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2017年2月28日火曜日

各メーカーのノートパソコンに対する私感

 現在使っているノートパソコンのNEC Lavie LS550/Eが今年で7年目を迎えるに当たり、そろそろ新しいノートパソコンを新調しようと今いろいろカタログサイトとか見ています。そんなわけで価格コムやAmazonなどでいろんな機種を見ているのですが、市場が盛り下がっていることもあってか華やかなりし時代と比べると一日千秋な思いがするので、今日はその辺の思いのたけを適当に書き散らします。

<日系メーカーはほぼ全滅>
 既に各所で報じられている通り、東芝は本体そのものが大赤字ということもありますがかねてから個人向けパソコン事業の売却を企図していると言われ、実際にNEC、富士通などと三社のパソコン事業の統合という名の切り離しを過去に何度も画策しています。元々、現在のノートパソコン規格を作ったのは東芝であるだけに非常に物悲しい話ですが、その東芝に限らず他社も単体では事業として成り立たない時代がすでに何年も経っています。

 これまでに三菱電機(ここは何でも撤退が早い)、シャープ(陰でプシャーと呼んでる)は既にノートパソコン事業から撤退しており、ソニーも自社のノートパソコンブランドのVAIOの名前でパソコン事業部門を切り離して独立させています。また私も以前に購入したBTO専売のエプソンも事業を続けていますが一部サポートセンターを閉鎖するなど、ここも見ていると懐が苦しそうです。
 個人的に不思議なのは大手と比べ体力の小さいオンキョーが未だに作って販売していることです。恐らくはODMじゃないかと思いますがその妙な執念には感心していた所、さっきサイトを覗いてみたらラインナップ製品のOSがWindows7しかなく、もう実質的には何もやってないのかもしれません。

<日系で生き残るのはパナソニックのみ>
 ただこうして日系パソコンメーカーが悉く弱ってる中、唯一気を吐いているのはパナソニックです。ここは極端な頑丈さを売りにしているレッツノートシリーズが市場で独自の地位を築いており、IT関係者に聞くと誰もが「レッツノートを買うべきだ」と勧めてくるほどその性能は高く評価されています。
実際私もレッツノートに関しては高く評価しており、確かに価格は他のメーカー製と比べて二回り位高いものの、その耐衝撃性については誰もが評価しており、またそのシルバーないかついデザインは他と一線を画しており一目でレッツノートだとわかるほどいい出来しています。

 ただ今回、私が新調しようとしているノートパソコンは家置き用の15.6インチサイズで、現行のレッツノートシリーズは14インチサイズまでしかないため購入候補からは今のところはずれています。持ち運ぶ機会は少ないのでなるべく作業で効率がいいよう大きい画面にしたいのが本音なところで、興味はあるのですが今回は見送りそうです。
 それにしても、パナソニックはどちらかというと白物家電メーカーのイメージが強くこうしたマルチメディア製品はソニーや東芝と比べると一段劣るイメージだったのですが、このままいけば日系で唯一のパソコンメーカーとして生き残りそうです。将来何が起こるか、本当にわからないものです。

<東芝は完全にやる気なし>
 十年、いや十五年くらい前の時点で日系パソコンメーカーの雄といったら間違いなく東芝で、ダイナブックシリーズのブランド価値は世界的にも高く評価され出荷台数ランキングでも常に上位に食い込んでいました。しかし現状は本体が火の車ということもあってパソコン事業もはっきり言ってやる気が見られず、「これが本当に東芝のノーパソか?」と疑問に感じるほど、外観からスペック、オプションに至るまで如何にも適当に作りましたと言わんばかりに投げやりな製品が売られています。
 特にここのアウトレット品の直売ページに至っては、2015年から一切何も更新されていません。地味によく見ていたページなのですが感覚的には2014年くらいからいつ行っても掲載されている商品はどれも「完売」と書かれてあり見ていて売る気あるのかと反感すら覚える様な状態が続いており、東芝パソコン部門はもう数年前の時点で死んでいたも同然だったのかもしれません。

<中でもマシなのはNEC>
 そんな国産メーカー製品を選んでいると、消去法的に一番マシだと思うのは現在も使用しているNECのノートパソコンです。今私が使っているLavieはスピーカーがキーボード手前についているためやや音がくぐもってしまうところが難点ですが、それを除けばほぼパーフェクトな内容でこの私と共に中国や香港での厳しい時代を潜り抜けてきてくれました。
 現在出ているラインナップも値段に比べお得なスペックが多いのと、派手さはないけれども最低限個性を感じさせるデザインや配色が見られるため、このまま何もなければ今度もNEC製を購入することになりそうです。何気に昆山にいる知人の息子さんがNECにいるっぽいから、安く売ってくれないか今度聞いてみよっと。

<富士通は論外、VAIOは値段に見合わず>
 富士通に関しては以前からFMVのCMがことごとく意味不明な上に突然でかい効果音エフェクトを鳴らす内容であることからかねてより蛇蝎の如く嫌っているため、ここのパソコンについては一切眺めていません。元々この会社自体嫌いってのもあるけど、あのCMはキムタクだせばいいだろって感が満々で見ていて無性に腹立ちます。
 一方、VAIOについては一応チェックしましたが、スペックに対して値段がここは極端に高い気がします。元々ソニーブランドをバックに高級路線で売っていたので他より一段高い値段設定でしたが、もうそんな仰ぐようなソニーブランドもないのにあの値段はちょっと疑問です。またVAIOは本体デザインが売りだったのに今のVAIOパソコンは背面部に「VAIO」って文字が書いてあるだけではっきり言ってダサいです。なんていうか、「上海」とか「LONDON」って書いてあるようにしか見えない。
 あと何度か購入しているエプソンについては、いわゆるロースペックのパソコンについては価格が徹底的に抑えられているだけあって購入にメリットを感じますが、ミドルからハイスペックにかけてはやたらと値段が上がり、「このスペックをこの値段で?」と疑問に感じる価格設定になっています。今回購入したいのはハイミドルスペックなパソコンですが、エプソンで価格を試算したらとんでもない金額になってビックリしてやめてしまいました。まぁ単純に、こっち方面はあんま得意でないのかもしれません。

<海外メーカーそれぞれ>
 海外メーカーは基本的に眼中に入れておらず、というのもHPはぶっちぎりで壊れやすいというコンシューマーレポートが出ているので除外し、DELLは安くてデザインはいいけどキーボードの設定が前使ったのだとVIOS弄んないと変えられず融通が利かないのと、HP同様に壊れやすいという評判なため除外です。
 一方、Lenovoについては比較的頑丈でしっかりしているのはわかりますが、いかんせんユーザーが多くて被りやすいのと、現在会社で使っているのがこれなので家でも同じのを使いたくないという価値観から除外しました。

 台湾勢に関してはASUSやACERは前から興味はあるものの、前と比べるとデザインが大人しくなったというか安っぽくなった印象を覚えます。ASUSに関してはこのところタブレットはずっとここなのでノーパソは外そうかなという風にも考え、特にデメリットはないものの台湾勢はあんま選びたくないような気がします。サムスンに至っては別にチェックしてないけど、値段を考えると日系の方がいいやとなるので今回候補に入れていません。

<対抗馬はマウスコンピューター>
 以上の検討から現状はNEC一択ですが、対抗馬となるのはエプソン同様にBTOをメインにやっているマウスコンピューターです。費用対効果で言えば間違いなくここがナンバーワンで、特にミドルからハイスペックパソコンについては非常にお手頃な値段で提供しています。ついでに言えばデザインも最低限個性が出ていてまだ認められています。
 興味があるからここにしてもいいものの、サポート体制でやや不安があるのと、現在使っているLavieを評価していることからNECを貫きたいという思いからややNECに有利な状況です。

 それにしても最近のノートパソコンはレッツノートシリーズを除きどれこもれも地味なのばっかで「ファッキン中日」と言いたくなるラインナップです。あんまり余計な所にお金をかけられないからでしょうがどれもこれも配色は黒と白ばっかであっても赤か茶しかなく、青とか紫とかピンク、あとオレンジとか際立つ色も揃えてほしいです。っていうかオレンジあったらそこで即決だったのに。
 スペック的には既に差がつかなくなっているのだから、スペックの外側ことデザインにこそこだわってほしいのですが、日系企業の製品はパソコンに限らず全製品でデザイン性が壊滅的に悪いことが多く、日産もゴーンが引退するってんなら今度はデザインを熟知したイタリア人を役員に引っ張ってこいよと助言したいです。ちなみにここ数年で自分の心がときめいた日本のデザインを挙げるとしたら、千葉ットマンのバイクかな。

2017年2月26日日曜日

語学で仕事すると貧しくなる

 先日、日本から来た知人に上海市内を案内していた所、「それだけ中国語が上手だとどこからも重宝されるでしょう」と言われたのですが、すぐその場で、「いやむしろこの程度だと誰も評価しませんし、語学で仕事しようとすると貧しくなる」という返答をしました。何気にこの、「語学で仕事すると貧しくなる」は私の中でも屈指の名言だと思うので、今日はその辺について少しお話します。

 まず結論から言うと語学関連の仕事は非常に収入が低く、なおかつ求人数はほとんどないため、語学にこだわって仕事探しすると大抵碌なことはありません。一見すると英語や中国語など外国語が使えることは凄いようにみられがちですが、実際に業務で使うに当たってはある程度、当該業務に関わらなければ単語や表現などをすぐに覚えて使えるわけではなく、TOEICなどの点数が高くても即戦力とはならず、また人気スキルということもあって使用者がだぶついていることもあって実際にはあまり収入アップとかには繋がりません。
 そうは言うけれども実際の現場では外国語使いが求められている現場は多いという意見もあり、この見方についても私は同意します。しかし結論から言うと、どうも日本では需要のミスマッチが起きており、語学で働きたい人と語学使いを募集したい企業との間でうまいこと噛みあうことがほとんどなく、また募集にうまく入り込んだ人も雇用側の期待、具体的には上記の通り即戦力だと思ったらそうでなかったり、研修などのために数年間は国内で働かせたりなどというのがあってあんまうまくいっていないような気がします。

 実際の所、各方面の関係者から聞き取りを行ったところ語学を修めたものの関係ない仕事につく人というのは多いそうです。東京外語大の出身者ですら専門言語とは関係ない仕事につくことが多く、私自身も見ていて何だかそんな気がすると共に、また外語大出だからといっていきなり技術討論の通訳が出来ると思い込む企業に振り回されて駄目になってしまう人もいるそうです。
 そういう中で私はまだ語学(中国語)をメインで使う仕事についているため比較的運がいいと自認していますが、ここまで来るためにはやはり危ない橋を何度か渡っており、日本では全く関係ない仕事しか得られなかったため現地採用で飛び込むしかありませんでした。私に限らずとも、語学をメインで仕事に使おうとしたら現地採用で飛び込むようなやり方しかないのではというのも少し本気で信じています。

 ただそんな私でも、現在の職場の周囲の人間からしたら語学レベルはカスみたいなものです。上には上がいるというかハイレベルな人たちはいくらでもおり、中国語資格のHSKで最上位の六級こそ取得しているものの果たしてこの職場で働き続けててもいいのかと思うくらい周囲の同僚とレベル差があります。冒頭の知人の様に外国語が出来ない人たちの目から見ると相当なレベルに思われたとしても仕事で使うというとまた別次元の話になるため、語学で生計を立てようと考えている方はよっぽど語学が好きじゃない限り方針を変えた方がいいと真面目にお勧めします。
 なんて話を上司の前でしていたら、「聞いてて身に刺さる思いがする……」という感想が聞けました。

2017年2月24日金曜日

森友学園国有地売却問題について

最近のマイブーム:かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~

 最近政治ブログっていうことを忘れるくらい政治関連記事を書いていませんでしたが、久々に評論のし甲斐のある政治問題がピックアップされてきました。まだ味覚は失ってないけれど左耳が痛くなるほど激務で疲れているので短く書きますが、例の右翼系団体である日本会議、そして安倍首相とも関わりのある謎の学校法人、森友学園に大阪府の土地がタダ同然で売却されたという問題について解説します。

 問題の内容自体は省略していきなり解説からですが、あんな広大な一等地をゴミ撤去費用を差っ引いた200万円で買えるってんなら私だって買いたいです。でもって転売したら数億単位で利鞘が得られるだろうし、こんな取引が現実にあるとしたら何かしら裏があって然るべきでしょう。そもそもこのゴミ撤去費用も国土交通省が勝手に見積もって出した金額ということで実際費用はおろかゴミが本当に撤去されたのかについても確認しておらず、交渉の資料を出せと言われたすでに廃棄したと回答したことが報じられていますが、まぁ資料廃棄は嘘でしょう。嘘でもいいから、誰か二、三人くらい人柱になってゴミの代わりに埋まってくるか、クビを差し出すかという要求を国民はしたっていいと思いますし、ここまで要求すれば官僚も真相話すでしょう。

 安倍首相は既にこの団体とは関係者と数回会っただけで関わりはなく、名誉校長となっていた昭恵夫人もこの職から降りたと明かしていますが、さすがに事が事だけにはいそうですかとすぐ納得するわけにはいきません。特に土地取引があまりにも不透明であることから、順当に行くなら何か政治判断なり大物の力が動いたとしか考えられないだけに、いくらか信じてあげたい気持ちはあるもの安倍首相自らが疑惑に対し潔白をきちんと証明する必要があると私には思います。
 なおもう一つの関係先である日本会議(にっぽんかいぎ)については今のところ取材をしたという記事は余り見受けられません。ここはここ数年になって急激に名前が出るようになった団体で石原慎太郎氏を筆頭に右翼と自称する方々が参加しており、また右系雑誌の文芸春秋なんかはわざわざ特集記事で「危険な団体じゃないよ♪」と解説してたりして、これまであまり気にしてなった私もちょっとそのあからさま過ぎる扱いに対しては気になっていた矢先でした。なお上海にいる日本人この団体名を挙げ、「真面目に日本は大丈夫なのかと心配になってきた」と述べたことがあり、正直に言って今回の問題と合わせて好ましくない団体だと私は考えています。

 こっから少し私なりの検証に入りますが、学校法人そのものもさることながらやはり一番注視すべき点はやはり取引の内容、特に金額でしょう。発表では約10メートル下にまでゴミが埋まっており、学校という子供が集う場所とするためそれらを掘り返して8億円超もかかったという言い訳してますが、周辺住民からはそんなビル四階分くらいの土を掘り起こすような工事をしているのは見たことないという証言も出ており、また10メートル下まで埋まってるっていうんならそのまま埋めといても問題が内容な、放射性廃棄物でも捨てられていたのかと言いたくなるなど疑問を挙げていったら切りがありません。
 そこで金額にだけ着目して最近の有名な工事の金額と比べてみました。

 まずこの記事によるとこの学校の掘り返しは8770平方メートルの敷地の約6割にあたる5190平方メートルに対し9.9メートルの深さで、残り3580平方メートルには3.8メートルをやったということで、大雑把に計算すると

5190×10+3580×4=51900+14320=66220

 以上の計算式から66220立法メートル掘り返し、かかった費用は8億円ってことになります。まぁ掘っただけでなくゴミ撤去費用もあるでしょうが。

 これに対し昨年11月に起きた博多陥没事件の記事によると、6千平方メートル超の穴への超特急での埋戻しにかかった費用は1.3億円超かかったとのことです。まぁ掘るのと埋めるのとで違うので一概に比べられませんが、博多の金額を体積に合わせ11倍すると14.3億円となり、超特急の仕事でこれくらいなのと比べると8億円はやっぱりちょい高目な気がしてなりません。まぁ恐らくこんな工事してないでしょうから比べるまでもなかったのかもしれませんが。

 最後に一言だけ付け加えると、安倍首相は今回の件に関わっていたら首相も議員も辞めると宣言しましたが、本人にその自覚はなくとも巻き込まれる形で関わってしまうということは政治上、往々にあるため、こうした発言は本人にとってもやや不用意ではないかという気がします。それだけ関与を否定したかったのでしょうが、なんとなく以前からもややカッとなりやすい所はあったものの、この頃それがやや顕著になっているというか、前ほど発言や回答において余裕が感じられません。この辺をどう見るか、政治ウォッチャーとしては議論の余地があるでしょう。

2017年2月23日木曜日

万引き、暴行犯の画像公開について

 久々に少し興味の出てくる社会事件が出てきたので、今日は最近相次ぐ小売店の問題人物画像の張り出しについて自説を述べます。

眼鏡店社長が激白「ネットの力を借りれば犯人分かる」「まんだらけの件、参考に」「常習者間違いない」(産経新聞)
マクドナルドが「犯罪者探しています」画像張り出し(日刊スポーツ)

 上記二つの事件はあちこちで報じられているので皆さんも内容については把握しているかと思います。どちらも盗難、暴行を行ったことがほぼ確実な人物に対し店側が店内の防犯カメラ映像を店頭に張り出し、当該人物について情報提供を求めたという内容です。このうち前者のめがねおーの例においては大きく報道されたこともあって容疑者が名乗り出てくるなど「効果」はあり、後者のマクドナルドについては警察側からの要請を受けて画像張り出しをやめており、膀胱を行ったとする容疑者は捕まったのかどうかについてはわかりません。

 この二店の行動について肯定するか否かで意見は出ておりますが、私個人の意見を述べると仮に張り出した人物が実際には犯人ではなかった場合に店側が逆批判を受けるという覚悟を持って行ったというのであれば、別に問題はないのではないかと考えております。
 どちらの例でもカメラの映像などから張り出された人物が犯罪を行っていたと信じるに足る状況で、特にめがねおーの例では知人の買取店関係者からまさに当該人物が盗難された品物を持ってきたという証言もあり、「こいつが犯人だ」と名指しする条件は十分に備えていました。マクドナルドに至っては、目の前で暴行を受けてるのだから言わずもがなです。一部批判で言われている通りにもし謝って無関係の人物を犯人と名指ししていたら確かに大問題ですが、少なくともこの二例に関してはそうした可能性は考えなくてもいいし、既に述べた通りにもし仮に誤っていたとしたら店側がその責任を取るというつもりでこうした行為に出たというのであればそれはそれで尊重すべきだというのが私の意見です。

 ただこうした張り出しについての賛否以上に、この問題で真剣に検討すべき内容はほかにあると私は考えます。その検討内容というのも、どちらも警察を当てにしなかったという点です。

 めがねおーの例については顕著ですが、当初ここの責任者は買取店の知人の証言と合わせて警察に捜査してもらうよう掛け合ったそうですがあまり相手にしてもらえず、こうなりゃみんなの力を借りて自分で犯人を見つけ出してやろうと苦渋の末に画像公開に踏み切ったそうです。マクドナルドの方も、画像を公開して騒ぎになってから被害届を出したと書かれてありますが、事件が起きた直後に警備会社を通して警察に来てもらっていた(犯人が既に立ち去った後)ということを踏まえると、なんとなく警察は当初動かなかったのではないかという気がしないでもありません。

 私個人は警察に直接的な恨みとかは持っていませんが、基本的に私も警察を頼りにはしていない上に全く信用していません。理由はいくつかありますが大きいものとしてはこれまで冤罪事件や国策捜査を割と見ていること、小さいものとしては本人らは否定していますが交通違反にノルマを設けて事故の多い場所ではなく検挙しやすい場所に隠れて違反者を挙げるという行為を繰り返しているからです。なお交通違反のノルマについては警視庁に務めていた知人から即答で、「ある」と答えられました。

 これ以外にも方々から聞く話では、ストーカー事件を含め警察はあまりこういった事件には関わりたがらず相手にされないということばかり聞きます。だからこそ今回の二店も「自衛」という手段に打って出たのであり、真剣に検討すべきは警察が今どれほど信用がないのか、そして警察に頼るくらいなら自分で犯人捜しをした方が効率がいいという事実でしょう。
 何気に以前にも私は、警察の方が予算も人員も足りないと最近言い訳ばかり言っているのを耳にして、だったら容疑者と犯罪情報をネットとかで賞金首みたいに常時公開して、有力な情報や直接検挙した人に報奨金を支払うようにした方が効率良いのでは、そのような民間操作組織みたいなのを許認可制にして設けた方が治安にもいいんじゃないかと考えたことがあります。今回の場合、それを被害者自身がやったわけで、結果的にめがねおーの方は容疑者捕まえられたんだからやっぱ効率良いじゃんと確認できました。

 最近コンサルっぽい方面に関わることが多いからこういう発想してしまうのですが、そもそも費用対効果の面で現在の日本の警察は如何なものかと疑問を感じています。自動車ナンバーを根こそぎ読み取るNシステムは確かにすごいと認めますが、それ以外の面では捜査手法や普段の行動とかで効率が悪いように思えてならず、それこそ警官専用のポータブル端末を全員に配り、ランクによって得られる情報に制限をかけた上で常に情報を共有し合ったり緊急時の一斉配信、動員に対応させたりしてもいい時期だと思います。その上で体力がなかったり同僚に拳銃突きつけるようなアホみたいな警官は叩けばまだまだ出てくるのだから一斉解雇して、もっと予算というものに対してシビアになり、意識させるべきでしょう。
 なおさっきの警視庁に勤務していた知人は学生時代に剣道をやってて、彼曰く警視庁の武道共感は体つきからして太っており、研修で「こうすれば相手を投げられる」と言いながら知人を一回も床に転ばすことが出来なかったなど、「明らかにレベルが低い」と評していました。

 多少今後の予想を述べると、恐らくこうした画像を張り出す小売店は今後どんどんと増えていくと思いますし、誰かがそういう情報を共有するまとめサイトを作ったら流行るんじゃないかという気がします。その上で今後も警察への信用が落ちていくのなら自警団的な組織も生まれる可能性があり、国家権力というものが段々と弱まっていくのが流れかなと見ています。

2017年2月22日水曜日

平成史考察~ここがヘンだよ日本人(1998年)

 今思い返してみるとすごかったなぁと思いだす番組として、上記の「ここがヘンだよ日本人」があったので今日はこれについて書きます。

ここがヘンだよ日本人(Wikipedia)

 「ここがヘンだよ日本人」とは1998年から2002年までTBS系列で放送されたバラエティ番組の事です。元々は特番でしたが視聴率が好調だったことを受けレギュラー化し、放映当時は番組の内外で様々な議論が起こっておりました。
 多分覚えている人の方が多いと思うので説明する必要があるのかやや微妙ですが説明すると、在日中の外国人を集めて日本の様々なトピックについて見解を聞いたり、外国人同士で議論させるという番組内容でした。当初は比較的穏やかな、日本人からすると当たり前の光景や習慣だけど外国人からしたらどんな風に映るのかといったテーマが多かったものの、法曹界を重ねるごとに段々と内容がシビアになり、日韓問題や同性愛問題など機微なテーマも取り扱いだし、また出演者がいろんな意味でキャラが濃い面々が多かったことからも怒鳴り合いなんて当たり前、回によっては本気で乱闘にまで発展しかねないほど白熱することもありました。

 この番組から芸能事務所に所属する外国人タレントが数多く出演していましたが、中でも番組お顔となったのはゾマホン現ベナン共和国駐日大使で、大抵どの回でもテリー伊藤氏を始め他の出演者を激しく批判したり怒鳴ったりして、見ている私としては「見ている分には面白いけどあまり友達にはしたくないタイプだな」という感想を覚えていました。そしたら今回改めて経歴を調べてみたら日本に来る前は中国に留学しており、その留学先が北京語言学院だったため、地味に私の先輩であったことが判明しました。
 この番組で知名度を上げたゾマホン大使はその後、たけし軍団に所属して今でもたまにテレビとかに出てきます。数年前に見た時は大分角が取れたというかこの番組に出てた頃よりかは丸くなっており、物腰が柔らかそうに見えましたが、もしかするとこの番組の中だけああいう強烈なキャラクターを演じていたのかもしれません。

 そのゾマホン大使の様に、恐らく多かれ少なかれの出演者はこの番組向けの顔として敢えて激しい主張を伴うキャラクターを演じていた可能性はあります。しかしそれを差し置いても番組内の議論は凄まじいものがあり、実際テレビ局にもあまりにも暴力的な議論だとして当時抗議が寄せられていたそうです。ですので多少やらせが入っていたとしても議論自体は恐らく当人たちも真面目にやっていたように思え、そう考えると外国人に日本のいいところいちいち答えさせる最近のどうでもいい番組よりかは見応えがあった気がします。

 私はこの番組を毎回見ていたわけではありませんが、たまたま見ていて覚えている内容としては先に上げた日韓問題に関する議論で、やはりこの議論では韓国出身の出演者が日本の態度への不満を当初述べていたのですが、その出演者に対し噛みついたのはやはりゾマホン大使でした。
 曰く、「日本はもう韓国や中国に対し、過去に行った行為を認めた上で公式に謝罪しているじゃないか。欧米の連中は自分たちがアフリカにしたことを何も謝っていない!」という、いつも通りの絶叫ぶりを見せていましたが、この発言は非常に印象深く私の中に残っていました。欧米より日本はマシな態度をしているなどと主張するつもりはさらさらありませんが、別の国、それも東アジアの外側から日韓問題を見るとこう言う風な見方もあるんだなと、外からの視点というものに強いインスピレーションを覚えるとともに、ちょっとだけゾマホン大使を見直しました。
 なお当時学校で大声で何か主張していると、「お前はゾマホンかよ」というツッコミをするのが短期間ではあったもののありました。

 今回なんでこの番組を取り上げたのかというと、単純にこういうタブーというかギリギリの話題に挑戦するような番組が今もうないなと思ったのと同時に、今の時代だからこそこういう本音で且つ本気で議論するような番組を見ていたいなと思ったためでした。比較的近いと言えるのが「たかじんのそこまで言って委員会」ですが、生前のやしきたかじんも番組視聴率が好調な理由について、「(台本などで)作っておらず、本音で怒鳴り合ってるからではないか」と話しており、如何に近年の番組が演出過剰なのかを暗に批判していました。
 なおこの話が出た際、番組名こそ明確に明かさなかったものの「さんまのスーパーからくりテレビ」に出てくる素人はすべて事務所所属の芸能人だということを出演者がばらしていました。

 少しテレビ論の話になってしまいますが、やはり今の番組は作り過ぎというか演出過剰で、視聴率がいい番組というのは演出が極めて薄いものが多いように感じられ、視聴者もやはりガチなリアルを求めているのだと私は分析しています。それに対しテレビ業界関係者はいまいち気づいているように見えず、むしろ演出が足りないとばかりに演出を増やそうとして余計に視聴率離れを起こしているのが今のフジテレビのように見え、視聴者との乖離が激しいなという風に見ているわけです。
 私自身、もともと政治討論が好きということもあってきわどいテーマでの本音議論があればチャンネルを合わせてよくじっと眺めていたものです。しかし近年はこうした番組はなく、政治家や評論家の一方的な都合のいい主張だけを垂れ流す番組が多く、だからこそ「ここがヘンだよ日本人」を急に懐かしく憶えたのでしょう。真面目な話、中国本土でまさにこのテーマで中国人同士に討論させてみたらどうなるのか気になるので、どっかのテレビ局とかでやってくれないかな。そしたら私なんか司会やってもいいし。

明治維新期の欧州~普仏戦争

 最近外部の依頼で記事書いている自分の状況をふと振り返り、いわゆる覆面ライターって奴なのかなと思ったその刹那、「仮面ライター元いた会社はブラックRX」という妙な単語が浮かんできました。

 さて前回の記事で私は明治維新の頃の世界、とりわけ欧州はどんな状態だったのかをもっと知る必要があるとして、ペリー来航時の1853年に勃発したクリミア戦争を題材に取り、それまで宿敵同士であった英仏がこの戦争で初めて共闘し、それ以降も対立することなく強調しながら海外に植民地を作っていったという内容を紹介しました。実際にこの時期の英仏はほとんど衝突せずに植民地獲得へ万進しており、唯一対日政策で英国は薩長、フランスは幕府を応援するなど立場が別れましたが、これを除くと基本仲良くやっています。
 それだけにこの時代は「英仏二強時代」といえるような期間だったと言えるのですが、そうした秩序体勢が大きく変わるきっかけとなったのは今日紹介する普仏戦争です。

普仏戦争(Wikipedia)

 普仏戦争は1870年に起こった、フランスとプロイセンが衝突した戦争の事です。戊辰戦争が勃発し明治元年となったのは1868年であることを踏まえると、ちょうど明治政府が成立した時期の欧州で起こっていた事件と言えます。

 この戦争のきっかけを簡単に説明すると、スペインで王家の継承者がいなくなって次の継承者の候補にプロイセン王家の血縁者が挙がったことからでした。当時、フランスはプロイセンを警戒しており、スペインにプロイセン系統の王が立って戦争時に東西から挟撃されることを恐れてこの候補に対して継承させないよう国際社会に強く訴えていました。こうしたフランスの抗議を受けてプロイセンも候補者を取り下げたのですが、念には念にとフランスは当時のプロイセン国王を保養地まで追いかけて使者を出し、継承者を出さないよう要求しました。
 こうしたフランスの行動に対しプロイセン国王は首都にいる宰相へフランスから使者が来たという電報を送ったところ、かねてからフランスとの戦争を企図していた宰相はこれはチャンスだと考え、送られてきた電報の内容を脚色し、フランス側は不躾に且つ居丈高にプロイセンへ要求したかのような文面に変えて世間へ公開してしまいました。この事件を保養地の名前を取って、エムス電報事件といいます。

 脚色された電報内容を知ったプロイセン国民は外国に対しても居丈高に要求するフランスに対し文字通りに憤り、またプロイセンより南でオーストラリアからすれば北部に当たる、バイエルンなど普段はプロイセンと距離を置きながら独立していた王国もプロイセンに同調して反仏感情を高めました。そして相手のフランスもこうしたプロイセン国民がいきりたっているのを見て、「一度痛い目を見させるべきだ」とばかりにフランス国民もいきり立つという、まさにプロイセン宰相が思い描いていた通りにことが動いて行きました。
 こうした中で当時のフランス皇帝ナポレオン三世は、本人としてはプロイセンとの戦争は避けたいと考えていたもののちょうど支持率も落ち込み国内からの批判も高まっていた最中であり、周囲の声もあって戦争を決意してプロイセンに宣戦布告を行い、普仏戦争は幕を開けます。ただ宣戦布告をしておきながらもフランス側は何の戦争準備も行っていなかったことから兵士の動員までに時間がかかるという、初動においてミスを犯すこととなりました。ただそれ以上に誤算だったのは、相手のプロイセンには外交と戦争の両方において天才が、即ち宰相のオットー・フォン・ビスマルクと、参謀総長のヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケの二人が揃い踏んでいたことだったでしょう。

 ビスマルクはかねてからフランスとの欧州大陸の覇権を争う戦争を企図しており、あらかじめ英国、ロシア、オーストリアとは戦争に干渉しない様に了解を取り付けていた上、フランス側からの宣戦布告があればバイエルンなどドイツ南部の王国はプロイセン側で参戦するという盟約を結んでいました。
 こうした万全の外交姿勢が敷かれていた上、参謀のモルトケは開戦に備え兵員を素早く戦地へ送る鉄道網、そしてその運用法や運送ダイヤをあらかじめ準備しており、開戦するやあっという間に国境付近へ編成を終えた大兵力の軍団を送ることに成功します。これにより初動で立ち遅れたフランスはプロイセン領土へ攻め入る間もなく、宣戦布告したにもかかわらず国境付近で防御陣形を敷く羽目となりました。

 その戦争の経過については省略しますが、出す策全てが裏目に出るフランスに対し悉く出し抜いたプロイセンが各地で圧勝し、最終的にはセダンの要塞に籠ったナポレオン三世と約10万もの兵士が投降し、プロイセンが完全勝利して幕を閉じます。なおこの投降後、ナポレオン三世は首都のパリに戻ることはできずそのまま外国へ亡命することとなります。

 この戦争に勝利したプロイセンはそのまま占領したベルサイユ宮殿で国王の戴冠式を行い、正式にドイツ帝国を称するようになります。またこの戦争にプロイセン側で参戦したドイツ南部の諸王国もプロイセンへの併合に合意し、こうしてオーストリア、ハンガリーを除く神聖ローマ帝国の領土はすべてドイツ帝国に組み込まれ、現在の大まかな国境というか国家構成が組み上がることとなるわけです。もっとも、プロイセンが発祥した元々の領土は現在はポーランド、ロシアに組み込まれたため現在のドイツの領土ではありませんが。

 普仏戦争の結果、それまで海軍の英国に並ぶ陸軍のフランスの権威は落ち、代わりに欧州大陸最強陸軍の座はドイツのものとなりました。それと同時に英仏二強の時代から英仏独、それにロシアが加わる形で列強が形作られ、その下でかつての権威を失ったオーストリア、トルコ、そして独立の上に統一されたイタリア王国が続くという形で新たな欧州秩序が作られます。
 そして外交においても、クリミア戦争以降は主導権を握っていたフランスでしたがその座ははっきりとドイツ、というより宰相のビスマルクの手に移り、これ以降の欧州大陸は実質的にビスマルクが外交秩序を差配していたような時代となります。そういう意味でも、ドイツが欧州大陸を管理していた(ビスマルク体制)と言ってもよいのではないかと私は思います。

 この時、1872年。ちょうど日本でも明治政府が成立してようやくまとまりを見せていた頃ですが、まさにこの時に欧州ではドイツ帝国が成立し、急速な成長を遂げていたわけです。だからこそ欧州遣欧使節団として派遣された岩倉具視や大久保利通らがドイツやビスマルクに惚れ込んだのも無理はなく、その後日本は陸軍の軍制や法体系などでドイツを模範として国家建設を行っていくこととなります。
 こうした秩序体勢はその後ビスマルクが政界を引退するまで続き、この間に欧州は列強同士の大規模な戦争は起こらず小康状態が続きます。そんな秩序体勢が大きく動くのは、敢えて言うならやはり1905年の日露戦争とそれに伴う日英同盟で、この戦争による勝利により日本がアジア発の列強として仲間入りする歴史ではないか私は考えます。

2017年2月19日日曜日

明治維新期の欧州~クリミア戦争

 日本は今頃寒気が来て真冬並みの寒さでしょうが、こちら上海は今日初夏のような天気でむしろ熱く、気温の激しい変化に体がついて行けず頭が痛かったです。もっとも、昨夜大学の先輩らを含むゲーム大会が深夜一時まで続いたのも原因でしょうが。

 話は本題ですが、明治維新といえば日本で承久の乱に並ぶ大革命の一つでその内容については小説やドラマにも数多く題材に取られることもあって詳細に知られていますが、同時期の日本の外、海外の状況については恐らく大半の方が知っておらず、多少知識がある人でもせいぜい米国で南北戦争が起こっていたというくらいしか知らないのではないかと思います。
 はっきり言えばこうした状況は日本国内の内容しか取り扱わず周辺事情に気を配らない歴史教育に問題があると思え、細かいところまではいいとしても大雑把にその時の世界はどんな状態だったのかをある程度教える必要があるのではないかと思います。特に列強諸外国との関係を持ち始めた明治維新期においては重要で、当時の列強状況、どこが強くてどことどこが組んでいたのかなど、大まかでも把握しておく必要があると思うので、今日はクリミア戦争を主軸にとって当時の欧州事情を解説します。

クリミア戦争(Wikipedia)

 日本の明治維新、というより近現代の始まりは「嫌な誤算(1853年)」という語呂合わせでお馴染みのペリーの黒船来航から始まるということで衆目一致しており、私も同じ価値観を共有しています。なお1800年代の年号は「いやん○○」で私は大抵覚えており、「いやんムーミン(1863年)薩英戦争」という単語を今も胸に刻んでおります。
 話は戻りますが、日本が本格的に清やオランダ以外の列強各国との接触を始め変化が迫られた1853年に勃発したのがクリミア戦争です。クリミア戦争とはなにか大まかに説明すると、領土拡張を目指し南下政策を取っていたロシアがトルコに対する侵略を行ったのに対し、その動きに歯止めをかけようとトルコ側についた英国とフランスが戦った戦争です。

 戦争の勃発理由はバルカン半島の小国家同士の小競り合いに始まっており、その紛争の処理を巡って当初はトルコ領土の分割や宗主権の確認で終わるだろうと思われていた外交交渉が英国、フランス、ロシア、オーストリアのそれぞれの国内事情からこじれにこじれた上に外交担当者の不始末もあり、なし崩し的にロシアとトルコが開戦してしまったというのが実態です。そうした背景から列強各国は当初、この戦争は短期間で終わるだろうと思っていたのですが、英国はなんとしても地中海にロシアを入れまいと強硬な姿勢を取った上、当該地域における利害関係が比較的薄かったフランスも民主選挙の上に皇帝に即位したばかりのナポレオン三世が自らの影響力拡張を図って英国と共にトルコ側へ参戦したこともあり、初代ナポレオンによるナポレオン戦争以来の欧州大戦へと発展していくこととなりました。

 戦争の中身としては産業革命を経ていたこともあって物資投入がこれまでと比べ破格の量となり、火薬量の増大もあって戦死傷者がそれ以前の戦争と比べ段違いに増えていきました。一方、戦術は未だに突撃戦法が主流でありなおかつ治療体制などに置いては旧態依然ということもあって戦地ではコレラを始めとした伝染病も蔓延し、フローレンス・ナイチンゲールが「これだから軍人どもは後ろのことを何も考えない」などと文句言いながら治療活動を展開してたそうです。
 勝敗については正直な所、双方で拙い戦術や連合軍同士の足並みが揃ってなかったこともあってグダグダが続いていましたが、ロシア軍の方で致命的な戦術ミスが相次いだ上、戦時中に皇帝ニコライ一世が逝去するという不幸もあり、1856年にロシアの敗戦でクリミア戦争は終結しました。

 ロシアとしてはこの敗北によって南下政策が一旦停止させられたものの完全に諦めていたわけではなく、一旦は東方政策に転換して満州、朝鮮地域への進出を図りましたがそこは明治維新を経た日本によって日露戦争で歯止めをかけられると、再び南下政策に戻って一次大戦に繋がっていきます。

 ただこうしたロシアの戦略転換以上に欧州世界への影響が大きかった点としては、この戦争で英仏が手を取り合って戦ったことです。両国はジャンヌ・ダルクが活躍した英仏百年戦争の頃から欧州の覇権を争い続けた国同士(一度だけスペインも加わるが)であり、先のナポレオン戦争では文字通りガチンコの戦いを経て英国がフランスを下したことによって欧州チャンピオンの座に輝きましたが、それでも両国は「終生のライバル」とクリミア戦争以前は思われていたそうです。
 そんな両国がこのクリミア戦争で協力し合い、さらに英国自身が欧州大陸に対する興味を失い始め、海外での植民地獲得に集中し始めるなどより海洋国家としての性格を強めたことによって、なし崩し的に欧州大陸の中の影響力ではフランスが一番などという風な見方が一気に広まりました。

 一方、クリミア戦争で準当事者でありながら何の主導力も発揮できなかったオーストリアに至っては、保護国であったイタリアでは独立運動が高まり、影響力を持っていた現在のドイツ南部の地域においてはプロイセンが徐々に圧迫していた状況もあり、かつてはハプスブルグ家でブイブイ言わせていた威光が明確に凋落し、誇張ではなくその後も欧州一等国から二等国へと陥落する羽目となります。
 そうしたオーストリアの凋落もを尻目にフランス、というよりナポレオン三世の威光はどんどんと高まり、彼自身の英雄思想から諸外国への介入も増えていったことからそれからしばらくの欧州外交はナポレオン三世のフランスを中心に動いて行きます。

 故に明治維新直前の幕末期、欧州世界は英国、フランスの二巨頭が珍しく共調し、二ヶ国とも海外の植民地獲得(フランスも熱心だった)に従事していた期間であったと言えます。欧州外交はやはりフランスを中心に行われ、この間にフランスはイタリア独立戦争に介入したり仲裁したりしており、アジア地域ではベトナムを植民地化したり、英国と一緒に清から租界地分捕ったりしていて、案外この頃のフランスは見た目にもノリに乗っていたんじゃないかという気がします。
 しかしそんな絶好調のフランスに対し、欧州大陸チャンピオンの座を狙い密かに準備を続ける国家が存在していたわけで、続きはまた次回に。どうでもいいですが、そこん家の家紋はどう見ても馬鹿そうな犬にしか見えません。