昨日はスペシャルで放映された「トリビアの泉」を見るために途中でブログ書くのを打ち切っちゃいましたが、あんなにつまらないのであれば無視して最後まで書いとけばよかったとちょっと後悔してます。
それはさておき昨日からの続きで、そもそも何故移民の受け入れが必要かという賛成派の主張について、前回のように労働力の需給バランスを整えるという経団連からの主張に加え現在の日本ではもう一つ、人口減問題に対する少子高齢化対策としてその必要性が各所で主張されております。
この少子化対策としての移民受け入れは先の労働力の需給問題とも関わってきますが、現在の日本で起こっている歪んだ人口ピラミッド構造の是正がその目的となってきます。現在の日本は勤労を終えた高齢層(61歳以上)の人口に対して引退した高齢者を支えるべき青年層(19~60歳)の人口が相対的に低く、その上今後高齢層の人口はしばらく増えていく一方に対して出生率の低下から青年層の人口は減少していくことが見込まれ、このままでは年金や社会保険といった社会保障制度を保てなくなると言われております。日本の社会保障制度がこのままでは本当に崩壊するのかどうかについては私は内心怪しいとは思ってはいるものの、少なくとも現状より青年層にかかる負担は大きくなっていくのは間違いないとみております。
こうした少子高齢化問題にどのように移民が関わってくるのかというと、現在の日本はあの手この手と少子化対策を行いながら出生率を高める事でこの問題に対応しようとしておりますが、この際無理に少子化をどうにかしようとするのではなく、今すぐ働いて税金を納める事が出来る青年層の人間を外国から呼んでしまおうというのがこの移民政策の目的です。
いわば日本人の出生率を高めようとするのが少子高齢化問題の根治治療策であるのに対し、この移民の受け入れは対症療法とも言うべき、ショックアブソーバー的な案というわけです。
結論から言うと私は、この少子高齢化対策という観点からこの移民の受け入れに対して賛成的な立場にあります。というのも今現在の日本で最も世代別人口が高いのは団塊の世代といわれる1946~1948年生まれの層で、この層が社会保障の対象から抜けるまでなんとか頑張りぬけば、その後社会保障対象人口は減少していく事が見込まれます。私はその期間を日本人の平均寿命をやや低めに見積もって80歳と想定して2028年までと考えておりますが(実際にはもうすこし後でしょうが)、2028年まで制度を維持する事が出来ればその後は社会保障支出は減少が見込まれ、要はそれまでの期間をどうやりくりするかに日本の年金、社会保障制度はかかっているのではないかと単純に考えております。
然るに現在の日本の少子化対策ですと、仮に今年に子供を大量に生んだとしても2028年にその子供達は18歳にしか達しておらず、税金を納める年齢どころか税金を与えて育てねばならない年齢なので社会保障の維持にはあまり貢献する事はできません。
そうであるのであれば、むしろ現時点で勤労年齢に達しており来日してすぐに働いて税金を納める事の出来る移民を一定度受け入れることで青年層の人口を直接増やし、人口ピラミッドの歪みを是正しながら2028年までなんとかこらえる方法を選択した方が良いのではというのが私の考えです。また受け入れた移民がそのまま日本での生活に定着して永住を決断し、日本国内で子供を生んで増やしてくれるのであれば移民を受け入れない場合に比べて出生数は多くなり、2028年以後の人口バランスの是正にも貢献する可能性があります。
確かに移民を受け入れるに当たって社会整備や日本語教育などある程度費用がかかる事が見込まれますが、仮に20歳の移民者を受け入れるに当たって来日後3年間は教育費用がかかるとしても、その後10年、20年と日本で働いて税金を納めてくれるのであれば最終的には費用対効果はプラスに転じるのではないかと思います。もちろんこんなの私の都合のいい当て推量の計算なのでそんなうまくいくわけないという意見ももっともなのですが、それならば費用対効果がプラスに転じる可能性の高い優秀な人材を如何に呼び集めるかという案を考えるべきで、できればすぐに議論を打ち切らずにもっと内容を深めてもらいたいところです。
もちろんこの様な案は言うは易しで行なうは難し、予想し得る問題を考えるだけでも目が回ってきますが、私はこのまま座して何もしないよりは実験的に小規模でもいいからなにかしら行動を行うべきではないかと常々思います。またこの案を実行するに当たって最低限必要となってくる条件は移民者が日本に長期に滞在してくれるということで、移民者が五年程度の出稼ぎと考えて出て行ってしまえばかけた教育費用の分だけ無駄になるので、十年以上の在住で永住権の付与など思い切った決断も必要となってくるかもしれません。日本人はそれだけの決心を持って行うか、このまま座して待つか、どちらが正しい決断なのかどうかを決めるのは早いに越した事はありませんが今すぐ出さなくても良いのですから、このような議論だけは活発に行っておくべきなのではないかと思い、この連載を行うことにしたわけです。
最後にやや蛇足ですが、私は今後世界的に食糧が不足する時代が来ると見越して今後の日本は緩やかに人口が減少していく事が望ましいと考えております。しかし現在の人口構造ではあまりにも急激に人口が減少する構造ゆえにブレイクスルー的に上記の移民受け入れ案が一時一定度必要となると考えているわけですが、私が見る限り政府としては人口が今より減ってGDPを始めとした国力が落ちることは望ましく、子供をなかなか生まない日本人より多産の移民を恒久的に受け入れることでなんとか今の水準の人口を維持しようとしている節が感じられます。私の案も私が睨んでいる政府の案もどちらも少子高齢化対策という意味では同じですが、内容となるとちょっと方向性が異なっております。前者は高齢化対策に重きを置いているのに対し、後者は少子化対策に重きを置いている、という具合に。
ちょっとややこしいですが、この辺の立場の違いも理解していただければ非常に助かります。
恐らくここで書いたところがこの連載の一番ややこしいところなので、どうにか終わってほっとしました。
ε=( ̄。 ̄;)フゥ
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2010年2月28日日曜日
2010年2月27日土曜日
移民議論の道標~その九、何故移民は必要?①
まず最初に訂正です。この連載の「その七、フィリピン人看護師」で散々日本が受け入れたフィリピン人看護師のことを書きましたが、実際に日本にやってきているの看護師の国籍はフィリピンではなくインドネシアの方が大半だという指摘を受けました。その指摘によるとフィリピンとはETAの整備が遅れているため、インドネシアの方が先に入ってきているそうです。訂正してお詫びします。
そういうわけで本題に入りますが、今日はそもそもの議論として一体何故移民が必要とされるのかという根本的な議題について触れておきます。
まずこの移民の受け入れを最も強く主張しているのは経団連こと財界で彼らの主張を大まかに私の理解でまとめると、日本は少子高齢化が進んでいて労働力となる青年人口がこのままでは不足する事が目に見えており、そのような事態に備えて日本の生産力を落とさないように労働力を確保しなければならず移民が必要だ、といったところでしょうか。はっきり言いますがこれは詭弁です。
そもそもの話として今現在の日本で労働力が不足しているのは介護や医療といった分野で、現在の経団連の中で大きな発言力を持っている自動車、家電産業といった分野の各企業はリーマンショック移行は労働者の雇い止めを相次いで行っており、むしろ働けるなら働きたい人が数多くいるというほど労働力が飽和状態となっております。わざわざ私が言うまでもないことですが、彼らの本音としては人件費の削減のために安い給料で働かせることが出来る移民の募集であって、現に行われている日系ブラジル人の受け入れも彼らの要求によって実現しました。
しかし前回の記事でも書いたようにただ安い労働力を求めて移民を受け入れるとその分野で働く日本人の賃金も比例して下がるため、国内の消費力がより低下してグローバル企業にとっては利益に適っても、日本国全体では返って不利益となる事態になりかねず、まさに国敗れて企業在りとも言うような亡国の策となってしまう可能性があります。
そのため、私は現在の経団連の主張のような移民の受け入れには基本的に反対です。逆に介護や医療といった真に労働力が不足している分野については、技術も必要とされる分野なだけにあらかじめ訓練を受けてきた者に限って必要とされる人数の上限を設けて受け入れる必要はあると考えております。もっとも、現在のインドネシア人看護師については受け入れ態勢、いやそれ以前に日本人の中で就職希望者が増えないという待遇の改善が図られないということが問題だと思うのですが。
ちょっと今日は時間がないためここで中断しますが、今現在の日本の移民議論で重要な焦点となるのはこの労働力ともう一つ、人口減社会への対応という目的があります。これについてはまた次回にて。
そういうわけで本題に入りますが、今日はそもそもの議論として一体何故移民が必要とされるのかという根本的な議題について触れておきます。
まずこの移民の受け入れを最も強く主張しているのは経団連こと財界で彼らの主張を大まかに私の理解でまとめると、日本は少子高齢化が進んでいて労働力となる青年人口がこのままでは不足する事が目に見えており、そのような事態に備えて日本の生産力を落とさないように労働力を確保しなければならず移民が必要だ、といったところでしょうか。はっきり言いますがこれは詭弁です。
そもそもの話として今現在の日本で労働力が不足しているのは介護や医療といった分野で、現在の経団連の中で大きな発言力を持っている自動車、家電産業といった分野の各企業はリーマンショック移行は労働者の雇い止めを相次いで行っており、むしろ働けるなら働きたい人が数多くいるというほど労働力が飽和状態となっております。わざわざ私が言うまでもないことですが、彼らの本音としては人件費の削減のために安い給料で働かせることが出来る移民の募集であって、現に行われている日系ブラジル人の受け入れも彼らの要求によって実現しました。
しかし前回の記事でも書いたようにただ安い労働力を求めて移民を受け入れるとその分野で働く日本人の賃金も比例して下がるため、国内の消費力がより低下してグローバル企業にとっては利益に適っても、日本国全体では返って不利益となる事態になりかねず、まさに国敗れて企業在りとも言うような亡国の策となってしまう可能性があります。
そのため、私は現在の経団連の主張のような移民の受け入れには基本的に反対です。逆に介護や医療といった真に労働力が不足している分野については、技術も必要とされる分野なだけにあらかじめ訓練を受けてきた者に限って必要とされる人数の上限を設けて受け入れる必要はあると考えております。もっとも、現在のインドネシア人看護師については受け入れ態勢、いやそれ以前に日本人の中で就職希望者が増えないという待遇の改善が図られないということが問題だと思うのですが。
ちょっと今日は時間がないためここで中断しますが、今現在の日本の移民議論で重要な焦点となるのはこの労働力ともう一つ、人口減社会への対応という目的があります。これについてはまた次回にて。
2010年2月26日金曜日
私の考える無双シリーズ
以前に私がよく遊んでいたゲームの中に無双シリーズでおなじみの「三国無双」がありました。このゲームについては過去にもいろいろと書いておりますがそのゲーム上の自由度の高さゆえにそれこそ気が狂わんばかりに遊んでおり、三国無双3で裏切られるまではこの世で最も面白いゲームだと本気で考えた時期もありました。
そんな無双シリーズですが近年は三国志や日本の戦国時代に限らず様々なジャンルにそのゲームシステムが応用され、ガンダム無双や北斗無双などすでに発売されているタイトルもあります。それゆえに次は一体何を題材にして無双シリーズが作られるのかということが議論されてたりもしており、中にはガンダムも出てくるけどスパロボ無双なんかいいのではないかという意見をよく見ますが。
しかしそうした意見を差し置いて私が敢えてどんなものを作ればいいのかというのなら、断然にお勧めするのが「大江戸無双」です。時代は江戸時代の中期に限定して迫り来る野党や役人をばったばったと斬り殺す、ここまで言えば勘のいい人ならもう感づいているでしょうが着想の元は徳川吉宗こと「暴れん坊将軍」です。
では実際にやるとしたら、どんなキャラがどんな武器持って戦うのか、ひとまず私が思いついたのは下記の通りです。
・徳川吉宗(柳生新陰流の刀)
・大岡忠相(縄)
・鼠小僧(小判)
・八百屋お七(口から火を噴く)
・柳生十兵衛 (柳生新陰流の刀)
・長谷川平蔵(十手)
・遠山景元(桜吹雪を見せながらのプロレス技)
・由比正雪(杓丈)
・田沼意次(千両箱)
・磔茂左衛門(竹槍)
・華岡青洲(メス)
・紀伊国屋文左衛門(みかん)
・二宮尊徳(鉄の本で殴る)
・平賀源内(電気)
・伊能忠敬(ハイキック)
・お岩さん(皿)
※括弧内は使用武器
我ながら、マニアックな面々を取り揃えたもんだと思います。
この面子で無双シリーズのゲームを作るとしたらやっぱりラスボスはペリーになってくるのでしょうかね。ペリーと来たら今日見た下のサイトの企画が非常に面白かったです。
・ペリーがパワポで提案書を持ってきたら(デイリーポータルZ)
そんな無双シリーズですが近年は三国志や日本の戦国時代に限らず様々なジャンルにそのゲームシステムが応用され、ガンダム無双や北斗無双などすでに発売されているタイトルもあります。それゆえに次は一体何を題材にして無双シリーズが作られるのかということが議論されてたりもしており、中にはガンダムも出てくるけどスパロボ無双なんかいいのではないかという意見をよく見ますが。
しかしそうした意見を差し置いて私が敢えてどんなものを作ればいいのかというのなら、断然にお勧めするのが「大江戸無双」です。時代は江戸時代の中期に限定して迫り来る野党や役人をばったばったと斬り殺す、ここまで言えば勘のいい人ならもう感づいているでしょうが着想の元は徳川吉宗こと「暴れん坊将軍」です。
では実際にやるとしたら、どんなキャラがどんな武器持って戦うのか、ひとまず私が思いついたのは下記の通りです。
・徳川吉宗(柳生新陰流の刀)
・大岡忠相(縄)
・鼠小僧(小判)
・八百屋お七(口から火を噴く)
・柳生十兵衛 (柳生新陰流の刀)
・長谷川平蔵(十手)
・遠山景元(桜吹雪を見せながらのプロレス技)
・由比正雪(杓丈)
・田沼意次(千両箱)
・磔茂左衛門(竹槍)
・華岡青洲(メス)
・紀伊国屋文左衛門(みかん)
・二宮尊徳(鉄の本で殴る)
・平賀源内(電気)
・伊能忠敬(ハイキック)
・お岩さん(皿)
※括弧内は使用武器
我ながら、マニアックな面々を取り揃えたもんだと思います。
この面子で無双シリーズのゲームを作るとしたらやっぱりラスボスはペリーになってくるのでしょうかね。ペリーと来たら今日見た下のサイトの企画が非常に面白かったです。
・ペリーがパワポで提案書を持ってきたら(デイリーポータルZ)
2010年2月24日水曜日
移民議論の道標~その八、全体賃金の低下
前回の記事では現在進行形のフィリピン人看護師の問題を取り上げましたが、その際に引用させていただいたサイトの(「看護・安全・守る」)記事にてなかなか興味深い内容が取り上げられていたので、管理人様より許可をいただけたので今日はこの点について私の考えを紹介します。
その気になる内容というのは「外国人看護師問題」の記事内の「3.3賃金について」のところにて触れられている箇所で、簡単に概要を説明するとフィリピン人看護師の受け入れ要件の中には日本で支払われる賃金は日本人と同等の額と規定されているのですが、この要件が後々ネックになってくるのではないかという指摘です。
一体この賃金についての用件が何が問題なのかというと、日本とフィリピンでは物価が違うために日本では低い賃金とされる金額でも本国フィリピンでは高額なものと映り、フィリピン人看護師らがわざわざ日本に仕事を求めてきてくれるのもこの賃金の差が大きく影響しているのは予想に難くありません。しかし今の日本国内の派遣労働と似ていますが、もし一般の日本人看護師の人件費より低い賃金でフィリピン人看護師が雇えるのであればどの病院も日本人を雇わなくなり、下手をすれば日本人看護師はみんな職を失うことになりかねません。
こうした懸念や全国各地で不足している看護師の人数を増やすために上記の「賃金は日本人と同等」という要件がつけられたのでしょうが、引用させていただいた記事でこの要件は下手をすれば、
フィリピン人の賃金を低く設定する→フィリピン人の低く設定された賃金に日本人も合わせられる
という風に働かないかと、実にうまい指摘をしております。はっきり言ってしまえば、派遣労働でもそうだったのだから私もこうなると思います。
私の従兄弟(♂)も看護師をしていますが、今の日本の医療は制度が崩壊している中を現場の医師や看護師の熱意や努力によって必死に支えられているとよく聞きます。ただでさえ薄給激務といわれる看護師という職がもしフィリピン人看護師の流入によって賃金が更に低下してしまえば今後ますます看護師を目指す日本人は減少し、最悪のシナリオだと食糧のみならず医療や介護も外国に依存しなければならなくなる可能性すらあります。
私はよく「水は低きに流れる」という言葉を日常でも使うのですが、このように移民の受け入れによって賃金低下が予想されるのはすべての業界に当てはまります。経営者としては優秀な人材を高い賃金で雇うよりも質は低くとも安い賃金で雇える人材を欲しがるに決まっており、日本と物価に差のある国から来る移民を受け入れた場合は日本人を含む日本人全体の賃金は基本的には低下していくことになるでしょう。
しかし今の時期だったら説得力もてますが、この様な移民の受け入れを行った場合はまさに亡国の道です。賃金が下がるとともに国内の消費力が低下することでデフレが加速し、また低賃金の移民によって職を奪われた日本人は職業訓練が進まず、国内の技術力や生産性も合わせて低下していくでしょう。
そのためフィリピン人看護師の受け入れ要件としてあった日本人と同等の賃金保障というのは非常に重要な条件で、これがしっかりと守られなければ移民政策はただ国内の産業を空洞化させるための手段に成り下がることになります。
ですので極論を言ってしまえば、財界が主張しているようなすでに行われている日系人移民などの低賃金の移民受け入れというのは日本国内だけを市場としないグローバル企業の利益には適っても、国家の利益には適わないという風に考えられます。みんな自分だけが大切なのですから財界がこの様な主張するのも勝手でしょうが、財界人でない自分とするとやはりこのような主張をする人間らとは相容れられません。
だからといって私は移民政策を否定するつもりはなく、むしろこの様な障害をどのようにして取り除いて受け入れていくかを今後考えるべきだとこの連載を通して主張したいわけであります。
言ってしまえば移民を低賃金労働者の確保と捉えるのではなく、労働力の不足している産業の補充者として捉えねばならず、賃金は決して日本人へのものと差をつけてはならないというわけです。賃金が日本人と一緒では移民を行う意味がないじゃないかと言われるかも知れませんが、国家が移民を行うのは企業の利益率を高めることではなく労働力を補充するという目的であって、その目的にあった手段をしっかりと実行しなくてはなりません。
と、ここで私は企業と国家では移民に対して目的が異なってくると書きましたが、そもそも一体何故移民を行おうというのか、その目的を明確に持っておくことは言うまでもなく大切なことです。そういうわけで次回は何故今の日本にとって移民が必要なのかということを解説します。
その気になる内容というのは「外国人看護師問題」の記事内の「3.3賃金について」のところにて触れられている箇所で、簡単に概要を説明するとフィリピン人看護師の受け入れ要件の中には日本で支払われる賃金は日本人と同等の額と規定されているのですが、この要件が後々ネックになってくるのではないかという指摘です。
一体この賃金についての用件が何が問題なのかというと、日本とフィリピンでは物価が違うために日本では低い賃金とされる金額でも本国フィリピンでは高額なものと映り、フィリピン人看護師らがわざわざ日本に仕事を求めてきてくれるのもこの賃金の差が大きく影響しているのは予想に難くありません。しかし今の日本国内の派遣労働と似ていますが、もし一般の日本人看護師の人件費より低い賃金でフィリピン人看護師が雇えるのであればどの病院も日本人を雇わなくなり、下手をすれば日本人看護師はみんな職を失うことになりかねません。
こうした懸念や全国各地で不足している看護師の人数を増やすために上記の「賃金は日本人と同等」という要件がつけられたのでしょうが、引用させていただいた記事でこの要件は下手をすれば、
フィリピン人の賃金を低く設定する→フィリピン人の低く設定された賃金に日本人も合わせられる
という風に働かないかと、実にうまい指摘をしております。はっきり言ってしまえば、派遣労働でもそうだったのだから私もこうなると思います。
私の従兄弟(♂)も看護師をしていますが、今の日本の医療は制度が崩壊している中を現場の医師や看護師の熱意や努力によって必死に支えられているとよく聞きます。ただでさえ薄給激務といわれる看護師という職がもしフィリピン人看護師の流入によって賃金が更に低下してしまえば今後ますます看護師を目指す日本人は減少し、最悪のシナリオだと食糧のみならず医療や介護も外国に依存しなければならなくなる可能性すらあります。
私はよく「水は低きに流れる」という言葉を日常でも使うのですが、このように移民の受け入れによって賃金低下が予想されるのはすべての業界に当てはまります。経営者としては優秀な人材を高い賃金で雇うよりも質は低くとも安い賃金で雇える人材を欲しがるに決まっており、日本と物価に差のある国から来る移民を受け入れた場合は日本人を含む日本人全体の賃金は基本的には低下していくことになるでしょう。
しかし今の時期だったら説得力もてますが、この様な移民の受け入れを行った場合はまさに亡国の道です。賃金が下がるとともに国内の消費力が低下することでデフレが加速し、また低賃金の移民によって職を奪われた日本人は職業訓練が進まず、国内の技術力や生産性も合わせて低下していくでしょう。
そのためフィリピン人看護師の受け入れ要件としてあった日本人と同等の賃金保障というのは非常に重要な条件で、これがしっかりと守られなければ移民政策はただ国内の産業を空洞化させるための手段に成り下がることになります。
ですので極論を言ってしまえば、財界が主張しているようなすでに行われている日系人移民などの低賃金の移民受け入れというのは日本国内だけを市場としないグローバル企業の利益には適っても、国家の利益には適わないという風に考えられます。みんな自分だけが大切なのですから財界がこの様な主張するのも勝手でしょうが、財界人でない自分とするとやはりこのような主張をする人間らとは相容れられません。
だからといって私は移民政策を否定するつもりはなく、むしろこの様な障害をどのようにして取り除いて受け入れていくかを今後考えるべきだとこの連載を通して主張したいわけであります。
言ってしまえば移民を低賃金労働者の確保と捉えるのではなく、労働力の不足している産業の補充者として捉えねばならず、賃金は決して日本人へのものと差をつけてはならないというわけです。賃金が日本人と一緒では移民を行う意味がないじゃないかと言われるかも知れませんが、国家が移民を行うのは企業の利益率を高めることではなく労働力を補充するという目的であって、その目的にあった手段をしっかりと実行しなくてはなりません。
と、ここで私は企業と国家では移民に対して目的が異なってくると書きましたが、そもそも一体何故移民を行おうというのか、その目的を明確に持っておくことは言うまでもなく大切なことです。そういうわけで次回は何故今の日本にとって移民が必要なのかということを解説します。
2010年2月23日火曜日
移民議論の道標~その七、フィリピン人看護師
これまで移民を巡る各問題について日本の現況の説明ばかりしてきましたが、そろそろ私の個人的な意見とかが盛り込まれる内容に移って来ました。そうは言いながらもまず始めに行うのは、去年より本格的に受け入れが始まったフィリピン人看護師についての紹介です。
このフィリピン人看護師の受け入れというのは、ニュースでも報道されている日本の各病院にて起こっている医師、看護師の不足問題を解決するため、フィリピンとのEPA(経済連携協定)の一環として看護師資格を保有しているフィリピン人女性の日本での就労支援、受け入れのことを指しております。この受け入れに当たってフィリピン人看護師に与えられた条件として主なものだと、下記のものが上げられております。
1、日本の国家資格取得
フィリピンの看護師資格保有者であって3年間の実務経験を保有していること。日本での看護師国家資格の取得前に国内の病院での就労・研修を行う。
2、日本語研修の実施
入国後六ヶ月の日本語研修を受けること。
3、日本人と同等以上の報酬
4、看護師の受け入れ枠は当初二年間で400人を上限
資格取得後の在留期間の上限は三年だが、更新回数の制限無し
上記条件を簡単にまとめると、まず本国フィリピンで看護師としての資格と実務経験を持っている上で、来日後は日本の病院で研修を受けつつ最終的には日本での看護師資格試験の合格が義務付けられているということです。
このフィリピン人看護師の受け入れは受け取り方によって定義は変わってきますが、私はこれも一種の移民として捉えているのでこの連載で取り上げることにしました。まずこの政策について私の評価を説明すると、確かに看護師の不足はすぐにでも解決せねばならない問題でその目的や方向性には理解できるものの、残念ながら現時点では早計に行いすぎて失敗に至るのではないかと見ております。
何故この様な評価をしたのかというと、このフィリピン人看護師を受け入れた各病院からの報告が徐々に報道されるようになってきておりますが、それらの報道で私がよく耳にするのは彼女らの日本語教育が思っていた以上に進まないという報告です。現在来日してきたフィリピン人看護師は日本の各受け入れ先病院で研修を受けつつ日本語を学んでいるのですが、よくドラマかなんかでは働きながら日本語は自然に覚えるように映しますが、そんな簡単に習得できたらどんだけいいものかと私は思います。やはり言語の習得というのは相当にセンスのある人間ならともかく集中的に勉強しなければなかなか身につかないもので、看護師という大変な職業をしながら学ぶというのはやはり難しいのではないかと思います。そしてこのように日本語教育が進まないゆえ、将来的に日本で働き続けるために必要な日本の看護師資格試験の合格も現状では難しいのではないかと見られています。
このフィリピン人看護師の受け入れ政策で何が一番問題なのかというと、日本の受け入れ態勢が全然整っていなかった、甘い想定をしていたのではないかと私は考えています。これは世界的にどの国にも言えますが移民という政策を実行に移す際に何が一番重要なのかといえば受け入れ後にどう定着させるかという受け入れ態勢にあって、もしこれに失敗してしまうと移民で移って来た人達は人生を狂わされて本国に帰国してしまったり、極端な例だと移民先の国に止まって犯罪集団化する危険性もあります。そのため移民を受け入れるに当たって生活面でのサポート、言語面での教育というのは何にもまして重要な要素となります。
それが今回のフィリピン人看護師の受け入れを見ていると、やはり外国人慣れしていないゆえか日本はこの受け入れ態勢をしっかりと整備しておらず、きちんとした計画を持っていなかったということが露呈してしまいました。もちろん看護師という厳しい職のために異国である日本に来てくれたフィリピン人の方々に私は深く感謝していますが、残念ながら彼女らの熱意と努力に応える態勢を日本が整え切れなかったのは認めざるをえません。受け入れを行った病院に対するアンケートでも、今後も受け入れを続けるかという問いにNoと答えた病院が多かったそうですし。
では具体的にどうすればよかったのか。この辺は素人ゆえにあまり大したことは言えないのですが、やっぱりフィリピン本国でもっとしっかりと日本語教育を行った上で受け入れをする必要があったのではないかと思います。その上であまり言語に影響されない病院内の職場の整理など、来日後に問題が起こった後にすぐさま対処できるサポート体制の準備など、やれることはまだまだいろいろあったと思います。
一例を挙げると、青森県の病院に派遣されたフィリピン人看護師の方が現地の寒さに慣れることが出来ずに一番最初に帰国することとなったのですが、同じ日本人でも寒さに慣れないような場所なんだから、もっと南の病院に移れなかったのかと個人的に思いました。
ただその一方、やっぱりフィリピンの方々らは根っから明るい方ということで介護の現場などでは入所者らから非常に親しまれているという報告も聞きます。こうしてやってきてくれる方のためにも、もっとお金をかけてでも日本は彼女らをサポートして定着を図るべきなのではないかという気がします。
そう思う一方、あくまで彼女らが出稼ぎのような日本で数年間という一時的に働くという目的で来ているのであれば、私はこの受け入れ自体を考え直す必要があるのではないかとも思います。その辺についてはこの記事で合わせて書くつもりでしたが、すでに大分長くなっているのでまた明日に回すことにします。
最後に今回の記事を書くにあたり非常に参考にさせてもらったサイトをご紹介しておきます。
・看護・安全・守る
この記事よりも上記サイトの中の「外国人看護師問題」のページのがこの問題についてよくまとめられているので、興味のない方も是非読んでいただきたく思います。
それにしても、あまり何も考えずに書いたからあんまりまとまりがないなぁこの記事……。
追記
この記事の中で日本が受け入れている海外からの看護師の国籍をフィリピンと書いておりましたが、実際にはインドネシア国籍の方が大半だそうです。私の勝手な印象でフィリピンの方が大半だと誤解しておりました。訂正してお詫びします。
このフィリピン人看護師の受け入れというのは、ニュースでも報道されている日本の各病院にて起こっている医師、看護師の不足問題を解決するため、フィリピンとのEPA(経済連携協定)の一環として看護師資格を保有しているフィリピン人女性の日本での就労支援、受け入れのことを指しております。この受け入れに当たってフィリピン人看護師に与えられた条件として主なものだと、下記のものが上げられております。
1、日本の国家資格取得
フィリピンの看護師資格保有者であって3年間の実務経験を保有していること。日本での看護師国家資格の取得前に国内の病院での就労・研修を行う。
2、日本語研修の実施
入国後六ヶ月の日本語研修を受けること。
3、日本人と同等以上の報酬
4、看護師の受け入れ枠は当初二年間で400人を上限
資格取得後の在留期間の上限は三年だが、更新回数の制限無し
上記条件を簡単にまとめると、まず本国フィリピンで看護師としての資格と実務経験を持っている上で、来日後は日本の病院で研修を受けつつ最終的には日本での看護師資格試験の合格が義務付けられているということです。
このフィリピン人看護師の受け入れは受け取り方によって定義は変わってきますが、私はこれも一種の移民として捉えているのでこの連載で取り上げることにしました。まずこの政策について私の評価を説明すると、確かに看護師の不足はすぐにでも解決せねばならない問題でその目的や方向性には理解できるものの、残念ながら現時点では早計に行いすぎて失敗に至るのではないかと見ております。
何故この様な評価をしたのかというと、このフィリピン人看護師を受け入れた各病院からの報告が徐々に報道されるようになってきておりますが、それらの報道で私がよく耳にするのは彼女らの日本語教育が思っていた以上に進まないという報告です。現在来日してきたフィリピン人看護師は日本の各受け入れ先病院で研修を受けつつ日本語を学んでいるのですが、よくドラマかなんかでは働きながら日本語は自然に覚えるように映しますが、そんな簡単に習得できたらどんだけいいものかと私は思います。やはり言語の習得というのは相当にセンスのある人間ならともかく集中的に勉強しなければなかなか身につかないもので、看護師という大変な職業をしながら学ぶというのはやはり難しいのではないかと思います。そしてこのように日本語教育が進まないゆえ、将来的に日本で働き続けるために必要な日本の看護師資格試験の合格も現状では難しいのではないかと見られています。
このフィリピン人看護師の受け入れ政策で何が一番問題なのかというと、日本の受け入れ態勢が全然整っていなかった、甘い想定をしていたのではないかと私は考えています。これは世界的にどの国にも言えますが移民という政策を実行に移す際に何が一番重要なのかといえば受け入れ後にどう定着させるかという受け入れ態勢にあって、もしこれに失敗してしまうと移民で移って来た人達は人生を狂わされて本国に帰国してしまったり、極端な例だと移民先の国に止まって犯罪集団化する危険性もあります。そのため移民を受け入れるに当たって生活面でのサポート、言語面での教育というのは何にもまして重要な要素となります。
それが今回のフィリピン人看護師の受け入れを見ていると、やはり外国人慣れしていないゆえか日本はこの受け入れ態勢をしっかりと整備しておらず、きちんとした計画を持っていなかったということが露呈してしまいました。もちろん看護師という厳しい職のために異国である日本に来てくれたフィリピン人の方々に私は深く感謝していますが、残念ながら彼女らの熱意と努力に応える態勢を日本が整え切れなかったのは認めざるをえません。受け入れを行った病院に対するアンケートでも、今後も受け入れを続けるかという問いにNoと答えた病院が多かったそうですし。
では具体的にどうすればよかったのか。この辺は素人ゆえにあまり大したことは言えないのですが、やっぱりフィリピン本国でもっとしっかりと日本語教育を行った上で受け入れをする必要があったのではないかと思います。その上であまり言語に影響されない病院内の職場の整理など、来日後に問題が起こった後にすぐさま対処できるサポート体制の準備など、やれることはまだまだいろいろあったと思います。
一例を挙げると、青森県の病院に派遣されたフィリピン人看護師の方が現地の寒さに慣れることが出来ずに一番最初に帰国することとなったのですが、同じ日本人でも寒さに慣れないような場所なんだから、もっと南の病院に移れなかったのかと個人的に思いました。
ただその一方、やっぱりフィリピンの方々らは根っから明るい方ということで介護の現場などでは入所者らから非常に親しまれているという報告も聞きます。こうしてやってきてくれる方のためにも、もっとお金をかけてでも日本は彼女らをサポートして定着を図るべきなのではないかという気がします。
そう思う一方、あくまで彼女らが出稼ぎのような日本で数年間という一時的に働くという目的で来ているのであれば、私はこの受け入れ自体を考え直す必要があるのではないかとも思います。その辺についてはこの記事で合わせて書くつもりでしたが、すでに大分長くなっているのでまた明日に回すことにします。
最後に今回の記事を書くにあたり非常に参考にさせてもらったサイトをご紹介しておきます。
・看護・安全・守る
この記事よりも上記サイトの中の「外国人看護師問題」のページのがこの問題についてよくまとめられているので、興味のない方も是非読んでいただきたく思います。
それにしても、あまり何も考えずに書いたからあんまりまとまりがないなぁこの記事……。
追記
この記事の中で日本が受け入れている海外からの看護師の国籍をフィリピンと書いておりましたが、実際にはインドネシア国籍の方が大半だそうです。私の勝手な印象でフィリピンの方が大半だと誤解しておりました。訂正してお詫びします。
2010年2月22日月曜日
自民党の審議拒否について
・小沢氏らの国会招致など申し入れ 衆院議長に野党(産経新聞)
またも素晴らしく頭痛に悩まされているので、今日も短めの記事を一本書いておきます。
昨日の長崎県知事選、東京都町田市長選にて自民党の擁立候補が民主党の擁立候補に勝ち、鳩山首相と小沢幹事長の政治資金問題が選挙に影響したものかと各所で大きく報じられています。今回の選挙結果を見て私が感じたのは、一昔前と比べて近年の選挙は政治動向にすぐ反応し、政党支持率などの各世論調査の結果に則した結果が出やすくなったように感じました。
90年代の選挙では主に地方の農家や土木事業者を自民党ががっちり固めていたのもあって世論調査では圧倒的に低い支持率ながらも議会では自民党が多数派を維持し続けていましたが、2005年の郵政選挙以降は固定支持層というものが瓦解して浮動票と呼ばれる層が増加し、割と政治の動きがストレートに選挙結果に反映するようになったように見えます。
皮肉にもこの様な形態は二大政党制を90年代から強く主張してきた民主党の理想形であり、前回総選挙ではこの形の選挙に乗ることで民主党は大勝利を得ましたが、その大勝利の直後にもかかわらず今回の地方選挙で敗北したということは次回の参議院選挙も十分にこの様な事態が起こりうるということを示唆しているでしょう。
逆に野党に転落して一方、全然いいところのなかった自民党は今回の選挙結果で一矢報いる形となり、ようやく反撃の糸口を掴めたと言ってもいいと思います。先月まで前回総選挙後に総裁に就任した谷垣氏ははっきり言って頼りなく、就任直後に趣味のサイクリングでこけて顔を縫ったというどうでもいいことしかニュースにならなかったなど私もあまり評価していなかったのですが、少し前の与謝野馨氏から鳩山首相への「総理は平成の脱税王だ」という代表質問以降は波に乗り、この前あった党首討論でも谷垣氏はなかなかいい質問を見せておりました。
そして今日、自民党は地方選挙勝利の余勢をかって小沢幹事長の国会招致を条件に予算委員会の審議拒否に入りました。実はこの審議拒否という手段は諸刃の剣となりやすい戦術で、昔ある新聞が書いたように「天の時、地の利、人の和」の三条件が揃わないと効果を発するどころか逆に批判の的となってしまいます。
一つ一つ説明すると、まず天の時というのは国会で審議の必要な案件がまだ残っていること、地の利というのは他の野党も同調しているか、そして人の和というのは国民は審議拒否を了承するかということです。
今回の例ですとまず天の時は予算議論の真っ只中ということで当てはまりますが、地の利では他の野党はまだ呼応していないため足りておらず、そして最後の一番肝心な人の和についてですがこれはもう少し様子を見ないといけません。しかし今回谷垣氏が、「今をおいて他はない」と言った通り、直接民意の出る選挙直後にすぐ行動に移したというのはもっともな判断かと思います。またこの審議拒否についてまだマスコミは批判的に報道しておらず、私自身の実感でも国民は小沢幹事長の更なる説明を求めているように見えるので少なくとも大きく批判されることにはならないのではないかと見ております。
過去に民主党がこの審議拒否をした際には国会を無駄に中断させていると激しい逆批判を受けていましたが、今回の自民党の行動がどう評価されるか、今夏の参議院選挙を占う上で一つの指標になるかと思います。
またも素晴らしく頭痛に悩まされているので、今日も短めの記事を一本書いておきます。
昨日の長崎県知事選、東京都町田市長選にて自民党の擁立候補が民主党の擁立候補に勝ち、鳩山首相と小沢幹事長の政治資金問題が選挙に影響したものかと各所で大きく報じられています。今回の選挙結果を見て私が感じたのは、一昔前と比べて近年の選挙は政治動向にすぐ反応し、政党支持率などの各世論調査の結果に則した結果が出やすくなったように感じました。
90年代の選挙では主に地方の農家や土木事業者を自民党ががっちり固めていたのもあって世論調査では圧倒的に低い支持率ながらも議会では自民党が多数派を維持し続けていましたが、2005年の郵政選挙以降は固定支持層というものが瓦解して浮動票と呼ばれる層が増加し、割と政治の動きがストレートに選挙結果に反映するようになったように見えます。
皮肉にもこの様な形態は二大政党制を90年代から強く主張してきた民主党の理想形であり、前回総選挙ではこの形の選挙に乗ることで民主党は大勝利を得ましたが、その大勝利の直後にもかかわらず今回の地方選挙で敗北したということは次回の参議院選挙も十分にこの様な事態が起こりうるということを示唆しているでしょう。
逆に野党に転落して一方、全然いいところのなかった自民党は今回の選挙結果で一矢報いる形となり、ようやく反撃の糸口を掴めたと言ってもいいと思います。先月まで前回総選挙後に総裁に就任した谷垣氏ははっきり言って頼りなく、就任直後に趣味のサイクリングでこけて顔を縫ったというどうでもいいことしかニュースにならなかったなど私もあまり評価していなかったのですが、少し前の与謝野馨氏から鳩山首相への「総理は平成の脱税王だ」という代表質問以降は波に乗り、この前あった党首討論でも谷垣氏はなかなかいい質問を見せておりました。
そして今日、自民党は地方選挙勝利の余勢をかって小沢幹事長の国会招致を条件に予算委員会の審議拒否に入りました。実はこの審議拒否という手段は諸刃の剣となりやすい戦術で、昔ある新聞が書いたように「天の時、地の利、人の和」の三条件が揃わないと効果を発するどころか逆に批判の的となってしまいます。
一つ一つ説明すると、まず天の時というのは国会で審議の必要な案件がまだ残っていること、地の利というのは他の野党も同調しているか、そして人の和というのは国民は審議拒否を了承するかということです。
今回の例ですとまず天の時は予算議論の真っ只中ということで当てはまりますが、地の利では他の野党はまだ呼応していないため足りておらず、そして最後の一番肝心な人の和についてですがこれはもう少し様子を見ないといけません。しかし今回谷垣氏が、「今をおいて他はない」と言った通り、直接民意の出る選挙直後にすぐ行動に移したというのはもっともな判断かと思います。またこの審議拒否についてまだマスコミは批判的に報道しておらず、私自身の実感でも国民は小沢幹事長の更なる説明を求めているように見えるので少なくとも大きく批判されることにはならないのではないかと見ております。
過去に民主党がこの審議拒否をした際には国会を無駄に中断させていると激しい逆批判を受けていましたが、今回の自民党の行動がどう評価されるか、今夏の参議院選挙を占う上で一つの指標になるかと思います。
2010年2月21日日曜日
移民議論の道標~その六、外国人研修生
現在の外国人参政権問題の議論において移民についてもよく議論がなされますが、その中の意見の多くに日本はずっと単一民族国家でやってきたのに移民など受け入れたら大混乱になるという意見が見受けられます。この意見について私は賛成半分、反対半分といったところで、まず外国人の受け入れや生活面の保障といったところでは確かに今の日本は経験不足で、これは今度やるフィリピン人看護婦問題でも書きますがかなり致命的な間違いや失敗を犯すなど移民を受け入れるというには程遠い所があります。しかしその一方、日本の経済はすでに部分的ではありますが移民労働力に頼らなければ産業が成り立たないところまで来ており、今更移民の受け入れを拒否しようにも現実離れしているのではないかと思います。
・外国人研修制度
日本に来ている移民の中で重要な役割を果たしているのは前回にて取り上げた主にブラジルなどからやってくる日系人移民ですが、その影でもう一つ大きな移民集団となっているのが上記リンクにある外国人研修制度によってやってくる外国人研修生達です。
この外国人研修制度というのは日本の優れた職業技術などを発展途上国の人間に労働現場で伝授、講習させるというODA的な目的で始まった制度なのですが、現時点でこの制度は元の目的から大きく逸脱して利用されているよりほかなりせん。具体的にどう逸脱しているのかというと、外国から研修生という待遇で呼び寄せればその研修生は労働法の適用範囲外に置かれるため、職場で技能講習を兼ねて働かせる場合は賃金を支払わなければないけないのですがその賃金は最低賃金を下回っても違法にならなくなるのです。
そのため現時点で日本人労働者より劣悪な労働条件で働かされているといわれれる日系人移民よりも賃金は下回っており、私がテレビの特集で目にした例だと時給200円という例もありました。しかもそうやって働く現場は現実には何の技能講習にもなっておらず、繊維工場に来ているある中国人のインタビューではその工場で使われている機械は現在の中国ではどこも使わないような古い機械で、扱い方を憶えて本国に戻った所で何の役にも立たないと語っていました。
ではそんな劣悪な条件にもかかわらず何故彼らは外国人研修生の募集に応募するのかというと、やはり本国との通貨格差が大きく影響していますが、現在の外国人研修生の過半数を占めるのが中国人だということを考える中国の貧しい農村にターゲットを絞って日本の企業が募集をかけているからだと私は見ています。現在の状況を見るにつけより安価な労働力を求めて日本の企業がこの制度を悪用しているようにしか見えず(2005年時点で83,319人が入国)、すでにこの制度に頼りきっている企業が実際に存在していることを考えると、日本人は望むと望まざるを得ずにすでに移民社会へと歩を進めており、もっとどうすれば移民に対応できるかを考える時期日本は来ているのではないかと私は考えています。
また繊維産業のみならず、この外国人研修生は産業は産業でも、日本の農業現場にも中国人の外国人研修生がたくさんきております。わたしがテレビの特集で見た例だと長野県の高原野菜畑でたくさんの人数が来ており、雇用主の日本人農業経営者によると以前は夏休み中の農繁期に大学生などがたくさん来てくれたが今ではどこも募集に応じてくれず、賃金面などを含めて彼らなしではもうこの農業は成り立たないとまで述べていました。また彼ら中国人は出来るだけお金を稼いで帰りたいと思っているものの、残業代を払う余裕もないため双方我慢が続いているとも申していました。
皮肉にもすでに日本人の中では農業経験者は少なくなっており、下手な人間を雇うよりは農村出身の彼ら中国人研修生を雇用した方が都合がいいという現状です。私みたいに一年間中国で生活してきた人間ならともかく、よく日本人は中国産野菜というと農薬など敬遠する節がありますが、こちらもまた皮肉ですがすでに日本は国産野菜についても中国に依存しつつあるわけです。
最後にこの外国人研修生にまつわる、ある事件の紹介をしてまとめておきます。
・<在日中国人のブログ>熊本県で中国人研修生が農家夫婦殺害後に自殺、背後に何が?(レコードチャイナ)
上記リンクに貼ったニュースの内容はというと、外国人研修生として熊本県の農家で働いていた22歳の中国人男性が首を吊って自殺しており、彼を雇用していた農家夫婦も他殺体で発見されたというニュースです。わざわざ説明するまでもなく状況からこの研修生の中国人男性が夫婦を殺害した上で自殺したと伺わせるニュースですが、このニュースについて誰がどう思おうがそれは個人の勝手です。
私は勝手に思うに、こういうことをいつまでも続けていたら外国から日本が敵視されたり恨まれても仕方がないのではないかと思います。またこの事件に限らず、私もかつて記事を書きましたがこの外国人研修生の過労死もあまり大きく取り上げられませんが下記リンクにまとめられているように実際に起きております。
・外国人研修生に強いられる過労死、発生率は日本人の2倍 - 現代日本に横行する奴隷労働・人身売買(すくらむ)
よく犯罪率が高いことを理由に中国人みんなが犯罪者かのような言い方をする人間がいますが、この様な外国人研修生の現状を見てまだそんなことを言えるというのなら、青臭いかもしれませんが自分は日本人として恥ずかしく感じます。私は真に努力して苦労している人は日本人だろうと中国人だろうと変わらず評価するべきで、この様な厳しい環境下で働いている研修生らの待遇改善を訴えることが日本のワーキングプア問題の改善にもつながると考えており、この問題を他人事と取ってはならないという意見を今日の結論とさせてもらいます。
・外国人研修制度
日本に来ている移民の中で重要な役割を果たしているのは前回にて取り上げた主にブラジルなどからやってくる日系人移民ですが、その影でもう一つ大きな移民集団となっているのが上記リンクにある外国人研修制度によってやってくる外国人研修生達です。
この外国人研修制度というのは日本の優れた職業技術などを発展途上国の人間に労働現場で伝授、講習させるというODA的な目的で始まった制度なのですが、現時点でこの制度は元の目的から大きく逸脱して利用されているよりほかなりせん。具体的にどう逸脱しているのかというと、外国から研修生という待遇で呼び寄せればその研修生は労働法の適用範囲外に置かれるため、職場で技能講習を兼ねて働かせる場合は賃金を支払わなければないけないのですがその賃金は最低賃金を下回っても違法にならなくなるのです。
そのため現時点で日本人労働者より劣悪な労働条件で働かされているといわれれる日系人移民よりも賃金は下回っており、私がテレビの特集で目にした例だと時給200円という例もありました。しかもそうやって働く現場は現実には何の技能講習にもなっておらず、繊維工場に来ているある中国人のインタビューではその工場で使われている機械は現在の中国ではどこも使わないような古い機械で、扱い方を憶えて本国に戻った所で何の役にも立たないと語っていました。
ではそんな劣悪な条件にもかかわらず何故彼らは外国人研修生の募集に応募するのかというと、やはり本国との通貨格差が大きく影響していますが、現在の外国人研修生の過半数を占めるのが中国人だということを考える中国の貧しい農村にターゲットを絞って日本の企業が募集をかけているからだと私は見ています。現在の状況を見るにつけより安価な労働力を求めて日本の企業がこの制度を悪用しているようにしか見えず(2005年時点で83,319人が入国)、すでにこの制度に頼りきっている企業が実際に存在していることを考えると、日本人は望むと望まざるを得ずにすでに移民社会へと歩を進めており、もっとどうすれば移民に対応できるかを考える時期日本は来ているのではないかと私は考えています。
また繊維産業のみならず、この外国人研修生は産業は産業でも、日本の農業現場にも中国人の外国人研修生がたくさんきております。わたしがテレビの特集で見た例だと長野県の高原野菜畑でたくさんの人数が来ており、雇用主の日本人農業経営者によると以前は夏休み中の農繁期に大学生などがたくさん来てくれたが今ではどこも募集に応じてくれず、賃金面などを含めて彼らなしではもうこの農業は成り立たないとまで述べていました。また彼ら中国人は出来るだけお金を稼いで帰りたいと思っているものの、残業代を払う余裕もないため双方我慢が続いているとも申していました。
皮肉にもすでに日本人の中では農業経験者は少なくなっており、下手な人間を雇うよりは農村出身の彼ら中国人研修生を雇用した方が都合がいいという現状です。私みたいに一年間中国で生活してきた人間ならともかく、よく日本人は中国産野菜というと農薬など敬遠する節がありますが、こちらもまた皮肉ですがすでに日本は国産野菜についても中国に依存しつつあるわけです。
最後にこの外国人研修生にまつわる、ある事件の紹介をしてまとめておきます。
・<在日中国人のブログ>熊本県で中国人研修生が農家夫婦殺害後に自殺、背後に何が?(レコードチャイナ)
上記リンクに貼ったニュースの内容はというと、外国人研修生として熊本県の農家で働いていた22歳の中国人男性が首を吊って自殺しており、彼を雇用していた農家夫婦も他殺体で発見されたというニュースです。わざわざ説明するまでもなく状況からこの研修生の中国人男性が夫婦を殺害した上で自殺したと伺わせるニュースですが、このニュースについて誰がどう思おうがそれは個人の勝手です。
私は勝手に思うに、こういうことをいつまでも続けていたら外国から日本が敵視されたり恨まれても仕方がないのではないかと思います。またこの事件に限らず、私もかつて記事を書きましたがこの外国人研修生の過労死もあまり大きく取り上げられませんが下記リンクにまとめられているように実際に起きております。
・外国人研修生に強いられる過労死、発生率は日本人の2倍 - 現代日本に横行する奴隷労働・人身売買(すくらむ)
よく犯罪率が高いことを理由に中国人みんなが犯罪者かのような言い方をする人間がいますが、この様な外国人研修生の現状を見てまだそんなことを言えるというのなら、青臭いかもしれませんが自分は日本人として恥ずかしく感じます。私は真に努力して苦労している人は日本人だろうと中国人だろうと変わらず評価するべきで、この様な厳しい環境下で働いている研修生らの待遇改善を訴えることが日本のワーキングプア問題の改善にもつながると考えており、この問題を他人事と取ってはならないという意見を今日の結論とさせてもらいます。
登録:
投稿 (Atom)