2008年10月18日土曜日

大学教育の価値とは、およびその改革法 その一

 昨日友人から面白い提言があったので、今日はその点についてあれこれ煮詰めてみようと思います。久々に力のいる記事になりそうです。

 まずその友人の主張している内容を大まかに言うと、日本の大学教育はほとんど「訓練」という効果を果たしておらず、実態的にも経済的にも無駄な損失となっており、それならば就職枠に「高卒採用」に限定する枠を設けてどんどん社会現場で実質的な教育と労働を行う方が社会全体に良いという意見です。

 まず大学教育が効果を果たしていない点についてその友人は、教育の真の目的とは大別すると、学問に通ずるものと一般理論的な道徳の二つの知識を身につけることですが、大学全入時代と言われる日本ではほとんどの大学生は勉強を行っていないのが実体で、大学内でこういった知識は全く習得されずにいると指摘しています。
 ところがこんな勉強しない大学生に対して、日本社会とその両親は受験のための予備校費用から入学後の高い学費に至るまで何百万、人によっては一千万円を越えるお金をかけて大学へ通わせます。ですがそうして大きな金額をかけたにもかかわらず、日本の大学生はそれだけの投資に見合う働きを社会人となった後にその働きで発揮しているかと言えば非常に疑問です。

 たとえば今では非常に高卒の採用枠が減らされて、スーパーの店員などに代表される一般職も一応大卒でなければなかなか得辛くなっていますが、そういった一般職はわざわざ大卒者でなければ出来ない仕事ではありません。これがもし高卒の段階で採用されるというのならば、その人間が大学でかかる費用は丸々浮いてその分を別のものへの消費へと回すことが出来、また労働力と言う面でも大卒時採用の場合と比べて四年も多く働くことが出来、同様に職業訓練も四年も早まるということになります。
 このように本来社会全体の価値を高めるはずの大学教育が、逆に社会全体に対して無駄遣いを行わせていると友人は主張しています。

 こうした友人の意見に対して私はと言うと、実は同じような考えを以前からずっと持っていました。
 私自身周りにあまりにも勉強しない学生が多くいるということに以前よりずっと腹立たしく思ってましたし、よく産官連携教育とは言いますが、実質的に大学の教育は企業現場では全く役に立たない知識が多いのは昔からです。またそうして教育を受けて得た知識に適合する職種に必ずつけるかと言ったら、今の世の中ではまず持って簡単には行かないでしょう。

 もちろん大学はそのような即戦力的な知識だけを教える場ではなく、思想を広げ思考力をつけるような、友人の言を借りるなら「一般理論的な道徳」を身につける場所でもあってそういった教育を疎かにするべきではないのは当然ですが、それにしても今の大学の状況ではこういった教育すらもほとんど行われておらず、また学生の側も率先してこういった勉強を行っているとは言えないと、これについては私から断言しておきます。

 こうした状況だと、友人は社会に大きな弊害があると指摘しています。その弊害というのも、企業が社員の採用において実際にどんな知識を持っているかや思考力をどれだけ持っているかを問わない上に、大卒の肩書きがなければほとんど採用を行わないために日本人は大学に行かなければならず、子供を持つ両親としても家計を圧迫するような多大な学費を払わねばならなくなります。しかしそれで大学にいく子供はというと大学ではほとんど勉強しないため、実質その学費は無駄に消えていくことになる、というような弊害です。

 こういった弊害を減らすために、友人は以下の五段階の提案策も用意してくれました。

①職種の分別化
 これはイギリスの制度を参考にしているらしく、職業を大まかに職種別に分別する方法です。
 たとえば「管理職」、「自営業社長」、「ホワイトカラー技術系」、「ホワイトカラー事務系」、「ブルーカラー技術系」、「販売員」「掃除のおっさん」などというように職種別に分類します。なんでも、実際にイギリスは国が職業にランクをつけているそうです。

②職種別採用の実施
 ①で分けた職種ごとに、企業は独立した採用を行います。
 例えば大企業製造業であれば、理系研究職と開発職に当たる上記の「ホワイトカラー技術系」には専門的な大学教育を受けてきた者だけを採用し、その他の設計や設置といった作業を行う「ブルーカラー技術系」には高専などの出身者に採用を限定します。また現在の日本の「文系総合職」、上記の「ホワイトカラー事務系」と「販売員」に当たるくくりの採用には採用者の半分を高卒採用に限定し、さらに一般職に至ってはすべて高卒採用に限定するようにします。

 こうすることによって大半の職種の就職において大卒の肩書きが必要なくなるので、特に勉強したいからというわけではなく将来の就職のためにしょうがないから大学に行くというような無駄な教育を受ける者が減り、敢えてここで名づけるなら「無駄な教育コスト」を社会全体で大幅に削減できることになります。友人に言わせるなら、「販売員とかそういうランクの低い職に大卒を求めてはいけない」ということで、まぁいいたこともやりたいことも大体理解できる話です。

③大学の統廃合の実施
 大学生自体を減らさなくてはならないので、高い教育効果の望めない大学を数的には今の半分ほどになるまで片っ端から潰していき、その大学に与えられていた国からの助成金を残った大学へと分配します。

④初等教育の充実化
 予備校などの費用が大きくかかるようになった現状を踏まえ、教育業界に頼らなくても自ら勉学に励む意志があれば勉強できる環境を整え、真に勉学の志の高い人間が大学にこれるように促します。

⑤学問を学べる場所として、非選抜制の大学の設置
 やる気と志がある人間に対してその意思に答える形で教育を行えるよう、恐らく欧米の社会人大学のような場所を意識しているのだと思います。こうした場所には、まずそこでの教育が社会的にも認められるもので、また個人の学問的追及の場としての機能が優先される場所であることが条件です。

 と、いうのが友人の大体の考えです。それにしても、他人の考えを文章にまとめなおすのって結構手間がかかるなぁ。

 最後に友人は、「学歴社会の観点から、貧乏でも学校行けるようにする」と述べており、そうした観点から今回の話を考えたのだと思います。私としてもやる気のない人間が大学に来ているというのは見ているだけでも腹立たしかったですし、病気や学費の面でなかなか大学に行きたくとも通えない人間を何人か見ているので、こうした改革をそのままやらないとしても、何かしら行わねばならないと思います。
 細かい解説については予想以上にこの記事が長くなっているので、次回にまた行います。

3 件のコメント:

  1. 花園さんが僕が半分酒に酔った駄文をここまでまとめてもらえたことに驚嘆とともに感謝しております。この考えは一切企業側の意見を考慮していないもので、本当に主観だけで成り立っているものです。

    まぁしかし、本質的に意味の無い教育費を浮かして、車の一台を買ったほうがいいと思うのですよ。

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  2.  なるほど、いい意見ですね。僕も、他人事ではないので勉強やらなくてはと思いました。

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  3.  この記事の文章は我ながらいい具合にロックマンさんの意見をまとめられたと、自分でも自負できます。その分、続きがあれほどよくわからない記事なったのが非常に悔やまれます。

     サカタさんに強く今言っておきたいのですが、私は常々、大学生はもっとしっかり勉強しろとこのブログで何度も言っております。私自身は大学で人並み以上に勉強はしてきた自負もあれば、多少驕りもありますが、そこそこ誇れる程度の知識と思考力を身につけたと思っています。ですがそれでも自分以上にずっとずっと勉強していた人もたくさんいるとも思います。

     最低限の勉強量は元よりですが、それよりもずっと重要なのは、きちんと勉強しようという意思だと思います。学校に強制されて増やした勉強量よりも、きちんと大学で勉強するのだという意思さえ持っていれば、勉強量とその質は自ずとついてくるので、無理に勉強時間を増やすよりもこういった意思だけは持ち続けてください。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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