2010年9月3日金曜日

死刑は犯罪抑止につながるか

 前回、「刑法は何故必要なのか」の記事にて私は大雑把な刑法の必要性、意義についてあくまで私なりに説明しましたが、今回はその中で取り上げた「犯罪抑止力」が死刑にもあるのかどうかについて議論をしたいと思っております。結論から言えば、私は死刑にはあまり犯罪抑止力は期待できないと考えています。

 まずはおさらいですが、犯罪抑止力というのはそもそもどういった概念なのかを説明します。これは簡単に言えば犯罪に対して刑法によってリスク意識を持たせる概念で、犯罪によって得られる利益に対して捕縛された場合に受ける刑罰を意識させる事で迂闊に犯罪に走らせないようにするという考え方です。死刑でこれを説明するのは非常に簡単で、いくら殺したいほど憎い人間がいたとしても実際に殺人を犯したら死刑になる可能性があり、命惜しさに実際に殺人には踏み切らない……という風に死刑には犯罪抑止力があると言われます。

 確かに誰だって自分の命は惜しいですしわざわざ死刑にされる可能性がある行為なんて誰も率先して取らないだろうと思いますが、悲しい事にこれがまるきり通用しない人間は存在すると言わざるを得ません。それはどういった人間かというと単純に自暴自棄になった人間の事で、代表的な例はかつての池田小連続殺傷事件を引き起こした犯人の宅間守で、最近だと秋葉原連続殺傷事件を起こした加藤智大など、どうせ自分も死ぬつもりだからと割り切った人たちです。これらの事件に限らず近年の通り魔事件では犯人らが一様に、「自分が死刑になるためにやった」などと、本心かどうかまでは分かりませんが自分一人では死に切れないから死刑を自殺の手段として期待するかのような動機を語る人間が増えております。
 こうした死刑を覚悟して自暴自棄に殺人を犯す人間らには、残念ながら「死刑になるかも」という犯罪抑止力が働く事はまず考えられません。

 また現在の日本の死刑判決には永山則夫事件以降に作られた暗黙の条件があり、例外が全くないわけではありませんが二人以上の殺人にしか適用されないとされています。そのため下衆な言い方になってしまいますが、一人までなら死刑にならないとたかを括る人間が現れかねないのではと私はかねてから考えています。ただこの点については近年厳罰化の流があり、先ほどの永山条件はなくなって今後は一人の殺人容疑に対しても動機によっては死刑判決が下りるようになるのではないかと見ています。

 そして最後、果たして殺人を犯す人間はその殺人行為の際、「もしかしたら死刑になるかも」と考えるのかという点が疑問です。よっぽど冷徹な殺人者でない限りは人間は殺人を行う際には頭がいっぱいになるとされ、まともな思考は殆んど働かないと聞きます。それこそ「罪と罰」のラスコーリニコフじゃないですがあらかじめ計画していた殺人を実行している際に誰かに目撃され、咄嗟に口封じとばかりにその目撃者も殺してしまうことも十分に考えられ、こうした点を考慮するにつけて死刑はそれほど犯罪抑止力にならないのではと私は考えるわけです。

 では死刑はあまり犯罪抑止に効果がないのだから廃止すべきなのか。これだとあまりにも結論が早すぎると思うのですが、死刑存廃議論だと真面目にここまでで議論を終えて廃止すべきだという意見を言う人が数多く見受けられます。特に法家に。
 そういうわけで次回は、死刑を一種の社会的報復としてみる観点からその必要性について私の意見を紹介しようと思います。

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