ページ

2020年9月29日火曜日

ドラクエ1の主人公は本当にロトの子孫だったのか?

 昨日の記事で日本の貴種流離譚好き、並びに血統主義について触れたところコメントで。

「(ドラクエ1の主人公は)彼自身はロトの子孫ではあるものの初期段階ではそれを証明するものを持っていません。そのため『ロトのしるし』という証明書がない状態では勇者として認められない事もありました。」

 このコメントを見て、「そもそもドラクエ1の主人公は本当にロトの子孫だったのだろうか?」という疑問がもたげました。

 上のコメントで片倉(焼くとタイプ)さんが言っている通り、この主人公はゲーム開始時に伝説の勇者であるロトの子孫を名乗ってラダトームの王様の竜王討伐に名乗りを上げています。しかし、ロ度の子孫であることを示すものは何も持っておらず、伝説の剣や鎧はおろか、その最大の証明にもなるロトのしるしすら持っていません。
 それどころか初期装備に至ってはゼロ、つまり全裸というホームレスさながらの恰好で、「龍が如く」でもこんなやばそうな格好した奴はなかなか見ません。っていうかどう見ても食い詰め者が宛てもなくやってきたようにしか見えないいでたちです。何を以って自分がロトの子孫だと主張したのか、むしろ逆に全裸だからこそ子孫であると主張してきたのかもしれず、いろいろ意味不明です。

 それでも最終的には竜王を倒すのだから腕っぷしに関しては認めざるを得ないでしょう。しかし、彼自身が本当にロトの子孫であったということを示す要素は何もなく、一応ロトの剣とかを装備出来ますが、果たしてドラクエ1のロトの剣がドラクエ2のロトの剣、ドラクエ3の王者の剣と同じものかについては実際に議論があります
 まずドラクエ2のロトの剣は攻撃力は同じ40ですが、これより強い武器が他にもたくさん出てきて、最強の武器ではありません。この点については「ロトの剣が劣化した」とか「技術が進歩したから」などと言われていますが、そもそも同一の武器でない可能性があります。
 次にドラクエ3の王者の剣ですが、この武器はどうぐとして使うとバギクロスが使えるものの、ドラクエ1と2のロトの剣にはそんな便利な機能はありません。この一点だけでもいろいろ怪しい。

 上記点を踏まえると、ドラクエ1の主人公が装備できるロトの剣というのはこれも自称しているだけではないかという可能性があります。少なくとも、彼が先祖だと主張するロトが使っていたものと同一のものである根拠は何もありません。このように考えると、「ロトの子孫と詐称したやたらケンカの強い野郎」であったのが真相のように思えてなりません。

 ついでに書くと、前述の通りドラクエシリーズは日本人の血統主義の権化のようなストーリーですが、ライバルのFFシリーズは1から3までは割とガチな庶民が主人公でした。4から月の民、5は伝説の戦士の息子、6は群像劇(雪男)となりますが、7に至って自称ソルジャーの一般兵士と突然庶民に先祖返りします。
 ただこうやってみると、ドラクエシリーズとは対極なくらい庶民キャラがFFシリーズは多いです。13も『「光速」の異名を持ち重力を自在に操る高貴なる女性騎士』と言いつつただの警備員だったし、でもって「パルスのファルシのルシがパージでコクーン」だし。真面目にドラクエもたまには、ガチな庶民を太閤秀吉みたいに活躍させる作品を1回くらい作ってみたらどうだとか思います。

2020年9月28日月曜日

半沢記事の裏側

「半沢直樹」が見事に突いた中国人の熱狂のツボ(JBpress)

 というわけで今日の半沢記事ですが、少し前の記事にも書いた通り、この記事は直前まで何を書くか全く決まっていませんでした。自分にしては珍しく書くネタがなかなか思い浮かばず、その際に半沢直樹が受けているというニュース記事見て、「あ、こんな時なら半沢ならどないすんねん。ってか半沢書きゃええやんけ」という感じで思いつくに至りました。
 記事内容自体は以前から考えており、前に中国人の知り合いに話したところ、「まさにそれ(σ・∀・)σゲッツ!!」と言われていたこともあり、そこそこ自信はありました。そのため、書いている時も特に何の障害もなくサクサクかけて、工数的には利幅の大きい記事でした。

 ただ、この記事を書くに当たって上記の半沢に対する中国人の見方では物足りないと感じていました。そこで追加したのが末尾の貴種流離譚に対する日本人の捉え方で、個人の主張的にはこっちの方が思い入れがあります。この箇所の内容に関してもそこそこ自信があり、試読させた友人からも「「至極納得(σ・∀・)σゲッツ!!」と返事がきました。
 なおその友人によると、「ハリーポッターもこんな感じで、英国といい日本といい島国は血統主義になるのかも」と言ってましたが、これには私も至極納得(σ・∀・)σゲッツ!!でした。

 真面目な話、なんで日本人は主役を高貴な血筋にするのか最近不思議に思います。編集段階で削除されましたが、ドラフト段階では「中国の価値観に近くなっているのか、日本の文物を見ていて何故こうも血筋にこだわるのかが不思議に思う」とすら書いていました。
 その血統主義の代表格ともいえるのは、ヤフコメでも指摘されていましたがドラクエシリーズだと私も思います。特殊な血筋じゃないと主人公になれないし、ヒロインもお姫様とかそういう血筋で、ただの凡人の生まれという主人公はこのシリーズだと皆無でしょう。まぁドラクエ6の主人公はハッサンだと私は信じていますが。あとドラクエ7ならヒロインは網元の娘で、意外と稀有な庶民派だった気がします。

 ちなみに記事中で具体例として挙げられているインド映画の「バーフバリ」を私は見たことはなく、編集時に追加してもらいました。編集担当がこの映画好きだったのかもしれませんが、自分もこれで見たくなりました。友人は「あれは貴種流離譚ではなくインドらしいドタバタコメディ」と言ってましたが。

 このほかこの記事について書くことがあるとすると、実はとんでもないある秘密があります。その秘密というのも、私はこの「半沢直樹」のシーズン2の映像を1秒たりとも見たことがありません

 もともとドラマという映像をじっくり見るという習慣が一切なく、映画はまだ見るけどドラマというだけで全くその映像作品を見ることがありません。
 シーズン1に関しても、「戦車のプラモ大好き!」と言いながらドイツの戦車しか作らず、旧ソ連の名機T-34を一度も作ったことがないソ連人民の敵のようなうちの親父につき合わされ、確か6話と最終話だけ見ただけで、通しでは1度も見たことがありません。もっともストーリ概要に関してはいろいろ紹介されているからわかるので苦労はなく、記事内容も中国人のこの作品の見方だからまぁいいだろう的に書きました。人間、やろうと思えば何でもやれる。

 あと最後にヤフコメについてですが、まぁ全体として予想通りのコメントが多かったものの、自分の見方に割と賛同するような人が多い印象です。深く読んでいるなと感じるコメントは貴種流離譚に触れる者が多く、実際にこれらのコメントしている人が自分の真意を受け取っているように見えます。
 なおそのコメントですが、下記のコメントにちょっと興奮しました。

oin*****

 | 

>貴種流離譚とは民俗学者、国語学者の折口信夫(1887~1953年)が論じた概念で、主人公が実は王子様だったり、伝説の勇者の子孫だったりと、高貴な血筋を引いていることが後からわかる、といったストーリー展開を指します。

どちらも好きだけど、日本人もそちらの方が好きなのかもですよ。
ただ、そちらの作品は小説にしてもドラマにしてもマンガにしてもアニメにしても
話が練り込まれ、深い知識がないと簡単に破たんしてしまう高尚なご作品。
その点前者であれば、困難にぶつかっても不思議な力が解放され解決したり
非常にまずい状況に追いやられても、真の立場が明かされ信用爆上げ、信頼Max、言い寄ってくる異性等々の説明までついてしまうお手軽さ。
個人的にはアブノーマルをノーマルが倒してしまうお話が好きだね。ダブリインパクト俵みたいな


 このコメントですが、「個人的にはアブノーマルをノーマルが倒してしまうお話が好きだね。ダブリインパクト俵みたいな」という文言を見て、胸が熱くなるのを感じました。

 これはわかる人にはわかるでしょうが、漫画「天上天下」に出てくる「ダブルインパクト俵」というキャラのことで間違いありません。このコメントを見てすぐに思い出すとともに、「統道学園三年、ダブルインパクト俵……推参(おしてまいる)」というセリフを発するシーンを見た時のことを、「ああ、漫画見ていて一番胸が熱くなった瞬間だったんだあれが」という風に思いを馳せました。
 実際、リアルタイムでこのシーン見ていて、このキャラのことがめちゃくちゃ格好いいと当時感じていました。シナリオセンスははっきり言って無きに等しいですが、この漫画の作者の大暮維人氏は見せ場の作り方はやはり桁違いで、自分の中で漫画最高のワンシーンと言ったら恐らくこの場面でしょう。

 実際に上記コメントの通り、この漫画では異能者が多数出てくる中でこのキャラのみがほぼノーマルな人間で、単純な腕力のみで最強候補に名を連ねています。それだけに所々格好いいシーンが多く、このキャラを思い出させてくれた上記コメントにはマジで感謝したいと思いました。でもってやはり自分は中国人寄りで、貴種流離譚より庶民が活躍する方が好きなんだなと再確認しました。

2020年9月27日日曜日

菅内閣の施政方針

 先日成都に旅行していた女性の同僚にどうだったか聞いたところ、「(パンダが)ケンカしながらウンコしてた!(=゚ω゚)ノ」と、謎掛けのような回答をしてきました。マジでミステリー。

 話は本題ですが菅総理の就任について最近中国人の同僚から、「菅総理は安倍総理みたく憲法を改正しようとしているの?」と聞かれました。中国人としてはやはり改憲が気になるというのが本音らしいのですがそれはさておき、「恐らくだが、菅総理は憲法は弄らないと思うよ」と私は答えました。

 このように応えた理由はいくつかあり、まず第一の理由としてはこれまで菅総理は憲法の改正是非について発言しているのを私が聞いたことがないという点です。そもそも自民党内でも会見が必要だとずっと言ってたのは安倍総理くらいで、ほかの政治家からすれば支持率も落ちる要因になるし、外交的にも睨まれるし、触りたくとも触りたくない問題というのが憲法でしょう。
 また総理という立場の目線から見ても、憲法改正に取り組もうものならかなりのリソースをこの方面に取られてしまいます。真相は本人の腹のうちですが、私が見る限り菅総理は安倍総理と違ってそれほど長期政権に対する欲はないようにみえ、自分の在任期間を二年程度と見ているのではないかと勘繰っています。その上で、その二年の間で果たすべき政治課題をはっきり見据えていて、その実行を第一にするだろうから憲法には触れないだろうというのが私の見立てです。

 では菅総理は何に取り組もうというのか。非常に簡単な質問ですが、答えは行革こと官僚改革でしょう。この点についてはかなり昔から菅総理は改革の必要性を叫んでおり、総務大臣ではなく行革大臣に河野太郎議員を据えたのも、彼に他の一切の業務を書き捨ててでも行革を推し進めろという姿勢の表れだと思います。
 元々、官僚に対して菅総理は「騙されない」政治家だと田原総一郎氏が指摘しており、私自身も発言の端々からそのような人間だとみています。その上で菅総理は今の官僚組織についていろいろと不満があるというか納得していないような感じにも見え、電波料金引き下げ問題といい、現在の動きが生ぬるいと感じているように見えます。

 以上のような分析に立つと、菅総理は徹頭徹尾内政を重視した政策を採るように思います。逆に外交に関してはそこまで関心がないというか、こうだという方針を持っていないため、他の自民党重臣の方針を維持すると思われます。私個人としてはそうしてくれると有利になる立場でありますが。

 最後に一言付け加えると、恐らく大半の官僚は戦々恐々としているのではないかと思います。真面目に方針に逆らおうものなら菅総理なら平気でその官僚をクビとか左遷にするくらいの決意があるように思え、これまで通りとはいかないでしょう。
 また一部報道でも出ていた通り、経産省の天下はもう終わるでしょう。私個人から見ても昨今の経産省のダブルスタンダードぶりには辟易しており、いい方向に変わってくれることを期待しています。

2020年9月25日金曜日

はんこやFAX以外に日本でもういらないもの

 河野大臣が「はんこ殺す(´・ω・)」と言って話題となっていますが、反応見ているとやはりよくぞ言った的に歓迎する声が多い気がします。何気にコロナで「はんこ出勤」という言葉が出て来たばかりということも追い風となっているように見えますが、つい先日もうちの親父に「本人証明のためにはんこ押した書類のPDFを送って」と私も言われてただけに、結構共感します。
 っていうかPDFだったらいくらでも偽造できるというのに、本人確認なら国際電話で本人にしかわからない情報(家族構成やペットの名前、明智光秀が裏切った理由など)を聞く方が確実だというのに、日系企業は相変わらず馬鹿なことをしているもんだと思ったものです。

 さてそのはんこの反応に気を良くしたのか河野大臣はその後、「FAXも殺す(´・ω・)」と発言してFAX業界を恐れさせています。FAXに関してはコロナ騒動の時の報道を見て、「まだ日本は使っているのか」と私も別の意味で驚愕しましたが、パソコンを自作するだけあって河野大臣はメール派なのでしょう。まぁ実際にメールだったら送信履歴とか残せるから証拠保全的にもずっと有利なんですけどね。

 そんなわけではんことFAX以外で日本から、もうとっくにオールドタイプと化しているのにまだのさばっている、駆逐すべき存在はないかちょっと考えてみました。

1、現金
 真っ先に思い浮かんだのがこれで、日本はもっとまじめにキャッシュレス化を推し進めて、現金を全部なくせとは言わないものの、現在の量から20%くらいまで減らすべきだと思います。まぁ最大の抵抗勢力はドコモというのが笑えますが。

2、スーツ
 ヒートテック、じゃなくてクールビズは大分定着しましたが、それでも日本の気候に合わないスーツを着ているサラリーマンはいくらでもいます。はっきり言って無駄だと思え、自宅勤務も進んでいるんだし、作業現場など服装絡みで危険が付きまとう場所を除き、勤務時の服装の自由化はもっと推し進めてもいいと思います。
 ちなみに中国だと、「必ずスーツを着るように」とドレスコードがある欧米資本の会社でも、みんなガン無視してTシャツとかで出勤してきます。

3、NHK
 いわずもがな。

4、礼金
 ガチで規制してでもなくすべき不動産業界の悪習だと思います。

5、レオパレス
 債務超過らしいけど東芝の例があるから上場廃止にはならないだろうな。

6、通学カバン
 学校の制服に関してはまだ存在意義を感じるものの、運搬用具として鞄くらい好きなのをそろそろ選ばせてもいいような気がします。ちなみに自分の出身校の通学カバンは人気だったらしくよくパクられていましたが、あのカバンパクるってことは相当センスのないことを認めるようなもんだと思う。

7、血液型記入欄
 中国で暮らしてみてわかりましたが、日本の各書類で記入が求められるあの血液型記入欄、何の意味があるんだと不思議で仕方ありません。中国の書類であんなの書くよう求められたことなぞ病院以外では全くなく、また輸血時も現場で必ず血液型は確認されるということから、書類とかで書く必要なんてほぼありません。なのにちょっとしたユーザー登録書類とかでも書くよう求められて、本人らは気が付いてないだろうけどはたから見たらかなり異常な行為を日本人はしている気がします。

2020年9月22日火曜日

精神と肉体の一致性について

グノーシス主義(Wikipedia)

 以前遊んだ「グノーシア」というゲームから派生して上のグノーシス主義というのにたどり着いたのですが、私の中途半端な理解で説明すると、キリスト教の完全普及以前に考えられた宗教観とのことです。大まかな内容としては、この世はちゃんとした神が作ったけど、今現在で人間に進行され、世界を統治しているのは実質悪魔っぽい偽の神で、だから世の中苦しみとかが蔓延しているとか、精神と肉体は完全別個の物で、精神は清いものだけど肉体はとにかく汚い的な、二項対立をはっきりさせた二元論が中心とのことです。

 これらの価値観が一つの塊となった宗教は存在せず(思想的系譜で言えばマニ教が近いそう)、あくまで神学論上の概念だそうです。とはいえ今までになかった概念と、「神の存在性を疑う」という概念がなかなか興味深くいろいろ調べていますが、ちょっと気になったのが先ほど挙げた精神と肉体の二元論です。地味にこれは宗教論を議論する上で外すことのできない重要な概念であるでしょう。

 一般的日本人はアニミズムの概念が強いこともさることながら、「魂」の概念をはっきり持っているため、精神と肉体は別個という概念に対してほぼ全く疑問を持たないと思います。肉体に魂が宿り、肉体が亡んだら(=死)魂は閻魔様のところを経由して天国が地獄に行くというのは、マルクス主義の日本人ですら疑わないでしょう。
 こうした概念は何も日本だけじゃなくキリスト教などの西洋の思想でもはっきりしています。敢えて知ってる範囲で述べるならば、古代エジプトのファラオ信仰はやや異なっており、魂と肉体は分離することはあっても基本的に両者は紐づいており、魂はいずれ元の肉体に戻り復活することもあるからわざわざ遺体をミイラにしてまで残してました。その辺、精神と肉体の一致性についてファラオ信仰は高いという気がします。

 話を戻すと、精神と肉体は別々と言いつつも、その主張における最大の矛盾点というか論点となるのが言わずと知れた脳の存在です。明確に思考を司る肉体器官であり、他のすべての器官は無事であっても、脳がなくなれば思考は止まるという意味で、「脳=魂」的な図式がある程度成り立ってしまいます。それでも科学技術の発達する前はあれこれ理由つけてどうにかしていましたが、脳の機能解析が進むにつれて、その辺の言い訳が段々と成り立たなくなってきているのも事実です。

 何気に面白いのが、脳の解析において一番進んだのは実は一次大戦の頃だそうです。というのも当時は戦闘で中途半端に脳が吹っ飛んだ患者が多く、脳のどの辺を失えばどうなるかとかそういったデータが一気に集まり、脳外科方面の研鑽が一気に進んだと聞きます。
 また脳関連で話を進めると、サイバーパンクの世界では脳を義体に移植して不老不死的に活躍するという攻殻な機動隊っぽい話も多く、これも脳=魂といった精神と肉体の一致性に対する現代の一つの見方といえるでしょう。

 ここまで言えばわかるでしょうが、私自身は精神と肉体は別個の存在というより、両者の一致性はむしろ高い、肉体あっての魂であり、魂なくして肉体なさないという価値観を持っています。こうした価値観の補強として近年、脳以外の内臓なども一部記憶を持ち、移植時にドナーの記憶が移植患者に渡るという研究が出ています。「シグルイ」という漫画に至っては、「筋肉だって記憶を保持するよ」というトンデモ理論を漫画の中でかましましたが、現代では観測できてないないだけで、案外その可能性もあったりするのではないかという気もします。

 このように肉体と精神は両者揃って初めてどちらも成り立つもので、不可分な要素であるというのが私の見方です。それ故に、どちらか一方が大きく落ち込む、具体的には体は健康だけど精神的ショックを受ける、または精神はハイだけど麻薬を打つみたいなことすると、最終的にもう片方も駄目になっていくのは自然で、逆に強い人間たらんとするならやっぱ精神と肉体を一緒に鍛えないとダメ的な話になってきます。

 その上で、肉体の死は精神の死で、肉体が亡んだ後に死後の世界があるかというと、あるかもしれないけど少なくとも現在の人格(霊魂)のままそこへたどり着くことはないと考えています。というのも肉体が亡んだら精神が今の状態のままを維持することは不可能であると考えるためで、何かよくわからない物質という要素になって別の人格というか生命となって出ることはあっても、現在の人格を維持することは元の肉体なしには不可能という風に考えます。
 同様に、肉体をサイボーグ化したらその時点でも精神は変容するとも見ています。許容可能な変容かどうかは議論の余地がありますが。もっともそれを言ったら、子供と大人で体つきも大きく変わることから、子供の頃の人格と大人の頃の人格は記憶こそ共通するものの、同一人格かと言ったらもはや別のものになっているのかもしれませんが。

2020年9月21日月曜日

ユニクロのウルトラストレッチについて

 前回の冬、それまで寝間着で使用していた上下スウェットが購入から5年くらい経って着古してきたので、新しい寝間着をと思って買い物しようとユニクロまで出かけたところ、今年も売られているウルトラストレッチという名称の寝巻っぽい上下が売っていたので買ってみました。その名のとおり伸縮性に優れていそうで、割と睡眠時間は大事にするというか、休日によっては普通に半日寝ることもざらなので、ちゃんとしたものを買おうという計らいからでした。結果的にはミスったけど。

 結果を書くと、寝巻として着始めて1ヶ月くらいでおかしさに気が付きました。ウルトラストレッチという名前の通り確かに良く伸びるのですが、伸び過ぎて袖の丈が余るようになりました。大体2、3回選択したあたりから腕の袖がやや手首付近で余るような感じを覚え始め、2ヶ月を過ぎたあたりからはもうだぶだぶとなり、腕の袖はまくらないと手が出せないし、足の袖は常にかかとで踏みつけるようになるくらい余りました。改めて脱いで上下並べてみると、もうなんか妖怪の手長足長しか使えないんじゃないかって思うくらい袖が伸び切っていました。

 あまりに伸びて使い心地も悪くなっていたので、途中で下の方は裏起毛のジャージを買ってそれを切るようになり、上の方はそれでも我慢して使い続けました。しかし先週から上海でも気温がめっきり落ちて夜も肌寒さを感じるようになったことから、寝巻を夏用のTシャツ(スターウォーズ)+短パン(5年くらい履いてて腰のゴムが露出)からまたウルトラストレッチの上とジャージを引きだしたものの、やはり上の方は使い勝手が悪く、っていうかパソコンのキーボード叩くのに袖が邪魔となって仕方なく、もうあかんと思って切るのやめました。代わりにそれ以前に着ていた6年目くらいに突入しているスウェットの上を今また着ています。

 別に信者というわけではないものの、採寸調整とか無料でしてくれることからユニクロ使っていましたが、たまには浮気してまた新しい寝間着でも買おうかと検討中です。ただ上海のアピタにあるしまむらも閉店セールしてたし、意外と選択肢狭いような。

2020年9月19日土曜日

記事を書く際の基準

 私事ですが昨日に次のJBpress記事を書き上げました。もっとも、執筆自体は昨日の午前中に開始してその午前中に終わったから、めっちゃ手早くぱっぱとかけた方ですが。
 ただ今回、その直前の木曜日までは全く記事ネタは決まっていませんでした。通常は記事ネタを思い浮かぶそばからメモ帳に記入しておいてその中から時期を選んで書いてはいるものの、今回はかなり追い詰められたというかギリギリまで記事ネタが思い浮かばないという逆境に追いやられました。そこで今回は、自分がどうやって記事ネタを決めて書いているかという基準を少しまとめます。

1、他の記事と被ってない
 一番最低限且つ最重上な基準がこれです。他のメディアやコラムニストが報じている内容や話題に関して報じても二番煎じにしかならず、独自性も失われるために、絶対に被らないよう気を付けるようにしています。もっとも同じ話題であっても視点が違ったり、反論的な内容とかだったら私も書くことがありますが、やはりばるべくなら他の誰も報じていないようなフレッシュな内容を基本優先しています。

2、どれだけ読者が得られるか
 これもかなり基本的な内容で、どれだけ珍しい話題であっても、それに食いつく読者がいなければ全く話になりません。この辺、よく友人らが「こんなネタを記事に書いてみてはどう?」といろいろ提案してくるのですが、みんな物珍しい内容ばかり優先してニッチな業界だったら、ごく限られた属性の人にしか理解できないような内容ばかり提案してくることが多いです。
 確かに希少度という面ではそれら記事ネタの内容は高いものの、「何人が読むのか?」という点から考えるとその記事の価値は逆に著しく低くなります。この辺、自己満足になってネタを選ばないようにする慎重さが大事です。

3、単純に面白いか
 2の内容とも被りますが、その記事は読んでて面白いかもまた忘れてはなりません。多くの人が理解できる内容であっても面白いとは限らず、単純に文章としての面白さというか興味を書き立てる内容であるかということもきちんと考慮する必要があります。
 判定基準としては読者層のゾーニングや周辺話題への反応などから推測しますが、私の場合はむしろ私自身が読んでみて面白いと感じるかを重視しています。これだと最低限でも、私と似た感性の人は確実に面白がると踏めるし。

4、報じたいか
 言い換えるなら、「他の人に教えたいか」です。感覚としては、こんな面白い内容を自分だけ知っているのはもったいない、他の人にも教えたい伝えたい的な感覚が、その記事に持てるかどうかです。それこそ読者には受けるだろうけど自分自身が報じたくないよう、具体的には中国ヘイト系の話題だったり、どうでもいい芸能界の不倫系の話なんかはこの基準からは論外です。
 逆にこの基準に当てはまるものとして、「中国人の意外な一面」、「誰も知らない中国に関する大きな特徴」、「話題にならないけど実は重要な歴史背景」などなんかが挙げられ、私が書く記事もやはりこの辺に沿っています。

 今回、記事ネタ探しにえらく苦労し、最終的には4の基準に沿って「中国人の意外な一面」的な話をいろいろ検討した結果、「あれがあったやん」とギリギリで思いついて一気に書き上げることが出来ました( ´Д`)=3 フゥ

 前にも少し書きましたが、自分は記者時代に上司から「お前は自分だけが知りたいと考えていて他の人に報じたいという気持ちに欠けている」と指摘され、自分でもまさにその通りと自覚していました。記者になりたいと考えたのも、自分の知的探求心を満足させることが最大の目的だったし。
 そんな自分が今回、上記の報じたいかどうかという基準で記事ネタを選んだことについて、自分もなんかいろいろ変わってきたんだなと思うところがあります。そういうわけで明日当たりにF-14のプラモでも買いに行こうと思います。