時くらいなのにあちこちで、「テーハ、ミングっ!」の大合唱まで起こり、寮の中にいた自分にも外から聞こえてきました。周辺住民も迷惑だったろうな。
 さすがに二戦目のフランス戦は深夜の試合だったこともあって以前よりは落ち着いてはいましたが、それでも相変わらずの熱狂振りで韓国の同点ゴールの際には寮の中であろうと平気で大声で歓声を上げてきたために、寝ていた私も飛び起こされたほどでした。この日だけは、韓国人と相部屋になる日本人みんなが嫌韓になる理由がよくわかりました。

広島、長崎のオリンピック共同招致について

 この記事は友人よりの投稿記事です。コメントなど思うところがあればつけてあげてください。

  執筆者 SOFRAN

 昨日、10月11日、広島市の秋葉忠利市長と長崎市の田上富久市長は、広島市役所で記者会見し、2020年の夏季五輪招致を検討する「オリンピック検討招致委員会」を共同で設置すると発表しました。みなさんも新聞やテレビなどで取り上げられているのでご存じだとおもいます。この2020年広島長崎五輪招致構想について、様々な意見も出てきています。
 実は私はこのニュースを初めて聞いた際、軽い驚きを覚えました。なぜなら、陽月秘話10月6日付けの花園さんの記事にもコメントを寄せているのですが、たまたま先日の朝日新聞の声欄を読んでいたら、茨城県の牧師男性の方より、

「今回、東京は2016年のオリンピック開催都市に落選してしまったが、2020年は広島が候補地に立候補してはどうだろうか? もし、広島でオリンピックが開催されれば、それは核廃絶の大きなアピールとなりその流れを加速させることができる」

 との意見が紹介されていました。私も、これはグットアイデアだと思い、花園さんのブログに投稿して、その考えを聞いてみました。でもその時点でアイデアとしては面白いが、広島の都市規模で果たして可能なのかという疑問が沸いていたのも事実です。また花園さんの返信コメントにも、政治的要素が強すぎてしまうのではないかとありましたが、昨日、今日の新聞記事を読んでいると、そのような視点からの意見がやはりいくつかありました。

 ただ、広島、長崎でオリンピックを開催するということは、他の地方都市が同じ事を目指すのとは、全く違う意味がそこにあります。というのも、世界で2つしかない被爆都市であるということです。両都市が、オリンピックの招致を目指すというのは、前の石原慎太郎東京都知事が東京の招致を目指すというのとは全くバックボーンが異なると思います。

 2016年の東京オリンピック構想は、国民の支持・関心も低かったと思いますが、その原因はオリンピック開催の狙いが石原氏個人の政治的栄誉や公共事業による景気活性化という目的であったことが、国民に見透かされていたからだと私は解釈しています。それゆえに何故2016年に東京でオリンピックを開くのかという大義名分は初めから存在しなかったのではないでしょうか。その事が、今回落選した大きな原因だったと思います。

 そんな東京に対して広島、長崎の今回のオリンピック招致宣言では、核廃絶を実現したい、あるいはその流れを強めたいという思いがすでに打ち出されております。この構想は広島市の秋葉市長が長年温めてきたらしく、その考えを昨年9月に長崎市の田上市長に伝えていたそうです。また、2020年は、両市を中心に世界各都市が参加する平和市長会議が定めた核廃絶の期限だそうです。また新聞などで紹介されている市民の意見を読んでいると、概ね好意的に受け止められているようですが、中には、

「周囲の被爆者には、原爆のことで騒ぎ立てないでほしいという人も多い。核廃絶を訴えるのは大事だが、五輪招致と一致するのだろうか。」

 という慎重な意見もあります。また、多少記憶に間違いがあるかもしれませんが、「広島は静かに平和を祈る場。今でも、多くの被爆者の骨が埋まっており、最近の金儲け主義の五輪の姿と核廃絶の理念が一致するとは思えない。」という意見も拝見しました。こういう視点からの意見には、それも一理かと考えさせられますし、また、会場の確保や財政面での不安もやはりあげられます。

 しかし、私は、様々な障害があると思いますが、この2020年広島・長崎オリンピック構想を支持したいと思います。その根拠として、かなり強引ですが、近代オリンピックの創始者クーベルタンが述べたという有名なこの言葉を紹介したいと思います。
  その言葉というのは、「オリンピックで重要なのは勝つことではなく、参加することである」というものなのですが、残念ながらこの言葉は彼自身の言葉ではなく、英米両チームのあからさまな対立により険悪ムードだったロンドン大会で、主教が述べた戒めの言葉が元だそうで、それは、「オリンピックの理想は人間を作ること、つまり参加までの過程が大事であり、オリンピックに参加することは人と付き合うこと、すなわち世界平和の意味を含んでいる。」という意味だったそうです。

 草創期のオリンピックの原点に戻った、思いっきり質素なオリンピックを見てみたいです。

2009年10月11日日曜日

ストーリーを作るのが上手いと思う漫画家

 一つ前にあんな記事を書いておきながらこんな記事を書くのもアレですが、日本の漫画作品は絵柄やコマ割りの技術もさることながらその作品内のストーリーの奥深さ、面白さも海外から高く評価されております。以前に聞いた話だと欧米では漫画(コミック)はあくまで子供向けの内容であるのに対して日本の漫画は大人から子供まで、しかも真剣に考えさせられるような物が多いと評価されており、私自身もその通りだと考えております。

 何故日本の漫画がそれほどまでに高いストーリー性を持ったかというと、それはやはり漫画の神様こと手塚治虫氏の素晴らしい才能によるものだと思います。元々手塚氏自身が映画や演劇好きでストーリー作りに力を入れるタイプだったということもありますが、それ以上にあの奇想天外で重厚さを高く持つストーリーを自ら編み出してあれだけの作品に表現してのけたという手塚氏の才能にはほとほとため息が出るくらいで、私は手塚氏は恐らく漫画家にならなくとも、小説家や戯作家としても十分に成功したのではないかと見ています。その手塚氏の影響を日本のほぼすべての漫画は受けており、そうした事を考えるとストーリーがいいということがいい漫画の条件と早くから認識されていたのでしょう。

 そんな日本の漫画作品を私が読んでいて、それこそこのごろは全く本が売れない小説家も真っ青なストーリーを量産していく漫画家に出会う事も少なくありません。そこで今日は私から見てストーリー作りが上手いと思う漫画家を幾人かここで紹介しようと思います。

1、光原紳(代表作品「アウターゾーン」)
 私がストーリー作りをする際に今でも最も参考にするのが、この光原氏です。このアウターゾーンはもう大分古い漫画ですが基本は一話完結のショートストーリー形式で、様々な人間が現実から考えられない奇妙な体験をするという内容で、作者がホラー映画好きということもあって全体的にグロテスクな描写が多いものの教訓的なエピソードも多く、何よりこうした暗い作品にありがちなバッドエンドではなくハッピーエンドで終わるために読後感のよい作品ばかりでした。作者本人も単行本の中で述べていますが、読者の思いもよらない形で絶望的な状況からハッピーエンドに落とす事に苦心したそうで、それだけに話の展開の仕方、構成の作り方は今でも学ぶものが多いと感じさせられます。

2、八木教広(代表作品「クレイモア」)
 宗教画を思わせるような細い線で緻密に独特な絵を描く方ですが、それ以上に独特なのはストーリーの構成の仕方だと常々思わせられる方です。いちおう八木氏の代表作品としては「クレイモア」を挙げましたが、私はこれ以前の「エンジェル伝説」の方が好きで、あれほど腹を抱えて笑わせられた作品は未だかつてお目にかかったことがありません。この「エンジェル伝説」の具体的な内容を簡単に説明すると、主人公は非常に心優しい性格をしているも顔が物凄く怖いというありがちな設定の学園漫画なのですが、本当にありがちな設定なはずなのにどうしてあれだけ話を面白くできたのだろうか……。

3、岡本倫(代表作品「エルフェンリート」)
 現在この作者は「ノノノノ」という作品を連載しており、この漫画は目下のところ私が一番熱狂して読んでいる漫画なのですが、やはり岡本氏とくれば前作の「エルフェンリート」に尽きるでしょう。
 この作品は前にも一回取り上げた事がありますが、一見すると萌え系の漫画かと思わせられるようなかわいい絵柄ながらも内容はひたすらにグロテスクで、中には読んでトラウマになったという人もいるとかいないとか。実際に日本の漫画作品の中でもあれだけ暴力的、猟奇的描写に富んだ漫画となると「寄生獣」とか「ベルセルク」くらいなものなのですが、「エルフェンリート」の場合はそういう描写がなさそうな絵柄やキャラクターだけに読んでて受けるショックもひとしおです。この作品は話の中で多少ご都合主義的に初期のセリフと矛盾する点もあるのですが全体的には程よくまとまっており、ただグロテスクなだけでなく意外に考えさせられる内容から一気に読み切ってしまった作品でした。なお現在連載中の「ノノノノ」はグロテスクな描写はないものの、きちんとスキージャンプについて取材がされていてやはり大した作者だと思わせられるないようです。

4、楠桂(代表作品「鬼切丸」)
 これはちょっと自分でも考えちゃいましたが、この楠氏はデビュー作品の「八神くんの家庭の事情」の連載中にも言われていた通りにキャラクターの心理描写を描くのが非常に上手く、それが遺憾なく発揮させられたのが上記に挙げている「鬼切丸」です。この作品を説明するとなるとちょっと面倒ですが、要は人間が恨みつらみを持っちゃうと鬼になって鬼切丸という名の少年に片っ端から切り殺されていくという話なのですが、何がすごいかというと鬼になる人間(主に女性)が鬼になる過程に持つ嫉妬や恨みといった感情の描き方が鋭く、それこそ読んでいて、「これでどうして鬼にならずにおれようか」と思わせられるような内容ばかりでした。私はこの作品を連載が終了してから読みましたが、よくもあれだけの心理描写を毎週描いていたなと感心させられるストーリーでした。なお現在楠氏が連載中の「ガールズザウルス」についてはあまり評価しておりません。一応買って読んでるけど。


5、徳弘正也(代表作品「ジャングルの王者ターちゃん」)
 手塚治虫、水木しげる、さいとうたかをといった大御所を除いて、現役漫画家のなかで最もストーリー作りが上手い作者を挙げるとすれば、多少考える余地はあるものの私はこの徳弘氏を挙げるようにしております。徳弘氏とくれば代表作品に挙げた「ジャングルの王者ターちゃん」が一番知られていると思いますが、この作品も激しい格闘シーンの描写もさることながら、どれだけ緊迫したシーンの中にも一発で力が抜けるようなギャグを必ずちりばめ、非常にアクセルとブレーキの効いたストーリーがよく展開されております。特にギャグについては、よくぞこんなものを考えるなと思わせられるようなすさまじい下品さで、ウィキペディアにも書いてあるけどよくテレビアニメ化できたものだと感心させられるほどです。

 ただ徳弘氏はそうしたギャグセンスもさることながら本筋に重厚なテーマ性を持たせることも多く、「狂四郎2030」ではクローン社会について非常に示唆の富んだ世界観が作られており、文句なしの傑作だと私からも太鼓判を押させてもらいます。なおこの作品にて私が一番笑ったのは、主人公と仲違いして出て行った親友を遺伝子改造されて会話の出来ない女性が追いかけ、「あ、あ、あ!」と言うのに対し親友が、「よせよ。どうせ何も分からないくせに……」と言い捨てるや、「あ!」と言いながらミニチュアの船の「帆」を指差し、親友も、「すんません、言葉わかってるんですか?」と平伏するシーンでした。

柴田亜美氏の作品について

 自分くらいの年代の人間には、「南国少年パプワくん」の作者といえば覚えがあるかもしれませんが、この漫画の作者こそ今日のお題になっている漫画家の柴田亜美氏です。実はうちの姉がこの人の漫画の大ファンで、世に出ている作品であれば片っ端から買ってきていたので私も一通り読んできました。

 そんな柴田氏の漫画についてレビューがてら意見を書かせてもらうと、まず何よりも言いたいことはこの人は漫画家としては絶望的にストーリーを作るのが下手な人だという印象が強いということです。デビュー作の「パプワくん」にしろ「自由人HERO」にしろやたらと自分が過去に描いた別作品のキャラクターを登場させては世界観に矛盾を作り、結末も伏線を回収しきれずに終わることが多く、ひどいのになるとまとめきれず未完結で終わってしまっている作品も珍しくありません。

 それでもうちの姉のように熱狂的なファンが付く理由は何かとくれば、やはりその独特な絵柄と短いシーンの中で見せる絶妙のギャグセンスに尽きると思います。先ほど挙げた「自由人HERO」においては本編は途中からかなりグダグダになるものの、短編ギャグ作品の「バード~幸せの青い鳥」では各キャラクターの個性が見事に引き出されていて非常に面白い作品になっています。

 このようにストーリー製作に関わる漫画は途中から破綻をきたす事が多いのですが、逆に製作に関わらない取材レポート漫画においては遺憾なくその実力が発揮される事が多く、現在は連載を止めておりますが柴田氏はちょっと前まで長い間ゲーム誌の業界取材漫画を描いており、「Gセン場のアーミン」、「ドキばぐ」といったこれらの漫画は作者の個性も強いこともあってこれらは素直に面白いと思える作品です。個人的に一番笑ったのはスターオーシャン3の取材時の話で、いろいろ失敗ばかりしているトライエースの開発担当者を励ます漫画を描いたところ、入稿直前に発売延期が決まり、急遽オチとなる4ページ目が差し替えられた話でした。

 そんなもんだから私はかねてより、この人は原作者を付けて漫画を書かせたほうがいいのではともう十年位前から考えていたのですが、唯一と言っていいほど柴田氏の作品で非常に収まりがよかった漫画として私が進められるのは、「ジバクくん」という漫画です。この作品はアニメ化もされましたが、本当にこの人の漫画の中では唯一と言っていいほど初めから終わりまで一貫した世界観とストーリーで、話の折々に挿入されているギャグシーンも秀逸なものばかりです。アニメ版は多少結末が漫画版とは異なっておりますがこちらもとても面白く、よければまた再放送とかしてくれないかと一人願っています。

北京留学記~その十四、民主主義の導入

 留学中のある日、いつものように売店の前で新聞やら雑誌の品定めをしていると見出しにて、「民主主義建立」と書かれた新聞があるのをみつけました。時期的には確か2005年の十月頃で、一体何の事かと思って新聞を買って読んでみると、中国政府が中国国内において民主主義を成立させるための過程、目標を書いた政府文書を発表したということが報じられていました
 この中国政府が発表した文書を敢えて日本風に言うならば、「民主主義設立白書」といった物ですが、正直言って初めて見たときはノストラダムスの予言書みたいなものかと不謹慎ながら思ってしまいました。共産主義国家を堅持しつつ、ここ近年はさらに党の影響力を強めようとしている中国においてそんな文書が出るはずもない、という風に思われる方も少なくないかと思われますが、面白い事に中国政府は結構まじめにこの文書を作っていました。

 中国についていろいろと調べている方にとっては当たり前かもしれませんが、実際に国を運営している共産党幹部ですら現共産党体制のままではいずれは破綻すると、かなり大きな危機感を持っております。彼らは表では民主主義を否定して共産党主義による政治体制の優越を主張していますが、内心では如何にして民主主義の政治体制の移行できるかを考えていると言われております。
 だとすると何故そう考えているのにすぐに民主主義に移行しないのかといううと、結論からとっとと言えばソ連の崩壊があったからです。ソ連末期のゴルバチョフ政権は共産主義体制から情報公開など急激に民主化路背に舵を切ったためにバルト三国を皮切りにどんどんと領内で独立が相次いだ上、守旧派と革新派に分かれて最終的には崩壊し、その後十年近くに渡って国内で混乱状態が続きました。

 中国はこのソ連の経過を大きな反面教師としており、民主化に移行するにも急激にではなく穏やかに移行せねば国内が大きく混乱すると見越しており、そのため現在においても共産党主義を打ち出しているわけです。その一方で民主主義を徐々に広めていこうというのが上記の一般報告文書で、この中ではまだ全国の体制については言及はほとんどありませんでしたが、地方の民主化については積極的な内容が書かれていました。

 ちょうどこの新聞を買った日、私が注目したその記事がその晩のニュースでも取り上げられており、その中では政府の役人が中国の農村にてこの文書を説明し、「これからは自分達で自分達の指導者を決めるんだ」と話していました。
 実は今の中国で放置できないほど大きくなっている問題の一つに、地方首長の汚職があります。中国は広いので日本なんかより地方首長に大きな権限があり、地方の警察権から裁判権、果てには土地の強制収用権まで握っており、中には住民に無制限に税金を取り立てるうえに自分たちの都合のよい施設を建てるために住居民を追い出し、おまけにこういうものにつきものの賄賂まで横行しています。現在の胡錦濤政権になってからはこれらの汚職に対して厳しくはなり、年々検挙される地方幹部の数は増えてはいるものの、依然とまだ片付け切れていない問題として残っております。

 このような地方の首長も基本的には共産党支部内の指名で決まるのですが、こうしたものに対して恐らく中国政府は、こんな文書を作って説明するくらいなのだから徐々に選挙制度を導入して住民自らに首長を決めさせようというのが目下の目標なのだと私は見ています。日本の場合は国政選挙から選挙制度が広まった、言うなれば上から民主主義が徐々に広まっていきましたが、これに対して中国は下から民主主義を国内に広げようというのではないかと思われます。どちらにしろ、このような制度が中国で完成を見るまでに自分は生きていられるか、長い時間がかかるであろうことは予想に難くありません。

2009年10月10日土曜日

続、日本のスポーツ教育といじめ問題についての考察

 本当は昨日に書きたかったのですが、昨日にこんな目を疑うようなニュースありました。

「礼儀なってない」就寝中の下級生108人に正座 松江高専の寮(YAHOOニュース)

 上記にリンクを貼ったニュースの内容を簡単に説明すると、松江工業高等専門学校の寮にて就寝中の下級生108人が夜中に突然上級生4人に礼儀がなっていないということを理由にグラウンドに呼び出され、一時間半にも渡り正座やランニングを強制されたことが判明し、学校側は事実関係を認めた上級生4人に対して退学を勧告して全員そのまま自主退学し、また寮の各部屋への呼び出しを行った2年生7人にも停学処分を行ったということが報じられております。

 言葉が汚いですが、この事件で退学となった上級生らは頭がおかしいのでは、というのが最初にニュースを見た時の私の感想です。一体何の権限があって就寝中の下級生を呼び出してこんな意味のない制裁を課したのか、私が典型的な文化系の人間だからそんな風に思うのかもしれませんがどうあがいてもこんな事をしようとする人間の考え方が理解できません。しかも記事によると上級生らは後で脱いだそうですが当初は目出し帽のような覆面をしていたそうで、自分たちのやっている事が容認されるような行為ではないと自認している節すらあり、同情する余地が全く感じられないことから学校側が行った事実上の退学処分について私も適切であったと思います。

 それにしても、この事件は見れば見るほどに呆れさせられる事件です。呼び出しの理由が「礼儀がなっていない」だったそうですが、いくら上級生とはいえこんな事をしようとする人間にだけは礼儀を教わりたくはありません。それでも一体何故こんな理不尽でアホらしい事が計画され本当に実行されてしまったのかといえば、いわゆる日本型体育会系的縦社会組織の弊害に尽きると私は思います。私がここで長々というまでもなく日本の中学、高校の寮や運動部のほとんどでは礼儀、上下関係を教えるという名目の元に、上級生から下級生への理不尽な暴力、しごきが常態化していると言われております。

 この問題について私は以前に、「日本のスポーツ教育といじめ問題についての考察」という記事で取り上げたのですが、実はこの記事と「犯罪者の家族への社会的制裁について」の二本の記事は去年に書いた記事であるものの、FC2の出張所の方では現在に至ってもコンスタントに拍手ボタンが押されるだけでなく非公開でのコメントもいくつか受け付けており、あくまで小さいながらも書いた本人も驚くほどの息の長い反響を得ております。ただ驚くとは言っても、両方とも他の記事と比較して書いた際の力の入れ具合は大きかっただけに、評価していただけて非常にうれしく思っております。

 話を戻しますが、そんな教育的処置の名の下での上から下へのしごきと呼ばれるいじめについて、私は日本はもっと本格的に憂慮すべきだとかねがね思っていました。何故ならそうした組織的価値観が本来合理性を追求すべき企業、官公庁といった組織にも引き継がれ、日本全体の利益や幸福を大きく逸させていると考えており、なによりもこんな明らかに馬鹿馬鹿しい事をいつまでも続かせるべきではないと思っていたからです。

 そうした考えを、この前このブログの話が出たときに私の従兄弟に話す機会がありました。ちなみにその従兄弟は私と一番年齢が近い従兄弟ながらもうちのお袋が兄弟で末っ子で、なおかつ婚期が遅かったせいで十年も年齢が離れており、子供時代から今に至るまでよく可愛がってもらっています。
 実はその従兄弟、高校へは中学時代のバレー部での活躍からスカウトを受けて進学し、進学後には見事インターハイにまで出場している根っからの体育会系出身です。それだけに自分のこの考えにどのように反応するかとかねがね気になっていたのですが、まず部活内でのしごきは私も主張しているように何の練習効果もないとはっきり頷きました。しかし、それだったら直ちにそういったことは止めるべきじゃないかと続いて私が言った所、それには従兄弟は首を振ってこう言いました。

「しごきが明らかになんの練習にもならないとみんなも分かっているが、それでもしごきをした年代が試合で勝てば効果があることになってしまい、下の年代にも引き継がれていってしまう。また仮にある年代でそういったしごきを止めたところでその下の年代がそれを続けるかは分からないし、部活顧問が規制をしてもその顧問が辞めて新しくやってきた次の顧問になったらまた復活してしまう事もある。そんな感じでこういったしごきは常に順繰りに繰り返されたりするものなのだから、少なくとも絶対に止めさせることはできないんだよ。体育会系の世界ではそれが当然で、理屈なんてないんだ」

 実際にそういう世界にいた従兄弟なだけに、この返答は私にとって重みのある言葉でした。ただ話す時になにか憂いを含んでいるような態度があったように思え、気になって例の婚期の遅かったうちのお袋にこういうことを話したと言ったら、従兄弟の高校時代について教えてくれました。
 なんでも強豪と呼ばれた従兄弟の高校のバレー部でも他の類に漏れずいじめやしごきが激しく、あまりの仕打ちに高校一年生の時に従兄弟も寮を飛び出し、片道30キロほどの道のりを歩いて両親の実家まで夜中に逃げてきた事があったそうです。そんな経験から従兄弟らが三年生になった時、もうこんな事は止めようと同学年のチームメイトともに部活内改革を行っていたそうです。そうした経験があったからこそ、上記の言葉につながったのだと思います。

 そのような従兄弟の経験を考えると、やはりこういった部活内などのいじめやしごきを日本人が止める事は非常に難しいことなのでしょう。しかしほんの少しずつでもいいから、馬鹿馬鹿しい事だとみんなが自覚しあってこういったことを減らして行かねばと、所詮は文化系の理想論と言われるかもしれませんが私はこうしてブログにてこの問題を訴えつづけていこうと思います。

カープ、緒方選手の引退について

最後は三塁打!広島・緒方、引退試合に出場(YAHOOニュース)

 上記のニュースにある通り、私も大好きな選手の一人であるカープの緒方選手が本日引退試合に出場しました。
 緒方選手はトリプルスリーこそ達成していないながらも全盛期は走攻守がどれも備わった選手で、特に盗塁においては幾度か盗塁王を獲得しており元ヤクルトの古田選手に、「刺せたと思っても刺せなかったことのある唯一の選手」とまで言わしめております。現在でこそ盗塁を多く決められる選手と来たら阪神の赤星選手が代表的なように、走塁と守備を専らとして打撃は内野安打、セーフティバントのように小技を決めてくる印象がありますが、この緒方選手においてはホームラン数も非常に多くて年間30本塁打、打率三割も度々経験している強打者でもあり、近い選手と来て私が思い浮かべられるのは現役時代の真弓現阪神監督くらいです。あ、でも元横浜のローズ選手、鈴木尚典選手もこんなタイプだったか。

 元々広島というチームは私も以前に選手年鑑から選手の年齢構成を分析した事がありましたが、若手層とベテラン層が多くて中堅層の選手数が非常に少ない、他球団と比べてもややいびつなくびれ型の選手年齢の構成を持つチームです。この原因については初期の頃から若手を激しいトレーニングで鍛えて潰す一方、それを乗り越えたら鉄人衣笠、金本に代表されるように怪我に強くて選手寿命の長い選手が生まれるというタイガーマスクの虎の穴方式ではないかと推測してレポートにまでしましたが、この緒方選手もそのような長寿選手の一人で、プロ野球在勤の23年もの間広島のファンの方々に愛され続けました。

 そんな私が何で緒方選手が好きになったのかというと、ちょっとした偶然がきっかけでした。
 私が小学生だった頃、新聞屋から人気がないという事でもらったヤクルト対広島戦のチケットを携えて親父と一緒に観戦した際、試合中に突然うちの親父が急に動いて体を前のめりにするや飛んできたファールボールを見事にノーバウンドでキャッチしました。そのキャッチしたボールこそ、緒方選手の打ちもらした球でした。

 本来は返さなくてはいけないのかもしれませんがその後に球場係員がこなかったため、そのままそのボールを持ち帰る事にしました。今でも自分の部屋にそのボールは保管していますが、プロ野球で実際に使われたボールを放った選手という事でそれからは緒方選手の事をマークするようになり、往年の活躍を見るたびに他の贔屓にしている選手同様にうれしさを覚えていました。

 始まりがあれば終わりがあるというように、どれだけ好きな選手でも永遠とその活躍を見守る事はスポーツの世界ではありえません。ですがひと時の間でもすばらしいプレイを見せつけてファンを楽しませてくれ、その役目を果たし終えた引退選手たちには深い感謝と敬愛の念を私から送らせていただきます。

  今年の主だった引退選手
・江藤智選手(西武)
・緒方孝市選手(広島)
・小宮山悟選手(ロッテ)
・清水崇行選手(西武)
・立浪和義選手(中日)

2009年10月8日木曜日

中国の通史を学ぶ難しさ

 先日に中国語の恩師の許を訪問した際、久々にかなり通な話ができるという事で双方ともに飛ばし気味で中国に関する話をしてきました。中国や韓国は近くて遠い国だとよく言われますが、案外中国について細かいところまで分かる日本人は少ないのでなかなか気持ちのよい会話ができました。

 その時の恩師との話に出てきた話の一つに、中国の歴史についての話がありました。日本人がよく知っている中国の時代とくれば言わずもがなの三国志にて描かれている三国時代ですが、この時代以外の中国史となると途端に認知度は低くなってしまいます。それでもまだ「史記」に描かれる殷から周への易姓革命、春秋戦国時代、項羽と劉邦の漢楚興亡史までなら知っている人もいるのですが、はっきり言って三国時代以後ともなると中国史はもうほとんど何も知らないという方が大半なのではないかと思います。

 実際に三国時代の後に成立した晋王朝はすぐに滅び、その後いくつもの王朝が出来たり滅んだりした五胡十六国時代という私自身も細かく把握していないほど非常にややこしい時代に突入するので、三国時代から隋唐時代までのつながりが薄くなるのも仕方がない気がします。

 私は基本的に歴史というものは、前後のつながりがあるからこそ認知、把握が出来るものだと考えており、それが上記の例のようによく分かりにくい時代が間にあると途端に全体像が見えなくなって自然と記憶するのも難しくなると思います。特に中国においてはこの五胡十六国時代のほかにも唐と宋の間にある五代十国時代もあり、中国とそこそこ専門的に関わってきた私ですら未だになかなか全体像をつかむ事が出来ずにおります。

 更にこうした中国の歴史を学ぶ上で難しくさせているものとして、宋以後の通史を学ぶのに適当な本がないという理由も挙げられます。高校で教えられる世界史では欧米の歴史と交代に教えられる上に結構ややこしいところはすっ飛ばされているので言うまでもないのですが、目下のところ先ほどの史記、三国志、そして十八史略を除くと中国史を学ぶのに一般的な本や教科書というものはあまり多くありません。そうした学ぶ材料が少ないということも、中国の通史を学び辛くさせている要因だと、先生と共通の認識を持ったわけです。

 この際に先生は、陳舜臣氏の「中国の歴史」という本が通史を学ぶ上で役に立つと言われたのでこれから徐々に読んでこうと考えていますが、中国史は戦国時代や三国時代以外にももっと面白い時代や話は多く、明の洪武帝の話とか清の光緒帝のところなど、自分からも紹介したいような話はいくらでもあるので興味を持つ方は是非ご自分で学んで欲しいと心から思います。
 ゆくゆくはこのブログで中国の通史を自分で書き上げることができたらと考えていますが、そんな事を考える暇があったらとっとと留学記を終わらせるべきでしょうね。ちなみに先生にも現在連載中の留学記のオリジナルを送ったのですが、ブログで公開しているような敬体ではなく非常にラフな元の文体のがいいよと言われました。

2009年10月7日水曜日

北京留学記~その十三、国際会議の報道

 私が中国に滞在中、NHKを見ていると非常に中継場所として映ったのが天安門前のホテルでした。一体どうしてそこから中継が行われるのかというと、六カ国会議の現場状況の中継が必ず映されたからです。

 2005年からもう四年も経って段々と影も薄くなってしまいましたが、この時期は北朝鮮の核問題の対処を巡る周辺五カ国を含めた六カ国会議が何度も北京で開催されていました。日本としても今より拉致問題への国民の意識が強かったために注目されていたのか集中して報道されており、何度も中継に出てくる北京を見ては随分とメジャーなところに来たもんだと思うほどでした。
 さてそんな日本の報道振りに対して中国のメディアはどのように報道していたかですが、こちらは靖国のときほど細かくはチェックしていなかったものの、やはり日本よりはまだこの問題に対する直接的な危機感が薄いせいか、本当に小さく報道しかされておりませんでした。当時の私の手記を読むとこの日中の六カ国会議報道の温度差について、

「心なしか、六カ国協議における日本の立場と同じものを感じる。」

 と、まとめております。


 この六カ国会議のほかに私が中国に滞在中にあった大きな国際会議というともう一つ、2005年12月における香港での世界貿易会議がありました。もっともこちらは先ほどの六カ国会議に比べて、ほとんどの日本人の方は何が起きたか知らないのかと思います。

 具体的にこの世界貿易会議で何があったのかというと、この時の会議での主要な議題は農作物の貿易自由化についてだったそうですが、会議中に主に韓国からやってきた農民の自由化反対グループと警官隊が衝突し、警官隊が催涙弾を撃つなどの騒ぎとなりました。当時チャンネルをつけるとニュース番組では特番や現場中継を設けるなどして大きく報道していましたが、まるで戦争映画化かのように催涙弾の煙が立ち込める中dエ警官隊と韓国人農民グループがぶつかっており、最初見たときには何事かと思ったほどでした。

 そんな中国での大きな報道振りに対して日本ではどうかというと、自分が調べた限りでは日本ではインターネットのYAHOOニュースとNHKが香港にて衝突が起こっているとだけで、まるで交通事故の一例を紹介するおざなり程度の報道しかされておりませんでした。試しに日本に帰国後にあちこちの友人にこのニュースの事を尋ねましたが、記憶している人間はただの一人もいませんでした。

 ではこの事件は中国国内であったことから大きく取り上げられたのかというと、ちょっと事情は異なるかと私は考えております。この時のテレビ中継をみている際に相部屋の相手だったルーマニア人と話をしたのですが、中継される暴動を見ながらお互いにアンチグローバリゼーションの抵抗運動だなどと、それぞれが知っている内容を伝え合いました。
 この「アンチグローバリゼーション」という言葉は以前にも、「日本語にならないアンチグローバリゼーション」という記事でも紹介していますが、要するに貿易の過剰な自由化は世界経済を成長させるどころか貧困を助長させるという主張で、自由化を促進させようとする世界会議が開かれるたびにあちこちでこの主張をしている団体が激しい抗議活動を行っております。なお、一番でかかったのは2001年のイタリアでの会議です。

 リーマンショックを起こった今だったら多少はこれらの主張も実感が伴うように感じられるので、今だったら報道の仕方も違ったかもしれませんが、世界の学生はこのアンチグローバリゼーション運動をみんな知っているのに対して日本人だけはほぼ皆無といっていいくらいこの流れを知らず、それが当時の報道にも現れたのでしょう。昨日に書いたオリンピックの報道でもそうですが、もう少し世界の動きや流れを日本人は意識して取り入れてもらいたいものです。

北京留学記~その十二、靖国参拝時の報道

 大分日が空いての連載再開です。現在この北京留学記とともに時間の概念についても連載をしておりますが、二つも重ね合わせるもんじゃないなと現在は激しく後悔しております。ちょっとこっちの北京留学記の方は集中して取り組み、早く終わらせないと(´Д`)。
 前回までは私の北京での生活など、主にこれから中国に留学を考えている方向けの情報ばかりでしたが、今回辺りからは当時でしか味わえなかったというか、リアルタイムで私が見聞きした現地の情報をオリジナルな解説を加えてお送りします。そんなまず一発目は、恐らく聞きたい方も多いであろう2005年の小泉首相(当時)の靖国参拝時の北京の様子です。

 2005年の10月17日、いわゆる郵政選挙といわれた9月11日の選挙での大勝の余韻も覚めやらぬこの日、小泉首相(当時)は在任中五度目にあたる靖国神社参拝を行いました。この靖国神社参拝はかねてより日中間の外交に影響を及ぼしており、特に中国側はA級戦犯を靖国神社が祀ってあることから日中戦争を日本政府が肯定するような行為だと激しく非難しており、この前年の2004年の参拝時には中国にある日本大使館や領事館前でデモや抗議活動、中には投石まで行われるほどの騒動となりました。

 そのためこの五度目の参拝時も再び反日活動や暴動が起こるのではないかと日本側は取り上げ、NHKの海外向け注意報でも中国に滞在している邦人に対して気をつけるように、またみだりに大使館周辺をうろつかないようにという外務省から出された注意が放送されました。また私の親父もわざわざ私にメールで外出を控えた方がいいのではと伝えてきたほどだったのですが、結果から言うとこれらはすべて杞憂に終わりました。

 私はこの参拝当日に中国のニュース番組を細かく確認していましたが、その報道振りはというと非常に事務的な内容ばかりでした。参拝に対してどう思うかというような街頭インタビューも少なく、ただ中国政府が日本に対して非難を行ったということを述べるのみで、前年、またそれ以前の中国から日本への抗議、非難の仕方からすると随分と大人しかったという印象でした。
 事実前年のあの反日デモはどこ吹く風か、大使館周辺でも目立った騒動は起こらず、北京市内の雰囲気ははっきり言って普段の日常と何も変わりませんでした。

 ここでは詳しい解説を行いませんが、何故このときに平穏を保ったのかというとやはり日中双方が事を荒立てたくない心理が作用したせいだと私は考えております。特に中国はそれまでの参拝時における中国国民の暴動に自身が相当に懲りたか非常に気を使っており、少なくとも国民を煽るような報道、抗議の仕方はしていなかったと断言できます。まぁそれを言ったら、中国人もさすがにもう五回目という事で、「またか('A`)モー」、ってな感じに受け取っていたのかもしれませんが。
 そんなこんなで、大体二週間もすると参拝した事すらみんな忘れてしまってました。

2009年10月6日火曜日

オリンピック誘致報道について

 先週のニュースですが、2016年オリンピックの開催地を決める投票が各国代表委員によって行われ、南米では初めてとなるブラジルのリオデジャネイロが見事開催地に決定されました。今回のオリンピック開催地の選定では最終的に選ばれたブラジル以外にも、日本の東京、アメリカのシカゴ、スペインのマドリードも候補として名乗りを上げていました、これら候補国に対して日本のメディアの扱いや報道ぶりにややいぶかしむ点があったので、今日はその点について短めにまとめようと思います。

 まず結論から言えば日本のこの開催地を巡る報道は的外れもいいところで、全く以って下馬評が外れた結果に終わりました。選挙前日にもなるとどの日本のメディアもこぞってこの開催地について報道合戦を繰り返していましたが、それらの報道では最大の候補はアメリカのシカゴで、東京が選ばれるにはこのシカゴにどう食い付いていくかが重要であるとして一回目と二回目の投票を如何に乗り越えるかというような解説ばかりなされていました。まるでアメリカのシカゴが最有力候補であるのに対して日本はその下の第二候補であり、マドリードとリオデジャネイロが選ばれる可能性ともなるとほとんど言及がなかったように思えます。

 しかし結果はというと、まず一回目の投票において日本メディアが最有力候補として挙げていたシカゴが真っ先に落選しました。このシカゴの落選時に都庁に集まった誘致派の人間らは大喜びをしていましたが、その一方で最有力候補と見られいていたシカゴが一番最初に落ちた事で全く予想がつかなくなったかのような言いようのない不安を口にするアナウンサーやコメンテーターもおり、事実その懸念の通りに二回目の投票にてあっさりと東京も落選しました。
 ちなみに私が見ていたテレビ番組では最初の投票直前に、スペインのマドリードが一番最初に落選する可能性が高いが、もしかしたら同情票や、花を持たせたいとする委員の力で残るかもしれない(リオデジャネイロがかわりに落ちる)、というような解説をしていたので、いろんな意味で複雑な気にさせられました。

 このオリンピック誘致において、東京がどのような誘致活動をして、投票直前のプレゼンで何を訴えたかまでは細かくチェックしていませんが、投票前の下馬評がそっくりそのままひっくり返る形でマドリードと最後まで争った挙句にリオデジャネイロが選ばれたということは、日本のメディアは実情からかけ離れた予想、報道を行っていたという事になります。こう言っては何ですが投票前はまるで七割方東京が選ばれるかのような報道振りで、あんまり後ろ向きな報道も問題ではありますが今回はやや威勢がよ過ぎた様な気がします。

 また他の候補都市の予想順位についても、これはあくまで私の素人目ですが、投票を行うのは国単位ゆえに発展途上国の数が多くなるため、欧州でもアジアでも北米でもない南米の、しかも発展途上国のブラジルに票が集まるのが自然ではないかと投票前に私は思っていました。マドリードについては2012年に同じ欧州のイギリスのロンドンが開催するために、順位も低いだろうと私も予想していましたが。

 とにかくこれほどまで的外れだった予想について、一体どこをどう読み間違えて日本はこんな報道をしてしまたったのか、世界の感覚、潮流を理解していなかったのかといろいろと考えさせられた一夜でした。もっともこう考えるのも私くらいで、このオリンピック招致を自分の花道だと考えていた石原慎太郎都知事の影響力がまた一段と弱まり、誘致活動のためにかかった150億円は誰が責任を取るのだということが目下の注目店となってきております。

 それにしても、ここ数年の石原都知事の影響力の低下ぶりは目に余ります。新銀行東京の赤字に始まり築地移転問題、そして今回の誘致失敗と、ほんのちょっと前までは何かしら政府に動きがあると地方首長の意見としてよくインタビューが報道されていましたが、今ではそれもすっかり橋下大阪府知事、東国原宮崎県知事にお株を取られています。ある意味、前回都知事選にて対抗馬の故黒川紀章氏の言われていた通り、あの時が石原氏のいい引き際のタイミングだったのかもしれません。