パッと浮かんだのは金銭的な生活の苦しさのことを生き辛いというのかということでしたが、何となくこれは違うような気がします。というのも比較的裕福な人も生き辛いというし、逆に金持ってなくても生き辛さをあまり覚えていないような人がいます。次にストレスが多い状態のことを言うのかとも考えましたが、これもちょっと違うと思ったというか鬱状態などのような言葉を言うような気がします。
では人間は何をもって生き辛さを覚えるのか。個人的な解釈ですが選択の幅がなく生活とかのためにあまり望まない行動を取らざるを得ない状況において生き辛さを感じるのではないかという気がします。望まない仕事、望まない人間関係、望まない出費、こんな感じで主観に反した行為を迫られ続ける状態が生き辛いと感じるというか、行動が自発的でなく多発的な状態にあるときに生き辛い気がします。
こう思うのも私が好き放題に生きてきて、逆に望まない状態に置かれることに物凄い抵抗感を感じるからだと思いますが、何となくほかの人にも上記の定義が当てはまるような気がします。人間が生きる活力を覚えるのはやはり自発性に端を発するように思え、その自発性を奪われた状態だと「生き辛い」とみんな言うようになるように見えます。
その上で話を発展させれば、今の社会で個人が自発性を発揮できる余地は十分なのかという問いが出てきます。もう現代の中学生は学んでいるかわかりませんが、中国では70年代よりノルマ分の農作物を収めたら余った分は自由市場で好きに販売していいという生産責任制が導入され、それ以降は各自が自発性を持てるようになって積極的に生産活動に勤しみ、生産高が急拡大していきその後の改革開放へと続いていきます。
この中国の生産責任制を引用するまでもなく、無理やりやらされる作業と、自発的に行う作業ではその効率は圧倒的に後者が勝ります。単純に嫌いな仕事よりも好きな仕事の方が熱入るというのは当たり前ですが、このように好きな仕事、自発性が持てる仕事を現代日本人は選べるのかということです。
中には好きな仕事の種類なんてなく単純に賃金だけで仕事を選ぶ人もいるでしょうが、私のように記者志望でありながら新卒で記者になれなかった人もいるでしょう。また最初は好きだったけど段々と飽きてくるというパターンもあります。
何が言いたいかというと、各人がその受け持つ仕事に自発性を持つことができたら効率は上がっていくはずです。出来高制にすれば上がるというわけでもないですが、報酬制度によってはこうした自発性は上がる可能性はあると思います。
ここで話を戻すと、恐らく大半の日本人は現在生き辛さを覚えているのではないかと思います。そしてその生き辛さは自発性が足りない状態じゃないかと思うわけで、果たしてこのような状況で効率上がるのかといったら上がらないでしょう。たかが生き辛さですが、社会全体経済全体に地味に影響する要素じゃないかと思え、もっとみんなで生き辛さをなくす方策とか制度を議論して、生きやすい世の中を目指すことって大事なんじゃないかというのが言いたいことです。
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