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2016年11月2日水曜日

普段の昼食(・。・)

 マルクス主義的な情熱に燃えて残業して来てあんまりブログ書くのに今日は時間かけたくないと言ったら友人が「普段の昼食について書いたら」とグッドな案くれたので今日はそれで行きます。

 私は世を忍ぶ仮のサラリーマン生活をしているので普段は勤務先で昼食を取るのですが、同僚と一緒にどこか飲食店へ行くのを除くと近くの日系スーパーでお弁当買ってきて、オフィス内で食べています。買ってくるのは主に15元(約230円)サンドイッチで、割とパンが分厚く中にとき卵とレタス入っているのでお腹ごまかすのにはちょうどいいくらいです。前はそこでカツサンドも売ってて良く買ってましたが、何故か最近やめちゃったのでこのところ食べていません。
 サンドイッチのほかには丼飯、日本でおなじみのパック弁当もそこでは売られており、これらはそれぞれ30元(約450円)で売られています。よく買うのは牛丼で妙に出汁が効いてておいしく、その一方でカツ丼はなんか不味く感じるのでそこでは買いません。

 ほかの同僚たちについては、自分で弁当持ってくる人もいれば朝の出社時にコンビニなどでパンをあらかじめ買っておいてお昼になったら食べる人などもおりバラバラです。一回女性の同僚が、「今日は大漁だ」といって、どっかからエビの刺身買ってきて食べてたことありましたが。

 中国人スタッフについてはコンビニで弁当買ってくる人、ケータリングサービス使う人など分かれていますが、後者についてはあんまり詳しくないというか一度も使ったことがないものの中国ではすごい普及しています。検索大手の百度とかもそういった配達サービスをやっていて、加盟店のレストランメニューを携帯で注文するとわざわざその店で買ってきて送り届けてくれるそうです。なんとなく配達の人に悪い気がするので自分はとても使えません。

 休日だと私は自分で料理することが多いですが、そんな大したものは作らず、焼きそばをまとめて焼いて昼と夜に食べたりとか、後はハンバーグこねて作ったりとこの辺はあんま学生時代と変わりません。ちなみに作っててよく思いますが、中国は卵がなんか致命的にまずいのと、飲食店で出される目玉焼きは両面焼きで焼くから丸い黄身の部分が白身に埋まって出てきます。多分彼らより目玉焼きなら自分の方がおいしく作る自信あります。

2016年11月1日火曜日

韓国大統領の政治スキャンダルについて

 急な仕事が入ったため時間がなくまた寝ながらでも書ける政治記事ですが、韓国でパククネ大統領の政治スキャンダルが明るみになってからというもの隣国ながら大丈夫なのかと心配になるくらいの大騒ぎです。今日なんか検察庁に重機でツッコんだ人もいたそうで、下手なドタバタコメディ番組よりずっと面白いです。

 スキャンダルの中身についてはこの記事で詳細は省きますが、このスキャンダルを物にした韓国のケーブルテレビ局JTBCの取材には舌を巻くほどの凄まじい執念を覚えます。なんでも件のパククネ大統領と交友のあった女性が引き払った事務所で廃棄されたタブレットPCを回収して復元し、メール内容を解析したことから暴いたそうですが、ここのケーブルテレビ局の社長は著名なジャーナリストだったとのことでやはり実力ある人間のところには優秀な人が集まるもんだなと思うと共に強い敬意を覚えます。

 さてこの件ではスキャンダルの中身と韓国国内の混乱ぶりばかり伝えられていますが、あまりメディアで言われていない私個人が感じた点を述べると、パククネ大統領はその姿勢ぶりについては心底評価されていなかったのだなと感じました。報道などを総合するとパククネ大統領はこれまで政治的にクリーンな政治家と思われていたことが高支持率の要因となっており今回のスキャンダルでそれが否定されたことから支持率の急落を招いたそうですが、逆を言えばクリーンさしか政治的能力を持っておらず、その外交や内政といった姿勢能力については韓国国民からもさしたる評価を受けていなかったから今回急落することとなったように見えます。

 実際にこれまでのセウォル号事故や媚中とまで言われた対中国外交の結末などを見ているとお世辞にも勘の鋭い政治家とは思えず、以前にも書きましたが何かしらの信念を持って政治をやっているというよりは最後に話を聞いた人間から聞いた通りにやっているようにしか見えず、言い方を変えれば場当たり的な政治しかしていないように見えていました。外国にいる私(っていうかそもそも日本人が中国にいながら韓国政治語るのもおかしい気がする)から見てもこうなのだから、今の韓国人の糾弾ぶりを見ているとやっぱりその能力と資質に関してはみんなかねがね疑問に感じていたんでしょう。

 一応任期は2018年まであるそうですが、パククネ大統領の現状を見ると早くに退陣した方が韓国全体にとっても、本人のためにもいいでしょう。もっともプライドが無駄に高そうなのでよほど引き摺り下ろされない限りは自分から退陣することはないでしょうが、逆を言えばそうなると韓国国内の混乱は真面目に心配するほどひどくなるのではという気もします。
 サムスングループや大韓航空グループ(ついでにロッテグループ)は現在、製品事故と韓進海運の破綻とスキャンダルで結構大変な状態にあり、これに政治的混乱が拍車をかけるとなると外的要因にもよりますが非常に行く末が心配です。なのでこれに懲りたら、妙な目立ちたがり屋を大統領には据えないか、いっそのこと大統領制をやめて日本みたく議院内閣制にしたらどうかと提案してみたいです。真面目な話、韓国の国の規模と選挙区などを考えたら議院内閣制の方が合っている気がします。

2016年10月31日月曜日

日本でビジネスバッグを見て

タフなビジネスマンが持つべき3wayビジネスバック(ドラゴンブログ)

 後輩がビジネスバッグに関する記事をこのほどアップしましたが、ちょうどこの件で私も言いたいことがあったので相乗りしようと思います。どうでもいいけどこの前近い年齢同士で、「ラブワゴン」の思い出話したら少し盛り上がりました。私は一人で「デブワゴンの企画もあったらよかったのに」とほざいてましたが。

 先々週末、私は日本に一時帰国して野暮用を済ませていたのですがその際に夜遅くの電車の中で、今まで一切気が付かなかったある事実に気が付きました。その事実というのも日本の会社員が持つビジネスバッグの特徴で、身も蓋もない言い方すればみんなダサいビジネスバッグを使っていると感じました。

 私自身、そんなビジネスバッグにこだわる人間でもなく今使っているのもノンブランド品で一万円もしないような鞄ですが、そんな私の目から見てもその日の夜に満員電車の中で見た会社員らが持つビジネスバッグはどれもダサすぎるように思え、なんでもっといいのを持たないのか素直に疑問を覚えました。見た感じの印象で述べると大半の人が如何にも安そうなビニール製のぺらっぺらのビジネスバッグを使っており、真ん中で折ればきれいに半分に割れちゃいそうで、っていうかビジネスバッグというよりむしろ中古ノートパソコン買った時に無料でついてくるようなバッグしかもっておらず、中には革製の鞄を持っている人もいましたがお世辞にもきちんとした皮でなく合成皮革製で、しかもかなり使い込まれたのかしわくちゃになって色褪せ切った鞄でした。

 まだ入社したての若い子とかリクルーターならそういう安いのを持っているのもまだ理解できますが、そこそこ年齢の行ったような会社員ですらまるで安さを競おうとでもいうかのようなぺらっぺらの鞄をみんなして持ち歩き、ほんと誰一人としてまともそうな鞄を持っていなかったのは個人的になんか衝撃的でした。加えて言えば、中国ではドレスコードにうるさくないのもあって大半の人はリュック背負って通勤していますがそういうのを除くと、上海のビジネス街を出歩く人の鞄と比べても日本人が持ち歩いている鞄は見劣りするレベルです。

 よく入社したばかりの若手に先輩社員が、「時計は人に見られるものだからいい物を買っておけ」などとどこの会社でも先輩風を吹かす人がいるとは思いますが、私としては時計以上に鞄の方が客に見られる機会が多い道具なんだからその理論ならこっちにも金をかけるべきだと思うものの、少なくともパッと見た限りだとこの方面にお金をかけようという日本人は極端に少ないような気がします。何もめちゃくちゃ高い物を買うべきとまでは言いませんが、なんだかんだ言いつつ値段を上げると耐久性がよく長持ちする上、収納性、外観などで2000円程度の物と一線を画すようになるので、個人的には多少お金出してでもいいビジネスバッグを使った方がいいと思え、少なくともパソコンバッグを流用するのだけはやめといたほうがいいでしょう。

 改めて考えてみるといま日本のアパレル業界で勢いあるのは減益したユニクロを尻目に増収増益を重ねているファッションセンターしまむら(福利厚生がかなりいいらしい)でしょうが、ユニクロは置いといて品質やデザインよりも価格の手ごろさを売りにしているしまむらが勢いあるっていうことは、それだけ日本人が着飾るという意識が落ちてきている証拠かもしれません。もちろんしまむらが悪いわけじゃなくここは私も個人的に贔屓にしている会社ですが、日本帰って男性衣料品店を回っているとどこもチェック柄のシャツしか売ってなくて、なんでこんなに日本のファンションの範囲は狭いんだと前から感じていたこともあり、いいものを求めるという意識が明らかに落ちてきているのかもしれません。西武グループもこういったこと最近言わなくなったしなぁ。

 なおビジネスバッグについては偉そうに語る私ですが靴に関しては全くこだわりがありません。っていうか高い革靴ほど歩き辛いように思え、いざ突然ショッカーとか野生の解放軍が襲ってきたりしたら全く対応できないため、革靴の中でも比較的スポーティな走りやすそうな奴を常に選んで買っています。第一、鞄と違って靴は簡単に汚れるんだし汚れてナンボなんだしこんなんにこだわってもしょうがないと割り切っています。
 服に関してはYシャツにはそんなこだわる余地はなく、私服についてはほかの大多数の日本人と被らないようにチェック柄だけは買わないようにしています。

  おまけ
 この件を名古屋に左遷された親父に、「ほんとに最近の人は鞄に対するこだわりがないよなぁ」と話したら、「俺も安いのつかっとる」と言われました。もうちょいこだわれやと10分くらい説教しました。

2016年10月30日日曜日

中日新聞の記事捏造事件に対する処分について

 昨日一仕事終えた自分へのご褒美としてきゆづきさとこ氏の「棺担ぎのクロ。~懐中旅話~」の2巻をKindleで購入した所、タブレットPCでうまくダウンロードできないばかりか妙なエラーが出て再ダウンロードすらできなくなり泣きながら布団に入りましたが、ノートPCでダウンロードできないか試したところどうにかうまくダウンロード出来て読むことが出来ました。Amazonのレビュアーの一人が「大人のための絵本」と評していましたがまさにその通りで、読んでて何度も泣きそうになりました(ノД`)
 そんな私の心温まる読書録はさておき、久々に激怒させるニュースを見て血圧上がりました。

<中日新聞社>子どもの貧困関連記事の検証掲載 記者ら処分(毎日新聞)
「新貧乏物語」の削除問題を検証(中日新聞)

 ニュース概要は上のYahooニュース配信の毎日の記事の方が見やすいですが私の方から簡単に説明すると、中日新聞が「新貧乏物語」というタイトルで組んだ特集記事連載の「子供の貧困」をテーマにした複数の記事で貴社が事実内容並びに写真を捏造していたとのことです。この捏造記事は今年五月の紙面に掲載されほぼ掲載直後に捏造が発覚していながら紙面でのお詫び掲載は今月となる十月まで一切なされず、でもって捏造問題(中日自身は「削除問題」と言葉を変えているのがムカつく)の検証記事を今日30日に掲載したわけです。
 細かい内容は上記リンク先の検証記事内容を読んでもらいたいのですが、その捏造内容の幼稚さもさることながら最終的な社内処分の内容は正直目を疑いました。毎日の記事の記述をそのまま引用すると、「同社は、管理・監督責任として臼田信行取締役名古屋本社編集局長を役員報酬減額、寺本政司同本社社会部長と社会部の取材班キャップをけん責、執筆した記者を停職1カ月とする懲戒処分を決めた。いずれも11月1日付。」とあり同じ内容が検証記事にも書かれていますが、これを見て皆さんはどう思うでしょうか?

 私個人、というより元記者としての常識で語れば執筆した記者は問答無用で退職以外の処分は有り得ないと思えるほか、管理責任者であるキャップも更迭か降格に準ずるような処分を受ける以外有り得ないでしょう。こうした記事捏造や誤報については共同通信社が業界で最も厳しいのですが、過去の事件を検索すればわかりますが共同であれば執筆者は即刻クビになり、編集長クラスも直接自分が見たり指導していなくても確実に更迭されます。管理責任者の処分については状況次第で考慮の余地もありますが、これだけの捏造をした記者がクビにならず、わずか一ヶ月の停職で済むなんて自分の常識ではまずもって有り得ません。

 しかもこの中日の捏造記者、取材対象の子供がさも貧乏で苦しく、小学生ながら惨めそうに働くような写真を自作自演して撮影しており、やり方が非常に悪質です。なおこの写真捏造の経緯について検証記事では記者とカメラマンの意思疎通に問題があったなどと書いていますが、この程度の取材でカメラマンなんて使わせてんじゃねぇよと見ていてイライラしました。これくらいは記者本人にカメラ持たせて撮らせれば済むだろうに無駄金使いやがって。
 もう一つの捏造記事に至っては中学生の少女が部活の合宿費一万円が出せなくて寮に宿泊できなかった(実際には支払って宿泊している)と少女本人に取材せずに書いてたそうですが、こうした貧困物の記事というのは非常にセンシティブで記事内容によっては取材対象の子供が学校などでいじめられるきっかけになることもあるだけに、何故こいつらはさらりとこんなこと書いているんだと言葉を失いました。それこそこのケースだと、記事を読んだ周りからすれば少女が嘘ついて貧乏をかこついているようにも見えかねず、非常に危険な記述にしか思えません。

 またお詫び記事の掲載が遅れた理由として中日新聞は、「写真の問題発覚後から男性記者が精神的に不安定になり、詳しく事実関係を聞くことができない事情もあった。」と言い訳をかましていますが、自分らは病気だろうななんだろうが相手の事情なんて一切気にしないで普段取材しているくせに身内には随分甘いんだななんて、反吐が出るような言い訳に見えます。第一、こんな悪質な捏造をやった記者に同情の余地なんてなく、精神が不安定になろうがおかしくなろうがこういう輩はどうせこの先生きてたって世の中にとって百害あって一利ないんだから自殺にまで追い込んだっていいってのに何をか言わんやです。というより、この記者は十一月一日付で停職一ヶ月都の処分ですが、五月に捏造が発覚してからも記事書いているんじゃないかと思われるのですがその点については何も言及しておらず、そもそもクビ以外有り得ないというのにまだ仕事をさせている時点で組織としての中日新聞の異常性を感じざるを得ません。

 たとえば取材者が嘘をついたためなどの無自覚な誤報であれば処分はともかく再起のチャンスは必要です。しかし意図的に、しかもセンシティブな内容で写真や事実を捏造する行為はジャーナリストの世界ではただの一度たりとも許されず、やったが最後退場してもらう以外有り得ません。何故ならこういうことを一度やった人間は確実に再びやらかすことが目に見えているからです。
 今回の中日新聞の検証記事を読む限りだと再発防止策について何も触れていないことからまるで反省している素振りがなく、最初に捏造が発覚した後もほとんど検証せずに別記事の捏造に気づくまで一ヶ月程度かかっており、自浄作用が全く働いておらずその処分内容の軽さから言っても真摯に反省しているとは私にはとても感じられませんでした。多方面にケンカ売るのも我ながらどうだと思いますが、外部検証委員として参加した木村太郎氏、吉田俊実氏、田中早苗氏、魚住昭氏の四名の方々は本当にこれでいいとでも思っておられるのでしょうか。私だったら「処分が軽すぎ無反省だ」と断じた上で、今後の対策について何も言及していない点などを挙げて余計な火の粉を浴びないように委員を降ります。しゃらくさいのではっきり言うが、この四人はこの件で何を検証をしたというのでしょうか。

 そんなにキャリアあるわけじゃなく偉そうなことを言える立場でありませんが、ジャーナリストの仕事を私は神聖なものと考えています。強引な取材や横柄な態度で周囲の人間を困らせることはいくらでもありますが事実を正しく報じるという姿勢があればこそそうした行為もある程度は許容されるもので、大前提となる真実を捏造するような行為は人殺しよりも許されない行為であるとすら思います。
 自分が記者だった頃にはまさにこういう姿勢を徹底的に叩き込まれ、それこそ仮に捏造でもしようものなら多分ボコボコにぶん殴られて窓から放り投げられただろうと思うくらい厳しく言われました。そうした信念は昨日今日作られるものではなく、今回の処分内容を見る限り中日新聞の今の姿勢は昨日今日作られたものではないんだなと感じました。

  おまけ
 記者時代に記事内容がしょぼかったりして上司に怒られた際によく、「お前のせいでまた血圧上がるだろこの野郎! 俺、病気だから血圧上がったら大変なんだぞ!」と怒鳴られていましたが、記事内容がしょぼいことには反省しつつも、(血圧上がって大変になんだったら毎晩酒飲み歩くなよ……)と、心の中で反論していたのはここだけの内緒です。

2016年10月29日土曜日

敢えて「ずらす」価値

 現在の私の職場では昼休みの時間は明確に定められておらず正午前後にそれぞれが勝手に出て行って昼食を取るようになっています。こうした環境にあることから私は大体11時40分頃に出て行って近くのスーパーで弁当買って食べたりするのですが、12時ちょうどの混雑を嫌うというのもありますが時間をずらせるものはずらした方が価値があるという妙な信念を持ってやっております。

 私がこのように考えるようになったきっかけとして大きいのは学生時代にアルバイトをしていた喫茶店での体験です。やはり週末ともなると12時前後に客が集中して忙しくなり、働きながら内心で「他にも店あるんだから余所行け余所」と愚痴ったりしながら働いていました。逆に時間をずらしてきてくれるお客、具体的には11時頃とか13時頃に来てくれるお客はありがたく、サーブするこっちも妙な感謝の念と共に配膳していました。

 一般的に、周囲と歩調を合わせることは効率の向上につながるはずなのですが、それもやや過剰となるとピークの負担を高めることとなり、返って効率を下げる結果につながると断言できます。逆にそのピークを分散させるということは手持無沙汰な時間と忙しすぎる時間を減らし、同じ勤務時間と労働量でありながら勤務者や設備、そして顧客自身にも上記のような飲食店の例だと待ち時間を減らせることとなり見事な一挙三方得ともいうような結果が得られます。

 その上で述べると、日本社会はやはり何でもかんでも歩調を合わせ過ぎです。お昼休みもどの会社も12時から一時間とかにせず業種とかに合わせて13時からとか11時からとかに切り替え、ついでに勤務時間も7~16時とか10~19時とかに、難なら同じ社内の人間同士でも異なる勤務時間で共存してもいいように思えます。なにせその方が効率的なんだし。
 一応フレックスタイム制というのもありますがやはり今の日本の状況を見ているといまいち機能しきれていないのではと思う節があります。また仕事だけに限らず先程の昼食時間とか連休のある期間なども敢えてずらすことこそ今の世の中では価値があるように思え、反骨精神満々な私は常にほかの人間とはずれた行動を取るように心がけています。

 具体的には旅行シーズンでない期間に有給取って旅行行ったり、休日も忙しくないであろう3時とかにスーパー行って買い物したり、果てにはほかの人がやりたがらないであろう仕事を敢えてやろうとしたりなど。日本では最低な人間の代表格ともいうべき特徴として「空気を読まない」というのがありますが、見方によってはそういった空気を読まず、集団と歩調を敢えて合わせないような人材こそ日本社会の発展において必要なのではないかと思う時があります。それが正しいかどうかは置いといてこの記事で言いたいこととしては、逸脱を許さない社会は案外非効率だっていうことです。

2016年10月27日木曜日

ポスト55年体制を彩った二人の壊し屋

 前回の都知事選直前に友人から選挙予測を尋ねられた私は「小池百合子の圧勝」と述べたところ友人は、小池都知事の過去何度も行った転身ぶりを指摘して資質に問題があるのではと懸念をしました。その懸念に対して私は無用な心配だと否定した上で、「現在の女性政治家の中でも間違いなくトップクラスの資質を持っている。なんでこんなことが言えるのかというと、以前に小泉と小沢について述べた論評が非常に的確だったからだ」と説明しました。

 その論評とは文芸春秋2008年1月号に載っている「小沢一郎と小泉純一郎を斬る」という論評です。たまたまですが今月の文芸春秋の巻頭コラムで立花隆氏が、小池都知事の人となりを知ろうと読んだ過去の著作の中で読者にもお勧めできる内容として紹介してたのでびっくりしたのですが、実際に当時この論評を読んだ私もその内容のあまりの的確さに強い印象を覚え、小池氏についてしっかりとした見識を持っている政治家だと評価を改めさせられた論評でした。

 ではこの論評はどういう内容だったのかというと、タイトル見出しの通りに小池氏がかつて仕えたというか小池氏を政界の中で引き上げた二人の人物こと小沢一郎氏と小泉純一郎氏について、傍で見ていた立場から両者を比較した内容です。小池氏のWikipedia記事中にも一部内容が引用されておりますがそこで引用されてある内容よりも私の中で強く印象に残ったのは、「本質的に両者はよく似ている」という指摘でした。

 この指摘は両者のバックグラウンドを知っていればよりインパクトが強くなり、というのも二人とも1942年生まれで、出身大学は共に慶應義塾大学、そして二人とも親が自民党の政治家だったのに学生時代は割と学生運動にのめり込んでいた点まできれいに一致しています。ただ議員になったのは小沢氏が1965年だったのに対し、小泉氏は初めて立候補した際は落選の憂き目を見て、初当選は1972年と小沢氏に対し7年遅れでの政界デビューでした。
 政治家となった後の足跡は対照的で、若くして田中角栄に気に入られた小沢氏は最年少で党幹事長を務めただけでなく自民党を出て新進党を創立した90年代においては日本政治の中心にいたと言っても過言ではありません。一方、小泉氏は当選直後から自民党の票田であった郵政を解体するとのたまうなどして党内での評判はすこぶる悪く、文字通り一匹狼として党内で浮いた存在であり続けました。

 小池氏が政界入りするきっかけは小沢氏からのスカウトで、政治家となった後も実質的に小沢氏の薫陶を受け続けました。しかしその後、小沢氏と袂を分かった小池氏の知名度を大きく飛躍させたのは「刺客候補第一号」として郵政選挙で小池氏を東京の選挙区へ送り込んだ小泉氏で、郵政選挙以降も他の総理候補にも劣らないほど小泉氏に重用され、JPOP風に言えばその後もなんだかんだを踏み込えて今や堂々たる都知事になったのですから結構波乱万丈な政治人生です。
 話は戻りますが小池氏は上記の論評で小沢氏と小泉氏の二人を本質的にはよく似た者同士だと踏まえた上で、「決定的に異なる点は根明か根暗かの違い」だと指摘し、宴会の席では延々と下ネタしか口にしない小泉氏に対し、あまり宴会を好まず一人でこもっていることが好きな小沢氏を比較してこの点が2008年現在の両者を分けたのではと述べていました。

 両者の傍で見て来ただけあってやはり見どころが違うというか細かい点だけど実に重要な点をついていると思えこの指摘にちょうど8年前の私(当時は日本で髀肉の嘆をかこってた)は大いに唸らされたのですが、改めてこの評価を見るだにやはり小沢氏と小泉氏は似ているというか似過ぎた政治家で、ほんのわずかなベクトルの違いが年月を経て両者を大きく分けた例だったろうと思えてなりません。

 昨日に書いた記事で私は政治家は大別して創造型、破壊型の二種類に分かれると説明し、小沢氏も小泉氏も既存秩序を破壊する破壊型、それもとびっきりの壊し屋であるかのように書きました。戦後の日本政治をこの観点で見ると55年体制はまさに創造の時代でしたがバブル崩壊とともに終焉を迎え、いわゆる「失われた十年」こと1990年代は不良債権を筆頭とした負の遺産の処理に追われる期間となりました。
 この失われた十年において主役であったのは前述の通り小沢氏で、恐らく本人もその気があったと思うのですが「自民党」それ自体を負の遺産と捉えて飛び出し、新党運動を経て自民党を第一党からも引きずり下ろすに至りました。ただ小池氏曰く「党利党略だけの人」と言われただけあって小沢氏は政界内の改革には熱心であっても実社会に対する政策は何も持っておらず、その結果が何もしないまま過ぎ去ったといわれる「失われた十年」を招く一因にもなったと私には思えます。

 その後、自民党に残り「加藤の乱」を鎮圧したことで一気に名を挙げた小泉氏が総理総裁となり、いわゆる小泉時代を迎えます。この小泉時代には郵政や不良債権を始めとにもかくにもいろんな既存秩序が破壊されたのですが、理想を言えばこれらはどれも90年代に行われるべき政策でもありました。無論遅くなったとはいえ、00年代に果たされたことには高い意義があるのですが。
 そして現在ですが、やはり「ポスト小泉時代」というべきであるほど小泉政権の影響がまだ強く残っているように私には考えられます。小泉政権が破壊した後の日本にどんな秩序を打ち立てるのか、これを模索し続けているのがこの10年で現在進行形でまだ続いています。

 現状に対する評価はさておき、少なくとも55年体制崩壊以降の日本政治は先に小沢氏、次いで小泉氏が主役であったと私は考えており、この二人が似た者同士というか生粋の壊し屋同士であったということを考えるだに、あの時代はそれだけ負の遺産が多くそれらを壊す解体家が本当に求められていたのだなとも思えます。しかし壊す対象が政界か、金融界だったのかの違いが、こういう結果になるというのもまた色々と思うところが出てくる結果です。

2016年10月26日水曜日

破壊型、創造型に分かれる政治家のタイプ


 いまいち需要があるのか自分でもよくわからないですがまたどうでもいい近況を書くと、先週末に日本帰った際に立ち寄った松戸(マッドシティ)の伊勢丹で信楽焼のオールドカップを買ってしまいました。値段は3000円でしたが何とも言えない光沢と歪みで、本来は焼酎や日本酒を入れることを意識して作られていると思いますが酒が飲めないため夜な夜なお茶を注いではニヤニヤして飲んでいます。包装箱によると、富田正氏の作品で「黒金彩オールド」という商品名です。
 なおこれを買う際、同時に美濃焼カップ6個セットが3300円くらいで売っていたので、陶器趣味の伝播を図っている上海人の友人へ送ろうとこれも買ってしまいました。箱がでかくて、移動中は色々辛かったけど……。

 話は本題に入りますがかなり昔、具体的には12年くらい前に読んだ政治評論記事にて「政治家には大きく分けて二つのタイプ、創造型と破壊型に分かれる」という指摘があり大いに唸らされたことがありました。これはどういう意味かというと文字通りで、新たな制度やグランドデザインを作り出すタイプの政治家が創造型に当たり、逆に古い制度や組織を破壊するタイプの政治家が破壊型に当たります。

 具体例を挙げると破壊型政治家に属し近年の有名どころとなると間違いなく小泉純一郎元首相で、スローガンの「自民党をぶっ壊す」に始まり郵政の民営化や社会保障制度改革などで既存制度や概念を破壊し、そしてハンセン病訴訟問題や不良債権処理といったいわゆる「負の遺産」を一気に処理していたことから破壊型政治家の名に相応しいでしょう。もっとも、「自民党をぶっ壊す」については言葉とは裏腹に自民党を延命させてしまったというのが私の評価です。
 反対に創造型政治家の例としてはやや古いですが竹下登元首相、橋本龍太郎元首相がこのタイプに入ると考えております。竹下元首相は在任当時は大いに叩かれましたが消費税の導入を行い、橋本元首相も行政改革を通して現在の省庁体制を確立し、後の小泉政権における内閣主導の布石を作っています。

 この二つに分かれる政治家のタイプについて元の評論記事では、「概して創造型政治家は嫌われやすく、破壊型政治家は人気が得られやすい」と指摘してあり、その例として上記の通り破壊型は小泉元首相、創造型は竹下元首相を引き合いに出して両者の事業と功績を見比べて、竹下元首相の消費税導入は日本政治史における偉大な一歩だったが嫌われたまま終わってしまったのに対し、小泉元首相は壊すだけ壊してまだ何も残していないと評価していました。言われて私も火今でも非常に納得する意見です。

 ここから私の評論に移りますが、破壊型、創造型のどちらが優れているわけではなく政治においては両方とも必要不可欠であると考えております。時代に合った制度を創造する必要性は言うまでもなく大事で、またその逆に時代に合わなくなった古い制度、現代であれば連帯保証人制度や上記に上げた不良債権などですが、こうした旧弊というか負の遺産を吹き飛ばし新しい制度を設置する余地を生む破壊も時代によっては非常に重要となります。ややくどいですが繰り返して述べると、創造の上に創造するということは実際有り得ないことで、新たな制度や概念を作るためには一度更地に戻すというかスペースを作る行為もまた必要だというのが政治だと私は思います。

 この政治における破壊と創造のサイクルですが、もちろん政治家は両方できるに越したことはないのですが私のこれまでの知見から述べると、やはり各政治家はこの二つのうちどっちかの方向に意識なり能力が傾くため、二項対立的な概念は好きではないもののこと政治家においてはこの二種類のタイプに大別した方が見やすい気がします。
 近年の政治家でタイプを分類すると、まず安倍首相は憲法改正や安保法案の海底にこだわる点を見ると創造型で、麻生財務大臣は悪い方の破壊型、石破議員はやや創造型かと思えます。民主党時代の主要人物となると鳩山、管の両元首相はどちらも完全な破壊型で、言い方悪いですが自己破滅的な破壊型だったなと思え、最後の野田元首相が唯一創造型だったと見ております。

 ここでちょっと破壊と創造に沿って日本政治史を敢えて追うと、日本はいわゆる55年体制の期間中は一貫して創造的な政治が求められ、池田勇人や田中角栄といった創造型の政治家が大いに活躍できた時代でした。しかし55年体制の終末に近づくにつれ明らかに「負の遺産」が溜まっていき、自民党が第一党から落ちて55年体制が終わって以降はバブル崩壊後の日本経済同様、破壊型の政治家が求められていたのでないかと思えます。
 しかし、創造型にも破壊型にも分類できず敢えて言うとしたらやっぱ自己破滅型だった村山元首相以降の橋本、小渕の両首相はどっちも創造型で、時代的な観点から見ればミスキャストな点が大きかったでしょう。そしてその次の森元首相に至っては今のオリンピック委員会を見ていてもわかるようにこの人も自己破滅型でお話にならず、小泉元首相が来てようやく破壊の時代が幕開けしたとも言えるでしょう。

 そしてポスト小泉時代こと現代について言えば、小泉政権で破壊しつくされた後ということもあって新たな制度や概念が明らかに求められており、この記事を書いている現時点においても創造型の政治家の方が破壊型に比べ有利な時代であると思われます。ただ安倍首相は創造型政治家であるもののグランドデザインとか国家体制といった範囲の広い分野は明らかに苦手で、創造できる範囲が憲法や安保だけに絞られており経済に至っては完全な範囲外であるのが自分やや物足りないと思う点なのかもしれません。
 とはいえ民主党政権時代の破壊型、というより自己破滅型の政治家に比べればそこはやはり創造型であるというだけ分があり、現在においては安倍首相以外に総理の適任者はほかにいないというのは間違いないでしょう。なおこれは私見ですが、安倍首相への支持率を最も支えているのは安倍首相の政策や施政とか自民党の組織活動ではなく、あまりにもだらしない野党の存在に間違いないとも思っています。

 少し話が二転三転しましたが、破壊型と創造型の二タイプに分けることで政治に対する視野が大きく広がるので、この見方なり概念は個人的にお勧めです。ちなみに「自己破滅型」という言葉はこの記事書きながら作った概念ですが、案外言い得て妙だな思え、破壊型、創造型に続く第三のタイプとして売り出してみるのも面白いかもしれません。

  おまけ
 途中で書きそびれたので最後に付け加えますが、小池百合子都知事は間違いなく破壊型の政治家で、そういう意味で今の東京都には求められていた人材であったと見ています。その小池都知事が何故破壊型だと断言するのかというと、彼女の師匠筋というか引っ張り上げた二人の人物が揃って破壊型で非常によく似てそっくりな政治家同士だからです。

2016年10月24日月曜日

派遣雇用の三年ルールの現状

 先週末はたった三日間だけ日本に帰国していましたがこの間に私が取った行動を軽くリストアップすると以下の通りです。

・散髪
・時計の修理
・書籍購入
・タブレットPCのアップデート
・ゲームのダウンロード購入(ZERO ESCAPEなど)
・伊勢丹で焼物購入
・漫画喫茶で5時間連続耐久読書
・会社社長と7時間半連続耐久トーク

 宿泊先はまた慣れ親しんだマッドシティこと松戸でしたが、床屋のおばちゃんが私のこと覚えててくれてちょいちょいうれしかったな。

 さて話は本題に入りますが上記に上げたリストに加えもう一つ、前回のマージン率調査で協力いただいた派遣労働者の方とも会ってきました。前々からメールで連絡を取っており同年代ということもあって東京に行くことがあればお会いしようと思っていた所、快く快諾いただけて、たまたま近くにいた冷凍たこ焼き好きの友人も、「どうせ興味あるでしょ」といって呼びつけて一緒に会ってきました。

 合流して田端駅前にあるガストへなだれ込むとまずは調査に協力いただいたお礼を言い、その後しばらく雑談をした後で、「前から気になってたんだけど、例の三年ルールは今現場ではどうなっているの?」と私の方から切り出してみました。

厚生労働省説明資料

 派遣の三年ルールとは簡単に説明すると、派遣社員は同じ派遣先では最長三年しか働くことが出来ないという制限です。もし同一職種で三年以降も雇い続けたい場合、派遣先の会社は当該の派遣社員を正社員に切り替えなければならず、派遣社員の正社員採用を促す目的で設けられました。
 このルールが設けられたのは民主党政権時代ですがその時は通訳や開発などといった専門26業務についてはこの期間制限はつけられず無期限に雇用できたものの、去年の改正派遣法によって専門26業務に対しても三年ルールが適用されると共に、制度開始からちょうど三年くらいになりそうだということで派遣業界ではちょっとした話題にはなっていました。

 正直言って業界内では派遣会社、派遣社員、派遣受入先の三者が揃って総スカンしたくらい歓迎されておらず、三者ともなるべく長く同じ派遣先で働きたい、働かせたいと考えているのにこのルールのせいで三方全損みたいになると批判めいた主張も数多く見られました。また派遣から正社員への転身を図りたいとする派遣労働者の層もそれほど歓迎するような声は聞かれず、私の印象論で述べるとこんなルールがあろうがなかろうが派遣の正社員採用が進むとは思えないと感じる様な空気が漂っていました。

 ではこのルールは果たして実際に運用されているのか。ストレートに聞いてみたところその派遣労働者の方は、「少なくとも自分の周りでは適用される例を見たこともないし全く聞かない」と教えてくれました。そしてこの回答は、私としてもある程度予想していた通りでした。
 何故適用されていないと考えていたのかというと理由は複数あり、まずは上記の通り派遣に係る三者が揃って望まない制度であること、二つ目として派遣業界はマージン率の公開といい遵法意識が極端に薄いこと、三つ目として実際に適用された例というのがネットで情報を集めている限りだとほぼ全く見られなかったためです。

 一応、去年の派遣法改正前後では、「君、来月以降は受け入れられなくなるから」なんていうセリフとともに「混乱する派遣の現場」みたいな見出しで記事が出ていましたが、内心この手の記事はエア記事だったんじゃないかなとすら思っています。恐らくは実際に三年ルールが適用されてしまった人もある程度はいたかと思いますが、三年以上を経過していた圧倒的多数の適用対象者はこの三年ルールを無視し、なし崩し的にそのまま働き続けているのではという気がします。だって、「三年ルール適用された日本死ね」みたいな言動が全くと言っていいほど聞こえないし見えないからです。

 とはいえあくまでこっちは派遣問題ではもうかなりの専門家だけど部外者の身であるためこれまで発言は控えてきましたが、今回こうして派遣労働者の方から直接話を聞いて疑念が確信へと切り替わったのでこうして記事に仕立てました。またその派遣労働者の方によると、ある派遣大手では「無期限派遣雇用」というオプション形態を用意しているらしく、正面切って堂々とこの三年ルールを無視しているという情報もいただけました。一応、除外規定として「60歳以上の派遣労働者」に対しては確かに三年ルールは適用されませんが、罰則もないだけにここまで思い切って無視してしまうあたりはさすがは派遣業界といったところでしょう。

 この三年ルールについて、自分としてはどうせ守る人も会社もいないんだし三方揃ってデメリットしかない制度にしか思えないためとっとと撤廃した方が早いと考えています。こんな制度があった所で正社員化が進むとはとても思えませんし、また派遣のメリットという奴も台無しになる可能性があります。
 それよりも直接的に派遣労働者を救済するべく、個人的には交通費の派遣先負担を義務づける制度などが今必要なのではないかと思います。あまり知られていませんが派遣労働者は勤務先への交通費は自己負担であり、これがかなり可処分所得を落とす原因にもなっていると思うだけにこうした点から地位改善の取り組んでもらいたいものです。

 なお現地採用の私も交通費は自己負担ですが、上海市内だと地下鉄は一回3~4元(約45~60円)なので痛くもかゆくもありません。逆にこっちに慣れてしまうと日本の交通費が高くてしょうがないように思え、交通機関が頑張って経営しているのはわかるけれどもう少しやすぅならんかと思うばかりです。

重なる不運

 この週末はまた日本に密入国して今日になってまた上海に戻りましたが、なんか今日はやたらと不運が重なりました。

 空港で飛行機の搭乗を待つ中、吉野家で牛丼(並)を食べようと注文したところ「15番」の番号札が渡されて待っていたところ、「16番でお待ちの牛丼並の方ー」と店員が呼び出し、16番の方がそのまま牛丼を持って行ってしまいました。なんとなく腑に落ちないで待っていたら厨房から、「あ、15番も牛丼並だった」という声が漏れ聞こえ、しばらく待ってたら「ナンバーフィフティーン」って何故か英語で呼ばれて、その店員は私には日本語では話しませんでした。「飛ばしよったなお前」って嫌味の一つでも言ってやればよかった。

 その後、飛行機に搭乗しましたが飛び立ってしばらくすると機内食が順番に配られ始めたのですが、最後尾の席に座っていた自分の手前でワゴンを運んでいたアテンダントが、「あ、切れた」といい、私と隣の人を置いてきぼりにワゴンをそのまま引っ張って行ってしまいました。それから大分時間が経ってから別のアテンダントが機内食のトレーを持ってきてくれましたが、他の人にはトレーと一緒に飲み物もくれるのに何故か私と隣の人には飲み物は持ってきてくれませんでした。
 いやね、言えば持ってきてくれたでしょうが、なんとなく眠かったし文句も言いたくなかったのでそのまま黙って食べてしまいました。でもってさらに飛行機降りて家帰ってきたらスーツケースのチャックを止める留金の部分のパーツがぶっ壊れてて、恐らく降ろされた時にブン投げられたかなんかで壊れたのかと思いますが、悪いことはやっぱり重なるものです。

2016年10月21日金曜日

電通の過労死事件について

 先日、マスコミ業界に関わる人間なら知らぬ人はいない電通で入社したばかりの女性が過労から自殺していたことがニュースで大きく取り上げられたことをきっかけに、超過勤務と過労死に関するニュース報道がこのところ増えています。何故か関電にも飛び火して、月の残業時間が200時間を越えていた社員が過労死したことも報じられていましたが、個人的には何故今更になってこの件が報じられるのかなと違和感を覚えました。

 さてこの問題について電通の体質、いわゆる「鬼十則」などと並べ立てて報じるメディアやコメンテーターが多いですが一部で言われているようにこの手の話は広告業界ではごくごくありふれた話で、上の関電の例と同じく「何を今更」という感じがしてなりません。断言してもいいですが電通の様に残業時間が膨大だったり無茶苦茶な暴言が飛び交っている広告代理店なんて掃いて捨てるほどあり、この業界で過労死した人間なんていちいち数えてなんかいられないでしょう。
 なお余談ですが名古屋に左遷されたうちの親父が仕事が忙しかった頃、過労死した時の証拠となるように勤務時間を毎日メモっておけとうちのお袋に命じられていました。当時は何とも思わなかったけど、今思うと血も涙もない命令だったなって気がします。

 話は戻りますがこの件について電通や広告業界の体質をとやかく論じても意味がないと思うしほかの人間もいくらでも論じられるだろうから敢えて違った視点に立って意見を述べると、エイジスはなんだったのかななんて今回思いました。

ブラック企業と公表された会社、そして私の過去

 上の記事は私が今年五月に書いてアップした記事ですが、概要を述べると厚生労働省が直々に、残業時間が非常に長くて改善が見られないいわゆる「ブラック企業」としてエイジスという棚卸代行サービス会社を公表した件について論じています。記事中にも書いてある通り私はこの会社で学生時代にアルバイトをしたことがあり、あくまでアルバイト目線で言えばそこまで変な会社だとは思わなかったし、棚卸代行という業務内容から言って決算前の繁忙期に勤務時間が極端に長くなるのは仕方のない面もあるのではと擁護するような形で記事を書いています。

 このエイジスの件を引っ張り出して何を言いたいのかというと、何故電通はこれまでに厚生労働省からブラック企業として公表されなかったのだろうかと言いたいわけです。報道によると電通では以前にも新入社員が過労死する事件が起きており、また超過勤務も当たり前な上に当局から軽く注意を受けるや少なく申告するといった隠蔽工作も行われていたとのことで、何故これほどまでに既成事実が積み上がっていたにもかかわらず「ブラック企業」だと厚生労働省は名指ししなかったのか。少なくとも私はエイジスで過労死が出たという話は聞いたことがありません。
 はっきり言えばエイジスなんかより電通の方がずっと悪質かつ問題も底深い上に、上の事例を鑑みるだに反省のかけらもへったくれも見えません。にもかかわらず厚生労働省は電通には名指しでの批判を行っておらず、先のエイジスの件と比較すれはするほど公平性に欠けた対応にしか見えず、真に批判すべき対象はどっちかと問いたくなります。

 何故厚生労働省が電通を批判しないのかは言うまでもなく電通がエイジスなんかよりずっともっと大きい会社だからでしょう。逆を言えば批判しても抵抗することが出来ないとわかっているからエイジスをわざと槍玉に挙げてほかの巨大企業については何も批判を行わなかったのが実情だろうで、一言で言えば厚生労働省は弱い者いじめをやっているんだなとこの件で私は思いました。なので真に取材、批判すべき大将は電通とか関電ではなく厚生労働省で、何故これほど問題のある企業を放置してきたと突っかかった上で、いつ電通をブラック企業として名指しで批判するのかをマスコミは聞くべきではないかと密かに考えています。まぁこうした意見はざっと見ている限り自分以外で発信してる人はいないようだし、そこまでやるマスコミは出てこないでしょうが。

 最後に、冷たい言い方をすると既に過労死してしまった人間についてとやかく言い続けても仕方のない面があります。それよりは今後、過労死をどうやって減らすか、過労死を生むような会社をどう淘汰するかを考えることの方がより建設的であるというのが私の意見です。

2016年10月19日水曜日

後悔より始まる責任感

 前回の記事では映画のスパイダーマンについて延々と語りつくしましたがリアルでもあれやると軽く引かれます。とはいえ、自分がどれだけスパイダーマンが好きかはあの記事読んでもらえば大体わかってもらえるでしょうが、私が何故スパイダーマンを好むかと言うと彼のヒーローとしての孤高性はもとより、彼がヒーローとなったきっかけとその動機が個人的に胸を打ったからです。

 映画を見ている人なら話は早いですがスパイダーマンの中の人ことピーター・パーカーは偶然スパイダーマンとしての能力を得た直後はその力を私利私欲に使い、掛け試合に出てお金を稼ごうとしたりしますが、捕まえようと思えば捕まえられた強盗を「自分の仕事ではない」と敢えて見逃したところ、その強盗によって自分の養父である叔父が殺害されるという皮肉な結果を招くこととなります。この体験と叔父から受けた言葉からピーターは、自分の持てる力を可能な限り他人のために使うヒーローとなることを決心し、自己犠牲的なヒーロー稼業にのめり込んでいくこととなるのですが、スパイダーマンのヒーローとしての原点はやはりこの時の「後悔」にあると言えるでしょう。

 ここで話は変わりますが、今年に高い人気を保ったままジャンプ作品としては珍しく円満に終了した「暗殺教室」という漫画作品があります。この作品の主人公の「殺せんせー」は頭もいいし教え方も上手だし授業帯でも生徒の悩みにいくらでも応えてくれる上にマッハ20で飛び回る、教師としてはこれ以上ないくらい理想的な教師で生徒たちを時に厳しく時に優しく導きます。しかしその姿は見ようによってはやはり自己犠牲的で、まるで生徒の存在が人生すべてであるかのようにももえるのですが、ネタバレになるので核心については省きますが、この殺せんせーも過去に起きたある事件に対する深い後悔をきっかけに生徒たちへの指導に全精力を傾けることを決心するようになります。
 この「暗殺教室」についてこうした評論はあまり見ませんが、突き詰めればこの作品は後悔に対する物語だと私はみています。

 あくまでお話の上ですが、上記の二作品における主人公はどちらも過去のある後悔をきっかけに強い責任感を持つようになり、その後の行動、ややもすれば自己犠牲的な行為を行うようになります。私は何もこうしたことはお話の中だけでなく現実でもそうであるように思え、責任感というのは大抵は後悔より始まるのではないかと思え、特に他人を巻き込む後悔ほど「二度としてはならない」という意識を喚起させるものはなく、そうした体験が多ければ多いほどその後の行動は慎まれ、反省を生かそうという意識が働いて当人、ひいては周囲にとってもいい影響を及ぼすのではないかと私は考えています。とはいっても、度が過ぎて自己犠牲的になりすぎたらそれはそれで問題でしょうが。

 世間ではよく後悔に対してネガティブな印象が強くしないならしないに越したことがないとも言われますが、自分はそうは思わず、率先して後悔しろとまでは言いませんがあったらあったで役に立つから避けるようなものではないと思います。もちろん後悔から何も学ばず同じ後悔を何度も繰り返すのは問題外で、一番肝心なのは二度と繰り返してはならないという強い信念を持つことにありますが。

 なお今日の帰り道、ふと一年前の自分を思い返しましたがちょうどこの時期に転職先の当てもまだなかったのに前に所属していた会社を辞めようと決心、というか辞めると会社に宣言しました。辞めた理由は絶対に許すことのできない人間がいたためですが、この決断に至ったのも過去に問題があるとわかっていながらも自分さえ我慢していれば丸く収まると思って我慢した所、余計な人間を巻き込んで不幸にさせてしまったという後悔に対する反省が働いていたかもしれません。
 幸いにして一年前と比べれば今の状況は大きく好転しており、行き当たりばったりな自分の決断もたまにはうまくいくもんだとつくづく思います。

2016年10月17日月曜日

映画「スパイダーマン」の系譜

 今年日本でも公開された「キャプテンアメリカ3 シビルウォー」はキャプテンアメリカシリーズでありながらアイアンマンを筆頭に他作品のヒーローが一堂に勢ぞろいして実質的には「アベンジャーズ3」といってもいいような豪華な作品でした。この作品にはキャプテンアメリカ、アイアンマンの主役二人に加えほかにも様々なマーブルヒーローが登場するのですが、その中でも公開前から最も期待が高かったのはほかでもなくスパイダーマンでしょう。

 ディズニーが作る一連のマーブル実写化作品でスパイダーマンが登場するのは今回が初めてですが、そもそもマーブルヒーローの中でも屈指の人気を誇るスパイダーマンは何故これまで出てこなかったのかというと映画化権の問題があったからです。スパイダーマンはトビー・マグワイア主演での初の実写映画化作品からずっとソニーピクチャーズが製作しており、映画化権も彼らが持っているためディズニーは他のマーブルヒーローと一緒にスパイダーマンを作品に出演させることが出来ずにいました。
 そんな状況が変わったのは確か一昨年で、やはりヒーローものは勢ぞろいすることに価値があるという打算的観点から、ディズニーとソニーは協議を持ってお互いの作品の中でお互いの版権キャラクターを無料で使い合ってもよいということを確認し合ったことにより晴れて今回、スパイダーマンがディズニー作品に出演することが出来たわけです。

 この判断の裏には既に書いたようにお互いに細かいことは抜きにしてエンターテイメントを盛り上げようという打算的観点もありますが、恐らく実際はそれ以上に、アンドリュー・ガーフィールド主演でリブートした「アメイジング・スパイダーマン(アメスパ)」シリーズが思ったより振るわなかったことがソニーを大きく動かしたのではと考えています。

 トビー・マグワイア主演の初代スパイダーマンシリーズは歴代興行収入を更新するなど記録に残る大ヒットを残し、「ヒーローものは当たる」という価値観を作り現在のハリウッドにも少なからぬ影響を残すほどの作品でした。しかしソニーと監督側で衝突があったことから初代シリーズは3で終了し新たにリブートして作ったのがアメスパでしたが、興行収入は黒字も黒字で十分にヒットしたと言える成績を残してはいたものの、ソニー側としては「スパイダーマンなのに」と洩らすほど期待したほどの成績ではなく、実際に初代スパイダーマンと比べると確かに成績面で大きな差がつきました。

 映画を見た私の目からしてもアメスパは正直物足りないというか、初代シリーズと比べてやや残念な作りでありました。俳優陣は非常に頑張ってて演技力も申し分なく、特にヒロインに関しては演じたエマ・ストーンはマジ美人だと感じるほどの女優でしたが、逆にそれがこの作品にとってネックとなったように思います。具体的に述べると、スパイダーマンこと主人公のピーター・パーカーが幸せすぎるというか流行り言葉で言えばリア充過ぎており、そこそこ体格もよくイケメンで、自分がスパイダーマンだと知っているかわいいヒロインと付き合いながらスパイダーマンやってて、「こんなハッピーなのってスパイダーマンじゃない」って見ながら何度も思ったわけです。
 原作を知ってる人には早いですがスパイダーマンはその正体を隠しながらヒーロー活動をしており、活動のせいで大学の授業単位を落としかけたり、バイトをクビになったり、デートに遅れたり、新聞には小悪党などと書かれたりとプライベートでは非常に報われない生活を送ってたりします。だからこそ彼の孤高なヒーロー性は光り、誰かに認められることがなくともヒーローとして戦い続ける姿に皆が強い共感を覚えるため人気ヒーローとなれたわけです。

 初代スパイダーマンはこの辺の演出が徹底しており、パーティでグラスを取ったら既に誰かに飲み干されたグラスだったり、片思いの相手が親友と付き合いだしたりと非常に報われず、また主演のトビー・マグワイア自身が華奢な体格のため如何にもパッとせず弱弱しいというのも見逃せない点です。おまけにヒロインのキルスティン・ダンストも美人かと言われたら「?」がつく容姿で、「本当に愛しているのはあなただけ……」と、ピーター(=スパイダーマン)に言いながら何度も男をとっかえひっかえする様は見ているだに憎たらしく、一時期嫌な女の例えとして「MJのような女」という言葉を私も多用しました。
 こうしたスパイダーマンをこき下ろす演出や脚本がアメスパにはないため1も2も見はしたもののあまり評価していなかったところ、なんとアメスパは2でシリーズが打ち切られることとなり、二度目のリブートが行われることをソニーは発表しました。そして新たに作られるスパイダーマンには、冒頭の「シビルウォー」でスパイダーマンを演じたトム・ホランドがそのまま続投して演じることが先頃に発表されています。

 「シビルウォー」ではキャプテンアメリカ連合に対抗するための援軍としてアイアンマンがスパイダーマンをスカウトするという形で登場し、登場シーンは決して多くはないのですが、それでもそのわずかな登場シーンだけでトム・ホランドについて私は強い期待感を覚えました。スーツを着たアクションシーンはスーツアクターがやっているであろうためこの点の評価は避けますが、バレエをやっていただけあって身体の動きには切れがあり、なおかつ普通の高校生の振りをしながらアイアンマンに茶々を入れられるや一瞬でヒーローの顔つきになる演技の仕方は厳しいオーディションを抜けて来ただけはあると納得させられます。そして何より、初代スパイダーマンことトビー・マグワイアを彷彿させる華奢で弱弱しそうな見てくれは見事スパイダーマンに合致しており、現時点においてすら彼が主役を演じる新たなスパイダーマンが出来上がるのを楽しみでしかたありません。

 なおシビルウォーでのキャプテンアメリカ達との戦闘では原作通りに常に冗談を言い続けて敵からも「しゃべりすぎだ」と注意されたり、蹴って殴って盾飛ばすしかないキャプテンアメリカと違い、糸を使って縦横無尽に飛び回りつつ戦うスパイダーマンのアクションは「これこそスパイダーマンだ」と久々に唸らされました。しかも戦闘中、キャプテンアメリカから「イキがいいな坊主、どこの出身だ?」と尋ねられ「(ニューヨークの)クィーンズだ」と答えるやキャプテンアメリカがニヤッと笑い、「(俺は)ブルックリンだ」と返答するシーンの演出はこれまた非常に心憎かったです。
 しかもこの映画のスタッフロールの後、傷を負って(痣程度だが)帰ってきたスパイダーマンに同居しているメイ叔母さんから、「誰とケンカしてきたのよ?」と聞かれ、「あー、えーっと、ブルックリンの連中に絡まれたんだ。スティーブって奴に(キャプテンアメリカの本名)」といってごまかすシーンが設けられています。っていうかソニーなんかより、この際だからこのままディズニーがスパイダーマン作ってくれないかな……。

  おまけ
 「シビル・ウォー」ではトム・ホランドという新たなスパイダーマンに期待を感じた一方、スパイダーマンの育ての親に当たるメイ叔母さんを演じる女優にも目が行きました。これまでの映画でメイ叔母さんは初老の女性で、例えて言うなら「カントリー・マァム」っぽい女優が演じていましたが、この映画だとまたえらく若そうに見えて美人な、例えて言うなら「メルティ・キッス」っぽい女優(マリサ・トメイ)が演じていて、「え、あんた本当にメイ叔母さん?」って目を丸くしました。
 スカウトに来たアイアンマン(ロバート・ダウニー)も、「それにしてもこんなに若くてきれいな叔母さんがいるなんてな」と言うや、「叔母さんにだっていろいろあるわよ」と、これまた色気ムンムンに答えるセリフも用意されあり、これまでにない新たなスパイダーマンのストーリーが始まりそうで非常に楽しみです。
 なお上記のシーンを演じたマリサ・トメイとロバート・ダウニーの二人には交際歴があったそうです。これ絶対わざとキャスティングしたんだろ。

2016年10月15日土曜日

北朝鮮が本当に憎い相手

 昨夜、例のアデランスのMBO実施のニュースについていたYahooのコメントに「ハゲタカファンドが絡んでいるかも」という秀逸なツッコミを紹介したところ友人から、「ハゲネタかなり好きでしょ」と言われました。

 話は本題に入りますがあまり世間でこうした分析が出ていないので敢えて私から言うことにしますが、北朝鮮が現在最も憎んでいる相手は日本でも、韓国でも、米国でもなく中国であると私は見ています。一体何故かというと、一言でいえば中国が北朝鮮を援助しているからです

 以前に塩野七生氏のコラムで、「米国が嫌われる理由のその大半は嫉妬からである」という伝聞での指摘が紹介されていましたが、これは実に正鵠を得た意見であると現在でも考えています。世界の富を占有しているとか他国の紛争に介入するとかいろいろ理由はつけられていますが、突き詰めれば世界で一番裕福であるということが憎まれる根源的な理由であり他は別に大したことはありません。その上で塩野氏は同じコラムで、「ODAを散々配っておきながら中韓から嫌われる日本も一考の余地がある」と指摘しており、実に塩野氏らしい鋭いツッコミがなされていました。

 話は北朝鮮に戻しますが、どうもこの国の行動を見ているとほかのどこよりも中国に対する憎悪が強いように思えてなりません。具体的に言えばこのところのミサイル、核実験の実施日で、中国の国会に当たる全人代や先日、浙江省杭州市で行われたG20の開催中に行われていますが、中国が国家の威信をかけて仕切っているイベントにぶつけており、実際にG20では本来の議論と並行して北朝鮮問題の対応に各国首脳は追われることとなり、これほど腹立つ嫌がらせはそうそうないでしょう。

 ではどうして北朝鮮は中国を憎むようになったのかですが、金正恩が単純に中国嫌いだと言えば片付きそうですがもう少し分析するとやはり先程に説明した米国への憎悪の様に、北朝鮮が中国から多大な支援を受けていることが原因のように思えてなりません。一見すると中国が北朝鮮に便宜を図っているため恩を感じてもいい所ですが、日本から中国へのODAの様に、案外こういう物ってお金や物資を受け取る側からしたら素直に感謝する気持ちよりも、「金持ちだからって上から目線で物恵みやがって……」という、嫉妬に根差したやや理不尽な憎悪を覚える傾向の方が強い気がします。特に北朝鮮は中国からの支援に大きく依存しており、実質的に中国が生殺与奪権を握っているということもプライドの高い北朝鮮政府からしたら我慢ならないのかもしれません。

 こうした見方はかねてより抱いていたため、今年に中朝国境にある丹東を訪れた際に私はそばの友人に対して、

「もし北朝鮮が戦争で滅ぶとしたら、この場所から軍隊が北朝鮮領内へ入るだろう。それが米軍か中国軍かロシア軍かはわからんがね」

 という予言を行っていました。まぁ実際問題として、南側の板門店から侵攻することはソウルから近すぎるためほぼないとは思います。

  おまけ
 今日ここで書いたように国際援助というのは与えた金額や物資量が大きかったりすると案外、感謝よりも嫉妬を受ける可能性が高いため、支援のやり方というのは意外としっかり考えないといけないものです。一番ベストな支援方法としては災害時の救助、物資支援で、これは確実に恨まれることもなく強く感謝され、後々まで語り継がれます。あのっていっちゃなんですが、中国でも時々成都大地震の際の日本の災害支援に言及し、中国人自身もよく覚えています。

2016年10月14日金曜日

サイレントキラー

 これは私が中学三年生だった頃のお話です。その日の朝、私は前夜にも食べたカレーの残りを朝食に食べて登校したのですが、言うまでもなくカレーを食べた後というのはおならが結構臭くなります。ご多分に漏れずその日の私も自分で出しといて自分で臭いと感じるほどだったので、しかもなんか腸の活動がやけに活発で出す頻度もその日は非常に多かったです。今思い返しても威力、頻度ともに桁違いの水準で、出した自分ですら自爆して苦しむレベルだというのにほかの人間が喰らったらマジヤバいだろと自分でツッコむレベルでした。それだけに、私の後ろの席に座る女子生徒が不憫でなりませんでした。

 当時の私は一番後ろの列から一つ手前の席に座っており、一つ後ろの席にはもはや名前も憶えていない女子生徒が座っていました。その日の私は大体30分に一発の頻度でおならを出しており、休み時間中ならまだしも授業中であれば席から立って離れることも出来ず、その女子生徒は半日に渡ってその日の私のおならを直噴で、逃げることも出来ずに受け続けたということになります。しかも臭いはきついのに全く音はでないサイレントキラーで。
 こうした状況は私自身もよくわかっており、後ろの女子生徒が不憫だと感じつつも自分にはどうすることも出来ず、なんか病気になったりしないかなと心配しつつ何食わぬ顔で授業を受け続けました。そしたら翌日、私が原因かどうかわかりませんが本当にその女子生徒が学校を休んじゃって、「えっ、もしかして俺が原因?(;゚д゚)」と、誰にも言いませんでした内心で凄い焦りました。前に書いた姉に対してやらかした事件の記事を書きながら急に思い出したので、やや下品な話ながらこの話も紹介することとしました。

2016年10月13日木曜日

公平な視点を保つ秘訣

 今月からガッキー主演でドラマが放送され始めたからかAmazonで「逃げるは恥だが役に立つ」という原作の漫画1巻が無料でダウンロード出来るキャンペーンがされていたので、前からそのタイトルとコンセプトに興味を持っていたのでダウンロードして読んでみて、はタイトルは一文字変えれば「禿げるは恥だが役に立つ」だなと思いました。役に立つのか?

 話は本題に入りますがそれほど機会は多くはないもののこのブログの読者と会って感想を聞くとよく、「評論の視点が非常に公平だ」という評価をいただきます。あまり図に乗るべきではないとはわかっていながらもやはりこうして言われるとうれしいものがあるのですが、実際に自分でもこのブログを書く際に視点が偏らないように普段から気を付けており、ある程度の努力は行っていると自負しています。
 そこで今日は私なりに、公平な視点を保たせる秘訣というか心がけを紹介しようと思います。以前にも似たようなことを書いているかもしれませんが、最近こういう思想めいた記事を描いていないように思うためどうかご容赦ください。

秘訣その1 一緒に怒らないし、一緒に悲しまない
 公平な視点を保つ上での秘訣はなにかと突き詰めて言えば究極的には「当事者にならない」ということになるのですが、そのファーストステップとしてはこの「一緒に怒らない、一緒に悲しまない」であるのではと考えています。
 事件の被害者などに対して「痛みを分かち合う」という表現があり彼らの気持ちに立ってあげることが大事だと言われますが、その行為自体は否定しないものの評論をする上では所詮は他人事として切って捨てるべきでしょう。というのも被害者の気持ちに寄り添い過ぎると加害者に対する憎悪が強まり、自分が被害を受けたわけでもないのに不必要な怒りを覚えてしまう可能性があるからです。こうした態度は明らかに物事を見る目を曇らせ通常であれば見えるものを見えなくさせてしまうため、被害者に対し同情を覚えることはあっても彼らの立場に立って物事を主張してはならないというのが持論です。

秘訣その2 自分の感じた気持ちを押し出す
 これは状況によっては逆効果を生むかもしれませんが、こと私に限っては評論を行う際に自分の気持ちを前面に押し出すようにしています。先程のその1とも被りますが、他の誰かの立場や視点に立って物を述べると見方によってはやや無責任な言い方になるきらいがあり、具体的に言うと、誰かが苦しんでいるからその苦しませている原因は批判してもよい、というように被害者の存在などを言い訳にして批判するような口上となってしまうからです。
 もちろん上記のような主張の仕方も全部悪いわけじゃないですが、冷静にその原因が社会に対してどのような影響を及ぼしているのか、その影響が自分にも回ってきて損をさせられそうだというように自分の視点で物を考えて批判する方が私は好きです。ほかにも不正に儲けているような人間や団体に対しても、搾取された人間の立場で不当だと述べるより、「一人で儲けやがって、俺にも寄越せよこの野郎!」みたいなトーンで批判する方が割とストレート且つほかに人間にも共感が得やすい主張となるためいいような気がします。

秘訣その3 自分の保身を考えない
 これが出来るのは案外自分だけかもしれませんが、自分の願望なり不満なりが入るともちろん評論というのは偏りが出てしまいます。逆に自分の損得を越えた意見というのは聞く側からすれば高い説得力を持ち、特に自分が不利になるような意見を敢えて主張すればまず相手は信用するし、その意見が公平であると信じ込みます。
 私の場合は普段からして全く保身めいた行動や言動がなく周りから、「もっと自分を大事にしろよ」とガチで言われるくらいやや特殊な性格しているため、このブログで主張する意見にもそうした物が反映され、それらが公平な視点であるかのように見えるのかもしれません。ただ私みたいな性格した人間はそんなに多くはないだろうし、これができる人間はほかにもいるのかと言われれば少し悩みます。

  おまけ ちょっとした説得テクニック
 秘訣その3で述べた、自分が不利になるような意見を敢えて主張するというのは実際の交渉テクニックとしてほかでも述べていますが、日本人は横並び意識が極端な強いため敢えて自分を落とすことで極端な主張をしても許されるし受け入れさせるというか反論できなくさせることもできます。
 たとえば、「戦争になっていざとなったら人間を盾にすればいい」といえば相手は確実に、「他人を踏み台にするのか?」と聞いてくるのでその後で、「いや、真っ先に使えない自分が盾にされるよ」といったら十中八九相手は黙ります。実際に盾になる気持ちがあるかどうかは置いといて、面倒な議論を終わらせたいときには敢えてこういう主張の仕方をして黙らせています。

2016年10月12日水曜日

海外拠点閉鎖に対する富士通の態度

富士通、英で最大1800人削減へ EU離脱「無関係」(朝日新聞)

 狙ってたわけじゃないですが上のニュースを見てタイミングがいいなと思いました。というのもつい先週、富士通に対し海外拠点閉鎖(本文中では解散、清算、譲渡を指します)について心あったまるメールを送っていたからです。

 知ってる人には早いですが私は「企業居点」という日系企業の海外拠点情報ををかき集めたサイトを運営しており、先週の休暇中にいくらか追加することでとうとう収録件数は2万件を突破し、誇張ではなく日系企業の海外拠点に関しては自分が最も多くのデータを保有していると自負しています。
 ただこの海外拠点データですが調べるのも大変であるもののもっとも厄介なのは更新で、日系企業が海外拠点を新設したり閉鎖した場合をどうするかという点で結構頭を悩ませています。一応、企業のプレスリリースを毎日チェックして発表があれば適宜編集を加えているものの、新設はまだ発表されることも多くマシですが閉鎖となると実は発表しない企業の方が大半です

 上場企業は投資家に対し、経営に影響を及ぼす情報については可能な限り早くかつ正確に開示する義務が課せられています。このような前提に立てば工場を含めた海外拠点の閉鎖ともくれば経営に対し大きな影響を及ぼす重要事項としか思えないものの、実際には株価へのマイナス影響を恐れてかほとんどの企業は閉鎖情報をめったに公開することはありません。
 実際に具体例を挙げるとたとえば2012年にパナソニックは上海にあったプラズマテレビの生産工場を運営する現地法人を閉鎖しましたが、これなんて一切プレスリリースで情報は出さず、私が直接広報部に聞くまでは明かしていませんでした。何気にこの情報は日系メディアで自分が最も早く報じたけど、それほど大きな新聞じゃなかったから世間には無視され、三ヶ月後に共同通信が報じたらYahooニュースのトップに載っててなんだかなって気になりました。

 またシャープもこの前無錫法人を閉鎖していたことを財務報告書にこっそり書くことで明かしましたが、単独ではプレスリリースを出していません。このように往々にして企業は、日本国内の子会社ならまだしも海外拠点の閉鎖については情報を出し渋り、はっきり言えば隠蔽しようとする傾向すらあります。
 情報というものは公開されればされるほど世の中は良くなるはずだという思想を持つ私からすればこうした日系企業の現状はあまり好ましくなく、経済的にも不効率な点が出てくると思うだけに企業居点使ってなんかやってみようかななどといろいろ考えてたりもします。

 そうした延長だったというべきか先週に拠点データを色々あさっている最中にふと、富士通の拠点を洗い直してみようと思い立ちました。なんで富士通なのかというと私のサイトでは海外現地法人のホームページもリンクで結んでいるのですが、このリンクが切れるというかホームページサイトが消失する例が富士通に突出して多かったからです。特に半導体系。
 恐らく海外拠点を閉鎖したんだろうなと想像はしていたものの三年前に収集した海外拠点データをこれまで実際に比較し直したことはなかったため、今回改めて現在公開されている情報と照合して残っている海外拠点、消失した海外拠点を洗ってみました。結構多くの拠点で名称がかわってたりもしましたが、私の調べだと以下の拠点が富士通のオフィシャルサイトから情報が消失していました。

<サイトから情報が消えてしまった富士通の海外拠点>
・富士通半導体設計(成都)有限公司
・至亜網絡技術(上海)有限公司
・Glovia International Asia Pacific Pte. Ltd.
・Fujitsu PC Australia
・Inmotion Audio (Australia) Pty. Ltd.
・Teamware Group Oy
・ICL-KMECS
・Fujitsu Caribbean (Bahamas) Limited
・Fujitsu Caribbean (Barbados) Limited
・Fujitsu Caribbean (Jamaica) Limited
・Fujitsu Mexico Systems S.A. de C.V.
・Fujitsu Ten de Mexico, S.A. de C.V.
・Fujitsu Caribbean (Trinidad) Limited

 どれも確認してみましたが閉鎖したと発表したプレスリリースは出ていません。さてそうなると聞くしかないわけで、「これらの会社の情報が消えてるけど閉鎖でもしたの?」と富士通に直接聞いてみて、返ってきた回答は以下の通りでした。

<富士通からの回答>
グローバルサイトの海外拠点情報につきましては、
当該子会社の解散・精算・譲渡・社名変更等により
掲載情報が変わることがあります。
一方で、グループ会社の解散・清算・譲渡・社名変更を
全て公開しているわけではございません。

当社連結財務諸表に重大な影響を与える変更等は
プレスリリース等により適時開示されていますが、
影響が軽微な拠点の変更等については社外秘事項として
非公開となるケースも多く、解散・清算・譲渡に限らず、
会社名変更などにより、 以前掲載されていたサイト等からは
当該情報が参照できなくなることもあります。

 如何にも日系企業らしく曖昧にごまかそうとする回答ですが、存続していたら堂々と存続するという回答が出されるはずだと考えるとどうやら上記の会社は大半が閉鎖済みと見て間違いないでしょう。それにしても友人も言っていましたが、海外現地法人をこれだけ潰して「影響は軽微」と主張するのは無理があるし、富士通の広報は大したレベルじゃなさそうです。何気に今まで一番手ごわかった広報はみずほ。

 もっとも今回、富士通は割とレスポンス早く回答してくれたことと、サイト上ではきちんと情報を削除している辺りはまだマシと見るべきかもしれません。名指しで悪いけど東海カーボンに至っては、2013年に西格里特種石墨(上海)有限公司(SGL TOKAI CARBON Ltd., SHANGHAI)という海外拠点を閉鎖しておきながらホームページ上ではまだ情報を載せています

 繰り返しになりますが海外拠点の閉鎖情報を隠そうとすることは確かに株価維持という保身の面から見て全く理解できないわけじゃありませんが、インサイダーや企業統治の面でリスクになる可能性も高いだけにこうした風潮は早々に改めるべきだと私は考えます。
 最後にきちんと拠点閉鎖情報を公開した例として、最近目を見張ったのはトクヤマのマレーシア拠点の閉鎖です。かなり大きな案件ですがトクヤマはきちんと閉鎖情報を公開した上で詳細なデータや今後の影響を解説しており、この一点を以ってしても情報公開のしっかりした会社だという印象を受け好感が持てます。他の日系企業もぜひトクヤマを見習い、経済記者が楽できるような情報公開を行ってもらいたいものです。

2016年10月10日月曜日

国家が反逆者を育てる意味と価値

 いきなり言うのもなんですが、私の出身大学は国家や政府に対する反逆者を作るという意味ではそこそこの環境と実績を持った大学だったと思います。知ってる人には早いですが私が卒業した関西の私大では、「ルールがあったらまず破る」というような妙な価値観が学生全体に蔓延しており、フリーダムというよりはただただ反逆的で、「これこれこうしなきゃならない」と言われたら、「じゃあまずそれは置いといて」と言い返して無視するところから始まるというのがリアルで多かったです。特に、「従順こそ最大の美徳」、「周囲と同じであることは素晴らしい」という価値観が皮肉ではなく本気で蔓延している関東から関西に渡った私からすればかなりのカルチャーショックを受ける場でもありました。

 一体何故私の出身大学がそんなアナーキーな学校だったのかというと一番大きな理由はまず関西圏にあること、次に私学であったことが挙げられます。もっともそれ言ったら、国立の京大もアナーキーっぷりには定評ありますが。
 上の二つ以外に私の思う理由を挙げると、単純に創立以来の校風がやはりそうさせていたんだと思います。なんちゃってミッション系スクールから始まりとにかく自由を追い求める校風となったそうで、戦時中に学生が喫茶店にいたところ憲兵に見つかり、「学生の分際で何しとるんやこら。お前、どこの学校のもんや?」と聞かれ学校名を答えたら、「あかん、あそこは治外法権や」と言われて許してもらったという冗談みたいなエピソードもあります。

 とまぁそんな感じでそこそこ有名なテロリストも輩出したこともある大学なのですが私にとっては非常に相性が良く、小中高と常に学校嫌いであったにもかかわらずこの大学だけは好きになることが出来ました。そしてそんな私に言わせると、私の出身大学の様に国家や政府、果てには既得権益層に対して理不尽に反感や拒否感を持ち噛みつこうとする反逆者を、国家や社会はある程度育てる必要があると思います。もちろん、そういうのばっか育てまくったらそれはそれで問題ですが……。

 一般に国家による教育となると、国家に対して従順な国民を作ろうとする教育を想像するかと思います。もちろん今の日本の教育の根底にあるのもこうした考え方ですが(日教組は逆だろうが)、その一方で私は国家に対して反逆意識を持つ人間を教育で作ることも国家にとって必要であり責務であると考えています。一体何故そう考えるのかというと単純に、反逆思想を持つ人間が一定割合いる方が国家として明らかに強くなるからです。

問題を探す力、発見する力

 上記記事は8月に私が書いた記事ですがこの中で私は、「エリートは問題解決能力には優れるが問題を発見する力には疎く、逆に非エリートは問題を解決することはできないが発見する力には優れている」と主張し、卑近な例として豊洲問題で活躍中の共産党を引き合いに出しました。
 突き詰めて言えばまさにこの点が反逆者を育てる価値のポイントに当たり、国家というのは従順なものばかりで構成されると問題がそこに存在しながらも誰も気づかずに手をつけなくなる傾向があり、こうした問題なり欠陥を指摘して社会に解決を促させる上である程度社会の中で反逆者を育て、囲う価値が絶対的に存在すると主張したいわけです。

 ある意味こうした役割は自分たちにのみ都合のいい報道の権利をかざすジャーナリストがになっており、問題があるとわかってても彼らをある程度野放しにしておくことこそが「反逆者を囲う」こととなり、彼らのような存在を一程度の比率で存在し続けさせるためにも「反逆者を育てる」ということも必要で、その役割はやはり私学が担っていると関西発の私学出身者である私としては信じてやみません。

 恐らく普通の日本人が以上の私の主張を見たら、「なんてこいつは過激な奴なんだ」と思われるかもしれませんが、一切の反逆者を許さない社会を想像されたら私の意見に即賛同していただけるかと思われます。具体的に言えばそれは旧ソ連や今の中国、極端な例なら北朝鮮とかで、こうした国々の社会では社会に問題があっても是正が効き辛く、既得権益層もずっと存在し続け、よっぽどまともな改革者が運よくトップにでも立たない限りは何も変わることはありません。こうした社会を比べるにつけ、料理に混ぜる少量のスパイスじゃありませんが国家にとって反逆者を5%くらいは存在させ続けるべきではないでしょうか。
 もちろん、暴力的な活動を行うようなテロリストは論外でこうした連中は見つけたそばから殺しておくに限るでしょう。江戸時代の農民政策じゃありませんが、生かさず殺さずが反逆者に対する扱いのポイントです。

 過去の歴史を見るとやはりこうした反逆者を一程度許容する国や社会ほど強く、明治以降の日本も限定付きではありますが社会主義者の結党を認めたり、国立以外の学校も大学として認めて加えるなどしてこうした治世のツボをしっかりとつかんでいたように思われます。あとこれは映画「マトリックス」のセリフですが、「一程度の不確定要素を備えることでシステムは安定する」とはなかなかに金言な気がします。

 最後に蛇足かもしれませんが、私は日本の新聞社などは反逆者として認めていません。何故なら彼らは完全な既得権益層に成り下がっており、それを知らない振りして自分たちが弱者であるかのように振る舞っているからです。更に言うと、弱者であるということが武器になると知ってて弱者だと声高に主張する者はもはや弱者ではない。強い弱いに関係なく、ただ気に入らないという理由だけでむやみやたらに噛みつく者こそが真の反逆者である、というのが私の反逆論であります。

  補足
 上記でお手頃な反逆者の割合は5%と書きましたがこれは完全に適当に述べただけの数値で特に根拠はありません。逆に80%とか100%みたいに反逆者が多数派の世界ってどんななのかなと想像してみましたが、映画の「マッドマックス」の世界しか浮かびませんでした。

2016年10月9日日曜日

広島ガス子会社の循環取引事件 後編

 前回に引き続き広島ガス子会社に起こった循環取引という会計不正にまつわる事件を紹介します。

 さて前回では広島ガス株式会社の子会社である広島ガス開発株式会社(HGK)の営業社員Xが知らないうちに木工資材の循環取引に巻き込まれ、途中からはもうやめられなくなって何故だか自分が取りまとめ役にまでなってしまったというところまで解説しました。そもそもこのXが社内の上司らに報告しなかったとはいえ、どうして会社側はこの循環取引に途中で気付かないまま十年近く同取引を続けてしまったのでしょうか。

 この理由について先に説明すると、まず循環取引はほかの会計不正と比べてばれにくいある大きな特徴があり、それは何かというと現金と伝票がきちんと取り交わされるという点です。商品という実態のない取引とはいえ続けている間は取引先から正式な伝票が発行された上で入出金もきちんと行われるため、内部監査などでも担当者が問題ない取引だと言ってしまったら検出することは非常に難しいでしょう。
 加えてHGKの場合だと同取引は問題のXが取り仕切っていたため第三者の目が入り辛く、また途中からXが営業課長にもなったため上司による監視の目も減ってしまいました。Xに誘われ循環取引だと知らずに参加してしまった同じ広島ガス子会社の広島ガスリビング株式会社(HGL)では実態のある取引なのかより厳しくチェックしており、最終消費先となる工事名から工事現場などに足を運んで実際に工事が行われているかを確認していたようですが、循環取引の取りまとめ役があらかじめ行われる予定の工事をネットなどで調べた上で取引明細に加えておくという隠蔽工作を行っていたため、上記のHGLによるチェックも潜り抜けていました。

 話は戻りますが、それまでの取りまとめ役だった人物が交通違反で逮捕収監されることとなってしまったことで2008年よりXが代わりに取りまとめ役を務める羽目となりました。取りまとめ役となったXは違法な行為がばれないよう、循環取引に関わる各社に対し取引の価格や量を事細かに指示し、上記に描いた様な最終消費先となる工事案件を調べて明細に加えたりなどして偽装を続けましたが、終わりっていうのは案外あっさりくるものです。

 同じ2008年の8月、この月に起きたマンション大手(時期的に見て同じ広島県の「アーバンコーポレイション」と思われる)の破綻を受けて、HGL社内で木工資材の今後の販売はリスクが高いと判断して同取引からの即時撤退を決定しました。
 広島ガスの報告書によるとこの循環取引が発覚した経緯は翌2009年3月の国税調査からの指摘としていますが、実際には撤退に先だって行った取引先とのやり取りや過去の取引の見直しなどから明るみに出たのだと思います。2009年3月発覚で同年4月に調査報告書を出すのはかなり難しいと思うし。

 とにもかくにも、木工資材取引からの撤退が契機となってすべてが明るみとなりました。過去約10年間の同取引の累計売上高は約444億円、累計利益は約12億円にも達しており、売上げ高だけで見れば昨今の大きな会計不正事件にも勝るとも劣らない金額です。
 事件発覚を受け親会社の広島ガスでは弁護士をメンバーに入れた調査委員会を組織して調査し、今私が見ている報告書をきちんと作成した上で公表しておりこうした姿勢は非常に好感が持てます。なおこの報告書は非常にわかりやすくまとめられているため興味がある方は是非一回は読んでもらいたいです。

 そしてその後の結末ですが、HGKでは全役員が解任された上で民事再生法の適用を申請して破綻した後、グループ会社の広島ガステクノサービスに事業譲渡して清算されました。当時の報道によると循環取引に関わった会社は計25社あったとされ、事件発覚後に少なくとも5社が経営破綻したそうです。
 関係者については事件の主犯となったXはもちろん解雇され、後に詐欺容疑で逮捕されています。そのXと共にパナソニック電工の子会社であるパナソニック電工リビング中国の社員を含む4人が一緒に逮捕されており、計5人が捕まる結果となりました。そして事件当時のHGK社長であった人物は翌年、自動車の車内で練炭自殺した姿で発見されました。

 自分がこの事件を知ったのはたまたま偶然でしかないのですが、一見してすごいドラマがある話だと感じました。事件の大きさといい循環取引という非常に見え辛い会計不正の手口もさることながら、主犯となってしまったXが本人も知らないうちに循環取引に巻き込まれ、いつの間にか取りまとめ役になってしまっていたという点でいくらかの同情心と共に、その運命の翻弄具合には言葉では言い表せない感情を覚えます。
 それこそXについては彼を循環取引に誘った他社の人物が、HGLが同取引からの撤退を決めるわずか2ヶ月前の2008年6月に交通違反で逮捕されなければ取りまとめ役になることもなかったわけで、どっちにしろ捕まったとは思いますがその後の印象とかが色々違っていたのではと思うとまたここにも運命のいたずらのようなドラマを感じます。

 ややキザったらしい言い方になりますが、一旦運命に絡め取られてしまうと如何に人間は抗いようがないかをまざまざと見せつけられているような気がする事件で、小説とかドラマの題材にしたっても十分じゃないかと思います。その上で広島ガスについては前述の通り、この事件に関して非常に詳細な報告書を作成しており、三菱自動車とは対照的に個人的には非常に真摯な態度であるように思え評価に値する対応を取っていると考えます。果たして東芝とかはこれより面白い報告書を作成してくれるのか、期待するだけそれは無駄か……。

  参考サイト
当社子会社の不適切な取引に関する調査結果等のご報告(広島ガス)
民事再生法適用を申請した広島ガス開発(HGK)の架空循環取引に責任問う声(自己破産と民事再生情報)

2016年10月8日土曜日

広島ガス子会社の循環取引事件 前編

「木工資材の中間取引に入らないか?」

 すべての発端はこの一言からでした。
 広島ガス株式会社の子会社でガス工事などを手掛けていた広島ガス開発株式会社(HGK)の営業社員であるXは1999年に、取引先である木工事業者の担当者Hよりこのように誘われたそうです。当時、HGKでは従来のガス工事だけでなく内装工事なども手掛け始めたものの売上げは思ったより上がらず、Xが芳しくない状況をHに洩らした際の返答が上の発言でした。

 Hによると、木工工事はマンションなどに木製の内装を施工することが決まり木材資材を発注した後、実際に施工されるまでにはほかの工事を待たなくてはならないため仕入から販売までの期間が比較的長くなる傾向があり、その間に木材を仕入れた業者は売上げが長期間立たずキャッシュ・フローにも影響が出てしまうとのことでいした。こうした資金ショートのリスク分散のため仕入業者とゼネコンの間へ商社の様にHGKを入れさせ、マージンとして販売利益の一部を得ないかとHはXを誘いました。この商流を図で表すと以下の通りとなります。

木材メーカー
↓↓↓
仕入業者(Hの会社)
↓↓↓
中間業者(HGK)
↓↓↓
施工者(ゼネコン)

 実際にはHGKやHの会社だけでなく他にも複数の会社が絡むのですがそれは置いといて、こうした取引は一般的に「商流取引」と言われ、資金リスクを分散させるために木材に限らず多方面の商品で実際に行われている取引です。卸会社や商社を経由するのも一種の商流取引で、実質的にはメーカーが最終消費者へ直販するような形態を除けばすべて当てはまると言ってもいいのですが、この商流取引と「循環取引」の違いを述べるとすれば、それは商品が実際にあるかないかだけの差です
 このHGKの取引の場合だと仕入業者から木材を購入し、ある程度の期間を保有した後に次の中間業者へ中間マージンを上乗せして販売する形となりますが、書類上のやり取りだけでお金だけを動かすため仕入れた木材は仕入業者の所からHGKの倉庫へ移動するということはないという取り決めだったのでしょう。あればの話ですが。

 話は戻りますがこのHからの提案に賛同したXは早速上司に掛け合い、Xの上司もHGKの販売先となる会社が比較的有名な所であったことから問題ないと判断し、この取引にGOサインを出します。こうして同年には上記取引が2件、取引額にして約2億円が取り交わされ、翌年には12件、約8億円へと順調に拡大していきました。
 この取引はすべてHからの指示を受けてXは行っており、仕入価格から販売価格まで事細かに指示を受けて行っていました。取引はその後も年々拡大していったことからXは2003年、同じ広島ガス系列の子会社でガス用機械器具の販売を手掛ける広島ガスリビング株式会社(HGL)も商流に入らないかと提案し、これに賛同したHGLも取引に中間業者として加わるようになります。なお調査報告書によるとこの時のHGLの中間マージン率は2%で、資材の保有期間は一ヶ月程度だったとのことです。

 しかしまさにこのHGLも商流に加わった頃から、HがXに指示する販売先がコロコロと変わったり、入金が送れたりなど不審な点が見られるようになります。調査を兼ねてXがHと入金が遅れている販売先へ訪問した所、報告書の記述をそのまま引用すると、「取引に不明な点があることを告げるのを聞いたりしたため」、XはHに対し不信感を抱くと共にもしやこれは循環取引ではないかという疑念を覚えるに至りました。

 先ほどに商流取引と循環取引の違いは実際にやり取りする商品が存在するか否かと説明しましたが、もう少し循環取引について詳しく説明しておきます。

A→B→C→A→B→C→A→……

 以上の様に、複数の会社間で商品を伴わない実体のない取引を延々と繰り返し続けることが循環取引です。実体はないとはいえお金はマージンが載っかって動き続けるため、取引額は一つ動くたびにどんどんと大きくなり、たとえば一取引当たり10%のマージンが乗るとすると、最初にAかからBへ動く金額は1万円だとすると次にBからCへ行くときは1万1千円、さらにCからAへ行くときは1万1千1百円と、以下エンドレスに段々増えていくこととなるわけです。
 言うまでもありませんがこうした実態のない取引は法律でも禁止されているものの、仮にばれなかったとすれば各会社は見かけ上、確実に売上げと利益が伸び続ける取引を半永久的に継続できるため、まぁ一言でいえば楽してかなり儲けられることとなります。あくまで見かけ上は。

 しかしおいしい事にはリスクがあるもので、この循環取引について言えば途中で何らかの形で取引が止まってしまうと色んな意味ですべてが終わってしまうこととなります。ばれた状況にもよりますが、下手すりゃ循環取引で得た過去の累積売上げと累積利益が一瞬で吹っ飛ぶ可能性も含んでおり、関与したほかの会社も相応の打撃が待っています。ってかほんとこの場合の会計処理ってどうすんだろね。

 再び話はHGKのXに戻ります。薄々、実体のない循環取引であることにXも気が付いてはいたものの、既に2003年当時の年間売上げは48億円にも達していることからやめるにやめることが出来ず、社内の誰にも相談や報告をすることなく指示・まとめ役であるHの書類作成すら手伝うようにもなり、本格的に循環取引へ手を染めていきます。
 そのような架空取引を続けたまま数年が経った2008年、思わぬアクシデントが起こります。なんとそれまで取引の指示役だったHが道路交通法違反で逮捕、収監されることとなりました。もちろんHがいなくなり取りまとめ役がいなければこの循環取引は一挙にご破算となるわけで、窮極まったHはXと、同じ循環取引に関わっている別会社の担当者に対し循環取引の各社に対する取りまとめと指示を引き継ぐよう依頼し、両者もこれを引き受けます

 こうして、何も知らずに循環取引に巻き込まれたXが循環取引の主犯となってしまったわけです。その後のXの結末はまた次回に。心ある読者は広島ガスの調査報告書を読むのを1日だけ待っててね♪

2016年10月6日木曜日

より厳格化される社会

 2007年の事だったと思いますが社会学者の鈴木謙介氏の講演を聞きに行ったことがあり、この講演で鈴木氏は、「これからの世の中はすべて二極化する」と話していました。その具体例として鈴木氏は音楽ボーカロイドの「初音ミク」を引用して、「作曲した曲と歌詞のテンポを合わせるため試しに歌わせる作業はこれまでプロになりきれないセミプロの歌手が担っていたが、今後はこの初音ミクで代替されるため、これで生活してきた人は仕事を失くすだろう」と述べ、このようにこれまでは玄人と素人の中間にも仕事があったが今後はその中間の仕事がなくなるため単純に「食えない素人」が増加すると指摘していました。

 あれから大分年月も経ちますが、この指摘はやはり正しかったように思えます。ほかの国はどうだか知りませんが少なくとも日本社会においてはそれまで曖昧だった境界がどんどんと明確化し、またそのラインとなる基準もより厳しさを増しています。
 いくつか例を挙げると、たとえばゲームだとほんの少しでも些細なバグがあればネット上で槍玉に挙げられて即欠陥品として批判され、生活用品でも使用には問題なくても色あいや形が少しでも崩れていたらこれまた即クレームが起こってメーカーは四苦八苦する羽目となります。かつてであればゲームのバグもよほど進行不能とならない限りはユーザーも多めに見て(進行不能でも許されてたこともある)、生活用品も色合いの一つでおかしいと指摘すれば逆に気にし過ぎだと言われていたように思えます。

 こうした「境界の明確化」というか「厳格化」は最初に話した職業の面でも同様で、そこそこの実務スキルを持つ人間でもかつてはそこそこの給与で勤務することが可能であっても、現在においては給与を一段下げたとして勤務すること自体が出来なくなっているのではと思う節があります。何故なら、その人が持つのは中途半端なスキルであって、曖昧な社会では「0.5」とみなされたものの厳格な社会だとゼロサムであるため「0」か「1」しかなく、「1」未満はすべて「0」だからです。
 逆に正規スキルホルダーは以前以上の給与を得られることとなります。もっともその一方で、それまで「そこそこのスキルホルダー」が担ってきた業務も担わなくてはならないので前より忙しくなっているのではと思う節もありますが。

 長く語ってもしょうがないので結論を述べますが、こうした風潮なり傾向は私が歓迎するところではありません。単純にこの傾向は労働、富の偏極化をもたらし、社会が全体として弱くなる要素を多分に含んでいるように思えるからで、社会全体としてもっと寛容な姿勢を持つような志向が求められている気がします。より端的に述べれば、もっとカオスな社会を私は望んでいます。

 またもう一つ例を取り出しますが表現の世界でもやたらと表現を狭めようとする傾向が目立ち、90年代に流行したかつての言葉狩りは勢いが減ったものの今度は「著作権」がやたらと出張るようになり、実在する会社や商品名を作品に登場させることについていちいち許諾が求められるようになるなど世知辛い社会になってきたという気がします。虚偽の事実やあからさまに貶めようとする表現は確かに排除すべきですが、街の風景としてマクドナルドやガストといった飲食店舗をそのままの名前で出したらダメって一体何でやねんと実はすごい不満に覚えたりします。何故なら今そこにある現実を否定するかのような所業に感じるためで、こうした物が続いて行けば現実を表現すること自体が否定されるのではと危機感も覚えます。
 最後にもう一つ書き残すと、何故社会が厳格化したのかというとそれは間違いなく社会が情報化したからで、コンピューターの世界が現実社会にも浸透してきたとみていいでしょう。映画の「マトリックス」じゃないですが、あまりにも厳格化した社会だとどうしても齟齬が起きるのだからいくらかファジーな部分、工学でいうなら「遊び」の部分を設けるべきだと私は思うのですが。

豊洲問題の真の問題と後の展望

 昨夜知人たちとまた「いただきストリート」というゲームをしてきて、このゲームでは自分が物件を持っているエリアの株を買ってから増資するというのがセオリー(株価が上がって含み益が出る)なのですが、急ぐ状況から株を持たずに増資することをいつしか「株なし芳一」と呼ぶようになりました。芳一が意味不明過ぎてなんか気に入っています。

 話は本題に入りますが先日出た以下のニュースを見て、「まだ早い」と私は思いましたが、同じように思った人間はどれほどいるのだろうかと密かに気になっています。

フジテレビが1枚の写真で豊洲市場の柱の傾きを疑う→東京都は否定。専門家の見方は(BuzzFeed Japan)

 先日知人にもこのテーマで解説を行ってきましたが、一部で言われているように地下空洞における地下水は実はそれほど大きな問題ではありません。環境基準値を上回っているか否かがよく取り沙汰されていますが、飲み水や洗浄用水に使うわけではないため仮に基準値を上回っていたとしても使わなければ豊洲市場自体には何か影響するわけではありません。
 ただ都の職員は将来の地下改修工事の際における重機搬入口として作ったと話していますがあれだけ地下水が溜まっていれば重機を搬入するのに影響が出そうで、排出装置は用意してあるとは言っていますがなんとなくこの説明は嘘のような気がします。

 では豊洲問題はそんなに大騒ぎしなくてもいいのか、小池都知事が無駄に騒ぎ立てているだけなのか。あくまで個人的見解ですが、今の地下空洞問題は前哨戦に過ぎず、小池都知事は本戦に向けた地ならしとしてこの問題をせっついているのではないかと思われます。では本戦とは何かですが、強度偽装問題が必ずこの後に浮上してくると私は見ており、これこそが豊洲問題の本丸だと考えています。

 既に一部有識者などから豊洲の建物強度、耐震強度について疑問視する声が出ています。前者については市場内ではターレというフォークリフトが使われるにもかかわらず床の強度は1平方メートル当たり800kgしかなく、実際稼働時には2トンを越すと想定されるだけに絶対的に足りません。
 そして次に耐震強度についてですが、専門家ではないためあまりよくわかっていないのですが、建物を支持する基盤構造が余りオーソドックスなものではなく耐震強度について疑問点があると指摘する声がいくつか出ています。専門的な話は抜きにしてマルクス主義的に(=特に意味はなく)私が強度偽装があるのではと思う理由を以下に羅列します。

・手抜き工事の手法として一番うまみがある
・盛土問題が明らかとなって以降、誰も強度について言及しなくなった
・仮に偽装されていれば最も影響額が大きい
・その影響額を誰が負担するのか

 この四つの観点から、強度も結構怪しいのではないかと見ているわけです。
 仮に本当に強度が偽装されていれば豊洲市場の建物は完全に使用できなくなるため移転も不可能となります。それだけに事実がわかっていたとしてもおいそれとその事実を現段階で明らかとすることは、関係各所への影響から小池都知事の側としても難しいでしょう。

 そして四つ目の「誰が負担するのか」ですが、今の地下水問題はこの点を議論するための前哨戦となっているのではないかと私は見ています。現在いるプレイヤーは「東京都」、「ゼネコン」、「設計事務所(実質ゼネコン)」の三者で、この三者のうち誰が今回の不始末を負担するのかが後々決まってくるでしょう。実質的には東京都かゼネコンかで、今回の地下水問題のやり取りを見てもどちらも自分がババを引かないよう責任回避へ必死に動いているように見え、小池都知事の側も敢えて強度問題について今は触れず、地下水問題で白黒はっきりさせた上でその勢いをかって次のステップに踏み込もうとしているのではというふうに私は見ています。

 その上で現状、重要なポイントとなるのは、「誰が空洞案を持ってきたのか」です。先程に私は関係者が「自分がババを引かないように」動いていると指摘しましたが、都側が先日出した報告書では「曖昧なうちに決定された」とふわふわした表現を出してきましたが、多分これは確信犯でしょう。実際の結論は二つしかなく、案を出したのは都かゼネコンかしかないでしょう。
 まぁ言うまでもなくゼネコン側が案を出して、それを飲んだ都の責任者が誰かということになるわけですが、少し気が早いかもしれませんけどこの問題で何人か死ぬだろうなという気がします。

2016年10月3日月曜日

ゲームレビュー:ダンガンロンパ1&2

 真面目な記事書いてもいいのだけれどこのところ企業居点の大型アップデート作業に忙しいのでまた緩めの記事書いて気分転換にします。もっとも、固い記事であろうとも政治系の話題ならそれはそれで気分転換になるのですが。

 さて本題に移りますが、スパイクチュンソフトから発売されているゲームに「ダンガンロンパ」というシリーズがあり、非常に高い人気を得ています。このゲームはどういう物か一言でいえばアドベンチャーゲームで、カプコンから発売された「逆転裁判」という裁判討論をテーマにした同じアドベンチャーゲームが間違いなくベースとなっています。

 具体的なあらすじを述べると、1と2ともに十数人の高校生がそれぞれ閉ざされた学校と孤島に監禁された上で、ドラえもんの声優でおなじみの大山のぶ代氏が演じる「モノクマ」という動くぬいぐるみに、「ここから出ることは許さない。どうしても出たければ誰か一人を殺せば出してやる」と通告されるところからスタートします。ゲーム内では実際に殺人事件が起こるのですが、事件後に現場の検証や聞き取りを済ませた後で学級裁判が開かれ、残った生存者の中にいる犯人は誰なのかを生存者同士で話し合い、突き止めるというのがゲームの流れです。
 なお犯人は殺人を済ませただけで解放されるわけではなく、その後の学級裁判で「シロ」認定される必要もあります。犯人が「シロ」認定されれば犯人は晴れて解放され、別の人間を「クロ」と認定してしまった残りの生存者は処刑というか殺される羽目となります。逆に真犯人が「クロ」と認定されれば、真犯人のみが「おしおき」と呼ばれる処刑がなされる羽目となります。

 これだけ書くとさも陰惨な話に見えますが集められた高校生は皆、「超高校級の○○」という肩書を持つエリート達でどれも個性が強く、また演出が非常にPOPな感じで仕上げられているのでプレイ中には残酷性に関してそれほど強い嫌悪感を覚えないほどよく練られて作られています。一方で各キャラクターが殺されて死体となって出てきた際には上記に述べた通りに誰もが個性が強かっただけにそれなりの喪失感が感じられ、それとともに仲間たちの中に犯人がいて互いに疑心暗鬼とならざるを得ないシナリオは絶妙といっていいでしょう。
 そしてゲームの本番でもある学級裁判も、ほかの参加者の発言の中から矛盾点を指摘したり、事前にかき集めた証拠を突き合わせたりなどしてそこそこ考えながら取り組める内容で、その裁判の過程で新証言が出てくることによって徐々に真相が明らかとなっていくため「自分が事件を解いている」というカタルシスが強く得られます。実際、どの事件でも裁判前に犯人に目星がつくことはこのゲームではほぼなく、裁判過程で「あれ、もしかしてこいつが犯人なのか?」と段々わかってくるようになっています。

 私はこのゲームを今年にPSVitaで1と2がセットになったソフトをダウンロードして購入して遊んだのですが、やっている間はとにもかくにも先が気になってしょうがなく長時間、時間を忘れてプレイしました。特に1に関しては、「今までやらずにいて勿体ない」と後悔するくらいの出来で、このシリーズが高い人気を得ているということも非常に納得がいきました。
 一方、2に関しても述べると、楽しいっちゃ楽しいですが1と比べると私の評価はガクッと落ちました。1が100点だとすると2は60点、下手すりゃそれ以下くらいといったところで、シナリオ面でやはり1の焼き直しによる二番煎じ感が強く、ネタバレを読まずともなんとなくシナリオの背景というか各キャラクターたちの過去とかが読み取れてしまって真相が明らかとなる終盤のドッキリ感が弱かったです。
 またもう少しケチをつけると、2に関しては学級裁判のシーンがとにかくだるくてつまらなかったです。1に関しては難易度も抑えられていることもあってちゃんと論理的に考えればきちんと正解にたどり着くようになっていると感じた一方で、2では発言の矛盾点に関する指摘や選択する証拠の正解がなんとなくカチッと結びつかず、「俺はこういいたいのに何でこいつはそう言わないんだ」というようなもどかしさと共にイライラを何度となく覚えました。正解はわかっているのにキャラクターが思い通りに動いてくれないため、場所によっては総当たり方式で臨まざるを得ませんでした。

 そして演出に関しても、1と2でははっきり言って天と地の差というくらい水準に差を感じました。既に述べた通りに「クロ」と認定された犯人は「おしおき」という名の処刑が課せられそのシーンはムービーで流れるのですが、このおしおきは各キャラクターの個性に合わせて用意されており非常に毒が強いというかブラックユーモアがふんだんに盛り込まれてあり、残酷といえば残酷なのですがそれでいて思わず見入ってしまうようなコミカルさを兼ね備えてあってプレイ後も何度も見返してしまうような出来でした。1に関しては。
 2のおしおきムービーなのですが、ネットで見ていると私同様の感想を持つ人も多いようで、はっきり言って何も笑えない内容でしかありませんでした。何もユーモアが感じられないし無駄に長いし何が実際に起こったのか見ていてよくわからない内容で、本当にこれ同じ人が作ったのかと本気で疑うくらいレベルが低くて一つの映像としてみても文句なしに駄作といえるようなものがずらりと並んでいます。唯一、2の最後のおしおきムービーだけは「ほう」ってな感じで唸らされるものでしたが、ネット上の噂によるとこの最後のムービーだけが1のスタッフが作ったもので他のムービーはは別人が作ったとのことで、出来を比較する限りきっとその通りだろうと思うくらい差がありました。

 こういうシリーズ物は初代の出来が良すぎて二作目以降は悪くない出来であっても批判されるということがよくありますが、このダンガンロンパシリーズに関して言えば、1が非常に高い出来でその壁を乗り越えるのは確かに難しいということは理解できても、2については一つのアドベンチャーゲームとしてみてもちょっとお粗末な出来だったのではないだろうかという風に私は見ています。登場するキャラクターも1と比べると明らかに魅力が落ちるし、主人公の性格も1は見ていて応援したくなりましたが2の方ははっきりしない性格のキャラのため最後まで好きになれませんでした。
 ついでに書くと声優に関しては、1に出ている椎名へきる氏はかつてはアイドル声優として名を馳せたものの、ブランクの大きさが祟って棒読みが目立ち他の実力は声優らに囲まれたこともあって明らかに浮いています。2は私が贔屓にしている小清水亜美氏がやっぱりすごいなと感じたのと、花澤香奈氏が多忙のため一人だけで収録に望み、収録を終えた後はまた別の収録に向かったというエピソードが強烈でした。っていうかこの人よく過労死しなかったな。

 最後に、真相のネタバレになりかねないのでぼやかして書きますが、ダンガンロンパの1も2も「実は○○だった」という真相はどちらも共通しています。この真相ですが、スケールこそ違うものの同じくスパイクチュンソフトから1と同時期に発売された「極限脱出ADV善人シボウデス」とも完全に一致しています。偶然といえば偶然かもしれませんし双方で独立したシナリオが展開されているのだから厳しくツッコむ必要はもちろんないと思いますが、なんというかこの頃はこういうディストピアオチが流行っていたのだろうかとそういう流行の点で気になる所があります。

2016年10月2日日曜日

政治家の海外出張が多い背景

 昨夜、大学の先輩らを前に私が政治の話題だったら三食忘れてずっとやり続けると話したところ興味を持たれたのか政治関連で多くの質問を受けました。受けた質問は指摘箇所も鋭ければ具体的で、やっぱ海外にいる人間は日本国内の政治に対しても適度な距離を置いた視点を持つのだなと感じさせられました。
 そこで受けた質問の中で一つ、「最近の政治家の愛人関係というのはどうなっている?」という者があり、それについて以下の様に私は答えました。

 結論から言えば、かつてと比べると現在はすっかり大人しくなっています。昭和の頃なんて本妻以外の愛人を持っていない政治家を探す方が難しいし持っていること自体も別に咎められるような時代でもありませんでしたが、平成に入ってからは日本人の倫理観も段々と厳しくなっていったこともあって政治かとあってもおいそれと愛人を持つことが難しくなっていきました。
 またそれと並行してこれは以前に読んだ政治批評に書かれていた内容ですが、愛人となる女性の側もかつてと比べて政治家に対する忠誠心が薄れており、事と次第というかギャラ次第であっさりと政治かを裏切って関係を暴露するようになってきたことも大きく影響してます。具体例を挙げると最近本を出版して割と景気良さそうが元YKKこと山崎拓氏で、彼なんか週間誌に愛人関係が暴露されたため事実無根だとする裁判を起こしたところ、週間誌出版社側から愛人宅に預けられていたパンツを証拠として愛人により裁判所に提出され、司法すらも愛人関係を認めるという壮大な茶番を演じることとなりました。

 また首相に関して述べると、政治部記者によって毎日事細かなスケジュールをチェックされて「首相動静」として報じられるため、愛人といちゃつく時間すら持てないし持ったところですぐ明るみに出てしまいます。なお首相動静についてもう少し述べると、一分単位で何をしたか不明瞭な時間があると各社の政治部記者によって一体何をしていたのかとしつこく食い下がれるとのことです。
 一例として、かつて佐野眞一氏が小渕恵三に総理独占インタビューを申し込んだところ、単独で受けると政治部記者かた嫉妬を受けて佐野氏が嫌がらせを受けるだろうと懸念されたそうです。そこで小渕は佐野氏に対し、「官邸の裏のトイレの窓から侵入してくれ」とメタルギアソリッドみたいな潜入を支持した上で官邸内でインタビューを受けたそうです。インタビュー後もまた佐野氏はトイレの窓から脱出し、小渕は小渕で政治部記者から空白の時間に誰と会っていたのかと問われて、「人間と会っていた」とごまかしたことが翌日の首相動静に書かれていたことを佐野氏本人が感慨深げに話したのを聞いています。

 話は戻りますが以上の様に記者が張り付いていることもあって総理が愛人といちゃつくなんて今の時代では非常に難しいことです。もっとも、愛に殉じた宇野宗佑みたいな総理も至っちゃいましたが、国内で愛人関係を持つことは至難の業だと昨夜私は述べました。
 するとそこで、「なら海外は?」という質問が飛んできました。そしてそれに対する私の答えは、「国内より、明らかに緩くなる」というものでした。

 海外出張に出かければ政治部記者ももちろんついてくるものの、日本と違ってセキュリティの問題から総理に近づくことは難しく、宿泊先のホテルにおいてもSPががっちり警備に就くため人の出入りすらホテル前でチェックするよりほかなくなります。それこそ「政府関係者」とか「訪問団関係者」などと名乗られてSPに通されれば、ホテル内で自由に愛人といちゃつくこともできるでしょう。
 現役の阿部総理については、割とこの人は奥さん一筋な感じがする人なのであまり愛人はいないと思うため週間誌とかに「真夜中のアベノミクス」などという見出しが書かれることはないとは思いますが、それ以外の大臣や国会議員クラスとなると海外出張というのは愛人といちゃつく絶好の機会なのではないかと話をしていて私も思いました。

 そこで議論が盛り上がってきて次に出てきたのが、「そういえば、政治家って海外出張好きだよね?」という意見でした。舛添前都知事を筆頭に地方議員なども大した理由もなく政治活動費を使ってしょっちゅう海外出張や視察に出向くことが問題になるケースがこのところ多いですが、これってもしかして愛人遊びが目的なのではとなんか思えてきました。やや下品な言い方ですが「女体大満足」とも揶揄された乙武洋匡氏も出張にかこつけてスタッフとする愛人と遊びまわっていたとされ、彼に限らず出張に出向こうとする人間は多かれ少なかれこの類なのかもしれません。

 こうした考えから導き出される答えは一つで、海外出張を頻繁に行う人間に対しては女性関係を洗うのが案外的確かつ効果があるなかなという知見です。まぁそれ言ったら海外駐在員の実態の方がニュース価値あるのかもしれませんけど。

2016年9月30日金曜日

中国におけるプレイステーション系ゲームのダウンロード



 なんとなく上の写真みたくテンションが低いので昨日確かめた話についてささっと書くことにします。

 ゲームをあまりやらない方にはピンと来ないかもしれませんが、現在のゲーム市場はゲームソフトを店頭で買うだけでなく、ネット上で購入してデータだけダウンロードする形でも購入できます。私などはまさにこうしたダウンロード購入がメインなのですが、ソニーのプレイステーション系列のゲームソフトを買う場合はPSN(プレイステーションネットワーク)というサイトに所有しているゲームハード(PS4、PS3、PSVita、PSP)からアクセスして、そこで登録したIDから購入するゲームを選んで購入し、そのまま所有するハードにデータをダウンロードするという形になります。
 なお購入したゲームはデータを削除しても時間がかかりますが何度でも再ダウンロードできるため、ゲームソフトを紛失したり、借りパクされて二度と遊べなくなるという事態は原則起こりません。まぁ一部のソフトで配信が停止してしまうってのは過去に何度かありましたが。

 上記のダウンロード購入は日本であれば問題なくできましたが、私が現在いる中国だと四年前に確かめた際はPSNにアクセスすることすらできず不可能でした。しかし昨年に中国でもゲーム市場が開放されてソニーもPS4を売り出したことから今ならどうかなと思って試してみたところ、四年前は確かにダメだったのに、携帯機であるPSVitaで無線接続を試してみたら問題なくアクセスできました。そのかわり、ダウンロード速度は極端に遅いけど。
 続いて試したのは既に購入済みのゲームをダウンロードできるかでしたが、これに関してはかなり時間食ったものの、ダウンロード自体は問題なく行えました。そして次のステップとしてゲーム自体の新規購入&ダウンロードはどうかと昨日試してみたところ、こちらも問題なく行うことが出来ました。

 しかしダウンロード速度は環境にもよるかもしれませんがやっぱり遅く、昨日購入したのは600円ちょっとで買えるので「ディノクライシス」という恐竜さんとわくわくどきどきな触れ合いが楽しめるゲームで容量は230メガくらいでしたが、何度もアクセスが中断されるわけで3時間たってもダウンロードしきれず、そのまま電源つけたまま放っておいたら翌朝にはダウンロードしきれていました。AmazonのKindleと違い、ダウンロードが中断されたとしても途中までダウンロードしたデータは残ったままダウンロードを再開できるので、時間さえかければどうにか利用できると言ったところです。
 とはいえ、昨今のゲームは容量が大きく数ギガ単位も珍しくないため、仮にそういうゲームをダウンロードするとなると果たしてどんなものやらといったところです。確実なのはやはり日本でダウンロードすることですが、ゲームを買うためにわざわざ日本に戻るってのもあれ何で私みたいにまとめて買いだめしておくのがベターかもしれません。

 なお真面目な話をすると、海外で生活するに当たって娯楽は非常に重要です。先日も私が前の会社を辞めたせいで代わりに中国来る羽目となった元同僚となかよく夕食をしましたが、単身赴任で海外に来ると現地の言葉も使えないために休日は家で引きこもりとなるしかなく、チューナー使って日本のテレビ番組を見たり日本人会のメンバーと会ったり、インターネットしたりといった娯楽がどれだけ重要か痛感したと話しました。何気にその元同僚がこっち来ることが決まった際に私は重ねて娯楽を持つようアドバイスをして、そうしたアドバイスが実際役に立ったと言ってもらえました。
 海外駐在で精神を病むというのはそれほど珍しくはなく、実際私も目の前でそうなった人を見る羽目となりました。私ほど極端でなくても、パソコンで遊べるゲームなどは海外に持って行った方がいいというのが持論です。

2016年9月29日木曜日

創業家列伝~中島董一郎(キユーピー)

 二年以上も放置してましたが最近この連載記事に興味持つ人が出てきたのと、プライベートで余裕が出てきたこともあるのでまた有名企業の意外と知られていない創業家を取り上げます。今日はなんとなくサラダ日和だと思うのでキユーピーの中島董一郎です。

中島董一郎(Wikipedia)

<医師の家だが幼少時は貧乏>
 後にキユーピーを創業する中島董一郎は愛知県西尾市に、医師をしていた父親の元で1883年に生を受けます。実家は祖父の代から続く医師の家で幼少期は裕福な生活だったものの人のいい父親が他人の借金の保証人となったことから破産し、夜逃げして名古屋市に落ちぶれてきます。中島董一郎は長男であったため家に居続けられましたが、上記のような経緯から弟や妹らは他家に養子へ出されるほど生活も困窮し、母親も中島董一郎が9歳の頃に亡くなっています。

 名古屋市から東京へ移住し、長じた中島董一郎は医師である父の後を継ぐため一高を受験しましたがこれに落第し、代わりに現在の東京海洋大学にあたる水産講習所に入学します。卒業後は適当な就職口がなかったため京成電鉄で測量の仕事を行っていましたがこの際に英国人商人のW・H・ギルと知遇を得て、後の事業の飛躍のきっかけとなる出会いを果たします。
 京成電鉄を一年の勤務で辞めると今度は若菜熊次郎商店という、名前からしても如何にも個人商店な感じする小さな缶詰問屋へ入りました。しかも入って三日目にして店主の命令によって北海道と樺太に市場調査へ行かされたりしています。

<海外実習生に>
 中島董一郎は29歳となった1912年、農商務省が海外実習生を募集していることを学校の先輩(何気に後で東洋製罐の社長になる人)から教えてもらいこれに応募して選ばれると、当時は限られた人間しか行けなかった海外へと派遣されます。最初に派遣された英国・ロンドンでは先程のW・H・ギルの紹介でニコルス商会に入り缶詰関連の実習を受けるも、一次大戦が激しくなると避難をかねて今度は米国へと渡ります。
 辿り着いたシアトルでは鮭缶工場で働きましたが、この時期に現地の日本人会で出された鮭缶に玉ねぎとマヨネーズを加えた料理を初めて食べ、「これや!」みたいな感覚を覚えたのか帰国したら必ずマヨネーズで商売すると決めたそうです。

<会社の設立、事業開始
 1916年に日本へ帰国した中島董一郎は、まだマヨネーズは日本人の口には合わないとの市場調査を受け、日本橋で「中島商店」を起こすと従来の缶詰事業からスタートさせました。何度も出てくるW・H・ギルの支援もあって短期間でぐいぐい業績を伸ばし、三菱商事からも缶詰事業を全部任されるほどまで急成長させ、1923年の関東大震災に被災するもすぐまた立ちなおす辣腕ぶりを見せます。
 その震災後、日本人の生活にも西洋化の波が押し寄せたことを受けいよいよもってマヨネーズ事業に取り掛かります。名称は学校の先輩のアドバイスを受けて「キユーピー」とし、作るマヨネーズは卵黄の量を米国製の二倍にするというこだわった代物にして売り出しました。当時に売り出した価格は一瓶(128グラム)当たり50銭で、ハガキ一枚が1銭5厘だったことを考えると品質重視の高級路線で打って出たと考えられます。最初はその値段の高さとマヨネーズ自体の理解の不足からポマードに間違えられたなどというエピソードもありますが、毎日新聞に、「キユーピーマヨネーズを毎日の食膳に」という広告を打ち続けたことも甲斐あって売上げは年々伸びていきました。

 マヨネーズを売り出す傍ら本業の缶詰事業も継続し、キユーピーの兄弟会社に当たる「アヲハタ」を設立してミカン缶詰、オレンジマーマレードを市場に供給し始めます。なお最初に作った中島商店はその後、「中島董商店」という名前になり現在も食品販売を手掛けており、キユーピー、アヲハタと合わせた三社で一つの連合企業となっています。何気に今知ったしこの事実。

<戦後の混乱期も品質を崩さず>
 マヨネーズが普及するとともに追従する会社も続々と現れ競合品も出てきましたが中島董一郎は、「半端な物真似ヤローには負けねえ」と一顧だに介さず、事実市場でのキユーピーの優位は揺らぐことがありませんでした。この点は花王の長瀬富郎と全く同じだと言えるでしょう。
 ただ第二次大戦の影響はキユーピーにもおよび、原材料の仕入れにも事欠くようになっただけでなく工場も空襲を受けて消失してしまいます。仕切り直すこととなった戦後も品質重視の姿勢は崩さず、供給量が減っても原材料はケチらない方針を維持しつつ、適切なコストカットによって他社が付け入る隙を一切見せることがなかったそうです。

 なお戦後直後、あるレストランに訪れた客がシェフに今日のマヨネーズはあまりおいしくなかったと告げたところ、「申し訳ありません。経費上の問題からキユーピーのマヨネーズが買えず、米国製のマヨネーズを今日は使いました」と返事したというエピソードが伝えられており、為替格差が大きかった戦後直後でありながらキューピー製は高く、なおかつその味は米国製を上回ってたことが伺えるエピソードです。

<幾度かの危機を乗り越え>
 戦後の経済成長とともに事業が安定してきた矢先、日本食品業界の雄たる味の素が1967年、マヨネーズ事業に参入すると発表します。これには中島董一郎も当時は大いに慌てていたと伝えられる一方、「俺たちの味を維持すれば負けることはない」と某国のサッカー代表みたいなセリフを言ってガチンコ対決に臨みました。
 幸いにして味の素の参入は屋台骨を揺らがすほどには至らなかったものの、当時幅広く使われていた「チクロ」という人工甘味料が発癌性を持つ事がわかって使用禁止となり、これがマヨネーズに使われているという風評が立ってマヨネーズ業界にも逆風が吹きましたが、キューピー製マヨネーズには一切これが使われていないということがわかり、消費者から高い信頼を得てキユーピーに限っては追い風となるという事件に巡り合います。

 病気を重ねたことから1971年に中島董一郎は経営の第一線を退きましたがその直後、仕入先の食用油メーカーが生産した食用油から毒性を持つ塩化ビフェニールが検出されるという事件に見舞われます。この会社と取引関係にあったことからキユーピーのマヨネーズも疑いの目を向けられる中で中島董一郎は、「こうなったら倒産覚悟ですべて回収するしかない」と後継者に指示し、実際に市場から一切の自社製マヨネーズを回収するという行為に及びます。
 ただ回収されたマヨネーズは生産開始前の食用油に対する品質検査はすべて問題がなく、また回収したマヨネーズからもどれ一つとして件の毒性物質は出なかった上に厚生労働省による検査も「シロ」と断定されました。しかしキユーピーがこうした検査結果が出る前にも拘らず果断に商品回収に踏み切ったことが消費者からは支持されたことにより風評被害は一掃され、販売が再開された後はそれ以前と比べても暖かく消費者に迎えられたと言われています。

 この風評事件がひと段落ついてしばらく、中島董一郎は1973年に満90歳で逝去します。私の寸評を述べると自身の海外体験から舶来品を事業化するというのは他の創業家にもよく見られる例ですが、このキユーピーという会社に限って言えばマヨネーズ一本を常に変わらぬ味で提供し続けるという恐ろしいまでの愚直さには敬意を覚えます。はっきり言えば競合品が出やすい商品にも拘らず戦前から現在にかけてマヨネーズの代名詞として君臨し続けるその事業ぶりには、生前から徹底して高い品質にこだわり続けた創業家の精神をきちんと宿した会社であるという風に私は考えています。

  おまけ
 ここだけの話、私自身はマヨネーズの味が実は苦手だったりします。高校生の頃までは普通に食べてましたが大学に入ったあたりからキャベツの千切りには「ピエトロドレッシング」一本となり、マヨネーズをつけるくらいなら何もつけずに生で野菜食べようとするくらい敬遠するようになってしまいました。なおまだマヨネーズを使っていた高校時代までも、マヨネーズ+しょうゆという組み合わせてサラダは食べており、友人の目の前でこれやったらドン引きされました。

  おまけ2
 学生時代、下宿で後輩に夕食を振る舞った際にピエトロドレッシングを出したら、

「先輩、これ高いドレッシングじゃないっすか!?」
「おう、これやないとわし野菜あかんねん。気にせんでええからお前もどんどん使ってええで」
「ほんまっすか、ほな使わせてもらいます!」

 といって、かなりドバドバ使われました。「うまいうまい」言いながら食べる後輩の横でこの時は軽くちょっと睨んでいました。

  参考文献
「実録創業者列伝Ⅱ」 学習研究社 2005年発行

2016年9月28日水曜日

安倍首相の経済政策の欠陥

 昨夜は元同僚と上海市内のBARを三軒はしごしてたので二日連続でブログ休みました。三軒はしごしたと言っても私は最初の店でビール一瓶しか飲まず後はソフトドリンクで過ごしましたが、帰り際に後輩がブログに書いた話紹介したら「それマジ?」ってえらく食いついてきました。

 それで本題ですが日ハムの大谷選手が一安打完封で優勝決めたことは置いといて真面目に話すと、先日開会した臨時国会における安倍首相の所信表明演説に関する報道を見ていて言い方は悪いですが日本も韓国みたいになってきたなと率直に思いました。演説中に自民党議員が起立して拍手したことについてやたら「異例だ」、「有り得ない」と散々掻き立てておきながら以前の民主党政権時代にも同じことあったとわかるや途端にトーンが下がるなど、そもそも報じる価値もないどうでもいい出来事が何故これほどまで騒がれるのか理解に苦しみます。一方で演説の中身については誰も触れずに、根拠もなく「アベノミクスは破綻した」と書き散らす有様で見ていて本当に韓国の報道っぽいなぁと思えてなりません。
 ついでに書くと、昨日元同僚に大韓航空とこの前破綻した韓進海運は同じ財閥グループだと教えてもらいました。こういう大事な事実は普通のニュースに書いててもらいたかった。

 話は戻すと、アベノミクスが破綻しつつあるというのは私も同意見です。理由は非常に簡単で、アベノミクスには金融政策しかなく実態産業への政策は何もなく、オリンピック開催という好材料を持ちながらジリ貧のような景気に陥っている時点で無策としか言いようのない状態です。加えて頼みの金融政策もかなり打つ手が減ってきており、完全に打ち止めとまでは言いませんがインフレ目標を達成できなかった時点で黒田総裁は辞任すべきだったのかもしれません。

 実際に金を出すかは置いといて、具体的にどんな産業を奨励するのかという方向性を打ち出すことは経済政策において非常に重要です。しかし安倍首相はこの方面にはかなり無頓着というよりほかなくそのような発言は全く聞かれず、中国からの観光客などそこそこ追い風も吹いていながら悉くチャンスをふいにしてきているように見えます。もっともそれを言ったらほかの野党についても同じなので安倍首相にはこのまま在任してもらいたいというのは本音ですが、観光業でもロボット産業でも宇宙開発でもいいから頼むから何か音頭を取ってくれと言いたいのも本音としてあります。

 ちなみにこれは別記事に仕立ててもいいのですが、「日本は高い技術がある」という考えはもう早く捨てるべきだと私は考えています。自分も一時期メーカーに属して痛感しましたが、技術者というのは技術的優位のある分野については饒舌に語りますが、逆に劣っている方面については黙して全く語らない傾向があり、聞いてる側としては優位な話しか聞かないため勘違いを起こしやすい傾向があります。実際このところ調べているとスパコンを始め中国に技術力でとっくに追い抜かれている分野が多数あるもののそれらは日本ではあまり報じられず、日本が勝っている所だけしか報じられないため結構多くの日本人が勘違いしてしまっているのではと思う節があります。
 個人的に言いたいこととして品質と性能はどちらも技術の指標たり得ますが、異なるものだということをはっきりと意識すべきです。品質がいいから技術で勝っているというわけではありません。こうした点を理解して記事書く記者はいま日本にどれくらいいるんだろうな。

2016年9月25日日曜日

今日の休日の過ごし方

 昨夜夜中一時まで「ユグドラ・ユニオン」というゲームして遊んでいたため8時半になってからのそのそと起き出し、朝食食べた後から海外拠点データの整理をしていました。昼前になって外出しようかと考えた際に鏡を見たところ、左頬にできた出来物の痕が鬱血しており、皮膚の下がやや黒ずんでいるのに気が付きました。見た目にもかっこ悪いし早めに血を抜いとかないとほくろになりそうで嫌だったのでソーイングセットの針を取ろうと思って道具袋を漁った所、何故か先に目についてしまったのが画鋲だったため、そのまま鏡見ながら左頬に画鋲刺して血を抜きました。刺した感じとすれば後ろから押しやすいので案外刺しやすく血もいい感じに抜けましたが、その後で自転車こぎながら左頬に画鋲指す自分の姿を思い出してはじわじわと来ました。

 昼食には自転車で少し距離のある所へ移動して、回転ずしチェーンの「はま寿司」へ行ってきました。あまり知られていませんがここは一皿10元(約150円)とリーズナブルなことから上海ではどこも非常に人気で、この日も11時40分の時点ですでに長蛇の列が出来ていました。ただこの日は私一人で訪れたため一人席ならすぐに座れるのではないかという打算を持っていた所、やはりというか受け取った整理番号は216番でしたが185番の後にすぐに呼ばれてほとんど待たずに席へつけました。
 なお以前に上海人の友人と二回来ていますが、二回とも1時間弱は待たないと入れないくらいの大繁盛ぶりです。中国で日本の海鮮の普及がどうたらこうたらよく調査レポート出ていますが、突き詰めれば値段が安ければかなり殺到するんじゃないかと思うくらいの盛況ぶりです。

 今日は余り食欲がなかったため10皿(うちイカ2皿)と、抹茶白玉を食べて計11皿110元の出費で済みました。この「はま寿司」の何がいいかというとカウンター席が豊富にあるので一人でも訪れやすいということと、抹茶白玉を始めバナナパフェなどといったデザートがどれも10元で尚且つ豊富であることです。前来た時は13皿くらい食べた後で悩んだ挙句にバナナパフェ食べましたが、上海人からは、「よくそんな食えるね」と言われました。
 この日は食べ終わった後で、「イカをあともう2皿食べておけばよかった」と、少し後悔を持ちながら再び自転車に乗って帰宅し、家ではまたデータ整理にいそしみました。


 その作業中、何故かネットで見つけたのが上の画像です。なんでも「無限の住人」の作者の沙村弘明氏の短編のワンシーンだそうですが、読んで見て「ほんとにそうだ!」と妙に納得しました。

 夕方になって所用で本屋に行ってその帰りにATMで金下ろして朝食用の食パン(毎日一枚生で食べる)買って、キムチ買って、昨日炊いたご飯の余りをお粥にしましたが作ってる最中に跳ねた米粒が腕に当たり火傷を負う羽目となりました。香港だったらそこらへんにたくさんお粥屋があるのに何で中国本土はこんなにないんだなどと文句言いつつ、食欲がないのでお粥とキムチで晩飯を過ごし、多分後から腹減ってくるだろうななどと想像しながら今ブログ記事書いてます。

2016年9月24日土曜日

自分にしか書けない記事

 昨夜友人の上海人から提案がありあまり日本人が寄りつかない一帯で四川料理を食べていましたが、「頭の痛くなる話というのはあるが、ケツが痛くなる話というのはないかな」などと言いながらどっちもノーマルながら妙なゲイトークを繰り返していました。あと何故か二人ともビール頼まないで紹興酒を飲んでましたが、その際に以下のような会話も行われました。

「なんかビールより紹興酒のがいいよね( ゚∀゚)」
「紹興酒の方がおいしいと思う辺り、俺らもおっさんになったのかな( ・ω・)」

 話は本題に入りますが、Drマシリトこと週刊少年ジャンプの名編集者だったとして名高い鳥嶋和彦氏がこのところ各方面のインタビューに答える事が増え、それまで明らかになっていなかった舞台裏などについても言及されるので非常に面白く拝見しています。
 なお名古屋に左遷されたうちの親父は昔コンペで全員が賛成する中でこの鳥嶋氏だけが反対したことによって落とされたことがあり、普段は温厚な癖にこの時の件と団塊世代を批判する時はスーパーサイヤ人みたく本気で怒り出す辺り、相当根に持つ体験だったのではないかと思います。

 話は戻しますが鳥嶋氏のインタビューの中で、彼の代名詞ともなっている「ボツ」という発言についても触れられていました。意にそぐわぬ作品に対しては容赦なくボツこと書き直しをさせることで鳥嶋氏は有名で、彼をモデルにした漫画のキャラクターも大体がこのような傲岸不遜でえらそうなキャラクターとして描かれるほどです。
 このボツについて鳥嶋氏が語った理由を私の理解で述べると、漫画家は売れる作品を作るために売れると思う内容を描いて持ってくるがそういった作品は総じて売れる作品ではなく、ボツにして原稿を突っ返す度に次に何を描けばいいか漫画家は悩み、最終的に自分にしか書けない作品を持ってこさせるためだ、と説明していました。

 この中に出てくる「自分にしか書けない作品」とは文字通り、自身の特殊な体験や願望、知識を駆使した作品の事で、こうした要素は他の漫画家との差別化にもつながる上、読者にとっても興味の対象となり本質的に売れる作品となるそうです。方法はともかくとして言わんとすることは非常に理解できるもので、作品というのは突き詰めればどれだけ独自性というかオリジナリティを持つかに成否がかかってくるところがあり、何度も突っ返してもう他に出すものがなくなって最後になってそうした独自性が出てくるというのも理に適っています。

 ここで話題はまた切り替わりますが、上記の話を踏まえた上でこのブログで私にしか書けない記事とは何ぞやとふと考えました。どうでもいい親父の話もしてしまい前置きがかなり長くなったので、いくつかの記事ジャンルについて自分の感想を以下に記します。

・中国ネタの記事
 言うまでもなく、この分野であれば自分にしか書けない記事はかなりたくさんあります。しかしこのブログ自体が中国からは普通にアクセスできないため、中国ネタを書いたところであまりアクセスが上昇しないという現状があり、書く方の身としても実はあまりモチベーションが上がり辛かったりします。日本向けに意識すればまだ考慮の余地がありますが、上記のような理由から実はこのところこのジャンルの記事はリアルに減ってたりします。

・政治ネタの記事
 大きく出ると、下手な政治評論よりずっと上手くわかりやすく政治解説を行う自信はあるし、過去の事例と比較した記事となれば一流の記事を仕立てることも難しくありません。逆に自分の目から見て近年の日本の政治記事は視野といい論点といい非常にお粗末な記事が多く、何か新しい事実が報じられるたびに既存のニュースの掘り下げを怠り、レベルの低い記事を量産しているように思えます。特に国際政治報道となればもはや壊滅的で、毎日のように明らかに事実と異なる記事を平気で報じる新聞社もあるのでこの分野は自分にしか書けない物がたくさんあると自負します。

・サブカル系の記事
 そこそこ面白い物を描ける自信もある一方で、この分野はネット上に執筆者が多数いるため自分にしか書けないとなるとそういうものはほぼないでしょう。でも考えてみると、漫画やアニメの内容を討論するフォーラムはネット上にたくさんあるけど、政治だとそういうのってあんのかな。

・歴史ネタの記事
 恐らく自分が持つ最強カードの一つ。歴史学を専攻していたわけではないですが知識量においては完全に一般人を凌駕している上に、自分にしかない強みとして世界史と日本史を同時に学んで取り扱っていることがあります。日本史、西洋史、中国史それぞれに強い人はいくらでもいますがこの三つを同時に取り扱う人間となるとガクッと減り、たとえば満州事変を日本側、中国側の双方の視点から同時に迫れるとなるとそうそういないでしょう。惜しむらくは最近勉強する暇がないのと、周囲に相談できる人間が確実に減ってきているという背景があります。

・経済ネタの記事
 半々。専業で記者を今していないので得られる情報は少ない一方、メディアでは取り扱えない疑惑レベルの内容をブログでならばまだ触れられることもあるため一長一短です。ただ政治系の記者と比べて経済系の記者はまだまともだし勉強しているなと日本の記事見てて思います。

・IT系の記事
 決して専門家でもなく知識もほとんどないのですが、IT系の人って基本的に文章が壊滅的に下手なことが多く、IT系メディアの記事もそういった知識持った人向けに書いているため普通の人からしたら読み辛い物が多いです。その辺を考慮したら、自分がある程度把握している分野については意外とわかりやすく書ける自信があります。一言で言ってしまえば、細かい要素は省略していいのにIT系の人は何故か全部書こうとするからダメなんだと思う。

・労働系の記事
 何気にトップランナーだと内心思ってる。派遣マージン率の記事を書いていることが大きいですがそれ以上にこの方面の内容を新聞記事に書く人は基本的に正社員で、非正規労働者の立場でない上に彼らの立場で書こうとしない人が多いです。手っ取り早く派遣労働者に記事書かせた方がずっとおもしろくなるのに。
 なら私はどうかといえば派遣以下の現地採用を経験していることもあってこの方面に関しては適度な距離で物を書けている気がします。そもそも月給四、五万円であくせく働く中国人とかも普通に見てるし、日本の派遣労働者を特別可哀相に見ないことが何より大きいのかもしれません。

・自分の体験記事
 自分で読んでて本気で面白く感じる時もあり、密かに結構自信があります。人生一つとっても自分ほど波乱万丈な人間はそれほど多くないし、なにより突然妙な行動起こして逆境に入った後からの立て直し方が激しいので十分絵になる気がします。

2016年9月22日木曜日

五年遅かったもんじゅの廃炉議論

 今から五年前の三月、東日本大震災直後に上海の居酒屋にいた私は上司を目の前にして、「これでもうプルサーマル計画も終わりでしょう」と言いました。その言葉を聞いた上司は、「まさか上海でプルサーマルという単語を聞くとはな」と苦笑していましたが、後から聞いたらこの時の私の発言を評価してくれていたようです。

もんじゅ廃炉方針 「30年協力してきたのに」地元・敦賀は困惑(産経新聞)

 私の言ったプルサーマル方式とはまた異なりますが、高速増殖炉もんじゅについてようやく廃炉を視野に入れた議論が始まりました。結論から言えばこの議論は五年前には始めておいて既に完了させておかなければならなかった議論だと考えており、議論が始まったことは歓迎すれどももっと早くにしておけばという後悔もどうしても出てくると言ったところです。

 そもそもまず高速増殖炉とは何ぞやですが私なりに簡単に説明すると、普通の原子力発電所(軽水炉)で消費した燃料の残りカスをこねこね混ぜ混ぜした後でもう一回燃やして発電する発電所といったところです。より深く説明すると、原発ではウランを燃料に使っており一回燃やした後はプルトニウムを微量に含む燃えないウランになります。このウランからプルトニウムを抽出して別の種類のウランと混ぜ合わせることでプルトニウム濃度を高めたMOX燃料という新たな燃料を作り、この燃料を専門的に燃やすための発電所が上記の高速増殖炉もんじゅというわけです。
 ついでに書くと高速増殖炉発電とプルサーマル発電の違いは、MOX燃料のプルトニウム含有量の差で前者が約20%、後者が4~9%だそうです。ほかにも違いはありますが正直あまり理解できてないのでこの辺でご勘弁ください。

 この高速増殖炉方式だとどんな利点があるのかというと、いわゆる核燃料サイクルというものが理論上発生します。これはどんなものかというと、上記の通りに高速増殖炉は普通の原発の燃えカスを燃料に使うので、言うなれば核廃棄物を燃やしてさらに発電できるということとなります。また高速増殖炉でMOX燃料を燃やすことで今度は普通の原発で燃料として使えるウランが副産物として生まれ、このように普通の原発と高速増殖炉を往復することで燃料を余すことなくエネルギーに変えられるため、さすがに無尽蔵というわけにはいきませんが資源の消費を極限なまでに抑えることが可能となる上に核廃棄物も一緒に減らせるわけです、実現できればの話ですが。

 一見すると夢のような循環なだけに日本を始めフランスやロシアなども高速増殖炉を作って実証を試みましたが、今の所成功したと言えるような実績はなく、過去には米国もプルサーマル方式にチャレンジしましたが20年実験し続けた結果、不可能と判断して諦めています。なおさっき調べたらロシアでは2014年に実証炉が稼働して実用化に目途がついたと書かれてありましたが、少なくとも日本はついてく立場に入るべきでフロントライナーに挑戦すべきではないと思います。
 そう考える理由というのも、この高速増殖炉もんじゅが全く話にならない代物だったからです。1991年の建設から現在に至る25年間でまともに発電したことはほぼなく(通算100日程度)、常にトラブルを起こして停止されたまま毎日5000万円の維持費だけが空費され続けました。っていうかこんなのに毎日5000万円出すなら少しでいいから分けてほしい。

 またもんじゅを管理する組織も一言でいえば腐っているとしか言いようがなく、金属ナトリウムが漏れ火災を起こした際は事故を隠蔽し、その後も必要な点検をサボっていたり監視カメラが壊れているのを放置したりするなど、危険な核燃料を扱う組織としてはとても信用できるレベルではありませんでした。しかもトラブルの度に担当者がよく自殺しており、それにもかかわらず態度というかモラルが改善されないというのも見ていて不思議に思います。

東海村臨界事故について(陽月秘話)

 ここでまた懐かしい自分の記事を引用しますが、もんじゅ向けではなく同じ高速増殖炉の「常陽」向けの燃料を作っていた東海村にあるJCOでは1999年、燃料製造中に臨界事故を起こし作業員二名がなくなるという痛ましい事故を起こしています。一人や二人の犠牲なんてほとんど気にしない私ではありますが、この事故に関しては全く別でどれだけ原子力というものが恐ろしいものなのか、そしてそれを管理する能力が日本にはなかったということを証明する上で忘れてはならない犠牲だったと今この時点においても思います。
 東日本大震災とそれに伴う福島原発事故時の東電の対応を見て、根本的に日本は原子力を扱うべき国家ではなかったと当時私は思いました。だからこそ福島原発以上に危険度が高く、なおかつ無駄な金食い虫のもんじゅとプルサーマル計画は直ちに廃止すべきだと五年前に考えたわけですが、政府がこの決断に至るまでには五年かかったわけです。もっとも五年かかったとはいえ、この結論にたどり着けただけ幸いだったと言えるでしょう。

 最後に余談ですが、東海村の事故を書いたのはなんと七年前で、改めて読むと当時はこんなに短い記事で一本出してたんだなと何やら不思議な気持ちにさせられます。というより、現在が毎日書きすぎなんじゃないかって話になるわけですが……。

2016年9月21日水曜日

今年のプロ野球

 今年はセリーグで広島カープが25年ぶりに優勝を決めこれだけでも話題性に事欠きませんが、パリーグの方でも10ゲーム差以上突き放されていた日ハムがソフトバンクに追いつき、同率首位で今日からの三連戦を迎えるなどなんか神がかった展開が多いです。三連戦の第一戦目の今日は日ハムの至宝である大谷選手が先発で1失点に抑えて勝利しましたが、日ハム側も2点しか取れずわずか1点差で決着がついており、ソフトバンク先発の千賀投手も負けたとはいえこの大一番で見事な働きを見せており、まさに天王山と呼ぶにふさわしい試合内容でした。

 上記の試合内容を含めて、今シーズンのプロ野球は最初から最後まで非常に面白い展開が多くここ数年では最も面白いシーズンだったのではないかとまだ終了すらしていないのに早くもこう思わせられます。セリーグも首位争いは終了しましたがまだ二位争いは続いており、しかも争っているのが巨人とベイスターズという、前者はともかく後者は史上初めてプレーオフ進出を先日決めており、横浜ファンというわけではないものの非常に長い暗黒時代(カープはもっと長いが)を経ての今年の活躍には涙腺すら緩みそうです。
 しかもベイスターズは番長こと三浦大輔選手がとうとう引退を発表しました。この前の引退会見では球団やファンに25年間支えてもらったと話していましたが、あんたの方が25年間ベイスターズを支えていたんだろと読んでて叫びだしたくなる会見内容で、また色々とこみ上げるものがあります。

 一方、後輩が贔屓にしている阪神は金本新監督のもとで心機一転かと思いきや最下位争いを演じるなど芳しいものではなく、カープがホーム優勝をかけた日に巨人に負けて優勝ストッパーを果たすなど最後までオイオイとツッコみたくなるシーズンでした。もっともそれを言ったらヤクルト、中日なんかシーズン通して一瞬たりともよかった日々はなく、呪われてるんじゃないかってくらい怪我人が続出したヤクルトなんかまだしも中日に至っては途中で谷繁監督が解任されるなど内紛も激しく、いくら中日嫌いの私ですら見ていて選手らが不憫に感じる程でした。まぁ別にいいけど。
 あと今日、オリックスでかつて新人王もとった小松選手が引退を発表しました。この人も新人王を取った年は無類の活躍を見せこれからこの人を中心にオリックスは廻っていくだろうとすら思ったのに翌年から人が変わってしまったのではないかと思う成績が落ちていき、期待が大きかっただけに寂しさもひとしおに感じる引退発表でした。

 最後、蛇足かもしれませんが今年のカープ優勝を見て、マエケンこと前田選手が居合わせないということも非常に残念ですがそれともう一つ、元広島で現在楽天にいる栗原選手の事も考えると胸が詰まる思いがします。本当にカープの暗黒期を4番として支えていた人だけに、ここに栗原もいたらと思えてならず、なんかの優勝パーティとかに呼んであげたらと妙なことを願ってる次第です。
 それにしても、カープに返ってきた新井選手がここまで活躍するとは思いませんでした。阪神ファンからすればなんだこの野郎と言いたいところですが、広島あっての新井選手だったんだなと今季の活躍を見るにつけ思います。

2016年9月19日月曜日

築地盛土問題の石原元都知事関与について

「日本は孤立化」=南シナ海でけん制―中国(時事通信)

 本題とは関係ありませんが上のニュース見て中学とか高校とかで友達いない奴に限って、「あいつ孤立してるよなぁ」などとやたらと周りの人間関係を口にする奴を思い出しました。そう思うと中国もまだまだかわいいもんに思えてきます。

建物下に盛り土なし工事、石原元知事が契約承認(TBS)

 それで本題ですが、本当は今日はブログ書かずに色々作業しようと思っていたのですがそうもいかなくなったのが上のニュースです。リンク先を見てもらえばわかりますがこのところ世間の注目を集めている築地新市場の建物地下に当初予定していた盛土がなされていなかった問題について、工事開始当時に在任していた石原元都知事が契約を承認していたと報じられています。インタビューに対し都合の悪い事には何も言わないことに定評のある石原元都知事なだけに投げやりな態度を見せていますが、この記事を見て私は「ああ、やっぱり」という言葉がよぎりました。

 後出しジャンケンのような書き方となってしまいますが、明確な根拠もなく予想だけ書くのはまずいと見送ったものの本当は三日前の時点で記事書きたくて友人に愚痴ったほど、この問題の張本人は石原元知事と当初から睨んでいました。そう考えた理由は後付けでいくらでも説明できますが私の中では実にシンプルな理由からで、先週テレビで石原元都知事が答えたコメントを見てピンときました。
 具体的にそれはどんなコメントだったのかというとこの盛土問題について、「僕は騙されたんですね」と答えた一言です。自分の与り知らぬところで工事方法が変えられていた場合、私の知る石原元都知事の性格ならばまずは「よくも騙しやがってこの小役人が!」と激怒した上で、担当者とその周辺を口汚く何度も罵った上で関係ない人間とか国を引き合いに出して八つ当たりをするようにしか考えられませんでした。それが上記のコメントの様にややもすると他人事のような感想を述べた当たり、「ああ、これきっとこいつも噛んでたんだな」と直感的にわかりました。最近分かってきたけどこの手のタイプってカマかけるとすぐにボロ出す癖あるな。

 恐らく今後の出方も、「自分は誤った説明を受けて騙されただけ」、「契約を承認しただけ」などという言葉を繰り返すだけで、その自分を騙した相手に対する糾弾は一切しようとすることはないと予想します。次に気になるのは舎弟の猪瀬元都知事がどう動くかで、今後の展開はそれ次第かなという気がします。

 最後にまた関係ないですが、漫画の「デスレス」の最終巻を買ったついでに同じ作者の「アカンプリス」というギャグ漫画を買ってみたのですが、多分面白いと思うのですが「ヒナまつり」の最新刊を読んだ後だと誇張でなく全く笑えませんでした。なんかこんだけ持ち上げているとステルスマーケティングしているような感じもするな。

2016年9月18日日曜日

現代銃火器すべてを生んだ男

 ホラーゲームの名作として名高い「バイオハザード2」に「ブローニング・ハイパワー」という拳銃が出てきます。中学二年生の頃にこのゲームを遊んだ私はこの名前を見てハイパワーというのだから強そうだと感じたもののゲーム中ではほぼ最弱の拳銃ということもあってラクーン市警察署を抜けた当たりからはもう使わなくなるのですが、何故だか知らないけどこの銃の名前だけはその後もずっと覚えていて、ひょんなことからその設計者の名前を知ることとなりました。

ジョン・ブローニング(Wikipedia)

 ジョン・ブローニングは銃砲店を営む父の元、米国ユタ州オクデンで生まれます。モルモン教徒だった父親には妻が二人いたためたくさんの異母兄弟に囲まれた中で長男として生まれたブローニングは早くから父親の仕事を手伝い、その逝去後にはほかの兄弟たちと共に店を切り盛りするようになりました。
 店の運営などを弟たちに任せ銃器の開発、整備を担当することとなったブローニングは自らライフル銃を改造して自作し、これを店で販売したところその性能の高さからオクデン中で大ヒットし、評判を聞きつけた米国有数の銃器メーカーであるウィンチェスター社からオファーが来ることとなりました。ブローニングの作ったレバーアクションライフル銃の性能を認めたウィンチェスター社は早速ブローニング兄弟に特許権の買い取りを申込み、ブローニングらもこれを承諾したことからその後の生産販売はウィンチェスター社に移りましたが、その後この銃は「ウィンチェスターM1885」として売り出され商業的にも大成功を収めることとなります。

 この一件から協力関係となったウィンチェスター社にブローニングは続いて開発したライフル銃も特許も売却し、買い取ったウィンチェスター社の方も製品化して売り出したところ大儲けしたことから、「今度はショットガンだ!」とばかりに新規ショットガンの開発をブローニングへ依頼します。この際にブローニングは二年以内に開発してみせると述べ実際には八ヶ月後にして早くも開発してのけたのですが、これが世界初のレバーアクション式ショットガンの「ウィンチェスターM1887」となります。
 その後、ブローニングはショットガンの構造改良にさらに取組み、より速く、より正確に弾込できるように思いついた方法がポンプアクション方式といって、銃身をスライドさせて次弾を装填するという構造のショットガンを思いつき、こうして出来たのが「ウィンチェスターM1897」です。イメージ的にはアーノルド・シュワルツネッガーが映画の中で銃の前方部を引いたりしてから撃つのがこの手のポンプアクション方式ショットガンで、つまり現代にも続くショットガンの基本的構造がこの時に誕生したというかブローニングが生み出したと言いたいわけです。

 上のショットガンの開発エピソードだけでも十分歴史に残る大発明ですが、ブローニングは上記の開発後に再びウィンチェスター社から今度はライフル銃を一から作ってみないかと開発を持ちかけられ、二ヶ月以内に作れたら一万五千ドルのオプション料金を支払うとまで言われました。それに対してブローニングは、「一ヶ月で作るからその時には二万ドルくれ。一日でも遅れたら一銭もいらない」と条件を提示し、でもって本当に作ってしまったのがウィンチェスターM92で、発売以降ずっとバカ売れし続ける空前の大ヒット商品となります。

 その後、「もっと便利で強力な銃なんてできないかな」と個人的に開発を続けていたブローニングが注目したのは発射時のガス圧でした。火薬を破裂させる際に出るガスを使って次弾を即装填できないものかと思い付き、そして実現させてしまう当たりはもはや天才というより他ないでしょう。こうして、発射時のガス圧で次弾が自動で装填されるというガス・オペレーション方式を編み出したブローニングが開発したのが現代でいう機関銃でした。
 それまでの機関銃というかガトリングガンは弾丸を自動で発射することはできても装填までは自動ではやっておらず、ハンドルを手回しして次弾を常に繰り入れていかなければならなかったのですが、ブローニングの作った機関銃はその装填までも自動で全部やってくれるという、洗濯機で言えば二層式が全自動になるくらいの画期的な発明で、それ以前の手回し式ガトリングガンを完全に過去のものとして一掃させるほど強力な兵器となりました。

 このガス・オペレーション方式をブローニングは機関銃から拳銃にもその後応用し、リボルバー式自動拳銃を作ってこの特許権をコルト社に売却し、この特許を元にコルト社は世界初のオートマチック式拳銃を発売するに至ります。一方、この間にかつて蜜月関係であったウィンチェスター社とは契約金関連で揉めることが多くなり両者は完全に決別するまでに至ります。代わりにブローニングの商売相手となったのベルギーのFN社で、FN社向けに改造を行った自動式拳銃「FNブローニングM1900」はヨーロッパ中で大ブレイクしてベルギー国王からもブローニングは勲章をもらうほどでした。
 ちなみに「FNブローニングM1900」は合理的な構造からくる故障の少なさと正確な射撃能力、携帯性から当時非常に評判で、更に改造が加えられた「FNブローニングM1910」も数多く販売され、サラエボ事件のオーストリア皇太子殺害にも用いられています。

 FN社との提携関係が強まったブローニングはわざわざ家族とともにベルギーへ移住して晩年もベルギーで過ごしました。この間にも半自動ショットガンを作ったりするなど最後まで旺盛に銃器開発に取り組んでいたそうですが、彼が生前に設計し集大成とも言える自動拳銃が最初に書いた「FNブローニング・ハイパワー」で、この銃は拳銃でありながら高い装弾数と異常に頑強な構造からこれまた世界的に大ヒットし、この拳銃に使われる弾丸のサイズが世界の拳銃用弾丸の標準サイズ(9x19mmパラベラム弾)となるほど世界中で遍く使われました。
 何がすごいかってこの銃、設計自体は1920年代にもかかわらず「バイオハザード2」を始めとして現代でもそのままで使われていることです。またこの銃の構造は完全に拳銃のスタンダードとして君臨しており、この構造以外の銃を現代で捜す方がむしろ難しいでしょう。

 以上がブローニングの一生ですが、ポンプアクション式ショットガンから機関銃、自動拳銃まで、現代における主要銃器の基本構造をほぼすべてこの人一人で発明しているというのは、改めて考えるだに恐ろしいまでの天才だったというよりほかありません。このブローニングの影響からかまではわかりませんが彼の故国である米国では自動小銃の導入が非常に早く、ブローニング自身が設計したM1918やM1カービン(何気に設計者はジョン・ブローニングの弟)といった自動小銃(アサルトライフル)を他の国に先駆けて部隊に配備し、弾込の動作がいちいち必要だった日本のライフルを各戦場で圧倒していました。
 妹尾河童氏も著作の「少年H」で進駐軍が持っていたM1カービンを見て、「弾込動作も必要なく自動で連続発射できるこんな銃持った相手に勝てるわけない」と衝撃を受けた体験を書いています。本人は射撃部所属だったからなおさらだったろうな。

 ベタな話ですが何故ブローニングを取り上げたのかというと、一人の天才がどれほど世界に大きな影響を与えるかを示す好例だと思えたからです。またその天才を引き上げたという米国の腹の深さといい、こうした点が二次大戦でもやはり大きく影響したと思え、如何に天才を物にするかということが大事なのかとブローニングの一生を見ていてつくづく思います。
 なお自分が一番好きな拳銃は「グロック17」と言って、強化プラスチックを大量に使った初めての拳銃です。作ったグロック社はプラスチックメーカーでそれまで銃器を一切作ったことなかったのにベストセラーとなる銃を出す辺りベンチャー魂を感じるのと、直角の強いフォルムがシンプルかつ無骨で何とも言えません。ただバイオハザードだとあんまり出て来ず、コードベロニカに出てきたくらいかな。

2016年9月16日金曜日

満映と中国映画の系譜

【画像】 観光客の自撮りにうんざりする奈良公園の鹿の写真が話題に(痛いニュース)

 関係ないですが奈良の鹿話なので一応。基本的に鹿はカメラを向けると目線を真顔で合わせてくるんでカメラ写りがいい動物だと信じています。

 話は本題に移りますが、今月の文芸春秋で気になった記事の中に満映こと満州映画協会関係者の記事が載せられていました。どういう記事かというと戦前に満映で編集係として活動していた女性を取り上げ、その方が死ぬ前にもう一度と満州こと現在の中国東北部にある吉林省長春市を訪れる話です。
 満映自体が戦前の会社であることから想像がつくでしょうがこの取り上げられた女性の年齢は現在95歳で、一人で歩行できるものの大事を取って車椅子で移動することにして長春を訪れていました。旧満映本社は現在、市の映画博物館となっており、この女性の訪問に際して入り口では元座員の館長とともに、かつて満映でこの女性から映画編集技術を教わっていた御年94歳の中国人男性もやってきており、二人は一目見るなり「懐かしい!」といって手と手を取り合ったそうです。少なく見積もっても60年ぶりの再会ですが、リアルにキャプテン・アメリカみたいな再会を果たしていました。

 話を戦前に戻すと満映で編集係として活動していたこの女性は終戦後はすぐには引き揚げず、しばらく満映に残り中国人スタッフへの指導を行っていたのですが、中国で共産党と国民党の戦争が過熱するに伴い映画関係者らは長春より北の地域に移動させられ、そこで指導を続けていたそうです。その後一旦は長春に戻ったもののすぐに日本への退去命令が出されたためこの女性が日本に戻ったのは1950年代に入ってからなのですが、この時期に指導していた中国人映画関係者が後の中国映画草創期の人材となっていくわけです。
 具体的にはこの時に育てられた人材が中国の映画養成所の指導者となり、この養成所からは世界的にも有名なチャン・イーモウや、私が文化大革命の連載で一次資料とした「私の紅衛兵世代」を書いたチェン・カイコー(陳凱歌)といった監督陣を輩出しており、こうした点を考慮すると満映の系譜は現代の中国映画に連なっていると言っても過言ではありません。

 私の学生時代に中国語の講師だった先生がまさにこの方面の専門家で一回だけ授業で詳しく教えてもらったこともありましたが、現在の中国映画業界には上記の様に満映をルーツとする流派と、香港映画をルーツとする流派が存在しており、両者が混ざり合った状態が今の中国映画業界だと言えるそうです。ただ先ほどの陳凱歌を始めとして映画業界は思想宣伝に関わる分野であったことから一定の年齢以上の層はほぼ例外なく文革の影響を受けており、最初に取り上げた女性と再会した中国人男性も、当時の思想弾圧によって最初の妻は自殺し、本人も辛酸を舐める生活を一時余儀なくされたということを話しています。

 逆を言えば、中国映画には必ずと言っていいほど文革の影が纏っているとも言えます。何気に昨日に友人とも話したし一昨日には上司とも話をしたのですが、今の映画関係者は文革と天安門事件を経験しておりその時の体験が嫌が応にも作品に現れてしまうし、そうして浮き出てくる要素こそ中国映画の魅力というか長所にもなっていると言えるでしょう。日本においても戦争体験と全共闘の二つが映画業界の中で重きをなしているというか重要な要素で、こうした広く共有されている強烈な体験こそいい映画を生む条件なのかもしれません。
 翻ってアメリカ映画を見るならば、あんま詳しくはないですがやはりベトナム戦争がかつては一番大きく、現代においては9.11でしょう。むしろ9.11なしに現代のアメリカ映画は語れず、この要素をどれだけうまく、静かに表現できるかによって作品の優劣が決まるというところもあり、「アバター」、「ハートロッカー」や「アメリカンスナイパー」等はまさにその典型と言えるかと思います。

2016年9月15日木曜日

最近買った漫画、主にヒナまつり11巻

 昨夜、待ちに待った念力使える少女とインテリヤクザのドタバタギャグ漫画「ヒナまつり」の11巻が発売されたため、深夜にもかかわらず電子書籍版をダウンロードして(何度も失敗しつつ)夜中に笑い転げてから眠りました。この巻に収録されている話の中身についてネット上では、「くつ、なめますから!」というセリフが見どころとしてよく取り上げられていましたが、個人的に一番ツボにはまったセリフは、「新田が不幸過ぎてヤバイ」でした。

 この漫画は結構巻数を重ねていますがギャグの切れは全く落ちておらず、対抗馬の「監獄学園」がやや引き延ばし傾向が目立ってきて面白さがなくなってきたこともあり、今連載中の漫画の中で何が一番面白いかといったら私の中では間違いなくこの漫画が上がってきます。
 この漫画のギャグの特徴としては、話の構成が優れていることもさることながらこの作者はコマを外さないというべきかここぞというところで確実に大ゴマを振り、そのコマが見事なくらいにその直前の場面からの展開が上手く、単純コマ使いが非常に上手い作者だと思います。なんでもこの漫画がこの作者にとって初めてのギャグ漫画だったそうですが、どうしてこれほどのセンスをそれ以前からも発揮できなかったのか不思議に感じるくらいの凄みを覚えます。

 引き続いて別の漫画ですが、Kindleで1~3巻が無料だったので「無限の住人」も購入しました。タイトルだけなら前から知ってて擬音に漢字が使われるっていうこと以外は全く知らなかったのですが、読んでみてこれもとても面白かったです。内容は江戸時代を舞台にした自体劇物で、父親を殺された一人娘が仇討のため切っても刺しても死なない不死身の剣客を雇うという話ですが、剣客物のだけに戦闘シーンが非常に多いものどれも見事な画力で表現しており、動きも激しいながらきちんと描き切っています。しかも背景もめちゃきれい。
 ただ、この漫画を読んでて気になったのは画力よりも画風です。作者の沙村弘明氏のWikiを見ると美大学生時代は大友克弘氏の影響が強かったと書かれていますが、この無限の住人に関して言えば一目見て、「ああ、冬目景だ」と思いました。っていうか「黒鉄」。

 冬目景氏というのはこちらも漫画家で一般層の認知はそれほど高くないものの熱狂的なファンが非常に多い作者であるのですが、沙村氏の漫画を見て何故冬目氏が出てくるのかというと画風が完全に一致しているからです。どちらも非常に特徴的な描き方をしておりページ全体がデッサン風にクロッキーで書いたかのようなざらざらとした質感の絵で、風景画の中に実際の頭身に忠実なキャラクターが動くような描き方をしています。
 それもそのはずというか冬目氏は沙村氏が美大で入っていた漫研の先輩だったそうで、冬目氏によって沙村氏は女装させられたこともあったそうです。っていうかひどくね?

 最後、これは今日一気に六冊まとめ買いしましたが「乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ」です。この前にやってた火砲の歴史で西欧で初めて火砲が集中的に軍事運用された戦争はフス戦争だと書きましたが、まさにこのフス戦争で銃火器を使って戦ったフスは農民軍に参加する少女を主人公とした漫画で、前からも興味ありましたがフス戦争についてちょいと調べたし、ちょっとメジャーでない漫画を読みたいと思っていた矢先なのでマルクス主義的に今が買い時と決心して買っちゃいました。なお私が「マルクス主義的に」という言葉を使う際は、「空虚な、意味のない」という意味合いで普段から使います。
 この漫画を読んでて思ったのは、ストーリーについては実際の歴史をよく読みこんで非常によく寝られているなと思い、絵については当時実際使われたマスケット銃、大砲、ワゴンなどをしっかりと書かれてあり歴史を題材に取った漫画としては必要十分な条件を揃えているという気がします。ただ少し気になった点としてはただでさえ一般人に馴染みの薄い中世ヨーロッパ世界で神聖ローマ皇帝や教皇、プラハや公会議といった単語が頻出され、読者の理解が追い付く前に展開が早く進んでしまっているのではと思う節があります。

 漫画において展開は早ければ早いに越したことはありませんが、歴史漫画の場合はどうしても歴史背景や事実関係を読者が追わなければならないため、背景や補足説明なりをナレーションやキャラクターを使って行わなければならず、この「乙女戦争」もやってないわけではありませんがもうちょっと多めにやっておいた方がよかったのではという気がします。あと、戦争の場面ではもう少し火力の威力がわかるように表現できればというか、はっきり言って表現しきれていないとも見え、この辺りは少しテコ入れすればかなり良くなる場所であるようにも見えます。
 なおこの漫画でうちでも外でもいつでも素っ裸のキリスト教異端派が出てきて彼らが登場する会はいつも彼らは素っ裸でいるのですが、みんながみんな素っ裸でいる場面を見る度に私の中では漫☆画太郎氏の名前が何故か浮かんできます。


     

2016年9月13日火曜日

蓮舫氏の二重国籍問題に関する嘘

 最近誰も話題にしなくなりましたが夏目三久氏と有吉弘行氏のあの結婚騒動は一体何だったのかなとふと気になりました。文春が後追い報道しなかった時点でデマだとすぐわかりましたが、「生放送で否定していない」、「事務所がきっと隠している」などとこのデマを必死で信じようとしていた連中はなんだったのかな。
 今日の話はホットな話題というか説明するまでもない蓮舫氏の二重国籍問題についてです。結論から言えば議員辞職してやり直せというよりほかなく、この期に及んでまだ嘘をついている点を含め他人に厳しく自分に甘いその態度は軽蔑に値するでしょう。

 まずこの問題の第一報を報じた媒体について、当時ちょっと確認していなかったのですが先程ネットで調べた限りだとアゴラだったように言われています。本来、他のメディアがこのような疑惑を報道する際はちゃんと情報出所を書かないといけないのですが大手紙なんかは以前も週刊誌発の疑惑を出典をごまかして報じるなどこのところ呆れた態度を取ることが増えているだけに、今回も出典がアゴラだと書かないし言わないのも納得できる上、私が把握していなかったのもそれが背景だと思われます。
 なお実際私も経験していますが大手紙の雑誌、ネットメディア軽視は非常に根深いものがあります。ひどいのは私の昔の編集長で、私が取材して聞き出した内容よりも他の大手紙の間違った記事内容を信じて、「嘘書くんじゃねぇ!」と散々に罵倒された挙句、私の書いた記事内容が後でやっぱり正しかったとわかるや、「じゃあそのまま出して」とスルーされたこともありましたが、ライター内でも「大手紙の記事は神聖にして不可侵」という概念があるから鬱陶しかった。

 話は戻りますが今回のこの騒動では大きく二つ問題があると私は考えています。一つは言うまでもなく蓮舫氏が二重国籍を保持したまま国会議員をやっているという点で、二重国籍を認める国も確かに存在しますが日本の場合は成人には認めておらず(未成年はOK)、蓮舫氏の現状は間違いなく法律違反を犯している状態です。まぁ捜せばほかにいくらでも出て気はしますが、法律に違反し続けている人間が国会議員をやってるなんて冗談もいい所で、ましてや国籍という非常に基礎的な条件でやらかすなんてわざとでないにしても笑わせるなと言ってあげたいです。
 もう一つの問題点としては、まだここまで深く突っ込んでるメディアはありませんので私が言いますが、蓮舫氏は明確に複数の嘘を今回ついています。一つ目と比べてこっちの問題の方が重いように私は思え、この一点で以って議員辞職にも相当するミスを蓮舫氏は犯しているともっと追究されるべきでしょう。

 では蓮舫氏がどんな嘘をついたかですが、一番大きなものとしては「既に国籍離脱をしていたと思っていた」という嘘です。既にあちこちで検証されていますが当初は出生時から日本国籍単独であると主張しておきながら途中で17歳の頃に父親と共に離籍手続きを取ったと本人は話してます。一方、過去のインタビューでは25歳時に台湾国籍を維持している(ついでに誇りも持っている)と述べており、一年や二年の差だったら思い違いも分からなくはないですが、この期間の差から考えると離籍手続きを取っていなかったことを初めから認識していたと考える方が自然でしょう。
 よくこの手の問題で日本のメディアはやたら本人の意見を重んじますが、政治家なんだから本人が何言おうが有権者がどう考え、信じるか否かの方が重要でぶっちゃけたところ本人が何を言おうが関係なく、自分がどう思うかが一番肝心というのが私のスタンスです。

 もう一つ、明確に嘘をついていると私が思う点は台湾大使館(便宜上この表記を維持)への国籍変更手続き有無の確認日時です。蓮舫氏は本日13日早朝に二重国籍状態であることを認め陳謝し、確認を求めていた台湾大使館から昨日12日夕方に連絡があったと述べました。しかし、実際大使館で働いたわけじゃなく断言できるものではありませんが、国籍の有無について確認するのに普通それほど時間がかからないように思えます。今回の騒動は先月末に第一報が出ており先週一週間フルに報じられ続けたことを考えると、この間に確認の返事位受け取ることは可能だったのではないかと思います。
 そして何より、今日が13日であるという点を考慮しても嘘をついているようにしか思えません。一体今日13日はどんな日なのかというと、民進党代表戦における地方議員、党員、サポーターの郵便による投票が締め切られる日であります。仮に今日より以前に二重国籍を認めてしまうと上記の投票が減る可能性があり、逆に代表選本選の15日以降に認めてしまうと、「わかっていたら投票しなかった」などとケチがついて仕切り直しの再選など当選取消を受ける可能性があるため、敢えて今日の13日か明日14日を狙って発表したのではないかと思えてならず、それくらい作為を感じる発表日程であるだけに確認日時は偽っている可能性が高いと私は見ています。

 別に私は政治家が嘘をついちゃだめだなんてそこまでの理想主義者ではありませんが、現状がどれほど異常であるかを本人が理解していない上になおも代表選当選にこだわる蓮舫氏のこの姿勢は政治家としても一個人としても理解の出来るものではありません。自民党側の視点に立てば、このまま蓮舫氏が代表選に当選してくれれば民進党を攻撃する格好の材料が得られるため敢えて今は批判を抑えているようにも見え、どうせ当選した所で本人はおろか党の足を引っ張ること羽目に見えてるだけに本気で政治のこと考えるならば今は一歩身を引く一手しかありません。それすらも把握できていないのであれば政治家なんて向いおらず、言ってしまえば論外以外の何物でもないでしょう。

  おまけ
 最後どうでもいいですが、ウシジマくんのマサル死ななくてなんかほっとしちゃった。

2016年9月12日月曜日

本名とハンドルネームの狭間で

 先日、リクルートスタッフィングに対して数年ぶりに電話取材を敢行した際、電話口で最初に述べた第一声は、「お忙しいところ失礼いたします。私、フリージャーナリストの花園祐という者です」という口上だったのですが、これを言いながら、「何がフリージャーナリストやねん、っていうか花園祐って誰やねん(笑)」と思えてきて吹き出しそうになりました。
 言うまでもありませんが「花園祐」というのはハンドルネームであって本名ではありません。本名はこのハンドルネームと一文字も被っていないどころか文字数も違うし、高校時代に使っていた筆名もまたこれとは異なるのでこっから私の人物を特定するのはほぼ不可能と言えるのですが、冷静に考えるとこのブログを通して私のハンドルネームを知っている方は恐らくそこそこいて、多分その数は確実に私の本名を知っている人数を上回っていることでしょう。

 なもんだから、果たして自分の名前としてどっちが適当なのかなとふと思う時があります。本名は戸籍にも使われている名前だし法制度的には間違いなくこっちの方に分がありますが、こと人物の識別、伝達においてはハンドルネームの方が圧倒的に優位です。っていうかブログ始めるに当たってパッと思いついた名前だというのにそこそこ浸透してきたなと思えてなんかいろいろと複雑です。
 なお名前の「祐」という字は友人の名前から一字拝領したものですが、その友人からは私のハンドルネームについて「少女漫画家っぽい名前に見える」と言われ軽いショックを受けました。

 そんな名前にこだわりは持っていませんが、今後も外で活動する際はこのハンドルネームを使っていくんだろうなと思うと意外と付き合いが長くなる名前のようにも思います。そういう意味では変に中二病っぽい名前にしなくて正解だったなと思うと共に短いので書きやすい点ではプラスであったでしょう。最近巷では変な名前を子供に名づける親が多いというしかつては忌字であった花の名前(咲いてしおれることから若死にを暗示するため)も平気でつける親も多いですが、伏兵的な意味で平凡な名前にした方が何毎も便利でいいと今のハンドルネーム使ってて思います。
 なお、日本史上で最初のDQNネームを使った名付け親は子供にマリアやフリッツと漢字当て字でつけた森林太郎で間違いないでしょう。

2016年9月11日日曜日

日本の火砲の運用史

 なんか昨晩からずっと記事を書いてるような気がするのですがどうかしたのだろうか。金曜の晩、大学の先輩を始めとしたメンバーと夜中に漫画喫茶で「いただきストリート」をしたのが何か影響したのかもしれません。なおゲームは四人対戦で後半までずっとビリでしたが終盤に脅威の巻き返しを図り二位につけてやりました。
 さてこのところ中国、西欧の火砲というか火薬の軍事運用史を追っかけてきましたが、最終回として「誰も知らない、日本の恐ろしい火薬運用話」を展開します。ぶっちゃけほとんど火縄銃ネタですが、あんまこの辺の解説をする人少ないんだよね。

 日本と火薬のファーストインプレッションはみんな大好き13世紀の元寇です。この戦いでモンゴル軍は日本側からすると「てつはう」と呼ばれる手榴弾兼音響弾を使い、幕府側の資料にも記録されたほど兵器として注目されました。ただ注目されはしたものの深追いは全くなされず、そのため火薬自体の存在は伝わったかもしれませんが日本に定着することはなく、西欧と違って火薬の活用はこの時は全く行われないまま数百年を過ぎることとなりました。

 そして来る16世紀、具体的には1540年代前半に火縄銃が日本に伝来することとなります。この伝来時期と伝来方法については現在議論の真っ最中で、従来の様に1542年に種子島から伝来したという説よりかはほぼ同時期に近畿地方などにも伝わったとする説の方が真実味が感じられるのですがそれは置いといて、とにもかくにも1540年代に伝わって以降、火縄銃は日本で大ヒットすることとなるわけです。
 それから約60年後、1600年の関ヶ原の戦い時点で日本が保有していた火縄銃の数は50万丁を越えていたとされ、これは当時世界にあった銃火器の約三分の二にも達するという研究が出ています。

 これをヨーロッパ側の視点で見ると、流れ着いた島国の原住民が「売ってくれ」というから火縄銃を数丁売ってやった所、翌年にまたやってきたらそっくりそのまんまコピーして(発射機構はやや怪しかったそうだが)火薬の量産まではじめており、それから数十年で世界最大の量産国になっていたりと普通に考えてなんかおかしいです。戦国時代であったことからそれだけ需要があったというのはわかりますが、文明的に当時日本を上回っていた中国より先に量産体制を確保したばかりか三段撃ちを始めとする効果的な運用方法も西欧に先んじて独自に編み出し、朝鮮出兵時の序盤では朝鮮軍と明軍を実際に圧倒しています。
 一体何が日本人をこれほどまでに火縄銃へと駆り立てさせたのかいまいちよくわかりませんが、こと銃火器に限れば当時の日本は間違いなく世界ナンバーワンだったと断言していいでしょう。ただ銃鍵のカテゴリーであれば通常の火縄銃、バレルを延長した火縄銃、口径を大きくしたハンドカノンなどバリエーションを広げましたが、西欧と違って大砲を量産するにまで発展しませんでした。

 大砲自体は木砲を自作したり、ポルトガルから輸入して大阪の陣で運用されたりなどしましたが、日本国内で本格的に量産するまでには至りませんでした。背景としては二つあり、一つは大型の金属製大砲を自作するほど鋳造技術が足りなかった、もう一つは戦国時代が終わって需要が亡くなったためです。特に後者の影響は大きく、江戸時代に入って以降は農民反乱を防ぐためにも所持が制限されて、標準装備する鉄砲隊や狩猟に出る猟師以外には持たされなくなり全体の保有数も減っていき、また改良自体も行われないまま明治維新まで時が経ったわけです。

 それにしても戦国時代の量産量は異常というよりほかなく、別の視点から見ると火縄銃の軍需産業規模は一体どれほどあったのか非常に気になります。これだけの量であったことから輸入量を差っ引いても相当な人間が鉄砲生産に関わっていたとみられ、日本全国単位でのキャッシュフローにも大きな影響を与えていたことでしょう。仮にこの時の水準のまま発展していればとんでもない銃火器も作っていたのでは、下手すればビームライフルやレールガンなども作れていたのではないかと思いつつそりゃないかと我に返る次第です。

2016年9月10日土曜日

続・永田寿康元議員の自殺について

永田寿康元議員の自殺について

 上記記事は2009年に私が書いた記事ですが何故か今現時点でやたらとアクセス数が高くて困惑しています。っていうよりもこの件についてはほかにも書いてる人がたくさんいるというのに何で私の所ばかり来るのかもわからないのですが、書かないよりは書いてあげた方がいいなって気がするので一応「その後」の話を書いておくことにします。
 にしても上の記事書いたの七年前か、この頃は新卒で入った日系企業で文字通り「髀肉の嘆」をかこっていたな。七年前の自分が今の姿になるとはいくら自分でも想像できなかったろう。

ついに逮捕!「偽メール事件」で議員(故・永田寿康氏)騙した“サギの天才西澤孝・40”の手口(FLYDAY)

 結論から言うと、永田元議員が議員辞職してその後に自殺へと至るきっかけとなった偽メール事件でメール文を偽造したとされる西澤孝は、その後も詐欺を繰り返し続けて逮捕立件されていました。

 この西澤孝は偽メール事件を引き起こす前も、元プロ野球選手で先日大麻で捕まった清原容疑者の現役時代に彼の行動について事実とは異なる取材記事を週刊誌に書いたことにより清原容疑者に訴訟を起こされ、その記事を掲載した週刊誌に多大な賠償金支払い命令が下される判決を招いています。なおこの時の裁判結果を受けてどの週刊誌も訴訟リスクを検討するようになり、以前と比べて憶測、というか妄想の類の記事は掲載しない方針となっていったのですが週刊新潮はそうでもなかったようです。

 色々と説が飛び交っているものの、永田元議員は西澤孝の直接の知り合いではなく、別に信頼する人間を仲介して知見を得て例のメールを得たとされ、その仲介した人物を深く信頼していたことからその内容をまるっと信じ込んだと言われています。もっとも、あの内容と文面で信じたこと自体が異常極まりなく、なんの裏付けも行っていなかったことから言っても週刊誌記者と同レベルの判断力だったとしか言いようがないのですが。

 それにしてもカスはカスで余計な毒を社会のあちこちにばらまくだけばらまくのだなと、その後の成り行きを見るにつけ思いにふけます。極端なことを言うと、世の中には弁護のしようがないほど本当にどうしようもない人間は確実に存在しており、下手に野放しにするくらいなら殺害するか隔離した方がその周囲を含めて絶対にプラスだと思える人間がいます。先日、和歌山で起きた発砲事件然り、この西澤孝然り、早めに処分なり追放なりしないからこういうことになるのだと思えてならず、もう出所しているかどうか知りませんが出所したらしたでまた同じようなことをしでかすに違いないと考えています。

 もっとも、永田元議員が惜しまれるような人材だったかとなると自分でも少し疑問符はつくのですが、あれほど頭の回転が速く切り返しの強い政治家は現時点においても私が見る限りおらず、この点に関しては誠に稀有な人間だったと太鼓判を押します。私の知る限りあれほど言い合いが強い人物となると元オウム真理教の上祐史浩氏くらいなもので、私の中ではこの二人が未だにトップツーです。

 紙幅がやや余っているので最近の政局について述べると、社民党が実質的に滅んだ今、民進党はそのまま社民党と同じ崩壊への道をこれから辿ることになると予想しており、蓮舫氏が代表になることはまさにその第一歩になるでしょう。女性に政治が出来ないなんて言うつもりはなく単純に代表としての資質や能力に欠ける上、それを支える人材もいないためですが、一番致命的なのは本人らがそれを自覚していないことで、補完するための努力を明らかに怠っています。現時点で代表たり得る人物は私が見る限り野田元首相しかおらず、彼の名が出てこない一点を通しても組織として民進党は疑問を覚えずにはいられません。

西洋の火砲の運用史

 前回に引き続きまた火薬の軍事利用に関する歴史を追っていきます。前回は火薬の発明国でありながら軍事転用に関しては軽い手榴弾レベルからなかなか発展させることが出来なかった中国を取り上げましたが、今回はある意味本場の西欧世界での運用を取り上げます。

<フス戦争での火器運用>
 西欧に火薬が伝わった時期についてははっきりとわかっていないものの、おおよそ11~12世紀頃であると推測されています。伝来方法はかつて紙がタラス河畔の戦いで中国から中東経由で伝わったように、大陸を席巻したモンゴル軍団の西欧・中東世界への侵略に伴い火薬も伝わったと見られています(異説もあり)。
 火薬が西欧世界へ伝来した後、その軍事転用は早くも行われ英仏百年戦争の時点で簡易的な大砲が出現したとされます。用途としてはやはり攻城戦で使われることが多く、大砲の発射に使ったり城壁の爆破などと補助兵器として使われたそうですが、それが戦争に対して大きく影響を及ぼすようになったのは15世紀前半にチェコで起こったフス戦争からです。

 気に入らない人間を窓から投げ捨てることに定評のあるチェコ人によって起こったこの宗教戦争で一般大衆によって構成されるフス派についた傭兵のヤン・シジュカによって、まだ非常に原始的だったマスケット銃が組織的に運用されたほかこれまた簡易的なハンドカノンなども応用され、戦局に大きな影響を与えました。
 この時使われたマスケット銃はまさにこの15世紀前半に発明されたばかりで、その後ドイツで徐々に量産体制が作られていきヨーロッパ中に広まっていきました。

<大砲デビュー>
 このフス戦争と共に火薬の軍事利用において大きな契機となったのは、1453年のコンスタンティノープル包囲戦です。この戦争は東ローマ帝国ことビザンツ帝国の首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)がオスマントルコのメフメト二世により攻撃され陥落し、ビザンツ帝国が滅亡した戦いになるのですが、この戦争でメフメト二世はウルバンという名のハンガリー人技術者を雇い巨大な大砲、俗に言う「ウルバンの大砲」を作らせ、これによって城壁の外から攻撃を行いました。
 このウルバンの大砲は青銅で作られたものですがその全長はなんと8メートルにも達し、現代人の目から見てもとてつもなく巨大な大砲でした。発射するのは鋼鉄の砲弾ではなく主に岩石だったそうですがその重さは500kgを越えるとされ、技術が浅かったことから一回の八社ごとに数時間のインターバルが必要であったり、運用開始から6週間程度で壊れて使えなくなったもののその効果と威力は凄まじく、攻城戦における大砲の有意性に対する認識を大いに高めてこれ以降、西欧各地で大砲の生産、装備が進んでいきます。
 なおウルバンは当初、ビザンツ帝国に自分の設計案を売り込んだそうですが拒否されただけでなく逮捕されかけ、逆にオスマントルコへ売り込んで作ったそうです。罪な男ではあるが技術者魂は強く感じる。

<違いは鋳造技術?>
 こうして西欧は中国に先駆け、銃と大砲を兵器として自らの戦術に取り込んでいきます。一体何故、火薬を発明した中国に先駆けて西欧でこれらの火薬兵器を運用するに至ったのかその背景を私なりに述べると、一つは中国がその爆発力と音響力に着目したのに対し西欧では推進力、弾丸を発射する方向で発展せしめたのと、火薬兵器の母体となる銃や大砲といった金属器の鋳造技術が優れていたからではないかと見ています。専門でないため詳しくわかりかねますが一見すると鋳造技術では西欧の方が中国を上回っているようにみられ、食器とかも西欧では金属製だったことも影響しているのかなと勝手に考えています。

 話は戻りますがこうして西欧各地で銃と大砲がバンバンつくられるようになり、大航海時代には標準的な装備兵器として定着していきます。特にスペイン人の南米への侵略においてはこれら火器が威力を発揮してごく少数の部隊で現地住民を屈服せしめるほどで、火器の有用性はますます高まっていきました。特に海戦においてはそれまでは船体を突っこませ、相手の船に乗り込んで白兵戦を行うというスタイルから、銃や大砲で双方打ち合うというスタイルに大きく様変わりし、これはそのまま現代においても変わりありません。

 銃火器単体を取ってしてもイェニチェリドラグーンといった銃を基本装備とする専門の花形部隊も生まれ、列強が形作られるようになってきた三十年戦争等になってくると銃火器武装なしではあり得なくなってきます。なお西欧では火薬の原料となる硝石が貴重だったことから火薬生産は基本的に国家事業で運営され、生産方法が確立された後でもインドからの輸入が多かったそうです。

 最後ですが、火薬というか大砲を使った戦争においてもっとも大砲を効果的に活用したのは間違いなくナポレオンでしょう。彼自身が砲兵隊出身ということもあって砲兵戦術を熟知しており、ヴァンデミエールの反乱において一般大衆目掛けて大砲をぶっ放してその地位を確立させたことといい、大砲とナポレオンは切っても切り離せない関係にあります。もっとも彼の場合は騎兵や歩兵の運用でも神がかっており、三兵戦術を完成させていますが。

2016年9月8日木曜日

中国の火砲の運用史

 ちょっとブログ記事で洩らしたところコメント欄でリクエストを求められたので、中国の火砲の運用史について昨夜の一夜漬けの成果をお見せします。

 まずそもそも火砲の定義とは何なのかですが、現在では一般的に「大砲」と同義とされています。ただ火器全般のことを「砲」とも呼び、また広義的には「火薬を使った兵器」とも言えるので、今回の記事では近代的な大砲はそれほど取り扱わずに火薬の発明からそれを用いたごく初期の火薬兵器についてその発展段階を追います。

<火薬の発明>
 まずそもそもの火薬ですが、これは中国四大発明に加えられるほど画期的なもので中国発祥であることは間違いありません。ただ発明時期とその瞬間については諸説あり、時期に関しては大体6~7世紀頃とされ(その時代の資料に火薬らしい物品の説明が登場する)、どうやって発明されたかについては説がたくさん分かれているものの、薬剤師が自前の薬を練っている最中に偶然発見した、っていうか急にパンって破裂してビビったというエピソードが個人的に好きだしありそうな気がします。

<それは爆竹から始まった>
 発明された直後はまだ生産量も少なく品質も悪かったためか民用はおろか軍用にもほとんど使用されなかったものの、大体10世紀の宋の時代辺りから徐々に軍事用途として活用が広がっていきました。ではこの時代の中国でどのように火薬が兵器として使われたのかというと、結論から言ってしまうと当初は爆竹として用いられたもようです。

火槍(Wikipedia)

 この時代の火薬兵器は決して冗談でもなく紛れもない爆竹で、竹筒の中に紙で撒いた火薬を仕込み槍の先につけ、敵に突き出したところで破裂させるというまさに爆竹そのものでした。目の前で破裂させてどないすんねんとツッコミが来そうですが殺傷目的というよりは音響による威嚇目的としての意味合いが強く、使用場所も城壁を登ってくる兵に向かって使ったりしたほか、北から馬に乗ってやってくる異民族の軍団に対してその乗っている馬を驚かす目的で使うことが多かったそうです。
 一応、中には物を詰めることで爆発共に発射させて殺傷する兵器もあったそうですが、火薬を詰める竹が構造上脆いこともあってそれほど強くなく、また火薬が悪かったことから一斉射撃も行えなかったそうです。多分当時の人も、これなら弓の方がずっとマシだと思ったことでしょう。

<てつはうという手榴弾>
 もっとも殺傷目的での火薬運用も全くなかったわけではなく、陶器でできた玉の中に火薬を仕込み導火線をつけ、火をつけた後で敵に向かって投げつけることで中の火薬が爆発し、外側の陶器が割れてその破片が飛び散ることで攻撃する兵器、日本風に言えば元寇時の「てつはう」もこの時代辺りから登場したそうです。この兵器は爆発力こそ現代とは比較になりませんが手榴弾そのもので、実質的に直接攻撃する用途で火薬を用いた兵器としてはこれが最初なのではないかと思います。
 しかしこのてつはうも手榴弾として使うよりかはやはり音響による威嚇効果目的の方が大きく、使う相手としても異民族がメインだったようです。なお外側の衣には陶器のほか鉄を用いた者もあり鉄球の手榴弾も存在したそうですが鉄球と聞くと無性に、「祖先から受け継いだ鉄球ッ!」と叫びたくなります

<モンゴル軍による火薬運用>
 こうして徐々に火薬の兵器利用が進みましたが、宋の時代はあくまで支援兵器的な役割が大きかったもののその宋を平らげた元ことモンゴル軍は火薬兵器に着目し、先程出てきたてつはうなどをより大規模に活用し始めました。また非常に原始的ではあるものの金属製の筒の中に石とか物を詰めて火薬で発射する、現代でいう「銃」もこの頃に中国で発明されましたが、生憎この銃の形態はそれほど発展せずに終わってしまいます。
 モンゴル軍が火薬兵器を活用したことは日本も元寇で体験済みですが、それ以上に影響が大きかったのは西洋世界です。遥かヨーロッパくんだりまで侵略したモンゴル軍によって中東、西欧にも火薬が伝わったことで(アラビア商人が伝来させたという説もあり)、西欧でも火薬の軍事利用がこの後ドンドン広がっていく、というかあっという間に中国を追い抜いて行ってしまいます。

<西洋に対する周回遅れ>
 明の時代に移ると、火薬の生産量も高まってきたことから軍事用にもたくさん使われるようになってきます。特に明を建国した朱元璋は戦闘で火薬を率先して使ったと言われており、火薬に関する軍事指南資料もこの時代によく書かれています。
 ただ火薬を使うと言っても、その推進力を使って弾丸を発射する銃はほとんど全く使われず、どちらかといえば攻城戦の際に城壁を破壊したりするために爆発力を利用するケースがほとんどだった模様です。一応、宋の時代に木製大砲(木砲)、元の時代に青銅製の大砲が出ており、元末から明初期にはこの木砲が反乱を起こした民兵がこぞって大量に使っていたとありますが、西欧ではこの辺の時代からマスケット銃を量産してアメリカ大陸を侵略したりし始めたのと比べるといまいち進化が遅いように感じます。

 実際、明が成立して戦争が減ると中国の火薬の兵器利用は西洋にますます後れを取り、それどころか火縄銃が伝来した日本にすらも運用面で遅れてしまっていたように見えます。実際、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に明軍も戦っていますが、朝鮮軍ともども日本軍が集中的に運用する火縄銃の前に序盤はずっと苦戦しっぱなしでした。

<西洋伝来の大砲で>
 極めつけは明末期、満州族が中原に侵略し始めた際に山海関の防衛戦で袁崇煥という元文官の武将がポルトガルから大砲を取り寄せ防衛を行い、敵軍を散々に蹴散らすという大活躍を収めています。なお満州族を束ね後の清王朝の太祖とされるヌルハチはこの戦闘で負った傷が元でそのすぐ後に亡くなっています。
 この戦闘が示す事実としては、大砲の製造、そして運用面で中国は西洋に対しこの時点で大きく劣っていたということです。自前で作れるのなら輸入なんてしないし、また敵軍である清軍も対抗策がなかったということは中国本土でこのような火砲がほとんど運用されていなかったとも考えることが出来ます。

 非常に残念な話ですが火薬の発明こそ中国であるものの、その火薬の軍事利用においては伝来先の西欧の方が格段に早く進んでしまいました。この理由についてはまた次の記事で書こうかと思いますが、百年戦争を始め軍事的需要が高かったことと、大砲を作る鋳造技術が上回っていたことが大きいのではと思います。
 その後、清によって中国が統一されて平和な時代が訪れるとますます火薬を使った軍事研究が西洋に比べて遅れ、後のアヘン戦争時にはどうにもならないほどの大きな差をつけられることとなったわけです。

2016年9月6日火曜日

遼寧省のGDPマイナス成長要因について

 最近現場から離れてめっきり中国経済をチェックしなかったのを反省して少し本腰入れてこれまでに出ている経済指標を細かくチェックし直しておりましたが、ほんと今まで全く気づいていなかったのですが私の知らないところで遼寧省のGDPがマイナス成長していました。

一季度GDP排行出炉:东三省仍垫底 辽宁首现负增长(中国経済網)
辽宁经济增速连续第二个季度负增长 短期转正无望(鳳凰網財経)

 リンク先はどちらも中国語のニュース記事ですがその内容はというと、遼寧省の第1四半期GDP成長率が-1.3%、上半期も-1%というマイナス成長を記録したことが報じられています。なお地方別GDP成長率でマイナスを記録したのは遼寧省だけで、このニュースはメディアの反応を見る限りだとかなり衝撃的に受け止められているようです。

 一体何故、遼寧省だけがマイナス成長となったのか。いくつか出ている報道の中には中央政府から派遣された査察官が厳しくチェックしたことによりこれまでのように成長率を水増しすることが出来ず、逆に今まで水増ししていた分が足かせとなってマイナスとなったという指摘が出ている辺りは中国らしいです。
 ついでなので解説しておきますが、中国の全国GDP成長率は北京の中央政府によって測定されるのに対し、地方別のGDP成長率は各地方の統計局が測定して出されており、地方政府は自分たちの功績を高めるためにこの値を水増ししていることはほぼ間違いありません。根拠としては発表された地方別のGDPの合計を出すと全国のGDPを毎年上回っているためで、「これは俺が初めて指摘してやったんだぞ!」と、新聞社時代の上司が自慢げに言ってたのを「はいはい」って聞き流していました。逆を言えば、全国のGDPはある程度の誤差はもちろん存在するかもしれませんがそれほど大きくは弄られてはいない一方、地方別のGDPは弄られている可能性が高いと言え、よく中国の統計発表は信用できないと言われますが全国GDPはそこまで疑わなくてもいいのではと私は考えています。外資系シンクタンクも一応予測してるんだし。

 話は本題に戻りますが、遼寧省がこれまで数字を弄っていたのがばれたから今回マイナス成長に陥ったと見ることもできますが、実態としても遼寧省を含む中国東北地方の経済状況は悪化しているように見えます。
 その理由はいくつかの記事でも指摘されていますが、遼寧省は石炭や鉄鋼といった重厚長大な大規模重工業産業が中心の地域で、現在世界を覆っている製造業全体の不況の直撃を受けていることは疑いようもない事実です。特に、もはや「中国経済の癌」といってもいい鉄鋼業の業績悪化は大きく、中国国内でも屈指の鉄鋼メーカーである鞍山鉄鋼を始め財務諸表を見るだに胃が痛くなるような惨憺たる真っ赤な業績を各社揃って叩き出しています。

 またこれは私の視点ですが、遼寧省を含む東北地方には政府が所有権を持つ国有企業が多いことも要因として大きいのではないかと思います。国有企業は現在、日本語で言えば親方日の丸体質が影響して非効率な経営や設備の老朽化によってどこも経営がおかしくなっており、中国政府も民営化を含めた国有企業改革が喫緊の課題だと述べ対策に乗り出していますが、今のところ大きな効果はまだ出ていません。

经济负增长,东北人幸福感并不低(新京報)

 上は今回調べている最中に見つけたニュースですが、マイナス成長ではあったものの東北地方居住者の平均収入、消費額は落ちるどころか上昇を続けており、幸福感も低くないということを報じています。この記事を見てどう思うかは人それぞれでしょうが私としては「あかんなぁ」と思える記事内容で、その理由はというと企業業績が落ちているにも関わらずリストラが全く行われていないのではと思えるからで、日本の「失われた十年」こと1990年代が頭をよぎったからです。
 これらの報道を総合するに、遼寧省では経済の構造転換が進んでおらず国有企業改革もうまくいっていないからマイナス成長となったのではと私はみています。構造転換の必要性は中国メディアも厳しく指摘しており取り組むべき課題はしっかりと認識できているものの実行にはまだ至れておらず、端的に言えば非常によくない状況だという気がしてなりません。

 一応、遼寧省大連市なんかはソフトウェアパークを作ってIT産業を盛り上げようと頑張ってはいますが、日本もかつて同じ失敗してますが二次産業の売上高を三次産業で埋めようったって規模が違うためそうは簡単にはいきません。なおそのソフトウェアパークには日系企業も数多く進出しており、旧満州に含まれる遼寧省全体は日本にとっても非常に重要な中国の進出先であるためこのGDPマイナス成長のニュースはもっと日本でも報じられてもいいと思うのですがあんまり報じられてなかったのか私もチェックしきれていませんでした。なんで報じひんねん。

 なもんだから自戒を込めてこうして記事書いて紹介しようと思ったのですが、最後に中国の今の景況感について述べると実は掴み辛い環境に自分は置かれているなとこのところ思います。というのも今、サービス業界に身を置いていて製造業を始めとした不況の影響を全く受けない立場にあり、社内においてもそうした景況感が反映され辛くいまいちピンと来なかったりします。
 一方で、自分のセンサーというか社会に対する感覚は年々その鋭さが増しており、内心やばいんじゃないかと思うくらい細かい核心的な情報をかっさらうかのように拾ってくる回数は増えています。なのでちょっと中国経済ニュースに対して勘は鈍っているもののすぐに追いつくだろうという妙な確信を持っており、今日書いたニュースもそういった方面の何かのきっかけだろうなと考えています。

  補足
 ふと疑問に感じて調べてみましたが、日本って都道府県別GDP成長率の四半期ごとの統計を出していないようですね。よく中国のデータが捏造だなんだいいますが、自分もデータ出してから言えよってちょっと思いました。アジア人は総じて統計に弱いとはいえ、頑張る努力位は見せてもらいたいものです。

2016年9月5日月曜日

西郷隆盛を取り扱う難しさ

 歴史記事を最近書いてないなと思って何か書くネタはないかと今日の昼間くらいから思案に暮れていましたが、最近だとどの程度のレベルが普通の人に歴史ネタとして受け入れられるのかちょっと自分でも境界がわからなくなっており、東北地方の貨幣流通時期とか中国の火砲の運用史とかやろうかなと思う度にマニアック過ぎるだろうと思い直して書くのをやめるというのをこのところ繰り返しています。
 そんなわけで、2018年の大河ドラマにも堤真一氏主演で決まったわけなので西郷隆盛についてその歴史上の立ち位置に関する話を今日はすることにしました。

 西郷隆盛といえば鹿児島県民からすれば神に匹敵するほど崇められている存在で、真面目な話、鹿児島のキリスト教徒は神、イエス、マリア、西郷の四位一体説を唱えてるんじゃないかと思うくらい地元で崇拝されています。もっとも鹿児島県民に限らなくても歴史の教科書では重要人物扱いされてて普通に教育受けていればまずその名前は聞き覚えがあるほど有名な人物であることは間違いありません。
 実際、明治維新において西郷は最重要人物の一人として扱われており、これは戊辰戦争後に行われた論功行賞(賞典録)で藩士としては最高となる2000石を得ていることから、当時としても維新の最高功績者として見なされていました。また現在においてアンケートを取れば最も人気のある歴史人物としては恐らく織田信長となるでしょうが、戦前においては西郷隆盛が常にトップだったそうです。

 そんな西郷ですが、彼を日本史においてどのような立ち位置の人物として捉えるかは非常に難しかったりします。というのも単純に彼の行動や思考、目的が生前の行動からだと掴み辛いということに加え、人気が高いゆえか虚実入り混じったエピソードが枚挙に暇がないからです。恐らく私以外でこんな話を引っ張って来れる人間はまずいないでしょうが、文豪の芥川龍之介もこうした西郷を取り扱う難しさを「西郷隆盛」という短編小説に書いており、大正期においても根強く生存説が唱えられていたほか歴史学として扱うには非常に難しい人物であることを紹介しています。

 あくまで私個人の実感で述べると、世間に伝わっている西郷に関するエピソードのうち約半数は尾ひれがついたもの、言い換えれば伝説とか神話のように事実に基づいたものではないと考えています。西郷のエピソードは探せばいくらでも出てきますが、それらに対する出典等の裏付けはよくよく見てみるとどれもはっきりしないものばかりに見え、ついでに言えば断片的な話ばかりです。
 また確実に西郷が行ったという発言や行動を取ってみても、どうもはっきりしないというか本当はどっちの立場にいたのかよく見えない不気味さがあります。いくつか例を出すと山形有朋を支援して徴兵制を推し進めておきながら士族救済のために私学校を設立したり、征韓論においても急進派を抑えるためだったのか本気で朝鮮に乗りこむつもりだったのか、研究者の間でも未だに意見が割れています。もっとも、大久保利通は江華島事件を見るだに初めから征韓論は実行に移す気であり、慎重論を唱えたのは西郷を含む一部政府メンバーの追放が本来の目的とみて間違いないでしょうが。

 こうした西郷の一種の不気味さは取り上げる題材にも現れており、大半の小説や漫画では許容力のある人格者として描かれるものの一部作品では暗殺を含む非合法手段も冷徹に実行する参謀として描かれることがあり(大河ドラマ「新撰組!」など)、本当は一体どんな人物像だったのか、出会った人間は皆、「どっしりとした大人物」と述べていますがそれすらも仮面であったのではないかと疑ってかかるべきでしょう。

 現時点で私の西郷評を述べると、薩摩人というよりは京都人のようなイメージで、本音を一切表に出さず腹の底が見えないタイプだったのではないかと見ています。征韓論に関しても交渉が決裂して自分が朝鮮側に斬られればそれで戦争の口実にできると述べていますが、いくら当時の情勢であっても外国の使者を朝鮮王朝が殺害するとはとても思えないだけに何故このような発言をしたのか、一種のブラフではないかと思う節があり、本当の狙いというか目的を絶対に見せないしそれを平気で覆い隠してしまうようなものを西郷には感じます。もっともそれを言ったら明治維新も尊王攘夷を旗頭に徳川を倒しておきながら、維新後は開国政策を採って徳川のみならず廃藩置県で全士族を滅ぼしていますが。
 最後の西南戦争においても、初めから政府軍に負けることがわかっていながら大将に担がれたと言われていましたが近年の研究では少なくとも大阪までは進軍する気満々だったとも言われ、これまた本音はどっちだったのか全く見えてきません。やはり人気が高すぎる故、踏み込んだ検証や批判を行い辛い面があり下手に歴史学で取り扱えば火傷する対象であることには間違いないでしょう。

 最後にここまで記事を書いて本音が見えない人物だと何度も書いてたら、「メタルギアソリッド」というゲームに出てくるリボルバー・オセロットみたいな人物だったのかなと変な想像をするに至りました。結構しんどそうで書くのを一旦あきらめたんですが、こっちのメタルギア関連でこの前浮かんだテーマ記事もまた今度書こうかなぁ。