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2010年12月31日金曜日

自分の今年を振り返って

 年末最後の記事ということもあって、ちょっと今年を振り返ることでも書こうかと思います。

 中国で正月とくれば二月初旬の旧正月なので西暦での年末年始はあまり大きなイベントではなく、実際に今日も私は客先の日本企業は全部閉まってて暇でしたが会社に出勤してきました。それでも日系企業ということもあって明日から三ヶ日の三日間はお休みですが、土日を挟むのでなんか損をしているような気分がすごくします。
 それにしてもちょうど一年前の去年の12月頃、恐らくこうして中国で一人で年を越すなんて私は想像だにしていなかったでしょう。転職を考え始めたのはまさにその頃ではありましたが、内心ではどうせ今回も計画倒れで実行までは行かないだろうと思っていました。

 私に限って今年一年を振り返れば、やはり最大の事件は中国への転職に尽きます。決断する前から転職したら転職したで後悔するだろうと考えていましたがやらなかったらそれ以上の後悔をするだろうと思って最終的に決断に至りましたが、案の定というかこっちに来てからはほぼ毎日、「日本に残ってさえいれば」という考えが頭をよぎります。ただ人間、基本的に少し辛いと思うくらいの状況が本人にとっていい環境だと私は考えているので、死ぬほど辛い状況ではないので今くらいの環境が一番自分にとっていいのだと納得するようにしてます。
 幸いというか最近はこっちの生活とこっちの南方訛りにも徐々に慣れてきて、またひどく汚れてて電気もほとんどつかなかった自分の部屋もあちこちいじくった甲斐あって住みやすくなり、二週間前と比べると随分と生活に余裕を感じるようになってきました。

 ただこうして次のステージへの第一歩は踏んだものの、今年一年間で見ると自己研鑽が少なかったという反省があります。資格も何も取らなかったし運動も自転車乗り回すだけで必殺技とか何も編み出さなかったし、何かしらテーマを決めた勉強もあまりやってきませんでした。唯一少し勉強したと言えるのはホームページの「陽月旦」をリニューアルする際にスタイルシートとか簡単なHTMLを覚えなおした位ですが、こっちだとFC2にアクセスできないからまた放置することになるかもしれません。アップロードはできるのだろうか。

 執筆活動というかブログの方は他サイトにて取り上げてもらう記事がいくつかあり、またそこそこ固定読者を獲得できたと実感することも増えてきたのでそんなに悪くなかったと思います。ただ大学時代の貯金が減ったと言うか何か知られていない話題や知識を解説することがはっきり自覚するくらいに減って、やはりこのところの勉強不足が徐々に響いてきており再勉強の必要性を感じる一年でした。
 ただそうやって育ててきたブログの「陽月秘話」を中国のアクセス禁止の壁に阻まれてまたこのgooブログで一からやり直す羽目となってしまいましたが、こうして中国で再スタートを切るという意味では心機一転のいい機会だったかもしれません。必然的にこの「陽月秘抄」は前の「陽月秘話」以上に中国関連の記事が増えるでしょうし、ブログの方向性もややか違ってくることになるでしょう。

 逆に来年に対して抱負を述べると、もっと中国国内のニュースをこのブログの中で配信できるようになれるのと、中国人に直接インタビューできるくらい語学を伸ばして人脈も作れればいいかなと思ってます。
 今に始まったわけじゃないですが、このブログを中心に生活上の物事を組み立てることが増えてきました。来年はもっと固定読者が増えるといいな。

2010年12月30日木曜日

日本の司法が変わった年

 自分は見ていないのですが、友人が先日日本で放送されたタレントのビートたけし氏が司会する今年を振り返る番組で死刑制度が取り上げられてなかなか興味深い内容だったそうです。死刑制度については二年前に鳩山邦夫氏が法務大臣だった頃にそれまでなかなか執行されなかった案件を一挙に処理したことから朝日新聞に死神呼ばわりされましたが、この前もインタビューにて鳩山邦夫氏は大量執行したことに後悔はなく、むしろもっと執行命令を出すべきだったと息巻いていました。
 ただこうした死刑の問題以上に、今年はいろんな面で日本の司法が大いに変革を迫られた年だったように思えます。恐らく今後語られる日本の司法史において、このに、三年間は大きな転換の年として取り扱われるのではないかと早くも私は予想しています。

 具体的にどのような点で変革が起きたのかを挙げるとすれば、まず筆頭となるのは裁判員裁判でしょう。開始前でこそ適正に裁判が行われるのか、秘密やプライバシーなどは守れるのか、法律知識のない一般人に何が出来るなどと非難轟々ではありましたが、いざ実際に始まってみると思ってた以上に裁判員に選ばれた方々が真摯に裁判に対応し、また裁判所など司法側も法律知識の少ない裁判員にも理解してもらうためそれまで難解な法律用語を飛び交わせて専門家同士にしか通じない議論だったものを平易な言葉に切りかえ、裁判員のみならず傍聴者、または当事者である被告や原告にも内容が伝わりやすくなったそうです。

 裁判員裁判は去年から始まりましたが今年には早くも大きな節目があり、数件の裁判において死刑判決が議決されました。最初に裁判員裁判で死刑判決が下りた裁判では判決後に裁判長が被告に対し控訴を促すという前代未聞の発言があり各所で批判がありましたが、私は逆にこのときの裁判官のこの発言を高く評価しております。
 普通に考えれば中立を保つべき裁判官がこのように被告に控訴を促すというのは許されないことですが、仮に裁判員裁判の一審にて刑が確定した場合、裁判員らがその被告に直接死刑を議決して死に追いやったと心的負担を抱えることが大いに予想され、結果は同じだとしても裁判員の負担を考えるなら二審、三審で刑が確定させるべきだろうと私も思います。実際に死刑判決に関わる裁判に関わった裁判員らは会見などで強いストレスがあり、死刑に関わる裁判は専門の裁判官のみがやるべきではとも発言しています。

 こうした制度面での変革の一方、司法のあり方というか存在意義についても今年は大いに議論というか事件が起こりました。まずその前兆とも呼べるのは去年に起きた足利事件における菅谷さんの冤罪発覚事件で警察の捜査はもとより裁判において菅谷さんが無罪を主張していたにもかかわらずどうして見抜けなかったのかと、それ以前から一部で批判が起きていた国策操作などとあいまって司法への国民の信頼が大きく揺らいだ事件となりました。

 そんな中で起きたのが今年の郵便不正事件裁判における村木さんの裁判で、言うまでもありませんがこの事件では村木さんが無実だと明らかにわかっていたにもかかわらず検事が証拠を偽造し、無理やり罪に落とそうとしたという前代未聞の不祥事が発覚しました。この事件では証拠偽造を直接行い逮捕された前田容疑者に続き、村木さんの事情聴取を行った国井検事についても検察官適格審査会において罷免すべきかどうかが議論されていますが、前に見た村木さんのインタビューによるとこの国井検事は全く村木さんの話を聞かないばかりか暴言も多く、文面から村木さんが相当に怒りをもっていた人物なのだろうという印象を受けました。
 この証拠偽造事件を受けてか早くも各所で影響が出ていると思える事例があり、どこかの刑事裁判では警察による被告が自白を行ったという主張に対して裁判所側が自白は強要によるものとして退けたり、警察の要請を拒否して検察が立件を見送るなど司法側が捜査に対して慎重になっている節があります。

 私としてはかねがね日本の司法に疑問を持っていたので、ここ最近の事件などによるこのような影響を歓迎して見ています。また市民も司法に対して注目をするようになり、司法の壁というか閉じきった変な世界が徐々に開かれてきているようにも思えます。
 今、立法府においては小沢氏の裏金疑惑が訴状に上っておりますが、行政を含めて三権がきちんと機能するためには司法が独立性と正当性を保たねばなりません。今後も司法改革というか清浄化がいっそう進むことを切に願います。

 スカイプチャットしながら書いたから、えらく時間かかったな。

2010年12月28日火曜日

中国の外交が強硬化した理由

 中国の正月は二月なのと、新しい仕事に未だ慣れないためにいまいち年末気分で盛り上がれずにいますがそれにもめげずに今日もブログを更新します(つД`)

 さて今年も残りわずかとなってきましたが、今年一年を振り返ってみると中国関係では何よりもあの尖閣諸島沖漁船衝突事故が日本にとって一番大きな事件だったでしょう。いろいろ細かい事件はありましたが小泉政権が終わってから日中は割と波風少なく経済交流が進んできていたのですが、あの衝突事件以降はそれ以前からも徐々に輸出枠は減らされてきていましたが報復としか思えないレアアースの輸出差し止め(実際には他の貨物も止められてたけど)を始めとしていろんなところで無理難題を中国は日本に要求するようになって来ました。

 ただこのような中国の態度は日本に限らず先日のノーベル賞授賞式に平和賞を受賞した劉暁波氏の問題から他国に参加しないようにと斡旋したり、スウェーデンとの通商交渉をひっくり返すなど目に見えて近頃は強気な姿勢を出してきています。さらには同じ漁業の問題だとつい少し前にお隣韓国でも同じような漁船事故が起こって、日本の時同様に例の謝罪と賠償を強く請求しているようです。

 正直に言って漁船衝突事故が起きた際も私は最初は強気なことを言うけれども適当な落とし所で中国も引いて、事を余計に荒立てないようにするだろうと考えていました。しかし予想は見事に外れて中国は最初から最後まで強気な姿勢を崩さずにきたわけですが、どうも去年と比べて今年の中国は外交に対して一切の妥協を示さず我が物顔に振舞うように転換してきたように思えます。もちろんこれまでも十分わがまま放題な国ではありましたが今年はそれに輪をかけたというくらいの変貌振りで、何か内部に変動でもあったのかと疑うくらいでした。

 では一体何故中国の外交が強硬化したのかですが、いくつか考えられる理由がありますがまず第一に考えられるのは今年の十月で上海万博が閉幕したからです。中国は08年の北京オリンピックと今年の上海万博と、ごく近い期間に世界の注目が集まる国際イベントを連続して開催しました。無論中国としてもこれらのイベントは何が何でも成功させたいイベントだっただけに、北京五輪開会式での口パク少女、上海万博テーマソングが岡本真夜氏の曲のパクリだったなどいろいろ騒動はあったものの必死で押さえ込みにかかって何とか大過なく終わらせることが出来ました。
 この二年間は中国にとってまさにそんな慎重にならざるを得ない期間であり、事実私の目からも中国は地のわがままな性格を必死で抑えているなぁと感じる場面が少なからずあったのですが、今回上海万博が終わったことでようやく抑えるものがなくなったというかまた元の性格が出てきたのではないかと考えることが出来ます。そ

 こうした国際イベントの開催という理由ともう一つ、中国共産党内部で権力移動が起きているのではないかという疑いがあります。
 中国共産党は事実上中国政府と言ってかまわないのですがこの内部の権力ルールというのは割合にはっきりしていて、現在胡錦濤氏が務めている総書記職の任期はきっかり十年で、任期が切れるのは2012年なので実質胡錦濤氏の任期は残り二年間です。それだけに早くも胡錦濤政権の次についてはいろいろと慌しい動きがあり、元上海市長でこの前日本に来て天皇に謁見をした習近平氏が事実上ポスト胡錦濤に内定しております。

 元々胡錦濤氏が総書記に就任した際もその前の総書記であった江沢民氏の派閥が内部に多くいるためにあまり胡錦濤氏は好き勝手出来ないだろうと言われていましたが、習近平氏も江沢民派の流れを受ける人物であるために早くも胡錦濤氏が残り少ない任期という足元を見られて発言力が弱まっているのではないかと一部で報じられています。
 こういっては何ですが胡錦濤氏はこれまで日本に対し、あくまで損得勘定の上でしょうが割と好意的に対応してくれていたと私は思います。仮に江沢民時代、もしくは現在の状況で小泉元首相のように菅首相が靖国神社に参拝でも行おうものなら中国は官民揃って物凄い反応を示すでしょうが、小泉氏の参拝時はまだ胡錦濤氏らが中国国内を抑えてくれたおかげかその混乱のレベルもまだ知れていました。

 それだけに今回の漁船衝突事故時も適当なところで落とすだろうと私も踏んだのですが、結果はこのざまでした。江沢民派は元々対日強硬派が多いとの事で、2012年以降はこれまでのように日中がやっていけるかとなると少し雲行きが怪しいです。

2010年12月27日月曜日

就職情報の嘘と本当

 今年の大学生の内定率はかつて失われた十年と呼ばれた90年代の氷河期を越すほど悪化したと各所で報じられているのを筆頭に、不況ゆえかあちこちで週所気宇に関するいろいろな情報を目にします。それらの情報の全部とはいいませんが、私の見ている限りでもいくつか怪しいデータというか報道内容に疑問を感じる情報も少なくないので、今日はちょっと気になる就職に関するいくつかの情報について私の意見を述べようと思います。

  検証情報その一、「今年の大学生の内定率は57.6%」
 はっきり言えばこの57.6%という数字は嘘でしょう。
 日本、というより中国や韓国を含むアジア諸国は欧統計数字に感情を込めたがる傾向があり、数字に対して徹底的に冷徹になる米に比べて何かと数値がゆがむ事が多いです。特に日本においてこの就職率の数値ほど当てにならないものはありません。失業率についても同じことが言えますがなるべく数値をいい方向に持っていこうとするところがあって実態を把握する数字とはとても言い切れません。

 それではこの内定率算定のどこが問題かというと結論から言えばこの数字は、

  内定を得られた÷就職を希望する学生

 という計算式で算出されるため、全学生のうちの57.6%が内定を得られたという意味ではないのです。
 詳しく解説すると当初は就職活動を行ったものの内定が得られずにやむなく大学院に進学、もしくはまた別の専門学校に進学という選択を行った学生は母数に数えられず、そのほか就職自体をあきらめてしまった学生も加えられていない可能性もあります。

 なので実際のところ、私の勝手な予想を言わせてもらうと本当は就職したかった学生を含めれば今年の内定率は四割前後というのが関の山ではないかと見ております。


  検証情報その二、大企業はともかく中小企業は人手不足で新人が欲しい
 これも学生の内定率が悪いというニュースとともによく、「中小企業は人材が欲しいのに採用のミスマッチが……」という風に報じられますが、半分正解で半分はずれというのが私の見方です。
 そもそも大企業が採用を絞っているのは新たに新人を雇うだけの財務的余力がないということに尽きます。大企業ですら不況でそんな状態なのに、中小企業が新人を雇えるだけの余力があるかというと普通に疑問を感じずにはいられません。

 実際に私もまだ景気が良かった頃に就職活動をしてましたが、大企業と比べて中小企業は本当にいい人材を探そうとしているのか不思議になるくらいぞんざいでいい加減な募集をしているところが多く、「後で面接日などを連絡する」と言ったきりで何の連絡も来ないというのもざらでした。逆にこっちからまだ日程は決まらないのかと聞いたらもう採用は終わったと返事が来るし……。

 ただ人手不足というのは大企業を含めて当てはまる事実で、これも細かい説明は省きますが人手が足りなくて忙しいのに人員を増やせないという負の連鎖が今の日本社会の問題点の根幹であり、その原因はほかでもなくデフレにあるのが私の考えです。


  検証情報その三、企業は即戦力を欲しがっている
 わざわざ書くまでもないですがこれは事実でしょう。先にも言った通りに企業はどこも余力がなくて雇ってすぐに結果を出す人員しか求めていません。実際にはそんな即戦力な人間はそうそう転がっているわけじゃなくて言うこと信じて拾ったら実際とは違っていたというのが多いような気もしますが、社会経験のない新卒の学生にこんなことを要求する自体が間違いでしょう。
 これは逆に言えば学問に対して通常生活では役に立たないと価値を見出せなくなってきているとも取れ、無形の物を評価することができなくなるほど退廃してしまったとも取れるように思えます。今の学生が必ずしも勉強をしているとは私も言い切れませんが、私の就職活動中に大学でどのようなことをしたのかと聞く面接官はいても、どのような学問を学んだかという質問をした面接官はついぞ一人たりともいなかったという事実が如実に現わしているでしょう。

2010年12月26日日曜日

この週末の過ごし方

 昨日今日は中国に来て二回目の週末でしたが、まだ生活が安定していないのとのんびり過ごしたかったのとであまり家から離れずに過ごしました。

 まず昨日は早朝八時に家を出て先週に買った380元(約4,560円)の自転車でサイクリングに出かけました。走った距離は土地勘もないためにいまいちはっきりしませんが大体15キロ前後で、買った自転車性能を試す意味で走ってみたのですが結果はあまり芳しいものではありませんでした。

 一応中国の自転車メーカー(風鳳自行車)純正だと言われて買ったのですがまずギアがほとんど噛み合っておらず、前輪三段後輪七段であるものの前輪ギアは動かすとカタカタ鳴りだしてなかなか噛まず、後輪は多少は融通が利くもののペダル一回転ではギアが変わらず、三、四回転してから突然ガチャンと比較的強い衝撃とともに変わるので乗ってて非常に怖いです。多分普通の人と比べても私は自転車のギアを変える回数が明らかに多いのですが、この自転車ではそうそう変えてたら絶対にすっ転びます。しかもその後輪七段のギアのうち感覚的には表示は変わってもペダルの重さが変わらないギア段があり、実質三段くらいしか変速できません。
 こうしたギアの不調に加えてハンドルのパイプがきちんとフレームにはまっていないのか、ブレーキの度にハンドルが前のめりに少し動いては「ガッ」って金属がぶつかる音がします。動くといっても本当にミリ以下ではありますが乗ってると結構気になるし、故障の原因になるならなるでかまわないけど乗っている時に折れたらすごく嫌です。

 あと私にとって致命的だったのは、サドルを限界ギリギリまで上げたにもかかわらず私の体幹に合わずペダルを強く漕げない点です。手首足首がリアルに女性並みに細く(骨自体が細い)てお世辞にも体格には恵まれなかった私ですが、こと背筋に関しては子供の頃から群を抜いててこれだけは明らかに恵まれていました。その背筋を自転車を漕ぐ際に使う場合、自転車のサイズ(サドルからペダルの距離)と体が合うか合わないかでその使える範囲が大きく変わってくるのですが、比較的小柄な私にも関わらず今回買った自転車はやや小さ過ぎた気がします。自転車屋を眺めていた際にも思いましたがどうもこちらの自転車は全体的に小さいサイズが多く、その中で大きめのサイズを選んだつもりでしたがこれでもだめだったようです。通常ならそれほど苦労せずに時速30キロ以上の速度を出せるのですが、立ち漕ぎすれば無理じゃないけど全然スピードが出ない……。
 まぁ文句ばかり言ってもしょうがないので三ヶ月くらいは我慢して乗るとして、それ以降はもっと高くていいやつに乗り換えようかなと早くも検討中です。唯一褒める点があれば、ブレーキだけは利きがいいです。ほんとこれだけだけど、こんな自転車にブランドつけるあたりはさすが中国だな。

 と、自転車の話ばかりしてもしょうがないのでここらでやめて、そんな風にしてひとしきり走った後はちょっと優雅にケンタッキーで軽食を取り、そのまま近くのショッピングセンターに行って200元(約2,400円)の三洋製炊飯器を買いました。普段の食事は基本的に外食なのでそれほど必要でもないのですが、一応炊飯器があれば米をたいて小原がすいたときにおにぎりが食べられると考えて思い切って買うことにしました。ちなみにこのほか日本製ではパナソニック製も売ってましたが値段はどれも700元(約8,400円)を下らず、中国国内メーカーで最低価格が100元(1,200円)のと比べるとやはり割高でした。
 で、今度からブランド自体なくなる三洋の炊飯器ですが、敢えて規定されている水の量で炊いたところどうもパサパサした感じに炊き上がりました。米自体が中国米なのでその特性かもしれませんが、どうも日本と比べて水の量が少なめに規定されている気がするので今度はもう少し多めに入れて炊いてみようと計画中です。

 土曜日はその後だらだらとネット見たりPSPしたりして過ごしましたが、今回中国に持ってきたPSPソフトの「ガンダム バトルユニバース」が非常に面白くて助かっています。正直に言ってこんなゲームが存在したのかというくらいに面白くて、この感動は初めてPS2で「真・三国無双」をやった時以来です。

 そうして今日の日曜日。今朝はゆっくり起きて部屋の掃除などを午前中に行い、早めの昼食の後の正午ごろに家を出てまた自転車で近くの市場に向かいました。中国には築地みたいな市場があちこちにあって、屋根つきの広い建物の中で違法DVDやら服やら鞄やらそれぞれ様々なものを売る露天商が集まっています。
 今回私がそんな市場に行って探したのは掛け布団の下に使うような毛布で、近くのショッピングセンターにちょうどいい感じの毛布が売ってないので怪しい所だけどわざわざ探しに来たわけです。結果から言うと意外とちゃんとしたものを売っているおばちゃんがいて、180元のところを170元(2,040円)まで交渉して一枚の毛布を買いました。家で広げてちょっと横になった感じは悪くなく、値段的にも納得の金額ですが土曜の炊飯器といいちょっとお金を使い過ぎているような気がします。

 毛布を買ってきた後はちょっと買い物をしておにぎり用の塩を買い、家でごろごろした後の夕食は粗食で行こうとご飯一合のおにぎりのみを食べました。そうしてブログを書く今に至るわけですが、日記くらいでこんなみっちり書くものかとちょっと思います。

2010年12月25日土曜日

中国人は漢民族なのか?

 このところブログのタイトルを何にするか考える時間が増えておりますが、今回もまた考えるだけあって珍妙なタイトルになったと思います。恐らく大半の方は一見して、「何を当たり前のことを?」という具合に思ったのでは。

 現在の中国は多民族国家ではありますがその中で主要民族として一番力を持っているのは漢民族です。漢民族とは黄河流域に端を発する民族で、古代にて栄えた中国統一王朝の漢という国からその民族名が付き、何度か異民族の侵略を受け支配された歴史もありますが長きに渡ってこの地域に住み続けて現在の中国人口でも90%以上が漢民族とされます。それゆえに一般的にも中国人=漢民族という図式が浸透しており、メディアなどでもそのように扱われます。

 そんな当たり前の事実に何故今回私は疑問符をつけたのかですが、勘違いされないように先に言っておくと血統的には現在の漢民族は地域によって多少の混血がなされているとはいえ間違いなく歴史上の漢民族と同一民族です。今回私が言いたいのはそういった血統上の漢民族ではなく、文化という点で現在と過去の漢民族とで連続性があるかということです。

 漢民族の文化と聞いて一般的にもすぐ浮かんでくるのはこの文章でも数多く使用している漢字でしょう。この漢字は東アジア文化圏にて広く伝播しましたが現在でも使用しているのは日本、中国、台湾だけで、しかも日本は一部、中国は大半の文字を簡略化したために比較的オリジナル性を保っているのはもはや繁体字を使用している台湾位となっております。
 中国は早い時期からこの漢字という文字を持つ優越からかなり初期の時代よりさまざまな思想書、書道、文学といったものを作り、また科学的な研究も火薬や紙の発明や実用を行うなどあらゆる点で強い文化を持っておりました。

 それゆえに私の目からすると歴史上の漢民族は旺盛な好奇心と新奇性、独自性を持っていたように思えるのですが、翻って現在の漢民族こと中国人を見ていると厳しい言い方になりますがそのような性格がほとんど見られません。以前のブログの「陽月秘話」にても書きましたが日本の高度経済成長期と比して中国はすでに世界第二位の経済力を持つに至ったものの未だに中国発で世界に浸透し標準化した規格や発明、ブランドといったものはなく、その圧倒的に大きな市場を持つにもかかわらずついぞグローバルスタンダードへ昇華したチャイナスタンダードはありません。
 それどころか、日本もかつては「猿真似野郎」とアメリカさんから散々言われた時代もありましたが、今に始まるわけじゃありませんが中国は諸外国のブランドや技術を勝手に盗用、コピーをし続け、しかも日本のように「本物を越えるコピー」を作るのではなくあくまで「劣化コピー」を作り続けております。しかもその劣化様がデザインが妙に崩れたりとわざとやってるのかと言いたくなるような劣化ぶりだし。

 かつて東アジア諸国に漢字を広く伝播させたのと比べると現在の中国人は文化発信力というか、創造力などの点で本当に同じ民族かと疑いたくなるくらい差があります。しかも私が今の中国人を見ていて信じられないというか呆れる点として、パクッたものを堂々と自分が作ったなどとオリジナルを主張する点です。
 先日の四川省の遊園地に現れたガンダム騒動といい、パクッたところで本当に商売になるか怪しいもので且つ中国人同士でもはっきりとどこかからのパクリだとわかるものすらオリジナルだと主張する人が後を絶ちません。確かに中国人はいっぱいいるんだから中には変な人も少なからずいるのは仕方のないことでしょうが、妙なところでプライドが高いくせに人の物を盗んで恥ずかしいと思わないというのは歴史上の中国人と比べると隔世の感があります。

 一体どうしてこれほどまでに今と昔の漢民族で違いがあるのかといえば、結論を言うと原因は間違いなく文化大革命です。文化大革命については「陽月秘話」内で私も必死に解説しましたが、文化大革命によってシャレや冗談抜きでそれ以前の中国文化を継承してきた人の大半が根絶されたことからそれまでの中国文化の積み重ねや土台はすべて崩されました。しかも中国は先にも述べた通りに漢字を日本以上に簡略化したことで、日本もあまり言えた義理ではありませんが自国の古典を個人の力で読むことは不可能となって、この点でも文化の継承が出来なくなっています。

 以上のような考察から私は文化大革命以前と以後で、血統的には同じ漢民族でも文化的には全く別の民族として扱うべきだと考えています。しかもまだ文化大革命以前の時代を知る人間がいる今ならともかく、現代の若者のように全くその時代の空気を吸ったことがない世代が大半を占めるようになればますますこの傾向に拍車がかかることでしょう。そういう意味では現代中国人の行動や思考を読むのに昔の文献とかはあまり役に立たず、比較的新しい時代の自分ら社会学士や社会学者の研究や論文のが有用かもしれません。新しい論文は玉石混合だけど。

 最後に今回の逆説として、日本人は日本人なのかという問いについて少し書いておきます。これ一つで記事書いても面白いトピックですが現代日本史で一番大きな転換期は言うまでもなく終戦によるGHQ統治で、当時の議論とか坂口安吾や三島由紀夫の話を聞くに付け日本人は悪い意味で変わってしまったと当時の言論人や学者は考えたようですが、あくまで現代の若者として私の意見を言うと明治から昭和前期までの日本人こそがそれまでの日本の歴史上で異端であったように思います。かえって現代の日本人は明治や大正期よりも、時代は離れていますが江戸時代の日本人の方が近いのではないかと考えています。ま、江戸っ子文化は関東大震災でなくなったそうですけど。

2010年12月23日木曜日

郵政国営化見送りと嵐の前の正月

 2005年の小泉政権時、俗に言う「郵政選挙」にて大勝した自民党は郵政公社を民営化する郵政民営化法案を可決させました。これによって国の機関の一部であった郵政は計画通りならば数年後には株式公開によって完全民営化が果たされることとなったわけですが、小泉政権を引き継いだ安倍、福田、麻生政権はこの民営化に逆行する政策を採り(麻生元首相にいたっては在任中に民営化に反対だったと公言までした)、去年民主党が政権交代を果たすと元々郵政民営化に反対していた国民新党と連立を組んだことにより民営化は完全に見直しを図られることとなりました。

 そもそもの話をすると民主党は2000年代初頭は民営化に肯定的な立場を取っており、郵政選挙の際も小泉政権の計画では完全に民営化できないと逆の意味で批判がされていました。それが政権交代後に立場をひっくり返したのはほかならぬ国民新党との連立以外に理由はないのですが、当時の鳩山前首相はこの郵政民営化見直し、というよりも事実上の郵政再国営化にやけに乗り気で今年の通常国会で法案を可決させようと随分意欲的に活動していたように思えます。

 しかしここで大きなハプニングが起きます。法案提出間近といわれた通常国会終盤で鳩山前首相が突然の辞意を表明し、民主党内で党首選挙が行われることとなったのです。結局その党首選挙は菅首相が勝って今に至るわけですが、菅首相は当初、この郵政民営か見直し法案を選挙前の通常国会前に提出して可決させると国民新党の亀井代表に約束しておりました。しかし結論を言えばその国会内では法案は提出されず、菅首相は参議院選挙を控えて会期がほとんど残されていなかったということを理由に挙げた上で選挙後の臨時国会では必ず可決させると国民新党に約束しました。

 ちょっと前置きが長くなりましたがそのような過程を経て現在に至るものの、結局その臨時国会でも法案は提出されず菅首相は国民新党への約束を事実上ないがしろにしました。この菅首相の郵政国営化に対する姿勢について私の意見を述べると、実によくやってくれたと声を大にして誉めてあげたいです。
 私の郵政に対する意見は前のブログの「陽月秘話」で散々書いたのでここにはもう書きませんが、基本的には電子メールの発達した今の時代で郵便事業は不良債権となるよりほかがなく、早めに民営化などで切り離し、後々の禍根を絶っておくべきだとして民営化に賛成です。

 そんな郵政民営化の現在の状況についてだけなら誰でも解説できるので今日この記事でトピックとして挙げたいのは、一体どうして菅首相は国営化を推進しなかったのかということです。
 いくつか考えられる理由がありますが、まず第一に菅首相自身が初めから民営化に対して賛成でなかったという説です。これは本人でないとなかなか推し量れないのですが、仮にそうだとしたらなかなかに菅首相は寝業師だと評価することができます。何故かというとすでに述べたように菅首相は就任自から国民新党に法案の可決を約束しており、やる気もないくせにこのような秋風を送ったというのは国民新党との連立を維持するための空約束だったということになるからです。日常生活で嘘をつく人間はいろいろと迷惑ですが政治上ではある程度こういった駆け引きが要求されるので、「アホ菅」と言われながらも意外にやる時はやるもんだと評価することができます。

 ただ私としてはこの「初めから反対説」ではなく、「途中でやる気をなくした説」のが可能性が高いと考えています。
 元々郵政民営化見直しは国民新党の案で民主党内の議員もそれほど積極的ではありませんでした。加えて前回参議院選挙の結果から国民新党との連立の必要性も薄れており、ほかの法案の審議時間を削ってでも何が何でも通す必要性は小さくなっていました。また菅首相のほうも参議院選挙後はAPECやら中国漁船衝突事件などがあって余り関りたくなかったのかもしれません。

 ただそうした政権内の問題以上にこの問題に一番影響を与えたと私が見ているのは、夏に起きたお歳暮が遅配事件ではないかと思います。覚えている人には話が早いのですが今年夏のお歳暮シーズンを前に郵政とペリカン便が今後連携を取るにあたって集配システムを統合したのですが、新システムの訓練もままならないままに押し切ってやってしまったようでその時期に大量に流れてきたお歳暮の配達処理がままならず全国各地で遅配、誤配が相次いで起きました。
 ちょうどうちのお袋もこの時期にワインを通販で購入していたのですが、案の定配達が指定日から数日遅れて届きました。ただうちはまだワインだったので遅配してもそれほど影響はありませんでしたが、生ものとか冷凍品の場合は腐ってたり解凍された状態で届けられたらしく被害に遭った人のことを考えると不憫な気がしてなりません。

 ペリカン便との統合は郵政が多角化をせず単独でもやっていくためという目的で実施されたわけですが、かえって郵政の郵便宅配システムの信頼を落とすこととにしかなりませんでした。この事件を見て多分私以外にも、民営化から国営化にまた舵を振り戻したからこうなったのではと考える人もいたのではないかと思います。少なくとも民営化法案が可決してから数年間、このような遅配はなかったのだし。

 こうした混乱を受けて民主党内では郵政に関しては手を触れないでおこうという認識が出来、菅首相の空約束につながったのではないかと考えているわけです。私としても再度国営化なんてされるべきではないと考えているのでこのような民主党の姿勢は歓迎しているわけですが、今度のこの郵政の試金石となるのは日本で一番郵送物が集中する正月だと見ています。別に民営化される以前から年賀状の誤配などがいつも起きるこの時期に果たして今の郵政がどれだけ対応できるのか、少なくとも年末のこのお歳暮シーズンは何とか乗り切っているようですが郵政の今後を考える上で非常に重要な正月となることでしょう。


  おまけ
 私が高校二年生だった頃、たまにはふざけた年賀状を作ろうとゲームで使われたある画像のみをはがき裏に印刷して友人らに出しました。その年賀状に使った画像というのはひげを生やした変な首だけの妖怪が中央にいるのを筆頭に、背景には鬼とか人魂とかが写っているというゴーストチックなインパクトの強い画像でしたが、冬休み明けに学校に行くと各家庭でそこそこ話題になっていたようで、「あの年賀状を出した奴」でしばらく通用したそうです。