ちょっとこれからまたややこしい関係の記事をしばらく投下して行こうかと思います。その第一発目として今日は、刑法の必要性について私の知る限りで解説します。前もって断っておくと私の専門は法学ではないので専門的知識を持った方からすると何だこれはと思う事も書いてしまうかもしれませんが、出来れば暖かい目でこんな考えを持つ素人がいるのだな程度に流していただければ助かります。
刑法が何故必要なのか、恐らくこう問われると大半の方は「犯罪を抑止するのに必要だから」と答えるかと思います。この答えの意味を詳しく説明すると、例えば他人から一万円を盗んで警察に捕まると罰金を課されたり、前科がつくなどしてリスクに対して得られる金額が少ないと感じて悪い気が起こらないようにさせる。そういう風に刑法というものを犯罪行為に対するリスクとして意識させる事で犯罪を未然に防ぐ効果のことを「犯罪抑止力」と呼びます。
私なんか専門が社会学なだけに人間というのは八割方打算的に行動すると考えておりますが、この犯罪抑止力なんかもまさにそのような考え方で刑法というものを規定しているように思えます。
こうした一般的な犯罪抑止力という考え方に対し、刑法というものは無限の復讐を止める手段という考え方を以前に聞いた事があります。こちらはあまり一般的な考え方ではないと思うので詳しく解説しておくと、日本ではちょっと想像し辛いのですが中東の国では文字通り、「七代に渡って祟る」という概念があるそうです。
なんでもある中東の国の中にある部族では伝統的に自分から数えて七世代上までの先祖の出自や人生などを覚えさせる風習があり、この七世代の祖先のうち誰かが殺害でもされていれば、その殺害した一族に対して復讐を行わなければならないという価値観まであるそうです。何処の国かまでははっきり覚えていませんが(確かトルクメニスタン)、それがために旧ソ連が侵攻した際には兵士達は一様に顔を隠して復讐の対象とならないようにしたそうです。
こうした風習がどう刑法に関わってくるかですが、皆さんも子供の頃に経験があるかと思いますが、友達から小突かれてお返しとばかりに小突いたら、「お前のが俺より痛かったぞ」と言ってまた小突かれて、「今のはやりすぎだぞ」といってまた小突き返したりと。
復讐、特に殺人ではこのループに陥りやすく、先ほどのある部族の例だと五世代上の先祖が誰かに殺されている一方で三世代上の先祖は誰かが殺している場合、その人間はある一族を復讐の対象とする一方で別の一族から復讐の対象になっているという事になります。またここまで極端でなくとも、親が殺されたからその殺害者を復讐して殺した場合、今度はその殺害した相手の子供に命を狙われる……そんな無限パターンもあったりするので、昔の中国の権力者なんかはよく三族皆殺しをして復讐の根を絶とうとしていました。
そのため江戸幕府では「仇討ちは一代まで」として、親がなんらかの理由で殺害された場合はその殺害者に対して子が仇討ちをする権利が認められ、殺害者を斬り殺しても罪には問われませんでした(逆に返り討ちにあった場合でも、親共々子も殺した殺害者はその殺人については罪に問われない)。その代わり、仇討ちされた者の子は仇討ちを果たした相手を殺害する事は認められず、勝手に仇討ちとばかりに殺害した場合は容赦なく刑罰が課されていたそうです。
普通に考えたってあちこちで復讐劇が繰り返されていたら殺伐として、お世辞にも住み易い社会とは言えないでしょう。そのため日本に限らず多くの社会では復讐に対して一定の制限をかけ、最終的には現在の日本を始めとした法治社会のようにいくら親類が殺されたとしても私的な復讐は認められず、裁判を通じて課される刑罰へ手段を統一していく事になりました。こうした背景から以前にあるコラムニストが、刑法というのは個人から復讐権を奪う概念であって、過度な報復となっては良くないが最低限犯罪被害者の溜飲を下げさせる効果がなくてはならないと主張しているのを見たことがあります。
復讐を行った所で必ずしも気持ちが晴れるわけではないと言う人もいますが、それでもないよりはあった方がいいと主張する人もいます。ではどれくらいの報復がそれぞれの犯罪行為に見合うのか、これは時代によって変わったりしますが私はなんだかんだいって、「詐欺をしたら懲役○年」、「窃盗をしたら罰金○万円」というように、刑法で規定された内容にいつの間にかみんな慣らされていくような気がします。もっとも最近は厳罰化機運がどこでも高まっていますが、刑法はただ単に犯罪抑止力だけでなく、無限の報復を防ぐ、被害者の意識を和らげるといった面にも注目し、考えていくのが大事かと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿