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2014年4月30日水曜日

中国の行政区分の見方

 中国に長く暮らしている人も意外と内実を詳しく知らない人が多いので、今日は中国の行政区分について簡単に解説します。

 中国の行政区分は一見すると日本の都道府県制に似ているように見えるのですが微妙に異なっており、日本の感覚で住所を読んだりすると疑問符を混乱する人もあります。日本では県(+都、道)が最も大きな行政区分で、その後に市町村名が来て、最後に固有の地名が来て番地が入っていくのですが、中国でも大きな行政区分の名前から住所は入っていきます。
 これに対し中国で最も大きな行政区分は「省」で、よくある広東省とか遼寧省などで日本でもおなじみでしょう。ただ日本の北海道の様に、「自治区」という省と同等の行政区分があり、これは内蒙古自治区とかウイグル自治区、チベット自治区などが代表的です。これら省・自治区の後に来るのは「市」で、住所としては省・自治区の後に市の名前が入り、あとは固有の地名が来て最後に街路名と番地が来るのが一般的です。

 ここで一つ質問ですが、じゃあ中国で代表的な都市の北京市や上海市は一体「何省?」に属すのでしょうか。答えを明かすとこの二市はどの省・自治区にも属していません。日本人からしたら「なにそれ?」とか思いたくなるのですが中国では全国で四つの都市だけ、具体名を挙げると「北京市」、「上海市」、「天津市」、「重慶市」だけが「直轄都市」という特別な行政区分で、省・自治区とほぼ同等の権限を持っております。
 この四つの直轄都市がほかの市とどう違うのかというと、蘇州市など通常の市はその上に江蘇省など省・自治区が管理、監督する権限を持つのですが、直轄市はその名の通りに中央政府、つまり北京の共産党が直接管理、監督しております。何故この四つの都市が直轄市となったのは単純に都市としての経済力や政治価値、重要性から選ばれたようで、恐らく今後も増えたり減ったりすることはないのではないかと私は見ています。
 ですので住所の書き方ですと、直轄市と通常の市では下記の様に異なってきます。

直轄市の場合:上海市□□区○○路××号
一般市の場合:江蘇省蘇州市□□区○○路××号

 見てもらえばわかる通り、直轄市はそのまま市の名前が一番上に来ますが、通常の市は上位区分の省・自治区の名前が入ってきます。なお通常の市は場所によっては「~区」の名前が入ってきません。

 ここで余談ですが、多分こういう行政区分を理解してないせいだと思いますが多くの日系企業がホームページで公開している中国拠点の住所で、省・自治区名を入れたり入れてなかったりしていて非常にあいまいです。特に一番多いのが広州市の扱いで、正式には「広東省広州市」と書くべきところを「広州市」と市名から入るケースが本当に多く、その下にある別の拠点の住所には「江蘇省蘇州市~」と書いていてどっちやねんと言いたくなってきます。恐らく広州市は直轄市でないものの非常に大きな都市であることから、上海市みたいに大きな都市は省・自治区名は入れなくていいんだと勘違いしているのだと思います。中国人も広州市の場合は広東省を入れないことが多いけど、一応この辺の区別位つけようよと個人的には言いたいです。

 ひとまず大まかな理解としてはこんなもんで大丈夫なのですが、普段中国に関わるくらいならそんな気にしなくてもいいものの、ごくたまに「なんじゃこりゃ」と思うような住所名に出くわすことがあります。それはどんな住所名か例を挙げると、「江蘇省蘇州市常熟市~」というようなもので、なんで市の中に別の市の名前が入っているんだと読んでてお皿投げたくなります。
 これは種明かしをすると、「地級市」と「県級市」 の違いです。中国では日本で言うと県庁所在地みたいにその省・自治区の中心となっている主な市が地級市なのですが、その市の下の行政区分に「県」というのが隠れて存在しております。ちょうど「市」と「県」の価値が日本と逆なのですがこの市の下にある県は改革開放以降、徐々に人口や経済力を増していったことから「市」に格上げされ「県級市」となっていったものの、行政単位としては元々の上位区分である「地級市」の下に置かれたままとなっています。そのためさっきみたいに「市の中に市がある」というちょっと妙な住所名となるわけです。

 ただこうした県級市の住所での書き方は中国でもフラットになっているというか、地級市を省略して書くことが多いです。たとえば先ほどの常熟市の例ですと正式な書き方は「江蘇省蘇州市常熟市~」ですが、実際には「江蘇省常熟市~」という風に書いちゃいます。見ている方からしてもこっちの方が把握しやすいですし、自分の運営している「企業居点」でもこのような表記の仕方をしております。

  おまけ
 中国で最も経済力の高い市はどこかというと上海市と誰もが答えるでしょうが、中国で最も経済力の高い行政区分はとなると実は異なり、これは広東省となります。ついでに中国で最も人口が多い市はどこかというと、上海市かと思いきや実は重慶市だったりします。

2014年4月29日火曜日

最近のテレビ番組雑感

 今日は朝六時に起きて久々に江戸川を自転車でひたすら上り、距離にして片道約45キロメートル、往復で90キロメートル走ってきました。走行時間は往路が約2時間、復路が休憩含めて約3時間の合計5時間でしたが、やっぱ久々の長距離と合って随分遅くなってます。っていうか後半ばてばてだったのがいけないんだけど。
  そんなわけで今日はちょっと楽な記事に逃げたいので最近のテレビ番組についていいたいことを片っ端から書いていきます。

 まずこのところ平日が休みとなり家にいるので悪い意味で噂となっている「バイキング」を見てみました。いいともの後番組として注目される中始まりましたがこれまでのところ視聴率面で苦戦するという報道ばかりで果たしてどんなものかと思ってみてみましたが、久々に「時間の無駄だ」という感想を覚えました。結論から言うとあの番組内容で生放送にする理由が全く理解できないし、やたらお笑い芸人が出て同時に複数が話し出すので言葉が聞き取り辛く、よくこんな企画でGOサイン出たなと呆れました。しょうがないので他のチャンネルに回しましたが、行きつく先はなんか視聴率があがっているという「ひるおび」で、見ていてさもありなんと思いました。

 なにも「バイキング」に限らずテレビ離れが進んでいる結果としてどこの曲も視聴率が落ちているのは事実です。テレビ局側もこのところは無理して視聴率を取ろうとするくらいなら安い予算で番組を作って適当に放送するようになってきているようで、多分共感してくれる人も多いと思いますがいわゆる「散歩番組」が増えてきてます。散歩番組とは読んで字の如く芸能人が地方を散歩するロケ番組で、故地位武男の「ちい散歩」がヒットしてからみんなパクって、今じゃこのジャンルの番組が放送されない日はないくらいじゃないかとすら思います。NHKの「釣瓶の家族に乾杯」はこの散歩番組であるものの昔からやっているので文句ありませんが、ほかの番組プロデューサーは他人の褌で勝負していて恥ずかしいとか思わないのかな。

 最後はニュース番組についてですが、このところNHKの「ニュース9」 がすごくつまらなくなってきました。このところ妙な特集に大幅な時間を割くばかりに大きなニュースに対してもさらっとした報じず、私からすると物足りなさを覚えます。対象に敵にテレビ朝日の「報道ステーション」は大きなニュースほど細かく報じ、しかもその内容がなかなか見ていて面白いため私の中で株が挙がってきています。
 具体例を述べるとSTAP細胞の小保方氏の会見で「ニュース9」は山梨大教授へと送ったマウスの勘細胞の遺伝子がオリジナルと異なっていた件についての質疑応答を端折ってたのに対し報道ステーションはちゃんと取り上げてました。あと昨日の報道ステーションでは韓国の旅客船沈没事故に関する報道で、沈没船に乗っていた高校生が携帯電話で撮影した動画(番組では静止画と音声のみ)を公開し、その放送内容には思わず見入ってしまいました。その動画では繰り返し船内放送で「その場から動かないように」という音声が流れており、それに対して高校生たちが最初はややワクワクしたようにどうなるのかなどと話し、徐々に本当にこのままでいいのかと不安そうに話しはじめる様子が収められていて、見ていて本当に心が痛みました。なお、その動画は遺族が韓国のテレビ局に提供したものだそうです。

2014年4月28日月曜日

携帯電話が将来消えてなくなるという仮説

 現代においてはもはや一人一台と言っていいほどの保有率を誇る携帯電話ですが、自分がまだ子供だった頃はこんなにも普及していなかったことを考えると改めて不思議な気持ちになります。昔書いた連載の「失われた十年」においても1990年代における小型通信機の発達は異常なほど早かったと一節を設けておりますが、この携帯電話市場においてもそろそろ時代のパラダイムというか転換点を迎えるのではないかと一人考えております。
  結論から述べると、今後十年以内に携帯電話というものはほぼなくなるのではないかと思います。なくなるほど極端ではなくても、あと二~三年以内に通話料の減少が始まり、携帯電話通信事業各社では減益と共にリストラに取り組まなければならなくなるはほぼ確実だと見ています。

 あんま長々書かなくてもいいネタなのでとんとん理由を書いていきますが、私がこう思うきっかけとなったのは通話アプリの「Skype(スカイプ)」と「LINE(ライン)」の存在です。
 私はスカイプを2008年から使い始めましたが初めて使った時はインターネットがつながる環境であれば無料でいくらでも電話が掛けられるというその便利さ、音質の良さに驚くとともに、国際電話もこれで無料に使えるという事実に結構なカルチャーショックを覚えました。その後現在に至るまでスカイプは利用し続けており、特に中国で働いていた時などは日本にいる友人らと会話する際には重宝しました。

 ただスカイプはその便利さの一方、お世辞にも誰もが気軽に使うほど普及するアプリにはなっていないように見えます。事実私の周りでは私が紹介するという形を取ってから初めて使う人がほとんどで、中には「早く出てこい(#゚Д゚)ゴルァ!!」っと言ってるのになかなかスカイプを繋げない後輩もいて、一回使ってからはまる人もいればそうでない人もいて大きな温度差があります。
 スカイプの普及にこのような温度差がある理由としては、私が思うに最初にIDを登録するという手間が大きいように見えます。そんな大した作業ではないのですが何の手続きもなしにすぐ自動で登録されるわけでないことから、スカイプ同士なら無料でいくらでも電話が掛けられるといっても二の足を踏むような事態となったのではと考えています。
 そんなスカイプに対して現在流行しているラインの強みは、同じ無料通話アプリであるものの現在登録している携帯電話番号を元に手軽で簡単にIDを登録できる点でしょう。それ以外にもスタンプなどのコミュニケーションツールを搭載していたことも大きいでしょうが、このラインをきっかけに無料通話アプリを初めて知った人も多いように思えます。

 ここで話を本筋に戻しますが、要するにこれら無料通話アプリが既存の携帯電話に取って代わるのではないかと予想しているわけです。というのも無料通話アプリであればWIFIが入ればいつでもどこでも通話ができて、なおかつ同じアプリ同士なら会話は無料。さらにビデオチャットも出来ればメッセージの授受も出来て、こういってはなんですが通常の携帯電話の通信に何一つ勝っているところはありません。
 現在主流の携帯電話通信規格の「3G」は比較的どんな場所でもつながるというネットワークの広さではまだ優位性を保っているものの、今後WIFIのネットワーク網が広がればその優位性すらなくなる恐れもあります。さらに通信速度では現時点でWIFIが確実に勝っており、携帯電話も次世代通信規格の「4G LTE」が普及すればまだ上がりますが、WIFIの通信速度は実験下とはいえ現時点で秒速100メガも達成しており、わざわざ4Gインフラに金かけて投資する価値あんのかなと内心思ってます。

 先ほどにも書いたように無料通話アプリはスカイプが結構前から始めていましたが、その存在はお世辞にも社会的に認知されてはいませんでした。しかしラインが普及してからは状況が変わり、大人も子供もおっさんもWIFIさえ繋がれば友人同士であればこっちでの通話を選ぶようになったのではないかと思います。この動きは今後ますます加速することでしょう。
 さらに、これが一番大きいのですが、WIFI通信というのは携帯電話の通信と比べて通信速度が速いだけでなく、現時点で通信料も圧倒的に安いです。携帯電話だとパケット使い放題の契約を結ばないと従量課金で毎月の通信料がかなり高額になりますし、そもそもパケット使い放題にするにしても月五千円くらいかかります。それに対してWIFIは私の使っているWIMAXならプロバイダ料金を含めて月額3800円強で使い放題で、通信速度がそんなに高くなくて通信量が一定値を越えたら通信速度にブレーキがかかってもいいのならイオンとかが月額1000円くらいで契約できるサービスを打ち出してます。さらにさらに述べると、これらのWIFI通信契約ならば普通にノートパソコンとかほかの端末でネットをするのにも使えるという点も見逃せません。

 先日、ドコモは通話料を月額2700円の定額にする新たな料金サービスを発表しましたが、こうしたサービスが新たに作られた背景には無料通話アプリの存在もあるんじゃないかと内心睨んでいますし、今後業界内で価格競争は増していくとも見ています。ただ私はなんでもかんでも極端な予想を立てることに定評があるためこのまま述べると、電話の形さえして携帯できれば、スカイプやラインの専用端末であってもいいんじゃないかとこの頃思っていますし、今後そういう端末が続々出てきて主流となるのではという気もします。

 以上の主張をまとめると、現在の携帯電話通信はその機能の薄さに比べて料金が高過ぎるということに尽きます。そのためそのシェアは今後無料通話アプリにどんどんと取られて行く可能性があり、私の予想みたいに完全になくなるというところまで行かなくても、よっぽど新しいサービス分野を開拓しない限りは利用量の減少と共に価格競争が始まって携帯通信事業各社の売上げや収益は今後落ち込んでいくというか、案外今くらいの時期がピークなんじゃないかと言いたいわけです。携帯電話各社のの売上げが落ちていくという予想に関しては、少なくとも私がこの話を振った全員が「せやね」と同意してくれました。人口も減ってるしね。

 最後に蛇足ですが、この記事の何がすごいかっていうと書いてる私自身がラインを今まで一度も使ったことがないという点に尽きます。 持ってる電話もウィルコムのガラケーっていうかPHSだし、国際電話はスカイプで済ましちゃうからですが、それでいてよくこんな記事書くなと我ながら呆れてきます。

2014年4月27日日曜日

拉致問題解決に向け天秤にかかる人権

 先程ニュースを見ていると本日、某所にて北朝鮮の拉致家族会の会合が開かれて改めて解決に向け家族会の方が講演をされたそうです。私個人としても拉致家族の方々の心労は同情するに余りあり、願う事ならこの問題が解決されればと陰ながら思っております。幸いというか自体はこのところ進展してきており、日朝政府関係者が赤十字を通して北京で会談を行ったり、北朝鮮側から再調査について言及もあり、この機に事態が上手く進展されればと私も思います。

 ただ今日このニュースを見た時にはっと思いついてしまったのですが、仮に北朝鮮が拉致問題で再調査を行って拉致被害者の返還まで行うとしたら、日本政府に対して何らかの見返りを要求することはほぼ確実だと思います。それでもこれまでの拉致家族の方々の苦労を思えば拉致問題解決と引き換えの北朝鮮への人道支援や国交回復について恐らく日本人の9割以上は賛成することでしょうし、むしろ支援を対価にしてでも拉致家族の返還を求むべきだという声の方が大きいでしょう。

 正直、このブログで書くべきなのかどうか少し悩みましたが、それでも敢えて言うべきだと思うので書きます。この拉致問題解決と引き換えの北朝鮮への支援を日本はやるべきかどうかと言ったら、私は疑問に感じる点が一点あります。というのも、北朝鮮へ支援をすれば確かに拉致被害者を取り戻せる可能性はあるものの、そのかわりに現在圧政を敷き北朝鮮国内で人権侵害をし続ける金王朝を間接的に支援することになってしまうのではないか、という一点です。

 言うまでもなく北朝鮮では多くの人間が飢餓状態にあり、また多くの強制収容所を構えての思想弾圧も日常茶飯事だと伝えられています。これらの人権侵害は現在の政権を握る金王朝が行っているもので、金王朝を打倒する以外では改善の見込みはほぼないと断言できます。
 仮に北朝鮮政府が拉致被害者を確実に帰国させるということを前提にした上で資金、またはエネルギーの支援を日本に求めたとします。その要求を日本側は飲むべきかどうか。飲めば拉致被害者の人権は守られるものの、北朝鮮の人権を侵害する組織を日本は支援することになりかねず、言うなれば日本人の人権と北朝鮮人の人権のどちらを優先するのか、天秤にかける選択となってしまうのではないかと今日ふと思ってしまいました。

 マスコミみたいに問題提起をするだけして投げてしまえば確かに楽ですがそれだとやはり卑怯なように思うので答えると、自分は後者です。拉致問題の解決は切実に望むものの、人権侵害を続ける政権を支援するような行為はやはりやってはいけないのでは、いくら日本人の人権を守るためとはいえ北朝鮮人の人権侵害を見て見ぬふりしてはならないのではと、批判されても仕方ないとは思いつつこのように考えます。
 もちろん日本全体の総意としてそれでも拉致被害者が取り戻せるのであれば支援すべきというのであれば、自分もその総意を批判するつもりはなく素直に従うつもりでおります。 ただ仮にこのような事態となった場合、いくらか出費を負担するけど拉致被害者が帰ってくるのならそれでいいとだけ考えるのではなく、北朝鮮の人権についても一定の覚悟を持って決めるべきではないかと個人的に思います。

 一番ベストなのは北朝鮮に対して何の支援もせず外交的駆け引きによって拉致被害者を取り戻すことです。次善の策としては、見返りの支援を要求されたとしても赤十字または日本政府を直接通した食糧支援だけに限定するか、本当に一回こっきりのエネルギー支援にするかです。この二案であれば自分も賛成できます。

 片方の人権を優先すればもう片方の人権を無視することになる。無論、同じ国民の人権を優先するというのは間違った概念ではないものの、もう片方の人権を無視することについて覚悟があるかないかでは大違いではないかと思ったので、こうして書き記すこととしました。

2014年4月26日土曜日

周囲の目を気にしない中国人

 日記として書きますが、昨夜は大学の先輩がうちに泊まりに来たのでブログの更新を休みました。その先輩はこのところ関東で仕事が多いのでしょっちゅう泊まりに来るのですが、昨夜は以前にも一緒に行ったうちの近くにあるロシア料理店にまた行こうとしたらたまたま貸切りだったので、しょうがないから台湾料理屋に行って、「酸辣湯の臭いとかマジ懐かしい」なんてかなり大声でわめきながら盛り上がっていました。私の声は知る人ぞ知るほど異常なくらいに通りが良くてどんな雑音の中でも確実に聞き分けられる声質ですが、この先輩も負けず劣らずやけに通る声してるんであの時に店の中にいた人はさぞ迷惑だったろうな。それとあと、頼んだチャーハン余ったから持って帰ろうとして、「すいません、これ打包(中国語:ターパオ)してください」など、中国人の店員に日本語と中国語が混ざった妙なオーダーとかしてました。

 そんなこんだで本題ですが。現在私の友人は今年3月から中国の西安へ留学に行っております。その友人は中国に長期滞在するのはこれが初めてなのでこの前電話した際に中国の第一印象はどうかと尋ねたところ、「やっぱりみんな、周りの目を気にしませんね。花園さんの言う通りに」という感想を述べてきました。我が友人ながら、やっぱりいい観察眼持ってる気がします。

 何度かこのブログでも書いていますが、中国人は日本人と比べると 周囲の目を気にしないというか関心があまりありません。もっともそれが如実に出るのは服装で、真夏にもなるとへそだしルックがガチでそこらじゅうに溢れて目撃することになります。もっともへそ出して歩いているのは大抵太ったおっさんですが。また覚えている方も多いんじゃないかと思いますが、パジャマで外をうろうろするおばさんもそれほど珍しくなく、上海市内でもショッキングピンク色したキティちゃんのパジャマ着たおばさんを自分は何度も見ています。
 こうした中国人の特徴は服装以外にも表れており、路上での行動とか仕草にも見ることが出来ます。まず声が大きくて話している内容が聞きたくなくても聞こえてくるとか、あとのっしのっしと歩くというか割と体を大きく振るようにして歩いて対向者をよける際もなんていうかやれやれって感じで日本みたいに細かい動きを見せることはなくおおざっぱです。

 と、ここまで中国人との比較で書いてきましたが、実は今日は「金田一少年の事件簿」の漫画を漫画喫茶で見てきたこともあって見出しから一つトリックを入れた文章を書いています。そのトリックというのも比較対象を敢えて「中国人と日本人」との比較で書いているという点なのですが、これは「外国人と日本人」に置き換えてもほぼ全く同じことが言えちゃったりします。さすがにキティちゃんパジャマは中国オンリーかもしれませんが。

 私自身そんなに威張れるほど外国生活が長いわけじゃありませんが、少なくともこれまで見てきたイギリスとかアメリカ、あとインドと比べると路上での振る舞いや仕草、服装は日本人よりも中国人のパターンのが近い気がするというか、日本が一番極端過ぎるきらいがあります。実際にこれは留学中にフランス人の姉さんから直接言われましたが、「あんたはまだ普通の格好してるけど、日本人はなんで普段からあんなわけのわからない格好してるの?」と言われたことがあります。この姉さんのいう「わけのわからない」というのは私なりの解釈で言うと、学校に来るのだから別にラフな格好でもいいのに変に着飾ろうと柄物とかを着ているという意味だったと思います。

 核心をさっさと述べると、日本人というのは世界単位で比較すると異常なほどに周囲の目を気にするというか、周囲と同じ格好、振る舞い、仕草を自ら率先して取ろうとする傾向があります。究極的に述べると日本人の行動原理は「周囲に溶け込み、目立ってはならない」という忍者っぽい大原則にあり、それが学校や企業、そして部活動などでの行動につながってくると私は睨んでいます。 逆に周囲とは異なる振る舞いをしようものなら一気に叩き出そうとする傾向もあり、それを日本人は集団性が強いと言いますが、私は内心では案外協調性は少なく個性を自他ともに叩き出すことを目的にしてしまっているようになっていると考えてます。

 ここでこのところ多い自分語りですが、上にも書いている通りに自分も日本人よりは中国人に似て、周囲の目を気にしない振る舞いを取ることが多いです。こうした傾向は中国へ赴く以前から明らかに存在しており、現在もそうですが周囲の「逆を突く」ということを信条にして長い間行動してきました。私が何でこういう風に育ったのかというと元からそういう資質だったと言えばすぐ片付きますが、私個人の主張を述べると、内面を磨くことに必死で外見に構う余裕が全くなかったというのが本音です。

 私はよく会う人から「何でも知っていて知識が豊富だ」などと褒めてもらえることが多いのですが、偽りのない本心で述べるとまだ全然物足りないというか、もっと知識を得たいと本気で願っているしまだ足りないと知識欲に餓えてます。なんでまだそんなに餓えているのかというと単純に知りたいという欲求と共に、自分以上に思考力に富み知識を備えた人間に対抗するにはまだ実力が足りていないと思うし少しでもそういう人間に近づきたいという本能じみた感情から、このところ勉強はサボりがちではあるものの知的好奇心や何かを追おうとする意欲に関しては衰えを全く感じていません。
 こうした考えは子供の頃からずっとそうで、変に外見を磨く暇があるのであればもっと内面を磨くため、知識を貯め思考を深め新たな発想を探さなければと脅迫じみた考えをこれまでずっと抱いていましたし、現在も変わりはありません。 言うなれば、外見を気にする以前に内面の至らなさの方が私は気になるわけです。

 そんな自分に言わせると、日本人はもっと外見より内面を磨くことに力を入れるべきだし、また相手の外見にとらわれずもっと内面見た方がいいように思えます。また今度記事にまとめてもいいですがSTAP細胞の捏造問題といい、日本人は外見というか外っ面の議論は熱心にやりますが誰も核心については議論したがらないというか無関心であることが多いです。私ほど内面に極端に入れ込む必要はないでしょうが、周りの目ばっか気にする前に自分自身の自分に対する目を気にしろよと年寄りじみたことを言いたくなったので、こうしてまとめた次第です。久々に散文っぽく話題がずれつつ最後に収束できたから、かいてて楽しく仕上がりました。

2014年4月24日木曜日

鮫島事件とプチエンジェル事件について


 上の画像はまたネットから拾ってきた画像ですが、なんか右下のセリフに悲痛感が詰まってることから気に入ってちょくちょく見返しているためブログにも貼ることにしました。それにしても猫って本当空気読まないよな。

 話は本題に入りますが、皆さんは「鮫島事件」という名前を知っておられるでしょうか。私の予想だと相当コアなネットユーザーじゃないと見聞きしたことはまずないと思いますので、ウィキペディアのリンクをいつも通りに貼っておきます。

鮫島事件(Wikipedia)

 この鮫島事件というのはどういう事件なのかというと、言ってしまえば何にもない事件といったところです。というのも、この事件がネットで語られる場合は往々にして、

「あの鮫島事件の恐ろしさだけは一回聞いたら忘れられない……」
「おいやめとけ。それだけはやばいぞ!」

 という感じのやり取りが交わされ、結局内容については誰ひとり語らないまま「なんか知らないけどヤバそうな事件」という印象を読んでいる人間に抱かせ終わります。では実際にこの鮫島事件というのは本当にあるのかどうかですが、まぁ十中八九何もない名前だけの事件でしょう。ウィキペディアの中で詳しく開設されていますが、名前を挙げるだけで詳細を語らず不気味さだけを際立たせるだけの一種の言葉遊びです。
 私はパンダの毛皮みたいに物事の白黒をはっきりさせないと気が済まない性格してる分、内心この鮫島事件の書き込みについては見ているだけでちょっとイラつきます。なので他にも同じようなもやもやを抱えている人に向けて白黒はっきりつけさせてあげようと、こうして記事を書くことにしました。

 鮫島事件のついでというわけじゃないですが、同じくネット上で定期的によく語られる事件に、2003年に起きたプチエンジェル事件というものがあります。

プチエンジェル事件(Wikipedia)

 こちらは鮫島事件と違って実際に起こった事件ですが、その内容についてはウィキペディアの説明を見てください。この事件が何でネット上で未だに名前が挙がってくるのかというと、この事件では未成年売春クラブを運営していたらしき犯人が自殺して終わっているのですが、事件後に犯人らの背後関係について追っていた記者が東京湾に浮かんだ状態で見つかったため、何か裏の力が働いているのではとよく語られます。曰く、未成年売春クラブの事件ということもあり顧客には政治家など要人もいて情報を知る人間は口封じに遭うのでは、といったところです。
 火消しに回るという気はないのですが、私はこの事件はそこまで大それた事件ではなかったのではないかと見ています。全部ネット筋のソースなので確実性は低いと認めるものの、まずプチエンジェル事件を追っていた記者が東京湾で魚に食われてたのは本当の事実のようです。ただこの記者は元々そういう裏社会系のネタを扱う記者で、どうもヤクザの案件を洗っていたら尻尾を踏んでしまったというのが結論っぽいという意見が出ており、私もこれを支持します。根拠としては犯人が死んだ事件なんて追われたところで関係者はあまり痛くない(どうとでもしらばっくれられる)のと、大袈裟に語られる事件ほど案外しょぼいことが多いという私の勘からです。そもそもの話、顧客に政治家がいたなんていう事実の根拠がどこをどう探しても出てこないし誰も挙げられないっていうのが一番デマっぽい点なのですが。

 ここで記事をまとめてもアリなのですが、話の種とばかりにもう一つだけ、こっちのが案外黒くねっていう事件を一つ私の方から挙げさせてもらいます。

桶川ストーカー殺人事件(Wikipedia)

 1999年に起きたこの事件は当時を生きていた人間ならまず誰もが覚えていることかと思います。現在にも続くストーカー事件の嚆矢となったもので現在のストーカー規制法もこの事件を教訓にして形作られたと言ってもよく、そういう意味ではまた今度あたりに「平成史考察」に取り上げてもありかもしれません。
 で、この事件のどんな点が黒いのかって話ですが、ウィキペディアの記述をそのまま書きに引用します。

  ~影響~
 2000年10月7日、埼玉県警警視の住むマンションの玄関扉外側から出火。県警は別の脅迫容疑で逮捕されていた巡査部長を放火容疑で再逮捕した。警視は桶川事件当時の上尾署刑事生活安全担当次長で、告訴取り下げや告訴状改竄を直接、間接に指示し得る立場にあった人物である。また逮捕された巡査部長は桶川事件当時上尾署の刑事であり、さらに最初の逮捕容疑となった脅迫事件の被害者も当時の上尾署員だった。容疑者は刑事から交番勤務に左遷されていたことから、恨みによる犯行とされた。一方で容疑者は、桶川事件では最初に被害者の女子大生に応対し、相談内容の深刻さに同情して当初は 熱心に話を聞いてくれていたという。容疑者は有罪判決を受け服役中に自殺した。またこの放火事件への対処に不信感を表明した別の刑事ものちに自殺している。

 まぁ詳細を自分も取材したり追ったりしたわけじゃないのでいろいろ強くは言えないのですが、事件後に事件に関わった警官が二人も自殺するって異常過ぎないかってことです。桶川ストーカー事件自体は有名ですが、事件後のこの話はあんまり知られてないと思うので紹介しようと思ったわけです。

2014年4月23日水曜日

山田風太郎の日記を読みだして

 昨日は所用により書くことが出来ず、かといって今日に何か書く話題を用意していたというかモチベーションがいまいち上がらないので今読んでいる山田風太郎日記について少しだけ書きます。

 先日お会いしたブログ読者の方よりこのブログについて、「もう少し話題のジャンルを絞った方が良いのでは?」というアドバイスを受けました。その方のいう通りにこのブログは歴史、政治、アニメ・漫画、経済、中国と書く話題のジャンルが多岐にわたっていて一体何のブログなのか、かいている人間が一人ということ以外は何の共通点もない記事が連綿と続いております。仮に中国の話題だけをずっと書いていれば今頃、中国系情報ブログとしてそこそこ名前も通りアクセス数も多分多くなっていたと思います。ではなんでそうしないのかというと、一つはいろんなジャンルについてあれこれ書きたいという私の欲求と、もう一つは日記的な要素を兼ね備えているからです。

 私は日記自体は中学生の頃に拙いレベルでしたが二ヶ月くらい英語で書いていましたがあまり続かず、それ以降もまた日記を書こうと思うことはありませんでした。このブログはあくまで私の主張を片っ端から書いていくということが本願であるものの、今現在で社会に対してどのように物事を見ているのかという折々の視点を書くという目的を含め近況もたまに書いて、後世の自分に「あの時自分はこう考えてたんだな」と再認識させる日記のようなものと捉えています。

 そんな日記ですが、世界で一番有名な日記となるとこの前ビリビリに破られた「アンネの日記」で間違いないでしょうが、日本人でも面白い日記を書いている人がいてそれはほかならぬ山田風太郎です。
 山田風太郎を私が知ったのは恥ずかしい限りですが漫画家のせがわまさき氏による「バジリスク」という漫画からです。これは「甲賀忍法帳」という山田風太郎の小説が原作となっていて、ほどよく化け物を書くのが上手いせがわ氏の作画と相まって漫画がヒットし、アニメも投資額がほとんど回収できなかったらしいですが私が見る限り非常に出来のいいアニメで、元々の原作の良さと相まって海外に紹介していくには忍者であるだけに文句ない作品だと考えています。

 話は山田風太郎の日記についてですが、後に小説家として名を成すだけあって毎日非常に細かく書いてあるのですが、それ以上に書かれた時期が戦中から戦後という、ある意味日本がいろんな意味で特別だった時期であることが大きな特徴です。知ってる人には早いですが、山田風太郎は両親が早くに亡くなり血のつながらない義父母によって育てられ、義父母の援助を受けつつ医大を受験し続けちゃんと医師免許も取得しています。まだ私は彼の日記を読み始めたばかりですが、まぁ書いていることは陰鬱というか、果たしてこのまま義父母の援助を受けながら浪人し続け、医大に行くことに価値があるのかなどという悩みがせつららに書かれてあります。
 同時に、戦時中の日本という国家に対してある意味特殊な視点でもって描かれ、こういってはなんですが当時の人間とは思えないほど国家の思想について詳細な分析が行われているだけでなく、戦時中の国民生活に関しても「あと二年もこのような生活で国民は我慢できるとは思えない」などと、まぁ不思議な視点でずっと描いています。

 と言ってもまだ全然読み進めていないので本格的なレビューは読み終えた後にでも書きますが、今読んでいるあたりだととにもかくにも食べ物に関する話が多くて読んでてこっちが腹減ってきます。当時勤めていた会社(沖電気工業)で仕事を終えると同僚とやれ汁粉を食べに行ったとか、丼ものを三杯食べたとか、給料日にはケーキとコーヒーを食べ歩いたとか、戦時中でも東京では食べようと思ったら食べられたんだななんて読んでて思います。

 やややる気のない記事と今日はなりましたが、そんなテンションの上がらない日々を今送っているという日記だと思って軽く読み過ごしてください。