確か「2050年のメディア」に書かれていたと思いますが、毎年年始のあいさつでナベツネは「これらからも新聞社は不滅だ」的な言葉を毎年述べていたそうなのですが、数年前より「もうだめかもしれない……」みたいな弱気な発言を、急にするようになったそうです。これには読売新聞の社員らも結構動揺し、「あのナベツネが?」というくらいの衝撃で、ぼんやりとした不安が危機感へと変わっていった話が載せられていました。
ある意味、ナベツネが活躍したころは日本の新聞社が最も元気な頃と言っても遜色なく、そのシンボリックな存在、少なくとも新聞社関係者としては最も日本で知られた人物であったナベツネの今回の逝去は、日本の新聞社にとっても結構大きなターニングポイントになるように思えます。それだけにこれから新聞社はどうなっていくのだろうかという話を、今回の逝去報道ともに誰かしてくれないかなと期待していましたが誰もしませんでした。
折しも例の兵庫県知事選挙にてSNSを中心としたニューメディア、新聞やテレビを中心としたオールドメディアの比較が激しく行われています。私自身としては「オールドメディアはもう古くて駄目だ」と二項対立的に批判する人間はその時点で問題だと思うか相手にしませんが、オールドメディアも記者クラブ制度をはじめ問題が多いということは否定しません。逆にニューメディアは権威がなく、彼ら自身が誤報を流したしても誰も責任を取ろうとしない体制から、オールドメディア完全上位互換にはならないと考えています。
これ以上長く書くと収拾つかなくなるので止めますが、一言で言えばニューメディアとオールドメディアの長所短所を踏まえて、両社の報道を取捨選択できないのであれば報道がどうこうと議論する以前の話でしょう。
話を戻すと新聞社に関しては、ビジネス的にはもう完全に破綻した商売です。日経新聞なんかは別ですが、購読料や広告料ではもはや自立した経営は成り立たず、旧メディアの多くは不動産収入で報道事業を支えているようなもので、いうなれば「不動産会社が報道事業もやってる」状態です。
これは逆を言えば、従来の新聞社以外もしっかりとした報道体制を揃えれば同じようなメディアを持てるともいえることで、実際に自社PRを目的としたオウンドメディアを持つ企業が増えており、これらオウンドメディアの中から本格的な報道を行えるくらいに発展してくるメディアも出てくるかもしれません。弁護士事務所なんかは、いい編集要員揃えたら一気に行ける気がするし。
またまた逆を言えば、もはや従来の新聞社がメディアとして残り続けるいわれはないようなものです。ただ新聞社にも役割は残ってるというか、記者人材の育成機能は彼らが大きくになっており、基本的に日本の報道関係者は新聞社またはその関連人材が育成しており、こうした人材育成の場としての役割はまだ強いです。
それだけに新聞社が今後ますます弱くなっていった場合、日本の報道人材はどうやって育てるのか、下手すりゃ自分を記者と自認する半端者が中途半端でおかしな報道をやるようになるのではないかというのが私の懸念です。この懸念を晴らすためにも、欧米みたく日本も大学などに最もメディアコースを用意して、在学中から学生新聞やウェブサイトを発行させて報道人材の育成を図るべきでしょう。つっても今の日本のメディア学部とか見ていても私の目からすればどれもパッとしないんですがね。
そういうわけでナベツネはまだ、新聞のある時代に死ねて彼としてもよかったのではという気がします。しかしこれからは新聞はともかくとして新聞社はどうなるのかというのが本当に大きな問題になり、上記の報道人材の育成、半端なメディアの淘汰などを含めもっと日本社会で考えていくべきでしょう。
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