・たけしTBSドラマで東条英機首相役(YAHOOニュース)
リンクに貼った記事によると、今度北野たけし氏が東条英機役でドラマに出演するそうです。それにしても、「たけし」という言葉の変換ってやけに多いな。あと「ひできやく」で変換したら「英機訳」ってのが一番上に出てきて、あと同じような変換が続いていきます。この「英機訳」ってなんだ?
実はこの三日間は非常に体調悪くてほぼ全日布団に入ってフロントミッションをやっていたせいか、微妙に文章も妙な感じになっています。まぁブログなんだから本来ならこういう形でいいんですけど、本当に今日も調子悪いな。
さて北野氏のこのドラマ出演のニュースを見て最初に私が思ったのは、そんだけ「オフィス北野」は金に困っているのか、でした。というのもこのところテレビをつけていると北野氏自らが出演するテレビCMが急増しており、以前にベネチア映画祭の舞台挨拶にて、「山本モナのおかげで火の車だよ」と言っていましたが、このところの北野氏の出演量の多さを見ているとあながち冗談にも思えなくなってきました。
もっとも北野氏ほど好感度の高い芸能人であれば、「出る」といえばすぐにオファーは殺到するので、指し当たって事務所がこれからやばくなるということはないでしょう。ただ業界関係者たちの話によると、やはり報道番組でレギュラー出演していた山本モナが例の巨人の二岡(広島の人に聞くとすぐに、「あいつは非県民だ」と言われます)との騒動で降板を余儀なくされた件で、相当な額の違約金をオフィス北野は支出することとなったと言われており、もしこれが本当だとすると、大将自らでなくてはならないほどの損失だったということになります。まぁほんとのところは、映画の撮影資金がそろそろ減ってきたというのが真実でしょう。
ここで話は北野氏からその北野氏の演じる東条英機に変わりますが、歴史上、日本で「カミソリ」と呼ばれた人物は二人おり、坂本龍馬の組織した海援隊の元隊員で外務大臣として不平等条約改正を行った陸奥宗光と、この東条英機です。
カミソリ、と言うと鋭く切れるから二人とも相当に頭が賢かったと、周りで誰かが話題に挙げる度にそういう風に聞こえますが、確かに陸奥宗光は非常に頭の切れがよかったそうですが、その一方で別の意味でもキレやすい人物だったそうです。なんでも、坂本龍馬が暗殺された後に新撰組の隊員が下手人だと誤解して襲撃をかけたり、そのほかちょっとのことですぐ人と殴りあったりしたらしくて、そのためにカミソリという異名がついたそうです。
それで東条英機ですが、まぁ普通の人と比べれば賢い人だったとは思います。ただ私が見ている限り、どうも世の中の人は東条の知力について過大評価しているような気がします。
これはうちの親父の話ですが、東条は「カミソリ東条」と呼ばれるくらい賢くて陸大でも首席で卒業した……と信じ込んでいたのですが、これは真っ赤な嘘です。東条と陸大同期の中で首席で卒業したのはかつて私も「猛将列伝~聖将、今村均~」の記事の中で取り上げ、私個人非常に尊敬してやまない今村均氏です。また東条は陸大の受験を一発で受からずに三回目にてようやく合格した人物で、試験の成績的に見るならば決して「切れ者」ではないということがわかります。
では何故カミソリの異名がついたのかですが、こっからは私の想像になるのですが、何でもかんでもテキスト通りにやっていたらではないかと考えています。
何でも、軍隊の閲兵訓練にて東条は一から十までかつての行進、動作方法を徹底して行っていたそうです。このようになんでもテキスト通りに強制し、また自身もテキスト通りの発言しかせず、そんでもってテキストの内容をなんでもメモするメモ魔だったことから、切れ者という意味ではなく「こまめな奴」という意味でカミソリだったんじゃないかと思います。
それに対して満州事変の張本人である石原莞爾はというと、先ほどの閲兵訓練において自部隊に対し、「いつも通りやれ」の一言で片付けたそうです。こんな風に正反対なのだから、この二人の関係は非常に悪かったそうです。
ただ石原、東条の二人についた元部下という方の証言によると、その方が陸大を受験すると話したら石原は勉強する時間もないほどその方へ仕事を押し付けるようにして、東条は逆にいろいろなところで勉強時間など便宜を図ってくれたそうで、上司としては東条の方が暖かかったと述べています。この件は石原莞爾に言わせると、陸大に行って幹部となるならこれくらいの仕事量をこなせなくてはいけないという意味での仕置きだったそうですが、いろいろな人の証言だと、東条は身近な人間に対しては非常に優しかった一方で、疎遠な人間には扱いが厳しかったというのは一致しています。
そんなもんだから東条と距離の短かった人は彼に対して温情的な弁護を行っており、その甲斐あってか私の見ている限りだとこのところは東条に対して、「東京裁判の被害者」というような認識が増えている気がします。
しかしここで、そういったものをすべてひっくり返すある証言を紹介します。これは今年八月十二日に日経新聞がスクープした国立公文書館にあった資料で、昭和二十年八月十日から八月十四日までの東条の手記に書かれている内容なのですが、
「もろくも敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者および国民の無気魂なりとは夢想だもせざりしところ、これに基礎を置きて戦争指導に当たりたる不明は開戦当時の責任者として深くその責を感ずる」
私はこの東条の手記をちょっとまえの文芸春秋にて見つけ、今月号にもまた紹介されていたのでこうして記事にしているのですが、昭和史家の保坂正康氏の解説によると、終戦の間際にもなって、敗戦となったのは国民がしっかりしなかったからだ、こんな国民を率いて指導していた自分はたまったものじゃなかったなどと、自分の責任を国民に擦り付けている無責任きわまりない価値観だと述べています。
私自身は東条英機に対して、やはり良い感情を持つことが出来ません。東京裁判は確かに間違った裁判であったということは明らかですが、先ほどの保坂氏も言う通り、東京裁判がなくとも当時の日本の法体系下では東条はまず間違いなく処罰されるべき法律違反を悉く犯しており、出来ることならこの東条への同情論だけはあまり盛り上がってもらいたくないものです。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2008年10月13日月曜日
2008年10月12日日曜日
毎日新聞、猥褻ネット記事問題の自社検証について
・毎日新聞、猥褻ネット記事問題の自社検証のページ
忘れた頃に後日談を掘り返すというのが、私のブログの一つの趣旨にもなっております。掘り返される側にはたまったものじゃないでしょうが、問題発生後に期間を置いて再検証を行うことこそが問題解決において非常に重要だと考えているため、人に嫌がられようがどんどんと取り上げていくつもりです。
そんなわけで、今回取り上げるのは以前に私も「毎日新聞の今後」の記事の中で取り上げたことがある、毎日新聞の英文サイトコラム「WaiWai」の猥褻記事問題です。それにしても、前回の記事は我ながら硬派な記事を書いてますね。
こうしてみると問題発覚から実に三ヶ月も過ぎております。光陰矢のごとしとは言いますが、あの頃時事問題として取り上げた記事を再検証にて再び使うことになろうとは三ヶ月前には思いもよりませんでした。
今回、こうして取り上げる気になったのは一番最初にリンクに貼った様に、毎日新聞社のホームページ「毎日jp」にてこの問題の検証記事が一通り出揃ったのが理由です。毎日は問題発覚当初に自社内調査を進めると公表していましたが、それがここにきてひとまず完成したと見て、改めて毎日がこの問題に対してどれだけ反省をしているのか、また再発防止策を用意できたのかということが検証する舞台が整ったと受け止めて、前からやろうと温めていたネタです。
それでは早速、この毎日の自社検証について私が気になった点を上げていくことにします。
まず第一に、なんというかこの一連の記事の文章がとてつもなく稚拙です。文章の終わりはほぼすべて「~でした」で終わるという、初心者が陥りやすい「た止め」です。さらに記事ごとに露骨に表現方法が違っているから恐らく複数の人が書いているのだと思いますけど、執筆記者名も書いていないし、毎日新聞社名義で記事出していますが本当にチェックとかしているのか、文体の一致を行っているのか一ブロガーの立場からすると非常に疑問です。
特に一番へんてこりんな記事は「役員・記者ら処分 英文サイトに不適切コラム」の中の文章で、まぁ内容が事実報告というのはよくわかるのですが、それにしても文章が一連の記事の中でこれだけ「敬体」ではなく「常体」で、ちょっと気にしすぎかもしれませんがなんとなく上から目線でえらそうな感じがします。何を以ってこの記事だけ常体で行こうとしたのか、また文体の一致くらい編集部で行わなかったのか、素人の記事なら何も言いませんが一応プロの記事なので厳しくここで追求しておきます。
第二に、反省点として毎日新聞自らが上げている、「女性の視点の欠如」ですが、私個人の意見だとこんなのを反省点として挙げてる時点で正気の沙汰じゃないと思います。毎日はこの反省点について、女性に対して配慮の欠ける猥褻な記事を載せていた事から、二度とそういうことのないように女性の目線からチェックするため新たな編集部にも女性を入れたと言っていますが、別に女性の視点でなくとも、男の私から見ても異常な記事ばっかりだったので、なにもわざわざここで女性を持ち上げて言うべきことじゃないと思います。
敢えてこの反省点を私なりに言うなら、
「常識的な視点の欠如があったため、新たな編集部には常識的な目線からチェックするために常識人を入れた」
と、言いますね。皮肉っぽい言い方ですが別に間違ったことを言っているわけでなく、実際に当時のWaiWaiの編集部には常識人がいなかったと私は受け取っていますよ。
そして第三に、一番重要な編集部のチェックの不備です。
この点については「英文サイト問題検証(2) 読者受けを意識 過激に」の中で言い訳が述べられていますが、つまるところ「編集長が忙しくてチェックできなかった」というのが理由として挙げられていますが、プロの編集者がこんな理由を挙げること自体異常です。いくら英文だからといっても、記事内容のトピックスだけでも日本語でチェックするだけで問題がわかるほどの猥褻記事だというのに、それすらももチェックしなかったというのは職務放棄と言われてもしょうがないでしょう。それにもしこの「忙しい」を理由に挙げるのなら、一応は検証記事なので当時のタイムスケジュールくらいは提出するのが普通でしょう。それでもし本当に激務に激務を重ねていたのであればまぁ納得しないまでも同情はしてあげられます。その場合、編集チェックに必要な人員を割かなかった人事の責任になるのですが。
でもって第四。これは一番批判の多い、外部からの問題の指摘に何故対応しなかったのかという点です。
このことについては「英文サイト問題検証(3) 外部の指摘 生かせず」の中で書かれていますが、この中で外部から問題の内容に対して批判するメールが二通来ていたと書かれていますが、二通って、発覚のかなり以前より問題になっていたことを考えると非常に少ない量に思えます。しかもそのうちの一通は「米国在住の大学勤務の日本女性」と、わけのわからない肩書きを取り付けて無駄に権威付けを行おうとしていますし、本気で反省しているのかとちょっと疑いたくなります。
私が見ている限り、恐らく批判するメールは実際にはこれよりずっと多いだろうし、また問題性を指摘するネットの情報もかなり溢れていたことから、まず間違いなく編集部はこういった外部の声を意識的に黙殺していたと予想します。根拠は外部から来た批判メール数を二通としている点と、そのうちの一通を権威ある人間からとしている点です。何故黙殺したのかが書かれていないので、非常に私は不満です。
現在もこの「毎日jp」は、確認したところ二社ほど他社からの広告が入っていましたが、それでも広告欄が大きく空けられたままという異様な状態が続いています。
こうして私が気になる点が四つも挙げられること自体、毎日新聞は本当に反省しているのか非常に疑わしく思えます。猥褻記事を書いていた外国人記者も懲戒停職三ヶ月という、私の目からしたら何故解雇ではないのかというくらい甘い処分ですし、事の重大さがまだわかっていないんじゃないかと思います。
これまではまだ同情する気持ちもありましたが、こうして検証記事を読み返すにつれ、この際だから潰れてしまえとまで思うようになりました。私の言いたいことは以上です。
忘れた頃に後日談を掘り返すというのが、私のブログの一つの趣旨にもなっております。掘り返される側にはたまったものじゃないでしょうが、問題発生後に期間を置いて再検証を行うことこそが問題解決において非常に重要だと考えているため、人に嫌がられようがどんどんと取り上げていくつもりです。
そんなわけで、今回取り上げるのは以前に私も「毎日新聞の今後」の記事の中で取り上げたことがある、毎日新聞の英文サイトコラム「WaiWai」の猥褻記事問題です。それにしても、前回の記事は我ながら硬派な記事を書いてますね。
こうしてみると問題発覚から実に三ヶ月も過ぎております。光陰矢のごとしとは言いますが、あの頃時事問題として取り上げた記事を再検証にて再び使うことになろうとは三ヶ月前には思いもよりませんでした。
今回、こうして取り上げる気になったのは一番最初にリンクに貼った様に、毎日新聞社のホームページ「毎日jp」にてこの問題の検証記事が一通り出揃ったのが理由です。毎日は問題発覚当初に自社内調査を進めると公表していましたが、それがここにきてひとまず完成したと見て、改めて毎日がこの問題に対してどれだけ反省をしているのか、また再発防止策を用意できたのかということが検証する舞台が整ったと受け止めて、前からやろうと温めていたネタです。
それでは早速、この毎日の自社検証について私が気になった点を上げていくことにします。
まず第一に、なんというかこの一連の記事の文章がとてつもなく稚拙です。文章の終わりはほぼすべて「~でした」で終わるという、初心者が陥りやすい「た止め」です。さらに記事ごとに露骨に表現方法が違っているから恐らく複数の人が書いているのだと思いますけど、執筆記者名も書いていないし、毎日新聞社名義で記事出していますが本当にチェックとかしているのか、文体の一致を行っているのか一ブロガーの立場からすると非常に疑問です。
特に一番へんてこりんな記事は「役員・記者ら処分 英文サイトに不適切コラム」の中の文章で、まぁ内容が事実報告というのはよくわかるのですが、それにしても文章が一連の記事の中でこれだけ「敬体」ではなく「常体」で、ちょっと気にしすぎかもしれませんがなんとなく上から目線でえらそうな感じがします。何を以ってこの記事だけ常体で行こうとしたのか、また文体の一致くらい編集部で行わなかったのか、素人の記事なら何も言いませんが一応プロの記事なので厳しくここで追求しておきます。
第二に、反省点として毎日新聞自らが上げている、「女性の視点の欠如」ですが、私個人の意見だとこんなのを反省点として挙げてる時点で正気の沙汰じゃないと思います。毎日はこの反省点について、女性に対して配慮の欠ける猥褻な記事を載せていた事から、二度とそういうことのないように女性の目線からチェックするため新たな編集部にも女性を入れたと言っていますが、別に女性の視点でなくとも、男の私から見ても異常な記事ばっかりだったので、なにもわざわざここで女性を持ち上げて言うべきことじゃないと思います。
敢えてこの反省点を私なりに言うなら、
「常識的な視点の欠如があったため、新たな編集部には常識的な目線からチェックするために常識人を入れた」
と、言いますね。皮肉っぽい言い方ですが別に間違ったことを言っているわけでなく、実際に当時のWaiWaiの編集部には常識人がいなかったと私は受け取っていますよ。
そして第三に、一番重要な編集部のチェックの不備です。
この点については「英文サイト問題検証(2) 読者受けを意識 過激に」の中で言い訳が述べられていますが、つまるところ「編集長が忙しくてチェックできなかった」というのが理由として挙げられていますが、プロの編集者がこんな理由を挙げること自体異常です。いくら英文だからといっても、記事内容のトピックスだけでも日本語でチェックするだけで問題がわかるほどの猥褻記事だというのに、それすらももチェックしなかったというのは職務放棄と言われてもしょうがないでしょう。それにもしこの「忙しい」を理由に挙げるのなら、一応は検証記事なので当時のタイムスケジュールくらいは提出するのが普通でしょう。それでもし本当に激務に激務を重ねていたのであればまぁ納得しないまでも同情はしてあげられます。その場合、編集チェックに必要な人員を割かなかった人事の責任になるのですが。
でもって第四。これは一番批判の多い、外部からの問題の指摘に何故対応しなかったのかという点です。
このことについては「英文サイト問題検証(3) 外部の指摘 生かせず」の中で書かれていますが、この中で外部から問題の内容に対して批判するメールが二通来ていたと書かれていますが、二通って、発覚のかなり以前より問題になっていたことを考えると非常に少ない量に思えます。しかもそのうちの一通は「米国在住の大学勤務の日本女性」と、わけのわからない肩書きを取り付けて無駄に権威付けを行おうとしていますし、本気で反省しているのかとちょっと疑いたくなります。
私が見ている限り、恐らく批判するメールは実際にはこれよりずっと多いだろうし、また問題性を指摘するネットの情報もかなり溢れていたことから、まず間違いなく編集部はこういった外部の声を意識的に黙殺していたと予想します。根拠は外部から来た批判メール数を二通としている点と、そのうちの一通を権威ある人間からとしている点です。何故黙殺したのかが書かれていないので、非常に私は不満です。
現在もこの「毎日jp」は、確認したところ二社ほど他社からの広告が入っていましたが、それでも広告欄が大きく空けられたままという異様な状態が続いています。
こうして私が気になる点が四つも挙げられること自体、毎日新聞は本当に反省しているのか非常に疑わしく思えます。猥褻記事を書いていた外国人記者も懲戒停職三ヶ月という、私の目からしたら何故解雇ではないのかというくらい甘い処分ですし、事の重大さがまだわかっていないんじゃないかと思います。
これまではまだ同情する気持ちもありましたが、こうして検証記事を読み返すにつれ、この際だから潰れてしまえとまで思うようになりました。私の言いたいことは以上です。
日本の二重国籍禁止制度について
・ノーベル賞余波 二重国籍禁止を撤廃 自民法務部会 国籍法改正検討(YAHOOニュース)
リンクに貼った記事は、この度ノーベル賞を受賞した南部陽一郎氏が米国籍を取得していたために、原則二重国籍を禁止している日本としては手続き次第では南部氏が日本国籍からはずれる可能性があったということから、これからそういった事態や優秀な人間の海外流出を防ぐために二重国籍を認めようかということを国が審議し始めたという記事です。
実はタイムリーに朝日新聞が先週の初めごろに、この二重国籍禁止の現状について記事を書いていました。その記事によると、他の先進国では当たり前となっている二重国籍の許可が未だに日本だけ禁止していると、優秀な人材の流出を招くだけでなく、グローバル企業に勤める社員の生活などにもいろいろ弊害が起こり、企業が日本を敬遠するようになって日本にとっても国益を損なうのではと書かれていましたが、タイムリーにもその同じ週に今回のような米国籍取得者のノーベル賞受賞があったわけです。朝日も運がいい。
私としても基本的に朝日の主張と同様で、こんだけグローバル化した中で二重国籍を禁止しているというのは馬鹿げているとしか思えません。第一それを言ったら日本の戸籍制度自体も非常にややこしいだけで実用に乏しく、この際だから根本から改めるべきだと思います。
まず国籍についてですが、日本はドイツと同じく血統主義を採用しており、両親、特に父親が日本人であればほぼ例外なく日本国籍が取得できます。しかしアメリカなどでは出生地主義を採用しており、両親がどこの国籍であれアメリカで生まれた方は米国籍が与えられます。そのため、恐らく一部にだけでしょうが、2000年ごろにちょっとだけ流行ったのが「ハワイ出産」でした。
ハワイはいうまでもなく米国領土で、そこで出産すれば日本人であれ米国籍を取得できます。このハワイ出産を取り上げた報道番組で出産を行った両親のインタビューでは、将来子供の可能性を広げるために行ったと言っていましたが、米国では臨時徴兵制度などがあるから場合によって日本人なのに戦地へかり出される可能性もあるのに、そこら辺は考慮しているのか疑問でした。
なおこの場合、ハワイで生まれた子供は日本では22歳まで二重国籍が認められます。しかし22歳までにどちらかの国籍を選択して一本に絞らなければなりません。これは約一ヶ月前にみた記事ですが、このケースに該当する方がたまたま国籍の選択を知ってか知らずか申請しておらず、法務省が一方的に日本国籍を剥奪したという事件がありました。こういう余計な仕事をするときだけは公務員って手際がいいんだから。
もしこの二重国籍を認めるというのならば、まぁ子供の場合は専門家の議論に任せるとして、少なくとも仕事や研究などで海外に住む期間が長い成人の場合はとっとと認めるべきだというのが私の意見です。それでも心配なら犯罪歴などを審理するという条件付にすればいいんだし。
更に言うと、私は日本の戸籍制度も早く改正するべきだと思います。現在進行で未だ問題となっている、離婚後90日以内に生まれた子供は以前の夫の子供と規定したために起こった「戸籍のない子供たち」はもとより、私のように現住所と戸籍地が遠く離れている人間はちょっとの手続きでも、以前ほどではないにしろいろいろと面倒なことが多いです。あんまりわかってないくせに適当なことを言うのもなんですが、いっそ住民票と戸籍をセットにして扱うほうが手続きから何から何まで便利になると思うのですが。年金じゃないですけど、保険制度などとも一元化してしまって。
なんというか、こういった日本の制度というのは改正が昔から全然行われず、いつまでも旧態依然となっているのが不思議でしょうがありません。先ほどの「戸籍のない子供たち」も、父親が誰かなんて今じゃDNA鑑定でスパッと出るのに、未だ離婚後90日というあいまいな規定を持ち続けるというのは愚の骨頂でしょう。制度は守るべきものではなく、実体に合ったものを作るべきです。リンクに貼った記事でも書かれていますが、現在の制度は正直者が馬鹿を見る制度です。早急な改正を願います。
リンクに貼った記事は、この度ノーベル賞を受賞した南部陽一郎氏が米国籍を取得していたために、原則二重国籍を禁止している日本としては手続き次第では南部氏が日本国籍からはずれる可能性があったということから、これからそういった事態や優秀な人間の海外流出を防ぐために二重国籍を認めようかということを国が審議し始めたという記事です。
実はタイムリーに朝日新聞が先週の初めごろに、この二重国籍禁止の現状について記事を書いていました。その記事によると、他の先進国では当たり前となっている二重国籍の許可が未だに日本だけ禁止していると、優秀な人材の流出を招くだけでなく、グローバル企業に勤める社員の生活などにもいろいろ弊害が起こり、企業が日本を敬遠するようになって日本にとっても国益を損なうのではと書かれていましたが、タイムリーにもその同じ週に今回のような米国籍取得者のノーベル賞受賞があったわけです。朝日も運がいい。
私としても基本的に朝日の主張と同様で、こんだけグローバル化した中で二重国籍を禁止しているというのは馬鹿げているとしか思えません。第一それを言ったら日本の戸籍制度自体も非常にややこしいだけで実用に乏しく、この際だから根本から改めるべきだと思います。
まず国籍についてですが、日本はドイツと同じく血統主義を採用しており、両親、特に父親が日本人であればほぼ例外なく日本国籍が取得できます。しかしアメリカなどでは出生地主義を採用しており、両親がどこの国籍であれアメリカで生まれた方は米国籍が与えられます。そのため、恐らく一部にだけでしょうが、2000年ごろにちょっとだけ流行ったのが「ハワイ出産」でした。
ハワイはいうまでもなく米国領土で、そこで出産すれば日本人であれ米国籍を取得できます。このハワイ出産を取り上げた報道番組で出産を行った両親のインタビューでは、将来子供の可能性を広げるために行ったと言っていましたが、米国では臨時徴兵制度などがあるから場合によって日本人なのに戦地へかり出される可能性もあるのに、そこら辺は考慮しているのか疑問でした。
なおこの場合、ハワイで生まれた子供は日本では22歳まで二重国籍が認められます。しかし22歳までにどちらかの国籍を選択して一本に絞らなければなりません。これは約一ヶ月前にみた記事ですが、このケースに該当する方がたまたま国籍の選択を知ってか知らずか申請しておらず、法務省が一方的に日本国籍を剥奪したという事件がありました。こういう余計な仕事をするときだけは公務員って手際がいいんだから。
もしこの二重国籍を認めるというのならば、まぁ子供の場合は専門家の議論に任せるとして、少なくとも仕事や研究などで海外に住む期間が長い成人の場合はとっとと認めるべきだというのが私の意見です。それでも心配なら犯罪歴などを審理するという条件付にすればいいんだし。
更に言うと、私は日本の戸籍制度も早く改正するべきだと思います。現在進行で未だ問題となっている、離婚後90日以内に生まれた子供は以前の夫の子供と規定したために起こった「戸籍のない子供たち」はもとより、私のように現住所と戸籍地が遠く離れている人間はちょっとの手続きでも、以前ほどではないにしろいろいろと面倒なことが多いです。あんまりわかってないくせに適当なことを言うのもなんですが、いっそ住民票と戸籍をセットにして扱うほうが手続きから何から何まで便利になると思うのですが。年金じゃないですけど、保険制度などとも一元化してしまって。
なんというか、こういった日本の制度というのは改正が昔から全然行われず、いつまでも旧態依然となっているのが不思議でしょうがありません。先ほどの「戸籍のない子供たち」も、父親が誰かなんて今じゃDNA鑑定でスパッと出るのに、未だ離婚後90日というあいまいな規定を持ち続けるというのは愚の骨頂でしょう。制度は守るべきものではなく、実体に合ったものを作るべきです。リンクに貼った記事でも書かれていますが、現在の制度は正直者が馬鹿を見る制度です。早急な改正を願います。
2008年10月11日土曜日
花粉症と農林水産省の作為
毎年四月は憂鬱だと、花粉症の方はみな口をそろえて言います。私自身は四月生まれということもあって、もし実際に花粉症だったらこの四月に対していろいろ複雑な気持ちを抱えたでしょうが、幸いにも今のところは花粉症を一度も発症しておりません。しかし周りには症状のひどい人も数多くおり、そうした方たちを見ていると、やはり花粉症の方にとってシーズンの時期に外にいるのはそれだけでも相当苦痛だということはよくわかります。
近年は若干の平均気温の上昇とともに飛散花粉量が増加しているため、花粉症にかかる人もこれまでより増加しているといい、うちの親父もここ二、三年で軽度とはいえ症状を見せるようになりました。その甲斐あってか、この花粉症対策業界というのは消費が冷え込む国内にあって珍しく毎年成長を見せております。
一般的な花粉症対策グッズはやはりマスクですが、これも改良に改良を加えられ、価格も相応に高くとも新商品が出たら飛ぶように売れ、また鼻炎止めの薬で製薬会社も大きな収入を得ているそうです。これは裏を返すと、花粉症の方がどれだけお金をかけても花粉症をどうにかしたいという心の表れでしょう。
さてこの花粉症ですが、確かに自然現象といえば自然現象なので一人で怒ってもしょうがないのですが、災害としてみるならばこれは明らかに人災に当たります。というのも、戦前から戦後にかけて農林水産省が日本各地の国有地において、花粉症患者の最大の原因となっている杉の木を片っ端から闇雲に植えていったという歴史があるからです。
何故農林水産省は杉を片っ端から国有地に植えていったかですが、まず第一には緑地の確保のためです。植樹は土砂災害を予防し、またその土地の保水力を高めたりもします。使用する当てのない土地であれば、荒地などにしておくよりは森林にしておくほうが明らかに好都合です。
そして第二に、植樹した木を育てて後に建築資材として使うためです。当時は戦後のドタバタ期で、各地で住宅不足のために建築資材もどこも不足し、それを早急に解消するためだったといわれています。また建築材不足が解消された後もそのまま木材として販売し、なんだったら海外に輸出すればお金にもなる。そのため、植樹する木には建築材として適している杉などの針葉樹が中心となっていったわけです。
しかし、この計算には誤算があったのです。まぁそれを言ったら官僚の予測で当たった試しはほとんどないんですが。
まず時間の経過とともに、成長し切った木を伐採する費用の方が伐採した木を木材として販売する価格を上回るようになってしまったのです。この背景には日本国内の人件費の高騰と、森林伐採業者の減少、そして何より海外から木材を輸入するほうが安くなってしまったのが原因としてあります。その結果、植樹された森林は本来必要な間伐すら行われずに放置されたままで、適正な伐採も行われないために今のように無尽蔵とも言える花粉を放出するようになってしまったのです。
更に、この政策は思わぬところで二次災害を生みました。その災害というのも、熊の下山です。
先日、人里へ降りてきた野生の熊が人を襲い、その後猟師の方に駆除されたというニュースがありましたが、そのニュースの中で駆除された熊の体重が72キロしかなく、非常に痩せた状態であったと報道されていました。
実は現在、日本の山は先ほども言ったように農林水産省によって杉を筆頭とした針葉樹ばかり植えられてしまい、熊やその他の野生動物の食べ物を生み出す栗やブナといった木がほとんどなくなり、山の生態系が大いに狂っているそうなのです。近年になって熊が人里へ降りてくる回数が増えたのも、そうした山中での一種の飢饉が大いに影響していると言われております。
このように、日本の山は確かに中国ほどはげ山になってはいないものの、大いに問題のある現状を見せております。そしてそれを改善しようと思っても、木を切り倒すのに費用がかかってしまうために予算が必要で、結局放置され続けております。
ここで私から一つ提案させてもらうと、花粉症対策には非常に費用がかかるといわれ、また二次健康被害などを起こして医療費もかかるのなら、いっそ花粉症をどうにかしてもらいたい、熊をどうにかしたいと思う人たちで基金を集め、山地の針葉樹の伐採と代わりの広葉樹の植樹事業を行ってみてはどうでしょうか。無理やり経済ベースに乗せなくとも、費用をかけてでも山の生態系を理想的なものに変えるという選択肢があっても私は良いと思います。
今ちょっと調べてみたところによると、このような森林事業への基金は結構あるそうですので、私もまとまったお金がたまれば寄付してみようかと思います。
また花粉症患者の数は全国で1500万人以上いるというので、この方たち全員が仮に100円寄付することによって、総合的には15億円もの寄付が集まることになります。こんだけあれば、ある程度対策はうてると思うのですが、いかがなものでしょう。一年ごとに対策グッズにお金使うより、根本的な対策になると思うんですが。
最後に、この植樹にまつわる一つのエピソードを紹介します。
恐らくこういった事態までは予想していなかったまでも、農林水産省の植樹に対して、唯一苦言を呈した人がいました。その人は農林水産省の役人が胸を張って、「国有林は順調に増えております」と報告されるに当たり、「しかしこれでは針葉樹ばかりで、広葉樹の植樹はどうするのだ?」と尋ねたところ、その役人は何も答えられなくなったと言われます。こう返したのは他でもなく、昭和天皇です。
昭和天皇は生物学を大学で専攻しており、こういった問題に造詣が深かったためにこうした切り返しが出来たのだと思います。昭和天皇がただの天皇ではなかったと思わせるエピソードです。
近年は若干の平均気温の上昇とともに飛散花粉量が増加しているため、花粉症にかかる人もこれまでより増加しているといい、うちの親父もここ二、三年で軽度とはいえ症状を見せるようになりました。その甲斐あってか、この花粉症対策業界というのは消費が冷え込む国内にあって珍しく毎年成長を見せております。
一般的な花粉症対策グッズはやはりマスクですが、これも改良に改良を加えられ、価格も相応に高くとも新商品が出たら飛ぶように売れ、また鼻炎止めの薬で製薬会社も大きな収入を得ているそうです。これは裏を返すと、花粉症の方がどれだけお金をかけても花粉症をどうにかしたいという心の表れでしょう。
さてこの花粉症ですが、確かに自然現象といえば自然現象なので一人で怒ってもしょうがないのですが、災害としてみるならばこれは明らかに人災に当たります。というのも、戦前から戦後にかけて農林水産省が日本各地の国有地において、花粉症患者の最大の原因となっている杉の木を片っ端から闇雲に植えていったという歴史があるからです。
何故農林水産省は杉を片っ端から国有地に植えていったかですが、まず第一には緑地の確保のためです。植樹は土砂災害を予防し、またその土地の保水力を高めたりもします。使用する当てのない土地であれば、荒地などにしておくよりは森林にしておくほうが明らかに好都合です。
そして第二に、植樹した木を育てて後に建築資材として使うためです。当時は戦後のドタバタ期で、各地で住宅不足のために建築資材もどこも不足し、それを早急に解消するためだったといわれています。また建築材不足が解消された後もそのまま木材として販売し、なんだったら海外に輸出すればお金にもなる。そのため、植樹する木には建築材として適している杉などの針葉樹が中心となっていったわけです。
しかし、この計算には誤算があったのです。まぁそれを言ったら官僚の予測で当たった試しはほとんどないんですが。
まず時間の経過とともに、成長し切った木を伐採する費用の方が伐採した木を木材として販売する価格を上回るようになってしまったのです。この背景には日本国内の人件費の高騰と、森林伐採業者の減少、そして何より海外から木材を輸入するほうが安くなってしまったのが原因としてあります。その結果、植樹された森林は本来必要な間伐すら行われずに放置されたままで、適正な伐採も行われないために今のように無尽蔵とも言える花粉を放出するようになってしまったのです。
更に、この政策は思わぬところで二次災害を生みました。その災害というのも、熊の下山です。
先日、人里へ降りてきた野生の熊が人を襲い、その後猟師の方に駆除されたというニュースがありましたが、そのニュースの中で駆除された熊の体重が72キロしかなく、非常に痩せた状態であったと報道されていました。
実は現在、日本の山は先ほども言ったように農林水産省によって杉を筆頭とした針葉樹ばかり植えられてしまい、熊やその他の野生動物の食べ物を生み出す栗やブナといった木がほとんどなくなり、山の生態系が大いに狂っているそうなのです。近年になって熊が人里へ降りてくる回数が増えたのも、そうした山中での一種の飢饉が大いに影響していると言われております。
このように、日本の山は確かに中国ほどはげ山になってはいないものの、大いに問題のある現状を見せております。そしてそれを改善しようと思っても、木を切り倒すのに費用がかかってしまうために予算が必要で、結局放置され続けております。
ここで私から一つ提案させてもらうと、花粉症対策には非常に費用がかかるといわれ、また二次健康被害などを起こして医療費もかかるのなら、いっそ花粉症をどうにかしてもらいたい、熊をどうにかしたいと思う人たちで基金を集め、山地の針葉樹の伐採と代わりの広葉樹の植樹事業を行ってみてはどうでしょうか。無理やり経済ベースに乗せなくとも、費用をかけてでも山の生態系を理想的なものに変えるという選択肢があっても私は良いと思います。
今ちょっと調べてみたところによると、このような森林事業への基金は結構あるそうですので、私もまとまったお金がたまれば寄付してみようかと思います。
また花粉症患者の数は全国で1500万人以上いるというので、この方たち全員が仮に100円寄付することによって、総合的には15億円もの寄付が集まることになります。こんだけあれば、ある程度対策はうてると思うのですが、いかがなものでしょう。一年ごとに対策グッズにお金使うより、根本的な対策になると思うんですが。
最後に、この植樹にまつわる一つのエピソードを紹介します。
恐らくこういった事態までは予想していなかったまでも、農林水産省の植樹に対して、唯一苦言を呈した人がいました。その人は農林水産省の役人が胸を張って、「国有林は順調に増えております」と報告されるに当たり、「しかしこれでは針葉樹ばかりで、広葉樹の植樹はどうするのだ?」と尋ねたところ、その役人は何も答えられなくなったと言われます。こう返したのは他でもなく、昭和天皇です。
昭和天皇は生物学を大学で専攻しており、こういった問題に造詣が深かったためにこうした切り返しが出来たのだと思います。昭和天皇がただの天皇ではなかったと思わせるエピソードです。
2008年10月10日金曜日
「~の神」というニックネームについて
昔に読んだ、確か95年ごろに出たニックネームについての本で、「このところの日本は良いニックネームがつけられることが少ない。特に近年は「大魔神佐々木」くらいしかない」という批評がありましたが、実際そうだと思います。昔のニックネームは意匠が凝っており、「ピストル堤」とか、「強盗後藤」などとみているだけでいろいろ楽しいものがありました。
しかしそういった数あるニックネームの中で、やはり私が特別だと思うのは「~の神」というような「神」という文字がつくニックネームだと思います。こういったニックネームは結構多そうかなと思いを巡らすのですが、意外に神がつくニックネームというのは思い浮かばず、逆に「王」のつくニックネームばかり浮かびます。
そうしていくつか浮かんだ「神」がつくニックネームの対象者を改めてその経歴を分析しますと、どうも「王」がつくニックネームの対象者と、畏敬がこめられているのは一緒ですが、いくらか扱いが違うように思えてきました。まず「王」というと「発明王エジソン」とか、「破壊王橋本」とか、果てには「ミナミの帝王」などと、周囲を圧倒するような強さを持つ人間に与えられますが、「神」の場合だと、「漫画の神様、手塚治」、「経営の神様、松下幸之助」などと、確かにその分野の強さが圧倒的なのはもとより、彼らの技術などがその後、一種のスタンダードとなっているように思えます。
手塚治氏の場合は、彼の作った漫画の手法が現在の主流となっているのは周知の事で、後者の松下幸之助氏も「日本的経営」の礎を築いたとされ評価されています。このように、神という名がつく人は強さだけでなく、後に彼らの手法を模倣する人間が出てくる人に与えられるものなのだと私は考えます。逆に王はその手法が天才的過ぎるゆえに、他の誰もが真似できない人に与えられるものなのかもしれません。
なわけで、以下に神というニックネームがつく人を上げていきます。そのどれもが、新たな革新的な技術を生み出した人たちばかりです。
・ボクシング界の神、モハメド・アリ
・打撃の神様、川上哲治
・戦国の軍神、上杉謙信
・神算鬼謀、諸葛亮孔明
・広島カープの神、前田智徳
前田は来年も現役続行が決まったようです。それが非常によかったということが書きたかっただけで、こんな記事を書いちゃいましたフゥー (゚Д゚)y-~~
しかしそういった数あるニックネームの中で、やはり私が特別だと思うのは「~の神」というような「神」という文字がつくニックネームだと思います。こういったニックネームは結構多そうかなと思いを巡らすのですが、意外に神がつくニックネームというのは思い浮かばず、逆に「王」のつくニックネームばかり浮かびます。
そうしていくつか浮かんだ「神」がつくニックネームの対象者を改めてその経歴を分析しますと、どうも「王」がつくニックネームの対象者と、畏敬がこめられているのは一緒ですが、いくらか扱いが違うように思えてきました。まず「王」というと「発明王エジソン」とか、「破壊王橋本」とか、果てには「ミナミの帝王」などと、周囲を圧倒するような強さを持つ人間に与えられますが、「神」の場合だと、「漫画の神様、手塚治」、「経営の神様、松下幸之助」などと、確かにその分野の強さが圧倒的なのはもとより、彼らの技術などがその後、一種のスタンダードとなっているように思えます。
手塚治氏の場合は、彼の作った漫画の手法が現在の主流となっているのは周知の事で、後者の松下幸之助氏も「日本的経営」の礎を築いたとされ評価されています。このように、神という名がつく人は強さだけでなく、後に彼らの手法を模倣する人間が出てくる人に与えられるものなのだと私は考えます。逆に王はその手法が天才的過ぎるゆえに、他の誰もが真似できない人に与えられるものなのかもしれません。
なわけで、以下に神というニックネームがつく人を上げていきます。そのどれもが、新たな革新的な技術を生み出した人たちばかりです。
・ボクシング界の神、モハメド・アリ
・打撃の神様、川上哲治
・戦国の軍神、上杉謙信
・神算鬼謀、諸葛亮孔明
・広島カープの神、前田智徳
前田は来年も現役続行が決まったようです。それが非常によかったということが書きたかっただけで、こんな記事を書いちゃいましたフゥー (゚Д゚)y-~~
銀行の貸し渋り問題にみる日銀政策について 後編
畜生、巨人の優勝かよ。まぁ後半の阪神の打線の悪さは阪神贔屓の私も呆れるほどなので順当といえば順当でしょうし、ファッキンな中日が優勝するよりは何倍もマシかと思えば……。
そんな阿部がタイムリーの後に退場したような話題は置いといて、昨日の今日で株価がまたも大幅に下落しました。さすがに私も、株価の急激な下落が続けば年末に八千円台はあるかも……と予想はしていましたが、まさかこんなに早くここまで下がるとは思いませんでした。昨日批判したばっかなので、逆に私も「こんなことも予想できなかったのかよ」と言われても何も言い返せません。まぁ言い訳をすると、公に十月中に株価が八千円台になると予想していた人はいないと思いますが……。
それでは昨日の続きです。昨日は本来株価が下がった今だからこそその仕事が期待されるにも関わらず、日本の銀行は資金をためるだけで真っ当に仕事せず、どうすればこの銀行のケツを叩けるかということについて日銀の政策方法と絡めて問題提起しました。今日は具体的にその方法を私なりに提案します。
まず最初に言うと、恐らくここで私の主張するやり方は経済学のセオリーから言えば全く逆の方法になります。自分はこういった問題に素人であるということは重々承知ですが、それでも意見を出すならというならばでこの方法を紹介することにします。
現在、日本の民間銀行は前年に過去最高利益を上げるなど非常に経営がうまく回っているにもかかわらず、企業への貸付、とくに中小企業への貸付が大幅に減っています。その理由はサブプライムローン問題によってどこがどれほどの損失や不良債権を抱えているのがわかりづらくなり、うかつに倒産して資金が回収できなくなる事態を敬遠しているためと言われていますが、私はこれに疑問を感じます。
というのも以前に書いた記事でも述べましたが、今銀行の金利はどこも非常に低く抑えられ、どこも1%にも達していないところばかりです。なので個人からいくら預金が集まろうとも、それを運用せずに貯め置いたところで銀行が個人へ支払う利子の金額というのはたかが知れています。私からみるとどうも銀行はそこにつけ込んで、貯め置くリスクがないために確実に資金が回収できる大企業にばかり貸し付けて、少しでもリスクのある中小へはちょっとでも危ない橋を渡らないとばかりに、わざと貸し付けていないのではと思います。まぁ大企業でも貸してくれないところは結構あるけど。
もしこれが原因だとすると、銀行に多方面へと貸付を行わせる方法というのはやはり、日銀の公定歩合を引き上げることだと思います。通常、公定歩合は引き下げられれば貸付額が増え、引き上げられれば逆に貸付額が減るものなのですが、私はどうもこのところの経済の流れを見ていると、状況によっては必ずしもそうでないのではないかと疑っています。第一、今も日本で絶賛継続中の0金利政策自体が世界初の金融政策なので、何が起こっても、それこそ基本の理論と逆のことが起きてもおかしくはないんじゃないかと思います。
公定歩合を引き上げることによって必然的に民間銀行もそれに合わせて個人への利率も上げざるを得なくなります。それによって銀行は経費が増えることから、企業への貸付で経費分の利益を確保せざるを得なくなるように追い込む、というのが私の考えです。ほんと、素人くさいけど。
しかし今こんだけ世界中で株価が下落して大混乱になっている中、日本が公定歩合を引き上げたら恐らく他国からは、「何をこんな時期に緊縮させようとしているのだ!」って怒られちゃいますので、まず実際には実行不可能でしょう。それにここまで下がってしまうと、私ですら引き上げるのに二の足を踏んでしまいます。せめて去年のうちにでも公定歩合を1%にまで上げておけば……。
じゃあこのまま黙ってみているのかということになりますが、私の案ではようは銀行に利益を稼がせなければならないほど経費を発生させればいいのです。もう一つ、金利を上げずに銀行の経費を上げさせるいい方法があります。その方法というのも、単純に課税です。
恐らく今もそうでしょうが、日本のほとんどの銀行からは税金が一切国へ支払われていません。なぜかというと、連中はこれまで注入された公的資金を国へ返済してきたということで、その分を繰り上げ納税として計上されているため、今も銀行は税金を免除されているのです。そうやって税金も払わず、企業へも貸し付けず、真っ当な仕事も出来ずにいるくせに、「今年は過去最高利益だ」などと胸張って主張する銀行幹部の気が知れません。ついでに言うと、何も勉強せずにそういった言葉にほいほい乗って銀行に就職活動を行っていた学生たちにも、君たちに正義心はあるのかと小一時間問い詰めたいものです。
過去最高利益を上げるくらいなら、国に税金を払えるだけの余裕があるはずだろう。なのでこの際銀行へ死なない程度に課税して、経費を増やさせ企業への貸付を増やさせるというのが、私が現状で考えうる最良の方法です。なんなら、企業への貸付をしっかり行っている銀行にはこれまでどおり税金を免除してやるというのもいいかもしれません。どちらにしろ、株価が下がっている今だからこそ、民間銀行は自分らが死なない程度に身を切って仕事をするのが求められています。
そんな阿部がタイムリーの後に退場したような話題は置いといて、昨日の今日で株価がまたも大幅に下落しました。さすがに私も、株価の急激な下落が続けば年末に八千円台はあるかも……と予想はしていましたが、まさかこんなに早くここまで下がるとは思いませんでした。昨日批判したばっかなので、逆に私も「こんなことも予想できなかったのかよ」と言われても何も言い返せません。まぁ言い訳をすると、公に十月中に株価が八千円台になると予想していた人はいないと思いますが……。
それでは昨日の続きです。昨日は本来株価が下がった今だからこそその仕事が期待されるにも関わらず、日本の銀行は資金をためるだけで真っ当に仕事せず、どうすればこの銀行のケツを叩けるかということについて日銀の政策方法と絡めて問題提起しました。今日は具体的にその方法を私なりに提案します。
まず最初に言うと、恐らくここで私の主張するやり方は経済学のセオリーから言えば全く逆の方法になります。自分はこういった問題に素人であるということは重々承知ですが、それでも意見を出すならというならばでこの方法を紹介することにします。
現在、日本の民間銀行は前年に過去最高利益を上げるなど非常に経営がうまく回っているにもかかわらず、企業への貸付、とくに中小企業への貸付が大幅に減っています。その理由はサブプライムローン問題によってどこがどれほどの損失や不良債権を抱えているのがわかりづらくなり、うかつに倒産して資金が回収できなくなる事態を敬遠しているためと言われていますが、私はこれに疑問を感じます。
というのも以前に書いた記事でも述べましたが、今銀行の金利はどこも非常に低く抑えられ、どこも1%にも達していないところばかりです。なので個人からいくら預金が集まろうとも、それを運用せずに貯め置いたところで銀行が個人へ支払う利子の金額というのはたかが知れています。私からみるとどうも銀行はそこにつけ込んで、貯め置くリスクがないために確実に資金が回収できる大企業にばかり貸し付けて、少しでもリスクのある中小へはちょっとでも危ない橋を渡らないとばかりに、わざと貸し付けていないのではと思います。まぁ大企業でも貸してくれないところは結構あるけど。
もしこれが原因だとすると、銀行に多方面へと貸付を行わせる方法というのはやはり、日銀の公定歩合を引き上げることだと思います。通常、公定歩合は引き下げられれば貸付額が増え、引き上げられれば逆に貸付額が減るものなのですが、私はどうもこのところの経済の流れを見ていると、状況によっては必ずしもそうでないのではないかと疑っています。第一、今も日本で絶賛継続中の0金利政策自体が世界初の金融政策なので、何が起こっても、それこそ基本の理論と逆のことが起きてもおかしくはないんじゃないかと思います。
公定歩合を引き上げることによって必然的に民間銀行もそれに合わせて個人への利率も上げざるを得なくなります。それによって銀行は経費が増えることから、企業への貸付で経費分の利益を確保せざるを得なくなるように追い込む、というのが私の考えです。ほんと、素人くさいけど。
しかし今こんだけ世界中で株価が下落して大混乱になっている中、日本が公定歩合を引き上げたら恐らく他国からは、「何をこんな時期に緊縮させようとしているのだ!」って怒られちゃいますので、まず実際には実行不可能でしょう。それにここまで下がってしまうと、私ですら引き上げるのに二の足を踏んでしまいます。せめて去年のうちにでも公定歩合を1%にまで上げておけば……。
じゃあこのまま黙ってみているのかということになりますが、私の案ではようは銀行に利益を稼がせなければならないほど経費を発生させればいいのです。もう一つ、金利を上げずに銀行の経費を上げさせるいい方法があります。その方法というのも、単純に課税です。
恐らく今もそうでしょうが、日本のほとんどの銀行からは税金が一切国へ支払われていません。なぜかというと、連中はこれまで注入された公的資金を国へ返済してきたということで、その分を繰り上げ納税として計上されているため、今も銀行は税金を免除されているのです。そうやって税金も払わず、企業へも貸し付けず、真っ当な仕事も出来ずにいるくせに、「今年は過去最高利益だ」などと胸張って主張する銀行幹部の気が知れません。ついでに言うと、何も勉強せずにそういった言葉にほいほい乗って銀行に就職活動を行っていた学生たちにも、君たちに正義心はあるのかと小一時間問い詰めたいものです。
過去最高利益を上げるくらいなら、国に税金を払えるだけの余裕があるはずだろう。なのでこの際銀行へ死なない程度に課税して、経費を増やさせ企業への貸付を増やさせるというのが、私が現状で考えうる最良の方法です。なんなら、企業への貸付をしっかり行っている銀行にはこれまでどおり税金を免除してやるというのもいいかもしれません。どちらにしろ、株価が下がっている今だからこそ、民間銀行は自分らが死なない程度に身を切って仕事をするのが求められています。
2008年10月9日木曜日
銀行の貸し渋り問題にみる日銀政策について 前編
まずは昨日の情報の続きです。
・危機的状況のアイスランド(YAHOOニュース)
リンクに張った記事によると、私の予想通りにアメリカの新自由主義路線に乗って金融が強かったアイスランドにて、国家破綻すらも懸念されるほどに経済が混乱しているようです。
そんな続報は置いといて、前回の記事にて私は今の日本の課題は株価の下落以上に銀行の貸し渋り問題だと指摘しました。というのももともと株式というのは何故あるかと言うと、単純に言って自前で運営に必要な資金を集めるためです。逆に銀行がきちんと会社に対して運営資金を提供してくれると言うのなら、株式をわざわざ公開する必要などないのです。まぁその代わりに銀行の言うことに逆らえなくなるけど。
実は日本はここ数年で株式市場にて資金を集める企業が急速に増えていきました。その理由というのも、バブル崩壊以後の長い不況の中で銀行が一切企業に資金を提供してくれず、主だった企業はそれならばとばかりに自分で資金を集める手段に出たからです。アメリカの策謀もあるけど。
その結果どの業界にもブイブイ言わせていた銀行の力が弱まったのは良かったのですが、その分外的要因、今回のような世界同時株安などの影響を受けやすくなったと言えます。バブル崩壊時なんて株価は大きく下がったものの、まだ企業同士の株式の持合が多かったから目に見えて資金運営に苦しむ企業は今ほどなかったと思います。
そんなんで私が今の状況で何が言いたいのかというと、株価が下がっている今だからこそ、代わりに資金を安定的に提供する銀行の存在が必要不可欠だというのに、今の日本の銀行というのは一切資金を提供しないどころか、前にも書きましたが利益を出しているのに運転資金が足らず不渡りを出してしまい倒産する、黒字倒産がここしばらくで急増しています。
昨日も経済解説ニュースで銀行の話題が取り上げられていましたが、企業への貸付が減ったばかりか、何でも銀行同士の短期融資すらほとんど行われていないそうです。この短期融資というのは文字通り短い期間にお金を貸しあうことで、急な大口預金者の引き出しや融資に対応するために銀行同士で行う貸し借りのことを指しますが、これがお互いにいつ潰れるか疑い合ってなかなか行われず、地方銀行なんてこれで結構困っているそうです。
なもんで、銀行がお金を貯め始めると普通は社会全体で資金の流通が硬直し、あまりよくない影響が出てきます。では端的に言って、銀行に貯めている資金を吐き出させてまともな企業を救うにはどうすればいいかですが、通常こういったときに行われるのは中央銀行の利率引下げです。今同時株安のために世界中のどの国でもこの利率引下げが行われていますがこれがどういった効果を表すのかと言うと、ちょっと専門外なので間違っているかもしれませんが、基本的にお金は中央銀行、日本では日銀が発行しています。そのお金は民間の銀行が日銀から借りるという行為を経て、それから一般の市場へと出回ります。なので一般人が銀行からお金を借りると利息を払わねばならぬのと同じように、民間銀行も中央銀行へと利息を払わねばなりません。その際の中央銀行の利率のことを公定歩合といい、これが経済政策の舵取りとも言えるものです。
話だすと長くなるので、要するに中央銀行の利率が低ければ低いほど民間銀行は中央銀行からお金を借り、それを市場にどんどん流して儲け、逆に高ければ払う利息が大きくなるので控えめに抑えていきます。景気の悪い時などは利率を下げることによって市場にお金が流れ、バンバンと皆物を買うようになって景気を刺激し、逆に過熱し過ぎの場合は逆の方法で景気を押さえつけます、もっとも、後者の政策は日本で行われたことがあるかどうかは知りませんが。基本的に能天気だから、景気がよければめでたしめでたしとしか考えないし。
で、今の日本の公定歩合は0.5%、なんと1%すらも切っています。私の考える普通の利率は3%くらいで、日銀だからといってこれは特別なものでなく、世界的にみても異常な数字です。何でこんなに利率が低いのかというと、長引く不況の中でどんどんお金を流せという、「0金利政策」が日本で行われたせいです。これは世界でも例がない日本発の政策で、結果的に言うとそこそこの成功は収めました。
しかし、これは竹中平蔵氏が口をすっぱくして言ってましたが、0金利政策は既にその役目を終えていたと私は思います。これだけ低いといざ今みたいに景気が悪くなっても利率を下げて景気を刺激しようにももはや下げようのない、壁を背につけるような状態だからです。竹中氏同様にせっかく株価が落ち着いてきた2006年の段階で次代の景気変動に備え、一歩でも二歩でもこの公定歩合を上げていれば、今のよな事態に対してまだ対応する選択肢は多かったでしょう。
そこでここが肝心なところなのですが、この公定歩合というのはそのまま一般預金者に対する民間銀行の利率に直結してきます。何故なら銀行は中央銀行からお金を借りて、それを一般人や企業に貸し付けて利益を取るからです。仮に100万円を利率10%で民間銀行が借りるとしたら、一般預金者にはそれ以上の利率、10%以上でこの100万円を外へ貸し出さないと損します。ですがこの利率が3%なら、3%以上あればそれが十分になり、また少ない金利でも民間銀行の儲けは大きくなります。この動きはそのまま一般人の預金金利にも援用され、公定歩合によって預金金利も基本的に変わってきます。なので、今は公定歩合がありえないくらいに低いので銀行の預金利率もありえないほど低いのです。
通常、金利は低ければ低いほど銀行は儲けるので、貸し出す資金量が増えるはずです。しかし、日本では一向に増えないどころか、逆に貸し渋りすら起きています。これは一体なぜかということですが、思ってた以上に中央銀行政策に時間をとられたので、続きはまた明日に。結構説明飛ばしているけど、読んでいる人はついてこれているのかなぁ。
・危機的状況のアイスランド(YAHOOニュース)
リンクに張った記事によると、私の予想通りにアメリカの新自由主義路線に乗って金融が強かったアイスランドにて、国家破綻すらも懸念されるほどに経済が混乱しているようです。
そんな続報は置いといて、前回の記事にて私は今の日本の課題は株価の下落以上に銀行の貸し渋り問題だと指摘しました。というのももともと株式というのは何故あるかと言うと、単純に言って自前で運営に必要な資金を集めるためです。逆に銀行がきちんと会社に対して運営資金を提供してくれると言うのなら、株式をわざわざ公開する必要などないのです。まぁその代わりに銀行の言うことに逆らえなくなるけど。
実は日本はここ数年で株式市場にて資金を集める企業が急速に増えていきました。その理由というのも、バブル崩壊以後の長い不況の中で銀行が一切企業に資金を提供してくれず、主だった企業はそれならばとばかりに自分で資金を集める手段に出たからです。アメリカの策謀もあるけど。
その結果どの業界にもブイブイ言わせていた銀行の力が弱まったのは良かったのですが、その分外的要因、今回のような世界同時株安などの影響を受けやすくなったと言えます。バブル崩壊時なんて株価は大きく下がったものの、まだ企業同士の株式の持合が多かったから目に見えて資金運営に苦しむ企業は今ほどなかったと思います。
そんなんで私が今の状況で何が言いたいのかというと、株価が下がっている今だからこそ、代わりに資金を安定的に提供する銀行の存在が必要不可欠だというのに、今の日本の銀行というのは一切資金を提供しないどころか、前にも書きましたが利益を出しているのに運転資金が足らず不渡りを出してしまい倒産する、黒字倒産がここしばらくで急増しています。
昨日も経済解説ニュースで銀行の話題が取り上げられていましたが、企業への貸付が減ったばかりか、何でも銀行同士の短期融資すらほとんど行われていないそうです。この短期融資というのは文字通り短い期間にお金を貸しあうことで、急な大口預金者の引き出しや融資に対応するために銀行同士で行う貸し借りのことを指しますが、これがお互いにいつ潰れるか疑い合ってなかなか行われず、地方銀行なんてこれで結構困っているそうです。
なもんで、銀行がお金を貯め始めると普通は社会全体で資金の流通が硬直し、あまりよくない影響が出てきます。では端的に言って、銀行に貯めている資金を吐き出させてまともな企業を救うにはどうすればいいかですが、通常こういったときに行われるのは中央銀行の利率引下げです。今同時株安のために世界中のどの国でもこの利率引下げが行われていますがこれがどういった効果を表すのかと言うと、ちょっと専門外なので間違っているかもしれませんが、基本的にお金は中央銀行、日本では日銀が発行しています。そのお金は民間の銀行が日銀から借りるという行為を経て、それから一般の市場へと出回ります。なので一般人が銀行からお金を借りると利息を払わねばならぬのと同じように、民間銀行も中央銀行へと利息を払わねばなりません。その際の中央銀行の利率のことを公定歩合といい、これが経済政策の舵取りとも言えるものです。
話だすと長くなるので、要するに中央銀行の利率が低ければ低いほど民間銀行は中央銀行からお金を借り、それを市場にどんどん流して儲け、逆に高ければ払う利息が大きくなるので控えめに抑えていきます。景気の悪い時などは利率を下げることによって市場にお金が流れ、バンバンと皆物を買うようになって景気を刺激し、逆に過熱し過ぎの場合は逆の方法で景気を押さえつけます、もっとも、後者の政策は日本で行われたことがあるかどうかは知りませんが。基本的に能天気だから、景気がよければめでたしめでたしとしか考えないし。
で、今の日本の公定歩合は0.5%、なんと1%すらも切っています。私の考える普通の利率は3%くらいで、日銀だからといってこれは特別なものでなく、世界的にみても異常な数字です。何でこんなに利率が低いのかというと、長引く不況の中でどんどんお金を流せという、「0金利政策」が日本で行われたせいです。これは世界でも例がない日本発の政策で、結果的に言うとそこそこの成功は収めました。
しかし、これは竹中平蔵氏が口をすっぱくして言ってましたが、0金利政策は既にその役目を終えていたと私は思います。これだけ低いといざ今みたいに景気が悪くなっても利率を下げて景気を刺激しようにももはや下げようのない、壁を背につけるような状態だからです。竹中氏同様にせっかく株価が落ち着いてきた2006年の段階で次代の景気変動に備え、一歩でも二歩でもこの公定歩合を上げていれば、今のよな事態に対してまだ対応する選択肢は多かったでしょう。
そこでここが肝心なところなのですが、この公定歩合というのはそのまま一般預金者に対する民間銀行の利率に直結してきます。何故なら銀行は中央銀行からお金を借りて、それを一般人や企業に貸し付けて利益を取るからです。仮に100万円を利率10%で民間銀行が借りるとしたら、一般預金者にはそれ以上の利率、10%以上でこの100万円を外へ貸し出さないと損します。ですがこの利率が3%なら、3%以上あればそれが十分になり、また少ない金利でも民間銀行の儲けは大きくなります。この動きはそのまま一般人の預金金利にも援用され、公定歩合によって預金金利も基本的に変わってきます。なので、今は公定歩合がありえないくらいに低いので銀行の預金利率もありえないほど低いのです。
通常、金利は低ければ低いほど銀行は儲けるので、貸し出す資金量が増えるはずです。しかし、日本では一向に増えないどころか、逆に貸し渋りすら起きています。これは一体なぜかということですが、思ってた以上に中央銀行政策に時間をとられたので、続きはまた明日に。結構説明飛ばしているけど、読んでいる人はついてこれているのかなぁ。
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