決勝戦は明後日ですが、現在日本で開催中のラグビーワールドカップは近年の日本主催の国際スポーツ大会としては稀に見るほどの大成功だったと言えるでしょう。これまで日本ではあまり人気があるとは言えなかったラグビーに対し、試合中継では高視聴率を連発した上、また揉めやすいレフェリーの判定についてもこれまで目立った騒動も聞きません。
極めつけは日本に滞在した外国人選手との交流で、報道されている限りでは日本側の受入は各地で好評だったようで、先日の台風被害のあとにボランティアに参加してくれたカナダチーム選手など、多方面で素晴らしい交流が行われたと考えています。
なお高校時代はラグビーやってたのに大学入ってからダルいとかいってテニスに鞍替えしたうちの名古屋に左遷された親父によると、「片手でパスするのが不思議」だったそうです。親父の時代はきちんと投げるため何が何でも両手でパスするよう指導されていたそうですが、現代のラグビー選手は平気で片手でパスしながら正確にボールを送っており、この点は親父の世代からするととんでもない時代の変化に感じたそうですが。
話は戻りますが、そもそもどうして今回これほど成功したのかが気になってます。正直、前評判も高くなかっただけにどうしてこれほど盛り上がったのかが不思議で仕方ありませんでした。単純に日本のラグビー関連団体が努力したと言えばそれで済むのかもしれませんが、それならそれで何が良かったのかが気になります。
特に来年に東京五輪を控えているだけに、その成功要因は今からでもしっかりと共有しておくにこしたことはないでしょう。
まず考えられる理由としては、情報発信が非常に良かったという点です。滞在中の外国人選手らの日常風景、試合スケジュールや今後の展開について非常に細かく且つわかりやすく情報が発信され、台風で試合が中止になった際も早め早めにその可能性に言及しており、この点は見事な発信の仕方だったと思います。
次に、これはジャケット着ているだけで「秋なのに上着を着るなんて花園さんらしくない」と久しぶりに会うなりディスってきた後輩の主張ですが、試合中継などでアイドルや芸人などを一切使用せず、硬派な中継を心がけたという点です。このところっつても大分前からですが、競技経験のあるアイドルや芸人を呼んでは試合の実況解説に混ぜる放送が非常に多いです。サッカーが特に顕著ですが、ミルがわからしたらアイドルや芸人呼ばれても何も響かないというか、見たいのはやはり試合の中身であるのに、試合前後に無駄にそういったゲストがあれこれトークするのは私自身も正直あまりいいとは思っていませんでした。
後輩によると、今回のラグビーワールドカップの試合では競技経験のあるアイドルや芸人がそもそもいなかったからかもしれませんが、かなりガチな競技経験者が毎回登場し、また実況や放送も視聴者にわかるよう細かくルール解説がされていて非常に見やすかったそうです。私も一試合の放送を見ましたが、確かに野球やサッカーと比べて無駄に視聴者を煽るような発言とかなく、落ち着いた試合中継で見ていて悪い気分しませんでした。逆を言えば、変なゲストの戯言ほど不快にさせるものはないんだなと改めて感じました。
あと最後に私自身の見解ですが、日本のラグビー業界でそこそこ力持っている森元総理が、弱ってきてあまり大会運営に口出ししなかったからうまくいったのではないかと本気で思っています。それこそ東京五輪でもこれまで出てきては余計なことを言って現場を混乱させてきましたが、最近急に痩せて顔色も優れないなど、明らかに弱ってきている様子が見て取れます。
非常に不謹慎なことをさっきから言っていますが、この人に限って言えば存在するよりしないほうが物事が確実にうまく回ると思うくらい問題がある人物だと私はかねてから認識しており、今回のラグビーワールドカップの成功振りを見て、ますますこの考えに確信が持てました。公人である以上、これくらいの批判はまぁありでしょう。さらに言えば、東京五輪も正直どうなるかと危ぶんでいましたが、名誉会長がこんな感じで何も言わなくなったらうまくいくのではと光明が見えてきました。
最後に関係ないけど、この前日本帰った時の親父へのお土産は、免税店で買ったタバコとイスラム教徒がかぶる白い帽子でした。後者は、親父が被った姿は完全な中東人で、あれなら普通に中東コミュニティに潜り込めるなと思うほどでした。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2019年10月31日木曜日
2019年10月29日火曜日
ゲームレビュー「シークレットゲーム」
大学時代のロシア語の授業である学生が、
「せんせー、昨日徹夜でカラオケしたから喉痛い。飴ちゃんちょうだい(´・ω・`)」
「あんた大阪のおばちゃんみんなが飴ちゃん持ってるとでも思ってるの?まぁ持ってるけど( ´ー`)ゴソゴソ」
という出来事がありましたが今日、
「花園さーん、マウス持ってたらちょうだい(´・ω・`)」
「あるよ。ほなこれ持ってき( ´ー`)ゴソゴソ」
という妙なやり取りをかましてきました。ちなみに家には使っていないマウスが10台くらいあります。
話は本題ですが昨日の記事で私は今、ニンテンドースイッチライトで「キラークイーン」というゲームをやってると書きましたが、これ聞いて大概の人はジョジョに出てくるスタイリッシュなスタンドを想像したのではないかと思います。実際はそっちではなく、キラークイーン、もとい「シークレットゲーム」というアドベンチャーゲームです。
この「キラークイーン」というのは初出が2008年に出た18禁の同人ゲームで、その後PS2とかパソコン向けにリメイクされたのが「シークレットゲーム」です。内容はどんなのかというといわゆるデスゲームで、謎の施設に閉じ込められた人たちが武器を与えられ、殺し合いをするという典型的な内容となっています。
私はこのゲームを2010年頃に知って、PSP版も出ていると知ったので最初はそっちで遊ぼうかと考えていましたが、当時はPSPのダウンロード版の値段が高く、そこそこ古いゲームなのにその値段で購入することに抵抗もあったことから見送っていました。そしたらニンテンドースイッチにソフトが移植されており、且つ値段もお手頃となっていることを知ったので、先日の日本帰国時に続編の「リベリオン」とともに大人買いしました。
私がこのゲームの何に興味を惹かれたのかというと、一言で言えばめちゃくちゃ人が死にそうな内容だったからで、それ以外は何もありません。もっとも遊んでみた感想としては確かに9割方死ぬけど殺害方法は蜂の巣になるようなのばっかで、それほど凄惨というわけではありません。凄惨さで言ったら、前にもレビュー書いた「ゼロエスケープ」がフッ酸シャワーを始め群を抜いており、あれに比べればまだ「シークレットゲーム」はマイルドな方です。
それでゲーム自体についてですが、そもそもこのゲームをゲームと呼ぶには少し難があります。というのも一般的なアドベンチャーゲームと違ってこのゲームにはシナリオの分岐はほぼなく、基本的には用意されたテキストを読むだけで、ビジュアルノベルのような内容だからです。通常のアドベンチャーは選択肢によって展開が変わることを主軸とするだけに、随分と思い切ったやり方したなと感じます。
ただ、複数あるシナリオのテキスト量は非常に膨大で、完読するには普通に数時間が必要なだけに、選択肢による分岐がなくても正直あまり気になりません。それどころかテキストは非常に面白く、先が気になる内容と高い品質を持っており、世間で評価が高いというのも非常に納得できました。
このゲームのテキストが何故優れているのかというと、舞台設定とキャラ設定がとにかく優れていることに尽きます。
通常、デスゲームというのは平等に武器とか与えられて、互いに協力し、時には裏切り、最後に愛と友情で生き残るというのがお決まりの流れですが、「シークレットゲーム」ではゲームに登場する各プレイヤーそれぞれ別個に、「何人か殺す」、「特定の場所を回る」、「特定人物を殺す」、「数人から持ち物を奪う」、「特定時間まで生き残る」などのクリア条件が設けられ、条件によっては完全に競合して対立せざるを得なかったり、逆に協力するほうがメリットがあると言った状況が生まれたりします。そのため他のデスゲームと違って、キャラ間の駆け引きもクリア条件が重要となり、シナリオにもそれが反映されます。
次のキャラ設定についてですが、このゲームではパラレルワールド的に複数のシナリオが用意されており、登場人物や大まかな舞台設定は共通するものの、シナリオによって死ぬ人や生き残る人が変わり、展開も変わってきて、選択肢によるシナリオ分岐の役割を代わりに果たしています。
ただ、他のアドベンチャーゲームだと分岐したシナリオによってキャラの設定や性格が変わったりして、時には別人のようになってしまうことも珍しくありません。それがこの「シークレットゲーム」では、各登場人物の行動原理、観念がすべてのシナリオで完全に共通しており、シナリオによって主人公に協力したり、狂行に走ったりと行動そのものは変わるものの、その行動原理となる価値観や考え方が驚くくらい共通というか一致が保たれており、各登場人物が各シナリオでどうしてそんな行動を取ったのかについて深く納得できるようになっています。
では何故シナリオによって行動が変わるのかというと、具体的には物語冒頭でどんな人物と接触したか、スタート地点がどこだったか、持ち物がどんなだったかによって行動が変わってきます。あるキャラに至っては、誰かに接触する前に罠にかかっていきなり死んだりもするし。
今現在自分は最終章途中まで進めており、トラブルがなければこのまま最終エンドまで今日中にたどり着けると思います。正直言ってシナリオを読むだけのゲームですが、シナリオの完成度が非常に高いのは保証でき、ギャルゲーらしい目玉の大きなキャラクターの造形さえ我慢できれば確かにおすすめできる内容です。あんまグロくないし。
なお声優の演技については取り立てて評価するほどの人はいないなと感じますが、ある女性キャラの声優を名前で検索したところ、「このひと、コトノハサマだったのか……」という言葉が自然と漏れてきました。
それにしても最近は「ヤンデレ」という言葉も以前よりすっかり聞かなくなった気がします。っていうか2005年から2008年のリーマン・ショックまでの間にやたらとこの手のキャラが異常に量産されていたようにも思え、何ていうかそういう時代だったんだなと再認識しました。
「せんせー、昨日徹夜でカラオケしたから喉痛い。飴ちゃんちょうだい(´・ω・`)」
「あんた大阪のおばちゃんみんなが飴ちゃん持ってるとでも思ってるの?まぁ持ってるけど( ´ー`)ゴソゴソ」
という出来事がありましたが今日、
「花園さーん、マウス持ってたらちょうだい(´・ω・`)」
「あるよ。ほなこれ持ってき( ´ー`)ゴソゴソ」
という妙なやり取りをかましてきました。ちなみに家には使っていないマウスが10台くらいあります。
話は本題ですが昨日の記事で私は今、ニンテンドースイッチライトで「キラークイーン」というゲームをやってると書きましたが、これ聞いて大概の人はジョジョに出てくるスタイリッシュなスタンドを想像したのではないかと思います。実際はそっちではなく、キラークイーン、もとい「シークレットゲーム」というアドベンチャーゲームです。
この「キラークイーン」というのは初出が2008年に出た18禁の同人ゲームで、その後PS2とかパソコン向けにリメイクされたのが「シークレットゲーム」です。内容はどんなのかというといわゆるデスゲームで、謎の施設に閉じ込められた人たちが武器を与えられ、殺し合いをするという典型的な内容となっています。
私はこのゲームを2010年頃に知って、PSP版も出ていると知ったので最初はそっちで遊ぼうかと考えていましたが、当時はPSPのダウンロード版の値段が高く、そこそこ古いゲームなのにその値段で購入することに抵抗もあったことから見送っていました。そしたらニンテンドースイッチにソフトが移植されており、且つ値段もお手頃となっていることを知ったので、先日の日本帰国時に続編の「リベリオン」とともに大人買いしました。
私がこのゲームの何に興味を惹かれたのかというと、一言で言えばめちゃくちゃ人が死にそうな内容だったからで、それ以外は何もありません。もっとも遊んでみた感想としては確かに9割方死ぬけど殺害方法は蜂の巣になるようなのばっかで、それほど凄惨というわけではありません。凄惨さで言ったら、前にもレビュー書いた「ゼロエスケープ」がフッ酸シャワーを始め群を抜いており、あれに比べればまだ「シークレットゲーム」はマイルドな方です。
それでゲーム自体についてですが、そもそもこのゲームをゲームと呼ぶには少し難があります。というのも一般的なアドベンチャーゲームと違ってこのゲームにはシナリオの分岐はほぼなく、基本的には用意されたテキストを読むだけで、ビジュアルノベルのような内容だからです。通常のアドベンチャーは選択肢によって展開が変わることを主軸とするだけに、随分と思い切ったやり方したなと感じます。
ただ、複数あるシナリオのテキスト量は非常に膨大で、完読するには普通に数時間が必要なだけに、選択肢による分岐がなくても正直あまり気になりません。それどころかテキストは非常に面白く、先が気になる内容と高い品質を持っており、世間で評価が高いというのも非常に納得できました。
このゲームのテキストが何故優れているのかというと、舞台設定とキャラ設定がとにかく優れていることに尽きます。
通常、デスゲームというのは平等に武器とか与えられて、互いに協力し、時には裏切り、最後に愛と友情で生き残るというのがお決まりの流れですが、「シークレットゲーム」ではゲームに登場する各プレイヤーそれぞれ別個に、「何人か殺す」、「特定の場所を回る」、「特定人物を殺す」、「数人から持ち物を奪う」、「特定時間まで生き残る」などのクリア条件が設けられ、条件によっては完全に競合して対立せざるを得なかったり、逆に協力するほうがメリットがあると言った状況が生まれたりします。そのため他のデスゲームと違って、キャラ間の駆け引きもクリア条件が重要となり、シナリオにもそれが反映されます。
次のキャラ設定についてですが、このゲームではパラレルワールド的に複数のシナリオが用意されており、登場人物や大まかな舞台設定は共通するものの、シナリオによって死ぬ人や生き残る人が変わり、展開も変わってきて、選択肢によるシナリオ分岐の役割を代わりに果たしています。
ただ、他のアドベンチャーゲームだと分岐したシナリオによってキャラの設定や性格が変わったりして、時には別人のようになってしまうことも珍しくありません。それがこの「シークレットゲーム」では、各登場人物の行動原理、観念がすべてのシナリオで完全に共通しており、シナリオによって主人公に協力したり、狂行に走ったりと行動そのものは変わるものの、その行動原理となる価値観や考え方が驚くくらい共通というか一致が保たれており、各登場人物が各シナリオでどうしてそんな行動を取ったのかについて深く納得できるようになっています。
では何故シナリオによって行動が変わるのかというと、具体的には物語冒頭でどんな人物と接触したか、スタート地点がどこだったか、持ち物がどんなだったかによって行動が変わってきます。あるキャラに至っては、誰かに接触する前に罠にかかっていきなり死んだりもするし。
今現在自分は最終章途中まで進めており、トラブルがなければこのまま最終エンドまで今日中にたどり着けると思います。正直言ってシナリオを読むだけのゲームですが、シナリオの完成度が非常に高いのは保証でき、ギャルゲーらしい目玉の大きなキャラクターの造形さえ我慢できれば確かにおすすめできる内容です。あんまグロくないし。
なお声優の演技については取り立てて評価するほどの人はいないなと感じますが、ある女性キャラの声優を名前で検索したところ、「このひと、コトノハサマだったのか……」という言葉が自然と漏れてきました。
それにしても最近は「ヤンデレ」という言葉も以前よりすっかり聞かなくなった気がします。っていうか2005年から2008年のリーマン・ショックまでの間にやたらとこの手のキャラが異常に量産されていたようにも思え、何ていうかそういう時代だったんだなと再認識しました。
2019年10月28日月曜日
ニンテンドースイッチライトの中国での稼働状況などなど
先日、友人から「ニンテンドースイッチライトどう?」と聞かれたので、いま得ている情報を簡単にまとめておきます。
少し前のブログにも書いたように(書いたっけ?(´・ω・`))、先日の日本帰国時にニンテンドースイッチの携帯機特価版に当たるニンテンドースイッチライトを書いてきました、いい加減長い名将にうんざりなのでスイッチライトと書きますが、まず触ってみた第一の感想としては「重い(´・ω・`)」でした。
というのも、これまで私が主力武器として長年中国で連れ添ってきたPSVitaと比べると画面などがやや大きくなっており、ガワ全体もVitaより少し大きいことから、重量も少し重くなっています。
Vitaより重いといっても実際それほどものすごい重量というわけじゃないのですが、やはり携帯ゲーム機というのは常に手に持って、場合によっては長時間遊び続けることもあるだけに、軽いに越したことはありません。もっとも私が重いと感じるのはVitaに慣れているだけであって、実際に数日間スイッチライトを使っているうちに段々と重さにも慣れてきました。何ていうか、この重力にも慣れてきたというか。
ゲームソフトに関しては最近はVitaでも全部そうなので、全てダウンロードで購入しており、日本国内でメモリーカード買ってダウンロードしてきました。メモリーカードはVitaで当初16GBのを買って入れてましたが、途中で容量足りなくなってもう一枚16GBを購入したという反省を踏まえ、今まで知らない謎のメーカーのマイクロSDカード128GBを購入して入れています。Vitaと違って汎用のメモリーカードなのは任天堂もいい仕事しており、っていうかソニーは無駄に独自規格作るのやめろよと改めて思いました。
操作性に関してはまだアクションゲームを直接遊んではいないのですが、先程述べた重量と、画面の大きさからやや横幅の長い形状から、これでアクションゲームをガキガキやるのは厳しいとすぐに感じました。そこで外付けのケースというか、スイッチライト本体を握りやすくするためのこういう外付けカバーを即購入しました。
Vitaにもこういうケースカバーがありましたがこれまで使ったことはなかったものの、スイッチライトにつけたケースカバーは割と触感もよく、グリップ加減も良くて気に入っています。逆に、こういうケースカバー無しだと激しいアクションゲームは厳しい気がします。
なおケースカバー、あと持ち運び用のポーチはどちらも白色を選びましたが、「白なんてすぐに汚れる」と親父と上海人の二人に全く同じセリフを言われました。奴らは白の良さをまだ理解していない( ゚д゚)
このほか気になった点を上げると、サウンドというかスピーカーは明らかにVitaと比べて優れています。Vitaは表面のボタン付近にスピーカー口があり、ゲーム中に親指が重なると急に音が塞がれるといったトラブルが良くありましたが、スイッチライトは本体下部にあって手や指で塞がることはほぼなく、なおかつ音の聞こえ具合も明らかにVitaよりクリアです。
一方、まだ完全には把握しきっていませんが、ゲームプレイ以外の本体付属機能とUIに関してはあまり誉められたものではなく、現時点では私があまり評価していないVita以下の状態です。メイン画面ではダウンロードしたゲームタイトルが割と大きいアイコンでズラッと並んでおり、ゲームを選ぶ際の選択でやや違和感があります。またメニュー画面のカラーパターンこそ選べるものの、背景画像やアイコンを含めたテーマ設定は弄れず、設定のカスタマイズ範囲は非常に限定されています。携帯ゲーム機である上は、もっと個性を主張したいところなのですが。
あ、あと肝心なこと書き忘れていましたが、中国でスイッチのゲームをダウンロードできるかについて書いておきます。結論から言うと「イケそう」な気がします。
ゲーム機本体の所在地設定には「香港、台湾」はあるものの中国本土は含まれていないのですが、無料販売されているゲームはスイッチライト本体からニンテンドーeショップから直接購入することができ、ダウンロード自体も行えました。ただ正式に価格のついたゲームソフトはまだ試しておらず、この辺を今後買いたいゲームが出てきた際に試してみるつもりです。
もっともゲームソフト自体はPCからVPN経由で購入することはほぼ確実に可能であるだけに、ダウンロードが行けるんなら中国からでも問題なく購入し、遊べるのではないかと見ています。
最後に、実際のゲームはどんなもんといったところですが、実はまだ一本のゲームしか遊んでいません。スイッチライトを買うと決めた時に最初に買うことを決めたソフトは「ベヨネッタ」の1と2でこれらはもちろん買っていますが、現在遊んでいるゲームはこれではありません。何かというと「キラークイーン」で、こちらに関してはまた次回紹介します。
少し前のブログにも書いたように(書いたっけ?(´・ω・`))、先日の日本帰国時にニンテンドースイッチの携帯機特価版に当たるニンテンドースイッチライトを書いてきました、いい加減長い名将にうんざりなのでスイッチライトと書きますが、まず触ってみた第一の感想としては「重い(´・ω・`)」でした。
というのも、これまで私が主力武器として長年中国で連れ添ってきたPSVitaと比べると画面などがやや大きくなっており、ガワ全体もVitaより少し大きいことから、重量も少し重くなっています。
Vitaより重いといっても実際それほどものすごい重量というわけじゃないのですが、やはり携帯ゲーム機というのは常に手に持って、場合によっては長時間遊び続けることもあるだけに、軽いに越したことはありません。もっとも私が重いと感じるのはVitaに慣れているだけであって、実際に数日間スイッチライトを使っているうちに段々と重さにも慣れてきました。何ていうか、この重力にも慣れてきたというか。
ゲームソフトに関しては最近はVitaでも全部そうなので、全てダウンロードで購入しており、日本国内でメモリーカード買ってダウンロードしてきました。メモリーカードはVitaで当初16GBのを買って入れてましたが、途中で容量足りなくなってもう一枚16GBを購入したという反省を踏まえ、今まで知らない謎のメーカーのマイクロSDカード128GBを購入して入れています。Vitaと違って汎用のメモリーカードなのは任天堂もいい仕事しており、っていうかソニーは無駄に独自規格作るのやめろよと改めて思いました。
操作性に関してはまだアクションゲームを直接遊んではいないのですが、先程述べた重量と、画面の大きさからやや横幅の長い形状から、これでアクションゲームをガキガキやるのは厳しいとすぐに感じました。そこで外付けのケースというか、スイッチライト本体を握りやすくするためのこういう外付けカバーを即購入しました。
Vitaにもこういうケースカバーがありましたがこれまで使ったことはなかったものの、スイッチライトにつけたケースカバーは割と触感もよく、グリップ加減も良くて気に入っています。逆に、こういうケースカバー無しだと激しいアクションゲームは厳しい気がします。
なおケースカバー、あと持ち運び用のポーチはどちらも白色を選びましたが、「白なんてすぐに汚れる」と親父と上海人の二人に全く同じセリフを言われました。奴らは白の良さをまだ理解していない( ゚д゚)
このほか気になった点を上げると、サウンドというかスピーカーは明らかにVitaと比べて優れています。Vitaは表面のボタン付近にスピーカー口があり、ゲーム中に親指が重なると急に音が塞がれるといったトラブルが良くありましたが、スイッチライトは本体下部にあって手や指で塞がることはほぼなく、なおかつ音の聞こえ具合も明らかにVitaよりクリアです。
一方、まだ完全には把握しきっていませんが、ゲームプレイ以外の本体付属機能とUIに関してはあまり誉められたものではなく、現時点では私があまり評価していないVita以下の状態です。メイン画面ではダウンロードしたゲームタイトルが割と大きいアイコンでズラッと並んでおり、ゲームを選ぶ際の選択でやや違和感があります。またメニュー画面のカラーパターンこそ選べるものの、背景画像やアイコンを含めたテーマ設定は弄れず、設定のカスタマイズ範囲は非常に限定されています。携帯ゲーム機である上は、もっと個性を主張したいところなのですが。
あ、あと肝心なこと書き忘れていましたが、中国でスイッチのゲームをダウンロードできるかについて書いておきます。結論から言うと「イケそう」な気がします。
ゲーム機本体の所在地設定には「香港、台湾」はあるものの中国本土は含まれていないのですが、無料販売されているゲームはスイッチライト本体からニンテンドーeショップから直接購入することができ、ダウンロード自体も行えました。ただ正式に価格のついたゲームソフトはまだ試しておらず、この辺を今後買いたいゲームが出てきた際に試してみるつもりです。
もっともゲームソフト自体はPCからVPN経由で購入することはほぼ確実に可能であるだけに、ダウンロードが行けるんなら中国からでも問題なく購入し、遊べるのではないかと見ています。
最後に、実際のゲームはどんなもんといったところですが、実はまだ一本のゲームしか遊んでいません。スイッチライトを買うと決めた時に最初に買うことを決めたソフトは「ベヨネッタ」の1と2でこれらはもちろん買っていますが、現在遊んでいるゲームはこれではありません。何かというと「キラークイーン」で、こちらに関してはまた次回紹介します。
多重下請けの弊害
・中国の自動車市場、完全に成長が止まった模様(JBpress)
今日配信された私の記事はこれですが、正直こんなニュースどうでもいいと思ってしまうビッグニュースが同時期に配信されていました。少しだけコメントつけておくと、ヤフコメ見るとやはりというか見出しの総生産台数落ち込みばかりに言及していて、個人的にはもっと重要だと思える新エネ車の腰折れについて言及ないのがやや残念でした。あと個人的に一番嬉しかったのは、シビックについて言及するコメントがあったことです。
・「5次請け」の殺し屋、報酬安すぎで手抜きし事件発覚 中国(AFP)
見出しからしてどこから突っ込んでいいのかわからないニュースですが、中身を見るともっとカオスです。
ぜひ記事内容をその目で確認してほしいのですが概要を簡単に説明すると、中国で訴訟を起こされた不動産業者が、訴訟費用のが高く付くと考えて殺し屋に200万元(約3000万円)で殺害を依頼しました。しかし依頼された殺し屋は、「俺の手は汚したくない」と考えて別の人物に100万元(約1500万円)で依頼を転注というかアウトソーシングしました。
そしたら転注された男は「俺の手は汚したくない」と考えて更に別の人物に77万元(約1200万円)で、そしたらそいつも「俺の手は汚したくない」と考えて他の人物に70万元(約1100万円)で、でもってそいつも「俺の手は汚したくない」と考えて最後の男に10万元(約150万円)で殺害を依頼した層です。
しかし最後の男は、「こんな金額では割に合わない」と考え、なんと殺害相手に直接コンタクトを取り、殺害を果たしたと偽るために縛って猿ぐつわをかませた写真を撮影させてもらうことに同意して、見事撮影を果たしたそうです。撮影後、狙われていた人物は警察へ通報し、依頼者ほか五人の殺し屋はまとめて逮捕されたそうです。
もうどこから突っ込めばいいのかわからないくらい愉快なニュースと言うか、最初は3000万円だったら報酬が何も仕事を果たさない下請けを経由していくうちに最終的には150万円まで減ってしまい、割に合わないと考えられて仕事放棄させられるというオチは小説でもなかなかないでしょう。しかも最後の男に至っては仕事せずに報酬を得ようと殺害対象と撮影会まで開いており、のどかというかなんというか図太い神経しています。
ネットでコメントとか見ていると、「原発除染作業を始めとする日本の労働現場のようだ」、「多重下請け、よくない」みたいなコメントがたくさん並んでいて、面白がる一方で意外に笑えないというような皮肉めいたコメントがよく見られます。実際、私もそう感じましたし。
たまに「どうして中国に来たの?」という質問を受けることがありますが、普段は中国史が好きだったからと答えるものの、「唖然とするトンデモニュースが飛び交うのが中国とインドくらいだから」という答え方をすることがあります。軽く冗談が入っているもののこの回答も本心であり、トンデモ事件が頻発するからこそ中国であり、それが中国の魅力であると本気で考えています。
しかし経済成長を果たしてからというものの、中国国内ではこういうトンデモニュースがだんだん減ってきた感じがします。それだけに今回のニュースは久々に心躍らせるニュースで、これがあるから中国はやめられないと無駄に元気になりました。
今日配信された私の記事はこれですが、正直こんなニュースどうでもいいと思ってしまうビッグニュースが同時期に配信されていました。少しだけコメントつけておくと、ヤフコメ見るとやはりというか見出しの総生産台数落ち込みばかりに言及していて、個人的にはもっと重要だと思える新エネ車の腰折れについて言及ないのがやや残念でした。あと個人的に一番嬉しかったのは、シビックについて言及するコメントがあったことです。
・「5次請け」の殺し屋、報酬安すぎで手抜きし事件発覚 中国(AFP)
見出しからしてどこから突っ込んでいいのかわからないニュースですが、中身を見るともっとカオスです。
ぜひ記事内容をその目で確認してほしいのですが概要を簡単に説明すると、中国で訴訟を起こされた不動産業者が、訴訟費用のが高く付くと考えて殺し屋に200万元(約3000万円)で殺害を依頼しました。しかし依頼された殺し屋は、「俺の手は汚したくない」と考えて別の人物に100万元(約1500万円)で依頼を転注というかアウトソーシングしました。
そしたら転注された男は「俺の手は汚したくない」と考えて更に別の人物に77万元(約1200万円)で、そしたらそいつも「俺の手は汚したくない」と考えて他の人物に70万元(約1100万円)で、でもってそいつも「俺の手は汚したくない」と考えて最後の男に10万元(約150万円)で殺害を依頼した層です。
しかし最後の男は、「こんな金額では割に合わない」と考え、なんと殺害相手に直接コンタクトを取り、殺害を果たしたと偽るために縛って猿ぐつわをかませた写真を撮影させてもらうことに同意して、見事撮影を果たしたそうです。撮影後、狙われていた人物は警察へ通報し、依頼者ほか五人の殺し屋はまとめて逮捕されたそうです。
もうどこから突っ込めばいいのかわからないくらい愉快なニュースと言うか、最初は3000万円だったら報酬が何も仕事を果たさない下請けを経由していくうちに最終的には150万円まで減ってしまい、割に合わないと考えられて仕事放棄させられるというオチは小説でもなかなかないでしょう。しかも最後の男に至っては仕事せずに報酬を得ようと殺害対象と撮影会まで開いており、のどかというかなんというか図太い神経しています。
ネットでコメントとか見ていると、「原発除染作業を始めとする日本の労働現場のようだ」、「多重下請け、よくない」みたいなコメントがたくさん並んでいて、面白がる一方で意外に笑えないというような皮肉めいたコメントがよく見られます。実際、私もそう感じましたし。
たまに「どうして中国に来たの?」という質問を受けることがありますが、普段は中国史が好きだったからと答えるものの、「唖然とするトンデモニュースが飛び交うのが中国とインドくらいだから」という答え方をすることがあります。軽く冗談が入っているもののこの回答も本心であり、トンデモ事件が頻発するからこそ中国であり、それが中国の魅力であると本気で考えています。
しかし経済成長を果たしてからというものの、中国国内ではこういうトンデモニュースがだんだん減ってきた感じがします。それだけに今回のニュースは久々に心躍らせるニュースで、これがあるから中国はやめられないと無駄に元気になりました。
2019年10月27日日曜日
結果主義の弊害
記事には書いていませんでしたが先日壊れたと疑いのあったSIMカードを通信キャリアに持っていったら、やっぱり壊れていたようで、交換したらすぐ元通りとなりました。なお交換の際、最初の契約時に使用したパスポートはすでに期限が切れて切り替えていたので、最初は交換ができず、二回目に新旧パスポートを携えて無事に問題解決できました。古いパスポート捨てずにおいてよかった。
話は本題ですが、日本滞在中に何故か友人の弟に説教していました。その内容というのも、結果主義の弊害とプロセス遵守の必要性についてです。
1931年の満州事変と言えば言うまでもなく日本が二次大戦に踏み出す最初の一手であることに間違いありません。この満州事変は主に石原莞爾、河本大作、板垣征四郎などの関東軍幹部によって企図、実行されたもので、中央に当たる東京の参謀本部には諮らずに実行されたものでした。
敢えて現代風に言えば、海外支店が本社の了解や決済なく企業買収を仕掛けるような行為であり、言うまでもなく独断専行的な命令違反と言っていい行為でした。またこの満州事変の際には当時朝鮮半島に駐留していた軍隊を、林銑十郎がこちらもまた中央の了解なしに中国東北部へと動かしております。こちらに至っては統帥権の干犯もいいところで、米軍のイラク駐留部隊が勝手にイランへ攻め込むような行為といえばその危険性がよく分かるかと思います。
しかし、こうした命令違反に当たる軍事行動を行った軍人らはその後処罰されることは全くありませんでした。というのも、結果的には満州事変は軍事的には大成功して、それまでは瀋陽など一部都市と満州鉄道沿線のみだった日本の支配地域は、中国東北部全体にまで広がったからです。このため石原莞爾などは勝手に軍隊を動かした罪で処罰されるどころか昇進したわけです。
それから時代を経た1937年、満州国と中国国境の盧溝橋での偶発的戦闘開始によって日中戦争が開始されます。勃発当初、東京の参謀本部は戦火の拡大を防ぐために現地部隊に対して不要な戦闘は避け軍事行動は控えるように通達しますが、現地部隊はこれらを一切無視して中国領土をガンガン攻め続けました。しかもこの時の参謀本部には出世した石原莞爾もいたのですが、再三の抑止呼びかけに対して周囲から、「お前も命令違反して出世したじゃないか」と言われ、絶句したというエピソードが残っています。
つまり当時の日本陸軍の中では、「命令違反しても成果を上げれば問題ない」という結果主義がはびこっていたことに間違いありません。そしてその源流は満州事変の成功とその後の関係者の昇進であり、その結果盧溝橋事件以降の日中戦争では中央の命令を完全に無視して、軍事行動が行われる下地を作ったと言えます。
これら全ては結果主義による弊害といってよく、「結果さえ良ければ手段や過程は問わない」という意識がはびこることによって起こるモデルケースと言っていい事態です。その後の結果については言わずもがなですが、日本は日中戦争から泥沼の戦争状態に陥ったばかりか、米国との太平洋戦争にも突入して亡国の道をたどることとなりました。
なお同じような結果主義の弊害によるケースとしては、「シャア少佐だって、戦場の戦いで勝って、出世したんだ!」でおなじみのガンダムに出てくるジーンの例が好例でしょう。この時彼は偵察のみが命令で同僚からも止められていたにもかかわらず攻撃行動に移った結果、ガンダムに乗り込んだアムロ・レイに反撃されて命を落としています。
仮に彼が結果主義に走らず偵察だけで終えていたらアムロ・レイは一年戦争に参加しなかった可能性が高いです。アムロは戦争でやばいくらい活躍しただけに、ジーンが手を出さなかったらジオン軍は敗北どころか連邦に勝利していたのではとまで推測されることから、ジオン軍最大の戦犯という評価を現在得ています。
以上を含めて何がいいたい、というか友人の弟に何を伝えたかったのかというと、結果主義がはびこると組織というのは得てして命令違反が繰り返されるようになり、日本陸軍の例は極端だとしても、基本的には弊害が大きく組織そのものを含め損害を負うこととなります。そのため結果主義というのは可能な限り排除すべきであり、多少鬱陶してくても行動や計画を実行に移す際はきちんとプロセスに則って手続きを踏み、行う必要があると伝えました。
直近の例だと加計学園系列大学の獣医学部認可がありますがあれなぞ、「安倍首相の友達→安倍首相は喜ぶであろう」という忖度のもとで、本来行うべき審査プロセスがすっ飛ばされて実施されており、安倍首相が直接指示して行われてなければ結果主義の弊害の典型とも言える事件でした。またその前後の森友学園問題も同様で、安倍首相関連事案だからという結果主義により土地売却プロセスが正当に踏まれていなかった感が見られます。
では結果主義を排除するためにはどうすればいいか。結論から言えばきちんと定められたプロセスを遵守するよう徹底し、これに違反したものは、たとえどれだけ素晴らしい結果を生んだとしてもきちんと処罰するということに尽きます。仮に満州事変で石原莞爾らをきちんと処罰していれば、日中戦争は起こらなかった可能性があると私は本気で考えています。
ただ、何でもかんでも杓子定規にプロセスを遵守しろとまで主張するつもりはありません。それこそ未曾有の事態や、どう考えても既存の設定プロセスが当てはめられない異常な事態に対しては、現場での臨機応変な対応が求められるし、それを認めるべきだという立場を取ります。一例を上げると、米軍の軍事ヘリが戦地で墜落した際、階級上では指揮する立場ではないもののサバイバル能力に優れたあるパイロットが生存者を率いて見事生還したという例があります。
以上をまとめると、きちんとプロセスが定められている事態に対してはプロセス遵守を徹底する。プロセスが存在しない、または通用しない超異常事態に限ってのみ現場判断を認めるという姿勢こそが、結果主義を排除する手段であり、これをきちんと守るかどうかは非常に重要だと言いたいです。
なお一部の日本企業を見ていると、実力主義と勘違いして結果主義を蔓延させているケースが見られます。具体的には「チャレンジ」で有名な東芝とかですが、実力主義との混同は非常に危険で、この方面にもやはり注意が必要だと私は感じます。
話は本題ですが、日本滞在中に何故か友人の弟に説教していました。その内容というのも、結果主義の弊害とプロセス遵守の必要性についてです。
1931年の満州事変と言えば言うまでもなく日本が二次大戦に踏み出す最初の一手であることに間違いありません。この満州事変は主に石原莞爾、河本大作、板垣征四郎などの関東軍幹部によって企図、実行されたもので、中央に当たる東京の参謀本部には諮らずに実行されたものでした。
敢えて現代風に言えば、海外支店が本社の了解や決済なく企業買収を仕掛けるような行為であり、言うまでもなく独断専行的な命令違反と言っていい行為でした。またこの満州事変の際には当時朝鮮半島に駐留していた軍隊を、林銑十郎がこちらもまた中央の了解なしに中国東北部へと動かしております。こちらに至っては統帥権の干犯もいいところで、米軍のイラク駐留部隊が勝手にイランへ攻め込むような行為といえばその危険性がよく分かるかと思います。
しかし、こうした命令違反に当たる軍事行動を行った軍人らはその後処罰されることは全くありませんでした。というのも、結果的には満州事変は軍事的には大成功して、それまでは瀋陽など一部都市と満州鉄道沿線のみだった日本の支配地域は、中国東北部全体にまで広がったからです。このため石原莞爾などは勝手に軍隊を動かした罪で処罰されるどころか昇進したわけです。
それから時代を経た1937年、満州国と中国国境の盧溝橋での偶発的戦闘開始によって日中戦争が開始されます。勃発当初、東京の参謀本部は戦火の拡大を防ぐために現地部隊に対して不要な戦闘は避け軍事行動は控えるように通達しますが、現地部隊はこれらを一切無視して中国領土をガンガン攻め続けました。しかもこの時の参謀本部には出世した石原莞爾もいたのですが、再三の抑止呼びかけに対して周囲から、「お前も命令違反して出世したじゃないか」と言われ、絶句したというエピソードが残っています。
つまり当時の日本陸軍の中では、「命令違反しても成果を上げれば問題ない」という結果主義がはびこっていたことに間違いありません。そしてその源流は満州事変の成功とその後の関係者の昇進であり、その結果盧溝橋事件以降の日中戦争では中央の命令を完全に無視して、軍事行動が行われる下地を作ったと言えます。
これら全ては結果主義による弊害といってよく、「結果さえ良ければ手段や過程は問わない」という意識がはびこることによって起こるモデルケースと言っていい事態です。その後の結果については言わずもがなですが、日本は日中戦争から泥沼の戦争状態に陥ったばかりか、米国との太平洋戦争にも突入して亡国の道をたどることとなりました。
なお同じような結果主義の弊害によるケースとしては、「シャア少佐だって、戦場の戦いで勝って、出世したんだ!」でおなじみのガンダムに出てくるジーンの例が好例でしょう。この時彼は偵察のみが命令で同僚からも止められていたにもかかわらず攻撃行動に移った結果、ガンダムに乗り込んだアムロ・レイに反撃されて命を落としています。
仮に彼が結果主義に走らず偵察だけで終えていたらアムロ・レイは一年戦争に参加しなかった可能性が高いです。アムロは戦争でやばいくらい活躍しただけに、ジーンが手を出さなかったらジオン軍は敗北どころか連邦に勝利していたのではとまで推測されることから、ジオン軍最大の戦犯という評価を現在得ています。
以上を含めて何がいいたい、というか友人の弟に何を伝えたかったのかというと、結果主義がはびこると組織というのは得てして命令違反が繰り返されるようになり、日本陸軍の例は極端だとしても、基本的には弊害が大きく組織そのものを含め損害を負うこととなります。そのため結果主義というのは可能な限り排除すべきであり、多少鬱陶してくても行動や計画を実行に移す際はきちんとプロセスに則って手続きを踏み、行う必要があると伝えました。
直近の例だと加計学園系列大学の獣医学部認可がありますがあれなぞ、「安倍首相の友達→安倍首相は喜ぶであろう」という忖度のもとで、本来行うべき審査プロセスがすっ飛ばされて実施されており、安倍首相が直接指示して行われてなければ結果主義の弊害の典型とも言える事件でした。またその前後の森友学園問題も同様で、安倍首相関連事案だからという結果主義により土地売却プロセスが正当に踏まれていなかった感が見られます。
では結果主義を排除するためにはどうすればいいか。結論から言えばきちんと定められたプロセスを遵守するよう徹底し、これに違反したものは、たとえどれだけ素晴らしい結果を生んだとしてもきちんと処罰するということに尽きます。仮に満州事変で石原莞爾らをきちんと処罰していれば、日中戦争は起こらなかった可能性があると私は本気で考えています。
ただ、何でもかんでも杓子定規にプロセスを遵守しろとまで主張するつもりはありません。それこそ未曾有の事態や、どう考えても既存の設定プロセスが当てはめられない異常な事態に対しては、現場での臨機応変な対応が求められるし、それを認めるべきだという立場を取ります。一例を上げると、米軍の軍事ヘリが戦地で墜落した際、階級上では指揮する立場ではないもののサバイバル能力に優れたあるパイロットが生存者を率いて見事生還したという例があります。
以上をまとめると、きちんとプロセスが定められている事態に対してはプロセス遵守を徹底する。プロセスが存在しない、または通用しない超異常事態に限ってのみ現場判断を認めるという姿勢こそが、結果主義を排除する手段であり、これをきちんと守るかどうかは非常に重要だと言いたいです。
なお一部の日本企業を見ていると、実力主義と勘違いして結果主義を蔓延させているケースが見られます。具体的には「チャレンジ」で有名な東芝とかですが、実力主義との混同は非常に危険で、この方面にもやはり注意が必要だと私は感じます。
身内の進路
先週の日本滞在中に我ながらよくわかんないことしたなと思うこととして、何故か姉の進路について親父に説教していました。
かいつまんで説明するとうちの姉貴は高校卒業後に地方私大のドイツ語学科に進学したのですが、これは明らかに誤った選択だと主張したわけです。その理由というのも、姉貴は明らかにドイツ語の専攻に向いておらず、且つ受験時点でもそうした性質がはっきりしていたからです。そもそも受験先にこの学科を入れた事自体が間違っていたと断言できます。
何故姉貴がドイツ語学科に向いていなかったのかというと、単純に外向きの人間ではなく、外国語自体にも興味があるとは思えなかったからです。今の自分から見ても英語のレベルの時点でヤバいと思う水準だったし、また海外旅行とかそもそも毛嫌いするくらいで、語学以前に論理力も見るべき点はありませんでした。また高校自体は国際化のある学校に通っててそこでは第二外国語もカリキュラムに入れられていましたが、姉貴が選んでいたのは中国語で、高校で中国語学んでおきながら何故ドイツ語学科を受験したのかは正直理解に苦しみます。
以上の点は姉貴の受験時、つまり自分が中学生だった時点で自分が感じていた点で、何故姉がドイツ語学科を受験して、合格して、進学したのか当時の自分からしても不思議でしょうがありませんでした。そしたら案の定、交換留学制度があるのに姉は留学を拒絶し、当初は両親に黙って申請せずに初年度の応募を流しました。二回目の応募に際しても、本来一年行けるところを散々拒否して、留学させようとする親に対し激しく抵抗して期間を六ヶ月に短縮してようやく行きました。
そして就職先は、ドイツ語のドの字も出てこないIT企業に入り、SEとなって現在に至ります。
逆にというか、コンピューター関連の仕事はちっちゃい頃から姉貴は就きたがっており、中学生の頃に作ったなりたい職業というテーマの粘土細工作品でもパソコンを前にしてキーボード叩く姿で作っていました。なおこの粘土細工はその後数年間ベランダに置かれていましたが、あまり造形がよくなく内心ではよ捨てればよかったのにと思ってました
実際にというか、高校三年生時点で姉はコンピューターの専門学校にも見学に行っていたようです。以上を勘案すると、やはりIT系の技術を学ぶような専門学校や大学学科が向いており、逆にドイツ語学科なんて受験するだけ無駄なくらい適正にも志望にあっていない学科であったことが当時の時点でもはっきりしていました。まぁ数学は割と絶望的でしたから大学の情報科は無理としても専門学校に通わせてやればよかったのですが。
以上のような見解を親父に突きつけて、やはり本人としてはなかなか好きな進路とか言い出しづらいのだし、ちゃんと親として適性や志望を判断して進学先を選んであげるのも責務であったと説教したわけです。少なくとも、ドイツ語学科には進ませるべきではなかったと言いました。
なんで急に大分前の姉貴の進路について急に言いだしたのかというと少し前フリがあり、従兄弟の息子の進学先をつい最近聞いたからでした。その従兄弟の息子は医大を志望していたのですがあいにくどこにも受からず、仕方なく一緒に受験して受かったある大学の歯学科へ進んだとのことです。この内容を聞くや私が言い放った言葉というのは、「何故誰も止めなかった!」というもので、ガチで怒鳴るように大声を上げました。
知ってる人には早いですが現在歯科医は供給過剰もいいところで、免許を得たところで新人を雇うような既存の歯科医院はなく、かといって独立するには既存顧客もない状態で大量の機材を揃える必要があり、歯科医として生きていこうとすると詰みやすいというか非常に困難な時代となっています。なにげに十年くらい前、歯科医団体のトップで現上皇にも拝謁したことのある人と一緒に授業を受けてたことがあり、その人ですら、「何故国は歯学科の定員を減らさないのか。何もわからない若者が入ってきてしまって路頭に迷うだけだ」と言っていました。
従兄弟の家はもちろん歯科医院を経営していません。いうなれば何の地縁も資産もないまま歯科医の道を歩ませてしまっており、もし仮に私が進学前にその場にいたら全力でその進学を止めていたことでしょう。それこそ従兄弟の息子の前で合格通知をビリビリに破いて、「お前にこんなところへ行く資格はない!」とまで言っていたことでしょう。本人を前にしないならなんとでも言えます。
もっともそれ以前というか、先にも述べた通りにどうして誰も進学前に止めなかったのかがつくづく呆れます。ちょっと調べればわかることだし、世の中の動きを見てれば簡単にわかるというのに、いくら本人が志望しているからと言ってむざむざ死ににいくような道を歩ませるというのは先達として取るべき行動ではないでしょう。それこそ姉貴の例じゃないですが、受験したこと自体が判断ミスもいいところで、私も実際は部外者で言ってもしょうがない親父に対しはっきり言いましたが、今からでも遅くないから受験し直したほうがよっぽどマシです。
以上二つの例を上げましたがこれで何をいいたいのかというと、他人ならともかく案外身内だと、その本人の志望や適正にあった進路をうまく選び取れないものなのかもしれないなと感じました。やはり身内、特に自分の子供だとどうしても目が曇るというか、才能や適正があっても親は意外と気づかないのかもしれません。
実際にそう思う節が私にもあり、姉貴について説教したあとでうちの名古屋に左遷された親父に対し、「ちなみに、俺の記憶力が異常だと気がついたのはいつだ?」と訪ねたら、四、五年前と言われました。ちなみに他の人だと、私の記憶力が異常だとわかるのは大体満二年、知り合って三年目くらいに差し掛かった当たりで、この当たりから二年前の出来事、会話内容すら正確に記憶しているというか諳んじて見せて、私に対し記憶力が異常だと気づくパターンが多いです。また私自身は、中学生の時点で自分の記憶力が異常であることを自覚していました。
また記憶力とは別に、よく声というか発声方法についてもよく周りから誉められるのですが、去年に第三者から私の声が綺麗だと言われた際に横にいた親父は驚いてて、後で聞いても私の声に対しそのような印象はそれまで全く覚えていなかったと言っていました。記憶力にしても発声にしても、下手すりゃ初対面の相手ですら気づくくらいかなり特徴的な私の一面なのですが、生まれてからずっと接してきた親父が気づかなかった当たり、親父が鈍感と言うよりかはやはり身内ゆえに気づきづらかったのかもと今は考えています。
その上で結論を述べると、やはり身内の相手に対してはその適性や特徴、才能に関して、案外目が曇りやすいのではないかと思います。逆を言えば第三者から見てもらったほうがそうした適正判断は正確に下せる可能性があり、親だから子供、または親戚をよく理解できるとは考えず、周りの第三者から意見を聞いて、ちゃんとその方向性というか進路とかも考えてあげたほうがいいのかなというのが今回言いたいことです。
最後に、私は自分の適性などをしっかり把握した上で大学の進路を選びました。自分の場合は専門性が低ければ低く、範囲が広ければ広いほど強いという特徴があるだけに、社会学・文学系の学部選択はやはり適切だったと自負します。サブウエポンに中国語を選んだのも、一応今の仕事に直結したし。
かいつまんで説明するとうちの姉貴は高校卒業後に地方私大のドイツ語学科に進学したのですが、これは明らかに誤った選択だと主張したわけです。その理由というのも、姉貴は明らかにドイツ語の専攻に向いておらず、且つ受験時点でもそうした性質がはっきりしていたからです。そもそも受験先にこの学科を入れた事自体が間違っていたと断言できます。
何故姉貴がドイツ語学科に向いていなかったのかというと、単純に外向きの人間ではなく、外国語自体にも興味があるとは思えなかったからです。今の自分から見ても英語のレベルの時点でヤバいと思う水準だったし、また海外旅行とかそもそも毛嫌いするくらいで、語学以前に論理力も見るべき点はありませんでした。また高校自体は国際化のある学校に通っててそこでは第二外国語もカリキュラムに入れられていましたが、姉貴が選んでいたのは中国語で、高校で中国語学んでおきながら何故ドイツ語学科を受験したのかは正直理解に苦しみます。
以上の点は姉貴の受験時、つまり自分が中学生だった時点で自分が感じていた点で、何故姉がドイツ語学科を受験して、合格して、進学したのか当時の自分からしても不思議でしょうがありませんでした。そしたら案の定、交換留学制度があるのに姉は留学を拒絶し、当初は両親に黙って申請せずに初年度の応募を流しました。二回目の応募に際しても、本来一年行けるところを散々拒否して、留学させようとする親に対し激しく抵抗して期間を六ヶ月に短縮してようやく行きました。
そして就職先は、ドイツ語のドの字も出てこないIT企業に入り、SEとなって現在に至ります。
逆にというか、コンピューター関連の仕事はちっちゃい頃から姉貴は就きたがっており、中学生の頃に作ったなりたい職業というテーマの粘土細工作品でもパソコンを前にしてキーボード叩く姿で作っていました。なおこの粘土細工はその後数年間ベランダに置かれていましたが、あまり造形がよくなく内心ではよ捨てればよかったのにと思ってました
実際にというか、高校三年生時点で姉はコンピューターの専門学校にも見学に行っていたようです。以上を勘案すると、やはりIT系の技術を学ぶような専門学校や大学学科が向いており、逆にドイツ語学科なんて受験するだけ無駄なくらい適正にも志望にあっていない学科であったことが当時の時点でもはっきりしていました。まぁ数学は割と絶望的でしたから大学の情報科は無理としても専門学校に通わせてやればよかったのですが。
以上のような見解を親父に突きつけて、やはり本人としてはなかなか好きな進路とか言い出しづらいのだし、ちゃんと親として適性や志望を判断して進学先を選んであげるのも責務であったと説教したわけです。少なくとも、ドイツ語学科には進ませるべきではなかったと言いました。
なんで急に大分前の姉貴の進路について急に言いだしたのかというと少し前フリがあり、従兄弟の息子の進学先をつい最近聞いたからでした。その従兄弟の息子は医大を志望していたのですがあいにくどこにも受からず、仕方なく一緒に受験して受かったある大学の歯学科へ進んだとのことです。この内容を聞くや私が言い放った言葉というのは、「何故誰も止めなかった!」というもので、ガチで怒鳴るように大声を上げました。
知ってる人には早いですが現在歯科医は供給過剰もいいところで、免許を得たところで新人を雇うような既存の歯科医院はなく、かといって独立するには既存顧客もない状態で大量の機材を揃える必要があり、歯科医として生きていこうとすると詰みやすいというか非常に困難な時代となっています。なにげに十年くらい前、歯科医団体のトップで現上皇にも拝謁したことのある人と一緒に授業を受けてたことがあり、その人ですら、「何故国は歯学科の定員を減らさないのか。何もわからない若者が入ってきてしまって路頭に迷うだけだ」と言っていました。
従兄弟の家はもちろん歯科医院を経営していません。いうなれば何の地縁も資産もないまま歯科医の道を歩ませてしまっており、もし仮に私が進学前にその場にいたら全力でその進学を止めていたことでしょう。それこそ従兄弟の息子の前で合格通知をビリビリに破いて、「お前にこんなところへ行く資格はない!」とまで言っていたことでしょう。本人を前にしないならなんとでも言えます。
もっともそれ以前というか、先にも述べた通りにどうして誰も進学前に止めなかったのかがつくづく呆れます。ちょっと調べればわかることだし、世の中の動きを見てれば簡単にわかるというのに、いくら本人が志望しているからと言ってむざむざ死ににいくような道を歩ませるというのは先達として取るべき行動ではないでしょう。それこそ姉貴の例じゃないですが、受験したこと自体が判断ミスもいいところで、私も実際は部外者で言ってもしょうがない親父に対しはっきり言いましたが、今からでも遅くないから受験し直したほうがよっぽどマシです。
以上二つの例を上げましたがこれで何をいいたいのかというと、他人ならともかく案外身内だと、その本人の志望や適正にあった進路をうまく選び取れないものなのかもしれないなと感じました。やはり身内、特に自分の子供だとどうしても目が曇るというか、才能や適正があっても親は意外と気づかないのかもしれません。
実際にそう思う節が私にもあり、姉貴について説教したあとでうちの名古屋に左遷された親父に対し、「ちなみに、俺の記憶力が異常だと気がついたのはいつだ?」と訪ねたら、四、五年前と言われました。ちなみに他の人だと、私の記憶力が異常だとわかるのは大体満二年、知り合って三年目くらいに差し掛かった当たりで、この当たりから二年前の出来事、会話内容すら正確に記憶しているというか諳んじて見せて、私に対し記憶力が異常だと気づくパターンが多いです。また私自身は、中学生の時点で自分の記憶力が異常であることを自覚していました。
また記憶力とは別に、よく声というか発声方法についてもよく周りから誉められるのですが、去年に第三者から私の声が綺麗だと言われた際に横にいた親父は驚いてて、後で聞いても私の声に対しそのような印象はそれまで全く覚えていなかったと言っていました。記憶力にしても発声にしても、下手すりゃ初対面の相手ですら気づくくらいかなり特徴的な私の一面なのですが、生まれてからずっと接してきた親父が気づかなかった当たり、親父が鈍感と言うよりかはやはり身内ゆえに気づきづらかったのかもと今は考えています。
その上で結論を述べると、やはり身内の相手に対してはその適性や特徴、才能に関して、案外目が曇りやすいのではないかと思います。逆を言えば第三者から見てもらったほうがそうした適正判断は正確に下せる可能性があり、親だから子供、または親戚をよく理解できるとは考えず、周りの第三者から意見を聞いて、ちゃんとその方向性というか進路とかも考えてあげたほうがいいのかなというのが今回言いたいことです。
最後に、私は自分の適性などをしっかり把握した上で大学の進路を選びました。自分の場合は専門性が低ければ低く、範囲が広ければ広いほど強いという特徴があるだけに、社会学・文学系の学部選択はやはり適切だったと自負します。サブウエポンに中国語を選んだのも、一応今の仕事に直結したし。
2019年10月24日木曜日
眼鏡屋が増えている背景
上司から最近、こんな難題を問われました。
「なんでこんなジョジョってつまらなくなったん?」
「才能が枯れたとしか……」と答えましたが、実際マジヤバいくらいつまらなく、先週最新刊を漫画喫茶で一応読みましたが、よくこんなつまらない話を延々と続けるなと驚くくらいのつまらなさでした。ダモさんが出てきた当たりは面白かったのに。
話は本題ですが今回の帰国中に眼鏡を新調しました。別に中国でも眼鏡くらいはどうとでもなるし日本のJINSとかも進出していますが、日本国内で消費しようと思ったのと、やはり何かあった時のことを考えて日本で作ることにしました。なお行ったのは眼鏡市場です。
滞在中に作れるのかなとやや心配してましたが、店員に聞いたら20分もあればできるということで実際そのとおりでした。ほんのちょっと前まで発注から受取まで一週間位かかってたり、4、5万円かかってたのと比べると、料金は2万円強(フレーム+レンズ)と安くなったのにスピードは格段に早くてマジビビります。
この購入時、実は前から気になっていたので店員に、「なんでこんな眼鏡屋増えてんの?(´・ω・`)」と聞いてみました。日本でも郊外やショッピングモールを中心に眼鏡屋が増えていますが、中国でもなんか最近やたらと眼鏡屋を目にすることが多く、生活必需品だから一定数需要があることはわかりものの、それにしても増え過ぎではないかと前から疑問に思っていました。
それで店員の答えですが、一つはマシニング加工機械、要するにレンズをフレームに合わせてせん断する機械の性能が高まり、安くなって各店舗におけるようになり、これによって当日すぐの引き渡しが可能となったそうです。次に、こちらが重要ですが、以前と比べると眼鏡をファッション感覚でつける人が増えており、コンタクトレンズよりも眼鏡を敢えてつけようとする人が増えているとのことでした。この際、はっきりと店員からは、「コンタクトを常用する人の割合は以前よりは確実に縮小している」とも言われました。
両方とも理由としては非常に納得できるだけに、私としても十分に納得できました。ただ、中国に関しては元々コンタクト率が低かったのですが、二番目の理由のようにファッションとしての眼鏡が流行ってきたことで増えているのだと思います。
なお今回の眼鏡新調は前回からちょうど6年ぶりとなります。前の眼鏡はスチール棒で叩かれた際にフレーム曲がったりしていたこともあってしょっちゅうずれ、眼鏡の位置合わせを常にやってましたが、新しい眼鏡だと全くずれなくて逆にビビります。っていうか前の会社、向こうの責任でスチール棒で叩かれることとなったんだから眼鏡代くらいよこせよなと未だに不満に感じてます。
「なんでこんなジョジョってつまらなくなったん?」
「才能が枯れたとしか……」と答えましたが、実際マジヤバいくらいつまらなく、先週最新刊を漫画喫茶で一応読みましたが、よくこんなつまらない話を延々と続けるなと驚くくらいのつまらなさでした。ダモさんが出てきた当たりは面白かったのに。
話は本題ですが今回の帰国中に眼鏡を新調しました。別に中国でも眼鏡くらいはどうとでもなるし日本のJINSとかも進出していますが、日本国内で消費しようと思ったのと、やはり何かあった時のことを考えて日本で作ることにしました。なお行ったのは眼鏡市場です。
滞在中に作れるのかなとやや心配してましたが、店員に聞いたら20分もあればできるということで実際そのとおりでした。ほんのちょっと前まで発注から受取まで一週間位かかってたり、4、5万円かかってたのと比べると、料金は2万円強(フレーム+レンズ)と安くなったのにスピードは格段に早くてマジビビります。
この購入時、実は前から気になっていたので店員に、「なんでこんな眼鏡屋増えてんの?(´・ω・`)」と聞いてみました。日本でも郊外やショッピングモールを中心に眼鏡屋が増えていますが、中国でもなんか最近やたらと眼鏡屋を目にすることが多く、生活必需品だから一定数需要があることはわかりものの、それにしても増え過ぎではないかと前から疑問に思っていました。
それで店員の答えですが、一つはマシニング加工機械、要するにレンズをフレームに合わせてせん断する機械の性能が高まり、安くなって各店舗におけるようになり、これによって当日すぐの引き渡しが可能となったそうです。次に、こちらが重要ですが、以前と比べると眼鏡をファッション感覚でつける人が増えており、コンタクトレンズよりも眼鏡を敢えてつけようとする人が増えているとのことでした。この際、はっきりと店員からは、「コンタクトを常用する人の割合は以前よりは確実に縮小している」とも言われました。
両方とも理由としては非常に納得できるだけに、私としても十分に納得できました。ただ、中国に関しては元々コンタクト率が低かったのですが、二番目の理由のようにファッションとしての眼鏡が流行ってきたことで増えているのだと思います。
なお今回の眼鏡新調は前回からちょうど6年ぶりとなります。前の眼鏡はスチール棒で叩かれた際にフレーム曲がったりしていたこともあってしょっちゅうずれ、眼鏡の位置合わせを常にやってましたが、新しい眼鏡だと全くずれなくて逆にビビります。っていうか前の会社、向こうの責任でスチール棒で叩かれることとなったんだから眼鏡代くらいよこせよなと未だに不満に感じてます。
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