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2011年9月29日木曜日

山岡議員へのマルチ商法団体からの献金疑惑について

 当初は放っておくつもりでしたが、与党ではなく野党への批判として一筆書いておくことにしました。

山岡消費者相、マルチから献金=05~08年に250万円超(時事通信)

 ちょっと旬が過ぎたニュースですが、民主党の山岡賢次議員に詐欺商法の定番とも言っていいマルチ商法関連の企業団体からの献金が発覚し、野党などから現在批判が起こっています。ただ今回の野党の批判については私は内心如何なものかと思っております。というのものたった今私は「発覚した」とは書きましたが、発覚以前にこんなの大分前からわかりきっていたことだからです。

 山岡議員がマルチ商法団体と深い仲にあることは数年前から大きく報じられており、私自身も二年前くらいにわざわざ「陽月秘話」で記事にしたのをはっきり覚えてます。おまけに山岡氏の楽しいところはそのマルチ商法団体の会合に堂々と出席し、まぶしいくらいの満面の笑顔で、若い皆さんには是非頑張っていただきたいなどと発言するのがしっかりと動画に残っているという点で、私もYoutubeで実際に鑑賞しましたがどうしてまだ刑務所に入んないんだろうと当時に感じました。

 それが何故今になってこれほど大ごとになるのか、もちろん悪いことは悪いことだけどちょっと腑に落ちない点が数多くあります。恐らく今回の野田内閣成立とともに山岡議員が消費者相になったことが原因かもしれません。最初これを見た時は私も野田首相の一種のギャグかと思いましたが、それにしたって野党だって知ってたくせに今更急に糾弾するというのもなんだかという気がします。ただでさえ今は震災復興の対応などで忙しい時期なんだし、こんなしょうもない小物のスキャンダルで大騒ぎするくらいなら法案の審議に時間をかけるべきです。無論、山岡議員には相応の処分は必要で、受け取った献金は全額返金するようですがこの際だし消費者相も辞任してもらい、なおかつ受け取った献金額の二倍以上を震災地域へ寄付するくらいで放免にしたっていいんじゃないかと思います。それにしても自民党など野党も野党で、こんな小物相手にむざむざ時間をかけて、やるんだったら一撃で潰せよなと言いたいもんです。

 ついでに書くと、先日小沢一郎の秘書らに対して政治資金収支報告書虚偽記載の罪で有罪判決が下り、野党側は小沢本人の証人喚問を求めていますが、これについては適切な対応だと思います。というのも小沢本人が前に呼ばれるなら行くと言ってそのあとは何かと理由を付けて逃げ回っており、明らかに行きたくない理由があるというのが見え見えだからです。第一、この小沢問題でどれだけ国会が空転してきたのか、空転した時間を政策審議に充てればどれだけ有効に使えたのかと思うともったいない限りで、ここで見逃してもまた後から再燃するのは目に見えているのですからここらで決着を付けるべきでしょう。
 ただ小沢への疑惑についてもうひとつ、山岡議員同様にいざ追い込まれたところでまたあの件が大ごとになったりするんじゃないかという懸念があります。その件とは既に過去の記事で書いているので敢えてここでは書きませんが、個人的には西松建設問題以上に悪どいというか許せない所業ではありますが、小沢の政治生命が死んでからでも落とし前をつけさせればいいので今の段階で取り上げるべきかと言えば、もう少し寝かした方がいいような気がします。

2011年9月28日水曜日

諸葛亮の軍才の評価

 このところネットの掲示板にて、「諸葛亮孔明は軍才があったのかどうなのか」という議論をよく見かけるので、三国志好きが昂じてこうして中国で働くところまで来てしまった私としても一家言あるので、今日はこの話題について取り上げようかと思います。

 諸葛亮とは三国志マニアには言うまでもない、劉備と並ぶこの壮大な物語の主人公で現代においても軍師とくれば彼の名が第一に上がってきます。それでこの諸葛亮の軍才があるかないかという議論ですが、この議論における諸葛亮とは史実における諸葛亮で、多少の脚色が含まれる「三国志演義」における諸葛亮ではありません。演義における諸葛亮は文字通り神変万機の才能でありえないほど戦争に勝ちまくりますが、史実の諸葛亮は兵を率いたことは実は少なく、実質的には南蛮平定と北伐の時しか実績はありません。またその実績も南蛮平定には成功しているものの北伐は五回繰り返したにもかかわらず結局は司馬懿に阻まれ失敗しており、そのことを指して歴史書の「三国志」を書いた陳寿は、

「毎年のように軍隊を動かしたのに(魏への北伐が)あまり成功しなかったのは、応変の将略(臨機応変な軍略)が得意ではなかったからだろうか」

 という具合に諸葛亮の評価を残しております。それで肝心の軍才への議論についてですが、実はこの陳寿が書いた、「臨機応変な軍略が得意でなかった」という一言を巡る解釈議論と言っても差し支えありません。この陳寿の言葉に対し、「諸葛亮は政治家としては優秀でも、奇策が全く使えない、軍人としての才能がない人物だった」と言う人もいれば、「政治、軍事ともに優秀でも、敢えて一点足らないところを挙げれば臨機応変な軍略なだけだったのではないか」という人もおり意見が分かれております。どちらの意見が優勢かと問われるならば、私見ではやはり諸葛亮は軍事的才能には乏しかったと主張する人の方が多い気がします。

 そんなこの議論に対する私の意見ですが、結論を言えば私は諸葛亮は軍事的才能にも非常に恵まれた人物だったと評価しています。根拠は実に単純で、陳寿の評価なんて関係なくあの司馬懿と渡り合ったというこの一点に尽きます。

 既に上述しておりますが、諸葛亮は魏打倒を目指して生涯に5回も北伐という遠征を行っています。この北伐で諸葛亮に立ち塞がったのは後の新王朝となる晋の礎を築いた司馬懿仲達でしたが、諸葛亮の北伐に対して司馬懿は徹底的とも言うくらいに消極的に戦闘を避け、長期戦に持ち込むことで国力に乏しく補給路に難のある蜀の弱点を突き、結果的には見事撃退に成功しております。こうした戦い方を取ったことからよく司馬懿はビビりだ臆病だなどと講談で語られることが多いですが、実際の司馬懿はこんなもんじゃなく非常にえげつないほど戦争が上手です。

 諸葛亮が没して間もなく魏では北方の遼東で公孫淵が大規模な反乱を起こしますが、討伐に赴く前に司馬懿は明帝に対し、「往路に100日、復路に100日、戦闘に100日、その他休養などに60日を当てるとして、1年もあれば充分でしょう」と言って、事実この通りに戦闘を運んであっという間に討伐を達成しております。しかもこの討伐で司馬懿はかつての諸葛亮相手の時は一体なんだったんだというくらいに積極的に攻撃をかけ、あまりの苛烈さに音を上げた公孫淵が降伏の使者を送ったところ、

「戦には五つの要点がある。戦意があるときに闘い、戦えなければ守り、守れなければ逃げる。あとは降るか死ぬかだ。貴様らは降伏しようともしなかったな。ならば残るは死あるのみよ」

 というダーティなこと言って使者を追い帰し、この言葉の通りに公孫淵を含め敵軍を皆殺しにしています。
 またこれ以外にも明帝死後に実権を握るため起こしたクーデターでも電光石火としか言いようのない果断さで、思うに司馬懿は持久戦も速攻も自在にこなせるほど用兵に長けた人物だったと私は考えており、戦争指揮だけを見るならば三国志中で最強の人物かもしれないと思っています。

 それほどまでに用兵に長けた司馬懿でしたが、こと諸葛亮が相手だった時だけは徹底的に戦闘を避けております。これにはもちろん先程に挙げた補給路が弱いなどといった蜀の弱点を突くという戦略に依る面が大きいでしょうが、もし相手が並みの将であれば司馬懿の実績を考えると速攻で完膚なきまで撃破していたのではないかと思います。逆に言えば、消極策を取らざるを得なかったほど諸葛亮が司馬懿にとって手ごわい相手だったということではないでしょうか。
 以上のような観点から、私は諸葛亮はやはり軍才にも非常に恵まれた人物であり、陳寿のあの評価は「唯一ダメだしつけちゃうと」ってな意見だったと思います。もちろんこの陳寿の評価は的外れなものではなく、いい点を突いていると思いますが。

 最後に司馬懿の諸葛亮に対する評価ですが、諸葛亮が没し退却した後の蜀軍の陣営を見て司馬懿は、「まさに、天下の奇才」と諸葛亮について述べたと言われております。私と三国志のファーストインプレッションはご多分に漏れず横山光輝作の漫画版「三国志」でしたが、この作品の中で最も好きなシーンを挙げるとしたらまさにこの司馬懿がつぶやくシーンが挙がってきます。英雄、英雄を知るというべきか、作中で諸葛亮が死んでかなり呆然とする中でのこの司馬懿のセリフは改めて諸葛亮の凄まじさを強く認識させるもので、コマ割をやらせれば横山光輝は日本一と言われただけにその描き方は秀逸でした。

 なお、これ以外で横山光輝版「三国志」で印象に残ったシーンを挙げると、一瞬だけ董卓のヒゲがなくなっているシーンがあります。なんでヒゲだけといろいろ考えさせられるのですが、人物を書いた後でいつもヒゲだけ付け足していたのだろうか……。

2011年9月27日火曜日

上海市地下鉄10号線の衝突事故について

列車追突、260人負傷=設備故障で減速運転中―邦人2人が軽傷・上海地下鉄(時事通信)

 日本でも速報が流れたと聞くので既に知っておられるかと思いますが、本日午後3時頃に上海市地下鉄10号線にて列車衝突事故が起こりました。事故の詳しい詳細については上記リンク先の記事を確認してもらえばいいですが、さすがにこの前に起きた高速鉄道の衝突事故ほど大参事ではなく、複数人のけが人が出たものの死傷者は出ていないと現在のところ発表されております。もっとも新華社のホームページでは事故現場の写真が公開されておりますが、昼間見た時には床を血まみれにして人が倒れている結構どぎつい写真があったのにいつの間にかなくなっております。

 さてこの衝突事故ですが、具体的な原因についてはまた管制やら信号トラブルだと言われておりますが、前回のあの高速鉄道の余韻冷めやらぬ中の衝突事故なだけに中国鉄道部(実際の運営は上海市営地下鉄だけど)としては汚名に汚名を重ねている状態と言っていいでしょう。もっともこんなことを言えば黒塗りの事故報告書をしれっと平気で出す我らが東電もあまり人のことを言えないのですが、今後はますます世間の目も厳しくなって政府としても解体作業に入りやすくなるんじゃないかと思います。

 なお今回事故が起こった地下鉄10号線ですが、日本の報道でもいろいろ書かれている通りに去年の万博の時期に開業しただけあって上海市の地下鉄としてはかなり新しい路線です。日本でいえば山手線、京浜東北線にあたる3、4号線と比べると車両や駅舎のきれいさには目を見張るばかりで、普段乗っててもあまり悪い印象は覚えません。ただこの10号線は今回の事故が起こる以前にもトラブルが相次いでおり、確か7月の高速鉄道の事故が起きてすぐには原因不明で車両が動かなくなったことがあり、また衝突事故でもやらかすんじゃないのと当時は冗談で周りと言い合っていました。
 別に隠すことでもないのでもう言ってしまいますが、実は私の住んでる部屋はこの10号線沿いにあり、通勤は徒歩で行っているものの市内で地下鉄を利用する際には必ず乗り込む路線です。私の部屋の最寄り駅は今日事故の起きた豫園駅と老西門駅からは離れていますが、さすがに普段から使っている路線なだけに少し嫌な気分にさせられます。

 そんなもんだから今日会社帰りに近くの10号線の駅を見に行ったところ、当然と言えばそうですがシャッターが下りたままで入ることすらできませんでした。あと道路を見た限り、あくまで私の印象ですが地下鉄を忌避する人が出たのかいつもより混雑した感じを覚えました。
 ついでに書くとこのところ中国ではエレベーター、エスカレーターでも事故が相次いでおり、こちらは基本的に製造メーカーは海外企業ながらもいろいろと品質が不安視されております。そんなエレベーターの事故の中でひときわ目を引いたのはあるオフィスビルのエレベーター事故で、なんでも13階から急に落下し始め一旦は9階で停止したものの、またすぐ落下をはじめ1階まで落ちてきたそうです。幸いというかこの事故でも死者は出ませんでしたが、一回停止してまた落ちるって、中にいた人はとんでもなく怖かったはずでしょう。今度上海にもディズニーランドが出来ますが、下手なアトラクションを作るよりかはこういったエレベーターを置いとくだけでもスリルは味わえるのではと噂になりました。

2011年9月26日月曜日

中国政府と人民解放軍の思惑の違い

 ちょっと古い話ですが、今年に防衛相が出した最新の防衛白書で、「尖閣諸島や南沙諸島などでの近年の中国軍の動きには警戒する必要がある」との記述を盛り込んだところ、こちら中国現地の新聞でもその内容が大きく取り上げられました。ただ断言してもいいですがこうした中国軍こと人民解放軍を警戒する記述が出たことで一番喜んだのは、ほかでもなく人民解放軍自身です。

 前もって言葉の説明だけしておきますが、建前上は中国という国に軍隊はありません。一般に中国軍と呼ばれているのは人民解放軍のことですが、これは中国共産党が保有する軍のことで中国という国家の軍隊ではないという風に解釈されております。ただ実態的には中国軍と言っても変わらないことに中国、そして共産党自身もわかっており、近年は徐々に「中国という国家の軍隊」との解釈の仕方を本人らで広げております。

 それで本題に戻りますが、一体何故人民解放軍は自衛隊が自分たちを警戒すると喜ぶのかですが、理由は単純明快で予算が得られるからです。その理屈というのも、

 自衛隊が警戒している→彼らに対抗せねば→もっと予算が必要アル→政府は拡大予算を組むアル!

 という解釈につながっていくからです。
 こういってはなんですが、自衛隊はそういう存在ではないとはっきり言えるものの、軍隊というのは戦争があってなんぼです。戦争がなければどんどん予算は削減される一方、有事や危機感が高まれば逆に予算はどんどん増え、好き放題に使うことができます。戦前の日本も戦争に突入した一つのきっかけとつしてロンドン海軍軍縮条約に身の程知らずの旧帝国海軍が異を唱えたことが大きな要因となっておりますが、こういったことは多かれ少なかれどこの国にも共通しています。何気に最近のアメリカでも中国脅威論が言われるようになったのは、アメリカ軍が予算獲得のための一つの方便として使うようになったからで、本音では中国の軍隊なんて屁とも思っていないという話も聞きます。

 さてこのような中国軍が予算を獲得したいという仮説ですが、これに対する中国政府の本音はというと、どうも私が見ている限りですと逆に軍隊を削減し軍事予算を減らしたいという思惑が見え隠れします。共産圏の軍隊というと北朝鮮の軍隊がある意味最も身近ですが、同じ共産圏でも中国と北朝鮮での軍隊への見方というのは大きく異なっており、中国では政府はおろか一般国民でさえも軍人を低く見ております。ひどい中国人なんか軍隊なんてクズの行くところだと広言してはばかりませんし、現実に退役した軍人には世間の蔑視があるため再就職もままならないそうです。
 そんな風に見られている人民解放軍ですが、兵員数は北朝鮮と同じく100万人を超えており、世界的にもかなり大規模な軍隊です。た現代の戦争は兵隊の数が戦局に与える影響は少なく、中国もどちらかというと雇用を維持するためにこんな大規模な兵員数を維持しているのが本音で、可能ならば縮減して余ったお金を経済投資に使いたがっているという話を聞きますし、私もこの説を支持します。

 そのため現在の政府と人民解放軍の思惑は、予算を減らしたいのと増やしたいので真っ向からぶつかっており、決して仲のいい関係ではありません。それ故に起こったのが昨年の尖閣諸島沖の漁船衝突事故とも言われ、あの事件で事態を大きく見せることが人民解放軍にとって有利に働くことから裏でいろいろ画策していたのではないかと、あくまで噂の範囲ですが言われております。

 ではこうした中国に対し、日本はどのような態度を取るべきなのか。はっきり言ってバランスの取り具合で非常に難しく、中国を警戒する発言をすればするほど中国で軍事予算が拡大する可能性があり、かといって無警戒だと好き放題にやられた上に国内世論もヒートアップします。一番無難なのははっきりとしたライン、たとえば領海内に艦船などが侵入することがあれば中国限定の輸出規制対象品リストを作るとか、こっちまで来たら徹底的に対抗するという線を作りそれをはっきり見せることじゃないかと思います。どちらにしろ、あやふやな態度が一番問題です。
 もう一つは、中国政府の人間と強固なパイプを作り、縮軍のお膳立てを支援するのもありかもしれません。中国の国民世論ですら人民解放軍への批判が高いのですから、「中国は軍にたくさん予算をかけて経済投資が遅れているので日本は助かっている」などと、誉め殺すような意見を公で発表してみたら、どんなことになるのか想像するだに面白いです。

2011年9月24日土曜日

上海でのペット商品博覧会

 先日に新華社のページを覗いていたら、とある広告が目についたので早速今日行ってきました。その広告というのも、今日のお題となっているペット商品博覧会です。



 なんで仕事でもないのにこんなのに、しかも入場料50元(600円)を支払ってまで行こうとしたのかというと、めっきり触れていない猫などの動物におさわり出来るかもしれないという不純な期待からでした。結論から言うと確かに少しはおさわり出来たものの、やはりペット商品を扱う企業の展示がメインだったので思っていたほどは出来ませんでした、残念。

 それで展示会の内容ですが基本的には中国国内外のペット関連商品を取り扱う企業がブースを繰り出し、上記写真のように日系企業からも一部参加がありました。またペットショーとかコンテストもあるので自慢のペットを連れてくる飼い主もたくさんいましたが、その連れてこられた動物の多くは犬で、私が期待していた猫となるとほとんど見ることができませんでした。そりゃ外に連れてくるとなると犬と猫とでは大違いですし、ペット比率から言っても犬が圧倒的に多いんですからそりゃそうだったのですが……。

 ちなみに中国のペット業界についてちょこっと解説すると、はっきり言って滅茶苦茶伸びてます。自分の上海人の友人もよく、「犬飼いてぇ」と漏らすほどで、街中を歩けば犬を散歩させている中国人は上海市内にはたくさんおります。敢えて深読みするなら一人っ子政策のせいで愛情の向け先や兄弟といった対象に物足りなさを感じているのかもしれませんし、可処分所得の増大とともに無許可で犬を飼う世帯は数多く存在しています。飼われる犬種は基本的にはトイプードルやコーギーなどといった小型犬が圧倒的多数で、大型犬ともなるとなんか欧米人が連れて歩いている印象があります。

 話は戻り展示会ですが、犬だったらいくらでも見つかるものの目当ての猫はほとんど見当たらず空振りを打ったかとあきらめかけたところ、珍しい猫種のブリーダーがブースを展示しており、ようやく見つけることができました。



 そこが扱っていたのは写真を見た通りの豹柄の猫で、人が出来ているのかたくさんの客にフラッシュをたかれつつも悠然と眠りつつ対応していました。人見知りの激しいうちの実家の猫だったら、こんな環境に置かれればすぐに発狂するだろうことを考えると猫にも違いがあるんだなという気がします。



 そこのブースで目についたのは上の写真の猫ですが、何故だかガラス窓とトイレの間の狭い隙間に体を埋めていました。猫自体が狭い空間に体を密着させるのが好きですが、これだけ衆人環視のなかでも平然とやってのけるここの猫たちには本当に感心させられます。

 ちなみに今回の展示会では大小さまざまな猫用ベッドも展示されておりましたが、うちの実家でも一回布でできたものを買ってきたことがありましたが、いざ置いてみるとうちの猫はその布ベッドには一切興味を示さず、布ベッドが入れられていた段ボールをしばらくの寝床として愛用し始めました。そんな経験があるもんだから、多分猫とかだってさらさらした感触より段ボールのざらざらした感触のが好きなんだろうからいっそ段ボールで作った方が売れるんじゃないかと思っていたら、



 海外のメーカーでしたけど、本当に段ボールで上の写真みたいなのを作って売っていました。世の中、思い浮かんだことというのは既にほかの誰かも思い浮かべ、中には実行されているんだな。

2011年9月23日金曜日

夢売る貧困ビジネス

 ネットの情報をそのまま鵜呑みにするのもどうかと自分でも思いますが、以前に覗いたある掲示板に書かれていた内容が前からずっと気になっております。その掲示板では声優養成学校に通っていた方の体験談が書かれていたのですが、通っていた本人は声優になる気はなくあくまでボイストレーニングとして通っていたもののそこそこ筋がよく、最初の養成期間を終えて準プロダクション兼中級養成学校へ上がる際に授業料が免除扱いとなったそうです。その中級養成学校では声優としての指導が行われる傍ら実際に仕事やオーディションも割り振られたりするようなのですが、所属する生徒はみんながみんなこのような授業料が免除されるわけでなく、やはり圧倒的大多数はそこそこのお金を支払いながら所属し続けるそうです。なおその方は授業料免除が決まった際の説明で、ほかの生徒には言わないようにと口止めされたそうです。
 そんな声優学校のシステムについてその掲示板を書いていた方は、学校側は授業料免除扱いとなるような一部の才能のある生徒に仕事を割り振ることで、「所属してさえいれば声優になれる」という希望を他の生徒にも抱かせ、実際にはほとんどなれる見込みのない生徒を金づるとして所属させ続けている現状があると言っていました。この方の指摘について話を聞く限り私もほとんど同感で、これも一種の貧困ビジネスかと思いました。

 全体構造を考えればごくごくわかりやすく自然なことなのですが、声優業界における需要と供給の割合は圧倒的に供給側が大きく、本当にごく一部の人間を除けば生活していくことはおろか声優として仕事をもらえる可能性すら非常に低いです。にもかかわらず声優学校の入学者募集広告は後を絶たず、言うなれば声優学校は文字通り生徒に対して技能ではなく夢を売っているんだろうという気がします。別にこうした声優学校のやり方を批判するつもりは私はありませんし、考えようによってはうまい商売だなと感心します。お金払って通っている生徒にも全く声優になれない可能性がないわけでもないですし。

 ただこれとは別にちょっと自分が気になるというか目につく学校として、就職難の時代ゆえに内定獲得講座なるものがそこそこ流行ってきている点です。人の商売なんだしこういったことに口出しするべきなのかどうか少し悩みますが、ちょっとこの内定講座については懐の苦しい人間を騙して儲けているような気がするので見ていてあまりいい気分になりません。通っている人間からすれば多少お金がかかるとしても内定を得られる可能性が高まるのだからと納得されているのかもしれませんが、社会全体で考えるとこんな講座が世の中に対してどんな貢献があるのか、はっきり言いますが全く価値がありません。受け皿となる雇用が増えなければ根本的な解決にならないのに、こういう中間で搾取するようなビジネスがあっていいかとなると私はこれを否定します。

 前にもある評論家が貧困者の不安心理につけ込む、経済学者の森永卓郎氏を名指しして貧困ビジネスが横行していると批判しており確か陽月秘話時代に私も取り上げましたが、実際には何の効果がないにもかかわらずさも貧困から脱出できるような夢だけを売るようなビジネスはやはり否定するべきだと思います。もちろんお金持ちだったら多少騙して商売していいわけじゃないですが、苦しい人間をさらに苦しい立場に追い込みかけないようなビジネスは実際に存在しており、それも2000年代に入ってから急激に増えております。
 具体的にどう否定するのか私にもいい案はありませんが、「貧困ビジネス」という言葉をもっと普及させ、みんなが認識するようになれば多少は減らせるのではと思い、今日ちょっとこんな記事を書いたわけです。それにしても、高校卒業とともに声優学校行った小学校の同級生は今どうしてるかな。

2011年9月22日木曜日

リーマンショックから三年後の国際社会

 このところ一応最も専門だと考えている国際社会ネタを一切書いてないので、当たりさわりのないネタとしてリーマンショックからちょうど三年経った現在の国際状況について私感を書こうと思います。

・【コラム】「リーマンショック2」封切り間近(ウォールストリートジャーナル)

 今回この記事を書くきっかけとなったのは上記リンク先の記事ですが、なかなかよくまとまっていて読んでて強く感心しました。ただ見出しについては「リーマンショック2」ではなく私なら「リーマンブラザーズ2」ってしますけど。これだと任天堂に怒られるかな。
 それはともかくとしてまず現在の状況ですが、そもそもの発端となったリーマンショックから三年経ったにもかかわらず状況は好転するどころか悪化しています。さらに上記のウォールストリートジャーナルの記事でも「二回目のリーマンショックが起こる可能性が高い」と指摘しており、仮に起こった場合その規模は前回のリーマンショックを上回るとしています。ちなみにこの意見に対して私もほぼ同感です。

 まず現在の世界経済を取り巻く状況で何が一番よくないのかというと、ギリシャやイタリアを筆頭とした政府債務の悪化、いうなれば国家財政を破たんする国が続出していることです。あながち日本も人のことを言えませんが欧州諸国は日本以上に絶望的なまで債務が増え続けており、どうにかしようとギリシャのように資金を注入したもののほとんど効果が上がらず悪化を続けています。実際に詳しく調べてないのであてずっぽうで言いますが、ギリシャが一度はドイツなどEU内の先進諸国に助け舟を出してもらったにもかかわらず再建できなかったのは、改革というか頭の切り替えが完全にしきれなかったことが原因じゃないかと思います。そう思うのもかつての日本もそうで、しばらく待てば嵐が過ぎると言っては小手先の改革でどうにか済まそうとしていた時期があり、危機感が足りなかったんじゃないかと思います。外科でたとえるなら、本来なら組織を切断しなければならないところを止血程度で止めようとしたといったような感じです。

 しかも仮にこれがギリシャとか、言っては悪いですが中流国だけの問題であればまだ笑って過ごせますが、状況はイタリアやスペインといった先進国にも差し迫ってきております。特にイタリアなんかはこっちの新聞でもよく報道されていますがイタリア政府は中国政府に対して公債の引き受けを依頼したそうで、後で高くつくぞとちょっと私も思ったりしました。
 こうした欧州の債務危機に対して、EUの反応は徐々にですが鈍ってきているようにも感じます。ドイツなんかはこれまであれこれ資金を融通したりしてきましたがそれら政策を主導してきたメルケル首相の支持率は低下しており、私の目にもやはりドイツ国民は徐々にEUに対して距離を置き始めているように見えます。言ってしまえば無理にでも同号を維持するのではなくギリシャなどの国はこの際切り捨ててしまえと言わんばかりで、フランスについてはまだどんなものかはわかりませんが最近は原発事故で大変そうです。

 さすがに一年後に中国みたいにすぐに盛り返すというのは期待のし過ぎですが、三年も経って未だ改善の兆しが見えずむしろ悪化しているというのは憂慮すべきでしょう。じゃあ今後はどうなるかですが、率直に言ってニクソンショック以来の為替制度の大変革が自然と発生するのではないかと考えています。
 現在の為替制度は1ドル当たりいくらかと、アメリカのドルを中心とした体制が戦後ずっと続いてきましたが、アメリカは現在なりふり構わない金融緩和を続けており基軸通貨を持つ責任を完全に放棄しています。今日のニュースによると共和党がFRB(米中央銀行)に対して金融緩和を停止するよう呼びかけたそうですが、身内からも声が上がっていることに対してやや驚きました。

 ではドル体制が崩壊するとはどういう意味かですが、単純に通貨の信用がなくなって現物の価値が上がっていきます。それがどういう意味を指すのかですが、自分も為替関係は苦手で憶測でしか言えませんが、多分貿易量が輸出も輸入も世界全体で減っていくのではと予想しています。もともと私はリーマンショック直後にもグローバル化の時代は終わり世界はブロック経済の方向へ舵を切りだしたと主張していましたが、この流れを決定づけるのがドル体制崩壊じゃないかと見ています。
 ちなみに友人からこのところ、「うちの貿易決済は円建てでしているから、このところ円高を理由に支払いを渋る顧客が多い」という泣き言をよく聞きます。一方で自分は人民元で現在給料をもらっているので、世界のイチローほどではないですけど円価に直すたびにため息が出ます。

2011年9月20日火曜日

産業空洞化懸念に対する一つの意見

 もはや1ドル70円台が定着しつつある日本の円高状況ですが、この円高に伴いメーカーの海外進出は確実に増えてきております。メーカーからしたら日本で物を作るだけでどんどんと損失が増えるような状況ですし、この異常なまでの急激な円高を考えると彼らに対して「出ていかないでつД`)」などとはとても言えません。
 しかしこうしたメーカーの動きに対して主に政界などから、工場が海外に移転していくことで日本国内の技術力の低下、産業の空洞化が広がってしまうのではという意見がこのところ出てきており、なにか優遇策を付けてでも日本に残ってもらうべきではないか検討するべきという声も聞こえます。こうした産業空洞化懸念に対する私の意見は至極その通りだと考えており、これまでのグローバリズム化による空洞化懸念(通称、いくいく詐欺)とは違い、今回の円高は真面目に企業の生き死にもかかっているだけあって何かしら対策を打つことも必要性を感じます。具体例を一個あげちゃうと東レがこれまで日本でしか作ってこなかった強化炭素繊維の工場を顧客も多い韓国にも作るとこの夏に発表しており、東レを責めるつもりは全くありませんがこれにはさすがに冷や汗を垂らしました。

 ただこうして産業空洞化の対策を打つべきと主張する一方、技術や製品によってはこの際に日本は捨ててしまうべきなのではないかと真逆の意見も私は持ち合わせております。極端な意見に聞こえるかもしれませんがこうした「技術の放棄」についてこのところ真剣に考えているので、今日はちょっとその辺について軽く触れます。

 ここで私の言う技術の放棄とは文字通り、特定の技術を完全に捨て去り関連する製品や部品の日本での製造をやめてしまうことです。捨て去るべき特定の技術とは具体的に言うと、「日本国内で製造しても採算の取れない技術」、「今後新技術に取って代わられる可能性が高い技術」のことで、身近な例を挙げると白物家電とかがこれに当てはまります。また後者の例だと、ガソリン車から電気自動車に移り変わる過程でなくなるエンジン、ラジエーター、マフラーなどといった部品の製造技術がそうです。
 何故これらの技術を捨て去るべきだと主張するのかですがこれはごくごく単純な理由で、今だったらまだお金に換えられる可能性があるからです。日本では採算の取れない技術でも中国や他の新興国ではまだ必要とされている技術も多く、多少プライドにも関わりますがどうせ日本では使えないのであればそれらの国々の企業にこの際に売ってしまい、売って得たお金で新技術やまだ採算の取れる技術に注力した方がまだ未来につながるのではないかというわけです。

 またもう一点こうした案を持つ理由を挙げると、団塊世代が大量退職した時期にはよく技術の継承問題が盛んに言われてきましたが、私は技術というものはなんでもかんでも継承するべきでなく、物によっては継承してはならない技術もあると考えています。私がこう思うのも既に何度かこのブログでも書いていますが、以前に親戚から、

「昔に家電メーカーでブラウン管テレビ作っていた連中は今は悲惨だ。ブラウン管テレビ自体がもう日本では作られなくなったし、ほかの方面に技術を転用することもできないから完全に日干し状態だ」

 という話を聞いたことがあり、芸は身を助けるとはいうものの企業内である特定の技術に染まったらなかなかそこから脱却できず、その技術の衰退と命運をともにしてしまう可能性が高いからです。それこそ下手に今後使われなくなる可能性の高い技術の継承をしてしまったらその技術を継承した人間はすぐにお払い箱になってしまうこともありうるわけで、こんなことを言ってろくでなしと言われても仕方ありませんが、死ぬ人間は少ない方がいいに決まっており、死ぬべき技術は継承なんかして犠牲者を増やすべきじゃないと私は考えています。

 このような観点から言って、技術を早めに捨てるという選択肢も今の日本には求められているのではないでしょうか。一つのモデルケースとして私が今現在でよく使っているのは、IBMによるLENOVOへのパソコンハード部門の売却で、この例は他山の石にしてはならないと思います。さらについでに書くとHPも今度ハード部門を売却すると言ってて、台湾のノートPCメーカーらは「サムスンが買わないように」と祈ってます。
 また技術を売るにもタイミングというものがあります。ほっといても新興国でもどんどんと腕を磨いてきますし後になって売ろうと思っても相手してくれなくなることも十分ありうるわけで、将来性がないと判断するのであれば決断を早くし、失敗するかもしれませんが新たな方面へ売却で得たお金を投資する方がまだ生き残る可能性も広がるのではと思います。

 この際だからもうはっきりと書いちゃいますが、液晶について言えば日系メーカーはもう完全に撤退した方がいいでしょう。有機ELならまだ投資する価値がありますが、液晶はこの後はどうあがいても採算は取れず赤字を生むだけです。なんせ韓国、中国メーカーですら手に余るくらいなんだし。
 同様にさっき挙げた一部の自動車部品においても、発展する見込みがなく電気自動車には使われないものだったら捨てるべきかどうかを検討すべきです。一つの技術で死ぬまで食べていける時代ではもうないのです。

 じゃあそうした技術を捨てた後で今度は何に投資するべきなのか。実は一つ、凄い気になっている技術があります。

【TGS 2011】脳波で猫耳を動かそう!neurowearの「necomimi」(インサイド)

 実物を見たわけじゃないですが脳波で猫耳が動くって、何気にこれはとんでもないものなんじゃないかとこのところ注目しております。それこそ萌えにとってはただの一歩だが、人類にとっては大きな一歩っていうくらい。
 いちおう注意書きを書いておきますが私がここで主張する「有望な投資先」というのは猫耳ではなく、脳波感知系です。ガンダム風に言うならサイコミュですが、このニュースが出る以前にも今後自動車にどのようなものを付けたら付加価値が付くのかと考えており、あるとしたらやはり曲がろうと思っただけでウィンカーが自動的につくサイコミュしかないと思っていた矢先でした。

 これ以外のサイコミュの運用先となると、風呂に入ってて湯加減を自動で感知して温度を調節するとか、その日の気分で音量が自動で変わるスピーカーとかせこいものばかり浮かびますが、最大の運用先となるとやはり軍需産業です。それこそガンダムに出てくるファンネルなどといった脳波でコントロールする無人兵器さえ作れたら某米国など一瞬で叩きのめせるわけですし、夢は限りなく広がります。ただファンネルの場合だとハード面はもとよりソフト面も強化が必要で、なんとしてでもギュネイ・ガスを超える強化人間も作る必要があります。

 別にこの記事に限るわけじゃありませんが、前半と後半で語る内容に大きな差を感じます。ひょっとしたら自分は後半部を書くためだけに、わざわざ前半部を用意して引きを作ったんじゃないかと、自分で自分に妙な疑念を抱くくらいだこの記事に関しては。

2011年9月19日月曜日

東條英機に対する私の評価

 太平洋戦争開始時の首相、そしてA級戦犯の代表格ということで有名な東條英機ですが、彼の評価については現代において色々あって分かれており、あくまで私感で述べると昭和の時代までは時局もあったのか否定的な評価が支配的でしたが近年は逆評価のような肯定的な評価のされ方が増えて来ているように思います。そんな東條に対する私の評価をどんなものかというと、先に書いてしまうとこの人は首相、軍人である以前に人としてもどうかと思うほどどうしようもない人物だったと見ています。

東条英機(Wikipedia)

 東條の詳しい来歴などについては省略するので、興味のある方は上記ウィキペディアの記事をご参照ください。まず東條への批判として最も多いのは勝算の見込みが全くないにもかかわらず太平洋戦争を開戦した(参謀本部はシミュレーションだと全部日本の敗戦だったのに、「勝負はやってみるまで分からないよ( ゚∀゚)」と言い切ったらしい)という点が挙がってくるでしょうが、これについては私はあまり気にしていません。何故なら東條一人が旗を振ったから当時にあの戦争に突入したわけでなくそれ以前からの長年の積み重ねと、これは近年になってようやく主張できるようになりましたが軍部だけでなく当時は国民の大半も中国、アメリカとの戦争を望んでいました。それゆえ東條がたとえ存在しなくとも戦争に突入したであろうと私は考え、開戦の責任まで東條に負わせるのは真相を解き明かす上で致命的な躓きになりかねないと考えています。

 ではそんな東條のどこが嫌いなのかといえば、我ながら結構細かいですが一つ一つのエピソードがどれも気違いじみているところに激しい嫌悪感を覚えます。そんな気違いじみたエピソードの代表格は、バーデン=バーデンの密約で、これは大学受験レベルの日本史ではまず出てこないのですが是非とも後世に伝えるために指導するべきだと私一人で主張している史実です。これは1921年に東條を含む欧州に滞在していた陸軍若手官僚同士がドイツのバーデン=バーデンに集まり、陸軍の近代化や後に国家総動員法として後に実施される案をお互い一致団結して目指すということを誓ったという会合で、この時集まったメンバーらは後の統制派、皇道派という戦前陸軍の二大派閥の指導者となっていきます。

 仮にこれだけの内容であればさして気にするほどでもないのですが、この時に示し合わされた議題の一つに当時の陸軍で権勢を振るっていた長州閥の排除も含まれていました。東條自身も自分の父英教が陸大一期を首席で卒業したにもかかわらず大将にまで昇進しなかったのは長州閥でなかったせいだと信じ込んでいた節があり(事実かどうかは不明)、長州閥への憎悪は強かったようです。
 そんなことを誓い合った東條達はどんな方法で長州閥の追い出しにかかったのかというと、なんと自分たちが陸大の入学選抜に関わって長州出身者を徹底的に排除するというやり方を取りました。具体的にどんな方法かウィキペディアの記事によると、入学選抜の口頭試験において長州出身者のみに対し、「貴官は校門から、試験会場まで、何歩で到着した?」、「陸軍大学のトイレに便器はいくつあるのか?」などという全然選抜する上で関係のなく、答えられるはずのない質問をして落としていったそうです。その甲斐あってある年を境に長州出身の陸大入学者は、陸大が廃止されるまで10年以上に渡って現れることがありませんでした。

 このエピソードだけでも十分神経というかいろいろ疑うのですがこれ以外にもこういった人間の小ささをアピールするかのようなエピソードが東條には多く、陸軍内部で人事権を握るや能力如何にかかわらず自分と馬が合うかどうかで人事を決めていき、戦時中もノモンハン事件の辻正信やインパール作戦の牟田口廉也など軍人として致命的なまでに能力が欠けていて実際に大失敗をやらかした人物らに対し、「名誉挽回のチャンスを与えねば」と、どんどんと中央に上げていって戦争指揮を任せています。その一方で陸軍内部で良識派と呼ばれ実際に多大な戦果を挙げた今村均や山下奉文については「仲間」だと判断しなかったせいか、中央に呼び寄せることなく延々と現地司令官のままに据え置きました。石原莞爾に至ってはお互いに犬猿の仲だったこともあり、左遷から予備役にまで追い込んでます。

 このほかにも戦時中に、「竹槍で勝てるものか」と批判記事を書いた毎日新聞の新名丈夫記者(当時37歳)を報復のために硫黄島へ送ろうとしたり、東條内閣退陣を促そうとした逓信省工務局長の松前重義(当時42歳)を二等兵として招集し、こちらは実際に南方に送っています。しかも40代という明らかに徴兵年齢としては高齢過ぎる松前を目立たせないよう、松前に近い年齢の老兵を合わせて数百人も招集するほどの手の入れようだったそうです。
 極めつけが終戦直後で、戦時中に「敵の捕虜になるくらいなら自決しろ!」と言っていたにもかかわらず本人は阿南大将と違ってなかなか自決せず、GHQが逮捕に来た段階に至ってようやく拳銃自殺を図り、案の定未遂に終わっています。この時に東條は腹部を撃っていますが、いろいろ意見が言われているものの普通自決するなら頭を撃つのが自然じゃないかと思いますし、そもそももっと早くに自決してればよかったのではという気がしてなりません。公家出身の近衛文麿ですら当時既に自決してたのに。

 その後は知っての通りに東条は極東国際軍事裁判で裁かれるわけですが、この裁判において東條は戦争責任が昭和天皇に及ばないように自身がスケープゴートになろうと努めたと巷間言われておりますが、私はこの説に対して率直に疑っております。東條自身がスケープゴートたらんという意識を持っていたということに対しては否定しませんが、東條がそう務めたからと言って何かが変わったのかといえば何も変わりはしなかったと思います。こう思う根拠としてアメリカは日本のポツダム宣言受諾以前から対日占領政策を研究しており、その研究の中で天皇制を維持することは占領政策にかなうとはっきりと結論を出しており、天皇への戦争責任は初めから見逃されることが決まっていたからです。
 そのためこういうと実も蓋もないですが、東條=スケープゴート説というのは彼を無理矢理にでも肯定的に評価しようとする人たちに作られた説、もしくは東条とその支援者らが自己満足するために作られた話ではないかと見ています。第一、スケープゴートになろうってんなら初めから自決未遂なんかしてるんじゃないよと言いたいし。少なくとも、東條がいてもいなくても昭和天皇は戦争責任から外されていたであろうことを考えると取り上げる価値もありません。

 最後に東條の靖国合祀について一言を添えると、「死ねと命令した人間」と「死ねと命令された人間」が同じ場所に合祀されるのはやはりおかしな気がします。それもまともな戦争指揮ならともかくインパール作戦をはじめとしたかなり偏った、異常な価値観で決められた戦争だとするとなおさらです。

2011年9月18日日曜日

A級戦犯の選出方法

 極東国際軍事裁判への批判の代表的なものとして、「日本人を支配しやすくするための洗脳の一環だった」というものがありますが、これについては私もほぼその通りだという意見を持っております。ちょっとこのところやる気が落ちてきているのでぱっぱと書きますが、連合国側がこの裁判を通して日本人の意識に刷り込ませたかったであろう内容とは下記の数点に集約されます。

・戦争は軍部、それも東条英機を中心とした陸軍らが国民を煽動して引き起こした。
・日本国民はそうした軍部に間違った情報を流され、騙された被害者だった。
→アメリカは戦争を主導した一部の人間を倒しただけで、日本人全員の敵になったわけじゃない。

 大雑把にするとこんな感じだと思います。何故私がこのように考えると、前回の記事でも書いたようにA級戦犯に指名された人間に明らかに恣意的な要素が働いているからです。

A級戦犯(Wikipedia)

 名目上、A級戦犯に指名された人間らの指名理由は「人道に対する罪」ということになっていますが、現実は「国民を騙して戦争に無理やり駆り立てたというグループ像になってくれそうな連中」というもので選ばれているように私は考えています。作業の手順としてはまずその中心となる人物として、太平洋戦争開戦当初の首相であった東条英機が選ばれ、その東条と距離関係が近かったものから次々と選ばれていきました。
 無論、東条は首相になる前から対米強硬派であったことは間違いなく、日米を開戦に至らしめる上では波を強くさせた一人ではあります。しかし生前に松本清張は、「たとえ東条がいなくとも日米は開戦していた(別の人間が東条の代わりになっただろう)」と言っていたように、東条以外にも陸軍内部には数多くの戦争推進者がおり、仮に東条が処罰されるのであれば同様の理由でもっと大勢の人間が処罰されなければ論理としてはおかしくなります。

 実際にはその他大勢の陸軍関係者らはB、C級戦犯として裁かれることとなるのですが、私が最も腑に落ちないのは満州事変の首謀者といってもいい石原莞爾が東条と仲が悪かったという理由で一切処罰されていないことです。ちょっと専門的な話になりますが、満州事変は政府の承認なしに関東軍が勝手に軍事行動を起こしていることから本来ならば関係者らは厳しく処罰されなければいけないところ、満州地域の大半を占領したことから政府が追認を与えてしまい、その後の陸軍内部では命令がなくとも、また違反しても戦果を作れば許されるという風潮が生まれてしまったようです。このような目から見ると、真に日本を戦争に駆り立てたのは誰なのかという疑問がもたげます。

 またもう一つ極東国際軍事裁判への代表的な批判の一つに、「勝者による敗者への一方的な報復」というものがあります。これについてもおおむね間違いではないのですが、内心ではアメリカは満願を果たせずにいるのではないかと見ています。というのもアメリカが最も報復したかった人物はほかでもなく、真珠湾作戦を実行した山本五十六だったのではないかと思うからです。
 山本は戦時中に戦死しますが、もし仮に終戦まで生きていれば真っ先にA級戦犯として死刑判決を受けていたでしょう。よく真珠湾についてはアメリカは、「宣戦布告なしに奇襲をして日本は卑怯だった」と批判しますが、二次大戦におけるドイツのポーランド進撃をはじめとして近代戦はむしろ宣戦布告のある戦争の方が少ないです。また当のアメリカ自身、アフガニスタン侵攻、イラク戦争においては一切宣戦布告はしておらず、私はアメリカが真珠湾にこだわる理由は宣戦布告のあるなしではなく単純に、予想外の大きな損害だった故のショックからだと思います。

 そんな大ショックを与えた張本人の山本に対しては相当怨念が強かったらしく、戦時中も戦略的価値が低いにもかかわらずアメリカはわざわざ山本の出身地である新潟県長岡市までも空襲を仕掛けております。しかしいざ報復をする段階で当の山本は戦死していたわけで、東条とはあまり関係がないもののわざわざ海軍からは永野修身、嶋田繁太郎、岡敬純の三名がA級戦犯に指名されておりますが、これは山本のとばっちりが回ってきただけだと一説では言われており私もそれを支持します。

 これまでの意見はあくまでこういう仮説があるというものでまだ確定された歴史観ではないものの、仮にそうだとしたら本当にしょうもない理由で決められたんだなという気もしないでもありません。だからといって一部のA級戦犯、特に東条について私は同情するような感情は覚えず、厳しい言い方をすればアメリカに余計なものを始末させてしまったという風にすら思っています。東条の評価についてはまた次回に解説します。

2011年9月15日木曜日

極東国際軍事裁判に対する私の意見

 昨日、一昨日と帰宅が11時過ぎとなり、ブログの更新が出来ませんでした。別に仕事が忙しくて残業しているというわけじゃなく付き合いで遅くなったのですが、さすがに今日はブログ書きたいし三日連続は嫌だからとその付き合いを断ったけど、ありゃ確実に上司から目を付けられただろうな。

 それはさておき比較的高い支持率で今のところ私も文句がない野田新首相ですが、就任当初によく「A級戦犯と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない」という過去の発言が取り上げられました。この発言前後の話及び具体的な意図がわからないので特にあげつらうつもりはさらさらありませんが、ちょうどいい機会というか前からまとめようと思っていたので、このA級戦犯と極東国際軍事裁判について私が持ちうる知識と評価をまとめようと思います。

極東国際軍事裁判(Wikipedia)

 まずはっきりいうと、この極東国際軍事裁判は論点が多くて非常に整理し辛い内容です。私において言えばある一点では肯定、別の一点では否定と項目ごとにに意見が異なっており、いっしょくたに全肯定や全否定するべきではないとみております。またこれも最初に言っておくと、多分ここで私が書く内容よりも歴史家の半藤一利氏(たまに自分で”半藤的”とシャレたりして面白い)と保坂正康氏の著作の方がわかりやすくよくまとめられているので、興味がある方は両者の著作を読まれることをお勧めします。私の意見も基本的にこの二人に依っていますし。

 それでは早速始めますが、まずこの裁判がアメリカの復讐によるもので公平性は低いという意見については私もまさにその通りだと思います。論拠としてはこれはまた後で詳しく解説しますが、A級戦犯となった被告人たちの選出基準が明らかに恣意的なもので、罪状となった平和に対する罪とは関係なく決められているからです。ではどういう基準で選ばれたのかというと、まず陸軍関係者、それも東条英機に近いかどうかで選ばれ、その後バランスを取るような形で海軍からも開戦当初の責任者ということで3人、でもってついでに外交関係者からもちょちょいのちょいという形で頭数が揃えられています。こう書くと本当に馬鹿みたいですが、真面目な話でこれが実態だったと思います。

 ただこうした背景があったとはいえ、私はこんな裁判を行ったアメリカは卑怯だとか文句を言う気持ちはあまり覚えません。こういうことを書くと怒られるかもしれませんし実際に怒られたとしても何も言い返す気はありませんが、私は二次大戦で日本は負けた国であって、負けた国が勝った国に「平等に扱え」などというのはどこかお門違いな気がします。もちろん平等に扱ってくれればそれに越したことはありませんが、そんなのは所詮理想論で、好き勝手やられたくないのなら負けるような戦争を初めからするべきでないという立場を取ります。
 むしろ二次大戦後のアメリカの日本に対する態度や処置は、冷戦構造のおかげではあるものの一次大戦後のドイツと比べて非常に寛大なものがあり、この点についてはアメリカに対して素直に感謝したいと思います。ただ唯一言うことがあれば、上記のようないい加減な基準で半ば巻き込まれるような形でA級戦犯にされてしまった一部の方には深く同情しますし、アメリカさんにもあんまりこういうこと繰り返しちゃいけないよと言いたいです。

 ではA級戦犯として裁かれた方々は本来無罪とするべきだったのか。これについては私は理想論でいえば「その通り」ですが、現実論としてはやはり何かしら裁かなければ世界、場合によっては日本人は納得することができなかったのではないかと思います。あくまで仮定の話ですが、もし仮に東条英機が天寿を全うしていたら私は一個人としてやはり納得がいかなかったと思います。文民で唯一死刑判決を受けた広田弘毅についてはその逆で、死刑とされたことに納得がいきませんが。
 一番ベストだったのはやはり、日本人自身で戦後に裁判を起こし、一体何が原因で負けるをわかっていた戦争に突き進んでいったのか、誰が亡国の臣だったのかを徹底して究明し、戦時中にかこつけて好き放題やった人間らを相応に処罰するべきだったかと思います。最もこれで当時の世界の人間らが納得するかと言われたら難しいですが。

 案の定というか短い文章ながらかなり時間がかかりました。次回はA級戦犯について詳しくやります。

2011年9月12日月曜日

枝野氏の経産相就任について

 ZAKZAKが今シーズンのプロ野球セリーグについて「あれれ~ヤクルト突然“復活”のワケ…セは再び「1強4弱」」という記事を書いてますが、1強4弱って……。まぁ言いたいことはよくわかるんだけど。

 それでは本題に入りますが、果たして自分が解説する価値があるのか非常に悩む話題です。

経産相後任に枝野氏、正式発表(読売新聞)

 事の発端は全経産大臣の鉢呂氏が失言によって辞任したことからですが、そもそもどうしてあんな発言が飛び出してくるのかまったくもって理解できません。発言を巡ってはいろいろごたごたしているようですが、議員以前に人として神経を疑います。
 それで代わりに登板することとなった枝野氏ですが、恐らくその抜群の知名度から今回就任を打診されたんだと思います。ちょうど程よくフリーだったし。ただ枝野氏の経済方針というか考え方についてはこれまで私はあまり見聞きしたことがなく、現在まだ未知数です。もしかしたら飾り程度の人事になるかもしれませんが、この際失言さえしなければただ座ってる大臣の方がマシじゃないかとすら思えてきました。

 先週末に寝だめし損ねたので、ちょっとやる気が低いです。明日からはまた頑張って、気合入れた歴史記事を書こうと思います。

2011年9月11日日曜日

今日目についた記事

 あまり名指しで批判しても敵を作るだけだし他人は他人で放っておくというのが基本的な私のスタンスなのですが、ちょっと今日に限ってはあまりにも目につく記事を二本連続で見かけたので、差し出がましいようですが批判をさせてもらおうかと思います。

任天堂ピンチ!「3DS」値下げ効果、早くも失速のワケ(SankeiBiz)

 まず気になったのは上記リンク先の記事ですが、記事内容自体は特に悪いというわけじゃないですが1ページ目にある売上比較について、これはほかの記事でもそうでしたが「何故その数字を取り出す?」と思わずにはいられません。具体的なその個所を抜粋すると、

「ゲーム雑誌出版のエンターブレイン(東京都千代田区)によると、3DSが値下げされた直後の8月第2週(8~14日)の国内販売台数は約21万5千台に達した。2月26日の発売初週(約37万1千台)に次ぐ水準で、値下げ前の買い控えがあった8月第1週(1~7日)に比べ約58倍と大幅に増加した。値下げのインパクトが販売台数を大きく押し上げた形だ。」

 上記の文中でどこが気になるのかというと、この記事ではNintendo 3DSが2万5千円から1万5千円へ値下げした直後の週の販売台数を21万5千台と報じて、それがどれくらいの売り上げだったのかを比較する上で二つの数字を引用しております。まず一つ目の数字は3DSが発売した直後の第一周における発売台数の37万1千台ですが、ゲーム機に限らずとも発売直後の初期出荷台数というのはそのまま最大の販売台数になりやすいです。現実に3DSもこの37万1千台という数字が現時点における最高週間販売台数のようですが、値下げ直後の21万5千台はこれに「次ぐ水準」だとして、大きく売り上げを伸ばしたという感じで書かれてます。
 ただ私の目からすると、どう見たって「37万1千台」と「21万5千台」には数字に大きな開きがあるようにしか思えず、いくら初期出荷台数に次ぐ水準だからといっても、一万円もの大幅な値下げによるテコ入れをしたにも関わらずこれしか販売台数が伸びなかったのかという印象をむしろ覚えます。

 この初期出荷台数とともに「値下げのインパクトが販売台数を大きく押し上げた形」という根拠として、この記事では値下げ前の8月第一週に比べ値下げ後は「約58倍」も販売台数が増えたと書かれてあります。これなんか「値下げ前の買い控えがあった」と書いてあるのでもしかしたら上に言われて無理無理入れた根拠なのかもしれませんが、確か今回の3DSの値下げは発表から値下げまでタイムラグがあり、8月第一週の時点ではすでに次週に値下げすることが発表されていたはずです。言うなれば来週値下げされることがわかっててわざわざ高い値段の今週のうちに買う消費者などほとんどいるわけがなく、売り上げがどれだけ伸びたかとする比較対象とするのには如何な数字かと私は思います。それであれば値下げ発表前の週の販売台数を持ってくるのが適当なんじゃないでしょうか。
 任天堂に脅されているのかどうかまではわかりませんが、何故かどこの記事も同じ数字の引用の仕方をしているのを度々見ました。まぁ脅されるにしてもされないにしても、こんな数字の引用の仕方をするのは素人目にも問題があると思う書き方です。

なぜ若者はテレビ離れしているのか、制作会社から見たテレビの現在(Business Media 誠)

 3DSの記事とともに気になったのは上記の記事です。結論を最初に述べるとよくこれで上もOKを出したなと呆れました。
 内容は視聴率低迷に喘ぐ日本のテレビ業界について番組製作会社の人間はどう思っているのかをインタビューし、それをまとめた記事内容なのですが、まず最初に文章が滅茶苦茶長い割にはこれという内容がほとんどありません。しかも普通の記事なら冒頭、もしくは末尾にインタビュー対象者の経歴やプロフィールを書くべきなのに、何故かインタビューの話を解説している最中に急に入れてきてます。恐らく製作会社の雇用状況の話題と合わせて書こうとしたんでしょうが、読んでみればわかるでしょうが完全に流れがぶった切りになってます。もっとも流れがぶった切りといえば全編に渡ってインタビュー対象者の話をちょこっと引用され、それに記事執筆者がどうも本人の視点なのかあれこれ長い文章を付け加えられているのでどうもインタビュー対象者の真意がいまいちわからない、というより読み辛いことこの上ありません。しかもインタビュー対象の話も全然整理して書いているようには思えず、私だったら括弧で直接引用するよりかは前後の文章と合わせて内容だけまとめて書くのですが。

 最後に執筆者、インタビュー対象者二人への批判として個人的な見解を書きますが、インタビュー対象者は日本のテレビ市場は衰退・縮小しているとしてグローバル市場を意識して作品を制作、販売して行かなければならないとこの記事の中では言っているようなのですが、これ見て私はどうして執筆者はそのまま書いちゃってるんだろうなと感じました。というのもこれは何もテレビ業界に限るわけじゃありませんが、そもそもの話として日本で売れない作品がどうして海外では売れるのか、日本で番組が見られなくなっているという話をしている最中にどうしてこんな話題になるのかちょっと信じられません。しかもインタビュー対象者はそうしたグローバル市場の方向性として「海外の俳優を起用して、英語や中国語、スペイン語などで制作する」と言ってますが、本気でそれで売れると思うのと私は問いたいです。せめてそういうセリフはもっと日本で評価される番組を作ってからでも遅くない気がします。執筆者も執筆者で、そういう突っ込みが何故記事中にないのか不思議です。

 ちなみに海外でも売れる番組の例として今挙げるとしたら、一昨年と今年に放映されたTBSドラマの「JIN-仁-」をこのところよく引用してます。この番組は日本国内でもドラマとしては久々の大ヒットでもはやドラマでは(高予算なのに)視聴率は取れないと言われた風潮を一気に打破しただけでなく、海外でも好評だったことから今年放映された第二期は放映前の時点で海外80カ国での放映が決まったというとんでもない快挙を成し遂げています。
 日本では売れないけど海外では売れるというのは一種の幻想だと思います。まぁこれも例を出しちゃうと、トヨタの「カムリ」ってのが稀有な例としてありますが、日本国内で売れないのは多分名前が悪いせいだと思う。

2011年9月10日土曜日

猛兵列伝~藤田信雄

 恐らくこのブログのメインコンテンツの一つである、ちょっとマイナー感のある指揮官を取り上げる「猛将列伝」ですが、このところどうもネタ切れ感が否めません。もちろん有名どころを取り上げればまだまだいくらでも続けられるしマイナーな小話を加えて面白く書く自信もありますが、何となくそこまでして続ける気にはなりません。
 そこで今日は方針転換というか、指揮官ではなく末端のある一兵士を取り上げようと思います。

藤田信雄(Wikipedia)

 この藤田信雄氏は旧日本海軍のパイロットだった方です。この方がどのような人物かというと、歴史上唯一、アメリカ本土への空襲を成功させた人物です。

 事の起こりを話すにあたってまず当時の状況を説明します。日米は1941年の真珠湾攻撃をきっかけに戦争に突入しました。その翌年1942年4月21日、すでに海軍パイロットとして高い実績を作っていた藤田氏は海軍軍令部に呼ばれ、アメリカ本土へ空襲を実行するよう命令を受けます。

 はっきりと因果関係は書いてはいないものの、恐らくこの命令の背景にはこのわずか3日前にあった「ドーリットル空襲」が影響しているように私は思います。ドーリットル空襲について説明すると、当時の日本は太平洋で連戦連勝を重ねていてアメリカ側もさすがにこの時は気分的に沈んだ状態だったようです。そこでアメリカ国内の戦争士気を高めるために印象の強い作戦を実行しようという話となり、太平洋上から爆撃機を飛ばして日本本土を直接空襲するという案が採用されました。
 空襲すると言っても当時制海権は日本側が圧倒的に握っており、一度飛ばした飛行機を回収するまで空母が洋上で待つのはほぼ不可能であったため、最終的には飛び立った爆撃機はそのまま日本を通過し、連合側であった中華民国にて着陸、帰投するという大胆な作戦となりましたが、結果的には前触れもない本土への直接攻撃に当時の日本軍部は大いにうろたえたそうです。

 このドーリットル空襲から3日後、恐らくそれならばと日本からもアメリカ本土を直接攻撃してやろうと軍部は考え、その実行手として藤田氏が選ばれたそうです。ただ空襲するにしても日本本土からアメリカまで言うまでもなくとんでもない距離があり、その間にはアメリカ側も潜水艦などで防衛しているわけですから並大抵のことじゃありません。それ故に藤田氏も生き残る自信がなく、出発前日には遺書を書いたそうです。
 作戦は伊25という潜水艦にEY14という飛行機を折りたたんで収納し、アメリカ本土まで近づいて焼夷弾を落とすというかなり無茶な内容でしたが、8月15日の出発から約一ヶ月後の9月9日、藤田氏らはアメリカの艦船に見つかることなく見事アメリカ本土へ近づくことに成功した上、カリフォルニア州とオレゴン州の境目に森林火災を起こすため焼夷弾を落とすことにも成功しました。その3週間後の9月29日にも藤田氏は出撃し、またも焼夷弾落下に成功して無事潜水艦に帰投、さらには日本への帰路も潜水艦は撃沈されることなく見事に帰還を果たすことができました。

 これだけ難度の高い作戦を実行した藤田氏でしたが、帰ってくるなり軍部からは、「戦果は木を一本折っただけではないか!」と激しく叱責されました。というのも爆撃直前に雨が降っていたことと、空襲が現地のアメリカ人に見つけられていたために、空襲には成功したもののすぐに火は消火されていたようです。とはいえ生きて帰ってこれた藤田氏はその後教官として軍に在籍しつづけ、そのまま終戦を迎えました。

 これで話が終われば戦時中の本当に些細な一エピソードで終わるのですが、1962年のある日、工場勤めをして生活していた藤田氏は突然政府から呼び出しを受けます。呼び出された都内の料亭にはなんと時の首相の池田隼人と官房長官の大平正芳がおり、藤田氏のことをアメリカが捜しているためそのままアメリカへ行くように、またこの件について日本政府は一切関知しないと告げられました。この池田元首相の言葉はいうなれば、アメリカ現地で戦犯として裁かれても日本は一切救いの手を差し伸べないと言っているも同然です。
 この突然の事態に藤田氏も観念し、いざとなった際に自決するために先祖代々受け継がれてきた日本刀を忍ばせアメリカへ向かいました。そして戦々恐々とアメリカの空港へ降り立った藤田氏を待っていたのは、たくさんの歓声と笑顔あふれるアメリカ人達でした。

 というのもアメリカが何故藤田氏を探していたのかというと、藤田氏が空襲したブルッキングズ市のフェスティバルにゲストとして呼びたかったためでした。もちろん現地では大歓迎で、藤田氏も藤田氏で自決用に持ってきた日本刀をそのままブルッキングズ市へ寄贈してしまうほどだったようです。
 しかもあまりの歓迎ぶりに感激した藤田氏はその後、自費でブルッキングズ市の3人の女子学生を日本に招き、またブルッキングズ市へもその後何度も足を運んで自らが空襲した場所に植林をするなど交流を続けました。1995年には84歳という高齢ながらも、当時の市長らをセスナ機に載せて自分が空襲した航路をなぞるという荒技まで披露しております。

 その後1997年に藤田氏は永眠されますが、死の直前にはブルッキングズ市の名誉市民の認定を受けました。藤田氏がここまで現地に受け入れられた背景には空襲をしたものの死傷者が誰一人いなかったというのが何よりも大きいでしょうが、それにしたってアメリカ人の戦後はノーサイドともいうべきこのフレンドリーさには頭が下がります。また好意的な解釈をするならば、戦時中に行きも帰りも非常に困難な航路だったにもかかわらず幸運にも日本への帰国を果たせたのは、戦後に交流を長くに続けた藤田氏という人物を生かせようとした天の配慮によるものだったのかもしれません。

 それにしても「日本政府は一切関知しない」と言った池田元首相ですが、恐らくアメリカが捜している背景を本当に知らなかったんだと思うけど、結果的には国家ぐるみで藤田氏をサプライズパーティにかけただけじゃないかと思わずにはいられません。ここまで脅かすことなかったのに……。

2011年9月7日水曜日

天下統一後にしなきゃいけないこと

 古代史ネタはほぼもう書き終えたので、またいつも通りというか変な歴史ネタです。
 さて天下統一と言えば立派な大事業ですが、主導権を握ったもののその後は権威を保てず勢力を失うというケースは古今東西地域を問わずに数多くあります。ちなみに私の曾祖母の実家は鹿児島県菱刈というところですが、なんでもここは平家の落人の里ということで自分は平家出身だったようです。

 その平家を筆頭に基本的に、建武政権、豊臣政権は一時天下を握ったもののすぐに没落し、所変わって中国に至ると三国志の魏を筆頭として本当に出来た途端にすぐ潰れる政権がたくさんあります。これら政権の特徴、というより逆に長く維持した政権との違いはどこにあるのかと問われるならば、私が答えるとしたら自軍における武装勢力の駆逐ではないかと考えております。

 自軍における武装勢力の駆逐ですが、これを日本史上最もえげつなく実行したのはほかでもない明治政府です。知ってる人には有名な話ですが明治維新後に真っ先に反乱を起こしたのは旧幕府勢力ではなく実は長州藩の奇兵隊出身者らで、明治政府は維新に成功するやその武力闘争における原動力となった武士勢力を敵味方問わず猛烈に切り崩しを図っております。廃刀令に始まり版籍奉還、終いには廃藩置県とその手のひら返しは徹底していましたが、その甲斐あってか明治十一年の西南戦争を最後に革命後の武装反乱は完全に終結させることに成功しています。
 また明治維新以外にも徳川幕府における統治でも、関ヶ原の合戦以降は本田忠勝を筆頭として譜代における武闘派の面々を閑職に追いやり、大坂の陣以降は外様大名を徹底して締め付けて武士の兵士からサラリーマン化を推し進めていきました。もっとも江戸時代初期はやりすぎちゃって、浪人が大量にあぶれて治安が悪化した面もありましたが。

 上記のように政権を握った後に自らの武装勢力を削った政権というのは比較的長生きする傾向があるのですが、その逆のパターンとして日本においては室町幕府が好例です。室町幕府は三代目の足利義満の時代にようやく天下統一を成し遂げ、彼の時代においては直属の近衛兵が組織されたり山名氏をはじめとした各地の元味方だった大名を次々と討伐したのですが、義満の死後はまた大名同士の合議制に戻っていきます。その結果起きたのは将軍家を凌ぐほど大名家の力が増し、最終的には応仁の乱という形で暴発したことで完全に権威をなくすこととなりました。室町幕府は見かけ上はそこそこ長く続いてはいますが、幕府として機能したのは実質、三代目義満から六代目義教の時代まででしょう。

 では中国の場合はどうかですが、ある意味最も武装勢力の切り崩しに成功したのは前漢の創始者である劉邦で、彼は天下を取るや項羽率いる楚との戦争で最も活躍したトップ3こと、韓信、英布、彭越の三人を討伐、もしくは暗殺しています。その代り皇室縁者こと呂皇后の一族がやけに権力握っちゃって劉邦の死後は一時ドタバタしたものの、幸いにも陳平らが生き残っていたことでこの難局を乗り切り400年にも及ぶ政権となりました。
 この前漢同様に十世紀に成立した宋では、建国者である趙匡胤は元々軍人だったにもかかわらず、自分が皇帝になって以降はこちらも敵味方問わず軍閥の勢力をどんどんと削ぎながら文人官僚をどんどん登用していきました。まぁこちらもオチを言っちゃうと、そこそこ政権としては長く続いたもののあまりにも軍人が弱くなって異民族勢力にやられることとなるわけですが。

 このように天下を取るためには必要だった武力というのは統一後にはかえって不安定化させる要因となりやすく、成功した政権というのはどこかしらでこれら勢力の漸減を図っています。話は現代に戻しても戦時ならまだしも平和時には軍隊は金がかかるだけで、冷戦後はどこの国でも多大な軍事費を削るために軍隊規模を縮小していますし、毎年二桁%で軍事費が伸びている中国においても恐らく共産党幹部らは本音では縮小したいように見えます。そういう意味ではマッカーサーが残した、「老兵は死なず、ただ去るのみ」というのは、本来の意味とは違いますがなかなか的を得ているなという気がします。

2011年9月6日火曜日

いじめに関する統計データ

 ふと思うところがあったので、昨日は記事書くのをやめて下記サイトでいじめの統計データを眺めていました。

政府統計の総合窓口

 調べる前までこういうデータというものは本当にあるのかと内心疑っていましたが、意外とかゆいところに手が届くような感じで項目数も多く、比較的扱いやすいデータでした。ただ懸念がまったっくないというわけじゃなく、これは以前に統計関係の記事を書いた際にコメントしてくれた方がいましたがいじめの件数というものは得てして学校側が過少に報告するきらいがあり、鵜呑みにできないところがあります。その点を踏まえ、データを見ていくつか感じた点を教派紹介します。

1、都道府県別のいじめ発生率
 これはもう上位、下位のトップ10を直接書いてしまいますが、前述の通りにあまり当てにならないデータです。なおこの順位は直接の件数ではなく、児童生徒数に対する発生件数の割合です。

<いじめ発生率の高い県>
 1位 熊本
 2位 大分
 3位 岐阜
 4位 福井
 5位 石川
 6位 愛知
 7位 長崎
 8位 静岡
 9位 千葉
10位 富山

<いじめ発生率の低い県>
47位 和歌山
46位 佐賀
45位 福岡
45位 福島
43位 鳥取
41位 群馬
41位 宮崎
40位 滋賀
38位 三重
38位 沖縄

 ざっとこんなもんですが、むしろいじめ発生率の高い県はきちんといじめ件数をカウントしているだけあって良心的な地域なのではないかと思います。その根拠として直接的ではないものの、いじめと相関しやすいであろう「小中学校の不登校発生率」と比較すると、最もいじめ発生率が高い熊本県は41位と非常に低く、逆に神奈川県はいじめ発生率が24位であるものの不登校発生率は1位でした。カウントのしやすさから言うと圧倒的に不登校率の方なので、むしろこっちの方で地域差を測るのが適当かもしれません。

2、いじめが発生しやすい年齢
 これは認知件数とかはあまり影響しないのでデータをそのまま信じていいのですが、結論から言うといじめの発生件数が最も高くなる年代は中学一年次でした。細かい数字は書きませんが小学校一年時から発生件数は年齢の上昇に比例して上がり小学六年次で約8600件となるのですが、中学一年次はなんとその約二倍の約17000件となります。ただそれ以降は減少していき中学二年次で約13000件、中学三年次で約6200件と、恐らく受験勉強などが影響してか急速に収束します。
 このデータをどう読み解くかですが、単純に中学校で最もいじめが発生しやすく、この年代に対して重点的な対策を取ることが最も求められているのではないかと思います。

3、いじめの男女差
 これは特段取り上げる必要もないのですが各年代ごとの比較を見るとどの年代でも男子の方が女子より頭一個分発生件数が多く、男子の方がいじめを起こしやすいようです。現実問題としては男子のいじめには暴力が伴いやすいことから、女子に対してもそうですがこちらでも対策を注力する必要があるでしょう。

4、いじめの様態
 これもデータの捻じ曲がりが発生しやすい内容なのであまり使えないかなとも思ったのですがちょっとだけ面白いと思ったもので、学校運営別の比較では発生件数から何から何まで基本的に公立校が私立、国立を圧倒的な差で上回っているのですが、いじめの様態で「パソコンや携帯電話等で、誹謗中傷や嫌なことをされる。」に限り、公立中学校が7.3%であるのに対し、私立が15.1%、国立が17.9%と割合で上回っております。変に頭が回るってことかな。

 なんか今日はそれほどやる気がないのでこの辺で終えてしまいますが、もう少しこれらの統計データを利用してもっといじめ対策を煮詰めるべきだと強く思います。具体的にはからかいや嘲笑といった軽度のいじめと、暴力やカツアゲを伴う重度のいじめをはっきり分け、それぞれが発生した際にどのような対策や指導が効果的なのかをもっと比較し、共通認識を作るべきです。今回調べた限りですと中学三年次に急激に発生件数が減っていることから暇な時間を持て余すほどいじめが多くなるのではないかと思え、変な話ですがいじめる生徒にはそういう時間が持てないように課題なり部活なりボランティア活動なりを強制して行わせてみてはという案が浮かびました。

2011年9月4日日曜日

日本人の習性

 最近なんだかリストっぽい記事が続いていますが、昨日に引き続き今日は国際的に見て日本人の習性と思う部分をいくつか挙げようと思います。それにしても先程面倒だから持ち帰った内容の記事を書き上げましたが、毎日記事書いておきながらこんだけブログ更新する人ってほかにいるのかという気がたまにします。確かに商社勤務(去年まで)だった頃は頃で文章を書きたい執筆意欲というのが今より強かった気もするけど。

1、清潔好き
 日本国内にいる日本人はあまり気にしませんが、日本人というのは国際的に見て明らかに異常なほどきれい好きです。浪費のたとえとして「湯水の如く」という言葉がありますが、それだけ身を洗う水が豊富だったことが影響しているかもしれません。
 それでどの程度日本人が綺麗好きかですが、七月に日本に帰った際に私が最初に思ったのは、「うわ、全く匂いがしない」ってことでした。中国に限らず以前に行ったことのあるイギリスでも外国ではどこでも食べ物やらほこりなどいろいろな匂いがするのですが、日本に至ってはどこに行こうが完全に無味無臭。しかも確か十年くらい前には口臭スプレーについて口臭までいちいち気にしなければいけないのかという論評を見た覚えがありますが、今に至っては口臭なんて完全NGでないのが一般マナーになっているような気がします。

2、首振り
 これは中国人の友人に指摘してもらって私も初めて気が付いたのですが、日本人は外国人、ひいては同じアジア人の中でも圧倒的に首を振るジェスチャーが多いです。具体的には肯定時の頷きと否定時の横振りですが、意外や意外に外国人はこのようなジェスチャーを多少はするものの日本人ほど明確にかつ頻繁にすることはなく、中国で日本人を見分ける際には首の動作を見ればそれなりに見分けられます。
 私が思うに欧米人は腕など上半身全体をつかったジェスチャーを多用するのに対し、日本人はお辞儀の習慣からか挨拶から頷き、お礼などの表現の際には必ず首が縦に動きます。韓国人はわかりませんが中国人は意外とこの手のジェスチャーが薄く、ちょっとしたことでよく怒鳴り合ったりすることが多いですが、友人曰く上海人は口だけで殴り合ったりすることは少ないそうです。中国東北部の人は逆らしいけど。

3、他人の判断が正しいという前提
 我ながら極論を言うもんだという気がしますが、日本人は自分で考えた判断内容より他人の判断内容、ひいては合議での結果をやや無条件で正しいと考えるところが過分に多い気がします。私はというと前に書いた「自分の判断への信頼性」の記事で言っているように逆に自分の判断は基本的に他人より優れているという逆の前提がありますが、私が一番わからないのはそれぞれの案やら判断内容に対して理屈なり原理なりを一切考慮せずに「正しいだろう」と推定する人たちです。そりゃ自分が経験や知識がないとわかった上での判断なら何も言いませんが、もう少し正しいと思うことは主張すべきだという気がします。

4、人の言うこと聞いてる振りして勝手な自己アレンジを加える
 これは習性というよりかは文化ですが、よく日本人は他国の文化やら技術を学ぶとそのまんまコピーすることは少なく、ほぼ必ず日本に合わせたアレンジなり改良を加えてしまうことが明らかに多い気がします。具体例を挙げてくと中国から漢字を学ぶと勝手にひらがなやカタカナを作り、インド人からカレーを習うと向こうでは食べることが遠慮されている牛とか豚と一緒に煮込んだりなどと。これなんか自分は最近になっていろいろ感じるようになってきましたが、もしかしたら日本はアメリカがまだ民用化する前の最先端の軍事技術などを利用していろいろ製品作って、それがアメリカ側からすると気に入らなかったんじゃないかと思います。まだ裏とかとってませんが形状記憶合金というのはヘリコプターに使われる軍事技術だったのを、日本人がブラジャーとかに最初に使いだしたという話を聞いたことがあります。

5、相手が逆らえないとわかるや途端に狂暴になる
 これは何度もこれまでの記事でも書いてて繰り返しになりますが、日本人は外国人と比して基本的には大人しく温和な性格ではあるものの、相手が自分に逆らえない、反抗出来ないとわかった際の狂暴性は異常と言っていいほどのものがあります。具体的には明らかに海外より多い駅員らへの暴力や精神病者を多数輩出するカスタマーセンターへのクレームなどがありますが、最近思うのは学校や職場でのいじめももしかしたらここからきているのではないかと見ています。
 一体いつから日本人はこの習性を持つようになったかですが、前にも書いた朱子学の上意下達が影響とか戦前の陸軍教育などいろいろ意見はあるものの、私の中、というよりは私のゴーストに囁かせるならどの意見も腑に落ちず、結局的にはそれらの教育的要素よりずっと以前の日本人の習性が影響しているのではないかというのが一番納得できます。ちなみに他国のいじめについては昔に外国人らが出演した番組で、日本ほどの陰湿さは持たないという意見が多かったです。唯一、韓国においては多少はあるものの、学校現場ではまだ教師の権威が強くて日本ほど発展はしないそうですが、軍隊内では先日も銃乱射事件が起きるなど根強いと聞きます。この辺を比較したらなんか出てくるような気がしますけど、詳細は次回記事に回します。

2011年9月3日土曜日

日本プロ野球、魔球の射手たち

 野球漫画ときたら魔球、と言われるくらいに野球における変化球というものはいろんな意味で人の注目を浴びます。まぁそういっておきながら自分が一番好きな野球漫画は魔球とか一切出ない、ちばあきお氏の「キャプテン」なんだけど。
 前からやろうやろうと思ってなかなか実現できずにいた企画ですが今日はその変化球に絞り、拙い私の知識ながらも現実のプロ野球選手の中でひときわ記憶に残る「魔球」と呼ばれるような変化球を投げていた投手とその球種を紹介しようかと思います。

1、伊藤智仁(スライダー)
 一番に持ってこないと怒る友人がいるので早速持ってきましたが、元ヤクルトの伊藤智仁選手とくればなんといってもスライダーです。生憎中国だとYoutubeがつなげられないのでもってこれませんが、実際に現役時の伊藤選手のスライダーを見てもらえばわかりますが、明らかに物理学の法則を無視した軌道で、バッターの目の前で真横に曲がっているようにしか見えません。もっともこんなとんでもないスライダーを投げられたのはもともと伊藤選手の方がルーズショルダーという、脱臼しやすい特殊な体つきをしていたからだそうで、そのせいか現役時代が短かったのは残念な限りです。

2、佐々木主浩野茂英雄(フォーク)
 現在でもアメリカでは普通に魔球として取り扱われるフォークボールですが、その使い手と言ったらなんといっても大魔神・佐々木選手とパイオニア・野茂選手の二人が自分の中で挙がってきます。二人とも日米球界で活躍したのはもとより、バッターからすると「目の前ですとんと落ちるため視界から消える」と言わせるほどの落差の大きいフォークボールを決め球として持っていましたが、それ以上に特徴的と言えるのはそのフォークを生かす速球の威力でしょう。二人とも全盛期の最高球速は時速150キロを超えており、それ故にバッターもフォークに対応できなかったと言われています。
 なおフォークボールの神様と呼ばれる杉下茂氏によると、現在のフォークボールはSFF(スプリット・フィンガー・ファストボール)などといった亜流が多く、本物のフォークを投げたのは自身と村山実選手、村田兆治選手、野茂選手、佐々木選手の5人を挙げています。それにしても日本は変化球にも神様がいるあたり、バラエティが本当に豊富な気がする。

3、藤川球児(ストレート)
 現在私が最も好きな選手の一人ですが、実際に野球選手になれたからよかったものの親にこんな名前を付けられると相当なプレッシャーものです。
 変化球と言っておきながらですが、藤川選手の投げる直球ことストレートもよく魔球として取り扱われます。藤川選手については何度もこのブログで取り上げていて誰も覚えていないでしょうが繰り返しになってしまいますが、私が2005年のシーズンで藤川選手の投球を見た際は文字通り目を疑いました。これも実際の動画を確かめてみればわかりますがどのバッターも藤川選手のストレートを空振りする際はいつもボール二、三個分下を振りぬくのですが、対戦したバッターによると「ボールが浮き上がってくるように見える」そうで、実際にテレビ画面で見ていてもボールの軌道が浮いているように見えます。それ故に私は当初、直球に近いシュートという変化球を投げたのではないかと思い、テレビでストレートと表示されても最初は疑ったほどでした。

4、潮崎哲也(シンカー)
 シンカー(スクリュー)という球は手首を捻じるようにして投げるため、ダルビッシュ選手ですら封印したほど肘などを故障させてしまいやすい球種です。ただ潮崎選手のようなサイドスローやオーバースローでは腕の振りと合わせて投げやすいそうで、それ故に現在のプロ選手でもオーバースロー以外の投手が投げることが多いように思います。
 そんな潮崎選手のシンカーですが、1番の伊藤選手同様にどこかで物理学を無視したような動きをしてました。当時のバッターからも来るのがわかっていても打てないと言われたほど変化する軌道が大きかったことはもとより、バッターから見て最初右に変化したかと思ったら急激に左下へ落ちてくるというタイミングの合わせ辛い球だったそうです。ゲーム中で私も潮崎選手と対戦しましたが、確かに相手していて「反則だろっ」って言いたくなる変化球でした。

5、ジェフ・ウィリアムス(スライダー)
 阪神ファンからするとバースと並び記憶に残る外人選手のウィリアムス選手ですが、いろんな意味で私の中のサイドスロー投手の常識を打ち破った選手でもあります。というのも私の中でサイド、アンダースローの選手というのはどこか非力な感じがして速球はそれほど速くないという印象があったのですが、このウィリアムス選手に至ってはサイドスローながら速球が時速150キロを超えるなどパワフルな投球をしており、それに加えて文字通り左から差し込むスライダーの凄さには目を見張りました。
 ウィリアムス選手は左利きなので左手からボールを投げるのですが、サイドスローゆえにほかの投手と比べてリリースポイントが大きく左にずれており、そこから放たれるスライダーというのは横一文字に大きく変化するのが特徴でした。ただ球が早い、投げるポイントがずれているとかいうのではなくともかく大きく変化するのが特徴で、なんでも空振りした右バッターに投げたスライダーボールがそのままぶつかるといったことが何度かあったそうです。現在ヤクルトの久古健太郎選手もサイドスローでスライダーを武器にしていますが、案外こういった投球方法は定着してくるかもしれません。

6、星野伸之今中慎二(スローカーブ)
 変化量が大きい変化球といったらこの二人を忘れるわけには行かないでしょう。両選手ともおおよそ野球選手にとしては似つかわしくないほど細身の長身選手で、ルックスと相まって現役当時は女性ファンなども多かったと聞きます。そんな二人ですが今中選手はまだ最高球速が時速145キロに達したものの、星野選手に至っては130キロ前後が限界というほど他の一般の投手と比べて非力さをあちこちから指摘されていました。しかし両者ともそれを補って余りある投球術に加え、時速100キロを切るとんでもなく遅いスローカーブを武器に、奇しくも同時期に長きに渡って活躍しておりました。
 これも当時に対戦したバッターらの証言ですが、左バッターからすると両者(どちらも左利き)が投げるスローカーブは大きく変化するために背中から入ってくるため、通常の構えからすると完全に一時視界から消えるそうです。しかもそんな遅い球を投げられた後だと速球との球速の落差に目が慣れず、それほど速い球でもない割に空振りを失してしまうことが多かったようです。
 それにしても星野選手の球速の遅さは色々とエピソードが多く、奥さんからは「私でも打てる」と言われ、完封勝利後に相手チームの西武の選手らから、「今日の星野は一段と遅い」、「ボールが止まって見えた」などと言われたそうです。個人的にはすごい好きな選手ですが。

7、渡辺俊介(シンカー)
 通称「地上3cmの男」ことマリーンズの渡辺選手は恐らく史上最も低い位置から投げつけるアンダースローという特殊な投球フォームばかりが取り上げられますが、何気にもっとすごいんじゃないかと思うのがシンカーボールです。というのも先ほどにも書きましたがシンカーというのは手首を捻じって投げることからサイド・アンダースローと相性がいいのですが、渡辺選手のシンカーはその特徴的な下手投げというフォームから捻じって投げる投げ方ゆえに、ドリルの回転と同じジャイロ回転をしていると言われています。これがどのような意味を持つのかというと、なんでも一説には渡辺選手のシンカーは自身のストレートボールより球速が早いそうです。原理はジャイロ回転をしているゆえに空気抵抗が低いとのことで、それ故に「高速シンカー」という名前が冠されています。まぁそれ以上に、そもそも渡辺選手のストレートの球速が130キロ台と低いのが大きいですが。

 ただこの渡辺選手についてもう少し付け加えると、先の星野選手、今中選手同様に体格に恵まれず中学、高校と二番手以下の投手に甘んじていたそうです。そこでどうすればいいかということで父親と、唯一の取り柄でこれだけなら誰にも負けたことのなかった体の柔らかさを生かして「アンダースローになるしかない」という結論から今のフォームに至ったそうです。その後大学野球時代もあまり注目されませんでしたが、投げていた試合を見に来ていた社会人野球の新日鉄君津の監督の目に留まったことからチームにスカウトされたそうですが、本人の著書によると当時の大学の監督は、「いやいや、今日たまたまあいつは調子が良いだけでやめておいた方がいいですよ(;´Д`)」と止めたらしいです。ひどいよ監督。
 しかしそうしたやや日陰者の経歴ながら現在では球界を代表する投手となり、ひいては彼の影響からアンダースローに挑戦する中学、高校野球選手も増えてきているといい、人生譚として渡辺選手の「長所にかける」生き方には強い共感と尊敬を覚えます。同様の選手では元阪神の赤星選手がいますが、一試合一試合のプレイとともにこうした選手らのバックグラウンドを知ることでよりスポーツが楽しめるのではないかと思い、こうしてまとめてみました。

2011年9月1日木曜日

野田新首相に対する中国紙の反応

 昨日はなんだかやけに眠くて十時半に床についたら、今日はなんだか躁気味にテンションが高かったです。こんなところで病気自慢をしてもしょうがないですがてんかん症患者は信長やナポレオンを筆頭として感情の上下が激しいとよく聞きますが、私に限って言えばあながち間違いじゃないように思います。それにしても最近になって、年寄り同士が顔を合わせると自分の病気の話から始めるというのがだんだんわかってきました。

 そうした無駄話は置いといて今日の本題ですが、日本での野田新首相誕生に合わせてこちらの中国現地紙でも各紙が一面で取り扱うなど、非常に大きく注目されています。その中でいくつか私が読んだ新聞ではまず今回の総裁選の結果をそのまま「意外」と書いてありましたが、これは恐らくその新聞に限らず中国全土のメディア、果てには日本メディアを含めて同じような感想を持ったことでしょう。
 というのも総裁選前は中国紙も小沢派肝煎りの海江田氏(中国語が得意らしい)と前原氏ばかり取り上げており、特に前原氏については外務大臣時代に中国ともいろいろやりあったことから首相として望ましくないというような論調が多かったです。もっとも私としては小泉時代ですら日中はそれなりにやってこれたんだから、前原氏が首相になったところで日中関係に影響はないとみておりましたが。

 そうした経緯はさることながら今回就任した野田首相については早くも、「歴史認識が肝心」と釘を刺すのも忘れてませんでした。恐らくこれは野田氏がかつてA級戦犯は犯罪者ではないと日本でもあちこちで報じられている過去の発言を得たものとも見ることができますが、そもそもの話として日本政府が中国と関わることと言ったら歴史問題以外はないと言っても過言ではなく、またまた引っ張り出しますが政冷経熱と言われた小泉時代ですら日中の貿易量は増えていったのだし、ほかに書くことがなかったのが現実でしょう。
 ただこれ以外に割といい点を突いているなと思ったところで、「財政立て直しを図るのか震災復興を優先するのか、難しい選択が迫られる」という論評がつけられていました。これについては前に書いた記事で私も書きましたが、野田氏は増税をはっきりと口にするなど根っからの財政健全派です。しかし先の東日本大震災での復興活動を行うに当たって大幅な財政支出は避けることは出来ず、この相反する課題に対してどう取り組むのかが今後の試金石となるでしょう。

 ついでなのでほかの政治系話題についても書いてしまいますがなんでも今回の総裁選の最中にこちらも立候補した鹿野氏は、決選投票前に海江田氏を支持するか野田氏を支持するのかをスーツを脱ぐことで自派閥に伝えたそうですが、ここはひとつ鹿野氏を見習って自分もこれから会議のたびにむやみやたらにスーツを脱ごうかなと画策してます。それにしても高校野球のサインじゃないんだからと思う一方、こういう古典的な方法を見るとなんか安心してしまう自分もいます。

 あと有力候補とみられながら落選した件の前原氏ですが、また今日も外国人献金が明るみになってとうとう合計金額が百万円を突破したそうです。一回目にまとめてわかるならまだしもその後きちんと調査していなかったのかただただ呆れるばかりですが、ここまでの迂闊ぶりを見ると本当にこの人は今回の総選挙で落選してよかったと一国民として思います。日本で既に誰か言っている人がいるかもしれませんしキツイ言葉だということは承知の上ですが、永田元議員はメール問題の際に自ら議員辞職しました。