ページ

2015年2月28日土曜日

千葉のマッドシティ~わらそう(模型店)

 かつてあだ名が「ビンラディン」だった中東系な顔立ちの親父にこの連載どうよと聞いてみたところ、「そんなに松戸が好きだとは知らなかった」とやや返事に困る回答が来ました。好きか嫌いかっつったらそこまで好きではなく、ただそこそこ書ける思い出話が多いというのが本音です。なお一番思い入れがある街はどこかとなると変な話だけどやっぱ田辺かなぁ、わかる人だけわかってください……。
 そういうわけで再び始まるこのマッドシティシリーズ。今日は恐らく私だけでなく、少年時代に松戸近くで住んでいた人なら確実に覚えているであろう一つの模型店を紹介します。その模型店というのも、「わらそう」というお店です。

 わらそうは松戸駅から歩いてすぐ行けるほど近い距離にあった模型屋です。今でも「松戸 わらそう」とネットで検索を多くの人間がその存在を懐かしむページが引っかかるほどですが、実際にその在りし日を見ていた私からしても非常に思い入れがあるお店でした。私自身は松戸市に隣接した自治体で育っておりますが、子供の頃からプラモデルを買いに行くとなると家の近くにある模型店も使う一方、友達と一緒にわざわざ電車を乗り継いだり、自転車漕いだりしてまでもこのわらそうへ訪れていました。

 一体何故それほどまでにこのわらそうは多くの少年(+おっさん)に親しまれたのか。理由はいくつかあるでしょうがその中でも特に大きなものとして私が挙げるとすれば、その広大な店舗面積とそれに付随する圧倒的な品揃えの良さでしょう。わらそうの店舗はちょっとしたファミレスくらいに広くて模型店にありがちな狭い店舗内に模型の箱をぎっしり積み重ねるといったことはせず、整然と商品を並べて通路も大きく取り、この一点だけでも他の模型店とは一線を画しておりました。
 またそれだけ広いこともあって軍艦や自動車といった定番プラモはもちろんのこと、ガンプラからミニ四駆といった子供向け、そして大人向けの鉄道模型まで幅広く、多彩なジャンルの模型を一つのお店で揃えていました。そのため親子連れが来ても子供はミニ四駆、父親は鉄道模型などを互いにじっくり見られるので、実際に私とビンラディンだった親父もよく連れ立って一緒に訪れていました。

 私がこのわらそうで主に購入していたのはご多分に漏れずガンプラがメインでしたが、大体小学校中学年くらいから歴史に興味を持ち始め、その頃辺りからは城郭のプラモに興味を持って実際に買って作ったもので確実に覚えているのは和歌山城、松山城、安土城、姫路城といったところです。なおミニ四駆は一応私の頃も流行りましたがどうにもはまることが出来ず、一台だけ作ってそれこっきりでした。
 そのほかわらそうで購入したもので覚えているのは、名前はさすがに失念しましたが一隻だけタミヤの駆逐艦も小学生時代に作っています。ただ当時はミリタリーにははまっておらず、またその駆逐艦を作るのにも難儀して「その次も」というチャレンジ心も起こらなかったので折角の機会をふいにしてしまいました。もうちょっといろんなのを作って学んでおけばよかったものを。

 その後、私が中学生になるとこのわらそうに行く機会、というより模型を作る機会がすっかりなくなってしまいました。大きな理由はありませんが周りでも作っている人間は減りましたし、自然と離れていったような感じです。その後大学生になって京都行って、長期休みの時に何気なく自転車で走っていたら、「あれ、ないじゃん?」と気が付き、その時になってわらそうが閉店したことを知りました。もしかしたら大学生じゃなく高校生の頃だった可能性もありますが、ちょっと記憶が曖昧です。
 なおビンラディンだった親父に「わらそう潰れたで」と報告したら「ほんまか!?」とえらくびっくりした反応されただけに、親父も相当思い入れがあったんだと思います。

 このわらそうの閉店後、この店が松戸近郊の少年たちの間で絶大な支持を得ていたことに気が付いたのはひょうなことがきっかけでした。私の知恵袋的な友人はこの松戸市の出身で私の家とも近いことからお互いに成人後、なにやら地元トークで盛り上がり、その際にこのわらそうも上がってきました。

花園「わらそうって店、覚えてる?」
友人「覚えてるも何も、俺の兄貴がそこでバイトしてた」

 やはり同郷で同年代ということもあり、この友人もわらそうを何度も利用していたそうで、また上述のように親類がアルバイトしてたとのことでこの店のことを強く覚えていました。今回この記事を書くに当たって何か覚えてることあると聞いたところ、「道路に面したショーウィンドウの中にある等身大ヨーダがやけにリアルできもかった」と返してくれてそれを聞いて私も、「ヨーダとかいたよなぁ。めっさ懐かしいわぁ」とちょっと盛り上がりました。なお、確かそのショーウィンドウの中にはC3-POなどほかのスターウォーズのキャラも等身大で入ってました。

 最後に模型の話をもう少しすると、中学高校大学時代は一切作らなかったくせに何故か社会人になってからまた興味を持ち出して、ランエボを始めとするスポーツカーの製作に一時期はまっていました。やはり改めて模型を作ってみると自動車の構造について理解が深まり、また指先の動きが脳の活動と完全に一致するといえるような、集中力を伴う模型の製作作業は久々にやると非常に新鮮な感覚をもたらしてくれました。いっぱい作る必要はありませんが、たまに作る分にはすごくいい気分転換になるのでまだ少年の心を失っていない男性の方には実はお勧めです。

かつて「わらそう」のあった土地は現在駐車場に

どうでもいいけどこの辺り駐車場が多過ぎ

横にある「カプリチョーザ」は昔も今も現役です

<追記>

 コロナの影響か、2020年10月12日をもって上の写真のカプリチョーザが閉店したとのことです。松戸仲間の友人がどうやって見つけたのか知らないけど、上記ニュースを教えてくれました。
 なおカプリチョーザに私はリアル髀肉の嘆状態だった2013年に1回だけケーキセット食べに寄ったことがあります。近くに通っている他の喫茶店があったためその後カプリチョーザに行くことはありませんでしたが、雰囲気や味は悪くなかったことをよく覚えています。


<2023年8月1日追記>

 先ほど松戸のソウルメイトから、わらそう跡地にマンションができると向こうから知らせてきました。これでわらそう跡地で再興する夢も絶たれたということになり、寂しさもひとしおです。「わらそう跡地」みたいな石碑でも立ててくれないかなぁ( ;∀;)

2015年2月24日火曜日

臨死体験で見えるトンネルに対する意見

 昨夜はどうしてもお好み焼きが食べたくなって味千ラーメンに行ってきました。以前に訪れた際に新商品として「麻辣大阪風煎餅」という名前で売り出していたのを知っていたので早速頼んでみたのですが、麻辣と書いてあるだけあって唐辛子の風味というか香りが感じられました。ただ味はそこまで辛くなくそこそこおいしかったので、また今度行ってみたら食べようかなと感じさせる出来でした。
 そういうわけで本題に入りますが、なんかまたスピリチュアルな記事が続きますが先日友人に下記の本をプッシュされました。友人曰く、NHKがこんなオカルトネタを取り扱ったこと自体がなかなか面白いとのことです。


 この本はNHKが特番向けに取材した内容がまとめられ筆者というかプロデューサー曰く、通常の超常現象番組は始めから肯定的であるか、また否定的であるかという立場を鮮明にしていることが多いが自分たちは現代の科学でどこまで超能力を分析できているか、そしてどの点が未だに分析できていないかを明らかにするというアプローチをしていて他の番組とは異なっているとアピールしてます。もっとも、読んだ感じだと必ずしもそういうわけじゃないのでは、ほかの番組でも似たようなアプローチしているのもあるようなという気がややしました。
 先に本の感想を述べると前半は心霊現象を取り扱っていて取材班も実験に参加するなどしてそこそこ面白く感じられましたが、後半の超能力の下りは読んでて研究している科学者の意見をそのまま右から左に書いていることが多く、正直に言って読んでて退屈しました。前半は取材に参加したメンバーの生の意見も数多くあったのに後半はそういうのが全くなく、多分書いてて飽きちゃったんじゃないかな。

 そうした感想はここまでにして今日の本題ですが、この本の中では臨死体験についても触れられています。

臨死体験(Wikipedia)

 上記のウィキペディアのページがやけに充実していてかなりびっくりなのですが、臨死体験と言ってそれが何かわからない人はそんなにいないと思います。よく三途の川が見えたり幽体離脱をしたりなどと様々なバリエーションがあって、体験談などは確かに読んでて楽しいです。なおどうでもいいことですが「三途の川」は英語にすると「Son’s river(子供たちの河)」となるのかな、賽の河原と関係あるのかななどと昔に一瞬だけ考えました。

 この臨死体験でよく出てくるキーワードに、「光のトンネル」というものがあります。さっきのNHKの本にも出てくるのですが、臨死体験者が意識を失った辺りから暗いトンネルを歩いていて、トンネルの出口方向に光が見えるからそっちへ向かって歩いて行ったというところまでは多くの人間で共通しており、出口に出たところで意識が戻った、または三途の川が出てきた、もしくは既に死んだ知人や親類が待っていたという話へ分岐していきます。
 結論から述べるとこの臨死体験で見えるトンネルは幻覚の一種で、脳が見せる生理的な映像に過ぎないと私は考えています。なんでそう言い切るのかというと、ぶっちゃけ私も似たようなのを見ているからです。

 知ってる人には有名ですが私は過去に二回ほど癲癇の発作で気絶したことがあります。初めて気絶するまでは「人間が急に倒れるなんてことが本当にあるのかよ?」と思ってましたが実際に倒れてみて、「ほんまやったんや……」と自分の認識を改めました。なお気絶してから飲み始めた薬の影響からかここ数年は吐き気を催させる癲癇による発作すらなくなっていますが、自分の飲んでいたのは軽症向けの精神安定剤だったため薬局へ買いに行く際はいつも「うつ病か何かですか?」と聞かれてましたが、うつ病に見えるのかな自分の見た目は?

 話しは戻しますが気絶した際の話を書くと、当日は癲癇による発作(当時はまだそれが癲癇だとはわかっていなかった)で強い吐き気を催していて、「気持ち悪いし早退しようかなぁ」とか思っていた所で記憶が途切れています。次に目が覚めたというか意識があったのはストレッチャーで運ばれている最中で、近くにいた人によるとなんか必死に酸素マスクを外そうとしていたそうです。
 この時の感覚はよく覚えており、酸素マスクから供給される空気がとにもかくにも濃い空気に思えて普通の空気を吸いたいと考えて外そうとしていました。ただ視界は全く見えず、というか光が一面に広がっている真っ白な状態で自分の姿はおろか周囲すらも識別できず、かろうじてローラーの回る音、自分が何かに載せられているという触感があったことからストレッチャーで運ばれているということは理解できました。

 この時の視界が肝ですが本当に光一面真っ白で、Zガンダム風に言うならリアルに「光が……広がっていく」と言いたくなる状態です。しかしストレッチャーが建物外に出たところでまた意識が途切れるのですがこの時の視界というのがまさに臨死体験のトンネル同様、視界の周囲から徐々に黒い影が広がっていき白い光が真ん中の方に徐々に収縮されていくような見え方で、当時はそうとは思いませんでしたが見方によればトンネルのようにも見えない気もしません。
 恐らくこの時私に起こっていたのは、上記のウィキペディアのページ内でも解説されている酸素の欠乏か脳への血流異常による視野狭窄現象だったと思います。まぁあのページ内にはストレートに側頭葉癲癇説も書かれてますが。

 少なくとも私の体験した視野狭窄はレンズで光を絞るかのように周辺が真っ黒くなっていき中心に光が収束するようなもので、意識が混濁した状態であればトンネルに見えたり、まさに自分がそのトンネルを歩いているような感覚を覚えるのではないかと思います。なもんだから臨死体験に出てくるトンネルは幻覚の一種で心霊的な要素はあんま持っていないんじゃないかというのが私の持論です。もちろん絶対的にこれが正しいというわけつもりはないですし、もしかしたら本当に青函トンネルとかユーロトンネルが出てくる臨死体験もあるかもしれませんが、トンネルを見たという臨死体験者の大半は実はただの幻覚だったのじゃないかと言いたいわけです。

 もう一つ臨死体験者に起こりうる話で内心眉唾だと考えているものに、臨死体験後の心境の変化です。臨死体験者はその体験後に世界の見方が変わった、以前以上に生きていることを幸福を感じられるようになったと大半の人間が証言していますが、そんなの私に言わせれば危機一髪な目に遭えば誰だってそう思うよという気がします。登山中で死にかけたりとか大怪我を負ったとか、乗る予定だった飛行機や船が事故に遭ったとか、そういう体験をした人も結構似たようなことを話している気がします。
 ただある意味癲癇キャリアだからこそ言える一つの話として、他の人は知らないけど癲癇の発作が収まった直後というのはそれまでのゲロゲロ状態から打って変わって一時的にとんでもなくハイになります。実際に使ったことはもちろんありませんがドラッグを使った状態ってのは案外こういうものなんじゃないかと思うくらいに体が軽くなり、気分も高揚し、心なしか頭の回転や発想も良くなっていた気がして、すっかり癲癇発作がなくなった今でもたまにあの時の感覚をもう一度感じたいと思うくらい気分がよかったです。もちろん発作がないに越したことはありませんが。

 以上が臨死体験で私が眉唾だと思う症状に対する主な意見ですが、やはり全体を通して大半の臨死体験は脳がみせる幻覚だと思います。そう思う根拠として臨死体験で見られるイメージは文化的な影響が強く、たとえば日本人なんかは「三途の川」を見ることが多いのに対して欧米人はキリストのような光る人間のイメージが多く出てくるそうです。また同じ日本人でも以前は閻魔大王が出てくることもあったそうですが、最近の症例だと閻魔大王はこのところ出演機会が減っているとも聞きます。
 ただ一つだけ私が気になることとして三途の川を見た臨死体験者に聞きたい点があり、三途の川のほとりには「奪衣婆」はいたのかどうかという点です。話しを聞いてる限りだと「なんか知らないババアがいた」と話す人はほぼ皆無に近いのですが、注意してみたら案外いるようにも思えるだけに誰か確かめてくれないかなと密かに期待しています。

2015年2月23日月曜日

千葉のマッドシティ~おかじま電器編

 松戸駅から常磐線で一駅先の北松戸駅、二駅先の馬橋駅の間にある国道6号沿いにはかつて、地元民なら一度は使ったことがあるであろう家電量販店がありました。その名は「おかじま電器」で、途中から「100満ボルト」という名称に変わりました。

100満ボルト|店舗情報

 上記サイト内にある「松戸店」というのがここで話す店舗です。いつ頃に出来たのかはわかりませんが私が物心づいた90年代初頭には既にあり、周囲に同じくらいの規模を持つ家電量販店がそれほど多くなかったために何か購入する際はほぼ確実にここを訪れていました。この店は一階と、半地下一階の二層建てとなっており、一階では主に冷蔵庫やテレビなど大型家電、半地下一階ではパソコンやそのサプライ品などを多く置いてありました。

 なんでこんなどこにでもありそうな家電量販店を取り上げるのかというと、私が小学生だったちょうど20年くらい前、新品のゲームソフトを買うとなるとほぼ確実にここを利用していたという思い出があるからです。実際に買ったソフトで覚えているのだとロックマンの5や6で、うちの姉貴はスーパーファミコンの「かまいたちの夜」を誕生日プレゼントとしてここで買ってました。にしてももうちょっと女の子らしいものを選べよという気もしますが。
 その頃はゲームもよく売れていた時期ということもあって一階の半分くらいのスペースがゲーム売り場に使われており、中古販売もしていて平日はともかく土日ともなれば結構な数の子供や親子連れが訪れていたと記憶しています。今でこそゲームソフトはネットでダウンロード購入も出来ますが、昔はまだ販売店も限られていて中古の安いソフトを捜すとなるといくつもの店舗をはしごして捜さなければならず、そういう意味で「ここなら確実に置いてあるだろう」というこの店舗はなかなかにありがたいお店でした。

 しかし時を経るにつれて近隣の国道沿いには同じような家電量販店がどんどん増えていきました。現時点でもコジマ電機やヤマダ電機が同じ国道沿いに林立して客を奪い合っていますが、それ以上にこの「100満ボルト」にとって大きな存在だったのはわずか数十メートル先に出来た「PC DEPOT」だったと思います。PCデポではもちろんパソコン関連がメインで家電は取り扱っていませんでしたが、チラシなどでは露骨に「100満ボルトさんには負けません」などと書くなど対決姿勢を打ち出され、実際私もパソコン関連となるとPCデポの方に行く機会が多かったです。それでもたまに「100満ボルト」を見ると結構いいパソコンが置いてあって、親父にあげた東芝製ネットブックなどはここで購入しました。

 話は戻りますがそのようにライバル店が増えていったのと、あと折からの家電不況もあって「100満ボルト」を運営するサンキューは2013年9~10月に千葉県内の店舗を一斉に閉店させ、この松戸店もあえなく閉店となりました。ちょうどこのころはまだ日本に帰国中だったのと、松戸の潜伏地へ引っ越す時期と重なったので閉店セールに赴き、シャープ製のピンクの冷蔵庫を最後に購入しました。閉店時は本当に子どもの頃からずっと存在し続けてきた店舗だっただけに一際さびしく、また国道6号沿いを自転車で走る際のあの風景がなくなるということに少なくないショックを受けました。
 その後、店舗跡はしばらく放置されていましたが、私が中国に行ってからなんかテナントが入っていたようですがそれもすぐいなくなり、とうとう建物ごと撤去される運びとなったそうです。その現場を私の友人がわざわざ撮影してきてくれました。



 こうして写真で見ると、本当に何もなくなってしまってという感想が持ち上がってきます。割とこういう店舗の閉店とかには冷淡な態度を取ることが多い私ですが、この旧おかじま電器に関しては子供の頃からの強い思い入れがあっただけについつい思い出に耽ってしまいます。

2015年2月22日日曜日

日本の不動明王信仰について

 中国で最もメジャーな宗教は何かとなると名目上は仏教となりますが、仏教は文化大革命時に寺院が多数壊されたこともあってか日本以上にお坊さんになる人の割合も少なければ庶民の信仰心も薄いのが実態です。一例を出すと現在中国では旧正月の春節であるものの、日本みたいに9割の人間が初詣に行くこともなければ日常でも念仏唱えたり線香を焚く機会も多くありません。
 その一方で宗教というくくりに入れるか議論の余地はまだあるものの、日本での神道に当たるような土着の慣習に近い道教は現在の中国でも強い影響を残しております。ちょっとしたお堂(=廟)などは割とどこ行ってもあるし川沿いには媽祖廟、商売人の家には関帝像がほぼ必ずあり、観光地を歩くとお土産屋には日本での七福神でおなじみな布袋や福禄寿の木造がよくならんであります。それにしても自分もこっち来てから意識するようになりましたが、七福神って元々は道教からだったんですね。

 道教については趣味も兼ねてまた今度ゆっくり解説してもいいのですが、中国で仏教寺院や道教の廟を訪れると上記の七福神のように日本でもみられる仏像や仙人の木造や絵が見られるものの、不動明王の姿だけはどこに行っても見られないことにある日ふと気が付きました。そこから着想を得てちまちまと調べていったところどうもこの不動明王は日本国内限定の神様であることがわかり、その一方で極めて日本らしくないキャラクターであるにもかかわらず深く信仰されていることに違和感を感じたので、今日はちょっと頭使いたいので余計な手加減はなく好きな勝手に書いてくことにします。

不動明王(Wikipedia)

 不動明王とはなにかに関しては上のサイトを見てください。簡単に言うと空海が中国から持ってたのが日本初上陸だったということもあって密教で特に信仰されておりますが、密教に限らずほかの日系仏教宗派でも人気があって木造はもとより絵画などにもよく描かれているポピュラーな神様です。
 この不動明王の姿はどれも筋骨隆々とした姿として描かれ、表情は非常に恐ろしい形相で肩や背中には炎をまとっていることも少なくありません。不動明王がこのような姿で描かれるのは彼が悪鬼や悪霊と対峙する存在であるため、その強い視線で敵対する相手を射抜き、すくませるためだとされています。

 先にも述べた通りに中国では少なくとも「不動明王」と呼ばれる仏教の神は一般には存在せず、仏教の神としては日本で生まれ、発達したかなり珍しい例だと言えます。その起源が何かについてはヒンズー教の三主神の一つである破壊神シヴァではないかという説が主流のようですが、私個人の考えとしてはシヴァは雷神のイメージが強く炎を纏う不動明王とはなんかイメージが異なり、同じヒンズー教の神々に起源を求めるのであればむしろ同じように炎を扱い数々の悪魔と戦うインドラの方が近いのではと素人的に思います。

 起源の話は置いといて本題に入りますが、先にも述べた通りに不動明王は日本オリジナルであるものの日本の神としてはかなり特殊というか日本らしくない特性を持ち強い違和感を感じます。どの点が日本らしくないのかというと「戦闘をメインとする神」、つまり「軍神」や「破壊神」的な性格で、日本は「和を以って貴しとなす」というだけあってあんまりこの手の神様は人気になりません。
 インドなんかはさっきのシヴァを始め好戦的な神様ほど高い人気を持ちますが日本だと軍神で一番人気なのは七福神の一角であると共に四天王の一角でもある「毘沙門天」で、その次に来るものとなるとあとは「摩利支天」くらいしか浮かばず、バリエーションが多くありません。で、実際にはどうか詳しく調査したわけではありませんが、毘沙門天も摩利支天も衣装を見る限りだと中国の要素が強く、日本っぽい要素がほとんど感じられないばかりか日本国内の信仰心もそんなほどではない気がします。

 同じく神道の中でも軍神的な性格を持つ神様はほかの神話や宗教と比べると幾分少ない気がします。神道でこの手の神様として最大級なのはスサノオノミコトで間違いなくこれなんかは申し分ない破壊神ですが、これ以外となると力持ちで有名な建御雷(タケミカヅチ)くらであとはほぼ皆無です。両柱ともにアマテラスや大国主と比べるとそれほど信仰もされておらず、勝手な感想ですが乱暴なキャラクターを持つ神様は日本じゃいまいちメジャーになり切らない風土を感じます。

 このように考えているだけに、どうして不動明王がこれほどまでに日本で人気なのか、また何故日本だけなのか、日本で生まれ育ったのかが非常に気になるわけです。悪魔と戦う神様がほかにいなくて疫病祓い、厄払いのポストにぴったり収まったからとか、そのスマイルなんて一切ゼロなくらい恐ろしい形相が畏怖させる偶像として人気になったからとかいくつか推論は立てられますが、これらだと腹の底にストンと落ちるくらい納得するには不十分です。
 では一体何故なのか。それがわかれば苦労はしませんが、パッと今思いついたのは対峙する相手が不在がちなのが影響したのかなという仮説が出てきました。中国やインドだと仏法を邪魔する悪魔(もしくは竜神など化物)が割と激しく暴れてそれを沈める戦闘神も大活躍するのですが、日本だとこの手に類するのは八岐大蛇くらいで、そもそも戦う相手が少なかったから破壊神が人気でなかったのかもしれません。それに対し不動明王が対峙する相手というのは普通の悪魔ももちろん含まれますが、それ以上に煩悩などといった「修行者の弱い心」がメインであるような気がします。

 よくある不動明王の講話に、悪人からしたら不動明王は恐ろしい神様だが善人には怖い顔をしていても怒っているわけじゃないから安心していい、なんていうのを聞くし、また煩悩など悪い心があるから不動明王が恐ろしく見えるのであってそういう心がなければ恐ろしくはない、なんてのも聞きます。このように不動明王は信仰者の心と対峙するので、ほかの軍神の様に「神様VS悪魔」という構図にならず、日本人の大好きな「自己との対峙」要素を持つもんだから強面の形相ながら高い人気を勝ち取るに至ったのではないかと推理してみます。全部本当に勝手な推論だけど。

 ただ中国やインドになく、ほぼ完全に日本オリジナルの仏教の神といったらこの不動明王が代表格であると私は考えています。それだけにもっとこの不動明王の特性についてあれこれ研究を深めることで日本思想も解きほぐせるのではないかと密かに考えている次第です。

2015年2月21日土曜日

ジャパンディスプレイの新型液晶開発ニュースについて

 以前にも一度言及しておりますがメディアというのは大衆の注目を集めることで成り立つ存在であるため、必然的に他人の関心を引くような報道の仕方を行います。そのため大きなニュースがない時などは小さなニュースを殊更重大であるかのように大きく報道する傾向があり、一例をあげると2011年の2月頃などはYahooの知恵袋を使ったカンニング事件を、果たしてそこまでしつこく食い下がる必要があったのかと思うくらいに執拗な報道がなされました。
 しかし、中には本当に重要なニュースであるにもかかわらずあまり大きく取り扱われないニュースもあります。記者の関心を引かなかったのか、もしくはその重要性が理解されなかったのか理由は様々でしょうが、京大のIPS細胞も発表当初は日系メディアはほぼ無視して海外での報道が高まってからようやく報じる有様でした(STAP細胞は早かったが)。今日ここで紹介するニュースも個人的にもうちょっと大きく報じられてもいいんじゃないのかと思えるニュースです。

ジャパンディスプレイ、消費電力99%減の液晶パネル(日経新聞)

 上記ニュースの概要を簡単に説明すると、液晶パネル大手のジャパンディスプレイは19日、新規開発した液晶パネルの生産工場を建設し、2016年夏にも量産を開始すると発表しました。日本国内での工場建設を含む大型投資案件が近年ほとんどなかった中で、投資額は2000億円強にも上るというこの発表自体が相当な内容ですが真に驚くべきはその新規開発した液晶パネルで、なんと従来の液晶パネルに比べ消費電力は百分の一以下となり、映像を映すバックライトも不要になるそうです。米アップルも次期調達品として視野に入れており投資額の一部を負担する姿勢だとの報道も出ています。

 このニュースを見て最初に思ったのは、「ガセネタでは?」という身も蓋もない疑問でしたが最初に日刊工業新聞が報じたのを皮切りに海外を含む他のメディアも一斉に後追いしており、ジャパンディスプレイ側による発表もあったと出ていることから恐らく事実でしょう。何よりも投資額、そして工場建設地と量産時期がはっきりと出ていることから計画はほぼ出来上がっており、満を持しての発表であると見て間違いありません。
 先ほどにも述べたように投資額もさることながらその新たな液晶性能の凄まじさは文字通り、従来の常識が根本からひっくり返るかのようなインパクトがありました。消費電力が百分の一以下になれば携帯電話の電池持ち時間は飛躍的に向上するし、これまで消費電力がネックで液晶が搭載しきれなかったデバイスも一気に花開く可能性もあります。下手したら太陽電池でも動いたりしないかこれ?

 このようにいろんな意味でサプライズを受けると同時にもう一つ思ったこととして、「シャープはこれで終わるかもな……」という一つの予想でした。

 シャープの苦境についてはいちいち説明するまでもありませんが、消息筋によると近年のシャープの液晶事業はトントン、もしくはやや赤字で、他の事業で必死に業績を支えている状態だそうです。しかも今の受注は台湾のホンハイ精密との協業、そしてアップルからのiPhone向け受注があって成り立っているようなもので、上記のジャパンディスプレイの新液晶が流れ始めたら一気に受注がなくなる可能性もあり、まぁ要するに液晶事業は赤字慣れ流しのまま誰にもいらない子扱いになるのではと思えてくるわけです。

 別に隠すことでもないから一気に書いちゃいますけど、実はシャープには仲のいい(と私は思ってるんだけど?)友人が勤務しており、そこそこ内輪の話とかをこれまで聞いてきました。ただ彼の話を聞いてて違和感を感じることも多く、特に彼の主張する根拠のない予想に関しては真正面から何度も否定してきました。
 それはどんな予想かというと確か2012年くらいに聞いた話でしたが、「IGZOは必ず売れる」という話しです。IGZOとはシャープが独自技術だと主張する半導体製造の技術でこれで作った液晶は従来型の物と比べ消費電力が大幅に減少するとシャープは宣伝していました。しかしあちこちの報道を見ているとその消費電力の差はせいぜい数十パーセント程度で利用者も電池の持ちが良いと実感するレベルではないと私は判断し、友人にはその予想は甘い、消費電力が従来型と二倍程度変わらないと消費者が優先的に選ぶことはなく人気にはならないと否定しました。
 しかし友人は私の意見を真っ向から否定し、スマホユーザーの要望で一番大きいのは消費電力だ、IGZOはきっと実感できるレベルだと意見を変えず、液晶事業がこれで一気に持ち直すことはないと言いながらも少なくとも一つの切り札となる技術だと結構頑なに主張し続けました。

 それからもう3年くらい経ちますが少なくとも私の周辺では、「このスマホはIGZOの液晶使っているからこれを選んだんだ」という人は皆無でした。そして、「IGZO携帯」みたいにこの商標がブランド化することはとうとうなかったと考えています。
 別に自分の意見がやっぱり正しかったなんて主張する気はさらさらありませんが、あの時の友人の主張を思い起こすにつけシャープ内部では客観的な視点がもうなくなってしまってたのではとこの頃よく思います。他の面では分別のある友人なんだけど、自社の事では距離を置いた視点が持てなくなってしまってたのかな。

 そのIGZOとは対照的に、今度のジャパンディスプレイの液晶に関しては私からも強く太鼓判を押します。仮に消費電力が百分の一になる代わりに生産コストが他のと比べ高いとしても、これほどの性能差があれば製品メーカーも消費者もこの液晶を使用した製品を優先的に選ぶレベルでしょう。もっともこうした半導体や液晶部品製造はいわゆる設備産業なので、生産コストは導入する設備で決まるので生産コストが従来品と比べ極端に高くなることはまずあり得ませんが。

 それにしてもジャパンディスプレイがまさかここまで凄い会社になるとは発足当初は思いもよりませんでした。ジャパンディスプレイは東芝、日立、ソニーの三社の液晶部門が統合して設立された会社でしたが、発足当初は「液晶の敗者連合」と私も思ってましたし実際にそういう報道もありました。そして私は「0がいくつ集まっても0は0のまま」と周りにも吹聴して、体よく液晶部門を本体から切り離してリストラするためだけに作った会社じゃないか、なんて結構ひどいことも口にしてましたが、そうした私の予想に反して業績はそこそこ上向き、昨年には株式市場にも情報を果たして自分の不見識ぶりを反省していたところでした。
 真面目に話すと、今回の新液晶をきっかけにジャパンディスプレイが中・小型液晶の世界シェアを大きく握ることとなるでしょう。その一方でサムスン、シャープの液晶部門は一撃死に近い打撃を受けかねず、それだけに今回のこのニュースはただ事ではないと思うわけでした。

2015年2月19日木曜日

千葉のマッドシティ~松戸駅前編

 まさかのマッドシティシリーズ化です。松戸市に縁もゆかりもない方々からすれば退屈な記事でしょうが、この狂った街の記憶と記録を存在するうちに残しておきたい気持ちもあるのでどうかご容赦ください。

 さて松戸市で市役所の置かれている市政地は言うまでもなく松戸ですが、その市役所の最寄り駅に当たる松戸駅というのはお世辞にも評価は高くありません。交通の便に関しては常磐線と京成線の乗換駅になっており都内にも30分程度で23区の主要な所まで移動できるので悪くはありませんが、問題なのはその駅前の雑然ぶりで、行ったことのある人なら「ああ、あれね」とすぐに合点がいくかと思います。
 具体的にどのような状態なのかというとまるで整備がなっておらず、小さい店舗や中途半端なビルが乱立している上に線路をまたぐ高架歩道は人でごった返しやすく、一言言えばごちゃごちゃし過ぎているということに尽きます。出口は東口と西口があり、西口はまだ整備が進んできてバスターミナル前が一般乗用車とバスと歩行者がちょっと入り乱れて通行に戸惑う点はあるもののまだまともですが、もう片っ方の東口はちょっと目も当てられない状態で、中途半端にイトーヨーカドーが近くにあるせいもあって買い物客やら通勤客やらで普通に歩いてて鬱陶しくなってきます。

 なお東口近くにあって高架歩道とも接続している良文堂という本屋は品揃えもよく、特に受験参考書が充実していて高校時代はよく利用しました。ただこの店、5階建ててセクションごとに回数が別れているのですが、どの階も店舗が狭くゆっくり本を選ぶのには難があり惜しい所です。最近は自分も伊勢丹内にあるジュンク堂の方が潜伏地から遠いのに通う回数が増えてるしな。

 話は松戸駅前に戻りますが、東口にはまずイトーヨーカドーがあり、そのほかドトールコーヒー、漫画喫茶、居酒屋、パチスロ屋、メガネ屋、ミスタードーナツ、ゲームセンター、などとあらゆる種類の店舗が目白押しで、さりげなく小さい個人商店も軒を連ねています。あと地味に厄介なのが小学生を対象とした予備校も近くにあり、金曜の夜とかになると授業を終えて出てくる小学生が大挙して狭い道路を占領することもあるのでもうちょっと送り迎えにやり方あるのではと思えてくるほどです。
 確かに帰宅がてらに飲食店へ寄ったり、買い物したりには便利なのですが、やはり駅利用客がそこそこ多いにもかかわらず歩道があまり整備されてなく、細い路地が入り組んでて飲食店などはそこへ無理矢理運搬の車を通すので混乱に拍車がかかっている状態です。しかも松戸市役所に行くには東口から通るので、市役所勤務の人間も地味に多くて侮れません。

 一体何故松戸駅前がこのような乱雑ぶりを見せるようになったのかというと実は理由があり、実際に細かく検証したわけではありませんがどうも暴力団が一部の土地を保有しているため区画整理が進まなかったと言われています。この噂は私が幼少期だった頃より聞いていたのすが、近くにある喫茶店の店員と話をしたところどうもこの噂は事実らしく、暴力団のせいで駅前の整備が進まず近隣の自治体と比べ開発が遅れていると嘆いていました。
 もっとも暴力団だけが原因というわけでもなく、松戸は1970年代の高度経済成長期に街づくりが進んだ都市でもあり、その影響からかビルや住宅が後進の都市と比べ数世代古いまま残ってしまっているというのも大きいと私は考えています。要するに、ビルトアンドスクラップでスクラップの方が進まず古い建造物が軒並み残ってしまっているということです。

 ただそんな松戸駅前もこのところはようやくというか再開発がいくらか進んでき始め、特に松戸駅東口からやや北に向かった先では古いビルなどが取り壊され、大型マンションの新規建設や分譲が相次いでいます。この点について私が潜伏時代に通っていたカレー屋の店主に、「暴力団もようやく土地を手放しはじめたのか?」と理由を尋ねたところそうではないと否定され、「直接的な原因は東日本大震災です」という思いがけない答えが返ってきました。
 なんでも2011年の東日本大震災でこの地域にあった古いビルでは倒壊こそなかったものの軒並みひび割れが起こり、そのまま使用することが出来なくなったために取り壊しが進んだとのことです。以前からあった人気飲食店もこれらの影響で店舗を改装、または移転が進み、ここ数年で大分風景は変わったという貴重な情報をもたらしてくれました。

 実際に行ってみればわかりますが線路沿いだとコインパーキングがやけに多く、東口前の雑然ぶりと比べるとやけに視界が広がっています。またこれは東日本大震災の大分前に既に潰れておりましたが、以前は土屋家具というお店があった松戸市役所前にある巨大な店舗兼集合住宅も昨年になってようやく取り壊しが行われました。この取り壊し工事は2013年末辺りから始められましたが完全に取り壊されるまでには半年以上の時間がかかっており、「中国だったらこんなの一週間でたたむってのに日本は仕事が遅いな」などという妙な感想を当時に覚えています。

2015年2月18日水曜日

中国の住宅の特徴


 近くのスーパーで何故か美濃焼の特設販売があったので上の丼碗と小皿を速攻で購入しました。どちらも質感といい絵柄といい気に入っています。中国は明日が旧暦の元旦に当たり、大晦日に当たる今日から長期連休となっておりますが、どこの飲食店も正月休みで閉まっているため最近は上の丼でうどんばっかり食っています。

 さて気になる人がいるのかはまだわかりませんが、上の写真はお世辞にもいい構図ではありません。できれば斜め上から碗の中の絵柄と共に撮影したかったのですが、ちょっと止むに止まれぬ事情があって真上から撮る構図となりました。一体何でこうなったのかというと、室内が異常に暗いせいでありました。
 中国に来て長期滞在した人ならわかると思いますが、中国の住宅は日本の住宅と比べて室内が異常なまでに暗いことが多いです。一体なんで暗いのかっていうと室内面積の広さに対して照明」の数が極端に少なく、またその照明器具も光線量が小さく照らし切れていないことが多いです。具体例を挙げると、小さなベッドルームなどでは電球数本しか設置されていないこともざらです。

 第三国と比べたわけでもないので中国の住宅が異常に暗いのか日本の住宅が異常に明るいのかまではわかりませんが、日中で比べるなら中国は圧倒的に部屋の中が暗いことは確かです。そのため夜に室内を撮影しようものなら暗く写ってしまい、かといってフラッシュ焚くと今度は反射がきつかったりしてこの美濃焼を撮影するのにもひと手間かかっています。最終的に電気スタンドのあるパソコンデスクの上で撮影することでまだ見られる写真に仕上げていますが、そもそもパソコンを使用する際に電気スタンドもセットにならざるを得ない環境というのも考えてみれば変なもんです。そういえば以前上海にいた時も電気スタンドを常備していたなぁ。

 照明に関してはこのように日本人の私からするとやや不満の感じるところがありますが、それ以外の面だと意外と中国の住宅の方が勝っている部分も少なくありません。まず第一に言えるのは天井の高さで、こっちへ出稼ぎにやってきた当初は空調の機器が悪くなるなと思ってあまりいい感じがしませんでしたが、慣れてくるとやっぱり部屋が広く感じられ、逆に日本へ帰国した際は天井が低くて狭く感じるとともに圧迫感を覚えました。
 私の目算だと中国の住宅の天井高さは3m程度あり、日本の住宅は2.5m程度ではないかと思います。さっきさくっとググってみましたが日本の住宅はやはり2.4~2.5mが主だそうで、私の見間違いというわけでもないようです。

 天井の高さと並んで中国の住宅で優れていると思うのは壁の厚さです。最近だと日本の住宅はども工費を削り、防音材などを敷き詰めることで壁を薄くしようとあの手この手を講じていますが、そういう先端素材を使う、使わない以上に単純に壁の厚みを厚くする以上に防音性は高める手段はないでしょう。中国の住宅は基本、どこも壁が異常に分厚く、試しにDQ6のハッサンみたいに正拳突きしてみたところ明らかに日本の住宅より分厚い重みというか拳に強い痛みを覚えました。とびひざ蹴りはやめておこう。
 この傾向はこれまで住んだことのあるどの中国の部屋でも共通しており、一種スタンダードになっているのではないかと思えます。壁が分厚いので隣の音はほとんど聞こえず、聞こえるとしてもドア越しに洩れてくる音の方が大きいです。ただ断熱材に関しては恐らくほとんど使ってないものと思われ、冬場においては壁からリアルに冷気を感じるため、この辺は改善点として中国のデベロッパーに考えてもらいたいものです。

 そのほか中国の住宅の特徴を述べると、以前にも書いたように単身用の住宅が少ないということと、トイレの中蓋を締めるネジがほぼ確実に緩んでいることと、北方地域は暖器があることといったところです。
 暖器に関しては後輩も書いていますが、北京を始めとした中国の北方地域の住宅は建物内にスチーム管を張り巡らせて冬季は建物全体を一括して温めています。日本も北の方にはあるかもしれませんがなかなかこれが便利なもので、慣れてくるとこういった暖器のない上海とかの方が北京より寒く感じるようになってきます。