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2021年11月6日土曜日

日本人の自我形成における大学教育の重要性

 このところ少し見どころのある若い子といろいろ話すことが多く、先日も同じ大学出身者に共通するカラーというか学風について話すことがありました。これまでの社会人経験からして、やはり慶応出身者はどの人も安心して頼れるというかおかしな人はおらず、どうして慶応出身はこういうところで共通するのか見たいな話をしました。
 なお私の出身の関西私学出身者に関しては、はっきり言って仕事面においては全く信用が出来ません。どの人もポテンシャルは高いのですが独断専行型が多く、課題突破的な仕事だと頼りになるけど、自分を含めチームで連携して物事に取り組むというのはみんなして苦手です。これマジで不気味なくらい出身者に共通してるから怖い。

 話を戻すと、多かれ少なかれこういった同じ大学出身者に共通する大学カラーというか校風は存在するかと思います。しかし何故同じ大学出身者でこうした性格面の特徴が共通するのかこの点について少し議論したところ、日本の教育においては大学学部で初めて自我形成が進められるからではないかという結論に至りました。

 かねてからこのブログで私は、日本の教育は究極的には各人の自我を磨り潰すことが目的となっていると公言しています。自主性を重んじるとか豊かな発想を鍛えるなどという耳障りのいい文句がたまに主張されますが、こうした言葉を真に受けた人間からむしろ排除していくシステムとなっており、如何に集団に身と心を捧げ、自己を捨て去るかがあらゆる方面で強調されている教育システムだと考えています。部活動なんかまさにその典型ですし。
 ただ、こうした特徴は高校レベルまでで、大学以降になるとなりをひそめます。日本の大学教育に関してはその言葉通りに自由性が尊ばれ、単位取得条件なども緩いところが多く、それまでの束縛的教育から一転して開放的な感覚を恐らく誰もが感じるのではないかと思います。

 ここで自我形成の話に至りますが、基本的には裁量がないと自我は形成されません。そのため高校レベルまでは基本的には学校側や両親の影響が強く、その本人の主張や思想はむしろ学校側や両親の思想が大半となるのが自然かと思います。
 それが大学に入ると一転して自由な環境に置かれることから、意図せずに各自で自我を持つことが求められるようになります。また大学入学以降であればいわゆる教育ママも子供にあれこれ要求してくることもなくなり、こうした家庭面においても自由度が俄然高まります。そのようなそれまでにない自由な環境を得ることで、日本人の大半は自らの自我を大学学部時代に形成することが多いのではないかというのが私の見立てです。

 その結果というか、副次的にその自我は通った大学の影響を受けやすくなるのではないかと思います。社会学的な主張をすると、自我というのは本人のこうなりたいという「希望」以上に、周囲に求められる「役割」によって形作られやすいと言われています。そのため日本の教育システムにおいて唯一と言っていい自我形成の場である大学において、その大学が周囲から見られる特徴(校風、カラー)が各人の自我に取り込まれる面も少なくない気がします。
 この辺、「ファイアパンチ」っぽい内容ですが、事実そうだと思います。

 さらに付け加えると、それまでの人生にない初めての自我形成の場において、同じ大学の先輩や同級生からも直接的な影響を受けることとなるため、この辺でも同じ大学出身者の同質性が高められるのではないかと思います。さらにさらに付け加えると、そうして形作られた大学の評判が世間一般にも校風として定着し、受験時の段階でそうした校風を目指して(元より適性がある)入学してくるというサイクルもあるのかもしれません。

 ざっとこんな感じが私の意見ですが、改めて述べると日本人の自我形成に関して大学は非常に重要な場であるのではないかと考えるに至りました。特に女子学生に関してはいわゆる「大学レビュー」といって急に化粧やおしゃれに目覚める子が多いですが、この辺も通っている大学によって化粧パターンに違いがあるのかとか調べると結構面白い研究になる気がします。

 なおこの自我形成に関して、敢えてヤンキーについて言えば反抗的なだけ一般日本人よりも自我形成が早いのかもという気がします。そういう意味では不良が集まる学校は高校の時点で校風とかそういうものが出来上がっているかもしれません。

2021年11月4日木曜日

外国には同調圧力はないという誤解

石井慧「死にかけました」──忘れられた金メダリストが語る激動の1年

 上の記事を読んだ際、記事中で石井氏がクロアチアだと日本みたく同調圧力がないのがいいと話している点が引っかかりました。先日にもノーベル賞を受賞した真鍋淑郎氏が米国で研究を続けていることについて日本の同調圧力に合わせられないといったようなことを口にしてましたが、なんとなく石井氏の乗騎の発言はこれを受けたものじゃないかなと思います。

 では外国には本当に同調圧力はないのでしょうか。結論から言うとそんなわけではないと自分は考えています。

 まず、日本国内の同調圧力は「ムラ社会」という言葉に代表されるようにかなり圧が強いことは確かです。この辺はいくつか社会学でも研究が出ていたと思いますが、一気飲みやイベントへの共同参加、しごきなどこうした儀式体験を共有することで日本人は親睦や連帯感を高めようとする文化は明らかに濃く、比較平均的に言えば私自身も同調圧力が高い方だと考えています。
 ただ、だからと言って他の国には同調圧力が全くないと言ったらそうでもないと考えます。やはり中国人に話を聞くと早く結婚しろとか、周囲の人間関係などとかいろいろ言ってきますし、上記の一気飲みに対する習慣に関してはむしろ日本よりも強い部分もあります。ついでに書くと中国人はプライバシーの意識も弱いため、日本人からしたらプライベートなところにもガンガン入り込んでくるところもあります。

 それにもかかわらず外国にいる日本人は、「日本と違って外国は同調圧力がないからいい」と言いますが、これは本質的には「外国人扱いされると同調圧力にさらされない」というのが実態ではないかと見ています。

 日本国内でも中国人やタイ人と言った外国人に対し、日本の風習や文化、仕草などを完璧には求めないでしょう。それこそ外国人に「七五三をやったことないの!?」なんていう人いたら、逆にそいつの方がおかしいです。
 やはり外国人相手だったらどの国でも自国民に比べ同調圧力は弱まります。感覚的には「まぁこいつは外国人だから仕方ないか」みたいにみられ、多少集団に外れた行為や発言をしても大目に見てもらえます。そういう意味では、日本の同調圧力から逃れたいっていうのなら外国に住むのは間違いではありません。

 ちなみにこの例に属すかどうかやや測りかねますが、以前にテレビ番組で明石家さんまがデーブ・スペクター氏を指して、「あいつホンマずるい」と愚痴を言っていたことがありました。何がずるいのかというとデーブ氏がダジャレを使うことを言っていて、「日本人やったらしらけるところをあいつは外国人だから許されてウケを取る」などと話しており、実際そうだろうなと私も思いました。こうしてみるとお笑いにおいても、「自国民には許されないネタ」の一部は外国人には許されるところがあると言えるでしょう。ボビーオロゴン氏なんかもそういうところある気がする。

2021年11月3日水曜日

元SEALDsへの朝日のインタビュー記事への違和感

元SEALDsが思う、今の政治との距離 「若者も、もがいている」(朝日新聞)

 ちょっと古いニュースですが一目見て何これと思ったのでずっと記憶に残していました。
 この記事は見出しでわかる通りに安保関連法案の審議中に無駄に騒いでいたシールズという学生反対団体に所属していた方へのインタビュー記事ですが、一体何を考えて朝日はこんな記事を出したのか、一目見て正気を疑いました。一体なんでそんな風に感じたのかというと、元シールズのこの女性に対し、安保関連法案について何一つ聞いていないからです。

 敢えて例えるなら、ラーメン屋(自民党)のラーメン(安保関連法案)がマズイと過去に散々文句言っていたクレーマー(シールズ)に対し、最近のチャーハン(SNS)についてどう思うかと聞いているような具合です。なんでラーメンについて一切触れずにひたすらチャーハンについて聞いてんだよこのボケ!と言いたくなるような内容です。
 もし自分がデスクでこの原稿を部下が持ってきたら、絶対に紙面には載せません。政治とSNSについては別にシールズじゃなくても聞ける話題ですし、なんだったら自称ネトウヨのような人へのインタビューの方がむしろ価値が出るトピックです。でもって書いてきた奴には「森へお帰り」と言って、窓開けるくらいはします。

 やはり元シールズという相手へのインタビューであれば、審議当時を振り返る話でもいいですが、それ以上に現在においてあの活動に意味はあったのか、また年数が経過した今の状態で安保関連法をどう思うかくらいは最低限、聞くべきでしょう。まぁ聞いたところで、十中八九「興味ない」、「わからない」としか答えないでしょうが、それはそれで意味があるし報道する価値ある発言だと私は思います。
 当時のブログ記事にも書いていますが、シールズに参加していた人は9割超は安保関連法案の中身を一切把握していなかったでしょう。彼らの発言どころか当時の報道を見ていても中身については誰も一切触れずに、「安保」という言葉だけが独り歩きして安保に対し是か非かしか言っていませんでした。当時自分は専門的に解説している人のサイトなど見て、正直自分も完全に把握しているとはいいがたい立場ですが、やっぱ言い合っている連中に深い理解の溝があると強く感じていました。

 話を戻すと、安保関連法案について一切聞かずに政治とSNSについて若者に聞いているだけの記事ですが、見出しにシールズってついていることは、ぶっちゃけそれ以外価値がないってことを言っているようなもんでしょう。別にインタビューに答えた女性を悪く言うつもりはありませんが、元シールズでなければあなたの発言は誰も取り上げないし見ないということくらいは最低限自覚しているはずでしょう。自覚がないのならそれまでですが、私だったらこの内容のインタビューを紙面に載せるってんなら、「別に元シールズって書かなくていいよな」って相手に言います。それくらいの恥は理解しているつもりです。

 その上で朝日の政治記者については、本気で頭大丈夫かと心配になってきます。上に書いている通り自分が編集に携わってたら絶対こんな記事載せないし、出してきた奴殴ってます。それくらい異常さを感じる記事です。
 大手紙の政治記事はこの10年間でびっくりするくらい質が悪くなっており、今やスクープなら文春、解説なら西日本新聞が一番よくなっており、逆に大手紙の記事は読んでてかえって情勢を見誤らせるようなミスリードさせる記事が多いです。こんな記事がしれっと出る辺り、少なくとも朝日の政治部の記者の凋落は未だ止まってないなという印象があります。

 前にも書いたけど、検事長が賭け麻雀をやっているという最高のネタを目の前で見ながら報じようとしない、記者にあるまじき人間を飼ってる辺り、社員教育できてないんだなと思えてなりません。

2021年11月2日火曜日

稼働時間3時間

 ついさっき次のJBpressの記事を提出しましたが、この記事はやたら思い出いっぱいになりました。というのも、書こうと思った矢先に体調崩して寝込んだからです

 選挙の行われた日曜の前夜、いうなれば土曜の夜。週末で無駄にテンション高くゲームしながら過ごしてそろそろ寝ようと思った矢先、突如幽霊かゴルゴに後ろに立たれたかの如く悪寒がして、急に奥歯がカチカチなり始めました。それ以前からいくら寝ても疲れが取れなかったり、横になったらいくらでも寝られるので疲労がたまっていることは自覚していましたが、なんかこの時はやばいと感じてすぐに布団被って寝ることにしました。

 翌日、びこーず、日曜の朝(ニチアサ)、全身がだるい上に軽い発熱が起きてて関節も痛み、ガチで起き上がれませんでした。そのまま朝食も一切取らずに「ぎょえー」、「ぬわー」、「ウボァー」などと歴代の有名断末魔を口にしながらベッドの上でゴロンゴロンしてましたが一向に良くならず、12時になって一旦起き上がってバナナと水分補給しましたが、30分後にまたベッドに返り咲きました。その後、午後3時にまた起き上がってネットで選挙状況見つつ次の記事を書こうとしましたがやはり続かず、4時に再びベッドに舞い戻りそのまま6時まで寝続けました。

 6時半になってストックの切れたバナナを買うのとクリーニングを出すため外を出歩き、帰ってきたら前日に作り置きしてたシチュー食べて速攻でシャワー浴びて、遺書がわりのブログ記事書いて夜8時にはまたベッドにアイシャルリターンしてそのまま翌日朝まで起きませんでした。この日1日の合計稼働時間は約3時間で、アンビリカルケーブルの切れたエヴァンゲリオンの気持ちが少しわかりました。

 次の日の月曜は仕事あるので相変わらずけだるいけど頑張っておきて、フラフラしながらも会社いきました。そしたらなんか土日に上海ディズニーでコロナ感染者が出てたってニュースがあってディズニーが閉鎖されたと聞き、なんかやなタイミングだなと思ったのと、ここで休んだらコロナ認定されかねないと思って踏ん張って出社しました。
 幸い、全日ほどひどくなかったのと仕事は座りながらできるのでそのまま定時まで働き、定時過ぎてさぁ帰ろうとしたら「今日中にお願い(/・ω・)/」とばかりに定時直後に仕事振ってきた奴がいて、そのまま2時間残業してから帰りました。

 本当の地獄はそれからで、当初は日曜に書く予定だったJBpress用記事を締め切りも迫っているから書かざるを得ず、病み上がり、残業明けという「どく まひ」みたいな状態ながら帰宅してから夜12時まで次の記事書いていました。一体なぜこんな無駄に責任感あるのだろうと自分でも不思議です。
 幸い、記事内容自体は取材は済んでてあとは書くだけだったのでそんな苦労はなく、無事に書き終えて、さっき最後の写真編集だけして編集部に投げました。

 今も体はだるいですが、日曜の記事にも書いた通り咳は一切ないのでコロナではないと信じてます。やはり過労でなんか発熱したんじゃないかと考えてます。

 最後に余談ですが、閉鎖されたディズニーランドでは園内にいた来場者3万4千人に対して全員にPCR検査をすぐ実行したそうです。その結果、園内には新たな感染者はないことが分かったそうなのですが、この辺の力技はマジ中国ビビる(;´・ω・)

2021年10月31日日曜日

(ヽ´ω`)

 昨日まで割かし元気だったのに昨夜寝る前に突然悪寒がして、今日は文字通り寝たきり雀でした。熱は既に引いてるのと咳は一切ないからコロナじゃないと思うけど、とにもかくにも体がだるくてJBpress用の記事も書けずじまいでした┐(´д`)┌ヤレヤレ

 このところ疲労しやすいとは思っていたけど過労かなんかなのかもしれません。日曜であったことが幸いと取るかどうかでいろいろ思い悩みます。さて寝よう。

2021年10月28日木曜日

上海の街中の工事


 今日ビザの切替えで浦東エリアにある出入境管理局に行ってきた際、そこの目の前でこんな感じの工事していたので写真撮ってきました。この工事は恐らく地下鉄工事のものですが、この工事場面を見て何を思ったのかというと、10年くらい前の上海は本当にあちこちでこういう大きく掘り返すような工事が上海の至る所で行われていたけど、最近はあんま見なくなって久しいなと思ったわけです。でもって、浦西と違って浦東はまだこういう工事が多いんだなと思ったわけです。

 軽く上海の地理について説明すると、上海市は中心に黄埔江という長江支流に当たる川が流れており、この川を境目に東側を浦東、西側を浦西と呼びます。上海の玄関口に当たる上海浦東空港はその名の通り浦東にあり、海側に近い場所に設置されています。
 こういうと浦東の方がさも発展しているかに見えますが実際は逆で、上海と呼ぶ際は通常、浦西エリアのことを指します。浦東エリアは1990年代に入ってから開発されたエリアで、それまでは東京で言えば多摩や八王子みたいなエリアでしたが、開発が進んでからは川沿いの部分は新宿みたいに高層ビルの集積地となりました。とはいえ、古くからの上海の街はやはり浦西に集中しており、浦東エリアも川沿い部分以外は荒涼とした更地が続くなど、まだまだ八王子っぽい雰囲気があります。

 浦西エリアの開発がほぼ済んだ、っていうか開発余地がなくなったこともあってこのところ上海市政府は浦東エリアの開発に力を入れており、官公庁の事務所などを浦東エリアに移しているほか、大手国有企業などにも恐らく半強制でしょうが、浦東エリアに本社社屋などを移すよう誘致しています。

 そうした背景から、十年くらい前まではまだ浦西エリアで見かけたあちこちで工事しているという風景が浦東エリアだとまだまだ見かけると感じるとともに、上海はまだこうした開発需要があり、発展余地があるんだなという印象を覚えました。実際、最近何かと話題の住宅問題に関しても、浦西エリアだと高すぎてもう購入できないのに対し、浦東エリアなら交通の便が多少悪くなるにしても、頑張ればまだ手に届かなくもないという面があり、この方面の開発需要は根強いです。っていうか、土地がかなり余ってるくらいだし。

 こうしてみると、かつて土建国家と呼ばれた日本とは比べ物にならないくらい中国は開発余地が有り余っているのだと思うとともに、まだまだこうした開発需要があると感じます。建機業界からすれば願ったりかなったりでしょうが、工事の関係で遠回りとか要求されるのはなるべく勘弁してほしいです。

2021年10月27日水曜日

怒りの供給過多に対する捌け口不足

内田樹が語る「コロナ禍という大義名分で“暴力性をリリース”する人々」(文春オンライン)

 上の記事は内田樹氏のインタビュー記事ですが割と共感する点が多い内容でした。なお内田樹氏については陰で「タッツー」とあだ名呼びしています。理由はこの人とは別に「タッツー」と呼ぶ友人がいるからで、そいつからは「俺はポケモンじゃない」と過去に否定されました。

 それは別として前にもこのブログで少し触れましたが、このところやたらと話題になるネットバッシングについて、本質的にはそれぞれパッシングされる内容について怒るほど問題視しているというわけじゃなく、日頃のフラストレーションを発散するため批判したり槍玉にあげても問題のない対象をわざわざ探してぶつけているというのが実態である気がします。逆を言えば、バッシング対象の人物や団体が謝罪をしようが行動を改めようがあまり関係なく、叩いている人はその後も叩き続ける可能性が高いでしょう。
 もっとも、なんか爆発事故で和解に至ったというアパマンは和解について「ノーコメント」と答えたそうで、ここはああいう事故を起こした事実やスプレー缶で清掃とかいうぼったくりについてまるで反省していないようなので、もっと世間から叩かれるべきだと自分は思います。

 話を戻すと、結論から言えばこの手のネットにおける誹謗中傷とかを訴訟なりの対策で鎮めようというのは土台無理があると考えています。彼らがバッシングするのは前述の通り、本当にその対象に怒りを感じているのではなく、日頃のストレスなりフラストレーションをぶつけて解消することが目的であり、そうしたものを取り除かないと多分延々と別の対象を見つけてやり続けるでしょう。
 その上で言うと、最近この手のバッシングが問題化してきたのは、そうした日常で不満やストレスを感じる人が増えているからともいえると思います。

 何気にこの点については思い当たる節があり、自分自身も一時期、片道2時間の勤務地に意味のない研修で長々通わされた際、睡眠時間が極端に減って当時やたら怒りっぽくなっていたのを自覚しています。それこそ道で犬に吠えられたらその場で犬に向かって「うるせぇ!」と大声で怒鳴ったりしてて、前を自転車で走ってたおじさんがびっくりして振り向いたことも多々ありました。マジあの時のおじさん(m´・ω・`)m ゴメン…

 今思い返すとあの時期は明らかに精神が不安定であり、原因はやはり上記のように訳の分かんない無意味な事させられて睡眠時間が削られ、ストレス溜めてたせいだと思います。逆を言えば今はそんなストレス溜めることもないため、自宅で怒鳴って喉潰すこともめっきり減りました。あるとしても、整合の悪いプラモ組立ててる時くらいでしょう。

 別に今に始まるわけじゃないですが、本当に日本人はあらゆる面で精神的な余裕をなくしており、それが年々悪化してきているように見えます。数年前のブログ記事にも書いていますが、たまに日本帰って早朝の上野駅歩いていると、本当に見ていてびっくりするくらい暗い顔して歩く人ばかりで、なんでこんなに表情が沈んでいるんだと本気で驚いたことがありました。
 なお逆に明るい顔しているのは女子高生で、見た感じ日本で一番幸せそうなのは女子高生でした。

 話を最初に戻すと、単純に今の日本は閉塞感が強くてストレス過多で、その怒りの供給増大に対して捌け口が不足しているせいかバッシングが激しくなっているように見えます。捌け口を増やすのも手ですが、根本的にストレスの発生源をもっと叩き潰す、それこそ一時期盛り上がったけどこの1年くらいで全く見なくなったブラック企業叩きとかやれば、怒りの捌け口を増やすとともに社会のストレス源も減らせるので、みんなで仲良くブラック企業叩きするのが効率良いでしょう。