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2011年10月31日月曜日

世界人口70億人突破を受けて

 本日国連は世界人口が70億人を突破したという発表を行いました。自分が記憶している中で少なかった頃は55億人だったと思いますが、短い間にまた随分増えたものだなという気がします。それにしてもさすがに55億人の頃はまだ遠かったですが、ここまで来ると100億人の大台もなんだか現実味を帯びてきました。

 ここでちょっとふざけた予想をしますが、将来的には今のCO2排出権取引みたいに世界で人口抑制策が実施されるかもしれません。それこそ国ごとに何万人まで生んでいいという枠が作られ、それを超えた分には超えていない国からお金で出産権利を買ったりとか。
 ただ真面目な話、人口が100億人を超えると本格的に地球の資源は持たなくなると思います。詳細について詳しくないですが現在の食糧生産を支えている化学肥料において、その原料となるリンの枯渇が近々起こるという話も聞きます。化学肥料なしで現在の食糧生産は考えられず、仮にリンが枯渇した場合は世界で急激に食糧がなくなり、残った食料が恐ろしく高騰するのではないかと言われています。そういう意味で飽食の時代というのはもう過ぎ去りつつあり、ある意味歴史上で自然であった飢餓の時代がまた来るかもしれません。

 では飢餓の時代を迎えたらどうなるのか、自給率の低い日本は終わってしまうのかと心配される方もいるかもしれませんが、恐らくそのような時代でも食糧取引はお金で取引されるので経済力さえ維持していれば日本が飢餓に陥ることはなく、むしろ有利になってくる可能性があるかもしれないと私は見ています。
 ここで一気に話を飛ばしますが、これからの30年くらいを考えた場合、人口が少なければ少ないほど国際世界で有利になる可能性が高いと私は見ています。日本の例をはじめとしてテクノロジーの発達によって必要な労働力は非常に少なくなってきており、先進国は多かれ少なかれ「どれだけ生産力を挙げるか」ではなく「どれだけ仕事を割り振るか」が大きな課題となっているように、社会保障の負担というかバランス取りが政府の一番大きな仕事となってきています。

 ただ現在はまだ食糧とエネルギー価格が安いためにアメリカのフードスタンプみたいに維持できることができますが、世界人口が増え資源が本格的に不足し、食料とエネルギー価格が上昇したらその分だけ社会保障費も肥大化するわけです。その時に食わせる人口が少なければ少ないほど余計な出費が減るわけで、ある意味超長期的な視野に立つならば少子化は推進するべきじゃないかと最近考えるようになってきました。
 少子化は確かに直近20年で言えば日本にとってマイナスです。しかし30年以降の世界を考えるなら、無理して対策しない方が却って日本のためになるんじゃないかとよく思います。

 日本の人口は現在1億2千万人ですが、まずは7千万人くらいを目指すべきじゃないかと、秋の夜長に思うわけです。

2011年10月30日日曜日

ハリウッド人気子役のその後

 映画を見る方かと問われるならば「見ない方」と答える私ですが、ハリウッド映画における人気子役のその後の人生について何故かデータがそこそこ集まっているので日本でもおなじみだった子役俳優を何人か紹介しようと思います。

リバー・フェニックス(代表作:スタンド・バイ・ミー
 夏休みの少年による冒険物語と言ったらこの作品しかないとまで言われる「スタンド・バイ・ミー」で、主人公の親友役としてリバー・フェニックスは出演しています。作品の中でリバーが演じた役は準主役ともいうべきキャラというのもありますが、作中で明らかに主役を食うほどの演技力を見せており見た人にとっては忘れられない印象を持ったかと思います。
 この作品以降もリバーは活躍を続け若くしてハリウッドの大物として知れ渡りますが、皮肉にも彼が「スタンド・バイ・ミー」で演じたキャラクター(弁護士となるも喧嘩の仲裁中に刺殺される)のように麻薬の過剰摂取によって23歳の若さで早世しています。もし彼が生きていたら、ハリウッドの勢力図は今とは大きく異なっているのではないかと最近にも報じられるほど、その死は各界から惜しまれています。
 なお彼の弟であるホアキン・フェニックスも俳優をしており、「グラディエーター」では兄に劣らずローマ皇帝コモドゥス役で名演(怪演?)を見せており、こちらも主役のラッセル・クロウを食うかのような存在感を発揮しております。

エドワード・ファーロング(代表作:ターミネーター2
 映画初出演ながらターミネーター2で主役のジョン・コナー役を演じ大成功を納めるものの、ここで紹介するほかの俳優らと同様に成長とともに麻薬とアルコールに溺れ、リンクを貼っているウィキペディアのページを見てもらえばわかりますがあの若かりし頃に見せた美少年の姿はもうそこにはなく、一応俳優は続けているそうですがそのあまりの堕落ぶりに「ターミネーター3」への出演は見送られたそうです。

ブラッド・レンフロ(代表作:依頼人
 個人的にかなり記憶に残っている俳優です。私が代表作に挙げた「依頼人」のオーディションで上のエドワード・ファーロングを見出した人物に選ばれ、この作品以降も見事な演技と相まって若手俳優として一躍名を上げます。ちょうど全盛期の頃に日本のゲームの「バイオハザード2」のテレビCMで主人公の男性警察官役でも出演していましたが、私生活はまた例によって早くから麻薬とアルコール漬けで、25歳で過剰摂取によって急死しています。

マコーレ・カルキン(代表作:ホームアローン
 天才子役と言ったら自分らの世代にとってまず第一に、このマコーレ・カルキンが挙がってくるんじゃないかと思います。コメディ映画の「ホームアローン」は日米で大ヒットしてその名を世界中に知れ渡らせたマコーレ・カルキンですが、彼の成功後に両親が不仲からドル箱と言っていい彼の親権を巡って対立し、それが影響したのかこちらもまた早くからアルコール浸りとなっていったそうです。一応今でも俳優業はしているそうですが、20代前半期に活躍できなかったというのは非常に残念なものです。
 ちなみにアメリカでは仲が良かった故マイケル・ジャクソンの裁判に証人として出廷し、マイケルの児童虐待裁判で彼の無実判決を決定づける証言を行ったことから、「マイケルを救った人」としての印象が強いそうです。

イライジャ・ウッド(代表作:危険な遊び
 マコーレ・カルキンが子役として当時圧倒的な知名度を持っていた頃、彼と二分する人気を持っていたのがイライジャ・ウッドです。代表作はちょうどそのマコーレと共演し話題となった「危険な遊び」を挙げていますが、彼の真の代表作は有名故にお気づきの方も多いでしょうが主役のフロド役を務めた「ロード・オブ・ザ・リング」に他ならないでしょう。
 イライジャはこれまで上げてきたほかの子役に比べると成人後も俳優として成功しており、今も現役で活動を続けています。一見するとちょっと頼りなさげな見かけをしていて、「ロード・オブ・ザ・リング」の前に主役で出た「パラサイト」もそのまんまな高校生役を演じていますが、やっぱりフロド役は彼でなければ今じゃ想像できないことを考えると相当な演技力だと私は考えています。
 ただ「ロード・オブ・ザ・リング」の3作目ではフロドの従者であるサムがストーリー上であまりにもかっこよかったことから、キャラが食われているのではという指摘が私の周りでよくされていました。そんなサムを演じたショーン・アスティンも、知られざる有名子役だったということに最近気が付きましたが。

ショーン・アスティン(代表作:グーニーズ
 上述の通りに「ロード・オブ・ザ・リング」のサム役で好演を見せたショーン・アスティンですが、なんと彼は往年の冒険映画「グーニーズ」のあの喘息持ちの主人公役も演じていました。実際にグーニーズ以降はヒット作に恵まれていなかったそうですが、あの少年がサムだったなんてと知った際には大いに驚いたものです。どうでもいいことですが、昔ファミコンゲームでよくグーニーズしていました、クリアできなかったけど。

ジョナサン・キー(代表作:インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説
 そんなショーンとグーニーズで共演していた子供の中には、「インディ・ジョーンズ、魔宮の伝説」で主役のインディを助ける少年を演じたジョナサン・キーも出演しています。こちらは現在俳優をしておらず武術指導など映画スタッフとしての道を歩んでいるそうです。

 という感じでざらっと紹介しましたが、日本でもそうですがやはり子役として有名になったからと言って俳優として大成するのは難しいようです。それにしたってアルコールと麻薬依存が多過ぎる気がしますがそれはアメリカ故ということで、今後は「ハリー・ポッターシリーズ」に出演している俳優らがどのように活躍していくのかが注目ですが、私の予想としてはやはり大多数は埋もれていき、ショーン・アスティンのように30代に入った頃にぽっとまた芽が出る人が現れるんじゃないかと見ています。

2011年10月29日土曜日

忘れられない二つの寓話 後編

 前回記事に続き、私が小学生時代に読んで影響を受けた評論文の話をします。前置きはいいので、さっさとあらすじを紹介します。

 私が読んだその評論文ではまず最初、雪山で遭難した男の話から始まりました。
 雪山で遭難して凍死しかけていたその男は、九死に一生の所である民家を見つけて尋ねたところ、その民家の中にいた姉妹は快く男を部屋の中へ招き入れました。男を招き入れると快活そうな妹は男にいろんな言葉をかけて明るく励まし続けた一方、無愛想な姉は何も言わず、黙々と男へ与えるスープの準備を続けました。
 作り話ですがこの姉妹の行動についてその評論の筆者は、確かに妹の行為は無駄ではないものの、男にとって本当に必要なものは姉が用意する体を温めるスープであって励ましの言葉ではないと断じ、たとえ相手を思っての行動でも本質が伴っていなければ意味がないという結論にまとめていました。

 さらっと書きましたが、この評論文自体はそれほど特別な内容を説いているわけではないものの何故かずっと心の中に残っています。この評論だけが原因ではありませんが現実の私の行動もこの筆者の考え方に沿うようになっており、外見や飾りとかよりも中身というか本質を重視する性格になっています。
 一番代表的なのは普段使う言葉で、今でもよく注意というか激怒までされましたが、社内で仕事している最中に私は「お客様」という言葉は使わずに普通に「客」といつも発声します。私に激怒した人なんかは客に対して尊敬の気持ちがないなど失礼だとか言っていましたが、私は買主と売主は本来対等の関係なのに買主側の権威をむやみやたらに引き上げたことがクレーマーの跋扈に繋がったという考え方もありますが、そもそも「客」という言葉自体に一定の敬意が込められていると思っており、「お客様」というのはやや過剰な尊敬表現でむしろ中身がないように思うことから使いません。さすがに客の目の前であれば周囲に合わせて用いますが。

 第一、言葉がぶっきらぼうとはいえその意図したいことが真に相手のことを考えているなど本質を用いているのであれば、言葉尻を捉えてああだこうだ言うのは随分と不毛な気がします。こういうちょっとねじくれた考え方をしているせいか、遠回しな言い方は好まないために相手に対して直接的にキツイ言葉を言うこともあって「そこまで言わなくとも」と言われることもありますが、遠回しだろうが直接的だろうが言っている内容は一緒にもかかわらず何をかという気がします。

 また言葉だけでなく行動面でも、評論中のエピソードの姉のようにやることさえ本質を得ていれば余計な愛想も必要ないと考えています。そのため愛想があろうとなかろうと、やることがやれない人間に対しては同じ評価を付け、「彼は仕事はダメだけど明るいのが救いだな」という評価は一切しません。「明るいだけのただのポンチ」と言うことはありますが。

 現在の日本はあちこちでコミュニケーション力とかいうものの必要性が叫ばれていますが、このコミュニケーション力の意図するものが表現力であれば私も頷きますが、愛想というのであれば順番が違うんじゃないかと問いたいです。私がここまで強く愛想というものを否定するのも、「失われた十年」の間は社会全体でまさに外見ばかりが重視され、中身が全く伴っていない不毛な議論に終始し続けたという印象が強いからです。景気が良くなってきたら借金を減らそうと言って1000兆円まで積み上げたり、破たんすることが見えていながらほったらかしていた年金など、重要な問題は先送りしてどうでもいい議論ばかりだったなぁという反省があります。

2011年10月27日木曜日

忘れられない二つの寓話 前編

 私は中学受験をした関係から小学校四年生から塾通いを始めましたが、この過程で得た大きな経験として当時に大量の評論文を読んだことが挙げられます。基本的に塾での国語の時間は現代文を読んで問題解答に取り組むのがオーソドックスですが、題材に使われる評論はそれこそ授業ごとに変われば毎週行われるテスト時にはまた別の評論が出てくるなど、真面目な話であれだけ多種多様な評論をまとめて読むというのは成人や大学生でもほとんどいないんじゃないかと思います。
 そんなたくさん読んだ評論(小説もあるが)の中で、未だに折に触れては思い返し、自分に強い影響を与えた話が二つあります。最近スランプを克服してきているのもあり、ちょっと前後編に分けてその二つの評論こと寓話を紹介しようと思います。

 本日紹介するのは評論というか昔話ですが、以下にざらっとあらすじを書きます。

 時代は江戸時代頃で、ある日武士が鍛練として外で弓を打ち込んでいると、商人らしき男が近くに座りその様子を眺め始めました。武士はその商人の前で的のど真ん中に何本も矢を的中させ「どうだ俺の腕前は( ゚∀゚)」と商人に尋ねましたが、武士の問いに対し商人は「手馴れてますね」と、大して感動する素振りも見せず答えました。
 商人の答えにむっとした武士は、「これだけ正確に的中させているのに手馴れているはないだろ。達人級の技だぞ俺の弓は(゚Д゚#)」と言い返しました。すると商人は財布から穴の開いた貨幣を取り出すや瓢箪に詰めた油を上から注ぎ、こともなげに油をひっかけることなくその貨幣の穴に通してみせました。
 妙技を見せた商人は「毎日その作業に携わっていれば自然と腕は熟達します。達人などと自分の腕を誇るまでもないでしょう」と語り、武士もその言葉を受け商人に非礼を詫びたとのことです。

 何故だか知りませんが、この寓話だけは今の今までずっと忘れずによく思い返しております。
 この話の中の商人の言う通り、私は大抵の行動というか作業での上手い下手というのはその作業にどれだけ慣れているかの違いでしかなく、才能とかそういったものが作用する要素というのはごくごく微量だと考えています。そのためたとえどれだけ自分がほかの人より優れた技術、それこそタッチタイピングの早さとか文章量の多さなどで勝っているとしても、それらはただ自分がそうしたものに触れる時間が長かっただけでほかの人も時間をかければ同じ水準に達することができるので威張れるようなことじゃないと肝に銘じてます。もっともこれとは逆ベクトルの考え方もあって、自分よりゲームが上手い人とか見ると、「俺だって同じくらい練習すればすぐに並べるんだよ」などと妙な負けん気を持ったりしますが。

 ここで少し話が飛びますがよく他人を指導していて思うこととして、人間には鍛えられる部分とそうでない部分ではっきり分かれる気がします。これまたたとえを出すと文章を書く技術なんかはまさに前者で、指導する際はどれだけ文字量を多く文章を書かせるかにかかってきて、相手が書く気を起こすようなテーマを出すことが重要になってきます。逆に後者こと鍛えられない部分、センスとでも言うべきものは全く以って成長させることができないわけじゃないものの、ただ時間をかければ伸びるわけでは決してありません。もっともこういうのは非常に少ないですが。
 オチらしいオチに乏しいですが今回が私が言いたかったことというのは、大抵の技術というのは時間さえかければ上達速度に差こそあれども誰でも習得できる可能性が高いということで、「出来る、出来ない」ではなく「やるか、やらないか」ではないかということです。

2011年10月25日火曜日

香港の諸情報

 時期も時期なので香港についての情報を簡単に紹介します。どうでもいいですがこの「(`ハ´)」の顔文字は香港人にも当てはまるのかちょっと疑問です。

 まず香港に来てちょっと面食らったのは街中を走っているタクシーで基本はちょっと古い日本のトヨタ・クラウンで占められております。一体どういう経緯でクラウンが採用されたのかまではわかりませんがタクシーに限らず日本車は数多く走っており、10年以上前に発売されて不人気に終わった三菱・FTOを見た時なんかは軽い感動すら覚えました。
 なおタクシー事情とくれば中国本土もなかなか面白く、各都市ごとにどんな車種が使われているのかはっきりとした地域差があります。基本使われるのはその都市を本拠とする自動車メーカーの車で、北京は北京汽車の提携相手のヒュンダイ・ソナタ、上海は上海汽車の提携相手であるフォルクスワーゲン・サンタナ、武漢は東風汽車の提携相手のプジョーの車が使われてます。

 話は戻って香港ですが、街の特徴として際立っているのは観光ホテルなんかはたくさんあるのにビジネスホテルが規模に比べるとほとんどないというのがあります。観光用ホテルも毎年やってくる旅行客の数からすると少ない方ですが、普通に繁華街とかビジネス街を歩いていても安くて簡単に泊まれそうなビジネスホテルは全くと言っていいほど見つからず、香港出張に来る人をいろいろ困らせているという話も聞きます。
 何故香港にビジネスホテルがないかと言えば恐らく地価が高すぎるのと真面目に立てられそうな土地がないことが原因だと思います。自分もこっち来てから知りましたが香港島はそこそこ面積はあるものの土地のほとんどは急斜面のある山で、人が住めそうな平地は全くと言っていいほどありません。しかもその平地の大半は埋め立て地で、現在ですら海岸行くと埋め立て工事しているのが確認できるほどです。

 次に香港の料理についてですが、中華料理のほかにもインドネシアやタイ料理もいろいろ豊富で、なんか変わったカレーとかあちこちで見受けられます。同じ中華料理でも味付けは北京や上海とは違っており、話を聞くと自分は言ったことはないですが広州など南方の味付けに準じているようです。
 こうした現地料理に加えて見逃せないのは日本食店の圧倒的な多さです。上海も多いと言えば多いですが香港はそれとは比べ物にならないくらいに多く、香港人らもごく普通に通っては食べたりしていて値段もほかの料理と比べて大差はありません。さらにこれもこっち来てから知りましたが、何気に香港は日本食品の輸出地として最大の地域で、それもあってかジェトロなんかはしょっちゅう日本食の試食会をあちこちで開催してたりします。

 ちょうど今、TPPに加盟するかどうかで日本は揉めてますが、私としてはある程度議論は出来たしもう加盟する方向でいいのかと思っています。よく加盟すると日本の農業はダメになると言いますがこれを一番主張しているのは日本の農業を一番駄目にした張本人ともいえる農水省で、逆に加盟賛成派の意見、たとえばアメリカとのオレンジ輸入自由化で果実産業は散々ダメになると言われたが実際はその後に果実輸出量は増えっていったなど、聞いてて納得させられる話が多いです。
 おまけに食品というのは工業品と違って値段が安いかどうかで買うかどうかがすぐ決まるものじゃなく、あのと言ったらなんですが中国人ですら相次ぐ混入事件を受けて粉ミルクは海外メーカー製しか買わないように、いくら海外のものが入ってきたとしてもアメリカのBSE騒動の際に怒り狂った日本人はそうそう品質の低い食べ物を受け付けないでしょう。むしろ品質面で圧倒的な強み(リンゴなんか中国のはあまりおいしくない)を持つ日本の農作物を海外に輸出促進をTPP加盟で図るべきではないかと、香港の現状を見ていてつくづく思います。

 ……香港の話するといったくせに政治の話に擦りかえるあたりが自分らしい。

2011年10月24日月曜日

1999年を振り返る

 今年は何故だか世界各地で災害のニュースばかり目にします。日本の東日本大震災を皮切りにタイの洪水、そして昨日のトルコの地震と、仮にこれらが起きていたのが12年前の1999年だったらうっかりノストラダムスを信じていたかのような一年です。

 こんな風にちょっと1999年を今日なんだか思い出していましたが、大半の方にとってこの年はあのノストラダムスの終末予言の年で良くも悪くも前後の年より印象が強いかと思います。ただ当時の状況について話しとくと、このノストラダムスの予言が一番盛り上がったのはどちらかと言えば80年代で、90年代に入ってからはどんどんと尻すぼみになっていったような気がします。私が記憶する限りだと確か朝日新聞が同じようなことを当時に取り上げており、当時出ていたドリームキャストで「JUNE」というゲームは出たけど、サブカル業界全体を見回しても終末と絡めたものは全然出てこなかったと言われていました。まぁMMRだけは最後の追い込みとばかりに頑張ってたけど。

 個人的にはちょうどこの年に身の回りで厄介な問題が頻出しており、間違いなく生きてた中で1999年が一番辛かった一年でした。ただそうした問題はもとより、やはり世紀末的な雰囲気というか今とは違う何か浮ついたような空気が当時には流れていたかと思います。
 一つには当時になってようやくインターネットなどIT技術の基本的なものが普及し始め、ハードに対するソフトの比重が強まっていたことがあった気がします。ゲーム産業も花盛りで、まだプレステ2が出るまでしたが各社がCGなりジャンルなりでいろんな工夫をしてわけのわからないゲームや、「ザ・コンビニ」などといったいろんなシミュレーションゲームあっていろいろ楽しめた時代でした。多分この年に一番やっていたのはバイオハザード3でしょうが。

 今回こうした話題を持ってきたのは一つ理由があり、どうして昔流行った終末論が今には流行らないのかという疑問があったからです。というのも先日に同僚から、「中国のブログを見ていると、なんだか終末論みたいな、世界が終っちゃえばいいのにみたいなこと言う人をよく見るようになってきた」という話を聞き、逆に地震など相当な衝撃下の中にある日本で終末論が一切出てこない、見ないのを不思議に感じたのもあります。
 こういうのもなんですが、こうした終末論というのは本当に苦しい時期にはかえって出てこず、バブル期みたいに景気がいい時代にこそ現れる気がします。ノストラダムス然り。今の中国然りというやつですが、1999年に終末論があまり盛り上がらなかったのはもう日本が下降期に入っていたからだと思います。ちなみに一番盛り上がった時代を敢えて私が生きていた中でいえば、エヴァンゲリオンなどがブームになった1995年あたりじゃないでしょうか。

 またさらに付け足すと、90年代当時によく言われたこととして最近の子供はテレビゲームばかりで現実味というかリアルさのない世界で生きているとテレビに出る人間らが言っていましたが、当時小学生で言われる対象だった私からするとなんだか納得のいかない言われ方するなと反感を持って聞いていました。今でもこの反感は根強く残っており、山とか川とかおたくらの言うリアルさを潰してビルなり道路なり立てたのはどいつだよと言いたいですし、今そのツケを自分たち世代が必死で返そうと頑張ってるんだ、空疎なこと言ってるんじゃないと言い返したいです。

2011年10月22日土曜日

教員免許の国家資格化について

 今日はほとんどのチームでプロ野球の日程が終了し、楽天のマー君こと田中選手(日ハムの斎藤選手と違って君付けするのもあれだが)が投手三冠を決めたり、9回裏のビハインドで代打逆転満塁サヨナラホームランを決めた巨人の長野選手、またそれによって最多勝獲得を決めた内海選手など興味深いニュースでいっぱいでした。ただそういったニュースよりも優勝後のビールかけで誰にも相手されず、独りぼっちだった中日球団社長のニュースがほかの何よりもスカッとしました。落合監督解任の経緯も日ハムの梨田監督と違って不透明この上ない上に、中日新聞が世界で一番嫌いなメディアでもあるので高笑いしてみてました。ただ中日が嫌いとはいえあの浅尾選手だけはとんでもない投手だと認めざるを得ません。

 話題は本題に移りますが、ちょっと古いニュースですが先週に教員資格を国家資格化しようかという案が出ていることが報じられました。結論から言うと私はこれには反対で、それよりももっと先にすることがあるだろうと文部科学省の無策ぶりに怒りを覚えます。

 まず国家資格化の狙いですが近年に頻発している教師の不祥事事件を受けて教員の質の向上が目的で、現在のように大学で必要単位を取得した上で教育実習を受けた人間に免許を与える方法では指導力などが測れないというのが理由だそうです。具体的な方法としては司法試験のように国家試験をしっかり設けるなどということが挙げられていましたが、そんな国家試験を作ったからと言って教員の質が上がるのかと言えば私には疑問です。
 その上で苦言を呈すと、以前にも一回取り上げましたが今の教育現場は地方自治体が財政赤字であることから新たな教員採用を異常なまでに絞っている現状があり、教師の平均年齢が40歳を超えている上に教員志望の若者たちは収入も少なく雇用が不安定な講師職に甘んじています。雇用が不安定なことについては不幸自慢をしてもしょうがないですが月給10万円で1年契約のため場合によっては来年三月で解雇となる可能性もある自分からするとだからどうしたという気もありますが、教師という子供らと長い時間付き合う職業性を考えると非正規雇用ではやはり子供への教育上も良くないんじゃないかという気がします。しょっちゅう担任が変わってもなんですし。

 こうしたポイントに加え、自分が主張したいのは教育大学の質です。古い事件を掘り返すのもなんですが過去に起きた京都教育大学生の集団強姦事件はその事件内容はもとより京都教育大側の対応も真面目に神経を疑う発言ばかりで、こんな連中が教員を養成しているかと思うと当時非常に不安に感じたほどでした。

 あと指導レベルについても、予備校と比較するといろいろ思うところがあります。私がやったころはクラスに4人だけだった中学受験もなんか最近はかなり一般化して日曜の朝に予備校前をうろつくと送迎の車が次々に泊まるのを見ていろいろ驚いたことがありましたが、突き詰めたところを言うと学校の授業は全くと言っていいほど当時の受験に役に立ちませんでした。また私が受けた予備校教師はみんな指導力があって教える内容もわかりやすく、休み時間などもいろいろ子供の相手してくれて親しみやすい人が多かったです。
 これは真面目な話で、学校と予備校関係者はどうも商売敵と認識していて非常に仲が悪いと聞き、実際に吐き気を催そう様な嫌がらせを学校側が予備校側に行っていた話も聞いたことがあります。しかし現状で私は明らかに予備校関係者の方が教育に熱心な人が多いように思え、子供は学校には行かなくていいから予備校には行った方がいいとすら思います。

 学校側関係者も中にはこうした現状をしっかりと認識している人もいるようで東京都のある小学校なんかは予備校と提携し、放課後の補修事業に予備校教師を呼ぶなどといった取り組みを始めていますが、開始当初はやはり学校関係者から猛烈な批判があったように思えます。教員免許を国家資格化するとかどうとか言っている暇あるなら、もっとこうした予備校を見習うような対策をして学校教員の質向上を図るのが先じゃないかというのが今日の私の意見です。