なお現代で同じような作品を作るとしたらどんなタイトルになるのかなと想像したところ、やはり「ビンラディンの息子」になるのかと思ったその直後、ソ連人民の敵であるうちの親父は無駄にアラブ人顔してて会社でのあだ名が「ビンラディン」だったことを思い出し、「ビンラディンの息子って、もしかして俺のこと?(;゚Д゚)」と焦り始めました。
そんな無駄に長い前置きはおいといて、「将軍の息子」といった場合にその将軍は誰かとなると、恐らく大半の人がラストジェネラルこと徳川慶喜の名を想像するのではないでしょうか。実は最近ネットで見た情報で、慶喜の息子というか徳川慶喜家の代々の当主の逸話を聞いて一人で結構盛り上がっています。ではその子孫というか系譜はどんなものかというとこんなもんです。
ひ孫:徳川慶朝
見ての通り慶喜家の当主はきちんと「慶」の字をつけているようです。なおひ孫の徳川慶朝の逝去年は2017年で、つい最近だったりします。
一人一人簡単に説明すると、息子の慶久は七男ながら兄を差し置いて家督を継いでおり、貴族院議員などを歴任しています。ただ薬の服用ミスとみられる理由で37歳という若い年齢で亡くなられていますが、写真を見る限り非常にダンディな容姿で、柔道などの武道や油絵などの芸術にも通じていたとされ、かなり持てそうな感じがする人です。
その慶久の息子で慶喜の孫の慶光はというと、戦時中になんと三度も召集を受けています。一度目は病気にかかってすぐ病院に入りそのまま除隊し、二度目も検査に落ちて即除隊でしたが、三度目は中国大陸に派遣されていろいろ苦労したそうです。私が慶喜の子孫について知ったのもこの慶久が元将軍の孫だと言っても特別扱いされてなかったという話題をネットの掲示板で見たのがきっかけでしたが、武門トップの一族とはいえ現代戦争ではどうにもならなかったものかというのを感じます。
慶久はプライベートでも不倫をやったり、事業に失敗したりといろいろ面白い人生を歩みつつ、80歳で大往生を遂げたようです。その慶久の息子で慶喜のひ孫にあたる慶朝は曾祖父の慶喜同様にカメラに傾倒し、カメラマンを仕事にしていたそうです。ただ離婚後に養子も設けなかったことから、彼の代で慶喜家の嫡流は途絶えています。まぁ今の時代に家計を繋ぐという考え自体が古いかもしれませんが。
それにしても慶喜の子孫というだけで興味がわくだけに、やはり一時代を彩る人物であったんだなというのを感じます。
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