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2010年12月26日日曜日

この週末の過ごし方

 昨日今日は中国に来て二回目の週末でしたが、まだ生活が安定していないのとのんびり過ごしたかったのとであまり家から離れずに過ごしました。

 まず昨日は早朝八時に家を出て先週に買った380元(約4,560円)の自転車でサイクリングに出かけました。走った距離は土地勘もないためにいまいちはっきりしませんが大体15キロ前後で、買った自転車性能を試す意味で走ってみたのですが結果はあまり芳しいものではありませんでした。

 一応中国の自転車メーカー(風鳳自行車)純正だと言われて買ったのですがまずギアがほとんど噛み合っておらず、前輪三段後輪七段であるものの前輪ギアは動かすとカタカタ鳴りだしてなかなか噛まず、後輪は多少は融通が利くもののペダル一回転ではギアが変わらず、三、四回転してから突然ガチャンと比較的強い衝撃とともに変わるので乗ってて非常に怖いです。多分普通の人と比べても私は自転車のギアを変える回数が明らかに多いのですが、この自転車ではそうそう変えてたら絶対にすっ転びます。しかもその後輪七段のギアのうち感覚的には表示は変わってもペダルの重さが変わらないギア段があり、実質三段くらいしか変速できません。
 こうしたギアの不調に加えてハンドルのパイプがきちんとフレームにはまっていないのか、ブレーキの度にハンドルが前のめりに少し動いては「ガッ」って金属がぶつかる音がします。動くといっても本当にミリ以下ではありますが乗ってると結構気になるし、故障の原因になるならなるでかまわないけど乗っている時に折れたらすごく嫌です。

 あと私にとって致命的だったのは、サドルを限界ギリギリまで上げたにもかかわらず私の体幹に合わずペダルを強く漕げない点です。手首足首がリアルに女性並みに細く(骨自体が細い)てお世辞にも体格には恵まれなかった私ですが、こと背筋に関しては子供の頃から群を抜いててこれだけは明らかに恵まれていました。その背筋を自転車を漕ぐ際に使う場合、自転車のサイズ(サドルからペダルの距離)と体が合うか合わないかでその使える範囲が大きく変わってくるのですが、比較的小柄な私にも関わらず今回買った自転車はやや小さ過ぎた気がします。自転車屋を眺めていた際にも思いましたがどうもこちらの自転車は全体的に小さいサイズが多く、その中で大きめのサイズを選んだつもりでしたがこれでもだめだったようです。通常ならそれほど苦労せずに時速30キロ以上の速度を出せるのですが、立ち漕ぎすれば無理じゃないけど全然スピードが出ない……。
 まぁ文句ばかり言ってもしょうがないので三ヶ月くらいは我慢して乗るとして、それ以降はもっと高くていいやつに乗り換えようかなと早くも検討中です。唯一褒める点があれば、ブレーキだけは利きがいいです。ほんとこれだけだけど、こんな自転車にブランドつけるあたりはさすが中国だな。

 と、自転車の話ばかりしてもしょうがないのでここらでやめて、そんな風にしてひとしきり走った後はちょっと優雅にケンタッキーで軽食を取り、そのまま近くのショッピングセンターに行って200元(約2,400円)の三洋製炊飯器を買いました。普段の食事は基本的に外食なのでそれほど必要でもないのですが、一応炊飯器があれば米をたいて小原がすいたときにおにぎりが食べられると考えて思い切って買うことにしました。ちなみにこのほか日本製ではパナソニック製も売ってましたが値段はどれも700元(約8,400円)を下らず、中国国内メーカーで最低価格が100元(1,200円)のと比べるとやはり割高でした。
 で、今度からブランド自体なくなる三洋の炊飯器ですが、敢えて規定されている水の量で炊いたところどうもパサパサした感じに炊き上がりました。米自体が中国米なのでその特性かもしれませんが、どうも日本と比べて水の量が少なめに規定されている気がするので今度はもう少し多めに入れて炊いてみようと計画中です。

 土曜日はその後だらだらとネット見たりPSPしたりして過ごしましたが、今回中国に持ってきたPSPソフトの「ガンダム バトルユニバース」が非常に面白くて助かっています。正直に言ってこんなゲームが存在したのかというくらいに面白くて、この感動は初めてPS2で「真・三国無双」をやった時以来です。

 そうして今日の日曜日。今朝はゆっくり起きて部屋の掃除などを午前中に行い、早めの昼食の後の正午ごろに家を出てまた自転車で近くの市場に向かいました。中国には築地みたいな市場があちこちにあって、屋根つきの広い建物の中で違法DVDやら服やら鞄やらそれぞれ様々なものを売る露天商が集まっています。
 今回私がそんな市場に行って探したのは掛け布団の下に使うような毛布で、近くのショッピングセンターにちょうどいい感じの毛布が売ってないので怪しい所だけどわざわざ探しに来たわけです。結果から言うと意外とちゃんとしたものを売っているおばちゃんがいて、180元のところを170元(2,040円)まで交渉して一枚の毛布を買いました。家で広げてちょっと横になった感じは悪くなく、値段的にも納得の金額ですが土曜の炊飯器といいちょっとお金を使い過ぎているような気がします。

 毛布を買ってきた後はちょっと買い物をしておにぎり用の塩を買い、家でごろごろした後の夕食は粗食で行こうとご飯一合のおにぎりのみを食べました。そうしてブログを書く今に至るわけですが、日記くらいでこんなみっちり書くものかとちょっと思います。

2010年12月25日土曜日

中国人は漢民族なのか?

 このところブログのタイトルを何にするか考える時間が増えておりますが、今回もまた考えるだけあって珍妙なタイトルになったと思います。恐らく大半の方は一見して、「何を当たり前のことを?」という具合に思ったのでは。

 現在の中国は多民族国家ではありますがその中で主要民族として一番力を持っているのは漢民族です。漢民族とは黄河流域に端を発する民族で、古代にて栄えた中国統一王朝の漢という国からその民族名が付き、何度か異民族の侵略を受け支配された歴史もありますが長きに渡ってこの地域に住み続けて現在の中国人口でも90%以上が漢民族とされます。それゆえに一般的にも中国人=漢民族という図式が浸透しており、メディアなどでもそのように扱われます。

 そんな当たり前の事実に何故今回私は疑問符をつけたのかですが、勘違いされないように先に言っておくと血統的には現在の漢民族は地域によって多少の混血がなされているとはいえ間違いなく歴史上の漢民族と同一民族です。今回私が言いたいのはそういった血統上の漢民族ではなく、文化という点で現在と過去の漢民族とで連続性があるかということです。

 漢民族の文化と聞いて一般的にもすぐ浮かんでくるのはこの文章でも数多く使用している漢字でしょう。この漢字は東アジア文化圏にて広く伝播しましたが現在でも使用しているのは日本、中国、台湾だけで、しかも日本は一部、中国は大半の文字を簡略化したために比較的オリジナル性を保っているのはもはや繁体字を使用している台湾位となっております。
 中国は早い時期からこの漢字という文字を持つ優越からかなり初期の時代よりさまざまな思想書、書道、文学といったものを作り、また科学的な研究も火薬や紙の発明や実用を行うなどあらゆる点で強い文化を持っておりました。

 それゆえに私の目からすると歴史上の漢民族は旺盛な好奇心と新奇性、独自性を持っていたように思えるのですが、翻って現在の漢民族こと中国人を見ていると厳しい言い方になりますがそのような性格がほとんど見られません。以前のブログの「陽月秘話」にても書きましたが日本の高度経済成長期と比して中国はすでに世界第二位の経済力を持つに至ったものの未だに中国発で世界に浸透し標準化した規格や発明、ブランドといったものはなく、その圧倒的に大きな市場を持つにもかかわらずついぞグローバルスタンダードへ昇華したチャイナスタンダードはありません。
 それどころか、日本もかつては「猿真似野郎」とアメリカさんから散々言われた時代もありましたが、今に始まるわけじゃありませんが中国は諸外国のブランドや技術を勝手に盗用、コピーをし続け、しかも日本のように「本物を越えるコピー」を作るのではなくあくまで「劣化コピー」を作り続けております。しかもその劣化様がデザインが妙に崩れたりとわざとやってるのかと言いたくなるような劣化ぶりだし。

 かつて東アジア諸国に漢字を広く伝播させたのと比べると現在の中国人は文化発信力というか、創造力などの点で本当に同じ民族かと疑いたくなるくらい差があります。しかも私が今の中国人を見ていて信じられないというか呆れる点として、パクッたものを堂々と自分が作ったなどとオリジナルを主張する点です。
 先日の四川省の遊園地に現れたガンダム騒動といい、パクッたところで本当に商売になるか怪しいもので且つ中国人同士でもはっきりとどこかからのパクリだとわかるものすらオリジナルだと主張する人が後を絶ちません。確かに中国人はいっぱいいるんだから中には変な人も少なからずいるのは仕方のないことでしょうが、妙なところでプライドが高いくせに人の物を盗んで恥ずかしいと思わないというのは歴史上の中国人と比べると隔世の感があります。

 一体どうしてこれほどまでに今と昔の漢民族で違いがあるのかといえば、結論を言うと原因は間違いなく文化大革命です。文化大革命については「陽月秘話」内で私も必死に解説しましたが、文化大革命によってシャレや冗談抜きでそれ以前の中国文化を継承してきた人の大半が根絶されたことからそれまでの中国文化の積み重ねや土台はすべて崩されました。しかも中国は先にも述べた通りに漢字を日本以上に簡略化したことで、日本もあまり言えた義理ではありませんが自国の古典を個人の力で読むことは不可能となって、この点でも文化の継承が出来なくなっています。

 以上のような考察から私は文化大革命以前と以後で、血統的には同じ漢民族でも文化的には全く別の民族として扱うべきだと考えています。しかもまだ文化大革命以前の時代を知る人間がいる今ならともかく、現代の若者のように全くその時代の空気を吸ったことがない世代が大半を占めるようになればますますこの傾向に拍車がかかることでしょう。そういう意味では現代中国人の行動や思考を読むのに昔の文献とかはあまり役に立たず、比較的新しい時代の自分ら社会学士や社会学者の研究や論文のが有用かもしれません。新しい論文は玉石混合だけど。

 最後に今回の逆説として、日本人は日本人なのかという問いについて少し書いておきます。これ一つで記事書いても面白いトピックですが現代日本史で一番大きな転換期は言うまでもなく終戦によるGHQ統治で、当時の議論とか坂口安吾や三島由紀夫の話を聞くに付け日本人は悪い意味で変わってしまったと当時の言論人や学者は考えたようですが、あくまで現代の若者として私の意見を言うと明治から昭和前期までの日本人こそがそれまでの日本の歴史上で異端であったように思います。かえって現代の日本人は明治や大正期よりも、時代は離れていますが江戸時代の日本人の方が近いのではないかと考えています。ま、江戸っ子文化は関東大震災でなくなったそうですけど。

2010年12月23日木曜日

郵政国営化見送りと嵐の前の正月

 2005年の小泉政権時、俗に言う「郵政選挙」にて大勝した自民党は郵政公社を民営化する郵政民営化法案を可決させました。これによって国の機関の一部であった郵政は計画通りならば数年後には株式公開によって完全民営化が果たされることとなったわけですが、小泉政権を引き継いだ安倍、福田、麻生政権はこの民営化に逆行する政策を採り(麻生元首相にいたっては在任中に民営化に反対だったと公言までした)、去年民主党が政権交代を果たすと元々郵政民営化に反対していた国民新党と連立を組んだことにより民営化は完全に見直しを図られることとなりました。

 そもそもの話をすると民主党は2000年代初頭は民営化に肯定的な立場を取っており、郵政選挙の際も小泉政権の計画では完全に民営化できないと逆の意味で批判がされていました。それが政権交代後に立場をひっくり返したのはほかならぬ国民新党との連立以外に理由はないのですが、当時の鳩山前首相はこの郵政民営化見直し、というよりも事実上の郵政再国営化にやけに乗り気で今年の通常国会で法案を可決させようと随分意欲的に活動していたように思えます。

 しかしここで大きなハプニングが起きます。法案提出間近といわれた通常国会終盤で鳩山前首相が突然の辞意を表明し、民主党内で党首選挙が行われることとなったのです。結局その党首選挙は菅首相が勝って今に至るわけですが、菅首相は当初、この郵政民営か見直し法案を選挙前の通常国会前に提出して可決させると国民新党の亀井代表に約束しておりました。しかし結論を言えばその国会内では法案は提出されず、菅首相は参議院選挙を控えて会期がほとんど残されていなかったということを理由に挙げた上で選挙後の臨時国会では必ず可決させると国民新党に約束しました。

 ちょっと前置きが長くなりましたがそのような過程を経て現在に至るものの、結局その臨時国会でも法案は提出されず菅首相は国民新党への約束を事実上ないがしろにしました。この菅首相の郵政国営化に対する姿勢について私の意見を述べると、実によくやってくれたと声を大にして誉めてあげたいです。
 私の郵政に対する意見は前のブログの「陽月秘話」で散々書いたのでここにはもう書きませんが、基本的には電子メールの発達した今の時代で郵便事業は不良債権となるよりほかがなく、早めに民営化などで切り離し、後々の禍根を絶っておくべきだとして民営化に賛成です。

 そんな郵政民営化の現在の状況についてだけなら誰でも解説できるので今日この記事でトピックとして挙げたいのは、一体どうして菅首相は国営化を推進しなかったのかということです。
 いくつか考えられる理由がありますが、まず第一に菅首相自身が初めから民営化に対して賛成でなかったという説です。これは本人でないとなかなか推し量れないのですが、仮にそうだとしたらなかなかに菅首相は寝業師だと評価することができます。何故かというとすでに述べたように菅首相は就任自から国民新党に法案の可決を約束しており、やる気もないくせにこのような秋風を送ったというのは国民新党との連立を維持するための空約束だったということになるからです。日常生活で嘘をつく人間はいろいろと迷惑ですが政治上ではある程度こういった駆け引きが要求されるので、「アホ菅」と言われながらも意外にやる時はやるもんだと評価することができます。

 ただ私としてはこの「初めから反対説」ではなく、「途中でやる気をなくした説」のが可能性が高いと考えています。
 元々郵政民営化見直しは国民新党の案で民主党内の議員もそれほど積極的ではありませんでした。加えて前回参議院選挙の結果から国民新党との連立の必要性も薄れており、ほかの法案の審議時間を削ってでも何が何でも通す必要性は小さくなっていました。また菅首相のほうも参議院選挙後はAPECやら中国漁船衝突事件などがあって余り関りたくなかったのかもしれません。

 ただそうした政権内の問題以上にこの問題に一番影響を与えたと私が見ているのは、夏に起きたお歳暮が遅配事件ではないかと思います。覚えている人には話が早いのですが今年夏のお歳暮シーズンを前に郵政とペリカン便が今後連携を取るにあたって集配システムを統合したのですが、新システムの訓練もままならないままに押し切ってやってしまったようでその時期に大量に流れてきたお歳暮の配達処理がままならず全国各地で遅配、誤配が相次いで起きました。
 ちょうどうちのお袋もこの時期にワインを通販で購入していたのですが、案の定配達が指定日から数日遅れて届きました。ただうちはまだワインだったので遅配してもそれほど影響はありませんでしたが、生ものとか冷凍品の場合は腐ってたり解凍された状態で届けられたらしく被害に遭った人のことを考えると不憫な気がしてなりません。

 ペリカン便との統合は郵政が多角化をせず単独でもやっていくためという目的で実施されたわけですが、かえって郵政の郵便宅配システムの信頼を落とすこととにしかなりませんでした。この事件を見て多分私以外にも、民営化から国営化にまた舵を振り戻したからこうなったのではと考える人もいたのではないかと思います。少なくとも民営化法案が可決してから数年間、このような遅配はなかったのだし。

 こうした混乱を受けて民主党内では郵政に関しては手を触れないでおこうという認識が出来、菅首相の空約束につながったのではないかと考えているわけです。私としても再度国営化なんてされるべきではないと考えているのでこのような民主党の姿勢は歓迎しているわけですが、今度のこの郵政の試金石となるのは日本で一番郵送物が集中する正月だと見ています。別に民営化される以前から年賀状の誤配などがいつも起きるこの時期に果たして今の郵政がどれだけ対応できるのか、少なくとも年末のこのお歳暮シーズンは何とか乗り切っているようですが郵政の今後を考える上で非常に重要な正月となることでしょう。


  おまけ
 私が高校二年生だった頃、たまにはふざけた年賀状を作ろうとゲームで使われたある画像のみをはがき裏に印刷して友人らに出しました。その年賀状に使った画像というのはひげを生やした変な首だけの妖怪が中央にいるのを筆頭に、背景には鬼とか人魂とかが写っているというゴーストチックなインパクトの強い画像でしたが、冬休み明けに学校に行くと各家庭でそこそこ話題になっていたようで、「あの年賀状を出した奴」でしばらく通用したそうです。

2010年12月22日水曜日

伊能忠敬と勉強を始める年齢

 昔テレビ番組にてタレントのタモリが、「一番好きな歴史上の人物は?」という質問に対し伊能忠敬の名前をあげたのを見てやっぱりこの人は通な人なんだなぁと感じたことがあります。

 伊能忠敬については知っている方も多いと思いますが、日本中を歩き回って衛星写真はおろか航空写真すらない当時にして非常に正確な日本地図である「大日本沿海輿地図」を作成した人物です。この地図はかのシーボルトが出国の際に持ち出したことで国外追放処分を受けることとなった因縁の地図でもあるのですが、シーボルトが持ち出したものを(恐らく写本となって)回りまわって日本に開国を求めてきたペリーも持参してきており、Wikipediaの記述によるとペリーはこの地図を大まかな見取り図かと思っていたら海岸線の距離など余りにも精確であったために驚いたそうで、日本は侮るべからずと心胆寒からしめたというほどの出来だったそうです。

 そんなすごい地図を作った伊能忠敬ですが、彼は始めから測量を行う役人はおろか地図作りに関して専門的な教育を受けていた人物ではありませんでした。彼は村の名主の生まれではありますが若い頃は商人として生き、店を息子に譲って隠居してから江戸に出て本格的に勉強を始めたのですがそのときの年齢は実に五十歳で、当時の平均寿命といってももいい年齢でありました。地図作りが始まったのは勉強開始から六年後の五十六歳からですがいい年しながら実に健脚この上なく、最終的に地図は彼の没後に弟子が完成させるのですが地図作成までに彼が歩いた距離は地球を数周するほどだったそうです。

 私がこの伊能忠敬のエピソードで一番よく使うのは、学問を始めるのに年齢は関係ないということを説明する際です。確かに伊能忠敬が相当頭のいい人だったというのは間違いないでしょうが、それにしたって一般的には物忘れが激しくなりだす五十歳から勉強を始めてこれほどの偉業を達成できたということは注目に値し、やり始めるのに年齢は関係ないということを強く示す例でしょう。また伊能忠敬に限らず、ある程度年齢がいってから勉強を始めてすごい記録や偉業を打ち立てた人はほかにもいます。

 ちょっと検索をかけてみたらあっさり見つかって話は早いのですが、あの小中学生が妙に競い合う円周率の暗誦において世界一位の人物はほかならぬ日本人で、下記サイトの運営者です。

円周率πの達人 原口證

 その世界記録である原口氏の暗誦数は101,031桁という途方もないものですが、私は以前にこの原口氏の暗誦記録挑戦のエピソードを読んだことがありました。そのエピソードによると原口氏はある日新聞を読んでいると海外で円周率を五千桁まで暗誦して世界記録を作ったという人のニュースを読み、「向こうが五千桁なら五万桁に挑戦してみよう」と考えたそうです。
 原口氏は確か二十歳か三十歳かの頃に記憶力が落ちてきていると感じてそれから記憶力を高める練習をやり始めたのですが、その五万桁暗誦挑戦時は確か四十歳をとうに過ぎていながらも、居並ぶ記録証明人らの前で一回だけ詰まったものの、見事五万桁を正確に暗証して見せたそうです。知らないうちに十万桁まで達成してたようだけど。

 この原口氏ともう一人、私がよくこの手の話で引用する人物ですが、生憎こちらは名前を失念してしまったのですがある樹木医の方です。その方はかねてから朽ち果てそうな樹木を再生するような仕事をしたいと考えており、定年の60歳まで働いた後から植物について勉強を始め、その後逝去するまでの間に数百本の樹木の再生を行ったそうです。再生した樹木は主に寺社や仏閣などにある大木なのですが、その中には触るとたたりが下るという平家関連の樹木もあったそうですが、さすがに平家の落ち武者もお医者さんには手を出さなかったようでたたりはなかったそうです。

 うちのお袋なんかはよく、「若い頃は何だって覚えられたのに」とパソコンの操作を私に聞く時にぼやいたりするのですがその度に私は、「お袋が若い時ほど物を覚えようという気力がないだけで、年齢のせいにするな」と厳しく言い含めています。
 上記に上げた三者のエピソードといい、また自分の体験談からといい、年齢とともに物覚えが悪くなるというのは肉体の衰え異常に学ぼうという気力の衰えが原因だと私は思います。年をとっても自分の興味のあるものはすぐ覚えられますし、若い頃はなんだって覚えられたというのは学校というある種勉強を強制する機関があるからこそでしょう。

 これは逆に言えば学問を始めるのに年齢は関係ないということです。物を始めるのに遅すぎるという年齢はなく、やる気さえあればこと学問に関しては私は何とかなると思います。
 最近は不況の影響か生涯学習という言葉が余り聴かれなくなりましたが、私は日本において本来大学に行くべき年齢はある程度社会経験を経た三十歳くらいの方々だという気がします。理想は高校卒業から数年間働いてから行くべきだと思いますが、紋切り型新卒一括採用の今の日本では難しいでしょう。

2010年12月19日日曜日

サイト移転のお知らせ

毎度、陽月秘話をご贔屓いただき、誠にありがとうございます。この度管理人
が中国に長期滞在することとなり、中国からではこのサイトにアクセスができず
更新もままならないために今後は下記サイトにて更新を行うことにしました。

移転先サイト:陽月秘抄
http://blog.goo.ne.jp/miyamakikai

陽月秘話をお気に入りに登録されている方は、誠にご面倒ではありますが上記
アドレスに変更を行っていただくようお願いします。今後とも、陽月秘話改め陽
月秘抄をよろしくご閲覧のほどお願いします。

2010年12月11日土曜日

今日漫画喫茶で読んだ漫画

 今日は朝早くから漫画喫茶に行って来ました。目当ては「スティールボールラン」の最新刊と先日最終巻が出た「鋼の錬金術師」で、本当はコーヒーのうまい別の漫画喫茶に行きたかったのですがその店はこのところ店長の体調不良でやってないので、本当にシャレにならないくらいまずいコーヒーを出す所に行きました。それでも飲んだけど。

 それで読んだ感想ですが、「スティールボールラン」もほとんど終わりに近くて前刊から迫真の戦闘シーンが続いていて非常に面白く、この刊に限るわけじゃないですがジョジョシリーズは戦闘の最中にちょこっとエピソードじみた話を入れるのがうまく、今回もそれが強く印象に残っています。

 もう片っ方の「鋼の錬金術師」については説明するまでもない近年、というより2000~2009年代の漫画における最大ヒット作といっていい作品ですが、最終巻はどんな結末になるかとこちらも楽しませて読ませてもらいました。詳しい内容についてはネタバレになってしまうと良くないので言いませんが、この作品についていいたいことというかなんというか、なんでも作者の荒川弘氏はこの漫画の連載中に普通に妊娠、出産を経験しているらしいのですが、他の雑誌でも連載を掛け持ちしているにもかかわらず一切休まずに連載を続けたそうです。

 荒川氏だけならこの人が相当すごい人だで終わるのですが私が贔屓にしていて、荒川氏と同様に他の雑誌の掛け持ち連載をしている楠桂氏も同じスクウェアエニックス発行の雑誌で連載中に妊娠、出産をしており、恐らく本人らも編集部と話はしているでしょうが、この出版社はもう少し作家の体調管理を考えてやれよと言いたいです。

2010年12月10日金曜日

鹿児島夫婦強殺事件での無罪判決について

 今日はいろいろ書かなくちゃいけないのに、つい先ほどに私が愛読している「ノノノノ」という漫画が打ち切られていたという事実を知ってかなりしょげています。何もブログ書く前に知ることになるなんて……。

・<鹿児島夫婦強殺>「疑わしきは被告の利益に」 原則貫き(毎日新聞)

 今日取り上げるニュースは上記リンクの、鹿児島県鹿児島市で夫婦が殺害された事件で犯人として捕まり検察から死刑が求刑された白浜政広被告に対し、裁判員裁判にて無罪判決が下りたという事件についてです。

 事件詳細については他の記事に譲りますがこの事件における警察の捜査、検察の立件の仕方に対しては疑問を感じざるを得ません。警察がどうして白浜氏を犯人として捕まったのかというと犯行現場から白浜氏のDNAが網戸から、指紋がタンスから見つかったからだと主張していますが、網戸のDNAについてはすでに試料を使い切っているので再鑑定できないとしており、タンスについていた指紋というのもよくよく調べてみるとタンスそのものではなく、タンスの中に入ってあった封筒一枚についていたものだったようです。
 また警察は今回の事件を金に困った白浜氏が金銭目的で強盗に入ったと動機を説明していますが、タンス自体は荒らされていたにもかかわらず現金や通帳には一切手がつけられておらず、先ほど述べたように封筒にだけ指紋がついているというなにやら腑に落ちない点も少なくありません。指紋についてはこのほか凶器とされたスコップにもついておらず、夫婦を殺害する際に手袋などをつけて指紋を残さなかったとしたら、その後タンスを開ける際に手袋を脱ぐとは考え難いと裁判員からも指摘されております。

 そして極めつけが犯行現場に数多く残されていたという靴跡で、白浜被告の所持していた靴とは全く違う靴底だったようです。もちろん犯行用に使用して使用後は処分したとも考えられますが、それでもその場合は入手経路などを辿る事も不可能でなく、この点についてなんら言及をしなかった鹿児島県警は一体どんな捜査をしたのかという気がします。さらにはこれだけ曖昧な点、はっきりと証明され切っていない点があるにもかかわらず、いわば取り返しがつかなくなる恐れのある死刑を求刑した検察にも頭を傾げざるを得ません。ついこの前にDNA鑑定の結果のみに頼った挙句冤罪を作ってしまった足利事件が出たにも関わらずどうしてこれほどまで強気で来たのか、時代遅れも甚だしいでしょう。

 過去を穿り返すと鹿児島県警は以前にも志布志事件といって、初めから冤罪だとわかっていた一般市民らに対して暴言や脅迫を行って選挙法違反の自白を強要するという呆れた事件を起こしています。私も鹿児島に生まれた人間の一人であるためにもうこういうことは会って欲しくないと陰ながら願っていましたが、群馬県警、栃木県警、神奈川県警、大阪府警、北海道警らと同じで、不祥事を起こすところは何度でも起こすものです。

 最後に、仮にこの裁判が裁判員裁判でなかったら、以前までの裁判だったらと考えた場合、私は死刑とはならずとも無期懲役刑が判決されていた可能性が高いと考えております。裁判員裁判や足利事件、そしてつい最近の厚生労働省の村木氏の裁判の影響から、日本の刑事裁判はここ一、二年で劇的に変化が起きています。私としてはこの変化を大いに歓迎しており、今回の無罪判決も報道を聞く限りで支持する次第であります。