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2009年1月31日土曜日

最近の見上げた若者について

 確か二、三年前の話だったと思いますが地中海にある紀元前の遺跡から出土した石版に、「最近の若い者はなっとらん」と書かれたものが出てきたそうで、いつの時代も年配の世代は若年世代に対して万国共通で批判的であるという風なニュースがありました。かくいう現代の日本も多かれ少なかれそういうところがあり、この前にあった成人の日ではあまりニュースになりませんでしたが、成人式で新成人が暴れるというニュースはここ毎年の日常茶飯事と化し、その他のメディアでも若者という言葉は「元気がない」、「消費意欲がない」などと否定的な言葉と組み合わせられて数多く使われています。

 そんな現代の日本で私は二十代ということで一応若者に属してはいますが、そんな私から見てどうもこのところの若者、というより自分より年齢が下の世代について、若いのにしっかりしたのが多いなぁと関心する機会が増えています。
 まずエントリーナンバー1番はマー君こと楽天の田中将大選手で、この子なんか甲子園の頃はメディアから徹底的に現早稲田大学野球部の斉藤佑樹選手に対するヒール扱いされっぱなしで、見ているこっちがかわいそうになるくらいの扱われようでした。しかしそれにもめげず、果てにはドラフトで希望していた日ハムではなく楽天に決まった際もプロとしてやってけるのならと言ってすんなり入団し、入団後は野村監督に「マー君」って呼ばれて毎回ネタにされても文句もいわず、挙句に去年のオリンピックでは初戦の敗退を受けてダルビッシュに言われて(脅されて?)素直に丸坊主頭にするなど、見ていて素直で人の言うこと聞くしテレビカメラの前でも非常に謙虚で落ち着いた対応は大したものだと感心させられます。

 そんなマー君以上に落ち着いているのとくれば、こちらはエントリーナンバー2のプロゴルファーの石川遼選手です。この石川選手もテレビの前でも全然落ち着きを保ち、またプレー前のコメントでは常に低く謙虚に構えて年齢が上の選手を立てるように話すだけでなく、今年大活躍しても一切それを鼻にかけない態度など文句の付け所がありません。特に私が一番感心したのは今年の賞金総額が一億円を越えたことについてのコメントで、
「別に僕のポケットに一億円が入っているわけじゃありませんから、実感がありません」
 と、実に清々しく答えています。

 これに対して、今の大人連中はどんなもんでしょうか。
 そりゃまぁいっぱい人がいるんだから中には変な人もいて当然ですが、謙虚で落ち着いているという点で今の二人に比肩する人って言うのはそう多くないんじゃないかと思いますし、むしろ私は嫌いじゃないけど政治評論家の三宅久之氏をはじめとして絶叫激怒型のコメンテーターが増えていて、ちょっとはこの二人を「最近の若者は」などといわずに見習ったらどうだろうかという人もいます。

 確かに自分の周りを見ていると教養もないしふにゃふにゃした若者もたくさんいますが、中には年配の方以上にしっかりした人間もおるので、一概に若者と侮るべきではないのではないかと思います。特にこれはテレビを始めとしたメディアの方に強く言いたいのですが、街頭調査などで「いかにも」って感じの変でフラフラしてそうな若者を写すのだけはやめてもらいたいです。やっぱりワイドショーを見ていると女子高生とかでも派手なアクセサリーをつけた人ばっかり映ってくるし、逆に「毎月本を十冊以上読んでいます」って感じの若者はほとんど登場してこない……まぁ少ないのはわかっているけど、もう少し真面目そうな若者も映してもらいたいと個人的に思います。
 これなんか社会学的な解釈になりますが、やっぱり変な若者ばっかり映していると、世の中の標準はこれなんだと変に勘違いする若者も出てきてしまいかねないので、全く映すなとは言いませんがもう少し真面目そうで謙虚な若者もいるんだ、っていうくらいの報道を心がけてもらいたいです。

韓国政府、L/C発行規制か?

 本当はもう少し情報ソースを確認してから紹介しようと思っていたネタなのですが、この際もったいぶらずに紹介しようと思います。
 まずいきなり本題から言っちゃいますが、どうも今年に入り韓国政府がL/Cこと信用状の発行を規制しているのではないかと各所で言われています。この信用状というのは貿易決済に使う一つの手段で、商品を買う側と売る側の間に銀行を仲介することによってお互いの食いっぱぐれを防ぐ手段で、具体的な例を挙げて説明すると、日本のある会社が韓国の会社に商品の車を売る際、まず買う側の韓国の会社が地元の銀行に信用状口座を開設する申請を出し、それを受けて韓国の銀行が口座開設をするとその旨を車を売る側の日本の会社と取引のある銀行に伝えます。

 そうして伝えられた情報を元に、日本の銀行はその売り側の会社に信用状書類を届けます。日本の企業はその書類を元に貿易書類を作り、運送業者に商品の車を渡す代わりに受け取る書類(荷為替証券)とともに日本の銀行に発行された信用状を届けます。この時点で、売り側の日本の会社は日本の銀行より販売する自動車の代金を受け取ります。
 そして代金を払った日本の銀行は今度は韓国の銀行へその書類を売ります。なぜならこの信用状取引ではその書類自体が商品の所有権を証明する有価証券となるので、いわば車の所有権をその代金で日韓の銀行で取引する構図となります。そうして韓国の銀行へ書類が渡ると、車を買う韓国の会社はその車の代金を銀行に支払うことで商品を受け取るのに必要な諸々の書類を受け取り、最終的にその手に商品を得ることになるのです。

 一見するとややこしいこの取引が何故行われるかというと、国際間の取引では片方が商品を出したところで買う側がお金を払わなかったり、逆に前払いでお金を出していたのに売り側が商品を出さなかったりするというトラブルがよく起こるため、それぞれの国の銀行が仲介することによってこのような問題を解決しようという目的からこの信用状取引が生まれていきました。

 それでこの信用状取引なのですが、なんでもメガバンクに勤めている方から聞くと、今年に入りこの信用状が韓国から全くといっていいほど発行されなくなったというらしいです。単純に韓国側が信用状を発行するということは韓国のお金を外国に流すこととほぼ同義なので、もしかするとこの世界的金融危機に瀕して韓国政府が自国の現金保護のために信用状開設を制限、もしくは規制しているのではないかということが考えられます。

 一部のSF小説家ばりの評論家はこの世界的恐慌がきっかけとなり、世界各国はかつての二次大戦前のように保護貿易が進み対外取引が急激に減っていくのではないかと予想していましたが、この信用状取引の規制も見方によってはそうとれます。
 この信用状の口座開設が少なくなってきていることに関してまた何か続報があればお伝えしますが、単純にいってあまり日韓双方にとってあまりよくない状況なのではないかと個人的には憂えています。

2009年1月30日金曜日

猛将列伝~田単~

 この猛将列伝も本当に久しぶりです。別に忘れていたわけじゃないのですが、このところはニュース以外に書くことなかったら連載記事を優先していたのでほとんど書くことがなくなって来ていました。
 それで今日は「田単(でんたん)」という人物について紹介しますが、この人のことを知っているのはほとんどいないといっていいくらい超マイナーな人物で、よっぽどの中国史マニアでなければまず知らない人でしょう。。

 田単は中国の戦国時代、西暦にすると紀元前三世紀の人物で斉国の下役人でしたが、それ以前に斉が滅亡の寸前にまで追い込んだ燕国が名将楽毅を擁して六カ国連合軍を作って攻撃を始めることによって一転、斉がそれまで所有していた七十城(中国は都市を城壁で囲んで城と呼ぶ。「七十都市」と言い換えても問題ありません)が奪取されてたった二城だけとなり、今度は逆に斉が滅亡の寸前へと追い込まれていました。しかもそんなドサクサにまぎれて二城の一つの莒城では宰相が斉の国王を殺して反乱を起こしこのまま滅亡かと思いきや、皇太子が宰相に逆襲したことによって城内で一致団結が強まり、これは攻め落とすのには難しいと判断した楽毅は軍勢を一旦引き上げ、残りの一城の即墨城(現在の山東省即墨市)へと兵力を集中させました。この城の中に、今日の主役の田単も逃げ込んでいたのです。

 即墨城に燕軍が攻め込んだことによって即墨も最初は応戦したものの、相手はあの諸葛孔明も尊敬したという楽毅とのことであっさり大敗し、その戦闘で即墨側は将軍が全滅するという非常事態に陥りました。そこでまだ兵学を勉強したことがあるということで重臣らは田単を将軍にしようと呼び出すのですが、当の田単は相手が楽毅では自分だとどうしようもないと固辞するものの、講和条件をよくするだけでもいいとせがまれてしぶしぶ承諾しました。
 そうして田単が将軍になった直後、なんと燕の国で突然国王が病気で死亡してしまいました。田単はこのニュースを受け、楽毅が今度国王となる皇太子とそりが合っていなかったという噂から、ひょっとすれば何とかなるかもしれないと希望を抱くのでした。

 田単はまずスパイを放ち、楽毅は遠征を続けるのは実は反乱や独立を考えているからだという噂を燕国内に流しました。これを真に受けた皇太子は楽毅に対して遠征の労をねぎらうという目的で将軍職を解いて交代する将軍まで派遣したのですが、楽毅としても新しい国王とはそれまで仲がよくなかったこともあり、その帰還命令に従えば帰国するや誅殺されると読んでそのまま帰国せずに他国に亡命してしまいました。
 こうして最大の障害である楽毅を排除すると田単はまず、城内の人間に対して毎日先祖へお供え物を出すよう命令を出しました。するとすぐにそのお供え物を狙って鳥が城内に飛び集まるようになり、これは神が降りてくる前兆だとして適当な人間を神の使者に仕立てて選ぶと城内の兵士に対し、
「これからはこの者の口から出る神の作戦を取る。命令をよく聞くように」
 と訓示し、それまで下役人ゆえに見くびって命令に従わなかった兵士を統率しました。

 そうして城内をまとめると田単はまたもスパイを使って燕軍の中に、
「捕虜は鼻そぎの刑にあっているらしい」
「城の外のお墓が荒らされたらどうしよう」
 という根も葉もない噂を流し、またもそれを真に受けた燕軍は相手の戦意が落ちるだろうと考え片っ端からその流された噂を実行して斉軍に見せつけました。すると斉軍は思ってもないそれらの暴挙に怒り、必ずや逆襲して見せるとますます団結力が高くなり、田単の思うとおりに事が動いていきました。

 ことここに至り決戦の時期だと考えた田単は燕軍に使者を送り、城内の反対する人間を説得したら降伏するから五日の猶予をくれと、偽の降伏を燕軍に申し出ました。燕軍としてもそれを聞いて長らくの遠征がようやく実ったと将兵揃って大喜びし、申し出通りに五日の猶予を与えてしまいました。
 すると田単はその日のうちに城内の食料をすべて放出して兵士に与えて体力をつけさせると、一部の城壁に穴を空けて城内の牛をねこそぎ集め、その牛の角に刃物をくくりつけて夜を待ちました。そして夜に入るや、田単は集めた牛を一挙に城壁の穴から追い立て、その後にはそれまでの斉軍の暴挙に怒りを持った兵士を突入をかけるという奇襲を行いました。対する燕軍はすっかり相手は降伏するもんだと油断していたのもあり突然の奇襲になすすべもなく、楽毅の代わりにきた将軍もその夜のうちに討ち取られて城を包囲していたのが一挙に敗走にまで追い込まれました。

 こうして即墨を救った田単はその後も燕軍に奪われた城へ攻撃をかけると、一度は降伏したそれらの城の軍勢も悉く田単に呼応して燕に対し反乱を起こしたために、あっという間に田単は首都を含む奪われた七十城をすべて奪い返してしまいました。その功績に対し、首都に戻ってきた国王は田単に多大の領地を与えてその救国の功績に報いました。
 前にも書いたように、史記には才能も実力もある人物がほとんど報われない話が多く、作者の司馬遷はそれを評して「天の力は微なり」という言葉を残していますが、そんな史記の中でこの田単のエピソードは数少ない成功したエピソードで、私が史記の中で一番好きな話でもあります。

今月の陽月秘話の成分

 実は内緒にしていましたが、先月からとうとうこの陽月秘話の本店ページにも「Gogle analytics」を入れてどれくらい訪問者がいるのかとかを調べていました。出張所のほうではアクセスカウンターがついているものの、本店の方ではどれくらい毎日閲覧者が来ているのかとかどんな検索ワードで私のページが引っかかるのかとかはこれまでずっと謎で、運営している私としても内心ハラハラで興味をずっと持っていました。
 そうして入れたアナリティクスですが今日を持ちましてひとまず導入から約一ヶ月が過ぎたということもあり、以前から友人らにも入れたら結果を教えてくれといわれていたので今日はそれらの情報を公開しようと思います。

 まず一番重要な閲覧者数ですが、あんまりアナリティクスの用語をわかっていないのですが「ページビュー」で見てみると、十二月三十日から一月二十九日までのこの一ヶ月でなんと2268もあり、一日平均で約70人もの人が見に来てもらっているという計算になります。出張所のアクセスカウンターは大体30~40人で推移しているので、多分見る人は同じだろうから本店でもそれくらいかなと予想していただけにこの数字には私もびっくりしました。下手すら毎日四、五人くらいだと思ってたし……。

 そして検索ワードについてですが、これはやっぱり見ていていろいろ面白かったです。
 まず現在までで一番検索ヒット数が多い用語はやっぱりタイトルの「陽月秘話」で77回でしたが、実は最近までこのワードは二位で、それまで一位だったのは何かというとなんと「宮崎繁三郎」で、このワードは現在までに63回もヒットしています。これには私も全くの予想外だったので試しに自分でもググって見ると、本当にトップから三番目に私のブログが来ています。自分で言うのもなんですが、手抜きしたわけではありませんがあんな拙い記事でこんなにヒットしていいものかと今でも大いにたじろいでいます。

 それで他の検索ワードですが、やはり目に付くのは「竹中平蔵」の四文字です。大抵はこの「竹中平蔵」に対して「功罪」や「評価」などという言葉がくっついてワード結果としてはばらついているのですが、それらをすべて合計したらまず間違いなく検索ワードとして一番ヒットを稼いでいるでしょう。これについては私の方としても異論はなく、このワードで検索に引っかかる「竹中平蔵の功罪~陽変~」の記事は私も胸を張って他人にお見せできる記事……だといいたいのですが、改めて読んでみると内容は自信がありますが結構文章が荒れていますね。まだブログ記事の書き方に慣れていない頃だったからだけど、こんど書き直そうかなぁ。

 そのほか多くて気になる検索ワードは「日本の法人税」についてです。これは私もそうでしたが、案外この法人税について国際比較をきちんとまとめたサイトや資料というのはあまりネット上になく、私が記事中で使用したように紙媒体の記事でしかまだ参考に足る資料は見たことがありません。つくづくニッチなところに私のブログはひっかりますね。
 逆に全く意味がわからない検索ワードで、「猥褻なネットカフェ」というものがありました。これを検索した人は私のブログに何を期待したのでしょうか。

 なんにしてもこんな文字ばっかでお堅い内容のブログに対してここまで閲覧者数があるとは全く予想もしておらず、改めて閲覧者の方たちには本店、出張所を含めてこの場で厚くお礼を申し上げます。
 ここで本音を書いてしまいますが、私は中学生の頃に文章に目覚めてから将来はその分野で生きていける小説家かジャーナリストになろうと、それ以降の半生はずっと知識の収集と文章技術の向上に努めて牙を磨いてきたつもりだったのですが、自分でも納得のいき辛い経過を辿って敢え無くその夢は未だに叶えられずにいます。

 本来、私がこうして得た知識とそれを表現する技術はそれを使う職に就くまではじっと封印しておこうと、2006年に本格的にブログがブームになった時でさえ本音では始めたかったものの開設をせずにまで取っておいたつもりでしたが、その後しばらくはそのような職に就くことが叶わないことが確定したため、あくまで主目的は普段なかなか会うことの出来ない友人らに対して情報を流し続けることですが、ブログを始めたのには自分の実力が本当に足らないのか、半ば意趣返し的な理由も含んでいることは否定できません。
 最近ではいろいろなコメントをいただけるようになり、まがりなりにも自分は情報を発信しているのだという実感は強くなってきています。他の人から見たら不思議に思われるかもしれませんが、ただこうして自分の思うことを書き続けられ、また見てもらえるということこそが表現者としての私の至上の幸福に当たります。

日本人の文化的特性

 前に「中国人の好きなタイプ」という記事を書いたところ、このような文化的、民族的な違いの話は面白いとコメントが来たので、今日はちょっと趣向を変えて私がよく思う日本人の文化的な特性について書いてみようと思います。

 まず私が日本人が持つ中で代表的な特性だと見ているのは、「洗練」に対する意識の深さだと思います。これは映画の「ラストサムライ」でトム・クルーズが日本人を見て言う一言ですが、

「日本人は誰に誉められるわけでもないのに、工芸等の分野で真摯に技術を日々高めようと努力する民族だ」

 この一言は外国映画ながら、聞いてる日本人の私でも深く考えさせられた一言でした。この言葉の通りに、私自身も言われてみると日本人はそれが直接地位や収入の向上につながるわけでもない、というよりつながらないような場所であるほど何故だか物事に対して執着し、洗練を重ねようとするところがあります。
 いくつか例を挙げると、私の場合だと掃除が好きなもんで今日は昼間に暇だったので家の掃除をしてたのですが、もうそれこそありとあらゆる場所を掃除して、またこれまでの経験から油と埃が混ざった箇所は雑巾を使わずにティッシュでふき取るテクニックを使い、細かい場所には爪楊枝にていちいち穿り返すようにして掃除しました。どうでもいいですが、私は爪楊枝を本来の用途ではなく掃除で使う回数の方が圧倒的に多いです。

 これに限らず、ゲームにおいてもただ単純にクリアするだけでなく、いわゆる縛りプレイなどもこうした日本人の洗練に対する特性の現われだと思います。代表的なのは私はやりませんでしたが「バイオハザード」でのナイフクリアなどで、こうした縛りや一つの技術に対して向上を図ろうとするのは日本のあちこちで見られるはずです。
 そうした特性が実社会の利益に結びついている例だと、やはり機械などの小型化が一番の好例です。今は昔ほど言われていませんが、高度経済成長期はアメリカが発明した家電機器などを片っ端から小型化して持ち運びやすくするのは日本人の役割とまで言われていました。小型化した中で私が一番影響力が強かったなと今思うのは、今も携帯電話などに使われている電池の分野で、実際90年代における急激な電池の小型化成功によって携帯電話から電子辞書までここまで実用化されるに至っています。

 また小型化に限らずとも、かつてのホンダの低公害型CVCCエンジンの開発でも、元々の原案はソ連で考案された原理を実用化にまで持ってきた例など、何かを掘り下げるというメンタリティの分野では日本人は世界でもトップクラスだと私は考えています。
 しかし掘り下げるという高いメンタリティの分だけ、皮肉な話ですが逆にそれまでにない全く新しい発想を持つという力こと、グランドデザインの面では非常に能力が低いと言わざるを得ません。この点なんかは大国意識が強いところがやっぱり強いのか中国人とかアメリカ人が強いような気がしますが、日本人はやっぱりこういうところは駄目駄目で、むしろ日本人同士で何か突飛な発想をする人間を排除しようと内側からブレーキをかけているところがあるような気がします。

 しかしその一方、なんというかこれは島国根性とでも言うのですか、普段は周りを気にしすぎるくらい気にしているくせに変なところで全く気にしないところがあり、他の国からしたら信じられないようなことを一般的なものと思って日常化させてしまうようなところは多々あります。
 社会学的な一つの例としてあるのはいわゆる「一家心中」で、日本なんかはこうした事件に対して同情的な目を向けますが、欧米では精神病による異常行動と取るそうで、言われてみれば私もそんな気がしてきます。

 先ほど私は日本人は突飛な発想を日本人同士で妨げるメンタリティがあると述べましたが、この「無意識に突飛な行動を取る」分野では逆に世界的にも真新しく、珍しい文化や技術を創る力は存分に溢れているように思えます。今の日本のアニメやマンガも、まぁ言ってしまえば手塚治虫という明らかに常人離れした大天才がディズニーに影響を受けたとはいえ日本に存在したことが成立した最大の要因でしょうが、変に海外に輸出されずに日本国内だけで熟成されてきたからこそ今海外で受けているのだと思います。

 最後に二つほど今回私が挙げた二つのメンタリティが発揮された代表的な例を紹介します。
 実は日本で飛行機の設計が初めて行われたのは江戸時代の末期で、ある男性が独自にプロペラ式飛行機を考案して日露戦争中には軍部に対して敵軍の偵察を行う道具として開発を願い出たそうですが却下されてしまい、それならば独自に開発しようと研究を重ね、動力源となるエンジンの調達を視野に入れて資金を貯めている間にライト兄弟によって先に開発されてしまったそうです。ま、開発したライト兄弟もその後は特許権の争いで決して幸福ではありませんでしたが。

 もう一つの例は、これは伝聞での情報なのですがある世界的に有名なロックバンドがアルバムのジャケット写真になんと六歳くらいの裸の女の子の後姿を写したものを使用したところ、世界各国からは児童ポルノだ、不謹慎だとして発売が差し止められたそうですが、日本だけは、
「局部は写っていないのですね(´ー`)」
 の一言で、発売を許可したそうです。世間知らずもここまで来ると凄いものだ。

2009年1月29日木曜日

中国脅威論の現実化

 恐らくあまり中国について専門的に研究しているという方でなくとも、「中国脅威論」という言葉を一回くらいは聞いたことくらいはあると思います。この中国脅威論の元ネタは実は日本で、それも防衛大学の教授が現状の中国の国軍こと人民解放軍はまだそれほど脅威ではないが、もし今のペースのままで増強が続けられた場合は将来お大きな脅威になると言った事から生まれました。
 そうして生まれた中国脅威論という言葉ですが、実際に使われている回数が多いのは実は日本以上にアメリカで、主に軍関係の幹部が中国脅威論を強調しては自分とこの部署の予算獲得の方便としていました。しかし実際にはそうした予算をふんだくる連中を含め、人民解放軍は世間で言われている以上に実力はないという認識は学者や関係者などの間で一致していました。

 これは大分前の文芸春秋の記事で書かれていた内容ですが、人民解放軍は確かに兵数こそ二百万を越え、準軍隊の武装警察などを含めると三百万人という大所帯ですが、この人数は実際には有り余る失業者や食い詰め物対策の公共事業的な要素が強く無理やり雇っている数で、鄧小平の時代には百万人もの削減を行ったに飽き足らず今でも幹部らはこの多すぎる人数を減らしたいと考えているそうです。
 それで肝心の兵装ですが、実は主力兵器は日本と同様に戦車で、こと海軍の艦船ともなると質、量ともに他国に劣り、潜水艦に至っては音が大きいので日本領海に入ってくるたびに簡単にばれてしまっています。聞くところによると実際にはニュースにならないだけで何度も領海侵犯しているそうですが、日本、米国側としてはそのほとんどの行動を監視しているそうです。

 そして一番人民解放軍で致命的だったのは、実は空母を持っていなかったということです。先ほどの記事によると中国には確かにミサイルや兵数といった高い攻撃力こそ保有しているものの、目標地に上陸して占領するための艦船や空母が存在しないため、たとえ台湾と戦争が起こったとしても屈服させることは出来ず、米国の補助がつけば勝利することすら難しいと分析し、先ほどの主力兵器が戦車ということとかけて、「人民解放軍こそ自衛隊である」と分析していました。
 言われてみて私の方でも調べてみましたが、記事に書いてある内容は確かに真実で、いざ戦闘が起きたとしてもこと防衛だけなら日本の自衛隊でもそこそこ対応できるのではないかと私も考えるようになりました。

 しかし先々週あたりの朝日新聞の一面記事にて、「中国、空母の建艦に着手」と書かれた見出しを見るに至り、いよいよ脅威論が現実化したかと私も見方を変えさせられるに至りました。これ以前にも中国は去年にフランスからお古とはいえ古い空母を払い下げてもらっており、近々自前でも空母の建艦に入るだろうといわれていましたが、ここまで動きが早いとは思いもよりませんでした。
 これを受けて先週の朝日新聞の社説には、ここ数年で中国はそれ以前と比べて大分軍事予算の情報公開を行うようになってきたと前置きした上で、それでも未だ非公開の部分が多く、今年も前年比二桁増しの予算の上に自前で空母の建艦も始めようとしていることは非常に問題のある行動だと指摘し、極東アジアの平和維持のためにも今以上の情報公開が必要であるという主張が書かれていました。あまり空母建艦のニュースが流れない中、なかなかよくまとめている上に警鐘を促している立派な社説です。

 よく2ちゃんねるの人たちは朝日新聞は中国の悪いニュースを報じないと批判しますが、逆に私はなんでこの中国の空母建艦開始のニュースがあまり報じられないのかが凄い気になります。他紙は今はチェックしていないのですが他は当時どうだったんだろうなぁ、朝日の言う通りに、極東アジアのパワーバランスが一気に崩れかねないほどの重大なニュースだと私は思うのですが。

スーパーファイヤープロレスリングの思い出

 突然ですが、「スーパーファイヤープロレスリング」というゲームを知っているでしょうか。これはスーパーファミコンのゲームで、タイトル通りに内容はプロレスのゲームなのですが、私が小学生だった頃に友人らとよく一緒に遊んだゲームの一つです。
 私たちが遊んでいたのは「スーパーファイヤープロレスリング3」で、このゲームでは今じゃ「エキサイティングプロレス」で有名なレスラーエディットといって、自分で好きなレスラーキャラを作る機能が搭載されていました。

 当時、このゲームを持っていたのは友人なのですが、私が言うのもなんですがその友人は非常にセンスに溢れた友人で、このゲームでよく及びもつかないレスラーを作っては私たちを驚かせていました。何が凄いかって言うとレスラーの名前で、私が覚えている彼が作ったレスラーの名前を挙げますと、

・シンジュクダイヒョウホームレス
 取り立てて名前以外は特徴のないレスラー。

・全身タイツZOP27号
 頭のてっぺんから肌の色、つま先に至るまで全部真っ白なキャラ。

・久怪タダノアホ
 ごつい身体のレスラー。得意技は毒霧殺法。

・今泉牛肉大好
 ドラマの「古畑任三郎」に出てくるキャラが名前の由来。裏技ですべての能力がMAXにされており、コンピューターに任せると手がつけられないキャラだった。

 こんな具合で、どこをどうしたらこんな名前が小学生だったあの友人から出てきたのか今でも不思議です。

 こうしたエディットキャラを使い、私たちはよく「今泉牛肉大好」と「久怪タタノアホ」をコンピューターに任せてタッグ戦で戦ってたのですが、相手キャラがもう強いの何ので、ちょっと油断したらすぐに毒霧ぶっかけられてから固め技に持っていかれてしょっちゅう負けていました。あんまりにも負けるもんだから先にレフリーをラリアットで気絶させて判定負けをなしにした上で、ほとんど勝てはしなかったものの必死で抵抗を続けていました。
 またあるときには無駄なアクションを徹底的に追求しようと、リング上でむやみやたらに「火吹き殺法」をやり続けたり、相手をダウンさせてからコーナーポストに上りフライングタックルをかけると思いきや何もせずにポストを降りたりと、飽きもせずにアホなことをやり続けていました。多分友人の家に行けば、まだあるんだろうなぁ。

2009年1月28日水曜日

歴史の断絶について

 おととい電車に乗ったところある週刊誌の中吊り広告にて、「御手洗よ、メザシの土光を見習え!」と書かれた見出しが目に入ってきたのですが、なんというか見た瞬間に言いようのないむなしさを私は覚えてしまいました。別にこの見出しが悪いわけでなく、むしろ現在の経団連会長であるキャノンの御手洗に対してかつて同じく経団連会長を務めた土光敏夫氏と比較するあたりなかなか着眼点がいいと思うくらいなのですが、肝心要なこととして、恐らく私と年の近い二十代の人間からすると「メザシの土光」と言われても恐らく何の意味だかわからない人が大半だろうという事実が、先ほどのむなしさを感じさせたのだと思います。

 簡単に説明すると、リンクに貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますがこの土光敏夫氏というのは少し以前の経済界の重鎮で、その質素な生活ぶりから当時は日本中で大人気で、特に国鉄民営化の際には中曽根元首相によって臨時調査委員会が組織されて土光氏も委員に名を連ねたのですが、その高い人気から「土光臨調」とまでその会議が呼ばれたほどだったそうです。
 恐らく自分らより上の世代の方ならほとんどの人が知っている名前なのですが、これが若い世代になると逆にほとんど知られていないのが実情でしょう。何もこの土光氏に限らず、私が失われた十年の連載で書いた事実も今の十代の方には知らなかった事実も多いと思います。

 歴史というのはこのように、遠い昔以上に案外近い時代の方が隔絶というものが起こりやすいといわれています。その事実自体はわかるのですが、それを推しても近年の世代間の断絶、年齢的に言えば今の四十台を境にした上と下で事実ごとに知っている、知っていないが真っ二つに分かれる事例が今の日本には多すぎるような気がします。それこそこれまた私が連載して紹介した「文化大革命」についても、まぁ教える学校がないというのが一番の原因ですが、あれだけの影響の大きい大事件ですらほとんど知らないという人間が私の世代には数多くいる一方、やはり大事件だったということもあり同じ時代に直接伝え聞いている私の親の世代などは紅衛兵についても別に中国について勉強していたわけでもないのによく知っており、そのギャップにはなにか考えさせられてしまいます。

 何もこれだけに限らず、、もし今ここで羅列しろというのならそのような世代間隔絶の激しい事例を相当な量を挙げる自信が私にはあります。確かに今回の土光氏の名前など細かいものについて実感が湧かないことから知らないというのも私もわかるのですが、文化大革命や赤軍派の事件など今聞いてもショッキングで大きな事件が上と下の世代間でこれだけ認知に差があるのはやはり問題でしょう。それこそ上の世代がいなくなったら、その事件の影響力は無視されて一気に忘れ去られるのではないかという危惧が私にはあります。
 そのためこのブログでもなるべく、「あまり世間で紹介されていないちょっと前の大きな事件」というものを積極的に紹介するようにしております。文化大革命も失われた十年も、そういった意識が一つのきっかけとして書こうという気になりました。

 これは私見ではありますが、やっぱりこうした認識の隔絶が異世代間で無用な意識の差を生んでしまうのではないかと思います。そういう意味で知らないよりはやっぱり知っている方がいいと思うので、私個人ではこういった戦後から現在に至るまでの歴史について意識的に収集に努めています。
 今日はちょっと昔を思い出してブルーになったのが影響しているのか、どうも文章のノリが悪いですね。情けない話ですが今でも中学、高校時代を思い出すと涙が止まらなくなることが多々あり、今日もなぜか「ゼルダの伝説」でマスターソードを手に入れた瞬間にぶわっと泣き始めてしまいました。

2009年1月27日火曜日

学力テストの結果公開について

 ちょっと古いニュースですが、全国で行われた小中学生を含む学力テストの試験結果を秋田県が市町村別に知事の主導の下で公開したというのが先月にありましたが、結論から言うと私はこのテスト結果は公表してしかるべきであり、秋田県を始めとして公表に積極的な大阪府の橋本知事を応援する立場にあります。

 この問題についてはなにも難しいことをいわなくとも、教育を良くするためという一言で公表するに十分な理由になります。というのも、これなんか私が一応社会学士ということもあるからかもしれませんが、比較や議論するデータもなしでどう低下しているといわれる教育を改善しようというのか、全く持って文部科学省の言い分が理解できません。単純に全国の学校のテスト結果を公表して比較することによって、どの学校が行っている教育方法が効果を挙げるか、逆にどの学校が行っている教育法方が問題があるのかが簡単に浮き彫りに出来ます。そうやってデータを刷り合わせることによって、というよりそうしたデータの刷り合わせも行わずに「あの教育法方がいい」とか、「ああいう教え方はよくない」と案が出せるはずなんてありません。

 さらに文部科学省(河村官房長官を含む)がデータ開示を否定する理由として挙げているのに、「成績が公開されることによって学校の序列化につながる」と言っており、学校が序列化することによって成績のいい学校に生徒が集中してしまうとか、成績の悪かった学校に生徒は劣等感を抱くなどといい加減なことを言っていますが、私が小中学生だった頃を思い出すと当時はそんな勉強のできるとかできないなんて全然気にしませんでしたし、それよりも運動が出来る出来ないというのがクラス内の発言力を大きく左右させ、勉強が出来る子も確かに尊敬はされますがやっぱり運動のできる子の方が圧倒的に序列が上でした。

 更に言えば成績のいい中学校に生徒が集中するといいますが、なんだかんだいって家から近い公立校をみんな選ぶでしょうし、よっぽどいい学校に入ろうとする子やその親は公立校には行かず、間違いなく私立に行こうとするでしょう。むしろそうした学校ごとの成績の良し悪しに一番敏感に反応するのは子供ではなく、その周囲にいる大人たちこそ一番騒ぎ立てている気がして、そういったことこそが子供にも悪い影響があるように思えてなりません。

 最後にもう一つ付け加えておきますが、私自身は公立小学校から私立中学、高校へと進学した口ですが、やっぱり小学校でも中学校でも賢い奴もいればアホな奴もおり、出来る人間はどこいっても出来ますし、逆に出来ない人間というのは本人が変わろうと思わない限り、それこそ学校を変えても急に変わることなんてないと思います。極言すればどんな学校へ行こうと、自分が努力しなければ意味がないということです。

結局、今どんな景気対策をやればいいの?

 すっかり少なくなった時事ネタを久々にやりますが、本日両院協議会によってとうとう二次補正予算案が通りました。これによって今後は本年度予算案の審議に入りますが、ひとまずは今国会の第一段階は終了したと見ていいでしょう。それでこの二次補正予算案ですが、中身は今もあれこれ議論が続いている定額給付金などいくつか問題のあるものも含まれていますが、中小企業向けの融資拡大や銀行への公的資金注入に関する法律なども込められており、やらないよりは確かにやった方がいい法律ではありますが、それでもこの不況を脱するための政策というよりは急場をしのぐ政策といっていいでしょう。
 そこで一つ私から問題提起をしますが、じゃあ一体どんな政策をすることが今の不況に対して有効な手段となるのでしょうか。私の見ている限りでは、残念ながら今の二次補正や政局ついての議論は数多あれども、具体的に効力のある政策は何かというこのような議論はまだあまりなされていないような気がします。もう結論を言ってしまいますが、私は今の段階で日本がやるべきことは何もないと考えています。

 まず今回の不況は日本で起こったものではなく、アメリカから発生して世界中に蔓延した不況です。それまでの日本自体は割と好況下であったのに、海外の消費が冷え込んだことによって輸出が落ち込み、挙句には円価が急騰して一挙に国内でも不況に陥り倒産も相次ぐようになりました。
 この現況が何を表すかというと、ごくごく単純に今の状態は日本一国の努力ででどうにかなるというレベルではなく、言うなれば日本以外の他国が目下の問題を片付けなければなにも始まらないということです。

 そういう意味でアメリカを始めとした他国は現在やるべきことというのははっきりしています。それこそ失われた十年末期の、というよりも竹中経済下の日本と同じように不良債権を抱えまくっている銀行に対して公的資金注入を含めて不良債権の処理を行わせてプライマリーバランスを回復させることです。ついでだから紹介しますが、前々回のサンデープロジェクト内で竹中平蔵氏と金子勝氏が二人でガチンコバトルをした際、大の竹中氏批判者である金子氏がとうとう、竹中氏が主導した「金融再生プログラム2002」は当時必要な政策だったと認めました。これには竹中氏も満面の笑みを浮かべて、ブラックジャック張りに「その言葉が、聞きたかった」と言わんばかりでした。

 そんな話はおいといて、こうして欧米を始めとした各国はやるべき対策がはっきりしているのですが、日本はというとそのような竹中氏のヤクザじみた政策を既に実行し終えており、現在の世界の中では唯一といっていいほどにサブプライム損失の影響をほとんど受けないほど金融機関のプライマリーバランスは安定していて、この方面での政策は今更ほとんど必要がないといっていいでしょう。
 もしそれでも何かやるべき対策は、と問われるのならば私はちょっと以前に江田憲治氏が述べていた、緊急対策班こと突発的な事態に対してすぐに対応する遊撃隊のような組織を整備し、中小企業向けの融資をそれこそ政府が直接行うなど、いわば前にも私が述べた細く長く行き続けるゲリラ戦のような政策を取るべきだと思います。逆に言えば、現在の日本は主導的に何か目的を持ってそれに向かって突き進むべき対策や政策はほとんどなく、世界経済が出血を止めてある程度落ち着くまでじっと耐える以外やることはないということです。

 そういうことなので、今現在で経済に対してあれこれ議論してもなにも出てこないしやることもないのですから、一通りの緊急対策を行った後はこの際他に片付いていない問題、それこそ年金の問題などの議論を今の国会でするべきだと思います。なんだったら、憲法改正とか一院制についても議論してもいいかもしれません。

2009年1月26日月曜日

日本人は個人主義になれるか

 昨日は頭痛を起こしてふらふらしながら朝青龍戦を見て、おとといに買った「街道2」というレースゲームをやっている時にふと思いつきました。どうでもいいけどこのゲーム、BGMを自由に作れるサウンドエディタ機能がついているのは別にいいが、そのおまけ機能の説明に説明書の三分の一近くを使い、下手すりゃ本編以上に細かい説明を行っているのは個人的にどうかと思う。別のゲームにして出せばいいのに。

 話は戻って思いついた話です。おかげさまで無事終了した「失われた十年とは」の連載のコメントにて、日本はこの時代にそれまでの集団主義という価値意識を喪失し、なおかつこれらの意識は既に時代に適合できなくなっているのだから個々の価値観に基づく独立した個人主義を持つべきだと述べられる方々が多くいましたが、私としてもそれに越したことはないんだけどと思う一方で何か引っかかるものがありました。それが昨日、古い記事の内容を思い出すとともにいろいろと頭の中でその引っかかる内容がまとまりました。

 古い記事というのは九月に書いた「権威の失墜と自意識の向上」という記事です。別に意図したわけじゃありませんが、連載の後半で書いた「権威の失墜」とほぼ同じ内容ですが、前回の方ではそれまでその意見に信用がもたれていた集団や職業の権威が堕ちたことによって、他人の意見より自分の意見の方が正しいと信じる人間が増加したことによっていわゆるモンスターペアレントが発生したのではないかと書いています。

 ここで私が何を言いたいのかと言うと、もし今の段階で日本人に対して独立した個人主義を持って自分自身で自分の幸福を見つけよと伝えたところで、恐らくその意図する内容を大半の日本人は受け取れないばかりか誤解する人間が大半なのではないかということです。それこそモンスターペアレントのように、自己をはっきり持てといったら他者の都合などお構いなしにただ自分の権利だけを強く主張する人間が続出する恐れすらあります。
 そこで何故日本人が欧米人のようなまともな個人主義を持つことができないかということですが、一つの理由として私はどうも日本人は権利と義務の区別がついていないんじゃないかと思います。和製英語で言うと「ノブレスアビゲーション」とでも言うのですか、直訳だと「高貴なる義務」といって、欧米では社会で成功した者は寄付活動などして社会に還元しなければ激しく後ろ指を指されるという習慣がありますが、もちろん日本ではこんなことがありません。

 欧米では大量のお金を使用できる権利には、社会に対してそれを行使、還元せねばならないという義務が付きまといます。しかし日本ではホリエモンを始めとしてあまりこういった習慣はなく、お金の問題に限らず憲法上の教育の義務と権利、勤労の義務と権利など、どうも義務と権利の区別のつきづらい環境もあります。その結果、失われた十年によるそれまでの価値意識の喪失に伴い個人主義を主張するものが何人か出てきたところ、「自分の権利を自由に強く主張していい」という意識が生まれたものの、本来義務を果たした上で初めて権利が認められるといういわば当たり前の認識は生まれなかった気がします。

 結論を言うと私は日本人はまだ個人主義に移る段階にはないと思います。むしろ個人主義に移るくらいならば、今の価値喪失状態を脱するために以前の集団主義的概念の方がまだ害が少ない気がします。もちろん全く昔に戻れといわれれば私も抵抗感がありますが、ほんの少し二、三歩戻るくらいがいいのではないかと思います。下手に個人主義を訴えたら、お隣の中国みたいになるんじゃないかなぁ。それはそれでにぎやかで私にとっては面白いのですが。
 もちろん長期的には欧米のような個人主義的価値観の方が私も日本全体として強くなる可能性が高いと思います。ですがまだその時ではなく、私が中途半端に集団主義を引きずっているのはそういうところにあるのではないかと思います。

2009年1月25日日曜日

中国人の好きなタイプ

 昼頃から頭痛を起こしてしまい、陽月旦の更新を今日もやろうと思っていたのですが無理そうなので、軽い話を一本紹介します。

 さて皆さんは映画の「レッドクリフ」を見たでしょうか。レビューを見ると賛否両論ありますが、三国志に詳しくない人でもある程度理解できる内容になっているのでそこそこいい出来だと私は思います。諸葛孔明役で出ていた金城武はその前の「ラバーズ」という映画から中国でも大人気になり、今回も難しい役ながらなかなかうまく演じていたのには舌を巻きました。

 それであの映画に出てきたキャラに「張飛」というのがおります。劉備軍の中でもトップクラスの腕力にもかかわらず短気で酒飲みでしばしば失敗をしてしまう典型的な「パワー馬鹿」キャラですが、実を言うと三国志の人物の中でも中国人からはトップクラスに人気なキャラクターであります(多分トップは馬超だろうけど)。日本人の中でも私のように張飛が好きな人も少なくないのですが、よく評論家からは中国は基本的に皇帝専制のがちがちの法治国家が続いてきたから、ああいう酒を飲んでは暴れてルールを無視するキャラクターに強いシンパシーを覚えるという人がいますが、私もなんだかそんな気がします。なにも三国志に限らずとも西遊記では「孫悟空」、水滸伝では「李逵」と、パワー馬鹿は大抵どの作品にも出てきますし、みんな人気になっています。

 では日本人が好きなキャラクターですが、三国志なんかでは「曹操」が割と人気ですが、この人は中国では逆に非常に嫌われている人物です。なもんだから私が「日本じゃ曹操が人気だよ」と言ったら中国人に凄い驚かれてなんでと聞かれたのですが、

「日本人は自分であまり決断をしたがらないので、ああいう風に独断専行でバンバン突き進んでくれる人間の方が好きなんだよ。織田信長もそうだし」

 と言ったらなんか納得してくれました。

2009年1月23日金曜日

失われた十年とは~最終回、この時代に変化したもの~

 とうとうこの連載も最終回です。本当は一ヶ月以内に終わらせるつもりだったのに途中で中だるみして、気がついたら三ヶ月も長々と書く羽目となりました。
 自分で言うのもなんですが、連載全体で見るとあまりないようにまとまりがなくあまりいい連載記事だとは思いませんが、元々この連載自体この失われた十年について「言われてみると思い出すけど、ぱっと出てこない記憶」を呼び覚まし、あの時代は具体的になんだったのかを読者の方に考えてもらう機会を作る思いで書いてあり、そのため記事の内容も個々のトピックに絞ったものになったためにまとまりがなくなったというのはまぁ自然の成り行きかと思います。

 なおこの時代に起きた大きな変化でありながら敢えて取り上げなかった項目に、「インターネットの発達」があります。何故取り上げなかったかというと、一つにこのIT革命による社会変化については解説本が数多く出ていること、二つにもしこれをやろうとしたら膨大な量の記事をこの項目に割かなければいけないことが予想されたため、やるんだったらあまり他の人が取り上げないことを取り上げようとして敬遠することにしました。書き終わった現在の段階で、やっぱりその判断は正しかった気がします。

 それでこの記事は前々回にボーナスステージと書いただけあり、この時代で変化したものを思いつく限りリストアップしようと思います。案外こういうリストって見ないので、そこそこいいものになる自信はあります。なおあらかじめ断っておきますが、個々でリストするものは私の主観で当てはまるもので、決して絶対的なものではありません。
 それではまず、前回の記事で書いた権威が変化したものを挙げると、

  権威が失墜したもの
・護憲派 ・左翼政党 ・医師 ・警察 ・教師 ・官僚 ・マスコミ ・自動車 ・初等教育 ・大学生 ・銀行 ・松下

  権威が向上したもの
・自衛隊 ・改憲派 ・地方公務員 ・独身 ・メーカー ・ソニー

 少し解説しておくと、自衛隊が阪神大震災によって大きく見方が変わったことにより憲法意識が球九条維持ではありながらも自衛隊の存在認定に国民の多数派が賛同するようになったのは非常に大きな変化でしょう。あと教育問題で初等教育が大きく信用を損ない、大学生も遊んでばかりと言われるようになり、自動車については「持っているとモテる」から「持っていると金がかかる」に変わったことを反映させました。最後の松下とソニーについては当時の家電業界の勢いです。90年代末期は本当にソニーの時代だったし。

 さてこうした権威関係に対し、今度は各項目ごとに失われた十年の以前と以後で変化したものをリストアップして見ます。

・社会指標:学歴社会→職歴社会
・雇用制度:終身雇用→中途半端な流動化
・アニメの対象視聴者層:子供→大人
・日本人は:集団主義(フェミニズム)→個人主義(自己責任)
・小売業:ダイエー→イオン
・治安:安全→危険
・死刑は今後:廃立→維持
・経済学の潮流:ケインズ(介入主義)→フリードマン(自由主義)
  若者は……
・政治姿勢:左翼的→右翼的
・物事に:情熱的→しらけ気味
・会社では:出世したい→責任忌避
・雇用は:正社員→フリーターが増加
・娯楽は:スキー→インターネット
・女性は:おとなしい→たくましい

 最後のはちょっと冗談入ってます。ただ女性の社会進出は以前と以後で全然変わってきており、なおかつ私の目から見ても最近の女性はとてもたくましく見えます。
 とまぁ、ちょっと考えて思いつくものは大体こんなもんです。十年という長い間とはいえ、やっぱりいろいろ変わっているんだなぁと思います。

 最後に対象とした失われた十年の期間から現在でもう五年以上経っていますが、あの時に日本人が必死で投げ捨てた「経済大国」や「安全と平和」といった概念のかわりに何が入ってきたか、どんなものが概念として確立されているのかというと、実はまだ全然確立できていないのではないかと私は思います。まずそれまでの終身雇用制にかわって入ってきた成果主義ですが、これについては現在反動が強く起きており、日本人にはやはり合わないといった反発が生まれてきていますし、また国際社会に対しても今後日本はどのような国としてやっていこうかという意識が生まれていませんし、個人の生き方に対しても家族を大事にするのか会社を大事にするのか、はたまた自分自身を大事にしていくのかどうもまだ中途半端で足を引っ張り合っている状態のような気がします。

 こうした動きに対して藤原正彦氏のように、武士道を復活させて日本人としての文化と教養を誇りにするべきという新たな概念を提唱するものもいますが、こうした動きはどうにもまだ確立できていません。
 しかし逆転した発想で言うと、この時代を貫いても変わらなかった日本人の概念は何かといったら、一つの例として天皇制への意識が挙がってきます。かつてマッカーサーらGHQも日本人は天皇制において不動だと分析しており、他の概念ががたがたになっておきながら天皇は象徴でいいという意識だけはビクともしませんでした。
 別に今しばらくは天皇制を軸にせよというわけじゃありませんが、もし天皇制がなかったらあの時どうなっていたのかと思うあたり、自分も日本人なんだなぁと思います。

 この失った概念のかわりに何を柱に立てるかですが、友人などはこの際徹底的に日本人は個人主義に走るべきだと主張していますが、私としてはちょっと古い人間ということもありかつて程ではないにしろもうすこし集団主義を強化するべきなのではないかと思います。まぁこの手の議論はやりだすと長くなるのでまた別の記事でやりますが、とにもかくにもようやくこれで連載終了です。また補足があれば追加しますが、ひとまずこの時代については書きたいことは書ききることが出来てほっとします。

失われた十年とは~その二三、権威の失墜~

 次で終わりと言って結論まで書いておきながら、書きそびれていた内容があったのでぱぱっと書いちゃいます。
 まず前回に書いた結論ですが、私はあの失われた十年は前提としてノストラダムスの予言から来る漠然とした終末思想のようなものが薄く広く日本人の中にあり、そして実際に阪神大震災やオウム事件といった社会を震撼させる事件が起きただけでなくこれまで上昇一辺倒だった日本経済が大きく傾いたことにより、今までの概念を捨てなければこれからについていけない、今のままじゃ駄目だという意識が強まったために、とにかく以前の意識や概念とみなされるものを片っ端から捨てていき、さらにそれら以前の概念を否定するものほど新たな概念として迎え入れようと躍起になるという、一種のモラルパニックが起きていたのではないかというのが私の結論です。

 私がこの結論にたどり着くためにまず最初に「経済大国」という自負のあった経済力の崩壊の過程から書き始め、そのあとなんだかわけのわからないものが流行りだしたということを紹介し、社会を震撼させる大事件が起きるに至ってそれまでの概念が崩壊するに至ったという風にこの連載を進めてきました。実はこの過程で一つ抜けていたのが、今回の題となっている「権威の失墜」に当たる箇所です。具体的にどの箇所になるかと言うと、「社会を震撼させる大事件」とほぼ同時期にこれが来て、年代的には大体97~99年くらいの間です。

 では具体的にどんな権威が失墜したのかと言うと、十二回目に「左翼の失墜」で説明したように左翼政党を始めとして、警察、医師、教師、官僚、マスコミなどと、それまで強い権威を持っていた集団がこの時期に一挙にその権威を落としてしまっています。
 一つ一つ説明していくとまず警察ですが、これは新潟県警神奈川県警で起きた警察内部の不祥事に始まり、桶川ストーカー殺人事件栃木リンチ殺人事件、そしてこれは私も過去に取り上げた松本サリン事件での河野義行氏の例などと、ありありとわかるほどの警察の捜査怠慢が次々と明るみに出たことによります。我ながら、よくもこんなに細かい例を覚えているもんだ。

 次に医師ですが、先ほどの警察と比べてこれは本当に極一部で行われてしまった問題行動がマスコミによって過大に取り上げられ過ぎていわば無理やりに権威を落とされてしまっただけで、前の警察については確かに問題があるもののこちらの医師については私は非常に同情します。で、そのきっかけとなったのは東京女子医科大学で起きた医療事故で、この事件を皮切りに、現場で頑張っている医師はおざなりにされてマスコミから激しい取材バッシングが行われてしまいました。

 でもって今度は教師。これは教育問題が表面化していくとともに一時期流行った(?)教師の盗撮事件がきっかけだと思います。まぁ教師についてはそれまで問題のある教師をほっといたのが最大の原因だろうけど。
 そして官僚ですが、こちらは決定的に権威を失墜させたのがあの厚生省の「薬害エイズ事件」と大蔵省で起きた「ノーパンしゃぶしゃぶ」で有名な「官官接待事件」が原因で、社会保険庁の問題などでこちらは現在進行で駄目になっていってます。

 最後が、これまた結構皮肉ですが散々よその権威を落としていったマスコミも、決定的に権威が駄目になるのは失われた十年の後からですがこの間ではオウム真理教による「坂本弁護士一家殺人事件」のきっかけとなった「TBSビデオ問題」が明らかになり、その後も私が先ほどの河野義行氏のリンクに張った自分の記事でも書いているように報道被害について世間の理解が進んだことにより、徐々に権威を落としていきました。
 あとこれは蛇足かもしれませんが、それまで嘘八百並び立てても売れれば許された芸能関係のゴシップ記事も、この時期くらいから段々と報道される芸能人らに損害賠償請求が行われて敗訴するようになり、徐々に勢いをなくしていきました。なおそういった動きが起きた初期に元巨人のプロ野球選手である清原選手が根拠のない記事を書かれたとして週刊誌を訴え見事に勝訴しましたが、その際に提訴される記事を書いたのはあの永田の偽メールを書いた人物だと以前に聞いたことがあります。問題のある人間はいつまでたっても問題があり続けますね。

 一気にまくし立てて書きましたがここで私が何を言いたいのかと言うと、こうしたそれまで尊敬と羨望のまなざしをもたれていた職業や集団が次々と不祥事を起こした挙句に権威を落としたことが、「このままじゃ駄目なんだ」というようなモラルパニックを助長させた一因になっているのではないかということです。
 この時期に権威を失った集団は医師を除けば未だにその権威を回復しているとはとても言い切れない状態で、中には官僚のように余計に信用を落としているのまでいます。そのせいか以前に後輩から、「今の時代、何を信じていけばいいんでしょうか」と聞かれたことがありましたが、その後輩の気持ちもわからないでもありません。なおその際には、「難しいかもしれないけど、自分で考えて行動するしかない。そのせいで不利益を被ることとなってもね」と、ちょっと厳しいことを言ってあげたのをよく覚えています。実際、今権威ある集団や職業って何なのかといったらピンと来ないですね。

 そういうことで、今度こそ最終回です。それにしても、この記事はウィキペディアのリンクのオンパレードですね。とてもウィキには足を向いて眠れない。

2009年1月22日木曜日

失われた十年とは~その二二、モラルパニック~

 とうとう結論部です。思えばここまで長かったもんだ。
 それでいきなり結論ですが、私がこの連載の最初の記事にて、「私はこの失われた十年とはモラルパニックの十年と言い換えられる」と言ったように、この時代に日本は一種のモラルパニックが起こっていたのではないかと言いたいのです。そもそもこの「モラルパニック」というのは一体どういう意味の語なのかですが、リンクに貼ったウィキペディアの記事に書いてあるのがきちんとした定義だと、どうも私の言いたい意味とは少し違うような気がします。実を言うとこのモラルパニックという言葉自体を私はあんまりよくわかっていないのに、何故だかこの失われた十年を考えた際にひょいと私の頭に浮かんできたから使っているだけで、実際の意味とは少し隔たりがあるのも当然かもしれません。なんで浮かんできたのかって言うと、そりゃやっぱ「私のゴーストが囁くのよ」としか言えないのですが。

 それで具体的な私の定義こと失われた十年についての見解を述べると、それまで戦後一貫して歩んできた高度経済成長の下で作られた、出来上がった日本人の概念というものが一挙に崩壊、または否定されて、根本からとまでは言いませんが様々な概念が引っくり返された時代なのではないかと思います。
 まずこの時期にひっくり返った概念で最も代表的なのは、日本は経済大国だという自信と誇りです。バブル崩壊以後の長期不況と就職氷河期によって、「一生懸命働けば必ず報われる」というような、もっと言うなら残業した分だけ報酬がもらえる、期待できるというような概念が崩壊したため、今もなお労働の意義や価値については迷走を続けております。更には就職氷河期の影響を受けて、それまでの「いい大学からいい就職先で定年まで一直線に一安心」という規定されたエリートコースも大きく変わって雇用の流動化が起こっています。

 そしてもう一つの大きな概念の変化がちょっと前まで書いていた治安への意識です。「水と安全はタダの国」と言われてきた日本ですが、度重なる大規模災害や犯罪事件によってすっかりこの意識は低下し、ひいては「日本は国際平和のためにある」というような意識にも影響を及ぼしたのではないかと思います。
 なにもこれらの基本的な概念に限らず、細かいところでも十年の間とはいえいろいろ変わっており、その中には戦後一貫して持たれてきて発言することすら許されなかった改憲についての意識などもあり、こういった点から私は失われた十年は戦後初めて起きた大きな曲がり角に当たるのではないかと考えるのです。

 では何故このような意識の変化が起きたかですが、一つの契機はバブル崩壊です。しかしこれ自体はまだそれほど日本人の意識に強い影響を与えませんでしたが、その後延々と不況が続いただけでなく、阪神大震災やオウム事件など社会を揺るがす大事件が連続しておき、97年の山一證券破綻によってこれまでの日本はもう別物なのだという風に強く意識されたのではないかと思います。

 その結果何が起きたかと言うと、ここからが一番私が伝えたい内容ですが、私が思うに当時の日本はそれこそ明治の頃の廃仏毀釈のように、以前から持っていた概念をとにかく捨てなければ、という風に社会全体で躍起になっていたのではないかと思います。
 過程はこうです。それまで日本は戦後一貫として固定した概念を持って成長し続けそれに対して強い自信と自負がありましたが、長引く不況や社会不安によって今起きている問題の原因はそれらの固定した概念だと考え、それらはもう古い、使えないといったように意識するようになり、本当にそれまでの概念が正しいのか間違っているのか、効率的なのか非効率なのかというようなことを考えずただ単に、「それまで持っていた概念だから」という理由でひたすら投げ捨てようとしたばかりか、それらの以前からの概念と対極を為す概念、それこそ経済概念だと欧米を中途半端に真似た成果主義のようなものを好んで取り入れるようになっていったのではないかという具合です。逆を言えば、それまでの概念を否定するものなら何も考えずにどんどんと取り入れようとした節すらあるのではないかと思います。

 この例で一番代表的なものは今挙げた成果主義で、そのほかには憲法意識、そして一番大きいものはそれまでの概念をすべて覆して破壊して見せると主張して誕生した小泉政権でしょう。このように過去を断絶させるものにこそ未来があると日本人は考えたのではないかと思い、その一方でそれまでの概念を捨てたものの代わりの概念が今しばらくないため、よくわからないオカルトや文物がヒットしたりしたのではないかとも考えられます。
 そしてもう一つ大きく変化したものとして、先が見えない、わからないと強く認識することによって、人生とか生き方に対して刹那的になっていったようにも思えます。未来をどうするかよりも現在をどうするかに強く意識が向かうようになり、女子高生の援助交際が大きく取り上げられたり変な小説が芥川賞に選ばれたりとしたのではないかと思います。更に言えばこれは「カーニヴァル化する社会」の作者の鈴木謙介氏が言っていたことですが、現代に至ると「以前までの自分とはもう関係がない」というように、過去と現在にも意識の断絶が起きているのではないかという主張もあります。

 あまり自分でもまとめていないのでわかりにくい記事となっていますが、改めて要約して述べると、要するに失われた十年によって日本人は社会不安を感じ、なんだかよくわからないけど今のままじゃ駄目なんだとばかりに自己否定をやりだした、というのが私の意見で、その自己否定こそがモラルパニックなのではないかということです。
 もう何度も変わった変わったと言っていますが、この失われた十年における日本人の意識変化は戦後としては大きな変化ではあるものの、60年前の戦前から戦後への変化に比べればちっぽけなものだと私は思います。それでも一つの歴史の曲がり角としては捉えてもよいのではないかということで、このようなわけのわからない考えを連載記事にまとめたというわけです。

 これにてこの連載の主要な解説は終えますが、明日はボーナスステージとばかりにじゃあ一体どんなものが変化したのかを一覧にしてみようと思います。ゲームの「サイレン」も終わっているので後顧の憂いはないし……何気にここ二週間は「サイレン」がやりたくてしょうがなくてブログを書く時間とどう区切るかでやきもきしてました。

「サイレン」完全クリア

 前の記事にも書きましたが、ようやくあの「サイレン」というゲームをクリアしました。なんというか終わってみて、凄い虚脱感があります。久々に短期間にはまったゲームなのでそういう風な気になるのだと思いますが、それにしても古今稀に見る恐いゲームでした。操作性が悪いのも恐さを増していると思いますが、それ以上に敵に対して一切反撃が出来ず、見つかったらもうやられるだけという内容は非常によく出来ています。

 このゲームで何が一番よかったかといえば、やっぱりよく練られたシナリオと設定でしょう。この辺は他のホームページでもよく書かれていますが、複雑な人間関係と一見すると何のつながりも見えないループ性は申し分のない出来です。ただ「サイレン2」の方はあまりシナリオもよくなく、そんなに恐くないっていうんで現時点であまりやる気はおきませんね。

 折角だし、また余裕が出来たらサイレンを含む、アドベンチャーゲームのレビューでも書こうかな。サウンドのベルは大抵やりこんでいるし。

2009年1月21日水曜日

琴電のことちゃんについて

 日本でいわゆる「ゆるキャラ」という言葉が定着したのは2006年で、あの彦根城百年祭のひこにゃんが大ブレイクしてからだと私は思います。その後それこそ全国で、果てには法務省まで「裁判インコ」というのを鳩山法務大臣自ら着ぐるみを着るまで日本では持てはやされていますが、そんな数あるゆるキャラの中で何が一番好きかと問われるなら、私は迷うことなく琴電こと琴平電鉄の「ことちゃん」を挙げます。そのことちゃんって誰かと言うと、


 これです。

 なんかいい具合の画像が琴電のホームページになかったので、琴電が出している磁気乗車券の「IruCa」から引っ張ってきましたが検索をかければいろんな画像を出しているサイトもあるので、是非「琴電 ことちゃん」で検索をかけてみてください。

 まずそもそも琴電自体なんなのかという人もいるかもしれないので説明しますが、琴電こと琴平電鉄は四国香川県で運営される電車、バス、タクシーすべての交通機関で業務を行っている交通会社のことです。この会社は一度民事再生法の元で倒産しているのですが地元企業の応援もあり再建活動を行い、現在もなお高松市内を中心に観光地の金毘羅山と結ぶ路線で運行されています。
 このことちゃん自体もそうした再建計画の下で作られたキャラクターですが、私とことちゃんの出会いはまさに突然でした。

 今から約二年前、私の祖父が私の家系は元々宇和島藩(現愛媛県宇和島市)の藩士だったということを聞き、一つ自分のルーツの地を辿るついでに四国を旅行しようと思い立ちました。それでまず大阪から宇和島市へ夜行バスで行き、宇和島市を見て周った後にそのまま京都へ向かうルートで香川に立ち寄りました。実は香川の志度市は前にも書いた平賀源内の故郷ということもあり子供の頃から尋ねてみたかった地だったので、現地にてアクセス情報を収集しているとこの志度と金毘羅山を結ぶ路線に「琴電」があるのに気がつき、物は試しと琴電の駅に向かった時でした。

「ええやん、これ」

 多分知っている人はわかるでしょうが、本当にこの琴電の駅はことちゃん一色です。冗談に思うかもしれませんけど駅のゴミ箱から車両の外装、内装、果てには駅前のタクシーとかバスにまでことちゃんのイラストが描かれています。車内の中吊りも年末年始の忘年会向け特別ダイヤの知らせにもことちゃんがかかれており、駅でグッズも売っているというので当時は買えませんでしたが、後で通販でことちゃんマグネットを購入するほど一気にハマりました。

 それ以降私は四国に行ったことはありませんが、今でも折に触れてあのことちゃん一色の琴電の駅をよく思い出します。ゆるキャラとしていい味出していると思うから、もうちょっと人気が出てもいいと思うので、一つ私も紹介してみることにしました。

2009年1月20日火曜日

失われた十年とは~その二一、酒鬼薔薇事件~

 今回の題材とする事件は本来なら「神戸連続自動殺傷事件」とするべきでしょうが、私の仲間内で使っている呼び方から「酒鬼薔薇事件」と表することにします。事件の詳細についてはここでは特に解説せず、この連載の本来の目的の社会に与えた影響についてのみ考察しようと思います。

 結論から言えば私は、この事件こそが当時の日本社会が持っていた概念を最終的に崩壊させるに至らせた、言わば止めのような役割を果たした事件だと考えております。まず時期こそこの事件の後ではあるものの、同じ97年に山一證券が破綻したことによってそれまで日本人の自尊心の拠り所であった「経済大国」という意識が崩れたということはこの連載の最初の方で述べました。ではこの酒鬼薔薇事件で何が崩れたかというと、それは「平和」こと「安全神話」です。

 やっぱり2009年になった今に考えてみると昔はよく日本は「水と安全はタダの国」と言われていましたが、どうもここ数年はこのフレーズは全く聞かなくなったように思えます。では一体いつくらいから聞かなくなったかと言うと、95年のオウム事件でもすでに相当この概念は揺るがされてはいましたが、やはり徹底的に覆されたのではこの酒鬼薔薇事件からではないかという気がします。

 この事件はその猟奇性もさることながら犯人が中学生だったこともあり、事件解決後には少年法の厳罰化など様々な方面に大きな影響とショックを与えました。特にその後の無差別殺傷犯罪については専門家や評論家は多かれ少なかれこの事件から影響を受けていると指摘しており、確か奥野秀司氏だったと思いますが去年に起きた秋葉原での通り魔事件はこの酒鬼薔薇事件を明らかに意識していると主張し、私もその説になんとなく納得してしまいます。97年からの直近でいえば翌年に起きた西鉄バスジャック事件などは私も明確に酒鬼薔薇事件が影響しているとしか思えないほど犯人の手段や行動に似ている点が多くあると思い、奥野氏が言うようにその後の犯罪者は皆酒鬼薔薇の背中を見ているという言葉には考えさせられてしまいます。
 なお当の酒鬼薔薇事件の犯人はオウム事件を見て、あれだけのことをしても犯人らはすぐに死刑にならないのかと思ったそうで、このように目立つ犯罪事件というのは悲しいことですが後の犯罪者に影響を与えてしまう傾向があるようです。

 話は戻りますがそれだけ社会に大きな影響を与え、それこそ事件発生当初は激しい報道合戦が繰り広げられ、以前に私が「犯罪被害者への報道被害について」の記事で書いたように事件に巻き込まれたがゆえに事件後にもさい悩まされる被害者を出してしまい、この問題が大きく取り上げられるきっかけにもなっています。
 そのほか犯人が中学生ということから教育についても当時あれこれ議論されましたが、思い返すとその時の議論はあまり価値あるものではなく、どちらかと言うとくだらないものだったように思えます。多分、その時に出た意見で実際に反映されたものも少ないでしょう。

 だがそれ以上にくだらなかったのは当時の評論家による犯人分析です。何故本来こんな犯罪を起こさないとされる中学生がこんな事件を起こしたのかという前提の元に、少年を殺人に駆り立てた原因を何かしら作ろうと躍起になっていました。これは現在の結論ですが事件を起こす以前から動物をやたらと殺していたように、犯人の少年は単純に殺害行為に対して喜びを感じる特殊な性癖があったゆえに起こした、言わば犯人自身の特殊性ゆえの事件という説が最も強くなっております。
 しかし中にはとんでもない主張をするものが多く特に社会学者の宮台真司に至っては、犯人が住んでいた街が整備され過ぎているがゆえにストレスなど吐き出す箇所がなかったことが原因だったという、あまりにもふざけた主張をしたことは未だに私は許すことが出来ません。普通に考えて、もし宮台の言う通りならば整備された街ではこの事件と類似した事件が起こっているはずですし。
 なおこの話を私の中学の国語教師が授業中に取り上げた際、宮台真司を知っているかという質問を教師がしたら私の友人一人だけが手を挙げてしまい、「あなたはちゃんと見ているのね」と誉められたそうですが、中途半端にクラスのさらし者になってしまったと友人は言ってました。

 正直、ここまで書いて非常に疲労しました。内容が内容だけに書いている側としてもどのように話をつなげればいいかでいろいろ戸惑いがあります。結論は先にも述べた通りにこの事件によって本格的に日本の安全神話が崩れたということで、これによって「経済」、「平和」、「安全」という戦後日本人の自尊心の拠り所であった三本柱のうち二本がみんな崩れてしまったのが97年だというのが私の主張です。ついでに言うと残った最後の「平和」も、98年の北朝鮮のテポドン発射事件によって崩れたとまでは行かないまでも大きく揺らいだように思えます。
 何度もいいますが、先ほどの三本柱は日本人の概念の中核をなすものでした。それらが揺らいだ、なくなったことによって日本人に何が起こったかと言うと、私がこの連載の第一回目に述べた「モラルパニック」が起きたのだと私は言いたいのです。次回はその辺の現象としてのモラルパニックを例を挙げつつ解説します。

 もうすぐこの連載も終われるなぁ(´Д`)フゥ

  補足
 コメントにて猟奇的な少年犯罪自体はこれ以前から数多くあり、この事件がマスコミに大きく騒がれたことによって日本人の概念が揺らいだのではないのかという指摘を受けましたが、まさにその通りだと私も考えています。統計上でも60年代や70年代の方が明らかに少年犯罪の発生件数は多かったにも関わらず、この事件が象徴的に扱われているのは当時のマスコミの過剰な報道によるものでしょう。結果的に治安に対する概念が揺らいだことに変わりはありませんが、主犯はマスコミだと言うことを改めて補足させていただきます。

2009年1月19日月曜日

ドラクエとファイナルファンタジーのⅢからⅣへの変遷

 頭痛を起こしたせいか、今日は微妙に気分が乗らないので軽い記事で流そうと思います。さすがに今の状態じゃ失われた十年の続きは書けないや。

 話のネタはドラゴンクエストとファイナルファンタジーについての話です。どちらも説明が要らないくらい日本でポピュラーなRPGゲームで、未だにシリーズが続いているという息の長いゴルゴ13もびっくりな長寿タイトルですが、この両シリーズの今に続くような原型が出来たのは何も初めからではありません。
 確かに両シリーズ共にシリーズ初タイトルのⅠの時点で相当な完成度を持っていたことは間違いありませんが、やはり両作品とも名実共にビッグタイトルとなって基本が完成したと言えるのはⅢからでしょう。

 ドラゴンクエストはⅢから「転職システム」が生まれ、また主だった呪文はこの時期に出来上がっていますし、またファイナルファンタジーでもその後のシリーズでシステム上大きな役割を担う「ジョブシステム」が完成し、また召喚魔法やジョブごとのアビリティもそれまでと比べて大きく幅を広げています。
 そうして基本が完成した両シリーズですが、奇しくもこのⅢからⅣに至る変遷が日本のRPG史上革命的かつ大きな変革が為されているのではないかと、何故か今日エクセルをいじりながら思いつきました。

 その大きな変革というのはもったいぶらずに言うと、キャラクターの個性化です。それまでドラクエもファイナルファンタジーも各キャラクターに明確な個性というものは存在せず、両シリーズとも使用キャラクターの名前は自由に選択でき、ⅢではドラクエⅢの勇者を除いて好きな職業に転職できたり、ファイナルファンタジーⅢに至ってはジョブチェンジをすることによって誰でもどんなものにでもなれました。
 もっとも例外的にファイナルファンタジーⅡはキャラクターごとに名前があり独自の設定が付与されていましたが、こっちはファイナルファンタジーというよりもサガシリーズの原型と言われており、実際にキャラクターの能力も戦闘時の行動次第で上下するという別な意味で自由なシステムでした。

 そんな両シリーズが大きく変革されたのがⅣからです。具体的にどのように変わったかと言うと、どちらも能力や職業、名前が固定された固有キャラクターが登場し、また明確な人格が付与されたことによってそれぞれが自分の言葉をゲーム中で話すようになった点です。ドラクエⅣではまだ主人公は自分からしゃべることはありませんでしたが、ファイナルファンタジーⅣの主人公のセシルはもうしゃべるの何の、ゴルベーザなんて「いいですとも」と、お昼のワイドショー張りなことを突然言い出すし。
 このキャラクターの個性化がどのような影響を与えたかと言うと、それまでは私はあまり詳しくないですがテーブルトークRPGのように使用キャラを敢えて没個性な設定を付してプレイヤーが感情移入しやすく作られていたのが、キャラクターが個性化することによってゲーム中で展開されるストーリーを、それこそ映画の観客のようにプレイヤーに強く見せるようになったと言えます。

 やっぱりファミコン時代から両シリーズをやりこんでいる私としても、昔は使用するキャラに自分を投影させて言わばゲームに参加するようにプレイしていたのが、いつしかキャラと自分は違った存在だと意識させられ、ゲーム中で展開されるストーリーを見る側に回っていったように思えます。
 まだドラクエの方では主人公には独自のセリフを言わせないなど感情移入させる余地を残しているものの、ファイナルファンタジーではこのストーリーを見せる映画のような手法が、シリーズを重ねるごとに強くなっていったように思えます。

 そんなだから普段からゲームをやっている私は今まであまりこの変化に気がつきませんでしたが、今日改めて気がついてみると、あの任天堂が出したMOTHERシリーズが懐かしくて面白いと感じたのはこういうところにあったのかなと思いました。前はよく言われていたけど、最近は感情移入を考慮されてゲームって作られているのかな。私なんかは信長の野望なんかが感情移入がしやすくて使っている大名によって、「お前は俺を裏切ったな!」と、ゲーム中では裏切ってないのに史実で使用大名を裏切った武将を問答無用で斬首しちゃったりします。これがまた楽しいんだよなぁ。

2009年1月18日日曜日

「その時歴史が動いた」の終了について

NHK「その時歴史が動いた」が終了(msnニュース)

 リンクに貼ったニュースの通りに、NHKの人気歴史番組の「その時歴史が動いた」が今度終了するらしいです。私もこの番組を非常に気に入っており、毎週というわけではありませんが高い頻度でよく見ていただけに非常に残念な気がする一方、既に九年も続いてきたことから題材にする歴史事件も少なくなっていることが予想されることから、今の時期がいい潮時なのかもという気もします。

 さてこの番組の醍醐味というと確かによく編成された番組内容もさることながら、やっぱり司会者の松平定友氏のあの見事な解説こそが一番でしょう。私が松平氏の話し方に関心を持つようになったのはある雑誌記事にて、彼は話し方に独特の間を設けるために多くの人を惹きつけるという評論を読んでからで、それ以後注意して聞いてみると確かに他のアナウンサーや司会者と違い言葉と言葉の間の取り方がうまく、人を惹きつける話し方というのはこういうものかと改めて尊敬しました。

 私もよく人から滑舌がよいとか話し方がうまいと言われることが多くて結構話し方については自分でも意識しており、どうすればもっとうまく人に聞かせられるかを事ある毎に考えています。そのため、実はここだけの話ですがこの松平氏の話し方もできることならば身につけたいと、テレビ番組を見ては技術を盗まんばかりに研究してはよく真似をしていました。特にさっきも言ったようにあの言葉と言葉の間こと、話の緩急のつけ方こそが松平氏の話し方の一番の魅力だと考えており、それこそただよどみなくつらつら話すだけだったら私でもできるので、この松平氏の間の取り方を一時期は非常によく真似していました。
 その結果ですが、最近はあまりないけど以前によく友人からこんな風に言われました。

「花園君ってさ、一気にブワーっと話すかと思ったら突然黙ることがあるよね。あれ、結構怖いんだけど……」

 生来、私は話す速度が非常に早い口です。中国人に日本語を教えた時も、「あなたの発音ははっきりしていて聞き取りやすいけど、話すのが誰よりも早い……」と言われたこともあるので折り紙付きです。そんな私が松平氏の物真似を中途半端にするもんだから、先ほどの友人のように緩急が急激な、意味不明な話し方となってしまったようです。
 ちなみに私は意識していないのですが、どうやら電話でも同じことをやっているらしく、「電話の時の花園は一味違う」と陰で恐れられていた時期があったそうです。最近はあまり間を取らずに、延々と話してスタミナが切れると急に黙るという話し方が定着しつつあります。

この不況は一体どれくらい続くのか?

 さて年が明けてもう三週間近く経ちますが、依然と世の中は不況の二文字一色で日経平均も先週は一時八千円台を割り込みかけました。そんな状況から「百年に一度の大不況」と今の不況はよく称されていますが、じゃあ一体どれくらいこんな不況が続くのかという予想はあまり聞いたことがないので、ここは一つ各考慮すべき点を挙げつつひとまずの予想を立ててみようと思います。

 まず百年に一度と言うだけあり、確かに今回の不況は影響が大きいです。よく不況は何故存在するのかという意見に対し好況があるからだという意見がありますが、まさにこの言葉の言う通りに私は基本的に経済というのは好況の分だけ不況が生まれるものだと考えています。
 たとえを出すと、毎年自動車が必要な人に行き渡るのに百台必要なところなぜかその年は二百台受注が来て作ったとします。そして次の年にも同じく二百台を作って販売するのですが、先にも書いたとおり自動車を買う必要がある人は毎年百人で、二年で二百人しかいないのにこの時点でもう四百台も作ってしまっています。すると更にその次の年になると市場にはすでに二百台も余分な車があり、車が必要な人はそっちの余分な二百台のうちから一年で百台ずつ買うので、自動車を作ってきた会社は二年間の間一台も作る必要がなく、また販売もできないので売り上げに困ってしまいます。
 かなり大雑把ですが、不況というもののメカニズムは大体こんなもんです。

 なので、これまた単純にこれまでの好景気の分だけ不況が続くとするとしたら、98年にロシアがデフォルト(債務不履行)をしたことから世界経済が一時冷え込み、それ以後もITバブルが始めるなどしばらく不調でした。その後、大体2002年から中国経済の躍進が始まりそれ以降は好景気が続いたので実質02~08年までが好景気の期間だとすると約六年間となり、つまることはこの不況も回復まで単純計算で六年かかるとして、2014年までということになります。

 もちろんこんな単純に計算できるわけではないのですが一応一つの案として出しときます。これに対し個々の状況を見ていきましょう。
 まずかつての1929年大恐慌ではこちらでも発信源のアメリカは延々と不況に苦しみ、その中でニューディール政策などあれこれ対応策が出てきたのですが、最近知ったのですがもし二次大戦が開戦されてなければ、あの時アメリカは不況から脱することができなかったという説があるそうです。これが何を表すのかというと察しのいい人ならわかりますが、つまるところニューディール政策というのは世界的不況(一国でもかな)に対して何の効果もなく、短期間に大量の物資や資源を消費する戦争が起こらない限り不況はすぐには終わらないということです。実際、日本も戦後は朝鮮戦争やベトナム戦争のおかげで立ち直れたんだし。

 ただこの世界恐慌の頃と現在で最も違う点は、言うまでもなくネットの発達による資金移動の高速化です。それこそクリック一つで一万ドルが動く時代ともあり、日本単体の経済状況は悪くなかったにもかかわらず一挙に巻き込まれて不景気となりました。あの大恐慌の時代ですら世界全体が深く巻き込まれたことを考えると、単純に日本一国で景気をよくしようとしても周りが悪ければどうしようも抗えないことになります。
 また日本は一時は失われた十年の不況から脱したものの、その際は中国やアメリカの好景気に引っ張られたというのが明らかなのに比べると、今の世界全体で悪いことを考えるとあの時代以上に困難な状態だとも言えます。

 つまるところ、今の不景気はあの失われた十年以上に事態が深刻なため、あの時代の日本政府の政策ミスなどを考慮しても最低五年、下手すりゃ十年以上の年月が景気回復のために必要なのではないかと予想します。それこそ今では派遣難民の扱いが大きな問題となっていますが、大恐慌の頃は東北地方で娘の身売りが相次いだといいますし、あと数年もすればなんであんなことで騒いでいたのかと思うくらい状況は悪化しているかもしれません。
 しかし逆を言えば、景気回復のためにそれくらいの年月が必要だとあらかじめ想定して腰を据えた長期的な政策を用意することで、その際のダメージを最小限に減らすことが出来ます。特に今回は日本一人で頑張ってもしょうがないので、世界全体の様子を見ながら如何に国民生活を破綻させずにしぶとく生き残ることが重要だと思います。

2009年1月17日土曜日

失われた十年とは~その二十、エヴァブーム~

 確か99年の月刊アスキーの記事だったと思いますが、秋葉原が今のようなオタクの街に変わっていったことについてある記者が、

「それまでは大人のホビー街という雰囲気の秋葉原であったが、大体96年頃の新世紀エヴァンゲリオンのヒットからこのようなオタクとアニメの街へと変わっていった」

 と記述していました。
 この意見に対して私も同意見で、元々秋葉原は転身の早い街で戦後は問屋街だったのがアマチュア無線ブームの頃に電気街となり、その後エヴァのブーム以降からアニメ、マンガ、ゲームの三大柱を掲げるようになって現在のようなオタクの街へと変貌を遂げています。言うなれば今の秋葉原があるのはエヴァのおかげなのかもしれません。そう考えると、アニメが街を動かしたってことになるのか。

 それでもはや語るまでもないほど有名なこのアニメ作品の「新世紀エヴァンゲリオン」はテレビ放映当時の95年は視聴率も振るわず、お世辞にも成功したとは言えない作品でした。しかし最終回の意味不明さが評論家の間で議論されたことから俄かに注目を浴び、再放送された96年に大ヒットしてその後97年の映画公開によって十年後の今にも続く人気を不動にしました。
 それこそ当時から一体何故エヴァは成功したのかという議論が行われており、いくつかそこで出たヒットの要素を挙げると単純にキャラクターのデザインとか、世界観、シナリオなどとある中で、今思うと違うなと思う要素には当時に流行していた「癒し系」という言葉とかけて作品のテーマ性に「癒し」が込められているという意見も当時は結構強かった気がします。エヴァの中に「癒し」があるかといったら、ちょっと私にはわかりませんが。

 ここまでの「失われた十年」の連載を見てきた方ならここで私が何を言いたいのかというのもわかると思いますが、要するに私はこのエヴァンゲリオンのブームは、この作品の内容が難解であったからではないかと考えています。
 このくだりは「その十八、終末思想」で書いていますが、失われた十年の間は何故か「よくわからない」ものほど流行し、作品もヒットしています。確かにこのエヴァンゲリオンはキャラデザから演出効果などでも当時としては画期的に優れた作品ではありましたが、やっぱり大ヒットの最大功労者となると「難解なストーリー」にあったのではないかと思います。

 またこの作品の大ヒットは他の作品にも広く影響を与え、前にも書きましたが当時はメンヘラ(自己があまり確立されていないよう)なキャラクターがいろんな作品で量産されていき、そうやってメンヘラなキャラが流行したことによりこれまた私の私見ですが、どうもその後からなにかと刹那的な生き方というものが実社会でももてはやされるようになった気がします。具体的な現象名を挙げると女子高生の援助交際がゴールデンのテレビ番組でも大きく平然と取り上げられるなど、今から考えると随分と滅茶苦茶な時代が展開されていました。なお女子高生の援助交際について私は結構前からあって多分今も全くないということはないでしょうが、少なくとも表立ってあれだけ話題に出来たのは90年代後半から2000年初頭の間だけだった気がします。

 とまぁそういうことでエヴァンゲリオンのブームがが社会心理に与えた影響というのは以上までですが、折角なのでエヴァがアニメ業界へ与えた影響についても列記すると、まずアニメ業界の販売業態がこの時期に大きく変わりました。それまではアニメの放送と共に関連する玩具の販売で生計を立てていたアニメ業界ですが、エヴァンゲリオンでは作品内容を納めたビデオの販売が大きな収入源となり、以後のアニメ作品でもそれまでの玩具からビデオ販売をメインの収入源へと変更していきました。凄いのになると、最終回は放送せずに見たければビデオを買えという詐欺のような作品も前にありましたね。
 またこのブームと同時期の97年に放送された「剣風伝奇ベルセルク」が深夜時間枠の放送をすることによって、当初懸念されていた放送に当たる残酷描写の問題をパスしたことによりそれ以後深夜時間枠に主だったアニメ作品が放送されるようになりました。

 この二つの変動によって何が大きく影響されたかというと、アニメ作品の対象年齢です。それまでは玩具販売がメインであったために小学生くらいの子供が主な対象であったアニメ作品は玩具より比較的高額なビデオの販売を収入源とすることによって対象年齢は上乗せされ、現在に至っては中高生、というよりもう成人を相手に商売やっているようなもんです。まぁちゃんと小学生対象のアニメもワンピースなどを中心に行われているので、むしろ成人対象のアニメも作られるようになったと言うべきでしょうか。

 ただこうした対象年齢の変動にはもちろん先ほどのエヴァとベルセルクの影響も大きいのですが、それ以上に少子化という現実こそが主原因でしょう。少子化によって対象の小学生が減ることにより収入が減り、新たに成人を対象に商売をするようになったのがアニメ業界の実情でしょう。

2009年1月16日金曜日

ヘタリアについて

アニメ「ヘタリア」放送中止 「諸般の事情」で(YAHOOニュース)

 リンクに貼ったニュースによると、今度アニメ化が予定されていたネットマンガの「ヘタリア」が韓国側の抗議を受けるような形で放映が中止されたようです。実はこのヘタリアは私もずっと前からネット上で楽しんで読ませてもらっていた作品で、去年に単行本化された際はすぐに買った作品です。ただその単行本は買ったものの、その次の日には古本屋へと持っていかれる運命でした。

 このヘタリアについてはこれまでにも何度かこのブログで記事を書こうかとしていたのですが、いちおうネットマンガだしあんまり書くべきじゃないかと思っていて伸ばし伸ばしにしていたのですがこの際書いちゃうと、あの単行本は出版した編集者はよほど頭の悪い人なのではないかと、はっきり言って神経を疑うようなひどい出来でした。具体的に言うと、ネットでの閲覧時には元ネタとなっている話や内容を理解するために必要な知識解説が一コマ絵で描かれているのですが、単行本ではそれらの解説が一切合財なしで、多分ネットでオリジナルのマンガを読んでいないと理解できない箇所がいくつも見受けられました。その上単行本化されるのだから何かしらおまけがあるだろうと思っていたのですが、確か書き下ろしは表紙絵だけで、中身のマンガの方はすべてネット上で無料で公開しているのと全く同じで、なんて無駄なものにお金を使ってしまったのだと激しく後悔しました。んでもってすぐ売っちゃいました。

 内容については前述の通りに非常に面白く私も気に入って入るのですが、今問題になっているように韓国の描写についてはちょっと私にも意見があります。というのもマンガの中の韓国の設定が日本の2ちゃんねるが持つステレオタイプに書かれているため中国のことを「兄者」と呼ぶなど、中韓の日本なんかと比べ物にならない憎悪関係を知っている私からすると強い違和感があります。大分前にも書きましたが、日中と日韓関係などより、中韓関係はずっとずっと仲が悪くてお互いかなり意識しあって憎み合っています。

 さらにアニメ化についてですが、これはあくまで私個人の意見ですがこの作品はあまりアニメにするには向いていない作品のような気がしてなりません。やっぱりアニメ化が向いている作品とそうじゃない作品というのは分かれており、前者であればドラゴンボールとかでヘタリアはやっぱり後者で、これまでのように単行本化などせずにネットマンガとしてやっていく方が内容的にもあっているんじゃないかと私は思います。
 なので今回アニメ放映中止の報道を受けて、作品的にはある意味よかったんじゃないかとすら思いました。

 今日は日馬富士は負けちゃったか(ノД`)シクシク

センター試験について思うこと

 昔から日本にはカレンダーに書かれていない行事として大学入学試験日というものが毎年あると言われていますが、明日から二日間がまさにこの重要な試験日に当たるセンター試験が行われます。それでこのセンター試験ですが、この前ノーベル賞を取った益川氏や東大名誉教授の宇沢氏を始めとして自由な解答、発想を阻むとして行うべきではないという批判が多いのですが、結論から言うと私は現状の入試制度はそれなりにいいのではないかと考えています。

 まず益川氏など教育関係者がセンター試験を批判している点として第一に、解答がマークシートであることが挙げられます。マークシートでは答えは選択肢の中から選ぶ解答が主になり、言ってしまえば過程がわからなくとも大雑把な予想、言い方を変えれば受験テクニックを駆使することで正しい解答が出てしまうこともあり、更には選択問題の特性上作れる問題の幅も狭まってしまいます。問題の幅が狭まるということは言ってしまえば予想が立てられやすくなることで、こちらも受験テクニックによって正解率が動きやすくなるのを誘発します。

 こうしたマークシート制ゆえの問題に限らずこちらは宇沢氏がよく批判している点ですが、大学ごとの選抜方式に個性がなくなるという弊害もよく指摘されています。なんだかんだいってどの大学にもそれぞれ独自のカラーというものがあり、そのカラーに合った学生が入学するに越したことはありません。たとえば真面目に静かに勉強したがっている学生と侃々諤々に議論を持ちたがっている学生が一緒になるより、それぞれの傾向がある程度出来ているところに入った方が学生にも指導側にもプラスです。ではどうやってその傾向というかカラーに合った学生を選抜するかですが、選抜する試験の傾向で意外に分別できるそうです。

 実際に私の入った大学も試験問題が明らかに他校と傾向が違い、社会科の科目はどの科目も問題が非常に簡単にもかかわらず国語は古典が非常に難しく、また英語の問題に至っては質問自体は簡単なものが多いものの題材とされる英文の長さが一般の受験問題と比べて二倍、三倍くらいに長いという妙な試験でした。そんな妙なのに受かるというだけあり、なんだかんだいって私とその学校は肌が合いましたね。
 また最近あまり話題にしなくなった佐藤優氏は同志社大学神学部の試験を受けた際、当時は残っていた面接試験時に何故神学部を受験したのかと質問されたところ、無神論を研究したいからと、キリスト教を信仰している相手に対してそれを否定する学問を学びたいという恐ろしい返答をしたらしいのですが、面接終了時には試験官より、他校に受かっても是非うちに来るようにと言われたそうです。あの大学は今でもそうですが、基本的にアナーキストとか反逆者を好んで引っ張り込んではそれを量産する傾向があります。いい学校だけど。

 それはともかくとして、こうした学校のカラーに合った試験がなくなってしまうのは問題だと指摘されているのです。こういうと国公立はセンター以外にも二次試験があるではないかと思われますが、どうも教育関係者たちから話を聞いているとやっぱり国公立の試験はセンター試験の配点が大きいために、大概はセンター試験の結果で決まってしまうものらしいです。たとえば東大の二次試験は意外に簡単でみんな揃って点数が取れてしまい、京大の試験は逆に難しすぎてみんな揃って点数が取れないために差が生まれず、結局センター試験で獲得した点数の差で合格者が決まるようなものらしいです。

 こうした批判点は私も確かに問題だと考えており、数学はもとより国語や英語でもやはり記述式の問題でなければ測れない力もあり、またやはり同じテストでばっと測るよりも各大学独自に試験を設けてそれぞれで選抜するやり方の方が学校ごとに個性が生まれてよいと思えます。しかしこうした問題点を推しても、私はやっぱりセンター試験はないよりはあった方がよいと考えています。というのも、地方の受験生の受験環境というものがあるからです。

 私なんかは大学受験時は関東の都市圏で生活していたので特に影響は受けなかったのですが、やはり地方の受験生はというと試験のためにわざわざ東京に泊まりで受けに来たりするなど、交通費や宿泊費が都市部の学生より大変多くかかっていると聞きます。それも試験日がまだ集中していればいいものの、多少日が開いてしまえばその度に上京したり、もしくは長期間に渡って受験地に滞在しなければなりません。それこそ北海道や九州の受験生であれば交通費だけでも数万単位のお金が必要になってきます。
 ですが現状のセンター試験を用いれば、二次試験のある国公立大学はともかくとして私立大学であれば加入校も増えており、狭き門となることがありますがセンター試験での結果を用いて試験とすることが出来ます。地方の受験生からすればそれで受かってしまえば場合によっては十万円くらい無駄な支出を減らすことが出来、幅広く自由にいろんな大学に合格するチャンスが出来ます。この効果を考えると、現状のセンター試験に問題はあっても廃止するべきではないと私は考えます。

 ついでに書くと中国は六月にこのセンター試験に当たる大学入試が行われ、それ一発の成績で入れる大学が全部決まってしまいます。そのためたまたま体調が悪かったりとか事故などで試験に遅れてしまうと、日本みたいに私立大学なんてなくてみんな国立大学なのでその時点でまた来年に強くてニューゲームをしなくてはならなくなります。これ以外にも中国の大学入試はいろいろと問題を抱えており、それらと比べるとセンター試験で落っこっても私立大学が受験生を拾うシステムがある日本はまだマシだと思います。

不思議王国鹿児島の話

鹿児島・阿久根市長:どの市議に辞めてほしい? ブログで不人気投票 議会と対立激化(毎日jp)

 いきなりリンクからですが、これはテレビや新聞で知っている方もいると思われるニュースですが、何でも阿久根市の市長がブログにて「どの市議会議員にやめてもらいたい?」という投票を行ったことから騒動になっているという報道です。
 実を言うとうちのお袋がまさにこの阿久根市出身で、私自身もこの阿久根市に何度も母と一緒に帰省して夏休みを過ごした経験があり、あながち全く無関係でもない場所なので昨日はおふくろと一緒にこのニュースで少し盛り上がりました。なお私が生まれたのはこの近くのタンチョウヅルで有名な出水市です。

 それでこのニュースですがやっぱり記事とか読んでいると「前代未聞」とか、破格の行動というような報道が目立つのですが、私はというと別に鹿児島だったらこういうこともあるんじゃないかと、取り立てて驚いたりすることなくすんなり受け止めました。というのも、これなんかまんま漫画の鋼の錬金術師じゃないですが、「ありえないことなんてありえない」というのが私の中の鹿児島の位置づけだからです。そこで今日は一つ、私がお袋から聞いた鹿児島のありえない話を紹介しようと思います。

 うちのお袋は高校卒業時まで鹿児島で育ったのですが、お袋が高校生の頃、ある日一人の男子生徒が、
「鹿が食いたいなぁ」
 と呟いたそうです。
 するとその男子生徒は友人一人を誘って学校の体育倉庫から金属バットを借りると、野生の鹿がたくさんいる阿久根大島にフェリーで行って、そのなんというか……なんかバットで鹿を殴り殺して鹿肉を本当に食べたそうです。

 私の友達なんかこの話を聞いてもそんなの信じられないと言っていましたが、お袋によるとマジらしいです。ちなみにその鹿を殴り殺して食べた二人はその後片方はヤクザとなって、もう片方は警察官となったそうです。それでヤクザの方が先に死んでしまったようなのですが、身元引受人がいないもんだから警察官となっていた方に引き取ってもらいたいと連絡があったそうですが、さすがに警察官が友人とはいえヤクザの死体は引き取れないと断り、最終的には親族が死体を引き取ったのですが、最後まで面白い二人です。

 これ以外にも村長選挙の際は島中が真っ二つに分かれ、支持者同士で本気で殴り合いになる戦争のような選挙戦が繰り広げられる離島とか、「だるまさんがころんだ」とは言わずに「いんどじんのくろんぼう」という妙な遊び文化があったりと、いろいろと鹿児島は変なところだと私は思っています。ただこれは大相撲の元力士寺尾(今の錣山親方)が東京出身にもかかわらず父親が鹿児島出身なので自らも鹿児島出身だと言い張るのと同じくらい、生まれただけで育ちはずっと関東の私も鹿児島に対して強いアイデンティティを持っています。
 もっとも、現地の言葉は私にも全然わかりません。なんでも二次対戦中にベルリンが陥落した際、日本大使館ではその事実を本国に電信使用としても暗号機が壊れてしまい、やむを得ず鹿児島出身の者に鹿児島弁で電信を送り本国の鹿児島出身の者に翻訳させたらしいですが、電信を傍受した米英はやっぱり解読出来なかったそうです。

2009年1月15日木曜日

ノンマルトの使者

 年末にマンガ「ケロロ軍曹」の単行本をまとめ買いして読んでいると、ある話の中で「ノントルマ」という単語が出てきました。この単語を見て私は相変わらずいいところ選ぶと、改めて作者の吉崎観音氏を見直しました。別にこの例に限るわけでなくこのマンガは他のマンガやアニメのパロディがふんだんに使われている作品なのですが、このノントルマの引用に関しては読んでる私も思わずうなりました。

 結論から言うとこのノントルマというのは恐らく、ってか間違いなくウルトラセブンの「ノンマルトの使者」という話が題材でしょう。私自身はこの「ノンマルトの使者」の回、というよりもウルトラセブンを見たことがないのですが、ちょうど二年位前に国際政治関連の授業にて突然講師がこの話を紹介し始めたので知ってたので、この話のあらましを今日はちょっと簡単に私も紹介します。

 まず前置きとして、ウルトラセブンは他のウルトラマンシリーズと比べて話が非常に大人向けに作られていると言われています。他のウルトラマンシリーズは勧善懲悪的なストーリーで一貫しているのですが、ウルトラマンセブンだけはアニメのガンダムシリーズのように、善と悪の概念が曖昧なまま話が進むそうです。
 それで件の「ノンマルトの使者」ですが、何でも話は海の上で軍艦が次々と落とされる事件が起こり早速ウルトラ警備隊が調査に向かうと、海辺である少年が主人公のモロボシ・ダンことウルトラセブンらに対し、
「海底はノンマルトのものだ。人間は来るな」
 といった内容の言葉を言って謎の警告をして立ち去っていきます。

 その少年が立ち去った後、ウルトラセブンは突然、自分がM78星雲にいた頃、地球のことをノンマルトと呼んでいた事を思い出します。そして再びその少年が現れると、その少年は自分たちノンマルトは人間が現れる以前から地球にいたのに人間が現れ海底にまで住処を追われたと話し、その海にまで人間は侵略しようとすると非難して再び立ち去ります。
 その後、お決まりのように海から怪獣が出てきてセブンやウルトラ警備隊によって退治した挙句、海底にあった怪獣の住処も完全に破壊します。すべて終わってひと段落かと思うと再びセブンの前に先ほどの少年が現れ、
「地球はノンマルトの星なんだ、人間こそ侵略者なのだ」
 と言って、姿を消します。

 この少年の言葉を受け元々地球をノンマルトと呼んでいたセブンは、自分は宇宙の侵略者たちから地球の人間を守るためにやってきて戦っているが、この地球の元々の居住者は自らをノンマルトと呼ぶあの怪獣たちで、もしかしたら自分は侵略者の人間を助けているのではないかと悩みながら話が終わります。

 この回の話を突然授業中に引用したその講師は最後に、この回の脚本を作ったのは沖縄出身の人だと話し、元々国家という概念は民族や文化、宗教などで構成されていると思われがちだがそれらは限りなく根拠のない建前のようなもので、実態は言わば最も強い支配層が力の弱い層に対して服従を強要して成り立っていることが多いと説明し、明治維新後に半ば強制的に日本という国に組み入れられたばかりか二次大戦では戦場とされるなど悉く犠牲にされてきた沖縄の歴史と本土の日本人の意識の差を、その脚本家こと金城哲夫氏は「ノンマルトの使者」に込めたのではないかと話しました。

 あとこれは私と友人が話をしている時に出た話ですが、仮に沖縄の人たちが日本からの独立を望むというのなら私はそれを止めることが出来ないと話し、この時の意識は「ノンマルトの使者」の話を聞いてなおいっそう強まりました。

 あ、今日は日馬富士が勝ったんだ(n‘∀‘)η

2009年1月14日水曜日

今場所の前半戦について

 さて一月と来たら私の中では相撲の初場所しか来ません。特に今場所は朝青龍の進退がかかっており、今週初めからスポーツ新聞では連日の一面に相撲記事を持ってくるほど世間でも注目が高まっています。ただ肝心の朝青龍が今日を含めて四連勝したことからちょっと話題に欠けはじめ、ここらで一敗してくれればまた物凄い盛り上がりが期待できます。

 私は相撲を2005年からよく見るようになりましたが、その頃から一番好きな力士は安馬こと今の日馬富士です。その日馬富士ですが大関昇任後初めての場所となる今場所でなんと四連敗と、非常に波に乗れずにいます。確かにこれまでも日馬富士は下位の力士に負けることが多くて逆に上位陣には毎回勝つという弱きを助けて強気をくじく取り組みが多かったのですが、それにしても今場所は見ていて明らかに動きが悪いです。特にこれまでの持ち味だった下半身の粘りが消え引き落とされると簡単に倒れてしまうという、なんと言うか日馬富士らしくない取り組みが見られます。
 こうなった原因として昔は体重が少なく(当時は幕内最軽量)それこそ土俵上で相手の攻撃をかわしながらまわしを取るというスタイルだったのが、ここ数場所は体重がすっかり増えて逆に突進力で相手を圧倒する取り組みが増え、その分自慢の足腰が弱っていったのが原因ではないかと思います。なんにしても、早くスランプを脱出してもらいたいものです。

 同じ大関だと琴光喜もすでに三敗と波に乗れていません。まぁこの人は八勝七敗で終えることが非常に多い力士なのでほっといても挽回するでしょうが、なにげに陰に隠れて弟弟子の琴欧州が四連勝と調子がいいです。普通この人は取りこぼしが多い人なのですが今回はそれが見られず、宿敵キセの里相手に万全の相撲で勝っているなど今場所のダークホースとなるかもしれません。

 それで優勝候補はといったら、それはやっぱり横綱白鵬となります。どの取り組みを見ても隙がなく、日馬富士とは対照的に現力士中最強の防御力とも言えるほどの強靭な足腰で危ういところを一切見せません。対する今場所の主役の朝青龍は四連勝こそしているものの、かつての目にも止まらぬ素早さはすっかり影を潜め、往年と比べると明らかにパワーダウンしているのは否めません。今日の取り組みでも雅山の突進を受けきれずに横にさばいて勝利を得ましたが、昔の朝青龍であれば軽く突進を抑えられたことでしょう。

 今のところ朝青龍が対戦しているのは実力ある力士ばかりですが、どうもこれまでの相手は朝青龍以外にもよく負けて今場所の調子の悪い力士ばかりです。なのでこれから上位陣と当たることを考えたら、やっぱりそううまくはいかないんじゃないかと思います。
 個人的には、バルトあたりでつまづくんじゃないかなという気がします。

失われた十年~その十九、心理学ブーム~

 前回の終末思想についての記事で私がこの連載の後半でもって行きたい話の筋道をあらかた書きましたが、今回はこの失われた十年の間で流行った妙なものの中から一つ、心理学のブームについて解説します。

 まずこの心理学が一躍社会に注目されるようになったきっかけは前回にも書いたように、映画「羊たちの沈黙」による影響が大きいです。この映画は原作となったストーリーの面白味に加えハンニバル・レクター役を演じたアンソニー・ホプキンスの名演技が光り大ヒットしましたが、映画を見たことがわかる人なら言わずもがなですがこの映画の主役とも言うべきハンニバルの職業は犯罪心理学博士で、映画中にも使われている犯行時の状況から犯人像を絞るという捜査手法の「プロファイリング」が映画同様に大ブレイクしました。

 特にこの心理学ブームが最も顕著に現れたのは大学における心理学部、学科の偏差値の向上においてです。今日調べてみたらどうも以前ほどではなくなってはいますが、それこそ95年くらいの大学入試において心理学関係の入試は他の文系学部より頭一つ抜ける高さで、有名私立大学の心理学部などはそれこそ狭き門となっていきました。この傾向はしばらく続き、私が大学入試をした年も依然として高いままで周りにも心理学を勉強したいというブームに流された友人が数多くいました。
 ちなみに私の知っているある大学は、付属高校の学生を心理学科にどんどんと入れることによって外部生の倍率が高まるために偏差値が高いだけで、教師も認めていましたがそこの学科の学生はあまり勉強のできる奴はいないと言っていました。

 こうした大学の倍率とともに、すでに完璧に死語と化していますが前述の「プロファイリング」も大いに当時は流行りました。そのためか一時はブームに乗っかってテレビではこのプロファイリング特集がよく組まれたり、ジャンプでもこれを主題にしたマンガを連載させてはこけて、97年に起こる酒鬼薔薇事件ではワイドショーなどが自称プロファイリング捜査官を出演させては何の根拠もない実際の犯人とは大きく異なる予想が立てられたりしていました。
 さらにこれも前回の記事でも言いましたが、恐らくこういった背景があったことからミステリーやオカルト分野への社会の関心が高まり、「金田一少年の事件簿」といった推理マンガこの時代に数多くヒットしたのではないかと見ています。「名探偵コナン」はずっとヒットし続けているけど、我が心のふるさと鳥取県出身の漫画家と来たら私の中では未だ水木しげるしかいません。

 それでこの心理学のブームですが、きっかけこそ先ほどの「羊たちの沈黙」でしょうが、ブームが持続したのはこの心理学が利用しやすかったことが原因だと私は考えています。というのも、これなんか私の専門の社会学でもそういう一面もあるのですが、どんな滅茶苦茶な理論でも精神的障害(トラウマ)と統計操作を行うことで、パオロ・マッツァリーノ氏の言う通りに心理学と社会学は思いのままに立証できてしまうからです。

 先に言っておきますが、真剣に研究している心理学者の方々たちには非常に申し訳ありませんが、私はこの心理学を全学問分野の中で蛇蝎の如く一番嫌っています。もちろん真面目に研究している方たちには非常に尊敬もしていて臨床心理学など研究的価値のある分野だと考えていますが、それを推しても現状では以前ほどではないにしろ心理学を錦の御旗に明らかに実証性のないとんでもない理論を振りかざしては流行らす輩が多いため、私はこの心理学に対して常日頃から批判的な立場にあります。

 それこそ心理学がブームだった90年代後半はなんにでも理由付けや根拠に心理学が利用されて、「心理学的には~」とか「トラウマによる影響で」といってはエセ科学や偽情報が片っ端から作られていきました。よくあったのは「こうすることによって心理学的には相手に対してこのような感情を持たせる」というフレーズで、今も数多い恋愛交渉術のやり方が紹介するなどの万能振りを見せ、更にはよくある質問本で、「Aと回答する人はこんな性格」といったようなものまで出てきて、もはや心理学と言えば誰でもなんでも信じ込んだ時代でありました。

 こういう具合にメディアから商業主義にまでなんにでも利用され続けたため、この心理学は失われた十年の間に一貫としてブームを保ち続けたのでしょう。しかし冷静に今見渡してみると、大分この時と比べて心理学の威力というものは弱まった気がします。ちなみに私が一番好きな心理学の話は、前に私も書いた「パブロフの犬の逆説」です。

2009年1月13日火曜日

どうすれば出版界を救えるのか

 以前に私は「出版不況について思うこと」の記事の中で、質が下がる一方で値段は上がっていくという出版業界の経営努力の足らなさを主張しましたが、じゃあ一体どうすれば出版界を救えるのかという具体的な話を今日はしてみようと思います。

 単純な話、やっぱり質を上げていくほかないと私は思っています。情報が氾濫している上にネットが発達して本が売りづらくなっているというのはよくわかるのですが、それでもベストセラーとなる本はやっぱり私も読んでいて面白い本が多く、「国家の品格」とか「鈍感力」は新品で買っても全然損したとは思いませんでした。やっぱりそういう風に考えると、いい本はなんだかんだ言って売れるので出版社側もいい本を出す努力をやるべきだと思います。

 とはいえ、そんな具合でいい本が片っ端から作れて行けば苦労はないわけで、それ以外の方法をいくつか検討してみたいと思います。
 まずこれは以前に立花隆氏が言っていたことですが、この際本の値段を今の三倍くらいに引き上げて、本の所有それ自体が教養を持っていることを強く示す高級(ブランド)品のようなものにしてはどうかと提言していました。もちろん広く知識を共有するためにこの方法は立花氏もあまりいいものではないとしながらも、出版界が生き残るための一つの手段として挙げていました。

 そうした立花氏の意見に対し、私が考える手段というのは情報の制限、独占というやり方です。
 実は出版不況の中でゲームの攻略本というのは確実に利益の出せる非常においしいジャンルとして今もあり続けているそうです。普通に考えるのならばゲームの攻略情報こそネットで氾濫していて本として売る必要があるのか疑問符がつきそうなものですが、実態はと言うと「パワプロ」や「スパロボ」の攻略本に至っては複数社から販売されながらもきっかり利益を出すほどで、現実にどこの本屋でもこの攻略本コーナーというのは大きな一角を占めていることが多いです。

 それで何故攻略本が売れるかですが、この理由は恐らく情報の制限が行われているからだと私は考えています。昔はともかく今のゲームの攻略本には設定資料やオリジナルイラスト、製作者からの裏情報などただゲームをプレイしているだけでは手に入らない情報が盛り込まれていることが多く、実際に購入する側もそうした情報を目当てに買っていることが多いように見えます。特にシナリオが難解な、私が昔やってた「バロック」とか今やってる「サイレン」なんてそうした攻略本のシナリオ解説がないととてもじゃないけど消化不良でシナリオが理解できずに終わってしまう可能性が高いです。

 この攻略本のように、流通する情報を制限する、もとい「その本を買わなければその情報が絶対に得られない」という状況を意図的に作り出すことが、出版不況を脱す一つの手段ではないかと私は考えます。それこそ一番エグいやり方を使ってもいいのなら本に載せている情報をネット上なり他の雑誌なりで公開された場合、片っ端から訴訟を起こすのもこの手段の一つです。そのほかある分野の情報に対して徹底的に競合他社を排除して、談合なりで一部の本や雑誌でしか公開できないようにするのもありかもしれません。

 ここまで自分で書いてて暴論だとは思いますが、この情報の制限についてはこのところよく考えてしまいます。私自身このブログで書いてて、果たしてこれだけ加工した情報をただで公開していいものなのかとか、逆にマイナーな情報をネットで見かけた時、こんな情報をただで得ていいものかと思ってしまいます。
 ある本の作者が、現代人は情報に対してお金を払って得るという意識がほとんどなくなってしまっていると言っていましたが、これはこれで私も問題な気もします。特にこれは若い世代に強く言いたいのですが、やっぱりいい情報を得ようと思うのならそれだけお金をかけねばいけません。お金をかければ必ずいい情報が得られると言うわけではありませんが、現代人はもうすこし個々の情報に対して価値を持つべきではないかと強く感じます。

二年後の消費税増税の背景にあるもの

 既に皆さん知っての通りに、去年の十一月あたりに現在もなお続く麻生政権が何を思ったのか、「三年後に消費税を増税する」と発表しました。年が明けたので今では二年後となりましたが、どちらにしろ2011年に消費税を増税することを別にこんな不況の真っ只中の今に言わなくともいいのに、麻生首相は明言したばかりかその後税制調査会に対して実施時期を明確にするよう再三要求しました(結局曖昧なまま流しましたが)。

 もしこれが常日頃から財政再建を主張してきた与謝野氏が言うのなら別におかしくはないのですが、何故この段階で麻生首相が明言したのか私はずっと不思議に思っていました。麻生首相は別に財政再建派でもないし、むしろ積極財政を主張してきたのだからこうした消費者の意識にマイナスに響くような政策意見は遠いものだと思っていましたし、衆議院選挙を前に明らかに足を引っ張るような増税の意見なんて普通の感覚なら出来ないはずです。

 そんなかんじであれこれ考えながらもう大分時間が経つのですが、三日前くらいに突然ピコーンと、ある事実が閃きました。もったいぶらずに言うと、2011年7月にはテレビの地デジ移行があるのです。
 要するに話はこうです、2011年のテレビの地上波デジタル移行が待ち受けているために、必然的に2011年はテレビの購入が増加することが予想されます。その大量購入に合わせて消費税を増税するとどうなるかですが、まぁ簡単に言うと国の税収取り分が増えてくるんじゃないでしょうか。

 もちろんこれがすべての理由だとは私も本気で信じているわけじゃないですが、あれほど増税時期を明確にすることにこだわったのがこれも一因なのではないかとちょっと思いました。どちらにしろこの消費税増税の明言にはまだまだ背後関係がありそうなので、またなにか気がついたらご紹介します。

渡辺喜美氏の離党について

 本日自民党が二次補正予算案を強行採決したのと同時に、かねてより離党も辞さないと主張していた渡辺喜美議員がとうとう正式に離党しました。
 この離党について私の感想から言うと、このような行動に渡辺氏が出るのもしょうがないと渡辺氏に対して理解する気持ちの方が大きいです。というのも今回の麻生政権において、渡辺氏がかつて記者たちの目の前で涙を流すほどまで力を入れてきた行政改革案をすべて丸潰しにされているからです。

 渡辺氏は福田政権内にて行革担当大臣をやっている際、今に始まったものではありませんが「私のしごと館」などを含む、明らかに必要性とコストがかけ離れた箱物に代表される行政の無駄の温床となっている特別法人の廃止や天下りの規制を含む行革案を出したものの、各省庁からはこれらの見直しに対してゼロ回答を喰らうなど総スカンを受け、挙句には福田政権内ですら厄介者扱いされる始末でした。挙句にその後行われた内閣改造では行革大臣の職から外され、福田政権が倒れた後の麻生政権に至っては渡辺氏がまとめた見直し法案はほぼすべて握りつぶされたに等しく、特に公務員の天下り規正においては根本から崩されてしまう有様でした。

 渡辺氏も自分で言っていますが命を懸けて行ってきた内容なだけに、その忸怩たる思いも相当のものでしょう。まして渡辺氏のやろうとしていた行革案は私の目から見ても今すぐにでも必要な改革案で、無駄な行政法人の廃止はもとより天下りの禁止などやれるものなら明日からでもやっていいというくらいのこの国の悪習です。事実国民もこれらの政策の問題性を認識しており、今何が一番必要かといったらやっぱりこれらの政策が国民の意見としても当てはまるでしょうし、政治評論家たちの意見もどれもその通りと一致しております。

 こういったことを踏まえ、今回渡辺氏が離党したことについてたとえ無謀だとしても、私一人はその行動を理解していようと思います。まぁきな臭い事を言うと、前の記事にも書いたように恐らく民主党とはある程度話がついていて、恐らく次の選挙では民主党に合流するにしても無所属でいるにしても民主党から公認や応援が得られる約束がついているのだと思います。別に汚いことだとは思いませんが。

 最後にこの渡辺氏の離党が自民党に与える影響ですが、さきほどNHKの解説員がそれほど大きな影響を与えることにはならないと言っていましたが、私としても同じ意見です。しかしもしこのまま次の選挙にていわゆる小泉チルドレンを冷遇するような選挙態勢をしくとしたら、武部元幹事長以下が一気に自民党から離れるという可能性があるのではないかと思い、その際に渡辺氏と行動を共にするか、もしくは別々でいるかなどと、後々大きな変動を生む種になる可能性はあると思っております。

2009年1月12日月曜日

ゲームの「サイレン」について

「おかーさーん、おかーさーんあけてよー」

 このフレーズを覚えている方はいるでしょうか。このフレーズは、もう大分古いですがPS2のホラーゲーム「サイレン」の、あの恐すぎて放送中止となったCMで使われたものです。さてなんでそんな昔の話を突然するかと言うと、ちょうど今まさに私がこのゲームを遊んでいるからです。

 もともとこのサイレンは三年前に購入したものの、あまりの難しさに音を上げてプレイを中断してしまったままでいました。それがこの前久しぶりに思い出し、ネットにて情報をいろいろ見ていたら攻略情報サイトに行き着き、せっかく買ったのだからこの情報を元にやってみるかと再び立ち上げた次第であります。
 で、改めてやってみた感想はと言うと、「こんなの攻略情報なしでクリアできるかっ(゚Д゚)ゴルァ!!」といったところです。どこのサイトでも私の後輩も、このゲームはあまりにも難易度が高すぎるために一般受けしないと聞いてはいましたが、攻略情報を見てみるとただステージをクリアするだけでなく、普通にプレイしていたらまず気づくはずもない細かい隠し条件を攻略しないと後々ゲームが進まなくなるなんて正気の沙汰じゃありません。後輩も攻略情報に沿って遊んでいたと言っていましたが、逆を言えば沿わないと遊べないくらいの尋常じゃない難易度です。

 それでゲームの恐さですが、私はこれ以前にテクモの「零」というホラーゲームをプレイしておりこちらは海外からもものすごい恐いと評価されながら、私自身はそれほど恐いとは思わないままクリアしました。ですがこちらのサイレンはと言うと、はっきり言って滅茶苦茶恐いですヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ
 あまりにも恐くて、二時間連続でプレイすることはまだできずにいます。おまけにやってるのもこんなクソ寒い冬の間ということもあり、文字通りプレイ中は身体の震えが止まりません。よく怪談は夏にやるものだと言いますが、冬にやるものではないというのはよくわかりました。

 とまぁこんな感じでまだプレイ途中なので、またおいおい細かい感想はこの後も続けていきます。最後に現段階でちょっと気になっている箇所として、作品の舞台が昭和78年となっている点があります。というのもこれは平成年間初頭に多かったのですが、いわゆる「終わらない昭和」というジャンルがまさかまだ使われていたということに好感を持ちました。
 その「終わらない昭和」というジャンルは平成5年くらいまで一部のマンガやSF小説などで使われた設定で、米ソの冷戦構造が続いていたりなどと一部で昭和の世界観が引き伸ばされたまま、技術などは現代や近未来のものというような話がよく展開されていました。何故こういったジャンルが存在したかというと私見を言わせてもらえば、基本的に日本人は過去にノスタルジックな感傷を抱くのでその感傷を残したり、現代とは違った一つの未来を提示する設定として好都合だったからだと思います。

 ちなみにこちらは「終わらない昭和」とは違うかもしれませんが、私もマンガ版で楽しく読ませてもらっている「ひぐらしのなく頃に」も、メインの舞台を昭和58年に据えており、この作品でも「昭和」という一つの時代が使われています。個人的にはこういうジャンルは平成も大分過ぎた今では通用しないものと思っていただけに、こうして元気に使われているのを見るとこっちまでうれしくなってきます。ま、さすがに鉄人28号で使われたような、「旧日本軍の秘密兵器が……」って設定はもう見ないけど。

2009年1月9日金曜日

失われた十年とは~その十九、終末思想~

 失われた十年における事実整理とそれに対する私の見方だけだったこれまでの記事に対し、今回は後半のポイントとなる社会心理の話を完全私独自の考えで披露します。結論から言えば私は90年代には薄く、幅広い終末思想のようなものが存在し、それがいろいろなものと結びついて当時の独特な社会空気を作ったのではないかと考えています。

 さて終末思想とくれば恐らくもう読んでいる方は察しがついているでしょうが、あの「ノストラダムスの大予言」です。これ自体については本の著者の五島勉氏の眉唾本ですが、本が出た当初は売れに売れて私が子供だった90年代初頭でも1999年には世界が滅亡するという話には相当な影響力がありました。さすがに99年を過ぎた現在ではノストラダムス自体が死語になりつつあるのですが、私がこのところ失われた十年の大部分に当たる90年代を思い起こすにつけ、このノストラダムスの予言が幅広く浸透し、意識してかしてないか当時の人たちの行動や思想に少なからず影響を与えていたのではないかと思うようになりました。

 まず実際にノストラダムスの与太話が大きな行動、事件に繋がった例として、前回に解説したオウム真理教による地下鉄サリン事件です。というのもこのオウム真理教は教団内で終末思想を持っており、それに向けてあれこれ準備すると言う名目でいろんな武器や化学兵器の開発といった非合法な活動を行っており、このオウムの終末思想に影響を与えたのが前述のノストラダムスの予言だと言われております。
 現実に当時、一部(大槻教授とか)から批判されだしてきた五島勉氏が1999年の世界滅亡について、「目には見えない何かによって人類は滅亡する」等と言い出し、オウムの起こしたサリン事件によって化学兵器などが俄かに一部(オカルトマニア)で注目されました。

 またこのオウム事件に限らなくとも、前々回に解説した阪神大震災やバブル崩壊による戦後初めての長期不況によって日本人全体で言いようのない不安を持ち合っていたと思います。こうしたバックグラウンドの元で、日本人は「見えない不安」というものを全体で薄いながらも抱えだし、その結果改めて思うと当時限定の独特な文化が生まれていったというのが大まかな概略です。

 そうして生まれた当時独特の文化、風習の一例として、私がにらんでいる一つの候補は心理学です。それまで哲学とかと並んでマイナーな学問だった心理学が俄かに脚光を浴びて、現在はどうだか知りませんが当時は絶大な偏差値を誇るほど入学希望者が殺到したブームのきっかけはハリウッド映画の「羊たちの沈黙」からですが、その映画だけでなく先ほどの終末思想に端を発するオカルト分野の盛り上がりもこのブームを後押ししていたのではないかと私は考えます。なおこの心理学ブームと並んで90年代初頭より勃興したものとして、今も続く「名探偵コナン」を代表とする推理マンガも、こうした背景の元だからこそ成立したのではないかと思います。

 勘のいい人ならわかるでしょうが、心理学と推理マンガ、つまり人の心理などといった曖昧でよくわからなく、理解しづらいものが不思議と当時に流行っています。今度はこの「よくわからない」と言うものがキーワードになりますが、やっぱこっちも改めて考え直してみるとよくわからない、わかりづらい、曖昧模糊としたものほど当時は何故かいろいろ流行ってる気がします。
 その方面での代表格はアニメの「エヴァンゲリオン」ですが、これなんかユング心理学、聖書(オカルト方面の)、難解なストーリーと、今私が挙げた三拍子を全部備えている優等生で、案の定90年代後半には爆発的なヒットを博して現在に至るまで製作したアニメ会社が関連商品で儲けていられるという大傑作となりました。なおこのエヴァンゲリオンがヒットした当時に発売したファイナルファンタジー7の主人公のクラウドがややメンヘラなキャラクターとなったのは、このエヴァンゲリオンのストーリーが影響したと言われています。まぁ当時はクラウドに限らなくとも、メンヘラなゲームやアニメのキャラクターが非常に多く、恥ずかしい話だけど当時の私の小説もそんなんばっかだったし。

 このようにはっきりと意識しないながらも終末思想を日本人は全体で広く抱え、その影響で終末思想とやや系統の近いオカルトや心理学が人気になり、現実でも阪神大震災やオウム事件など社会を揺るがし不安に陥れる事件が連続したために、日本人の行動や思想が刹那的、自暴自棄なもの(クラウドっぽい?)へとなっていった……といったところでしょうか。この辺は後でもっと詳しく解説します。
 そんでもってこうした傾向に最後の一手を入れたのが、私は97年に起きた酒鬼薔薇事件だと考えています。この事件が発生した当初、そして犯人が中学生だったということがわかった際の社会の混乱振りは私もはっきりと覚えているほどで、この混乱がどのようにその後に繋がったか一言で言うとすれば、私はやっぱりこの事件によって日本社会がそれまで持ってきた様々な規定概念のようなものすべてが崩れ落ちたのではないかと考えています。折も折で私が経済的に転換点だと述べた97年で、長らくエリートコースとされてきたいい大学に入っていい企業に就職すれば将来安泰とか、子供は社会の宝だとか、親父狩り事件に代表される子供から大人への尊敬意識といった、それまでは社会上で当たり前とされてきた規範や規定のほとんどが否定されるかなくなっていったように思えます。

 その結果は、その後続く私から見れば退廃的な文化の勃興や刹那的な意識を持つ若者の増加、延々と続く自分探しといった現象の発生に繋がったのではないかと思います。今の後ろ向きな世の中も、言うなればこの97年から始まったのではないかと、私なりの提言です。次回からはこの記事で展開した話を個々に分けて解説して行き、この失われた十年の以前と以後で転換した日本の社会意識や風習を紹介していきます。
 それにしても、今日は思いっきり飛ばして書いたなぁ(ノ∀`) アチャー

2009年1月8日木曜日

広瀬健一氏の手紙について

 たった今これより一つ前の地下鉄サリン事件の記事を書き終えたばかりですが、なんというかやっぱり凄い疲労感を感じます。予想していたことですが、内容が重いものなだけに書く側もしんどいです。読む側も大変だろうけど。
 そんな風に疲労していてぶっちゃけ風呂入ってすぐに寝たいのですが、さすがにこれは先の記事と離すことの出来ない内容なだけに、伸ばし伸ばしに温めていたネタをついに今日書くことにします。その内容というのも地下鉄サリン事件の実行犯の一人、広瀬健一死刑囚(上告中)の獄中からの手紙についてです。

 実は昨年末の週刊文春にて、この広瀬氏の手紙が記事にされて紹介されていました。元々はどこかの大学でカルトに引き込まれないにはどうすればいいのかを話し合う授業にて、広瀬氏の意見を聞こうと授業担当者が手紙を出したことに広瀬氏が応じたというもので、それを文春が記事にしたというわけです。
 まずこの広瀬健一氏ですがオウム真理教内では科学技術省の次官という地位にあり、地下鉄サリン事件では丸の内線の電車内でサリンを放出させた実行犯で、オウム関係者の中では確か最も早く地裁で死刑判決が下され、その後の高裁でも同じ死刑で現在判決を不服として上告している最中です。
 教祖の麻原死刑囚に対しては獄中にて信仰をやめ、これは上告理由にしていますが当時は麻原死刑囚のマインドコントロールを受けていたために正常な判断が出来なかったとし、現在では教団とは決別した態度を見せています。

 それで広瀬氏からの手紙の中身ですが、まず最初に語られたのは人生に疑問を持ったことについてでした。なんでも広瀬氏が高校生だったある日に家電屋の前を通った時、店頭で売られている家電が安く値下げされたのを見て、この世の中のものの価値というのはどれだけ希薄なのだろう、少し時間が経ってしまえばたちどころに失われてしまうと考え、それ以降人生そのものに価値が見出せなくなったそうです。そのため大学ではなるべく価値が不変である物理学を専攻するようになり、早稲田大学の大学院にて当時の指導者に、「あのまま研究で残っていれば世界に大きな功績を残した」といわれるほどの成果をだすなど、その秀才ぶりは当時から郡を抜いていたそうです。

 その広瀬氏がどのようにオウムと関わるようになったかというと、書店にてオウムの出版している本をある日手にとり読み終えたその晩、広瀬氏が言うには体内で火山が噴火、爆発するような神秘的体験を体験したそうです。これについては広瀬氏も他人にうまく表現して伝えられないといっており、恐らく自己暗示的な急激な気分の高揚か何かがあったのだと思います。その体験を経て広瀬氏はオウムの言っている事は本当だと信じ、教団に入信するに至ったそうです。
 なお広瀬氏を診察した精神科医によると広瀬氏は暗示にかかりやすい体質の人間であるらしく、この入信への過程はそうしたことも影響したのではないかと言われております。

 その後広瀬氏は持ち前の物理知識を武器に教団内で地位を向上して行き、サリンの製造などオウムの非合法な活動にも手を染めて行きます。そうしてあの地下鉄サリン事件にも実行犯として関わることとなりました。
 この地下鉄サリン事件に対して広瀬氏は被害者の方には本当に申し訳ないことをしたと思っていると手紙にて訴え、実行前にためらいがあったかについてはあったと肯定をしています。しかしそれでも何故実行したかというと、これは他の事件でも同様ですがオウムで人を殺害することを「ポア」すると言い、これは現世で悪業を重ねるようになってしまった人間がそのまま生き続けると死後もその業を解消するために苦しまねばならなくなるため、罪が軽いうちにこの世からあの世へ送ることでその殺害相手を救ってやるのだというように殺害を正当化していました。事件当時の広瀬氏は教団、もとい麻原死刑囚の言うことすべてが真理だと信じ、そのためこのサリンによる大量殺人も必然ある行動と受け取り実行したそうです。
 もっともそうした救済のための殺害でも罪業(カルマ)を重ねる行為に当たるとされ、事件実行後に広瀬氏が自らもサリンの影響を受けてひざを崩した際、自らへの罰だと感じたそうです。

 その後逮捕によってオウムから離れ、現在では前述の通りに過去の自分の過ちを大いに悔いていると手紙にはつづられています。そしてカルトに取り込まれないためにはどうすればいいかということで広瀬氏は、個人の考えを根本から否定してひたすら教祖に従えというような集団を信じてはいけないと答えています。たとえどんな人間にも人権もあれば思考もあり、それをすべて否定するのは絶対的に間違っているといい、そうした集団に入って自分のようなことだけは絶対にしてはいけないと伝えています。

 こうした広瀬氏の手紙を受けてその授業の学生は、これまでカルトというのは自分とは遠い存在だと思っていたが、新ためて身近に潜んでいるものなのだということを再認識したなどといった反応が返ってきたそうで、こうした学生の反応を広瀬氏に伝えると、今の学生は地下鉄サリン事件当時は小学生のような子供たちで事件への実感も薄いだろうから自分の声も一笑に付されると思っていただけに、きちんと受け止められたことに驚いたとまた答えています。

 私自身の感想としては広瀬氏が最初に述べている、「この世の希薄さ」という話に深く考えさせられました。友人などはこの世のものすべてに価値などないとはっきりと割り切っていますが、私自身はそれでも人間が生きていく上で追い求めるべき価値はあると信じていますが、時折広瀬氏のように何もすべて意味がないのではとやる気が急激に失われていくようなことが起こります。そうした虚無感とも言うべき緩衝にカルトはつけ込んでくるのだろうと、改めて広瀬氏の手紙で認識するようになりました。

失われた十年とは~その十八、地下鉄サリン事件~

 前回では95年に起きた阪神大震災について解説しましたが、今回は同年に起こった日本史上最大の犯罪事件であり世界初のバイオテロ事件である地下鉄サリン事件についていろいろ書きます。書く前から武者震いがしてきますが、以前に書いた紅衛兵の記事以来で久しぶりな感覚です。

 95年3月、都内の各地下鉄路線上にてオウム真理教の教徒たちによって有機リン系猛毒ガスのサリンがばら撒かれました。この事件をオウムが起こした原因として現在挙げられているのは、この事件の直前に別の事件によって警察の教団への強制捜査が行われることが予定されており、その捜査に抵抗する形で警察や権力層の混乱をはかろうとしたのが動機だったそうです。事実、この事件の十日後には当時の警察庁長官の国松氏が狙撃され、これもオウムによる犯行と近年断定されたことから警察機関のかく乱という先ほどの動機には私も非常に納得できます。

 そうして行われたこの地下鉄サリン事件ですが、実行方法は液状のサリンが入った袋を電車を脱出する直前に傘でつついて穴を空けて脱出するという方法が取られ、各路線内でお茶の水や霞ヶ関といった主要駅で実行されました。この方法の特徴として、走る電車内で毒ガスをばら撒くといった手法がまず目に付きます。この方法だとサリンが放出された当初は何も知らないまま電車は走り続けることにより、サリンの毒が駅から駅へと運搬されていくだけでなく車内に残された人たちも満員電車の中で脱出することも出来なく、更にはどこでサリンが封切られたのか実行犯の特定を難しくさせるという特徴もあり、非常によく練られた計画だと言わざるを得ません。

 最終的にこの事件での被害者は12人が死亡し、5510人の方が重軽傷を負われたとのことで、生き残った方も今でも様々な障害に悩まされる方が数多くおられるそうです。これはつい最近になって法案が通った話ですが、こうしたオウム事件での被害者に対してオウム(現アレフ)が弁済額を支払う資金がないために事実上放置されてきた被害者救済に国の資金を充てるように、確か先月になって本当にやっと決まりました。逆を言うとこれまでは障害をおって入院しててもその費用は自己負担で、この点について国は事件の重大さや深刻さからもっと早くに救済に動くべきだったでしょう。定額給付金も、こうした犯罪被害者にもっと使えばいいのに。

 さてこの地下鉄サリン事件ですが、冒頭でも述べたようにこの事件は世界で初の化学兵器が使用されたバイオテロ事件で、しかも都市部の中枢部、更に言えば地下鉄といった公共機関で使用されるというこれ以上ない程の最悪の条件で起きております。そのためこの事件は世界各国でテロ対策における重要な事実例として使われ、恐らくどの国でもこの地下鉄サリン事件を材料にしてテロ対策を作っているでしょう。なおこの後に確認されているバイオテロの実例というと9.11後にアメリカで起こった炭素菌事件が挙げられますが、実はオウムもこれ以前に炭素菌の生成、使用を試みていますがこれには失敗に終わっております。それにしても炭素菌の生成を行おうとしていたという点を鑑みれば、当時のオウムがどれだけ効力のある毒物に熟知していたかが窺えてきます。ついでに書くと、この炭素菌については事件後に世間を騒がせた上祐現ひかりの輪代表も関わっていたそうです。

 話は戻りそんな最悪の状況下かつ、よく練られた計画の上で行われたこの地下鉄サリン事件ですが、その被害は最初に挙げた膨大な数の被害者を出すなど非常に甚大でありました。しかしこの被害者数は事件の実態と比べると驚くべきほど小さい被害で済んでいると言われており、その陰には現場の方々の様々な努力があったとされています。この辺はウィキペディアの項目を私の言葉でなぞるだけなので、興味がおありの方は是非そちらもご参照ください。
 まず特筆すべきは医療機関の聖路加国際病院で、事件が発生するや直ちに外来の診察を取りやめて当時医院長で今もなお現役の日野原重明氏の指示により無制限の被害者受け入れを行い、医療救助活動の拠点となりました。ちなみにこの聖路加国際病院が何故あれほど大量の被害者を受け入れられたかというと、日野原氏が戦前の東京大空襲時の経験からいつでも大量の急患を受け入れられるよう常日頃から対策を行っており、果てにはチャペルまで状況に応じて病棟に変えられる設計を行っていたそうで、一部では老人の心配性とまで揶揄されていたそうですがこの事件時には日野原氏のそれらの対策が大いに生きました。

 また治療に使うPAMという薬品は常備数が当時は非常に少ない薬品であったため、使用ガスがサリンと特定されるや製薬会社の方たちが他地域で直ちに集め、新幹線にて片っ端から運んでは駅で同じ会社員が待ちうけどんどんと病院へ運んでいったそうです。さらに使用ガスの特定については、信州大学の柳沢信夫教授がテレビの報道を見て松本サリン事件の被害者の症状が酷似していることから治療法や対策を直ちに東京の各病院にファックスしたことにより、先ほどの薬品の確保、輸送へとつながったそうです。
 そして汚染された現場に対しては、先の阪神大震災でも活躍した自衛隊の、それも一番不必要だといわれ続けた化学系の専門部隊がなんと事件発生から29分後という素早さで出動し、現場の除染と被害者の救助活動を行っております。
 しかし救助面で唯一悲劇だったのは、こうした毒物への対策のない最も現場に近い警察官や駅員の方たちの犠牲です。彼らは防護服はもちろん対策すら知らない中で被害者の救助活動を勤め、幾人かの被害者は彼ら救助活動者の中から出ております。彼らの勇気と行動に私は今でも敬意の念を忘れてはいません。

 こうした各分野の方々の努力もあり、実際の現場では数多くの人たちが命を救われていったそうです。それでもこの事件の傷跡は深く、障害の残った方やPTSDを発症した方たちが今も残り、十年以上たった今でも私自身がこの事件を鮮明に記憶に残しております。
 この事件の帰結としてはかねてより関与の疑いのあったオウムへの強制捜査が事件二日後に行われ、関係者の自供などもあって詳細が明らかになり、教祖の麻原死刑確定囚の逮捕へとつながっていきます。また捜査が始まって以降は猛烈な報道合戦が行われ、これ以前の松本サリン事件と合わせて様々な問題が明らかにされていきました。特にこうしたカルト宗教に何故サリンの製造が行えるまでのトップクラスな秀才らが集まったのかが当時の若者の思想や生き方と合わせて様々に議論されましたが、私はこの点について今だからこそ再び議論を始めるべきだと思っております。ちょっとこの次の記事でその辺について書きますが。

 この事件が与えた日本全体への影響はすさまじく、刑法や死刑問題などこれ以前と以後で一気にひっくり返ったのではないかと私は思い、事実これ以降刑法は厳罰化の一途を辿っております。
 私としては社会全体の意識に与えた影響を大きく捉えており、前回の阪神大震災といい、次回にて解説する「90年代の終末思想」に強く影響を与えた事件だと考えております。この連載の最初の方に書いたように経済や政治的には97年が大きな転換点に当たる年だとすると、社会面ではこの95年が一つの転換点にあたる年に当たると思います。何が具体的に転換したかというと、それはやっぱり「平和」でしょうか。

2009年1月7日水曜日

失われた十年とは~その十七、阪神大震災~

 この連載も既に開始から三ヶ月近くたっていますが、そろそろスパートかけて一気に終わらせにかかろうと思います。大分自分の中で今後の話の整理もついてきたし。

 さて失われた十年の間で最も大きな災害というと、それは間違いなく今回のお題となっている阪神大震災においてほかはないでしょう。元々この地震は官公庁が当初は兵庫県南部地震と読んだのですが、メディアなどで阪神大震災という関東大震災にかけたこの名前が浸透するにしたがって、いつの間にか国の方でも正式名称にするようになったちょっと変わった経緯を持っています。

 それでこの地震の被害の規模ですが、戦後としては最大規模の被害となり、経済面ではただでさえバブル以前に投機的な投資が他地域より多く行われたために崩壊後の不景気に悩まされていた関西地域がこれで止めを刺される形となって、去年までは全国的に羽振りがいいといわれる中で関西地域だけは未だにずっと深刻な不景気に悩まされ続け、世界景気が悪化した現在に至っては更に問題が大きくなっているといわれています。
 企業単位では関西地域に本拠地を持っていた企業はこの地震で軒並み大打撃を受けることとなり、それ以前からも凋落していたダイエーが本格的に経営に行き詰るようになったのも、関西を本拠地として大型店を多数抱えていたものの地震によっていくつか倒壊してしまったことが原因だと言われています。

 逆に見事に復活した稀有な例として神戸製鋼の例があります。この辺はプロジェクトXでも取り上げられていましたが、大量の溶かした鉄が入っていた炉の火が地震によって消えてしまい、炉の中に大量の鉄が固まって再建は不可能と言われながらも見事に炉を炊きなおし事業再開にこぎつけています。

 こうした経済的な被害はもとより人的被害も四桁にも及ぶ死者数を出し、人生を一変させられた人も数多くいたことでしょう。特に災害時が一月だったことから、大学受験を控えた方などは同時どのように対応したのか考えるだけに重苦しい気持ちになります。もっともこの一月という時期は救助や支援においては比較的めぐまれていた時期で、食料などの支援物資が腐敗することは避けられました。一説によると、もし地震が夏場に起きていたら感染病などが起きるなど二次被害がずっと深刻になったといわれています。

 またこうしたことから大規模な救助活動が行わたため、この時期を境に日本の救助、救援活動というものは各方面で大きく見直されることとなりました。まず代表的なのは消防車のホースで、それまでホースの口の規格が各県でバラバラにされており、応援に駆けつけた近隣の都道府県の消防車がなかなか現地で水を放水できなかったという反省から、現在では全国でこの規格が統一されております。そしてこうした救急隊と共に、救助活動で大きく世間の見方を変えたのが自衛隊でした。

 私などは当時はまだちっちゃな子供でしたが、やはり子供心に自衛隊は戦争のための軍隊で、日本に本当に必要か疑問を感じていました。しかしこの阪神大震災時の救援活動を見ることにより、自守自衛のためよりこうした大規模災害のために自衛隊は必要なのだと思うようになり、世間一般でも阪神大震災をきっかけに自衛隊への感情を好転させております。
 なおこの自衛隊の出動についてですが、震災当時は出動が遅れたために助けられた被害者を助けられなかったとして、当時社会党出身であった村山富一元首相がそのスタンスゆえに出動をためらったのだとして一気に批判が起こりましたが、これは以前の記事でも書きましたがあの一党独裁の中国でさえ去年の四川大地震で人民解放軍が思うように救助活動が出来なかったことを見るにつけ、当時の村山元首相の側近が言っている様に前例のない事態ゆえに村山元首相でなくとも迅速な対応は不可能だったのではと私も思うようになりました。ちょっと前まで激しくこの件で私は村山元首相を批判していましたが、今では逆に擁護する立場に回っております。

 もちろんこの時の反省は強く生かされ、現在では各方面の災害救助において日本の自衛隊は出動面での法整備が整えられ、またこの方面で訓練を専門的に行うことで世界でもトップクラスの能力を持つに至っております。私の専門の社会学の中の一分野である災害社会学では、広義で戦争も災害として分類しております。そういう意味でこの際、自衛隊という名前はやめて「国際災害救助隊」という名前にするのもよいのではないかと思っています。PKOとかもあるんだし。

 それにしてもこの阪神大震災が起きた95年というのは非常にめまぐるしく事件が起きた年であります。もうあまり記憶していない方が多いかもしれませんが、実はこの年に世界初のバイオテロこと、あの忌まわしい地下鉄サリン事件が起きています。次回はこの地下鉄サリン事件とオウム真理教について解説すると共に、この時代の風潮といった話へつなげていこうと思います。

2009年1月6日火曜日

ウェッジウッドとウィッタード

 あんまり大きなニュースになっていませんが、イギリスの老舗陶器メーカーのウェッジウッドが破産したそうです。さらにこのちょっと前にはウィッタードという、日本人にはあまりなじみがないかもしれませんが紅茶とコーヒーを売ってる同じくイギリスの老舗も潰れてしまいました。実は私はここで言うのもなんですが相当な紅茶マニアで、ロンドンに滞在中はウェッジウッドはともかくとしてウィッタードには足しげく通って今でもここのカップを持っています。ちなみに、そのカップは某K君がやけに気に入ってうちに来るたびにそのカップの使用を要求してきました。

 ウェッジウッドはうちのお袋が焼き物を集めるのが趣味でここのカップも家の中に数多くあり、私も折に触れては取り出して使っています。やっぱりこういう茶器製品などは値の張るものは張るだけあって、使っていて持ちやすかったり飲み易かったりする上、雰囲気によるものかもしれまえんがいつもよりお茶もおいしくいただけるような気がします。それだけに先の二社の破綻は私にとって非常にショックで、残る英国老舗のフォートナムメイスンはこのまま残り続けられるのか早くも心配をしています。

 その一方で、現在日本の焼き物産業もどこも苦しいそうです。原因は私のように若い癖して焼き物に金使う人間が減ったのとプラスチックによる大量生産品の食器が増えたことですが、こうして衰退していく焼き物業界について私の恩師が昔に、どこかは忘れましたが瀬戸や伊万里に負けないほど有名な焼き物の産地があったそうですが、そこもご多分に漏れず経営が苦しくなってある時、思い切って質を下げる代わりに量を売る方針に切り替えたそうです。そうして一時はよくなったものの、現在はその産地ごと焼き物産業はなくなったらしく、恩師はこの事例から、たとえどれだけ経営に苦しくなっても質を下げてしまえばいつか自滅していくことになると私に教えてくれました。

 これと似た例として、一度財務破綻した吉野家がコスト削減のために牛肉の質を落としたところ、経営指導のために銀行から派遣された人が従業員らがやる気をなくしているのを見て尋ねたところ、やはり牛肉の質の低下による牛丼の味の劣化に納得いかないとのことで、やむなくコスト度外視でまた元の質の牛肉に切り替え、その後見事に復活を果たしたという話があります。なお吉野家はこの時の経験から、かつてのBSE騒動の際に他の牛丼チェーンがオーストラリア産牛肉に切り替えて牛丼を続々と復活させる中、質の劣化を起こすとしてアメリカ産牛肉にとことんこだわってその動きに乗りませんでした。

 この時は私も、吉野家はいくらなんでもこだわりすぎなのではと思いましたが、改めて考え直すと吉野家の方が正しかったと思うようになって来ました。それだけに、これまで散々コスト削減をやりまくってきた自動車メーカーの日産(トヨタは初めからずっとそうだけど)なんかは、今後とも本当にこのままでいいのかとたまに思います。

また派遣労働について思うこと

 本日桝添厚生労働相が、製造業への派遣を原則禁止にすることもありうると言及しましたが、なんていうかこの話を聞いてまず最初に思ったのが、製造現場に派遣労働者を送ったとして業務停止命令を受け、挙句にはそのままグループごと廃業を余儀なくされたグッドウィルの立場は一体どんなものなのだろうかと思いました。
 この製造現場への労働者派遣については一応今でも原則禁止という風に派遣法の条文では書かれていますが、解釈次第ではどうとでもなるような条項で今問題となっているように自動車業界を初めとして数々の製造現場に派遣労働者は送られてきました。

 まぁグッドウィルに関して言えば私も前からあまり評価していない企業でしたが、さすがにこの時の事件では狙い撃ちにされてかわいそうに思い、今回の「これから禁止にするぞ」という発言を聞いてなおさら不憫に思えてきました。折口グッドウィル元会長は今一体何してんだろ。

 あともう一つ今回の派遣労働者の問題で私が思うこととして、言い方は悪いですがこうなることは既に三年位前からわかりきっていたことです。私と私の恩師を初めとしたツッチーを含むグループは二年前から、「派遣会社、許すまじ」といい続けてきており、今回の事態もそれ見たことかとそれほど驚くことなく事態を受け止めました。こういえるのも私が派遣労働者という当事者じゃないからかもしれませんが、もう少し早くこの派遣労働の問題性を考えて派遣労働者たちは団結したり、抗議行動を起こせなかったのかが非常に疑問です。まぁこういうのは本来政治家がやらなければいけない問題なのではありますが、今もニュース報道などを見ていると、どうも派遣労働者全体で団結して組織をつくるなど、大きくまとまるといった動きが見えないのはちょっと問題ではないかと思います。

 よく現代の若者は、「上の世代は好景気で、楽しやがって……」と思うかもしれませんが、団塊の世代でも世間で取り上げられるのは極一握りの大卒の人間ばかりで、大半の方は中卒や高卒で集団就職をしたりして非常に厳しく辛い人生を送っております。またこの世代は人口が多いために職にあぶれることはなくとも、職業や職位についてはそれほど選択権がなかったとも言われ、非常に優秀で実力のある人でも一般労働者としてとどまらざるを得なかった人も多かったそうです。
 しかしそうした実力がある優秀な人らが一般労働者でとどまり労働組合を指導していく立場となっていったため、当時の労働組合は要求や行動などを適切に行っては雇用者側と協調し、また福祉の向上を図るなどいい緊張関係が保てたという話を以前に私は聞いたことがあります。

 今の派遣労働者たちを見ていて、そのようにまとめる人材はいないのかと、期待感を込めて思います。

2009年1月5日月曜日

「右翼」、「左翼」という言葉の問題性

 前々から書こうと思っていましたが、ちょっと以前のコメント欄にいい具合の質問が来たのでこれを機に「右翼」と「左翼」という言葉の問題性について書いてみようと思います。結論から言うと、私はこの二つの言葉は今後五年間は一切使うべきではないと考えています。

 この二つの言葉は元を辿ればフランス革命後の議会にて、議長席から見て右側に保守層の、左側に革新派層の議員が座ったことより生まれた言葉で、そういう意味でオリジナリィーな意味では右翼とは保守層こと従来の制度をどちらかといえば守ろうとするものに対して左翼は革新派層こと制度改革を推進するグループという意味になります。
 こうした元々の意味からいえば一見すると現在の日本政治で右翼や左翼といわれている政党はそのように見えなくもないのですが、実体を考えると憲法を守ろうとするのが社民党や共産党といった左翼政党であるのに対して、憲法を改正しようとしているは自民党や民主党といった右翼政党であり、また経済政策については自民党内でも格差を是認する「新自由主義」と公共事業にて地方への公平分配を目指す「日本型ケインズ主義」といった政策を掲げる議員で分かれており、一概に右翼=保守、左翼=革新とはもはや言い切れない状況です。

 では何故このようにいろいろややこしくなってしまったのかというと、単純にいってしまえば日本の国民を含めたメディアや知識人層が何でもかんでも政治家や政党を右翼と左翼という二つの言葉に無理やり押し込んで理解しようとしたせいで、元々の保守と革新という意味だけでなくいろんな属性や意味が右翼と左翼という言葉に含まれるようになってしまったからです。

 一例を挙げてみましょう。これは私の私見ですが右翼という言葉には一般には以下のような意味が内包されている気がします。

・軍国主義、戦前礼賛、天皇制保持、格差是認、新自由主義、地方分配主義、新自由主義、改憲派、親米派、親中派、自衛隊容認

 読んでもらえばわかると思いますが、明らかに矛盾する要素同士が混ざり合っています。たとえばさっきにも挙げた新自由主義と地方分配主義は明らかにぶつかる意見ですし、外交でも親米と親中じゃ全然逆です。しかし現在右翼政党といわれている自民党と民主党の中にはこうした意見を持つもの同士が一緒に内包されており、一例を上げれば小泉元首相と加藤紘一衆議院議員などは先ほどに矛盾するといった要素を互いに分け合って持っています。ですが、世間一般からは彼らはどちらも右翼議員となるのです。

 これに対して左翼を構成する要素というのはどんなものかというと、

・平和主義、戦前批判、天皇制反対、平等主義、人権擁護、社会主義経済、護憲派、反米派、親中派、自衛隊否定、自衛隊容認

 といった具合で、やっぱり議員数の差もあるのか構成する要素が右翼よりは少ないですね。それにしても今書いてて気がついたけど、憲法保持を訴えている割には憲法で身分が規定されている天皇制に反対ってのはどんなもんだろう。
 この左翼についても、右翼と比べて外交姿勢は反米親中で共通こそしていますが先ほどの憲法の話といい、人権擁護と社会主義は明らかに矛盾するし、自衛隊についても口では批判してたくせに村山内閣ではあっさり認めてしまうという迷走振りを見せており、いくらか矛盾した要素が右翼ほど目立ってはないものの見えてしまいます。特に平等主義については私が一回ふざけた調査をしたら、しんぶん赤旗をとっている人の資産数が他の新聞購読者と比べて図抜けて多かったのを初めとして、共産党内のピラミッド的な非民主主義的組織構造を持ちながらの建前との差には呆れます。

 一気にまくし立てて書きましたが、このように主義主張から目標としている政策内容まで政治家はそれこそ千差万別であるにもかかわらず、メディアや国民はやっぱり右翼か左翼かの二者択一で判断したがるところがあり、その結果今挙げたようにこの二つの言葉に無数の要素が取り付けられ、かえって政治家の本質を見誤る傾向がこのところの日本にはあります。また例に挙げちゃいますが先ほどの小泉元首相の政治家としての要素を簡単に並べると、

・格差是認、新自由主義、天皇制反対、自衛隊容認、親米反中

 というようになり、靖国神社に参拝していたから戦前礼賛かと思いきや私はこの人は実際にはそれほど戦前の軍国主義には思い入れがなく、ただ単に安上がりで支持者を獲得できるだけで参拝していただけに思え、またこちらはあまり表に出ませんが天皇制については90年代から女系天皇容認論を主張するように非常に冷淡な人物であります。ですが先ほどの右翼というフィルターがかかってしまうと、この天皇制への彼の態度というものが見えづらくなってしまいます。

 再度の結論ですが、やっぱり政治家を二項対立的に右翼か左翼かで見るのは本質を大きく見誤らせかねず、可能ならば個々の要素ごとに政治家を見つめなければいけません。そういう意味でここしばらくは右翼と左翼という言葉を使わず、敢えてわかりやすく二項対立にしたいのなら現在のところ最も大きな争点となっている「新自由主義」と「地方分配主義」の対立要素で見比べる方が全然マシかもしれません。

2009年1月4日日曜日

永田寿康元議員の自殺について

 既にニュースなどでも報じられていますが、かつて平成の爆弾男との異名を取った永田寿康元民主党議員が先日自殺して亡くなられたそうです。永田元議員は以前にも自殺未遂を起こしており、その境遇にいささか同情心を持っていたのもありこのニュースを受けて私も残念に思うところがあります。

 この永田元議員の経歴を簡単に紹介すると、一年生議員時代に自民党の松波健四郎元議員が答弁中にコップの水を野次を飛ばす議員に放り批判が集まった事件の際、非常に下品な野次を飛ばした張本人ではないのかという疑いが持たれたことから世間に注目されるようになり、私もこの野次問題を追及したテレビ番組から永田元議員を知り、また自己弁解のために番組に出演し際にゲストからの批判に対して見事な切り返しぶりを見せてその弁舌と頭の回転の速さには舌を巻きました。

 その後も度々国会内で注意を受けるなどの目立った活動ばかりをしていて、極めつけが2006年に起こったいわゆる「ライブドア偽メール事件」にて偽物のメール文書を掲げて国会を混乱させたことにより責任を取る形で議員辞職をし、今回の自殺事件に至りました。辞め方が辞め方だっただけに、恐らく議員辞職後も何らかの職に就くことは難しいだろうと思ってはいましたが、ここまで追い詰められているとは私も思っておらず、まぁそう考えると鈴木宗男衆議院議員はどんだけタフなんだということになるのですが。

 結論から言うと、永田元議員の偽メール事件は日本の政治界に与えた影響は甚大だったと言わざるを得ません。というのもこの事件で段々と永田元議員が取り上げた偽メールが段々と信用性が失われ偽物だと断定され始めていたにもかかわらず、永田元議員はなかなか辞職に踏み切れず民主党への批判が長期間に渡って続く事態を招いてしまいました。一説によるとこの辞職がなかなか行われなかった背景には、あと数ヶ月ほど議員生活を続けていれば議員年金の受給資格が得られたためだといわれていますが、辞職がなかなか行われないためにこの偽メールの弾劾を許可した当時の前原誠二民主党代表を初めとする党執行部の指導力も問われることとなり、結果的に前原氏も代表を降りざるを得なくなりました。

 これは私の考え方ですが、恐らく小泉元首相は自分の後の自民党代表を安倍元首相にやらせて、民主党の代表を前原氏に据え置くことによって政界の若返りこと、世代転換を図ろうとしていた節があります。というのも小泉元首相は常に首相経験者などの長老議員の弊害を指摘してこの際若い人がどんどんと出るべきだと主張しており、またそうした世代との政策意見も共通したものが多くありました。
 私としても世界的にも国会議員の平均年齢が高い日本の現状から若い議員の台頭を願っている一人ですが、この偽メール事件で前原民主党体制が倒れ、その後も安倍政権が倒れたことによって政界の主導権は再び福田元首相や小沢民主党代表といった、言ってしまえば二十年近く前からの主役たちに再び握られることとなり、政策の中身もお互いにどっち向いているのかわからないような現状となってしまいました。

 かといっても偽メール事件といい松岡元農水大臣の事件といい、前原や安倍といった若い代表たちの危機管理能力の低さも見過ごすことは出来ません。どちらの事件もほんの少しの舵取りの違いで問題の様相を変える事が出来たにもかかわらず、両者とも事件の当事者が自殺してしまうという最悪の事態を招いてしまっています。このような点では自民党のベテラン議員や小沢元代表などの政界スキャンダルの際の対応と比べると雲泥の差があり、安易に議員は若くて政策能力があればいいわけじゃないということを見せつけられる結果と言えそうです。

 この自殺自体は明日から始まる国会に対しては恐らく何の影響も与えないでしょうが、私が個人的にありそうだなと思っているのは民主党の前原氏を初めとした若手議員への心理的影響です。余計な責任を感じる必要はもちろんないのですが、これがどのように影響するか、まさに平成の爆弾男の名にふさわしい幕切れでした。

2009年1月3日土曜日

私が平賀源内を好きなわけ

 歴史上の人物で誰が一番好きかといったら、私はまず間違いなく平賀源内を挙げます。何気にこの平賀源内という人物に関しては子供の頃に初めて買ってもらった歴史マンガもこの人のものでしたし、源内の出身地である香川県の志度にもわざわざ足を運んで旧宅などに赴くなどいろいろと関わりが深い人物です。
 それで結論から言いますが、私が何故これほどまで源内が好きなのかというと、恐らくその中途半端さにあると考えています。

 よく平賀源内は摩擦発電機ことエレキテルの発明ばかりが有名ですが、このエレキテル自体はその後何かに応用されたり当時の電気科学の発展に寄与したわけでなく、言ってしまえばその製作技術は凄くとも当時の人たちを驚かしただけにしかなりませんでした。
 このエレキテルを筆頭に、平賀源内というのは確かに当時一級の文化人であり科学者でありましたが、親友の杉田玄白が解体新書を作って当時の日本医学に貢献したのを比べると、珍しいものや突飛なことはよくやっているもののこれといった社会への目立った貢献は皆無に近いです。

 しかしそんな源内ですが、確かに何か一つの分野への貢献はこれといって目立つものはないものの、別々の分野を一つにまとめる結節点というような役割では様々な功績があります。
 まず第一に挙げられるのは、「物品会」こと日本で始めての博覧会を開催したことに尽きます。当時は各地域でそれぞれの学者がそれぞれで研究していたに過ぎなかったのですが、源内の発案で各学者が自分らの研究している薬草や鉱物を持ち寄り、互いに公開して見聞を広めようと日本発の博覧会の物品会が開かれました。この物品会は第一回から第三回までは源内の師匠の田村藍水の主催でしたが第四回にて源内が主催し、規模もそれまでとは桁違いの数千点に渡る品目の展覧会となり、当時の学者たちの交流に一役買っています。

 そしてもう一つの大きな仲介役とも言うべき役割は、親友である杉田玄白の解体新書に関わる役割です。
 源内は鉱山技師としても優秀で秋田藩に招聘されて技術者の指導に当たっていた頃、ある秋田藩士の絵を見てその者を呼び出し、源内が長崎に遊学中に身につけた西洋画の技術を教え始めました。その秋田藩士の名は小田野直武といい、そうして秋田滞在中に西洋画を教え続け、源内の江戸帰郷後に小田野直武も江戸勤務となって師弟関係はそのまま続くこととなりました。
 何を隠そう、この小田野直武こそ解体新書の人体スケッチといった挿絵を描いた人物であるのです。杉田玄白らは解体新書の翻訳は出来ても、詳細な西洋画スケッチをどうすればいいかと源内に相談したところ、自分の弟子の直武に任せればいいと紹介し、直武の見事な絵画技術が加わって解体新書は完成に至ったのです。
 なおこの直武を秋田にて指導中、源内は直武と共に当時の秋田藩主である佐竹義敦に呼び出しを食らい、「俺も混ぜろよ」といって直武ととともに義敦も西洋画を学び、秋田蘭画という一つの西洋画ジャンルが生まれています。

 このように、意味合いはすこし違うかもしれませんがクロスカルチャー的な分野での源内の活躍は目を見張るものがあります。これらの功績に限らず小説でも源内の書いた「神霊矢口渡」は歌舞伎にも取り入れられ現在に至るまで公演され、また近年問題となりましたがアスベストの製品化も世界で初めて成功させるなど、文学や科学、果てには医学や芸術など源内の手をつけた分野というのは果てしなく広いものがあります。
 このように源内は多分野に渡って広く浅い活躍をしており、やはり一つ一つの功績が浅いためにどうも注目が低くなってしまうのは仕方がないかもしれませんが、私はというと逆にこのような源内の万能さとも言うべきクロスカルチャーを果たしたという人物像に対して強い好感を覚える傾向があります。

 そういうのも、私自身が他の人と比べて非常に飽きっぽい性格をしており、何か一つに自分の神経なり労力なりを集中できない人間だからだと思います。私自身でこの自分の傾向をかなり早い段階で自認しており、この性格をどうにか良い方向に向けられないものかと考えていた矢先に源内のことを知り、まさにこれだと私は思ったわけです。
 恐らくこのブログを長く読んでいる方などはわかると思いますが、このブログは全体で見ると非常に一貫性のない話で構成されています。やっぱり他の人のブログを読んでいると自分の好きなマンガとか、仕事、学問分野などある程度記事にする話が固定されているのですが、私はというと目下のところ、中国、政治、歴史、経済、社会、哲学などと、非常に取り上げる話の分野が幅広いと自負しています。

 こんな風になったのももちろん私自身の個性が影響しているわけで、飽きっぽい性格なのだからこの際、あらゆる分野に手を出して器用貧乏と言われようとも万能さを武器にして自分を育てていこうと、中学生辺りから意識的に取り組んできた結果と言えます。大学の専攻を選ぶ際もなるべく専門分野を固定しないように敢えて曖昧さが売りの社会学を選んだわけですし、大学に入った後も社会学の勉強はどうせ授業でやるのだからプライベートでは全然別の学問をやろうと経済学などに取り組んできました。

 近年、日本社会では専門性が高いことがただひたすらに価値が高いという傾向が強まっているように私は思います。確かに何かの新たな技術や分野を切り開くのに高い専門性が必要だというのはよくわかるのですが、源内のいた時代のように、そうして培った高い専門性はそれ一個では成り立たず、化学と医療が結びついて治療薬が生まれるように、クロスカルチャーが起こって初めて価値を生むものです。だからこそ、私は自分の育成方針について一切の疑義を挟まずにいられます。

 よく源内は「日本のレオナルド・ダヴィンチ」と評されますが、ダヴィンチも芸術分野に限らず科学などに貢献するなど万能の人で、そんなわけでこの人も私は大好きなわけであります。他にも万能さで言えば、アリストテレスとか曹操が来ますが、この際みんな大好きです。

房総半島自転車一周地獄の旅

 昨日(一月二日)は正月ということもあって朝はゆっくりと起き、目が覚めた頃にはすでに九時半でした。でもって朝食を食べて朝十時にネットを見ていると、

「房総一周をやっとくか」

 と、出発の一時間前に急に思い立って房総半島の自転車一周をやることにしました。

AM11:00
 地図を買ったりなどの簡単な準備をして自宅を出発。使用車は完全競技仕様のロードバイクで、あまり乗り慣れてないが長距離を試してみようかとこれに決断。

PM 0:00
 予定より早く千葉県幕張市に到着。これまでのところ時速30キロペースで来ており、信号のない川原道を通ってきたにしても良いペースで、時間も頃合なので昼食と休憩を行う。

PM 2:00
 午後一時に幕張を出発して千葉市を経由後に市原市、袖ヶ浦市に渡る京葉工業地域に入る。工業地帯で信号も少なく走りやすいことは走りやすいが、あたり中ガソリンの臭いがしてまた変わり映えのない工場が延々と続く風景を見ながら走っていて嫌になる。

PM 4:00
 木更津市に入る。出来れば三時には到着したかったが妙に時間がかかった。正月なのにヤンキーが多くてまたも見ていて嫌になる。

PM 5:00
 館山市への道すがら日が暮れる。辺りが暗くなるにつれて徐々に心細くなって早く帰りたくなるが、館山市に入って初めて中間地点を通ることになるので、早く帰りたいのにどんどんと自宅から距離が離れていくというジレンマに襲われる。

PM 6:00
 館山市到着。房総半島最南端の街ということでひとまず半周達成。さすがに半島の南端に当たる白浜海岸までは行かず、ジャスコにて夕食(ハンバーガー四個)を取りつつ休憩。あたりはもう真っ暗だが、午後七時に方角をこれまでの南から東へと変え再出発。

PM 8:00
 鴨川市に入るが、あたりはもう真っ暗ななのに山道に突入する。鴨川市に入る前の南房総市でも多少山道だったが、もう少し平坦な道が続くと思ってただけに想定外で体力的にもかなりヤバくなり始める。
 しかしここからはこれまで南進だったところが北上に切り替わり、確実に帰路に入るということを意識して少しだけ気分的に楽になる。

PM 8:30
 真っ暗な山道を本当に小さなライト一つで頑張る。しかも歩道もほとんどなく、事実上車に追い立てられながらトンネルを潜り抜け続けるというスリリング。
 そんな中、トンネルを抜けたら下り坂が続き、しかも歩道もあるのでしばらく安心と思っていたその時、突然暗闇の中から目の前にガードレールが現れ激しい正面衝突を起こす。ぶつかる直前に「しまった!」と思うがブレーキを引くまもなく身体が宙に飛び、一瞬何が起こったのかわからなかった。身体はそのまま顔面からガードレールの先の地面に落ち、鼻の下に鈍痛を覚えるが思ったほど痛みはなく、すぐに立ち上がることが出来た。見てみると自分の落ちたところはちょうど土の地面で、わずかながらであるが芝生もあってそのおかげで軽症に済んだようである。
 立ち上がって自転車はどこかと見回すと、自分の着地地点から約5メートル離れた草むらに落ちていた。このサイクリングもここまでかと思いつつ自転車を起こしてみるが、自分でも信じられないくらいに自転車は無傷で、試しに乗ってみてもきちんと走る。
 更に自分の着地地点の近くに吹っ飛んだめがねも発見。こちらも全く無傷で、つくづく奇跡が起きたと感じつつ再び自転車に乗り再開する。

PM 9:00
 山道の上に歩道のないトンネルが続く勝浦市を走行。途中コンビニによってトイレの鏡を覗いてみると、案の定鼻の下がべっとりと血でにじんでいた。軽く擦っただけであったようだが、こんな顔したのが真っ暗闇で自転車に乗って黙々と走る姿を想像するといろいろ笑えた。
 そしてこっちはショックなことに、コンビニの明かりで自転車を再び確認してみると、見事にメインフレームが軽く曲がっていた。走る分には問題なさそうだが、無傷だと思っていただけに非常に残念で、修理代はいくらかかるのだろうかと考えると更に落ち込んできた。とりあえず走れること走れるので、ルートを改めて確認し、ひとまずこのまま海岸沿いを北上しながら千葉県の中央に位置する茂原市を目指すことにして走行を再開。既にひざがガクガク来ているが、こんなところにいてもどうにもならないので頑張ることにする。

PM11:00
 難関の勝浦市を抜けてついに御宿町に到着する。既に気温も下がり、ちょっとコンビニでコーヒーを飲むだけの休憩でも体温が下がり震えが来るところまで来ていた。地図を確認するとこの先は勝浦とは違って高低差の少ない平坦な道が続くのと、茂原市以降は市街地を通って元の千葉市に合流するので、少なくとも山道で孤立するという最悪の事態が避けれるばかりかいつでもコンビニで補給ができるようになるので、茂原市にさえ着けば何とかなると自分に言い聞かせて再出発

AM 0:00
 いすみ市、一宮町を抜けて確実に茂原市に近づく。なんで正月のうちからこんな泣きそうな苦労をしなければいけないんだろうという考えが何度もよぎるが、こういう長距離のサイクリングで物を考えたらいろんな意味で負けてしまうので、できるだけ何も考えないように無心で自転車のペダルを踏む。時速は平均20キロペースで走れてはいるが、すでにこの頃になると休憩する度に立ち上がれないほど足が痛むようになってきているので、なんといか休んだらもう二度と立ち上がれなくなるというような状態で、休憩回数も減らして走り続ける。

AM 0:30
 長尾村を経由して、とうとう茂原市に到着する。こっから先は大きな市街地を通るので、仮に道端で倒れても何とかなるという安心感が出来たのと、帰宅こそ出来ないながらも、ゆるいルートながら房総半島一周が達成できたことを素直に喜ぶ。

AM 1:00
 簡単な休憩を取り、最後のもう一踏ん張りだと帰路に着こうとまた自転車に乗るが、先ほどからなんか耳鳴りがするかと思ってたら、信号待ちから出発しようとしたら鋭い音と共に自転車のフレームが先ほどの衝突でフレームが曲がった箇所から真っ二つに折れ、まるで刀で一刀両断したかのように大破する。
 ちょうど十分前に親父から「大丈夫か?」というメールが届いていたので、応じる形で電話にてSOSとギブアップを訴え、自宅から車で迎えに来てもらうことにした。

AM 2:00
 親父が車に乗って茂原駅まで迎えに来てくれた。その間、約一時間に渡り気温-1℃の中で待っていたせいで車に乗り込んでも身体の震えが収まらない。

AM 3:00
 車に乗って無事帰宅。車から降りようとするが少し休んだせいでひざなどへこれまでのダメージが一気に現れ、階段すらまともに昇れないくらいに痛み出す。それでも家に帰って風呂に入って布団に入り一安心、かと思いきや、全然震えが止まらない。恐らく身体の芯が冷えたせいだろうが、そのまんま眠りの浅いまま一夜を越す。


 と、いう具合で今日に至ります。午前中まで震えが止まらず風邪を引いたのかと思ってたら、風邪薬を飲んで寝たら午後には全然元通りに元気になりました。擦り傷の出来た鼻の下はもっと大きな傷がついているかと思ってたら、お湯で張り付いた血を流したら案外キレイなままで、今現在は少し腫れただけで済んでいます。
 改めて地図を見てみると、ちょうどJRの内房、外房線沿いに延々と走ってきており、その走行距離を見ると我ながらよく走ったと思います。それにしても衝突事故を起こしておきながら、その後も茂原市で大破するまで100キロ近くを走り続けてくれた自転車には本当に助かりました。親父に迎えに来てもらうにしても、山の中では位置もわからなかっただろうに。

 それにしても衝突事故のところは、すでに述べていますが奇跡的としか言いようがありません。もし身体がガードレールの上に落ちたり、自転車のフレームが折れて刺さったりでもしたら大怪我だったでしょうに、同じ顔面からの着地でも少しでも位置が違っていれば鼻の骨だって折れてた可能性もあります。12月31日に友人とゲームセンターに行って大当たりをしたから、「来年の運はもう期待できないな」と思っていたらこの事故で、なんか今年はいろいろ私に来ているのかもしれません。

 たださすがにひざや手首に筋肉痛やら関節痛が来ており、立ったり座ったりするのも一苦労です。そんなわけで、もうこんな馬鹿なことはやめようと誓う新年でした。