一例を挙げると、セクハラパワハラの概念は昭和時代になく、平成初期も非常に薄いものがありました。漫画とかの中でもおっさん社員が女性の尻をなでるシーンは当たり前のようにありましたが、今現在ではそのようなシーンは「ToLoveる」をはじめとするお色気漫画にしか存在しません。まぁ「ToLoveる」も大分古いけど。
このような描写の減少は漫画出版社が人権教育を高めた結果というよりは、日本社会全体で女性に対する性的接触はよくないという概念の普及によるものだと断言できます。ここで重要な点は、社会の常識を上回るレベルまで人権意識を教育で高めることはできず、その逆もほぼ然りという点です。
前述の通りセクハラパワハラの類は今ではやっちゃいけないし、やったら社会的制裁を受ける暗黙の了解が存在します。ではそれ以上の基準、セクハラパワハラ以上に高次な人権的対応や意識を持てるかと言ったら多分持つことはできません。逆に人権意識が低い所ではセクハラパワハラが横行しているかと言ったら、まぁぶっちゃけ横行している企業はたくさんあるっちゃありますが、そういう組織の人員に人権教育いたところで何か変わるかと言ったら多分何も変わらないと思います。
なぜならそういった組織が置かれている環境ではそれらセクハラパワハラは悪いことではなく、何にもとがめられない一般的行為だからです。これがもし咎められる行為となる場合、具体的には事案があれば指名や取引停止にまで発展するのであれば改める可能性もあるでしょうが、そうじゃなければ多分辞めないでしょう。
こんな具合で法律で明確に禁止して刑事罰などが設けられている場合を除けば、社会的制裁がなければ案外誰も高い人権意識をもって行動に移すことはないと私は考えています。そもそも人間は自らが自らを定義するのではなく、ほかの人を含む周囲の環境によって定義され、その性格や行動も変化させる存在です。確かに教育も外部からの働き掛けによるものですが、周辺環境がその教育が求める水準に達していなければすぐ周囲の基準に合わせてしまうでしょう。ましてや人権への配慮など面倒で手間のかかるものであれば尚更です。
なので今回の小学館も「こういうことはだめですよー」と言っても、それが禁止を裏付ける罰が規定されていなければ多分誰も守ることはないというわけです。そもそも誰が問題ある原作者の連載開始を決定したのかという意思決定根拠すら残さず、責任忌避の余地が多大にある組織では人権意識なんてない物ねだりもいい所です。なので私はあの事件に関しては人権云々以前にガバナンスの問題で、意思決定プロセスや責任配分をはっきりさせなきゃだめだろうと言ったわけです。
人権教育そのものが全く無価値ではないと私は思いますが、私は人権以上に経済的合理性を追求する方が従業員の不祥事リスクを下げ、経営安定に結びつくものだと思います。具体的には問題ある原作者を採用し、それがバレることによるリスクをきちんと計算出来ていたら、こんなことには小学館はならなかったでしょう。組織としての利益追求姿勢、そして従業員が保身のため逸脱しないかを見張る体制の欠如こそが、今回の問題の核心でしょう。
数年前とんねるずの石橋貴明氏がゲイのキャラクターに久々に変装した時、炎上しました。ですが石橋氏がそのゲイのキャラクターを初めて演じた時はみんなゲラゲラ笑っていました。今石橋氏を批判していた人だって、昔に生まれていれば、当時の視聴者と同じように性的志向を笑いものにしていたでしょうと思いますね。
返信削除笑ゥせぇるすまんのアニメは平成初期に放映されました。作品の性質上、大人の社会や会社員、会社内の描写が多く描かれています。今これをやったら一発アウトなセクハラ行為も行われています。
その一方、島耕作は妻以外の女性と「ケツを触る」以上の事をしているのにも関わらず不同意性交罪で訴えられることもなく、順調に出世しています。島は運がいいなぁと思いますね