先日に友人が、「この記事どう?」って下記リンク先の記事について私に意見を求めてきました。
・中国の大都市・上海は不動産バブルとは無縁なのか?(ザイオンライン)
リンク先の記事では上海市のはずれにある、西洋風の建築物が密集したところがゴーストタウンになっている状態を紹介し、中国の不動産バブルとも言う現象が見られるがその一方で市民のニーズにあった店舗や物件はそこそこ人気もあれば繁盛しており、ニーズさえ間違えなければまだまだ盛り上がれるという内容が書かれてあります。
そんなこの記事を読んで私が友人に最初に言った一言は、「この中で紹介されている西洋風の建築物が集まったゴーストタウンだが、俺はここに四年前に足を踏み入れてるよ」というものでした。というのも私は2010年に友人と一緒にこのゴーストタウンへ行ったことがあり、そこでは当時からも人や店舗は一切入っていないながらも風景はいいことから今と同じように結婚式の写真撮影などが行われてて、ぶっちゃけ四年前と何にも変わってないねとこの記事読んで思いました。その上で四年前の時点で存在していた、つまり建築自体はそれより前の不動産物件を取り上げて「不動産バブルの崩壊が懸念される上海の現状はこうだ」と言われても、一年や二年前にできた物件ならまだしもいくら何でも無理があるんじゃないかと思ったわけです。第一、ニーズが合えば売れるなんて言うのは当たり前以外の何でもなくわざわざ記事にする必要もなければ、じゃあ今の上海でどんなニーズがあるのかそこまで具体的に書かないと前の職場だったら書いた人間は怒鳴られてたと思います。マジで。
と、厳しめの批評を書きましたが、この記事を書いた人を私はこれまで知らなかったのですがどうやら金融系の小説を書いている作家の方で中国に常住しているわけではないようです。恐らくこの記事も上海を短期で訪れてその感想として書いた記事だと思われ、そういう立場であればこの記事で書かれているような意見を持たれるのも不思議じゃありません。ただ以前から上海をよく訪れたり常住している人間からしていると恐らく私みたいに「だから何?」っていう感想しか出てこず、無理して書くくらいならこういう現場にいる人間の話をあらかじめ一回くらい聞いておいてみるのも悪くはなかったのではと思います。
私が上記のような意見を言えるのもそこそこの期間を上海で過ごしておりなおかつ写真に写るゴーストタウンの現場を知っていたことに尽きます。私のような不動産、金融の素人ですら現場を知っていれば上記のような意見を言えるのですがこれはほかの分野にも同じであって、どれだけ鋭い洞察力や深い知見を持っている人間であっても、現場の事情に関しては現場にいる人間には絶対敵わないだろうと私は考えています。
一気に話が転回しますが上記のような価値観を持つに至った一つのきっかけとして、大学時代に取っていたロシア語の講師(女性)の話があります。その講師は旧ソ連時代に留学もしたことある人だったのですが1991年にゴルバチョフ大統領が腹心に監禁されるクーデター(ソ連八月クーデター)が起きた際、バイトで出入りしてていた大手新聞社に言われて手当たり次第にモスクワにいる知り合いに電話をかけて現場の状況を伝えていたそうです。その電話をかける合間にふとその講師は周りの新聞社社員に対し、「あのー、この事件って多分三日くらいで終わると思いますよ」と伝えたところ、「そんなわけないだろ、何を言ってるんだこの小娘は?」というような呆れて侮るような顔をされたと話していました。しかし実際、リアルに三日でこのクーデターは終わりました。
この時のことについてその講師は、「電話でモスクワにいる人に話を聞いている感じだと誰も緊迫感を持っておらず、普段通りでなんか怒ってるねみたいな感じだったから」と話していました。一見すると超大国の大統領が突然監禁されて連絡が取れない事態なのだから大事の様に思えますが、モスクワにいる人間、そしてモスクワにいた人間の肌間隔の方が事態の展望予想について正しかったわけです。
このように、変に国際事情に詳しくなくても現場を知っている人間の方が情勢予測の点では案外正しい目を持っていることが多いように思えます。私も前職で一時期香港に渡りましたが、やっぱり現地で経済記事を書くというのはどれだけ産業に関する知識を持っていようが、どれだけ文章を上手く書く技術を持っていようが、記事を書く現場にどれだけ長く滞在して現地事情を理解しているかがモノを言います。この点は日本の大手メディアに対して特に強く言いたいことなのですが、最近はどこも地方支局を減らして大事件が起こるたびに東京から記者を応援に派遣して取材することが多いものの、こういうやり方では取材がどうしても薄くなりがちで長期的な視点だとやはりマイナスだと思います。
ここでまた話が一回転しますが、よく経済紙などで現場の声は大事だという言葉が出てきますが、これについては私も同感です。しかし心の狭い日本人がボトムアップの声を掬い取れるかと言ったら私は甚だ疑問で、先程のロシア語の講師の話に限らず知識はないけど現場にいた人間の声をきちんと汲み取るという例は日本だと少ない気がします。
もっともこれは自分に対しても言え、よく偉そうに知った振りしてあれこれいろんな分野において批評をしていますがその現場にいる人間から見たら見当違いなことを言っているのかもしれないという懸念は常に持っております。その上で大事にしていることとして、現場にいる人間が自分の意見に同意すれば自信を持って書き、逆に違うと言われたらなるべく現場の生の声をそのまま文字に起こした上で自分の意見を書くようにしております。
最後にもう一度日本のメディア記者に向かって言いますが、自分が何でも知っている、理解できるなんて勘違いも甚だしいです。取材の基本は現場の声をきちんと汲み取り読者にわかりやすく伝えることにつき、変に自分の視点を他人の言葉の様にして入れるなんて間違い以外の何物でもないでしょう。
おまけ
昔にも書いていると思いますが、この記事に出てくるロシア語講師の授業である日学生が、「せんせー、昨日徹夜でカラオケ行ったから喉痛い。のど飴持ってない?」と言ったら、「あんた大阪のおばちゃんがみんな飴ちゃん持ってるとでも思ってんの?まぁ持ってるんだけど」といってすかさずのど飴出したのを見て、「大阪のおばちゃんってすげぇな(;゜Д゜)」って思いました。
4 件のコメント:
趙充国のことを思い出しました。百聞は一見に如かず…というヤツです。
しかしながら傍目八目ともいうように、ちょっと離れたところからの方がよく物事を俯瞰することもできたりするので難しいものです。結局はバランスの問題ではないかと考えます。現場を知らないのもダメだし、客観的な視点を一切持たないのもまたダメといいますか。
で、またそこから私が思い起こすのは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉であります。この言葉を見た際の私の感想は「なんで経験も個々人の歴史の一部だというのに歴史と別のくくりにするのだろうか」でありました。もちろん歴史に学ぶのも大事ですが、実際に自分が経験した上でしか得られないものも当然存在すると思うので経験から学ぶ人間を愚者扱いするこの言葉はどうも好きになれません。経験から学ぶのも大事、歴史から学ぶのも大事というのが正解ではないかと考えます。「経験」を「現場」に、「歴史」を「客観的視点」と入れ替えても同じことではないかなぁと。
とかなんとか考えて理屈をこねてはダラダラしている自分を省みると、はっきりいって頭でっかちで到底バランスが良い人間とは言えず、「ああもっと色々経験しないと」などとあせったりします。しかしながらあせるだけでやっぱり何もしない(する気にならない)自分に呆れている今日このごろです。
おっしゃる通りに現場の意見ばかり優先して採用してもかつてのカネボウみたいに失敗もしてしまうため、大局に立った見方も重要です。
若生さんはバランスのある見方に気を使っているようですが、実を言うと自分もあまり自信がなく、極論を述べると50対50のように理想的なバランスの上に立ち続けるということは針の上に立ち続ける事と同様に不可能です。しかし現在、どちらか片方にぶれているのかというのは注意深く観察すればまだ見えてくるので、そのぶれに気が付いた時点でもう片方に重心を置いてバランスを真ん中に戻そうとする。これを常に繰り返していれば極端な位置に居続けることはないでしょうし。
この記事もそうした視点の中で書いた記事で、近年の日本では大局観が強すぎて現場の視点が欠けてきたと思い、敢えてこういう書き方しました。逆であれば逆の立場で、「対局を見る目が大事だ」なんて書いていたでしょう。常にバランスのとれた真ん中目指して走り続けるというのが、地味な私のポリシーです。
日本のマスコミは現場主義ではなく先入観があると思いますわ。
以前より上海の不動産バブルが破壊すると言い続けてきたが、実際は破壊しておりませんわ。
因みに、大阪のおばちゃんが好きですわ。
そもそも中国の現場にいない人間がえらそうに記事書いているからそういう齟齬が生まれるんだろうね。バブルが崩壊するだなんて言ってた時に買っておけば大儲けできたというのに。
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