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2021年10月17日日曜日

日本史で一番不人気な時代

 最近歴史記事書いてないのでJBpress二は使えないような歴史ネタで語らせてもらうと、仮に日本史の中で一番不人気な時代を挙げるとしたら、文字記録のない考古学の時代を除いた場合、奈良時代と平安時代のどちらかではないかと思います。
 どちらも日本国内でもある程度文字資料が残されるようになった後の時代ですが、それでも資料数が少ないことはもとより、基本的に宮廷内での動きしか追えないという負い目があります。同時代の関東地方や九州地方がどうなっていたのか、地方の暮らしはどうだったのか、面白い人はいなかったのかなどに関してはほとんど資料がなく、追える範囲が限定されていることが一因だと考えます。

 それ以上にと言ったらなんですが、単純に歴史の流れた平坦ってのも大きいでしょう。奈良時代に至っては墾田永年私財法に至るまでの政策しか追うものないし、道鏡関連事件はまだ波乱があるものの、それ以外となるとコップの中の騒動的な話しかありません。劇的なイノベーションも少ないし。
 一方、平安時代は文化史などいくつかトピックはあるのですが、こちらに関してはネタ不足以上に上手く整理して解説する人がいないというのも大きい気がします。天皇家よりも摂関家を中心に学校教育では解説する傾向もありますが、後半にはこれが上皇、そして武士へと視点対象が切り替わるため、多分教えられる人は話がぶつ切りになる印象があるのではないかと思います。自分も嵯峨天皇の前後辺りからなんか接続が途切れているし。

 またどちらの時代も小説などがもっと盛り立てないとどうにもならないところがあり、それこそキングダムみたく藤原仲麻呂の乱を盛り上げて書く人がいたら話は変わってくるかもしれません。平安時代は応天門の変を漫画化した作品が確かあった気がしますが、あれもあんま盛り上がんなかったし、むしろ夢枕獏の「陰陽師」の方がこの時代の盛り上げでは大いに貢献しているでしょう。源氏物語なんかは作品化される傾向が多いものの、なんか政治とは切り離されて描かれることが多いため、あんま平安時代物として見られてない気がします。

 もっとも、そもそも私自身も奈良時代はともかく平安時代はそんな好きじゃないので、そんな盛り上げるつもりはさらさらないです。ただ敢えて言わせてもらうと、平安時代は2つに分けた方がいいでしょう。
 具体的には、平安京遷都から摂関家支配時代までを前半、次に白河上皇の院政開始から源平の戦いこと治承・寿永の乱までを後半とする。明らかに院政の開始前後では時代背景というか権力構造が切り替わって二重権力制となっている上、やはり院政の開始が武士の社会的影響力を高めているように思えるだけに、こうして時代を同じ平安であっても前期と後期に分けた方がいいでしょう。

4 件のコメント:

川戸 さんのコメント...

 平安時代は外国(唐)の文化の影響を受けなかったために国風文化が栄えたと伝えられ、実際に有名な和歌がこの時代に多く詠まれているのも確かなのですが、その内容のほとんどは、一握りの貴族の生活を歌うものばかりで、当時の政治や大多数の庶民の生活についてはよく分からないんですよね。
 それだけ平和な時代だったのかもしれませんが、歴史的観点からみるとつまらない時代だったように思えます。かく言う自分も、日本の戦国時代より世界の歴史の方が物騒で面白いと感じたという、しょうもない理由で世界史を選択しました。

花園祐 さんのコメント...

 同じく平和だった江戸時代だと庶民や下級武士も記録残してて、そこらへんで面白味を感じられる分、平安時代のつまらなさは識字率の低さが大きいのかもしれません。
 自分は高校時代、「どっちもいけるやろ」という考えから、日本史と世界史を両方とも受験科目として勉強してました。マジこれは後年の武器になった。

上海熊 さんのコメント...

個人的には(日本の歴史では)邪馬台国が何なのか未だに分からないです。世界史の授業でいきなり登場して消えた謎の物体です。天皇家と繋がりがあるかも不明。

花園祐 さんのコメント...

 邪馬台国関連の日本の研究はぶっちゃけラノベと変わりありません。中国側の記録を無理やり日本書紀や古事記の記述とつじつま合わせ仕様としているだけで、無価値に等しいでしょう。
 中国側史料(魏志倭人伝)二のみ着目するなら、当時の日本にも酋長制な組織はできており、東シナ海を渡航するだけの技術があったということになり、この点は後の社会発展史と組み合わせるならまだ見るべき価値があるでしょう。天皇家こと大和朝廷とのつながりに関する根拠は一切ないため、前述の通りこれを主張しているのはみんなラノベ作家です。