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2009年4月7日火曜日

満州帝国とは~その八、石原莞爾

 大分ブランクが空いての連載再開です。正直に言って私自身もこの連載に少し飽きてきているところがあり先週に展開したインドの旅行記を優先させたくらいです。もっともこれからは時系列的な話から開放されてトピックスを絞って解説できるので、しばらくしたらまたやる気が出てくると自らに期待はしていますが。
 そういうわけで、今回から紀伝体調に人物を絞って解説を行っていきます。その栄えある第一回目はまさに満州帝国の生みの親こと石原莞爾についてです。

 この石原莞爾については有名人ということもあって、私がここで多くを語らなくとも情報が数多く溢れている人物なの今日はちょっと加工した情報を展開してみようと思うのですが、まず生まれは東北の山形県で小さい頃の家は非常に貧乏だったそうです。しかし石原は幼少時より頭脳は明晰で数えで16歳の頃に東京の陸軍幼年学校に進学をするのですが、なんでも上京して初めて図書館という施設があることを知り、「タダで本が好きなだけ読めるのか」と言って貪る様に読書をしたそうで、向学心は幼少より相当に高かったことが伺えます。

 そうして士官学校を卒業後、連隊に務めながらエリート選抜学校でもある陸大にも入学し、その後回り回って満州にある関東軍参謀として駐在中、あの満州事変を板垣征士郎と企図、実行し、短期間であの広大な満州全土を占領してしまうなど戦果的には大きな功績を残すものの、その後戦線が広がった日中戦争には不拡大の姿勢を見せたことによりかねてから仲の悪かった東条英機によって左遷を受けています。
 この東条との関係ですが、同じ陸軍内に在籍しておきながらそれこそ犬猿の仲と言うほどに悪かったそうで、両者のエピソードから伺える性格もまるで正反対なので無理もないことなのですが、なんでも部隊内の訓練時の際も正反対で、東条は前例に倣って一から十まで順序良く規律正しくなぞるように行進を行うよう指導したのに対して石原は、「いつも通りやれ」という一言で済ませていたそうです。

 また石原、東条の両者の元で部下を経験したことのある士官によると、その士官が陸大を受験しようと勉強し始めると石原はその士官の仕事の負担を途端に増やしたそうです。石原に言わせると幹部になればそれだけの仕事量をこなさねばならなくなるので、仕事量が増えたことで勉強時間が取れなくなって合格できないのであれば始めから受験しない方がいいという考えの元で仕向けたそうですが、これに対して東条の場合は逆に仕事の負担を減らして勉強時間を持たせるばかりかよく自ら相談に乗ってきたそうで、その士官によると人間的な温かみで言えば明らかに東条の方が上だったと述べていますが、こんなところまで正反対なんだから仲がいいわけないでしょうね。

 ここで本筋の満州についての話に戻りますが、石原はいわゆる「世界最終戦争論」という独自の理論こと未来予測を立て、将来に日本と覇権を争い必ず戦うであろうアメリカに対抗するために資源のある満州を今のうちに必ず占領しなければならないという目的の元で満州事変を計画したと言われています。この満州への石原の野心自体はいろんなところでも言われている意見なのですが、そうした一般の満州事変の解説において石原の最終戦争論は全く独自のかつ斬新な構想、といった内容の言葉をよく見受けるのですがこれについては私は疑問視しています。

 というのも佐藤優氏によると、一次大戦後は石原の唱えた最終戦争論のようないわゆるハルマゲドン説のような主張が世界各国で展開されており、石原独自の意見というよりは当時の大恐慌下において流行した思想だったそうです。この佐藤氏の話を私も細かく確認こそしていませんが、ちょっと前になくなったサミュエル・ハンチントン氏が出した「文明の衝突」のように、異なる文明同士が最後に大きく衝突することで後の世界が大きく変わるというような意見はそれこそ神話の時代から現在に至るまでよくあることなので、世界最終戦争論は石原独自の意見というより、石原が持った当時あった意見というのが本当のところなんじゃないかと私は思います。別にアメリカと衝突することを予測したのは当時の日本でも石原に限るわけじゃないんだし。

 ついでにもう少し話を進めると、石原が最終戦争論を持ったのは彼の信仰していた日蓮宗系の国柱会の影響があったとよく言われていますが、戦前の新興宗教の系統で日蓮宗の流れを受けて設立されたものはほぼすべてといっていいほど軍国下の日本政府に対して肯定的な態度を取っています。これなんかまた別の記事に細かく書いても面白いと思うのですが、当の日蓮自体は元寇を予言して日本は敗北すると言いまわったせいで流刑にまであっており、元寇での神風を期待した日本政府に対して日蓮宗系の宗派が協力的だったというのはなかなかに皮肉に思います。

 そんな石原ですが戦時中に東条と反目して左遷を受けたことにより、ある意味日本を最も戦争に引き込んだ最大の張本人であるにもかかわらず、東京裁判では訴追されないばかりか東条らの糾弾を行う立場の証人として出廷しています。この石原の東京裁判における去就については昭和天皇も相当に不快感を覚えていたらしく、「何故石原のような者が証人として(東京裁判に)出廷しているのか」とまで不満を口にしたそうですが、私自身同じ思いがします。

2009年4月6日月曜日

文章表現について

 毎日毎日こんだけだだ長い記事をこのブログで書いていてなんですが、私は文章というのは基本的に短ければ短かいほどいいものだと考えております。
 ちょっと数学、というよりかは算数的にこの意味を説明すると、たとえばある同じ情報を特定の人物に理解させるのに千文字使わなければならない人と百文字だけで説明できてしまう人を比べるのなら、誰が見たって百文字で説明できてしまう人の方が優れていると思うでしょう。実際に少ない文字数でなにかを説明するには多くの文字数を使う説明より要点や順序を筋立てることが要求されるため、文章的なセンスは千文字に比べて要求される度合いが高くなってきます。

 とはいえ、誰にでもわかりやすく説明するのに文字数が大いに越したことはありません。ここら辺が私もこのブログを書いていていろいろとジレンマになるところなのですが、短い方が文章的に優れているのは確かなので短く短くしたいものの、あんまりにも短く端折り過ぎると読者に要求する読解力のハードルも上げることになります。
 大分以前にも書きましたがこのブログは普段新聞やテレビで報道される情報よりややむずかしめの情報を扱うため、なるべくわかりやすく書く努力はしているものの自分でも意図的に読者へのハードルは高めに設定しており、意識レベル的にはちょっと説明がくどすぎやしないかというくらいの感触でいつも記事を書いています。

 しかしそんな風に毎日細かく書くもんだから、書いててやはりジレンマを覚えることがたまにあります。これは私の恩師のK先生の言葉ですが、文章がわかりやすいことに越したことはないもののやはり難しい問題や話題の場合は表現技法的には難しく書かなければその深い内容を表現し切れないものもあり、それらを無理やりわかりやすく書こうものなら結局は浅い範囲でしか内容を伝え切れないとのことで、まさにこのようなジレンマを感じているわけです。
 そうした私の心境を見抜いてか以前に友人から、「君、あのブログの文章は無理して余計に書いているでしょ」とはっきり言われたことがあります。

 それこそもし遠慮無用に自分が読んで理解できる範囲で記事を書いていいというのであれば、恐らくいつもの分量の三分の一くらいで私も記事を書き上げる自信がありますし、正直言ってそのような短い文章の方が記事全体の完成度の点で高いと思います。しかし文芸を追求するのあればともかく、あくまでこのブログは私の意見を世に問う、わかりにくい問題を読者に解説するという目的の元にあるため、そうした文章自体の完成度は捨て置いてわかりやすさと内容を第一に考えながら書いています。それでも友人の中には難しすぎてわからないと言う方も少なからずいるので私の技術もまだまだということなのですが、やっぱり時にはフルパワーで短く完成度の高い文章を書いてみたくなったりもします。

 ここで話は変わりますが、よくどうすればこのブログを毎日更新する位に文章が書けるようになるのか、どうすれば表現技法を高められるのかという質問が来ることがあるのですが、手っ取り早い一つの方法としてはまず自分が考えていることを文章に書き、それが書き終わるやその同じ内容を今度は二分の一の分量で書き、それが終わるとまた二分の一とどんどんと文字数を狭めていくのがいい方法だと思います。こうすることによってその文章の中で何が重要なのか、なにがあまり重要でないのかが峻別されていきますし、また少ない文字数、というよりはこの場合記号数で同じ内容を表現しなければならなくなるので自然と表現の選択も高級なものが求められるのでいい訓練になると思います。

 そういう意味で、現在の大学受験や就職試験などで求められる記述テストというのはかえって日本人の文章力を低下させてしまうものに思えて他なりません。このような試験の問題に「~を100文字以内で説明せよ」という風に書かれていたらまず90文字以上の文字数を埋めねば○をもらうことは出来ず、質問に対する正解の核心部見つけ出した後に言うなれば贅肉のような余計な文章を付け加えるような回答の仕方が大学受験などで定着しているように見えます。
 言ってしまえば質問に対する適切な回答というのは短くて済むのならそれに越したことはなく字数に制限をつけること自体ナンセンスですし、場合によっては短い回答の方がかえって優れていることもあります。そういう風に私は考えていた上に中学校時代に今思えばかなりヘボな文章力だったにもかかわらず、自分の方が文芸は上なんだと妙な意識があってそうした回答をし続けたために毎回の国語のテストは悲惨でした。

 聞くところによると遺伝法則の発見で有名なメンデルは、遺伝法則についての自説の説明をレポート用紙一枚で説明しきってアカデミーに提出したそうです。まぁ当時は評価されなかったけど。
 私にとって一番理想的な文章というのはまさにそういう文章なのですが、また今日も長々書いてしまったと思う辺りその前途はまだまだ遠そうです。

2009年4月5日日曜日

検察報道に対するメディアの違い

 先日友人から読んでみろと勧められたので週刊朝日の4/10号を買って読んでみましたが、友人の言う通りにこの号は面白い内容で私も週刊朝日を一気に見直しました。今までAELAと並んで週刊誌の中でつまらない部類だと思って読んでいましたが意外や意外に目当ての記事意外もいろいろと面白く、表紙は私が今一番贔屓にしている多部未華子氏だし、カラー部ではWBC優勝記念とばかりに参加選手らの甲子園、大学野球時代の写真と現在の姿を比較しながら並べてもいました。それにしても、WBCの野球選手は皆高校生や大学生の頃よりはさすがに大人っぽくなっているのに、田中将大選手だけが高校時代から何も変わってなかったってのはある意味不思議でしたが。

 それはともかく、友人が勧めてきたのは今まで私も散々取り上げてきた小沢一郎民主党代表の秘書逮捕事件についての記事です。ついでなので、これまで書いてきたこの関連の記事をリストアップします。

小沢民主党代表秘書逮捕のニュースについて
西松建設事件について続報
二階俊博議員への捜査の広がりについて
小沢代表の続投について

 今回のこの事件に対して私は同様の疑惑をもたれている自民党の議員らは差し置いて小沢氏の秘書だけを逮捕、捜査したあまりにも不平等で公正さのない検察と、選挙が近いこのタイミングの上に逮捕発覚後に自民党の漆間氏の例の発言が飛び出したことから、小沢一郎という議員を私は個人的に嫌いながらも民主党の代表の座から降りてはならないし裏で誰が糸を引いたのか今後追求していくべきだと過去の記事で主張しました。

 私はてっきり、これほどまで強引で不平等な捜査が起これば検察への批判が高まるだろうと思っていたのですがさにあらず、世論調査でも小沢氏は代表を辞任すべきだという声が常に多数となり、またほかのあちこちのブログでも取り上げられていますが毎日新聞の「早い話が:小沢一郎のどこが悪い」の社説も、私なんかは毎日にしてはなかなか落ち着いていい点を突いているなと感心しましたし西松建設へ何故ダミー団体を通しての献金を行ったのかを追求すべしという意見に賛成なのですが、ほかのブログなどではどちらかといえばとち狂った意見だと批判されているのばかり見ます。

 そこで今日ここで取り上げる週刊朝日ですが、4/10号にて「検察の劣化、総力特集」と称して今回のこの問題について大量に紙幅を割いて特集しており、ちょうど私の言いたいことなどをすべて書いていてくれて個人的には胸のすく思いのするいい内容の記事でした。
 そうした一連の記事の中で特に私が注目したのは、まさにこういうことなんて週刊誌だからこそ書ける記事なのですが、今回のこの事件における大メディアによる報道姿勢ことあの悪名高き記者クラブ制度について言及されている点です。

 記者クラブ制度についてはまた今度特集を組んで解説してもいいのですが、要するに日本のテレビ、新聞などの大メディアによる談合組織です。基本的にどのメディアにとってもある意味ドル箱な内容である官公庁発表というのはこの記者クラブに加盟していなければ取材することが出来ず、メディアの中で一段格下扱いされている週刊誌は総理や警察の記者会見はおろか、国会内にて国会議員に単独で取材することすらも制限を受けるそうです。
 この記者クラブについては主に週刊文春の文芸春秋社や週刊現代の講談社といった出版社系列の記者らが激しく批判しているのは知っていまし彼らがそうした批判をするのはもっともだとも考えていましたが、意外や意外に新聞メディアの朝日新聞社の傘下にある週間朝日の記者は記者クラブによってはじかれることはないだろうと思っていたところ、今個人的に注目している上杉隆氏によるとどうもそうでもないようで、今回の週刊朝日の記事でも記者クラブによってはじかれていることを示唆しています。

 それでその問題のある記者クラブが今回の小沢氏の事件でどのように関連性があるかですが、基本的に記者クラブに加盟している大メディアの情報源は検察や警察といった官公庁であることが多いために、ひとたび彼らの機嫌を損ねたら途端に情報を分けてもらえなくなるため、彼らを批判する記事を書かないとされています。それがはっきりと表に出たのは数年前に北海道新聞が道警の裏金問題を大々的に報道した際で、あの事件以降道警は北海道新聞を事件情報といった会見から締め出すようになったそうです。
 そうした弱みがあるためにこうした検察や警察の問題は昔から記者クラブに元々加盟していない週刊誌が強いと言われていたのですが、週刊朝日は今回の小沢氏の事件は秘書の逮捕以降、毎日のように「関係者によると~」の切り口で小沢氏にとって不利な情報、しかも明らかに捜査関係者でなければ手に入らないような情報がほとんど裏付けもないにも関わらずまるで真実であるかのように報道され続けたことが問題だと指摘しています。

 言うまでもなく、この場合の「関係者」というのは間違いなく「検察」ととってもよい、というよりそうとしか考えられません。そして検察としてはこの事件をなるべく「作りたい組織」であるため、利害関係からすると情報の裏づけなどといった点で非常に怪しいのですが、週刊朝日に言わせると大メディアはそれこそ「大本営発表」のように言われるままに報道し続けたとして厳しく批判しており、私としても週刊朝日と同じように今回の事件の大メディアの報道姿勢にいぶかしむ点が数多くあります。
 週刊朝日が実際にこの大本営発表の例として挙げた事例として、「逮捕された秘書が西松からの献金だと認識していたと虚偽記載を認める供述をしている」というニュースをNHKが放送したところ、秘書側の弁護人がそのような供述はしていないと反論した事例を挙げています。

 供述をしたとされる秘書はこれまた言うまでもなく当時は拘置所の中で、その秘書と接触がもてるのは彼の弁護人と検察内の捜査関係者だけです。となるとNHKは検察内の捜査関係者から情報を取ったと考えるのが自然ですが、もし弁護人の言う通りにしてもいない供述を捜査関係者によって「した」と言われて報道したというのなら、取材過程などに問題はないのかということになります。
 このように、今回の事件は捜査過程はもとより大メディアの報道姿勢についても異常な点が数多く見受けられます。こうした点に注目し、今後もこの事件を見守っていこうと思います。

北朝鮮のミサイル発射について

 本日午前に北朝鮮が弾道ミサイルを発射(衛星ロケットでないことを先ほどアメリカ政府が発表)しましたが、この事件に対する私の感想はというと、今回は少々日本人は騒ぎすぎだと思います。

 日曜ということもあって夕方からまた久しぶりに各放送局のニュースを細かく見ていましたが、どの局もこのミサイル発射をトップに持ってきて大々的に報道していたのですが、確かに全く危機感を持たずに報道しないというのはそれはそれで問題ではありますが、今日の報道は私が見る限りどちらかといえばミサイル発射の事実を報道するというより、国民に対して必要以上に危機感や恐怖感といったものを煽るような報道ばかりだったように見えました。

 というのも北朝鮮が事前予告していた打ち上げルートに沿ってミサイルが発射される場合、ミサイルは日本の上空を通過するために日本本土へ落ちることはほとんど考えられませんでした。もっともこの事前予告ルートがブラフでいきなり日本の重要施設へミサイルを撃ってくる可能性があったというのであればそりゃ確かに大事ですが、今回のミサイル発射実験はイランなどといった中東諸国に対して北朝鮮がミサイル技術、製品を輸出するに当たりその性能を証明する目的のために実行されたとされ(去年にイランが打ち上げた衛星ロケットは北朝鮮製と言われている)、いきなり日本に向かって撃ってくる可能性は低いと私は考えていました。

 そして仮に飛行中に何らかのトラブルでミサイルが墜落するにしても、確かに気休め程度にしかなりませんが日本側としてはPAC-3を始めとした対策を行っており、後はなるようにしかならなかったのが昨日までの段階でした。そして本日の発射によって、確かに日本全土を射程に入れるミサイルを北朝鮮が改めて保有していることが証明されたという事実は日本として脅威ですが、その発射の事実をことさらに大きく報道して国民の不安を煽るというのはかえって私は北朝鮮の思う壺だと思います。そもそも、日本全土を狙えるミサイルを北朝鮮が保有しているのは最初のテポドン一号の発射でわかっていることだし。

 再度結論を述べさせてもらいますが、今回のミサイル発射は事実は事実として受取り、日本人はことさらに慌てず今後の北朝鮮への外交や国際世論を落ち着いて注視するべきだと思います。危機感を持つに越したことはありませんが度した不安や混乱は北朝鮮を喜ばせるだけなので、報道機関などの過剰な報道に流されないでいることを暗に願っております。

2009年4月4日土曜日

内定制度について

 昨日、ひょんなことから今年四月から入社したばかりの新社会人の方と話をする機会があったので、いきなりこんなことを聞いてみました。

「ぶっちゃけ、自分も内定切りに遭うんじゃないか不安じゃなかった?」
「そりゃ不安でしたよ。恐らく、自分らの世代は皆一様に持ったと思いますよ」

 いきなりこんなことを聞く私も私だが、こうして当事者に改めて聞いてみて今回の問題の根深さを改めて実感できたので、きちんと答えてくれたその新社会人の方には改めてこの場でお礼を言わせてもらいます。
 さてここで私が切り出した内定切りですが、以前にも「内定取消しについて」の記事の中で一度取り上げていますが、その記事を書いた当時の内定者たちが入社する四月にはもう入ったのでもうこのようなニュースは出てこないと思っていたのですが、既にあちこちでニュースになっているのでリンクは貼りませんが、なんとある造船会社では入社式の前日こと三月三十一日になって突然内定者たちに内定取消しを通告したところもあったそうで、まだまだこの問題は尾を引きそうです。

 この造船会社のニュース以外に昨日に見たニュースでは、内定者たちに対して半年間の自宅待機を命じてその間に給料の六割だけを支給するという会社の例が報告されていましたが、私の見る限り恐らくこういった自宅待機の例はまだまだ多くあるのではないかと気にしています。そしてこれはまだ噂になっているだけで実際に発生したという報道はまだ見ていませんが、試用期間である三ヶ月を過ぎる、つまり今年の七月に入るや仕事の内容に能力が満たないなどという理由をつけて無理やり新入社員を辞めさせるなどという恐ろしい噂も耳にします。噂で済めば何も問題はないのですが。

 このような内定切りの問題についてこのところ私が報道機関や政治家に対して深く疑問に思うのは、何故どこも対策というものを打ち出さないのかという点です。前回の記事でも触れていますが、今回のこの内定切りの諸悪の原因は実際に入社する約一年近く前に就職を約束し合うという内定制度にあると考えています。今年はどうなるかわかりませんが十年位前から去年までは紳士協定なぞどこ吹く風か、四月には内定を出す会社が続出したために大学生の側も早い人などは三回生の秋頃から説明会などに参加するなどの就職活動を行っていました。

 こうした早すぎる就職や人材斡旋活動は双方にとって無駄な負担しか生まず、少なくともそれ以前には慣行だった「四回生の十月以降から」という風に戻すべきだと前回の記事で私は主張しましたが、こうして四月を過ぎてもこのような例がまだまだ報告されているのを見ると、そもそもの内定制度自体を廃止するべきではないかとも考えてしまいます。内定切りに遭った学生が可哀相と同情することだけならいくらでもできますが、もっとこうした具体的な対策についても今後議論が広まることを切に願っています。

2009年4月2日木曜日

生前贈与税率の減税について

贈与税減税実施で大筋一致=追加税制改正へ-自民税調(YAHOOニュース)

 あまり報道されておらずちょっと解説のいる話題だと思うので、今日は上記のリンクに貼った、現在自民党が検討している生前贈与に対する減税案について解説します。

 まずこの生前贈与という奴ですが、これはそのまんま、主に親が子へ生存中に財産を贈与する行為を指します。この時の贈与額がそれこそ100円や200円ならまだしも、現行では年間110万円を越える額を贈与した場合に日本では税金がかけられて一部が国に持ってかれてしまうのですが、現在自民党が議論しているのは昨今の不況への景気対策にこの生前贈与に掛ける税率を下げようというものです。

 というのも日本は不況不況と言いつつも個人資産は金融資産で1483兆円、土地などの資産で3402兆円、住宅などの資産で952兆円、合計なんと5837兆円もあるそうですが、そのうち金融資産だけを世代別に見ると六十代以上の層が867兆円と、実に全体の六割近くを保有しております。
 この点について私の友人は、よくおっさん連中が我々若者が車を買わなくなったりデートをしなくなるなど、以前と比べてお金を使わなくなったのがさも不況の原因だと若者を犯人扱いしているが、上の世代が大半の資産を使わずに貯めていて若者にまでお金を流さないのが真の不況の原因だと、常々ヒートアップして文句を述べていますが、上記の実態を見れば私もまさにその通りとしか言いようがありません。
 ただ私の方から上の世代にもフォローを入れておくと、日本は今も曖昧糢糊なままの年金制度に不安定な社会保障制度ゆえ、老後に備えてまとまったお金を貯めておきたいというのも理解できなくはありません。

 こうした状況に対し、この不況への対策の切り札として掲げられたのが今回の生前贈与の減税案です。私がこの減税案を初めて知ったのは、文芸春秋四月号にて小泉元首相の元秘書である飯島勲氏がこの減税案を紹介している記事を読んだことからで、今日のこの記事も上記の資産額などその記事を参考にしながら書いております。
 飯島氏が挙げているモデルケースでは、Aさんが自分の子供に対して1500万円の証券資産を譲渡する場合、現行税率は50%なので750万円も国に持ってかれて子供にはもう半分の750万円しか譲られません。しかしもしAさんが死亡したことによってその資産が子供に引き継がれる場合、こちらは税率が15%の相続税が適用されるため国に持ってかれるのは225万円で、子供には残りの1275万円引き継がれます。


 Aさんが1500万円の証券を子供に譲渡する場合、
生前:税率50% 税金750万円 譲渡額750万円
死後:税率15% 税金225万円 譲渡額1225万円



 図示するとこんな具合になるので、現行の制度だとそりゃ生前に大金を渡す親はいなくなるでしょう。
 飯島氏の案は、この生前贈与時に掛ける税率を10%までこの際引き下げてしまおうという案です。確かに10%まで下げると長いスパンで見れば国の税収は減ってしまいますが、まさに今税収が必要な不況真っ只中の今年や来年といった短期においては増収が見込まれ、また消費意欲の強い若者に資産を大量に貯蓄している世代からお金が流れるため、個人消費の上昇も期待できると主張しています。

 結論を言えば、私もこの政策案を強く支持します。たとえば不動産の価格が下がっている今この時に、貯蓄をたくさん持っている親がぽんとお金を出すことで一気に自分名義で持ち家を買ってしまおうと動く若い夫婦がいてもおかしくありませんし、ある年齢層に固まっている資産が若年層に流れることで生活支援にも資金の流動化にも大きくつながることが期待できます。
 自民党が現在考えているのはやはり住宅購入時の資金譲渡時の税率を減税する案のようですが、それだけでも十分に効果があるし、また何より政策が非常にわかりやすく一般にも浸透しやすいので、やれるものなら明日からでもやってもいい案だと思います。

 ただ少し残念なのは、本来こうした景気対策というのはニュースそれ自体が何かしら希望を持たせることで市場などへ安心感を植え付ける面も少なくないのですが、今回のこの案は私が見ているところまだあまり浸透していないように思えます。そうしたわけで解説も兼ねて紹介しましたが、もっとこうした面の広報というものを日本政府は考えるべきでしょう。

2009年4月1日水曜日

このところの株価上昇について

 ここ一、二週間で日本の株価は急激に回復して現在も八千円台を推移していますが、結論から言うと私は日本はまだ不況の底を脱しているとは思えず、むしろこれだけ株価が上がる今の状態に対して不安感を覚えています。

 このところこうした株価予想をしておらず久々なのですが、何故このところ日経平均株価が上がっているかといえば私は一番の原因は円安だと思います。というのもこのところの株価上昇の裏で一時は90円を切った対ドル円価が三月に入って急激に上昇し、今日には98円台にまで回復しております。元々輸出依存型の経済の日本では円価が低ければ低いほどいいということもあり、為替変動が与える経済への影響は元から強かったとはいえこのところの株価全体の動きはまさに円価に沿って動いているように思えます。

 ただ私はこの前国会で本年度の予算案が通過したとはいえ、その中身といい現在審議中の政府の対策といい、何一つ現状に対して有効だと思えるような政策(生前贈与の減税は悪くはないと思うが)が見えてこず、正直言って現時点で株価が上がるというのはなにかおかしいように思っていました。そうした疑問から追っていったら先ほどに述べたように為替の動きに連動していると思ったわけなのですが、これは逆を言えば今後またドルの価値が急激に低下すれば大幅に株価が下がる恐れが強いという予想につながってきています。

 ここで話を外に向けますが、海外の経済状況で特筆すべきは中国です。北京五輪が終わってリーマンショックとのダブルパンチで一気にバブルが弾けるかと思ったら意外や意外にまだ踏ん張って成長を維持し、二桁成長は止まって去年は6%成長に止まるようですが、マイナス成長にまで陥った日本と比べるとまだたいしたものです。ただこの中国が逆に日本にとって良くも悪くもネックで、昨日のNHKのクローズアップ現代でも特集されていたように建設機械などの受注は未だに中国からは多くて日本としても助けられているのですが、もし中国がなにかの拍子に手持ちの外貨ことドルを市場に売り始めたら、一気にドル価値が下がってまた円高を起こし、そのまんま中国に引導を渡されかねないというのが今の日本の状況だと私は考えています。

 そういうわけで、かなり飛ばして書いていますがこのところの株価上昇は決して日本の対策や対応がうまくいったものではなくどちらかといえば偶発的な上昇で、またしばらくしたら大幅に下がる恐れがあるのではないかというのが私の意見です。いくら安くなっているとはいえ、株をこの期に一気に買い増そうというのならもう少し待つべきではないかと思います。