2018年2月28日水曜日

天津飯ネタの裏舞台

日本にしかない「中華料理」、中国人はどう思う?
和食にも必要な「おいしければそれでいい」の大らかさ(JBpress)

 前略、今日上の記事が配信されました。そこそこ当たっているようで、過去に書いた中国と料理に関する関連記事のアクセスも好調で、現時点でJBpressのアクセスランキング一位から三位を独占しちゃってます。記事内容については非常に平和的でシンプルかつストレートなもので特に解説はいりませんが、この記事を書くに至った過程は紹介するに足るので、その辺について少し書いていきます。
 最初に断っておくと、この記事に書かれた要素は時系列的には実は完全にバラバラです。最初から「日本初の中華料理」というテーマで記事を書く予定はなく、なんとなくイベントが重なった成り行きから書いてみたら当たったというのが実情です。

 この記事で書いている内容で一番最初に得られたトピックというのは、実は中盤の中国人の知人へのインタビューでした。先にも書いた通りに当初、このテーマで記事を書く予定なんかなく意図的に尋ねたわけではなかったのですが、友人らと集まって広東料理屋で食事している際、「日本には天津には存在しない天津料理がある」と冗談めかして自分が言ったことがきっかけでした。
 日本に留学経験のある友人とともに天津飯がどんな料理かを説明し、ほかにも中華丼とか冷やし中華とか、誰もが由来は知らないけど中国人の知らない中華料理が日本で生まれていることを話し、その際に得た反応を今回の記事に反映することとしました。

 この友人との食事会があってから約二週間後、最近通い始めた日本料理屋で見た番組というのが記事冒頭で書いてある日本のグルメレポート番組でした。時間帯は昼過ぎで客も少なく、お店の奥さんと何故か二人してテレビ見ていて、「こんなの食べたことある?」などと言い合ったことからその場で話し込んでいきました。
 その奥さんは飲食店関係者なだけにやはり料理関連の話題に詳しく、同じ日系メーカーであっても日本売られる醤油と中国で売られる醤油は微妙に味付けが異なるなどいろいろ教わり、食べ終わって店を出てお菓子用にピザパン買って自転車に乗ったところで、「このネタ、前の友人らの反応と組み合わせれば使えるかもな。前にもあんな記事書いたし」という考えがよぎりました。

上海の洋食事情

 「あんな記事」とは上の記事のことです。この記事は私の友人がネタ振りした記事でしたが、異文化間の料理事情に関心の強い友人なだけに、日中間の中華料理事情などはいかにも彼が喜びそうなネタだと思い、他の人にも一定層受けるかもなぁと思い始めて、JBpress用の記事としても検討し始めました。
 ただこの時点では調味料の味付けの違いとか、食材や調理法の違いなどややディープな、悪く言えば友人受けしそうな内容で記事を書こうかと考えていました。先ほどの奥さんに話を聞けばまだまだ出てくるだろうし、それなら文字数的にも足りるなと算盤を弾いてました。

 こうした記事構想を今度は冷凍たこ焼き好きの友人に「次はこんなの考えている」と話したところ、「そんなもんじゃJBpressの読者はきっと満足しないぞ!(#゚Д゚)ゴルァ!!」と言って、今回の記事結論部に書いた「ぶっこみジャパニーズ」への批判や農林水産省の海外の和食調理師認定制度などを教えて来た、もとい入れ知恵してきました。ここだけの話、件の「ぶっこみジャパニーズ」を私は見ていません。
 ただこうした視点や考え、そして懸念は私も以前から感じていたものであり、確かに結論として持っていくのなら和風中華料理を全く気にする素振りのない中国人の対比として悪くないと思え、そのまま友人の意見通りに結論を書くことにしました。ドラフトが出来上がった際に先にこの友人へ見せたところ、自分の思想が反映されたこともあってか「今までの君の記事の中で最高傑作だ!( ;∀;) 」等と、気味悪いくらい絶賛されました。

 書き上げた際の私の感想はというと、内容が身近で込み入ったものでないことから非常にスムーズに書け、話題の移り変わりが非常に自然だから文字数の割に読み手もサラサラ読めるだろうなというような印象を覚えていました。ただ割とありふれた身近なネタであり、また意図的にミスリードを起こさせる煽るようなネタはないことから、果たしてアクセスが伸びるかについては正直やや不安でした。
 なお私の作った見出しは「日本発?中国人の知らない中華料理 中国人曰く、『おいしければそれでいい』」でした。結構苦しみながら作った見出しで、「もう孔明っぽく中国人曰くでいいやっ」とばかりにつけました。

 このように、今回の記事の要素である「中国人の知らない日本料理」、「それに対する中国人の反応」、「和食とともに考える食の寛容性」の三つは意図的に集めたものではなく、割と時系列も入手先もバラバラで、なんか偶然同じ時期に転がってきたから記事として一つにまとまったという偶然の産物だったりします。仮に上海の洋食記事に関する友人のネタ振りを含めどれか一つでも欠けていたら記事を書いていなかったろうし、書いていたとしても記事内容は大きく変わっていた可能性があります。そう思うとなかなか書くまでの過程が特殊だった記事のように思えてきます。

 さて最初に内容については書くことはないと書きましたが、記事につけられたコメントに関連する箇所については少し補足しようと思います。
 まず今回の記事で一番コメントが多く集まった箇所というのは、

「中国の料理をベースに日本人が発明した料理を『中華料理』と呼ぶことについては、『ちゃんと中華料理に敬意を払ってくれているような気がする。なにより、どこかの国みたいに中華料理も自分の国が発祥だなんて言わないのがいい』との感想を洩らしていました。」

 まず間違いなく上の部分でしょう。この箇所について少し補足すると、私が言わせた訳でもなければ言うように誘導したわけでもありません。私自身も普通に話をしていて急にこんな発言が知人から出てきてびっくりしたとともに、「おいしいコメントやな」と思っていつかどこかで使おうと心に刻み込みました。今回うまく消化できたのですっきりです。
 なお少し真面目な話をしておくと、このような見方をする中国人は確かに存在し、また私から見てその人数も少なくないということを日本にいる人にも伝えようという考えもあっての記述です。

 次に、これはもうダイレクトにコメント引っ張ります。


oxf*****

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百度で検索してみたら、ちゃんと天津飯の説明出てきますよ。記事を書くならちゃんと自分の話に責任を持ってくださいね 

 このコメントを見た時、飛び上がらんばかりにうれしかったです。というのも、完全に予測通りのコメントが得られた上、うまいこと罠にかかったと考えられたからです。もうこのコメントがあったかなかったで、今日の私の幸福係数は一味違いました。

 ここに出てくる天津飯とは料理ではなく、例の三つ目で気功砲を放つアイツです。記事中でまさに上の発言をした知人に天津飯を説明する際に検索したらアイツしか出てこなかったというエピソードを書いていますが、この箇所を書いている時、こういうコメント書く人がきっと出てくるだろうなと予想していました。というのも「百度」で文字検索すると確かに料理の天津飯の中国語解説ページが上に出てくるのですが、先ほどの私と友人が行った検索というのはあくまで画像検索です。
 行動説明的には「検索」とはしょって書いても問題ないけど、絶対こういう無駄なツッコミ入れて優越感に浸ろうとする人が出てくるだろうから、逆にきちんと記事を読んでいないという晒し者にするため、意図的に「『天津飯』と入力して画像検索をかけたところ」という文言を、なるべく目立たないようカギ括弧まみれの文章の中に潜り込ませておきました

 なお、一応証拠として実際に百度に「天津飯」で画像検索をかけると、


 こんな盛り沢山な画像が展開されます。天津飯のこと説明しようと友人と一緒にスマホで検索かけたらいきなりこんなの出てきて、二人してマジ爆笑していました。

2018年2月26日月曜日

関西地域における人材流出

 先日、関西出身の後輩に対し、「関西地方ほど人材の流出が激しい地域はない」ということを話しました。具体的な内容とは、大阪を中心とした関西は人口も多くそれなりに優秀な人材も輩出しているが、残念ながらその優秀な人材は大半が東京など関東へ移動し、下手すれば海外に出て行ってしまう傾向があり、結果的にクズみたいな人材が沈殿するかのように残ってしまっている、という話でした。
 主な沈殿先は大阪市役所を始めとする官公庁で、その理由としては「関西から出たくない」という理由からこうしたところ就職先として選ぶ傾向からです。その上でどうして人材流出が起こるのかというと、単純に政治や経済の中心が東京に集中していることと、大阪を本社とする大企業がほとんどいなくなるか、かつて本社とした企業も東京へ移っていることが一番大きいと説明しました。

 上記の内容は何も私の意見というわけではなく、実をいうと名古屋に左遷されたうちの親父の聞きかじりです。ただ言っている内容には私も同感するとともに、実際に関西地方で就職活動したりして現地で働いている人とか見る限りだと、あながち的外れな意見ではないなと実感することが多かったです。特に一番違和感を持った点として、話す内容に「東京とは違う」とその差を強調することが極端に多く、バカボンの反対の反対じゃないですが、合理的か否かよりも東京の流儀の反対を追うことに必死そうであることが目につきました。
 一方、東京の人間は自分の頭で考える人間が極端に少ないという特徴はありますが、その一方で優秀な人材が全国から集まってきやすいという利点があるだけに、やはりこの方面のリードは揺るがないでしょう。

 ただこう書いておきながらですが、このところの日本を見ていてほんの十年前と比べてもこれはと思う人材が目につかなくなってきています。社会全体を通してみてもなんか問題ありそうな人物ほど前に出て(そして問題起こして消える)くるだけで、スポーツ選手なんかだと大谷選手や羽生選手など人格的にもしっかりした人が増えていますが、実業界や政界、論壇、あと一般サラリーマンを見ていても面白いと感じる人間が減ってきています。

 敢えて見出しは関西としましたが、実は関西と同じことがもう日本全体のレベルで起きているのでは、日本全体から人材が海外に流出しているのではないかと言いたいのがこの記事の趣旨です。実際にITなど理工学系ではこうした傾向が激しく、ロボット関連などは日本よりも米国、下手すりゃ中国の方が開発資金を募集しやすく、ゲーム業界でも海外の方が今は環境いいんじゃないかという風に見えてきました。
 このように考えるのも日本の報道や議論の質がほんの少し前と比べても明らかに低レベルな内容に落ち込んでおり、現在の裁量制労働議論はもとより、つい先日書き終えた新エネ車市場についても、日系メディアがどこも世界販売台数や主要車種などについてどこも触れていないという事実を知って誇張ではなく強い寒気を覚えました、風邪気味だったからかもしれませんが。

 なんとなくですが、特に私が得意とする経済分野だから目につくだけかもしれませんが、このところの日本の経済報道は日本国内の数字しか出てこず、世界単位の数字やグローバル市場でのシェア解説などが減ってきているような気がします。欧州自動車市場の話なんてまるで見ないし、北米と南米市場の動向は、トランプの壁対策はどうなのかとか、本当にこれでいいのかと疑問に覚えます。
 自分の心配は杞憂に過ぎなく、報道業界においてのみ人材が不足しているのならそれで問題はありませんが、内心で私は同じことが日本の全分野・業界で起きているのではないかという懸念があります。皮肉な話ですが、先ほど挙げた大谷選手と羽生選手は世界レベルで競争が繰り広げられているスポーツ業界の人間ということも頭をもたげます。

 仮に日本で人材不足が本当に起きていると前提した場合、本当に議論すべきは、人材が流出しているのか、育たないのか、表に出てこないのか、この三つのうちのどれかではなく、この三つのどれがどれくらいの割合なのかを分析するべきなのかもしれません。個人的には、現代の日本の若者はゆとりとは言われながら高いポテンシャルを持っていることは間違いないと思っているだけに三番目じゃないかとは思いますが、ある専門職の同僚が、「最近できる子は増えている一方、とんでもなく低レベルな人材も入ってくることが増えた」と語っていたことから、一概には言い切れないかもしれません。

 昔ある野球選手が、「僕は英語を学びに行くんじゃない。野球をしにアメリカに行くんだ」と言って旅立ちましたが、海外流出が起きているとしたらきっとこういう若者が増えているということになり、それはそれで非常に頼もしく見えます。真に問題なのは、そういった人材を扱いきれない日本の環境なのかと、このところ頭をもたげさせながら考える機会が多いです。

2018年2月25日日曜日

山形有朋と社会学

 このブログでも散々語っている通り、よく中国語を専攻していたと勘違いされますが私の学部での専攻は社会学です。ついでに言えば歴史については専門的に学んだことはなく、あくまで趣味の一部でしかありません。

 その社会学ですが正式な設立時期については諸説あるものの、一番根強い説としてはこの分野の大家に当たるマックス・ヴェーバーとエミール・デュルケイムが活躍した、産業革命期後半に当たる19世紀後半だと言われています。日本でもこの時期に社会学の講義が始まっており、仮にこの説に則るならば、かなり早い時期から日本でも社会学は始まっていたと言えるかもしれません。

 その社会学ですが、実は日本での始まりにおいて山縣有朋が少しかかわってきます。なんでも、東大で社会学講義を置こうとしたら、名前を見て勘違いしたのか「そんな社会主義者を増やすような学問なんて認めん!(゚Д゚)」とストップをかけようとしたそうです。しかしその後、講義担当者が建部遯吾だと教えられるや、「なんだ建部か。ならいいや(´・ω・`)」とすぐにOKを出しなおしたそうです。
 仮にこの時に山縣に止められていれば、日本の社会学は今ほど広く講義されていなかったかもしれません。逆に言えばこの事件は、当時の日本の大学教育は政府の意向が強く反映されていた証左ともいえる内容で、現在も日本ではそれほど大学の自治が強いとは言えませんが、官製学問というものがどれほどだったのかを示す好例でもあるかなと勝手に考えています。

 なお私の進学先は正式には社会学部ではなく、文学部社会学科でした。このようになっていたのは進学先の大学は早期から社会学講義を置いていたことに由来するためだったそうですが、現在は学部として既に独立を果たしています。ただ私個人としては社会学は学部として独立できるほど体系だった学問であるかと言われれば疑問で、元々幅広いジャンルを取り扱う学問でもあるのだし、やはり文学部の枠の中に敢えて納めておくべきだったのじゃないかなと思うところがあります。就活では「文学部卒」になるから苦しくなるだろうけど。

2018年2月23日金曜日

働き方改革の裁量労働制に関する論点

 どうでもいいですが「この野郎、ぶっ殺してやるー!」と悪党が叫ぶようないかにも木曜洋画劇場的な映画って最近減ったなという気が、この前「エクスペンダブルズ」って映画を見ながら思いました。やっぱ世の中、単純じゃないとだめだなって気もします。

 話は本題に入りますが、今国会では働き方改革関連法案において裁量制労働をどう取り扱うかが議論となっています。安倍首相率いる政府としては適用枠を拡大しようとしているのですが、既に報じられている通り「裁量制なら今の定時制より残業時間が減る!」という主張の根拠に用いたデータがとんでもなくいい加減なものだったことから、攻勢一転、逆に守勢へと追い込まれています。
 それにしても何がすごいかってこのデータ、質問方法の違いから明らかに性質の異なるデータ同士を比較している上、同じ調査対象の1週間の残業時間が1ヶ月の残業時間を超えるなど、見るからに穴だらけのすごいデータだってことです。気づかずに国会で公開した首相サイドもさることながら、しれっとこんなデータを根拠に出してきた厚生労働省も、安倍首相を追い落とすためにわざとやったのではと疑いたくなるくらいの杜撰さです。

 基本、この手のいい加減なデータ出るということは主張通りのデータが取れなかったということの証左で、まず間違いなく裁量制労働者の残業時間は定時制労働者の残業時間を平均で上回っていることでしょう。そのように考えると、そもそも何故この法案をこれほどまでに安倍首相が推すのかが疑問でなりません。

 そもそも他の誰も言いませんけど、これって第一次安倍政権が提唱して見事政権崩壊のきっかけにもなった、ホワイトカラーエグゼンプションの焼き直し以外の何物でもないでしょう。何故十年近く立った現在になってまた同じ内容の、しかも政権崩壊の一打となった政策をまた性懲りもなく出してくるのか意味不明ですが、どんだけ経団連に弱味握られてるんだと言いたくなるくらいの執心ぶりですが、ある意味安倍首相の経済感覚のなさを露呈しているともいえます。

大胆提言!日本企業は今の半分に減るべきだ
アトキンソン氏「日本人は人口減を舐めてる」(東洋経済)

 最近、本当に日本のためになる意見を提言しているのはデービッド・アトキンソン氏だけなのではないかと本気で思えてきました。基本的に私の主張や考え方はアトキンソン氏と共通しているのですが、上記記事をはじめ他のコラムやインタビューでも同氏が繰り返し述べているように、世界的に怠け者と言われるイタリア人以下、国家破綻したギリシャ人をわずかに上回る程度しかないほど極端に低い日本人の生産性こそが日本経済における喫緊の課題なはずです。
 この観点に立つならば実質ほぼ確定といってもいい、裁量労働制拡大による残業時間の増大は余計にこの問題を深める一手にしかならず、また安倍首相が声高に主張している働き方改革の方針に対し真逆ともいえるような案です。あれだけ電通のこと社員自殺の際に叩いたくせになんやねんって感じすら私にはします。

 それにこの議論についてはかつてこのブログでも述べましたが、はっきり言って法案化自体無意味です。というのも多くの企業で本来は裁量労働制を適用してはならない職種に対して実質的に適用しているという例はあまりあり、今更法案化してもブラック企業にお墨付きをさらに与えるだけで、社会に何もインパクトを生まないと予想するからです。わけわからんデータ出して自滅もしてるんだし、さっさとあきらめればいいのですがそれができないあたりはやはり経済感覚がまるでない人だと、言わざるを得ません。

 ついでに書くと、この生産性の低さとともにもうどうにもならない問題と言えるのは日銀です。何かをきっかけに株価が1万円台中盤に落ち込んだ際、まぁえらいことになるのではと予想しています。また断言しますがこれから大手企業を中心に会計不正が急増することも予想されます。理由はごくごく簡単で、中国が国有企業に対して政府が持分を減らして民間資本の参加を増やしている一方、日本の大手企業は日銀と年金機構の持分がどんどん増えており、実質的に中国とは真逆に国有化が進んできているからです。中国ですら国有企業には不正が多いということから民間資本参加を増やしているのだから、多分東芝なんて目じゃないような不正も再来年あたり出てくるのではないかというのが、ここだけの私の予想です。

 ここまで20分。やはり政治記事は書きあがるのが非常に早いです。

2018年2月22日木曜日

下手な文章の特徴

 以前友人が、「こんなオファーメールが来たんだけど」とある事業に関して提携をオファーするメールを見せてくれましたが、一読するなり私は、「この文章を書いた奴は馬鹿だからこの話は受けるな」と言ってのけました。その後、オファー相手に会ってきた友人は、「確かに馬鹿そうだった……」という感想を私にくれました。

 案外というか、自由に文章を書かせてみるとその人の特徴なり判断力、思考力というのは透けて見えます。冗長な表現を多用する人間は結論を出さないタイプだとか、適切な言葉を継げない人は気遣いができない人だとか、敬語の使い方でリテラシー意識の程度が図れたりとかいろいろ見るポイントはあります。ただ細々とそうした点を見るより一読してみて、「何が言いたいのか」が分かるかわからないか、この点だけに注意すれば案外人となりというのは見えてきます。
 そういった、ちょっと相手に疑問を感じるような文章の特徴というのは何なのか、言い換えれば下手な文章の特徴はどこにあるのか、あまりありそうでないポイントだけを、なんか夜になって急にブログ書きたくなったこともあるのでご紹介します。

1、文章を区切らない
 文章を区切らず、延々と「○○が何々で、△△して、××な……」という具合にずっと書き続けるタイプのことを指します。基本的には主語+述語で一文節が構成されるため、1~2文節くらいで「。」を打って区切る必要があり、どんなに長くても3文節を超えてはならないというのが私の考えです。

2、段落分けをしない
 短い文章ならともかくある程度長い文章になる場合は段落を区切って、「ここで内容変わりまーす」ということを示す必要があります。しかしこれを全くせずに改行こそするものの、そのまま延々と描き続けるタイプも読み手には負担が重く、下手な文章の特徴と言えます。
 なおこのブログで使っている段落分けの仕方は私オリジナルの非常に独特なもので、2~3文で一旦改行した後、また2~3文を書いて1段落とさせています。何故こんなことしているのかというとリズム感的に、文字数的にこの形態が一番読みやすく、またこっちも書きやすいからです。

3、接続詞を使わない
 主語+述語の組み合わせが1つだけの文は短文で、「。」が付くまでに主語+述語の組み合わせた2つ以上入る文を複文と言います。複文を構成する上では間に接続詞を入れるのがベターなのですが、この接続詞を入れずに複文を書く、もしくは文章を区切った後に接続詞を入れないのもあまりよくない書き方です。
 実際のところ、文章の上手い下手は接続詞の使い方を見れば大体把握できます。接続詞のレパートリーが多ければ多いほど文章は見栄えが良くなるため、使い慣れていない人は敢えて使い分けるよう心掛けるといいでしょう。

4、主語を省きすぎる
 日本語というのは英語や中国語と比べると主語がはっきりしないという特徴があり、前の文と主語が同じだった場合、次の分では省略される使い方がされています。しかし省略しすぎて意味が分からなくなったり、前の文と主語が異なるにもかかわらずそれを明示せずに省略するとこれまた読み手に負担がかかり、下手な文章と相成るわけです。
 なまじっかそういった主語の省略に自信がないなら、ややくどいと思っても毎回主語を最初に明示する書き方をした方がずっといい文章になります。意外とこの主語を明示するという書き方が疎かになる人が、メールを受けたりしていると多いように感じます。

5、横文字を多用する
 外来語を全く使わないとなるともはや日本語としては成立しないくらい横文字が氾濫しているのが現代日本語ですが、かといって横文字を多用すると一気に文章の質は落ちます。専門用語ならまだしも、もっと浸透している漢字用語を差し置いて横文字を多用すると読んでる方もなんとなく変な感じがしやすいので、無駄に多く使う方も私的にはNGです。

2018年2月21日水曜日

花園祐は中国人か?

 早いもので今年の春節休暇も今日までで明日からはまた出勤の日々に戻ります。今年の春節は何故か曇天、雨天が多く、晴れの日は一日しかなく家にこもってばかりでしたが、これだけ雨の多い春節というのも私にとっては初めてです。
 そんなラスト休日ということもあってブログに力を入れた記事を書けるのも今日に限られると考えたため、前から準備していたネタを放出することにします。

 知ってる人には早いですが、私がJBpressで書いた記事には私への批判としてよくヤフコメなどで、「こいつ絶対中国人だろ!」という批判が枚挙に暇がないほど書かれます。これはごく最近のことではなく2016年末の大江戸温泉の記事を書いた頃から続いており、個人的に興味深かったのはわざわざこのブログを少し閲覧した上で、「いや、日本育ちの中国人かもしれない」などと真面目に言っている輩もいたことです。冗談なら笑ってあげたいところですが、前後の文面からして大真面目に書いているので逆に笑えます。
 第一、外国人でありながらほぼ毎日こんな駄々長いブログを書いている奴がいるかと私は思うし、中国人でありながらこれほど日本語でブログを綴り続ける奴がいたら逆に脅威を感じます。しかしそうしたことはさておき、具体的には「中国を誉める」、「日本を貶める」発言をしたら日本人ではないと決めつけ、考えるだけならまだしもわざわざ文字にして残す人間が一定層いるということに間違いはないでしょう。

 なお書くまでもないでしょうが、少なくとも私の知る限り半島や大陸出身の親類はいません。そもそも中国で暮らしているのも私だけで、代々広告業に就いてきた一族出身でありながら、同じメディア業とはいえ執筆方面を生業にした点で私は一族の中でも異端に属します。

在日認定(Wikipedia)
在日認定(ニコニコ大百科)

 認定先が中国人か韓国人かで異なりますが、プロセスとしては共通しているため敢えて上記二つのリンク先をつけます。一言で在日認定と言っても韓国ネット界による在日認定と、日本ネット界による在日認定と二つありますが、今回私が取り上げているのはもちろん後者です。上のリンク先ではどちらかというとニコニコ大百科の方が後者を中心に取り上げています。

 まず実際に在日認定ならぬ中国人認定を受けている私の感想を申すと、恐らく逆に受け取られるかもしれないし何をどう言っても反論されるでしょうが、正直あまり気にしていません。以前の記事でも書きましたが普通に面と向かって人間扱いどころか精神障碍者だとしつこく罵られた経験もあるし、何より刃物ちらつかせて直接脅されてるわけでもないので反応のしようがないので本音といったところです。そもそも歴とした根拠もなく論理が明らかに破綻した意見であり、私自身としては別事実や反論を構成するきちんとした根拠を突かれる方がハートに来ます。
 それよりも気になることとして、「一体何故彼らは私を中国人だと主張するのか」という点に興味を覚えました。論理的に明らかに破綻した意見で見ようによっては論理能力がなく、自らの至らなさをわざわざ晒すような意見をどうしてまた文字にしてまでネットに残すのか、そこへ至るまでの過程というか動機とは何なのか、やはり社会学出身だからかこうした動機面での行動原理解析の方向に考えが向かいがちです。

 では一体何故、中国人、韓国人をひっくるめて外国人認定を声高に主張しようとするのか。まず真っ先に浮かんだ仮説としては「願望」で、試しにこの点について話してみた友人らもほぼ異口同音にこの言葉を挙げてきました。
 何故願望だと思ったのかというと、なんとなく懇願や祈りに近いというか、「そうであってくれ!」と言っているような主張の仕方でコメントする人間が多いからです。そしてなにより、願望であれば根拠は全く必要ありません、願望なのですから。

 しかし願望であれば一体何故彼らは祈るのかという、こちらへの動機説明がさらに必要となってきます。この動機については私自身も考えあぐねて、単純に自分の意見と異なる人間が自分とは属性面で異なっているはずだという動機(←同期性、内と外の論理)、海外事情への無知や無関心がもたらす動機(←閉鎖性の論理、洞窟のイドラ)などの筋でしばらく考えましたがいまいちしっくりこず、先にこの方面で誰か分析していないかなと調べたところ、割とすとんと落ちてきたのが以下の意見です。

ネトウヨは、卒業することを知らない
湯浅誠×やまもといちろう リベラル対談(前編)(東洋経済)

 こちらの対談記事の2ページ目にあるやまもと氏の発言にこんなものがあります。

「例えば『あなたは何が誇れますか?』と聞かれたとき、職歴が誇れない、学歴が誇れない、家系が誇れない。日本人であることしか誇れない人たちが結構いっぱいいます。本当は、高いところに自分の理想があっても現実の自分はそこにまったく手が届かない。だから、彼らなりの合理的な選択として右翼的な発言をするコミュニティや、ある種の反原発運動のような極端な思想と活動をしているネットのねぐらに居場所を見つけようとします。とりわけ、右翼的な発言をする彼らのアイデンティティは、実は日本人であること以外ない。そうなると民族主義的な発言をしやすくなるということです。」

 これを読んで初めてすとんと納得しました。敢えて補足を付けたすと、「他に反論できる根拠や意見がなく、『優秀な民族』である日本人という国籍の違いでしか相手の上に立てない」という理論、というより願望を源泉として、反感を持つ相手に外国人認定をせざるを得ないというのがああいったコメントが出る動機だと思います。もちろん前提として、「日本人は韓国人や中国人より絶対的に優れた民族である」という差別意識があることは言うまでもありません。
 先にも書いた通り、大江戸温泉の記事ではわざわざこのブログを読んだ上で「日本育ちの中国人に違いない」と書くのは私は非常に不自然に感じました。最初から論理が破綻しているのだからただ中国人認定だけしてればいいのに、わざわざ「日本育ちかも」と書いたのは、恐らくこのブログの存在が論理破綻を増させるため、それに対して何らか少しでもいいから反論をしようとしたもかもしれませんが、先にも書いた通りその必死さは滑稽でしかないでしょう。ですがこうした行動や主張は願望であると考えれば、必死にもなるのでしょう。

 簡単にまとめると要するに、「反感を持つ相手を中国人や韓国人だと信じることで、日本人である自分は相手より上の立場にある」と信じるための行動が、外国人認定の行動の源泉だと私には思います。この結論に至った時に私が最初に感じたのは魯迅の「阿Q正伝」と、こう言っては何ですが、韓国ネット上の過激意見論者に似ているなということでした。多分お互い嫌悪し合っているでしょうが、実体は同族嫌悪でしょう。
 なので先にも書いている通り私としては気になる批判でもなんでもないのですが、私が気にするかどうかなんて二の次と言えるでしょう。というのも外国人認定は相手への批判というよりは、自己を慰めることが主眼の主張だからです。逆を言えば、まともな反論手段を持たないと宣言しているようにも見えます。

 ここだけの話、私がJBpressで書く記事にはほぼ毎回必ず1個か2個の論理の穴を敢えて用意しています。読解力のある人はきちんとその点を把握して人によっては突いてきますが私の実感だと、コメントを残さないだけなのかもしれませんが、あまりきちんとこの点を突く人は見られません。
 私としては自分の意見の賛同者より、より鋭い指摘によって私を追い詰めるような人の方を求めています。そうした人間の厳しい指摘を受けた方が自分としてもより高みへ登れるし、また単純にそうした高い見識の方々と付き合いたいというのも本音です。そういう意味で私を中国人認定する方に対して、「つまらないことをいちいち言わず、もっと誰もがため息をつくような鋭い反論で自分を刺し殺して見せろ」と言いたいです。まぁ単純に、もっと面白いこと言って見せろよということです。

 その上ではっきり言うと、外国人認定するということは自分に他に何もないということを宣言するようなものでしかありません。しょうもない低次元の批判に終始するくらいならもっと上をみた方がいいというのが私個人の考え方です。

2018年2月19日月曜日

忘れていた感情 後編

 昨日の記事で私は平松伸二氏の「そして僕は外道マンになる」を読んでその感想を述べるとともに、自分がある感情を忘れていたことに気が付かされたということを書きました。その忘れていた感情は何なのかですが、はっきり言えば「怒り」です。

 自分でいうのもなんですが、ここ数年の自分は非常に恵まれて過ぎてきます。それ以前のスチール棒で殴られて流血してるのに病院にも連れて行かれないどころか逆に糾弾されるようなブラック企業にいた頃と比べると、非常に安定した職に移れたし、またこのブログがきっかけ(「火付盗賊改方 中山勘解由」を読んだらしい)でJBpressでこうしてコラムを連載出来て、個人コラムとしてはかなり例外的なYahooトップ掲載も果たし、2ちゃんねるにもスレが立つ記事にもなると最近はもう数えていません。
 このほか職場の同僚にも恵まれ、残業代は未だに人生で一度も受け取ったことはなく周囲からは「やや普通な環境になっただけじゃないの?」と言われることもありますが、今までが明らかに普通じゃない環境に身を置いてきただけに、単純にこれまでと比べてあらゆる生活面で楽になってきています。

 しかしそれゆえというべきか、単純に社会に対して怒り覚えることがなくなりました。普段の生活でも怒鳴って声枯らすこともこのところほぼ全くないし、日中の社会問題や不条理に対して「ふざけんなこのカス死ねっ!」ということもほぼなくなりました。最近の過激発言といえば、「Black Box」を読んだ感想として、「拉致ってケツ掘って『合意の上だった』と言えば済む話ではないか?」と友人に言ったくらいですが、これでもかつての自分と比べると大人しくなったように感じます。

 まどろっこしいいい方せずに言うと、生活の安定ぶりが返って自分の感性を鈍らせているという実感を、「外道マン」を読んではっきり感じました。というのも「外道マン」では少年ジャンプ編集部の理不尽な要求によって作者の平松氏が何度も悔しい思いをさせられ、その悔しさや苦しさを作品に昇華させていたと思わせられる描写が何度もあるからです。ちょうど今連載中の回がまさにその点を突いたところらしく、マシリトに「楽して描いてない?だからつまらないんだよ」と指摘されるところだそうですが、恐らくこの指摘と私の分析は正しいでしょう。

作品に宿る「負のオーラ」

 上の記事は3年前に私が書いた記事ですが、この記事で書いているように鬱屈した負の感情というものほど作品を高める原動力はありません。逆を言えばクリエイター、表現者にとって、逆境以上の好材料はないのです。断言しますが仮にゴッホが生前から評価されて収入も安定していれば、彼自身の人生としては幸福なものになったかもしれませんが、現在ほどの名声を得られるほどの作品を生み出すことはなかったでしょう。
 もちろん、安定した生活を維持しつつ立派な作品も残せれば言うことなしなのですが。

 自分が怒りを覚えなくなった、特に社会問題に対するものを感じなくなったのは単純に血気盛んな年代を過ぎて年齢的に落ち着いたからとも解釈できますが、だったらなおさら対策が必要なのではないかって話になります。現実に日本の様々な政治、経済、社会問題についてはかつてのように、単純にあきらめるようになってきたのもありますが、あれこれ現状分析や対策を行うことがめっきりなくなりました。まぁ政治に関しては明らかに議論がないだけで私が悪いわけではありませんが。

 特に自分がかつての自分との差を感じた点として、このところ自分の記事につくヤフコメの論理の成り立たない批判に対する反応で、現在は「相手にする価値もない」とあまり気にすることがありませんが、かつてであればコメントを書いた人間の情報を調べ上げた上でリストアップし、保存した上で何かしらネタにしようとするくらいの怒り狂っていたことでしょう。やらないとは言いませんが。
 これに限らなくても政治家や著名人の汚職、犯罪者に対してどこか他人事というか、冷めた感情を持つようになりました。心身の健康、あと公共性においては今の方がいいのでしょうが、表現者としてみたら本当にこのままでいいのだろうかと不安を感じます。

 なんとなくオチをまとめ辛いのですが、やはり自分はもっと怒るべき人間だと思います。先の「負のオーラ」の記事にも書いていますが、「ジョジョの奇妙な冒険」(最近はあまりの詰まらなさに読まなくなった)の第7部のセリフにある通り、「飢えなきゃ勝てない」というのは絶対的な真実です。如何に生活が安定しようと、頭のおかしい人間が近くにいないとしても、それで気持ちまで安定させては表現者としては失格であり、もっと自分を追い込む必要があるでしょう。

 そういう目で見ればやや傲岸とも取られるかもしれませんが、やはり現在の執筆活動に関してはまだ十分に評価されていないという実感があります。JBpressの編集からも、「どうしてうち以外からもっと依頼が来ないの?」と聞かれたことがありますが、これだけ毎日ブログ記事を量産できる人間ともなれば、原稿料にも寄りますがもっと声がかかっても私自身おかしくない気がします。なおJBpressは最初に声をかけてきてくれたという恩もあるので、破格的な原稿料でいつも書いています。
 傲岸と言われようとも、現在の自分の環境を分析してまだ平和的にフラストレーションを溜められる箇所となればやはりこの一点ではないかと思うので、意識的にこの点を留意して、もっと飢えるように心がけたいと思います。あとこのブログの記事も、最近自分でも大人しいと感じるきらいがあるため、もっとオフエンシブな感じに持っていくつもりです。

  おまけ
 年齢について先日同僚から、隠しているわけでもないのに、社内で年齢不詳と噂されていると教えられました。この「年齢不詳」というキーワードは前の職場でもよく言われました。
 うどん屋の奥さんからは、「実年齢からしたら見た目が若い」と言われたので、多分見かけに比して口にする内容が古いのが原因じゃないかと分析しています。

忘れていた感情 前編


 上の画像は大分前にネットで話題になった漫画のワンシーンですが、廻し蹴りで何故か放射能値が下がるという破天荒な場面が描かれています。この漫画を描いたのは平松伸二氏という漫画家で、私もつい最近にネットで話題になっていたことから、「そして僕は外道マンになる」という平松氏の自伝漫画を購入して読んでみました。もっとも自伝とは言いつつも、本宮ひろ志氏が学ラン着ながらダンビラ振り回すなど、多方面で大幅な脚色がなされてますが。

 私は平松伸二氏については世代がやや異なっているということもあってその作品をあまり読んだことはなかったのですが、破天荒な設定と頭身の高いリアルな画風の持ち主として名前は知っていました。そのため今回この漫画で平松氏の経歴について初めて知ることが多かったのですが、一言で言えばとんでもない漫画エリートともいえる人物だったようです。
 というのも若干16歳で少年ジャンプに読み切りデビューを果たし、短期間のアシスタント生活を経て19歳で「ドーベルマン刑事」で連載デビュー。しかも新人の初連載作品としては史上初めてアンケート1位を取り、その後も人気上位を維持し続け看板作家として君臨したそうです。

 それ以上に目を見張ったのが、当時の少年ジャンプで毎年行われていた主要作家陣による読み切り作品企画での話です。当時、ジャンプでは漫画家10人に読み切り作品を1作ずつ描かせ、それを読者に人気投票させて競わせるという企画があったそうですが、手塚治虫、赤塚不二夫、本宮ひろ志氏、永井豪氏、池沢さとし氏、そして平松氏の師匠に当たる「アストロ球団」の中島徳博氏らというレジェンド級の面々に対し、20歳にして初参加の平松氏は投票で第2位となる人気を得たそうです。
 これほどまでに若く、且つデビュー時から高い人気を得たという漫画家ともなると、私の中では「キン肉マン」のゆでたまご氏と、こちらはややデビューがもうすこし遅かったですが「進撃の巨人」の諌山創氏くらいしか浮かばず、「漫画エリート」という意味では平松氏は屈指の存在であったということに間違いはないでしょう。

 そんな平松氏の自伝ということからきらびやかな活躍が書かれているかと思ったらさにあらず、この本の中身は実質、八割方怒りと怨念で描かれてあります。
 先ほどの読み切り作品企画では、上位2名の漫画家はヨーロッパ旅行に行けるということになっていたそうですが、平松氏は2位であったにもかかわらず実績がまだ足りていないとの判断から行かせてもらえませんでした。もっとも連載中の漫画で多忙であったことから「行かずに済んだ」ということでホッとした半面、どれだけ苦労しながら全く報われない状況に平松氏も思うところがあったそうです。

 特に平松氏の場合はデビューが異常に早かったせいもあって雇ったアシスタントは全員年上で、待遇面での諍いから途中で辞めてしまう人も出るなど、マネジメント上での苦労話もよく描かれています。何より当時部数が急上昇中の少年ジャンプ編集部からはむちゃくちゃな要求も度々出され、「人気あるけどいまいち物足りない。来週から、毎週10P追加だ!」と、限界ギリギリの作業をしているのに増ページを命じられることもあれば、高い人気を維持しているのに担当編集者から「原作付きで書いているくせに一人前とは認めねぇ!」と言われたりなど、理不尽に振り回される過程も生々しく描かれています。
 そのせいもあって作中で平松氏は度々悔し涙を流すのですが、そこへ至るまでの壮絶な過程が非常に臨場感高く描かれていることもあって、当時に平松氏がどれだけ悔しい思いをしながら漫画を描いていたのかが変に共感でき、平松氏の作品をしっかり読むのはこれが初めてですがやはりすごい漫画家であると深く納得させられました。

 それだけにと言っては何ですが、Amazonの方のレビューにも書きましたが、この「外道マン」はとにもかくにも涙が美しい漫画だと思います。特に連載1年を経て自身初めての単行本を初めて手にした際、声を挙げずに嬉し涙をボロボロと流すシーンは非常に心が打たれました。

 以上が「外道マン」の内容に対する感想ですが、実はこの漫画を読んだ後に自分は強いショックを覚えました。それは何故かというと、自分がここ数年、ある感情を完全に忘れ切っていたということに気が付かされたからです。その感情とは何か、後半へ続く……。


  

2018年2月16日金曜日

自分が聞いたことのある入試ミス

<大阪大>また入試ミス AO入試合格者、サイトで不合格(毎日新聞)

 先日の兄弟の入試ミス騒動以降この手の報道が相次いでいますが、こういった入試ミスは今に始まるわけではなく昔からあったことで、最近になって注目されて報道されるようになっただけでしょう。

 現実に私も以前に予備校でそういう話を聞いたことがあるのですが、なんでも願書を出していながらやる気がなくなったとかそんなで結局入試を受けずにそのままスルーしてしまった受験生が痛そうです。そして後日、入試を受けてもないのに合格通知が届いたとかで、ラッキーとばかりに結局そのままその学校へ進学したそうです。確かこのケースは早稲田大学とのことでした。

 まず間違いなくこのスルーヤーの代わりに誰か一人が不合格となっているはずですが、もちろんニュースになるわけでもなく歴史の闇に埋もれていきました。もっともそんなこと言ったら自分も一応ちゃんと試験は受けたものの、入試判定は常にE判定だったところに合格して進学したので、もしかしたら何らかのミスがあった可能性は否めません。ただ最終的には170単位くらい取って卒業したので、授業についていけるだけの学力は持っていたのだろうとは思いますが。

中国の若者の世代間の違い

 昨日のブログ記事で質問を受けたので、中国の若者の世代間の違いについて今日は書こうと思います。

 まず基礎知識として、日本の「ゆとり」という言葉に相当するように「80後」という言葉があります。意味としては1980年代以降生まれを指し、生まれた時から比較的裕福な環境であったため性格的に軟弱だと2000年代以降、ずっと言われ続けました。しかしそれから年代が経って現在は「90後(1990年代以降生まれ)」、「00後(2000年代以降生まれ)」という言葉も出てきたため、前ほど80後は馬鹿にされなくなってきています。
 なお中国では中学卒業後にすぐ就労につく人間も多いため、00後はもう社会の至るところで見られます。

 今回のターゲットはまさに上記の年代階層ですが、やはり年代が若くなるにつ入れて「甘ったれ」と言われる度合いは高くなる傾向があります。実際に80後の知人が会社で90後の部下を叱ったところ(女同士)、「あいつすぐ泣きだしやがって( ゚д゚)、ペッ」と話し、やはり軟弱だという印象を持ったそうです。
 00後とは私も絡みが少ないため実際はどうなのかわからない点は多いですが、少なくともはっきりと感じる独自な視点を述べると、80後と90後の間では明確な差があります。それは何かというと、起業意識です。

 私と同年代ということもあるかもしれませんが80後の人間は以前、会う度に「なにかいいビジネスはないか?」と聞いてきました。昔出ていた「日本人の知らない日本語」という漫画でも中国人留学生が将来の展望を聞かれ、「起業して社長になりたい」と答え、どんなビジネスを考えていますかと続けて尋ねたところ、「先生はどんなビジネスがいいですか?」と答え呆れさせるシーンがありましたが、まさにこんな感じのやり取りを私もかつて何度も経験しています。
 具体的にどのようなビジネスを考えているわけではなく、「とにかく会社を興したい」というような起業意識が80後にはありました。さすがに昨今はこの世代の年齢層も上がってきて落ち着いてきたのかこうした質問を受ける機会は減っているものの、10年前くらいであれば見ず知らずの他人にすら「何かいいビジネスはないか?」と聞いてくるレベルでした。

 翻って90後ですが、こうした起業意識が80後と比べるとほぼ全くありません。80後の時代に就職先として人気だったのは外資系企業、それも特にITと金融でしたが、90後の時代になると公務員志望が増えだし、「あくせく働くよりのんびりまったり働きたい」と志望理由を述べる若者が増えてきました。最も習近平政権となって公務員の収賄が厳しく取り締まられ始めると、「実入りが悪くなった」と述べ、若干希望者数が減ったそうです。賄賂も収入として計算に入れて就活する辺りは中国らしいのですが。
 もう一つ、やや古いデータですが確か2012年に見た調査で、中国でも特に起業家輩出率が高い浙江省温州市でまさにこう言った起業意識に関する調査を行ったところ、90後の世代以降から「あまり考えていない」と答える割合が急激に高まり始めました。起業に関しては最も最先端な温州市でこれなのだから、全国で同じ統計を取ったらもっとはっきり出るだろうと、当時同僚たちと話したのを覚えています。

 現実に、最近中国の若者と話していても起業について口にする人間はめっきり減りました。むしろいい就職先への志望を語る若者が多く、単純に独立心は低下傾向を歩んでいると肌感覚で感じます。

 こうした変化は何故起きたのか。理由は世代間の違いというよりかは歴史と環境の違いで、80後の成長時代は中国も高度経済成長期の時代であり、起業しても簡単に当てることが出来た時代でした。むしろ起業せず積極的に儲けない方が馬鹿だと思われるかのような空気があり、中国の若者はこぞって起業を目指していたのでしょう。
 逆に90後の時代は高度経済成長の弊害やねじれに直面していたのが青春期に当たり、またライフスタイルの面でも90後以降と以前では大きく違い、日本人から見て「まともな人間の生活」に入ってきたのもちょうどこのころである気がします。こうした環境から一攫千金よりも安定志向の方が強くなり、それが起業意識に如実に表れたのではと私は考えます。

 もう一つ、80後と90後の違いを述べると、英語能力です。90後以降から中国でも受験戦争が段々やばくなり、特に配点の大きな英語科目を集中的に学ぶ子供が増えたことから、できない奴はほんとに英語できませんが、できるというかやばいと思うくらい英語が上手な若者が90後以降から急激に増えてきました。
 一方でこの前どっかのメディアで見ましたが、勉強漬けとなるせいか運動能力方面では低下傾向が続いており、日本の子供と体力測定の結果を比較したところ全方面で中国の子供の方が軟弱だったという報告が出ています。私自身も最近見ていて、中国の若者は背が高くなっている一方で線が細くなってきていると思うところがあり、やはり幾分軟弱そうに見える若者が増えています。

 以上はあくまで上海市に住む私個人の目線の意見のため、中国全土の傾向を反映しているかと言ったら自分でも疑問なため、参考程度と受け取ってください。
 最後にもう一つだけ付け加えると、中国の若者と言っても外資系に務めてくる人間はやっぱり体力も意識も高い人間が多く、何より英語が半端なく上手です。志望段階で違うのかもしれませんが、やはり一般企業と比べるとマナーもよく、優秀な人材だと思います。

 その一方、なんか今年に入ってから下から報告されるレポートの文章の質が極端に落ちてきました。翻訳していて「何が言いてぇんだよこの野郎」と愚痴が出るくらい文法めちゃくちゃな文章が多く、ひどいのになると全く文章を切らず、改行せず、だらだらと長い文章を書き綴って読むものを混乱させるようなレポートすらあり、中国人を含めた関係者一同で、「こいつは何が言いたいんだ」と押し黙ったことがあります。
 そんなレポートを必死こいて解読して翻訳しても案の定、和訳文も意味不明なものとなってしまうのですが、それでも上司などから「まだ中国語よりかは言いたいことはわかる」と言われました。最近そんな文章を翻訳していて、「俺は暗号解読班か?」と自問自答する日が増えてきています。

2018年2月15日木曜日

打たれ弱い現代の若者



 今日はお休みとあって6時間ぶっ通しでプラモ作ってたため、未だに指先の震えが止まりません。っていうかこれ(ハセガワのセリカ・GT-Four)、古い商品だったのかデカールが全く剥がれず、台紙ごと剥がれたりしていつもより時間喰いました。

 話は本題に入りますが、現代の日本の若者の特徴を挙げるとしたら私はその打たれ弱さこそが最も特徴的だと挙げます。私自身も上の世代と比べたら決して打たれ強い方ではないと自覚していますが、それでも同年代の他の人間と比べるとマシな部類に入ってしまいます。そして私より下の世代を見てみると、私の世代に輪をかけて打たれ弱くなっており、「こんな紙装甲で大丈夫なのだろうか……」とみていていちいち心配になってくるほどです。

 先日、就職氷河期世代の戦友とこの件について話したところ、「4歳下の弟を見ていてもそう思うし、花園さんくらいの世代を見ていても確かにそう思う」とすぐ同意してくれました。なおその戦友からは、「打たれ弱いと自分で言ってるけど、毎日怒鳴られたり物投げつけられながら仕事してた辺りはもう少し誇っていいよ」といくらかマシな方だという評価を得ました。

 話は戻りますが単純に「打たれ弱い」というだけなら、年少者は年長者と比べてどの世代においても打たれ弱いのが常で、これ自体はなにもおかしいことではありません。では何がおかしいのかというと、少なくとも現在40歳超の就職氷河期世代以降、打たれ弱さの程度が年を経るにつれて大きくなっている、つまり右肩下がりに打たれ弱さがひどくなっているということです。仮にこの傾向が続くのであれば今後も日本人はどんどん打たれ弱くなっていくということが予想され、何が原因で、いつ歯止めをかけられるのかについてそろそろ考えないとまずいのではないかと思えてきました。

 打たれ弱くなった原因についてはいくらでも考えられますが、最大の要因としては「失敗が許されない社会」こと減点方式の価値観が日本で渦巻いていることではないかとみています。このほか、刑罰が重くなるなど社会的責任も年々高まってきていることも同様です。

 私が下の世代を見ていて特に打たれ弱くなったなぁと思うポイントとして、端的に言えば「殴られても殴り返そうとしない」という個所です。もちろん殴る、殴らないは比喩的表現で実際には叱責や罵声、嫌味ですが、これらを上から投げつけられた際に、「うるせぇ!」の一言もなければ皮肉も返さず、反抗的な目つきを見せることに至ってはほぼあり得ず、ただただ怯えた目つきで「すいませんでした」というだけの若者が多過ぎる気がします。
 これは私個人の考え方ですが、やはり殴り返さんとばかりに反抗的な目つきをする奴は叱り辛く、言い方とかをもっと考えたりしなければならなくなるのですが、やはりこの手のタイプの方が基本的にタフで、苦しい状況でも粘り強く対応できる人間が多い気がします。逆に一番ダメなのは反抗的な態度も取らず、かといって反省する態度も取らず、聞き流すように無関心な反応を示す人間です。

 ただ反省する態度を示してきちんと次に生かしてくれる人間なんかはそれはそれでいいのですが、こういうタイプはやはりプレッシャーに弱く、ある日突然バタンキューすることもあるだけでなく、ここぞというところで逃げてしまう人間も中には含まれています。何も全員が全員、反抗的な態度を示すタイプであればいいというわけではありませんが(それはそれで本気で困る)、やはりもうちょっと、現代の若者においては打たれ強さで信頼のおける、こうした反抗的タイプの割合が多い方が望ましいのではないでしょうか。
 もっともこんなブログで吠えたところで世の中動く訳じゃありませんが、企業の新人採用の人向けにアドバイスをすると、コミュニケーション能力より打たれ強さに着目してこれからは新人を取った方がいいと思います。今後、この方面の能力が非常に重要になってくる気がしてなりません。

2018年2月14日水曜日

カウンセラーに求められる属性

 何度かこのブログで過去に紹介していますが、以前世話したことのある中国人元労働者が二年半の在日生活を経て先日、ようやくある関西私学に合格しました。今年四月から入学となりますが、明後日からの春節を前に久々に里帰りしようと中国に今週帰国し、途中上海に寄るとのことだったので会ってきました。なおその日はうちに泊まったのですが、いつもの私らしく真冬に暖房なしの部屋の中、ベッドを元労働者に譲り、私は椅子の上で布団にくるまって寝ました。

 それはともかくとしてその元労働者の進学先は心理学部で、「将来はカウンセラーの資格などを取得して日本でクリニックを開きたい( ・∀・)ノ」と目を輝かせて将来の抱負を語ってきました。それに対し私は、「絶対にその夢は叶わない。あきらめろ( ゚ω゚ )」と、はっきり言いました。
 その理由について私は、「恐らく、日本人の精神疾患者であればいくら日本語ができて、専門教育を受けているとしても中国人の君に相談したくはないと避けるだろう。また仮にカウンセリングを実際行ったとしても、中国人のお前に何がわかるなどと言って耳を貸さない可能性が高い」と説明しました。

 それであればとばかりに続けて私は、「むしろ中国に工場を持つ日系企業などに就職して、現地の中国人従業員の相談やメンタルケアを請け負う仕事の方が得やすいと思う。現実にこの方面の需要は現時点でも高い上に君の大学卒業時にはもっと高まっているかもしれん。日系企業にとっても、日本語で報告のできる中国人カウンセラーとあれば重宝するはずだ」とアドバイスしました。いうなればこれは産業カウンセラーに当たる職業ですが、中国人というバックグラウンドに日本語プラスで行くならば、やはりこの道がベターではないかと考えたわけです。
 以上の価値観はそれ以前に考えていたわけではなく知人の将来展望を聞いた直後、直感的に浮かんできた内容ではあったものの、改めてこうしてまとめていても非常に的確な意見だった気がします。元労働者もそう思ったのか真摯に耳を傾けて聞いていました。

 この話をした後、また例の上海人と合流して四川料理を食べつつ、「改めて考えるとカウンセラーが外国人だったらその時点でアウトになるのかも」と、ウシガエルの串揚げを食べながらずっと考えていました。私自身に偏見があるのかもしれませんが、鬱病になって相談したところ日本人に「大丈夫、問題ない」と言われるのと、中国人に「大丈夫、問題ない」と言われるのではなんとなく受取り方が変わってくる気がしてなりません。特に中国で下手に勤務経験を持ってしまうと、中国人の言う「問題ない!」ほど安心できない言葉はないだけに、下手したら寒気を覚えるかもしれません。
 同様に、タレントのボビー・オロゴン氏みたいなめっちゃ明るいアフリカ圏出身者に、「大丈夫だろおいお前」とか言われても、なんとなくこれじゃない感を覚えてしまう気がします。割と外国人と接する機会の多い私ですらこんな具合なのですから、日本国内から出たことのない人に至ってはもっと拒否感が強いと私は予想します。それこそ先ほど書いたように、どれだけ適切な言葉を投げかけても、「お前に何がわかる!」と言下に否定するかもしれません。

 以上から、カウンセラーというのはその技術や経験以上に、精神疾患者とどれだけ属性が共通しているかの方がずっと重要なのではと思うに至りました。国籍はもちろん性別、年齢、経験、趣味など、共通属性が多ければ多いほど精神治療においては有利になるように思え、精神疾患者もこの点を意識して担当者を選んだ方が効率的なのではという気がします。
 実際例と言っては何ですが、以前に池田小事件当時、被害こそ受けなかったものの子供が現場にいたという母親と会って話す機会がありましたが、事件発生後しばらくはその時のストレスから記憶が忘れるのではなく完全になくなるという経験が何度もあったと話していました。その上で一番支えになったのは他の同じ体験者、つまり池田小に子供が通っていた母親同士で、なんでもない話題をただ話し合うという行為だったと述懐していました。

 実際にこうしたメンタルケアは既に一般化しており、同じ大病を患った者同士の会合などはよく行われており、効果も高いという風に聞きます。では何故それらの会合が高い効果を持つのかというと、同じ悩みを持つというとんでもなく高い共通属性があるからとしか思えず、やはり属性が共通するか否かはメンタルケアにおいて桁違いに重要な要素なのではないかと思えてなりません。
 もしかしたらもう実際に行われているのかもしれませんが、精神疾患者とカウンセラーのマッチング、具体的には趣味とか年齢とかどれだけ共通しているかをあらかじめマッチングさせたうえで担当者を選ぶような作業もあっていいのではないかという気がします。この辺、実体はどうなんだろう。

 以上まで考えたところ、仮に私が精神疾患を起こして相談するとしたら一体どんな人がいいのだろうかと思って自分の過去の経験を思い起こしたところ、ライターやってて、中国に勤務していて、起業したりして、自転車で空飛んだことがあるカウンセラーがいいのかと考えたところで、そんなのなかなかいないから病気ならないでおこうと決めました。

2018年2月13日火曜日

三浦瑠麗氏の北朝鮮工作員発言について

三浦瑠麗氏、ワイドナショーでの発言に批判殺到 三浦氏は「うがった見方」と反論(ハフィントンポスト)
朝鮮半島をめぐるグレートゲーム(山猫日記)

 知ってる人には早いですが、国際政治学者らしい三浦瑠麗氏の発言が議論を起こしています。簡単に発言内容を説明すると、日本にはすでに北朝鮮工作員がたくさん潜り込んでおり、金正恩が暗殺されたとしてもその報復として、あるいは先制攻撃として大阪を襲撃する可能性が高いとバラエティ番組で主張したそうです。結論から述べるとこの三浦氏の主張には私も疑問に感じる点が多く、少なくとも言えることとして、リテラシーもなければ危機管理意識もない人だなというのが偽らざる感想です。
 ほんとはあまりこの手の議論に与したいとは思わないのですが、例によって反論を述べるメディアを含めあまり論点が整理せずに無駄な議論を繰り返しているように見えるので、論点となる疑問点をまとめる目的でこのまま書きます。

疑問点1、何故組織名が「スリーパー・セル」?
 三浦氏によると日本に潜伏している北朝鮮工作員は「スリーパー・セル」という組織名だそうです。三浦氏ブログの「山猫日記」に詳しく書いていますが、特に大阪にいるそうです。
 先に述べると、この「スリーパー・セル」という単語一つ見てこの人おかしいなとすぐ思いました。というのも北朝鮮の軍関連組織であるにもかかわらず、韓国語(朝鮮語)でもなく日本語でもなく何故組織名が英語なのか。結論を書いてしまうと「スリーパー・セル」の情報ソースが英国の新聞だけだからです。逆を言えばほかに情報ソースは何もないということが示されています。
 第一、これ直訳すると「窃盗団」になりますが、北朝鮮ならもっと仰々しい名前つける気するんですけどねぇ。

疑問点2、情報ソースが英国の新聞だけ
 三浦氏によると上記のスリーパー・セルの情報源は英国の新聞だそうで、さらにその新聞では韓国の情報筋がネタ元だと書かれています。では何故このスリーパー・セルの韓国語名はないのかこの時点でおかしいですが、三浦氏は「英国の新聞に書かれてある」としてその存在は確かだと主張しています。
 しかし、英国の新聞が必ず真実しか載せないのかと言ったら疑問です。そんなの言ったらネス湖のネッシーもいるってことになりますし、第一何故日本や韓国、中国といった北朝鮮周辺国が一切報じない事実を遠く離れてあまり利害関係のない英国の新聞が報じるのか。そもそも英メディアは上記のネッシーをはじめ妙な報道も多いところだから、信用面でいえばむしろ怪しいところなのではと私は考えています。
 せめてその新聞がネタ元としている韓国の組織に直接取材していれば、もっと本当らしく言えたのにね。

疑問点3、何故大阪?
 報道などでも指摘されていますが、東京を差し置いて「大阪に特に潜伏している」と三浦氏はやたら主張しています。何故かというと第2の都市の方が意表を突けて狙いやすいからだそうですが、どう考えても東京や原発などの核関連施設を差し置いて大阪が狙われるという主張は無理がある気がします。そもそも、人口基準だったら日本第2位の都市は今や神奈川県です
 また大阪に工作員が多数潜伏しているという根拠について三浦氏は合理的に説明できておらず、挙げられている材料としては先ほどのように日本第2の都市であること、1980年に朝鮮総連関係者が事件を起こしたことしか出せていません。そもそも、40年近く前の事件を引き合いに現在も大阪には工作員が多いと主張する辺り、あんま学者として向いていない気すらします。

 はっきり言えば、大阪が危険だと言ったのは発言をした番組に大阪出身者が多く話題になると考え口を滑らせたか、ただ単に大阪に偏見を持っているかのどっちかでしかないでしょう。それくらいこの発言は突飛であり合理性に書いた主張で、実際にその潜伏工作員と接触しているとか、もっときちんとした直接知り合いの軍関係者からのソースがあるならともかく、そうしたものは見ていて情けなるくらい出せていません。

疑問点4、何故バラエティ番組で発言したのか?
 他の人はあまり指摘していませんが私が特に気にしているのはここです。
 もし具体的にそのような情報を掴んでいるのなら何故公安とかに伝えず、ああしたバラエティ番組でぶちまけたのか。一応三浦氏本人としては国民(特に大阪人)はもっと備える必要があり、また広くこの問題に議論する必要があるからと言っているようですが、私に言わせればそんなもの全く必要ありません

 例えば雪に閉ざされた山荘で他殺体が出てきて、誰かが「犯人はこの中にいる!」と主張するとします。この主張によって山荘にいる人たちは互いへの疑心暗鬼が生まれますが、彼らは外部から救援を呼ぶこともできない状況であり自分で自分の身をある程度守る必要もあることから、上記のミステリー開始発言は一定の必要性を備えると私は考えます。
 翻って今回のケースでは、北朝鮮の工作員が潜伏しているからと言って一般市民がどう対処すればいいのでしょうか。まさか怪しい奴を自分で見つけて捕まえろとでも言うのかと言いたいところですが、その役割はやはり公安が担うものであって市民ではありません。故に警戒を促したところで全く無意味でしかなく、方々でも指摘されている通りに今回の三浦氏の在日朝鮮人らに対する疑念や敵愾心を無駄に煽るだけの結果しか生みません。

 で、こう言っては何ですが、三浦氏本人はそういう意図で発言したわけじゃないと否定こそしているものの、そういう風に受け取っちゃう人たちは世の中には実際たくさんいるわけです。古今東西、根も葉もない敵愾心を煽る発言やデマによって迫害や虐殺が起きたケースは枚挙に暇がなく、現代においても中国事情を紹介するだけで反日認定されるほどなのですから(リアル)、こうした敵愾心を煽るような発言は極力控える慎重さがやはり求められてくると私は思います。
 仮に今回の発言が自分の著書やブログだけなら影響力も限定されることからまだしもと思いますが、今回のケースは影響力の強いテレビメディアでの発言です。その主張内容が事実であればたとえ一部の人たちの敵愾心を煽ることとなっても、報道することにやむを得ないと私は考えますが、先に書いたように呆れるくらいにあやふやな根拠と完全に思い込みだけの当て推量で、「大阪は危険だ(意味深)」と社会の公器を使って伝えてしまうのは、いくらなんでも無責任もいいところでしょう。
 同様に、この発言を編集でカットせずにそのまま放送してしまうテレビ局側にも疑問を覚えます。先ほども言った通りに事実であれば仕方ありませんが、現状の材料を見る限り今回の情報は十中八九思い込みであり、ましてや裏付けも何一つ取っていない情報です。差別や迫害を助長する可能性のある主張でもあるだけに、テレビ局のリテラシーも異常性を感じます。

 最終的に結論をまとめると、三浦氏とフジテレビのリテラシーは異常に低い水準だというのが私の感想です。その上で三浦氏のブログの主張を見ると、「こうした議論もできないなんて日本はよくない」みたいに言ってますが、議論しようってんならもっとまともな根拠や合理的な推測を用意しろよと言ってあげたいです。低水準の人間がいつまでも相手してもらえるほど世の中は甘くはないでしょう。

2018年2月10日土曜日

ジャンルを選ばない強さ

 先日、自分にとって唯一の戦友とも呼べる知人と一緒に夕食を食べてきましたが、やはりお互い元ライター同士ということもあって現在の主戦場(JBpress)と中国関連コラムを書いている他のライター(安田さんとか莫さんとか)、そして互いの得意分野に関する話題を多く話しました。この際に相手が女性ということもあってか、「やはり男ばっかのライター業界なだけに、もっと女性でしか書けないようなテーマを書くべきだ」と話してきたわけですが、この時にふと自分の立場について少し思うところがありました。

 結論から書くと、自分がライターとして優れている点を挙げるとしたら、執筆においてジャンルや分野を選ばないほど幅広いレンジの広さにあると思います。
 JBpressでは一応、編集からの要望もあって中国事情を紹介するコラムを中心に書いていますが、こうした中国関連記事においてマクロレベルの経済記事を書いているのは私くらいでしょう。ちなみにさっきの知人からは、「なんであんな毎回グラフ作る時間あんの?」と言われました。

 何も中国に限定しなくても日本国内でもこうしたマクロレベルの経済記事はいくらでも書く自信があるし、むしろ日本のメディアはマクロデータをほとんど取り扱わないので、各種世論調査指標を活用して他の日本人ライターではまずかけないような記事や分析だって組み立てる自信があります。この辺は元々経済紙、それも中国経済専門紙で書いてきたバックグラウンドがなせる業でしょう。
 こうした経済ネタに限らずとも観光業と絡めた普段の生活ネタでもよく中国紹介記事を書いていますし、また去年夏には歴史記事を書いてきちんとアクセスも稼いだので、この分野でもある程度ものになる記事が書けることを証明しました。なお本音で書くと、もしかしたら自分が一番強い分野はこの歴史系記事かもしれません。

 このほかまだ実際に出したわけではないものの、相撲であればそれなりのスポーツ記事書く自信あるし、あとゲームのレビューコラムなら簡単のなら書けるでしょう。このほかこのブログでやっているような日本社会の調査、経済、政治記事、あと古いのでよければ事件系の記事も掘り起こすようなコラムだったら行けるでしょう。文芸評論に関しては日本の文壇が確実におかしいレベルへ突入し始めているので、彼らなんかよりずっともっとマシなものが必ず書けるでしょう。
 多少おこがましい言い方になりますが、これほど多分野にわたってあらゆる記事を書けるライターは現在あまりいません。仮にジャンルを経済だけに絞ったとしても、最近は大手紙を中心に社員に業界や業種の専門を持たせる傾向が強く、確かに専門性の高い記事を出せるようにはなるものの、何でもかんでもどの業界についてもある程度対応できる記者は少なくなってきています。
 もっともこう言いながらですが、半導体業界についてはさすがに私も記事を書ける自信がありません。あそこは本当に専門性が異常に高く、こちらの湯之上隆氏の記事を見るとプロってすごいなと思うと同時に頭が上がらなくなります。

 話は戻りますがそういう意味で自分のようにいつでもどこでもなんでも書けるライターの需要は密かに高まっている気がします。特にウェブ記事が隆盛するにつれて一記事辺りの深さはどんどん浅くなってきており、読者層も薄味な記事を求む傾向がますます強くなってきていることもこうした流れに拍車をかけています。このように考えると、望んで今の実力を身に着けたものではないものの割と時代の追い風を受けているという気はします。
 人によっては私のようなタイプを器用貧乏と取る人もいるかもしれませんが、かねてからこのブログで書いているように、かつてソニーで花形だったブラウン管テレビの技術者が液晶への技術転換によって末路は悲惨だったという話を聞いていこう、専門性を深めるリスクに対して明確に懸念をしてきました。このリスクはイノベーションがさらに激しくなった近年に至ってはますます度合いを強めているだけに、あながちこの警戒は間違いではなかったでしょう。

 最後に、なんでも書けると言いながら私にも経済記事書く上での苦手分野はもちろんあり、苦手意識はないけどレベルが及ばないのは前述の半導体業界で、明確に苦手意識を持っているのはホテル業界です。一方、最初に言及した知人はエレキ業界が苦手で、この方面の記事は私がよく請け負っていました。
 逆にそこそこ得意だと思うのは不動産、人材業界、決して上等ではないけど日本の記者よりはまともなの書けるなと思ってるのは金融業界です。また最近得意分野になりつつあるのは、分野というかテーマですけどコンプライアンス関連です。

2018年2月9日金曜日

現代も色濃い松田優作の影響とオマージュ

 先日、ふとしたきっかけから「GANTZ」に出てくる岡八郎というキャラクターがのモデルが松田優作であるということを知りました(言動は岡八郎氏そのものですが)。言われてみると確かにそうと取れる面影があるのですが、なにもこのキャラクターに限らず松田優作をモデルにした漫画キャラクターは非常に多くいます。
 代表的なものを挙げると、「北斗の拳」のケンシロウ、というよりこの漫画の作者の原哲夫氏が書く主人公キャラはみんな松田優作にしか見えません。また平松伸二氏が書く漫画の主人公も「ドーベルマン刑事」をはじめやはり松田優作をモデルにしているように見られ、あと「シティハンター」の主人公、冴羽遼もそうなんじゃないかという気がします。

 一体何故これほど多くの漫画家が松田優作をモデルにキャラクターを書いたのか、やや世代が異なり現実の松田優作の演技をあまり未定な自分からしたらやや想像しづらいのですが、伝え聞く限りではその存在感や迫力は同時代の俳優をもってしても群を抜いており、実際に共演した経験のある俳優も誰もが口を揃えて「別格だった」と話していることから、スターとはまた違った存在感を持つ人物であったのではと推察しています。

 一方、こう言っては何ですが近年の俳優らで、この松田優作のように漫画や小説でモデルとされるような人物がいるかとなると、正直あまり浮かびません。強いてあげるとしたら阿部寛氏で、髭面のイケメンキャラクターをみるとどことなく面影を感じさせる辺り多方面へ影響を与えているのではないかと思います。
 このほかだとパッと思い浮かぶのは、プロレスラーのグレートムタこと武藤敬司氏で、スキンヘッドで髭はやしたいかついキャラクターともなるとこちらも彼の面影があるどころか、「夜王」をはじめ、「どっからどう見ても武藤じゃねーか」と言いたくなるくらいそっくりそのままに書いてくる漫画家すらいます。まあそれだけあって、武藤氏の存在感はやっぱすごいですが。

 このように男優でも他のメディアにモデルで使われる人間はあまり出てこず、女優ともなると私が知る限りでは現在皆無です。石原さとみ氏っぽいキャラ出てくる漫画とかあんのかな。

 現実に、今の時代で評価される俳優は松山ケンイチ氏や山田孝之氏など、役柄に合わせてがらりとイメージを変えるカメレオン俳優ばかりで、かつての高倉健など一つのイメージを保って強い存在感を感じさせる俳優は逆に評価されません。唯一例外なのは「クズキャラの帝王」こと藤原竜也氏で、もうなんか犯罪者以外の役は演じられないんじゃないかってくらいクズキャラしか演じず、「クズと言ったら藤原竜也」というくらい変な風に存在感持っています。

 以上を踏まえて極論を述べると、なんとなくですが日本社会全体で個性が失われつつあるるのかなという懸念がよぎります。過去に高倉健について書いた記事でも同様の意見を述べていますが、キャラの濃い人間が芸能界はおろか一般社会でも少なくなってきているように思え、それこそ中国人やハリウッド俳優とかと比べると顔が覚えられないということが多いです。現実に、私の世代は個性があればあるほど学校を含め社会では不利になる傾向があり、やはり全体として没個性的な世代だと感じます。

  おまけ
 松田優作をモデルにしたキャラクターをいくつかあげましたが、一番強烈なものを挙げるとしたらやはり「ゾンビリベンジ」という英文法をどっかしら間違えたとしか思えないタイトルしたゲームに出てくる毒島力也でしょう。具体的には、


こんなん

 詳しくはさっきリンクを付けた解説記事に書かれていますが、舞台がアメリカなだけに登場人物はみんな英語で会話する中、何故かこのキャラだけ平気で日本語をしゃべり続けるし、「この邪気は……」などと脈絡ないことばかり話したり、松田優作そのものな外見もあってモデルとなった人物同様に強烈なインパクトを残しています。しかも必殺技がゾンビ相手にかける「四の字固め」で、このキャラ一人の存在でこのゲームがゾンビゲーであることが分からなくなってしまうくらいでした。

2018年2月8日木曜日

自動車業界、オヤジギャグコピーの時代

【百花繚乱!!】日本が生んだ奇跡の時代のクルマたち6選(ベストカー)

 上の記事リンクは今日出たものですが、ベストカーなだけに見事な選出だと思います。ただこの記事を読んで思ったのは、古き良き時代の日系スポーツカーよりも、あの時代に何故か流行ったオヤジギャグコピーの嵐でした。
 現在でこそ自動車のテレビCMと言ったら海外の風光明媚な場所を颯爽と走る光景を映したようなものが主流で、あとは家族と一緒にウキウキドライブ的なものが放映されるくらいですが、何故か90年代はキャッチコピーによくオヤジギャグが使われており、今思うといろいろあり得ない宣伝方法だったような気がしてなりません。そこで今日は、私が覚えているいくつかのオヤジギャグコピー車を紹介します。

ホンダ・インテグラ

 天皇家御用達でおなじみのこのホンダカーですが、2代目販売時のキャッチコピーはなんと「カッコインテグラ」、「調子インテグラ」、「気持ちインテグラ」、「めっちゃインテグラ」という、恐怖のオヤジギャグ四段活用となっていました。しかもこのコピー、何を考えたのか映画「バックトゥザフューチャー」に主演したマイケル・J・フォックスに言わせており、当時の日本が如何に強大なマネーを使ってハリウッド俳優に変なことやらせてたのかが垣間見えます。
 ちなみにハリウッド俳優でいえばトヨタもちょっと前ジャン・レノにドラえもんをやらせていましたが、下請けから吸い取った利益でああいうCMが作られているとか考えるとなんかいろいろやきもきします。確かに面白かったけどさ。

トヨタ・スプリンタートレノ

 「頭文字D」でお馴染みの「ハチロク」をその系譜に持つスプリンタートレノですが、その最終モデルに当たる8代目(AE110)のCMでは武田真治氏に「オレノトレノ」と言わせていました。全くひねりのない、実にストレートなオヤジギャグコピーに思え、例えるなら水泳の飛込競技で真っ逆さまに落ちるかのようなキレのなさを覚えます。
 ちなみにこの型、自分は勝手に「エーイーイットオ」と呼んでいましたが、Wikiの記述によると「ヒャクトオ」とか「イチイチマル」と呼ばれてたそうです。ひとつ前の7代目(AE100)は「ヒャク」、「イチイイチマル」だったそうですが、誰も「百式」とか呼ばなかったのかな。

スズキ・スイフト

 現在でこそ「コンパクトスポーツ」なイメージが確立されたスイフトですが、そうなったのは2代目からで、初代スイフトについて言えば完全に「安かろう悪かろう」で如何にもいい加減に作ったような車でした。
 コンパクトカーが普及し始めたからうちらもともかく安く作ろうをコンセプトに作ったのか、発売当初から当時の価格帯を大きく引き下げるような安価で売り出され、2年後にはさらに値段を引き下げた上で、「泣く子も黙る79万円」という強烈に加齢臭を感じさせるコピーで売ってました。ちなみにこの値段、当時でも軽自動車より安かったそうです。

 一体何故このようなオヤジギャグコピーが流行ったのか、はっきり言ってかなり謎です。考えたのは自社広報部なのか、広告代理店の連中なのかわかりませんが、どっちかっていうとオヤジ臭さ的に各社広報部なんじゃないかなという気がします。
 もし敢えて現代でこうしたキャッチコピーを考えるとしたら、「この車、俺にアッテンザね」ってのが真っ先に浮かび、次に出てきたのはセリーヌ・ディオンを呼んできてセレナに乗せて、「セレーナ・ディオン」とか言わせるものでした。

 なお自動車業界のキャッチコピー全体でいえば、初代プリウスの「20世紀に間に合いました」が最も価値が高いコピーではないかと私は思っています。当時の時代背景を考えるとプリウスのハイブリッドシステムはオーパーツもいいところで、敢えて例えるなら二次大戦期にアスロックを導入するくらいの先進性だったと考えています。
 ちなみにこのアスロック、ゲームで使ったらめっちゃ便利で使いやすく、それまでの爆雷による潜水艦撃破と比べ劇的に効率が上がって重宝しました。たまにふざけて海上の軍艦にもぶつけたりしてやったけど。

2018年2月6日火曜日

花園祐は反日か?

君の四股名は

 最近、Googleで自分の名前を検索に書けると検索候補に「花園 祐 反日」と表示されるようになり、自分で見ていていろいろ笑えてきます。こうなったのは間違いなく最近JBpressで出している記事が原因でしょうが、果たしてこのブログの読者ならこの検索候補表示についてどう思うのか、この点については少し気になるところです。8年前にNHKの取材を受けた際には、「口ではいろいろ悪く言ってますが、日本の将来についてブログで熱く語ってるじゃないですか」と言われはしましたが。

 そもそも、自分が愛国心を持っているかどうかは自分で決めるようなものではないと私は思うので、自分の日本への帰属意識がどこまであるかについてはわざわざ分析しませんし興味もありません。相撲は愛していると胸を張って言えますが。
 同時に、周囲の人間が私に対してどう思うのかについて、「それは違う」と否定するのもまたおかしいと考えています。実際に口に出したり行動に移したりするとなると別ですが、各人それぞれの思想なり意識があるのだからそれに対して間違っているとか否定するのはやはり違うように思え、何をどう考えるかについては完全に自由でなければならないと思います。従って私への評価も、反日だと思う人がいるのなら別にそれで構いませんし、私が否定することはあってはならないはずです。そもそも、かつて何度も「てめぇなんか人じゃねぇ!」と面罵されてきたので、それに比べればまだ人間扱いされてるだけマシかという気すらします。

 ただ、現実の立場や身の置き方となるとこれは実態が伴うため話は別です。こうした前提を踏まえた上でいうと、やはりこういう言葉を聞くと「幻想水滸伝2」というゲームの冒頭でのワンシーンを思い出します。具体的にそれはどういうシーンかというと、裏切ったと言われている人間が、先に裏切られただけだというシーンです。
 大体2011年から2012年くらいの記事にも書いていると思いますが、自分が好き好んで中国に現地採用しに来たのかというとやはりそれは違うと思います。結論から言えば日本では機会が得られなかったから中国に来ざるを得なかっただけで、日本で完結できていたら今でも毎週ジャンプを買って読んでたはずでしょう。選択したのは私自身であるためその結果についても私自身がそれを負うのも当然ですが、仮に2010年に決断していなかったら、今の十分の一くらいにつまらない日々を送っていたと断言できます。その分、貯金は今の十倍はあったでしょうが。

 今こうしてライターとして活動しているのも、日本に居続けていたらまず関わることのなかった組織にいるのも、「若い今じゃなければもう来られない」と考えて2010年に決断していなければあり得なかったことです。
 なお少し細かく書くと中国は2013年から外国人の就業を厳しく制限し始めたため、決断が2013年以降まで遅れていたら多分私は中国に来ることはできなかったでしょう。ちょうど就業条件の一つである2年超の正社員経験も得られたばかりでしたし、あの決断タイミングはこれ以上ないくらいベストなタイミングでした。

 話を戻すと、自分は機会を求めましたが、むしろ他の人なら拒否するほどなのに、日本では誰もそうした機会を与えてくれることはありませんでした。仕方がないからすこぶる不利な条件で自分一人で乗り込むしかなくなり、実際そうして、そこそこ面白い経験を持ち帰ってきたところ今度はその経験にだれも見向きせず、仕方ないからまた中国来ているというのが今の現状です。
 断言しますが、こと中国関連の業務において今の自分ほど効率のいい人間ともなると非常に限られてくると思います。その上私は病的なほどに欲がなく、待遇面での要求も恐ろしく低いままです。それでも日本では誰も機会をくれず、今の私を反日と呼ぶ人も一定数以上いるという今の始末です。

 無論、私を批判する方々が私のこれまでの軌跡を知るはずもなく、ただ単に読んだ記事内容だけで批判していると思うため、案外自然な帰結だろうと私も思います。私としては、先にボールを投げたのはそっちなのになとは思いますが。
 こうした状態は他の人の目にも同じように映っているようで、先日も読者の方に、「今の君は桜田門外の井伊直弼みたいだ」と直接言われました。なかなかいい得て妙だと私も思え、「むしろ武市かもしれません」と私も返答しました。

 以上を踏まえて言うと、「先に裏切ったのはどっちだ?」と私が問うことに意味はないでしょう。強いて言えば、「それは時代が決めることで、人の意思など全く関係ない」というのが最適解として相応しいでしょう。自分も反日かどうか、いちいち意見を述べることすらもはや煩わしいだけですし。

 ちなみに今現在で私が最も裏切り者だと思う人物を挙げるとしたら、元千葉ロッテ、現在はヤクルトスワローズにいる成瀬投手です。頼むから2007年の頃みたく復活してくれ(´;ω;`)ブワッ

2018年2月4日日曜日

上海の日本語アニソンライブ

「北斗の拳」主題歌の演奏

  JBpressの原稿といいマージン率の調査といいで非常に忙しく記事アップが遅れましたが、二週間前に上海で開かれたアニソンライブに行ってきました。

 このバンドはかねてから日本のアニメソングを日本語で歌うバンドとして活動していますが、メンバーは全員中国人です。にもかかわらず日本語の歌詞を極めて上手に熱唱しており、実力に関しては間違いなく高いと私も太鼓判を押します。
 そもそも何故音楽に疎い私がこんなライブに参加してきたのかというと、また例によって友人の上海人が「一緒に行こうよ!」と誘ってきたからです。当初は以前にも行ったことのあるライブハウスでの公演を見に行く予定だったのですが、私も行くと返答した後すぐに友人がチケットを予約していたらそれで済んだところを、何故か翌日になってから予約しようとしたところ、既にチケットは完売されていました。仕方ないので日程を変え、別のライブハウスで開かれる公演を予約(こっちの方が価格は高かった)する羽目となりました。
 なおその後、私たちが行ったこのライブチケットもすぐに完売し、さらにはまたまた別のライブハウスでの公演も同じく完売していたそうです。控えめに見ても非常に人気の高いバンドであるとともに、日本語での演奏にも拘わらずこれほど中国人ファンが聞きに来るのかという点で驚きでした。

「ペガサス幻想」。最近知ったがこの時の聖矢のクロスはアニメオリジナルらしい。 

 演奏された演目は北斗の拳の「愛を取り戻せ」や、「ペガサス幻想」、あとタイトルは忘れましたが「サムライトルーパー」の曲などがあり、こんな大昔の曲を中国人ファンは喜ぶのかといろいろな点でびっくりです。ほかにもドラゴンボールの「チャラヘッチャラ」とかもあり、非常に歌も上手ではあったと思うものの、上記にアニソンの原曲を謳っている歌手(影山ヒロノブとかクリスタルキング)がはっきり言って歌唱力が異常な連中ばかりなため、さすがに原曲と比べるとややレベルが落ちる感があります。
 逆を言えば、あんま歌が上手でない歌手の歌を歌わせたら、多分このバンドのボーカルの人の方がうまいんじゃないかと思うレベルではありました。差し当たって歌が下手なアニソン歌手と言ってすぐ浮かぶのは、頭文字Dの「m.o.v.e」くらいですけど、あれはあれで下手っぽさが作品とあっててすごくいいのですが。


 バンドのボーカルは男性と女性で一人ずついて、私の好みもありますがこちらの女性ボーカルの歌の方が伸びがあってよかったような気がします。歌ったのは新世紀エヴァンゲリオンの「残酷な天使のテーゼ」でしたが、個人的には「魂のルフラン」とかが聴きたかったです。他には「名探偵コナン」の倉木麻衣氏の曲なども歌われました。
 あと意外な選曲として、新世紀GPXサイバーフォーミュラーの「I'll Come」という曲も歌われました。さすがにこの曲ともなると日本人でも知ってる人間は限られることもあってか、会場の客も「え、これ何の曲?」と戸惑う感じの人が多くいました。ただ私の後ろにいた二人組の女性客は知ってたらしく、演奏が始まるとめちゃくちゃ興奮してました。
 個人的には、「Wild at Heart」の方が聴きたかったです。なおこの歌の歌手は「CaYOCO」という人物がクレジットされており、この人がどういう人か、ほかにどういう歌を歌っているかはこれと言って情報がなく、中国のサイトでも「この人誰なの?」という質問がネット上で出ていますが、声からして大黒摩季氏ではないかと私は推測しています。この人はその作詞の裏側が後年ネタバレされたのをみて「やっぱり……」と内心思いました。

 この日、会場が一番盛り上がったのは、その大黒摩季氏も関わる「スラムダンク」の楽曲演奏時でした。大黒氏の「あなただけを見つめてる」だけでなくWANDSの「世界が終わるまでは…」が演奏され、特に後者は最後のアンコールでもう一度演奏されたくらいでした。中国、特に私と同世代ではスラムダンクの人気が桁違いに高いとは知ってはいたものの、こうして日本語の歌詞でこれほどまで興奮する人がたくさんいるというのはなかなか体験してみないと実感できないものです。
 なお友人の上海人もスラムダンクを見て一時期バスケットをやっていたそうです。その後日本に渡ってからは「京橋のキムタク」と自称してました。

 最後に、写真を見てもらえばわかりますが各演奏中は後ろのディスプレイにその曲のアニメ映像が流されていましたが、これらはきちんと許諾を取った上での演出だったようです。ライブ中、この映像の許諾が得られなかったことから一部の曲目(確かナルト)が演奏できなかったという事実がバンドの方から説明がありました。
 また、「進撃の巨人」の曲目についても、「歌詞が過激すぎることから当局から公共での演奏が禁止された」との事実も明かされました。噂には聞いてはいましたが、実際に適用されるケースに出くわしたのは私にとってこれが初めてです。

 敢えて応用的な意見を最後に載せると、演奏された曲目は当局に止められた「進撃の巨人」を覗いてどれも二十年以上前の曲ばかりという事実こそが一番注目すべき点でしょう。十年くらい前なら浜崎あゆみ氏やKIROROの曲が中国でも流行していましたが、果たしてここ数年の日本の楽曲で中国でのライブ公演をするとして客が集まるかとなると私としても非常に疑問です。
 日本の音楽の質が落ちていると言えば簡単ですが(実際そうだと思う)、それ以上に中国人が日本の歌を聞く機会がかつてと比べて極端に少なくなっている現状にもっと危機感を覚えるべきではないかと思います。やはりアニメを通して知る機会が多いと思うので、その辺をどう今後活用すべきか、真面目に戦略的に考えるべきでしょう。

 なお近年、と言ってももうこれも十年以上前ですが、自分が傑作だと思うアニソンは「ぼくらの」の「アンインストール」です。作品の内容とマッチし過ぎて、未だに聞くだけで涙出てきます(ノД`)

2018年2月1日木曜日

私が恐れる中国人ライター

 昨夜はマージン率の追加取材でなんかやたら気持ち的に疲れ、そのあと書いたブログ記事もやや荒れている気がします。このところ意識上では比較的体調はいいですが、こうして記事書く際にキーボードのタイプミスが非常に増えていることからも見えないところで疲労を背負ってるのかもしれません。もっともそんな状態でありながら、最高気温4度の今日も普通にコート着ず春用スーツで出勤してますが。

 話は本題に入りますが先日、成田空港で起きた中国人旅行客の暴行騒動について私も記事を書きましたが、記事を出した段階では既に事件発生から数日が経過していたものの、なんか今週に入ってからこの件に関する言及というか報道が時間差で増えている気がします。自分としてはコメントに応じて書いただけでそうした流れはまったく気にしていませんでしたが、個人的に読んで(ノ∀`)アチャーと思ったのはこの記事でした。

中国人観光客「成田空港騒乱」でわかった中国世論の“常識度”(ダイヤモンド)

 この記事を書いているのは莫邦富氏という中国人ジャーナリストの方です。
 私がこのブログでダイヤモンドの記事を引用する際は大抵そのダメっぷりを批判するときくらいなのですが、この莫氏の記事については別で、毎度その記事のレベルの高さにはため息をつかされています。それ以前に何が凄いかって、莫氏は中国人であるにもかかわらず下手な日本人ライターよりずっと文章表現が上手で、「なんでこんなうまい日本語を外国人が書けてしまうのだろう」と毎度ながら思わされます。

 今回、この成田空港の騒動に関する莫氏の記事を見て何故(ノ∀`)アチャーと思ったのかというと、「莫氏と被ってしまった……」と思ったからです。正直に言って相手があの莫氏ともなると私では太刀打ちできないと考えており、実際に私の記事なんかより莫氏の記事の方が簡潔にこの事件についてまとめている上、鋭い視点で総括しています。素直に実力の差を感じさせられる相手なだけに、ほかにも何人かいますが、記事内容が被ってしまったらただただ自分の記事の惨めさをさらすこととなるので、記事内容を被らせてはならない相手だと莫氏についてはかねてから考えていました。
 それが今回見事に被ってしまい、あーあと嘆息するとともにやはり莫氏の分析は鋭いなとただただ脱帽することとなってしまいました。

 今回の莫氏の記事と私の記事の異なる点挙げるとすれば、在日中国大使館が緊急的に対応した点をきちんと誉めていることだと思います。まぁこれ以外にも細かい点でいろいろ違いますが、やはり文章の運び方に妙を感じさせられ、私のようにだらだらとした文章になっていないあたりは相変わらずだと感心させられます。
 文章表現だけであれば時間かけて書けばどうとでもなりますが、やはり莫氏の場合だと視点が非常に鋭く、過去の記事でも「こんな見方があったのか」と思わせらえる記事が非常に多いです。

成田空港で中国国歌、職員に暴行・逮捕…中国人観光客はなぜ日本で暴れるのか(産経新聞)

 一方、対照的にレベルが低いと感じたのはやはり上の産経の記事です。見比べてみれば一目瞭然ですが、視点が「迷惑に感じる日本人」の目しかなく、莫氏のように大陸の中国人の視点、ライターとしての莫氏の視点、騒ぎを増長させようとする中国人の視点など複数の立場から見た記述は全くありません。それどころか、一部事実を敢えて伏せた上で、より中国人旅行者を悪く見せようとするような記述も見えます。
 今回、自分としても恥をさらすことになるとわかっていながら莫氏の記事を何故引用したのかというと、読者の方にこの産経のダメ記事と比較して読んでもらいたいと思ったからです。私個人の視点でいえば、非常に実力差がはっきり出る比較になるように思え、いいライターと悪いライターの差はどこにあるのかを示す上でいい好材料だと考えています。

 なお産経についてはこのところ堕ちるところまで堕ちたなと強く感じます。リンクを付けませんが昨年末に産経が報じた、沖縄の自動車事故で米軍が救助したという報道は、当の米軍自身が否定しており、現時点でほぼ捏造と断じても十分でしょう。特に当事者である産経新聞自身が捏造だとの報道に対して何もコメントしていないという点も、暗に状況を裏付けています。
 わざわざ捏造報道をしてまで米軍の方を持とうとする辺り、「お前はどっちの味方だ?」と某シーマ・ガラハウみたく問いたくなります。沖縄メディアが憎いから米軍を持ち上げるなど、何がしたいのか私には理解できません。せっかくだから産経は自社内を取材してフェイクニュース特集でも組んだらどうか、その際に腕利きのライター、それこそ産経が憎んで止まない中国人である莫氏なんかにお願いして記事でも書いてみたらどうかと提案したいところです。