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2026年4月4日土曜日

評価の逆転した徳川親子

 昨日書いた記事と内容が重なるのでついでに書くと、この20年間で徳川秀忠とと徳川家光の評価も大きく逆転してきている気がします。

 徳川秀忠は昔、大体90年代くらいまでは関ケ原の遅参などの影響もあり「典型的に無能な二台目」、「親の意向で将軍になれただけ」という評価が非常に強かった気がします。特に春日局が家康に直訴して家光を後継者に据えたという偽エピソードがまだ真実だと根強く認識されていたこともあり、後継車もまともに選べない人物のようにも描かれていました。また「影武者徳川家康」や「あずみ」をはじめ、権力奪取のために実の父である家康すらも暗殺しようとするギレン・ザビみたいな描かれ方も多くなされていました。

 しかし00年代に入ってきた辺りから、それまで家光の功績とされてきた事業のほとんどが秀忠時代に確立されていたという見方が広がり、その治世能力、特に幕藩体制を固めた点について評価が当たるようになってきます。反対に家光に関してはその業績が実は秀忠のものであり、家光自身はそれほど何か主導して達成した業績はほとんどないばかりか、あるとしてもそれは当時の幕閣がなしたもので家光としてのリーダーシップはあまりなかったという評価へとどんどん下がっていきました。
 また家光時代の幕閣に関しても、土井利勝をはじめ秀忠時代に育てられた遺臣が多く、知恵伊豆こと島原の乱を鎮圧した松平信綱こそ家光の小姓出身ですが、家光時代の側近に関しても秀忠の功績とみる向きが広がっています。

 逆を言えば後藤新平じゃないですが、人材を残したという点で秀忠の功績は素晴らしいと私自身も感じます。

 こんな感じで株が下がりっぱなしの家光ですが、この10年くらいに別な意味で評価が高まってきています。

兎図(Wikipedia)

 近年公開され始めてきましたが、家光自身は意外と絵が趣味で結構残しているものの、その公開される絵がどれも「(;´・ω・)?」というようなものが多かったりします。いわゆる「ヘタウマ」系と評価されており、このところ呼ばれるあだ名も「画伯」で、将軍としてよりもヘタウマ画家としてなんか評価が爆上がりしています。
 っていうか「画伯」って最近、もはや蔑称として使われることのが多い……。

 自分の目から見ると、何となくヘタウマ系の代表とされる吉田戦車氏っぽい雰囲気を感じます。カワウソの絵とか残っていたらめっちゃそっくりかもしれません。

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