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2022年12月31日土曜日

ぼっちざろっく面白い(´・ω・`)

 アニメのスパイファミリーが見たかったため、数年前に契約切れてから更新してなかったビリビリ動画の年間契約、通称ビリホーダイ(ビリホ)を契約しなおしてスパイファミリー見てましたが、なんか今期のアニメはスパイファミリー以上にぼっちざろっくの好評価が相次いでいたので、興味があって無料公開されていた漫画版の1話を読んでみました。
 読んだ感想としては、けいおんフォロワー的な女子高生のバンド漫画かな、この先は分からないけど1話はを見た感じは無難、っていうか無難すぎるという感じでした。それがどうしてこれほどまでのアニメの好評価につながっているんだろうと思い、せっかくビリビリでも見られるんだからとアニメも見てみました。

 結果から言うと、今すごい勢いで話数消化しています。

 単純に面白いというか、バイトに行きたくなくて風邪ひくために氷風呂に入るなど、陰キャの行動特徴をよくとらえているなと感じました。また声優も主役の子を筆頭に非常によくあった人を選んでいて、主役の引き笑いとか妙にリアル感を感じます。もっとも今見ている段階だと、女子高生のバンド活動というより、陰キャの奇行を眺めるアニメ作品ですが。

 原作もよくできている以上に、単純にアニメ版はスタッフがこの作品の特性をよく理解して、うまいこと動画に落とし込んでいるがゆえに成功しているのではと密かに思います。先ほどの声優のキャスティングに限らず、主人公の顔面崩壊などをうまく映像化しており、原作漫画付きならアニメは見ずに原作を消化しようとする私ですらアニメ版で話を追いたいと感じるくらい見ていてよくできています。

 その逆というか、絶対ヒット間違いなしと言われた原作であったチェンソーマンのアニメは、なんか見ているとあまり評判よくないです。アニメの方はあんま見ておらず話題となったシーンとかアニメ画像を眺める程度ですが、単純にそれだけでも原作を見ている立場からするとアニメ版にはすごい違和感を感じます。
 具体的には色彩が明らかにあっていないと感じます。

 以前も、絶対ヒット間違いなしと言われた中間管理職トネガワもアニメ版は「違う、そうじゃない」的に酷評を受けまくって案の定評判よくなかったですが、なんかチェンソーマンの外部評価を見ていると、同じような空気を感じます。そういう意味では最初に挙げたスパイファミリー、ぼっちざろっくと比較すると、どれだけいい原作であってもアニメに落とし込むスタッフによっては、売れるものも売れなくなるのだなと改めて感じます。


2022年12月8日木曜日

ゲームレビュー:ガレリアの地下迷宮と魔女の旅団

 ネットで誰かがスパイファミリーをヒナまつりに例えていたのを見て以降、ロイドのことを平成の怪物こと新田にしか見えなくなりました。お互い超能力使える娘抱えてるし、金髪だし。

 話は本題でまたゲームの話題で申し訳ないですが、つい先日に日本一ソフトウェアの「ガレリアの地下迷宮と魔女の旅団」を裏ボス討伐も含めて完全クリアしました。そのうえでこのゲームがオススメかどうかという点について結論から述べると、「無理してやらなくてもいい」というか、あまりお勧めできないという印象を覚えています。

 この作品は数年前に発売された「ルフランの地下迷宮と魔女の旅団」の正当続編作品です。ルフランに関しては私もPSVitaで遊んでいるのですが、現時点においてもダンジョンRPG作品としては史上最高傑作といいほどの出来で、同時期に発売された同じダンジョンRPGの「メアリスケルター」と比べると雲泥の差というか、どうあがいても埋めきれない差を見せつけるほどの珠玉の傑作でした。
 マジな話、ルフランを遊び始めてからクリアするまでの毎日はマジで幸せだと感じていたほどで、戦闘、探索、難易度、ストーリー、演出、声優の演技のどの方面でも文句のつけようがないほどの素晴らしい作品でした。恐らく今後これ以上のダンジョンRPG作品に巡り合うことはないと思います。

 それだけに続編にあたるガレリアについても発売前から非常に期待感があったものの、発売時点ですでにPSVitaは産廃化しており、またPS4も持っていなかったので遊べず、もやもやした気持ちを抱えていたらSwitch版が出たのですが、PS4版の発売から日が経っていたのですぐ買う気にはなんかなれず、Switch版発売から1年に当たる2ヶ月前に割引セールされているのを見て、ようやく購入するに至りました。

 あのルフランの続編だからとかなりワクワクしながらプレイを開始したのですが、前述のとおり期待を満たすほどではなく分類的にはガッカリ作品でした。この作品の何が良くなかったのかというと、単純に遊んでて面白くなく、ゲーム性が著しく低かったという点につきます。

 ゲームとしては前作同様にダンジョンRPGで、3Dダンジョンの中を罠をかいくぐったり、敵を倒したりして探索しつつ、キャラクターを育ててボスとかを倒す感じなのですが、序盤こそ前作同様に仕掛けの多いダンジョンを回るものの、中盤以降は「不思議のダンジョン」シリーズのように、ランダム生成されたダンジョンをひたすら上っていくだけになっています。ランダム生成ダンジョンのためマップを埋める行為は意味がなく、ただひたすらに階段を見つけては登っていくだけの作業めいたプレイを強要され、なんとなく遊ばされているという感が強かったです。

 またこの作品、RPGと謳っておきながら極端にボスキャラに当たる敵が存在しません。最初の名前付きのボスキャラに遭遇するまでガチで10時間以上プレイせざるを得ず、その間白熱する戦闘は一切なく、つまらなくはないけどただダンジョンを探索するだけで、この点はかなり強い違和感を覚えました。
 でもってようやく出会えたボスキャラはどれも弱く、後半に至るまでボス戦で苦戦したことは一切なく、基本遭遇するや1回目で簡単に攻略できる有様でした。ただそれは中盤まで、後半に入ると今度は極端に強いボスキャラがやたら出てきて、マジで何もする間もなく一瞬で全滅させられ続けました。表ラスボスなんかもやたら強く、中盤までとは異常なほどギャップがあり、難易度曲線が酷く歪であると感じたくらいでした。

 このほか戦闘に関しても、ミラマキーナなどほかのゲームでいう召喚獣みたいなものが新しく導入されましたが、これが全く使えないというか、途中からは完全に無用の長物と化していました。そのほか先頭に使うキャラも、このゲームはドラクエみたく転職が可能で、転職前に覚えたスキルを転職後も使えるのですが、転職できる職業が異常に多く、後半に入ると膨大なスキルの中から適切なものをいちいち取捨選択しなくてはならなくなります。
 それでいて、戦闘に出せるキャラクターは20キャラ以上おり、このスキル管理や転職の管理に膨大な時間がとられました。この辺、ガチで自動選択がほしいと思ったほどです。それでいて、後半に行けば行くほど魔法(ドナム)が役に立たなくなり、よくいう「レベルを上げて物理で殴ればいい」的な戦略性のない戦闘になっていってしまいます。

 こんな感じでRPGゲームとしてのゲーム部分は正直あまり評価できないというかむしろひどい部類なのですが、ストーリーに関しては前作同様に非常に見るものを魅了するほど素晴らしいものがあります。ただそのストーリーも、前作のルフランと比べると明らかにレベルが落ちており、また裏設定が異常なほど多く、一見してストーリーの全容を把握できるものではないです。
 また中盤に入ってからは大きく話が切り替わり、先の気になるストーリーが展開されてやばいくらいのめりこみましたが、後半に入ったら途端に失速して、クリア直前なんか「どうしてこんなことに……」というような感じで惰性でプレイしてました。多少ネタバレになるけど黒幕が世界を滅ぼそうとする理由というのも、

「今までの辛い記憶、もう忘れてしまおう」
↓↓↓
「よくわかんないけどもうこんな世界滅ぼしちゃえ」
↓↓↓記憶戻った後
「なんで世界滅ぼそうとしちゃったんだろ?」←ガチでこんなこと言う

 こんな具合で、かなりトンデモな動機で面倒ごと起こしていたことがわかります。マジこんな展開見させられたときはこっちの心のほうが折れそうでした。中盤のストーリーはすごい良かったのに。

 以上のように最後の方こそちょっとトンデモな展開になりますが、中盤までのストーリーは依然素晴らしく、全体としてもやはり美しいストーリーだとは評価できます。ただそれだけに、ゲーム部分があまりよくないこともあって一部の人は「Youtubeでプレイ動画だけ見れば用足りる」と言っており、私自身も実際この意見に激しく同感です。

 前作同様、キャラクターは非常に立っておりストーリーは本当にいいのですが、肝心のゲーム部分が大きく足を引っ張ったという印象です。まぁストーリー面も前作が偉大過ぎたともいえるのですが、キャラクターはビジュアルも含めよくできているだけに、非常に惜しいという気持ちがしてなりません。

 なおそのキャラクターの声を演じる声優陣は今作も非常にうまく演じており、ナチルの声の人なんか今まで知らなかったけど演技うまいなぁとはっきり覚えました。ただこの点も、前作で主役二人を演じた仙台エリ氏と種﨑敦美氏のタッグがやばすぎたというか、プロレスでいうと猪木&馬場のタッグ並みに演技力が桁違いすぎる超実力者二人が揃って出演していたため、前作と比べるとガレリアは声優面でも見劣りしてしまいます。

 何気に種﨑氏の声聞いたのはルフランが初めてだったのですが、終盤のあるシーンの演技を聞いて、「マジやばいこの人(゚Д゚;)」と凄まじい戦慄を感じたのを今でもはっきり覚えています。あの当時から現在に至るまで種﨑氏はスター街道をひた走るようになり、冒頭のスパイファミリーのアーニャ役をはじめ、超売れっ子となったことに強い安堵感を覚えます。

 こんな感じであんまいい印象のないガレリアですが、BGMに関しては前作同様にどれも非常に優れた出来だったと、この点に関しては手放しで誉められます。特にこの下の、ゲーム中ではアパルトマンなどで流れるこのBGMは非常に幻想的なイメージが盛り込まれており、何度聞いても飽きないです。


2022年10月13日木曜日

未だ語られる伝説の百合アニメ

 自分はまだ視聴していませんが新しいガンダムの「水星の魔女」はネットで評判見る限り、なかなか好評な感じがします。感想を見るといい意味で展開に裏切られたとか、割とガンダムでは邪道とされていた学園物をうまく話しに落とし込んでいるなどという意見が見られ、Bilibiliとかで見れないかなと少し考え始めています。
 そんなこの作品に関するコメントの中に、「ウテナじゃんこれ」というコメントがあり、なんかいろいろびっくりしました。

少女革命ウテナ(Wikipedia)

 このウテナというのはかれこれ20年以上前に放送された上記のアニメ作品のことです。このアニメが何なのかというといわゆる百合アニメで、女性同士の恋愛をメインテーマにした作品でした。
 件のコメントについては、婚約者を決闘で奪い合う、それも主人公が女なのに女性を奪い合うという展開がまさに両作品で一致している点で、それもあってか「百合ガンダム」などという声もあります。ただこれはそれもそのはずというか、今のガンダムの脚本家はかつて、ウテナの小説版とゲームのシナリオに関わっていたそうです。

 以上のような経緯についてやたら頼りになる広州に住む中国人の友人に話したところ、「ウテナの主題歌にガンダムのOP映像合わせた動画あるぞ(;゚∀゚)=3ハァハァ」とすぐ送ってきました。ぶっちゃけ歌詞と映像がかなりマッチしている、っていうか確信犯でやってないかと疑うくらいのマッチ度でした。
 またアニメ好きの女性の同僚にこの話振ったらやっぱりウテナ見てて、「子供の頃は見てて意味が分からなかった、でも好き(´・ω・`)」と話してました。

 この同僚の様に、ウテナについてはエヴァブームの名残というかかなりシナリオが難解で、一回見ただけではさっぱりわからない仕様になっています。それだけにファンになる人はめちゃ深くはまったというか、放映以降も度々話題に挙げられる作品で、さすがに時間がある程度過ぎたらあんま表に出てこなくなったけど、こうして今回のガンダムで20年振りにウテナという単語が出てくる辺り、当時相当なインパクトを残した作品だったのだと改めて思い知らされました。

 改めて考えてみると、現代において百合作品は決して珍しいものではなく、アニメの中でも割と人気というか女性ファンを中心にかなり根強いファン層を形成しやすい作品ジャンルとなっています。しかし1997年のウテナ放映当時、まだこうした百合をメインテーマにした作品はあまりない、っていうか恐らく初めてだった気すらします。男装の麗人はベルばらのオスカルがやってましたけど、オスカルの性癖はまだノーマルで、女性同士のカップリングにまで持って行ったのはやっぱりウテナが最初な気がします。

 そのように考えると、百合物というジャンルを切り開いたかなり偉大な作品であるように思え、20年超の時を経て当時のスタッフによってガンダムにまで結実するというのもまた壮大な話である気がします。なお自分はこの作品を見ていないのですが、上記の広州の友人や同僚といい、なんで中国人はみんなしてこの作品見てるんだろうとか内心思います。まぁ感想は決まって「訳が分からなかった(´・ω・`)」で一致するのですが。

 あと今回のガンダムでは百合展開となっていますが、前にも少し書いたけど薔薇展開はないのかなとか、妙な期待が持ち上げてきます。もしやるんだったらタイトルは「超機動戦士ガンダムHG」で、主人公の機体はHG(ハイ・グレード)ガンダムだろうななどとまた妙な妄想を広げています。

2022年9月12日月曜日

戦場の記憶と記録 後編

 前回記事では漫画「機動戦士ガンダム デイアフタートゥモロー —カイ・シデンのレポートより—」で言及されている、「記憶と記録」の相互比較の重要性について少し触れました。この点についてもう少し触ると、例え本人に関する記憶であっても、時間とともに変化することはままあります。具体的には、十年前にある事実について語った内容が、十年後にはかなり異なる内容になるとかです。
 この点は半藤一利が戦後の旧軍人らへのインタビューで非常に多かったと話しており、大抵は自己弁護のため責任箇所をぼやかしたり、美化したりするような形で変容します。それに対し半藤一利は徹底的に記録を漁り、「当時の任地はここで、あんたはその場にいなかったはずだ」などと事実面から追及してたりしたそうです。
 
 一方、記録についても同じ事実内容が永遠にそのままというわけでもありません。時々の情勢や政治などによって記録が改竄される、都合のいい内容に置き換えられるということは古今数多く、中にはそれほど特段の事情がなくても、枝葉を切り落とすような感じで整理される過程で、なかったことにされる歴史も少なくありません。

 映画「父親たちの星条旗」で語られている内容なぞ、まさにその典型と言えます。現在、米国海兵隊のシンボルともなっている「硫黄島の星条旗」の写真ですが、現代においては当時の細かい事実背景なども詳細に記録されていますが、発表当時はいろいろと現場の事実とは異なる点が多かったそうです。
 具体的には、この写真は硫黄島で2度目に掲げられた旗でした。1度目に掲げた際に旗が小さく見栄えが悪いとのことで、改めて大きな旗を用意して撮影しなおしたものですが、発表当時はこの辺の事実はあまり語られなかったそうです。

 また1度目と2度目で旗を掲げたメンバーも異なっていたほか、2度目に掲げたメンバーも一1人が別人(1度目のメンバーだった)であったりしました。旗を掲げたメンバーらはその後国債募集のヒーローとして全米各地を回らせられるのですが、若干PTSDも入っていたメンバーもおり、その後精神病となった人もいました。
 そもそも、この旗が掲げられた当時はまだ硫黄島の戦闘は終わっておらず、1度目に掲げたメンバーも複数人が戦闘中に亡くなっています。こうした事実は後年になって当事者以外にも明らかになっていきましたが、当事者付近、具体的には遺族らはこうした自らが聞き及んだ事実との相違に苦しんだと言われます。

 こうした現場の事実と報道されている事実の相違を「父親たちの星条旗」は細かく取り上げており、私は見た当初は「そこまで気にするような内容なのかな」と正直思いました。しかし冒頭に挙げた「カイ・レポ」を読んで、実際に戦場を共にしたメンバーやその遺族らからすると、ほんの小さな事実の相違とはいえ、現場の記憶と報道内容との差はいかんともしがたいストレスを感じるものになりうるもので、それほどまでに戦場の記憶というのは深いものがあるのだという風に思えるようになりました。

 この点は今のウクライナ戦争においても言えるかもしれません。ロシア軍の軍人はロシア国内では正義のための戦争に出征していることになっていますが、実際は何の大義もなく、また多くの民間人が被害に遭い、ロシアを疎む現実から脱走兵も多いと言われ、実際に亡命した兵士らもロシア国内とウクライナの現場とのギャップに我慢できなかったとも語っています。
 戦場というのはやや特殊な環境であり、その刻まれる記憶も日常のものとは一線を画すとされ特に戦友との記憶は深いものといわれます。そうした戦争体験の記憶が報道、公式記録とギャップがあれば、他の一般人からしたらそうではないものの、当人らにとっては耐え難いものにもなりうる気がします。

 一方で冒頭でも語ったように、記憶は時とともに変容しやすいです。そうした意味でも、記憶と記録をともに絶対視せず、時折比較するということは非常に重要なプロセスとなりうると思います。そうした価値観を身に着けるに当たり、この漫画はマジおすすめです。



  

2022年9月11日日曜日

戦場の記憶と記録 前編

 中国は明日が中秋節でお休みなため三連休の真っただ中にあります。ちょうど自分の毎年における繁忙期が先週に完全に終わりをつげ、またJBpress記事も先週に出して(明日配信)今週は書く必要がないため、かなりリラックスした気持ちになれているのですが、緊張感がなくなって疲れが出たのか今日は割と重めの頭痛をして頭痛薬を先ほど飲んでテンション上げています。

 先月の段階ではそれこそ土日返上でずっと働いててキーボードの叩き過ぎで常に手が痛む状な状況だったのですが、DMMの電子書籍が半額セールしていて、ストレスが溜まってたこともあってか割と目につく漫画を片っ端からやけ買いしてました。そうして買っていた漫画の中に、ことぶきつかさ氏の「機動戦士ガンダム デイアフタートゥモロー ―カイ・シデンのメモリーより―」が含まれていました。


 この漫画はアニメのガンダムに登場するカイ・シデンというキャラクターを主人公に置き、彼の目から見たガンダム本編の裏側を見る、言い方を変えると作品設定の行間というか隙間を埋めるような作品となっています。最初に発表されたのはZガンダムを舞台にした「カイ・シデンのレポート」、通称「カイ・レポ」でしたが、非常に評価が高かったこともあり続編が期待されていました。
 その後、数年のインターバルを挟んで、「逆襲のシャア」の後の時代にいるカイが、初代ガンダムの1年戦争を振り返るという切り口で描かれたのが「カイ・シデンのメモリー」こと「カイ・メモ」でした。

 結論から言うと非常によく面白く、その作品構成上からセリフが異常に多い漫画なのですが、漫画の描き方が非常に巧みなこともあって読んでて文字の多さが気にならないほど滑らかに進行されています。またガンダムのキャラデザを元祖である安彦良和氏が推薦したというだけあって、ことぶき氏の描くガンダムキャラクターはどれも非常に原作に近く、雰囲気からして他の作家と一線を画すなど、再現性の高い作画となっています。
 特に圧巻なのが、主人公であるカイのセリフです。読んでて全くキャラに違和感がないというか、原作のカイだったら間違いなくこんな風に話すだろうと思わせる語り口で、ことぶき氏もカイが非常に好きなキャラだと話していますが、その本質を完全に掴み、カイというキャラの新たな姿をものの見事に生み出しているとすら感じます。

 なお自分の世代からすると、あの「セイバーマリオネット」のキャラデザをやって、「いけいけぼくらのVガンダム」を描いてたことぶき氏なだけに、こんな骨太な作品とのギャップを激しく感じます。まぁセイバーのキャラデザは確かに一時代を築いたけどさ。

 話を本題に戻しますが、二つの作品のうち「カイ・レポ」に関してはまだ、ジャーナリストであるカイから見たZガンダムの裏側的な物語で、面白くはあるけどよくあるガンダム系派生作品という印象でした。一方、「カイ・メモ」に関しては圧巻というべきか、安彦氏も述べているように「戦後」をはっきりと実感させられる唯一のガンダム作品といえ、その構成の妙は群を抜いていると感じます。

 具体的なあらすじを述べると、「逆襲のシャア」の戦後の時代において、かつてのジオン公国であるコロニー(サイド3)で、1年戦争展が行われることとなり、その監修としてカイが招かれます。案内役のコンパニオンのロゼを伴いながら、かつて自分が戦ったホワイトベースの企画展を回るカイですが、その見学中に自分の記憶とは異なる点をいくつか発見します。
 具体的には、第三者の介添えのあった戦果が当時のエースであったアムロや自分の戦果としてカウントされていたり、短いながらも一緒に戦った戦友が存在ごとなかったことにされたりしていました。

 どれも戦争全体からすれば些細な違いでしかなく、この企画展の目的(連邦が正義的)から察するに戦争の英雄であるアムロの存在を際立たせるための措置と考え、コンパニオンすら抗議するも、カイ自身は展示内容の修正を要求せず見なかったことにします。また「ジオンは悪、連邦は正義」という図式の展示内容と、次の戦争ビジネスのために元ジオン国民をやや煽るような展示に対して会場周辺では反対運動が起きており、それに対してもカイは他人事として見て見ぬふりを決め込もうとするのですが、展示会場内で自分のジャーナリストの原点ともいうべきあるものを見つけ、その初心を取り戻すと、一つの決心を行うというお話となっています。

 この作品のテーマは、上記にも書いた「記憶と記録のズレ」で、作中でも何度か言及されています。具体的には、「記憶は感情によって変化し、記録は情勢によって改竄される」と言明し、同じ過去の出来事であっても記憶と記録の間にはしばしばスレが生じるという事実をはっきり指摘しています。これは歴史学においても非常に重要な概念であり、まさにその通りというべきポイントです。
 その上でカイは作中にて、こうして記憶と記録を折に触れて比較することに価値があるとし、記録を見た上で、各自がそれぞれ異なる記憶を持ち合うことが大事であるということを口にします。暗に、記録は必ずしも絶対的なものではないというような意見であると自分には感じました。

 このくだりを読んで、自分は始めて映画の「父親たちの星条旗」の意味を理解することが出来ました。この点については、また次回に掘り下げます。


  

2022年9月2日金曜日

超級任天堂風遊戯手柄


 最近ストレスたまっているのか一人で爆買いしていて、電子書籍の漫画とかならともかく、何故かPCゲーム用コントローラーを買いまくっています。

 きっかけはこれまで使ってたのが「アストリブラ」で酷使し過ぎたのか方向キーの反応がおかしくなったので、折角だから今度は無線USBのコントローラー買おうと買ったところ、ちょい手持ち重く、また無線だと反応が少し遅れるというか変な挙動も感じたのですぐまた別のとして、上の写真のような有線USBコントローラーを買って、今日通販で届けられました。
 なお普通に撮影したのに、何故か写真は上下逆に反転させられて保存されました。顔認識されたのだろうか(;´・ω・)

 このコントローラー、見ての取り往年の「超級任天堂」ことスーパーファミコンのコントローラーを模したものとなっています。「8bitDo(八位堂)」というブランドの商品ですが、一目見て面白そうと思ったのと、タオパオだと先に買った二つのコントローラーを販売している「北通」というブランドの商品ばかりしか見当たらなかったので、別ブランドも試したかったのでこれにしました。
 なお値段は115元(2300円)で結構高かった(;´・ω・)この前に買った北通の無線コントローラーも同じくらいした(;´・ω・)

 早速箱を開けて本体を手に取ってみると、非常に小さいという印象を受けました。恐らくこれはかつてスーパーファミコンを遊んでいた頃と比べ自分の手が大きくなったのと、やや大きいプレステ用コントローラーに慣れてしまった反動故と思われます。ただ、表面にはそれこそかつてのスーパーファミコン用コントローラー同様のややザラザラした表面処理がなされており、手に持った感じの感触はかなり良かったです。
 でもって、さっそくこのコントローラーを使って「アストリブラ」を遊んでみましたが、思ってた以上にボタン押してて楽しかったです。やはり一番でかいのは任天堂が特許まで持っているあの十字キーがきちんと再現されており、これがかなり押しやすかったりします。もちろんアナログジョイスティックもあるのでこっちも使えますが、やっぱあの十字キーの形はかなり神ってたんだなと再認識ました。

 また最初気になったコントローラーサイズの小ささも使っていると段々気にならなくなり、他にも使えるコントローラーあるのに無駄な買い物したかなという気持ちもあったものの、案外こうして買ってみて良かったかもと今は満足感があります。

 にしてもこの8bitDo、このマウスはかなり反則な気がする。調子に乗ってまた買ってしまうべきかマジ悩む(´・ω・)

2022年8月28日日曜日

ゲームレビュー「AI:ソムニウム ファイル ニルヴァーナイニシアチブ」

すべての面で前作からスケールダウン。

 
 結論から言うと、上の感想がすべてです。ネタバレはある程度抑えた上での詳細は以下の通りです。

 約2ヶ月にわたるリアルで死にかかるくらいの激務を経て、頑張った自分へのご褒美として前から気になっていていた「AI:ソムニウム ファイル ニルヴァーナイニシアチブ」というゲームを購入し、今朝一通りクリアしました。
 この作品の前作に当たる「AI:ソムニウム ファイル」に関しても遊んでおり、こちらは誰に対しても推薦できるほどのアドベンチャーゲームの超傑作と感じるほど面白かっただけに、続編となる今作も非常に期待していました。

 特に、前作の登場人物でもある「みずき」というキャラクターが声優の黒沢ともよ氏の演技が素晴らしかっただけに、今作でこのキャラが主役になると聞き、最初に速報見た時は非常に興奮しました。しかし、ゲームを始めてすぐ、この興奮はガッカリ感で埋まることとなりました。

 この作品はダブル主人公制となっており、上記のみずきという女性主人のほか、男性主人公として龍木というキャラが配されています。プレイ的には前半は龍木とその相棒であるAIのタマを動かし、後半に入ってからようやく待望のみずきと前作から続く相棒のアイボゥが動かせるようになるのですが、正直言って前半はプレイしていて苦痛でした。なんでかっていうと単純に、龍木というキャラに共感できない、はっきり言えばキモイと思うほど嫌悪感を感じました。
 シナリオ、そして演出的に、この龍木がやや錯乱気味な行動を採ったり、得体のしれない行為を行うことは最終的に説明はされてはいるものの、それを考慮しても最後までこのキャラには共感できませんでした。

 一応全体のストーリーとしては、番組放送中に身体の中心線で真っ二つにされた男性の右半身の体が突然現れ、この殺人事件の犯人を追うという展開なのですが、その捜査の進展が自分から見てかなり行き当たりばったりな捜査で、やや強引と感じる展開が多かったです。
 また主人子らは相手の夢の中を覗き見ることで隠し事や本音を探ることができるのですが、前作は捜査線上に浮かんで「明らかに疑わしい」と感じる根拠があったり、昏睡中だったり発音できなくなったりした人物に対してこの夢探索(シンク)を行っていました。しかし今作では、それほど疑う理由もないのに、出会った人物に対して手あたり次第に夢探索を仕掛ける様な展開が多かった気がします。

 しかもそんな手あたり次第なやり方ゆえか、夢の中で得られる情報の大半は「次はここに行け」的な目的地ばかりしかなく、本来の目的である捜査対象者が隠している本音や過去を垣間見るというのはほとんどありませんでした。そんなもんだから、捜査もシンクをきっかけにして進展するということはあまりなく、全く無駄ではないけど、むしろ捜査対象を無意味に広げているだけなのではと思う節がありました。
 唯一、一番最後のシンクに関しては最重要容疑者が本気で隠していたかった本音というか真実を徐々に引き剥がす構成となっており、このシンクのみ本来の使われ方がされ、プレイ中も興味深く眺めることが出来ました。逆を言えばそれ以外は、ふざけた選択肢を選んでアイボゥのリアクションを楽しむくらいでした……。

 この辺りの不満の原因というか根幹は、全体のシナリオというか演出にあるように思えます。というのもこのゲームは、不可思議な事件を追うという捜査物のアドベンチャーゲームで推理要素も含まれているのですが、肝心のトリックが登場人物ではなく、メタフィクション的にプレイヤーを騙すことが主眼となっています。

 このメタフィクション的にプレイヤーを騙すという手法はこのゲームのライターは他のほぼすべての作品でも共通して行われていますが、他の作品ではプレイヤーだけでなくゲーム内の登場人物も一緒に騙しているため、今回ほどグダグダな捜査というか進展の仕方はありませんでした。しかし今作に限っては事件そのものの謎は比較的単純なもので、その単純な構造を事件とは無関係な手法(トリック)によってプレイヤーを騙し、見え辛くしているだけなので、作中で事件を追う捜査過程がグダグダしたものになってしまったのだと考えています。
 っていうか本当にシンクする回数が無駄に多いのと、その必要性にはプレイ中、強い疑問をずっと感じ続けました。ついでに書くと、深い夢の中に入らずともその場でさっと思考を読む「ウィンクシンク」というのもありますが、この「ウィンクシンク」で得られる情報もかなりくだらない内容が多く、しかも話のテンポを折るものが多かった気がします。

 「ウィンクシンク」のなかった前作なんかは、何気なく世間話をしながら赤外線で所持品を探ると、包丁を隠し持っているのがわかってドキッとしたりするなど、キャラクター同士の駆け引きや捜査の緊張感を感じる場面がまだありました。また肝心の捜査も、前作では今作とは違ってちゃんと怪しい人物に限ってシンクを仕掛け、そうして得られた手がかりから徐々に真相に近づいていっており、最後に真相がはっきりした際は「そうだったのか!」的なカタルシスも得られました。
 それが今作はグダグダな捜査に脈絡のない被害者の増加を延々と見させられ、最終的に真相がわかっても、「あっそ」って感じで何も感動がありませんでした。まぁ途中である程度、真犯人の正体に関しては簡単に読めちゃうってのもありますが。

 アドベンチャーゲームの核は言うまでもなくシナリオですが、上記の通り主人公の片割れである龍木がキモかったのと、ミステリーが中途半端だった点で、凄い不満を感じました。期待の主人公であるみずきも、悪くはないけどなんかその魅力を半減させられているような役回りとなってました。衣装も、折角なんだから他のキャラにある高校の制服バージョンとかあってもいいと思うのですが。

 この点、前作主人公の伊達がかなりいいキャラだったという反動もあると思います。いかにもなおっさん刑事キャラで寒いダジャレの連発に嫌悪感を持つ人も少なくありませんでしたが、ボケることもあれば決めるところはしっかり決め、また大人な役回りをきちっと果たしており、前作が面白いと感じる主要因だったと思います。
 今作でも伊達はもちろん登場しますが、やっぱ彼が出てくる場面ほど内容が面白いと感じました。っていうか声優の新垣樽助氏が器用すぎる、さすがトグサ。っていうか今知ったけど「ルートダブル」の笠鷲の声もこの人か。このゲームでも他の出演者置いてきぼりにするくらい一人だけ頭抜けて演技がうまかったのをはっきり覚えている。

 この黒沢氏、新垣氏、あとネズコ役でお馴染みの鬼頭明里氏を始め、出演した声優の演技に関しては素晴らしい、っていうか名優リサイタル的なくらいみんな抜群でした。「しーろしろ」も相変わらず電波な声してるし。
 またシナリオに関してもケチはつけましたが決して悲惨なレベルというわけではなく、むしろ面白い方に入る内容であるとは思うのですが、やはり名作だった前作と比べるとスケールダウンという印象をぬぐえず、期待値も高かっただけに不満を感じざるを得ません。龍木さえいなければ……。

 ただ完全擁護不能な要素として、このゲームのアクションムービーには悪名高きQTEが使われています。批判から他の会社もQTE演出をやめ始めているというのに何故このゲームでは採用されたのか、開発者に対しては激しく疑問を感じるとともに、難易度設定こそできるものの、それならむしろQTE演出廃止も設定できるようにしろよとすら本気で思いました。
 しかもそのQTE操作が要求される場面はみずきなどによる戦闘シーンなのですが、他の人も書いてるように、そのアクション動作がやばいくらいチープで、QTE判定に失敗する度にチープな動画を何度もみさせられるのは本気で苦痛でした。これは明らかにムービー演出監督の力不足でしょう。このアクションシーンも、前作の方がよかった。

 本音を言うと、前作が好きだっただけに今作でもレビューでは絶賛したかったです。しかし途中からは「時間無駄だから早く終わってくれよ」と思うほどがっかりな出来で、良かったのは最後の問い詰める場面と声優の演技くらいで、どうしてこうなった的な気持ちをまとめるとやはりこういう辛口なレビューとならざるを得ません。
 「かまいたちの夜」を始め、基本的にシリーズもののアドベンチャーゲームというのは第1作目が一番面白かったりすることが多いですが、この「ソムニウムシリーズ」もその轍に乗ったということかもしれません。三作目の実現はきついだろうなぁ。

2022年8月25日木曜日

水木しげるGO

 今日も仕事中ふと、「ポケモンGOの水木しげる版こそ今の世の中に必要だ」という妙な使命感に打たれました。

 私自身は遊んでませんが、そこそこ前に売れたゲームのポケモンGOは街中を歩きながらポケモンを見つけては捕まえるゲームでヒットしました。その後、ドラクエウォークなどパクったインスパイアされた作品が次々と出ましたが、ポケモンGOに並ぶようなヒットは出ませんでした。
 まぁテクテクテクテクみたいなのもあったけどさ。自分で書いてて思うけどよく覚えてんなこんなことまで。

 上のリンク先でも書いていますが、やはりポケモンGOは特定のポケモンを見つけるという位置ゲー要素が良かったと書かれてあり、収集要素が肝だった感じがします。収集といったら妖怪なのですが、ガンホーの方で「妖怪ウォッチワールド」というゲームは既に運営されており、一応こちらはサービス継続中です。

 だがやはり水木しげるでしょう。

 妖怪であれば各地方ごとにレア妖怪を設置することができ、尚且つ並の妖怪もたくさんいるので身近なところを回っても十分楽しむことができるはずです。また登場キャラも鬼太郎に出てくるよう回だけじゃなく、今度アニメ化する悪魔くん系列のキャラクターでもいいし、なんだったら、野生のつげ義春氏や池上遼一氏が飛び出してきても問題ないでしょう。和歌山県とかだったら、南方熊楠が出てきたりとか。
 ぶっちゃけ妖怪にこだわらず、スターシステム的に水木しげるのキャラクターを全部ずらっと登場させ、そのベストショットを競うようなスマホゲーがあったら自分としてはうれしいです。

 ちなみにこの手のコンセプトで言えば既に、ネオジオポケット「水木しげるの妖怪写真館」というゲームがあり、こちらはゲーム内世界ですが、各地に登場する妖怪を写真に収めるというコンセプトで、結構時代を先取りするコンセプトであったような気がします。
 なおこのゲームを知ったのは漫画の「ドキばく」で、作中でこのゲームで撮影した「油すまし」に興奮していたファミ通の編集者のツイッター見たら、今でも定期的にネオジオポケットでバックアップ確認しててすげぇと思いました。

 ちなみにこのほか同じようなネタ、具体的にはスターシステムが使えそうな位置ゲーはないかと思案したところ、「横山光輝GO」が浮かんできました。これだったら、中国を舞台にしても余裕でゲーム化できそうです。ぶっちゃけ、範囲がめちゃ広くなりそうですが。
 でも実際に作るとしたら、鉄人28号とかでかいから足だけしか写らなかったり、遠景でようやく全身写せたりして楽しそうです。でもって関羽の撮影ポイントに近づいたら「ジャーン、ジャーン♪」ってなったりしたら最高だと思います。

 これ以外でキャラクター多い漫画家となったら後は手塚治虫くらいになってきます。でもやっぱり一に水木しげる、二に横山光輝な感じがします。

2022年7月16日土曜日

マミる

「仕事が忙し過ぎて、マミりそう(ヽ´ω`)」

 昨日、WeChatで友人に送ったメッセージがこれですが、この「マミる」という動詞は某「魔法少女まどか☆マギカ」というアニメ作品に登場する、巴マミというキャラクターから生まれた故事成語です。どういう意味かというと、さも重要そうなキャラクターが何の前触れもなく突然頭を丸ごと齧られるなどして惨殺されるというエピソードから、突然の退場とか惨め結末に至るという意味合いでよく使われます。なおこのほかにも、「調子に乗って油断したところをやられる」という意味合いでも使われます。

 とにもかくにも自分の今の悲惨な現状を友人に伝えるためにこの「マミる」という言葉を使いましたが、まどか☆マギカが放映していた10年以上前は大変流行したものの、現代においてはこの言葉を使う以前に知っている人もごく限られてきているかと思います。まどか☆マギカは放映時、「エヴァを超えるブームでは?」などとも言われてましたが、エヴァのブーム当時を知っている身からすると話にならない意見で、十年後の現代を見ても、確かに一大ヒット作品であったことは間違いないものの、エヴァほどの影響力には到底及ばないというのが自分の見方です。

 それはさておき、このマミるような描写がある作品が他にないのかなと今回考えてみました。すぐ浮かんできたのは「進撃の巨人」の作者も大好きな「マブラブ」というゲーム作品で、自分は遊んだことがないのですが主人公の指導役となるお姉さんキャラの死亡シーンがまさに「マミる」ようなもので、グロ画像として有名なことからそこだけ動画で見ました。具体的には、戦闘後で油断していたところ、突如やってきた敵に頭かち割られて目玉が飛び出すというショッキングなもので、何より1枚絵とともにこの描写が見せられるので当時のプレイヤーに衝撃を与えたとかなんやら。
 まどか☆マギカといい、ライターはこういうマミる展開が好きなのだろうか。

 もう一つ浮かんできたのは、「ジョジョの奇妙な冒険」に出てくるモハメド・アヴドゥルの死亡シーンです。仇敵であるDIOの館に乗り込む際、仲間のポルナレフに「お前が殺されそうになっても、DIOを倒すのを優先するため助けない」などと死亡フラグなセリフを口にする辺りは前振りありますが、館に入ってすぐに亜空間を操るヴァニラ・アイスの攻撃を受け、とっさにポルナレフを庇ったところ「ガオン」されて、両腕だけ残して一瞬で消えてしまいました。
 第3部冒頭から登場し続けてきた重要キャラクターといい、戦闘シーンが始まる前に一瞬で殺害される点といい、まさしく「マミる」というべき展開で、当時の読者に大きなインパクトを与えました。何気に、自分が人生で初めて読んだ「ジョジョ」はまさにこの回だったので(確か幼稚園児)、めちゃくちゃなインパクトを感じるとともにこの直後にポルナレフが叫んだ「アヴドゥルーー!!」というセリフが未だ目に焼き付いています。そのせいか、物を手元から落とすと未だに「おっと!」みたいな感じで「アヴドゥルッ!」と口にする癖があります(リアル)。

 そう考えると、まどか☆マギカでこの手の展開は有名になったものの、ひょっとしたら「マミる」より早く「アヴドゥる」という単語が成立していたやも知れません。ちなみにジョジョ系の言葉で前からいつか一度は言ってみたいと思っているセリフに「新手のスタンド使いか」というのがありますが、未だ使用機会がありません。個人的に第3~5部は非常にマッチョイムズに溢れた言葉遣いが多くて気に入っており、最近のジョジョはなんか哲学めいたようなセリフが多いのであんま好きじゃないです。
 いやまぁ「もいっぱぁっーーーつ!」など7部は大好きだけど。

2022年7月3日日曜日

ゲームだから通用するシナリオ

 今週末は久々に業務が少なく、休日作業は今日日曜の午前だけで済みました。なので空いた時間はまた例の「新説・魔法少女」という同人ゲームに費やしましたが、前も書いた通りこのゲームはシミュレーションゲームとしても非常にゲームバランスが良く、尚且つシナリオも呆れるほどいいものとなっています。
 前にも書いた通りこのゲームでは20人超の主要キャラクターが登場しながら、誰一人個性(キャラ)が被っておらず、製作者のシナリオライターとしての才能に驚かされます。実際、このゲームを紹介しているサイトなどでも、単純に一つのSF小説としても読めるシナリオだと絶賛されており、自分もこの意見に同感です。

 ここで一つトピックを出しますが、ではシナリオのいいゲームは、一本の小説として出してもそのまま評価されるのでしょうか。結論から言えば「されない」だろいうというのが私の見方です。

 ドラクエを始め有名ゲームの中には小説化されて出版される作品もあります。ただ大概の作品は小説版を出すに当たり元のシナリオに推敲が加えられ、特にエンディング部分などは大きく変えられやすい傾向にあります。自分は読んだことないけど、「マザー2」の小説版なんかまさにそうで、ポーキーが転生して主人公の兄になるという、「マザー3」をプレイした後で知るとなんかやるせなくなる結末になってるそうです。

 このようにどれだけ評価されるゲームシナリオであっても、やはり書籍として出すとなるとそれ相応の一手間が必要になるケースが多く、全くないことはないものの、ほぼそのまま書籍化しても評価されるパターンはかなり限られてくると考えています。個人的な意見として述べると、今もファンが多くなかなか出てこないリメイク作の期待も高いFF7ですが、あの作品もシナリオ部分が当時高く評価されていましたが、仮にそのまま書籍化しても評価されることはないと思います。FF7のシナリオはゲームだからこそ評価される類だったとみています。

 ここで話をもう一歩進めると、書籍としてはダメでも、ゲームのシナリオとしてなら通用する、評価されるシナリオとはどういったものなのか。これは正直、実際にプレイするゲーム部分によっても左右されるでしょうが私個人の意見を通して述べると、キャラクターメイン、それもなるべく一人称的なシナリオがそれにあたると思います。

 ゲームのシナリオと書籍のシナリオを比較した場合、何が一番違うかというと自分としては没入感だと思います。例えばRPGだと、主人公はその自分が操作するキャラクターがゲームの中では文字通り自分の分身となるので、ゲームの中の出来事に対しても主人公が覚える感情にエヴァ的なシンクロ率を持ちます。
 まぁ時として、攻撃喰らって「それくらいよけろこのボケ!」といった一言も出てくることもありますが。

 この没入感がゲームのシナリオを読む上で非常に大きく、それこそ思い入れのあるキャラクターがゲーム内で傷ついたり、死んだりした場合、小説の中のキャラクターの死などよりも心に感じるものが大きいことが多いと思います。無論、ゲーム内におけるキャライメージなどの映像やBGMの相乗効果もあるでしょうが、やはりいいゲームシナリオほどキャラクターへの没入感が高く、ゲーム内の出来事に対する一喜一憂もでかくなるように思います。
 まぁ「ニンジャガイデン」みたく、難易度がハード過ぎて死にまくるのが当たり前なため、操作キャラクターに大して何も感情を感じなくなるゲームもありますが。

 またここで一つ例えを出すと、ドラクエ7のキーファなんかやっぱそういう意味で没入感の高いキャラだった気がします。主人公パーティのリーダーとして率先して冒険に引っ張り、戦闘でも頼りになるアタッカーでもあっただけに、その途中離脱はプレイヤーに大きな心理的ダメージを与え、未だに「種泥棒」と呼ばれたり、それまでの投資が無駄になる例えとして「キーファの種」という用語まで作られています。これも彼が、そのプレイヤーの没入感が高かったことから未だ語り継がれている気がします。
 まぁぶっちゃけ、ゲームで頼りになるキャラクターほど途中離脱後が辛くなって記憶に残ってるだけかもしれませんが。

 以上を踏まえると、書籍としてはダメでもゲームだからこそ通用するシナリオは、操作キャラクターへの高まる没入感によって得られるカタルシスが大きいシナリオじゃないかと思います。言い換えると、プレイヤーに共感させる、シンクロ率を高めさせるキャラクターを用意し、そのキャラが遭遇する様々な出来事がプレイヤーにも深く感じさせるような系列のシナリオほど、ゲームとの相性がいい気がします。
 逆にというか、キャラクターへの没入感が弱くなるような俯瞰的なシナリオ、キャラの入れ替わりが激しい群像劇や大局的な話が続く軍記物なんかは、ゲームとは相性が悪いシナリオな気がします。この手のシナリオだと没入感が弱まり、プレイしててもなんか他人事っぽく感じてしまいそうです。
 まぁ群像劇でも、「ヴァルキリープロファイル」なんかはよくできたシナリオでしたが。

 この辺、映画とかでもそうかもしれませんが、媒体によってシナリオの相性というのはあると思います。一時期流行ったケータイ小説なんかもガラケーだからこそって点もあったかと思え、今後もしかしたらスマホ小説とかも出てくるかもしれません。

2022年6月26日日曜日

ゲームレビュー:新説魔法少女

 このところ毎日キーボードの打鍵数が確実に1万回以上、下手すりゃ2万回以上にいっているためか手が痛いです。あとミスタイプも多いです。ぶっちゃけよく外付けキーボード壊してしょっちゅう買い換えてますが、改めて考えるとこんだけ打ってればそりゃ壊れるな、悪いのはロジクールじゃないなと納得です。

新説魔法少女(信じた俺が馬鹿だった)

 なんかこのブログ見ると年中ゲームばかりしているように見えますがちゃんと普段は休日出勤に追い込まれるほど働いています。そんな偏見をよそにまたゲームについて紹介すると、上の「新説魔法少女」はかつて無料で配信された「魔法少女」という同人シミュレーションRPGゲームのリメイクとのことで、ともかくストーリーがハードと批評されていたことから、興味を持ってダウンロードしたゲームです。
 このゲーム、同人ゲームにしては異例なほどビッグボリュームで、なんとステージ数がスパロボ並というか50話もあります。なら1話当たりのテキストはそんな多くないかと思いきや、確実にスパロボより多いです。でもって15話くらいから極端にハードになると言われてましたが、実際そうでした

 現在自分は20話くらいまで話を進めましたが、序盤は謎の怪人が突然現れてこの危機を救うのは君しかいないとしゃべる猫に言われるがままに魔法少女となった主人公たちが、新たな仲間たちと出会いつつ街の平和を守っていく王道なストーリーでした。それが15話超えたあたりから「ベルセルク」みたいなハードな展開になって、後半はさらに輪をかけていくと言われるので今から楽しみです。

 肝心のゲーム部分に関しても、制作ツールの由来故に全体としてファイアーエンブレムに近い形態ですが、非常に難易度が良く整っています。序盤はそれこそ適当にやっても余裕でクリアできますが、中盤からはガチで各キャラの特性を理解した上で敵を逐次殺してかないとすぐ全滅するほどで、普通にゲームとしてみても十分楽しめます。

 またストーリー部分、ゲーム部分両方に言えることですが、各キャラの個性づけが際立って優れています。このゲーム、キャラクターが十数人超と非常に多く登場するのですが性格的に被っているキャラは皆無と言ってよく、またみんな個性が強くて集団に埋もれるキャラが見当たりません。
 ゲームパートでもその個性づけはきちんと分かれており、それぞれ得手不得手があり、且つ攻撃手段もそれぞれ個別に分かれていて、見事なくらいバラバラです。ぶっちゃけこれだけ個性を分けられたゲーム、ストーリーは稀でしょう。

 前の「アストリブラ」といい、これほどクオリティの高い同人ゲームがまだあったのかと正直驚いています。きちんとプログラム見直してSteamとかで売れば評判になりそうだと思うだけに、もっとこのゲームは世の中に知られてほしいと思います。

 それにしても「魔法少女」と言えば昔はメルヘンな響きでしたが、例のまどマギ以降はなんか虐げられる者の呼称になってきている気がします。あと「魔法少年」はいないのだろうか。「魔法中年」でもいいけど。

2022年6月5日日曜日

ネットがなかった頃の歴史のWikipedia

【速報】プーチン大統領、松戸市の人間に呪われてしまう・・・(暇人速報)

 上のニュース、現場が松戸じゃなかったらニュースにならなかったんだろうなぁって気が少しします。でもって松戸出身の友人にリンク送ったら「もう見てる」とのことで、やっぱみんな見るし。


 話は本題ですが、上の対談記事でかつて出版業界において一カテゴリーをなしたゲームの攻略本についていろいろ語られています。ネットの発達した現代においてはかつての勢いはほとんどないですが、時期にして大体1990年から2000年代前半まで、ゲームの攻略本というのはやばいくらい売れていました。どの本屋に行っても攻略本専用コーナーが設けられており、一つのゲームに複数の出版社が攻略本を出すのも当たり前で、NTTとかソフトバンクなども何故かスパロボの攻略本出してました。
 またスクウェアに至っては、やはり儲かると思ったのか自社制作ゲームの攻略本を自社で編集、出版するに至りました。いわゆるアルティマニアシリーズですが、元となるゲームが大量に売られるだけに攻略本購入者も桁外れに多かったと推察されるだけに、全盛期の発行部数とか内心教えてほしい気がします。

 このネタに乗っかると、自分にとって思い出深い攻略本と言ったらPSの「パラサイトイブ」の攻略本です。サスペンス色の強いストーリーなだけに各キャラの背景や、FF7に続いてキャラデザを行ったノムリッシュこと野村哲也氏の秘蔵イラストも収録されていて、購入満足度が非常に高い一冊でした。

 ただ仮に一番読み込んだ攻略本というかゲーム関連書籍となると、恐らく「三国志Ⅲ 武将FILE」だと思います。この本は文字通り、三国志Ⅲに出てくる全武将を概説している本で、自分はこの本で三国志のマイナー武将をとかく覚えました。
 ネットのなかった当時、言うまでもなく現代のWikipediaみたいなものもなく、特定分野の人物集となるとこうした書籍に頼る必要がありました。その点で言えばこうした光栄が出していた武将ファイルなどの本や三国志や戦国カテゴリーにおいては格好ともいうべき本で、自分以外にもかなり多くの歴史マニアを育成していたのではないかと思います。

 もっとも逆に言えば、今時分にこの手の本を出してもネットに勝てないでしょう。設定資料集的な秘蔵イラストとかパラメータを公開するゲーム攻略本ならまだ需要あるでしょうが、それ以外の単純なゲームの攻略法の解説だけだと、もはや商売にならないでしょう。
 アクションゲームなどの攻略法を教えるような内容もネット動画の方が優れてるし、昔みたいな攻略本はもはや出てこないでしょう。まぁ昔の時点で、設定資料的な価値が高かったのですが。

2022年6月2日木曜日

歴代オペレーティング・ソフト最強ロボット

 昨夜床に入ったところ、何故か急にOSが史上最高のロボットは鉄人28号ではないかと閃きました。

 鉄人28号とは言うまでもなく横山光輝の漫画作品で、それまで人型アンドロイドなどは既に搭乗していたものの、人間が直接操作して操る巨大ロボットとしては先駆的な作品で、この鉄人28号を以って日本のロボット作品の元祖という見方もされています。
 なお人間が登場するロボットとしてはマジンガーZが初めてで、この辺りで現代のロボット作品は下地が固まったとされます。

 話を元に戻しますが、直接乗り込んでコックピットで操作するマジンガーZと違い、鉄人28号は機体に乗り込みません。じゃあどうやって動かすのかというと、なんとリモコン操作であの複雑な動きを実現しています。
 それこそテレビで使うような小さいリモコンで空まで飛んだりする当たり、AIによる半自律制御なのかもしれませんが、ロボットのOSとしては史上最強格ではないかと思います。実際その辺は主題歌でも「いいも悪いもリモコン次第」と歌われており、リモコンで動かすことの危険性をほのめかしています。

 なおPS2で出た鉄人28号のゲームでは、そこら辺にあるビルとか住宅も引っこ抜いて敵に投げつけられるばかりか、味方の博士たちですら手に取って投げつけられたそうです。まさに「いいも悪いもリモコン次第」とレビューされていましたが、最近こういうフリーダムなゲームが少ない気がする。

 ここからちょっと真面目な話になりますが、今少し出てきた「半自律」という言葉ですが、これは実際にロボット工学でも使われている言葉で、回答や反応を独自に編み出す自律型とは違い、規定範囲内で独自判断するAI機能を指します。
 恐らく今後AI技術が発達するにつれ、戦闘機などの機体制御は半自律型AIによって制御されるのではないかと思います。というのも目で見るより早く敵弾とかミサイルが飛んでくる中、目で見て回避行動なんてできっこないので、そうした敵弾を電波などで認知次第にAIが自動判断して回避行動を採るようになってくと思います。じゃあパイロットはどうするのかって、ロックオンした敵機に最終的に発射ボタンを押したりなど、そこら辺の責任感を伴う行為を担当するようになってくと思います。

 ここまできて、反自律型のスーパーロボットとしてはエヴァンゲリオンがあるなぁと思うに至りました。知ってる人には早いですがエヴァは機体そのものに魂というか人格があり、それをパイロットの思考にシンクロさせることでパイロットが操る操作系統になっています。ただ元から人格があるっちゃなんですが、時たまパイロットなしで動いたりすることもあり、その点で半自律型なロボットかもという気がします。
 そうした半自律型ロボットは他にもないかと考えたところ、エヴァの後にすぐ出たブレンパワードという作品に出てくるロボットも、人間を収納できるけど基本有機生物で、敵にビビったりと感情を示すロボットだったりしました。今思えばあの作品、若干エヴァを意識して作られてたのかもしれません。

 AIというと完全自律型なイメージが持たれやすいですが、実際の応用となると半自律型の割合のが今後多くなる気がします。それこそ鉄人28号みたく破壊活動には用いられないような半自律性などがあったりすれば便利で、この辺で研究とか今どうなってるのかがちょっと気になります。

 最後に、この前リメイクが出た太閤立志伝5というゲームで新武将を作る際、何故か「殺人28号」とかいう辻斬りキャラ作ってました。あのゲームでは他にも作った刀に「ビームサーベル」とか名付けたりいろいろ遊びましたが、後半はルーチン作業ゲーになるのが唯一の惜しいところだった気がする。

2022年5月8日日曜日

日本のBLの起源とは?

 最近「男装の麗人」の対義語は「女装の変態」になるのかなどと思い悩んでいます。

 それで本題ですが、以前は「べ、別に興味あるわけじゃないんだからね(*ノωノ)」と言っていたけど最近は隠すことなく「週末はBLドラマ見て過ごした(´・ω・`)」と突然語りだすBL好きの中国人同僚と何故かその方面の話となり、日本の現代におけるBLの概念は、「ポーの一族」などをはじめとする昭和期の少女漫画の影響が大きいと独自理論を解説しました。これに対し同僚は、「日本はかくも先を行っていたのか。中国でBLの概念できたのは早くても90年代なのに(;゚Д゚)」などとおののいていました。

 上記の通り、現代日本におけるBLことボーイズラブの概念について自分は、昭和期の少女漫画がその原型を作っていると考えています。ただその少女漫画も遡れば宝塚少女歌劇団の影響があると考えられ、そこら辺を突き詰めていくと日本のBLの起源とは何なのだろうかという疑問がもたげてきます。

 BLというと、少女漫画などでは線の細い少年たちがメインですが、仮にこの少年たちにジャンルを絞らなければ、日本における男色文化はかなり深いものがあります。代表的なのは戦国時代で、この時代の主だった武将たちはほぼ全員が男色癖を持っており、むしろそういうのなかった秀吉が逆に「特殊な性癖だった」と書き残されるくらいでした。

 その男色文化は江戸時代も通じて続き、阿国が始めた歌舞伎が途中からストリップショーになったことから出演者は男に限定したところ、今度は男のハッテン的な演目が主となり(若衆歌舞伎)、これまた禁止喰らって現代のガチムチ男限定の野郎歌舞伎へと至っています。
 また男色向けのサービスも大っぴらであったと言います。有名な「東海道中膝栗毛」の弥二さん喜多さんもそういう関係ですし、3代目将軍の徳川家光も露骨にそういう趣味があったと言います(だから直径男子が少ない)。

 あくまで自分が知る限りですが、イスラム世界を除くと、日本ほど男色が大っぴらだった社会はあまり知りません。中国でもここまで露骨だったとは聞かないし、ヨーロッパもなかったわけじゃないものの、イエズス会の連中も日本のありようにビビったというくらいなため、日本ほどではなかったのではないかと思います。
 逆を言えばそうしたギャップもあって、明治維新以降に男色はやや鳴りを潜めるようになります。時代ごとに比較するなら、戦国時代が一つのピークで、江戸時代を通じて高水準が続いたものの明治期以降に一気に熱が冷めるというグラフになるでしょう。

 翻って現代の日本のBL文化ですが、漫画や小説を中心に結構低年齢、っていうか中学高校女子がメインターゲットとなっているように見える点からすると、やっぱこの辺の感覚は世界的に見てもかなり特殊なんじゃないかなという気がします。中国なんかだとBLは厳しく取り締まられるため、上述の同僚も韓国やタイのドラマをよく見ると言いますし。
 よく考えてみたらタイのが日本より凄いな、忘れてた。

 この日本のBL文化は江戸時代以来の男色文化の系譜を引いているのか、それとも明治に一旦リセットされた後で新たな形として生まれた文化なのか、ちょっとこの辺が気になります。かつて友人が「マツコの知らない世界」でBL漫画研究家が出演した回を紹介してくれましたが、あの時の先生に聞いたらヒントとか出るのだろうか。
 なお自分はBLそのものについては全く興味がなく、一部そういう要素のある作品は手に取ったことがあるものの、ガチBLな作品はほとんど触ったことがないです。しいて言えば桃栗みかん(河下水希)のメジャーデビュー前の作品を姉貴が買ってきたのを読んだくらいです。

 なおその作品(高校男子)を友人に何も言わず貸したところ、「お前何とんでもないものを渡してくんだよ!」と怒られました。河下水希の昔の漫画あるよといったら貸してくれと向こうから言ってきたのに。

2022年5月4日水曜日

ASTLIBRAというフリーゲームが凄すぎる:(;゙゚''ω゚''):

 前回のブログ記事にも書きましたが、この連休中は封鎖中のため外に遊びに行けないため、マジで家の中でずっとASTLIBRA(アストリブラ)というフリーゲームを朝から晩まで遊んでいました。

ASTLIBRA

 このゲームは個人が作った同人ゲームで、現在無料で配信されています。インタビュー記事などによると、何と14年もの歳月をかけて作られたとのことです。

 具体的にどんなゲームかというと、水平横向き画面のオーソドックスなアクションRPGで、自分のイメージで言えばファルコムの「イース」にかなり近いです。実際、作者もイースなどが好きで、最近(14年前?)こういうゲームが出ないから自分で作ったとのことです。
 それこそプログラミングすら全くの素人状態から始めたとのことで、途中何度も制作中断があったとのことですが、制作途中のバージョンを公開したり、作成済みのデータで外伝作ったりしながら、最終的に完成まで持ってこれたとのことです。その完成版が配信されるやあちこちから非常に高い評価を得て、私も「なんかすごいフリーゲームがある」と聞いたことからダウンロードしましたが、実際に遊び出すまでは時間がかかり、これまでずっと放置していました。

 まずこのゲームで驚くべきは、グラフィックの美麗さ、そして完成度です。大半の同人ゲームはフリー素材をかき集めて作られるため、そこそこ遊んでいると聞きなれたBGMや、見慣れた2Dドットモンスターの画像が出てくるのですが、このアストリブラではほとんどそういうことはありません。それどころか、下手な市販ゲームなどよりも流麗なグラフィックでキャラクターたちが描かれており、背景画像一つとっても本当にこれが同人ゲームなのかと疑うほど綺麗なものが使われています。

 そうした映像面のみならず、アクションゲームとしての面白さも群を抜いています。ゲーム開始当初でこそ、「殴る」、「走る」、「ジャンプする」というごく一般的なアクションしかできませんが、ストーリーが進むにつれて2段ジャンプや空中ダッシュなど使用できるアクションが増えていき、最終的には下手な操作だと必殺技が誤爆したりするくらい複雑になっていきます。この辺の難易度調整も実に素晴らしいです。
 またストーリーもよくできており、まだ自分はクリアまで到達していませんが、途中公開版の最終章にあたる5章の展開は度肝を抜かれるとともに、最後のボスがそこそこ手ごわく熱戦となるため、かなり熱く盛り上がりました。作者も5章が思い入れがあると言っていますが、サモアリナンでしょう。カナカナにするのもありだなさもありなん。
 ただPC用のゲームですが、かなり高度なアクション操作が要求されるため、プレイにおいてはゲーム用コントローラーはほぼ必須です。一部の敵なんかには素早く操作しないと、何が起きたのかわからないうちに瞬殺されるし。

 既にその人気ぶりからSteamでの配信も決まって今準備されているようですが、恐らく今後、ニンテンドースイッチやPS5とかにも移植されると思います。正直言ってこれだけのゲームが無料というのがいろいろおかしく、私なら5千円以上の価格がついてもこの内容なら満足して支払ってもいいくらいです。逆を言えば、市販のゲームはなにやってんだと、これプレイした後だと思えてしまいます。

 正直に言って、欠点を探す方が難しいくらい完成度が高く、質の高いゲームだと思います。ボリュームも半端じゃなくクリアまで40時間くらいかかるとされていますが、熱中度が激しいため、ほっとあっという間にプレイ時間が溜まっていくのであんまこの点も気にならない気がします。
 真面目にこのゲームのおかげで上海封鎖を乗り越えたという気すらします。興味のある方は是非ダウンロードしてみることをお勧めします。

2022年4月23日土曜日

幸せで残酷な夢

 昨日にお金が使えないと書きましたが、DMMの電子書籍でGWの30%セールが始まったのでここで一気に消費欲を満たすようあれやれこれや買いました。と言ってもセール待ちで買い控えていた購読漫画が多く、「モンキーピーク ザ・ロック」などを完結分までまとめて買ったりしました。あんま思路なかったが。

 関係ないですが今外で夫婦喧嘩と思しきおばちゃんの叫び声が響いています。周りもみんな耳を傾けているのか、叫び声以外の音が逆に小さくなっています。

 話を元に戻すと、今回買った漫画の中に前から興味を持っていた「死刑囚042」という漫画も入っています。作者は小手川ゆあで、「おっとり捜査」などサスペンス系漫画をかなり古くから書いている人で、自分は高校時代にこの人の「アンネフリークス」をよく読んでました。基本的に他のサスペンス漫画と一線を画す残虐描写のほか、作品全体に「なんで人を殺しちゃいけないの?」的な破綻した倫理観に溢れ、この人の漫画読んでる人間はちょっとおかしいとマジで当時周りから言われていました。
 まぁ「アンネフリークス」は締めの部分がちょっと物足りなかったけど。

 そんな小手川ゆあ作品で毛色が違うと言われていたのがこの「死刑囚042」です。
 日本国内の死刑廃止を見据え、確定死刑囚の社会復帰テストプログラムとして過去に7人を殺害して死刑が確定している主人公が、感情が極度に高ぶると爆発するチップを頭に植え込まれた上で、ある高校に用務員として派遣されるというお話です。

 設定自体がファンタジックなものですが、主人公を囲むカウンセラーや法務省の役人などの描写は、実際にはその通りなのかわからないものの、かなり綿密に描写していて、描き方にはかなり強いリアリティを感じました。まぁこの辺、「おっとり捜査」時代から法務関係は勉強されてたのかもしれませんが。

 こうして高校に派遣された主人公ですが、死刑囚ということで周りから危険視されるし、頭に爆弾が植え込まれていることを良いことにわざと主人公を怒らせようとする人間もいるなど、最初はぞんざいな扱いを受けます。しかし本人の素直な性格や周りに芽生えた理解者の存在もあって徐々に受け入れられ、その度にトラブル起きて、というパターンで話が進んでいきます。
 前述の通り、死刑囚が高校の用務員になるという点はファンタジックであるものの、周りの現実の動き、具体的には主人公を快く思わない者たちの行為や、主人公の経歴に伴うトラブルなどはリアリティの感じる描写があり、非常に読み応えがありました。

 まぁ、主人公の理解者となる女子高生については完全ファンタジーですが、誇張ではなくバラバラ死体ばっか描いている漫画家なのに、透明感ある美少女描くのは本当にこの人無駄にうまいな

 ただ、この作品はハッピーエンドでは終わりません。これは物語冒頭でも書かれてあり、作者本人も作中でこの記事見出しにある通り「幸せで残酷な夢」と表現しています。

 全5巻とそこまで長編ではないので結末に関しては触れませんが、非常に琴線の触れる筋書きでした。その上で私の感想を述べると、他人の生殺与奪権、作中で言えば死刑囚である主人公を生かすも殺すも自分次第というカウンセラーの立場というものが非常に重たく描かれてあり、考えさせられる話でした。情が移る話と言えばそれまでですが、人が人の命をどうこう決めるということがどれだけ重たいことなのか、その点を強く意識されました。

 かねてから自分は、頭の飛んでいる漫画家として「エルフェンリート」の岡本倫氏を挙げており、未だにこの人の飛び具合が頭抜けていると思いますが、改めて今回、小手川ゆあ作品を読んで、この人の飛び具合もぶっ飛んでいると再確認されました。倫理観がおかしいのではなく、まともな世界観の中で倫理的なタブーを当たり前のようにポンと突っ込んでくる見せ方で言えばやっぱこの人凄いなと思います。
 サスペンチックな話となると、大抵が「どうだ、グロテスクだろう!」的にわざと見せびらかすような描き方になるのですが、小手川氏の場合はそうしたわざとらしさが本当に見えず、「話的にもこんな感じでしょ」的に自然に盛り込んでくるのが一線を画しています。

 それがこの「死刑囚042」では、「どうあがいても幸せにはなれない」という残酷な現実を、またそこに存在することがごく自然であるように描かれています。自分が知る限り、これは他の作家には見られません。それだけにかなり自分もこの作品にえぐられた思いがします。作者本人は実際にはどういう思いで描いたのかまでは図りかねますが。

 作中のカウンセラー同様、自分も死刑存立には賛成の立場です。だからこそ、何をもって更生となるのかについてはやはり考えなければならないかもしれません。


2022年4月20日水曜日

個人的に見てみたいガンダムの新機軸

 配給が野菜ばっかで「ウサギに餌やってんじゃねぇぞ!」という声が中国人から上がっていますが全くもって同感です。なるべく頑張って消費しようとしているものの本当に野菜だけが大量に送られてくるため、一部は食べきれずに腐らせてしまうこともあります。
 あと調味料があんまりストックなかったため、塩や醤油で味付けすることが多いため食後にやたら喉が渇くのも地味に辛いです。飲み物も、お茶しか飲めないし。

 話は本題ですが、やや古い話題であるものの今度の新しいガンダムでは初めて主人公が女性になるとのことです。恐らくメインターゲットの少年や男性が以前ほど男性主人公にこだわらないこと、あと女性ファンの獲得などを狙ってというのがあると思いますが、それ以上に昨今のアニメ作品は男性よりも女性ヒロインのキャラクターが受けるかどうかが重要になってきているのも影響していると分析しています。マクロスシリーズなんて完全にそうなってるし。

 ただ、個人的にはこの女性主人公について、攻め切れていないなという印象を覚えます。せっかくだからもっと思いきり、昨今のLGBT運動の流れに乗る形で主人公をこの際ハードゲイにしたガンダム作品だったらかなり興味惹かれた気がします。
 それこそ敵味方問わず男性パイロットに対し欲情しては恐れられるようなキャラクターにする一方、メインの女性キャラは反対にガチレズにして、恋愛的に「すれちがい宇宙」な関係になるかと思いきや、両刀使いの艦長が間に入って歪な三角関係を築いたりしたら、ガンダムの歴史がかなり変わるでしょう。

 でもガチ話、主人公男でボーイズラブな作品にしたら女性ファンはかなりつくと思う。

 そうした性別関連の新機軸もさることながら、個人的に今後のガンダム作品でもうちょっと打ち出してほしい新機軸としては海こと、深海を舞台にした作品をもっと見たいと前から考えています。
 というのも密かにズゴッグやハイゴッグなどの水陸両用モビルスーツが好きなのに、近年の作品ではそもそも海戦自体発生せず、水陸両用というか潜る系のモビルスーツすら全く出てこない有様です。陸しか戦わないカプールはターンエーにはいたけど。

 具体的には母艦を宇宙戦艦ではなく潜水艦にし、戦場は基本水中、それも深海で、如何に敵に悟られずに互いに強襲し合うかというサブマリンな話を見てみたいと思います。何気に深海レベルだと宇宙での環境に近く、光は一切届かず、電波レーダーも一切効かず(音探のみ)、酸素も全くないという点で共通しており、何も宇宙にまで行かなくても深海でもSFバトルは可能です。
 ただ宇宙と深海で異なる点が一つあり、挙げてしまうと深海魚などの深海生物の存在です。現在においてもほとんど知られていませんが、知られている一部だけでもかなりグロテスクな造形していて、しかも巨大な生物もいることがほぼ確実視されています。

 なのでなまじっか高水圧にも耐えうるパイロットスーツで機体から放り出されてしまえば、最悪そうした深海生物に食われる可能性があります。この点では宇宙以上に深海の方が厳しい環境にあるでしょう。

 そうした厳しい環境、そして潜水艦という閉ざされた空間での戦闘活動など、作ろうと思えば結構見せ場は作れるような気がします。実際の深海(水深200m以下)での戦闘となると、潜水艦や機体であれば対水圧性能がかなり戦況を左右します。それこそ300m付近なら耐えられる装甲が何かをきっかけに400mまで沈んでしまうと、水圧に耐え切れずに木っ端微塵となったりします。
 また潜水艦自体もどれだけ潜れるかが戦闘能力に直結し、400mまで潜れる潜水艦なら300mまでの潜水艦に対し一方的に距離を置いて攻撃することもできます。まぁ魚雷やミサイルが、最大潜降深度の水圧に堪えられるかはまた別でしょうが。

 それら深海ならではの駆け引き以前に、まさにこの戦場こそ水陸両用モビルスーツが活躍します。空とか飛んだり宇宙に行ったりしなくていいから、深く何の救いもない水の底で戦い合うガンダム作品とかみたいです。
 なおもしやる場合、メインの機体はマリンアッシマーこと水色のアッシマーを出してほしいです。あの変形時のフォルムなんかいかにも水中用にしか見えないだけに、ここでこそアッシマーの復権を図るべきでしょう(個人的にアンクシャは好きじゃない)。

2022年4月4日月曜日

「新機動戦記ガンダムW ENDLESS DUEL」の思い出

 封鎖で運動不足を自覚した昨日から筋トレを開始したところ、下っ腹のあたりが筋肉痛となりました。太腿とか上腕は無事なのに。

新機動戦記ガンダムW ENDLESS DUEL(ゲームカタログ)

 さてたまには懐ゲーについて書こうかなと上のカタログで見ていた際に目についたのがこのタイトルです。仮に、これまで遊んだ格ゲーの中で一本挙げろと言われたら、多分一番プレイ時間がないのはカプコンの「ヴァンパイアハンター」(続編の「セイヴァー」はなんかコンボ決まり辛くて嫌いだった)ですが、一番楽しかったとなるとこの「新機動戦記ガンダムW ENDLESS DUEL」で間違いないです。

 このゲーム、見ての通りガンダムWの版権キャラゲーですが、キャラゲーの皮を被ったガチな格闘ゲームで、一人プレイであんなに盛り上がったのは他にないです。発売当時としては既に次世代機も出ている中でスーパーファミコンで出たゲームでしたが、グラフィックなどはそこそこきれいで、また使用するキャラの動きもよく、今思い返してもよくあのスペックであれだけ動かしたと思える出来でした。

 それ以上に特筆すべきは、ゲームのスピーディさでした。
 とにもかくにも戦闘開始から決着に至るまでのスピードが速く、戦闘中の駆け引きも文字通り一瞬の判断が大きく左右しました。その駆け引きにおいては「ガードダッシュ」というコマンドが非常に効いてて、これにより安易な飛び道具による牽制をしていたら一気に差し込まれてコンボ叩きこまれるという緊張感があり、「いかに早く相手を叩きのめすか」という戦術が重要でした。

 ちなみに自分はこのゲームで割と特徴のはっきりしている「ヴァイエイト」と「メリクリウス」をよく使ってました。この二つの機体のプラモは現在転売が激しく行われており、「テンヴァイエイト」、「メルカリウス」とも呼ばれているそうです。

 マジな話、このエンドレスデュエルはグラだけ差し替えて再発売されたら絶対に買います。それだけポテンシャルの高い2D格闘ゲームだったと思え、今のちびっこたちにも遊んでもらいたいとすら思います。

 なお原作の「ガンダムW」に関しては、中学生くらいの頃は機体ビジュアルなどに惹かれ一番好きなガンダムシリーズでしたが、途中でスタッフが変わったことによる前半と後半の話のちぐはぐさなどから、今はそれほど評価しなくなっています。もっとも脚本がちぐはぐなのは最初からで、この作品でヒロインを演じた野原しんのすけ役でお馴染みの矢島晶子氏は「あまりにも意味が分からなくて収録に行くのが億劫だった」と話しています。
 ついでに書くと、地味に機体ではエンドレスワルツ版ではない、テレビアニメ版のウィングガンダムゼロのが好きだったりします。ゼロカスタムまで行くとちょっとごてごてし過ぎな感じするし。

2022年3月11日金曜日

時の行者

 先月はやたら購読している漫画の新刊が一斉に発売されたために多大な出費に見舞われましたが、中でも半年に1冊のペースで出ている長谷川哲也氏の「ナポレオン」の新刊は読んでていろいろと感慨深いものがありました。

 この漫画は自分が学生だった頃に連載が始められ、実に20年近くも連載が続けられています。それだけ時間かけられていることもあって、ナポレオンの生涯をつぶさに描いており、自分もこの漫画を通じて、ナポレオンのみならず彼を支えた元帥たち(あとフーシェ)がどういう人物だったのかを知りました。
 そんな漫画「ナポレオン」もいよいよ終盤に迫ってきており、今回出た新刊ではロシア遠征に失敗後、ロシアやドイツに追い立てられる形で首都パリを陥落させられ、皇帝を退位してエルバ島に流された後の彼の姿を描いています。エルバ島でナポレオンは学校や病院を建てたりするなど、意外とまともに領主生活をやってたようです。

 この巻ではそうしたエルバ島におけるナポレオン(ポーランド人の愛人とイチャイチャなど)の姿、それに「会議は踊る、されど進まず」で有名なウィーン会議の情景を描いており、戦闘シーンはほとんどないのですが、唯一の戦闘シーンがドイツ・ハンブルグにおける戦闘でした。
 この時、ハンブルグはナポレオンの義弟であり最優秀とも言われる元帥のダヴーが守っていたのですが、なんと彼はフランスが降伏し、ナポレオンが皇帝を退位した後もこの町を占領し、守り続けていました。降伏を促されても「信用できない」と突っぱね続け、包囲軍が何度攻めても追い返すもんだから、最後は彼が信頼するフランス軍の将軍を差し向けて「任務交代」という形で引き下げたそうです。

 主君が既に負けていながらも、彼自身は負けずに戦い続けたこのエピソードなどからも、「不敗のダヴー」と呼ばれています。
 そんなダヴーについて巻末のあとがきで作者は、「まるで全人類が滅んだ後も戦いを続ける機械のような男だ。『時の行者』みたい」という風な感想を述べています。

時の行者(Wikiepedia)

 ここで出てくる「時の行者」ですが、これは「三国志」でお馴染みの横山光輝による歴史漫画です。何気に自分が初めて触れた横山作品でもあり強く覚えているのですが、この漫画は上記の説明の通り、人類が死に絶えながらも機械同士が戦いを続ける未来で、人類のほぼ唯一の生き残りである主人公の少年がタイムトラベルをして、安土桃山から江戸中期までの歴史事件に遭遇するという漫画でした。
 具体的に遭遇する事件は多岐にわたり、由比正雪の乱から天一坊事件、さらには紀伊国屋文左衛門とも接触する話もあります。漫画界のストーリーテラーとして名高い横山光輝なだけあって非常に読みやすいこともさることながら、歴史を特定の人物や国を中心に追いかけるのではなく、事件単位で追いかけるという展開が今思うとよくできている気がします。

 前述の通り主人公は未来人で、タイムトラベルを繰り返して諸々の事件に遭遇します。何度もタイムトラベルしていることから日本国内では「浦島太郎みたく時間を越えて現れる時の行者」と認識されており、実際に各話ごとに年代やステージが一新され、共通して出てくる登場人物は非常に限られてきます。
 前述の通り、この漫画は唯一共通する登場人物である主人公を通して、歴史を事件単位で追いかけています。そのため全体の歴史の流れこそ把握し辛いものの、印象的な事件などが深く掘り下げられて紹介しており、自分の歴史好きもある意味ここから始まっています。

 こうした話の手法は自分が知る限りは他にはなく、改めて見て凄い構成の仕方だったと思えてなりません。でもって、長谷川哲也氏もこの漫画好きだったんだなという事実にいろいろ感じるところがあります。

 漫画の「ナポレオン」の話に戻ると、残りはいよいよ皇帝復位、そしてワーテルローだけとなってきました。どういう風にこの過程を長谷川氏が描くのか、既に今の時点でかなり楽しみです。

2022年2月18日金曜日

「大人」が唯一存在するガンダム作品

 かねてからこのブログに書いているように、日本の漫画、アニメの最大の特徴は「まともな大人」がほとんど存在しないことに尽きると思います。基本的に大人は足を引っ張ったり、騒動や戦争を引き起こす無責任な存在に描かれ、そうした大人のツケを少年少女が活躍して解決するというのが最大の王道となっています。
 漫画の主な購買層が少年少女であることを考えると、大人を落として少年少女を持ち上げて描く方が感情移入されやすいため、こうしたストーリー手法が採用されるのは個人的に理に適っています。その一方、大人の鑑賞に堪える作品がやや出づらくなっており、功罪相半ばとなっている面があるでしょう。

 こうしたストーリー傾向はガンダムシリーズにおいても顕著、というかガンダムシリーズが代表格と言っていいくらい上記のようなストーリー構成を取っています。基本的に敵も味方も無責任な大人ばっかで彼らが戦火を拡大していく一方で、戦闘面においては主人公らの少年少女が大活躍して最終的に終戦に持って行くというのが基本パターンです。そのため主人公の年齢も基本若く、多分Gガンダムのドモン(20歳)が登場時で最年長で、次いでコウ・ウラキ(19歳)になるのだろうか。

 特にVガンダムに至っては、主人公は13歳と極端に若い上に、主人公側にいる大人たちは「こいつぁ使える!」とばかりにガンガンと少年兵を戦場へ送り込んで戦争に巻き込むなど、無責任を通り越して狂気に走った大人たちがさも当たり前のように登場してきます。こうした「無責任な大人とそれに振り回される子供たち」という構図は、明らかに監督の意向が強く働いているでしょう。

 ただ、そんなガンダムシリーズにおいて明らかに例外と言えるシリーズが1つあります。挙げてしまうとそれはガンダムXで、このシリーズ作品のみ責任感の強い大人が味方の側に立ってくれています
 具体的にはそのキャラは副主人公といっていいジャミル・ニート、そして彼と行動を共にする医者のテクス・ファーゼンバーグの二人です。二人とも行動や発言には強い責任感が伴っており、また戦火の拡大を抑えようとしたり、戦争などに利用され犠牲になっている子供を助けようと行動していたりと、ガチで大人の鑑のような人物として描かれています。

 それ以上に特筆すべきは、主人公であるガロード・ランとの絡みです。前大戦のエースでありながら大虐殺に加担した負い目によって戦闘恐怖症となったジャミルですが、若く暴走しがちなガロードに対し時には厳しく叱り、時には力強く背中を押したりして、その時々の状況に応じてしっかりと少年を導く大人の役割を演じています
 その一方で、大人であるジャミルの側も少年であるガロードの熱意や積極性の影響を徐々に受けていき、物語途中で戦闘恐怖症を克服し、パイロットに復帰するようになります。この流れについてもう一人の大人であるテクスが、「少年の心は、時として成人男性に伝染する。よくある例だ」と評しますが、地味にこれはガンダムXの中でも名言中の名言であると思うとともに、本当に望ましいとされる大人と少年の関係を見事に描き切っているようにも感じます。

 っていうかこのテクス先生、あまりにも人格がよく出来過ぎてるので、視聴中は「実はこいつ、敵のスパイなのでは?」と疑ったことがありました。それにしても名言が多く、「大概の問題はコーヒー一杯飲んでいる間に心の中で解決する物だ。後はそれを実行できるかどうかだ」というセリフもどっかで言ってみたい。

 ガンダムXは前番組のガンダムWから人気が落ちたこともあり、やや失敗作みたいな扱いをされた時期もありましたが、改めて作品全体を見ると最初に述べたようにガンダム作品としては例外的にしっかりした大人が描かれていること、また「ニュータイプ」、というより「新人類」という概念に真っ向から切り込んだことなど、そのストーリー構成や世界観に関しては文句のつけようがないくらい素晴らしいものだと、かえって年月を経るにつれて思うようになってきました。
 まぁ駄目出しすると、主人公機以外の機体がガンダムタイプを含め、敵味方ともに異常にダサいというのがまずかったと思います。「ガンダムXディバイダ―」、っていうかハモニカ砲はネーミングといいかなり好きなんだけど。

 冒頭でも述べた通り、少年少女が主な消費対象であることから、少年少女が中心となって活躍するストーリーが多くなるのは私は当然だと思います。ただそれが過剰に働いた結果、日本の娯楽作品では無責任な大人ばかり跋扈するようになり、やや作品としての引き出しが小さくなっていった気がします。
 そうした点を振り返るにつれ、「子供たちを導く大人」の役割を果たすキャラクターがやはり日本の娯楽作品では致命的に不足しているように思えます。こうしたキャラクターをもっとうまく描けるようになれば、もっと作品の幅は広がると思え、そういう意味ではガンダムXがまさにいい手本となる作品なのではないかというのが結論です。

 なおこの系統のキャラでほかにパッと浮かぶのは、「進撃の巨人」のリヴァイ兵長です。あとは「ダイの大冒険」のアバン先生がいるけど、あの人は序盤ですぐ一時退場してしまうのであんま導いてる感覚ないです。ポップ限定ならマトリフ師匠がまさにこの役割を果たしてはいますが、ぶっちゃけ麻生太郎氏に顔がよく似てるんだけど、一回コスプレやってみてほしい。