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2021年7月31日土曜日

タイ人、中国人、日本人の勤労意識の違い

 先日、タイに工場のある日系企業で働いていた中国人の人ととんかつ食べに行くことがあり、その際に「タイの工場では現場リーダーが決まらない」という話を聞きました。

 工場現場で現場、というより5人程度の班の班長を決めようとして「誰か班長になりたい人いる?」とタイの工場で聞いても、誰も手を挙げないそうです。なので「班長になったら手当をつけるよ」とお金で釣ってみたところ、それでも誰も手を挙げなかったそうです。
 話をしてくれた人によると、タイ人は最低限の自分の生活を維持するだけの給料があればよく、なるべく必要以上に働きたくないという人が多いそうです。そのためいくら手当てがつくとしても、班長になったほかの班員の作業を見たり指導したりとかはしたくなく、自分の割り振られた仕事だけに集中したがるそうです。

 一方、これが中国だと少し異なります。班長になりたい人はといっても最初は反応が薄いものの、「手当をつけるよ」と言った途端に「俺以外、相応しい奴はいないだろう」とみんなして手を挙げてくるそうです。中国人としてはお金にならない余計な作業は抱え込みたがらないものの、ちゃんとお金が付いてくるというのなら率先してすぐやってくれるそうです。
 もっとも中国人の場合は、「地位や権力で他の人より上に立ちたい人も多いから、手当つかなくてもやるひとはいるよ」と同僚の中国人は話してました。

 でもって最後日本人となると、「誰か班長やれ。手当なんて初めからない」といっても、誰かが最終的にはやってくれるそうです。この日中タイで比較すると、勤労意識のでちょうどきれいに3種類に分かれるというか、

・お金もらえるとしてもやらない
・お金くれるならやる
・お金くれなくてもやる

 という具合にいい感じに分かれます。
 個人的には思想的に近いこともあって私としては中国寄りの価値観で、尚且つ中国式の方がきちんと業務権限と報酬が釣り合うこととなってバランス的にはいいんじゃないかと思いますが、こういう価値観はやはり日本だと異端なのでしょう。その上で、恐らく世界的にはタイのパターンが欧州を含めて多いのではないかと思え、そう考えると相対的に中国人はやっぱり勤勉な方になってくる気がします。

 最後に関係ないけど中国人の同僚がこの前、中国語から日本語に翻訳した株価動向に関するレポートをレビューしてたら、「年末に入り株価はうなぎのぼりとなり~」と書かれてあり、よくこんな単語知ってるもんだとびっくりしました。でもってうなぎ食べたくなりました。
 さらに言えば、「うなぎは雄と雌、どっちだ?」という問いかけが頭の中で反芻しました。元ネタは「エリア88」だけど、「雌さ、卵付きさ」というセリフがその後続いてきました。

2021年7月30日金曜日

携帯電話普及当初の疑似科学

 株やってるわけじゃないけど最近タマホームの株価を見るのが楽しみです。そのタマホームですが一部で報道されているように社長がコロナはエボラとかが混ざった奴だとか、ワクチン打った奴は解雇するとか、5Gの電波がコロナを広げているとかネタとしては面白いことをたくさん言ってて見ている立場だとめちゃ楽しいです。まぁそれ以前に、いくらオーナー一族とはいえこういう人間が上に来るという時点で日本はほんと三国時代末期の呉並に人材不足だなという気がします。

 さて今挙げた5G電波がコロナを広げているという話ですが、タマホーム社長だけじゃなく欧米でも一部こういうネタが広げられてて、中国の通信機器は買うなという運動につながっていると報じられています。これは恐らく5G通信機器で中国メーカーのシェアが高いことと、世界に先駆けて武漢からコロナが流行したことと、あと単純な中国への憎悪と電波系な思考が組み合わさって出てきた言質だと思いますが、ぶっちゃけ電波でウイルス飛ばせるならもうその国は世界支配してるでしょう。わざわざ宣言するまでもないですが、この主張に関しては私は全く信じていません。
 なお最近のコロナは変異した英国株とインド株が主流になっていますが、英国製とかインド製の通信機器が危ないと誰も言わないのはそれはそれで不公平じゃないかって気がします。インドに至ってはコロナ流行当初、「カレーを食べるとコロナにかからない」なんて言われて時期もあったけどな。

 この5Gに係るタマホームの騒動を見てふと思い出したのですが、携帯電話が普及し始めた90年代後半も、思えば似たような疑似科学な主張がやたら大手を振って報じられていました。具体的には、携帯電話の電波が脳を破壊するとか、ポケットに入れていると精巣にダメージを与えるとかです。後者はちょうど日本の少子化が激しくなるタイミングと重なったってのもあったかもしれません。
 この手の主張で今でも笑えるのは、携帯電話を持った人がたくさん乗る電車の中では、電波同士が反射し合って電子レンジのようになるという主張でした。そもそも電波の種類自体違うというのに何を馬鹿なとか思いますが、こういうのをテレビのワイドショーとかが真面目に報じていたのが90年代のリアルでした。

 こちらも書くまでもないですが、あの時代と比べると今の時代は携帯電話用の通信電波はおろか、WiFiをはじめ当時とは比較にならないくらい多くの電波が飛び交い、尚且つ基地局などの通信機器の量も桁違いに増えています。ぶっちゃけあの当時、脳が破壊されるとか言ってた奴らに「お前スマホとか持ってないよな?」とか聞いてみたいものですが、多分探そうと思っても雲隠れしてるでしょう。

 なお携帯電話ネタでついでに書いておくと、なんか日本政府は携帯電話の契約先を切り替えたとしても、キャリアメールのアドレスを存続させるよう通信キャリアに求めているそうですが、内心ちょっと違うとこれ聞いて思いました。何が違うのかというと、キャリアメールアドレスを存続させるのではなく、ショートメッセージ(SMS)をもっと活用させるべきだと思いました。
 中国では書類とかにメールアドレスを書くことはほぼなく、基本的に電話番号のみ書いて、そこからショートメッセージが連絡用としていろいろ送られて来ます。ワクチン接種の時も予約した後にショートメッセージで確認通知が送られ、またこのほか本人確認の二重確認などでもショートメッセージが活用されています。

 基本的にショートメッセージは電話番号と紐づいているため、携帯電話を奪われない限りは本人に確実に届く重要な連絡手段になると思われますが、なんか日本だとそこまであんま活用されてないように見えます。キャリアメールなんかよりこっちの方がずっといいと思うのですが。

 なおショートメッセージの中国語は「短信」なのですが、前に「2021年決算短信」という記述が「2021年決算ショートメッセージ」って誤訳されているのを見ました。随分濃いショートメッセージだなと感じました。

2021年7月27日火曜日

私は潤滑油です!

就活生「潤滑油です」「潤滑油です」「潤滑油です」「潤滑油です」「潤滑油です」俺「・・・」面接官(おっこいつは他の奴と違うぞ)(ぶる速)

 見出しに掲げたセリフはよく就活の現場で「自らを物に例えると」で頻繁に使われるフレーズです。曰く、潤滑油のように周囲の関係を円滑にするというこころのようですが、なら「クレ5-56」でいいじゃんと自転車乗りとして思います。
 なお同じく人気な例えとしてはスルメがあり、そのこころは噛めば噛むほど味が出るという奴です。これの発展形で「わしは鰹節じゃき」という土佐弁使いは現れないだろうか。

 なお私は就活の頃にこの手の質問は受けなかったのですが、仮に今受けるとしたらなんて答えるのかを少し考えたところ、何故か目に入ったのは最近好きでよく食べてるハイチュウでした。仮にハイチュウで行くとしたら、「噛めば噛むほど味が出て、本格的に上手いと感じてくる頃に忽然と姿を消します」みたいになるのではと思え、我ながら自分のキャラクターを上手く言い表している気がします。

 このほか車に例えるなら「初代RX-7」がきて、そのこころは「性能はいいけどオイルイーターというくらい燃費が悪くてすぐばてる。ついでにへたれやすい」といった感じです。実際、日常生活でも電池切れを突然起こすことが多く、朝早起きしたら8時くらいに空腹で動けなくなって悶えるということがこれまでに何度もあります。
 もっともそう言いながら、今日は昼飯を一切食べず休憩も取らずにずっと椅子の上で7時くらいまで作業してました。真面目に昼めし食べると一旦作業がストップして集中力も途切れるから、どうしても急ぎで一気に処理する場合は昼飯ない方がいい気がします。

2021年7月26日月曜日

ホビージャパン社員の転売容認発言事件について

転売擁護で炎上したホビージャパン編集、退職処分されてしまう(ガハろぐ)

 一部で報じられていましたが、雑誌ホビージャパン編集と思しき人物がツイッターにて転売行為を容認していた発言について本日、ホビージャパン編集部が当該社員を解雇したと発表しました。また今k内の事件について責任を取るとして、複数の上長をそれぞれ降格させるなど、厳しい処分内容になっています。

 この発表を見てまず思ったのは、「ざまぁ」って一言ですが、取引先にバンダイなど転売被害をある意味最も受けている模型メーカーを抱える中、あんな発言してタダで済むと思う感性はある意味見事なものです。というより、これほどの迂闊さどうしてこれまで死なずに済んできたのかが不思議なくらいで、敢えて例えるならジムに乗ったまま逆襲のシャアまで戦い抜いて来れたような強運だと思います。
 まぁPSPのバトルユニバースってガンダムゲーだと、できなくもないんだけれどね。

 ただそれ以上に驚いたのは、上場の降格を含むホビージャパンの厳しい処分内容です。当該社員については解雇で当然だと思えるので驚きはありませんが、複数人を一つずつ降格させるという処分はなかなか厳しいように思え、同時にこうした問題に対してきちんと管理責任者が責任を負うという姿勢を見せ、非常にしっかりとした意識を持っている編集部だと感じ入ります。
 ついこの前にも責任意識の弱いメディアとして北海道新聞を名指しで批判しましたが、新聞社は全般的にこうした責任意識は上の人間ほど低いというか取らず、毎日新聞も例の事件の時に責任者を処分したと見せかけて実は昇格だったというわけのわからない人事異動を発表するなど、結構やばい組織だと感じました。唯一、共同通信は文句なしに責任意識が高く、自分もかねてより敬意を覚えていると書きましたが、今回の一件でホビージャパンに関しても同じような敬意を抱くに至ります。

 逆を言えば今度また記事書く予定ですが、日本で責任を取るべき立場にありながら全く責任を取らない人間が多すぎるというか、五輪組織委というか。自分のアホな発言で辞任した森は問題外として、これまで発覚したやばすぎる連中の任命責任とか、パクリロゴ問題、国立競技場デザインひっくり返し問題で誰か責任取った奴いるのかというと、多分いないでしょう。当事者への処分や追放は当たり前として(それすらも拒絶しようとしていたが)、こんな無責任な連中が枢要な地位に就くこと自体に疑問を感じないと駄目な気がします。

 この辺、今構想している記事の中で書く予定ですが、日本社会はある一定の地位より上に行くと、一切責任を取らずに自由勝手に行動や発言できてしまう風土がある気がします。本来逆なんだけどな。

2021年7月24日土曜日

コーラ大好きなソ連元帥

 今週がある意味一つの山場で、既に1ヶ月近く残業の多い生活を続けながら今週やってきたやたら短納期の仕事をひたすら裁いた負担が来たというか、今めちゃ体がだるいです。昨夜上海は台風の豪雨で雨音でよく眠れなかったこともあり、今日お昼ご飯食べた後は真っすぐ歩けないくらい眠くなり、2時から昼寝したら起きたら6時でした。その後そーめんとかっぱえびせん食べたけどなんか疲労が抜けないと感じ、さっきコンビニ行ってコーラ買ってきたらこんな記事見かけました。

コカ・コーラ好きなソ連の元帥が、鉄のカーテンの向こうにコーラを運んだ方法(ビジネスインサイダー)

 この記事にあるソ連元帥とはゲオルギー・ジューコフで、あのノモンハン戦で日本を徹底的に叩き潰し、独ソ戦でもソ連に勝利をもたらした真面目に世界の軍事史においても大きな影響を与えた元帥です。記事によると、戦時中に米国からもらったコーラがお気に入りになったものの、戦後の冷戦でソ連にコーラが出回らなくなり、個人的伝手でアイゼンハワーとかを介して密輸してたそうです。
 その際、コーラだってわかんないようカラメルを抜いて透明な色にして送ったそうなのですが、透明コーラってこの時代からあったんだってのが面白かったです。

 そのコーラですが今自分も横で飲んでますが、自分に言わせると同じコーラでも日中で微妙に味付けが違うのではと思う節があります。感覚的に中国の方がやや砂糖っぽい甘みが強く、逆に日本は炭酸による酸味というか口の中への刺激が強いように感じます。感覚的なものなのでマジなのかわかりませんが。

 なお飲料全般について言えば、中国の清涼飲料水は全般的に甘ったるい味が強いです。砂糖味に対する嗜好が強いせいか緑茶どころかウーロン茶にも砂糖入れて売っており、果汁ジュースも日本と比べるとやたら甘ったるいのが多かったりします。背景は貧しかった頃に砂糖をなかなか手に入れられなかったことへの反動と言われていますが、飽食の時代を迎えてカロリーオフ意識も高まってきており、今後はこの辺の味覚も今後変わってくるのかもと睨んでします。


 上の画像は前にネットで拾ったけど、一定の年齢層にしかもはやわからない包装だと思う。

2021年7月23日金曜日

去年やっとけばよかったのに

 今週も死なずに無事週末に持ってこれました(ヽ''ω`)
 ちなみに昨日の中国人のスタッフからチャットで「あの件いつできる?」と聞かれ、「今やっているからもう少し待って。それより、お前に聞きたいことがある」といって、「你喜欢“电锯人”吗?」と聞いて、「是的,你看过“炎拳”吗?」という会話をしました。どんな内容を話したのか気になる方は自動翻訳サイトでも使ってみてみてください。

 話は本題ですがちょうど今東京五輪の開会式をやっている最中です。いろいろ言いたいこともありますが他の人もたくさん書いてて私がわざわざ言うまでもないと思ってブログでは取り上げていませんが、よくもまぁこんな狙ったかのような人選ができるものだとみていて呆れます。途中からはわざと乙きょう五輪を失敗させるためにこうしたやばい連中を集めてたんじゃないのかと、本気で疑いました。

 それはさておき、結論から書くと東京五輪は結果から言えば去年にやっておけば全然よかったでしょう。去年もコロナが流行していて、尚且つワクチンもありませんでしたが、今と違って感染力の強いデルタプラス型はなく、夏場の気温と湿気に弱い武漢型だけで、今と比べると昨年の同時期はGoToトラベルやるくらい感染者も少なく済んでいました。

 それ以上に延期が決まったことによって五輪の演出チームが野村萬斎氏率いるチームから電通の佐々木某に責任者が移り、今回の開会直前の様々な問題を抱えたメンバーが集まるきっかけとなりました。去年に予定通り開催しておけば少なくとも今よりましな人選で行われていたと思われ、この一点だけでも去年にやっておけば全然よかったと断言できます。
 そういう意味では、結果論ではあるもの延期を決断した安倍元首相こそがある意味戦犯であるように見えてきました。最も強引に開催していたらそれはそれで非難が集まったでしょうが、今の惨状見ると本当に去年やっておけば延期に伴うあらゆる混乱を回避できたと思うとなんてことしてくれたんだって気になります。ワクチンに関しても、日本国内じゃ接種率低いし、みんな忘れてるだろうけど7月中には一般接種やるって菅首相言ってたけどやっぱ無理だったし。

 ついでに書いておくと安倍元首相の五輪反対派に対するレッテル貼り発言は呆れました。はっきり言うが森友事件以降、完全に判断力がおかしくなってるようにしか見えません。


 あとみんな忘れているけど五輪向け感染確認アプリとかこれちゃんと使ってんのかよと激しく疑問です。多分全然活用できてないけど保守費とかかなりぶんどってんじゃないのかな。

2021年7月21日水曜日

先行きが、見えるからこそ、不安になる

 よく表現の中で「先行きの見えない社会が不安」などという文句がありますが、これには内心疑問があります。結論から言うと、「先行きが見えてしまうから不安」なのが実態だと考えます。

 最近ちょくちょく書いている行動力関連記事で前回私は、かえって将来が予測できるようになると行動力は低下しやすいくなると指摘しました。なまじっか知恵つけて将来を予測できるようになるとそのようにして行動力が低下するので、入らぬ知恵は無理して就けなくてもいい、若しくは中途半端な予測などはさせない方がいいみたいな主張ですが、これに付随する考えとして、予測そのものが不安に直結するのではと思うに至りました。

 そもそも先の「先行きの見えない不安」ですが、大抵こうして語られる場合はむしろ将来がはっきり見える、具体的に言えば「この先好転しない未来がほぼ確定」状態な人とかに使われることの方が多い気がします。一発逆転の目がなく、このままズルズルとあらゆる水準が悪化していく、具体例としては所得、経済、所属企業、人間関係などがそのような悪化トレンドに入った状態で使われ、先行きが見えないどころかむしろはっきりしてきたからこそそのように不安を感じるのだと思います。

 逆にと言うか、現在どれだけ厳しい環境にあってもまだ逆転の目が残されているのであれば、やっぱり不安というのはいくらか減る気がします。これはわかりやすい例なら若者世代が当てはまり、ブラック企業に入ってしまったとしても、転職したら好転するかもという期待があればまだある程度行動力を保てるとともに、不安に対しても補償的に軽減させることができます。しかしこれが中年世代になるとそうはいかず、むしろどんどん将来が固定化されていくので、不安もストレスも増大していくわけです。
 一方で、同じ中年世代でも比較的安定した仕事について順風に生きてる人でも、多分将来が固定化されていくと同じように不安を感じるのではないかと思います。こう思うのも企業における出世競争の話などで競争から脱落した人を見ると、生活上は安定しているというの途端にやる気なくして行動力も減退するというパターンが多いような気がします。やはり「もしかしたら社長になれるかも?」という心情は、人間を大きく突き動かすのでしょう。

 逆の例として、行動力が低下しやすい例としてはやはり派遣社員が自分の中で上がってきます。これも「正社員になれるかも」がもっと現実的であれば違うでしょうが、実際にはそんな話は私自身もあまり耳にせず、逆に「派遣に落ちたらもう這い上がれない」という世論の方が強く、そうした「先行きの読める」背景が派遣社員の行動力を奪い、不安を増大化させているように見えます。
 マージン率データすら、派遣社員たちは作らないしなぁ。

 何が言いたいのか短くまとめると、未来は固定的であるより流動的である方が社会全体で活力を持ちやすいのではということです。単純にこの後何が起こるのかわからないというのはドラゴンボール的なワクワク感があり、やはりそうしたものが行動力を生むのだと思います。そういう意味で先行きの読める、見える社会というのはむしろ暗い社会であり、「次に何が起こるかわからない」といった一時期の和泉元彌氏みたいな社会の方がかえって楽しいんじゃないかと思うわけです。
 かくいう私も、やはり何が起こるかわからない行き当たりばったりな決断ばかりするから、現代日本人の中ではまだ行動力を保てているのではと思います。実際このところ思いますが、安定というのを求めれば求めるほど、自分の中から活力が失われていくのを感じ、突拍子もなく「そうだ、あれやってみよう」と思いつくたびに妙な行動力が自分の中で湧いてきます。

 その上で言えば、今の日本はレールから一回外れたら即死という概念が強く、だからこそ社会全体で極端に活力がなくなってきているのだと思います。一発逆転も可能と思わせる社会とまではいわなくても、何が起こるかわからない的なワクワク感くらいはもっと醸し出せよと密かに上から目線で思ってます。