さていきなりの写真ですが、注目すべきは手前のなんだこの赤い柵はではなくその奥のこの木なんだか気になる気になるです。見てもらえばわかる通りに根本付近でぐにって折れながらその後歪にまっすぐに伸びていますが、何故か広州市内はこの木だけでなくあちこちにこうした折れ曲がってまっすぐ伸びた木がたくさんありました。
意図的に枝切りしない限りはこのように伸びるとは思えず、恐らく広州市の環境局がわざとやっているのではないかと思え、実際に歩道の左側にある木は左へ、右側にある木は右へと折れ曲がっており、何らかの美学めいたものを感じます。
なお木に関してですが、どれもめちゃでかかったです。恐らく広州が熱帯地域に属し冬でも気温が10度を超えるのがざらなため一年を通して成長し続けるからではないかと思いますが、上海と比べるとやたらぶっとい木が多く、なんか見ていて新鮮でした。
北京路歩行者天国にあるお寺
1日目に友人に案内して北京路歩行者天国を夜に歩きましたが、この時点で夜10時ですが人が多く歩いていることが私にとっては意外でした。大分前にも書きましたが上海の夜は早く、9字を過ぎるころには繁華街であっても人通りが一気に少なくなるのに対し、広州はこの北京路に限らず割と夜遅い時間帯でも人が多く出歩いていました。友人によるとこれくらいがいつも普通だそうですが、高校生とかでもこういう時間帯に出歩いているのを見て中国にもこんな都市があったのかと驚きました。
なお上海の地下鉄は最近は営業時間を以前と比べ延長していて11時台でも走っていますが、広州の地下鉄は終電は12時前くらいまでで上海より営業時間が長く、これも夜の人通りに影響しているように思えます。
逆を言えば終電が遅いから夜が長くなるわけで、日本は過重労働を是正するためにも終電をもっと早めるべきだと個人的に思います。
上のは二日目に友人に連れて行ってもらった日本の漫画を数多く取り揃えている本屋の一幕ですが、何故ほかの本ではなくこの伊藤潤二氏の「猫のよん&むー」を平置きしているのかと思って写真撮りました。
この本屋のラインナップは香港から直輸入されたものも珍しくなく、やはり広州市は中国よりも文化、空気的にも香港に近いものを感じました。市民もみんな当たり前のように広東語を話しており、地下鉄アナウンスも英語、普通話(北京語)、広東語の三つで同時アナウンスするし。
なんかきわどい構図になっていますが、広州市内の「アニメストリート」なるところで見かけたのでていくあぴくちゃーしました。割とマニアックなキャラのフィギュアもたくさんあったのですがこの際に友人と、
花園「To Heart2の向坂環ってキャラクターは一時期、毎月フィギュアが発売していて、『月間向坂環』と呼ばれた時期があったらしいぜ」
友人「あれって先にPS2版出してからPC版が出たゲームですよね」
花園「そうそう。っていうか今思うとあれ凄まじい売り方だと思う。PC版も買うしかないじゃん」
というマニアックな会話をしていました。っていうかなんで友人は中国人なのにそんな事実知ってたんだろうかと不思議でした。
上の写真は市内の博物館にあった写真で、フランス滞在中の鄧小平だそうです。今まで自分も鄧小平の写真は年取った後の姿しか見たことがなく、こんな若い頃があったんだと思いながら記念に取りました。結構丸顔だったんだなという印象です。
上の写真は地下鉄構内にあった二次喫煙は良くないという啓発ポスターです。顔の部分の禁煙マークはシールを貼っているわけではなく初めからこうした図柄したもので、なかなかに面白いと感じました。
このほか広州市内を歩いてて感じた点としては、上海と比べると歩道が広く歩きやすいと思う反面、夜の遅い時間帯でも人通りが多く、また地下鉄に関しては上海とは比べ物にならないくらい混雑するなど、人口密度は非常に高い都市でした。
あと、さきほどさらっと触れましたが、街中に中高校生らしい若い少年少女がよく歩いているのが自分には意外でした。というのも上海は小学生のころから勉強漬けのために塾通いしており、休日でも街中でこれらの年齢層が歩いているのを見かけることがほとんどないからです。
おまけにその服装も、何故か学校指定のジャージ上下が多く、割と日本の光景に近いものがありました。てっきり中国の中高生はどこも勉強漬けで街中にいないと思っていたのですが、必ずしもどこも上海のような光景をしているわけではないと認識を改められました。
あと広東語について、学校ではやはり普通話を教えられるそうですが、各家庭では家族みんなで広東語を話してて、口伝で代々受け継がれているそうです。
前回の記事にも書いたように辛亥革命当初は広州市に元帥府という政庁が置かれるなどして首都機能も一時持ったのですが、その後の混乱を経て中国の首都は北京に落ち着くこととなりました。仮に広州が首都のままであれば中国語の標準語には広東語が採用されていた可能性は高いのですが、正直に言えばそれは実現しなくて本当に良かった気がします。というのも広東語はただでさえ難しい北京語ベースの中国語に輪をかけて難しい言語で、これが標準語となっていたら外国人の中国語取得はさらに困難となっていたでしょう。