ページ

2009年12月14日月曜日

芥川龍之介の話

 今日も時間が少ないのでまた短く書ける話です。
 日本の文豪の中で誰が一番好きかと問われるなら、私は迷わず芥川龍之介を挙げるようにします。具体的に彼の作品のどのようなところが好きなのかまでは説明しませんが、彼のあまり有名でない作品の一つに、題は忘れましたが海軍の学校で芥川が英語教師をしていた時代の話があります。

 この話自体がフィクションなのかノンフィクションなのかまではわかりませんが、当時の芥川は週末になると煙草をふかしながら汽車に乗って横浜から東京へ行き、旧知の友人らと夕食をともにして語り合い、また日曜の晩には横浜に帰るという優雅な過ごし方を習慣としていたのですが、ある週末、いろいろ無駄遣いしていたのがたたって、往復分の汽車代がなかったことがあったそうです。

 さりとてあきらめがつかず駅にはいくもののお金がない、はてどうしたものかと考えつつ知らず知らず売店へと向かい、「朝日をくれ」と芥川は言ってしまいました。「朝日」というのは当時の日本でポピュラーな煙草のことで、喫煙家の芥川もよくこれを吸っていたのか他の作品にもよく出てきます。

 この時、芥川は注文したものの内心ではしまったと思いました。煙草を買うお金はまだあるもののそもそも汽車代がない。こんなところでちびちびお金を使ってどうするのだと焦りだします。
 そんな焦りまくる芥川に対して売店の親父は、「新聞ですか、煙草ですか?」と注文を確認してきて、咄嗟に芥川は、「ビール!(゚Д゚;)」と答えたそうです。この答えには親父も、「ビールはありません」と答えるので、芥川も、「そ、ならいいんだ≡(;゚д゚)」と、帰ってったそうです。

 その後、まだ依頼を受けていなかった執筆依頼を受ける事で前金を受け取り、その周も無事に芥川は優雅な週末を過ごせたわけなのですが、意外とお茶目な所もあるのだと別の意味で感心した話でした。

2009年12月13日日曜日

日本のやる気なき大学教育について

 かなり久々に出張所の方でリクエストが来たので、今日は日本の大学教育について私が日々感じている事を書こうと思います。まずはこれまでこの関連で書いた記事を三つほど下記にリンクを貼っときます。改めて読み直すと、我ながらいろいろ書いているもんだ。

日本の大学教育と職業とのつながりについて
大学教育の価値とは、およびその改革法 その一
大学教育の価値とは、およびその改革法 その二

 上記三つの記事でも長々と書いてあるように、前提として私は現在の日本の大学教育は大きく問題を抱えていると感じております。
 具体的にどのような点が問題なのかと言えば、以前の記事でも書いたようにまず学生自身が理系はともかく文系が勉強するために大学に進学するのではなく、学歴を得るために進学してくることです。実際に高校生とかに話を聞いてみるとすでに進学が決まった学部で具体的にどのようなものを勉強したいのかと聞くとなにも答えられず、では大学に何を求めるのかと聞いたら即答で、「遊びたい」と答えられる始末です。

 そりゃ若いんだからいろいろ遊んでいたいという気持ちも理解できなくはないのですが、そのためだけに主に両親に年間百万円前後、下手すりゃそれ以上の額の学費と生活費を払わせて通うというのはもったいない気がします。第一、遊ぶだけなら大学に行かなくとも出来るはずです。こういったことを改めて高校生に突き詰めていくとみんな決まって最後は、「大学にいっとかないと就職できない」とようやく本音を言ってくれます。

 こんな具合で日本の大学生のうち少なく見積もっても過半数は勉強するためではなく、就職に向けた履歴作りを兼ねたモラトリアムのためだけに進学していると私は見ています。もちろん大学で何しようが本人の自由ですが、みんながみんなこんな感じであると真面目に勉強したい学生の方とすると結構居辛いものです。私自身の実体験でもありますが、やはり今の日本の大学は勉強を行う場と言う雰囲気がなく、どことなく力の抜けた空気に満たされていて真面目にやろうとするほどどんどんと脱力していく感覚がありました。
 そんなの気にせず一人でも勉強し続ければいいじゃないかと言われるかもしれませんが、周りで「じゃあ七時に居酒屋の前で集合な!」という声が聞こえてくると、飲み会に参加するほどのお金もなかった頃ゆえに胸にズキンと来て、一人家で参考書を眺めてたりすると寂しさもひとしおです。

 そしてそんな大学の雰囲気を反映するのか、大学の講師陣にも私は熱意を感じられませんでした。それこそ型通りのどうでもいいような話ばかりを授業でされて、ひどいのになると一度も授業時間いっぱいまで授業せずに学期を終えた講師までいました。探せば熱心に教えてくれる講師も確かにいるのですが、一度頭に来てもうすこし刺激になるようなことを教えて欲しいと教授に頼んだ所、授業に期待せずに自分で論文を読むなり勉強しなきゃ駄目だと言われて追い返されたこともあります。言われる事も一理あるのですが、それだと大学で勉強する意味自体がなくなってしまうので私は今に至るまでまだこの教授の意見に納得した事はありません。

 私は昔からこんな具合だったこともあり、ご多分に漏れず大学に入った一年目には見事に五月病にかかってしまいました。最初は友人の方が先だったのですが、親に高い学費を払わせてまで大学に通う理由が見当たらず何度も退学をしようかと考えました。それでも卒業までこぎつけられたのは冬でも半袖を貫き通すような頼もしい友人らと、親身になって中国語やマルクス経済学の成り立ちを教えてくれた恩師らに出会えたが故でした。

 ですので私も同じような悩みを持った学生に会ったら出来る限り力になろうと努めたものの、何人かの後輩の退学意思を覆す事は結局出来ませんでした。特にそのうちの一人はもうそろそろ時効だから書きますけど、ある日突然夜に私の下宿に来てもいいかと連絡があったので家に呼び、夕食を食べながらいろいろ話していた所、やや気分が高揚していたというか調子に乗って、

「言っちゃなんだけど、俺はまともな神経をした学生なら日本の大学をすぐにやめると思うよ。俺は度胸がないからさすがに実行しないけど、はっきり言って勉強するような場じゃない」

 こんな事を私が言うと、そのすぐ後に後輩が、

「すいません。実は僕、今日退学届けを出してきたんです( ´Д⊂」

 なんて言うもんだから、引きとめようがなかったことがありました。この時ほど、「先に言えよ(゚Д゚;)」って思った事は未だにありません。まぁこの後輩とは未だに仲良く、このブログも読んでもらっているのですが。

 まとめになりますが、私は現在の日本の大学は真面目に勉強したがっている学生の知的好奇心を満足させる環境にあるどころか、むしろ空回りさせてしまう環境でしかないと考えております。日本の教育全体にとっても、社会にとっても、そしてなによりも真面目な学生たちにとってこのような環境は望ましくなく、早急に改革しなければならないと考えております。それでもモラトリアムを求める学生が多いと言われるかも知れませんが、教育にしろ法律にしろ、こういうものは下に合わせるのではなく多少振り落としてでも上にあわせなければならないものです。真に真面目な学生に優しい大学であるようにと、願うばかりです。

2009年12月12日土曜日

内戦状態の日本 その二、反応と期待

 今日もちょっと電車に乗って移動していたのですが、案の定複数の路線でまたも人身事故が起きたために遅延が起こっていました。これだけ人身事故が連日と続いているにもかかわらず、どこのニュースも報じないと言うのもまた異常なように思えます。

 そんなわけでこの「内戦状態の日本」ですが、結論から言うと私は現在の日本人は互いに負荷を掛け合っている状態で、それこそ本来受けなくてもいいストレスを過剰に受け合っている状態にあると考えております。
 では何故日本人は互いにストレスを掛け合うようになったのでしょうか。最初に断っておきますが私は基本的に人間同士がなにかしら接触を持つことそれ自体、互いにストレスを掛け合うことになると考えております。以前にどっかで誰かが言っていましたが、「長生きをする秘訣は一つ、誰にも会わず、何にも怒らず、何にも感動せず一人でずっと過ごすことだ」と言いましたが、まさにこの通りでしょう。

 ですので人付き合い自体は基本的にストレスのかかるものと前提しているのですが、日本人の場合はそれこそほんの少しの他人との接触でも大きくストレスを受けたり与えててしまうと私は考えております。以前に書いた「空気の読み方、呑まれ方」でも似たようなことを書きましたが、日本人は周囲の意思や行動に過剰なまでに合わせようとするとともに、周囲もそれを強く期待する傾向があり、それがこの過剰なストレスに繋がっているのではないかと私は睨んでいるわけです。

 いくつか例を出すと、最近2ちゃんねるとか見ていると大学に入ったものの、一緒にご飯を食べる友達がいなくて一人で食堂に行くのを恥ずかしく思い、便所で一人で食べているという書き込みをよく見かけます。もちろんこれはただのデマかもしれませんが、これ以前にも日本では「ランチタイム症候群」といって、社内に昼食時に一緒に食べる人間がいないから退職するOLの事例が報告されているので、私としては本当にそんな人間もいるのだろうと見ています。

 はっきり言ってメシくらい誰が一人で食ってようが周りは誰も気にする必然性はありませんし、当人も意識する必要もないでしょう。しかし現に今の日本では「一人で食べる」ということが「友達がいない」という意味と感じ、その事実を人前で晒すのは恥ずかしいと思う人間が多いそうです。それこそ本人が気にしなければいいような問題で、私としてはやや自意識過剰ではないかと思ってしまいます。私なんか常に一人で130円のわかめうどんを食って過ごしてたんだし。

 この便所での昼食は本人の自意識過剰、言い換えるならば反応過剰ですが、これとちょうど逆の好例となるのが「はしの持ち方」です。恐らく日本人なら誰でも一回は「はしの持ち方」について注意されたりしたりした事があるでしょう。もちろんきれいな持ち方であるに越したことはありませんが、私としては人それぞれに使いやすい持ち方があるのだからいちいちそんな細かい所まで突っ込む必要はないだろうと常に思っています。第一、こんなの正解なんてあってないようなものなのだし。

 これら便所メシとはしの持ち方はちょうど比較するのにいい例でこのまま説明しますが、便所メシは当人による周囲に対する過剰な反応で、はしの持ち方は周囲に対する過剰な期待(要求)であり、この様に日本人は何事に関しても他国と比べて他人との接触で受けるストレスと与えるストレス両方が異常に大きい、ドラクエでいうなら特技の「すてみ」を常に使っている状態に近いのではないかと私は考えております。こんな風に考えるのもただ単純に私が周りを気にせず自分勝手な性格だからとも言えるかもしれませんが、少なくとも自分が外国で見たり相手したりした外人(同じアジアの中国人を含む)と比べると、現代の日本人と韓国人は特にこの傾向が強いように思えます。

 もちろんこれには地域によっても差があり、関西と関東ではいろいろと比較すべき点も数多いのですが、この反応と期待というのは両方とも一心同体的な部分があり、卵が先か鶏が先かの議論になってしまいますが、過剰に気を使ってくれるから要求がでかくなったり、相手の要求が過剰なために必要以上に気を使うようになったりと、どっちか片っ方が大きくなるともう片っ方も大きくなる傾向があります。

 ここでまた別の例を出しますが、日本が他国と比べて圧倒的、それこそ比較にならないほど多いものの一つに、駅員などに対する暴力があります。これまた大分昔に書いた「日本人の欠点」の記事にても取り上げていますが、電車が遅延したりした際に日本人は駅員に対して猛然と暴力を振るう傾向が強くあります。実際に阪急でバイトしていた友人らもみんな殴られた経験があると言っていましたし、電車が止まっているからといって駅員に対して怒鳴り続けるおっさんやおばさんを私も何度も見ています。

 何故日本人がここまで駅員に対して暴力的になるのかと言えば、原因は複数あれども大きなものの一つに「電車は時間通りに運行して当たり前」という前提意識が強く働いているからだと思えます。そんな風に考えるものだから一分でも遅れようものなら、「待ち合わせに遅れる!」などと怒鳴りつけるし、またそのように乗客が強い期待をかけるものだから鉄道各社も時間に対して非常に正確に努めるようになり、どんどん正確になるもんだからますます遅れようものなら乗客は怒り出して……。

 このように反応と期待は回を重ねるごとに互いに大きくなる事はあっても、小さくなる事はほとんどありません。なにもこんな大きな例を出さずとも、前のデートでは手をつないでくれたから今度はチューが来るだろうと青春期の男の子なら誰でも考えるでしょうし、冷静に考えるならばごくごく当たり前の話です。
 しかし日本の場合はそれがすでに突き詰める所まですでに来ており、互いの反応と期待があまりにも大きいものだからストレスフルな社会となっているのではないかというのが私の意見です。次回は具体的な事例を出しつつ、どうすればこのストレスのチキンゲームから脱する事ができるのかという私案をご紹介します。

2009年12月11日金曜日

内戦状態の日本 その一、導入

 今日は金曜日ですが、この一週間は移動という面で大変な一週間でありました。というのも月曜から金曜まで冗談抜きで毎日東京近郊の鉄道路線が通勤通学のラッシュ時にどこかしら遅延や運行中止になり、止まった路線に止まらず振り替え輸送などによって周囲の路線でもいつもより混み合うといった現象が続いた一週間でした。水曜日には私の使っている路線が見事に止まってしまい、すぐ復旧するかと思っていたら結局二時間の足止めとなってしまいました。

 そんなわけで鉄道各社、並びにバッティングした人にとってはまさにてんやわんやの一週間でしたが、その遅延や運行中止の原因というのが私が確認した限りすべて人身事故によるものときたものだからまたやりきれません。人身事故と書けばただ単に電車に接触して肩とか腕に怪我をしたというのももちろん含まれますが、基本的には飛び込み自殺が原因と見てほぼ間違いないでしょう。この一週間に限れば遅延の程度もさることながら私が二時間足止めを受けた際にも現場検証が行われているとの放送がありましたし、またこの師走という時期を考えると飛び込み自殺が増えるのも無理がないかと思われます。

 それにしてもこの一週間、下手すりゃ来週以降も飛び込み自殺が続くと言うのであればいくらなんでも異常としか言いようがありません。もちろん去年より続く不況の影響というものが主要因であろうことは予想に難くありませんが、このところ私は不況不況と言われつつも、こうして毎日電車が人身事故で止まるというのはもはや日本人の精神構造や社会価値観に病理というか、大きな欠陥があるためではないかと考えるようになってきました。

 今年はまだ終わっていませんが、ここ十年と同じく今年も自殺者数は三万人を超え、下手すれば過去最悪の数になるかもしれないとの予測が早くに飛び交っております。また自殺というのは案外成功し辛い行為であって自殺成功者の影には約十倍もの未遂者が統計に隠れて存在すると言われており、仮にそうであるとすると日本では毎年三十万人以上も自殺を図っているという計算になります。
 また自殺行為に密接に関わるうつ病についても、政府もあれだけ予算使って対策を取っているにもかかわらず発症者数の伸びに一向に歯止めがかかりません。

 日本の自殺率(十万人辺りで何人自殺するかという割合)は恐らくまだ変わってないでしょうが、ちょっと前の統計では世界で九位でした。日本よりまだ八カ国も自殺率の高い国があるとはいえ同様に自殺率の高い韓国と並んでその国の規模からするとこの数字はやはり異常で、政府としても対策としてかなり前からカウンセラーや精神病院を設置するなど行ってきましたが、そういった対策によって認知件数が増えた結果とも見ることが出来ますが、今のところはずっと減少せずに伸び続けております。

 こうした精神医学面からの対策がどうして効果を出さないのかということについてこの頃よく考えてはいるのですが、あくまで私の見方として、こうした自殺やうつ病と言った問題は一見すると個人が抱える問題と思われがちですが、実際には個人を超えた日本人社会に何かしら問題があるのではないかと見ています。そして仮にそうであれば、いわば日本人は互いに互いを自殺やうつ病に追い込みあっていると言う事になります。

 こういった状況を踏まえて我ながら過激なタイトルをつけてしまいましたが、私は今の日本社会はもはや内戦状態にあるといっても差し支えないのではないかと考えております。現に一年間で見ればイラクでの米兵の死者数を日本の自殺者数は超えており、自殺者を戦死と捉え、自殺未遂者やうつ病など精神疾患を抱えた人を戦傷と捉えるならば、日本は相当規模の戦争を毎年継続して、しかも日本人同士で行っていることとなります。

 では一体何故、このストレスという武器で攻撃しあう内戦が起こるのか、またどうすればこの内戦を終結させる事が出来るのか、そういった点について明日明後日と短期集中で私の意見を紹介使用と思います。今日はあくまで導入で切り上げますが、元々自殺を社会学的なデュルケイムというフランス人が分析したことで社会学が名を挙げたということもあり、個人の視点で分析する心理学もさることながら社会学もこういった分野へどんどんと研究を広げていくべきではないかと考えております。

2009年12月9日水曜日

見上げた後輩の話

 時間がないのでまたどうでもいい私の昔話ですが、私は今でこそ訳のわからないことを毎日ブログに書き綴っているものの、こう見えても中学と高校時代は水泳部に所属していました。水泳というものは基本的に個人競技なので水泳部内は運動部としては拘束も緩く気楽な部活なのですが、夏休み前後ともなるとシーズンという事で部員揃って参加する大会も増えていき、一匹狼の集まりみたいな水泳部でもこの時ばかりは同じ学校の選手が出場するレースにみんなで応援をしたりします。それでもみんなやる気なかったけど。

 この話はそんな水泳大会の一つに私が中学三年生だった頃に参加した時の話ですが、夕方になって大会も無事終わり、私の部活内でも解散となったので家路に着こうと近くの駅に私一人で向かった所、その駅にてなにやら今年水泳部に入った一年生が右往左往しているのが見えました。向こうはまだこっちに気がついておらず、面識もほとんどないんだしそのまま無視して帰っても良かったのですが一応声をかけてみたところ、その一年生は帰り方がわからずに困っていました。

 少し内容を詳しく説明すると、その日大会があった会場は二つの別々の路線に挟まれた場所にあり、その一年生と私は別々の路線の駅からその日会場に来ていました。ところが朝に会場へ来る際にその一年生は友達同士で来ていたようなのですが、帰りはうまいこと友達たちと合流する事が出来ず、一人で目的の駅へ向かおうとしたら見事に逆方向の駅へとたどり着いてしまっていたというわけです。

 もちろんそこから本来帰るべき駅へ戻ればいいだけの話なのですがその一年生は逆方向に来てしまうなどただでさえ周辺の地理に疎く、また着いてしまった駅から電車に乗って無理やり自宅に帰ろうものなら大回りになってしまい、割り増し分の電車賃を払えるだけのお金も持っていませんでした。そんなわけで一人でパニクっていたのですが、さすがにほとんど面識がないからといって見捨てるわけにも行かず、私の所持金から五百円玉を抜き取ってその一年生に渡し、こう言いました。

「いいか、このお金でそこの駅前から出ているバスに乗るんだ。あそこから出ているバスなら反対側の本来君が乗るべき路線の駅に行ってくれるから道に迷う事もない。出来れば一緒についていってやりたいが、さすがにそこまでついていくと今度は俺が帰れなくなる」

 そういって乗るべきバス亭まで連れて行ってバスに乗るところまで付き合ったのですが、次の日の部活にはまた元気に来ていたのでまぁ無事に家に帰れたようです。
 ただ私もあまり面識がない一年生ですし、向こうとしても一個上の二年生ならともかく三年生の私となると接触も少なく、またこっちの名前も知らないのだから渡した五百円玉は返ってこないだろうと私は踏んでいました。元々そのお金は私の親が緊急用に持たせていたお金だったのでわざわざ請求するほどでもないし、無事に帰れたのだからそれで良いだろうと私も気にせずにそのまま過ごしていました。

 それから一年後、付属の高校でも水泳部に入っていた私はその年の夏休み、本音ではあまり参加したくなかったけど夏休みの合宿に参加しました。合宿は自由参加だったのでそれほど参加人数は多くなかったのですがその中に例の元一年生も参加しており、なんとはなしに去年はあんなことあったなと遠目に見ていたら向こうも私に気がつき、就寝前に私に話しかけてきました。

「去年のあの時は本当にありがとうございました。これ、大分遅れてしまいましたが借りていた五百円をお返しします」

 話を聞くと向こうも向こうで気になっていたらしいのですが、私が一切接触しないもんだからなかなか切り出せず、こうして合宿で一緒になってようやく言い出せたそうです。まぁ元はといえば、何も声をかけようとしなかった私が一番問題なのですが。
 ただこの一年生(もうその頃は二年生だけど)もしっかりと一年も昔のことを覚えていて、確かに遅れたものの律儀にお金を返しにきたということに私は素直に感心しました。こっちなんか返せなんて一言も言わなかったし。

 その後この一年生は生徒会にも入って活動するようになったのですが、この一件での彼の律儀さを知っていたので彼ならきっとしっかりと活動してくれるだろうと、陰ながら温かい目で見守っていました。世の中、中々捨てたものじゃないなと私に思わせてくれた後輩でした。すぐに私より背が高くなったのは気に食わなかったけど(゚⊿゚)

2009年12月8日火曜日

鳩山邦夫氏、母親からの資金提供を認める

 テレビニュースなどでも速報が行われていますが、鳩山邦夫氏が現在献金偽装疑惑のある鳩山由紀夫首相と同様に、自身の政治団体にも実母から資金提供があったことを公に認めました。

<鳩山邦夫氏>実母からの資金提供 贈与税納める考え示す(毎日新聞)

 ちょっと前に書いた記事でこの問題について私も全体構図を見立てていましたが、大まかな所ではその見立て通りに事実が動いてきました。もし鳩山首相への偽装献金の原資が母親からならば弟の邦夫氏もきっともらっているはずで、もし邦夫氏がその事実を知っているのなら正直すぎる人だから口に出してしまうので、それがないことは邦夫氏は今まで知らなかった可能性が高いのでは、と書きましたがやっぱりそんな具合だったそうです。

 ただ邦夫氏が疑惑の追及を受けてすぐに事実を認めたのに対し、鳩山由紀夫首相の場合は選挙前に疑惑が発覚してから延々と六ヶ月も粘り続けております。この差は如何ともし難く、恐らく今後、首相への批判はこれまでに増して強まる事は確実でしょう。小泉元首相もちょっと前、献金疑惑で参院選まで鳩山政権は持たないと予言したくらいだし。
 それにしても、鳩山邦夫氏は次々と関わる人間を首相の座から引き摺り下ろすなぁ。

北京留学記~その二四、青島のサラリーマン

 また大分日が経ってしまいましたが、北京留学記の続きです。それにしても、年内には終わるかなこれ。
 前回まで私の留学中のクラスメート、そしてルームメイトなど非常に親しかった人間ばかり紹介しましたが、今回はこれまでと違って旅先で一回だけしか会わなかった、年のころは四十前後の青島のサラリーマンとの話をご紹介します。

 その人と会ったのはこの後にも紹介しますが、学校の冬休み中に私が単独で行った南京、上海旅行からの帰りの列車でした。この旅行自体が結構無茶な日程を組んで行った旅行だったために、上海から北京への帰路に付く頃には腹を下すなど体調的には非常に悪い状態でした。ですので本音ではケチりたかったのですが、恐らくそうそう乗る機会も少ないのだから思い切ってこの時に使った寝台列車の中で一番良い席(軟臥)を予約して列車に乗ったところ、相部屋の相手になったのがこの青島(チンタオ)のサラリーマンでした。

 まず最初に口を開いたのは相手の方からで、列車が出発してしばらくしたころに私の不慣れな発音に興味を持ったのかどこからきたのだと話し掛けてきました。そこで私が北京だと答えた所、外国人だろ、どこの国かと聞いているんだと改めて聞き返されてしまいました。そりゃま、そうだろう。
 それで私が日本人だと答えるや、彼が機嫌が急に良くなりました。というのも彼の奥さんは中国人ではあるものの日本語が出来る方らしく、また彼自身の青島の仕事でも日本人と接する機会が多いために日本に対して親近感を持っていたようです。

 そんなかんだで旅の道連れはなんとやら、途中折々で辞書を引きつつ、メモに言いたい事を漢字を書いてもらいつつこのサラリーマンとあれやこれやと話をしたのですが、この時まず最初に話題になったのは青島の話でした。
 私が青島には日本人は多いのかと聞いた所、彼はすぐに「多い」と答え、海路で見るならば日本に近いという地理的条件から日本向けの製品を作る工場が林立しており、そのため会社から派遣される日本人も数多く済んでいるとの事でした。それら日本人会社員は大体二年から三年間中国に赴任すると日本に帰ることが出来、帰国後には出世するという事も教えてくれました。前々から聞いてはいましたが、やはり数年の海外赴任、とくに中国ではそれ自体が出世の条件となっているのはどこも同じのようです。
 そのあと続いて韓国人も青島に多くいるのかどうかと聞いてみるとやはり多いと返ってきて、韓国でも中国に製品工場持つ会社が多いと話してくれました。

 そんな風に話していたところ、やおらむこうから、お前は大学生なのかと聞いてきました。当時学生だった私はすぐにそうだと答えると大学名も続けて聞かれたので、私立の○○大学答えると、日本で私立大学だとここがすごくいい所なんだろうと、漢字でメモに「早稲田」と書いてきました。なんでも、ここがすごいって知り合いの日本人に聞いたそうですらしい。
 いい機会なのでこの時に他に日本の大学で知っている所はとさらに詳しく聞いてみた所、東大と京大、そして早稲田と慶応と挙げてきました。やはり海外に知名度のある日本の大学と来るとこの四つといったところでしょうか。

 と、ここまで話して、少し思い当たる事が出てきたので、今度は私からこんな事を聞いてみました。
「子供はいるんですか?」
「いるよ。今はまだ中学生だ」
 なんでも家族は青島にいるらしく、今回は北京に出張で来ているらしいのですが、子供の話をしたときに少し顔が曇ったように私は感じました。あくまでこれは私の推量ですが、現在中国で大きな問題の一つとして子供の教育費の問題があります。大学進学までを考えたら相当な額が必要となるため、ちょうど日本の大学の話を下ばかりだったので息子のこれからの教育を考える上での苦労を垣間見せたのかもしれません。

 話は戻って先ほどの出張で北京に行くという話ですが、この時私達が乗っていた列車は上海―北京間を結ぶ夜行列車だったのですが、この列車はなんでもつい最近出来たもので、これが出来て非常に便利になったと語っていました。
 この上海―北京間は日本で言うとそれこそ東海道新幹線の大阪―東京間に相当する区間で、それだけにこの区間の特急列車は需要が高いために年々スピードアップが図られているらしいそうです。

 そんな具合でだんだんと仲良くなっていったので、後半にてちょっと思い切った質問をぶつけてみた。
「最近、日中は仲が悪いけど……」
「気にするな。あれは政府がやっている事だ」
 恐らく私以外にも中国人に直接聞いてみたいと思っている方が多い質問でしょうが、この質問に対して彼はなんでもないというような態度で反日感情は持っていないと答えました。

 少し分析的な見方をすると、彼は青島でサラリーマンをやっている人間であり、職業柄、日本人と付き合う事も多い人間です。日本人でもそうですが実業に近い人間ほど中国に対して親近感を持つ傾向が強く、逆に、学術系、教師や大学教授、もしくは実業とは離れている主婦などは中国を胡散臭く思う傾向があるように感じます。この青島のサラリーマンもこの例に当てはまり、政冷経熱の名の通りに日本に対して反感を持っていなかったのかとも見ることが出来ます。
 
 このように長々話をしていたのですが、最終的には不調だった私の体調がダウンして11時くらいにお互いに布団に入る事にしました。その後列車が北京駅に着いて地下鉄に乗るまでは一緒にに行動しましたが、地下鉄の駅で向かう方向が別れるためにそこで別れました。彼は別れる際に、
「さて、仕事だ」
 と、朝も早くからそういい残し、最後はお互いに握手を交わして別れました。サラリーマンは日中双方で、どこも変わらないと感じた瞬間でした。