今をさかのぼること数年前、日本に帰国していた私は関西で友人と会っていました。その友人とは学生時代を含め散々議論をした仲で、自分が一番苦手とするタイプでした。
単純な議論中の頭の回転の早さや論の鋭さもさることながら、議論のスタイルが私と真逆と言ってもいいタイプであり、私からすれば一番相手にする上で不利なタイプであったと言っても過言ではありません。具体的には将棋でいうと防御陣形を組立て一切自分から攻めてこない完全な防御型で、防御を完全に無視して攻めに特化したような私からすると、一撃で向こうを突き崩せなかったらもう後は負けるだけでした。っていうかこの友人、議論の途中で論点を敢えてずらす振り飛車戦術も、「それ関係ないでしょ」と言ってピシャリと封じてくる唯一の人間でした。
そんな友人と久々に会ったその夜、なんかの拍子に話題が雇用、特に日本人が海外現地で採用される現地採用について触れたところから議論に発展しました。私が現地採用を代表してその権利向上を主張する立場となり、
・現地採用者は能力的にも本社派遣の駐在社員より高く、その勤務の貢献度も高いことが多い
・っていうか現地語しゃべれない社員はむしろお荷物
・にもかかわらず収入は駐在社員の数分の一、下手すりゃ十分の一
であるという点を挙げ、離職率も高いことからもっと給与待遇を引き上げその地位を向上させる必要があると主張しました。これに対し友人は、
・安い給与で高い効率を求めるのは企業にとって当たり前
・あらかじめ契約時に提示した給与額で雇っているのだから不当ではない
・待遇に不満があるのなら辞めてもらって結構、また次の人を採ればいいだけ
という反論を提示し、大体それぞれ三つの論点を軸に小一時間ほど議論し続けました。私としては自分が現地採用の立場で、逆に友人はどちらかというと現地採用者を日本から使う立場であったという立場の違いもあるから、認識が異なってくるのも自然だと考えていました。なので議論でねじ伏せるということより向こうの考え方を、「現地採用もたまには大事にしないとね」くらいにこっち側へ少し引き寄せられたらベターかと考えながら議論していました。
段々と議論が平行線となり始め私自身も攻めあぐね感を覚え始めた段階、友人が「労働内容と給与が見合わないのは当然。会社は利益追求のために安く雇っているんだ」と相変わらず血も涙もない言葉を言った直後、言わないだけマシかと思って私が以下の言葉を口にしました。
「ならなんで使えない、働かないおっさんどもを日系企業は高い給与で大勢雇ってるんだ?」
私自身はそんなに意識した言葉ではなくむしろ苦し紛れな一言に近かったのですが、これを口にするや友人の顔色は一瞬でリアルに変わりました。そしてしばらく口ごもると、「それは……確かに花園君の方が正しい」と、急に態度を軟化させて私の主張に傾きました。そして先ほどの労働貢献と賃金額の一致に関しても理解しはじめ、確かになるべく一致させるよう心掛けた方がいいという風に主張を転換してきました。
正直に言って、私としても非常に驚くくらいの態度の変わりようで、それこそまた将棋の例でいうなら苦し紛れに手許の歩を置いたら投了を取ってしまったような感覚で、自分の意見が勝ったとかそういう実感は全くありませんでした。同時に、何故彼があの一言でひっくり返ったのかを直後から分析しており、恐らくそういう「おっさん」どもに囲まれ苦しんだ経験があり、その問題の深さをしっかり認識していたからこそあの一言で動いたのでしょう。さすがに直接指摘するのは非礼だと思え、その場で友人には指摘しませんでしたが。
この議論だけでも十分忘れられない体験となったでしょうが、実はこの話には続きがあります。
友人と議論をした確か二日後くらい、うちの名古屋に左遷された親父とも同じテーマで少し議論になりました。親父の主張も友人とほとんど同じであったことから内心、先の議論をなぞるような感じで敢えて議論を進めていき、最後の段階でまさに友人を揺り動かした一言を全くそのまま口にしたところ、「それは……確かにそうだ」と、ほぼ全く友人と同じように一瞬で態度が軟化しました。
正直に言って、この一言に何故そこまで威力があるのか、使っている本人である私にすらいまいち実感がつかめませんでした。ただこの一言以前に、友人も親父も主張の仕方がほぼ完全に一致しており、「なんかのドッキリ?」と話しながら思うくらい似通っていました。だからこそ最後の一言で刺せるという確信もあり、時間を見計らいつつ狙っていた議論段階まで持ってきたところで出したので、将棋で言えば完全に読み通りの展開を再現した気分でした。
親父との議論を終えた直後に私が何を考えたのかというと、「使えない高給のおっさん」以前に、何故友人も親父も全く同じ思考と主張を私に見せたのかという点です。結論から言えば二人とも大企業しか経験していないということが何よりも大きく、給与と労働貢献の一致、あと内と外の概念というかプロパーと中途採用者の見方が全く同じだったからではないかと思います。ついでに言えば働かないおっさんに囲まれていたのも同じでしょう。
それ以前からも漠然と持っていましたが、やはり最初の新卒から大企業しか経験していない人というのはこの種の弱さを抱えているのではと強く感じました。具体的に言えば視野の狭さで、いくらか仕方がないとはいえ、自分の見える「大企業社員の生活」が当たり前の世界であり、それ以外の世界は存在しないという見方です。言ってしまえば現地採用者が給与が低いのも、彼らが自ら行った選択でありまた本人の努力不足と切って捨てるように見ていた節があります。そういう面も確かにないわけじゃないですが、努力をしていない人間が高い給与を得ることに抵抗を感じていた辺りはまだ友人も親父もまともで、だからこそあの一言で自分のスタンスが矛盾していることに気が付いたんでしょう。
無論、大企業の人でも広い視野を持つ人もいないわけじゃなく、逆に中小企業しか経験していない人で視野の狭い人もいますが、こと社会全体の視野で言えば、中小企業勤務者の方がバランスがいいと私には思えます。理由は簡単で、大企業の世界は何もしなくてもメディアが報じ、その逆はないからです。
内心、こういう職業における身分制に関しては自分は極度にバランスの取れた視野を持っていると自負します。私自身が現地採用でやや枠から外れた存在であることに加え、派遣業界調べたり、日中間の労働環境などよく比較しているだけに、それぞれの環境の違いについて体験込みで話すことが出来ます。ただこの場合、私の方がイレギュラーであるだけなので、結論としては大企業経験者は意識的に、自分たち以外の世界に目を向ける努力をしないと視野が狭くなりやすいというところを書いて終わりにします。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2018年7月29日日曜日
2018年7月28日土曜日
日本におけるGIANTブランドに関する疑問
先日コメントでGIANTについて触れられたので前から疑問に思ってた内容を書きます。その疑問というのも、なんで日本ではGIANT製のフレーム使った自転車が中国より多くないんだろうかっていう点です。原因は中国と比べるとGUANT販売店が少ないからとかだと思いますが、家電量販店とか眺めてもGIANT、あとMERIDAのフレームはそんな多くなく、ぱっと見だとTREKが一番多い気がします。
なんでこんな風に疑問に思うのかっていうと、世界の自転車フレームの大半は実はGIANTとMERIDAの二大台湾メーカーが作っているといわれ、細かい市場調査とかないけど下手すりゃシェア8割とか行くんじゃないかなと見ているからです。
元々、自転車のフレーム作りと言ったらユーザーの多いヨーロッパが盛んだったと言われます。ただそれまでヨーロッパメーカーのOEMで作っていたGIANTなど台湾メーカーがどんどん技術力をつけていき、例えばパイプに高圧で油を流し込んで成形する生産方法なども彼らが確立させたと言われ、次第にヨーロッパメーカーでは作れないようなより速く走れるフレームとかも台湾メーカーがガンガン作るようになっていきました。
これに焦ったヨーロッパメーカーは、台湾メーカーにしか作れないフレームをレギュレーションでレースから排除し、既に認定されていたタイムレコードまでも後出しのレギュレーションでなかったことにするなど露骨な妨害を行いましたが、時代の流れとともに台湾メーカー製フレームの性能がますます高まっていくと選手からも声が上がり、最終的にはこれら台湾メーカーをターゲットにした不公平なレギュレーションは撤廃されました。それと同時に、ヨーロッパメーカーのフレームは性能的にお話にならなくなって衰退していくこととなりました。
こうした過程もあって、生産原価もさることながら単純に生産技術の差で台湾メーカーが自転車フレーム市場を独占するようになりました。台湾メーカーと言っても生産地は中国本土(大陸)にある工場がメインですが、何気に私が以前住んでいた江蘇省昆山市にも工場があって(すぐ近くにはシマノの工場もある)、地元ということもあってかGIANTの販売・サービス店は非常に多く、所属していたサイクリング部もほぼ全員がGIANT一色のワンオフチームでした。
このGIANTですが先ほども述べた通りに元々はOEMメーカーで、現在ももちろんOEMをやっているというか、世界の自転車ブランドのほぼすべてを代理製造していると言われます。実際に店員から確認した限りでは米国の割と高級ブランドなスペシャライズドのフレームはほぼ全部GIANTが供給しているそうで、「向こうで買うくらいなら、性能は同じでもうちのが安いよ」とはっきり言ってました。
スペシャライズドに限らず他の有名ブランドもフレームはGIANTまたはMERIDAが実際に生産、供給していると言われます。フレーム以外の他のパーツにこだわりがある、と言ってもブレーキ+ギアはシマノがほぼシェア100%でどのブランドも一緒ですが、フレーム以外を重視して選ぶというのなら他のブランドの自転車を選ぶのもまだわかりますが、実質的に自転車の性能はフレームでほぼ決まり、そのフレームで言えばGIANTかMERIDAしかほとんど作っていないことを考えるとどこのブランドが優れているかとかは実際そんなないんじゃないかと思います。それならば大本のGIANTで買ってしまった方が商流で経由する企業数から言っても一番コストパフォーマンスがいいように思え、私もそうした視点とメンテナンスの観点からGIANT製のDEFYってモデルに今乗っています。
このような考えもあって、日本でGIANTブランドのロードバイクをそれほど見ないということにいつも不思議に思っています。もっともこれはGIANTがあまり日本で販売に力を入れていない、例えば中国では入門モデルとしてポピュラーなアルミフレームのOCRシリーズは日本では一切販売されておらず、並行輸入品か中古品しか出回っていません。
私も以前にこのOCRの確か2600に乗っていましたが、悪くない自転車でした。でも日本では売っていないということで、やはり販売やマーケティングで他の国ほどGIANTが力を入れていないのが、日本全体でGIANTブランドが少ない理由かもしれません。
なお私が今乗っているDEFYは4400元(約7万5千円)で三年前に購入しましたが、この前GIANTのお店行ったら何度かモデルチェンジが重ねられたせいか2500元(4万3千円)くらいで売っててちょっとしょんぼりしました。あとタイヤのチューブによって、やけに空気の抜け方に違いがあるのが気になり、この前パンクさせるまでは全然空気減らなかったのに最近は激しく減るため空気入れの手間が増えてちょっと嫌です。
なんでこんな風に疑問に思うのかっていうと、世界の自転車フレームの大半は実はGIANTとMERIDAの二大台湾メーカーが作っているといわれ、細かい市場調査とかないけど下手すりゃシェア8割とか行くんじゃないかなと見ているからです。
元々、自転車のフレーム作りと言ったらユーザーの多いヨーロッパが盛んだったと言われます。ただそれまでヨーロッパメーカーのOEMで作っていたGIANTなど台湾メーカーがどんどん技術力をつけていき、例えばパイプに高圧で油を流し込んで成形する生産方法なども彼らが確立させたと言われ、次第にヨーロッパメーカーでは作れないようなより速く走れるフレームとかも台湾メーカーがガンガン作るようになっていきました。
これに焦ったヨーロッパメーカーは、台湾メーカーにしか作れないフレームをレギュレーションでレースから排除し、既に認定されていたタイムレコードまでも後出しのレギュレーションでなかったことにするなど露骨な妨害を行いましたが、時代の流れとともに台湾メーカー製フレームの性能がますます高まっていくと選手からも声が上がり、最終的にはこれら台湾メーカーをターゲットにした不公平なレギュレーションは撤廃されました。それと同時に、ヨーロッパメーカーのフレームは性能的にお話にならなくなって衰退していくこととなりました。
こうした過程もあって、生産原価もさることながら単純に生産技術の差で台湾メーカーが自転車フレーム市場を独占するようになりました。台湾メーカーと言っても生産地は中国本土(大陸)にある工場がメインですが、何気に私が以前住んでいた江蘇省昆山市にも工場があって(すぐ近くにはシマノの工場もある)、地元ということもあってかGIANTの販売・サービス店は非常に多く、所属していたサイクリング部もほぼ全員がGIANT一色のワンオフチームでした。
このGIANTですが先ほども述べた通りに元々はOEMメーカーで、現在ももちろんOEMをやっているというか、世界の自転車ブランドのほぼすべてを代理製造していると言われます。実際に店員から確認した限りでは米国の割と高級ブランドなスペシャライズドのフレームはほぼ全部GIANTが供給しているそうで、「向こうで買うくらいなら、性能は同じでもうちのが安いよ」とはっきり言ってました。
スペシャライズドに限らず他の有名ブランドもフレームはGIANTまたはMERIDAが実際に生産、供給していると言われます。フレーム以外の他のパーツにこだわりがある、と言ってもブレーキ+ギアはシマノがほぼシェア100%でどのブランドも一緒ですが、フレーム以外を重視して選ぶというのなら他のブランドの自転車を選ぶのもまだわかりますが、実質的に自転車の性能はフレームでほぼ決まり、そのフレームで言えばGIANTかMERIDAしかほとんど作っていないことを考えるとどこのブランドが優れているかとかは実際そんなないんじゃないかと思います。それならば大本のGIANTで買ってしまった方が商流で経由する企業数から言っても一番コストパフォーマンスがいいように思え、私もそうした視点とメンテナンスの観点からGIANT製のDEFYってモデルに今乗っています。
このような考えもあって、日本でGIANTブランドのロードバイクをそれほど見ないということにいつも不思議に思っています。もっともこれはGIANTがあまり日本で販売に力を入れていない、例えば中国では入門モデルとしてポピュラーなアルミフレームのOCRシリーズは日本では一切販売されておらず、並行輸入品か中古品しか出回っていません。
私も以前にこのOCRの確か2600に乗っていましたが、悪くない自転車でした。でも日本では売っていないということで、やはり販売やマーケティングで他の国ほどGIANTが力を入れていないのが、日本全体でGIANTブランドが少ない理由かもしれません。
なお私が今乗っているDEFYは4400元(約7万5千円)で三年前に購入しましたが、この前GIANTのお店行ったら何度かモデルチェンジが重ねられたせいか2500元(4万3千円)くらいで売っててちょっとしょんぼりしました。あとタイヤのチューブによって、やけに空気の抜け方に違いがあるのが気になり、この前パンクさせるまでは全然空気減らなかったのに最近は激しく減るため空気入れの手間が増えてちょっと嫌です。
2018年7月26日木曜日
あの社長は今……
・スカイマーク元社長が初めて語る経営破綻の真相
・耐震偽装のヒューザー元社長が太陽光発電に挑む理由(JBpress)
上の記事リンクはどちらもJBpressの阿部崇副編集長のインタビュー記事です。どちらも、「おおっ、いたなそんな人!」と思うチョイスな元社長で、何故破綻に至ったのか、あの当時に何があったのかについて赤裸々に語ってくれています。
特にスカイマークの記事に関しては急伸から一気に破綻へと至った過程がつぶさに書かれており、自分の中で今年読んだ経済記事の中でも間違いなく五指に入る見事なインタビューです。後者のヒューザー元社長も、冤罪であることは私自身も把握していましたが、改めて当時のデマが錯綜した状況を思い出して感慨にふけりました。
この両記事に関しては、自分が書いている媒体だからといって贔屓にしているわけでなく文句なしに素晴らしい内容なので、興味があればぜひとも読んでもらいたいです。なおスカイマークの記事は冷凍たこ焼き大好きマンな友人に教えてあげたところ、「この西久保元社長について今までノーマークだった。教えてくれてありがとう!」とえらく興奮され、その後返礼とばかりにネット上に点在する西久保元社長関連記事が友人から大量に送られてきました。スチュワーデスのミニスカート云々を含め。
なおこの阿部副編集長について鶴岡編集長へストレートに、「なんかすごいいいインタビュー記事出す人来たね(´・ω・`)」と振ったところ、今年から加入した新戦力だったとのことです。心なしか、YahooやMSNなどでもJBpressの記事がトップなどに取り上げられることが増えているように思え、媒体として割と勢いがついてきた気がします。
その一方というか、はっきり言えば寄稿するライターの質が明らかに上がっており、私の書いた記事が前ほど簡単にランキング上位を得られなくなってきています。っていうか去年までは記事出したら公開当日はほぼ確実に1位を取ってたのに、今じゃプラモの写真を載せて軍事解説記事を仕立てるというあり得ない暴挙とかしでかさないとトップ取れなくなりました(´;ω;`)ウッ…
ぶっちゃけさぁ、こうした立場になってみると、井の中の蛙でもいいんじゃないかとか思えてきます……。
・耐震偽装のヒューザー元社長が太陽光発電に挑む理由(JBpress)
上の記事リンクはどちらもJBpressの阿部崇副編集長のインタビュー記事です。どちらも、「おおっ、いたなそんな人!」と思うチョイスな元社長で、何故破綻に至ったのか、あの当時に何があったのかについて赤裸々に語ってくれています。
特にスカイマークの記事に関しては急伸から一気に破綻へと至った過程がつぶさに書かれており、自分の中で今年読んだ経済記事の中でも間違いなく五指に入る見事なインタビューです。後者のヒューザー元社長も、冤罪であることは私自身も把握していましたが、改めて当時のデマが錯綜した状況を思い出して感慨にふけりました。
この両記事に関しては、自分が書いている媒体だからといって贔屓にしているわけでなく文句なしに素晴らしい内容なので、興味があればぜひとも読んでもらいたいです。なおスカイマークの記事は冷凍たこ焼き大好きマンな友人に教えてあげたところ、「この西久保元社長について今までノーマークだった。教えてくれてありがとう!」とえらく興奮され、その後返礼とばかりにネット上に点在する西久保元社長関連記事が友人から大量に送られてきました。スチュワーデスのミニスカート云々を含め。
なおこの阿部副編集長について鶴岡編集長へストレートに、「なんかすごいいいインタビュー記事出す人来たね(´・ω・`)」と振ったところ、今年から加入した新戦力だったとのことです。心なしか、YahooやMSNなどでもJBpressの記事がトップなどに取り上げられることが増えているように思え、媒体として割と勢いがついてきた気がします。
その一方というか、はっきり言えば寄稿するライターの質が明らかに上がっており、私の書いた記事が前ほど簡単にランキング上位を得られなくなってきています。っていうか去年までは記事出したら公開当日はほぼ確実に1位を取ってたのに、今じゃプラモの写真を載せて軍事解説記事を仕立てるというあり得ない暴挙とかしでかさないとトップ取れなくなりました(´;ω;`)ウッ…
ぶっちゃけさぁ、こうした立場になってみると、井の中の蛙でもいいんじゃないかとか思えてきます……。
2018年7月25日水曜日
ポスト安倍に待ち受ける負の遺産
前外務大臣の岸田文雄議員はこのほど、次期総裁選には出馬しないとの方針を示しました。この発表を受けて一部メディアではあくまでも安倍総理からの禅譲(後継指名)を待つつもりとのことだが、決断が遅く怯んだ、臆したなどとやや批判の強いトーンで紹介していました。私は当初、そうはいっても出馬するかしないかは確かに悩むもんだからそこまで批判しなくてもと考えたものの、そもそも岸田議員は次期総裁選を睨んで安倍首相の懇願にもかかわらず前回の内閣改造で外務大臣の職を辞しており、あくまでも安倍総理の後継指名を目指そうというのなら何故そこで閣外を出たのかと思うようになり、改めて今回の不出馬発表は中途半端な態度だと思えてきました。
まぁ優柔不断は宏池会の得意技ですが。
ただこんなことを言っておきながらですが、ポスト安倍となる首相職はならない方が案外いいかもしれません。というのも安倍政権の負の遺産を丸抱えすることとなり、将来の歴史的評価が真黒くなる可能性があるからです。
その負の遺産とは具体的に何かというと、数え上げたら切りがないですが一番大きなものは日銀が買える大量の株式です。他のメディアでも報じられていますが年金を運用管理するGRIFと日銀を合わせれば日系企業最大の株主となり、この2つが日系上場企業4社中1社の最大株主になるという国家総動員法も真っ青な状態と既になっています。仮に日銀が緩和政策の出口戦略でこの株式を手放したらあっという間に大暴落になることが見え、かといって手放さなかったら企業統治に緩いお国なことですから、企業の不正は増えイノベーション力が低下する可能性も少なくありません。
この出口戦略ですが、本来ならもうとっくにやっていなければいけないものの日銀はやめるにやめられないものだから、さらに買い増しすると発表しており、多分最終的には2社中1社が最大株主が国という、国がほぼすべての日系企業を支配する時代が来ると思います。中国の国有企業やかつての国鉄とか見てたらわかりますが、この手の企業は基本腐ります。
次の負の遺産ですが、端的に言って経済指標です。先日も投信30兆円誤計上問題が発表されましたが、やはり世間の反応を見ていると「わざとだろ」とみなす人が多く、私も同じ考えです。景気が上向いていると主張するために統計指標を弄った、誤計上をしりながら発表してきたように思え、実態の指標はもしかしたらもっと悪いのかもしれません。
何もこの投信指標だけでなく、GDP成長率の数字もいつも私は怪しんでいます。理由としては予測値、速報値、確定値の乖離が激しいのと、「その他」という内実不明の数字割合が年々異常な包丁を続けており、はっきり言えば中国以上に操作されていると考えています。
そもそもこうした経済指標というのは単体だけでなく、他の経済指標と一緒に眺めて初めてその価値が分かります。例えば先ほどの投信も、家計貯蓄高が年々減ってきているにもかかわらず何故か個人の投信投資額は増加しており、前々から怪しむ声は出ていました。同様にGDPに関しても体感景気は盛り下がっており、そのほかの指標もパッとしないのに「戦後最長の景気拡大」などと言われていて、違和感しか覚えません。私個人の体感でも中国で日本製品を買い求める人は自動車とおむつを除くと減っているように思え、それでいて何故このような数字が出てくるのかと思わずにはいられません。
こうした負の遺産が、ポスト安倍の次期首相の時代に一気に爆発する可能性が高いです。そう考えると果たして座るべき椅子なのかと疑問に思え、泥をかぶるつもりがないのなら無理して追わない方がいいのではと今回の岸田議員の行動を見て密かに思いました。
まぁ優柔不断は宏池会の得意技ですが。
ただこんなことを言っておきながらですが、ポスト安倍となる首相職はならない方が案外いいかもしれません。というのも安倍政権の負の遺産を丸抱えすることとなり、将来の歴史的評価が真黒くなる可能性があるからです。
その負の遺産とは具体的に何かというと、数え上げたら切りがないですが一番大きなものは日銀が買える大量の株式です。他のメディアでも報じられていますが年金を運用管理するGRIFと日銀を合わせれば日系企業最大の株主となり、この2つが日系上場企業4社中1社の最大株主になるという国家総動員法も真っ青な状態と既になっています。仮に日銀が緩和政策の出口戦略でこの株式を手放したらあっという間に大暴落になることが見え、かといって手放さなかったら企業統治に緩いお国なことですから、企業の不正は増えイノベーション力が低下する可能性も少なくありません。
この出口戦略ですが、本来ならもうとっくにやっていなければいけないものの日銀はやめるにやめられないものだから、さらに買い増しすると発表しており、多分最終的には2社中1社が最大株主が国という、国がほぼすべての日系企業を支配する時代が来ると思います。中国の国有企業やかつての国鉄とか見てたらわかりますが、この手の企業は基本腐ります。
次の負の遺産ですが、端的に言って経済指標です。先日も投信30兆円誤計上問題が発表されましたが、やはり世間の反応を見ていると「わざとだろ」とみなす人が多く、私も同じ考えです。景気が上向いていると主張するために統計指標を弄った、誤計上をしりながら発表してきたように思え、実態の指標はもしかしたらもっと悪いのかもしれません。
何もこの投信指標だけでなく、GDP成長率の数字もいつも私は怪しんでいます。理由としては予測値、速報値、確定値の乖離が激しいのと、「その他」という内実不明の数字割合が年々異常な包丁を続けており、はっきり言えば中国以上に操作されていると考えています。
そもそもこうした経済指標というのは単体だけでなく、他の経済指標と一緒に眺めて初めてその価値が分かります。例えば先ほどの投信も、家計貯蓄高が年々減ってきているにもかかわらず何故か個人の投信投資額は増加しており、前々から怪しむ声は出ていました。同様にGDPに関しても体感景気は盛り下がっており、そのほかの指標もパッとしないのに「戦後最長の景気拡大」などと言われていて、違和感しか覚えません。私個人の体感でも中国で日本製品を買い求める人は自動車とおむつを除くと減っているように思え、それでいて何故このような数字が出てくるのかと思わずにはいられません。
こうした負の遺産が、ポスト安倍の次期首相の時代に一気に爆発する可能性が高いです。そう考えると果たして座るべき椅子なのかと疑問に思え、泥をかぶるつもりがないのなら無理して追わない方がいいのではと今回の岸田議員の行動を見て密かに思いました。
2018年7月24日火曜日
何故中国に居続けるのか
初対面の人に会うとほぼ確実に、「中国にどれくらいいるんですか?」と聞かれたりします。このブログをしつこく追っていけばわかりますが私の場合だと2010年末(実質2011年頭)から中国で働くようになり、2013年に1年ほど日本に帰ったものの、翌2014年には再び中国入りしてからはずっとこっちなので、単純に働いている期間で言えば6年くらいとなります。さらに北京の留学時代を加えるともう1年プラスとなるので、合計すると7年でそろそろ10年選手とかも見えてきました。
正直に言えばこれほど長くいることになるとは当初考えておらず、それこそ最初は2~3年くらい修行のつもりでしたが、今現在だと日本に帰国することは全く予定に入っていません。何気にこの点も、「いつ日本に帰るの?」とよく聞かれて、聞かれるたびに( ・´ー・`)って気分になります。
何故日本に帰らずに中国へ居続けようとするのかですが、定期的にこのブログでも書いていますが単純に日本だと仕事がないからです。
私より実力のあるライターは私自身もはっきりと認識するほど確かに存在しますが、はっきり言えば世の中の大概のライターは私より実力はなく、多分一記事辺りのアクセス数とかでも私に勝てる者となるとかなり限られてくるでしょう。単純に中国語、英語の原文読んで資料集めて記事書けるだけでもレアですが、それ以上に経済からコラム、歴史にスポーツと書けるジャンルの広さで自分に勝てるライターも少なくとも私は見たことがありません。でも多分、日本帰ったら私に仕事くれるメディアはないんだろうなって思います。
何もライター業に限らずとも通常の貿易事務とか営業、検査、リサーチ等も一通りこなせますが、これまでの転職が多くて異色過ぎる経歴と、見た目の大人しさから採用する日系企業は多分ないでしょう。また仮に採用されたとしても、パフォーマンスよりも社歴の長さが何よりも評価で重視される日系企業の中では自分の力はきっと発揮できないという確信があります。そうした要素を考えると、単純に生活面、パフォーマンスの発揮と向上面において中国で暮らしていく方が自分にはメリットが多いです。
なおここだけの話ですが、今いる会社の在職期間が今月になって2年6ヶ月をついに突破し、自分の中で過去最高記録に到達しました。逆を言えばこれまで1つの会社に2年半以上いたことはなく、ほぼ2年ごとに仕事と人間関係をリセットし続けるというハードな人生を歩んできてました。
こうした切実な理由もさることながら、自分が中国にいる理由としては別の理由によることの方が大きいです。具体的には中国の方が社会が変化に富んでおり、自分的には退屈しないということです。逆に日本は、これまたはっきり言えば社会が年々落ちていっているようにしか見えず、世論を見ていてもどんどん余裕を失っている上、政治議論も10年前と比較してなんでと思うくらいつまらない内容が増えてきました。そういった社会の居心地というものでも中国、まぁこれは上海だから言えるのだと思いますが、生活している分の楽しさがあります。
仮に日本で暮らすとしたら、それこそ世間と隔絶した環境を本気で望みます。無駄に世の中に関わろうとしても労多くして得るものはなく、人間も多分自分の眼鏡にかなうような面白い人は上海にいる人と比べればいないだろうし、今ある人間関係の枠の中にいる方がずっと有意義に時間を使えると信じています。
凄い上から目線の発言だと感じるでしょうが、やはりこのところ日本にいる人の話や議論を聞いていると、「なんでそんなことを気にするのだろうか」と本気で思うような、議論しても悩んでも意味のない話題ばかりが飛び出してくるケースが非常に増えてきています。敢えて例を出すなら、行動すれば済む話を行動せずに済ませられないかと悩んでいる人が多く、養老孟司風にいえば、体の世界がなく頭の世界の中だけで完結し切っているような印象を覚えます。単純に、口ばかり動かす人が増え、黙って手だけを動かす人が減っているのかもしれません。
あとこれはかなり特殊な意見だと思いますが、中国の生活が年々快適になってきているのもい続ける理由に大きく貢献しています。それこそ10年前の中国だとネットも遅くて規制されているわ、施設やサービスの質も悪いわで生活における不便がひどくあったものの、経済成長とともにこうした生活上の不便はどんどんとなくなっていき、最近だとスマホ決済など日本にすらないサービスも普及して、非常に快適になってきています。最悪からのスタートだったということもあってプラスに感じてしまうわけなのですが、逆を言えば昔は生活面の不便から日本の生活がいいなと思うことも多かったものの、今はあらゆるサービスの発達によってそう思うことが中国においてすら減ってきています。
具体的には漫画の電子書籍配信、ゲームのネット購入、VPNサービスによるネット規制迂回、便数増加による日本帰国費用の値下がり、スマホによるあらゆる中国国内サービス予約・決済・リサーチ等々。あとこれは私だけですが、あんま日本だと店舗数が多くないGIANTの店舗が中国には多く、パンク時などの自転車メンテナンスが中国の方が充実してます。っていうかなんで日本人はGIANTブランドの自転車にあまり乗らないのか内心不思議です。
正直に言えばこれほど長くいることになるとは当初考えておらず、それこそ最初は2~3年くらい修行のつもりでしたが、今現在だと日本に帰国することは全く予定に入っていません。何気にこの点も、「いつ日本に帰るの?」とよく聞かれて、聞かれるたびに( ・´ー・`)って気分になります。
何故日本に帰らずに中国へ居続けようとするのかですが、定期的にこのブログでも書いていますが単純に日本だと仕事がないからです。
私より実力のあるライターは私自身もはっきりと認識するほど確かに存在しますが、はっきり言えば世の中の大概のライターは私より実力はなく、多分一記事辺りのアクセス数とかでも私に勝てる者となるとかなり限られてくるでしょう。単純に中国語、英語の原文読んで資料集めて記事書けるだけでもレアですが、それ以上に経済からコラム、歴史にスポーツと書けるジャンルの広さで自分に勝てるライターも少なくとも私は見たことがありません。でも多分、日本帰ったら私に仕事くれるメディアはないんだろうなって思います。
何もライター業に限らずとも通常の貿易事務とか営業、検査、リサーチ等も一通りこなせますが、これまでの転職が多くて異色過ぎる経歴と、見た目の大人しさから採用する日系企業は多分ないでしょう。また仮に採用されたとしても、パフォーマンスよりも社歴の長さが何よりも評価で重視される日系企業の中では自分の力はきっと発揮できないという確信があります。そうした要素を考えると、単純に生活面、パフォーマンスの発揮と向上面において中国で暮らしていく方が自分にはメリットが多いです。
なおここだけの話ですが、今いる会社の在職期間が今月になって2年6ヶ月をついに突破し、自分の中で過去最高記録に到達しました。逆を言えばこれまで1つの会社に2年半以上いたことはなく、ほぼ2年ごとに仕事と人間関係をリセットし続けるというハードな人生を歩んできてました。
こうした切実な理由もさることながら、自分が中国にいる理由としては別の理由によることの方が大きいです。具体的には中国の方が社会が変化に富んでおり、自分的には退屈しないということです。逆に日本は、これまたはっきり言えば社会が年々落ちていっているようにしか見えず、世論を見ていてもどんどん余裕を失っている上、政治議論も10年前と比較してなんでと思うくらいつまらない内容が増えてきました。そういった社会の居心地というものでも中国、まぁこれは上海だから言えるのだと思いますが、生活している分の楽しさがあります。
仮に日本で暮らすとしたら、それこそ世間と隔絶した環境を本気で望みます。無駄に世の中に関わろうとしても労多くして得るものはなく、人間も多分自分の眼鏡にかなうような面白い人は上海にいる人と比べればいないだろうし、今ある人間関係の枠の中にいる方がずっと有意義に時間を使えると信じています。
凄い上から目線の発言だと感じるでしょうが、やはりこのところ日本にいる人の話や議論を聞いていると、「なんでそんなことを気にするのだろうか」と本気で思うような、議論しても悩んでも意味のない話題ばかりが飛び出してくるケースが非常に増えてきています。敢えて例を出すなら、行動すれば済む話を行動せずに済ませられないかと悩んでいる人が多く、養老孟司風にいえば、体の世界がなく頭の世界の中だけで完結し切っているような印象を覚えます。単純に、口ばかり動かす人が増え、黙って手だけを動かす人が減っているのかもしれません。
あとこれはかなり特殊な意見だと思いますが、中国の生活が年々快適になってきているのもい続ける理由に大きく貢献しています。それこそ10年前の中国だとネットも遅くて規制されているわ、施設やサービスの質も悪いわで生活における不便がひどくあったものの、経済成長とともにこうした生活上の不便はどんどんとなくなっていき、最近だとスマホ決済など日本にすらないサービスも普及して、非常に快適になってきています。最悪からのスタートだったということもあってプラスに感じてしまうわけなのですが、逆を言えば昔は生活面の不便から日本の生活がいいなと思うことも多かったものの、今はあらゆるサービスの発達によってそう思うことが中国においてすら減ってきています。
具体的には漫画の電子書籍配信、ゲームのネット購入、VPNサービスによるネット規制迂回、便数増加による日本帰国費用の値下がり、スマホによるあらゆる中国国内サービス予約・決済・リサーチ等々。あとこれは私だけですが、あんま日本だと店舗数が多くないGIANTの店舗が中国には多く、パンク時などの自転車メンテナンスが中国の方が充実してます。っていうかなんで日本人はGIANTブランドの自転車にあまり乗らないのか内心不思議です。
2018年7月23日月曜日
投資信託の誤計上問題について
・<投資信託>家計保有額、30兆円以上も誤計上 日銀がミス(毎日新聞)
今日はブログ書く気なかったんですが上のニュースを見て激しく戦慄しました。内容はリンク先読んでもらえばそれまでですが説明すると、個人(家計)が投資信託に拠出している資金額に関する日銀の統計で、30兆円も誤計上があったとのことです。これがどういう意味かというと、投資信託を含む投資が活発、それも企業や団体ではなく個人でバンバン投資されているということは景気が上向いている兆候とされ、経済指標的にはプラスであることを示します。
これまでこの個人の投資信託への拠出割合は上昇傾向にあると発表されてきましたが、実態はさにあらず、30兆円分が個人ではなく企業や団体拠出であったことが今回の調査で分かったとのことで、もうなんか自分でも書いててよくわかんなくなるくらいショックですが、端的に言えば個人投資は全然増えておらず、結果はむしろこれまでの発表と真逆だったということです。
コメントとかにも書かれていますが30億円ならともかく30兆円もの計算ミス、それも数年間にわたり行われてきたなんて、それ自体があり得ず日本の統計事態に疑問を覚えます。明日のマーケットがどうなるかわかりませんが、影響なしとは思えず、また日銀はこの件についてどう責任を取るのか問われるでしょう。
今日はブログ書く気なかったんですが上のニュースを見て激しく戦慄しました。内容はリンク先読んでもらえばそれまでですが説明すると、個人(家計)が投資信託に拠出している資金額に関する日銀の統計で、30兆円も誤計上があったとのことです。これがどういう意味かというと、投資信託を含む投資が活発、それも企業や団体ではなく個人でバンバン投資されているということは景気が上向いている兆候とされ、経済指標的にはプラスであることを示します。
これまでこの個人の投資信託への拠出割合は上昇傾向にあると発表されてきましたが、実態はさにあらず、30兆円分が個人ではなく企業や団体拠出であったことが今回の調査で分かったとのことで、もうなんか自分でも書いててよくわかんなくなるくらいショックですが、端的に言えば個人投資は全然増えておらず、結果はむしろこれまでの発表と真逆だったということです。
コメントとかにも書かれていますが30億円ならともかく30兆円もの計算ミス、それも数年間にわたり行われてきたなんて、それ自体があり得ず日本の統計事態に疑問を覚えます。明日のマーケットがどうなるかわかりませんが、影響なしとは思えず、また日銀はこの件についてどう責任を取るのか問われるでしょう。
2018年7月22日日曜日
嵐の中で
上の写真は再来週配信予定の記事のために撮影してきた写真のうち一枚ですが、これを撮影したのは本日です。そして本日、上海は台風が来て大雨でした。なんでこんな日にわざわざ取材に来たのかというと、めっちゃワクワクしたからです。
今回この場所を撮影したのは昨日記事を執筆している最中にこの橋が、建て直されているとはいえ現在も同じ地名で存在するということを知ったからです。早速近くに住んでいた友人にも確認したところ知ってると返信がありそれなら行くかと決めたところ、「明日は台風来るから来週にしなよ(;´・ω・)」と友人が止めてくれました。
確かに来週でも間に合わないというわけではなく、なんでわざわざ台風の日に撮影しに行かなきゃならないんだと思って私もやめよと思って布団に入ったのですが、今朝目を覚ましたところ風は強いものの雨は降っておらず、「よし行くか」と考えを改め出発しました。なお家を出て数分後に雨は降りだしてきました。
行先は割と遠いので最初は地下鉄と思っていたものの、地下鉄駅からやや歩くのと、バスでも1回乗り換えだけで近くへ行けるとわかったので優雅にバスを選びました。バスに乗ってる最中も外は大雨でした。
バスに揺られて約1時間で目的地に着きましたが、そこからこの橋に来るまで大雨に降られてずぶ濡れになりましたが、何故だか満足感でいっぱいでした。写真を撮り終えたところ先ほどの友人から、「もうすぐ台風上陸だから気を付けなよ(;´・ω・)」という連絡が来たので返信代わりにこの写真を送り付けたところ、「マジで行ったのかよ(; ・`д・´)」という期待通りの返信が返ってきました。
もし本当に半端ないくらいの大雨と大風だったらさすがにやめてましたが、やはりたまに自分の身をリスクにさらすというのは生きているという実感が凄くもて、端的に言えばめちゃ楽しいです。なおこの後は近くのショッピングモールで寿司喰って、今度は地下鉄乗って帰ってきました。家にこもってゲームと執筆ばかりなので、なんか今はお疲れモードです( ˘ω˘)スヤァ
2018年7月21日土曜日
好転する対日感情
あまり日本人は気にしてないと思いますが、今中国の対日感情はかつてないくらいに好転しています。歴史的な統計で言えば天安門事件前後が最も対日感情がプラス方面に高く、その後90年代に行われた反日教育によって悪化していき、00年代後半から再び上昇していくような経過をたどっていますが、ある意味で2000年以降としては今が最も対日感情がいい状態ではないかと分析しています。
一体何故対日感情がよくなっているのかというと理由は大きく分けて二つあります。
一つ目は、今貿易戦争真っただ中の米国への対抗です。中国としてもこの貿易問題で日本を引き込む価値は高く、というより米国との関係を重視する日本を巻き込むのは物凄い得策で、だからこそ今年に李克強総理を北海道に派遣するなどして関係を重視する姿勢を示しました。日本としては無碍に相手する理由もなく、また米国を怒らせない範囲であれば中国と仲良くする方が米国へのけん制としても価値を持つだけに、割と利害は一致していると私は考えています。
二つ目は、単純に中国が豊かになってきたからです。米国が嫌われる理由は単純に、米国が最も金持ちだからという意見がありますが、同様に豊かな国というのはただそれだけで豊かでない国から恨まれる運命にあります。中国も反日教育とか歴史問題とか言われていましたが、そうした要素は実際は二割程度で、残り八割くらいが富への嫉妬が反日感情の原動力だったと思います。
それがここにきて中国が経済成長して大分豊かになり、富裕層に至っては日本以上の生活を満喫した上、市民層でもスマホ決済をはじめ日本よりもサービスの進んだ分野が出るなど、「何でもかんでも日本人に劣ってるわけじゃなくなったよね(´・ω・`)」という具合で、日本へのどろどろした気持ちがなんかさらさらした気持ちに変わってきている気がします。金持ち喧嘩せずって奴です。
決して誇張ではなく、この要素が非常に大きいと思います。何故そう思うのかというと、これと真逆の現象がなんか以前よりもはっきりと色濃く見えるからです。特に今週水曜にもJBpressで記事書きましたが、こいつら本当に中国の製造業の現況について全く見分がないのだなと思うコメントが多くてびっくりしました。嘲るコメントを書いているつもりでしょうが、あまりにも場違いな意見でただただ私としては困惑する内容でした。
こうした変化について気付いている人間は、多分現状ではほとんどいないのではないかと思います。だからこそこうして書いているわけですが、やっぱこういうのは現場にいる人間が一番強いなと再自覚するとともに、日本で中国の分析書いている人よりはやっぱり自分は有利だと感じます。
一体何故対日感情がよくなっているのかというと理由は大きく分けて二つあります。
一つ目は、今貿易戦争真っただ中の米国への対抗です。中国としてもこの貿易問題で日本を引き込む価値は高く、というより米国との関係を重視する日本を巻き込むのは物凄い得策で、だからこそ今年に李克強総理を北海道に派遣するなどして関係を重視する姿勢を示しました。日本としては無碍に相手する理由もなく、また米国を怒らせない範囲であれば中国と仲良くする方が米国へのけん制としても価値を持つだけに、割と利害は一致していると私は考えています。
二つ目は、単純に中国が豊かになってきたからです。米国が嫌われる理由は単純に、米国が最も金持ちだからという意見がありますが、同様に豊かな国というのはただそれだけで豊かでない国から恨まれる運命にあります。中国も反日教育とか歴史問題とか言われていましたが、そうした要素は実際は二割程度で、残り八割くらいが富への嫉妬が反日感情の原動力だったと思います。
それがここにきて中国が経済成長して大分豊かになり、富裕層に至っては日本以上の生活を満喫した上、市民層でもスマホ決済をはじめ日本よりもサービスの進んだ分野が出るなど、「何でもかんでも日本人に劣ってるわけじゃなくなったよね(´・ω・`)」という具合で、日本へのどろどろした気持ちがなんかさらさらした気持ちに変わってきている気がします。金持ち喧嘩せずって奴です。
決して誇張ではなく、この要素が非常に大きいと思います。何故そう思うのかというと、これと真逆の現象がなんか以前よりもはっきりと色濃く見えるからです。特に今週水曜にもJBpressで記事書きましたが、こいつら本当に中国の製造業の現況について全く見分がないのだなと思うコメントが多くてびっくりしました。嘲るコメントを書いているつもりでしょうが、あまりにも場違いな意見でただただ私としては困惑する内容でした。
こうした変化について気付いている人間は、多分現状ではほとんどいないのではないかと思います。だからこそこうして書いているわけですが、やっぱこういうのは現場にいる人間が一番強いなと再自覚するとともに、日本で中国の分析書いている人よりはやっぱり自分は有利だと感じます。
2018年7月18日水曜日
庇った人間は庇われる人間に恨まれる?
昨日の記事で私はいじめられっ子が長じていじめっ子に逆転する現象があることについて私見を交えて紹介しました。そしてその中で仮説として、いじめから庇った人間が何故か庇われた人間に逆にいじめられることもあるのではという説を展開しました。
いじめドラマの金字塔こと「人間失格」ではまさにこの逆転現象が描かれており、転校したての主人公がいじめられっ子を庇ったところ、なぜかその後元いじめられっ子が主人公をいじめ自殺にまで追い込んでしまいます。これはドラマだけの世界ということも出来ないこともありますが、実際に私もこれに近い光景を見たこともあれば、いじめにまでは発展することこそなかったものの、かつて私もトラブルから庇ってあげた人間から妙な逆恨みを受けたことは何度かあります。
そうした経験を踏まえて言うと、体感的にこうした逆転現象は実際に、それも結構な頻度であるのではないかと考えています。さらに極端に述べると、さすがに命の危機を救ってもらったとかなら感謝されっぱになるものの、いじめを含む軽・中度のトラブルから庇った場合、庇った人は庇われた相手から感謝されるよりも恨まれるケースの方が多いのではないかとすら内心考えています。
そもそも一体何故、こういうことが起きるのか。仮説の域を出ませんがいくつか理由を挙げると下記の通りとなります。
1、自らが保護対象になるのがプライド的に許せない
庇われるという行為は、基本的に強者から弱者への単一方向でしか起こることはありません(FFの「かばう」は除く)。逆を言えば「庇われる」というのは当人からしたら自分が弱者であることを強く認識せざるを得ず、実際にそうした意識へのプライド的反抗から他人に庇われるのを良しとしない人は珍しくもないでしょう。
そのため過去に庇われた経験のある人間からしたら、かつて庇ってくれた人間に劣等感を感じやすく、乗り越えるというわけじゃないですが逆に支配下に置いてそのプライドを奪還したくなるのではないかと考えています。現実にみた先ほどの逆転現象でもやはりこのような動機で、かつて世話になった相手に対して裏切りとも取れるような反抗を見せる人がおり、それもやらなくてもいいことを敢えて実行して自分が上の立場だということを強調するような行動が多かったです。いじめられっ子がいじめっ子になるというメカニズムも、やはりこうしたプロセスを辿っているのではと推測しています。
この説はそれほど珍しくもなく、多分私以外の多くの人も提唱しているのではないかと思います。今回記事を書くきっかけとなった本丸はむしろこの次です。
2、自らの不利な立場を強く認識させられるから
私の持説ですが、人間は苦しい現実ほど目をそむけたくなります。なのでいじめにおいても「からかわれているだけだ」とか、「これはいじめじゃない」と信じ込んで我慢することでよりエスカレートするという例が見受けられます。こうした現実逃避の延長上に当たるのがこの説で、いじめられっ子がいじめられるのを庇う人間が出た時に、いじめられっ子はどう感じるのかと考えた際、「自分がいじめられている現状を強く認識させられるのでは」と私には思えてきました。
いじめに限らなくても、トラブルから庇ってくれる人間が現れた際に庇われる人間は否応なしに自分がトラブルを抱えていることを認識せざるを得なくなります。
具体例を出すと、社内での評価が悪く周囲から白い目で見られる社員に対し、奮起を促そうと励ましたり、業務をサポートしたり庇ってくれる同僚が現れたとします。社員としては現実逃避して目をつむっていればそうした周囲の評価は無視できるのに、庇ってくれる同僚が現れてしまうとどうしても自分が「劣っている」、「評価が芳しくない」という現実を否が応でも認識させられてしまいます。そんな社員からしたら庇ってくれる同僚はどんな風に見えるのか、結果から言うと逆恨みするようになったというのが私が実際見たケースです。
何もいじめられっ子からいじめっ子へのクラスチェンジこと逆転までも起こらなくても、庇った人間が庇われる人間に逆に恨まれるというのはこのような形で往々にあるのではないかと思います。素直に庇ってくれたことに対して恩に感じてくれればいいのですが、私が見たケースでは圧倒的に逆恨みするケースが多く、何故か庇ってくれている人に対して庇われる人が陰口をやたらと口にするのを不思議に思いながら見てきました。
まぁただ単に変な人間関係の中にいたことが多かっただけかもしれませんが。
最後に、敢えてこの現象を名付けるのなら「鉄雄シンドローム」を私は推します。「鉄雄」というのは知ってる人には早いですが日本漫画史上に残る傑作「AKIRA」に出てくる準主人公の名前で、当初でこそ気が弱く周りにも弄られるだけのキャラだったもののの、作中で超能力に目覚めて以降は凶暴な性格へと変わり、かつて彼を公私に渡り庇ってきた主人公の金田に対して激しい憎悪を抱くようになります。
鉄雄と金田の関係をみるならば鉄雄は金田に感謝こそすれども恨む覚えなぞないはずなのに、作品中盤からは金田のバイクを異常に執着したり、全力で襲い掛かったりとこれ以上ないくらいの憎悪を向け、その背景には金田への劣等感があることが作中でもはっきり示唆されています。今回の記事ネタを考えた際に即、「これは『鉄雄シンドローム』だな」と浮かんできました。
この鉄雄の行動について、多分読者(映画版なら視聴者)はそれほど奇妙に感じなかったのではないかと思います。理由としては前述の通り、こうした光景は往々にしてありうるという前提があるからだと考えます。それだけに、庇うという行為は庇った相手に逆恨みされるという危険性は潜んでいると思え、敢えて言えば、嫌われる覚悟がなければ下手に庇わない方がいいのかもしれません。いじめを見て見ぬふりすることについても、自分が新たないじめのターゲットになるということはもとより、こうした逆恨み要因ももしかしたあるのかもしれません。
おまけ
鉄雄「金田ぁ~~!」
金田「さんをつけろよデコ助野郎っ!」
とくれば「AKIRA」に出てくる有名なシーンですが、自分もこのシーンは日本アニメ史上においても屈指の名シーンだと考えています。なお「デコ助野郎」というのはこの漫画のタイトルの由来元となった黒澤明監督の現場で若手を呼ぶ際の呼称だったそうです。
いじめドラマの金字塔こと「人間失格」ではまさにこの逆転現象が描かれており、転校したての主人公がいじめられっ子を庇ったところ、なぜかその後元いじめられっ子が主人公をいじめ自殺にまで追い込んでしまいます。これはドラマだけの世界ということも出来ないこともありますが、実際に私もこれに近い光景を見たこともあれば、いじめにまでは発展することこそなかったものの、かつて私もトラブルから庇ってあげた人間から妙な逆恨みを受けたことは何度かあります。
そうした経験を踏まえて言うと、体感的にこうした逆転現象は実際に、それも結構な頻度であるのではないかと考えています。さらに極端に述べると、さすがに命の危機を救ってもらったとかなら感謝されっぱになるものの、いじめを含む軽・中度のトラブルから庇った場合、庇った人は庇われた相手から感謝されるよりも恨まれるケースの方が多いのではないかとすら内心考えています。
そもそも一体何故、こういうことが起きるのか。仮説の域を出ませんがいくつか理由を挙げると下記の通りとなります。
1、自らが保護対象になるのがプライド的に許せない
庇われるという行為は、基本的に強者から弱者への単一方向でしか起こることはありません(FFの「かばう」は除く)。逆を言えば「庇われる」というのは当人からしたら自分が弱者であることを強く認識せざるを得ず、実際にそうした意識へのプライド的反抗から他人に庇われるのを良しとしない人は珍しくもないでしょう。
そのため過去に庇われた経験のある人間からしたら、かつて庇ってくれた人間に劣等感を感じやすく、乗り越えるというわけじゃないですが逆に支配下に置いてそのプライドを奪還したくなるのではないかと考えています。現実にみた先ほどの逆転現象でもやはりこのような動機で、かつて世話になった相手に対して裏切りとも取れるような反抗を見せる人がおり、それもやらなくてもいいことを敢えて実行して自分が上の立場だということを強調するような行動が多かったです。いじめられっ子がいじめっ子になるというメカニズムも、やはりこうしたプロセスを辿っているのではと推測しています。
この説はそれほど珍しくもなく、多分私以外の多くの人も提唱しているのではないかと思います。今回記事を書くきっかけとなった本丸はむしろこの次です。
2、自らの不利な立場を強く認識させられるから
私の持説ですが、人間は苦しい現実ほど目をそむけたくなります。なのでいじめにおいても「からかわれているだけだ」とか、「これはいじめじゃない」と信じ込んで我慢することでよりエスカレートするという例が見受けられます。こうした現実逃避の延長上に当たるのがこの説で、いじめられっ子がいじめられるのを庇う人間が出た時に、いじめられっ子はどう感じるのかと考えた際、「自分がいじめられている現状を強く認識させられるのでは」と私には思えてきました。
いじめに限らなくても、トラブルから庇ってくれる人間が現れた際に庇われる人間は否応なしに自分がトラブルを抱えていることを認識せざるを得なくなります。
具体例を出すと、社内での評価が悪く周囲から白い目で見られる社員に対し、奮起を促そうと励ましたり、業務をサポートしたり庇ってくれる同僚が現れたとします。社員としては現実逃避して目をつむっていればそうした周囲の評価は無視できるのに、庇ってくれる同僚が現れてしまうとどうしても自分が「劣っている」、「評価が芳しくない」という現実を否が応でも認識させられてしまいます。そんな社員からしたら庇ってくれる同僚はどんな風に見えるのか、結果から言うと逆恨みするようになったというのが私が実際見たケースです。
何もいじめられっ子からいじめっ子へのクラスチェンジこと逆転までも起こらなくても、庇った人間が庇われる人間に逆に恨まれるというのはこのような形で往々にあるのではないかと思います。素直に庇ってくれたことに対して恩に感じてくれればいいのですが、私が見たケースでは圧倒的に逆恨みするケースが多く、何故か庇ってくれている人に対して庇われる人が陰口をやたらと口にするのを不思議に思いながら見てきました。
まぁただ単に変な人間関係の中にいたことが多かっただけかもしれませんが。
最後に、敢えてこの現象を名付けるのなら「鉄雄シンドローム」を私は推します。「鉄雄」というのは知ってる人には早いですが日本漫画史上に残る傑作「AKIRA」に出てくる準主人公の名前で、当初でこそ気が弱く周りにも弄られるだけのキャラだったもののの、作中で超能力に目覚めて以降は凶暴な性格へと変わり、かつて彼を公私に渡り庇ってきた主人公の金田に対して激しい憎悪を抱くようになります。
鉄雄と金田の関係をみるならば鉄雄は金田に感謝こそすれども恨む覚えなぞないはずなのに、作品中盤からは金田のバイクを異常に執着したり、全力で襲い掛かったりとこれ以上ないくらいの憎悪を向け、その背景には金田への劣等感があることが作中でもはっきり示唆されています。今回の記事ネタを考えた際に即、「これは『鉄雄シンドローム』だな」と浮かんできました。
この鉄雄の行動について、多分読者(映画版なら視聴者)はそれほど奇妙に感じなかったのではないかと思います。理由としては前述の通り、こうした光景は往々にしてありうるという前提があるからだと考えます。それだけに、庇うという行為は庇った相手に逆恨みされるという危険性は潜んでいると思え、敢えて言えば、嫌われる覚悟がなければ下手に庇わない方がいいのかもしれません。いじめを見て見ぬふりすることについても、自分が新たないじめのターゲットになるということはもとより、こうした逆恨み要因ももしかしたあるのかもしれません。
おまけ
鉄雄「金田ぁ~~!」
金田「さんをつけろよデコ助野郎っ!」
とくれば「AKIRA」に出てくる有名なシーンですが、自分もこのシーンは日本アニメ史上においても屈指の名シーンだと考えています。なお「デコ助野郎」というのはこの漫画のタイトルの由来元となった黒澤明監督の現場で若手を呼ぶ際の呼称だったそうです。
2018年7月17日火曜日
いじめられっ子は何故いじめっ子に変わるのか?
毎度毎度書いていますが日本はいじめ自殺が起きるたびに「いじめは大変だ、よくない、なくさなきゃ」と言いつつ、いじめそのもののメカニズムや統計についてはあまり言及されずフェードアウトし、しばらくたってまた自殺が起きると話題にするというのを繰り返している現状があります。特に統計に関してはひどいもので、どの都道府県が多いのかとか、男女比、学年、クラス規模、偏差値等、一部は統計が取られているもののテレビやネットでの議論に活用されることはなく、今後もこうした無駄なサイクルが繰り返されると予想します。
そのいじめのメカニズムですが、地味に無視できないというか検討する価値のある要素として、いじめられていた側がいじめる側に変わるという現象があります。この現象についてネットで検索すると出るわ出るわで、発言小町に至っては、真実かどうかは検証しかねますがかつていじめられっ子だった息子が他の子をいじめるようになりどうすればいいのかと、非常に真剣な相談が書かれてあってなかなか読ませられました。
現実にというかこの現象、私も実際に何度も目の当たりにしており、また報道によると2015年の川崎市中1男子生徒殺害事件の主犯格だった少年もかつてはいじめられっ子だったものの、長じて自分より年下の子をいじめるようになったと言われています。このほかの未成年による目立った刑事事件でも、「元いじめられっ子」というキーワードをよく見ます。
具体的な統計がない(多分調べようともしてないだろうし)ので発生割合は測りかねますが、必ずしもいじめられた子がいじめっ子に変わるというわけでないものの、少なくともこうした逆転現象が世の中で起きていることはほぼ確実だと私は体感的に考えています。たとえは変ですがマルクス主義者が市場原理主義者に、ビアンカ派がフローラ派に変わってしまうのはそうそうないと思うのに、いじめを軸にしたこの逆転現象は何故かよく起こるのはやはり不思議でしょう。
っていうか自分で書いててたとえが意味わかんない。
何故こうした逆転現象が起きるかについてネットで見たあるブログでは、「いじめられていた子はいじめる子に憧れを持つ、いじめる側の立場になることを望むようになる」というような分析をしていました。私は以前にこのブログで、「虐待されていた子は虐待する親を憎みながらも、長じて虐待する親になりやすい」という絶対的な統計結果を紹介した上で、先ほどの分析のように「憎みながらも暴力を行使する親に憧れを持つようになる」という心理傾向があるという研究の話を書きましたが、メカニズムではやはりこれと共通すると思え、先の分析を支持します。
やはり暴力というのは晒されるのはただただ苦痛なものの、受けた人間からすればその威力もわかるわけで、行使したくなるのかもしれません。もちろんまともな子は自分が受けた苦痛を他人には与えないように心がけるでしょうが、まともじゃない価値観の子だと「自分だって苦しんだんだから他の人間も苦しむべきだ」という方向に考えが行ってしまうのでしょう。
ある意味でこうしたメカニズムがはっきり出るのは軍隊や部活動のしごきでしょう。「やられたんだからやり返してもいい」を金科玉条に、何故かしごきを行ってきた相手本人ではなく無関係の下級生に暴力を行うという負の連鎖が起きるわけで、やはりこの背景には上級生に対する憧れめいたものが見え隠れします。
ようやく最近になって時代が私に追いついてきたのか、「ブラック部活動」という言葉とともにこうしたしごきや先輩や顧問からの理不尽な要求を社会が排除するようになってきています。防衛大でもこの前このような報道があっただけに、いい方向に変わっていると私自身は考えています。
しかしこの、いじめられっ子がいじめっ子に変わるメカニズムについて、やはりもっと深く突っ込んで対策などを議論してほしいのが本音です。昔のドラマの「人間失格」なんかまさにこの逆転現象を描いていて今思うとあの時に議論するべきだったなとも思えてきますが、この現象に対して対策を打つことでそれなりないじめ対策になるのではと密かに思います。
と、以上を踏まえて敢えて私がこの議論で踏み込むとすると、地味に前から不思議だと思うのがこうした逆転現象で、何故かいじめから庇ってくれた人を元いじめられっ子がいじめるようになるという現象が少なからず起きているという点です。先ほどの「人間失格」で堂本剛氏が演じたキャラの役割がまさにこの庇った側でしたが、ちょっとこの点についてなんとなくそれらしいメカニズムが見えてきたので、次回にて詳しく説明します。
そのいじめのメカニズムですが、地味に無視できないというか検討する価値のある要素として、いじめられていた側がいじめる側に変わるという現象があります。この現象についてネットで検索すると出るわ出るわで、発言小町に至っては、真実かどうかは検証しかねますがかつていじめられっ子だった息子が他の子をいじめるようになりどうすればいいのかと、非常に真剣な相談が書かれてあってなかなか読ませられました。
現実にというかこの現象、私も実際に何度も目の当たりにしており、また報道によると2015年の川崎市中1男子生徒殺害事件の主犯格だった少年もかつてはいじめられっ子だったものの、長じて自分より年下の子をいじめるようになったと言われています。このほかの未成年による目立った刑事事件でも、「元いじめられっ子」というキーワードをよく見ます。
具体的な統計がない(多分調べようともしてないだろうし)ので発生割合は測りかねますが、必ずしもいじめられた子がいじめっ子に変わるというわけでないものの、少なくともこうした逆転現象が世の中で起きていることはほぼ確実だと私は体感的に考えています。たとえは変ですがマルクス主義者が市場原理主義者に、ビアンカ派がフローラ派に変わってしまうのはそうそうないと思うのに、いじめを軸にしたこの逆転現象は何故かよく起こるのはやはり不思議でしょう。
っていうか自分で書いててたとえが意味わかんない。
何故こうした逆転現象が起きるかについてネットで見たあるブログでは、「いじめられていた子はいじめる子に憧れを持つ、いじめる側の立場になることを望むようになる」というような分析をしていました。私は以前にこのブログで、「虐待されていた子は虐待する親を憎みながらも、長じて虐待する親になりやすい」という絶対的な統計結果を紹介した上で、先ほどの分析のように「憎みながらも暴力を行使する親に憧れを持つようになる」という心理傾向があるという研究の話を書きましたが、メカニズムではやはりこれと共通すると思え、先の分析を支持します。
やはり暴力というのは晒されるのはただただ苦痛なものの、受けた人間からすればその威力もわかるわけで、行使したくなるのかもしれません。もちろんまともな子は自分が受けた苦痛を他人には与えないように心がけるでしょうが、まともじゃない価値観の子だと「自分だって苦しんだんだから他の人間も苦しむべきだ」という方向に考えが行ってしまうのでしょう。
ある意味でこうしたメカニズムがはっきり出るのは軍隊や部活動のしごきでしょう。「やられたんだからやり返してもいい」を金科玉条に、何故かしごきを行ってきた相手本人ではなく無関係の下級生に暴力を行うという負の連鎖が起きるわけで、やはりこの背景には上級生に対する憧れめいたものが見え隠れします。
ようやく最近になって時代が私に追いついてきたのか、「ブラック部活動」という言葉とともにこうしたしごきや先輩や顧問からの理不尽な要求を社会が排除するようになってきています。防衛大でもこの前このような報道があっただけに、いい方向に変わっていると私自身は考えています。
しかしこの、いじめられっ子がいじめっ子に変わるメカニズムについて、やはりもっと深く突っ込んで対策などを議論してほしいのが本音です。昔のドラマの「人間失格」なんかまさにこの逆転現象を描いていて今思うとあの時に議論するべきだったなとも思えてきますが、この現象に対して対策を打つことでそれなりないじめ対策になるのではと密かに思います。
と、以上を踏まえて敢えて私がこの議論で踏み込むとすると、地味に前から不思議だと思うのがこうした逆転現象で、何故かいじめから庇ってくれた人を元いじめられっ子がいじめるようになるという現象が少なからず起きているという点です。先ほどの「人間失格」で堂本剛氏が演じたキャラの役割がまさにこの庇った側でしたが、ちょっとこの点についてなんとなくそれらしいメカニズムが見えてきたので、次回にて詳しく説明します。
2018年7月15日日曜日
そして誰もいなくなった……
先日、どうしてもまたやりたくなったので「信長の野望 天翔記」というゲームをネットで購入してこのところ遊んでいました。プレイ大名は北条家で、今まで使ったことなかったけど史実通りに内政に特化した人材が非常に多いなと感じました。
難易度は中級だったこともありサクサク天下統一できたのですが、当初から北条家と同盟関係にある蘆名家がなかなか同盟を切ってくれず、最終的に他の大名全部皆殺しにしたのに蘆名家だけはそのまま居残ってしまいました。
このゲーム、こちらから同盟を切ると家臣の忠誠度とか下がってしまうなどデメリットが非常に大きい仕様になっています。もっとも最終盤だから裏切られても痛くもないのですが、同盟を破棄して攻め込むという過程も面倒くさいなと思って、蘆名家の武将を全員暗殺することにしました。
何せこっちには暗殺の名手の風魔小太郎をはじめとした面々が揃っており、蘆名家に所属する武将を片っ端から暗殺して減らしていきました。大体15人くらいいたような気がしますが、ただ蘆名家に所属しているという理由だけで続々と暗殺されていく様は悲劇のようにも思いましたが気にせず、最後に残った蘆名家の当主を暗殺してミッションコンプリートしました。その後、誰もいなくなった城に配下を送り込んで、北条家の天下統一が成就しました。
この最後の暗殺過程は蘆名家からすれば、あの世界的ミステリー傑作作品である「そして誰もいなくなった」の再現VTR撮っているようなものでしょう。でもって北条家からしたら、一兵たりとも兵を失わずに天下統一できたんだし、非常にスマートなやり方だったのかもしれません。
っていうか天翔記の暗殺は異常に強すぎます。忍者一人いるかいないかでかなり難易度変わるレベルです。
難易度は中級だったこともありサクサク天下統一できたのですが、当初から北条家と同盟関係にある蘆名家がなかなか同盟を切ってくれず、最終的に他の大名全部皆殺しにしたのに蘆名家だけはそのまま居残ってしまいました。
このゲーム、こちらから同盟を切ると家臣の忠誠度とか下がってしまうなどデメリットが非常に大きい仕様になっています。もっとも最終盤だから裏切られても痛くもないのですが、同盟を破棄して攻め込むという過程も面倒くさいなと思って、蘆名家の武将を全員暗殺することにしました。
何せこっちには暗殺の名手の風魔小太郎をはじめとした面々が揃っており、蘆名家に所属する武将を片っ端から暗殺して減らしていきました。大体15人くらいいたような気がしますが、ただ蘆名家に所属しているという理由だけで続々と暗殺されていく様は悲劇のようにも思いましたが気にせず、最後に残った蘆名家の当主を暗殺してミッションコンプリートしました。その後、誰もいなくなった城に配下を送り込んで、北条家の天下統一が成就しました。
この最後の暗殺過程は蘆名家からすれば、あの世界的ミステリー傑作作品である「そして誰もいなくなった」の再現VTR撮っているようなものでしょう。でもって北条家からしたら、一兵たりとも兵を失わずに天下統一できたんだし、非常にスマートなやり方だったのかもしれません。
っていうか天翔記の暗殺は異常に強すぎます。忍者一人いるかいないかでかなり難易度変わるレベルです。
西から昇った……
昨日かなり無駄なことで時間潰したので今日は有意義に時間を使おうと朝9時からサイクリングに出かけました。コースは割とよく使っている南進ルートで、川にぶつかるまでをめどに走ってみたのですが、普段とは少し違ったコースで南進していると、途中で南へ行く道がなくなり東西のどちらか迫られました。
スマホの地図で確認したところ東へ行った方が南へ行く道に出やすいことが分かり東へ行き、しばらく走って出くわした十字路を今度は右に曲がりました。ところが行けども行けども川にぶつからず、時間も11時を回っていたので反転して北へと向かい、帰宅することとしました。
反転して20~30分程度進んだところ、何やら「西渡」と書かれた方向表示が目にはいてきました。「~渡」とは基本的にフェリー乗り場のことで、なんやこっち側にもフェリー乗り場あるのかとか思ってそのまま走り続けたら、川に出くわしました。
なんや道間違えたのかなと思ってスマホの地図を確認したところ、なんかよくわかんないところに自分が立っていて、現在自分が向く方向が南になっていました。一瞬、スマホがバグったのかと疑ってみたものの、慌てて太陽の位置と自分の影を確認したところ、確かに南を向いていました。帰宅しようと北へと向かっていたつもりが、真逆の南に向かって走っていたというわけです。この時、「俺はバカボンかよ……」と、例の歌詞が頭に浮かんでいました。
なんだろう、一種の神隠しなのかしばらく頭がぐるぐる回りましたが、昼日中で最も暑い時間も迫っており、っていうか体力的にも結構限界を迎えつつあったので、とりあえずスマホに従って再反転して今度こそ北の帰宅ルートへと方向を向けました。動揺しつつ改めて今回の行程を思い返していましたが、恐らくですが最初の東西どちらかの道を迫られた時、自分は東へ向かったつもりだったのが本当は西に向かっていたのではないかと思われます。実際、当初のルートより大分西にずれていたし。
出発当初でこそ2時間程度軽く流してくるつもりでしたが、この妙なロスによって大幅に時間が食い、最終的に自宅近くの飯屋に着いたのはちょうど午後1時くらいでした。途中2回各5分のコンビニ休憩を除き、ほぼ4時間ずっと走りっぱなしでした。
水分補給は意識して行ったおかげか走行中は特に激しい頭痛に見舞われることはなかったものの、昼食を終えて2時ごろに帰宅してからやはり頭痛が起こり、そのまま6時半くらいまでずっと寝込んで今に至ります。夕方起きて晩御飯食べに出かけましたが、普段は自転車に乗っていくところを今日はもう自転車乗りたくなかったので歩いていきました。
最終的に頭痛こそ起こしたものの、走行中は比較的体力的にも安定しており、気温30度強のこの環境で4時間フル走行と考えれば以前と比べて体力は持ち直してきていると思います。つっても、6時くらいまで心臓の鼓動早かったですが(今は落ち着いてます)。
もっとも方向を間違えた点については、あの時点で熱中症を起こしてて訳が分からなくなってたせいかもしれません。前に健康診断で問診してくれた管理栄養士の方に、「そんな無茶な自転車の乗り方してたら体壊す」と言われましたが、内心、どれだけ自転車で走るかよりもどれだけ自分を追い詰めて壊すかの方に意識が行くところがあり、水分補給の必要性を感じつつも、「ここを我慢して敢えて無補給で走り切ってこそなんぼだろ!」と思って、後で後悔することが多いです。まぁ今日はちゃんと水分取ったけど。
ただまじめな話、スポーツというのは基本的にマゾヒズムと密接な関係があり、如何に自分を苦しめるかという意識要素は非常に大きいのは事実だと思います。現に登山愛好家の心理はほぼ自殺志願者と変わらないともいわれており、こうした意識のないスポーツというのはむしろそっちの方がおかしいと私は考えています。まぁ無駄に体壊す必要はないですが。
スマホの地図で確認したところ東へ行った方が南へ行く道に出やすいことが分かり東へ行き、しばらく走って出くわした十字路を今度は右に曲がりました。ところが行けども行けども川にぶつからず、時間も11時を回っていたので反転して北へと向かい、帰宅することとしました。
反転して20~30分程度進んだところ、何やら「西渡」と書かれた方向表示が目にはいてきました。「~渡」とは基本的にフェリー乗り場のことで、なんやこっち側にもフェリー乗り場あるのかとか思ってそのまま走り続けたら、川に出くわしました。
なんや道間違えたのかなと思ってスマホの地図を確認したところ、なんかよくわかんないところに自分が立っていて、現在自分が向く方向が南になっていました。一瞬、スマホがバグったのかと疑ってみたものの、慌てて太陽の位置と自分の影を確認したところ、確かに南を向いていました。帰宅しようと北へと向かっていたつもりが、真逆の南に向かって走っていたというわけです。この時、「俺はバカボンかよ……」と、例の歌詞が頭に浮かんでいました。
なんだろう、一種の神隠しなのかしばらく頭がぐるぐる回りましたが、昼日中で最も暑い時間も迫っており、っていうか体力的にも結構限界を迎えつつあったので、とりあえずスマホに従って再反転して今度こそ北の帰宅ルートへと方向を向けました。動揺しつつ改めて今回の行程を思い返していましたが、恐らくですが最初の東西どちらかの道を迫られた時、自分は東へ向かったつもりだったのが本当は西に向かっていたのではないかと思われます。実際、当初のルートより大分西にずれていたし。
出発当初でこそ2時間程度軽く流してくるつもりでしたが、この妙なロスによって大幅に時間が食い、最終的に自宅近くの飯屋に着いたのはちょうど午後1時くらいでした。途中2回各5分のコンビニ休憩を除き、ほぼ4時間ずっと走りっぱなしでした。
水分補給は意識して行ったおかげか走行中は特に激しい頭痛に見舞われることはなかったものの、昼食を終えて2時ごろに帰宅してからやはり頭痛が起こり、そのまま6時半くらいまでずっと寝込んで今に至ります。夕方起きて晩御飯食べに出かけましたが、普段は自転車に乗っていくところを今日はもう自転車乗りたくなかったので歩いていきました。
最終的に頭痛こそ起こしたものの、走行中は比較的体力的にも安定しており、気温30度強のこの環境で4時間フル走行と考えれば以前と比べて体力は持ち直してきていると思います。つっても、6時くらいまで心臓の鼓動早かったですが(今は落ち着いてます)。
もっとも方向を間違えた点については、あの時点で熱中症を起こしてて訳が分からなくなってたせいかもしれません。前に健康診断で問診してくれた管理栄養士の方に、「そんな無茶な自転車の乗り方してたら体壊す」と言われましたが、内心、どれだけ自転車で走るかよりもどれだけ自分を追い詰めて壊すかの方に意識が行くところがあり、水分補給の必要性を感じつつも、「ここを我慢して敢えて無補給で走り切ってこそなんぼだろ!」と思って、後で後悔することが多いです。まぁ今日はちゃんと水分取ったけど。
ただまじめな話、スポーツというのは基本的にマゾヒズムと密接な関係があり、如何に自分を苦しめるかという意識要素は非常に大きいのは事実だと思います。現に登山愛好家の心理はほぼ自殺志願者と変わらないともいわれており、こうした意識のないスポーツというのはむしろそっちの方がおかしいと私は考えています。まぁ無駄に体壊す必要はないですが。
2018年7月14日土曜日
不緊密な避難警報の発令と情報分析
今日の出来事のせいで時間の感覚がおかしくずっとイライラしっぱなしなので本日二本目。っていうか疲労感じないのに目が見えなくなっているのが怖い。原因は「信長の野望 天翔記」のやりすぎってことは確実ですが。
このほど西日本で発生した豪雨による被害については既に各所で報じられており、亡くなられた方を含め被災者の方々については痛ましい限りで、私も陰ながら幸福を祈っています。上海市も先週は雨が続き時間帯によってはゲリラ豪雨となるなど終始不安定な天気が続いていましたが、日本ほどまとまった雨ではなかったことから洪水などは発生していませんでした。
今回の日本の豪雨について中国メディアも取り上げているのですが、その中で一つ気になる報道がありました。内容は日本の識者のインタビュー記事なのですが、大まかな内容は以下の通りです。
「気象災害の情報収集、分析を行っているのは東京の気象庁なのに対し、日本の各地域の警報発令は自治体が行うため、情報の流れや対応実施の点で統一がなされていない点に問題がある」
ウラを取っているわけではないものの、今回の災害の報道を見ていてなんとなく書かれている通りなのではと思う節がいくつかありました。具体的には気象庁が異常な降雨量の予測を出していながら実際に自治体が警報を出すまでタイムラグがあったり、堤防が決壊してから警報が出たりなどといった報道なのですが、言われてみると東京の気象庁はともかく、各自治体は何をもって警報発令の判断基準としているのか、自前で天候予測や分析を行っているのかの点で疑問を覚えました。
先に書いておくと私は今回の災害で警報発令が遅れた自治体を責める気は毛頭ありません。というのも実際に警報をどの段階で出すのかという判断は非常に難しい上、激しい豪雨の中で堤防をずっと見張るというのもマンパワー的にも安全的にも難しく、そうした状況を考えると、警報や対応の遅れは非難されても仕方はないと思うものの、私個人としては一概に責め切れない面もあるのではないかと考えています。
ならどうすれば今後は改善できるかという話になるのですが、その点でさっきのコメントが引っかかりました。こうした気象災害について、各自治体がどれだけ災害情報の収集や分析が行えるのか、行うマンパワーがあるのか。現実には気象予報士を各自治体が隅から隅まで抱えているとは思えず、またいたとしても使っているかどうかも微妙ですが、それならば東京の気象庁の分析情報をどのように各自治体と共有するかということを考える必要があるのではないかと思います。
もっともそれ以上に手早い対策としては、気象災害の警報発令権を自治体だけでなくこの際気象庁に持たせるというのもありじゃないかと思います。豪雨や大雪など激しい気象災害が予想される場合は自治体を飛び越して、気象庁自らが各地方へ警報を発令し、自治体自体も警報発令権限を持つものの、気象庁が先に警報を発令したその周知徹底に努めるというような、こうした体制なら機敏な対応もできるのではないかと勝手に考えています。
実際にはすでにそうした権限とか情報伝達ができているのかもしれませんが、警報をどう運用するのかについてやはりもっとこういう議論や報道が欲しいところです。中国メディアの報道は日系メディアの引用かもしれませんが、なら何故自分の目に入らなかったのか、やはり議論が盛り上がっていないせいだと思え、そうしたことも考え蛇足と思いつつこのブログでも取り上げました。
このほど西日本で発生した豪雨による被害については既に各所で報じられており、亡くなられた方を含め被災者の方々については痛ましい限りで、私も陰ながら幸福を祈っています。上海市も先週は雨が続き時間帯によってはゲリラ豪雨となるなど終始不安定な天気が続いていましたが、日本ほどまとまった雨ではなかったことから洪水などは発生していませんでした。
今回の日本の豪雨について中国メディアも取り上げているのですが、その中で一つ気になる報道がありました。内容は日本の識者のインタビュー記事なのですが、大まかな内容は以下の通りです。
「気象災害の情報収集、分析を行っているのは東京の気象庁なのに対し、日本の各地域の警報発令は自治体が行うため、情報の流れや対応実施の点で統一がなされていない点に問題がある」
ウラを取っているわけではないものの、今回の災害の報道を見ていてなんとなく書かれている通りなのではと思う節がいくつかありました。具体的には気象庁が異常な降雨量の予測を出していながら実際に自治体が警報を出すまでタイムラグがあったり、堤防が決壊してから警報が出たりなどといった報道なのですが、言われてみると東京の気象庁はともかく、各自治体は何をもって警報発令の判断基準としているのか、自前で天候予測や分析を行っているのかの点で疑問を覚えました。
先に書いておくと私は今回の災害で警報発令が遅れた自治体を責める気は毛頭ありません。というのも実際に警報をどの段階で出すのかという判断は非常に難しい上、激しい豪雨の中で堤防をずっと見張るというのもマンパワー的にも安全的にも難しく、そうした状況を考えると、警報や対応の遅れは非難されても仕方はないと思うものの、私個人としては一概に責め切れない面もあるのではないかと考えています。
ならどうすれば今後は改善できるかという話になるのですが、その点でさっきのコメントが引っかかりました。こうした気象災害について、各自治体がどれだけ災害情報の収集や分析が行えるのか、行うマンパワーがあるのか。現実には気象予報士を各自治体が隅から隅まで抱えているとは思えず、またいたとしても使っているかどうかも微妙ですが、それならば東京の気象庁の分析情報をどのように各自治体と共有するかということを考える必要があるのではないかと思います。
もっともそれ以上に手早い対策としては、気象災害の警報発令権を自治体だけでなくこの際気象庁に持たせるというのもありじゃないかと思います。豪雨や大雪など激しい気象災害が予想される場合は自治体を飛び越して、気象庁自らが各地方へ警報を発令し、自治体自体も警報発令権限を持つものの、気象庁が先に警報を発令したその周知徹底に努めるというような、こうした体制なら機敏な対応もできるのではないかと勝手に考えています。
実際にはすでにそうした権限とか情報伝達ができているのかもしれませんが、警報をどう運用するのかについてやはりもっとこういう議論や報道が欲しいところです。中国メディアの報道は日系メディアの引用かもしれませんが、なら何故自分の目に入らなかったのか、やはり議論が盛り上がっていないせいだと思え、そうしたことも考え蛇足と思いつつこのブログでも取り上げました。
不愉快極まりなかった新世界大丸
昨日友人から、上海市南京東路駅近くにある新世界大丸という合弁の百貨店で、エヴァンゲリオン展がやっていると連絡がありました。ふざけてでしょうが私に「行って」というので、特に今日はやることもないので用の有る午前中ではなく午後なら行ってもいいと返したところ、「なら自分も行く」と友人から返信がありました。
そしたら今朝になり、「家庭の事情で(恐らくどうでもいい理由)」といって友人は来れないと連絡してきたので、仕方ないので大家に家賃を払った後の今日の午後、私一人で行ってきました。
新世界大丸に着くと、件の展示は地下1階と7階でやっているとのことなので7階へ向かいました。どの百貨店もエレベーターは人でごった返す上に遅いので、少し面倒だけどエスカレーターで行こうとしたところ、ここのエスカレーターはらせん式となっていて昇る速度が極端に遅かったです。それでもエレベーターよりかはマシかと思って6階まで昇ったところ、何故か7階を繋ぐエスカレーターが閉鎖されていました。吹き抜けを挟んで反対側を見ると向こうも同じように閉鎖されているようで、尚且つエスカレーターの終着の先にはエヴァの妙なパネルが置かれてあり、どうも展示のせいで封鎖されているようでした。
そもそも展示会場につなぐエスカレーターだというのに展示のために塞いでどうすんだよ、そもそもエスカレーターつながってないとわかっていたら最初からエレベーターを選んでいたのにと、この時点でむかっ腹が立っていましたが、仕方ないのでエレベーターで行くしかないと中央のエレベーター前まで移動しました。
上昇ボタンを押して待つことしばらく、停まったエレベーターに乗り込んで「7」のボタンを押したところ、それは起こりました。何が起きたかっていうと、ボタンが無反応で、何度押してもボタンが反応しない。こういう仕様なのと最初わかんなくなりましたが、あとから乗ってきた別の客が「1」のボタンを押すや、扉は閉まってそのまま1Fまで降りていきました。
もし近くに別の客がいなかったら、間違いなく「7」のボタンをせいけんづきしていたところでした。実際、この時点で拳を深く握りしめて、持っていたデジカメを音が鳴るくらい握っていました。
単純にエレベーターのボタン故障なのか設定によるのか、別ルートを用意してエレベーターも7階は封鎖していたのか知りませんが、この時点で死ぬほど不愉快極まりなかったのでそのまま地下鉄乗って帰りました。そもそもエヴァ事態好きじゃないし、むしろファンだと思われたくない作品でもあり、妙な上下運動させられながらも見に行こうとすること自体許せませんでした。
帰りの道中、イベントを紹介してくれた友人に向かって怨嗟を込め「もう二度とこんな不愉快な案内よこすな!」と、立て続けに呪い続けました。昼日中のちょうど真ん中の時間を徒労に費やし、実際今でも怒りが収まりません。
個人的に許せないのは二つ。一つ、7階の展示会場へのルートについてエスカレーターが閉鎖されている(普段はつながっている)ことを何故1階で示さなかったのか。二つ、エレベーターが恐らく故障だと思われるが、ボタンが反応しないなんてオフィスビルならともかく百貨店のエレベーターでは生まれて初めてです。故障でなく封鎖であったとしても、どうしてそれを明示しないのかという点で怒りを感じます。
友人は、「店員に聞けばよかったのに」と言いますがそもそも見に行きたい展示でもなく、付き合いで行くと言ったのに一人で行かされたようなものであり、「聞く以前の問題だ!」と電話で吐き捨てました。つううかマジ新世界大丸にはもう二度と行かない。
そしたら今朝になり、「家庭の事情で(恐らくどうでもいい理由)」といって友人は来れないと連絡してきたので、仕方ないので大家に家賃を払った後の今日の午後、私一人で行ってきました。
新世界大丸に着くと、件の展示は地下1階と7階でやっているとのことなので7階へ向かいました。どの百貨店もエレベーターは人でごった返す上に遅いので、少し面倒だけどエスカレーターで行こうとしたところ、ここのエスカレーターはらせん式となっていて昇る速度が極端に遅かったです。それでもエレベーターよりかはマシかと思って6階まで昇ったところ、何故か7階を繋ぐエスカレーターが閉鎖されていました。吹き抜けを挟んで反対側を見ると向こうも同じように閉鎖されているようで、尚且つエスカレーターの終着の先にはエヴァの妙なパネルが置かれてあり、どうも展示のせいで封鎖されているようでした。
そもそも展示会場につなぐエスカレーターだというのに展示のために塞いでどうすんだよ、そもそもエスカレーターつながってないとわかっていたら最初からエレベーターを選んでいたのにと、この時点でむかっ腹が立っていましたが、仕方ないのでエレベーターで行くしかないと中央のエレベーター前まで移動しました。
上昇ボタンを押して待つことしばらく、停まったエレベーターに乗り込んで「7」のボタンを押したところ、それは起こりました。何が起きたかっていうと、ボタンが無反応で、何度押してもボタンが反応しない。こういう仕様なのと最初わかんなくなりましたが、あとから乗ってきた別の客が「1」のボタンを押すや、扉は閉まってそのまま1Fまで降りていきました。
もし近くに別の客がいなかったら、間違いなく「7」のボタンをせいけんづきしていたところでした。実際、この時点で拳を深く握りしめて、持っていたデジカメを音が鳴るくらい握っていました。
単純にエレベーターのボタン故障なのか設定によるのか、別ルートを用意してエレベーターも7階は封鎖していたのか知りませんが、この時点で死ぬほど不愉快極まりなかったのでそのまま地下鉄乗って帰りました。そもそもエヴァ事態好きじゃないし、むしろファンだと思われたくない作品でもあり、妙な上下運動させられながらも見に行こうとすること自体許せませんでした。
帰りの道中、イベントを紹介してくれた友人に向かって怨嗟を込め「もう二度とこんな不愉快な案内よこすな!」と、立て続けに呪い続けました。昼日中のちょうど真ん中の時間を徒労に費やし、実際今でも怒りが収まりません。
個人的に許せないのは二つ。一つ、7階の展示会場へのルートについてエスカレーターが閉鎖されている(普段はつながっている)ことを何故1階で示さなかったのか。二つ、エレベーターが恐らく故障だと思われるが、ボタンが反応しないなんてオフィスビルならともかく百貨店のエレベーターでは生まれて初めてです。故障でなく封鎖であったとしても、どうしてそれを明示しないのかという点で怒りを感じます。
友人は、「店員に聞けばよかったのに」と言いますがそもそも見に行きたい展示でもなく、付き合いで行くと言ったのに一人で行かされたようなものであり、「聞く以前の問題だ!」と電話で吐き捨てました。つううかマジ新世界大丸にはもう二度と行かない。
2018年7月11日水曜日
日本のスマホ決済に関する思案
先日、知人の紹介で日本の知人関係者と会う機会が得られました。まだ中国に来て日が浅いとのことでしたが出会って第一声目に、「で、スルガ銀行はいつ破綻すると思う?」と聞きました。なおスルガ銀については私と大体同じ見方で、既に発表している特損が100億円だからその十倍の1000憶円はあるなということで一致しました。
その後、中国についていろいろ話をしたのですが、個人的に興味を持ったのがこちらのスマホ決済についてでした。やはり使ってみて非常に便利だと感じたそうですがその一方で、「もし仮にスマホ決済が日本で普及したら、地銀は間違いなく死ぬことになるだろう」という見方を示しました。
これはどういうことかというと、ゼロ金利政策によって法人向け融資業務ではほとんど利ざやが稼げない状況の中、地銀の収益は各種手数料によって支えられている面が大きいからです。仮にスマホ決済、それこそクレジットカード連動型のようなものが普及してしまうと地銀は手数料を完全に失うこととなり、たちまち経営が立ち行かなくなるということです。この見方は私も基本的に同意します。
なおゼロ金利で経営が苦しいとメガバンクの連中は自分で言いますが、はっきりいますがこれはウソです。というのもメガバンクは外債を組み合わせた仕組商品を作ればどうとでも稼ぐことが可能で、ゼロ金利の影響を回避することが出来るからです。逆に地銀は外貨関連業務が制限されていることもあってこうした逃げ道が塞がれており、あまり指摘する人はいませんがゼロ金利政策自体が地方を大きく弱らせている原因になっているところがあります。
話は戻りますが、「もう地銀なんて必要ないだろう」という意見を敢えて据え置いた上で、スマホ決済を日本でも普及させることが出来ないかなとしばらく思案してみました。最終的に出した結論は、クレジットカードではなく、各銀行発行のデビットカードと連動させる形ならまだありかもなという結論でした。
まず初めに中国のスマホ決済について少し触れると、こちらは中国の銀聯カードと基本的に紐づいています。この銀聯カードは普通の預金関連機能のほか、店頭でのカード決済機能を持っており、実態としてはデビットカード、つまり預金額の範囲内で決済ができるカードとなっています。中国も今は条件も緩んでクレジットカードの発行も難しくないですが以前はやや条件が高く、また投機的な民族ということもあってか「預金額以上は使えない」ようにするため、こうしたデビットカード中心の機能にしたんだと思います。
スマホ決済の場合、この預金額からスマホソフトウェアのウォレット内にお金を振り込みそこから小売店へ支払うか、デビットカード機能よろしく預金額から直接店舗へ支払うか、二種類から選びます。なおウォレット内の金額が決済額に対し不足してる場合、預金額からの直接支払いが自動的に選ばれます。
割と味噌な点として、中国ではネット振込は10万元(約170万円)以下はタダで、基本的にほぼ全部無料で振込し放題です。だからこそウォレットのお金を出したり引いたりするのも気分次第だし、直接預金口座から支払うのもデメリットなしでできるからこそこれだけスマホ決済が普及したというところがあります。
仮に日本でスマホ決済をする場合、それこそ現在の300円くらいする振込手数料を毎回取るようであれば、システムは存在しても普及することはないでしょう。ウォレットへの振込にも手数料を取る、それこそ1回10円程度であったとしても、お金減るのが嫌でスマホ決済を敬遠して現金にこだわる人が出てくるでしょう。
そのため最近の日本のスマホ決済ニュースを見ていると、クレジットカードと連動する形のシステム案がよく書かれています。確かにクレジットカードなら消費者は振込手数料も取られたりしないで済みますが、その分システム加盟店は決済ごとにクレジットカード会社に売上げの一部が徴収されるわけで、ましてやJCBならともかく他のクレジットカード会社は外資で、まわりまわって日本の経済にはいいところなしです。
私個人の私案は、敢えてクレジットカードとの連動を排除するというところから出発しています。まずスマホ決済のベースは既に市民権を得ているSUICAのシステムをベースにするべきだと考え、これに各銀行のデビットカードを紐づけ、手数料無料でソフトウェア内のウォレットへ送金ができるようにするというものです。
この方法のメリットはまずSUICAは既にある程度認知、普及していること。次に「スマホ+SUICA+デビットカード」の組み合わせで規格が統一しやすいこと。最後に、地銀は手数料収入こそ失うものの口座顧客を失わずに済むということです。
私がいま懸念しているのはスマホ決済との連動が、ごく一部のメガバンクのみに限定されるということです。仮にそうなればメガバンク口座でなければ連動できず、必然的に地銀の口座顧客は流出を免れ得ません。
またメガバンクじゃなくクレジットカード連動であっても、やはりクレジットカード会社が儲かり、またクレジットカード会社を経由することでシステムの処理負担、個人情報流出のリスクの双方が高まります。なるべくなら安近短で「スマホ会社+中央システム+銀行」というくらい関連先は少ないに越したことはないでしょう。あとクレジットカードによる事業者側の負担軽減になれば。
何故既存の銀行カードではなくデビットカードを推すのかというと、これなら既存の銀行カードを残したまま、新たなデビットカード規格を日本で統一して作れそうだという考えからです。無論、既存の銀行カードにこうしたスマホ決済機能を乗っけてもいいですが、この際だからスマホ決済に特化してSUICAと完全連動する、全銀行共通規格のデビットカードを作ってみた方が後々の発展性も得られるのではと思うところがあります。
っていうかこっちいるとつくづく思いますが、なんで日本の金融機関はシステム方面の規格が全部バラバラなのか理解しがたいです。護送船団とか昔言ってたけど、ありゃ嘘だったなと内心思ってます。
私の予想では日本のスマホ決済はやっぱりクレジットカード連動型で進むと思います。そしてそれにより、地銀業務はさらに減って地銀同士の統合は進んでますが、今後ますます地銀は苦しくなり、スルガ銀みたく消費者金融めいた仕事しないと生き残れなくなるかもしれません。
もっともそれは中国の銀行も同じで、今や下手な地銀よりもスマホ決済大手のアリペイ、ウィーチャットペイの方が資金力などで凌駕しており、大手銀もかつては土日は行列が出来るのが当たり前だったのに、今店舗行くとガラガラです。時代の趨勢と言えばそれまでですが、どうせならこの変化を折にクレジットカード会社の影響力を弱めたいことから、今回ここで書いたデビットカード連動案を思いつきました。
おまけ
中国では最近、利用者が少ないからすごい勢いでATMが減っています。うちの近くの銀行支店も前まで4台だったのが2台に減りました。
その後、中国についていろいろ話をしたのですが、個人的に興味を持ったのがこちらのスマホ決済についてでした。やはり使ってみて非常に便利だと感じたそうですがその一方で、「もし仮にスマホ決済が日本で普及したら、地銀は間違いなく死ぬことになるだろう」という見方を示しました。
これはどういうことかというと、ゼロ金利政策によって法人向け融資業務ではほとんど利ざやが稼げない状況の中、地銀の収益は各種手数料によって支えられている面が大きいからです。仮にスマホ決済、それこそクレジットカード連動型のようなものが普及してしまうと地銀は手数料を完全に失うこととなり、たちまち経営が立ち行かなくなるということです。この見方は私も基本的に同意します。
なおゼロ金利で経営が苦しいとメガバンクの連中は自分で言いますが、はっきりいますがこれはウソです。というのもメガバンクは外債を組み合わせた仕組商品を作ればどうとでも稼ぐことが可能で、ゼロ金利の影響を回避することが出来るからです。逆に地銀は外貨関連業務が制限されていることもあってこうした逃げ道が塞がれており、あまり指摘する人はいませんがゼロ金利政策自体が地方を大きく弱らせている原因になっているところがあります。
話は戻りますが、「もう地銀なんて必要ないだろう」という意見を敢えて据え置いた上で、スマホ決済を日本でも普及させることが出来ないかなとしばらく思案してみました。最終的に出した結論は、クレジットカードではなく、各銀行発行のデビットカードと連動させる形ならまだありかもなという結論でした。
まず初めに中国のスマホ決済について少し触れると、こちらは中国の銀聯カードと基本的に紐づいています。この銀聯カードは普通の預金関連機能のほか、店頭でのカード決済機能を持っており、実態としてはデビットカード、つまり預金額の範囲内で決済ができるカードとなっています。中国も今は条件も緩んでクレジットカードの発行も難しくないですが以前はやや条件が高く、また投機的な民族ということもあってか「預金額以上は使えない」ようにするため、こうしたデビットカード中心の機能にしたんだと思います。
スマホ決済の場合、この預金額からスマホソフトウェアのウォレット内にお金を振り込みそこから小売店へ支払うか、デビットカード機能よろしく預金額から直接店舗へ支払うか、二種類から選びます。なおウォレット内の金額が決済額に対し不足してる場合、預金額からの直接支払いが自動的に選ばれます。
割と味噌な点として、中国ではネット振込は10万元(約170万円)以下はタダで、基本的にほぼ全部無料で振込し放題です。だからこそウォレットのお金を出したり引いたりするのも気分次第だし、直接預金口座から支払うのもデメリットなしでできるからこそこれだけスマホ決済が普及したというところがあります。
仮に日本でスマホ決済をする場合、それこそ現在の300円くらいする振込手数料を毎回取るようであれば、システムは存在しても普及することはないでしょう。ウォレットへの振込にも手数料を取る、それこそ1回10円程度であったとしても、お金減るのが嫌でスマホ決済を敬遠して現金にこだわる人が出てくるでしょう。
そのため最近の日本のスマホ決済ニュースを見ていると、クレジットカードと連動する形のシステム案がよく書かれています。確かにクレジットカードなら消費者は振込手数料も取られたりしないで済みますが、その分システム加盟店は決済ごとにクレジットカード会社に売上げの一部が徴収されるわけで、ましてやJCBならともかく他のクレジットカード会社は外資で、まわりまわって日本の経済にはいいところなしです。
私個人の私案は、敢えてクレジットカードとの連動を排除するというところから出発しています。まずスマホ決済のベースは既に市民権を得ているSUICAのシステムをベースにするべきだと考え、これに各銀行のデビットカードを紐づけ、手数料無料でソフトウェア内のウォレットへ送金ができるようにするというものです。
この方法のメリットはまずSUICAは既にある程度認知、普及していること。次に「スマホ+SUICA+デビットカード」の組み合わせで規格が統一しやすいこと。最後に、地銀は手数料収入こそ失うものの口座顧客を失わずに済むということです。
私がいま懸念しているのはスマホ決済との連動が、ごく一部のメガバンクのみに限定されるということです。仮にそうなればメガバンク口座でなければ連動できず、必然的に地銀の口座顧客は流出を免れ得ません。
またメガバンクじゃなくクレジットカード連動であっても、やはりクレジットカード会社が儲かり、またクレジットカード会社を経由することでシステムの処理負担、個人情報流出のリスクの双方が高まります。なるべくなら安近短で「スマホ会社+中央システム+銀行」というくらい関連先は少ないに越したことはないでしょう。あとクレジットカードによる事業者側の負担軽減になれば。
何故既存の銀行カードではなくデビットカードを推すのかというと、これなら既存の銀行カードを残したまま、新たなデビットカード規格を日本で統一して作れそうだという考えからです。無論、既存の銀行カードにこうしたスマホ決済機能を乗っけてもいいですが、この際だからスマホ決済に特化してSUICAと完全連動する、全銀行共通規格のデビットカードを作ってみた方が後々の発展性も得られるのではと思うところがあります。
っていうかこっちいるとつくづく思いますが、なんで日本の金融機関はシステム方面の規格が全部バラバラなのか理解しがたいです。護送船団とか昔言ってたけど、ありゃ嘘だったなと内心思ってます。
私の予想では日本のスマホ決済はやっぱりクレジットカード連動型で進むと思います。そしてそれにより、地銀業務はさらに減って地銀同士の統合は進んでますが、今後ますます地銀は苦しくなり、スルガ銀みたく消費者金融めいた仕事しないと生き残れなくなるかもしれません。
もっともそれは中国の銀行も同じで、今や下手な地銀よりもスマホ決済大手のアリペイ、ウィーチャットペイの方が資金力などで凌駕しており、大手銀もかつては土日は行列が出来るのが当たり前だったのに、今店舗行くとガラガラです。時代の趨勢と言えばそれまでですが、どうせならこの変化を折にクレジットカード会社の影響力を弱めたいことから、今回ここで書いたデビットカード連動案を思いつきました。
おまけ
中国では最近、利用者が少ないからすごい勢いでATMが減っています。うちの近くの銀行支店も前まで4台だったのが2台に減りました。
2018年7月8日日曜日
不動産の2019年下落説
先日にあんな記事を出しておきながら、このところの長雨によって復活したダニによって昨夜も体中をハチの巣にされて寝不足のまま日曜を迎えました。ちなみに「ハチの巣にしてやるぜー!」ってセリフは「野郎、ぶっ殺してやる!」と並んでなんか最近死語化している気がします。
今夜はゆっくり眠りたいのと休みなのでいろいろ手段が講じられるため、また殺虫剤をベッドにかけまくる戦法を使った後で夕方に寝っ転がってみたら、寝不足のせいもあるのかめちゃくちゃ熟睡出来ました。真面目な話、この戦法を確立するまで真冬もダニに咬まれて睡眠が浅く、今までどれだけ寝ていなかったんだろうかとしばし考えました。
・地価下落「2019年1月開始」説は本当か? 専門家も賛否両論(AELA)
話は本題に戻りますが、このところ読んだ記事で一番面白かったのがこのリンク先の記事です。見出しからもわかる通りに、東京オリンピック開催の2020年を待たずに現在一応都市部限定で上昇を続けている日本の不動産価値は下落し始めるという予測について肯定、否定意見をまとめてありますが、見た感じだとその根拠に税制を挙げている点で、肯定派、下落するという予測が正しい気がします。
具体的には記事に書かれていますが、不動産は購入から5年以内に売ると利益の約4割が税金に取られますが、5年超であれば半分の約2割に低減されます。この年数の基準は一律1月1日であることから、2013年の東京オリンピック開催が決まった年に不動産を仕入れた仕手筋は、2019年1月1日に5年超の基準を満たすこととなり、早めに売りに出すだろうという見方です。
実際に私も今見ていて、日本の不動産の上昇ぶりは力強さよりも妙に不安定なまま高騰しているように見えます。言い換えれば需要の実体がないまま上昇しているような感じで、そもそも日本の不動産市場自体の歪な構造(値下がり率が極端に高い)ということと相まって、いくら五輪景気があるとしても何かきっかけがあれば来年から下がるだろうと考えています。
なお最近のマイブームなのが、将来の移住先候補の奈良市で駅から徒歩20分の物件探しというのがあります。日本の場合、駅からの距離が5分刻み増加するごとに不動産価格が激しく低下していくため、徒歩20分ともなると第4段階にも入り、その広さや新しさに比べて極端に家賃などの値段が低くなります。
何気に学生時代に住んでいた部屋は徒歩20分、それも追い抜くことはあっても追い抜かれることはない私の足で20分ですから、多分普通の人からしたら徒歩25分くらいかかる距離の部屋に住んでたのと、無駄に体力持てあましているので徒歩20分でもあんま気になりません。なので敢えてこの距離感で部屋を探していますが、奈良市ということもあってかなり安く、歩いた分だけ家賃って安くなるなと妙な得心を得ています。
真面目な話をすると、こうした駅チカならぬ駅トオ物件を有効活用するためにも、市内中心部にもっと無料駐車、駐輪スペースを設けることも手段だと思います。私なんか自転車があればどこだって行けるだけに、安心して停められる、それこそ三日くらい置いてても大丈夫な屋根付き駐輪場があったらすごい助かるし、自動車ではなく自転車(レンタサイクルでも可)普及を促せば環境改善にもつながるし、「チャリライダーの楽園」みたいな都市構想をどこかしてくんないかと願うばかりです。
今夜はゆっくり眠りたいのと休みなのでいろいろ手段が講じられるため、また殺虫剤をベッドにかけまくる戦法を使った後で夕方に寝っ転がってみたら、寝不足のせいもあるのかめちゃくちゃ熟睡出来ました。真面目な話、この戦法を確立するまで真冬もダニに咬まれて睡眠が浅く、今までどれだけ寝ていなかったんだろうかとしばし考えました。
・地価下落「2019年1月開始」説は本当か? 専門家も賛否両論(AELA)
話は本題に戻りますが、このところ読んだ記事で一番面白かったのがこのリンク先の記事です。見出しからもわかる通りに、東京オリンピック開催の2020年を待たずに現在一応都市部限定で上昇を続けている日本の不動産価値は下落し始めるという予測について肯定、否定意見をまとめてありますが、見た感じだとその根拠に税制を挙げている点で、肯定派、下落するという予測が正しい気がします。
具体的には記事に書かれていますが、不動産は購入から5年以内に売ると利益の約4割が税金に取られますが、5年超であれば半分の約2割に低減されます。この年数の基準は一律1月1日であることから、2013年の東京オリンピック開催が決まった年に不動産を仕入れた仕手筋は、2019年1月1日に5年超の基準を満たすこととなり、早めに売りに出すだろうという見方です。
実際に私も今見ていて、日本の不動産の上昇ぶりは力強さよりも妙に不安定なまま高騰しているように見えます。言い換えれば需要の実体がないまま上昇しているような感じで、そもそも日本の不動産市場自体の歪な構造(値下がり率が極端に高い)ということと相まって、いくら五輪景気があるとしても何かきっかけがあれば来年から下がるだろうと考えています。
なお最近のマイブームなのが、将来の移住先候補の奈良市で駅から徒歩20分の物件探しというのがあります。日本の場合、駅からの距離が5分刻み増加するごとに不動産価格が激しく低下していくため、徒歩20分ともなると第4段階にも入り、その広さや新しさに比べて極端に家賃などの値段が低くなります。
何気に学生時代に住んでいた部屋は徒歩20分、それも追い抜くことはあっても追い抜かれることはない私の足で20分ですから、多分普通の人からしたら徒歩25分くらいかかる距離の部屋に住んでたのと、無駄に体力持てあましているので徒歩20分でもあんま気になりません。なので敢えてこの距離感で部屋を探していますが、奈良市ということもあってかなり安く、歩いた分だけ家賃って安くなるなと妙な得心を得ています。
真面目な話をすると、こうした駅チカならぬ駅トオ物件を有効活用するためにも、市内中心部にもっと無料駐車、駐輪スペースを設けることも手段だと思います。私なんか自転車があればどこだって行けるだけに、安心して停められる、それこそ三日くらい置いてても大丈夫な屋根付き駐輪場があったらすごい助かるし、自動車ではなく自転車(レンタサイクルでも可)普及を促せば環境改善にもつながるし、「チャリライダーの楽園」みたいな都市構想をどこかしてくんないかと願うばかりです。
2018年7月7日土曜日
ネットの匿名性は議論を加速させるのか?
どうでもいいけど双子の人がドッペルゲンガーを見た時は「三人目?」と思うのか、それとも普通に相方と間違えるのか凄い気になります。体験したことがある人いないかな。
・「転職会議」に事実無根の投稿、苦悩する中小企業…削除のためには多大な労力と時間(弁護士ドットコム)
上の記事と関連するのかやや微妙ですが、前から少しネットの匿名性と議論の関係性についてちょっと考えていました。結論から書くと、ネットで匿名性が確保されることによって議論が加速するかと言ったらそうでもなく、むしろ鈍化するパターンの方が多いと私は考えます。
きわどいネタ、具体的には皇室関連の議論などは公の場では行いづらく、現実にインターネットができるまでは皇室の在り方について現在ほど議論されることはなかったでしょう。これに限らず不謹慎とされるネタ、著名学者にしか許されなかった歴史検証や非合法すれすれの行為の是非などについてはネットによって匿名性が確保されることで議論が以前より進み、社会にも一定度影響を与えたと考えます。
その一方でそこまでタブー視されない議論、法律解釈や個人や組織批判に関しては、理性的な批判を展開する人も少なくないものの、やはりどっちかと言えば感情的な主張を展開する人間の方が多く、また物によっては明らかに事実と異なる内容を主張する輩もいることで、いくつかこのブログでも書いていますがいつのまにかデマの方が真実のようにネットで共有されるパターンも見受けられます。
具体的な例を挙げると、何かの事件の犯人について、「勤務先はここだ」、「両親はこいつらだ」などと間違った対象をあげつらって批判するようなパターンです。そもそも周辺関係者をあげつらう時点でも間違っていますが、対象を間違えるに至ってはもはや救いようのない馬鹿で、よくもそのうかつさで今まで死なずにこれたものだとそっちのほう私は驚きます。
このような勘違いじゃすまない間違いに基づく見方や意見は、匿名性があるから出てきている可能性があります。そもそも匿名性の最大の特徴は「報復されない」という自信から過度な攻撃性を強めるところにあり、だからこそあやふやなソースの情報でも真実と勘違いして攻撃の材料にしてしまうのだと考えられます。
こうした人間が議論に参加することによって起こる結果としては、議論の質を下げる以外なく、そしてネット上の議論はやはりこの手のパターンが多い気がします。もっとも、先日ある記事のNewsPicksについたコメントを見ていましたが、明らかに全文読まずに見出しだけ読んで見当違いな批判をしている人間が実名と肩書付きでたくさんおり、匿名性だけが原因かと言ったらちょっとそうでもないかもという光景を見せつけられましたが。
・「転職会議」に事実無根の投稿、苦悩する中小企業…削除のためには多大な労力と時間(弁護士ドットコム)
上の記事と関連するのかやや微妙ですが、前から少しネットの匿名性と議論の関係性についてちょっと考えていました。結論から書くと、ネットで匿名性が確保されることによって議論が加速するかと言ったらそうでもなく、むしろ鈍化するパターンの方が多いと私は考えます。
きわどいネタ、具体的には皇室関連の議論などは公の場では行いづらく、現実にインターネットができるまでは皇室の在り方について現在ほど議論されることはなかったでしょう。これに限らず不謹慎とされるネタ、著名学者にしか許されなかった歴史検証や非合法すれすれの行為の是非などについてはネットによって匿名性が確保されることで議論が以前より進み、社会にも一定度影響を与えたと考えます。
その一方でそこまでタブー視されない議論、法律解釈や個人や組織批判に関しては、理性的な批判を展開する人も少なくないものの、やはりどっちかと言えば感情的な主張を展開する人間の方が多く、また物によっては明らかに事実と異なる内容を主張する輩もいることで、いくつかこのブログでも書いていますがいつのまにかデマの方が真実のようにネットで共有されるパターンも見受けられます。
具体的な例を挙げると、何かの事件の犯人について、「勤務先はここだ」、「両親はこいつらだ」などと間違った対象をあげつらって批判するようなパターンです。そもそも周辺関係者をあげつらう時点でも間違っていますが、対象を間違えるに至ってはもはや救いようのない馬鹿で、よくもそのうかつさで今まで死なずにこれたものだとそっちのほう私は驚きます。
このような勘違いじゃすまない間違いに基づく見方や意見は、匿名性があるから出てきている可能性があります。そもそも匿名性の最大の特徴は「報復されない」という自信から過度な攻撃性を強めるところにあり、だからこそあやふやなソースの情報でも真実と勘違いして攻撃の材料にしてしまうのだと考えられます。
こうした人間が議論に参加することによって起こる結果としては、議論の質を下げる以外なく、そしてネット上の議論はやはりこの手のパターンが多い気がします。もっとも、先日ある記事のNewsPicksについたコメントを見ていましたが、明らかに全文読まずに見出しだけ読んで見当違いな批判をしている人間が実名と肩書付きでたくさんおり、匿名性だけが原因かと言ったらちょっとそうでもないかもという光景を見せつけられましたが。
2018年7月6日金曜日
麻原彰晃の死刑執行について
もはや説明するまでもありませんが本日、一連のオウム事件の首謀者である麻原彰晃とその元弟子6人の死刑が執行されました。自分も趣味程度ですがこのオウム事件を追っかけてきていただけにいろいろな思いが込み上げてきたのと、時期としては適頃かなという感想を覚えました。
いくつかの報道でも出ている通りに、今回の死刑執行タイミングは「平成が終わるから」というのが何よりも大きいと思います。そんな理由でと思う人もいるでしょうが、オウム事件を見て来たものとして言わせればやはりこの事件は平成という時代の枠の中で完結させなければならず、それは前例とか慣習などのなによりも優先すべき要素であると考えます。そもそもこのオウム事件自体、日本犯罪史上過去に例のない規模と内容で、なんか死刑執行数の多さについて大逆事件を引用している人もいましたが、私に言わせればあんなの比較にならず非常にナンセンスもいいところです。
ただ、わかってはいたものの麻原と同時執行された6人の元弟子については感情が波立ちました。
・高橋シズヱさんに法務省が電話 6人の名に「動悸した」(朝日新聞)
こちらのインタビュー記事に応えるオウム事件の被害者の会代表の方もそうした感情について少し言及されていますが、果たして本当に死刑を執行しなければならなかったのか、元弟子たちにはそう思ってしまところがあります。恐らく彼らの来歴というかオウム真理教入信に至るまでの過程を知っている人間ほどこうした感情を覚えるのではないかと思え、本当にこの教団に係るまでは純粋に生きてきて、裁判過程の価値観の変遷過程などを見ても、生かす道はなかったのかと考えてしまいます。
そう言いながらも、彼らが実行した行為は許されるものではなく、どれだけの改心があったとしてもけじめとしての刑執行も必要であるということも十分わかります。恐らく逆の結果だったとしたら、執行の道はなかったのかという問いを覚えていたと思え、どっちであっても悔いの感じる選択となっていたでしょう。このように考えた上で、今回の刑執行に関する政府判断を私は支持します。
その上で、今回のニュースを見て平成の時代が終わりを迎えつつあることを強く実感しました。他の人はわかりませんがそれだけオウム事件が残した時代の色は濃く、そしてそれは今日の刑執行まではっきりと続いていました。この色は次代につなげてはならず、そういう意味では平成の枠内で終わらせる必要があったと、歴史マニアの立場からすれば強くそう感じます。
恐らく若い世代はこのオウム事件そのもの自体が分からないという方も多いのではないかと思います。そうした世代にどのような事件だったのか、伝えていく努力が今後必要になると思うのと、残りの死刑判決者の時期について思いがいろいろ浮かんできます。
いくつかの報道でも出ている通りに、今回の死刑執行タイミングは「平成が終わるから」というのが何よりも大きいと思います。そんな理由でと思う人もいるでしょうが、オウム事件を見て来たものとして言わせればやはりこの事件は平成という時代の枠の中で完結させなければならず、それは前例とか慣習などのなによりも優先すべき要素であると考えます。そもそもこのオウム事件自体、日本犯罪史上過去に例のない規模と内容で、なんか死刑執行数の多さについて大逆事件を引用している人もいましたが、私に言わせればあんなの比較にならず非常にナンセンスもいいところです。
ただ、わかってはいたものの麻原と同時執行された6人の元弟子については感情が波立ちました。
・高橋シズヱさんに法務省が電話 6人の名に「動悸した」(朝日新聞)
こちらのインタビュー記事に応えるオウム事件の被害者の会代表の方もそうした感情について少し言及されていますが、果たして本当に死刑を執行しなければならなかったのか、元弟子たちにはそう思ってしまところがあります。恐らく彼らの来歴というかオウム真理教入信に至るまでの過程を知っている人間ほどこうした感情を覚えるのではないかと思え、本当にこの教団に係るまでは純粋に生きてきて、裁判過程の価値観の変遷過程などを見ても、生かす道はなかったのかと考えてしまいます。
そう言いながらも、彼らが実行した行為は許されるものではなく、どれだけの改心があったとしてもけじめとしての刑執行も必要であるということも十分わかります。恐らく逆の結果だったとしたら、執行の道はなかったのかという問いを覚えていたと思え、どっちであっても悔いの感じる選択となっていたでしょう。このように考えた上で、今回の刑執行に関する政府判断を私は支持します。
その上で、今回のニュースを見て平成の時代が終わりを迎えつつあることを強く実感しました。他の人はわかりませんがそれだけオウム事件が残した時代の色は濃く、そしてそれは今日の刑執行まではっきりと続いていました。この色は次代につなげてはならず、そういう意味では平成の枠内で終わらせる必要があったと、歴史マニアの立場からすれば強くそう感じます。
恐らく若い世代はこのオウム事件そのもの自体が分からないという方も多いのではないかと思います。そうした世代にどのような事件だったのか、伝えていく努力が今後必要になると思うのと、残りの死刑判決者の時期について思いがいろいろ浮かんできます。
2018年7月5日木曜日
文科省汚職事件と加計学園
・文科省汚職事件、そもそも私大「ブランディング」に政府助成が必要なのか?(ニューズウィーク)
上の記事は前から密かに実力者だと評価していた冷泉彰彦氏のコラムですが、今回の文科省局長の前代未聞ともいえる裏口入学汚職事件について舌鋒鋭く批評しています。見出しにも掲げている通りにそもそも何故大学の「ブランディング」について政府が補助金を出すのかと制度自体に疑問を呈しており、意外と気づきそうで気づかない点を相変わらずうまく指摘していると感じ入っていたら、本丸はそのすぐ先にありました。
「ちなみに、話題になっている加計学園は2年連続で『対象校』に入選しており、加計孝太郎氏の経営する岡山理科大学は2016年に、同氏の妹が経営する吉備国際大学は2017年にそれぞれ対象校になっています。」
素直に感想述べると、割とびっくりしました。
東京医科大が当初落ちた選考に加計学園系列大学は一発で選定され、しかも制度開始から2年で選考もまだわずか2回しかしていないというのに、2回とも選定されているというこの事実について世間はどう見るか試されているような気すらします。
そもそも上記に書いている通りこの補助金制度自体その意味があやふやというかお手盛り感が否めず、また記事中にもある通りに選定委員には補助金支給対象の私大関係者が入っており、利害相反なんて概念なぞこの世にないのではと思うくらいいい加減な体制で運営されています。っていうかほかのメディアに先んじてこういうの指摘する辺りやっぱこの人はすごいと思う。
ただ記事の感想だけだとつまらないので今後の展開も予想しますが、鎮火しかかっていた加計学園問題がここにきてまた一気に火花をまき散らすかもしれません。ついでに書くとこちらの記事でも特集されているように自分も前から日本のGDP値は予想値、速報値、確定値の乖離が激しいことから疑っており、もし仮にそうであれば、今の政権は本当になんなのかと思えてきます。
意外と今年下半期はあつくなるかもしれません。ついでに書くと、このタイミングは偶然か必然なのかと特捜に聞いてみるべきでしょう。
上の記事は前から密かに実力者だと評価していた冷泉彰彦氏のコラムですが、今回の文科省局長の前代未聞ともいえる裏口入学汚職事件について舌鋒鋭く批評しています。見出しにも掲げている通りにそもそも何故大学の「ブランディング」について政府が補助金を出すのかと制度自体に疑問を呈しており、意外と気づきそうで気づかない点を相変わらずうまく指摘していると感じ入っていたら、本丸はそのすぐ先にありました。
「ちなみに、話題になっている加計学園は2年連続で『対象校』に入選しており、加計孝太郎氏の経営する岡山理科大学は2016年に、同氏の妹が経営する吉備国際大学は2017年にそれぞれ対象校になっています。」
素直に感想述べると、割とびっくりしました。
東京医科大が当初落ちた選考に加計学園系列大学は一発で選定され、しかも制度開始から2年で選考もまだわずか2回しかしていないというのに、2回とも選定されているというこの事実について世間はどう見るか試されているような気すらします。
そもそも上記に書いている通りこの補助金制度自体その意味があやふやというかお手盛り感が否めず、また記事中にもある通りに選定委員には補助金支給対象の私大関係者が入っており、利害相反なんて概念なぞこの世にないのではと思うくらいいい加減な体制で運営されています。っていうかほかのメディアに先んじてこういうの指摘する辺りやっぱこの人はすごいと思う。
ただ記事の感想だけだとつまらないので今後の展開も予想しますが、鎮火しかかっていた加計学園問題がここにきてまた一気に火花をまき散らすかもしれません。ついでに書くとこちらの記事でも特集されているように自分も前から日本のGDP値は予想値、速報値、確定値の乖離が激しいことから疑っており、もし仮にそうであれば、今の政権は本当になんなのかと思えてきます。
意外と今年下半期はあつくなるかもしれません。ついでに書くと、このタイミングは偶然か必然なのかと特捜に聞いてみるべきでしょう。
本当に報じるべき価値ある内容
・駆逐してやる!私は中国のダニにこうして勝利した(JBpress)
上の記事は毎度ながら昨日配信された自分の記事です。友人は大絶賛してくれましたがやはりダニ被害を経験している人じゃないと共感できない内容であることからアクセスはそれほど芳しくはなかったものの、書いてる間はめちゃくちゃ楽しく、「俺はこの記事を書くためにライターになったのかもな」と本気で思いました。またアクセス数に関してもある程度想定内であり、あと最近こういう中国の生活ネタが切れてたので、記事自体には満足しています。
と、言いながらですが、本当はもっと報じるべき内容が実はありました。それは何かというと、取材先の取材対応です。
記事末尾にフマキラー社のコメントとして、国によって害虫の体力というかタフさは異なり薬剤成分もアレンジが効いているということを書いていますが、これは前から確認したかった内容で、記事を企画した段階で聞こうと考えていました。いつもは電話取材をかけるのですがやや技術的な内容だと考え、またそこまで深堀するようなレベルでもないのでメールでちゃっちゃと聞いてしまおうと、実は最初にアース製薬にコンタクトを取りました。なのに何故アース製薬の名前がないかっていうと、返信は来ず無視されたからです。
ここだけの話、メールでコンタクト取っても梨の飛礫(漢字にすると迫力あるな)ってことはこれまでにも何度もありました、っていうか人材派遣会社においては返事くれる方がむしろレアでした。しかし、いわゆる一般大衆消費者向け商品ことコンシューマー商品メーカーでこのような対応を受けたことはこれまでになく、なかなか返事が来なかった間は怒りよりも「なんで(。´・ω・)?」とばかりに疑念の方が強かったです。もちろん現在も何も返事なんて来ていませんが、コンシューマー品のメーカーでこんな広報対応で大丈夫なのかと、強いリスクすら感じます。
そんなわけでお鉢が回ってきたのがフマキラー社でした。ちなみに最初は金鳥こと大日本除虫菊社にコンタクト取ろうとしたら、ここはホームページにメールアドレスはおろか問い合わせフォームすらなく、しょうがないからと一回電話かけたのが大阪で地震があった日でつながらなかったのでもう諦めました。
話はフマキラー社ですが、ここはメール出したら割とすぐ返事くれました。ただ意外だったのは、その返信元がフマキラー社じゃなかったということです。どういうことかというと、フマキラー社は広報業務をあるコンサル会社に全部丸投げしていたようです。
これも返信メールを見た際は質問の回答内容よりもその返信元クレジットの方に目が行き、一瞬の間にものすごい疑問が湧き出てきました。まずは何故広報が外注なのか、害虫対策品メーカーだからか。次に何故こんなクレジット、せめて社名だけでもフマキラー社と名乗ればいいのに。最後にコンシューマー品メーカーが広報を外注に任せているのか、やはり害虫だからか……というぐあいで堂々巡りしてきました。
この件を友人に伝えたところ自分以上に強い反応を示し、「もしフマキラーの株を持っていたら速攻で全部売り飛ばす。真面目に正気の沙汰とは思えないことをやってる」とまで言いました。ただ、私も友人の意見に同感です。
また回答内容も、サイトの紹介ページを示すだけでそれほど深いと感じる内容ではなく、言ってしまえば如何にもお決まりな返信内容で、広報的にも優れたものではありませんでした。返信しておいてもらってなんですが、真面目にフマキラーは大丈夫なのかと今でも強い疑念を感じます。
これが例えば小さい会社とかベンチャー企業、あとあまり広報が強くない飲食関連企業とかならわかりますが、全国各地のスーパーに商品が並ぶコンシューマー品を扱うメーカーがこんな広報体制だったなんて、正直アース製薬の対応と合わせてこっちの方がニュースです。そしてはっきり言いますが、もし何か事が起こった場合のリスクに対して非常にもろい体制だと言わざるを得ません。
ちょうど日大の問題で危機管理が話題になっていることから、以前にもこのブログで書いたような、企業の危機管理最前線である各社広報の違いや見極めのポイントなどをまとめて本にしようかとも今回の一件で思いましたが、そもそも書籍化する出版社のつてがないためすぐにいいやって気に戻りました。ただ今回の一件を通して想像以上に日系企業は、大きい会社であっても危機管理の弱いのではと強く感じ、多分今後も日大みたいなオウンゴールでハットトリックを決めるような会社がでてくるのではないかと思います。
上の記事は毎度ながら昨日配信された自分の記事です。友人は大絶賛してくれましたがやはりダニ被害を経験している人じゃないと共感できない内容であることからアクセスはそれほど芳しくはなかったものの、書いてる間はめちゃくちゃ楽しく、「俺はこの記事を書くためにライターになったのかもな」と本気で思いました。またアクセス数に関してもある程度想定内であり、あと最近こういう中国の生活ネタが切れてたので、記事自体には満足しています。
と、言いながらですが、本当はもっと報じるべき内容が実はありました。それは何かというと、取材先の取材対応です。
記事末尾にフマキラー社のコメントとして、国によって害虫の体力というかタフさは異なり薬剤成分もアレンジが効いているということを書いていますが、これは前から確認したかった内容で、記事を企画した段階で聞こうと考えていました。いつもは電話取材をかけるのですがやや技術的な内容だと考え、またそこまで深堀するようなレベルでもないのでメールでちゃっちゃと聞いてしまおうと、実は最初にアース製薬にコンタクトを取りました。なのに何故アース製薬の名前がないかっていうと、返信は来ず無視されたからです。
ここだけの話、メールでコンタクト取っても梨の飛礫(漢字にすると迫力あるな)ってことはこれまでにも何度もありました、っていうか人材派遣会社においては返事くれる方がむしろレアでした。しかし、いわゆる一般大衆消費者向け商品ことコンシューマー商品メーカーでこのような対応を受けたことはこれまでになく、なかなか返事が来なかった間は怒りよりも「なんで(。´・ω・)?」とばかりに疑念の方が強かったです。もちろん現在も何も返事なんて来ていませんが、コンシューマー品のメーカーでこんな広報対応で大丈夫なのかと、強いリスクすら感じます。
そんなわけでお鉢が回ってきたのがフマキラー社でした。ちなみに最初は金鳥こと大日本除虫菊社にコンタクト取ろうとしたら、ここはホームページにメールアドレスはおろか問い合わせフォームすらなく、しょうがないからと一回電話かけたのが大阪で地震があった日でつながらなかったのでもう諦めました。
話はフマキラー社ですが、ここはメール出したら割とすぐ返事くれました。ただ意外だったのは、その返信元がフマキラー社じゃなかったということです。どういうことかというと、フマキラー社は広報業務をあるコンサル会社に全部丸投げしていたようです。
これも返信メールを見た際は質問の回答内容よりもその返信元クレジットの方に目が行き、一瞬の間にものすごい疑問が湧き出てきました。まずは何故広報が外注なのか、害虫対策品メーカーだからか。次に何故こんなクレジット、せめて社名だけでもフマキラー社と名乗ればいいのに。最後にコンシューマー品メーカーが広報を外注に任せているのか、やはり害虫だからか……というぐあいで堂々巡りしてきました。
この件を友人に伝えたところ自分以上に強い反応を示し、「もしフマキラーの株を持っていたら速攻で全部売り飛ばす。真面目に正気の沙汰とは思えないことをやってる」とまで言いました。ただ、私も友人の意見に同感です。
また回答内容も、サイトの紹介ページを示すだけでそれほど深いと感じる内容ではなく、言ってしまえば如何にもお決まりな返信内容で、広報的にも優れたものではありませんでした。返信しておいてもらってなんですが、真面目にフマキラーは大丈夫なのかと今でも強い疑念を感じます。
これが例えば小さい会社とかベンチャー企業、あとあまり広報が強くない飲食関連企業とかならわかりますが、全国各地のスーパーに商品が並ぶコンシューマー品を扱うメーカーがこんな広報体制だったなんて、正直アース製薬の対応と合わせてこっちの方がニュースです。そしてはっきり言いますが、もし何か事が起こった場合のリスクに対して非常にもろい体制だと言わざるを得ません。
ちょうど日大の問題で危機管理が話題になっていることから、以前にもこのブログで書いたような、企業の危機管理最前線である各社広報の違いや見極めのポイントなどをまとめて本にしようかとも今回の一件で思いましたが、そもそも書籍化する出版社のつてがないためすぐにいいやって気に戻りました。ただ今回の一件を通して想像以上に日系企業は、大きい会社であっても危機管理の弱いのではと強く感じ、多分今後も日大みたいなオウンゴールでハットトリックを決めるような会社がでてくるのではないかと思います。
2018年7月3日火曜日
一発でブチ切れた誤変換
本業がライターでもないのに毎日恐ろしいくらいキーボードを叩いている私ですが、せっかちな性格も相まってミスタイプする数も非常に多いです。一方、正しく入力しているものの漢字がご変換されることも少なくないのですが、以前に「設計」と入力しようとして「せっけい」と打ち込んで変換したところ、それまで一度として、っていうか普通の人生でまず変換することは今後もないだろうと思う「雪渓」という単語がいきなり出てきたことがありました。
なんかその時は仕事も忙しくてめちゃくちゃイライラしたこともあってか、職場でありながら「んだとてめぇこの野郎!」って、モニタに向かってリアルに悪態つきました。っていうか普通にこんな単語が真っ先に、しかもそれ以前はほぼ確実に「設計」と表示されていただけに半端なく頭に来ました。
恐らくこうなった原因は、使用しているパソコンのOSが英語ベースになっているせいだと思います。日本語ベースと比べると同じIMEの日本語入力システムと比べても変換がおかしいことが多く、わざと作業を妨害しているのではないかと思うくらいに誤変換を連発することもあって非常に神経を削られます。
今日なんか、昨日は夜遅くまで残業してへとへとだったこともあり早く上がってうどん食って帰ってきたこともあり余裕ありますが、本気で披露している時にこういったしょうもない、っていうかあり得ないご変換されるとダメージがでかいです。あと中国語使用のキーボードだとカギ括弧の記号のキー位置もずれているので、これも地味にイライラします。
最後に全く関係ないですが、自宅キーボードの「K」のキーはほぼ毎回印字が削れて見えなくなってしまいます。これは右手中指の戦端でいつもKのキーを叩く癖があり、爪が伸びているとそのまま印字を削ってしまうからで、他のキーではそんなことないのに毎回Kのキーだけまっさらになってしまいます。ホームポジションとかもうちょっと見直した方がいいのかもしれません。
なんかその時は仕事も忙しくてめちゃくちゃイライラしたこともあってか、職場でありながら「んだとてめぇこの野郎!」って、モニタに向かってリアルに悪態つきました。っていうか普通にこんな単語が真っ先に、しかもそれ以前はほぼ確実に「設計」と表示されていただけに半端なく頭に来ました。
恐らくこうなった原因は、使用しているパソコンのOSが英語ベースになっているせいだと思います。日本語ベースと比べると同じIMEの日本語入力システムと比べても変換がおかしいことが多く、わざと作業を妨害しているのではないかと思うくらいに誤変換を連発することもあって非常に神経を削られます。
今日なんか、昨日は夜遅くまで残業してへとへとだったこともあり早く上がってうどん食って帰ってきたこともあり余裕ありますが、本気で披露している時にこういったしょうもない、っていうかあり得ないご変換されるとダメージがでかいです。あと中国語使用のキーボードだとカギ括弧の記号のキー位置もずれているので、これも地味にイライラします。
最後に全く関係ないですが、自宅キーボードの「K」のキーはほぼ毎回印字が削れて見えなくなってしまいます。これは右手中指の戦端でいつもKのキーを叩く癖があり、爪が伸びているとそのまま印字を削ってしまうからで、他のキーではそんなことないのに毎回Kのキーだけまっさらになってしまいます。ホームポジションとかもうちょっと見直した方がいいのかもしれません。
下ネタなきギャグマンガ
現在「かぐや様は告らせたい」というギャグマンガを新刊が出るたびに購入して読んでいますが、今度この作品もアニメ化するそうです。つい先日までアニメが放送され好評だったという「ヒナまつり」もそうでしたが、「かぐや様~」も一目見て「ああこれは将来アニメ化するほど人気出るだろうな」とはっきりわかるくらい優れていると思うので、今回のアニメ化発表についても驚かないというか、もっと早くてもよかったのではないかとすら思います。
この漫画のどこが優れているのか私見で述べると、話によってボケ役とツッコミ役がはっきり入れ替わる点だと思います。大体どのギャグマンガでも毎回ボケるキャラと、それに対してツッコミを入れるキャラという役割が作品を通して固定されますが、このかぐや様に限ってはそうではなく、前の話で終始おかしな行動をとっていたキャラが、別の話ではズレた発言をする他のキャラへのツッコミ役に回ることが珍しくなく、各キャラそれぞれの世間ズレした感覚を別の視点から指摘し合うともいうような後世のなされ方がされています。
あとがきなどを見ていると割とじっくり考えこんで話を作る作者だと思えるため、上記の構成ももしかしたらはっきりと意識して行われているのではないかと考えています。もっとも主人公の四宮かぐやに限っては、世間ズレが激しくどの話でもほとんどボケキャラに回っているところがある気がしますが。
話は戻りますがさきほどの「ヒナまつり」ともどもこちらの「かぐや様」も、ギャグマンガでありながら全くと言っていいほど下ネタが存在しない点が共通しています。普通、ギャグマンガと言ったら下ネタがつきものという時代がありましたが昨今はなんかそうでもなく、こうした要素を排除したギャグマンガの方がもはや多くなっている気すらします。
単純なセールスの観点から言っても、下ネタが入ると女性読者からはまず間違いなく敬遠されるため、熱烈な読者層を囲い込むつもりでなければ排除した方がプラスに決まっています。しかし下ネタなしでギャグマンガを作るとなるとこれまた一工夫いるわけで、その点でさっきの二作品はどちらもうまく昇華して成功していると言えるでしょう。
この手の下ネタが全くないギャグマンガで私が最も印象深いのは、90年代に月間ジャンプで連載されていた八木教広氏の「エンジェル伝説」ですが、ある意味この作品がこうした下ネタ排除の漫画の特徴を一番抑えていると思います。この作品は強面だけど実際は心優しい男子高校生を主人公にした作品で、その主人公が周囲からもたれるイメージと、実際の誠実な心根した行動のギャップが面白さにつながっているのですが、この周囲から見られるイメージと実際の行動とのギャップというかズレが、こうした系統のギャグマンガに多い気がします。
先ほどの「かぐや様」なんかは典型的で、「ヒナまつり」においては大体どの回も神回に化すと言われる「瞳さん回」は、このような周囲の認識と本人の意識・行動のギャップが主軸になっています。逆を言えばこの点が人間にとって笑いを誘うポイントなのかもしれません。
最後に余談ですが、こっちで家にいて暇だから電子書籍で漫画買いまくってたら、新規に買いたいと思うものがもうなくなってしまって地味に困ってます。今まで買っておきながら数年間開封すらしていなかった「信長の野望 革新」も遊んでみましたが、なんか自分的にはしっくりこず、むしろこの際だから「天翔記」を買いなおして遊ぼうかとすら思っており、地味にエンタメに飢えてきています。
もっとも現在持っているゲームの中でも「パワプロ2016」なんかはまだ遊び倒しておらず、マイライフをこのまま続けていくのが財布的にも無難そうです。なおこの「マイライフ」モードで私が使うキャラには何故か「オエェ-ッ」って名前を付けて、会話が出るたびに「オエェ-ッ、飯でも食わないか?」などと、みんなえづいてから話しかけるカオスな世界が広がっています。
この漫画のどこが優れているのか私見で述べると、話によってボケ役とツッコミ役がはっきり入れ替わる点だと思います。大体どのギャグマンガでも毎回ボケるキャラと、それに対してツッコミを入れるキャラという役割が作品を通して固定されますが、このかぐや様に限ってはそうではなく、前の話で終始おかしな行動をとっていたキャラが、別の話ではズレた発言をする他のキャラへのツッコミ役に回ることが珍しくなく、各キャラそれぞれの世間ズレした感覚を別の視点から指摘し合うともいうような後世のなされ方がされています。
あとがきなどを見ていると割とじっくり考えこんで話を作る作者だと思えるため、上記の構成ももしかしたらはっきりと意識して行われているのではないかと考えています。もっとも主人公の四宮かぐやに限っては、世間ズレが激しくどの話でもほとんどボケキャラに回っているところがある気がしますが。
話は戻りますがさきほどの「ヒナまつり」ともどもこちらの「かぐや様」も、ギャグマンガでありながら全くと言っていいほど下ネタが存在しない点が共通しています。普通、ギャグマンガと言ったら下ネタがつきものという時代がありましたが昨今はなんかそうでもなく、こうした要素を排除したギャグマンガの方がもはや多くなっている気すらします。
単純なセールスの観点から言っても、下ネタが入ると女性読者からはまず間違いなく敬遠されるため、熱烈な読者層を囲い込むつもりでなければ排除した方がプラスに決まっています。しかし下ネタなしでギャグマンガを作るとなるとこれまた一工夫いるわけで、その点でさっきの二作品はどちらもうまく昇華して成功していると言えるでしょう。
この手の下ネタが全くないギャグマンガで私が最も印象深いのは、90年代に月間ジャンプで連載されていた八木教広氏の「エンジェル伝説」ですが、ある意味この作品がこうした下ネタ排除の漫画の特徴を一番抑えていると思います。この作品は強面だけど実際は心優しい男子高校生を主人公にした作品で、その主人公が周囲からもたれるイメージと、実際の誠実な心根した行動のギャップが面白さにつながっているのですが、この周囲から見られるイメージと実際の行動とのギャップというかズレが、こうした系統のギャグマンガに多い気がします。
先ほどの「かぐや様」なんかは典型的で、「ヒナまつり」においては大体どの回も神回に化すと言われる「瞳さん回」は、このような周囲の認識と本人の意識・行動のギャップが主軸になっています。逆を言えばこの点が人間にとって笑いを誘うポイントなのかもしれません。
最後に余談ですが、こっちで家にいて暇だから電子書籍で漫画買いまくってたら、新規に買いたいと思うものがもうなくなってしまって地味に困ってます。今まで買っておきながら数年間開封すらしていなかった「信長の野望 革新」も遊んでみましたが、なんか自分的にはしっくりこず、むしろこの際だから「天翔記」を買いなおして遊ぼうかとすら思っており、地味にエンタメに飢えてきています。
もっとも現在持っているゲームの中でも「パワプロ2016」なんかはまだ遊び倒しておらず、マイライフをこのまま続けていくのが財布的にも無難そうです。なおこの「マイライフ」モードで私が使うキャラには何故か「オエェ-ッ」って名前を付けて、会話が出るたびに「オエェ-ッ、飯でも食わないか?」などと、みんなえづいてから話しかけるカオスな世界が広がっています。
2018年7月1日日曜日
米中関税摩擦の日本への影響
詳しくは次の水曜のJBpressで出す記事に詳細を書いていますが、このところ、真面目に数年ぶりと言っていいくらいに毎夜安心して寝られることから体力が戻りつつあります。一方、感覚の変化からなんかブログ記事の質がおかしくなっていましたが、今日久々に感覚を取り戻したというか、てんかんキャリア的に言えば電気信号がよく通るようになったので、久々にまじめな時事ネタ且つ専門分野でもある米中関税摩擦に置ける日本への影響について自分の見解を書きます。
結論から書くと、不安視する意見や報道が多いですが私個人としてはこれは日本にとって漁夫の利を得る大きなチャンスに見え、腰砕けな能書きばかり垂れてないでチャンスをものにする前向きな意見が欲しいといったところです。それにしても、かつて専門だと主張したのは国際政治でしたが、最近はすっかり経済・税務・コンプライアンスになってしまったのは自分でも歯がゆいところです。
解説に移りますが、今回槍玉に挙げる米中関税摩擦とはトランプ大統領が米国の膨大な貿易赤字の解消、並びに製造業の米国内回帰を掲げて公約に挙げていた、対米輸出への関税引き上げ政策に端を発します。これは中国に限らず日本やEUなども対象で、すでに一部除外項目を除き鉄鋼の関税を引き上げることを決定しています。今後も引き上げ品目を拡大する方針を示しており、日本もEUとともにWTOの理念に反すると批判に加わりました。
先ほどは「中国に限らず」とは書いたものの、今回の米国の関税措置が中国からの輸入品を念頭に置いていることには間違いありません。また深圳のエレキメーカーであるZTEへの半導体輸出禁止など個別策も打ち出しており、これに対して中国側も反発して米国からの輸入品に対して報復関税を出すことを決め、先週にも品目リストが一斉に発表されました。実質的に関税を軸に米国と中国は戦争状態にあり、今後の帰結はどうなるのか、政治妥結するのか、それとも両国ともに関税競争がエスカレートするのか予断を見せない状況ですが、今しばらくは後者のエスカレートが続くとみられます。
こうした米中の関税摩擦について日系メディアは、「日本も巻き込まれて痛手を食う」という分析がやや支配的だなと感じます。実際に株価は影響を食らってやや下がり気味で、為替にもいくつか影響は出ていますが、私自身は非常に楽観視しています。その理由というのも、米国からの輸入分の埋め合わせとして日本製品入り込む余地が広がる可能性が高いとみているからです。
米国の関税政策は中国のみならず日本も入れられていますが、中国の報復関税の対象は米国のみであり、日本やその他国々は含まれていません。また中国の米国輸入品の多くは食料などで、これらの代替輸入先の確保はそこまで難しいとは思えず(半導体関連を除き)、現状では中国側がやや有利な状況と私は見ます。また米国内でもハーレーダビッドソンが、「こんなんじゃやってらんない」と、米国内回帰どころか欧州への生産移転を発表するなど、逆方向への効果が起こるなど米国にとって不利な状況がどんどん起きています。
第一、今回の米国の急な関税引き上げは明らかに国際秩序を乱すものであり、理念的にも日本が応援する義理はなく、かつてでこそ中国もレアアース輸出規制をやらかしはしたものの、今回に限っては中国や欧州とともに日本も米国を批判するべき立場に回るべきです。同時に、これを機に中国へ売り込みをかけ、米国製品を締め出してそのお株を奪うべきでしょう。
具体的な製品を挙げると、一番狙い目なのはエタノールやゴムといった化学原料、次に完成自動車、そして最後に食料といったところです。何気に日本は中国と距離面で圧倒的な有利があり、代替輸入先として手を挙げることでこれまで米国から輸入してきた分をそっくりそのまま得られるチャンスが大いに広がっています。また中国側もこのところの米国との貿易摩擦を受けて日本との関係構築に目を向けてきており、先日の李国強総理の日本訪問もそうした期待があってのものとみて間違いありません。将来的にはどうなるかわからないものの、今この場は商売に徹して中国と関係を深めるべきだというのが私の考えです。
既存メディアについてはどうして上記のような視点が一つも出てこないのか、そもそも米中貿易摩擦にどう巻き込まれるのかがどこも具体指摘しておらず見ていてイライラを通り越して、ここまで日本には人材がいないのかと不安になってきます。米国の完成自動車輸入関税引き上げについても、1社だけまさに同じ指摘をしていましたが、現時点で日系メーカーは米国現地生産率が高いため、この関税引き上げでダメージを負うのは米国に工場のないマツダくらいでしょうに。
何もこの件に限るわけじゃないですが、状況の変化をマイナスと見るかプラスと見るか、この一点でも人間の良し悪しはわかってくるでしょう。無論、上記の私の見解もあくまで「チャンス」であり「現金」ではなく、実現するかどうかは今後によるものの、チャンスと捉えて行動をするか、チャンスだと気づかずに見過ごすかでは過程は大きく変わるものです。この点、やはり日本は全体としてもうチャンスをチャンスとして見られなくなっているのかという懸念ももたげます。
結論から書くと、不安視する意見や報道が多いですが私個人としてはこれは日本にとって漁夫の利を得る大きなチャンスに見え、腰砕けな能書きばかり垂れてないでチャンスをものにする前向きな意見が欲しいといったところです。それにしても、かつて専門だと主張したのは国際政治でしたが、最近はすっかり経済・税務・コンプライアンスになってしまったのは自分でも歯がゆいところです。
解説に移りますが、今回槍玉に挙げる米中関税摩擦とはトランプ大統領が米国の膨大な貿易赤字の解消、並びに製造業の米国内回帰を掲げて公約に挙げていた、対米輸出への関税引き上げ政策に端を発します。これは中国に限らず日本やEUなども対象で、すでに一部除外項目を除き鉄鋼の関税を引き上げることを決定しています。今後も引き上げ品目を拡大する方針を示しており、日本もEUとともにWTOの理念に反すると批判に加わりました。
先ほどは「中国に限らず」とは書いたものの、今回の米国の関税措置が中国からの輸入品を念頭に置いていることには間違いありません。また深圳のエレキメーカーであるZTEへの半導体輸出禁止など個別策も打ち出しており、これに対して中国側も反発して米国からの輸入品に対して報復関税を出すことを決め、先週にも品目リストが一斉に発表されました。実質的に関税を軸に米国と中国は戦争状態にあり、今後の帰結はどうなるのか、政治妥結するのか、それとも両国ともに関税競争がエスカレートするのか予断を見せない状況ですが、今しばらくは後者のエスカレートが続くとみられます。
こうした米中の関税摩擦について日系メディアは、「日本も巻き込まれて痛手を食う」という分析がやや支配的だなと感じます。実際に株価は影響を食らってやや下がり気味で、為替にもいくつか影響は出ていますが、私自身は非常に楽観視しています。その理由というのも、米国からの輸入分の埋め合わせとして日本製品入り込む余地が広がる可能性が高いとみているからです。
米国の関税政策は中国のみならず日本も入れられていますが、中国の報復関税の対象は米国のみであり、日本やその他国々は含まれていません。また中国の米国輸入品の多くは食料などで、これらの代替輸入先の確保はそこまで難しいとは思えず(半導体関連を除き)、現状では中国側がやや有利な状況と私は見ます。また米国内でもハーレーダビッドソンが、「こんなんじゃやってらんない」と、米国内回帰どころか欧州への生産移転を発表するなど、逆方向への効果が起こるなど米国にとって不利な状況がどんどん起きています。
第一、今回の米国の急な関税引き上げは明らかに国際秩序を乱すものであり、理念的にも日本が応援する義理はなく、かつてでこそ中国もレアアース輸出規制をやらかしはしたものの、今回に限っては中国や欧州とともに日本も米国を批判するべき立場に回るべきです。同時に、これを機に中国へ売り込みをかけ、米国製品を締め出してそのお株を奪うべきでしょう。
具体的な製品を挙げると、一番狙い目なのはエタノールやゴムといった化学原料、次に完成自動車、そして最後に食料といったところです。何気に日本は中国と距離面で圧倒的な有利があり、代替輸入先として手を挙げることでこれまで米国から輸入してきた分をそっくりそのまま得られるチャンスが大いに広がっています。また中国側もこのところの米国との貿易摩擦を受けて日本との関係構築に目を向けてきており、先日の李国強総理の日本訪問もそうした期待があってのものとみて間違いありません。将来的にはどうなるかわからないものの、今この場は商売に徹して中国と関係を深めるべきだというのが私の考えです。
既存メディアについてはどうして上記のような視点が一つも出てこないのか、そもそも米中貿易摩擦にどう巻き込まれるのかがどこも具体指摘しておらず見ていてイライラを通り越して、ここまで日本には人材がいないのかと不安になってきます。米国の完成自動車輸入関税引き上げについても、1社だけまさに同じ指摘をしていましたが、現時点で日系メーカーは米国現地生産率が高いため、この関税引き上げでダメージを負うのは米国に工場のないマツダくらいでしょうに。
何もこの件に限るわけじゃないですが、状況の変化をマイナスと見るかプラスと見るか、この一点でも人間の良し悪しはわかってくるでしょう。無論、上記の私の見解もあくまで「チャンス」であり「現金」ではなく、実現するかどうかは今後によるものの、チャンスと捉えて行動をするか、チャンスだと気づかずに見過ごすかでは過程は大きく変わるものです。この点、やはり日本は全体としてもうチャンスをチャンスとして見られなくなっているのかという懸念ももたげます。
中小企業に対する目の変化
いつも日本の問題点ばかり挙げているのでたまには今後の日本にとって希望が見える点を挙げようかなと考えた際、真っ先に浮かんできたのは見出しに掲げた中小企業に対する社会の目の変化でした。具体的には、以前ほど中小企業が大事だ、保護しろとは言わなくなり、やや怜悧になってきているという意味で、長い目で見ればこれは明るい材料だと考えます。
2000年前後、一部地銀の破綻が相次いだ時期によく、「日系企業の大半は中小企業だ」、「日本を支えているのは中小企業だ」、「これを保護しないとえらいことになるぞ」みたいなフレーズが大手メディアを中心に盛んに喧伝されました。その後、竹中平蔵氏が金融担当大臣になって各銀行に厳しい締め付けを行ったことによって貸し剥がしが多くなると先ほどのフレーズは勢いを増し、中小企業を潰す竹中大臣は悪の権化だと言わんばかりに批判され続けました。
なお竹中氏もこの時のことは結構根に持っていたのか、「三年で不良債権を半減化すると言ったら野党はできるはずないと批判したが、実際に二年半で私はやってのけた」と雑誌のインタビューで答えています。ただこの件については私も野党の肩を持つというか、実現不可能だと思われたことを有言実行してしまった竹中氏の方が凄すぎたと思います。
話は戻しますが、当時が当時だったのかもしれませんがここ最近においては中小企業の保護なんて言葉はほとんど聞かれなくなりましたし、むしろ潰れるなら仕方ないというような雰囲気すら感じます。
現実に苦境に陥っている中小企業は単純に経営能力が低いからこそ苦境に陥るわけで、そう言った起業を救済することは社会全体の経済効率を下げるのに努力するも同然です。この辺、みんな大好きアトキンソンことデービッド・アトキンソン氏がこっぴどく主張していますが、日本はダメな経営者が多すぎて足を引っ張ってるとはまさに金言でしょう。こうしたアトキンソン氏のような考え方というか真理が、徐々に一般社会にも広がってきているのかもしれません。
翻って中国の話をすると中国は中小企業の保護を叫ぶどころか、「潰せ、一匹残らず!」と言わんばかりの行動をとっています。具体的には「ゾンビ企業」と揶揄して、キャッシュ・フローがマイナスにもかかわらず銀行などの融資によって生きながらえている企業はむしろ率先して潰すか、同業他社へ売却するべきという方針を取っており、特に採算割れしている国有企業らがターゲットになっています。はっきり言いますが、日本よりも中国の方がこの点では賢かったでしょう。
そもそも、実力のある中小企業は国が保護しなくても十分一人でやってけるうような企業達ばかりです。国が保護しなければならないという点でその中小企業には問題があり、たとえ従業員が路頭に迷うとしても彼らを救うために日本全体を沈没させてはまるで意味がなく、そんな意味のない行動を90年代に率先して行ってきたというのが失われた十年の根本的原因でした。
幸いというかそうした腐った価値観はこのところはどうも駆逐されてきたように思えます。いわゆる地元斡旋型の議員が減ってきたということもあるでしょうが、国会議員も地方再生こそ口にするものの、むやみやたらに中小企業の維持や保護を叫ぶ人は減っています。またブラック企業問題も相まって、問題のある会社はむしろ淘汰すべきという価値観も社会全体で共有され始めてきたと言っていいでしょう。
こうした価値観の変化は日本にとってプラスでしょうが、20年前に到達すべき点でもありました。今更とはいえ、アトキンソン氏のようにもっと強く且つ過激にこうした意識を高め、「駄目な中小経営者は殺せ、生かして返すな!」ぐらいの熱意をもって淘汰に動くべきというのが、私個人の意見です。
2000年前後、一部地銀の破綻が相次いだ時期によく、「日系企業の大半は中小企業だ」、「日本を支えているのは中小企業だ」、「これを保護しないとえらいことになるぞ」みたいなフレーズが大手メディアを中心に盛んに喧伝されました。その後、竹中平蔵氏が金融担当大臣になって各銀行に厳しい締め付けを行ったことによって貸し剥がしが多くなると先ほどのフレーズは勢いを増し、中小企業を潰す竹中大臣は悪の権化だと言わんばかりに批判され続けました。
なお竹中氏もこの時のことは結構根に持っていたのか、「三年で不良債権を半減化すると言ったら野党はできるはずないと批判したが、実際に二年半で私はやってのけた」と雑誌のインタビューで答えています。ただこの件については私も野党の肩を持つというか、実現不可能だと思われたことを有言実行してしまった竹中氏の方が凄すぎたと思います。
話は戻しますが、当時が当時だったのかもしれませんがここ最近においては中小企業の保護なんて言葉はほとんど聞かれなくなりましたし、むしろ潰れるなら仕方ないというような雰囲気すら感じます。
現実に苦境に陥っている中小企業は単純に経営能力が低いからこそ苦境に陥るわけで、そう言った起業を救済することは社会全体の経済効率を下げるのに努力するも同然です。この辺、みんな大好きアトキンソンことデービッド・アトキンソン氏がこっぴどく主張していますが、日本はダメな経営者が多すぎて足を引っ張ってるとはまさに金言でしょう。こうしたアトキンソン氏のような考え方というか真理が、徐々に一般社会にも広がってきているのかもしれません。
翻って中国の話をすると中国は中小企業の保護を叫ぶどころか、「潰せ、一匹残らず!」と言わんばかりの行動をとっています。具体的には「ゾンビ企業」と揶揄して、キャッシュ・フローがマイナスにもかかわらず銀行などの融資によって生きながらえている企業はむしろ率先して潰すか、同業他社へ売却するべきという方針を取っており、特に採算割れしている国有企業らがターゲットになっています。はっきり言いますが、日本よりも中国の方がこの点では賢かったでしょう。
そもそも、実力のある中小企業は国が保護しなくても十分一人でやってけるうような企業達ばかりです。国が保護しなければならないという点でその中小企業には問題があり、たとえ従業員が路頭に迷うとしても彼らを救うために日本全体を沈没させてはまるで意味がなく、そんな意味のない行動を90年代に率先して行ってきたというのが失われた十年の根本的原因でした。
幸いというかそうした腐った価値観はこのところはどうも駆逐されてきたように思えます。いわゆる地元斡旋型の議員が減ってきたということもあるでしょうが、国会議員も地方再生こそ口にするものの、むやみやたらに中小企業の維持や保護を叫ぶ人は減っています。またブラック企業問題も相まって、問題のある会社はむしろ淘汰すべきという価値観も社会全体で共有され始めてきたと言っていいでしょう。
こうした価値観の変化は日本にとってプラスでしょうが、20年前に到達すべき点でもありました。今更とはいえ、アトキンソン氏のようにもっと強く且つ過激にこうした意識を高め、「駄目な中小経営者は殺せ、生かして返すな!」ぐらいの熱意をもって淘汰に動くべきというのが、私個人の意見です。
2018年6月28日木曜日
すっとんきょんな天才なき世の中
最近歴史ネタを書こうと思っても浮かばないというか、もうこれまででほとんど書き尽くしている感がありなかなか書けなくなっているのですが、今日もなんか書こう、それも文化人にしようといろいろ考えあぐねていたところ、「最近、すっとんきょんな天才ってのを見たことがない」とふと思いました。
かつて文豪というのはその大きな事績とともに、プライベートでの奇妙な振舞いというか豪快なエピソードを数多く持っているのが普通でした。漫画家も然りで働きづくめでいたずらすることも多かった手塚治虫は言うに及ばず、水木しげるに至っては逆に何もかもがすっとんきょんな行動ばかりで、むしろ常識的な行動の方が少なかったのではと思う節すらあります。
最近、この手の奇行の多い天才となると将棋の加藤一二三氏が最後なのではないかと思うくらい見当たらなくなりました。作家、漫画家、スポーツ選手にしろ、なんか最近はまともな人が多くなり、ぶっ飛んだエピソードの多い文化人となると正直あまり浮かびません。作家に至っては、発言が物騒な人はおろか小説以外の分野、具体的には政治や言論などに出てくる人は明らかに減っています。
何が言いたいのかというと、あまりある才能に対してその他のぶっ飛んだ面を許容する寛容さがこのところ失われてきているのではないかということです。もしかしたら私が知らないだけかもしれませんが、アクの強い文化人がこのところほとんど見られず、一方で礼儀正しくまともな人は増えていて、これはこれでいいのかもしれないけど何か面白みに欠けるような気がしてなりません。
特に文芸においては近年の出版不況もあるでしょうが注目に値する作品はなかなか出てこなくなり、ドラマや映画も漫画を原作にするパターンが増えてきています。ドラマのオリジナル脚本も以前と比べれば大人しいテーマが多く、かつての「人間失格」など世の中にものすごい議題を突きつけるような作品ともなると皆無です。そのあたりが、すっとんきょんな天才がいなくなったことも影響しているのではないかと思うわけです。
かくいう私も器用貧乏な性格していて、一点突破的なキャラは実はあまり好きじゃなく、野球で言えばユーティリティプレイヤーを好むところがあり、私自身もそんな性格からか金属切断作業から貿易アレンジまで幅広くこなす業務経歴を持っています。もっともそれ以上にライターとして対応できるテーマの幅広さの方がもっと如実にその性格を表しており、客観的に見たとしても、社会的なテーマから歴史、政治、経済、ホビーに至るまでありとあらゆるジャンルを書ける器用さに関してはライターとしても誇れると自負します。
そんな自分が言うのもおかしいですが、何か一つの才能のために他のすべてを台無しにしてしまったような天才が不足、というよりも世の中から出てこないというのが、今の日本の苦しい現状を一部反映しているような気がします。持論でもありますが、寛容性のある社会の方が基本的に強く、その点で今後の日本について不安を感じる次第です。
かつて文豪というのはその大きな事績とともに、プライベートでの奇妙な振舞いというか豪快なエピソードを数多く持っているのが普通でした。漫画家も然りで働きづくめでいたずらすることも多かった手塚治虫は言うに及ばず、水木しげるに至っては逆に何もかもがすっとんきょんな行動ばかりで、むしろ常識的な行動の方が少なかったのではと思う節すらあります。
最近、この手の奇行の多い天才となると将棋の加藤一二三氏が最後なのではないかと思うくらい見当たらなくなりました。作家、漫画家、スポーツ選手にしろ、なんか最近はまともな人が多くなり、ぶっ飛んだエピソードの多い文化人となると正直あまり浮かびません。作家に至っては、発言が物騒な人はおろか小説以外の分野、具体的には政治や言論などに出てくる人は明らかに減っています。
何が言いたいのかというと、あまりある才能に対してその他のぶっ飛んだ面を許容する寛容さがこのところ失われてきているのではないかということです。もしかしたら私が知らないだけかもしれませんが、アクの強い文化人がこのところほとんど見られず、一方で礼儀正しくまともな人は増えていて、これはこれでいいのかもしれないけど何か面白みに欠けるような気がしてなりません。
特に文芸においては近年の出版不況もあるでしょうが注目に値する作品はなかなか出てこなくなり、ドラマや映画も漫画を原作にするパターンが増えてきています。ドラマのオリジナル脚本も以前と比べれば大人しいテーマが多く、かつての「人間失格」など世の中にものすごい議題を突きつけるような作品ともなると皆無です。そのあたりが、すっとんきょんな天才がいなくなったことも影響しているのではないかと思うわけです。
かくいう私も器用貧乏な性格していて、一点突破的なキャラは実はあまり好きじゃなく、野球で言えばユーティリティプレイヤーを好むところがあり、私自身もそんな性格からか金属切断作業から貿易アレンジまで幅広くこなす業務経歴を持っています。もっともそれ以上にライターとして対応できるテーマの幅広さの方がもっと如実にその性格を表しており、客観的に見たとしても、社会的なテーマから歴史、政治、経済、ホビーに至るまでありとあらゆるジャンルを書ける器用さに関してはライターとしても誇れると自負します。
そんな自分が言うのもおかしいですが、何か一つの才能のために他のすべてを台無しにしてしまったような天才が不足、というよりも世の中から出てこないというのが、今の日本の苦しい現状を一部反映しているような気がします。持論でもありますが、寛容性のある社会の方が基本的に強く、その点で今後の日本について不安を感じる次第です。
2018年6月27日水曜日
Googleの驕り?
実は二ヶ月ほど前から、このブログで異変が起きていました。どんな異変かというと、コメントが書かれてもメールで通知されないのです。
これまでブログ設定の箇所でメール通知欄に自分のメールアドレスを登録することで、コメントがあり次第に通知が来ていました。それが二ヶ月ほど前から急に来なくなり、どんなにアドレスを再設定しても全く反応しなくなりました。新しい機能ならいざ知らず、これまでできていたことが出来なくなるという不始末で、おまけに不具合として通知しましたが何の返事すら来ません。
そもそもGoogle自体がもうこのbloggerのサポートを放棄している節すらあり、ガジェットなど新しい機能はもう何年も追加されていません。まぁそれを言ったら他のブログソフトも似たようなもんでしょうが。
またこれはついさっき体験しましたが、先日にまたGmailが新たなバージョンに更新されましたが、この新しいバージョンでメールアドレスの登録を行おうとしたところ、アドレス帳を開くことが出来ませんでした。
実際にこれはGmailを使われている方に試してもらいたいのですが、画面内をいくら探してもアドレス帳を開くボタンが全く見つからず、メールソフトでありながらアドレス帳という表示すらないいびつな構造になっていることに気が付きました。
最終的にネットで検索して、「こんなんわかるかよ」と思う個所にボタンがあることが分かって編集できましたが、この編集画面も使いづらいし見づらいしで、他のソフトともども、昔に比べてGoogleが使いづらくなってきたという印象を覚えます。なんとなくですが、ソニーに特に顕著ですがユーザビリティよりも自己満足なシステムを押し付けられているような印象を覚えます。
そういったこともあり、希望的観測でもあるのですが案外シンプルにこざっぱりまとまった、それこそ中国系のアプリが得意とするようなソフトやサービスが出始めたら案外あっさりとGoogleも天下取られるんじゃないかとふと思いました。そもそもIT業界自体がトップの入れ替わりの激しい業界ですし、システムが複雑で何でもできることよりも、意外と機能を限定してシンプルなアプリの方が、以前に比べても今の方が俄然需要が高いように思えるからです。
なお先ほど挙げたソニーについてですが、やはりゲーム機のUIに関してはPS3とPSP時代のUIの方がよかったという声をネットで見ますが、私も同感です。非常にセンスに溢れ尚且つ操作しやすく最初にPS3で触った時は軽く感動したくらいだったのですが、PSVitaはスマホ以下のUIに成り下がり、ガッカリ大賞を自分の中でもらいました。まぁVitaはそれ以上に、プレイ中に誤爆にしかならない背面タッチパッドというインターフェースを取り付けたという設計上の瑕疵の方が大きいですが。
最後にあまり関係ないですが、先週発売された「Newガンダムブレイカー」というゲームがAmazonで、日一日ごとに数%ずつ値段が下がり続け、まだ発売から約1週間なのにとうとう値引き率が50%を超えたのが笑えます。ある意味凄い記録ですが、多分今年一番のガッカリゲーとなるでしょう。
実際、ゲームシステムについてみていると、「これ作った奴ヤク(ルト)でも決めてるんじゃないのか?」と思うくらい歪です。どうしてこんな半端なくゲーム作りに向いていない人間がゲーム作っているのかわからないというレベルですごいです。
これまでブログ設定の箇所でメール通知欄に自分のメールアドレスを登録することで、コメントがあり次第に通知が来ていました。それが二ヶ月ほど前から急に来なくなり、どんなにアドレスを再設定しても全く反応しなくなりました。新しい機能ならいざ知らず、これまでできていたことが出来なくなるという不始末で、おまけに不具合として通知しましたが何の返事すら来ません。
そもそもGoogle自体がもうこのbloggerのサポートを放棄している節すらあり、ガジェットなど新しい機能はもう何年も追加されていません。まぁそれを言ったら他のブログソフトも似たようなもんでしょうが。
またこれはついさっき体験しましたが、先日にまたGmailが新たなバージョンに更新されましたが、この新しいバージョンでメールアドレスの登録を行おうとしたところ、アドレス帳を開くことが出来ませんでした。
実際にこれはGmailを使われている方に試してもらいたいのですが、画面内をいくら探してもアドレス帳を開くボタンが全く見つからず、メールソフトでありながらアドレス帳という表示すらないいびつな構造になっていることに気が付きました。
最終的にネットで検索して、「こんなんわかるかよ」と思う個所にボタンがあることが分かって編集できましたが、この編集画面も使いづらいし見づらいしで、他のソフトともども、昔に比べてGoogleが使いづらくなってきたという印象を覚えます。なんとなくですが、ソニーに特に顕著ですがユーザビリティよりも自己満足なシステムを押し付けられているような印象を覚えます。
そういったこともあり、希望的観測でもあるのですが案外シンプルにこざっぱりまとまった、それこそ中国系のアプリが得意とするようなソフトやサービスが出始めたら案外あっさりとGoogleも天下取られるんじゃないかとふと思いました。そもそもIT業界自体がトップの入れ替わりの激しい業界ですし、システムが複雑で何でもできることよりも、意外と機能を限定してシンプルなアプリの方が、以前に比べても今の方が俄然需要が高いように思えるからです。
なお先ほど挙げたソニーについてですが、やはりゲーム機のUIに関してはPS3とPSP時代のUIの方がよかったという声をネットで見ますが、私も同感です。非常にセンスに溢れ尚且つ操作しやすく最初にPS3で触った時は軽く感動したくらいだったのですが、PSVitaはスマホ以下のUIに成り下がり、ガッカリ大賞を自分の中でもらいました。まぁVitaはそれ以上に、プレイ中に誤爆にしかならない背面タッチパッドというインターフェースを取り付けたという設計上の瑕疵の方が大きいですが。
最後にあまり関係ないですが、先週発売された「Newガンダムブレイカー」というゲームがAmazonで、日一日ごとに数%ずつ値段が下がり続け、まだ発売から約1週間なのにとうとう値引き率が50%を超えたのが笑えます。ある意味凄い記録ですが、多分今年一番のガッカリゲーとなるでしょう。
実際、ゲームシステムについてみていると、「これ作った奴ヤク(ルト)でも決めてるんじゃないのか?」と思うくらい歪です。どうしてこんな半端なくゲーム作りに向いていない人間がゲーム作っているのかわからないというレベルですごいです。
2018年6月26日火曜日
情報過多の時代において
・年々右傾化する若者、原因は情報過多にあり(JBpress)
恐らくJBpressで一番アクセスを稼いでいる伊東乾氏の記事ですが、種々のデータを使って日本人が保守化している現状を相変わらずうまく説明しています。この保守化の原因として伊東氏はインターネット普及による情報過多を指摘していますが、私も基本同感です。
私自身は少年期からインターネットが存在する世代ですが、そんな私にとっても情報は「求めなければ得られないもの」でかつてありました。特に大学進学で京都へ移った際は関東、東京周辺の情報が周りから全く入らなくなり、直近の流行や関心事、新規インフラなどの情報を得るために関東の友人らにあることをメールなどで教えてくれと頼みましたが、どうも勘の鈍い奴らだったためか私の言っている意味を理解せず、もとい関西においては東京の情報が入ってき辛いという状況がわからなかったのかついぞ一つも連絡は来ませんでした。
それが現在において、私は上海にいながら日本のかなり細かい話題などもこうしてブログで取り上げています。何故こうなれたのかというと、インターネットがあるからというよりも、どんな細かい情報もネットに上がるようになったからという影響の方が大きいと思います。例えばノートパソコンの情報も価格コムやAmazonなどを活用すれば手に取るようにわかるし、何が売れ筋なのかも簡単に分析できます。また日本のテレビ番組についても、ネット掲示板……よりも最近はテレビの視聴率を取り合えるネットニュースを見ればどの番組が受けていて、どの芸能人が人気が出てきたのかもわかってしまいます。
一方で、これは私自身が実際にこのブログで強く実感したことですが、ネットに挙げられない情報に関しては驚くほど共有、認知されない傾向が以前よりも強くなってきています。具体例を挙げるとかつて宮崎県で口蹄疫が流行した際に最初に感染認定された牛が出てきた牧場についてネット上では、韓国人研修生を以前受けれていたことから彼らが口蹄疫を持ってきたという主張が支配的なまでに流行しましたが、実はこの牧場は他の牧場から口蹄疫感染牛が見つかった後で何故か「感染第一号」認定されるという、不可解な経緯がありました。また文芸春秋の取材によると、そもそもこの牧場は外国からの研修生を受け入れた事実などはなく、ネット上で支配的なまでに流行した情報は完全なデマでした。
しかしこの文藝春秋の記事が出た後も、以前と韓国人研修生犯人説が強く唱えられ続け、誰もその事実の検証はせず、そもそも文春の取材も既に存在していたというのに、同じ主張をその後も取り上げられ続けました。
実際にその時にいろいろ検索して調べましたが、文春の記事について言及する人間はほぼおらず、この時に私はネットに挙げられていない情報、この場合は雑誌情報は、ネット上では驚くほど共有されないと感じました。
話は戻りますが、今回の伊東氏の記事でも外国語の情報はネットを通して手に入れられるようになっているにもかかわらず、誰も原典には当たらず、むしろいい加減な解釈や予測の記事を読んで海外事情を誤認する人間は前より増えていると私も日々感じています。私の場合は中国語と英語しか読めませんが、これらの言語のメディアを見ていると日本国内の海外報道の少なさに驚くとともに、「いい加減な報道しているな……」と感じる日系メディアもよく見られます。
それこそ、東スポとか週刊実話のような中国メディア(大紀元とか)の記事を翻訳して報じるようなのです。中国人も信じないメディアの記事が、日本では中国事情として報じられるわけです。
今自分がJBpressでやっていることについてよく周りに、「日本人に現実を見せる仕事だ」と説明していますが、それにはこういった背景があります。情報量がネットの隆盛によってあからさまに増えた一方、明かなデマ情報も増え、またそれに対してなんの警戒もなく受け入れる、情報の取捨選択ができない人間は増えているでしょう。
何も自分だけが真実を報じられるだなんて自惚れちゃいませんが、なんとなくこの方面に危機感を持って仕事しているのはウソではないです。
恐らくJBpressで一番アクセスを稼いでいる伊東乾氏の記事ですが、種々のデータを使って日本人が保守化している現状を相変わらずうまく説明しています。この保守化の原因として伊東氏はインターネット普及による情報過多を指摘していますが、私も基本同感です。
私自身は少年期からインターネットが存在する世代ですが、そんな私にとっても情報は「求めなければ得られないもの」でかつてありました。特に大学進学で京都へ移った際は関東、東京周辺の情報が周りから全く入らなくなり、直近の流行や関心事、新規インフラなどの情報を得るために関東の友人らにあることをメールなどで教えてくれと頼みましたが、どうも勘の鈍い奴らだったためか私の言っている意味を理解せず、もとい関西においては東京の情報が入ってき辛いという状況がわからなかったのかついぞ一つも連絡は来ませんでした。
それが現在において、私は上海にいながら日本のかなり細かい話題などもこうしてブログで取り上げています。何故こうなれたのかというと、インターネットがあるからというよりも、どんな細かい情報もネットに上がるようになったからという影響の方が大きいと思います。例えばノートパソコンの情報も価格コムやAmazonなどを活用すれば手に取るようにわかるし、何が売れ筋なのかも簡単に分析できます。また日本のテレビ番組についても、ネット掲示板……よりも最近はテレビの視聴率を取り合えるネットニュースを見ればどの番組が受けていて、どの芸能人が人気が出てきたのかもわかってしまいます。
一方で、これは私自身が実際にこのブログで強く実感したことですが、ネットに挙げられない情報に関しては驚くほど共有、認知されない傾向が以前よりも強くなってきています。具体例を挙げるとかつて宮崎県で口蹄疫が流行した際に最初に感染認定された牛が出てきた牧場についてネット上では、韓国人研修生を以前受けれていたことから彼らが口蹄疫を持ってきたという主張が支配的なまでに流行しましたが、実はこの牧場は他の牧場から口蹄疫感染牛が見つかった後で何故か「感染第一号」認定されるという、不可解な経緯がありました。また文芸春秋の取材によると、そもそもこの牧場は外国からの研修生を受け入れた事実などはなく、ネット上で支配的なまでに流行した情報は完全なデマでした。
しかしこの文藝春秋の記事が出た後も、以前と韓国人研修生犯人説が強く唱えられ続け、誰もその事実の検証はせず、そもそも文春の取材も既に存在していたというのに、同じ主張をその後も取り上げられ続けました。
実際にその時にいろいろ検索して調べましたが、文春の記事について言及する人間はほぼおらず、この時に私はネットに挙げられていない情報、この場合は雑誌情報は、ネット上では驚くほど共有されないと感じました。
話は戻りますが、今回の伊東氏の記事でも外国語の情報はネットを通して手に入れられるようになっているにもかかわらず、誰も原典には当たらず、むしろいい加減な解釈や予測の記事を読んで海外事情を誤認する人間は前より増えていると私も日々感じています。私の場合は中国語と英語しか読めませんが、これらの言語のメディアを見ていると日本国内の海外報道の少なさに驚くとともに、「いい加減な報道しているな……」と感じる日系メディアもよく見られます。
それこそ、東スポとか週刊実話のような中国メディア(大紀元とか)の記事を翻訳して報じるようなのです。中国人も信じないメディアの記事が、日本では中国事情として報じられるわけです。
今自分がJBpressでやっていることについてよく周りに、「日本人に現実を見せる仕事だ」と説明していますが、それにはこういった背景があります。情報量がネットの隆盛によってあからさまに増えた一方、明かなデマ情報も増え、またそれに対してなんの警戒もなく受け入れる、情報の取捨選択ができない人間は増えているでしょう。
何も自分だけが真実を報じられるだなんて自惚れちゃいませんが、なんとなくこの方面に危機感を持って仕事しているのはウソではないです。
2018年6月25日月曜日
生きる力を育てる教育とは?
今日ニュースを見ていたら2020年から小学校で必修となるプログラミング教育について、学校側はどこも全く準備を進めていないというものがありました。私自身もこの方針については疑問に思うところがありさもありなんとか思ったのですが、これ見て昔言われた「生きる力を育てる教育」を思い出したので少し話します。
っていうか一昨日に「地球防衛軍ポータブル3」買って死ぬほど遊んで今疲労がやばいです。よくできたゲームだし、やっぱこういう単純化された面白味が他のゲームは物足りないです。
さて生きる力を育てる教育ですが、私の記憶が確かなら1990年代半ばに中学生の自殺が大きなニュースになり、当時の公立校で一時期叫ばれた教育論です。私自身も小学生の頃に生きる力云々とか言われたのを覚えていますが、はっきり言って掛け声倒れもいいところで、どんな教育を指すのか、どう指導するのか学校現場も何もわかってなかった気がします。案の定というか結局数ヶ月くらい叫ばれた後はすぐにフェードアウトして、そもそもの発端となった中学生の自殺事件についても触れられなくなり、それから数年してまた別の自殺事件が起きてから「自殺良くない」という同じような運動の展開が延々と繰り返されるわけです。
一応というか私の記憶の範囲で言えば、生きる力を育てる教育としてまず挙げられていたのは「命を大事にする」というようなフレーズが飛び交っていました。狙いとしては自分の命も相手の命も大事にすることでいじめはなくなるし、生きる大切さに気付くだろうという腹積もりだったと思いますが、齢30を越した自分に言わせるとこんなの逆効果です。
生きる力とは命を大事に思うとか、遭難時に役立つサバイバル能力とかではなく(後者はまぁ生きる力の一種だとは思いますが)、突き詰めて言えば「奪う力」だと思います。自分が欲しいもの、具体的な物質でもいいですし、立派な地位や安定した立場とか名誉など無形のものでもいいですが、そうした欲する対象を手段を選ばずに奪おう、得ようとする心構えと価値観、真剣さというのがこの奪う力の定義です。
何故このように考えるのかというと結局は奪おうとすればガツガツ動かざるを得なくなり、自然とアクティブになるからです。逆にこの奪おうという意気込みが弱くなると、現状から何も手が出せなくなりどんどんと縮こまり、世界が小さくなっていくとともにどんどん消極化して自殺する可能性も生じてきます。
具体例を挙げると、奪うという行為に対して「奪う対象に申し訳ない」という呵責を覚えることこそが、奪う力を萎えさせます。こんなことを言うとさも私が強盗めいた行為を奨励しているように見えるでしょうが言い訳しておくと、「奪われる覚悟がある者にのみ奪う行為は許される」という前提があります。
社会において最小の労力と投資で最大の効果とリターンを得ようとするのは当たり前で、この際に相手のことを過度に慮り低い利益率で取引をすることは、まわりまわって社会全体の効率を落としてしまうことの方が多いです。ある意味、競争関係が維持されることで世の中は一番効率的に回り、そうした意味で「緊張感漂う奪い合う社会」こそが正常な社会状態だと私は考えます。
こうした社会、というよりも普通の資本主義社会ではこれこそが一般的な世界観であり、奪うことに呵責を持つこと自体がこの社会において不利にしかなりません。特に、「奪うのではなく与えてもられるようにする」という価値観は私に言わせれば危険で、奪う側にとっては実質カモだし、他人に依存する価値観は精神を脆くさせるだけです。
そういう意味で私は、小学生にはまだ早いかもしれませんが中学生くらいには、「暴力や詐欺といった非合法な手段は良くないが、世間的に合法とされる範囲であれば迷うことな効率的な手段を選び、仮借なく相手から奪え!」と教えてあげたいです。その一方で、「長期的な関係を見越して相手に奪わせるのも一つの手」だとして、「まず与え、そして奪う」という史記の管仲伝に出てくる政治概念を解説するでしょう。
その上で、「一方的に奪い続けるのは、恨みを買うので良くない」ということも教えた上で、「いらないものを奪わせ、いる物は何としてでも奪え。どうやっても奪えないと諦めたその時点で、君の生きる力はマイナス1ポイントだ!」とまくし立てるでしょう。
真面目にまとめると、奪う覚悟と奪われる覚悟のどっちもない人間は非常に脆いのですが、日本の教育はこうした人間を今量産している気がします。欲しいものを得るためには努力して、リスクを冒さなければならないという大事なことを教えず、「言われた通りにやっておけば与えられる」という間違った価値観を教えているように思えてなりません。だから生きる力が育たないんだと思うし、中国にいてその辺のリアルさを日本は社会全体でいまいち理解してない気がします。まぁ学校の教師ならそれこそ「言われた通りに……」でさもありなんなのですが。
っていうか一昨日に「地球防衛軍ポータブル3」買って死ぬほど遊んで今疲労がやばいです。よくできたゲームだし、やっぱこういう単純化された面白味が他のゲームは物足りないです。
さて生きる力を育てる教育ですが、私の記憶が確かなら1990年代半ばに中学生の自殺が大きなニュースになり、当時の公立校で一時期叫ばれた教育論です。私自身も小学生の頃に生きる力云々とか言われたのを覚えていますが、はっきり言って掛け声倒れもいいところで、どんな教育を指すのか、どう指導するのか学校現場も何もわかってなかった気がします。案の定というか結局数ヶ月くらい叫ばれた後はすぐにフェードアウトして、そもそもの発端となった中学生の自殺事件についても触れられなくなり、それから数年してまた別の自殺事件が起きてから「自殺良くない」という同じような運動の展開が延々と繰り返されるわけです。
一応というか私の記憶の範囲で言えば、生きる力を育てる教育としてまず挙げられていたのは「命を大事にする」というようなフレーズが飛び交っていました。狙いとしては自分の命も相手の命も大事にすることでいじめはなくなるし、生きる大切さに気付くだろうという腹積もりだったと思いますが、齢30を越した自分に言わせるとこんなの逆効果です。
生きる力とは命を大事に思うとか、遭難時に役立つサバイバル能力とかではなく(後者はまぁ生きる力の一種だとは思いますが)、突き詰めて言えば「奪う力」だと思います。自分が欲しいもの、具体的な物質でもいいですし、立派な地位や安定した立場とか名誉など無形のものでもいいですが、そうした欲する対象を手段を選ばずに奪おう、得ようとする心構えと価値観、真剣さというのがこの奪う力の定義です。
何故このように考えるのかというと結局は奪おうとすればガツガツ動かざるを得なくなり、自然とアクティブになるからです。逆にこの奪おうという意気込みが弱くなると、現状から何も手が出せなくなりどんどんと縮こまり、世界が小さくなっていくとともにどんどん消極化して自殺する可能性も生じてきます。
具体例を挙げると、奪うという行為に対して「奪う対象に申し訳ない」という呵責を覚えることこそが、奪う力を萎えさせます。こんなことを言うとさも私が強盗めいた行為を奨励しているように見えるでしょうが言い訳しておくと、「奪われる覚悟がある者にのみ奪う行為は許される」という前提があります。
社会において最小の労力と投資で最大の効果とリターンを得ようとするのは当たり前で、この際に相手のことを過度に慮り低い利益率で取引をすることは、まわりまわって社会全体の効率を落としてしまうことの方が多いです。ある意味、競争関係が維持されることで世の中は一番効率的に回り、そうした意味で「緊張感漂う奪い合う社会」こそが正常な社会状態だと私は考えます。
こうした社会、というよりも普通の資本主義社会ではこれこそが一般的な世界観であり、奪うことに呵責を持つこと自体がこの社会において不利にしかなりません。特に、「奪うのではなく与えてもられるようにする」という価値観は私に言わせれば危険で、奪う側にとっては実質カモだし、他人に依存する価値観は精神を脆くさせるだけです。
そういう意味で私は、小学生にはまだ早いかもしれませんが中学生くらいには、「暴力や詐欺といった非合法な手段は良くないが、世間的に合法とされる範囲であれば迷うことな効率的な手段を選び、仮借なく相手から奪え!」と教えてあげたいです。その一方で、「長期的な関係を見越して相手に奪わせるのも一つの手」だとして、「まず与え、そして奪う」という史記の管仲伝に出てくる政治概念を解説するでしょう。
その上で、「一方的に奪い続けるのは、恨みを買うので良くない」ということも教えた上で、「いらないものを奪わせ、いる物は何としてでも奪え。どうやっても奪えないと諦めたその時点で、君の生きる力はマイナス1ポイントだ!」とまくし立てるでしょう。
真面目にまとめると、奪う覚悟と奪われる覚悟のどっちもない人間は非常に脆いのですが、日本の教育はこうした人間を今量産している気がします。欲しいものを得るためには努力して、リスクを冒さなければならないという大事なことを教えず、「言われた通りにやっておけば与えられる」という間違った価値観を教えているように思えてなりません。だから生きる力が育たないんだと思うし、中国にいてその辺のリアルさを日本は社会全体でいまいち理解してない気がします。まぁ学校の教師ならそれこそ「言われた通りに……」でさもありなんなのですが。
2018年6月24日日曜日
個人情報開示の疑問点
・「最後の声が聞きたい」御嶽山噴火で不明男性の通報音声、公開を阻んだ「個人情報」の壁(中京テレビ)
上の記事は御岳山の噴火に巻き込まれたと考えられるものの、その後遺体等が見つからず行方不明となった方の親族が、救急センターに残された本人の音声開示を求めたトラブルを取り上げたものです。その音声は本人が直接199番して噴石が直撃し動けないことなどを述べた内容だそうですが、その最後と思しき音声を聞きたいと親族が申請したものの、行政側は当初拒否したそうです。
理由は個人情報の開示は本人の同意なくしては行わないという規定があるからだそうですが、結論から言えばこの判断には疑問で、この件に限らず日本の個人情報を巡る考えや取り扱い方はおかしい気がします。
私がこのように判断する理由は以下の通りです。
・(被害者)本人は災害死していることがほぼ確実視されている。
・申請者は親族
・公開される情報内容は本人の不利益につながらない(というより無害)
仮に上記条件のどれか一つ欠けるなら議論が必要ですが、上のような条件が揃っているなら考えるまでもなく一発で公開すべきだったでしょう。遺族の心情的にも最後の音声を聞きたいという気持ちはよくわかりますし、いたずらに時間をかけたのは、本人を傷つけない配慮への逡巡からかもしれませんが遺族に対しては十分痛めつけるものだったでしょう。
中京テレビはこの件に絡め各自治体や消防組織にアンケートを取ったところ、4割は「公開できる」と回答したそうですが、逆を言えば残り6割がそのように答えなかったという事実の方が私には驚きでした。それこそ「フロントミッション5」のリン隊長に言わせれば、「クソの役にも立たないクソムシどもだな」といったところでしょう。
中京テレビの取材で一部自治体は、「基準となるガイドラインや法律を作り指針を出してほしい」といったそうですが、正直呆れます。一挙手一足までいちいちお上に決めてもらわなければ何もできないのか、こんな細かいレベルの内容までいちいちガイドラインなど作っていては、かえって例外事態に対応できなくなるし、そもそもそんな難しいレベルの話ではないはずです。むしろ基準などいらないくらいの、良識の範囲で十分判断できる内容でしょう。
この件に限らず日本の個人情報保護、開示の価値観なり考え方はややおかしいです。流出した個人情報を流出させた人間が罰されるのはまだわかるにしろ、それを不正に流出したものだとわかっていながら悪用する人間は一切罰されません。具体的に挙げると、ベネッセから流出した個人情報を、恐らくわかっていながら購入、使用したジャストシステムとかです。
何故この方面の価値観がおかしくなったのかははっきりしており、普通に判断すればいいものすら判断できないレベルの人間が多すぎるからに尽きます。これに限らず公開されてしかるべきの情報をきちんと公開せずにあとで大事になるケースも散見されますが、前述の通りこの方面は法・条令化なんていちいちせず、社会の良識の範囲でルールを自然と作るべき、市場解釈主義的な立場を私は取ります。
っていうか日本人は遵法意識が低い癖にやたら法律を頼ろうとするのが割と不思議です。
上の記事は御岳山の噴火に巻き込まれたと考えられるものの、その後遺体等が見つからず行方不明となった方の親族が、救急センターに残された本人の音声開示を求めたトラブルを取り上げたものです。その音声は本人が直接199番して噴石が直撃し動けないことなどを述べた内容だそうですが、その最後と思しき音声を聞きたいと親族が申請したものの、行政側は当初拒否したそうです。
理由は個人情報の開示は本人の同意なくしては行わないという規定があるからだそうですが、結論から言えばこの判断には疑問で、この件に限らず日本の個人情報を巡る考えや取り扱い方はおかしい気がします。
私がこのように判断する理由は以下の通りです。
・(被害者)本人は災害死していることがほぼ確実視されている。
・申請者は親族
・公開される情報内容は本人の不利益につながらない(というより無害)
仮に上記条件のどれか一つ欠けるなら議論が必要ですが、上のような条件が揃っているなら考えるまでもなく一発で公開すべきだったでしょう。遺族の心情的にも最後の音声を聞きたいという気持ちはよくわかりますし、いたずらに時間をかけたのは、本人を傷つけない配慮への逡巡からかもしれませんが遺族に対しては十分痛めつけるものだったでしょう。
中京テレビはこの件に絡め各自治体や消防組織にアンケートを取ったところ、4割は「公開できる」と回答したそうですが、逆を言えば残り6割がそのように答えなかったという事実の方が私には驚きでした。それこそ「フロントミッション5」のリン隊長に言わせれば、「クソの役にも立たないクソムシどもだな」といったところでしょう。
中京テレビの取材で一部自治体は、「基準となるガイドラインや法律を作り指針を出してほしい」といったそうですが、正直呆れます。一挙手一足までいちいちお上に決めてもらわなければ何もできないのか、こんな細かいレベルの内容までいちいちガイドラインなど作っていては、かえって例外事態に対応できなくなるし、そもそもそんな難しいレベルの話ではないはずです。むしろ基準などいらないくらいの、良識の範囲で十分判断できる内容でしょう。
この件に限らず日本の個人情報保護、開示の価値観なり考え方はややおかしいです。流出した個人情報を流出させた人間が罰されるのはまだわかるにしろ、それを不正に流出したものだとわかっていながら悪用する人間は一切罰されません。具体的に挙げると、ベネッセから流出した個人情報を、恐らくわかっていながら購入、使用したジャストシステムとかです。
何故この方面の価値観がおかしくなったのかははっきりしており、普通に判断すればいいものすら判断できないレベルの人間が多すぎるからに尽きます。これに限らず公開されてしかるべきの情報をきちんと公開せずにあとで大事になるケースも散見されますが、前述の通りこの方面は法・条令化なんていちいちせず、社会の良識の範囲でルールを自然と作るべき、市場解釈主義的な立場を私は取ります。
っていうか日本人は遵法意識が低い癖にやたら法律を頼ろうとするのが割と不思議です。
2018年6月22日金曜日
陰陽師とポケモン
どうでもいいですが先週末、自宅で窓開けて原稿書いていたら外から割とでかい虫が入ってきたかと思ったら、その虫を追って割とでかい鳥が家の中に突入してきてのけぞるくらいビビりました。多分鳥の方も私の姿にビビったんだと思いますが窓から入ってくるや空中で一旦ホバリングした後、すぐさままた外へ出ていこうと窓ガラスにゴツンとかなりでかい鈍い音をしてぶつかったものの、仕切り直しの二回目ですぐ外へ飛び立っていきました。
一方、割とでかい虫はしばらく室内を飛んでから窓の外へと出ていきましたが、そしたらさっきの鳥がまたその虫を追っかけて飛んできました。意外と執念深い鳥でした。
本題に移りますが、昨日書いた記事で「漣泉大江戸」というスーパー銭湯がスマホゲームの「陰陽師」とコラボした内装を組んでいたことを紹介しましたが、このゲーム自体はやったことはないものの、友人の嫁が遊んでいたので見知っていました。なお友人はこの前家族とともに日本へ旅行するというので、それなら京都寄る際に奥さんを晴明神社に連れて言ったらどうかと提案したところ、割と楽しんできたそうです。
さてその陰陽師ですが、実はポケモンと深い関係にあるのではないかという説があるというか別の友人が主張しています。曰く、「ポケモンの発想の元は陰陽師の式神」だそうです。
式神というのは知っている人なら早いですが、形代となる紙に念を送ることで動物などに変え、陰陽師はそれを使役して小間使いにしたり、場合によっては鬼と戦ったりします。先ほどの「陰陽師」というスマホゲーはまさにこのコンセプトで、式神を増やして戦闘をしていくという内容になっています。
友人によるとこのコンセプトこそがポケモンと同じだそうで、ポケモンを増やして育てて戦わせる、本人は戦わずに魔物を使役して戦うというのが日本人のスタイルで、他の文化圏にはない特徴だそうです。まぁ細かいところを挙げたら欧米の魔法使いにも使い魔とかいますが、ポケモンレベルにまで発展させたのは確かに日本人くらいでしょう。
たまたまですがポケモンを生んだ任天堂は京都の企業で地縁的にも関係はあります。そのように考えるとポケモンの祖は安倍晴明だったのかということになりますが、ポケモンマスターと呼ばれても多分彼もあまりうれしくないんじゃないかという気がします。
最後に一つ気になる点として、友人の嫁といい何故か安倍晴明のような陰陽師は女性の方が人気が高い気がします。映画や漫画もそうでしたし、安倍晴明神社も女性の参拝客の方が圧倒的に多く、「是は如何に?」と古語で言いたくなるほど不思議です。私なりに分析すると、陰陽師というキャラには占い要素がくっつくことが多く、その点が女性を引き付けてるんじゃないかと思います。
一方、割とでかい虫はしばらく室内を飛んでから窓の外へと出ていきましたが、そしたらさっきの鳥がまたその虫を追っかけて飛んできました。意外と執念深い鳥でした。
本題に移りますが、昨日書いた記事で「漣泉大江戸」というスーパー銭湯がスマホゲームの「陰陽師」とコラボした内装を組んでいたことを紹介しましたが、このゲーム自体はやったことはないものの、友人の嫁が遊んでいたので見知っていました。なお友人はこの前家族とともに日本へ旅行するというので、それなら京都寄る際に奥さんを晴明神社に連れて言ったらどうかと提案したところ、割と楽しんできたそうです。
さてその陰陽師ですが、実はポケモンと深い関係にあるのではないかという説があるというか別の友人が主張しています。曰く、「ポケモンの発想の元は陰陽師の式神」だそうです。
式神というのは知っている人なら早いですが、形代となる紙に念を送ることで動物などに変え、陰陽師はそれを使役して小間使いにしたり、場合によっては鬼と戦ったりします。先ほどの「陰陽師」というスマホゲーはまさにこのコンセプトで、式神を増やして戦闘をしていくという内容になっています。
友人によるとこのコンセプトこそがポケモンと同じだそうで、ポケモンを増やして育てて戦わせる、本人は戦わずに魔物を使役して戦うというのが日本人のスタイルで、他の文化圏にはない特徴だそうです。まぁ細かいところを挙げたら欧米の魔法使いにも使い魔とかいますが、ポケモンレベルにまで発展させたのは確かに日本人くらいでしょう。
たまたまですがポケモンを生んだ任天堂は京都の企業で地縁的にも関係はあります。そのように考えるとポケモンの祖は安倍晴明だったのかということになりますが、ポケモンマスターと呼ばれても多分彼もあまりうれしくないんじゃないかという気がします。
最後に一つ気になる点として、友人の嫁といい何故か安倍晴明のような陰陽師は女性の方が人気が高い気がします。映画や漫画もそうでしたし、安倍晴明神社も女性の参拝客の方が圧倒的に多く、「是は如何に?」と古語で言いたくなるほど不思議です。私なりに分析すると、陰陽師というキャラには占い要素がくっつくことが多く、その点が女性を引き付けてるんじゃないかと思います。
2018年6月21日木曜日
上海第2の大江戸温泉
先週末に上海市内にある航空博物館に友人と行ったことをこの前記事にしましたが、この日はこの博物館を見た後、そこから地下鉄で数駅先にある上海第2の大江戸温泉こと「漣泉大江戸」に行ってきました。
場所は地下鉄1号線の莘庄駅から歩いて20分くらいのところで、航空博物館のある蓮華路駅からは数駅です。駅から遠いため一緒に来た友人が、「歩きたくない(´・ω・`)」とか言い出したので結局タクシーで向かいましたが、この施設は去年12月のオープン前に私は既に取材しています。
・第2の「大江戸」温泉施設が上海に出現!(JBpress)
取材には行ったものの、まだオープン前だったということから実際に湯船につかることはなく、その後も機会がなかったので一度も足を運んでいませんでしたが、最初の目的地から近いこともあったのでこの機に行ってみました。
さすがに風呂の中を写真を取ることはできませんのでこのまま文字で伝えると、施設内同様にめちゃくちゃ広く、露天風呂も意匠の凝った陽光をうまく取り込む壁と屋根が配置されており、見事な設計でした。なお水風呂に入ろうとしたところ友人は私の背中に水をかけてきたので、後で体洗う際に冷水のシャワーを浴びせ返しました。
施設内に関しては取材時も感じていましたが、非常に広い上に贅を極めた設計がされており、これほどの銭湯施設となると日本でもなかなかお目にかかれないと断言できます。各所に畳が敷かれた一角が設けられており、抱き枕とともに寝る客が多くみられました。
真面目に、上海市内に在住であれば一回足を運んでみることを薦めるくらいの立派な施設です。料金もネットのクーポンを使えば136元(約2300円)からガンガン値引きされ、実際この日も私と友人で二人セットのクーポンを使うことで69元(約1000円)で済みました。
スマホゲームの「陰陽師」とのコラボ
入口ロビー
相変わらずのくまモン推し
私が食べたすき焼き定食(60元=約1300円)
唯一惜しいと思ったのは食事です。取材時に聞いていますが和民グループがフードコートを運営しているそうなのですが、定食メニューのお店だけやたらと客が来ていて、他のメニューのお店はガラガラで偏っていました。それもそのはずというかラーメンやお好み焼きが50元(約1700円)くらいとやや割高なのに対し、定食はそれとほぼ同じくらいの値段でした。
また提供しているメニューも日本食ばかりで、ローカルの中華料理ともなるとほぼ皆無という有様です。中国人客が多いということを考慮すると、これでいいのかとやや疑問に感じる布陣でした。
客入りに関しては昼過ぎ時点では割とガラガラでやはり交通アクセスが悪いせいからかと思っていましたが、時間が経つにつれてどんどん客は増えていき、最後に出る際は入口ロビー周辺も賑わっていました。ネットの掲示板ではマイカー客からは駐車場が無料で入りやすいなどと好評であり、ロケーションを考えるとやはりこういったファミリー層がメインターゲットなのだと思えます。
私と友人は3時くらいにここを出て、「アウトレットで靴みたい(´・ω・`)」という友人のためにまたタクシーで今度は上海南駅地下にあるアウトレットモールへ行きましたが、自分が見たいとか言ってたくせに着いたら全く見向きもせず、「君はどれ買うの?(´・ω・`)」と、ずっと私に売り込みをかけ続けてきました。
最終的に、歩き回ることから山鞋しか持っていなかったこともありミズノの軽量スニーカーを300元(4200円)で私が買うことになりましたが、今まで山鞋をずっと履き続けたこともあってか、めっちゃこの靴だと軽く感じます。っていうか買ってる最中に友人は店員らと、
「あいつこんな重たい靴ずっと履いてたんだよ(´・ω・`)」
「うわ、こりゃ重たい(;´・ω・)」
などと中国語で話していました。
ただ今回ミズノのスニーカー履いて思いましたが、やはり日本人だからか私は偏平足をしており、ミズノの靴は日本人向けにやはりその辺合わせているのか幅の広い靴になってて、こっちの靴だと小指が締め付けられなくて楽になりました。日本の靴メーカーを使う意義あるんだなと、ちょっとミズノを見直しました。
2018年6月20日水曜日
サイコパスにはアホが多い
昨夜残業して疲れているところに、「これから日本戦見に行こう!」と、共通の後輩が別の人とサッカー見に行ったせいで自分が代わりに友人の上海人とのサッカー観戦に付き合わされました。さりげなく酒代も5元(約75円)ちょろまかされそうになったし。
そんなわけで疲れているのでどうでもいいパッと書けることを言うと、サイコパスは知能が高く狡猾な人間が多いとよく言われていますが、これは映画「羊たちの沈黙」がもたらした誤解らしく、最近の研究によるとサイコパスはむしろ平均的に知能で劣るそうです。普通に想像しても、共感性に欠け相手の痛みに無頓着な人間がサイコパスらしいですが、その手の連中が賢いかっていったらやっぱり疑問で、実際私が見て来たそれらしき人間もアホばかりです。
どちらかというと、サイコパスは賢いのよりもいわゆる脳筋タイプ、ガチガチな体育会系のようなタイプが多い気がします。最近の例だとアメフトの内田、レスリングの栄などのように、どう考えても詭弁としか思えない言い訳をアホみたいに平気に口にして、本人らは事態を鎮静化させようとしているつもりのようですがどう見たって燃料を投下、無意味に視聴者を煽るような発言しかしていないこの手の人間が本来あるべきサイコパスの典型だと思います。しかもこの二人、問題のある発言を繰り返していながら、それに対する周囲の反応に無頓着というか何が問題だったのと言わんばかりに振舞っており、つくづく空気読めない人間だと思えてなりません。
っていうか芸人の千原せいじ氏が「なにわろてんねん」という具合で妙なポイントになってて面白かったですが。
現実にというか、私が実際に会って「サイコパスだな」と感じた人間はそろいもそろって完全な体育会系でした。知的さはむしろ皆無です。多分、相手が自分の言動をどう受け止めるかが全く分からないから真面目にアホな行動を連発するようになってくるんだと思います。
それにしても一連の日大の会見については、あれほど短時間に多くの人間をイラつかせるというのはある意味凄い気がします。過去を振り返ればボクシングの亀田三兄弟の時以来じゃないかと思うレベルで、他人を煽ることに関しては日大は一級レベルと認定してもいいでしょう。この件について危機管理がどうのこうのという議論が起こりましたが、危機管理とかではなく如何に相手を煽るかという、プロレスのプロモーター目線であの騒動は捉えるべきでしょう。
そんなわけで疲れているのでどうでもいいパッと書けることを言うと、サイコパスは知能が高く狡猾な人間が多いとよく言われていますが、これは映画「羊たちの沈黙」がもたらした誤解らしく、最近の研究によるとサイコパスはむしろ平均的に知能で劣るそうです。普通に想像しても、共感性に欠け相手の痛みに無頓着な人間がサイコパスらしいですが、その手の連中が賢いかっていったらやっぱり疑問で、実際私が見て来たそれらしき人間もアホばかりです。
どちらかというと、サイコパスは賢いのよりもいわゆる脳筋タイプ、ガチガチな体育会系のようなタイプが多い気がします。最近の例だとアメフトの内田、レスリングの栄などのように、どう考えても詭弁としか思えない言い訳をアホみたいに平気に口にして、本人らは事態を鎮静化させようとしているつもりのようですがどう見たって燃料を投下、無意味に視聴者を煽るような発言しかしていないこの手の人間が本来あるべきサイコパスの典型だと思います。しかもこの二人、問題のある発言を繰り返していながら、それに対する周囲の反応に無頓着というか何が問題だったのと言わんばかりに振舞っており、つくづく空気読めない人間だと思えてなりません。
っていうか芸人の千原せいじ氏が「なにわろてんねん」という具合で妙なポイントになってて面白かったですが。
現実にというか、私が実際に会って「サイコパスだな」と感じた人間はそろいもそろって完全な体育会系でした。知的さはむしろ皆無です。多分、相手が自分の言動をどう受け止めるかが全く分からないから真面目にアホな行動を連発するようになってくるんだと思います。
それにしても一連の日大の会見については、あれほど短時間に多くの人間をイラつかせるというのはある意味凄い気がします。過去を振り返ればボクシングの亀田三兄弟の時以来じゃないかと思うレベルで、他人を煽ることに関しては日大は一級レベルと認定してもいいでしょう。この件について危機管理がどうのこうのという議論が起こりましたが、危機管理とかではなく如何に相手を煽るかという、プロレスのプロモーター目線であの騒動は捉えるべきでしょう。
2018年6月18日月曜日
上海の航空博物館(上海航宇科普中心)
突然ですが昨日、上海市内にある航空・宇宙博物館こと上海航宇科普中心に友人とともに行ってきました。上の写真は敷地内にずらっと居並ぶミグ、ミグ、ミグ……の数々です。
そもそもなんでこんなところに来たのかというと、「そういえば上海市内にも確か航空博物館があったよな」と、先週急にマルクス的な電波をキャッチしたからです。早速ネットで調べてみると上海市の郊外、1号線の蓮花路近くにあることを突き止め、「来る?」と尋ねたら「来る」と言った地元上海生まれ上海育ちの友人とともに行ってきました。なお連れてきた友人は上海市内にこんな博物館があること自体知りませんでした。
入場料は8元(約136円)と上海の物価を考慮しても非常に安く、リーズナブルでしたが、入場前に身分証を求められたので私の外国人就労許可証を見せたところ「?(;´・ω・)」って顔されたので、友人が代わりに身分証を出しました(代表者1人でいい)。
現在開発中の旅客機C919のモックアップ
コックピット内部も細かく再現
客席内部も再現(嘘)
上の客席の写真は、展示館内に設けられた実寸大モデル内部の写真です。モックアップ写真の左上に見えるのがそれですが、割と実感的なモデルで、見ていてかなり楽しかったです。
個人的にもったいないことしたなと思ったのですが、つい先週にARJ21とC919という中国が開発中の旅客機の記事を出したばかりでした。もしもっと早くここに訪れていたら、上記のモックアップをはじめいろいろ写真に使えたのですが。
戦闘機コーナーには多数の模型を展示
日本代表としてゼロ戦が(こっちでは「零式」と書くよう)
流体力学コーナーの一角、エアーでピンポン玉を浮かして遊べる
不遇なMiG-29の姿も
エア・フォース・マオの内部
ご尊顔
既に廃棄された旅客機も現物そのままで敷地内に展示されており、恐らく毛沢東のお召列車ならぬお召飛行機もありました。めっちゃ古くて、変なテンションになってた私と友人は「めっちゃふりー」とか言いながらはしゃいでました。
DC-8内部
日本語表記のプレート
同じく、DC-8の現物もそのまま置かれてありました。機体内部には上記写真のように日本語表記のプレートが散見されたことから、恐らく日本の航空会社が使用していた機体が中国に払い下げられ、その後この博物館に回ってきたのだと思います。エア・フォース・マオと違い、こっちはまだ現行の旅客機とそこまで時代に差がなかったことから、私も友人もそんな大はしゃぎしたりしませんでした。
結果から言うとめちゃくちゃ楽しかったです。私と違って航空機にそれほど興味のない友人も面白がっており、割と誰にでも勧められる施設であると太鼓判を押せます。中でも展示物については、まだ使っていない写真も多いのですが解説と合わせ非常によくできており、一部戦闘機の模型に至っては木製でできているという入れ込みようでした。
また流体力学のコーナーもいろんな装置が置かれてあり、友人も片っ端からボタン押して遊んでましたが子供にもわかりやすい内容となっており、こう言っては何ですが、かかみがはら航空宇宙科学博物館よりもずっとよくできているとすら覚えました。あっちにゃミグないし……。
恐らく軍の金も入っていることからこんな格安の入場料で且つ展示物も割と豪華なんだと思います。ただ友人は存在すら認知していなかったほどもあり、来場客は連休にしてはやはり少ないと感じるほどでした。ハードウェアだけでなく先ほど述べたようにソフトウェアこと解説面も充実しているだけに、もったいない気すらします。
敢えて惜しいところを挙げるとしたら、宇宙関連の展示はほとんどなく、外にロケットの模型が置いてあるだけでした。まぁ宇宙関連には興味ないんだけど。あと売店も、昔あったような痕跡はあるのですが営業しておらず、子供相手にプラモとか売ればいいのにと思わずにはいられませんでした。
この日は早朝から博物館に入って11時くらいに出てきたのですが、ちょうどすぐ近くに塾があったようで、子供の送り迎えに来た大人でごった返すところに出くわしてしまいました。その後友人とはもう一つの目的地へと向かったのですが、こっちはまた今度書きます。
2018年6月17日日曜日
リヴァイアスは駄作
こんな記事を書くのも自分でもどうかと思いますが、特に書く話題もないし、かといって別のややこしい記事書いてて現実逃避したいためにブログを書きたいので、とあるアニメの感想について書きます。そのアニメというのも「無限のリヴァイアス」という作品です。結論から書くと私はこの作品は駄作で、見るに値しないとすら考えています。
この作品は1999年にテレビ放映されたもので、放映当時に私は見ていなかったものの見ていた友人は「最高のアニメだ!」などと絶賛しており、そんなゆうほどのものかいなと思いつつ当時は手を付けませんでした。
ただ、当時に話題となった作品であることには間違いありません。その友人以外も絶賛する人間は多く、また雑誌などでも頻繁に取り上げられており、価値の高い作品などとよく喧伝されていました。具体的にどういう点が評価されていたかというとまず第一にストーリーで、いうなれば「15少年漂流記」の宇宙SFバージョン、子供だけが乗った宇宙船でサバイバルを続けていくというものですが、苦難に打ち勝つシーンよりも船内の裏切りや暴力、差別、果てにはカルト宗教が蔓延するなど閉鎖空間にありがちなギスギスさが生々しく描かれているなどと評価されました。
後年、成人になってから私はこの作品を見たのですが、見る前はあれだけ絶賛されていたのだからいくらか見る価値はあるだろうと思っていたものの、のっけから期待倒れで、中盤からは見ているのも辛くてもう何度も見るのをやめようとすら思いながらも、いつかこの作品を批判するべき時が来るだろうと考え、割とマジで苦虫をガムのように噛み続けるような思いをしてまで最後まで見終えました。
私が何故この作品を駄作、っていうかつまらないと感じるのかというと、ストーリーのギスギスさについてリアリティが物足りないと感じた(船内で死亡者が出てもあまり大騒ぎやパニックになっていない、サバイバル感が感じられない)こともありますが、突き詰めればBGMがひどすぎるの一点に尽きます。
私の感じた感触で述べると、全体としてこの作品のBGMはクラブミュージック系で統一されており、具体的にはディスコでDJがディスクをスクラッチしながらかけるように、「チェチェチェッ、チェチェッチェッチェチェ……」とか「ディッドゥットゥ、トゥルットゥルットゥ……」のように単音の音が延々と妙なリズムで繰り返され続けるようなものばかりで、第一話でこれを聴いた時、「なにこれ……(;´Д`)」とリアルに唖然としました。
何もこう言ったクラブミュージックを馬鹿にするつもりは毛頭なく、宇宙を舞台にした少年少女のSF物の世界で延々と同じような曲が流れ続けていることが私には理解できませんでした。SF物のアニメなのに、BGMだけなんかバブル期のディスコっぽい浮いた雰囲気を存分に発揮しており、映像とBGMが全く噛み合っていないように感じたというか、この際もうむしろBGMない方がいいのではと思うくらい違和感が激しかったです。
しかもこう言った作中世界の空気に合わないBGMが、謎の軍隊に襲われたり隔壁に閉じ込めれそうで死にそうになるような緊迫したシーンでもお構いなしに、「チェチェチェッ、チェチェッチェッチェチェ……」などと他のシーンと変わらないようなリズムと音程で鳴らされ続けており、子供を助けようと大人が殉職するシーンでもBGMが遠慮なく緊迫感を削ぎ、怪しげなリズムの曲の前に大人のキャラが死の直前に絶叫するシーンなんかギャグにしか見えませんでした。実際このシーン、私は大笑いしながら見てました。
何が凄いかって、日常シーンも緊迫したシーンも曲調に全く変化がないという点です。宇宙船が変な軌道に入ってこのままいくと爆破消滅するというのに、日常シーンと変わらない妙なクラブミュージックがそのまま流され続けており、てっきり私が見た映像のバージョンがおかしいのではないかと本気で考えたほど違和感ありまくりでした。
念のため書いておくと、私がアニメ作品でBGMに言及することは、主題歌や挿入歌はともかく他にはほぼありません。そもそも音楽に疎いこともあってBGMはあまり気にしないタイプだと自負するのですが、そんな私であってもこのリヴァイアスのBGMには強い違和感を覚えるとともに、ひどすぎるBGMによって作品全体の興味すら失せました。
なんとなくですが、制作側も途中でこの点に気が付いたのではと思う節があります。というのも中盤から徐々にクラブミュージック系のBGMが流される機会が減り、それ以前とは全体として方向性の異なるBGMが徐々に増えていったように感じたからです。最も中盤から後半にかけてのBGMも前半同様に抑揚に欠けるものばかりで、緊迫したシーンでもやけにゆったりした音楽が流れて、「この曲指定した奴は何を狙って選曲したんだ?」という具合で意図がよくわかりませんでした。
繰り返しますが、私はアニメの評論でBGMについてこれまで言及したことはほぼありません。そんな私ですら強い違和感を感じ、シーンごとの盛り上がりを興醒めさせられるほどリヴァイアスのBGMはひどかったと感じました。はっきり言ってBGMがなければトンデモ展開がやや多いと感じるもののまだ見れない作品ではないという評価ですが、あのBGMがあるという一点でもってリヴァイアスは駄作で見るに堪えない作品だというのが私の評価です。
この作品は1999年にテレビ放映されたもので、放映当時に私は見ていなかったものの見ていた友人は「最高のアニメだ!」などと絶賛しており、そんなゆうほどのものかいなと思いつつ当時は手を付けませんでした。
ただ、当時に話題となった作品であることには間違いありません。その友人以外も絶賛する人間は多く、また雑誌などでも頻繁に取り上げられており、価値の高い作品などとよく喧伝されていました。具体的にどういう点が評価されていたかというとまず第一にストーリーで、いうなれば「15少年漂流記」の宇宙SFバージョン、子供だけが乗った宇宙船でサバイバルを続けていくというものですが、苦難に打ち勝つシーンよりも船内の裏切りや暴力、差別、果てにはカルト宗教が蔓延するなど閉鎖空間にありがちなギスギスさが生々しく描かれているなどと評価されました。
後年、成人になってから私はこの作品を見たのですが、見る前はあれだけ絶賛されていたのだからいくらか見る価値はあるだろうと思っていたものの、のっけから期待倒れで、中盤からは見ているのも辛くてもう何度も見るのをやめようとすら思いながらも、いつかこの作品を批判するべき時が来るだろうと考え、割とマジで苦虫をガムのように噛み続けるような思いをしてまで最後まで見終えました。
私が何故この作品を駄作、っていうかつまらないと感じるのかというと、ストーリーのギスギスさについてリアリティが物足りないと感じた(船内で死亡者が出てもあまり大騒ぎやパニックになっていない、サバイバル感が感じられない)こともありますが、突き詰めればBGMがひどすぎるの一点に尽きます。
私の感じた感触で述べると、全体としてこの作品のBGMはクラブミュージック系で統一されており、具体的にはディスコでDJがディスクをスクラッチしながらかけるように、「チェチェチェッ、チェチェッチェッチェチェ……」とか「ディッドゥットゥ、トゥルットゥルットゥ……」のように単音の音が延々と妙なリズムで繰り返され続けるようなものばかりで、第一話でこれを聴いた時、「なにこれ……(;´Д`)」とリアルに唖然としました。
何もこう言ったクラブミュージックを馬鹿にするつもりは毛頭なく、宇宙を舞台にした少年少女のSF物の世界で延々と同じような曲が流れ続けていることが私には理解できませんでした。SF物のアニメなのに、BGMだけなんかバブル期のディスコっぽい浮いた雰囲気を存分に発揮しており、映像とBGMが全く噛み合っていないように感じたというか、この際もうむしろBGMない方がいいのではと思うくらい違和感が激しかったです。
しかもこう言った作中世界の空気に合わないBGMが、謎の軍隊に襲われたり隔壁に閉じ込めれそうで死にそうになるような緊迫したシーンでもお構いなしに、「チェチェチェッ、チェチェッチェッチェチェ……」などと他のシーンと変わらないようなリズムと音程で鳴らされ続けており、子供を助けようと大人が殉職するシーンでもBGMが遠慮なく緊迫感を削ぎ、怪しげなリズムの曲の前に大人のキャラが死の直前に絶叫するシーンなんかギャグにしか見えませんでした。実際このシーン、私は大笑いしながら見てました。
何が凄いかって、日常シーンも緊迫したシーンも曲調に全く変化がないという点です。宇宙船が変な軌道に入ってこのままいくと爆破消滅するというのに、日常シーンと変わらない妙なクラブミュージックがそのまま流され続けており、てっきり私が見た映像のバージョンがおかしいのではないかと本気で考えたほど違和感ありまくりでした。
念のため書いておくと、私がアニメ作品でBGMに言及することは、主題歌や挿入歌はともかく他にはほぼありません。そもそも音楽に疎いこともあってBGMはあまり気にしないタイプだと自負するのですが、そんな私であってもこのリヴァイアスのBGMには強い違和感を覚えるとともに、ひどすぎるBGMによって作品全体の興味すら失せました。
なんとなくですが、制作側も途中でこの点に気が付いたのではと思う節があります。というのも中盤から徐々にクラブミュージック系のBGMが流される機会が減り、それ以前とは全体として方向性の異なるBGMが徐々に増えていったように感じたからです。最も中盤から後半にかけてのBGMも前半同様に抑揚に欠けるものばかりで、緊迫したシーンでもやけにゆったりした音楽が流れて、「この曲指定した奴は何を狙って選曲したんだ?」という具合で意図がよくわかりませんでした。
繰り返しますが、私はアニメの評論でBGMについてこれまで言及したことはほぼありません。そんな私ですら強い違和感を感じ、シーンごとの盛り上がりを興醒めさせられるほどリヴァイアスのBGMはひどかったと感じました。はっきり言ってBGMがなければトンデモ展開がやや多いと感じるもののまだ見れない作品ではないという評価ですが、あのBGMがあるという一点でもってリヴァイアスは駄作で見るに堪えない作品だというのが私の評価です。
2018年6月14日木曜日
会社のトイレで思うこと
一昨日、友人と日系ラーメン屋で焼鳥を散々食べた後に普通に醤油ラーメンを食べたことが影響してか、出勤途中におなかが痛くなり、多少遅刻してもいいからと駅のトイレに寄っていきいました。そしたら四つあるトイレは全部埋まっており、さらに既に二人が待っているという有様でどうしようかなと思いましたが一応待ちました。そしたらすぐ二つ空いて次は自分だと思っていたらおっさんが一人入ってきて、しかも結構目がやばい状態でしたが、次に空いたトイレには割り込んでくるような暴挙はさすがにしてきませんでした。そしたらすぐその次のトイレも空いたのでおっさんもすぐ入り、誰も傷つかない平和な世界がその日訪れました。
なお会社は15分ほど遅刻したものの誰も咎めませんでした。っていうか出社時刻は割と自由な会社で、私なんかむしろ真面目な方で、中国人社員なんか毎日出社時刻から1時間経過してからやってくるのが普通です。
トイレネタを続けると、今は既に直っていますが一時期会社のトイレに妙な問題が起こって放置されていました。その問題というのも3個ある個室のうち真ん中のトイレが常に水が流れてて、いざ処理しようと水を流そうとしてもタンクに水が溜められていないため流れず、いろいろ切羽詰まってしまうというトラブルでした。
一応、レバーを軽く下げると排水溝に蓋がきちんとしまってそれからは溜められるようになるのですが、この攻略法を知らずに利用した社員なんかは延々と出られず籠ってしまい、陰で私はこのトイレの「魔の二番トイレ」等と呼んでいました。現在は既にこのトイレは直されていますが、一時は常にこのトイレから水が流れ続ける音がしていて、なんていうか枯山水の逆バージョン?みたいに思ってました。
トイレネタをさらに続けると、私だけかもしれませんが会社のトイレで個室に入って便座に座った際にほのかな温度を感じると、「温かい、犯人はまだ遠くに行っていないな」と毎回思い浮かべます。その逆に、自分が出たばかりの個室を後から入ってきた人がすぐ入ると、「馬鹿め、そこは既に先回り済みだ」などと考えてしまいます。このほか個室を利用中に左右の個室にも人が入ってくると、「しまった、囲まれたか!」と、口には出しませんが思います。自分でも思いますが騒がしい性格してる気がします。
なお会社は15分ほど遅刻したものの誰も咎めませんでした。っていうか出社時刻は割と自由な会社で、私なんかむしろ真面目な方で、中国人社員なんか毎日出社時刻から1時間経過してからやってくるのが普通です。
トイレネタを続けると、今は既に直っていますが一時期会社のトイレに妙な問題が起こって放置されていました。その問題というのも3個ある個室のうち真ん中のトイレが常に水が流れてて、いざ処理しようと水を流そうとしてもタンクに水が溜められていないため流れず、いろいろ切羽詰まってしまうというトラブルでした。
一応、レバーを軽く下げると排水溝に蓋がきちんとしまってそれからは溜められるようになるのですが、この攻略法を知らずに利用した社員なんかは延々と出られず籠ってしまい、陰で私はこのトイレの「魔の二番トイレ」等と呼んでいました。現在は既にこのトイレは直されていますが、一時は常にこのトイレから水が流れ続ける音がしていて、なんていうか枯山水の逆バージョン?みたいに思ってました。
トイレネタをさらに続けると、私だけかもしれませんが会社のトイレで個室に入って便座に座った際にほのかな温度を感じると、「温かい、犯人はまだ遠くに行っていないな」と毎回思い浮かべます。その逆に、自分が出たばかりの個室を後から入ってきた人がすぐ入ると、「馬鹿め、そこは既に先回り済みだ」などと考えてしまいます。このほか個室を利用中に左右の個室にも人が入ってくると、「しまった、囲まれたか!」と、口には出しませんが思います。自分でも思いますが騒がしい性格してる気がします。
2018年6月13日水曜日
台湾一の企業とは
もう大分前になりますが友人の紹介で台湾人の方と夕食する機会が得られました。ありそうでめったにない機会、というのも経歴から言ってハイクラスに属し教養のある方だったので、「夏を逃すな」とばかりにいろいろ聞いてきました。っていうかあったの夏じゃなく春だけど。
ついでに書くと、今いる職場はこれまで経歴してきたどの職場よりもハイクラス、ハイスペックな人間の集まる職場ですが、かつて経験したどの中小企業と比べても、彼らの方が圧倒的に気力、体力で勝っているというのはなかなか興味深いです。クロスボーダーという点では私に分がありますが。
話は戻しますがその台湾人にまず聞いたのは地域差で、台北と台南が台湾では二大都市だが住民には違いがあるのかと聞いたところはっきりと「ある」と答えられました。曰く、台北は二次大戦後に中国本土から移ってきたいわゆる外省人が多く、台南は元から台湾に住んでいた本省人が多く、性格も北が理知的なのに対して南が感情的、政治思想や支持勢力も見事に真逆だそうです。
では間の、新幹線も通っている台中はどうかと聞いたら、「途中駅にしかすぎず都市規模も大きくなく、住民もこれという特徴はない」とのことです。
なお台湾の経済集中地区と言ったら新竹と高雄ですが、新竹は北側、高雄は南側で分かれてるそうです。住所で何度も見ていたけど意外とこの辺の地理感覚は持っていませんでした。
この次に私が尋ねたのは、「台湾のトップ企業と言ったらどこになる?」という質問でした。私がそのまま、「日本なら三菱グループ、日立グループがそれにあたるのだが」と具体例を出したところ、割とすぐ即答というか、「TSMCだ」という答えが返ってきました。この答えに私は、「意外だが、あそこかぁ」で、一緒にいた友人の中国人二人は、「なにその会社?」という具合で名前を聞いてもピンと来ていませんでした。恐らく、この記事を読んでいる方もほぼ全員がそうなのではと思います。
・TSMC(Wikipedia)
TSMCとは半導体の生産会社で、知る人ぞ知るIT界の大魔神です。その台湾人の方によると、「誰に聞いても同じ結果になるだろう」というくらい台湾では圧倒的な勢力を持つ会社とのことで、シャープを買収した鴻海精密、台湾内はおろか中国本土のプラ原料もほぼ大半を支えている台湾プラスチックなども大きいものの、TSMCと比べたらとても及ばないそうです。
実際にTSMCの世界的影響力は非常に高く、仮に急なトラブルでこの会社で稼働が出来なくなったとしたら世界の半導体、ひいてはPCやスマホの生産もピタッと止まってしまうくらいの影響力があります。言われるまでは私も候補に入れていませんでしたが、改めてこうして現地の方の話を聞くにつれて「あそこだったのか。まぁまだ納得できる」という具合に一人で納得していました。
この話を聞き終えた後で私から、「恐らく自分以外の日本人ならTSMCと言っても、その業界関係者じゃなければ誰も知らないと思う。現在の日本と台湾は相思相愛と言ってもいいくらいに住民、政府ともに関係が良好だが、今回改めてその中の良さに比べて日本人は台湾事情について明るくないということを思い知った」という内容を伝えました。
なお台湾人の日本人観についても確認を込めて尋ねましたが、日本での報道の通りに基本的に好ましいと考えているそうです。ついでに「日本には来たことあるか?」と聞いたら、「もちろん。北海道、福島、東京、名古屋、京都、大阪、四国、九州の各地!」と言われ、「俺より日本中を回ってんじゃん(;゚Д゚)」というくらい行きまくっていました。その方だけでなく、他の台湾人もほぼ全員が日本には一回は来たことあるそうです。
断片的に語ってきましたがここで一番言いたいことは、関係が良好にもかかわらず台湾の事情について日本はあまり知らなすぎるように思え、やはりもっと関係を深めるためにも、台湾事情について報道、紹介する必要があるのではと考えました。もっともこう言いながら、私も台湾にはまだ一度も言ったことがないんですが。
ついでに書くと、今いる職場はこれまで経歴してきたどの職場よりもハイクラス、ハイスペックな人間の集まる職場ですが、かつて経験したどの中小企業と比べても、彼らの方が圧倒的に気力、体力で勝っているというのはなかなか興味深いです。クロスボーダーという点では私に分がありますが。
話は戻しますがその台湾人にまず聞いたのは地域差で、台北と台南が台湾では二大都市だが住民には違いがあるのかと聞いたところはっきりと「ある」と答えられました。曰く、台北は二次大戦後に中国本土から移ってきたいわゆる外省人が多く、台南は元から台湾に住んでいた本省人が多く、性格も北が理知的なのに対して南が感情的、政治思想や支持勢力も見事に真逆だそうです。
では間の、新幹線も通っている台中はどうかと聞いたら、「途中駅にしかすぎず都市規模も大きくなく、住民もこれという特徴はない」とのことです。
なお台湾の経済集中地区と言ったら新竹と高雄ですが、新竹は北側、高雄は南側で分かれてるそうです。住所で何度も見ていたけど意外とこの辺の地理感覚は持っていませんでした。
この次に私が尋ねたのは、「台湾のトップ企業と言ったらどこになる?」という質問でした。私がそのまま、「日本なら三菱グループ、日立グループがそれにあたるのだが」と具体例を出したところ、割とすぐ即答というか、「TSMCだ」という答えが返ってきました。この答えに私は、「意外だが、あそこかぁ」で、一緒にいた友人の中国人二人は、「なにその会社?」という具合で名前を聞いてもピンと来ていませんでした。恐らく、この記事を読んでいる方もほぼ全員がそうなのではと思います。
・TSMC(Wikipedia)
TSMCとは半導体の生産会社で、知る人ぞ知るIT界の大魔神です。その台湾人の方によると、「誰に聞いても同じ結果になるだろう」というくらい台湾では圧倒的な勢力を持つ会社とのことで、シャープを買収した鴻海精密、台湾内はおろか中国本土のプラ原料もほぼ大半を支えている台湾プラスチックなども大きいものの、TSMCと比べたらとても及ばないそうです。
実際にTSMCの世界的影響力は非常に高く、仮に急なトラブルでこの会社で稼働が出来なくなったとしたら世界の半導体、ひいてはPCやスマホの生産もピタッと止まってしまうくらいの影響力があります。言われるまでは私も候補に入れていませんでしたが、改めてこうして現地の方の話を聞くにつれて「あそこだったのか。まぁまだ納得できる」という具合に一人で納得していました。
この話を聞き終えた後で私から、「恐らく自分以外の日本人ならTSMCと言っても、その業界関係者じゃなければ誰も知らないと思う。現在の日本と台湾は相思相愛と言ってもいいくらいに住民、政府ともに関係が良好だが、今回改めてその中の良さに比べて日本人は台湾事情について明るくないということを思い知った」という内容を伝えました。
なお台湾人の日本人観についても確認を込めて尋ねましたが、日本での報道の通りに基本的に好ましいと考えているそうです。ついでに「日本には来たことあるか?」と聞いたら、「もちろん。北海道、福島、東京、名古屋、京都、大阪、四国、九州の各地!」と言われ、「俺より日本中を回ってんじゃん(;゚Д゚)」というくらい行きまくっていました。その方だけでなく、他の台湾人もほぼ全員が日本には一回は来たことあるそうです。
断片的に語ってきましたがここで一番言いたいことは、関係が良好にもかかわらず台湾の事情について日本はあまり知らなすぎるように思え、やはりもっと関係を深めるためにも、台湾事情について報道、紹介する必要があるのではと考えました。もっともこう言いながら、私も台湾にはまだ一度も言ったことがないんですが。
2018年6月12日火曜日
一貫性なき安倍政権
今日は米朝会談がありましたがあまりこちらには興味ないので見出しに掲げたネタについて書きます。
さて「再チャレンジ支援」と聞いて思い出せる人はどれだけいるでしょうか。これはかつて安倍政権が目玉政策方針として掲げたものですが、今現在となっては安倍首相本人ですら覚えていないでしょうが。ちなみに以前「再チャレンジ担当大臣」だったのはその後の防衛大臣で日報問題をはじめ問題の多かった稲田朋美氏です。この人に関してはもう再チャレンジはいらないでしょう。
なにもこの再チャレンジに限らずとも、地方創生、財政再建(消費税増税)、攻めの農業、同一労働同一賃金など、安倍政権下では数多くの政策方針が掲げられましたがこれらは何一つ成果が出ておらず、むしろ真逆の方向に進みかねない法案などを通したり消費税増税をガンガン延期したりと疑問符が浮かんではやみません。
唯一、一貫して唱えられているのはアベノミクスですが、これも中身をしっかり見てみると「第三の矢」とは何だったのか誰も説明できないくらい中身がなく、また2年くらい前を最後に誰も何も言わなくなりましたし、多分安倍首相も覚えてないでしょう。一応日銀の黒田総裁はまだアベノミクスの効果や継続を声高に叫んでいますが、空疎に聞こえてなりません。
一年程度の短命政権ならまだしも、安倍政権は既に小泉政権を超えるほどの長期政権を実現しています。にもかかわらず数多くの政策方針を出しては忘れ、器用貧乏的に目立った実績を残せていないのは明らかに問題があります。この点で言えば、道路公団改革など一部別政策も進めたものの、あくまで本丸を郵政改革においてそれを実現した小泉政権とは一貫性の差で大きな差があります。
現実にこれまでの安倍政権を見ると、果たして後年に評価されるような新規政策を実現したのかと言えば非常に疑問で、現時点で言うのもやや不公平な気がしますが将来の評価は決して高くないだろうと私には思えます。仮に上記に挙げた政策方針をしっかりと継続して成果を出していれば、その評価はまた違ったのではないかと思います。
こうはいうものの、目の前の問題を片づけつつ外交を行うといった政権運営に関しては安倍政権は評価できるとは考えています。しかし時代に合わせた制度改革という点では、時間をかけて出すべき成果に関しては正直評価できないというのが現状です。ある意味、目の前の状況に素早く対応はできるタイプだからこそ腰を据えた一貫性を持った活動ができないタイプだったのかもと考えることもできますが。
安倍首相本人としては、こうした腰を据えた政策の実現としては憲法改正を考えていたのだと思いますが、現時点においてもはやこれは実現が不可能になったと私は考えています。そう考えると、「大きな成果なく長期的に政権を運営した」、ある意味大叔父の佐藤栄作元首相のような評価で終わるかもしれません。ただ佐藤栄作はそうした周囲の評価について自覚があっただけに最後の沖縄返還に強くこだわって実現したとされ、果たしてそうしたものが安倍首相にあるのかどうかというのが今後の評価の分かれ目でしょう。
最後に、佐藤栄作の名前を出しますがやはりその真逆と言えるのはその兄の岸信介でしょう。そう考えると安倍首相は岸ではなく佐藤に似たのかもしれません。
さて「再チャレンジ支援」と聞いて思い出せる人はどれだけいるでしょうか。これはかつて安倍政権が目玉政策方針として掲げたものですが、今現在となっては安倍首相本人ですら覚えていないでしょうが。ちなみに以前「再チャレンジ担当大臣」だったのはその後の防衛大臣で日報問題をはじめ問題の多かった稲田朋美氏です。この人に関してはもう再チャレンジはいらないでしょう。
なにもこの再チャレンジに限らずとも、地方創生、財政再建(消費税増税)、攻めの農業、同一労働同一賃金など、安倍政権下では数多くの政策方針が掲げられましたがこれらは何一つ成果が出ておらず、むしろ真逆の方向に進みかねない法案などを通したり消費税増税をガンガン延期したりと疑問符が浮かんではやみません。
唯一、一貫して唱えられているのはアベノミクスですが、これも中身をしっかり見てみると「第三の矢」とは何だったのか誰も説明できないくらい中身がなく、また2年くらい前を最後に誰も何も言わなくなりましたし、多分安倍首相も覚えてないでしょう。一応日銀の黒田総裁はまだアベノミクスの効果や継続を声高に叫んでいますが、空疎に聞こえてなりません。
一年程度の短命政権ならまだしも、安倍政権は既に小泉政権を超えるほどの長期政権を実現しています。にもかかわらず数多くの政策方針を出しては忘れ、器用貧乏的に目立った実績を残せていないのは明らかに問題があります。この点で言えば、道路公団改革など一部別政策も進めたものの、あくまで本丸を郵政改革においてそれを実現した小泉政権とは一貫性の差で大きな差があります。
現実にこれまでの安倍政権を見ると、果たして後年に評価されるような新規政策を実現したのかと言えば非常に疑問で、現時点で言うのもやや不公平な気がしますが将来の評価は決して高くないだろうと私には思えます。仮に上記に挙げた政策方針をしっかりと継続して成果を出していれば、その評価はまた違ったのではないかと思います。
こうはいうものの、目の前の問題を片づけつつ外交を行うといった政権運営に関しては安倍政権は評価できるとは考えています。しかし時代に合わせた制度改革という点では、時間をかけて出すべき成果に関しては正直評価できないというのが現状です。ある意味、目の前の状況に素早く対応はできるタイプだからこそ腰を据えた一貫性を持った活動ができないタイプだったのかもと考えることもできますが。
安倍首相本人としては、こうした腰を据えた政策の実現としては憲法改正を考えていたのだと思いますが、現時点においてもはやこれは実現が不可能になったと私は考えています。そう考えると、「大きな成果なく長期的に政権を運営した」、ある意味大叔父の佐藤栄作元首相のような評価で終わるかもしれません。ただ佐藤栄作はそうした周囲の評価について自覚があっただけに最後の沖縄返還に強くこだわって実現したとされ、果たしてそうしたものが安倍首相にあるのかどうかというのが今後の評価の分かれ目でしょう。
最後に、佐藤栄作の名前を出しますがやはりその真逆と言えるのはその兄の岸信介でしょう。そう考えると安倍首相は岸ではなく佐藤に似たのかもしれません。
2018年6月11日月曜日
廃墟的価値観について
アルベルト・シュペーアと言われれば、ナチマニアからすれば非常に見知った名前であっても一般市民からしたら多分知られていない人物だと思います。この人はヒトラーの最側近と言ってもいい人物で、建築家という職業がヒトラー自身の好みにも合って、他のナチ幹部以上に信頼を持たれて終始身近に仕えさせた人物です。二次大戦後はヒトラー側近の中では早くからヒトラー批判へと転じ、その生前の距離感の近さから後年においてヒトラーの生活について非常に詳細かつ価値のある証言を残しています。
私がこの人物を個人的に評価している点として、「廃墟価値の理論」を提唱したことにあります。これは具体的に言えば古代ギリシャ時代の神殿などが年月を経て風化の跡が見られるにもかかわらず、現代においても多くの人がその美しさを評価して参観しにくるということを例にとり、数千年という長い時間を経てもその美しさを維持する、もとい廃墟となった後も人を引き付けるような魅力こそが歴史的建築物を作る上で重要であるということを主張した理論であります。
改めてこの理論について考えてみると、出来立てほやほやの建物や家具はそりゃ見栄えがいいに決まっていますが、一程度の時間を経過すると塗装の剥がれやほつれ等が見え始め、その見栄えは当初と比べると格段に落ちてしまいがちです。その一方、骨董や古家具と言われる物品は長い年月を経ながらも、一部メンテナンスのおかげによるものもありますが、その美しさを保ち長きにわたり評価され続け、物によってはその年月の長さ自体が評価アップ要因にすらなります。
シュペーアはこの理論に則りベルリン市を年月を経ても、極端な話風化したあとも美しさを持つような街に設計することを考えていたようですが、この価値観はこと美を論ずるに当たっては非常に重要な要素だと私には思います。実際に私も家具や道具などを選んで買う際はその見栄えや機能性も考慮に入れるものの、一番重要視するのは「これ古くなった後はどんな感じになるんだろう」という一点です。マグカップにしろ急須にしろ、最初でこそ新しさもあって使ってて楽しいでしょうが、毎日何度も見ていて飽きを感じる頃にはどのように見えるのか、また汚れが付き始めたらどんな感じになるのか、そういったことを想像しながら選びます。
特に重要なのは飽きが来るか来ないかで、派手な装飾のものほどやはり飽きるのも早いだけに、地味さの中でどれだけ個性を持たせた装飾や形をしているのかなども気にしています。
日本は住宅にしろ、古いものは原則価値を失うという概念が強く、その点にあまり疑問を挟みません。しかしたまに使う道具ならまだしも、長期にわたり何度も使用する道具、さらにはファッションとかでも、飽きが来る長さはそれ自体が美を維持する要素であり、一撃の破壊力はなくても安定した攻撃力を持つような具合で、長期的に見ればこうした道具とかの方が価値があると私には思えます。
使ってみたい、使ってみたら楽しそうも大事ですが、どれだけ飽きがこないだろうか、3年後も「ほんまええなぁこれ」と思って使えるか。そうした価値観で以って私は物を選びますが、この概念の下はシュペーアの廃墟価値から来たもので、この点でシュペーアはいいこと言ったと勝手に考えてます。
もっともこう言いながらも、機能性やコストパフォーマンスに負けて妥協することも少なくありません。今使っているマウスコンピューターのノートPCなんかその最たる例で、機能的にはイヤホンジャックの接続が怪しいこととスピーカ一意外はほぼ満足していますが、このデザインには当初から愛着が持てず、「何故こんなダサいデザインで行こうと思ったのだろう?」といつも思います。
一方、毎日見ていて飽きないのは南部鉄器の急須と、枕元に置いてあるユーロファイター・タイフーンのプラモです。タイフーンなんか他の戦闘機と比べると非常に保守的なデザインですが、だからこそ飽きない美しさを感じて気に入っています。まぁ一番はやはりMiG-29のままですが、こっちはたまに目に入れたくなくなる時もあり、やはり一発の破壊力に強い美しさな気がします。
おまけ
東京の建築物で言えば、東京タワーとスカイツリーがまさにこの点でいい対比な気がします。後年評価されるのはどっちなのでしょうかね。
私がこの人物を個人的に評価している点として、「廃墟価値の理論」を提唱したことにあります。これは具体的に言えば古代ギリシャ時代の神殿などが年月を経て風化の跡が見られるにもかかわらず、現代においても多くの人がその美しさを評価して参観しにくるということを例にとり、数千年という長い時間を経てもその美しさを維持する、もとい廃墟となった後も人を引き付けるような魅力こそが歴史的建築物を作る上で重要であるということを主張した理論であります。
改めてこの理論について考えてみると、出来立てほやほやの建物や家具はそりゃ見栄えがいいに決まっていますが、一程度の時間を経過すると塗装の剥がれやほつれ等が見え始め、その見栄えは当初と比べると格段に落ちてしまいがちです。その一方、骨董や古家具と言われる物品は長い年月を経ながらも、一部メンテナンスのおかげによるものもありますが、その美しさを保ち長きにわたり評価され続け、物によってはその年月の長さ自体が評価アップ要因にすらなります。
シュペーアはこの理論に則りベルリン市を年月を経ても、極端な話風化したあとも美しさを持つような街に設計することを考えていたようですが、この価値観はこと美を論ずるに当たっては非常に重要な要素だと私には思います。実際に私も家具や道具などを選んで買う際はその見栄えや機能性も考慮に入れるものの、一番重要視するのは「これ古くなった後はどんな感じになるんだろう」という一点です。マグカップにしろ急須にしろ、最初でこそ新しさもあって使ってて楽しいでしょうが、毎日何度も見ていて飽きを感じる頃にはどのように見えるのか、また汚れが付き始めたらどんな感じになるのか、そういったことを想像しながら選びます。
特に重要なのは飽きが来るか来ないかで、派手な装飾のものほどやはり飽きるのも早いだけに、地味さの中でどれだけ個性を持たせた装飾や形をしているのかなども気にしています。
日本は住宅にしろ、古いものは原則価値を失うという概念が強く、その点にあまり疑問を挟みません。しかしたまに使う道具ならまだしも、長期にわたり何度も使用する道具、さらにはファッションとかでも、飽きが来る長さはそれ自体が美を維持する要素であり、一撃の破壊力はなくても安定した攻撃力を持つような具合で、長期的に見ればこうした道具とかの方が価値があると私には思えます。
使ってみたい、使ってみたら楽しそうも大事ですが、どれだけ飽きがこないだろうか、3年後も「ほんまええなぁこれ」と思って使えるか。そうした価値観で以って私は物を選びますが、この概念の下はシュペーアの廃墟価値から来たもので、この点でシュペーアはいいこと言ったと勝手に考えてます。
もっともこう言いながらも、機能性やコストパフォーマンスに負けて妥協することも少なくありません。今使っているマウスコンピューターのノートPCなんかその最たる例で、機能的にはイヤホンジャックの接続が怪しいこととスピーカ一意外はほぼ満足していますが、このデザインには当初から愛着が持てず、「何故こんなダサいデザインで行こうと思ったのだろう?」といつも思います。
一方、毎日見ていて飽きないのは南部鉄器の急須と、枕元に置いてあるユーロファイター・タイフーンのプラモです。タイフーンなんか他の戦闘機と比べると非常に保守的なデザインですが、だからこそ飽きない美しさを感じて気に入っています。まぁ一番はやはりMiG-29のままですが、こっちはたまに目に入れたくなくなる時もあり、やはり一発の破壊力に強い美しさな気がします。
おまけ
東京の建築物で言えば、東京タワーとスカイツリーがまさにこの点でいい対比な気がします。後年評価されるのはどっちなのでしょうかね。
2018年6月9日土曜日
文章が読めない人、書けない人
・日本の生産性を引き下げている「文章を読めない人」(JBpress)
最近、我らがJBpressで上記のコラムが掲載されてました。記事内容については特に異論はなく賛同するのですが、文章が読めない人というのは最近になって増えてきたかといえばそうでもないのではという見方を持ちました。例えば私が高校生くらいの頃は、「最近の若者は携帯電話でメールばかり打っているから文章もメールっぽくなっている」などとして、長文が読めないなどと言われていました。
またとある会社で90年代、ある新人が営業資料を会議に出したところある管理職のおっさんが、「おい、この『そり』ってのはなんだ?」と、「粗利」という漢字について質問が飛び出て来たそうです。この話を先輩から聞いた時、真面目に早く見切りをつけて良かったと内心思いました。
話は戻りますが文章が読めないという現実は確かにあるものの、それ以前に文章が書けない人の方がもっと深刻なのではないかと思う節があります。現実問題としていろんな文章を見ていて、さすがに新聞記事などは社内で校正入っている分そこまで変なのは少ないですが、一般的な企業間の文章や報告書などを見ていると、「てめぇ何が言いてぇんだよ」とリアルに言いたくなるような知っちゃかめっちゃかな文章がガンガンあり、むしろこれを読めっていう方が無理難題過ぎるという実情があったりします。
こういうのを見るにつけ、そもそもまともに文章が書けない人が文章を出すから、読めない人はもっと読めなくなってディスコミュニケーションスパイラルが起こっているのではというのが私の見方です。
そもそもというか、文章をきちんと書くトレーニング自体が日本ではやはり不足していると思います。最後の砦であった大学でも近年はレポートや論文提出課題が減っていると聞き、中学高校稿レベルに至っては論外でしょう。何故論外かというと、そもそも文章を指導できるレベルの教員がいないと断言できるからです。
実際というか、私が高校生だった頃は学内のどの国語教師よりも自分の方が文章表現力があると思っており、彼らに教わることなんぞ何もないどころか自分の方が指導できるとすら考えていました。今現在を振り返っても実際に当時の時点で高校レベルの教師であれば遥かに凌駕するレベルの表現力を身に着けており、あの時の自己評価はあながち自惚れでもなかった気がします。その上で現在、自分で書くこともさることながら人への文章指導もそこそこレベルが高いと自負しています。
そんな自慢話は置いといて私が思うに、そもそも中学高校レベルできちんとした作文指導を行っていないことが日本の文字的ディスコミュニケーションを誘発していると思います。具体的に求められる指導としてはまずは量、そして複数の表現技法でしょう。学校現場で求められる文章は感想文などが多いことから基本一人称ですが、やはり三人称も敢えて書かせたりするのも手だと思います。私自身も、最初小説を書いていた時に一人称から三人称へ変えてみて、非常に見方や技法が広がりましたし。
その次に、これはかなり以前というかもはや8年前の記事で述べていますが、文章での主張に制限を加えないことです。リンク先の過去記事でも書いている通りに読書感想文では通常、どれだけその本の内容が優れていることしか書くことが許されず、どれだけつまらなかったかとかどれだけ内容に問題があるかなど批判的視点を記述することは実質的に禁止されています。しかし感想文なのだから本来は読者がどう思ったのかを書くべきであって、それを肯定的内容しか認めないという点で教育的にも非常に問題だと常々思っています。
やはり見ていて自分の思ったこと、感じたことでない内容を無理やり書かせられるため、作文自体を嫌いになっている人は少なくない気がします。私自身、自分の思っていることを好き放題に主張して書けることを知ってから文章に目覚めたところありますし、また作文は嫌いでもメールを打つのが好きだというのであれば、文章が書ける要素が全くないわけではないとも思います。
以上の点をまとめると、そもそも学校現場に文章が書ける人がいない、指導できる人がいない、だからこそ文章が読めない人が多いというフローではないかというのが私の主張です。あともう一つ蛇足を書くと、文章能力の高い人間を社会が全く評価していないのもこの傾向に拍車をかけていると思えますが、案外何かテーマを持たせて文章書かせれば、その相手の知識や嗜好、実力などはある程度見えるので就活でなぜ採用しない会社が多いのが地味に不思議に思ってます。
最近、我らがJBpressで上記のコラムが掲載されてました。記事内容については特に異論はなく賛同するのですが、文章が読めない人というのは最近になって増えてきたかといえばそうでもないのではという見方を持ちました。例えば私が高校生くらいの頃は、「最近の若者は携帯電話でメールばかり打っているから文章もメールっぽくなっている」などとして、長文が読めないなどと言われていました。
またとある会社で90年代、ある新人が営業資料を会議に出したところある管理職のおっさんが、「おい、この『そり』ってのはなんだ?」と、「粗利」という漢字について質問が飛び出て来たそうです。この話を先輩から聞いた時、真面目に早く見切りをつけて良かったと内心思いました。
話は戻りますが文章が読めないという現実は確かにあるものの、それ以前に文章が書けない人の方がもっと深刻なのではないかと思う節があります。現実問題としていろんな文章を見ていて、さすがに新聞記事などは社内で校正入っている分そこまで変なのは少ないですが、一般的な企業間の文章や報告書などを見ていると、「てめぇ何が言いてぇんだよ」とリアルに言いたくなるような知っちゃかめっちゃかな文章がガンガンあり、むしろこれを読めっていう方が無理難題過ぎるという実情があったりします。
こういうのを見るにつけ、そもそもまともに文章が書けない人が文章を出すから、読めない人はもっと読めなくなってディスコミュニケーションスパイラルが起こっているのではというのが私の見方です。
そもそもというか、文章をきちんと書くトレーニング自体が日本ではやはり不足していると思います。最後の砦であった大学でも近年はレポートや論文提出課題が減っていると聞き、中学高校稿レベルに至っては論外でしょう。何故論外かというと、そもそも文章を指導できるレベルの教員がいないと断言できるからです。
実際というか、私が高校生だった頃は学内のどの国語教師よりも自分の方が文章表現力があると思っており、彼らに教わることなんぞ何もないどころか自分の方が指導できるとすら考えていました。今現在を振り返っても実際に当時の時点で高校レベルの教師であれば遥かに凌駕するレベルの表現力を身に着けており、あの時の自己評価はあながち自惚れでもなかった気がします。その上で現在、自分で書くこともさることながら人への文章指導もそこそこレベルが高いと自負しています。
そんな自慢話は置いといて私が思うに、そもそも中学高校レベルできちんとした作文指導を行っていないことが日本の文字的ディスコミュニケーションを誘発していると思います。具体的に求められる指導としてはまずは量、そして複数の表現技法でしょう。学校現場で求められる文章は感想文などが多いことから基本一人称ですが、やはり三人称も敢えて書かせたりするのも手だと思います。私自身も、最初小説を書いていた時に一人称から三人称へ変えてみて、非常に見方や技法が広がりましたし。
その次に、これはかなり以前というかもはや8年前の記事で述べていますが、文章での主張に制限を加えないことです。リンク先の過去記事でも書いている通りに読書感想文では通常、どれだけその本の内容が優れていることしか書くことが許されず、どれだけつまらなかったかとかどれだけ内容に問題があるかなど批判的視点を記述することは実質的に禁止されています。しかし感想文なのだから本来は読者がどう思ったのかを書くべきであって、それを肯定的内容しか認めないという点で教育的にも非常に問題だと常々思っています。
やはり見ていて自分の思ったこと、感じたことでない内容を無理やり書かせられるため、作文自体を嫌いになっている人は少なくない気がします。私自身、自分の思っていることを好き放題に主張して書けることを知ってから文章に目覚めたところありますし、また作文は嫌いでもメールを打つのが好きだというのであれば、文章が書ける要素が全くないわけではないとも思います。
以上の点をまとめると、そもそも学校現場に文章が書ける人がいない、指導できる人がいない、だからこそ文章が読めない人が多いというフローではないかというのが私の主張です。あともう一つ蛇足を書くと、文章能力の高い人間を社会が全く評価していないのもこの傾向に拍車をかけていると思えますが、案外何かテーマを持たせて文章書かせれば、その相手の知識や嗜好、実力などはある程度見えるので就活でなぜ採用しない会社が多いのが地味に不思議に思ってます。
2018年6月8日金曜日
意外に早かった
今週水曜にJBpressで中国の旅客機開発の記事を出しましたが、何の気なしに記事見出しを検索にかけたところ、なんと全文丸ごとコピペしているブログを発見しました。しかもよく見ると私以外にも大量の記事が全文勝手に掲載しており、まぁひどい奴もいるなと思いつつ、折角だからと思って通報かけてみようと試してみました。
当該ブログはFC2ブログだったため早速FC2の通報窓口を探したところ、著作権関連の通補受付窓口が用意されているのを発見しました。そこでここに自分がこの記事の著作権者であり且つ記事の正式な投稿先はJBpressであるとアドレスを付けて連絡し、当該ブログが無断転載を行っている旨を通報しました。そしたら翌日にはメールが来て、
「FC2事務局です。
ご報告いただいた以下のコンテンツの処分を進めます。」
という言葉とともに、通報したサイトのアドレスが付けられていました。早速そのリンクをクリックしたところ、既に削除されたのかエラー表示が出るだけでした。
ただ、大本のブログ本体については現在もアクセスが可能なまま更新も続けられています。厄介ごとを避けるためにそのサイトのアドレスとかは載せませんが、意外というかFC2が果断に対応したのは少し驚き、やるじゃんとか思ったわけです。
一応最後に書いておくと、記事の全文引用とかではなくリンク貼りつけ、また一部引用とかなら別にいちいち目くじらを立てることはなく無視しますし、むしろありがたいです。ただコンテンツを無断に、しかも自己利益の実現のために使用することはやはり良くないと思うし、自分以外の人間への影響も考えて今回こうして対応を取りましたが、何kなこの方面のガイドラインというか法律、具体的には無断使用に対して賠償を自動でどこまで請求できるのかとか決めてもらいたいものです。
当該ブログはFC2ブログだったため早速FC2の通報窓口を探したところ、著作権関連の通補受付窓口が用意されているのを発見しました。そこでここに自分がこの記事の著作権者であり且つ記事の正式な投稿先はJBpressであるとアドレスを付けて連絡し、当該ブログが無断転載を行っている旨を通報しました。そしたら翌日にはメールが来て、
「FC2事務局です。
ご報告いただいた以下のコンテンツの処分を進めます。」
という言葉とともに、通報したサイトのアドレスが付けられていました。早速そのリンクをクリックしたところ、既に削除されたのかエラー表示が出るだけでした。
ただ、大本のブログ本体については現在もアクセスが可能なまま更新も続けられています。厄介ごとを避けるためにそのサイトのアドレスとかは載せませんが、意外というかFC2が果断に対応したのは少し驚き、やるじゃんとか思ったわけです。
一応最後に書いておくと、記事の全文引用とかではなくリンク貼りつけ、また一部引用とかなら別にいちいち目くじらを立てることはなく無視しますし、むしろありがたいです。ただコンテンツを無断に、しかも自己利益の実現のために使用することはやはり良くないと思うし、自分以外の人間への影響も考えて今回こうして対応を取りましたが、何kなこの方面のガイドラインというか法律、具体的には無断使用に対して賠償を自動でどこまで請求できるのかとか決めてもらいたいものです。
2018年6月7日木曜日
社員人生を支えるITリテラシー
・ランキング(イータイピング)
私ほど日がな一日中キーボードを叩いている人間は少ないと断言できますが、このところ誤字は前から多いけどミスタイプの頻度が異常に上がっていて、既に必要十分な実力を身に着けているから不要だと思っていたタイピングについて練習サイトへ通うようになりました。久々に集中して叩いているとそこはかとなく感覚が良くなるように思え、またサイトの診断で右手の中指、薬指にミスタイプが多いと指摘されて結構新鮮な発見がありました。
なおランキングは現在143位に入っています。上には上がいる者です。
あと右手にミスタイプが多いと指摘されて初めて気が付きましたが、右手よりも左手の方が繊細に動かせます。もちろん私は右利きですが、事指先に限れば左手の方が非常に機微な動作を行えるし感覚も鋭いです。一体何故なんだ?
以上のようにキーボードの速さに関してはそこそこ自信があったのですが、そんな自信があるわけでもないのにやたらと周りに頼られるのは実はExcelの技術だったりします。そんな大したレベルではないと自覚しているのですが、細かいセルの処理とか表現方法、あとグラフや関数とか作るのに割かし手慣れていることからか、基本どの職場に行ってもエクセル関連の質問やトラブルは自分に寄せられます。最初に入った会社に至っては、別の事務所からわざわざ電話がかかってきて対応したこともありましたし。
ただ、こうしたエクセルの知識なり経験が地味に、私の会社員人生を支えているような気もします。他に大した能も持っているわけではないですが、地味にこういったオフィスで目立たないけど頻繁によく使う作業の能力があると役立つことも多く、実際これで周りの信頼を勝ち取っているところがあります。
その上で言うと、就活中の学生なんかはやはりワード、エクセルの一般的な処理について早いうちから学んでおくといいと思います。あまり目立ったアピールになりませんが入社後はこれらのスキルは即戦力的に役立つし、作業速度が早ければ早いほど周囲も評価してくれると思います。
こういうと参照関数とかマクロとかできるレベルを目指すべきなどという意見がよく出てきますが、そこまでいかずともフォントの使い分けやセル内の改行、枠線処理などの基本的な処理方法だけでも十分だと私は思います。実際、よく聞かれるのはこの辺だし。
なお私のエクセルの最高傑作は、海外拠点情報サイトの編集に使うマクロを組んだファイルです。具体的には拠点一覧表の一部をコピーして貼り付けるだけで自動ですべてのHTMLをくみ上げるので、あとは目立つボタンをクリックするだけでコピーでき、それをサイトの投稿ページに貼りつけるだけで一ページできるようになっています。やっぱりこういうものを早いうちに作らせると自分でしくみとか考えるので、若手社員がいるなら「こういうエクセル作れ!」と言ってみるのも手かもしれません。
私ほど日がな一日中キーボードを叩いている人間は少ないと断言できますが、このところ誤字は前から多いけどミスタイプの頻度が異常に上がっていて、既に必要十分な実力を身に着けているから不要だと思っていたタイピングについて練習サイトへ通うようになりました。久々に集中して叩いているとそこはかとなく感覚が良くなるように思え、またサイトの診断で右手の中指、薬指にミスタイプが多いと指摘されて結構新鮮な発見がありました。
なおランキングは現在143位に入っています。上には上がいる者です。
あと右手にミスタイプが多いと指摘されて初めて気が付きましたが、右手よりも左手の方が繊細に動かせます。もちろん私は右利きですが、事指先に限れば左手の方が非常に機微な動作を行えるし感覚も鋭いです。一体何故なんだ?
以上のようにキーボードの速さに関してはそこそこ自信があったのですが、そんな自信があるわけでもないのにやたらと周りに頼られるのは実はExcelの技術だったりします。そんな大したレベルではないと自覚しているのですが、細かいセルの処理とか表現方法、あとグラフや関数とか作るのに割かし手慣れていることからか、基本どの職場に行ってもエクセル関連の質問やトラブルは自分に寄せられます。最初に入った会社に至っては、別の事務所からわざわざ電話がかかってきて対応したこともありましたし。
ただ、こうしたエクセルの知識なり経験が地味に、私の会社員人生を支えているような気もします。他に大した能も持っているわけではないですが、地味にこういったオフィスで目立たないけど頻繁によく使う作業の能力があると役立つことも多く、実際これで周りの信頼を勝ち取っているところがあります。
その上で言うと、就活中の学生なんかはやはりワード、エクセルの一般的な処理について早いうちから学んでおくといいと思います。あまり目立ったアピールになりませんが入社後はこれらのスキルは即戦力的に役立つし、作業速度が早ければ早いほど周囲も評価してくれると思います。
こういうと参照関数とかマクロとかできるレベルを目指すべきなどという意見がよく出てきますが、そこまでいかずともフォントの使い分けやセル内の改行、枠線処理などの基本的な処理方法だけでも十分だと私は思います。実際、よく聞かれるのはこの辺だし。
なお私のエクセルの最高傑作は、海外拠点情報サイトの編集に使うマクロを組んだファイルです。具体的には拠点一覧表の一部をコピーして貼り付けるだけで自動ですべてのHTMLをくみ上げるので、あとは目立つボタンをクリックするだけでコピーでき、それをサイトの投稿ページに貼りつけるだけで一ページできるようになっています。やっぱりこういうものを早いうちに作らせると自分でしくみとか考えるので、若手社員がいるなら「こういうエクセル作れ!」と言ってみるのも手かもしれません。
2018年6月6日水曜日
旅客機記事の裏側
・MRJのライバル、中国旅客機を侮ってはいけない理由(JBpress)
今日出たのがこの記事ですが、なんでこの記事を書いたのかというと前回に書いた戦闘機ネタの記事を関連リンクとして付けられると踏んだからで、それ以外だと実はあんまなかったりします。まぁ手早くちゃっちゃとかけるってのも大きいのですが。
それ以上にこの記事、戦闘機記事もそうですがそもそも航空機の専門家でもなければ決して飛行機が好きでもなく、ましてやこの方面に詳しい知人も周りにないというのによくもまぁこういう記事書けるなという点で自分にびっくりです。最近なんだか、予備知識とかなくてもそれなりに見える記事を書くのに長けてきた気がします。
もっとも前回の戦闘機記事でも同じこと書いていますが、航空機の専門家に記事を書かせるとやたらディープな細かい性能比較とかやって、私同様にこの方面に詳しくない読者を置いてきぼりにしてしまう傾向があるだけに、今回も素人目線で必要最低限の事実の言及にのみ留めるよう意識しました。よく読んでもらえばわかりますが、この記事では日中の各旅客機の性能についてはほぼ全く言及せず、発表されている開発状況だけを紹介するにとどまっています。
そのため、ボクシングで言えばフックのみでアッパーカットのないというか、「これは!」という事実報道のない記事に収まっていますが、ヤフコメみてるとあまりこういう中国の航空機開発状況について知らない読者からしたらわかりやすく読まれたのかもしれません。っていうか今回の記事はやたら肯定的なコメントばかり集まってて、普段批判されてばっかだから「え、何かおかしくない?(;´・ω・)」と逆に不安を感じました。
以上のような経緯から記事内容についてはあまり紹介する裏話はないのですが、記事にしなかった部分では今回はいくつかあります。
まず一つは記事中で、「中国を格下とみて侮るべきではない」的に書いていますが、この箇所は最初のドラフト提出時に「バッサリ切っても構わない」と伝えたとおりにバッサリ切られており、当初はこんな風に書いていました。
「ただ筆者個人の見解を述べると、相手を侮る以上の利敵行為はなく、たとえ格下の相手だろうが冷静に彼我状況を分析し、全力で叩くよう動くのがビジネスにおいて肝要だと考えます。品質の悪さを指摘するのであれば、実際に何か事故を起こしてから盛んに喧伝すればいいだけです。」
この箇所はあるかないかでかなり記事の印象が変わるだけに、切られても確かにしょうがないと最初から覚悟していましたが、「相手を侮る以上の利敵行為はない」というのは本心です。これでどんな批判コメント来るだろうとワクワクしてましたが、やはり危ないと思われたのか削除されたというわけです。
それにしても「事故起こしてから喧伝すればいい」というセリフはなかなか気に入ってます。これもリップサービスではなく本心です。
・「飛べないMRJ」から考える日本の航空産業史(日経BP)
次の点ですが、上のリンク先は今回の記事を書く前に読んで参考にした内容で、当初はここでの対談内容も盛り込むつもりでした。具体的にはさっき回避すると言った技術論に当たる箇所で、「MRJの開発が難航したのは技術的過信に他ならない」という主張をするつもりでした。
実際にリンク先の対談内容を読んでもらえばわかりますが、三菱のMRJは当初、主翼をすべて炭素カーボンで作る予定でした。三菱はボーイング787の主翼を実際に炭素カーボンで作っていることから自分たちにもできると思っていたものの、サイズの違うMRJでやってみたら全然強度が足らず、結局フラップなど一部にしか炭素カーボンをは使えなかったそうです。
しかも当初、炭素カーボンの成形方法に「VaRTM(バータム)」という先進的な手法を採用すると喧伝していましたが、対談に出てくるオリンポスの四戸哲氏が「従来のRTMと何が違うのですか?」と発表会で聞いたところ、三菱の人間は誰も答えられないかわりに、「帰ってください!」と四戸氏を締め出したそうです。実際のところバータムは何も変わらないというか普通のRTMだったそうで、しかもそれで主翼の成形に失敗しているのだからカッコ悪いことこの上ないです。
このような感じでMRJは当初打ち出した先進的な設計は開発が進むにつれてどんどんと打ち止め、現在に至っては技術的な先進性はほぼ何もない保守的な設計に落ち着いたそうです。一応、エンジンに関してはプラット・アンド・ホイットニー社製の最新エンジン使っててほかの旅客機よりも燃費はいいのですが、競合先のブラジル・エンブラエルも同型のエンジンを導入し始めており、こちらの面でも優位はもうなくなっています。つまるところ、性能面の優位はもはやほぼないも同然です。
こうしたMRJの問題点というか将来性のなさも少し触れようかと思いましたが、文字数の制限もあるのとやはり性能の話に触れるのは危険だと思って書きませんでした。一応、記事本文では「MRJに期待してただけに」等とリップサービスをしてますが、過去においては事実であるものの、現段階においては実はあまり期待していません。恐らく三菱の人間も同様で、下手に予約受注を受けてしまっただけにやめたくてもやめられない止まらない、かっぱえびせん状態に陥ってると思われます。
最後に今回の記事で失敗したなと思った点として、やはり開発年表を付けるべきでした。コメントを見ると「中国の開発はやはり早い」という意見も見られるのですが、実際には中国はARJ21の開発において非常に慎重に長い時間をかけています。MRJと比べて開発着手時期が早かったから就航も先にこぎつけたものの、開発期間で言えばそこまでMRJと差があるわけではありません。
地の文で「開発は難航し」とは書いているものの、こうしたイメージをうまく伝えきれていなかったと反省しています。なお、あのせっかち極まりない中国がこれほどまでに慎重に開発を進めたあたり、スキのない国になったと私には思えます。
最後にと言いながらあともう一つ、他のコメントに「中国は国全体で開発に取り組んでいる」と、割と言いたかった内容をきちんと受け取ってくれているコメントがありました。記事本文にも書いてますがC919の開発には北京大学や南京航天大学など国内の大学も開発に関わっており、百度百科を見るとずらっと関係大学の名前が載っています。
これは素直にうらやましく、こうした取り組みは国内で航空人材を育成する上で非常に大事だと思え、逆を言えば日本のMRJも三菱という企業が単体で、クローズドでやってしまったのは日本全体にとってマイナスだったと直感的に感じました。YS-11の反省からの三菱単体開発でしたが、今のこの時代においてこの手法は率直に言ってミステイクとなるでしょう。
今日出たのがこの記事ですが、なんでこの記事を書いたのかというと前回に書いた戦闘機ネタの記事を関連リンクとして付けられると踏んだからで、それ以外だと実はあんまなかったりします。まぁ手早くちゃっちゃとかけるってのも大きいのですが。
それ以上にこの記事、戦闘機記事もそうですがそもそも航空機の専門家でもなければ決して飛行機が好きでもなく、ましてやこの方面に詳しい知人も周りにないというのによくもまぁこういう記事書けるなという点で自分にびっくりです。最近なんだか、予備知識とかなくてもそれなりに見える記事を書くのに長けてきた気がします。
もっとも前回の戦闘機記事でも同じこと書いていますが、航空機の専門家に記事を書かせるとやたらディープな細かい性能比較とかやって、私同様にこの方面に詳しくない読者を置いてきぼりにしてしまう傾向があるだけに、今回も素人目線で必要最低限の事実の言及にのみ留めるよう意識しました。よく読んでもらえばわかりますが、この記事では日中の各旅客機の性能についてはほぼ全く言及せず、発表されている開発状況だけを紹介するにとどまっています。
そのため、ボクシングで言えばフックのみでアッパーカットのないというか、「これは!」という事実報道のない記事に収まっていますが、ヤフコメみてるとあまりこういう中国の航空機開発状況について知らない読者からしたらわかりやすく読まれたのかもしれません。っていうか今回の記事はやたら肯定的なコメントばかり集まってて、普段批判されてばっかだから「え、何かおかしくない?(;´・ω・)」と逆に不安を感じました。
以上のような経緯から記事内容についてはあまり紹介する裏話はないのですが、記事にしなかった部分では今回はいくつかあります。
まず一つは記事中で、「中国を格下とみて侮るべきではない」的に書いていますが、この箇所は最初のドラフト提出時に「バッサリ切っても構わない」と伝えたとおりにバッサリ切られており、当初はこんな風に書いていました。
「ただ筆者個人の見解を述べると、相手を侮る以上の利敵行為はなく、たとえ格下の相手だろうが冷静に彼我状況を分析し、全力で叩くよう動くのがビジネスにおいて肝要だと考えます。品質の悪さを指摘するのであれば、実際に何か事故を起こしてから盛んに喧伝すればいいだけです。」
この箇所はあるかないかでかなり記事の印象が変わるだけに、切られても確かにしょうがないと最初から覚悟していましたが、「相手を侮る以上の利敵行為はない」というのは本心です。これでどんな批判コメント来るだろうとワクワクしてましたが、やはり危ないと思われたのか削除されたというわけです。
それにしても「事故起こしてから喧伝すればいい」というセリフはなかなか気に入ってます。これもリップサービスではなく本心です。
・「飛べないMRJ」から考える日本の航空産業史(日経BP)
次の点ですが、上のリンク先は今回の記事を書く前に読んで参考にした内容で、当初はここでの対談内容も盛り込むつもりでした。具体的にはさっき回避すると言った技術論に当たる箇所で、「MRJの開発が難航したのは技術的過信に他ならない」という主張をするつもりでした。
実際にリンク先の対談内容を読んでもらえばわかりますが、三菱のMRJは当初、主翼をすべて炭素カーボンで作る予定でした。三菱はボーイング787の主翼を実際に炭素カーボンで作っていることから自分たちにもできると思っていたものの、サイズの違うMRJでやってみたら全然強度が足らず、結局フラップなど一部にしか炭素カーボンをは使えなかったそうです。
しかも当初、炭素カーボンの成形方法に「VaRTM(バータム)」という先進的な手法を採用すると喧伝していましたが、対談に出てくるオリンポスの四戸哲氏が「従来のRTMと何が違うのですか?」と発表会で聞いたところ、三菱の人間は誰も答えられないかわりに、「帰ってください!」と四戸氏を締め出したそうです。実際のところバータムは何も変わらないというか普通のRTMだったそうで、しかもそれで主翼の成形に失敗しているのだからカッコ悪いことこの上ないです。
このような感じでMRJは当初打ち出した先進的な設計は開発が進むにつれてどんどんと打ち止め、現在に至っては技術的な先進性はほぼ何もない保守的な設計に落ち着いたそうです。一応、エンジンに関してはプラット・アンド・ホイットニー社製の最新エンジン使っててほかの旅客機よりも燃費はいいのですが、競合先のブラジル・エンブラエルも同型のエンジンを導入し始めており、こちらの面でも優位はもうなくなっています。つまるところ、性能面の優位はもはやほぼないも同然です。
こうしたMRJの問題点というか将来性のなさも少し触れようかと思いましたが、文字数の制限もあるのとやはり性能の話に触れるのは危険だと思って書きませんでした。一応、記事本文では「MRJに期待してただけに」等とリップサービスをしてますが、過去においては事実であるものの、現段階においては実はあまり期待していません。恐らく三菱の人間も同様で、下手に予約受注を受けてしまっただけにやめたくてもやめられない止まらない、かっぱえびせん状態に陥ってると思われます。
最後に今回の記事で失敗したなと思った点として、やはり開発年表を付けるべきでした。コメントを見ると「中国の開発はやはり早い」という意見も見られるのですが、実際には中国はARJ21の開発において非常に慎重に長い時間をかけています。MRJと比べて開発着手時期が早かったから就航も先にこぎつけたものの、開発期間で言えばそこまでMRJと差があるわけではありません。
地の文で「開発は難航し」とは書いているものの、こうしたイメージをうまく伝えきれていなかったと反省しています。なお、あのせっかち極まりない中国がこれほどまでに慎重に開発を進めたあたり、スキのない国になったと私には思えます。
最後にと言いながらあともう一つ、他のコメントに「中国は国全体で開発に取り組んでいる」と、割と言いたかった内容をきちんと受け取ってくれているコメントがありました。記事本文にも書いてますがC919の開発には北京大学や南京航天大学など国内の大学も開発に関わっており、百度百科を見るとずらっと関係大学の名前が載っています。
これは素直にうらやましく、こうした取り組みは国内で航空人材を育成する上で非常に大事だと思え、逆を言えば日本のMRJも三菱という企業が単体で、クローズドでやってしまったのは日本全体にとってマイナスだったと直感的に感じました。YS-11の反省からの三菱単体開発でしたが、今のこの時代においてこの手法は率直に言ってミステイクとなるでしょう。
2018年6月5日火曜日
何故問題が放置されるのか
このところのスバルやレオパレス、スルガ銀行のニュースなどを見て、何故これら企業の問題が長年にわたり放置されてきたのかという疑問をよく感じます。何も今に始まるわけじゃなく、昔からこのような企業不正は後を絶えないと言うこともできるのですが、スバルを除けば隠れてやっていたわけじゃなく割とオープンに不正をやらかしており、尚且つ不正の期間も長いのが個人的に気になります。特にレオパレスなどはその壁の薄さはもはや一般常識と言っていいほどで、今回の問題も施工会社が全国各地に散らばっていることを考えていると関与者も多く、よく今まで明るみに出なかったものだと逆に凄いと感じます。
これら企業不正に限らず年金問題やマイナンバー関連など、日本では往々にして問題が先送り、放置されやすい傾向が強いです。一方ですぐ対策取れるような些末な小事ほど、国も企業もやたらやる気を出して全力で取り組もうとするように見えるのですが、結論から言えば力の入れ方が明らかに間違っています。
こうした、厄介な問題を先送りにすることは恐らく日本に限るわけではないとは思うものの、先送りにしたところで何か解決するわけでもなく、その負担はむしろ利息付きで後の世代に引き渡されるも同然です。果たしてこんな状況でいいのかと言っても、「でも誰も解決できないんだから仕方ないじゃん」って返事がきちゃいそうです。
何故こうした当たり前のことを今回書くのかというと、中国の政策を見ているとちゃんと問題に向き合って解決しようと取り組む姿勢が見えるからです。最初は2~3年くらい懲役のつもりで中国に行こうとしたらもはやそこそこ長く住むことになった私だから言えると思いますが、この10年で中国の環境は劇的に改善しつつあります。上海市内でも青空をみえる日は年々増えており、また自動車の排ガスも以前は鼻を突くにおいが目立ったものの最近は軍や警察の車両を除くとそういうのはあまりしなくなりました。
もっとも地方いったらまだまだ環境汚染が続いているとは思いますが、国の政策をみればやはりまだ中国はこうした問題に取り組もうとしていることが分かります。例えば環境規制の違反に対する処罰は現在間違いなく世界屈指の厳格な内容となっており、申告や対策が1日遅れるごとに罰金額が毎日一定額追加されていくという恐ろしい内容になっています。実際、こうした規制が功を奏して末端の中小企業などでもしぶしぶ対策を取るようになってきているそうです。
また財政問題に関しても、中国の場合は中央国家財政は黒字というか歳入が年々増えている状況で今も昔も日本と違ってほぼ全く問題ありませんが、地方に関しては実態に即したデータを出さない等、見えないところで地方債務を増やしているなどと言われリスクがあります。
この点に関しても最近の政策を見ていると、地方自治体の財務申告方式や調査方法などを細かく指示するなどして、見えないものを見ようとする意気込みが感じられます。一方の日本は、ただでさえ財政は大赤字だというのに低所得者の学費を免除するとか言い出すなど、不正なプロセスで獣医学部を追加した大学を取り潰すなどすることで持ち金を用意してから言えと言いたくなるような政策案が今日も飛び出してきました。
何もこうした政治上の問題に限らないですが、私はよく「もっと現実を直視しろ」と周りに行っています。個人の人生でもそうですが、遠すぎる未来を心配したり、よかった頃の過去に浸っていても現状は何も改善しないし動きません。それであればもっと現状を見て、今何を優先して取り組むべきなのか、今のうちにやっておくべきことは何なのかを考えてそれをすぐ実行することの方がずっと建設的です。
つい先月にも日本で知人に、「日本の大学生に今何に関心があると聞いたら、大抵は就職と年金と答える。就職はまだしも、年金なんて40年以上先の未来について心配したところで何もプラスはないし、今この瞬間が見えていない証左でもある」と言ってきましたが、過去も未来も気にしたところでほぼ何もメリットは存在しません。数年先の未来ならまだしも、今この瞬間の現実を何よりも重視する人間こそが一番強いのだと私は考えています。
こんなこと言ってるからかもしれませんが、「花園さんは将来年金とかどうすんですか?」と、私自身は気にしてないのに周囲からやたら私の将来について心配が寄せられています。 「いざとなれば生活保護あるでしょ?」と言ったら、「日本に税金も払ってないくせに」と言い返されたこともありますが、ここまで極端じゃなくとももっと将来を気にせず、今この現在を大事にする姿勢は日本人に求められていると思います。
せめて問題の解決に直接取り組まなくとも、今の日本にどういう問題があって何が最も優先されるべきなのか、そういうのをもっと考えてもらいたいなとこのところ日々思います。
これら企業不正に限らず年金問題やマイナンバー関連など、日本では往々にして問題が先送り、放置されやすい傾向が強いです。一方ですぐ対策取れるような些末な小事ほど、国も企業もやたらやる気を出して全力で取り組もうとするように見えるのですが、結論から言えば力の入れ方が明らかに間違っています。
こうした、厄介な問題を先送りにすることは恐らく日本に限るわけではないとは思うものの、先送りにしたところで何か解決するわけでもなく、その負担はむしろ利息付きで後の世代に引き渡されるも同然です。果たしてこんな状況でいいのかと言っても、「でも誰も解決できないんだから仕方ないじゃん」って返事がきちゃいそうです。
何故こうした当たり前のことを今回書くのかというと、中国の政策を見ているとちゃんと問題に向き合って解決しようと取り組む姿勢が見えるからです。最初は2~3年くらい懲役のつもりで中国に行こうとしたらもはやそこそこ長く住むことになった私だから言えると思いますが、この10年で中国の環境は劇的に改善しつつあります。上海市内でも青空をみえる日は年々増えており、また自動車の排ガスも以前は鼻を突くにおいが目立ったものの最近は軍や警察の車両を除くとそういうのはあまりしなくなりました。
もっとも地方いったらまだまだ環境汚染が続いているとは思いますが、国の政策をみればやはりまだ中国はこうした問題に取り組もうとしていることが分かります。例えば環境規制の違反に対する処罰は現在間違いなく世界屈指の厳格な内容となっており、申告や対策が1日遅れるごとに罰金額が毎日一定額追加されていくという恐ろしい内容になっています。実際、こうした規制が功を奏して末端の中小企業などでもしぶしぶ対策を取るようになってきているそうです。
また財政問題に関しても、中国の場合は中央国家財政は黒字というか歳入が年々増えている状況で今も昔も日本と違ってほぼ全く問題ありませんが、地方に関しては実態に即したデータを出さない等、見えないところで地方債務を増やしているなどと言われリスクがあります。
この点に関しても最近の政策を見ていると、地方自治体の財務申告方式や調査方法などを細かく指示するなどして、見えないものを見ようとする意気込みが感じられます。一方の日本は、ただでさえ財政は大赤字だというのに低所得者の学費を免除するとか言い出すなど、不正なプロセスで獣医学部を追加した大学を取り潰すなどすることで持ち金を用意してから言えと言いたくなるような政策案が今日も飛び出してきました。
何もこうした政治上の問題に限らないですが、私はよく「もっと現実を直視しろ」と周りに行っています。個人の人生でもそうですが、遠すぎる未来を心配したり、よかった頃の過去に浸っていても現状は何も改善しないし動きません。それであればもっと現状を見て、今何を優先して取り組むべきなのか、今のうちにやっておくべきことは何なのかを考えてそれをすぐ実行することの方がずっと建設的です。
つい先月にも日本で知人に、「日本の大学生に今何に関心があると聞いたら、大抵は就職と年金と答える。就職はまだしも、年金なんて40年以上先の未来について心配したところで何もプラスはないし、今この瞬間が見えていない証左でもある」と言ってきましたが、過去も未来も気にしたところでほぼ何もメリットは存在しません。数年先の未来ならまだしも、今この瞬間の現実を何よりも重視する人間こそが一番強いのだと私は考えています。
こんなこと言ってるからかもしれませんが、「花園さんは将来年金とかどうすんですか?」と、私自身は気にしてないのに周囲からやたら私の将来について心配が寄せられています。 「いざとなれば生活保護あるでしょ?」と言ったら、「日本に税金も払ってないくせに」と言い返されたこともありますが、ここまで極端じゃなくとももっと将来を気にせず、今この現在を大事にする姿勢は日本人に求められていると思います。
せめて問題の解決に直接取り組まなくとも、今の日本にどういう問題があって何が最も優先されるべきなのか、そういうのをもっと考えてもらいたいなとこのところ日々思います。
ドラクエが支持される理由
先月日本に帰った際にクソゲーだと名高い「フリーダムウォーズ」というゲームを500円で買ってきましたが、ゲーム本編をクリアしてみた感じだと、「クリアするまで遊んだのだから500円くれ( ゚д゚)クレ」と言いたくなるようなクソっぷりでした。真面目にこのゲームの骨格作った人はもうゲーム開発に関わらない方がいいんじゃないかと思うくらい、いい要素を悉く潰してしまう無駄に面倒くさい要素がガンガン入れられています。っていうか終盤、1~2発殴られたら即知って何なのよ?
もっともこのゲームはクソだとわかっていながらどれだけクソなのかをリアル体感するために買ったようなゲームなのでそのことはもういいのですが、最近比較的発売年が新しいゲームをプレイしていて、日本のゲーム開発能力がこのところ落ちているのではと思うことが増えています。具体的にいうと、ゲームを開始する前にアップデートパッチをつけないとバグが多すぎてまともにプレイできなかったり、プレイできるとしても難易度調整がおかしくてまともに遊べない等、一体開発者らは何考えてこんな状態で市場にリリースしたのかと理解できないゲームが明らかに増えています。
こうなった背景ははっきりしていて、昔と比べてリリースしたらどうあがいても修正対応できなかったのに対して、現在は基本どのゲームもオンラインアップデートでパッチを出すことが出来るようになり、恐らく開発者らもバグ対策などに問題があるとわかっていながら納期優先でリリースしてしまうようになっているのだと思います。ただプレイヤー側、特に発売日にすぐ買ってプレイしてくれるような人からすれば未完成品をテストさせられているようなもので、顧客意識的にこうした姿勢はどうかと思わざるを得ません。
またパッチ修正対応でも、中には修正前よりひどい不具合を引き起こすという例も散見されます。最近だと私はプレイしたわけではありませんが「アジト×タツノコレジェンズ」というゲームで、エレベーターに戦闘員を乗せたら遥か彼方の空まで上昇してそのまま帰ってこなくなるという面白いバグが最初発見された後に出されたパッチを適用したら、ゲームクリアに必須ともいえる途中経過データが100%セーブできなくなるという、何を考えてこんなパッチ出したのかという恐ろしい所業をやってのけました。なおその後、メーカーはこのゲームに一切対応しなくなったとのことで、事実上クリアがほぼ不可能な未完成品と相成ったとのことです。
そこまでひどいバグじゃなくても難易度調整がひどくてまともに遊べないゲームもこのところ、明らかに目につきます。今回遊んだ「フリーダムウォーズ」もまさにこの例に入り、ただただストレスのかかる理不尽な難易度での戦闘が強要されてばかりで、しかもこのゲーム、狩りゲーなのに武器の強化がランダム要素が強い上にあんま強くならず、防具に至ってはそもそも存在しないので基本殴られたらそこですぐおしまいとなるため、体力ゲージの存在意義がわかりません。
ただ難易度が高いというのであれば私はかつて「ニンジャガイデン」という、クソ難しくて誰かが開発者に文句言ったら「練習してください」とだけ返答されたという曰くつきのゲームがありましたが、このゲームは確かに難しくて何度もマリオみたく屍を重ねたものの、プレイするたびに自分が上手になるのを実感できて、クリアする頃には縦横無尽に敵を切り刻めるようになるなど、満足感が高いゲームでした。しかし先ほどの「フリーダムウォーズ」のように、プレイの熟達云々以前のゲームシステムの問題で無駄に難易度が高いゲームはストレスが溜まるだけで、なぜこんな設計にしたのか真面目に関係開発者は早く業界を去ってほしいです。
以上は主にゲームの管理面の問題ですが今回もう一つ主張したい点として、ドラクエが何故長年支持されるのかを考えた際、それはホイミをかけたら回復するという具合で、基本的なシステムが頑なに守られ続けているという安心感があるからではと思えてきました。何故このように思うのかというと、最近のゲームは無意味に複雑なシステムが多く、最初に手に取るまでのハードルが高くなるとともに、複雑すぎるシステムがゲームの面白さを削いでいると感じる節すらあるからです。
また引っ張り出すと先ほどの「フリーダムウォーズ」なんかこの典型で、無駄にシステム複雑でやれることは確かに多いんだけど、大抵どれも使わなくてもいいようなシステムばかりで、真面目に関係開発者は頭おかしいと思います。
真面目に話をすると、やはり最近の新しいゲームをやろうとする際にはいくつか抵抗感を覚えます。というのもどれもシステムが複雑で、プレイする前にゲームのシステムを理解しながら進めないといけないからです。親切なゲームはそうしたシステムや有効なプレイ方法をチュートリアルで指示してくれたり、最初は一部システムを封印させておいてゲームに慣れてきたところで段々と解除すると言ったことをしてくれますが、先ほどの「フリーダムウォーズ」はいきなりほぼ全部解禁で意味わかんなかったです。
そうしたシステムが複雑なゲームに対して、やはり続編物だと最初にプレイするまでの抵抗感がぐっと下がります。言うまでもなく続編物であれば前作をやっていれば基本システムは既に理解しており、追加された部分だけチェックすればいいからです。そういう意味でドラクエなんかは、基本的な戦闘システムや会話システムなどその骨格は3の頃に固まってから現在に至るまで大きく変更されることなく維持されており、そうした姿勢がプレイヤーに安心感を持たせているのでこれほど長く支持されているのではないかと思えてきたわけです。
なお以前にゲーム業界関係者が、「ゲームの開発者たちはシステムをわざと複雑に作りたがる」ということを言っていたのを耳にしました。なんとなくですが、「すべてのジャンルはマニアが潰す」に通じるような気がして、実際そうなんだろうなと思えてなりません。
私個人の考えでは、ゲームのシステムや単純化できるところはやはりどんどんと単純化させシンプルにした方がかえって楽しめると思います。現在いろんな版権とコラボしているコーエーの「無双シリーズ」なんかこの典型で、「動くものはみんな敵」というくらいびっくりするほどそのまんまなシステムをしていることからこそコラボもできるし長く売れているのだと思います。
おまけ
なんかの記事で「癒し系マッチョ」という単語を見て、ハッスルダンスをするドラクエ6のハッサンを連想しました。ドラクエは「ハッスルダンス」や「はがねのつるぎ」、「ぱふぱふ」等の単語をきちんと維持する辺りはやはりよくできている気がします。
もっともこのゲームはクソだとわかっていながらどれだけクソなのかをリアル体感するために買ったようなゲームなのでそのことはもういいのですが、最近比較的発売年が新しいゲームをプレイしていて、日本のゲーム開発能力がこのところ落ちているのではと思うことが増えています。具体的にいうと、ゲームを開始する前にアップデートパッチをつけないとバグが多すぎてまともにプレイできなかったり、プレイできるとしても難易度調整がおかしくてまともに遊べない等、一体開発者らは何考えてこんな状態で市場にリリースしたのかと理解できないゲームが明らかに増えています。
こうなった背景ははっきりしていて、昔と比べてリリースしたらどうあがいても修正対応できなかったのに対して、現在は基本どのゲームもオンラインアップデートでパッチを出すことが出来るようになり、恐らく開発者らもバグ対策などに問題があるとわかっていながら納期優先でリリースしてしまうようになっているのだと思います。ただプレイヤー側、特に発売日にすぐ買ってプレイしてくれるような人からすれば未完成品をテストさせられているようなもので、顧客意識的にこうした姿勢はどうかと思わざるを得ません。
またパッチ修正対応でも、中には修正前よりひどい不具合を引き起こすという例も散見されます。最近だと私はプレイしたわけではありませんが「アジト×タツノコレジェンズ」というゲームで、エレベーターに戦闘員を乗せたら遥か彼方の空まで上昇してそのまま帰ってこなくなるという面白いバグが最初発見された後に出されたパッチを適用したら、ゲームクリアに必須ともいえる途中経過データが100%セーブできなくなるという、何を考えてこんなパッチ出したのかという恐ろしい所業をやってのけました。なおその後、メーカーはこのゲームに一切対応しなくなったとのことで、事実上クリアがほぼ不可能な未完成品と相成ったとのことです。
そこまでひどいバグじゃなくても難易度調整がひどくてまともに遊べないゲームもこのところ、明らかに目につきます。今回遊んだ「フリーダムウォーズ」もまさにこの例に入り、ただただストレスのかかる理不尽な難易度での戦闘が強要されてばかりで、しかもこのゲーム、狩りゲーなのに武器の強化がランダム要素が強い上にあんま強くならず、防具に至ってはそもそも存在しないので基本殴られたらそこですぐおしまいとなるため、体力ゲージの存在意義がわかりません。
ただ難易度が高いというのであれば私はかつて「ニンジャガイデン」という、クソ難しくて誰かが開発者に文句言ったら「練習してください」とだけ返答されたという曰くつきのゲームがありましたが、このゲームは確かに難しくて何度もマリオみたく屍を重ねたものの、プレイするたびに自分が上手になるのを実感できて、クリアする頃には縦横無尽に敵を切り刻めるようになるなど、満足感が高いゲームでした。しかし先ほどの「フリーダムウォーズ」のように、プレイの熟達云々以前のゲームシステムの問題で無駄に難易度が高いゲームはストレスが溜まるだけで、なぜこんな設計にしたのか真面目に関係開発者は早く業界を去ってほしいです。
以上は主にゲームの管理面の問題ですが今回もう一つ主張したい点として、ドラクエが何故長年支持されるのかを考えた際、それはホイミをかけたら回復するという具合で、基本的なシステムが頑なに守られ続けているという安心感があるからではと思えてきました。何故このように思うのかというと、最近のゲームは無意味に複雑なシステムが多く、最初に手に取るまでのハードルが高くなるとともに、複雑すぎるシステムがゲームの面白さを削いでいると感じる節すらあるからです。
また引っ張り出すと先ほどの「フリーダムウォーズ」なんかこの典型で、無駄にシステム複雑でやれることは確かに多いんだけど、大抵どれも使わなくてもいいようなシステムばかりで、真面目に関係開発者は頭おかしいと思います。
真面目に話をすると、やはり最近の新しいゲームをやろうとする際にはいくつか抵抗感を覚えます。というのもどれもシステムが複雑で、プレイする前にゲームのシステムを理解しながら進めないといけないからです。親切なゲームはそうしたシステムや有効なプレイ方法をチュートリアルで指示してくれたり、最初は一部システムを封印させておいてゲームに慣れてきたところで段々と解除すると言ったことをしてくれますが、先ほどの「フリーダムウォーズ」はいきなりほぼ全部解禁で意味わかんなかったです。
そうしたシステムが複雑なゲームに対して、やはり続編物だと最初にプレイするまでの抵抗感がぐっと下がります。言うまでもなく続編物であれば前作をやっていれば基本システムは既に理解しており、追加された部分だけチェックすればいいからです。そういう意味でドラクエなんかは、基本的な戦闘システムや会話システムなどその骨格は3の頃に固まってから現在に至るまで大きく変更されることなく維持されており、そうした姿勢がプレイヤーに安心感を持たせているのでこれほど長く支持されているのではないかと思えてきたわけです。
なお以前にゲーム業界関係者が、「ゲームの開発者たちはシステムをわざと複雑に作りたがる」ということを言っていたのを耳にしました。なんとなくですが、「すべてのジャンルはマニアが潰す」に通じるような気がして、実際そうなんだろうなと思えてなりません。
私個人の考えでは、ゲームのシステムや単純化できるところはやはりどんどんと単純化させシンプルにした方がかえって楽しめると思います。現在いろんな版権とコラボしているコーエーの「無双シリーズ」なんかこの典型で、「動くものはみんな敵」というくらいびっくりするほどそのまんまなシステムをしていることからこそコラボもできるし長く売れているのだと思います。
おまけ
なんかの記事で「癒し系マッチョ」という単語を見て、ハッスルダンスをするドラクエ6のハッサンを連想しました。ドラクエは「ハッスルダンス」や「はがねのつるぎ」、「ぱふぱふ」等の単語をきちんと維持する辺りはやはりよくできている気がします。
2018年6月2日土曜日
中国人のよくわからない味覚
今日のお昼は先日偶然見つけたインドカレー屋でカレー喰っていました。わざわざJBpressのプロフィールにも書くくらいカレーは好きで、記者時代はお昼はカレーかサンドイッチの二択で、カレーなら週三日でも耐えられる自信があります。
それで今日食べてきたカレー屋ですが、インド人(もしかしたらパキスタン人かもしれませんが)がやっているだけあってしっかりしたカレーで個人的には大満足でした。っていうかお店のインド人らしき人がめっちゃ日本語流暢だったので最初面食らいましたが。
店内には私のほかには日本人親子と、あとから中国人の親子も入ってきましたが、「辛さとか調整してくれるけど、中国人に個々のカレーは大丈夫かな?」と実は少し心配していました。というのも中国では、日本の一般的な水準と比べて甘口のカレーが非常に好まれ、辛口のカレーともなるとほとんど食べられていないという現状があるからです。
ココイチなんかだとクローンかと思うくらい日本とそのまんまの味を中国でも出してくるので3辛でも結構辛いテイストですが、すき家なんかだと中国では甘口のカレーしか出さず、食べに行くと私からすれば辛さの面でやや不満を感じる味となっています。なお日本にいた頃の私の味覚は自宅でカレーを作る際は辛口、外食で食べる際は中辛を選んでいました。激辛だとNGですが割と辛めの味を好みます。
すき家に限らず中国でカレーを提供するお店は基本、甘口がベースです。またスーパーなどではレトルトカレーも売っていますが置いてある味付けは甘口ばかりで、中辛すらここ最近だと目にしなくなってきました。こうした状況と根拠から、ことカレーに関しては中国人は辛さが苦手だと言ってほぼ間違いありません。
ただこれの何が不思議かって、中国人は中華料理だと激辛の料理を非常に好む点です。なんで自分とこの普段の料理で散々激辛料理を食べてるくせして、カレーの辛さが苦手なのかが非常に不思議だったりします。
ちょっとメタな話をすると、そもそも人間の味覚に「辛い」という感覚はないそうで、辛いと感じるのは舌からしたら「痛い」という痛覚を発しているとのことで、全身で例えるなら鞭を打たれながら「気持ちいい」というような具合で辛いという感覚を脳は堪能しているとのことです。
基本、味覚というのは年齢を経るにつれてどんどん鈍感になっていく感覚で、子供が辛い味を敬遠するのは感覚が鋭敏なだけに痛みの刺激に耐えられないからです。逆に味覚が鈍感になった大人からすれば普段の料理では刺激が物足りず、激しい刺激を求めて辛い味を求めてくるようになるわけで、子供の頃は食べられなかった辛い食べ物を大人になってから食べるというメカニズムが生まれることとなるわけです。
こうした過程を踏まえると、ますますもって中国人が辛いカレーに耐えられないというのがよくわかんないです。四川料理とかでめちゃくちゃ辛い物を食べてるくせになんでカレーは甘口なんだよ、何がどう違うんだよと今すっごい気になっています。ただ単にカレーにまだ食べ慣れていないだけなのかもしれませんが、今度この方面でもインタビューして別に記事書こうかな。
それで今日食べてきたカレー屋ですが、インド人(もしかしたらパキスタン人かもしれませんが)がやっているだけあってしっかりしたカレーで個人的には大満足でした。っていうかお店のインド人らしき人がめっちゃ日本語流暢だったので最初面食らいましたが。
店内には私のほかには日本人親子と、あとから中国人の親子も入ってきましたが、「辛さとか調整してくれるけど、中国人に個々のカレーは大丈夫かな?」と実は少し心配していました。というのも中国では、日本の一般的な水準と比べて甘口のカレーが非常に好まれ、辛口のカレーともなるとほとんど食べられていないという現状があるからです。
ココイチなんかだとクローンかと思うくらい日本とそのまんまの味を中国でも出してくるので3辛でも結構辛いテイストですが、すき家なんかだと中国では甘口のカレーしか出さず、食べに行くと私からすれば辛さの面でやや不満を感じる味となっています。なお日本にいた頃の私の味覚は自宅でカレーを作る際は辛口、外食で食べる際は中辛を選んでいました。激辛だとNGですが割と辛めの味を好みます。
すき家に限らず中国でカレーを提供するお店は基本、甘口がベースです。またスーパーなどではレトルトカレーも売っていますが置いてある味付けは甘口ばかりで、中辛すらここ最近だと目にしなくなってきました。こうした状況と根拠から、ことカレーに関しては中国人は辛さが苦手だと言ってほぼ間違いありません。
ただこれの何が不思議かって、中国人は中華料理だと激辛の料理を非常に好む点です。なんで自分とこの普段の料理で散々激辛料理を食べてるくせして、カレーの辛さが苦手なのかが非常に不思議だったりします。
ちょっとメタな話をすると、そもそも人間の味覚に「辛い」という感覚はないそうで、辛いと感じるのは舌からしたら「痛い」という痛覚を発しているとのことで、全身で例えるなら鞭を打たれながら「気持ちいい」というような具合で辛いという感覚を脳は堪能しているとのことです。
基本、味覚というのは年齢を経るにつれてどんどん鈍感になっていく感覚で、子供が辛い味を敬遠するのは感覚が鋭敏なだけに痛みの刺激に耐えられないからです。逆に味覚が鈍感になった大人からすれば普段の料理では刺激が物足りず、激しい刺激を求めて辛い味を求めてくるようになるわけで、子供の頃は食べられなかった辛い食べ物を大人になってから食べるというメカニズムが生まれることとなるわけです。
こうした過程を踏まえると、ますますもって中国人が辛いカレーに耐えられないというのがよくわかんないです。四川料理とかでめちゃくちゃ辛い物を食べてるくせになんでカレーは甘口なんだよ、何がどう違うんだよと今すっごい気になっています。ただ単にカレーにまだ食べ慣れていないだけなのかもしれませんが、今度この方面でもインタビューして別に記事書こうかな。
2018年5月31日木曜日
日本の四番と涙のサヨナラ男
今日はブログ書く気なかったけど、ニュース見て一気にやる気出ました。
・DeNA・山下 劇打に涙「去年、すごくつらかったので…」
今日横浜×楽天戦を見に行っていた人は正直うらやましいです。息詰まる投手戦の終盤、1点差でリードした楽天の岸投手が9回2アウトまできて完封まであと一人のところ、「日本の四番」こと筒香選手が値千金の同点ホームランを放ち試合を振り出しに戻すと、延長十回で途中出場の横浜の山下選手がサヨナラヒットで劇的な勝利をものにしました。
動画を見てもらえば早いですが、今日1軍に上がってきたばかりだったとのことで積もるものもあったのかサヨナラを決めた山下選手は大泣きで、ネットのコメント見てると「こっちも泣けてくるわ( ;∀;)」という声が多く挙げられています。
采配をズバリ的中させたラミレス監督もさることながら、本当に欲しいところでホームランを出す筒香選手には舌を巻くばかりです。実際、上の動画ですら、結果が分かっているからかもしれませんが打席に立つ筒香選手が恐ろしいことといったらなく、この土壇場だからこそ打ってしまいそうな迫力はまさに日本の四番に相応しいです。
そしてその次の山下選手に関しても、あまり経歴は知らないのですがこの涙だけでどれだけ苦しい思いをしてきたのか人目でわかります。しょっちゅう泣いてばかりでもはや「泣き芸」の域に達している織田信成氏の涙には「また泣きやがって( ・´ー・`)」って感じで受け取ってしまいますが、この山下選手の涙にはやはり胸に来るものがあります。
にしても去年といい、横浜はいい試合を作るなとつくづく思います。負けた楽天の側を慮ると申し訳ないですが、こういう試合を見せられると応援したくなるのが性というものです。
2018年5月30日水曜日
土地放棄に関する私見
先日、実に3年ぶりに健康診断行ったら血糖値と悪玉コレステロールの値が基準値オーバーで注意されました。原因ははっきりわかっててコーラの飲み過ぎで、普通に2リットルペットボトルを二日に一本のペースで飲み続けていたせいな気がするのでこのところコーラ断ちしているのですが禁断症状やばいです(/・ω・)/
なお今日、「たまにはいっか(´・ω・`)」と思ってまた砂糖たっぷりの清涼飲料水を飲んだ直後から頭痛起こして、やっぱやめないとと自覚しなおしました。ちなみにほかの値だと内臓年齢は18歳、体脂肪率は11.7%とか叩き出し、「マラソンでもやってるのですか?」と管理栄養士の人に言われました。でもって「たまに自転車で100キロ走る」と言ったら引かれました。
・土地を放棄できる制度、政府が検討 要件・引受先議論へ(朝日新聞)
個人的にこのところ一番目を引いたニュースというのが上の記事です。内容を簡単に書くと、すでに半分放棄しているような土地について地権者が望むのならばペナルティなしで放棄を認めっ区有地として収用することを検討しているそうです。現状の民法上でも「所有者のいない土地は国有地として収用できる」とは書いているものの、手続きなどについては一切全く整えられていないため今後法整備を行う必要があるとのことです。
この方針については私も大賛成なのですが、恐らく実施するとなると必ず躓くことになると予想します。というのも地権者が放棄したくなる土地というのは往々にして、アパートなどと一建物こと上物があるからです。この上物処理についても同時に定めない限り、放棄要件が定まったとしても使われずに終わるでしょう。
一部で既に報じられていますが、例えば都会に住んでいるのに父母が死んだあとの相続に困る田舎の実家と土地とか、親戚(相続者)は既に誰もおらず、本人も病院に移っているのに残っている家、あと建てたはいいけど誰も入居しなくなったアパートなどはどれも、不動産税だけが毎年かかりながら一切のキャッシュインフローを生まない負動産です。しかもこれらの負動産は売却しようにも買手が現れないことから売却もできないという、ドラクエ的に言えば「ふこうのかぶと」のような外すことすらできない呪いの武具みたいなもんです。
こうした土地や建物は放棄年数が長ければ長いほどどんどん価値を落とし、事によっては火災や崩落すら起こして周辺建物にも損害を与える可能性すらあります。また犯罪の温床というか勝手に入り込む輩も現れることもあるだけに、所有者に放棄の意思があるならどんどん国や地方が収用して再活用するなりした方が絶対的にベターです。
どうでもいいですが「ストップひばりくん」という漫画で「モアベター」というセリフを見てからこの「ベター」という表現を多用するようになりました。現代日本でこれほど使っているのは私くらいなものでしょう。
話は戻りますがそういう意味で今回の政府の動きは歓迎したいところですが、内容をさっと見る限りだと収用するのは土地に限られているのではと読み取れます。つまり上物がある場合、上物を処分としなければ放棄要件を満たさない可能性があり、もしそのような要件としたら必ず失敗すると予言します。
先にも書いた通りに負動産というのは基本、上物がある物件です。しかも所有者は放棄しようにも上物の処分費用すら払えない状態というのも少なくなく、この点を解決しない限りは土地だけ収用なんておいしい話が成立するわけありません。
ではどうするべきか。私個人の意見で言えばどんだけ金かかってもいいからこの際、上物の処分費用を国が負担してでも土地収用を進めるべきでしょう。放棄者は処分費用の問題が解決されれば安心して負動産から解放されることになり、また収容した土地も、今後金になるかは別として二次災害などは確実に防げます。
ただこの上でさらに提案をすると、上記のような上物処分費用の国負担は時限立法とするべきだと考えます。具体的には政策公布から2年程度を申請受付期間とし、この間に放棄申請した土地建物に限り処分費用を国負担とするというやり方です。
何故こうするのかというと、人間の欲望かららすると、最初こそ放棄しようとは考えるものの「この土地は今は価値ないけど将来もしかしたら価値が上がるかもしれない」等と考えて実際申請するまでには躊躇し、下手すりゃ死ぬまで放棄しない可能性も否めません。こうした決断しきれない所有者たちのケツを叩くためにも、二年間だけ無料で建物を処分する申請を受け付け、それ以降は土地はともかく建物に関しては所有者負担で処分することを放棄の要件とすれば、応募する人も出てくると思います。
場合によっては悪徳業者みたいですが受付開始から二年後に、「ご好評につきもう一年延長!」というのもアリです。要は収用できればそれでいいのだし、第一金払うのは国の側なんだからこれくらいはありでしょう。
最後ちょっと気が早いですが、収容した土地はどこが持つのかについてですが、これはこの際地方に持たせた方がいいと考えています。費用は国持ちなのでやや不公平に感じるところもありますが、そもそも大半の税金を国が持ってくのだし、あと収容した土地の再活用も全部国が決めるというのも、恐らく収容する土地の規模はどれも広くなく点在していることを考えたら非現実的です。
はっきり言って日本の地方自治体がこうしたチャンスをうまく活用できる能力があるとは思っていませんが、それでも一回くらいはボール投げてみて、やれるかどうか任せてみた方がいい気がします。ある意味それで地方を試せるところもありますし。
なお今日、「たまにはいっか(´・ω・`)」と思ってまた砂糖たっぷりの清涼飲料水を飲んだ直後から頭痛起こして、やっぱやめないとと自覚しなおしました。ちなみにほかの値だと内臓年齢は18歳、体脂肪率は11.7%とか叩き出し、「マラソンでもやってるのですか?」と管理栄養士の人に言われました。でもって「たまに自転車で100キロ走る」と言ったら引かれました。
・土地を放棄できる制度、政府が検討 要件・引受先議論へ(朝日新聞)
個人的にこのところ一番目を引いたニュースというのが上の記事です。内容を簡単に書くと、すでに半分放棄しているような土地について地権者が望むのならばペナルティなしで放棄を認めっ区有地として収用することを検討しているそうです。現状の民法上でも「所有者のいない土地は国有地として収用できる」とは書いているものの、手続きなどについては一切全く整えられていないため今後法整備を行う必要があるとのことです。
この方針については私も大賛成なのですが、恐らく実施するとなると必ず躓くことになると予想します。というのも地権者が放棄したくなる土地というのは往々にして、アパートなどと一建物こと上物があるからです。この上物処理についても同時に定めない限り、放棄要件が定まったとしても使われずに終わるでしょう。
一部で既に報じられていますが、例えば都会に住んでいるのに父母が死んだあとの相続に困る田舎の実家と土地とか、親戚(相続者)は既に誰もおらず、本人も病院に移っているのに残っている家、あと建てたはいいけど誰も入居しなくなったアパートなどはどれも、不動産税だけが毎年かかりながら一切のキャッシュインフローを生まない負動産です。しかもこれらの負動産は売却しようにも買手が現れないことから売却もできないという、ドラクエ的に言えば「ふこうのかぶと」のような外すことすらできない呪いの武具みたいなもんです。
こうした土地や建物は放棄年数が長ければ長いほどどんどん価値を落とし、事によっては火災や崩落すら起こして周辺建物にも損害を与える可能性すらあります。また犯罪の温床というか勝手に入り込む輩も現れることもあるだけに、所有者に放棄の意思があるならどんどん国や地方が収用して再活用するなりした方が絶対的にベターです。
どうでもいいですが「ストップひばりくん」という漫画で「モアベター」というセリフを見てからこの「ベター」という表現を多用するようになりました。現代日本でこれほど使っているのは私くらいなものでしょう。
話は戻りますがそういう意味で今回の政府の動きは歓迎したいところですが、内容をさっと見る限りだと収用するのは土地に限られているのではと読み取れます。つまり上物がある場合、上物を処分としなければ放棄要件を満たさない可能性があり、もしそのような要件としたら必ず失敗すると予言します。
先にも書いた通りに負動産というのは基本、上物がある物件です。しかも所有者は放棄しようにも上物の処分費用すら払えない状態というのも少なくなく、この点を解決しない限りは土地だけ収用なんておいしい話が成立するわけありません。
ではどうするべきか。私個人の意見で言えばどんだけ金かかってもいいからこの際、上物の処分費用を国が負担してでも土地収用を進めるべきでしょう。放棄者は処分費用の問題が解決されれば安心して負動産から解放されることになり、また収容した土地も、今後金になるかは別として二次災害などは確実に防げます。
ただこの上でさらに提案をすると、上記のような上物処分費用の国負担は時限立法とするべきだと考えます。具体的には政策公布から2年程度を申請受付期間とし、この間に放棄申請した土地建物に限り処分費用を国負担とするというやり方です。
何故こうするのかというと、人間の欲望かららすると、最初こそ放棄しようとは考えるものの「この土地は今は価値ないけど将来もしかしたら価値が上がるかもしれない」等と考えて実際申請するまでには躊躇し、下手すりゃ死ぬまで放棄しない可能性も否めません。こうした決断しきれない所有者たちのケツを叩くためにも、二年間だけ無料で建物を処分する申請を受け付け、それ以降は土地はともかく建物に関しては所有者負担で処分することを放棄の要件とすれば、応募する人も出てくると思います。
場合によっては悪徳業者みたいですが受付開始から二年後に、「ご好評につきもう一年延長!」というのもアリです。要は収用できればそれでいいのだし、第一金払うのは国の側なんだからこれくらいはありでしょう。
最後ちょっと気が早いですが、収容した土地はどこが持つのかについてですが、これはこの際地方に持たせた方がいいと考えています。費用は国持ちなのでやや不公平に感じるところもありますが、そもそも大半の税金を国が持ってくのだし、あと収容した土地の再活用も全部国が決めるというのも、恐らく収容する土地の規模はどれも広くなく点在していることを考えたら非現実的です。
はっきり言って日本の地方自治体がこうしたチャンスをうまく活用できる能力があるとは思っていませんが、それでも一回くらいはボール投げてみて、やれるかどうか任せてみた方がいい気がします。ある意味それで地方を試せるところもありますし。
2018年5月29日火曜日
日大アメフト部の声明文について
人知れず「五等分の花嫁」という現代のおそ松くんみたいなラブコメ漫画にはまっています。まぁおそ松くんというよりかは「七人のナナ」のが近いかもしれませんが、ダブルヒロイン作品は数あれどファイブヒロイン作品というのはまた凄いものを作者は作ってきたと思います。ちなみに自分は四葉推しです。
・日大アメフト部が声明文 仲間救えず「私たちの責任はとても重い」「指示に盲目的に従って…」(スポニチ)
話は本題に入りますが、一連の日大アメフト部の問題についてこれまでこのブログでは一切言及してきませんでした。理由は何故かというと世間の注目も高く議論される内容はほぼどこかしらで既に議論されており、自分にしか書けないと思うような内容もなければそういった必要性も感じず、ホットな話題だからと言って無理して追従する必要はないなと判断したためでした。
なのに何故ここで取り上げようとしたのかというと、今日出た日大アメフト部員らによる本事件に対する声明文に強い違和感を覚えたとともに、元ブンヤ、と言っても今は自分の本業が分からない立場なのですが、報道関係者としての観点から見て多分自分にしか書けない内容がここにはあると感じたからです。結論から書く……と、ここで何故か例の「失敗した失敗した……」を急に思い出す自分の発想力にワオって感じします。
仕切り直して結論から書くと、今回の声明文の致命的な部分は「今後どうするか」が何も書かれていない点です。「宮川君を守れなかった」と言っておきながら守るために今後どうするか何も書かれておらず、このまま放置するとしか読み取れないこんな声明文をよくも出せたものだと呆れるとともに、むしろこんな内容ならいっそ出さなかった方がよかったとすら思います。
詳しく書いていくと、全体としてまず例の殺人タックルについて反省し、原因の一端が部員全体で監督やコーチを盲信し過ぎたと書いて社会に詫びています。その上で、
「今回の件が起こってから、私たちは、どうしてこのようなことになってしまったのか皆で悩みながら何度も話し合ってきましたが、まだ明確な答えが見つけられたわけではなく、これからも話し合いは続けていきたいと思います。」
「今後、具体的に何をしていかなければならないかについては、これから選手一同とことん話し合って決めていきたいと思います。」
と書いてありますが、一言で言えば「馬鹿じゃねぇのかお前ら」と言いたくなるような言い方です。仮にこの声明文が殺人タックル事件が起きて数日以内に出されたというのであれば初期対応としての謝罪文ということで何も問題ないと思いますが、実際には現時点で既に何週間も経過しています。そもそもこういった事後対策なんてメーカーの生産ラインの不良対策じゃないんだし時間かけたからって内容がよくなるものでもなく、長く見積もっても一週間くらいかければ方向性を出す上では十分でしょう。本音では二、三日で十分だと考えますが。
然るにこの声明文では、事件発生から何週間も経過しているにもかかわらず今後の具体的な対策や行動は何も書かれていません。二、三日もあれば今後の対策を作るなんて十分だというのに、これほど時間が経過しながら方向性すら出せないというのは、はっきり言えば対策や対応を考えて作ることが出来ない人間たちなんだなと私は判断します。言い返せは、自浄能力はないと言っているようにしか見えず、もはや自浄を期待することもできないでしょう。最初声明文を出すと聞いてまだ学生はまだまともなのかと当初思いましたが、こんなくだらない内容を平気で発表してのける辺り、早く廃部にしてしまった方が後々のためにもいいだろうとすら思います。
また前述の通り、「宮川君を守れなかった」と言っておきながら今後彼を守るためにどうするかについても一切触れられておらず、事実上、「このまま彼を放置します」と言っているとしか受け取れない内容です。むしろ今回の事件の被害者である関学側の方が、加害選手に対する温情嘆願書を会見で呼び掛けたり、被害選手自身が「またアメフトをやろう」と伝えたりするなど、彼を守ろうとする姿勢も行動もしっかり備わっています。日大アメフト部も、「彼の嘆願書署名にご協力を」などといった一言でもこの声明文に入れればいいというのに、それすら入れないとは正直神経を疑います。
このほか、以下の文章も目につきました。
「ただし、絶対に必要だと今思っていることは、対戦相手やアメリカンフットボールに関わる全ての人々に対する尊敬の念を忘れないこと、真の意味でのスポーツマンシップを理解して実践すること、グラウンドではもちろんのこと、日常生活の中でも恥ずかしくない責任ある行動を心がけるなど常にフェアプレイ精神を持ち続けることを全員が徹底することです。そのために何をしていく必要があるのか、皆様にご指導頂きながら、選手一人ひとりが自分自身に向き合って考え抜くとともに、チーム全体でよく話し合っていきたいと思います。」
具体的には下線部のところですが、フェアプレイ精神なんて初めから持ってて当たり前で、改めて徹底するようなものではないと私には思います。というよりも現時点でも持ってないのであれば危ないからこういうスポーツをやるべきではないでしょう。
百歩譲って今回の反則行為をやらかすなどこうしたフェアプレイ精神が乏しいと自覚したというのであれば、それを高めるために何をするかくらい書くべきです。手段なんていくらでもあるし、「話し合って」決めるようなレベルじゃありません。
それこそ具体的に言えば、数ヶ月間奉仕活動に従事するとか、外部の倫理講習を受けるとか、過去に監督の指示のままに反則行為を行っていた選手には自主的に引退してもらうとか、今後どういう処分が科されるにしても最低一年間は絶対に対外試合を行わないとか、パワハラ相談窓口を設ける(あっても多分機能しないだろうが)とか、意識改革のため外部有識者を招くとか、話し合って決める時間はこれまでに十分あったはずでしょうに。
中学生や高校生くらいならこう言った声明文でもまぁ仕方ないと私も思いますが、大学生がこんな低レベルな内容をオープンに出してしまうあたり、日大アメフト部の次元の低さを改めて見せられている気すらします。加害生徒を慮るなど関学側の対応は非常にしっかりしているだけに、好対照ぶりがはっきり見えるだけになおさらです。
そもそも反省というのは言葉ではなく行動です。口先だけの反省には何も意味はないものの、日本は伝統的にその口先だけの反省で加害側も被害側も形式的に済ませようとしてしまう文化が根強いですが、行動が伴っていない反省など無に等しいです。
今回の日大アメフト部のこの声明文では、実際に監督やコーチから反則の指示があったのかについて注目が集まっていましたが、私はそれ以上にこの期に及んで口先だけで反省を口にするこの態度に呆れました。これならもっと時間をかけてでもやること決めてからきちんと声明を出せばいいというのに、「とりあえず反省したと言っておこう。宮川君については同情するが放置だ」とわざわざ発表するなんて……この際自分の言葉で言えばこいつらに自我があるとは思えないし、だから反則指示だって何も考えずに実行するし、今後も何も考えず周りに言われるまま適当な対策やったふりして何も変わらないだろうという結末すら覚えます。
日大アメフト部員についてはこれまでやや同情的にも見ていましたが、この声明文で一気に見る目が変わりました。もう絶対こういう危険なスポーツはやるべきではないだろうし、彼らの意向に関わらず何が何でも早く廃部させるべきでしょう。
・日大アメフト部が声明文 仲間救えず「私たちの責任はとても重い」「指示に盲目的に従って…」(スポニチ)
話は本題に入りますが、一連の日大アメフト部の問題についてこれまでこのブログでは一切言及してきませんでした。理由は何故かというと世間の注目も高く議論される内容はほぼどこかしらで既に議論されており、自分にしか書けないと思うような内容もなければそういった必要性も感じず、ホットな話題だからと言って無理して追従する必要はないなと判断したためでした。
なのに何故ここで取り上げようとしたのかというと、今日出た日大アメフト部員らによる本事件に対する声明文に強い違和感を覚えたとともに、元ブンヤ、と言っても今は自分の本業が分からない立場なのですが、報道関係者としての観点から見て多分自分にしか書けない内容がここにはあると感じたからです。結論から書く……と、ここで何故か例の「失敗した失敗した……」を急に思い出す自分の発想力にワオって感じします。
仕切り直して結論から書くと、今回の声明文の致命的な部分は「今後どうするか」が何も書かれていない点です。「宮川君を守れなかった」と言っておきながら守るために今後どうするか何も書かれておらず、このまま放置するとしか読み取れないこんな声明文をよくも出せたものだと呆れるとともに、むしろこんな内容ならいっそ出さなかった方がよかったとすら思います。
詳しく書いていくと、全体としてまず例の殺人タックルについて反省し、原因の一端が部員全体で監督やコーチを盲信し過ぎたと書いて社会に詫びています。その上で、
「今回の件が起こってから、私たちは、どうしてこのようなことになってしまったのか皆で悩みながら何度も話し合ってきましたが、まだ明確な答えが見つけられたわけではなく、これからも話し合いは続けていきたいと思います。」
「今後、具体的に何をしていかなければならないかについては、これから選手一同とことん話し合って決めていきたいと思います。」
と書いてありますが、一言で言えば「馬鹿じゃねぇのかお前ら」と言いたくなるような言い方です。仮にこの声明文が殺人タックル事件が起きて数日以内に出されたというのであれば初期対応としての謝罪文ということで何も問題ないと思いますが、実際には現時点で既に何週間も経過しています。そもそもこういった事後対策なんてメーカーの生産ラインの不良対策じゃないんだし時間かけたからって内容がよくなるものでもなく、長く見積もっても一週間くらいかければ方向性を出す上では十分でしょう。本音では二、三日で十分だと考えますが。
然るにこの声明文では、事件発生から何週間も経過しているにもかかわらず今後の具体的な対策や行動は何も書かれていません。二、三日もあれば今後の対策を作るなんて十分だというのに、これほど時間が経過しながら方向性すら出せないというのは、はっきり言えば対策や対応を考えて作ることが出来ない人間たちなんだなと私は判断します。言い返せは、自浄能力はないと言っているようにしか見えず、もはや自浄を期待することもできないでしょう。最初声明文を出すと聞いてまだ学生はまだまともなのかと当初思いましたが、こんなくだらない内容を平気で発表してのける辺り、早く廃部にしてしまった方が後々のためにもいいだろうとすら思います。
また前述の通り、「宮川君を守れなかった」と言っておきながら今後彼を守るためにどうするかについても一切触れられておらず、事実上、「このまま彼を放置します」と言っているとしか受け取れない内容です。むしろ今回の事件の被害者である関学側の方が、加害選手に対する温情嘆願書を会見で呼び掛けたり、被害選手自身が「またアメフトをやろう」と伝えたりするなど、彼を守ろうとする姿勢も行動もしっかり備わっています。日大アメフト部も、「彼の嘆願書署名にご協力を」などといった一言でもこの声明文に入れればいいというのに、それすら入れないとは正直神経を疑います。
このほか、以下の文章も目につきました。
「ただし、絶対に必要だと今思っていることは、対戦相手やアメリカンフットボールに関わる全ての人々に対する尊敬の念を忘れないこと、真の意味でのスポーツマンシップを理解して実践すること、グラウンドではもちろんのこと、日常生活の中でも恥ずかしくない責任ある行動を心がけるなど常にフェアプレイ精神を持ち続けることを全員が徹底することです。そのために何をしていく必要があるのか、皆様にご指導頂きながら、選手一人ひとりが自分自身に向き合って考え抜くとともに、チーム全体でよく話し合っていきたいと思います。」
具体的には下線部のところですが、フェアプレイ精神なんて初めから持ってて当たり前で、改めて徹底するようなものではないと私には思います。というよりも現時点でも持ってないのであれば危ないからこういうスポーツをやるべきではないでしょう。
百歩譲って今回の反則行為をやらかすなどこうしたフェアプレイ精神が乏しいと自覚したというのであれば、それを高めるために何をするかくらい書くべきです。手段なんていくらでもあるし、「話し合って」決めるようなレベルじゃありません。
それこそ具体的に言えば、数ヶ月間奉仕活動に従事するとか、外部の倫理講習を受けるとか、過去に監督の指示のままに反則行為を行っていた選手には自主的に引退してもらうとか、今後どういう処分が科されるにしても最低一年間は絶対に対外試合を行わないとか、パワハラ相談窓口を設ける(あっても多分機能しないだろうが)とか、意識改革のため外部有識者を招くとか、話し合って決める時間はこれまでに十分あったはずでしょうに。
中学生や高校生くらいならこう言った声明文でもまぁ仕方ないと私も思いますが、大学生がこんな低レベルな内容をオープンに出してしまうあたり、日大アメフト部の次元の低さを改めて見せられている気すらします。加害生徒を慮るなど関学側の対応は非常にしっかりしているだけに、好対照ぶりがはっきり見えるだけになおさらです。
そもそも反省というのは言葉ではなく行動です。口先だけの反省には何も意味はないものの、日本は伝統的にその口先だけの反省で加害側も被害側も形式的に済ませようとしてしまう文化が根強いですが、行動が伴っていない反省など無に等しいです。
今回の日大アメフト部のこの声明文では、実際に監督やコーチから反則の指示があったのかについて注目が集まっていましたが、私はそれ以上にこの期に及んで口先だけで反省を口にするこの態度に呆れました。これならもっと時間をかけてでもやること決めてからきちんと声明を出せばいいというのに、「とりあえず反省したと言っておこう。宮川君については同情するが放置だ」とわざわざ発表するなんて……この際自分の言葉で言えばこいつらに自我があるとは思えないし、だから反則指示だって何も考えずに実行するし、今後も何も考えず周りに言われるまま適当な対策やったふりして何も変わらないだろうという結末すら覚えます。
日大アメフト部員についてはこれまでやや同情的にも見ていましたが、この声明文で一気に見る目が変わりました。もう絶対こういう危険なスポーツはやるべきではないだろうし、彼らの意向に関わらず何が何でも早く廃部させるべきでしょう。
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