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2022年10月26日水曜日

富貴に溺れていると感じるΣ(゚Д゚;≡;゚д゚)

 普段夕食は会社近くの店で外食しているのですが、今日午後は半休を取って家にいたので、家の近くにあるマクドで食事取ってきました。もっとも会社に行ってる場合でもバーガーキングで済ますことが非常に多く、こうしたファーストフード、というより外食に対して今や一切何も抵抗がないです。

 それに対しかつての学生時代、あと中国来たばかりの頃はともかく金がなく、食費を徹底的に抑えるために外食は厳に慎んでいました。学生時代の昼食は130円のわかめうどん、たまにどうしてもおなかすいた時に250円のカレーという2択しかなく、夕食はウインナー、味噌汁、ごはん(2合)が一番多かったです。たまにごはんは3号だったが。
 その時と比べると現在こうして気にせず外食にお金を使う自分に対し、富貴に溺れていると深く恥じる思いをします。食事限らず普段の生活においても、他の駐在員らと違ってタクシーはほとんど乗らずに自転車か地下鉄にしか乗らないのは前と変わりありませんが、湯水のごとくプラモを買ったり、寝具を買ったりするのはかつてからすれば絶対あり得ませんでした。まぁゲームは昔からいっぱい買ってたけど。

 特に寝具に関しては自分の場合はダニに噛まれることが多いため、肌に合わないと思ったらすぐに使用を中止してしまう悪い癖があります。何気に去年買ったもこもこの寝間着はやばくて一晩で蜂の巣にされたもの、何度か洗いなおしたり、殺虫剤をかけたりしたけどどうにもならずすぐ捨ててしまい、今でも購入時の判断を深く悔いています。

 それこそ昔は起業資金を集めるために切り詰めていたこともありますが、かつてと比べるとそこそこまとまった給料を得られて前ほど切り詰めなくても前以上に貯金がたまっていくため、財布のひもが以前と比べるとめっぽう緩くなっています。日本で勤務していた頃は食費を除いた交遊費は月4万円以上は絶対使わなかったのに、今は普通に友人と300元(約6000円)くらいの夕食食べに行くこともあり、どうして俺はこうなってしまったんだ、あの頃の青雲の志はどこへ行ったのだという気すらします。

 もちろん、お金を使うこと自体は悪いことだとは思いません。特に上海の飲食店に関しては日本と違ってガチなロックダウンで営業を停止させられるだけでなく、支援金も一切送られないため、ロックダウン明けは応援するためにも馴染みの店で普段より多くお金を使うように意識しています。とはいえ、それでも節制意識の緩みは気になるところであり、自分自身でも以前のような切り詰めた生活ができなくなるほど人間として弱くなっているのではと思い、悩む日々が続いています。
 会社の同僚へのプレゼントにも、割と平気でスミスキー買って送ってしまうし……。以前だったら舌噛みたくなるような出費だというのに……。送った相手の反応はめちゃいいんだけど。

 以上のような浪費癖は気にしなければいいじゃんという方もいるでしょうし、実際私も若干そのようにも思う節はあるのですが、それでもやはり以前のような節制意識があった方がいいのではという考えも残っています。特にお金が自由に使えるようになった今、以前と比べると商品を購入した時の喜びが目に見えて小さくなっており、これは明らかなマイナスだと考えています。
 やはりお金に苦しい時ほどお金を使った時の喜びは大きく、得られるカタルシスも今とは段違いでした。もっとも、クソゲー掴まされた時の悔しさも段違いでしたが。

 やはり人間の欲望というものは抑えれば抑えるほど満たしやすくなり、満たせば満たすほど薄れていくものだとはっきり思います。富貴に溺れることを気にしなければいいと流すこともできますが、やはり節制する姿勢を忘れない方が豊かさという感覚を持つ上ではより有利であると言えるでしょう。
 それはそうとして、また新しいスミスキー買っちゃおうかな……。

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