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2024年4月29日月曜日

タイガー・ジェット・シンはサーベルを持って授賞式に来るのか?

 なんか今日はやたらスポーツニュースが盛り上がるというか、目につく記事が多いです。

 まず野球だとソフトバンクが何と3試合連続のサヨナラ勝ち(西武は逆に3試合連続のさよなライオン)で、今日にいたっては9回2アウトに主軸の柳田選手がお釣りなしの3ランでフィニッシュを決めるという役者ぶりでした。
 またヤクルトと中日はともに2桁得点で勝利し、ヤクルトは「火ヤク庫」と言われるだけあって打つときに急に打つのでまだ珍しくありませんが、貧打に定評のある中日に2桁得点が見られるあたりなんか明日は嵐になるのではないかと思います。

 去年と比べるとセパ両リーグとも比較的順位がもつれてチーム間格差は小さくなったというか、順位の変動も激しくて見ていて楽しいです。特にパリーグに関してはここ数年の改革が実ってか新庄監督率いる日ハムが2位につけ、今日も1対0で理想的な勝ち方しており、ほかの人のコメント見てても特に注目が高まっているチームな気がします。
 なお今日セーブを決めたジャスティスこと田中正義選手は1点を守り切ったものの、頓宮選手への死球を気にするという紳士ぶりを見せてました。これを見て私は、そんな気にしてたら藤浪選手はどうなんだよという思いがしました。

 以上のようなプロ野球ニュースもさることながら、今日最大のスポーツニュースは何といっても昭和から平成にかけての悪役レスラーとして人気の高かった、あのタイガー・ジェット・シン氏に旭日双光章が授与されるというニュースでしょう。リングではヒールながら慈善活動には熱心で、また東日本大震災の際にも日本へ義援金を送ってくれるなどしていることから、その受賞に異議を唱える人は全くおらず、むしろ彼が受賞してくれたことに往年のプロレスファンらも大喜びしていて見ているこっちもうれしくなるほどでした。
 ちょうど彼と何度もリングで戦ったアントニオ猪木が2022年に逝去されていることもあり、改めて猪木の偉大さを振り返る上でも今回のタイガー・ジェット・シン氏の受賞はタイミングが良かったのではないかとも思います。あまりプロレスに詳しくない私ですらタイガー・ジェット・シン氏についてはかねてから知っており、芸能人の勝俣州和氏が観客席で殴られそうになったことなどを語ってたのを覚えてたりします。

 そんなめでたい今回の受賞ですが、ネット反応を見ていてちょっと気になった点は、あの代名詞ともいうべきサーベルを授賞式にも持ってくるのかという指摘でした。
 実際のリングの上ではサーベルで切りかかったりはせず、柄の部分で殴ることが多かったそうですが、確かにあれがないとタイガー・ジェット・シン氏と認識するのは難しい気がします。しかし旭日双光章は皇居で、しかも天皇が直接授与する賞であるだけに、サーベル持ち込みはさすがに許されないのではないかなどといろいろ議論になっています。

 ここで思い出したのがかつてのさかなクンさんの授与式です。知ってる人には早いですがこの時にさかなクンさんは天皇の前でも自身のトレードマークであるハコフグの帽子を脱帽せず、被ったまま参列しています。一応、礼装用としてか黒一色のハコフグになってましたが。
 通常、目上の人に対して脱帽しないのは深刻なマナー違反とされますが、この時にさかなクンさんを批判する人は一般人はおろか、極右思想を持つ人の間でも全く見られませんでした。何故批判がなかったのかは簡単で、さかなクンさんは何もこの時だけではなく、常にあのハコフグの帽子をかぶっており、自身のスタイルとして強い一貫性を持っていたということに尽きるでしょう。むしろこの授与式でも帽子を取らなかったエピソードは、そのスタイルを貫いたとして称賛すらされていました。

 以上のさかなクンさんの例を踏襲するなら、やはりタイガー・ジェット・シン氏もサーベルを持って授与式に臨むのがいいんじゃないかと勝手に期待しています。さすがに刃は潰しておいた方がいいし、鞘に納めて持って行った方がいいかとは思いますが、英国でも大学の優秀な卒業生には帯剣しての卒業式参列が認められたりするので、日本もこういう例があったっていい気がします。

 ちなみに自分は成人式の際、大河ドラマで「新選組」がやってた頃なので新選組の羽織に鉢巻きつけて、何故か一人だけコスプレ会場と間違えたかのような格好で行きましたが、この際に京都のお土産屋で売ってる模造刀も帯剣していたものの、会場に着く直前にうちのソ連人民の敵でこの前もレオパルト2のプラモ作ってたけど何が何でもソ連製戦車は作ろうとしない親父に、「それはやめとけ」と言われ、直前で刀は置いていきました。
 今思うと、置いていく判断は正しかったです。下手すりゃ暴れる新成人みたいに報道されてたかもしんないし(;´・ω・)

2024年4月28日日曜日

日本で影響力のデカかった暗殺事件

【すごい無駄遣い】133人に対し45億円、1度は廃止の憂き目にあったパスポートの電子申請(前編)(ロボティア)

 上のロボティアに書いた自分の記事ですが、アップロードからわずか数時間で2万PVまで行ったそうです。手を抜いたつもりはなかったもののそこまでしっかり詰めて書いたわけではなかったので正直以外であるとともに、やはりこういう小ざっぱりした分量の記事のが受けるのかなと正直迷ってます(;´・ω・)

 話は本題ですが先日発売された漫画の「だんドーン」の3巻を読みましたが、この手の幕末漫画にしては非常に珍しいというか、桜田門外の変に至るまでの過程が細かく書かれているような印象があります。日本の幕末はペリーの黒船来航(1853年)から始まるとされていますが、娯楽作品においてはむしろこの大老であった井伊直弼が暗殺された桜田門外の変(1860年)から始まるのが大半です。「あずみ」の幕末編に至っては、あずみ自身が井伊直弼を暗殺するところから始まるし。
 にしてもいま「あずみ」と入力したら「安住」と変換され、後の世に「安住」というアナウンサー物語の漫画が連載されるのかと思いました。まぁ彼の人生は漫画化しても受ける気がするけど。

 話を戻すとこの桜田門外の変は歴史的にも大事件というか、日本史への影響度は半端じゃありません。仮にこの事件が起きるのが1年早くても、1年遅くても、その後の日本の歴史は大きく変わったんじゃないかと思う節があります。
 1年早ければ安政の大獄で獄死した人間が生き残るものの、かえって優秀な人材が多くいて意見がまとまらず、また幕府への権威も残って明治新政府は発足しなかったかもしれません。逆に1年遅ければ有為な人材が多くなくなり、攘夷ムードが停滞してこの後にオピニオンリーダーとなる長州藩が台頭しなくなったかもしれません。

 以上のシミュレーションを踏まえると、暗殺による政局全体へのインパクトとして桜田門外の変は日本史においてもトップクラスに入るような気がしました。でもって、もっと他に影響力のデカい暗殺事件はなかったものかと思案を巡ったところ、やはり歳出駅にトップとなるのは歴史的にもエンタメ的にも本能寺の変かという結論に至りました。
 言うまでもなく、この本能寺の変がなければ豊臣秀吉の台頭はなく、徳川家が天下を取ることもなかったと言い切れます。武田信玄、上杉謙信亡き後で、また49歳とまだまだ元気だった当時の最高権力者の織田信長の急死のインパクトはあまりにも大きく、暗殺実行者である明智光秀もある意味でMVPみたいな人物と言えるでしょう。

 このほか影響度の大きい暗殺事件としては、鎌倉幕府3代目将軍であった源実朝の暗殺が思い浮かびます。仮に実朝が暗殺されなくても承久の乱は起きたかもしれませんが、鎌倉幕府と天皇家の対立が一気に先鋭化するきっかけになったのと、鎌倉幕府の世襲制が終わることとなった、でもって後の南北朝の対立の原因となった天皇家が二派に分かれる遠因にもなったことを考えると、長いスパンで見ての影響度なら本能寺の変を超えている気がします。

 あと単純に失った人材の惜しさで言えば、原敬の暗殺事件が浮かびます。仮にこの事件がなければ原は確実に元老となっており、その後の総理指名権と相まって日本政治をリードしたことを考えると非常に惜しい人材をこの時失った気がします。

 逆にですが、「だんドーン」にも出てくる大久保利通が暗殺された紀尾井坂の変については、暗殺事件としてみたらその歴史への影響度は高くないと思います。というのも、大久保はすでにあの時点で明治政府が目指す方向性というかグランドデザインを築いており、またそれをしっかり踏襲する岩倉具視や、伊藤博文、山形有朋といった人材を残していたからです。
 特に伊藤に関しては大久保の方向性をしっかり理解し、且つそれを実行する能力も備えていたのが大きく、ある意味、この伊東の存在によって大久保の暗殺はその歴史的価値を低めているともいえるでしょう。言い方を変えると、後進をしっかり作っていたという大久保の功績という風にも見えます。

 直近の暗殺といえば言うまでもなく安倍晋三が最も新しいですが、こちらに関しては総理在任中ではなかったとはいえ、将来の歴史においてどう評価されるのかは若干興味深くあります。まぁ彼が行った政策として一番歴史に残るのはアベノミクスでもなくアベノマスクでしょうが。

2024年4月27日土曜日

小出もと貴氏の漫画が実は好き

あくまでクジャクの話です。 - 小出もと貴 / #1/性淘汰(コミックDAYS)

 上の漫画ですが、先日1巻が発売されているのですぐ購入し、読了後はしばし満足感に包まれました。っていうか読んでる最中、ガチで地下鉄で停車駅乗り過ごしかけた。

 この漫画の簡単に説明すると、高校の男性教師である主人公が生徒や同僚などから恋愛が絡む相談を受けるや、生物学大好きっ娘の生徒が割り込んできて、生物学に基づいた恋愛価値観というか自然原理を説明するという流れになっています。
 例えば上の第1話ではクジャクの尾羽を例にとり、何の実用性もないが尾羽がでかいと何故かメスに持てることから、尾羽のデカい雄しかクジャクは生き残らなくなったこと説明し、「見た目がほぼすべて」という教訓を伝えます。ただこれは逆を言えば見た目をどうにかすることでもいくらでも逆転ができるということも意味し、別の鳥では偽の尾羽をつけても雄が持てるようになった例も紹介しています。

 こんな感じで生物学と絡めていろいろ問題をこじれさせまくるヒロインですが、利己的であるほど生物としては強くなると踏まえた上で、「女子高生に手を出す教師もいてもいいはず」という超理論を振りかざして主人公に迫ってきたりします。最近こういう綾波レイ系のクールなヒロイン見なかったな。

 そんなこの漫画ですが、作者は小出もと貴氏(漢字が変換し辛い)と言って、過去にも何度か作品を連載しています。一つ前の「iメンター すべては遺伝子に支配された」は自分も読んでいるのですが、この作品で小出氏を知り、そんなに有名ではなさそうだけど器用な作家がいたもんだと思い、「iメンター」の連載終了後も新作を出さないものかと定期的に作者名で検索をかけていて、それで上の「あくまクジャク」も知りました。

 こちらの「iメンター」についても簡単に触れると、アニメの「サイコパス」みたいにいわゆるディストピア的な作品であり、すべての人間の遺伝子が出生時点で解析されている社会で、一定の年齢(高校入学前後)以上に使用が許されるアプリを通して健康度、職業適性、果てには特定の相手との結婚愛称まですべてAIが事前に教えてくれるという世界のお話となっています。
 そのアプリは国が管理しているので完全に公平公正、というわけではなく、実際は管理局側の人間によって恣意的に数値が操作されており、職業適性の数値も適性が高い人物には特定の職種に向かわせるよう、その他の職種の適正値を意図的に低く通知したりすることで誘導したりします。また遺伝性の病気を抱えている人物には、治療法があるにもかかわらず一切教えず、安楽死を選ばせるようにこちらも誘導したりします。

 こうしたややもすると暗そうな話ですが、どの話も割と明るい感じに終わるというか読者の意表を突く展開が多く、ストーリー構成が他の作家と比べ明らかにうまいと感じる内容でした。完結まで3巻と決して長くない作品で、そのせいか終盤はやや駆け足な展開でしたが、なかなか稀に見る作家だと思い密かにマークするようになりました。
 そんな小出氏のストーリーセンスですが、「iメンター」よりさらに前のオムニバス的作品である「愛リウム」の方が非常に凝っています。こちらは飲んでから24時間後にその間の記憶を失う、つまり本人の意識的には24時間後の世界にワープするような感覚を得る薬の話で、これも面白かったです。

 小出氏の作品に限るわけじゃないですが、基本的に創作というのは読者に展開を読まれたその点で面白さが半減するもので、如何に意表を突くかが一番重要な気がします。「五等分の花嫁」も主人公がどのヒロインとくっつくのかが一番話の肝だったし、如何に予想を裏切る展開にもっていくかが作家としての持ち味が測られるとこでしょう。
 その点でこの小出氏は展開の運び方も含め非常にうまいと思え、個人的におすすめな作家です。

 にしてもさっき出た「五等分の花嫁」の作者ですが、多分「五等分」が売れたから連載開始前の時点でアニメ化決まってたんだろうけど、今連載している「戦隊大失格」は見ていてやばいと思うくらいつまらなくて途中で読むのやめちゃいました。あれ、このまま本当にアニメ化するのだろうか。

2024年4月25日木曜日

吉村府知事の0歳児選挙権発言を見て

大阪府・吉村知事「0歳児にも選挙権を与えたい」(ガハろぐ)

 結論から述べれば、おおよそまともな人間とは思えない発言です。一般人が言ってもおかしいのに、公職に就く政治家がこのような発言をするなんて理解しがたく、なんで大阪の人はこういうやばい人ばかり公職に就けようとするのか、わざと自分の所在地域を貶めようとしているのかという気すら覚えます。

 発言の経緯などに就いてはとやかく説明しませんが、この発言というか0歳児に選挙権を持たsることの問題点についていくつかのベルト、まずその選挙権は子供ではなく親が行使するということですが、これは完全に1人1票という民主主義の根本的前提を崩します。それこそ投票数を増やすため、無意味に子供を産む、または養子に取る人間すら出かねず、その手の人間はごく一部だとしても社会秩序を悪い方向に招きかねません。

 次に、投票に対する有権者の責任というものが揺らぎます。民主主義は自分たちで代議士を選ぶことで、その機会と結果を有権者に持たせることを前提としています。いうなれば、良いも悪いも投票次第というかまともなリーダーを選ばなかったらこの大阪府みたく自滅を招くという結果責任を負うことで、社会に対して有権者に責任を持たせます。
 これは言うまでもなく、有権者に一定の選挙知識を義務教育によって持たせ、各人が候補を自らの意志と判断で選ぶことを前提としています。それが子供に選挙権を持たせるとなると、それこそ10歳くらいの子供が世の中の仕組みなどわからないままに目についた候補に投票するということが起きかねません。

 無論、大人でも社会のことがわからなかったりする人もいますが、それは義務教育に問題があるとして、ある意味で社会がその失敗の責任を負います。しかし義務教育段階が終わらない段階の子供のおかしな投票に対し誰がどう責任を負うのか。吉村知事が負うのは当然ですが、弊害はそれだけにとどまらないでしょう。

 それにしてもこの発言、少子化対策として子供を持つ親の層が社会でより発言権を持たせるようにと説明していますが、上のまとめ記事にも書かれている通りに「投票数が増えるから子供産もう」っていう人はふつういません。いるとしたら、思想が若干やばい人くらいでしょう。っていうかこれが少子化対策になると思っているとしたら、頭やばいとはっきり思います。
 そもそも少子化対策にお金をかけたり社会が支援するということは、すでに日本中で多数派を確実に形成できるくらいコンセンサスが取れているし、実際にかなり費用も傾けられていてそれが無駄だ、削減しろと言っている人もほとんど見ません。さすがに独身税に対する反発こそ強いものの、ここへ子供の分の投票権を持たせたからと言ってこれ以上政策が拡充することもなければ、子供が増えることもまずないと言い切れます。

 それにしてもこの吉村知事、万博の費用追加投入はないと発言しておきながらその後どんどん増額していくし、また無駄なモニュメントなどを削って費用を抑えるようなことも一切せず、過去の大阪府知事もおかしな人が少なくありませんでしたが、歴代で見てもトップクラスに問題のある人物なのではと最近思うようになって起案した。先日の玉川徹氏への万博出禁発言といい、何となく自分は何したっても、何を言っても許されると思い込んでいる節があるようにも見え、コロナ時のイソジン発言も含めて考えると、なんかまともな判断力をとうに失っているのではないかという風にも見えます。
 その万博の予算や玉川氏への発言などでは非常に態度のブレがみえ、こう言っては何ですが比較した場合、岸田首相がすごい一貫性を持っている様にすら見えてきます。

 はっきり言ってしまえば、彼が府知事の座にいればいるほど大阪は衰退していくように思え、本気で大阪をもっとマシにしたいのなら大阪の人は次こそまともな人間を府知事に選ぶべきでしょう。基本的に維新の会といい、なんか大阪の人は能力よりも目立ちたがり、口がうまいというこの二点だけで候補を選んでいるような節があり、ちゃんと政策ビジョンや実行能力を備え、リーダーとして適格な人物を持ってくるようもう少し考えた方がいいでしょう。
 こう言っては何だけど、地味だけど着実に仕事するという人物像を大阪の人は持っていない気がします。全部ホームランで一発解決みたいにして問題に向き合おうとするところがあり、まずはその現実離れした価値観をただすところから始めた方がいい気がします。

2024年4月24日水曜日

福知山線事故から19年の報道を見て

犠牲者をしのぶあかりともる JR宝塚線脱線事故、25日で19年(朝日新聞)

 今日は別の記事を書く予定でしたがこれを見て、あのJR西の脱線事故からもう20年近く経ったのかと思い出しました。

 当時自分は京都の大学にいて、この事故で面識はなかったものの同じ大学に通っている学生も亡くなり、学内に慰霊碑もその後建てられました。事故当時は講義の開始前で確か本読んで待っていましたが、高校の後輩から「脱線事故があったらしいけど」と安否確認メールが来ましたが、何故かその直前に見たガンダムの0083でシナプス艦長の「アルビオンは、健在だ」というセリフが頭に浮かび、「大丈夫、俺は健在だ」という変な返しの仕方をしたのも覚えています。

 この事故に関しては関西地域のテレビでは地元でもあって大きく報じられていましたが、事故当時は自分が運よく巻き込まれず、また身近な知り合いでも巻き込まれた人はいなかったのであまり際立った印象を覚えませんでした。むしろその後に出た文芸春秋にて事故車の運転士が日勤教育を受ける原因となったオーバーランは、自分の当時の自宅から一駅先の駅で起きていたという報道を見て、こちらの方が驚くとともに「遠い世界の話じゃなかったんだ」という感慨を強く受けています。

 またこの脱線事故で実際に事故車にたまたま乗車していたJR西の職員は際立った救護活動などは行わずにその場を立ち去っていたこと、また事故直後にすぐ踏切の緊急停止ボタンを押した主婦こそがこの事故対応におけるMVPだと称賛する報道などが、今でもよく覚えています。このほか覚えている人には言うまでもないですが、事故直後に現場近くで営業しているある会社が仕事を放り投げ、従業員総出で救護活動に当たったということも、忘れてはならない事実でしょう。

 やはり自分も年を重ねたというか、こうした語り継がれるような事件や事故をリアルタイムで目撃してこのように語れるようになったものだという気がつくづくします。その一方で、同世代に比べればまだまだ強いですが、やはり進取のものや技術に対する興味や関心が薄れて触れようという意識が弱まっていることには辟易もしています。
 とはいえ先ほどの主婦の話といい、語り継ぐべきことはしっかり語り継ぐべきだという意識もこのところ芽生えてきており、それこそ自分がいつ死んでもいいようにそのような語り継ぐべきものはこのブログに普段から書いておかないとと思って今もこうして書いています。

 何気に先日、知人の亡くなった同僚が意気消沈していたのですが、若干その気持ちがわからなかったりしました。というのも突然でない死なんて存在せず、どれだけ準備してようが人が死ぬときは常に突然だと日ごろから考えており、だからこそ死んだ後で「ああしておけばよかった」などと思うくらいなら伝えるべきこと、行うべきことはすぐやるようにいつも心掛けているため、今まで周りで人が死んだ時も特に落ち込んだり感慨に耽ることは全くもって皆無でした。
 しいて言えば、水木しげるが亡くなった時だけは食事が喉を通りませんでした。

 このブログもそのように自分がいつ死んでもいいように書き綴っていますが、人間死ぬタイミングは自殺以外は選べないだけに、明日死ぬとしたら今何をすべきかという風な心持こそ人間は持つべきだと思います。脱線事故の話からは文字通り話が脱線してきていますが、言うまでもなく事故で亡くなられた方は何の準備もすることなく突然命を亡くし、またその近親者も大きな衝撃を受けたものと思われますが、それは必ずしもこの事故だから特別というわけでもなく、世界中いついかなる時でも日常的に起きている出来事ではないかと思います。
 なればこそ、今話している相手は明日突然いなくなる可能性もあると思って、その人にできること、やりたいことがあるなら今すぐやるべきだということになります。そうした一瞬で消える命の儚さを、この時の脱線事故を見てつくづく思い返すわけです。

2024年4月22日月曜日

米国での賭博で作った損失を肩代わりしてもらった男

 先日の水原一平容疑者の騒動は彼自身が当初行った虚言や隠蔽工作もあり、発覚当初は大谷選手が一平が賭博で作った借金を肩代わりしたと信じた人も少なくなく、事件の全容が明らかになるにつれそのように疑い発言した人らは発言を撤回するようになっています。
 まぁ中には、「米国の銀行のセキュリティ的に大谷選手以外が送金できるはずない!」と豪語して見事に外した、米国通を気取ってかえって知識の浅さを見せた人もいましたが。にしてもこの発言主、なんか今になって昔のホリエモンっぽい立ち位置になってきている気がする。

 かくいう自分も当初の発言の翻し方を見て、大谷選手が肩代わりしたのではないかと思っていました。この点についてはギャンブル中の虚言に乗せられたと反省する限りで、やはりこういう人間の発言にいちいち取りあっていてはならないのだなと今後は肝に銘じようと思います。
 ただそのような、賭博で膨大な損失を作っておきながら、実際に肩代わりしてもらった日本人は過去に実際いました。その金額は何と4億5000万円で、一平の24億円と比べると約5分の1程度に見えますが、この損失額は1973年に作られたものだということを考えると、当時の為替相場から見ても一平に負けるとも劣らない価値に相当するのではないかという気がします。その損失を作った男というのも浜田という人物ですが、ここでピンときたら110番ことあの浜田です。

浜田幸一(Wikipedia)

 そう、この浜田というのはハマコーという通称でおなじみの元ヤクザで国会議員だった故浜田幸一のことです。事件はほんとそのまんまで、ラスベガスのカジノで多大な損失を作ったのですが、これをかつてハマコーを雇用していて「記憶にございません」という言葉を作った小佐野賢治が全額を補填して挙げていました。ただこの時に補填に使われた資金は、あのロッキード事件で小佐野がロッキード社から受け取った金の一部が使われたと言われ、仮にそうだとしたらマネーロンダリングも成立するし、合法的に取得した金でないのは間違いありません。
 ただハマコーが一平と違うのは、この時補填してもらった金は後に自ら不動産取引を行って稼ぎ、小佐野に返金したとのことです。実際はどうなのかわかりませんが、少なくとも一平と違って無断で小佐野の資金を流用したわけではなく、また返済行為も行ってその後も関係を続けている点で、一平に比べれば全然まともと言えるでしょう。賭博が禁止されている日本の国会議員が米国で賭博に明け暮れたって点を見逃せば。

 自分がなんでこの事実っていうか一平事件との共通項に気が付いたのかっていうと、今日たまたま読んでいたドリヤス工場の「昭和怪事件案内」を読んでて、ロッキード事件に絡めてこのハマコーギャンブル事件も紹介されたのを見たからです。ハマコーが米国で多額の金をすったということは前から知っていましたが、その補填に小佐野がロッキードで得た資金を使っていたのは知らず、また一つ勉強になりました。

 それにしてもこのドリヤス工場は同人誌時代から知っていましたが、水木しげる風の作画というか作風をものの見事に完コピしていて、今こう言う歴史ものの作品も手掛けているというのは前で知りませんでした。手塚治虫風の漫画でおなじみの田中圭一氏と同じく、あそこまで画風を模倣できるというのは一種の才能であるように思え、ドリヤス工場の作品をもし水木しげる本人が読んだらどんな感想を残したのだろうかという気すらします。
 っていうか画風を寄せる者同士、ドリヤス工場と田中圭一でコラボ作品でも作ったらいいのに。出たら自分は買います。

2024年4月21日日曜日

現代における非現金対価こと福利


 自分でもびっくりですが3週連続でプラモを組み立てており、今週は今もウクライナ戦争で現役なT-62を組み立てました。ロシアは嫌いだけどロシアの戦車は好き(´・ω・)

織田信長「すまん、もう土地ないから褒美は茶器で良い?」 ← これwwwwwwwww(暇人速報)

 話は本題ですが、上のまとめ記事で恩賞として土地をあげたくないので、代わりに茶器にプレミアム感を持たせて恩賞の代わりとした信長の施策が紹介されていますが、茶器に限らず、当時の戦国大名は様々なものを土地の代わりに温床として配っていました。

 一番代表的なものは感謝状こと感状で、上杉家などは盛んに配っていたとされていますが滅亡寸前の浅井家なども最後まで居残ってくれた人たちにドバっと配ってたりします。所詮は紙切れなれど、時代が移った江戸時代以降は史料的価値を持つようになったのであながち馬鹿にできません。
 このほかには一字拝領といって、大名の名前の一文字をそのまま武将に与えて改名させることも恩賞の一つとして使われました。「信長の野望 覇王伝」でもこの一字拝領は恩賞コマンドとして取り入れられましたが、武田信玄が高坂正信にこれやると「高坂信」になったりしてカオスなシステムでした。

 以上は戦国時代における非現金(=土地)対価ともいうべき褒賞の仕方ですが、現金を上げずに報酬を抑えたいとするのは世の経営者に共通する悩みです。現代においては「福利」という言葉でよく言われますが、かつては報酬というか社員の忠誠心を引き留めるのに効果を発揮したものの、現代においては逆効果となるものが非常に多いです。
 具体的に言えば会社での飲み会や社員旅行です。昔はこれらイベントがあるのを楽しみにしていた会社員も多くいたそうですが、現代、少なくとも自分の年代以下は9割がたこれらのイベントを嬉しく思わない、むしろ苦役として捉えるようになっています。自分自身も、こういうイベントに会社の金使うんだったらオラに現金を分けてくれと言いたいし、言っても上司らのご機嫌取らなきゃならず、休日や余暇が潰されるだけであるようにしか思えません。

 しかし中には酔狂な経営者やコンサルタントとがいるようで、これら現代人に嫌われる会社イベントを「社員の団結力向上のために」と言って何故か企画してくる連中がいるようです。中には運動会まで企画して顰蹙を買いう人もいるそうですが、少なくとも8割以上が歓迎するようなイベントじゃなければやらない方がいいでしょう。

 じゃあ社員の8割以上が歓迎するようなイベントってなんだと考えてみたところ、パッと浮かぶのは餅撒きこと現金拾い集め大会で、これだったら自分も「俺の出番だなσ(゚∀゚ )オレ」と意気揚々と参加します。ただこれだと、現金支出を抑えながら忠誠心を高めるという福利の根本的目的が崩れてしまうのですが。
 そのほかあったら会社に感謝する福利としては、よくあるものとしては備後大会、じゃなくんてビンゴ大会です。これなんかは商品をなるべく種類を統一してまとめ買いすれば費用も抑えられるし、嫌がる人はほぼおらず、全員に配らなくても納得感が得られるのでやはり有りな感じがします。

 以上を勘案すると、結局現金とは言わずとも換金性の高い賞品とかを直接配ってくれることの方が単純に忠誠心を高めやすい気がします。信長のようにそれ以前は価値がないと思われていたものを価値があるように持ち上げて配るという手段を使えれば最適ですが、実際これやろうってなるとよほどのカリスマ性がないと無理でしょう。
 それこそ昔の大名みたく感謝状を配るのは一定の効果があるとは思いますが、これは発行すればするほど価値が下がる傾向があるので、長期的な手段とはなり得ません。では茶器はどうかというと、自分みたく陶器好きなら喜ぶでしょうが実際こんな人間はレアでしょう。

 敢えてプレミアム感を持たせるやり方としては、会社全体でとk杖委のスポーツチームのスポンサーとなるのが一つの手段かなと思います。社内でそのスポンサーチームの試合だけは仕事中もテレビとかで流し、社員も自然とそのチームのファンになるよう仕向ければ、スポンサー特権で記念品とか選手との食事会など作れば喜ぶ社員も出てくると思います。もっとも、チームが好きになれない人からすれば逆に迷惑でしょうが。