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2024年9月28日土曜日

「しごき」をメンタル教育としてみることでわかる日本社会の変遷

 間に総裁選とノーパソ不具合の記事を挟みましたが、前回記事で私は日本人のメンタルが年々弱くなりつつある中、どうすればメンタルを強くするのかと言えば単純に苦行が一番捗ると主張しました。基本的に人間は今が苦しいか楽かという判断は過去の苦しかった時の体験との比較でしか判断できず、過去にめっちゃ苦しい体験していたらその後の人生における困難や課題も「あの頃に比べたら」的に乗り越えやすくなるのではという風に考えています。

 この仮定に立った場合、現在精神疾患者が激増中の日本はメンタルが全体として弱くなっていることは間違いなく、ならなんでメンタルが弱くなっているのかというと過去の苦行、激烈体験がそれ以前よりも減ってきているという風に解釈できます。では過去、具体的には昭和時代の人たちは苦しいことのベンチマークとなるような体験として何を経験してきたかっていうのが、意外と重要な着目点となってくるわけです。

 仮に戦前世代まで掘り起こした場合、この世代の最大の苦行はやはり戦時体験でしょう。直接戦地に赴いた人だけでなく、日本国内のいても空襲や、戦後の食糧不足という筆舌にし難い苦しい体験を乗り越えてきており、実際にこの世代から「戦時中に比べれば」という言葉を自分もよく耳にしました。この世代からすれば、その後の人生における困難もストレスを大きく受けるほどのものにはならなかったでしょう。
 では戦後世代はどうか。結論から言ってしまえば、昭和から平成初期にかけて日本人のメンタル教育において非常に重きをなしたのは「しごき」だったのではないかと今思います。しごきという言葉の定義については省略しますが、学校での部活、職業現場での上下関係によるしごきは、殴る蹴るは当たり前、人格否定の罵詈雑言は日常茶飯事で、現代とは比べ物にならないほど激しいものがありました。

 なおソ連人民の敵であるうちの親父は就職間もないころ、「契約取ってくるまで絶対帰ってくるな!」と上司に言われ、神主やってたいとこの家にも売り込みに行って「何考えとんねん!」と追い返されてたそうです。

 話を戻すと、令和の現代において完全に否定されているこの「しごき」ですが、ことメンタル教育という面では日本社会において大きな役割を持っていたことは否定できないでしょう。昭和のこの手のしごきは理不尽さ、過酷さをひたすら追求している節があり、理不尽さに耐える力という点ではその育成効果は間違いなくあったと感じます。
 ではメンタルが弱くなりつつある現代日本において、その対策として戸塚ヨットスクールの人じゃないですがまたしごきを復活させればいいのか。この問いに対する私の答えはノーです。

 というのもしごきというのは確かにメンタルを強くするうえでは明確な効果があると思いますが、その代わりと言ってしごきを受ける人間は合理的な思考や考えを失い、盲従的になる可能性が高いと思うからです。日本のスポーツ教育が昭和期に世界で通用しなかったのはまさにこの点にあり、陸上や水泳とかならまだしも、野球やサッカーなどで海外に全く勝てなかったのはこうした面の弱さにあると私は思います。

 またこの手のしごきを受けた人間の中には、暴力性を顕著に高める人間も残念ながらいます。部活指導中の事故死や育児中の虐待死を起こした大人の多くは判で押したかのように、「自分は子供の頃にもっときつい仕打ちを受けていた」という言い訳をしてきますが、恐らく実際にはそう思い込んでいるだけで、子供を死に追いやるほどの仕打ちを彼らは受けてはいないでしょう。
 しかしある程度のしごきを自分が受けてきたから、「自分が受けた分はほかの子供にやり返していい」という勘違いを起こした挙句、自分が受けた以上のしごきを課して虐待するというパターンは実際よく見られます。何故こうなるのかというと、かつてのしごきには教育としての合理的価値がハナから無視されており、「苦しませればいい子に育つ」的に苦しませるだけで、その結果としてしごきを受けた人の合理的判断能力を喪失させていた節があるように見えます。

 ならしごきはやってはだめなのかという話になりますが、そうなると今度は現代のようにメンタルが弱い人を量産することとなってしまいます。実際、この流れで日本人はメンタルが弱くなっていき、精神疾患者が増える一因にもなっていると考えています。

 まどろっこしいので言いたいこと書くと、子供の教育に当たっては合理的な根拠や目的のもとに、苦しませるべきだと思います。昔のうさび飛びのように運動能力向上に何ら貢献しない苦行をやらせるのではなく、健康を崩さずしっかり身体を育成する科学的な訓練メニューを用意して、感情的な判断はせずしごきを行うのであれば、精神的にも肉体的にもいい教育になると私は思います。
 その上で、そうした訓練の目的や効果についてしっかり子供たちにも教え、「こうやるとこうなるんだよ」的に理解させたうえで、子供たちに自発性を持たせ行わせることも大事かと思います。こうすることによって、子供たちもそのしごきの合理性を考え、合理的な価値観や考え方を育んでいくことになります。

 何が言いたいのかというと、「合理的に苦しませろ」というのが、現代日本のメンタル教育に対する私かの意見です。何も学校に限らず勤労現場でも、きちんと苦しむ理由を教えた上でハードワークを課すことが大事だと思え、これがびっくりするくらい日系企業は出来ていない気がします。なんでかというと、中間管理職以上にその手の合理的思考がない人が多いからです。
 「苦しいけど儲かる仕事」と「苦しいのに儲からない仕事」では90度でなく180度意味が違い、後者に関しては儲からないならむしろやらない方がマシ的なものも少なくありません。この手の見極めをした上で、勤労初心者に価値ある苦しみを与えて育成することが、結果的にその人らのメンタル教育にもキャリアアップにもつながると私は考えます。

 冒頭に書いた通り、現代日本でしごきは敬遠されがちです。私自身も不合理なしごきは排除すべきだと考えますが、「必要で合理的なしごき」こと苦行はメンタル教育的にも、やはり若い時にこそ経験しておくべきだとも考えます。そうした、一体何が必要な苦行で何がそうでないかを判断できず、結果的にメンタル教育がおざなりになっているのが現代日本だと思え、あと10年くらいはこの状態が続くかなとみています。

 なお自分の経験で言うと、肉体的な苦行はそれほど経験しませんでしたが、あまりにも非効率な指示に下で不要な業務だとわかっているのに従事させられたのはマジ苦しく、合理性失いかけたけどメンタル的には貢献したかなと考えています。あれに比べれば中国に行って転職活動したりする方が楽だったな。

ノートパソコンに故障発生(ヽ''ω`)

スペースキーが反応しなくなった(OKWAVE)

 上の質問を出したのは自分ですが、そこで書いている通り去年買ったノートPCのNEC Lavieの本体キーボードスペースキー、並びに周辺の下列キーが反応しなくなりました。年数経ってたり、普段から散々叩いているならまだしも、日常的には外付けキーボードしか使っておらずなんで本体キーボードが触ってもないのに不具合起こすかやや意味不明です。

 購入から1年保証、でもって確か小売店で3年保証へとランクアップさせていたはずなので多分大丈夫だとは思うのですが、上海在住ということから保証を受けることができず、この点で色々思うところがあります。っていうかそういう海外仕様前提で、高くても故障しにくいブランドとして選んだはずが、1年内にこういう意味不明な故障起こすというのはちょっとどうかっていう気がします。

 前述の通り普段は外付けキーボード使うのでそこまで影響はないですが、何かっていうときにこのキーが反応しないのは大きな問題になる可能性を秘めているだけに、いい気がしません。この際、次日本返ったらまたPCごと交換してしまおうかと密かに検討しています。

 っていうかオファーに対しZoomかTeamsで話さないと言われたけど、中国だとどっちもアプリからだとうまく起動できなかったり、なんか今日は色々疲れさせられる日です。メンタル的に弱ってるのかも(ヽ''ω`)

2024年9月27日金曜日

石破氏の総裁選当選について

 本題と関係ないですが自分が臨終の際には「無とは一体……うごごご」というセリフを残して去りたいという欲に急に駆られました。改めてみるとインパクトあるセリフな気がします。

 話は本題ですが本日行われた自民党総裁選ですが、恐らく誰もが予想していなかったと思いますがなんとあの石破氏が決選投票を経て、見事当選する結果となりました。
 石破氏についてはこの総裁選が始まった直後に一番確実だと思って、「石破氏の可能性はもうない」という記事を書いていただけに、予想を大きくはずして誠に恥ずかしい限りです(*ノωノ)

 その辺の自戒を込めて「どうしてこうなった(。´・ω・)?」的に今記事を書いていますが、前回記事を改めて読むと、

・反安倍・反麻生でやり続けてきた石破氏なだけに、麻生派はともかく安倍派がなくなった現状ではそのポジションが揺らついている。
・自民党内で人気がなく議員票が得られない
・候補者が乱立していて拠り所とする党員票をまとまって得られない

 といったのを予想の根拠としましたが、結果から見るとこれがすべて真逆の結果となりました。そうなったというべきか私が予想を外したのも、全部高市氏のせいだという気がします。
 ほかでも分析されている通り、まず石破氏が決選投票に進んだのは大方の予想を外れた想定外の結果だったと思います。大半は高市氏と小泉氏の決選投票進出だとにらみ、そのため投票直前になって小泉氏もその庇護者である菅氏と犬猿の仲にも係わらず麻生氏に決選投票での支援をお願いに行っています。この行動について菅氏に事前の承諾を得ているとは思いますが、もし得ていなければ今後の小泉氏に影響することになるでしょう。

 第1回の投票では前述の通り、予想を覆して石破氏が決選投票へ進むこととなりました。この背景としてはまず党員票が思ってた以上にばらけず、依然として石破氏に集中したことが最大の原動力だったと思います。ばらけなかった背景としては候補者が乱立したものの、どの候補者も統一教会や裏金問題については言及を避け(石破氏を含め)、主張や立ち位置であまり差を出さなかった気がします。
 特に上川外相に関しては強みとなる女性という立ち位置にありながら、夫婦別姓問題について消極的な姿勢を見せたのは大きなマイナスだった気がします。高市氏については以ての外でした。

 こうした状況から、「みんな一緒なら石破でいいじゃん(´・ω・)」的な人は石破氏に集中し、またオールドライトこと古参の右派勢力からは安倍元総理に価値観の近い高市氏に票が集まって、結果的にこの二人が決選投票に至ったと考えています。
 むしろ党員票でこの二人に次ぐ3位につけたものの、両社から約半分弱と大きく差をつけられた小泉氏はこの党員票の取り込みで完全に失敗したと言えます。有力候補とされながらも当初より菅元総理が表に出ていて傀儡的に見られたこと、また討論でのちぐはぐな発言によって選挙が進むにつれて父親とは対照的に彼はどんどん人気を落としていったように見えます。何となく、台本読むのは上手いけどアドリブは全くできないタイプに見えます。

 こうして決選投票に進みましたが、最大の想定外要素は「反石破<反高市(=麻生)」だったことに尽きます。先の小泉氏の支援以来に対し唯一派閥を維持する麻生元総理は、むしろ菅元総理への意趣返しとばかりに高市氏支持を鮮明化しましたが、これが逆に高市氏を敗戦へといざなったように見えます。
 私が見る限り、決選投票ではこの麻生派の動きに反応して小泉氏を支持していた勢力が石破氏への投票に動いたように見えます。また現職総理ながらこれまで総裁選に対し方針を全く見せず、身内から林氏、上川氏が立候補していた岸田総理とそのグループも、総裁選ではみんなまとまって石破氏に投票したのではないかと考えています。

 岸田氏は決して石破氏と仲がいいようには見えませんが、それ以上に麻生氏のことを嫌っていたのは間違いないです。政権時代も茶々入れられまくったり、二階氏ですら受け入れた派閥解消を受け入れなかった点といい、古い言葉で言えば抵抗勢力そのものでした。
 その上で政権において色々邪魔してきた安倍派の復活を目論むような高市氏に対しても、岸田氏からすれば応援する義理はなく、むしろ排除すべき対象でもあったため、敢えて言えば岸田派は決選投票で石破支持に動いたのではないかと思います。こう言っては何ですが、選挙中に旗印を一切見せなかった戦略がここにきて一気に奏功したようにも見えます。


 このあたりの推測ですが、上のまとめ記事にある写真が物語っているように見えます。

 以上を踏まえて言えば、もし麻生氏が高市氏支持を鮮明に出さなければ反麻生派がここまでまとまることはなく、高市氏が当選していたのではないかと思う節があります。少なくとも小泉氏の勢力が反発する事態は避けられたと思え、その点で言えば麻生氏が悪い意味でキャスティングボートを握ってしまったのが今回の選挙結果だという風に見ています。
 でもって、これで彼の政治生命も完全に終わりでしょう。

 その他候補者に関しては、その麻生派から出馬した河野氏はブービーという、かつての全国区の人気もどこ吹く風かという低調な結果に終わり、今後はさらに厳しくなるでしょう。岸田氏が彼を追い落とすために若干嫌がらせしていた節がありますが、それ以上に河野氏自身のふるまいもかつてとは異なっており、この結果もさもありなんかと思います。
 同様に結果こそ3位ではあったものの、小泉氏はかつてと比べてもその人気は右肩下がりで、今回の選挙戦で弱点も露呈しただけに、本人が精進するなり成果を上げるなりしなければ次はより厳しくなるでしょう。

 逆に今回名を挙げ、一番得したのはコバホークこと小林鷹之氏じゃないかと思います。露出も増え認知も広がり、結果も先輩格の上川氏、茂木氏を上回っており、次回の総裁選に向けて上々な結果を今回得ているように見えます。最初はグー、斎藤健氏も、こんな感じで今回の総裁選で前準備したかったんだろうな(´・ω・)

2024年9月26日木曜日

そもそもメンタルはどうやって鍛えるの?

 先週から仕事が忙しくマジで目が回る状態というかふらふらで、なかなかブログも書けませんでした。来週からは国慶節で1週間の休暇が取れるけど、前半はマジで寝たきり雀になるかもしれません。

 話は本題ですが前回記事で私は、昨今の日本の教育や社会環境が現代日本人のメンタルをかつてよりも弱くさせ、ストレスに弱い人間を増殖していると主張しました。その証拠として、精神科に受診する人間は年々増えており、私自身も実際に精神科医をしている友人に確認して裏付けを取っており、意外と無視できないところまで日本のメンタル問題は来ていると認識しています。
 この問題にどう対抗するかですが、単純にメンタルが強くストレスを受けない人間を増やすに尽きます。おそうなれば精神科の負担は減り、精神疾患で生活や労働に支障が出る人も減り、医療費や社会保障費が減るだけでなく労働力や生産高にもプラスでハッピーハッピーなること請け合いなしです。と言ったところで、そもそもどうやればメンタルは強くなるというか鍛えられるのかというのがトピックとなるわけです。

 ある程度想像してはいましたがネットで「メンタル 強くするには」と検索すると、これでもかというくらいそれぞれのメンタル強化方法を主張しているサイトが雨後の筍、戦場のロシア兵の如く出てきました。中には怪しい自己啓発セミナー的なサイトも見受けられ、このトピックに関心持つ人が多いってのと、これをネタに商売している人もたくさんいることがうかがえます。
 その上でこれだけいろんな人が各種様々なメンタル強化方法を主唱しているあたり、現在スタンダードともいうべきある程度一定の人数が認知している固定されたメンタル強化方法はまだないと言えるのではないかと思います。でなければこれほどバラエティに富んだメンタル強化方法を各々が主張するはずはありません。

 以上踏まえて結論から述べると、私個人が考えるメンタル強化方法としては単純に、「どれだけきつい体験を過去にやったかに尽きると思います。

 例えば突然1時間の行軍訓練をやることとなった場合、行軍なんて一度もしたことがない人と、過去に何度か24時間行軍訓練を受けたことのある人を比べた場合、後者の方が圧倒的に1時間の行軍訓練で受けるストレスは小さいでしょう。また同じ種類の経験でなくても、過去に激キツ体験や苦痛、困難を受けたことがあれば少々の課題にぶつかったところで、「あの時に比べりゃ何ともない」という風に受け取り、同じ体験を初めて受ける人と比べれば感じるストレスを小さくすることができると断言できます。

 この辺、日ごろから私が主張しているように人間というのは基本的に比較を通してでしか物事を認知することができず、きついかきつくないかというのは結局のところ、過去の体験や現状と比べてでしか判断できないと思います。教育や伝聞を通しての仮想体験と比較することも可能と言えば可能ですが(「あいつが受けた苦しみに比べれば!」など)、やはり優先されるのは自分の経験と感覚なだけに、結局のところ過去にきっつい体験を受けるなり乗り越えとけばそれ以降に受けるストレス量は、環境などによる継続的に発生するものを除けば基本的に小さくなるでしょう。
 これは言い換えると、メンタル鍛えようってんならとりあえず苦行を体験すりゃいいってことです。

 それこそ私のようにブラック企業やメディア業界を体験した人間ともなると、普通の労働環境にいるだけでも「めっちゃ幸せやん(´・ω・)」と思えて日々に受けるストレスもブラック企業を経験していない人からすれば確実に小さいと断言できます。またメディア業界で慣らされたこともあり、よく「どっちがヤクザかわからない」シリーズこと警察がヤクザ事務所に乗り込む動画見ても、「怒鳴ってるったって凶器持ってないじゃん(´・ω・)」と思えて、ほかの人の反応と比べるとそんな怖いように見えません。
 そういう意味では、場合によっては耐えきれなくなって精神的に破滅するかもしれないし長期的にはマイナスだけど、短期的にブラック企業を経験、それも若いうちにしておく、見ておくのは長い目で見たら決して損じゃないと思います。もちろん、普通の会社とかでも必要に求められる困難や苦境があるのだから、そういう経験で代替できるに越したことはないですが。

 またその苦行の中身というか成否で見ると、成功体験と失敗体験に分かれます。これは私はどっちがいいというわけではなく、成功体験が多すぎると自信過剰となったり失敗を極度に恐れて積極的でなくなる恐れがあるし、逆に失敗体験が多過ぎると意欲を失ったり、モチベーションがなくなったりする可能性があります。強いて言えば成功も失敗もそれぞれ体験的に必要で、偏らせずともかく苦しい体験を経験しておくに越したことがないという風に見ています。
 もっとも個人的には失敗体験の方が教訓意識が強く得られ、その後の行動にも慎重性が出てくるので、配分的には失敗が成功をやや上回るくらいがいいとは思いますが。

 以上を踏まえて言えば、もしメンタルを鍛えたいっていうのであればともかく死なない程度にきつい体験を今すぐやれというのが私からのアドバイスとなります。体力的には山登りとかマラソンとかを選び、「楽して痩せられるフィットネス」なんて以ての外です。精神的に攻めるってんなら断食とか真っ暗で無音な部屋で数日過ごすとか、やり方次第でいくらでも手段はあります。
 なおゲームでこれやろうってんなら、自分としてはファミコンの「アトランチスの謎」をノーコンティニューでクリアを提唱します。

 ここまで来たところで改めてメンタル弱者を増やしている日本の現状を振り返ると、その原因は苦行不足にあるのではないかと思う節があります。でもって、何故メンタルを強くする苦行が日本で不足してきたのかを振り返ると、結構日本の社会変遷というか価値観の転換が大きく作用しているようにも分析され、意外と根の深い問題であると思うようになってきました。
 次回ではその点、端的に言えば「しごき」の合理性と意識変化について書きます。

2024年9月23日月曜日

ストレスに弱い人間を量産する日本の教育と社会

 冷静に振り返ってみると、今の自分の部屋には戦車や戦闘機のプラモがそれぞれ10台以上転がっており、なんか軍事博物館みたいな状態になっていることに気が付きました。最近はもうほとんど1回は作り終えたから2週目も始まりだしたし(;´・ω・)

 話は本題ですがここに書くまでもなく日本では精神疾患者がこの数十年増え続けており、最近だと精神科を受診するまで最低でも1ヶ月は待たなくてはいけないほど溢れており、なんでこいつこっち行くんだろと思ったけど、自分の医者になった友人も精神科いって案外正解だったかもしれません。
 でもそもそも何故日本で精神疾患者が増えているのか。社会のプレッシャーが高まりストレスが増えたというのも確かに事実ですが、それ以上に私は今の日本の教育がストレスに弱い人間を量産しているからではないかとみています。より具体的に述べると、とにかくあらゆることに気を払え、気をつけろとする教育がストレス耐性を下げている気がします。

 片っ端から挙げていくと本当に切りがないのですが、ちょっとしたマナーや言葉遣い、最近だったら体臭とか他人を不快にさせないようあらゆるものに気を付けると、なんかこのところ脅迫的に相手に求める言動が多いような気がします。今はどうか知らないけど15年くらい前はなんか口臭がやたら大きくピックアップされていたような気もしますし、なんかこんな感じで「気にしろ!気にしなきゃ人にあらず!」的に、芸能人でもないのに世の中気を配るよう強要される項目が年々増えている気がします。

 また学校など教育現場では、「相手の気持ちに立ちなさい」という題目が前面に出され、「これが片付いてないと周りはどう思う?」、「言葉遣いが悪いと相手はどう思う?」などと、他人に対する気遣いを強く強制しているように見えます。
 もちろん中にはそうした他人への配慮が必要な点もありますが、中には「本当にそれ必要か?」と思うことまで配慮を強制されている感じがします。具体的には言葉狩りで、キチガイとか死ねとか言ってはならないとか、了解ですは上から目線だから目上に使うなとか、言葉本来の意味から明らかに外れた排除理由に溢れています。

 ともかくこんな感じで、全神経をフルに使って360度24時間常に気を張るように日本の教育や社会は要求しているように見え、結果的にあらゆるものに配慮しようとすることでストレスに弱い人間を増やしているというのが自分の見方です。実際世の中、何もかも無視していいわけじゃないですが大抵のことは無視して気にしないに越したことはないです。
 例えば太陽が50億年後あたりに消滅すると言って、「太陽がなくなったらどうしよう(;´・ω・)」と現代人が気にする必要は全くありません。学者とかがそんな状況をシミュレーションするなら話は別ですが、普通の人が常日頃から太陽の消滅におびえながら暮らしているとしたら可哀想を通り越して逆に滑稽でしょう。けどそんな滑稽ともいえるくらいに不要なものに怯えながら暮らしいてる人間が現代には非常に多く、また怯えるように世の中も若干求めているというか不必要に煽ってきます。

 この手の例だと上がってくるのはまず年金、次に石油枯渇とかで、特に後者は私が子供だった頃は「2000年ごろには枯渇する」などとよく言われてた気がします。この手のものは学者や政治家に任せ、そいつらがうまくやれなかったら引きずりおろせばいいだけです。
 そうそう環境問題もこの手の例に入るでしょう。ただよく言われているように、航空機燃料が出すCO2は1便だけでもポリ袋数千万枚分と言われ、環境問題を個人は完全に無視すべきだとは思いませんが、脅迫的にペットボトルの蓋を集めよなどとすることはもはや本末転倒で意味ありません。それで気に病むくらいなら、環境問題なんてハナから無視した方が精神衛生上にもいいでしょう。

 逆にというか精神疾患を減らしてストレスに強い人間を増やそうというのなら、「余計なことは気にするな」的な教育をもっと広めた方がいいと思います。いわゆる鈍感力に近いもので、真面目に日本はストレスに強いメンタル強者を量産する方向に舵を切った方が国家的にもいいでしょう。
 金がなくても何とかなる、職歴がなくても何とかなる、俺はまだ本気を出していないだけ……とまでいう人間ともなるとさすがにみていて若干不安を覚えますが、ちょっとやそっとじゃへこたれず「またやり返してやるさ!」的な逆境においても前向きな思考を持つ人間をもっと称賛し、世の中に増やす努力を日本はやるべきでしょう。少なくとも、新卒終活にこけたらもう一生終わり的な価値観が強い今の日本社会は、日本人自身は自覚がないもののかなり異常な価値観だということに早く気付くべきでしょう。

 ぶっちゃけ、日本でいい就職できなければ海外行けばいいだけだろうと私も思っています。でも海外怖い、言葉出来ないという人もいるでしょうが、意外と行けばなんとかなるし、私自身もそんなにメンタル強い方だと思ってないけど日本国内にいる時よりも正気保っている自覚があります。

 まぁグダグダ書きましたが、一番日本人が「気にしてはならないもの」というのは実は「周囲の目」で間違いないんですけどね。そういう意味でも他人の目を気にせずに発言や行動を取れ、なおかつそこに一貫性があるのはほんと貴重な人材だと思います。兵庫県知事も他人の目を気にしませんが、あの人は発言が不規則に変わるから逆に一番排除すべきクズですけど。

2024年9月21日土曜日

日本の米不足に関して中国で流れていたデマ

 先日、「今はもう失われてしまったけど自分が大好きな日本語」として、同僚の中国人に「やばたにえん」という単語を教えていました。

 話は本題ですが前回記事でかねてから日本人学校について中国ではスパイ養成機関だというあほらしいデマが流れていることを紹介しましたが、これとは別に先月まで話題沸騰していた日本の米不足についても、実はデマが流れていました。勿体ぶらずに言うと、「日本は戦争準備し始めたから市場で米が不足し始めた」というものです。実際にこれは何人かの中国人にガチで聞かれたりしたデマです。みんな大卒というのが色々言いたくなってきます。

 結論から言うと現在も日本はどことも開戦してないし、市場にも米が普段通りに流通するようになり(価格はインフレしたが)、まともに取り合うような話ではなかったでしょう。そもそも本気で戦争準備するなら、米よりも石油や砲弾の備蓄が優先されるに決まっています。このほか国外にある航空機や船舶も、接収されないよう可能な限り日本に持ってこようとするでしょう。

 普通に考えればすぐデマだとわかるとにこれだから中国人は、と言いたいところですが、日本国内でもこの手の見ていて嫌になるくらいレベルの低いデマが流行することは少なくないため、あまり偉そうなことは言えません。このデマについて、それこそネットで情報を収集して検索すれば裏付けがないことなんてすぐわかるものの、逆にネットの情報に毒されてデマを信じる輩の方が現実には多いと言えるでしょう。

 この辺、学生時代にやろうと思ったけどやらなかった噂のメカニズムが、かつてとは異なるように感じます。ネットのなかった時代の噂は口伝の伝聞の中で生まれていきましたが、今はネット上で情報が拡散されるため、かつてならデマにかかりやすいけどデマ自体に触れなかった人々が、ネットでデマに触れて踊らされるというパターンが増えているように見えます。
 特に普段から人と接する機会が少なく、ネットリテラシーの低さもあってこうした根も葉もないデマを信じ込む高齢者が増えているとも聞きます。コロナの頃に関しても流言飛語があの時は非常に多く、現在も問題となっていますがツイッターがその辺をあまり規制せず野放しにするもんだから余計拡大しました。

 ちなみに自分が一番引っかかったデマと言えばドラクエ5で10ターン以内に倒すとエスタークが仲間になるというデマでした。子供の場合、願望に沿うデマだとつい信じちゃうところがあるなと思えてしまいます。
 また近い時代で言えば今度リメイクが発売されるロマサガ2について、陣形を増やしたり主人公の能力を引き上げるため皇帝になったばかりのキャラを一人でルドン高原に行かせて謀殺する、通称「ルドン送り」は誰に教えられたわけでもないのにやってました。デマとは違うけど、あれはなんかシンクロニシティを感じました。

2024年9月19日木曜日

深圳の日本人学校生徒殺害事件と日本人学校が狙われる背景


 すでに各所で大きく報じられている通り、昨日中国の広東省深圳市で日本人学校に通う男児が暴漢に刺され、治療の甲斐なく亡くなられました。大人の身勝手な行動で殺害された男児自身はもとより、そのご家族のことを思うと自分も不憫でならず、さすがに今朝亡くなられたニュースを見た際は大きく気が落ち込みました。

 中国での日本人学校生徒を狙う事件は今年6月にも江蘇省蘇州市で起きており、当時も事件発生当初に中国メディアは黙殺し、日本の外務省が発表して約1日間経過してから報じる有様でした。今回の事件も同様に、昨夜遅くになってようやく刺傷事件が起きたと報じたものの、FNNの記事にある通り一部のネットメディアを除けば、中国では男児が亡くなったことはまだ報じられていません。報道規制がかかっていると断言してもよく、明日には報じるのかがまた見物でしょう。

 中国側は今回の事件は頭のおかしな人間による通り魔的犯行で、特別な意味はないと主張していますが、ならなんで6月にも蘇州で襲撃事件が起きたのだと誰もが思うでしょう。もっとも蘇州の事件も親子をかばって亡くなられた中国人女性について大きく称賛する報道がなされた後は全く続報がなく、犯人が何故凶行に及んだのか、日本人を狙ったのかについてなどの捜査情報は全く公開されていません。今回の事件も言うまでもなく同じ経過をたどるとみられ、まぁこれでは対策のしようがないというか難しいでしょう。

 私の目から見て。日本の報道では日本人で、弱い子供を狙ったのではないかとか、不況で市中国国内に社会不安が増しているなどの推測が多く出ています。後者に関しては確かにその通りで、リストラされた人間が街中でよく見られるようになり、商業施設では空きテナントが増え、社会の空気が殺伐としてきているのをこのブログで書いている通りはっきり感じます。
 一方、前者に関してはちょっと違うのではという見方を持っています。日本人が狙われるのは反日教育の静だなどと色々報じられ知恵ますが、それが根底にあるのは認めるものの、本質的にはもっと表層の浅い部分のデマによる影響が大きいのではと勝手に見ています。

 実際の犯人の動機はわからないためこれも私の憶測に過ぎないのですが、かねてから中国では中国国内の日本人学校は中国におけるスパイ拠点で、あそこに通う日本人は校内でスパイとしての訓練を受けているというデマがまことしやかに流されています。
 そんな馬鹿々々しいデマをまともに受ける奴なんているのかと言いたいのですが、実際この噂について「これって本当?」って聞いてくる中国人が多くいたりします。感覚的には「嘘っぽいけど案外マジかもしれない」くらいな感覚ですが、中にはガチで信じ込んでいる人も一定数いると断言できます。

 っていうか「子供があんな整然と列を作って並べたりできるはずがない」というのがスパイ学校である主張として使われたりもするのですが、比較対象が悪すぎるでしょう。

 もっともこれに関しては日本の孔子学院がスパイ拠点だと主要する日本人も多くいるため、どっちもどっちという風に思っていますが。私個人の見方を述べれば、少なくともスパイとして捜査機関に摘発される、確たる証拠がない限りは結論を出すべきじゃないといったところです。でもって怪しいと思うなら、人に頼らず自分で調べろよと言いたいです。

 話を戻すと、あくまで憶測ですが日本人学校が狙われるのは上記のデマも影響しているのではという懸念が少しあります。仮にその通りであれば、中国政府がお得意の言論弾圧でこのデマを封じ込めればいいだけの話なのですが、福島の処理水に関して中国政府自体がデマを流している現状からすると望むのは難しいでしょう。そもそもこの処理水で中国政府が喧伝するデマも、ヘイト感情を高めており、こっちの方が原因としてでかいかもしれません。

 6月の蘇州の事件が起きた時、私はこういう襲撃事件は今後も相次ぐと思いました。ただ襲撃対象は絶対数で多い日本人成人になると思っていたものの、わずか3ヶ月後に再び小学生が襲われるとは予想せず、その間隔の短さもあってさすがにショックを覚えました。
 その上で、中国政府自身が社会でヘイトを高めるデマをまき散らしていることもあり、今後も日本人を含む外国人の襲撃事件は増えていきますが、行き着く際は中国人高富裕層へのヘイトになるとも見ています。実際、そうした高富裕層への不満がなんか爆発する直前のような雰囲気を感じており、前回といい今回の事件の中国政府の消極的な態度を見るにつけ、多分鎮めることはできない気がします。