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2020年11月23日月曜日

シーラカンス記事の裏側

中国人から見ると日本は時間が止まっているらしい(JBpress)

 隔週月曜のヤンマガ的な自分の記事の紹介ですが、今回は意外この上ありませんでした。そんなに取材したわけでもなく、思い入れもない記事だったのですが、現在JBpressのランキングでは暫定1位、あとヤフコメも割とたくさんコメントが集まり、傍目にもたくさんの方に読まれたようです。
 個人的には一番ビビったのは、同じJBpressで記事を書かれている中島恵氏がオーサーコメントを残してくれていることです。オーサーコメント自体つくのは初めてですし、中国の視点からしか語らない自分と違い、アジア全体を見ながらよく記事書いている中島氏はかねてから一目置いていただけに光栄ではあるものの、いきなりの登場にはマジビビります(;´・ω・)

 さてこの記事、先にも書いているようにそんな力入れて書いた記事じゃないです。そもそも書くきっかけになった経緯からしてかなり不純で、「最近忙しいし(主にゲームで)、T-34の組立も控えているからすぐかけるネタで記事書きたいな(´・ω・)」などと考えていたところ、イタリアの火山灰に埋もれた都市のポンペイに関する最新研究記事を見掛け、

「そうだ、日本人はやたら『ガラパゴス化』って言葉が好きだけど、日本の停滞と絡めて『ポンペイ化』って言葉作ったら流行るかも(・∀・)イイジャン」

 と、思ったのがすべてのきっかけでした。全ては「ポンペイ化」って言葉を流行らせたい文芸者としての欲から始まった記事です。
 そういうわけで書き始めたのですが、当初はともかく日本が何も変化がない、停滞していると感じる内容を羅列していって、ベンチャー企業の不足も書いていたけどそんな大きく取り扱っていませんでした。しかし第一稿を見てみると、あまりにもまとまりのない内容だし、そもそも友人に企画構想を話したら「ポンペイって何(。´・ω・)?」と、そもそもポンペイが何なのか知らない人が意外に多く、このままじゃやべぇと思って一回全部書き直しています。

 第二稿では配信記事のように、「日本は何十年も変化がない→停滞している→それはベンチャー企業が少ないからだよ(・∀・)」という流れにして、あと「ポンペイ化」の代わりにもっとわかりやすい「シーラカンス化」という言葉に差し替えました。
 真面目な話、「ガラパゴス化」という言葉はなんかここ数年ほとんど聞かなくなった気がするし、また「ガラパゴス」時代は独自規格とはいえイノベーションが見られました。ここ数年は全くそういう独自規格の発達すらなくなり、そういう意味で過去と区別する上では今回私が作った「シーラカンス化」などのような言葉が今後必要になると思います。

 話を戻すと、そんな具合でとりあえず記事にまとめたけどどうせ受けないだろうなと思いつつ、読者からどんな反応が来るかは楽しみでした。というのも私がJBpressで書く記事は基本、中国現地レポート的なミクロな内容の記事が多いのに対し、今回は割と幅広いマクロな内容で、尚且つデータ的な裏付けも少ない薄い内容になっています。
 というのも最近、コロナのせいで日系企業が絡む中国ビジネスの話が少なくなっており、ミクロなネタが書きづらくなっています。このままいくとネタ的にジリ貧(ジリープアー)なので、マクロな内容を見せたらどんな反応が返ってくるか、その反応を見て今後の記事ネタの範囲とか対象を決めようと試す意味合いがありました。とはいえ書き上げた際は裏付けデータのあまりのなさに自分でも結構怖く、果たしてこんな記事でいいのかなという不安の方が大きかったです。

 結果的には、やはりというかこういう薄くさらっと読めるような内容の方が単純にアクセス稼ぐだけではよかったのかもしれません。とはいえ書いててやりがいあるのはやはり裏付けのある記事なので、ミクロな記事も今後書いていくつもりですが。

 同じく読者の反応ことヤフコメを見ると、私に対し批判する人もいるものの、全体としては肯定的なコメントが多く、なんか昔と反応違うなとか思えてきます。批判する人に関しては、なんかやたらとQRコード決済ばかりを取り上げて批判する人が多く、でもってその論点も結構ずれているのが個人的に不思議でした。
 一方、私が流行らせたかった「シーラカンス化」に言及している人は二人くらいしかおらず、私の中ではこの二人の存在がMVPです(´;ω;`)ウッ…

 逆にコメントを見てなるほどと感じたのは、「ゾンビ企業の淘汰というが、その対象は中小企業なのか?」という疑問符を付ける内容のコメントでした。その後で具体的な企業名とともに大企業なゾンビ企業こそが問題と書いてありましたがその通りと言わざるを得ず、中小ゾンビ企業以上に日本の場合は超大型ゾンビ企業の禍根の方が大きいと私も考えなおしました。

 解説する内容としてはざっとこんなもんでしょうが、敢えてもう一点付け加えるとしたらコメントを読んでて、「日本の変化のなさに対する驚き」について、やはり相当ギャップがあると感じました。はっきり言うと私が感じている驚きの程度は恐らく、私のように日常的に日本と海外を往復している人じゃないと理解できないでしょう。
 具体的に言うと、恐らく大半の日本在住者は芸能人が突然結婚、離婚、自殺したというニュースを見た時の驚きくらいのレベルと考えているように見えます。一方、私個人の感覚で述べると、10年前に会ったある子供が10年後も全く同じ姿形のままであるのを見たような驚きを、日本に帰るたびに感じています。

 こうした変化のなさをはっきり認識したのは2013年のことでしたが、それから7年経っても全く変化がなく、先ほどの子供の例えじゃないですが変化して当然なものが変化しない不気味さをよく感じており、今回の記事の反応を見るにつけ、程度の差こそあれ日本在住者もうすうす認識しているのだなという印象を覚えました。

2 件のコメント:

ルロイ さんのコメント...

たまたま公立の学校教師の人と話をしたときに、「自分が小さい頃と今の景色が変わってないということに危機感を感じた」と言っていて、確かに学校は何も風景が変わってないなと思っていました。
停滞している業界は、どうも変化を拒み、ずっと今のサイクルが続くと信じ切っている傾向があり、その結果が建物にも表れるのかなぁと思います。
大企業もそうなんですけど、一生安泰でいたい、という価値観が団塊前後を中心に強すぎると感じることがあります。
それも、戦後の貧しい時代に親だった人に育てられた結果だと考えると、因果を感じてしまいますが。

花園祐 さんのコメント...

 はっきり記事中には書きませんでしたが、思想的にかなり儒教っぽくなってきていると実は感じています。具体的には、「昔はよかった」、「昔が現世のピーク」、「如何にして昔に戻るか、近づけるか」という価値観で、未来を見ていない日本人が本気で多いと考えています。一部でも言われていますが、一回どん底に落ちないとこの辺の感覚は案外変わらないかもしれません。