ページ

2009年10月10日土曜日

カープ、緒方選手の引退について

最後は三塁打!広島・緒方、引退試合に出場(YAHOOニュース)

 上記のニュースにある通り、私も大好きな選手の一人であるカープの緒方選手が本日引退試合に出場しました。
 緒方選手はトリプルスリーこそ達成していないながらも全盛期は走攻守がどれも備わった選手で、特に盗塁においては幾度か盗塁王を獲得しており元ヤクルトの古田選手に、「刺せたと思っても刺せなかったことのある唯一の選手」とまで言わしめております。現在でこそ盗塁を多く決められる選手と来たら阪神の赤星選手が代表的なように、走塁と守備を専らとして打撃は内野安打、セーフティバントのように小技を決めてくる印象がありますが、この緒方選手においてはホームラン数も非常に多くて年間30本塁打、打率三割も度々経験している強打者でもあり、近い選手と来て私が思い浮かべられるのは現役時代の真弓現阪神監督くらいです。あ、でも元横浜のローズ選手、鈴木尚典選手もこんなタイプだったか。

 元々広島というチームは私も以前に選手年鑑から選手の年齢構成を分析した事がありましたが、若手層とベテラン層が多くて中堅層の選手数が非常に少ない、他球団と比べてもややいびつなくびれ型の選手年齢の構成を持つチームです。この原因については初期の頃から若手を激しいトレーニングで鍛えて潰す一方、それを乗り越えたら鉄人衣笠、金本に代表されるように怪我に強くて選手寿命の長い選手が生まれるというタイガーマスクの虎の穴方式ではないかと推測してレポートにまでしましたが、この緒方選手もそのような長寿選手の一人で、プロ野球在勤の23年もの間広島のファンの方々に愛され続けました。

 そんな私が何で緒方選手が好きになったのかというと、ちょっとした偶然がきっかけでした。
 私が小学生だった頃、新聞屋から人気がないという事でもらったヤクルト対広島戦のチケットを携えて親父と一緒に観戦した際、試合中に突然うちの親父が急に動いて体を前のめりにするや飛んできたファールボールを見事にノーバウンドでキャッチしました。そのキャッチしたボールこそ、緒方選手の打ちもらした球でした。

 本来は返さなくてはいけないのかもしれませんがその後に球場係員がこなかったため、そのままそのボールを持ち帰る事にしました。今でも自分の部屋にそのボールは保管していますが、プロ野球で実際に使われたボールを放った選手という事でそれからは緒方選手の事をマークするようになり、往年の活躍を見るたびに他の贔屓にしている選手同様にうれしさを覚えていました。

 始まりがあれば終わりがあるというように、どれだけ好きな選手でも永遠とその活躍を見守る事はスポーツの世界ではありえません。ですがひと時の間でもすばらしいプレイを見せつけてファンを楽しませてくれ、その役目を果たし終えた引退選手たちには深い感謝と敬愛の念を私から送らせていただきます。

  今年の主だった引退選手
・江藤智選手(西武)
・緒方孝市選手(広島)
・小宮山悟選手(ロッテ)
・清水崇行選手(西武)
・立浪和義選手(中日)

2009年10月8日木曜日

中国の通史を学ぶ難しさ

 先日に中国語の恩師の許を訪問した際、久々にかなり通な話ができるという事で双方ともに飛ばし気味で中国に関する話をしてきました。中国や韓国は近くて遠い国だとよく言われますが、案外中国について細かいところまで分かる日本人は少ないのでなかなか気持ちのよい会話ができました。

 その時の恩師との話に出てきた話の一つに、中国の歴史についての話がありました。日本人がよく知っている中国の時代とくれば言わずもがなの三国志にて描かれている三国時代ですが、この時代以外の中国史となると途端に認知度は低くなってしまいます。それでもまだ「史記」に描かれる殷から周への易姓革命、春秋戦国時代、項羽と劉邦の漢楚興亡史までなら知っている人もいるのですが、はっきり言って三国時代以後ともなると中国史はもうほとんど何も知らないという方が大半なのではないかと思います。

 実際に三国時代の後に成立した晋王朝はすぐに滅び、その後いくつもの王朝が出来たり滅んだりした五胡十六国時代という私自身も細かく把握していないほど非常にややこしい時代に突入するので、三国時代から隋唐時代までのつながりが薄くなるのも仕方がない気がします。

 私は基本的に歴史というものは、前後のつながりがあるからこそ認知、把握が出来るものだと考えており、それが上記の例のようによく分かりにくい時代が間にあると途端に全体像が見えなくなって自然と記憶するのも難しくなると思います。特に中国においてはこの五胡十六国時代のほかにも唐と宋の間にある五代十国時代もあり、中国とそこそこ専門的に関わってきた私ですら未だになかなか全体像をつかむ事が出来ずにおります。

 更にこうした中国の歴史を学ぶ上で難しくさせているものとして、宋以後の通史を学ぶのに適当な本がないという理由も挙げられます。高校で教えられる世界史では欧米の歴史と交代に教えられる上に結構ややこしいところはすっ飛ばされているので言うまでもないのですが、目下のところ先ほどの史記、三国志、そして十八史略を除くと中国史を学ぶのに一般的な本や教科書というものはあまり多くありません。そうした学ぶ材料が少ないということも、中国の通史を学び辛くさせている要因だと、先生と共通の認識を持ったわけです。

 この際に先生は、陳舜臣氏の「中国の歴史」という本が通史を学ぶ上で役に立つと言われたのでこれから徐々に読んでこうと考えていますが、中国史は戦国時代や三国時代以外にももっと面白い時代や話は多く、明の洪武帝の話とか清の光緒帝のところなど、自分からも紹介したいような話はいくらでもあるので興味を持つ方は是非ご自分で学んで欲しいと心から思います。
 ゆくゆくはこのブログで中国の通史を自分で書き上げることができたらと考えていますが、そんな事を考える暇があったらとっとと留学記を終わらせるべきでしょうね。ちなみに先生にも現在連載中の留学記のオリジナルを送ったのですが、ブログで公開しているような敬体ではなく非常にラフな元の文体のがいいよと言われました。

2009年10月7日水曜日

北京留学記~その十三、国際会議の報道

 私が中国に滞在中、NHKを見ていると非常に中継場所として映ったのが天安門前のホテルでした。一体どうしてそこから中継が行われるのかというと、六カ国会議の現場状況の中継が必ず映されたからです。

 2005年からもう四年も経って段々と影も薄くなってしまいましたが、この時期は北朝鮮の核問題の対処を巡る周辺五カ国を含めた六カ国会議が何度も北京で開催されていました。日本としても今より拉致問題への国民の意識が強かったために注目されていたのか集中して報道されており、何度も中継に出てくる北京を見ては随分とメジャーなところに来たもんだと思うほどでした。
 さてそんな日本の報道振りに対して中国のメディアはどのように報道していたかですが、こちらは靖国のときほど細かくはチェックしていなかったものの、やはり日本よりはまだこの問題に対する直接的な危機感が薄いせいか、本当に小さく報道しかされておりませんでした。当時の私の手記を読むとこの日中の六カ国会議報道の温度差について、

「心なしか、六カ国協議における日本の立場と同じものを感じる。」

 と、まとめております。


 この六カ国会議のほかに私が中国に滞在中にあった大きな国際会議というともう一つ、2005年12月における香港での世界貿易会議がありました。もっともこちらは先ほどの六カ国会議に比べて、ほとんどの日本人の方は何が起きたか知らないのかと思います。

 具体的にこの世界貿易会議で何があったのかというと、この時の会議での主要な議題は農作物の貿易自由化についてだったそうですが、会議中に主に韓国からやってきた農民の自由化反対グループと警官隊が衝突し、警官隊が催涙弾を撃つなどの騒ぎとなりました。当時チャンネルをつけるとニュース番組では特番や現場中継を設けるなどして大きく報道していましたが、まるで戦争映画化かのように催涙弾の煙が立ち込める中dエ警官隊と韓国人農民グループがぶつかっており、最初見たときには何事かと思ったほどでした。

 そんな中国での大きな報道振りに対して日本ではどうかというと、自分が調べた限りでは日本ではインターネットのYAHOOニュースとNHKが香港にて衝突が起こっているとだけで、まるで交通事故の一例を紹介するおざなり程度の報道しかされておりませんでした。試しに日本に帰国後にあちこちの友人にこのニュースの事を尋ねましたが、記憶している人間はただの一人もいませんでした。

 ではこの事件は中国国内であったことから大きく取り上げられたのかというと、ちょっと事情は異なるかと私は考えております。この時のテレビ中継をみている際に相部屋の相手だったルーマニア人と話をしたのですが、中継される暴動を見ながらお互いにアンチグローバリゼーションの抵抗運動だなどと、それぞれが知っている内容を伝え合いました。
 この「アンチグローバリゼーション」という言葉は以前にも、「日本語にならないアンチグローバリゼーション」という記事でも紹介していますが、要するに貿易の過剰な自由化は世界経済を成長させるどころか貧困を助長させるという主張で、自由化を促進させようとする世界会議が開かれるたびにあちこちでこの主張をしている団体が激しい抗議活動を行っております。なお、一番でかかったのは2001年のイタリアでの会議です。

 リーマンショックを起こった今だったら多少はこれらの主張も実感が伴うように感じられるので、今だったら報道の仕方も違ったかもしれませんが、世界の学生はこのアンチグローバリゼーション運動をみんな知っているのに対して日本人だけはほぼ皆無といっていいくらいこの流れを知らず、それが当時の報道にも現れたのでしょう。昨日に書いたオリンピックの報道でもそうですが、もう少し世界の動きや流れを日本人は意識して取り入れてもらいたいものです。

北京留学記~その十二、靖国参拝時の報道

 大分日が空いての連載再開です。現在この北京留学記とともに時間の概念についても連載をしておりますが、二つも重ね合わせるもんじゃないなと現在は激しく後悔しております。ちょっとこっちの北京留学記の方は集中して取り組み、早く終わらせないと(´Д`)。
 前回までは私の北京での生活など、主にこれから中国に留学を考えている方向けの情報ばかりでしたが、今回辺りからは当時でしか味わえなかったというか、リアルタイムで私が見聞きした現地の情報をオリジナルな解説を加えてお送りします。そんなまず一発目は、恐らく聞きたい方も多いであろう2005年の小泉首相(当時)の靖国参拝時の北京の様子です。

 2005年の10月17日、いわゆる郵政選挙といわれた9月11日の選挙での大勝の余韻も覚めやらぬこの日、小泉首相(当時)は在任中五度目にあたる靖国神社参拝を行いました。この靖国神社参拝はかねてより日中間の外交に影響を及ぼしており、特に中国側はA級戦犯を靖国神社が祀ってあることから日中戦争を日本政府が肯定するような行為だと激しく非難しており、この前年の2004年の参拝時には中国にある日本大使館や領事館前でデモや抗議活動、中には投石まで行われるほどの騒動となりました。

 そのためこの五度目の参拝時も再び反日活動や暴動が起こるのではないかと日本側は取り上げ、NHKの海外向け注意報でも中国に滞在している邦人に対して気をつけるように、またみだりに大使館周辺をうろつかないようにという外務省から出された注意が放送されました。また私の親父もわざわざ私にメールで外出を控えた方がいいのではと伝えてきたほどだったのですが、結果から言うとこれらはすべて杞憂に終わりました。

 私はこの参拝当日に中国のニュース番組を細かく確認していましたが、その報道振りはというと非常に事務的な内容ばかりでした。参拝に対してどう思うかというような街頭インタビューも少なく、ただ中国政府が日本に対して非難を行ったということを述べるのみで、前年、またそれ以前の中国から日本への抗議、非難の仕方からすると随分と大人しかったという印象でした。
 事実前年のあの反日デモはどこ吹く風か、大使館周辺でも目立った騒動は起こらず、北京市内の雰囲気ははっきり言って普段の日常と何も変わりませんでした。

 ここでは詳しい解説を行いませんが、何故このときに平穏を保ったのかというとやはり日中双方が事を荒立てたくない心理が作用したせいだと私は考えております。特に中国はそれまでの参拝時における中国国民の暴動に自身が相当に懲りたか非常に気を使っており、少なくとも国民を煽るような報道、抗議の仕方はしていなかったと断言できます。まぁそれを言ったら、中国人もさすがにもう五回目という事で、「またか('A`)モー」、ってな感じに受け取っていたのかもしれませんが。
 そんなこんなで、大体二週間もすると参拝した事すらみんな忘れてしまってました。

2009年10月6日火曜日

オリンピック誘致報道について

 先週のニュースですが、2016年オリンピックの開催地を決める投票が各国代表委員によって行われ、南米では初めてとなるブラジルのリオデジャネイロが見事開催地に決定されました。今回のオリンピック開催地の選定では最終的に選ばれたブラジル以外にも、日本の東京、アメリカのシカゴ、スペインのマドリードも候補として名乗りを上げていました、これら候補国に対して日本のメディアの扱いや報道ぶりにややいぶかしむ点があったので、今日はその点について短めにまとめようと思います。

 まず結論から言えば日本のこの開催地を巡る報道は的外れもいいところで、全く以って下馬評が外れた結果に終わりました。選挙前日にもなるとどの日本のメディアもこぞってこの開催地について報道合戦を繰り返していましたが、それらの報道では最大の候補はアメリカのシカゴで、東京が選ばれるにはこのシカゴにどう食い付いていくかが重要であるとして一回目と二回目の投票を如何に乗り越えるかというような解説ばかりなされていました。まるでアメリカのシカゴが最有力候補であるのに対して日本はその下の第二候補であり、マドリードとリオデジャネイロが選ばれる可能性ともなるとほとんど言及がなかったように思えます。

 しかし結果はというと、まず一回目の投票において日本メディアが最有力候補として挙げていたシカゴが真っ先に落選しました。このシカゴの落選時に都庁に集まった誘致派の人間らは大喜びをしていましたが、その一方で最有力候補と見られいていたシカゴが一番最初に落ちた事で全く予想がつかなくなったかのような言いようのない不安を口にするアナウンサーやコメンテーターもおり、事実その懸念の通りに二回目の投票にてあっさりと東京も落選しました。
 ちなみに私が見ていたテレビ番組では最初の投票直前に、スペインのマドリードが一番最初に落選する可能性が高いが、もしかしたら同情票や、花を持たせたいとする委員の力で残るかもしれない(リオデジャネイロがかわりに落ちる)、というような解説をしていたので、いろんな意味で複雑な気にさせられました。

 このオリンピック誘致において、東京がどのような誘致活動をして、投票直前のプレゼンで何を訴えたかまでは細かくチェックしていませんが、投票前の下馬評がそっくりそのままひっくり返る形でマドリードと最後まで争った挙句にリオデジャネイロが選ばれたということは、日本のメディアは実情からかけ離れた予想、報道を行っていたという事になります。こう言っては何ですが投票前はまるで七割方東京が選ばれるかのような報道振りで、あんまり後ろ向きな報道も問題ではありますが今回はやや威勢がよ過ぎた様な気がします。

 また他の候補都市の予想順位についても、これはあくまで私の素人目ですが、投票を行うのは国単位ゆえに発展途上国の数が多くなるため、欧州でもアジアでも北米でもない南米の、しかも発展途上国のブラジルに票が集まるのが自然ではないかと投票前に私は思っていました。マドリードについては2012年に同じ欧州のイギリスのロンドンが開催するために、順位も低いだろうと私も予想していましたが。

 とにかくこれほどまで的外れだった予想について、一体どこをどう読み間違えて日本はこんな報道をしてしまたったのか、世界の感覚、潮流を理解していなかったのかといろいろと考えさせられた一夜でした。もっともこう考えるのも私くらいで、このオリンピック招致を自分の花道だと考えていた石原慎太郎都知事の影響力がまた一段と弱まり、誘致活動のためにかかった150億円は誰が責任を取るのだということが目下の注目店となってきております。

 それにしても、ここ数年の石原都知事の影響力の低下ぶりは目に余ります。新銀行東京の赤字に始まり築地移転問題、そして今回の誘致失敗と、ほんのちょっと前までは何かしら政府に動きがあると地方首長の意見としてよくインタビューが報道されていましたが、今ではそれもすっかり橋下大阪府知事、東国原宮崎県知事にお株を取られています。ある意味、前回都知事選にて対抗馬の故黒川紀章氏の言われていた通り、あの時が石原氏のいい引き際のタイミングだったのかもしれません。

2009年10月5日月曜日

中高一貫教育の報道に思う事

 以前に新聞社に勤めている方から、こんな話を聞かされました。

「今どこの新聞社も、大学に足を向けて寝る事はできない」

 この発言の意味というのは、新聞社の収入の中で大きな比重を占める広告費が不況のために企業からの受注が年々減り続ける中、大学を始めとした学校からのものは逆に一貫して伸び続けていて、広告費全体に占める割合も大きく広がっているという事からでした。その方によると、今時二面カラーの全面広告を打ってくれるのは有名私立大学くらいなものだそうで、実際に私も新聞を見ていてそのような気がしますし、電車内の広告ともなると私立の大学のものが近年随分と目に付くようになってきました。

 それにしてもこれほどまでにあちこちで貼られている大学などの広告を見るに付け私が思うのは、政府からの教育助成金が削減されているために教育の質が落ちていると各所で言う割に、学生募集を謳う広告費を出すだけのお金は潤沢にあるんだなという皮肉ににた感慨ばかりです。こちらは今度は広告代理店に勤めている方から聞いた話ですが、今の大学は確かに経営的には非常に追い詰められているものの下手な企業よりは現金が豊富にあり、本人らも生き残りをかけて学生の獲得に励んでいるそうなのですが、そうやって広告で学生を集めるより、もっと自分らの研究、指導実績で健全に学生を集めるべきだと私は思います。

 ただそうした広告にお金をかけるという経営判断を下すのはほかならぬ大学自身なので、そんなところまで一個人である私がとやかく言うのもなんなのでこれまで気にせずに取り上げてこなかったのですが、この前ふとしたことから、もしかしたこの状況がある方向に報道を固定しているのではないかという疑念が湧き、こうして記事にまとめる事にしたわけです。その疑念というのも題にある通り、中高一貫教育に対する報道についてです。

 受験者募集を広告に謳うのはなにも私大だけでなく、最近は受験者数の増加に伴って私立中学、高校も新聞や車内広告を多く打つようになってきました。そうした広告が果たして受験者数の増加にどれほど貢献しているかは分かりませんが、各学校法人が以前より広告にお金をかけるようになったのは間違いないと見ております。
 そんな学校法人から受注を受ける新聞社ですが、新聞社の方は折からの部数減少に加えて企業からの広告受注の減少によって今はどこも赤字経営が続いていて、最初の新聞社勤務の方の言われるとおりにもはや学校法人なしには経営が成り立たないとほかのところからもよく聞きます。

 これは何も新聞に限らずテレビなどのどのメディアでもそうですが、お金を出してくれるスポンサーという関係上、広告主を怒らせて広告を引き上げられては大変なので、たとえ広告主の不正や問題が発覚したとしてもメディアは率先してその事実を報道しようとしない言われております。私はその時代に生きているわけじゃありませんが、公害問題が全国各地で起きていた際にもその公害を引き起こした大企業をスポンサーに持っているメディアは報道を控えていたらしく、水俣病も今でこそ代表的な公害事件として認知されておりますが、引き起こしたのが大企業のチッソであったことから発生当初、大新聞はほとんど取り上げなかったそうです。
 それがため雑誌の「週間金曜日」などは広告費を一切受け取らずに購読料のみで運営されていますが、このようにメディアにおける広告というのはある程度報道を偏向させるきらいがあると言われています。

 こうした広告における前提を踏まえてみると、どうもこのところの中高一貫教育に対する報道はもしかしたら偏向があるのではないかと、一昨日に突然閃いたわけです。本当に何度も書いてある通りに私も私立の中高一貫校に中学から進学しましたがお世辞にも面白い学校というわけでなく、また自分の学力の向上につながったかといえばそれも非常に疑問でした。なにせ、中学高校時代もずっと予備校に通っていたわけですし。
 また私と同じく別の中高一貫校に行った友人もあまり母校を評価しておらず、確かに私立中高に行って良かったと思う人も少なくないかもしれませんが、中には私らのように良い思いをしなかった人間もそこそこいると思うのです。実際に私の小学校の頃の友人は、私立中高に進学したものの登校拒否になってしまいましたし。

 それに対して近年の新聞、テレビといったメディアの中高一貫教育への報道は、はっきり言って肯定的な報道以外ありえないと断言してもいいくらいに良い面しか報じておりません。もしかしたら私らのような否定派の意見が本当に極少数であるのかもしれませんが、中高一貫教育のデメリットに対する報道がこれほどまでに全くないというのはさすがにやりすぎなのではないかという気すらするほど徹底されております。
 そこへきて最初の広告の話です。先にも言ったとおり、今の新聞社の広告収入ははっきり言って学校頼みです。そんな状況下で、スポンサーである私立中高に真っ向から対峙する事になる中高一貫教育を批判することができるのでしょうか。それよりもむしろ、スポンサーの意向に沿う形で中高一貫教育の有効性を訴える報道をするというのが自然な流れに見えます。

 これまで広告費における弊害は大企業との癒着ばかりに目が行っていましたが、こうした教育問題全般に対してももう少し目を光らせておくべきではないかと、感じた次第です。

技術の発達による怪談の締め出し

 日本の怪談話と来ると現代においても代表作でもある「番町皿屋敷」をはじめ、主な舞台は江戸時代であることが非常に多いです。しかしそのために江戸時代にあって現代にないもの、それこそ宿場町や渡世人、賭場といった概念は現代人には理解しづらく、年浅い子供たちにとっては怪談話を楽しむ上で大きな妨げとなってしまいます。

 しかしこうした生活環境、文化の変化によって印象が変わってしまう怪談話は何も江戸時代のものに限らず、水木しげるの漫画に出てくるような妖怪たちも今に至っては随分と居場所をなくしてしまったとこのごろ思います。その中でも一番代表的なのは河童で、まず河童が潜むとされる池自体が以前ほど身近なものでなくなった上に、トイレに忍んで腰をかがめた人間の尻から尻子玉を抜こうにもまず汲み取り式便所がなくなり、その上和式便器も次々と洋式便器に取って代わられいるため、なんとなくこう河童が潜める隙間というか、「もしかしたら中にいるのでは?」と思わせられるようなシチュエーションはほとんど見なくなりました。

 しかしそのような河童も昭和の妖怪で、平成という時代から見るならもう随分と古くなってしまったと見てもいいかもしれません。では平成の妖怪、というより現代の怪談やホラーの登場人物たちはどうなのかというとこちらもまた技術革新の煽りを受け、その存在のリアリティが薄れつつある傾向にあります。そのように私が思わせられたのも、ある新商品の告知からでした。その商品というのも、プロジェクター型テレビです。
 なんでもこの前、映画館で映像を見るように家庭内でも映写機みたいな機械を使って壁やスクリーンに映してテレビを見られる商品が発売されたそうです。この商品のついてネットの掲示板であれこれ意見が交わされていたのですがその中に、

「これだと、貞子はでてこれないじゃないか」

 という、面白い事を言っている人がいました。
 貞子というのは私くらいの年なら知らない人はまずいない、鈴木光司氏原作の「リング」、「らせん」に出てくる元超能力者の怨霊で、正式な名前は山村貞子です。ちなみに生前の貞子を演じた事で一気にスターダムに上ったのが、多分今一番CMのギャラが女性芸能人で高いであろう仲間由紀恵氏です。

 この貞子は日本人全体に浸透している怨霊、妖怪の類では、恐らく最も新しく世に出てきたキャラクターといってもいいでしょう。そんな貞子が何故それほどまでに知られるようになったのかというと、初登場作の「リング」において砂嵐のテレビ画面から白装束姿にて突然這い出るように現れ、長く垂れ下がった髪の下から恐ろしい目つきで崇り殺す人物を見下ろすワンシーンが非常に怖いと評判になったからでした。そのため一時期はこの貞子の登場シーンがお笑い番組などでよくオマージュされ、また週間少年ジャンプの読者投稿コーナーでも何故か磯野家のテレビから出てきたりと、関連するイラスト投稿が大量に続出したほどでした。

 しかしこれが先ほどのプロジェクター型テレビだと、果たして貞子は出てこられるのかということになってしまいます。劇中ではブラウン管から抜け出るように現れましたが、プロジェクターを映すスクリーンや壁からそんな都合よく出てこられるものか、しかもスクリーンが高い位置から垂れ下がっていたら、出てくるなりいきなり地面に落下する恐れがあります。
 そんなことをこの前友人に話してみたところ、その友人はプロジェクター以前に、すでにもう大分普及しているワンセグテレビの方が問題だと指摘してきました。

 ワンセグというのはわざわざ説明するまでもありませんが、携帯電話やPSPなどで見る画面が小さなアレです。仮に貞子に祟られたとしても、普段からワンセグを見ていれば貞子も出てこようにも出てこれないのでは、出てきたとしてもちっちゃい体で出てくるのではと、その日の晩の遅くまでお互いに深い懸念を出し合いました。

 それこそこれからまた十年も経ったりすると、こうしたテレビ画面を見るという生活習慣が現在からかけ離れたものになっていたり、もしくは全くなくなっているかもしれません。最初の河童の例もそうですが、時代の移り変わりとともに彼らが現れる媒介は変化を余儀なくされず、それゆえに怪談やホラーに感じる恐怖のリアリティの度合いは時間の経過とともに薄まっていきます。逆を言えば「リング」は当時にまだ真新しかったビデオデッキを題材にとって世に出た事がブレイクの要因だったように、妖怪たちは時代時代にそのような媒介を新しいものに移しながら存在しているのかもしれません。