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2013年4月6日土曜日

「我が闘争」の著作権切れが間近な件

ヒトラー著書の出版禁止、著作権切れ後どうなる(読売新聞)

 ドイツでは出版禁止処分を受けており、日本でも「毛沢東語録」に並んで読書感想文の題材にしようしたら一発アウトなヒトラーの著書「我が闘争」が、もうすぐ著作権切れとなるそうです。著作権切れというと日本では「青空文庫」が有名で、著作権の切れた過去の文豪の作品がフリーで読めますが、「我が闘争」に関しては物が物だけにどうなるかが議論されており、ドイツ本国では今後も出版等を禁止するとの方針を出しているそうです。

 私自身は「我が闘争」を読んだことはありませんが、世界史の資料集に下記のような内容が引用されていたのを色濃く覚えています。
 大衆とは極めて愚鈍な集団であり、時に暴力的ともいえる強い言葉を呼びかけることによって簡単に扇動できる。
ヒトラーが演説に優れていたのは言うまでもなく、私も何度かビデオで見ましたが確かに迫力があって聞く人の心をつかむ能力に長けていたのでしょう。昔に指導を受けたことのある教師などは、ヒトラーという男は確かに問題のある人物ではあるが、あの大衆をまとめる能力については着目する価値があるとかねがね言っておりました。

 ところでこの「我が闘争」、自分も友人からリアルに「もうそろそろ自伝書いたら?」と言われるくらいみょうちきりんな飛んだり跳ねたりの人生を歩んでおりますが、折角書くんだったらこのタイトルをパロディにして「我が逃走」とかいうタイトルで出してみようかな。この手のパロディネタはよく浮かんで来るのですがいくつか挙げると、

・「我が放送」(テレビ会社のPR冊子)
・「我が包装」(製紙会社のPR冊子)
・「我が党争」(政界の暴露本)
・「我が水槽」(アクアリウム本)
・「我が清掃」(お掃除ハウツー本)
・「我が構想」(なんにでもOK)

 こんなことばっか考えてないで、もうちょっと自分の人生見つめ直した方がいいんじゃないかともよく思います。

2013年4月4日木曜日

暗殺者列伝~トーニャ・ハーディング

 このカテゴリの連載記事二発目にしていきなりネタに走りましたが、今日は覚えている人は多分ほとんどいないであろう元女子フィギュアスケート選手、トーニャ・ハーディングを取り上げます。

・トーニャ・ハーディング(Wikipedia)

 彼女はアメリカの女子フィギュアスケート選手で幼少の頃から頭角を現し、現代においてはトップ選手の間でほぼ一般的な技とはなっているものの我らが日本の伊藤みどり元選手に続き、トリプルアクセルを女子選手としては世界で二番目に成功しております。

 そんな経歴の彼女がどうしてまたこんな暗殺者をテーマにした連載にでてくるのかというと、1994年に起きた「ナンシー・ケリガン襲撃事件」がすべての原因です。ナンシー・ケリガンというのはハーディングとほぼ同時期にアメリカで活躍していた女子フィギュア選手で、名実ともにライバルでした。
 事件のあらましを簡単に説明すると、練習を終えて帰宅する途中だったケリガンは突如何者かに襲われ、ひざを強打されます。この影響で近くに予定していた大会を欠場することとなりその大会ではハーディングが見事優勝を飾ることとなったのですが、その後の捜査によってケリガンを襲ったのはハーディングの離婚した元夫だったということがわかりました。それどころかその元夫は、ケリガン襲撃はハーディングの依頼によるものだったと供述する始末でした。

 この事態に至ってアメリカのフィギュア教会もハーディング追放を検討しましたが、ハーディング自体が抗議するなどして処分は一時保留。そして事件後のリレハンメルオリンピックにハーディングはケリガンとともに出場しますが、お騒がせキャラは健在というべきかここでも一騒動を起こします。
 ハーディングはフリーの演技を開始した直後、突然リンクの上で泣きだして靴ひもがほどけた、または切れたとジャッジに抗議します。Wikipediaの記述によると当時の映像では靴ひもはしっかり結ばれており、これは恐らく出だしが上手くいかなかったことからやり直しを求めるために行ったハーディングの狂言という説を採っております。

 狂言だったかどうかは別としてハーディングのこの抗議は認められて時間をおいて再演技をすることとなりましたが結果は8位にとどまり、襲撃による怪我から見事復帰したライバルのケリガンが銀メダルを獲得したことによって明暗は大きく分かれることとなりました。
 リレハンメルオリンピック後、ハーディングは襲撃の事実をようやくというかやっと認めてフィギュア界から追放を受けます。その後は何故か全日本女子プロレスがスカウトに動いたり、同性相手に暴行を働いたり、総合格闘家としてマジでデビューしたりと話題に尽きない人生を送っております。

 正確には暗殺じゃなくて襲撃、しかも実行犯じゃなくて指示犯だけど、なんか取り上げたくてこのカテゴリで記事を書いてみました。ちなみにこの事件当時に私は小学生でしたが、誰かから攻撃を受けると、「ハーディングにやられた」などとわけのわからないことを友達同士で言い合ってました。

銀のさらのCM

 知られているかなぁとか思っていたらうちの親父が全く知らなかったので、今日は個人的に面白がってよく見ている宅配寿司「銀のさら」のCMを紹介します。



 百聞は一見に如かずなのでとやかく言わず上のCMを見てもらいたいのですが、ここの会社のCMは露骨に「ネタ」と「自虐」に走っています。多分広告代理店もびっくりな企画を通してくるのですが、度量があるというべきなのか無謀なところがあるというべきなのか、なかなかに難しいです。見ていて面白いと私は思うのですが。


 こっちのCMは最近放送されたばかりなので覚えている人も多いかもしれません。これも単純に見て面白いと評価しています。


 最後のこのCMはちょっと意表突かれました。まだ見ていない人に向かって言うと、認知症に対して非常にきわどい表現がなされているのですが、ショートストーリーとしてみるならこんな規制の厳しい時代によく作ったものだと感じさせられる内容です。
 このCMに限るわけじゃありませんが、近年の日本では認知症、知的障害者に対する表現に規制が激しく、一言で言えば「見え辛い」世の中になってきたように思えます。これは日本に帰ってきてから強く感じるのですが、電車や駅で知的障害者の方を見る時、何か異常に目立つような印象があります。こう感じる一つの要因として、テレビやお話の中で存在がないこともあるような気がします。

 逆に中国では、もちろんそのような障害を抱えた方も街中にいましたが、日本ほど目立ちませんでした。もっともその要因は普通の中国人がやたら声デカくて外だろうが電車の中だろうが、大声でしゃべっていることが大きいでしょうが。

2013年における中国の地方別の最低賃金引き上げ状況


 ちょっと調べてみたら中国各都市で最低賃金の引き上げがある程度で揃っていたので、今日は各数字を解説するとともにこれまでの賃金上昇ペースを自分の知る範囲で書いてくことにします。
 上記の表は今年に入って月額最低賃金(中国では月給、時給で最低賃金がそれぞれ分かれている)を引き上げた都市とその額を「中国新聞網」というニュースサイトが編集し、まとめた図表です。この中国新聞網というサイトは定期的にこうやって最低賃金とか住宅価格を見やすい表にまとめてくれるので、前職にいた頃もよく引用させてもらっていました。記事書く側からしたら本当にありがたい。

 それでは本題に移りますが、まず中国の最低賃金の前提をいくつか話すと、日本と同じようにこれは各都市や地方の自治体が金額を定めます。そして引き上げは年に1回だけで、時期はちょうど今に当たる、旧正月明けから6月くらいまでの間に行われることが多いです。今年もその例にもれず、上の表を見る限りだと主要都市では大体で揃っていますね。

 金額でみると上海市が1620元でやはりというか最高となっております。ちなみに今は「1元=14円」くらいがレートなので、この金額ですと「1620×14=22680」となり、日本円では2万2680円くらいとなります。
 日本円で考えるとやや心もとない金額ですが、かつての中国の事情を考えると随分と高騰したなと私には感じられます。折角だから軽く調べてみるとみずほのレポートがきちんとまとめてくれていて、これによると2005年の上海市の最低賃金はなんと690元と書かれており、わずか8年間で2.3倍にも上昇しております。あと確か2005年当時の最低賃金は全国的に500元程度だった気がするのですが、上の表を見てわかる通りにもはや4ケタ(1000元)以上で当たり前という状況で、上海に限らずどこの地方でも8年間で倍増したと言っても過言ではないでしょう。

 あと確か深圳市(深圳市は広東省内にありますが、何故か最低賃金は別枠)だったと思いますが、去年にここの最低賃金が全国で初めて1500元を突破したことで少し話題になったものの、今回の引き上げで上海市、広東省、天津市が1500元オーバーの仲間入りを果たしております。なんかこの分だと2000元オーバーもそう遠くないだろうな。
 以前の最低賃金と比べた上昇幅で見ると、各都市で2桁(10%以上)超の成長となっているのを見逃せません。特に江西省なんか太字にアンダーバー引いたけど、41.4%上昇ってちょっと急すぎないかと見ているこっちが心配になってきます。それと中国一貧しい地方と言われている貴州省も今回で1000元台に乗っかってきたことから、1000元未満の地方は今年中に確実に消え失せるでしょう。

 まとめになりますが、現在もなお中国の最低賃金上昇率は2桁ペースで伸び続けております。2012年の中国のGDP成長率は7.8%だったことから、経済規模の拡大以上に最低賃金が上昇しており、やはり政府としても格差問題の解消が重要課題だと認識しているのではないかと思えます。
 中国に進出している日系企業の視点で話すと、従業員として雇う中国人の人件費は上海市などでは2500元以上でなければ誰も集まってこない状態なので、今回の最低賃金引き上げによって短期的に賃金コストが上昇することは短期的にはあまりないでしょう。ただ事務所のスイーパーなどへの賃金額はほぼ最低賃金なので連動して引き上がることとなり、ビル管理とかそういう会社はそこそこダメージがあるかなと思う次第です。

2013年4月2日火曜日

北朝鮮の最近の挑発行動について

 コメント欄でもこの話が出てきたしそろそろまた解説を入れてもいいかなと思うのでまた北朝鮮事情について書いてみようと思います韓国の歴史の連載をやっているせいか、なんかこの問題に対する意識も自分の中で前より鋭くなっているような……


 ニュースでも報じられている通り先月に朝鮮戦争の休戦協定を白紙化すると宣言して以降北朝鮮の周辺諸国に対する軍事的挑発が活発化しておりますネット上ではこうした北朝鮮の挑発を無慈悲な○○シリーズ」という風にまとめて茶化しておりますが、私としてもグダグダ言ってないでやるならやれよと北朝鮮に対して思います。ただ北朝鮮の挑発が短期間に増加したという事実に対しては少し思うところがあり、結論をいきなり出すと、金正恩は軍幹部にいいように使われているんじゃないかとみております。

 まずこの問題で一番重要なのは、軍事的挑発を誰が主導して行っているかです。仮に金正日が生きていれば彼自身の強い意向が働いてと考えることも出来ますが既に彼は亡く、では彼の跡目として第一書記を継いだ金正恩が主導しているのかというとちょっと私の中では腑に落ちません。
 勝手な推測ではありますが、彼は第一書記に就任してまだ一年です。この段階では海外とのややこしい問題を起こすより国内統制、つまり自らの権力確立を進める段階にあるんじゃないかという気がします。しかしこのところの報道を見ていると、金正恩自身が軍事基地を視察する写真などが公開されており、あまり国内闘争に走っていないように見えます。

 これがどういうことを意味するかというと、父親の敷いたレールが盤石だったことから金正恩はすぐに北朝鮮の実験を握った、もしくは北朝鮮軍幹部が何らかの意図をもって金正恩を祭り上げ操っている、この二つのうち一つじゃないかと思います。
 素人の勝手な判断ですが、比較的若い頃から諜報部などで働いていた金正日と違い金正恩は本当にギリギリになって後継者となり、その軍歴も短いです。このような状況下で古参の軍幹部は果たしていうことを聞くのか前から疑問でしたが、このところの行う価値があるのかどうかわからない軍事的挑発を見るにつけ、金正恩は軍部をコントロールしきってないんじゃないかと強く感じます。

 じゃあ何のために軍事的挑発をするのか。仮に自分が北朝鮮軍幹部であると仮定すると、散々挑発して米軍などの介入、つまり侵攻を敢えて受け、責任をすべて金正恩になすりつける。そして自分は素知らぬ顔で戦争中に裏切り、金王朝が滅んだ後の北朝鮮で政治リーダーになる……こういうことを考えます。まぁちょっと都合良すぎる気もするけど。
 仮にこういう意図を持っているとしたら金正恩を「挑発は繰り返した方がいい」などとおだてて調子に乗らせればいいだけです。もし本当に米軍などが攻め込んできたとしたら戦後、北朝鮮は国連の監視下で暫定政府などが作られるでしょうから、そこで実権を握った後、将来的な韓国からの併合を待てばいいと思えちゃいますし。

 最後にこれも報道ベースですが、このところ北朝鮮からの脱北、それも元兵士が増えていると聞きます。中国もウィキリークスに公開された文書でアメリカに対し、「金正日が死んだらあの国はもたないから、焦るなって」と言ってたそうですが、あながち間違いじゃない気がします。

2013年4月1日月曜日

エイプリルフールに中国でしてみたいこと

 本日はエイプリルフールですが、日本なんかは大人しいものの、欧米では大手の新聞ですら宇宙人がスパゲッティを食べにやってきたなどとかなり激しい嘘ニュースをのっけてくるそうです。だからといってこのブログでもそういうエイプリルフールネタをやるというつもりはないのですが、前職にいた頃、中国でこういうことをやるとしたらどんな見出しがいいかでちょっと同僚と盛り上がりました。

 見出しをのっけるのはもちろん新聞で、中国らしくありえない見出しを書くとしたらどんなものがいいのかとそれぞれ案を出し合い、私などは「政府、民主化制への移行を決断 来年総選挙へ」という大真面目そうではあるものの有り得ない内容を出したらどうかと提案したら、そんな見出しを出したら嘘であっても即刻廃刊を喰らうとあまり評判はよくありませんでした。
 このほかには、「法輪功、活動が合法化」とか「チベット独立、政府が容認」などと、恐らく中国だと政治で冗談が言い辛いゆえかなんか政治ネタばかりが出てきました。日本を絡めたものだと、「尖閣諸島にズゴッグ上陸 日本、強硬策を展開か!?」なんて見出しで、

「魚釣島に4月1日、日本の自衛隊所属とみられる機動兵器ズゴッグ3機が上陸した。3機は現在も島を離れておらず、目的は不明。人民解放軍は対応を現在検討しているものの、現場のミノフスキー粒子が濃いことから砲撃などの手段を1両日中は行わないとの見方が広がっている。
 上陸した3機のうち1機はエースカラーの赤色をしており、シャア専用ではないかとの憶測がされている。ただ解放軍が解析した情報によると、問題のズゴッグは通常の3分の1の速度で水中を航行したとされ、情報をかく乱するためだけの塗装と指摘する専門家もいる」

 言ってはなんですが、一回でいいからこういう記事書いて載せてみたいものです。出来れば合成でもいいから写真付きで。

韓国の近現代史~その七、漢江の奇跡

 前回ではクーデターを起こした朴正煕が権力を握る過程を解説しました。そこで今回は実際の朴正煕の施政とばかりに、彼の時代に「漢江の奇跡」と呼ばれるほど急成長した韓国経済を取り上げます。

 まず初めに朴正煕についてもう少し説明します。彼は日本統治下の1917年に非常に貧しい家庭で生まれ、長じてからは3年間の教師生活を経てから新京(現在の吉林省長春市)に渡り、そこで満州国の陸軍士官学校に入りました。たまに朴正煕は「旧日本陸軍の軍人だった」と書かれていることがありますが、正確には「満州国軍人」であって自分が歴史テストの教官ならここでひっかけ問題を作ることでしょう。
 第二次大戦終了後は母国の韓国に戻り、そこでも軍人として任官を受けます。ただ一時期に南朝鮮労働党(共産党)に参加していたことがあり、軍にばれて死刑まで宣告されておりますが、当局に情報を提供することによって執行を免れております。

 こうした来歴を持つ朴正煕ですが、その私生活は清廉潔白であったことはどの研究者の間でも一致しております。死後に残された財産はほとんどなく、また変に疑われないようにと親戚関係者をソウルに一切近寄らせなかったというエピソードまであります。そうした姿勢はクーデター直後にも見られ、最高権力者に上るや反社会勢力の大規模摘発にすぐ乗り出しております。

 そろそろ本題に入りますが、最高権力者(国家再建最高会議の議長、1963年からは大統領)となった朴正煕の最大の政治課題は国内の経済問題でした。以前にも書きましたが当時の韓国は世界の最貧国の一つで、国民の生活は非常に苦しかったそうです。かといって当時の韓国には産業と呼べるものはほとんどなく、米国の通商代表団も砂糖などといった作物以外にはなにも輸出するものはないと断じております。

 このような状況下で朴正煕が取った行動というのは、海外からの経済援助をばねに投資を行うという戦略でした。クーデター直後の1961年に訪米してケネディ大統領と会い、自ら韓国軍のベトナム派兵を申し出たと言われております。実際の派兵はケネディが暗殺されジョンソンに大統領職が移った3年後の1964年ですが、この派兵によって韓国は膨大な金額の経済支援を米国から受けることとなります。
 また米国からの帰途では日本に立ち寄り、当時の池田隼人首相と会って国交正常化の交渉を始めることで同意しております。日本とは国内の反対運動を押し切り最終的に1965年、日韓基本条約を結び国交を回復しますが、この時に日本が約束した韓国への経済支援額は当時の韓国の国家予算の約3倍にも迫る金額でした。朴正煕自身は日本に対してそれほど敵愾心を持っておらず、リアリストに徹した外交を展開したと研究者の間では言われております。

 こうして得た膨大な資金を元に浦項製鉄所(現ポスコ)を創立したほか道路といった国内インフラを整備し、民間企業なども振興するなど、日本や中国と同じように国内建設によって主導する経済政策を実行しました。こうした政策の成果がわかるデータを引用すると、1961年の韓国人1人当たりの所得は80米ドルでしたが、1979年には1620米ドルと実に20倍もの成長を果たしております。また当時の経済成長は国家主導ではありましたが、この頃に韓国を代表するサムスン、そして今は亡きダエウーといった財閥も急伸し、書いてるこっちの身としても現代にようやく近づいてきたなという感じがします。

 以上のように朴正煕は国内の経済回復という大きな問題の解決には見事成功しました。にもかかわらず彼への評価は今でも大きく二分しており、というのも国内では徹底的な情報統制、政治弾圧を行っていたからです。その弾圧、検閲ぶりは徹底されており、韓国版CIAことKCIAを創設し、無実の罪で投獄、処刑された人間は数え切れるものではありません。Wikipediaにも書かれてありますが朴正煕の政治姿勢は社会主義的な要素が非常に強く、彼のバックグラウンドを見るとあながち遠い話ではない気がします。

 なお戦後直後の日本も同じように社会主義の色の強い経済政策(統制経済)を採っており、ソ連も5ヶ年計画で躍進したりお隣中国も改革・開放政策で一気に伸びてますが、案外どん底の経済状態から立て直すには社会主義経済政策に分があるのかもしれません。ある程度伸びたら使えなくなるでしょうが。

 ざっと彼の経済政策を眺めてきましたが、この朴正煕政権期のどこが面白いのかというとこうしたマクロな話ではなく、ミクロなところです。なもんだから次回はより焦点を絞り、韓国軍のベトナム戦争派兵について取り上げます。