最近あまり自殺関連記事を書いてないけど、学生時代は社会学の一分野として結構自殺を調べていたこともあり、このブログの開設当初も自殺関連記事をよく書いていました。そんな密かな自殺マニアな自分にとって最近のホットトピックは、自殺する文豪がめっきりいなくなったという衝撃的事実です。
かつて自殺は文豪のお家芸とばかりに、自殺が連想するワードには文豪もしっかり入っていたと思います。この文豪と自殺の組み合わせを強く印象付けたのはやはり芥川龍之介だと思いますが、浅薄な知識で語ると文豪の自殺は明治時代にまでさかのぼる気がします。
というのも明治の頃に平塚雷鳥をはじめ文壇関係者の心中騒動が幾度か世間の関心を引き、この頃に心中という行為をやや持ち上げるような風潮があったように見えます。その後、芥川の前に有島武郎が心中で自殺していますが、何となくこれが芥川にも影響したように見えるほど当時は大騒ぎとなり、文豪の自殺がやたら箔をつけるようになっていったのではないかと疑っています。やや極端なことを言うと、文豪の自殺は当時としてはやたら持ち上げられる行為となりつつあったとみています。
なお太宰治に関しては、周辺関係者の証言などを聞くに自殺ではなく心中未遂で終えるつもりが本当に死んでしまった事故死だと私は考えており、今回の文豪の自殺の範囲には入れません。同様に三島由紀夫の割腹自殺も国体思想が強く影響していてほかの文豪の自殺とは一線を画すと考えて、今回は別枠としています。
話を戻すとそうした文豪の自殺も超大物級だと川端康成あたりが最後で、平成以降で純文学作家の自殺なんてほぼ全くなかったのではないかと思います。こうなったのは先に書いたように昭和期にかけて一種ステイタスと化していた文豪の自殺行為がそれほどステイタスとみられなくなったこと、そして文豪と呼ばれるほど作家が社会的権威を持ちづらくなったことが大きく影響している気がします。端的に言えば、以前と比べ純文学作家があまり世間に注目されなかったといったところでしょう。
その上で更にもう一つ付け加えると、昭和期まで文豪は作家であるとともに思想家的な側面も強く帯びていたように思えます。人はどう生きるかや世界をどう捉えるか、こうした普遍的価値観を自ら持って社会に訴え、広げていくような役割も一部帯びており、その役割の性格上からも一人でどんどんと考え込むことになりやすかったという点も、かつて自殺が相次いだ原因じゃないかと思います。
言い換えると、現代の純文学作家においては思想家的な側面はもはやほぼない気がします。何かしらの哲学なりを訴えることもないし、かつてはこの手の人の価値観の柱だった反戦、反抗も今では白眼視されるような始末ですし。まぁそもそも、現代において思想家的な人自体がいなくなっているのですが。
無論、人が自殺しないに越したことはないのですが、現代の目から見ると逆になんで明治から昭和にかけてあれだけ文豪が悉く自殺したのか理解し辛くなっているような気がします。売れない小説家が生活苦から自殺する方がかえって理解しやすいくらいです。
もちろん各文豪それぞれに自殺理由があったでしょうが、当時と今とで自殺した人数にこれほど差があることは前述の通り、社会における文豪の位置づけが影響していたという風にしか思えず、実際私も高校くらいまで自殺は文豪の専売特許的な見方を持ってました。しかしそうした価値観なり見方が薄れるとこうも自殺する人は減るものだということから、失恋すると自殺する、生活苦になると自殺するというイメージも薄れたらもっと日本で自殺が減るかもしれません。
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