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2012年4月30日月曜日

英仏百年戦争まとめ 前編

 先日、PSPの「ジャンヌ・ダルク」というシミュレーションゲームをクリアしました。名前からして英仏百年戦争をモチーフにしたゲームですが、固い歴史シミュレーションではなく恋愛あり変身ありキャンプファイヤーありのファンタジックな内容でなかなか楽しめました。またこれ以前にも私は「BLADESTORM 百年戦争」という、こちらも同じく英仏百年戦争をモチーフにしたゲームにはまったことがあり、何かとこのテーマのゲームをよく遊んでいるという気がします。
 そんな英仏百年戦争ですが、私が言うまでもなく一般的に知られているのはどちらのゲームでも主役となっているジャンヌ・ダルクが活躍した後半期のごく一部の期間だけです。百年というだけあってこの両国の抗争は長く、序盤と後半では様相も形成も大きく異なっているので、ちょうど歴史物が不足しているのもあるので一つ簡単に解説しようかと思います。

 まず百年戦争の発端となったのは、イギリスとフランスの王家が近親関係にあってどっちからでも王位継承権を主張できたことや、イギリスのスコットランド統治に対してフランスが茶々をかけていたということもありますが、やはり第一義的にはフランスにあるフランドル地方における経済的摩擦が最大の原因だと私は考えています。
 このフランドル地方は当時、羊毛織物が盛んだったのですが織物の原料となる羊毛はイギリスから輸入されており、経済的結びつきで言えばフランス本国よりイギリスとの関係が深い地域でした。そうした背景もあってか、かねてから様々な問題で対立していたことからイギリスが中国のレアアース問題よろしく、フランスへの羊毛輸出を禁じると途端にフランドル地方は大打撃を受け、フランスの支配から離れイギリスに忠誠を誓う、俗にいう「フランドルの反乱」が起こり、このフランドルを支援するイギリスと支配下に戻そうとするフランスの間で火蓋が切られることとなったわけです。

 こうして始まった戦争ですが、序盤はイギリス軍の圧倒的な優勢で事が運びます。歴史家によると当時のイギリス軍には長射程の長弓が装備され、旧態依然のフランス軍を遠距離から次々と破っていったそうで、この間に大活躍した人物としてエドワード黒太子の名前が挙がっております。なんで黒大使かというとなんでも黒っぽい鎧を着ていたからだそうですがそもそも後世の創作とも呼ばれており、実態的にはどうだったかわかりません。ちなみにこの黒太子はその後に病気にかかり、イギリス王である父親より早くに亡くなって国王即位はしておりません。

 話は戻って百年戦争の経過についてですが、エドワード黒太子の活躍でフランス王であるジャン2世まで捕縛されてフランスは一巻の終わりというところまで一旦は追い詰められましたが、ここに至って摂政(後に国王即位)として国勢の表舞台に出てきたジャン2世の息子ことシャルル5世というのがまた立派な指導者で、税制を定めて資金力を補充すると、ベルトラン・デュ・ゲクランなど優秀な将軍らを採用して奪われた領土を一挙に取り返すことに成功しました。しかもエドワード黒太子が1376年に病死し、さらにその翌年にはその父であるイギリス王のエドワード3世が死去したこともあってこのままフランスが旧領奪回かと思われたのですが、フランスが征服したブルターニュ地方の併合に当たって激しい反発が起きるなど、まだまだ安定には程遠い形勢でした。

 しかも1380年にシャルル5世が食中毒で急死してしまい、和平に向けた話し合いがはじめられた矢先に両国で国王が突然変わるという異常な事態に突入します。幸いというか両国ともに新国王が内政重視、というか権謀術数渦巻く宮廷での政争を優先して1396年に一旦は休戦へと持ち込まれます。
 ただ何もこれは英仏に限らずですが、一旦戦争が終わると目前の敵がいなくなってほっとするというかはしゃぎだすというか、内戦・内乱が始まるのは世の常です。イギリスでは新国王のリチャード2世が政争の末に議会派によって逮捕の上に退位に追い込まれ、ロンドン塔に幽閉されて新国王ヘンリー4世が立てられます(ランカスター朝はここから始まる)。フランスに至ってはもっと悲惨というか、こっちの新国王であるシャルル6世が突如精神に異常をきたして発狂し、取り巻き連中が幅を利かせたことから宮廷は二派の派閥(オルレアン派とブルゴーニュ派)に分かれて大激闘。暗殺が横行しただけでなく両派ともに、「相手を倒すために援軍を出してくれ!」と昨日の敵は今日の友、そして明日には敵となるイギリスに出兵を要請するほどの内戦へと突入します。

 指導者が良くなると形勢逆転し、悪くなると駄目になっていく見本のような歴史ですが、両派の要請を受けて再上陸を果たしたイギリス軍が再びフランス領土を侵攻をするところから後半戦が始まります。というわけなので、続きは次回に。

2012年4月29日日曜日

他人の痛みに対する感度

 一昨日に書いた「エスカレートしていく行為」の記事で重要なことを書き忘れていたので、補足としてもう一本記事を書きます。もっとも、今日ここで各テーマはエスカレート行為とはまたちょっと距離がある内容なので、こうして鼈甲を儲ける形というのがあながち正しいのかもしれません。
 さて前回の記事で私は、いじめやしごきといった行為はしている加害者らが「自分たちも以前と同じ仕打ちを受けた」と思う、信じていながらも、実際には行為内容がエスカレートしていく可能性が高いという論を主張しました。この記事で書き忘れていた重要なことというのはこうしたしごきやいじめを実行する人間らの特徴のことで、概して「自分の痛みに敏感で、他人の痛みに鈍感な人間」が多いということです。

 自分の痛みに鈍感というのは書いて文字のごとく、自分が不快に思ったり苦痛に感じる範囲が広かったり程度が大きい人間のことです。それこそ例を作るなら、コンビニに入ったところで店員が「いらっしゃいませ」と言い忘れたのを失礼だ、無礼だ、気分が悪くなると感じる人間もいればよくあることだと気にしない人間もいるでしょうが、この場合は前者の人間の方が痛みに敏感だと言えます。次に他人の痛みに敏感か鈍感かについてですが、これもそんなに難しいことではなく単純に、「何をしたら相手はどれほど辛いと感じるのか」という程度を感じ取る能力のことです。他人の遺体身に敏感であるということは「相手は傷つきやすい」と考えるのと同じことで、逆に鈍感であるということはちょっとやっそとつついたくらいは全く問題ないと考えることを指します。ちょっと変な説明の仕方ですが。

 それで「自分の痛みに敏感で、他人の痛みに鈍感な人間」とはどんな人間かですが、説明するまでもないでしょうが自分が被った損害は過大に主張する一方で他人には同じことをしても平気だったり、他人が何にどんなことで苦しんでるかを理解できない人を指します。言うなれば主観が強い一方で客観を持たない人間で、こういってはなんですがあまり近くにいてもらいたくない人間です。
 既に現時点でかなり身も蓋もない言い方をしておりますが、意外にこういう輩というものは世の中に数多くいるかと思います。それこそ前回の記事で紹介したように、「過去に自分が受けた仕打ちは後輩も受けるべきだ」という考えで同じ、もしくは自分が受けた以上の必要のないしごきをする人間などは典型で、相手の限界点とか不快度というものを無視していろいろ厄介ごとを押し付けてくる人間は私があれこれ言わなくとも誰もが出会ったことはあるでしょう。

 これは友人の言ですが、「それが必要な苦労ならともかく、そもそもの話として自分が受けた苦しみをほかの人間も共有すべきだと考える人間は頭がおかしい」というように、私もこうした人間は可能な限り社会から排除しなければならないと考えています。以前に書いた「必要な苦労、余計な苦労」の記事中でも述べていますが、世の中には明らかにやらなくてもいいし省略できるにもかかわらず何故だかみんな伝統的に維持し、守り、伝えている苦労が数多いです。それこそその苦労の経験者なら不必要性がわかっているにもかかわらず、何故だかそうした苦労を率先して伝えていき、逆に必要な苦労を伝えていこうとしない場面を私も嫌というほど見ております。ひどい奴なんか、体験したことのない苦労をさも経験したかのように語って他人に押し付けるのもいましたが。

 私は何もここで「他人の痛みに敏感になれ」というつもりはありません。過ぎたるは及ばざるが如しというように、他人の痛みに敏感過ぎると何事も人との接触を避けようとする人間になってしまう可能性もありますし、これはこれで問題があります。しかし全く他人の痛みを理解しようとしない、客観を持たない人間は百害あって一利なく、決して重要な地位とか仕事を任せてはいけません。一番いいのはまたも論語ですが中庸こと自分の痛みも他人の痛みも相応にわかる、もしくは渡辺淳一氏が主張する「鈍感力」こと自分の痛みにある程度鈍感で他人の痛みは理解するくらいがいいでしょう。

 なお、たまに私は人を評価する際に、「あの人は一人称だね」と言うことがあります。この意味は主観しか持っていない、つまり客観の視点が足りなくてまさに今回の「他人の痛みがわからない人間」のことを指しております。これに対して「二人称」というのは、外からの見方しか持っていない人間で、バックボーンがないというか主体性を持っていない人間を指しています。となるとベストなのはやはり「三人称」で、自分を含め周囲を客観視することが出来て、その上で自分の目指す方向というか視点を持って意見を主張できる人間のことを指しており、宮沢賢治じゃないですけどこういう人間に私もなりたいです。

2012年4月28日土曜日

ニュース雑感

 また本題と関係ない話ですが、先日に誕生日を迎えまた一つ年齢を重ねました。別に年齢が気になるわけではありませんし誰かに祝ってもらったということもありませんでしたが、昔の学生時代、誕生日に突然友人が現れて、「今日誕生日だろ、はいこれ」といって、何故か赤ワインを受け取ったことがありました。友人曰く「これでステーキを焼くとうまい」(実際に後日それでステーキ焼いた)とのことでしたが、普段からけち臭い友人だっただけに内容といい二重の意味で驚きました。

 話は本題に入りますが、先日にわざわざ記事にしてまで批判した産経新聞ですが、妙な論説や評論が多いと感じる一方で下記の特集は非常に気に入っててよく読んでます。

衝撃事件の核心(産経新聞)

 上記リンク先の「衝撃事件の核心」は毎週産経新聞で組まれている地面物の特集なのですが、非常に構成が良いだけでなく事件の顛末から拝啓、そして結末までを一つにまとめていて単純に読み物としても面白いです。その上で世の中に問題性を訴える社会性も高く、文句なしにほかの人にも読んでもらいたい特集記事です。何気に、事件物の報道というものは事件が起きた当初こそ大きく取り上げられるもののその後はしりすぼみとなって結局最後はどうなったのかわからない話も数多いです。そういう中でこの特集は比較的長期間にわたって取材している記事も多いだけに貴重な存在です。

中国のゼラチンは革靴製、そして業者は大儲け(ゆかしメディア)

 上記リンク先の記事は今週初めからしばらく中国各紙で一面を飾った毒カプセル問題の記事です。このニュースはあまり周囲の反応が良くなかったものの絶対に取り上げた方がいいと判断して半ば強引に私がうちの紙面にも載せましたが、結論としてはやっぱり入れて正解だった気がします。
 内容を簡単に説明すると、中国のゼラチンメーカーがまたも安くであげようと廃棄物(革靴)からゼラチンカプセルを作ってたのですが、このカプセルに人体にとって非常に有害なクロムが含まれていたと中国当局が発表したというわけです。大損ぶっこいたのは毒カプセルを調達していた製薬メーカーで、事件が発覚するや大手中国製薬メーカー各社はすぐに謝罪会見を開いた上で自主回収を始めましたが、風邪薬など一般的な薬にも使われていたようで全回収はほぼ不可能と見られています。また回収費用も膨大な額に上るとみられており、すでに数字が出ているところで10億円単位、大きいところでは100億円単位の損失となるという予測も出ています。
 またこの毒カプセル事件に隠れてでしたが、中国限定でリプトンのティーバッグに中国で使用が禁止されている農薬が残留しているという報道が木曜日にありました。この記事はうちの紙面には載せませんでしたが、これは中国当局の発表ではなく「某環境団体」の発表となっており、非常に信憑性が怪しい物でした。リプトン側も、「中国で販売しているティーバッグは日本や欧米で販売しているものと同じだ!」と主張して妙な農薬とか入っていないと主張しています。詳しい検査結果などは見ていませんがこれは恐らくリプトン側が正しいと私は判断してますが、中国でも妙な環境保護団体がはびこる時代になったのかと変な感慨を覚えました。

2012年4月27日金曜日

エスカレートしていく行為について

農大ワンゲル部死のしごき事件(オワリナキアクム)

 上記リンク先の記事はかなり古い(1965年)ですが、今も昔も変わらずというか体育会系部活動による死亡事件を紹介したものです。内容を簡単に説明すると、当時の農業大学ワンゲル部である新入生に対して猛烈なしごきが行われた挙句、最終的に死に至らしめたというものなのですが、この記事で私がどこに注目したのかというと事件発生後にある部員が言った、「自分たちも1年のときから同じ訓練を受けてきた」というセリフです。今日はちょっとこのセリフを出発点に、エスカレートしていく行為と現象について考察しようと思います。

 この農大ワンゲル部のケースに限らず、恐らくほとんどの体育会とか運動部では、「俺たちも下級生の頃は同じことされた」もしくは「俺たちの頃はこんなもんじゃなかった」というセリフが4月か5月ごろに飛び交っているかと思います。意味としてはわざわざ説明する必要があるか悩みますが、「自分たちだってされたんだからこれくらいやってもいい」とか、正当化するのなら「ああいうことをされたおかげで今の俺たちがあるんだから、これは悪い行為じゃない」といってパシリとか理不尽な暴力とか、運動技術や体力訓練とは程遠く無関係な行為が横行しているのでしょう。ちょっと厭味ったらしく名前を挙げると、青森山田の野球部なんかはどうだったのか詳しく内実を聞いてみたいものです。
 こうした運動部などで繰り広げられるしごきについて私は前々から、本当に過去に受けた同じ行為を下級生へ行っているのかという疑問を持っていました。というのも小学生の頃によくうちの姉貴や友達と遊んでて強くぶつかったり、罰ゲームを受けた際に、「今少し痛すぎたからこれお返しね」といって反対に叩き直した後、「最初に叩いたのより今のがもっと痛かった」といってまた逆に叩き直し……というのがエンドレスで続くことがよくあり、過去に受けたしごきと今与えているしごきが同じものかと数値的な根拠なしに果たして言い切れるものか、もしかしたら本人らが気づいていないだけで年々しごきがエスカレートしているのではと思う節があるからです。

 最初の農大の事件についていえば、少なくとも言えることは過去に表立った死者は出ていなかったという点です。過去にいなかった死者が出たということは紛れもなくエスカレートしていると言え、人によっては「死んだ新入生の体がそれまでの部員より弱かったからではないか」というかも知れませんが、リンク先の記事で「背中には直径15cmぐらいのえぐれた外傷があり」と書かれている一点を見る限りだと体が強いとか弱いとかいうものじゃなく、やはり行為そのものに問題があったと私は思います。

 話は行為のエスカレートに戻りますが、では一体何故エスカレートするのでしょうか。検証なしでいいのであればいくらでも仮説は挙げられますが、まず思いつくのだと過去に受けた鬱憤というか復讐心が一つの原因ではないかという気がします。それこそ一年生の頃には散々こき使われたから、上級生になったら思う存分下級生をこき使ってやろうという具合に、たまった鬱憤が過去に受けた行為の再現、下手すりゃそれ以上の行為に踏み切らせる動機となり得るのではと言われれば私はなんか納得してしまいます。
 またこれは哲学科にいた友人が、「人間には恐怖する、畏怖する対象になり替わりたいとする欲求がある」ということを過去に言ってました。友人が使った例は暴力的な父親に虐待を受けていたある男性が、成人してその父親が死ぬや、嫌っていたにもかかわらず父親そっくりの振る舞いを取るようになったという話でしたが、なんでも地震を抑圧する力を逆に得ようと考えるところが多かれ少なかれ人間にあるそうで、これもなんとなく納得できる話です。

 もう一つ行為がエスカレートする原因として考えられるのは、単純に慣れじゃないかともいます。これの代表格はエスカレートしていく行為でも代表的ないじめで、伝え聞く限りだと大半のいじめのきっかけは教師による授業中のからかいなどほんの些細なものからだそうです。そうした些細な行為が、「こんなことしても相手は怒らない」と考える良からぬ人間によって、「次はこうしてみよう」とどんどん過激化していくのがいじめの実態だと思いますし、実際にそのような過程を私も目撃してます。いきなり過激な加害行為から始める人間もいないわけではないでしょうが、先ほどのしごきのように過去に行為を受けることで悪い意味で慣れが生まれていくのだと思います。

 上記のような考え方から私は他人に対して、「俺は前にこんなことされた」とか「俺の時の苦労はこんなもんじゃなかった」などという理由付けは一切しないようにしております。自分が受けた行為が今やっている行為と同等のレベルであるかなんてわかるわけなく、自分の基準で物事を測れると勘違いするような人間にはなってはならないと肝に銘じています。もっともそのかわりに他人に作業を指示する時によく、「俺でもできたんだから、きっと君にもできるはずだ(*´∀`)ノ 」などと言って余計なプレッシャーを与えることは多いのですが。
 あと蛇足かもしれませんがよく自分のような比較的若い世代は上の世代から先程の、「俺がお前くらいの頃の苦労はこんなもんじゃなかった」と言われることが誰もがあると思います。もちろん自分の感覚基準で物言ってはいけないとは思うのですが、それこそ年収や昇給カーブが10年前や20年前から格段に落ちていることに加え就職氷河期が続いており、挙句に残業代なんて中小企業だとどこも払わないのが当たり前でブラック企業も平気で上場できる上に、コンプライアンスが重くなったりグローバル化で競争が激しくなったことを考えると、何を根拠にそんなこと言うんだと聞くたびに(# ゚Д゚) ムッ!っとしてしまいます。この自分の意見に対してうちの親父は比較的受け入れてくれていて、「俺らが若い頃は、何もしなくても売り上げ伸びてたしな……」と言ってくれます。ただそんな親父も、

私「うちの会社の人がこの前、団塊の連中は上から指示するだけで自分じゃ何もできねぇんだよ、って言ってたで」
親父「その通りや!」

 とすごい速さで即答してたので、多分苦労してたんだろうという気がします。

2012年4月26日木曜日

小沢一郎の無罪判決について

小沢元代表に無罪判決、東京地裁 陸山会事件(日経新聞)

 すでに各所で報じられている通りに政治収支報告書の虚偽記載容疑において本日、小沢一郎に無罪判決がおりました。今回の判決に対する私の感想はというと、至極真っ当な判決だと思います。その上で付け加えるなら、小沢はシロだというわけではありませんが、検察特捜の捜査は明らかなクロと言えるくらいに杜撰で呆けたものだったというのが今回の裁判でしょう。

 起訴容疑となったそもそもの陸山会の収支報告書の問題については細かく語りませんが、今回の問題で一番おかしな点はその容疑以上に、検察の姿勢というかバカみたいな捜査手法でしょう。まず今回の無罪判決の根拠としても挙げられた虚偽の捜査報告書ですが、言ってもないことや現実にないことを勝手に書き立てていざ矛盾点を指摘されると「実は嘘でした」なんて言っててへぺろで済むと、どうやら特捜は本気で信じてるんじゃないかと思うくらいにいちいち呆れてきます。更に小沢の元秘書で事件に関わった石川知裕議員についても実際には証言していない内容を供述調書に盛り込んでいたとも言いますし、小沢を捕まえるくらいなら身内で不正している人間を捕まえてポイント稼げよと言いたくなる低能ぶりです。

 そして極めつけが、障害者郵便制度悪用事件における厚生省の村木さんの裁判で証拠を偽造して実刑を受けている前田恒彦元検事がこの小沢の事件でも捜査に関わっており、この一点を取っても無罪判決にしたっていいんじゃないかとすら私は思えますし、判決前からそう周りに言ってました。言ってはなんですが証拠偽造するような常識はずれの人間が捜査に関わってたというのなら、「今回はどれだけ偽造したんだ?」と部外者の自分ですら言いたくなります。

 以上のような観点から今回の裁判所の判決は合理的だと思い、私も支持します。ただだからと言って小沢の疑惑というか問題性はないとは言えず、というか政党助成金の着服の件はどうしてテレビ、新聞メディアはスルーしているのかが気になります。恐らくこれで有罪になったらほかにもお縄に着く人間が大量に出てくるからだと思いますが、もう少しこの点に踏み込んだ報道があってもらいたいものです。

2012年4月24日火曜日

中国を見くびる日本人

 かなり古い話になりますが、以前に中国が禿山に緑のペンキをかけて植物があるように見せかけようとしたという一件をあるメディアが報じ、「これだから中国は」といった具合に、呆れた行為だというような論評が各所で飛び回りました。そういった論評を見て私が感じたのは、「日本もしてるのにな」という感想でした。
 さすがに禿げ山にペンキかけるというところまでやってるかは知りませんが、日本のゴルフ場では秋から冬にかけてペンキを散布し、緑色に保つという行為が一般的に行われると言います。またこれ以外にも景観維持のために自然に塗装を行うということはよくあると聞き、規模はともかくとして中国だけを笑うというのは何かおかしな印象を受けました。

 このニュースに限らず、日本初の中国ニュースにはどこか「中国は劣っている」という前提で冷笑するかのような報道が目立ちます。確かに中国は日本と比べると文化レベルが明らかに低いと私も断言できますが、だからと言って侮るべきかと言ったらそれはまた違うように感じますし、見習うべき点は見習うべきで実際にそういうところも数多くあります。
 ひとつ例を挙げると、中国では道を走る車がしょっちゅうクラクションを鳴らしており、私も来た当初は一回一回ドライバーをにらんだりしていましたが、慣れてしまった今となると視界のない後方から鳴らしてもらった時は対応がしやすくなり重宝しています。そもそも考えてみればクラクションは音で鳴らして相手に注意するための装置で、一回鳴らしたくらいでケンカにまで発展しかねない日本の価値観の方が安全上で問題ではないかというように考え直しております。

 いったい何故こんな話を今日しようかと思ったのは、西安市で道路が突然陥没して人が落ちたというニュースが今日流れ、また「これだから中国は」という論評が掲示板を中心にあちこちで見られたからです。私は陥没事件というと兵庫県明石市の大蔵海岸で起きた陥没事故を真っ先に思い出したのですが、日本でも同じような事故が過去に起きたことを考えると決して他山の石にすべき、ましてや冷笑するニュースにしてはならないと思います。

 真面目な話、本気で中国に対抗しようというのなら侮るという行為は一切しない方がいいでしょう。過剰に懸念し過ぎるのも問題ですが、いつでも全力で叩き潰すくらいの気概を持って相手ことこそが必要な態度かと思います。

隣の屋根の上

 今日はリアルに帰宅時間が11時となるなどやけに遅かったので、短いネタを一本です。
 先日、会社でいつも通りに仕事していたら営業部の同僚より、「今すぐ窓の外を見ろ!」と内線電話がかかってきました。で、言われた通りに窓の外を見たら、


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 隣の屋根の上で親猫が子猫に授乳させてました。このところこの猫の親子はうちの事務所周辺を徘徊していてよく見かけるのですが、なんていうか家族仲がいい猫です。


 こっちの写真だと親猫がモロにカメラ目線。どうでもいいですが、これらの写真は会社の取材用カメラで撮影しており、これでもトリミングしているのですが解像度が半端じゃなくてやけにでかい画像になってます。素人でもこんな写真撮れるんだから、最近のカメラ性能の向上は侮れない。